近代科学の成立と経験論
松
原
武
夫
The Rise of Modern Science and Empiricism
Takeo Matsubara g O. lntroduction g 1. Development of Empirical Research. g 2. Rise of Newtonian Physics. g 3. Mechanical View of Nature and Mechanicai Determinism. bg 4. Mechanical View of Nature and Modern Empiricism. The aim of this paper is to state, from a historical point of view, about the rise of Newtonian Mechanics as the pioneer of modern science. And it is also to state how the conception of experience has been developed to that of experi− mentarisrn by the rise of modern science. Further we discuss about the rise of Mechanism as a consequence of Newtonian Mechanics and finally we touch upon the relation of Mechanism to modern Empiricism.§0.序
言 物理学は優れて経験的な科学である。而して夫は, 社会的経済的基盤の上に立って,特に技術と哲学とに 密接な交渉を持ちつつ発展して来たのであるが,物理 学の発展に伴い,更に広く科学一般の発展に伴い,経 験論の内容も発展せざるを得ない。古典物理学から相 対性原理へ,相対性原理から量子力学へと物理学が発 展するに従って,経験の意義と内容について反省と検: 討が行われねばならない。因より経験論は合理論との 対比及びその止揚に於て展開さるべきである。併しこ こでは純哲学的問題には深入せず,物理学の発展史を 中心として,経験論の問題に論及して行き弔いと思 う。本稿はその第一部として,古典物理学特にニウト ン力学との関連に於て近世経験論について老察するQ§1.実験的研究法の成立と発展
古代ギリシャ入は,擬科学時代を脱却して科学精神 を確立した。それは単に実用のための断片的知識の集 積ではなく,凡ゆる自然現象を統一的原理によって論 証的合理的に解釈せんとする精神である。ギリシャ科 学の論証的概念的性格の一例として,アリストテレス の落体の法則について見るに,(物体は重いもの程, その重さに比例して速かに落下する)と云う。その論 証に曰く:地上の物体は凡てその本来の場所へ行こう とする性質を有する。空気と火は上方に本来の場所が あり,水と土一液体と固体一一は下方に本来の場所 がある。それ故に,重い物体ば軽いものよりも速く落 下しなければならないと結論したのである。他方,ギ リシャ入は,技術を奴隷の騰業として乏を軽視し,自 らは静的な直観と論証に耽っていた。このようなとこ ろに経験主義ぽ胚胎せず,まして逞しい実験精神は生 れようもない。アルキメデスは近代実験科学の祖で あると云われるが,古代ギリシャに於る特例に過ぎな い。 近代科学は実在に関する凡ての問題を経験と実験に より解決するQこの著しい態度ば決して自明のことで はない。夫:ま人類歴史に於ける最近の収護である。中 世に於ては,文化の中心は修道院や領主の城の中にあ った。併し領主と騎士の文化的業績は理論的思索に殆 んど関係がなかった。僧侶や修道士は外界を見ること をせず,唯,スコラ哲学の教を継承し抽象的思索に耽 り,三段論法によるスコラ哲学の精密化がその身上で あった○かくして13世紀までは近世科学の研究力法 らしいものぽ見当らなかった。中世の終頃R.ベーコ ンとかA.マグヌスの如き入々が漸く経験の重要性を 認識し始めた。 このような新しい経験的方法の勃興ま,当時の辻会 的変革と関連している。