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『源氏物語』における音楽描写の意義――夕霧と落葉宮の物語を中心として――

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『源氏物語』

・『源氏物梧」において、 音楽がその文芸的意義に深く関与してい ることは、山田孝雄博士が、「 ...... これ(「称氏物臣」)を芸術上の 作品として見る場合には音楽の方面よりの観察が頗る頂きをなすぺ (1) きものに して決してこれを軽視すぺからざるものなり。」と紺的に 述ぺておられるように、 直要な事実であろう。そういう中で、男女 の触れ合いの棉想において は、 とりわけ 音楽が大きな意義を持たさ れて いる場合が少なくない。例えば、 主人公光源氏が、琵琶や七絃 琴の音に惹かれて、老女の源典侍や醐女の末摘花と契りを結んだり、 箪.琵琶の名手だと聞いて明石上に求愛していること、 或いは、 が合奏の音に誘われて美姫大君・中君を見い出していることなども その例であるが、 ここでは、 落葉宮(朱雀院の女二宮)に対するタ 霧の恋において、それを発展させる菰要な契機として音楽が用いら れているという事実を指摘したい。 つま り、作者は、 横笛巻におい て夕霧を落葉宮の琴の音の美に触 れさせるという方法で、急速に彼 の恋情を深化させ、 まさにその ことを契機と して、「「横笛」までの (2) 夕霧とは全く趣を異にしている」と営われる夕霧巻における彼の租 極的な求愛の行動を描き得ている、 ということについて玲じたいと 思うのである。

綸のはじめ に、夕霧巻の冒頭にある次の一節に注目したいと思う。 まめ人の名をとりて、さかしがり給ふ大将、 この一条の宮の 御有様を、なほ、 あらまほしと、 心にとどめて、 おほかたの人 目には、昔をわすれぬ用意に見せつつ、 いと、ねんごろにとぶ らひ間え給ふ。 した の心には、かくてはやむ まじくなん、月日 IC添へて、 思ひまさり給ひける。 C3) (日本古典文学大系『源氏物語四」・九五頁) 柏木巻・横笛巻における夕霧と落葉宮の関わh合いを読み進めてき た読者が、鈴虫巻を隔てて、次 に突然、 このただならぬ気配の叙述 に会うわけである。そして、 これまで父の源氏とは対照的に、女性 関係に聞き苦しい評判を立てることなく過ごし きた、あの夕霧に、 とうとう乱れる時がやってきたのかと思い至るのであるが れに つけ も、「かくてはやむまじくなん」云々1ーしJのまま、よそよ

における音楽描写の意義

ーータ霧と落葉宮の物語を中心としてーー

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そしい関係で終って しまうことは堪えられないというような、かな りの切迫した感情にまで上り詰めている夕霧の落葉宮 に対する恋心 が、 一体どこに由来するのかと思い起こ した時に、すぐに浮かび上 ' が ってくるのが、ほかなら ぬ横笛巻において、宮が琴を奏でた掲面 なのである。 この夕霧巻が、夕霧の全く上り詰めた恋梢を前提とし て描かれていることは、やはり巻頭部分に おいて、 直接自ら声を聞 かせることもない宮のかたくなな態度に接し、遂に、 『 いかならむついでに、思ふことを も、 まほにきこえ知らせて、 人(落葉宮)の御けはひを見むとおぽしわたる: .... (目九五) と、秋極的な行動の機会を待ち望むに至ったことが記された後、小 野の山荘において夕霧がただひたすら求愛の行為へと突き辿んでい ることからも明白な のであるが、ともか くも、まめ人・タ霧に、そ の特色を失わしめた強烈な恋の契 機が夕霧巻以前に是非とも描かれ ていなければならず、それが、 横笛巻において夕霧が宮の箪の音を 聞き、想夫恋の 曲を合奏した風流な秋の一夜であると思うわけであ る。 この ことは次の三点によって明らかであると考えるので、以下 に鮒次説き明かしたい。 旧 夕 粉は音楽に造詣が深いと言えるが、そのため、落梨宮の高尚 . な 琴の音の英をよく理解し、大きな成銘を受けているこ と。 ②夕扮はかなり以前から要丞井雁の無風流な点を不槌に息い、 風 流・俊雅な女性への佃れを強く心に抱いていること。 i5物語中の諸例より、男性が女性の琴の音を聞くのは容易でない ことが分るが、夕霧にしても、 落葉宮の演奏をまったく思いがけ なく間き得たのであるから 、その点での感銘も当然強かるべきこ