即ち都市が次第に勃興して, 修道院や城t・まその社会的重要性が失われ,新しい祉会的階級たる市民が歴史の舞台に登場し,ヌ貨幣と利 潤が市民生活を支配し始めたことである○かくし て,封建制から資本主義への過渡期は15世紀まで続 いた。この過渡期に於て,生産にたつさわる職工達 は,始の内は,彼等の伝統的技術を守るためにギルド を作ったが,資本主義が進展するに従い,個人の経 験,工夫,企業心等が重要視せられるに至り,ギルド は漸次崩壊するに至った。かくして,ここに創意発明 の時代が到来した。その発明の中最大なるものぽ,火 薬と火器,羅針盤,印刷機であり,又,紙の多量生産 がある。其他衝風炉,圧砕機の発明,鉱山に認る通風 装置,曳引車の改良,織機,船,運河,城塞の技術の 改良等も重要なものであったQかくして15,16世紀 の発明により亀申世の技術は面目を一新した。他方,地 理学的弓発見により新しい世界と未知の動植物の発見 に至る。このようにして,権威主義者や三段論法の論 者は,経験により圧倒されるに至り,経験的精神の持 主が優位を占めるに至ったのである。 処が当時の技術者たる職工や船乗りは社会の下層階 級と目され,彼等自身も概して教育のない人々であっ たので,彼等の経験主義は科学からは遠く,場当り次 第の観察や改良であり,体系的方法に欠けていた。併 し漸次,特にイタリヤに於て,経験的且つ体系的な技 術が優れた職工達の中に擾頭して来た。このような人 々は,所謂Artist・Engineerであった。レオナルド・ ダ・ヴィソチは其の代表者と考えられるが,彼等は絵 をかき建築をするだけでなく,起重機や鉄砲を作った り,或は砲台,運河,水門,要塞に至るまで作る連中 であるQ彼等は既に実験することを常識としていた。 彼等は近代実験科学の真の先駆者であると云える。ダ σ) ・ヴィンチの手記に次のような一節がある。 ‘経験は吾々に驚くべき業を知らせてくれる。自然 だけは決して吾々を欺かないQだから自然に全く行は れもしない現象をあてにすると,吾々の解釈は自己欺 瞳に陥ってしまう。吾々は色々達つた状況の下に経験 が示すところをたつね,それから一般の法則を得て行 かねばならない。ではそれは何のためか,それは吾々 を導いて更に立入つた自然研究へと進ませ,また工芸 技術にいたるかちである○理論が将帥であれば,実践 は兵士であるQ科学的に確な事柄は数学的に取扱うこ とが出来なければならないQ自然に聞かない自然探究 者は一私ははっき1)言うが一ただの小児に過ぎな い。自然こそは天才にとって唯一無二の教師である。 愚かな者たちの声をきいたらよい。こういう連中は自 然の教え子に過ぎない。古人に聞くよDも,自然から 直接に学びとる人を嘲けるのだ。, 処で実験は手工を必要とし,手細工から始まる。古 代ギリシャでは手仕事は奴隷に任ぜ労働を蔑視したの で実験科学の勃興を妨げたが,近代に於ても始めは手 仕事蔑視の傾向が強く,16世紀に至る迄ルネッサンス の巨匠達でも爾,この社会的偏見と戦わねばならなか った。手工蔑視の傾向は,教育に於ても見られる。中 (2) 世に出ては教科内容は七つのリベラル・アーツであっ たが,初期資本主義の下では,教科内容に於てリベラ ル・ア”ツとメカニカル。アー・ツの区別がなされ,高 い教養とは前者を身につけて,思考力と論証力を体得 することであり,手工を伴うメカニカル・アーツは軽 蔑された。かくして,近代科学の二要素とも云弓べき 論理的思考力の育成と観察乃至実験の能力の育成が分 離せられ,前者は大学教授やヒューマニスト達所謂上 流階級のものであり,後者は所謂下層の職工達に任せ られた。併し乍ら,前述のような二品の進歩に伴い, メカニカル・アーツに対する社会的偏見は漸次影をひ そめ,職工の実験技術も漸く大学教授の階層にまで上 昇して来た。かくして,合理的訓練と手仕事とが一体 化せられ,ここに実験科学が発祥するに至ったのであ る○これは1600年前後の出来事であり,ガリレオ;F. ベーコン;W.ギルパr一・ト等に負うところ多く,引上 歴史に於ける最も重要な事件の一つであるQ 今,ガリレオ(1564∼1642)を一例にとる。彼はピ ・サ大学で教育を受けパドゥア或はピサの大学に教授と して前後20数年に亙って教えたQ彼の学生時代には ピサ大学に数学の講座がなかったので,0.Ricciと いう家庭教師から個入門に数学を学んだ。この人は Accademia del Disegnoの教師であり建築家であっ た。このアカデミイは1562年に,画家Vasariがた てたものであり,現代の美術学校と工業学校との合の 子のよ5なものであった。このことは学校教育に漸次 技術が浸入して来たことを示す。ガリレオは若くして パドゥア大学教授として数学と天文学を教え,又,個 (1) A. Kistner:‘Geschichichte der Physik’ Bd. 1. 1.B. Hart,加茂儀一訳,‘レナナyド・ダ・ヴインチの科学’。 ダ・ヴ/ンチも未だ真の科学者とは云えない。彼の業績は,‘水の蓮動と測定’と‘鳥の飛翔に就での外 は,断片的であり,体系的でないからである。 (2) 文法,弁証法,修辞学,算術,幾何学,天丈学,一三の七つ。
入的に機械学について教えたQ又自分の部屋に作業場 を設け,職工を助手に雇入れた。之が大学に於ける歴 史上最初の実験室であると云われている。彼は最初ポ ンプ,河流の調節,要塞の構造等を研究した。1638年出 (3) 版の新科学対話は,ヴエ=スの造兵廠の現場の問題か ら討っている。当時砲手の間には,弾道の問題が切実 な問題となっていた。ガリレオはこの問題を解くには 先ず自由落下の問題を解決しなければならないと考 え,第一にこの問題と取組んだ。その取組方は,前述 のアリストテレスの単に概念的論証的:方法とは断然異 るものであり,正に,近代科学の実験的力法の典型と 称すべきものである。併し注意すべきことは,その実 験的方法は絶えず理論的考察数学的演繹法によって畏 付けられていることであるQ (1) (新科学対話)第三日‘位置変化に就いて,の第ご 部に記されているように,理論的帰結を自然に問い正 すと云う形に於て実験が行はれている。即ち実証的経 験的であり而も合理的である。経験的合理主義の立揚 と云えよう。彼は速度v,時間t,行程sに就ての運 動学的分析を先づ行っている。即ちVOC∫なる仮定か らS・ct2を帰結し,之を実験によD験証する。瞬間的 速度vの測定は困難なため,彼はs・ct2の関係を験証 する。s, tの測定は容易だからであるQ而も自由落下 を直接に実験せずに滑かな斜面と云う実験道具を用い て,遠田を小さくし,従って空気の抵抗を無視し得る ようにし,且つ測定し易くして実験をする。而も100 回以上も実験を繰返してS・C t2を実証している。かく して,この運動がV・・tなる運動なること却ち等加速 .度運動なることを結論したのである。両して,このよ うな実験的研究の結果から推論して(凡ての物体は真 空中では一定の加速度で落下する)と曰う有名なガ、〕 レオの落体の法則を推論したのである。かくして,千 数百年に亘るアijス1・テレスの独断的権威的迷蒙を打 破して,科学精神の確立と人類の思想の自由と進歩の ために一大突破口を打開いたのである。
§2.Newton力学の確立
ガリレオの段階は未だ運動学的段階を脱し切って居 らず,更に発展して力学的段階に到達したのはニウi・ ンである。尤もガリレオは(新科学対話)第三日命題 (b) 2定理2の註に於て,斜面に沿うて物体を落下させる 力(lmpeto)に就て論及し,色々な傾角の斜面に於て, 力は,同一時間内に夫々の斜面上に於て落下する距離 に比例すると.云う結論に達している。之はニウトンの 運動の第二法則を斜面上の物体の運動に適用すれば, 得られる帰結であるから,ガリレオは斜面上の物体の 運動と云5特殊な場合に慌て,運動の第二法則の認識 に到達していたとも云えよう。ガリレオに次でホイへ (6) ソスは複振子の理論拉に遠心力の理論を展開して,力 学の法則の一歩手前まで接近していたけれども遂に成 就しなかった。ガリレオ,ホイヘンスの制約を脱し て,一般的に凡ゆる運動現象に対して一夫は地上の 物体たると天上の物体たるとを間わず一普鞍当的 な力学の法則は,ニウトンを侠って始めて到達された のである。