柏木が他界して、 その一周忌も過ぎ、「秋の夕の物あはれなるに」 (横笛・日六0)閑居・一条宮を訪れた夕霧は、 落葉宮の母御息所 と柏木の思い出を語り合いながら、子だくさんの自邸の喧騒とはま るっきり別世界である、ここの閑静さと気品の高さとに心惹かれ、 加えて、彼の来訪直前まで合奏していた名残りの和琴の移り香にも 感じ入る。 さてそこで、 かやうなるあたりに、おもひのままなるすき心ある人は、しづ むる事なくて、さまあしきけはひをもあらはし、さるまじき名 をも、立つるぞかし・・・・・・ (横笛・日六一) という夕霧の心中語が記されるのだが、 これは、慎みのない好色家 辿中の浮名をも立てる行為などは、こういう梢趣ある女人の館を舞 台とする のだという、 彼の一種拶幻的な気分の中での思いであり、 ここには、一条宮の梢趣に魁了されている夕霧の心境がよくうかが われる反面、 同時に、好色人を批評する、好色人ならぬ彼の心のゆ とりも感じられるのである。 ところが以下、 和琴を奏でたり、 御息 所から、 落葉宮の音楽のオ能を父の朱雀院が高く評価していた話な どを皿くと、夕霧は、宮にも旗奏をすすめたりする。 そして、 彼女 が箪の琴を泰で、 それから想夫恋の曲を合奏するに至る経約が、次 のように描かれていろ 。 そこでは、夕霧のその ような心のゆとりと いうものはヽ跡かたもなく消え失せているのである。 (夕霧は和琴を)御簾のもとちか く、 おしよせ給へど、とみに しも、 うけひき給ふまじきことなれば、しひてもきこえ給はず。 と 。

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(中略)風はだ寒く、 ものあはれなるに誘はれて、(宮は)第の 琴を、いとほのかにかき鳴らし 給へるも、 おく深き なる に、(夕霧は)いとど、 心とまりはてて、 中々におもほゆれば、 琵琶をとりよせて、いと、なつかしき音に、 想夫恋をひきたま ふ。「思ひおよび顔なる は、かたはらいたけれど。 これは、 こと 問はせ給ふぺくや」とて、せ ちに、流のうちを、そそのかしき こえ給へど、まし て、つつましきさしいらへなれば、 宮は、 だ、物をのみあ はれと思しつづけたるに、 (中略、 夕霧が和歌 の贈答にからませて所望するので、とうとう宮は )ただ、すゑ 方を、 いささかひき 給ふ。(中略)あかずをか しき程に、 る、おほどかなる、物の音がらに、ふるき人の心しめてひきっ たへける、おなじ調ぺのものとい へど、 あはれに心すごきもの の、かたはしをかき嗚らして、やみ給ひぬれば、うらめしきま でおぼゆれど・・・・・・ (横笛・四六二i六三) 落葉宮の琴の技坦に関しては、「(朱雀)院の御 前にて、 女宮たち の、 とり 卜\の御琴ども、 心み 給ひしにも、(落葉宮は) かやうの方は、 おぽめかし からず ものし給ふとなむ、 さだめ聞え 給ふめりしを。」(横笛・四六一)と記されているように、内親王の 姉妹の中でも格別にすぐれていることが分るのであるが、若菜下巻 でも、夫の柏木が、 女三宮への恋に余念がない状態ながらも、落葉 宮の 「第の琴、なつかしく弾きまさぐりておはするけはひ」には、 「さすがにあてになまめかし」<感じざるを得なかったことが沓か れている (国三七八 一方、聞き 入る夕霧は、父涼氏に習った笛 (4) と琵琶とを得意とし、また、若菜下巻の六条院の女楽において、紫 (5> 上や女三宮等の油奏に細やかな感想を抱いている程、音楽の鑑賞能 力にもすぐれているのである。 その夕霧が、宮の箔の音を「おく深 きこゑ」と感じていることに注目したい。彼は、か つて柏木巻にお ける一条宮訪問の際に、彼女 を、「 この宮こそ、聞きしよりは、 心の 臭みえ給へ。」(四五0)と評しているのだが、 それと符合するので ある。つまりは、夕霧好みの奥深い心ばえの反映した音色ーー。彼 はすっかり心を恋われてしまい、短い浪奏がもの足り なく、高ぶっ た気持のおさまりがつかなくて、今度は こともあろ うに、女が男を 恋うる曲・想夫恋を琵琶で弾き出し、亡 き柏木に かこつけて、打っ て変った態度で宮に合泰を強引に他促するに至る。そして、和歌の 閣答の俄礼にからませて、 遂に、曲の終結部をわず かながらも弾か せることに成功する。 この想夫恋の曲は、「平家物語」巻六におけ る小瞥の話で有名であるが、r夜半の寝党」巻四にも、 寝党上がひ とり亡き夫を偲びながらこの曲を奏でているのを立ち腿きした主人 (6) 公が、感動のあまり「わが 身もうきたつ心地」して、堪え 切れずに 接近する場面があるように、男性にとって、女性が想夫恋を奏でる ことは非常に魅惑的なのである。夕霧の場合は、とりわけ心深く染 み入る「あはれに心すごき」美に感じ入っていて、最初と同様に短 い落葉宮の演奏に対し、 うらめ しいばかりにもの足りなく思っ てい るわけである。 このように、はじめ好色人のことなどを持ち出して 邸内の俯趣を味わっていた夕霧の気持のゆとりというものは、 もは や跡かたもなく、彼は、すっかり 落葉宮に心惑わされているのであ る。大体、 ただただ物思いにのみ沈んでいる宮にしつこく想夫恋の 合奏を強いる夕霧の媒度は、 自ら好色人のふるまいを評した「さま 3