彼はガリレオもホイヘンスもなし得なかっ た重:量と質量の区別をし,力と質:量と加速度の閤に普 遍的法則を発見したのである。ガリレオの運動学的段 階からニウトンの力学的段階への弁証法的発展が見ら れる所以であるQかくして,より高次の段階たるニウ トソの力学の法則から,斜面上の物体の運動其他凡ゆ る特殊な運動についての法則が媒介せられ,更に海王 星の理論酌予書とその実証と云う科学史上劃期的事件 にまで発展し,古典論の範囲に於ける凡ゆる力学現象 にニウトン力学はその偉力を発揮するに到ったのであ る。 (7) 扱,ニウトソの不朽の名著(自然哲学の数学的原理) によれば,夫ぽユークリッドの(数学原理)に擬して, 定義公理から出発し,定理を証明すると云う演繹的 体系を構成しているが,その定義も公理も何れも経験 的事実の記述であって,叉その定理には実験による証 明が付いている。 このよ弓な実験的方法は,中世や古代の自然に対す る目的論的乃至アニミズム的な見地を排して,客観に 即して自然を自然の立場から認識せんとする方法であ る。実験は単なる観察や観測ではない。実験に於て実 験者は人工的手段一実験装置一を用いて積極的に 主体的に自然に問いかけるQ而して,帰するところ実 験は物による物の認識であり,客観による客観の認識 である。ここには,主観的概念や主観的言語による規 定は排すべきであり,客観的な数学的規定が要求され (3)Galileo‘Discorsi ’;今野・日田訳(新科学対話)上,下○ (4)OP. cit.下PP.35∼44. (5) Op. cit. 一F p. 5?. (6) Ostwald’s Klassiker 19?“. ‘Die Pendeluhr Horologium Oscillatorium von Christian Huygens7 (7)Newton‘Philosophiae Naturalis Princip三a Mathematica’1st edi亡.1687.;岡邦雄訳‘世界大思想 全集第六巻’春秋社Qねばならない。ガリレオは(真の哲学の書は自然の書 である) (この書は唯数学によってのみ読むことが出 来る)とその手記の中に記している。近世物理学が実 験的数学的な物理学である所以である。アリストテレ スの自然学の概念的合理主義を脱して,近世科学は経 験的合理主義の立場に立つと云わねぽならない。 併乍ら,若き実験科学は,前科学的思想と戦わねば ならなかった。夫は目的論とアニミズムとの戦であっ た。アリス1・テレスやスコラ哲学者の‘ Entelechie ’ とか‘実体,とかは,高度に合理的な概念ではある が,その合理的仮面の中にアニミズム的な中核が潜ん でいる。同様なことがスコラ哲学の‘三軸的性質(Oc一 (s) cult Qualities)’に就ても言える。このよ5なアニミ ズム的要素や目的論的な自然の説明は,経験と実験に より,漸次機械的因果的説明により置換えられて行っ た。技術者は自然の因果の法則性を知れば,之に従っ て自己の欲するものを工作することが出来ることを身 を以て体験したQかくして,自然の因果的説明と云う ことが経験科学の主な目的となって来た。 ここに技術上の一例をとれば,井戸の吸上ポンプの 設計の問題である。ア、)ス1・テVス以来中世紀末に於 ても,吸上の作用はHorror Vacuiの原理によb説 明されていた。処でこの原理ではパイプの長さをどれ だけにすべきか計算することは出来なかった。ガリレ ナの二人の弟子VivianiとTorricelliがかく銀を幸した パイプで大気圧の実験をして始めてその原因が明らか となり,之に則って,吸上ポンプの設計も可能になっ たのである。
§3.機械的自然観と機械的決定論
かくして,近世物理学の目標ば,アニミズムと目的 (9) 論からの脱却,プランクの所謂Anthropomorphisum からの脱却にあり,自然現象に関する経験の量的規定 と数学的形成に在る。かくして自然は主観性を全然否 定された純粋に外的な存在として,単に量的な物体界 となる。自然は単に物体の集合であり,自然の事件は 凡て物体の運動に過ぎない。従って自然の法則は物体 の運動の法則である。凡ての物体ほその質的差別を象 捨して唯,質量に還元せられ,その運動の様相1ま加速 度に還元せられる。そしてその運動の法則は,物体相 互の位置的関係によって決る力とその質量と加速度と の数学的関係によって規定される。かかる法則に従う 物体界としての自然界に斉一性が要求されるのは当然 のことであろ5。其処には,偶然や飛躍や例外を認む べき理由がないQかくして,自然の法則ば因果の法則 (10) でなければならない。 かくて,ニウトン力学の法則の普遍安当性は,純物 理上乃至天文学上の力学的諸問題のこの法則による解 決によって験証せられ,更に機械技術的問題に解決を 与えると云う実証により,愈々高揚せられるに至っ た。かくして,機械的自然観(機械論)が生れたQ更 に凡ての事件は例外なく自然法則に従うと云う決定論 が生れ,而も凡てが力学の法則に従うと云う形に於 て,機械的決定論が主張されるに至った。この思潮は 科学者をして益々自然法則を探究せしめる原動力とな り,着々その成果を結んだのであるQ 処で,この決定論の思想には経験的要素と形而上学 的乃至神学的要素のあることを注意しなければならな い。或る事件には或る諸要素の間に規則正しい関係即 ち因果酌法則があると云う叙述は勿論経験的なもので ある。これは実験により実証されるからであるQ併し 乍ら,或る事件が規則的に結合していると云弓主張が 単に経験の事実としてでなく更に一つの事件が他の事 件に必ず継起すべきものであると云う必然性として主 張される場合にはここに新しい問題が起る○必然性は 実証されない。夫は経験の範囲を超える。殊にその必 然性が人格神の命令であるとか,非人格的自然の秩序 であるとか解釈される場合には,神学的乃至形而上学 的なものが加わって来る。 このような,非経験的要素についてヒュームはその 経験論に於て批判しているが,ヒューム以前には,科 学者も哲学者も無批判的に決定論的な考え方を持って いた。ヒュームは自然法則を単に経験によって確かめ られた規則生と考えるが,自然法則ぽ単に経験された 範囲に止まらず,経験から出発して,普遍要言的な必 然の法則を見出すところに自然科学の目標があるとす るならば,ここに認識論上の聞知として,ヒユ・・一ムの 経験論ぽ更に批判さるべき運命にあるQ 扱,機械的自然観はニウトソ無学の発展により生れ たものではあるが,之には擬入梅要素適に技術約要素 を見遁すことが出来ない。人聞自身が元来舐る意趣に 当て機械的存在である。手で押す,引く,持上げる, (8) ニウトンがOccultismに反対していることは, Newton;‘ Optlcs ’,,阿部・三三(光学)PP.356∼7. 岩波丈量参照。 (9) M. Planck: ‘Die rtinheit des physikalischen Weltbilde.s; ‘Vom Relativen zum Absoluten7 (10) Op. cit.(7)pp.350∼352.に於ける,ニゥ1・ンの‘科学に於る推理の規則’参照。歩く等。外的に表われる人間の動作ぽメカニカルなも のである。このような擬人的思考から自然についてメ カニカルな観方が生れる可能性がある。処が,人間は 何れの時代にも,同じ生物学的構置を持っているにも 拘らず,このような機械観は,古代の原子論者とエピ キユーリアソ及び17世紀から19世紀にかけて行われ たに過ぎない。それで,単に生物学的擬人的な要素以 外に,何か他の条件があるであろう。夫ぽ,その時代 の技術の状態であると考えられる。非実証的形而上的 であった古代原子論者やエピキュリアンは別として, 17世紀の人間はアニミズムから脱して,エンジニヤ ーの眼で自然を見るに至った。そしてこの時代の機械 は,印刷機,織機,滑車,蒔計仕掛等のメカニズムで あり,自然も同様に単なるメカニズムであると考えた のは理無もない。併し19世紀末期に至り,電動機等 Non−mechanicalなエンジンが出現するに至り技術の 変革に伴い,機械的自然観も変革を余儀なくされたQ 併し機械的自然観は科学的にも哲学的にも価値を有 し歴史的な役割を果したことは否めない。科学的価値 とは 第一に凡ての性質を機械的性質に帰して之を数 量的に表わし,更に数学によって物理世界を把握する ことを可能ならしめ,物理学の数学化により演繹的理 論の建設を可能ならしめたことであり,第二に研究の 手がかりとしてのメカニカルな模型により新しい事実 を発見したり又事実を説明することを可能ならしめた こと(例えばBohrの原子模型)等がある。又,哲学 的には,機械的自然観により自然が合理的に説明され たので,入聞の知識の合理面との関連に於て,哲学的 合理主義を刺戟した点はよい影響を残した。併し,機 械的自然観が量的機械的な旧約世界を実在とし,質的 精興勺内的世界を幻想として区別することにより,知 識の分析と哲学に約二世紀以上に亙り概念の混乱を来 したことはその悪い影響であった。このことに就ては 次節に於て言及される。 (11)
§4.機械的自然観と近世経験論
17世紀はニウトソ物理学確立の世紀であった。彼の 著(プリンキピア)の発刊されたのは,1687年であ る。又彼の(光学)は1704に出版されている。18世 紀はニウトン物理学の発展と完成の世紀である。嫡男 即ち17世紀181止紀は哲学界では,初め合理論と経験 論が対立し,之が遂にカントの批判哲学によむ止揚さ れた時代である。今,機械的自然観との関連に於て近 世の経験論を考察するQ概説的に言えば,近世経験論 はW.オツカムのノミナリズムの系統を引くものであ り,その主張は,先天的真理の存在を否定し,一切の 知識は‘知覚’から生ずる。従って所謂必然的命題も 絶対に確実性を有せず蓋然性を有するに過ぎないとす るのである。従って自然科学の法則も蓋然的野理性を 有するに過ぎない。 経験論はRベーコン(1531−1626)に始まり,ホ ッブス(1588−1679),ロヅク(1632−1704),バーク リイ(1685−1753),ヒューム(1711−1776)により発 展せしめられたことは衆知の通りであるQこのイギリ スの経験論は,内観的心理学の立場をとり,主観の倒 を学究して,主観主義に陥り,主観一客観の形而上学 的仮象問題(Pseudo・Problem)に[箱っている。この 傾向はパークリイに於て頂点に達している。彼はロッ クの物的門門を排棄したが,精神的実体は之を残存ぜ しめ霊魂や神を立てていることは経験論の原理に矛盾 している。ヒュームはこの精神的実休をも排したこと は,主観・客観の形而上学的仮象問題を克服する方向 ヘー烽 進めたものと言える。 何故イギリスの経験論は,内観的心理学には入り, 主観客観の形而上学に陥ったのであろうか。彼等経 験論者が,当時急速な発展をとげつつあった古典力学 とその機械的自然観を取入れて,徹底的な機械論者て あり,従って,外界と内界,客観と主観を対立的に考 えたことにその根源を有する。近世に於ける外界と内 界の二元論は,ホツブス,バークリィ等の所説からも 分る通り,肉体と霊魂との二元論に関係があり,神学 が機械論杓物理学へ影響を及ぼしたことによって説明 されるであろう。かの古典力学の創立者たるニウトン でさえ,その敬震なる性情を満足するものとして,形 而上学的信念が科学的認識と二元的に並立していたこ (ILi) とは,(プリンキピア)の末尾の一般註に彼自らの記す ところであるQ而もその=二元論は,物理学にまで不当 の概念を持来すこととなった。彼の所謂絶対空間,絶 対時間及び絶対運動の概念はその代表的なものであ る。 (11) 本節の参照。 ヴィンデ]Vバンド著,井上析治訳(一一般哲学史) 三宅剛一著‘学の形成と自然的世界’,) 下村寅太郎‘経験主義の系譜と性格’哲学季刊8号。 Cassirer:‘Die Philosophie der Aufklarung’ 1932. Eng. trans. by F. C. A. 1〈oelln and J. P. Pettegrove ; ‘The Philosophy of the Enleighteflrnent’ 1951. (12) Op. cit. (7) pp. 488一一490. B一・・一cAa.木滅の霊魂への信仰と機械.約自然観とは17世紀以 前には一つの哲学体系として統一一一・されていなかった。 即ち古代には原子論者やエピキュリアンは機械論者で あったが,精神的実体は信じなかった。処がプラトニ ストやストア派は,霊魂と物体とを区別したが,機械 論者ではなかった。中駐の神学者達は精神的実体と物 質的実休との聞に強いて区別はしなかった。彼等の哲 学に煽ては,凡ゆる物体には多かれ少かれ霊的な力が あるものと考えていたからである。そして,アリスト テレスの‘Entelechies’で満足していた。エンテレキ ・・ヘ形相℃あり質料と対立するよりも之と結付いてい るものと考えられていた。徹底的な形而上的二元論は 唯哩論者デカルトがそめ哲学に導入したのであるが, 彼ほメカ=ストであり,且つ敬慶なカソリックであっ た。ロヅクはデカルトの二元論を簡単に自己の経験論 に取入れて,精魚類実体と物的実体を立てているQ而 も経験によっては験証出来ないコつの実体の構造の間 の相互関係を論じて,形而上的仮象問題に陥っている のである。併乍ら,デカルトの影響を問題外としても, イギリスの経験論が機械論に傾いたとき,デカルトと 同様なご元論に陥ったことは理解出来る。自然科学者 は自然研究に際し,色々な条件の下に,色々な観測者 に色々な仕方で与えられる不安定な変り易い様相か ら,凡ゆる観測者が一致す.るような一定の関係を分離 し引出すと云う課題に直面する。この分離する方法 は,主観的な要素と客観的な要素を区別するためには 必要である。処が,機械論が,運動は真の性質であ り,色とか香とかは見掛けの性質一ロックは前者を 第一性質の中に数え,後者は第二性質の中に数えてい る として:二つに分離して取扱うに至り,上記の科 学研究上必要な分離の方法が誤用せられるに至った。 観察の中に潜む客観的要素と主観的要素とを分離する と云う有用無害な方法を,外的世界と内的世界の二元 論に分離すると云うことにすりかえたのは,機械論か らの影響のためであろ5。之に加うるに,宗教的伝統 の影響により,多かれ少かれ,この二元論が霊魂と物 質の対比と同一視されたと云うことも言える。このよ うにして,経験の分析は,ロックに至って,内観的心 理学へと転じて,心理の研究となり,経験は実在する 外界の心理的模写となった。而して,世界の外的と内 的と何れの半分が実際に存在するのか,如何にしてこ の二つが対応するのかと云うような仮象問題が生れて 来たのである。 パークリイはロックの指定した精神的実体と物的実 休の中,後者を排棄したが,更にヒュームは残る精神 的実体をも象冠して,知識の一切の源泉は‘印象’か ら得られるものとしたQこの思想は主観一客観の形而 上的仮象問題の克服に重要な一歩を進めたのである。 処がヒュームの時代にもこの仮象問題の理解と排除を 妨げるものぱ,神学的概念と機械論であった, 扱,哲学史上最も重要な業績の一つは,ヒ=L・一ムに よる因果概念の分析である。彼によれば,原因と結果 は論理的必然性により結付けられているのではなく, 過去の度重る経験の‘連想’による信念に過ぎないの であり,ア・ポステリオリのものである。それ故に帰 納法は演繹法とは根本的証異り,心理的に‘習慣’と ‘信念’によるとする。ニウトソ及び後継者達の物理 法則の研究の着々たる成果に刺戟されて,ヒュームは 事象の間の規則正しい関係を重要視して,彼の因果概 念を之に適用した。併しヒュームの言う如く,因果の 概念が単に経験による信念に過ぎないならば,自然科 学の法則も単なる信念に過ぎないものとなり,普遍要 当的な必然的法則としての科学の法則の可能性を基礎 付けることは出来ない。 このように,ヒュームは一方には経験を超越した事 物の認識を否定し,他方には事実聞の必然的関係を拒 否して,徹底的な懐疑論に陥った。併し之は経験論が 到達すべき当然の結果である。何となれば,経験は其 の性質上個々別々のものであり,単なる経験からは何 等必然性を引出すことは出来ないからである。必然性 の要素は唯理論の立場から得られねばならない。併し 近世合理論は現実に立脚していない形而上学であるD 故にヒユ・一一ムの残した間遮の解決は,経験の現実に立 脚して而も必然性をも生かすものでなければならな い。換言すれば,経験論と唯理論の止揚でなければな らず,ここにカントが出現して,批判哲学を提唱し, 理性と経験,独断と懐疑の止揚を達成せんとしたので る。 (1953.11.4.) ・