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あしきけはひ」以外の何ものでもないのである。 以上、落葉宮の琴の音が夕霧の心を如何に感勁させるものであっ たかということを 、場面に即して考察したわけであ るが、 その余韻 は帰邸後の彼の心をも占めてお り、 そのことからも彼の感勁の深さ が知られるのである。夜更けて帰って来た夫に、 雲井雁がやきもち を焼いてたぬき衷入りを するのをよそに、 夕霧は、「妹とわれとい るさの山の」(横笛・匹六五)などと、催馬楽を口ずさんだ り、 んな月のきれいな晩によく哀ていられるものだ……「あな、 むもれ ゃ。」「あな、心 砥。」(同) と声をかけたりで、 一条宮で得たロマン チックな気分をあらわにして いる。 また、 君だちの、いはけなく疫おびれたるけはひなど、 ここかしこに うちして、女房も、さしこみて臥した る、人気にぎははしきに、 ありつるとこ ろの有様、思ひあはするに、 おほくかはりたり。 (横笛・日六六) と也かれているように、子供や女房述が所狭ましと臥せっているわ が邸のけはいのにぎやかさに、あの閑静な風流の宿と比ぺて、何と 迩いがあるのだろうと思ったり、 笛を吹きつつ、「いかに、 名残も なが めたまふらむ、御 琴ど もは、しらぺかはらず遊びたまふらんか .し。宮す所も、 和琴の上手ぞかし」(固)などと思いをはせたり、 更には、 どういうわけで、 あの柏木が宮に対し深い伯愛を持ち岱な かったのだろうかと不思級に思ったり、などというように、 一条宮 .に過ごしたひと時の余飢が毀若に表われているのである。夕霧は、 もはや完全に落菜宮への恋の囚人と化していると言えよう。

夕霧は、早くから痰井雁の侵涯さに欠けた点に不満を抱いており、 そのことが、 琴の旗泰に覇著にうかがわれる落葉宮の瓜流に彼が惹 かれる大きな要因ともなっているのである。すでに、 一条宮におい ても、 また舟邸後にも、 宮邸と自邸との比絞をしている点に触れた が、 帰邸後の浮かれた心を静めて夕霧が浙く寝つき、そして故柏木 の奇妙な拶を見、 それを幼な子の衷ぽけて泣き 出した声に牝まさ ることが描かれた後に、 次のような描写がある。 (笞井雁は)御となぷらちかく取りよせ させ 給ひて、耳はさみ して、 そそくりつくろひ、 (若君を)いだきてゐたまへり。 とよく肥えて、 つぶl\と、 をかしげなる胸をあけて、乳など くくめたまふ。 (横笛・日六 七) 子だくさんの磁井雁が、 品位の無さを欣徴するマtはさみ」をし て、 泣く子を あやし、なだめているのは 、•あたかも、帯木咎におい て左馬頭が良しとしなかった「まめl\しきすぢをたてて、耳はさ みがちに、 美相なき家刀自」(H六四)の体であり、 ここでは、 はや邸内の梢趣だけでなく、 忠井雁と落葉宮の、女性としての魅力 の差が、あからさまに問廂となっているのである。 この安をもの足りなく恩う夕霧の心俯については、若菜上・下沿 を中心にして、 義母の紫上との対比におい て、 すでに何度か語られ ている。まず若菜上なには、 (紫上は)静やかなるを本として、 さすがに心うつくしう 、人 をも消たず、 身をも、やむごとなく、心にくく、もてなし添ヘ 給へる事と、見し而彩も、わすれがたくのみなん、思ひ出でら れける。我(が)御北の方(お井廂)も、 あはれと ぽす方こ

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そ深けれ、いふか ひあ り、 勝れたるらうl\しさなど も、 物し 給はぬ人なり。 (笛三0二) とあり、夕霧は、 紫上の人格的な美点を思い、 笙井雁の未熟な桁神 を咬いているのである。 ここで「見し面彩」とい うのは、 さかのぽ って野分巻でものの紛れに 紫上を垣間見た時の ことを指し、 実は、 その折にも恋愛中の雲井雁が並ぺられて いるのだが、 それは、 心にかけて恋しと思ふ人(雲井雁)の御 事は、 さしおかれて、 ありつる(垣問見た紫上の)御面彩の忘られぬ·:':(固五0 ) というものであり、作者は、すでにその野分進あたりから、 夕霧の 心惜に関して、紫上への傾斜と堡井雁よりの雌反というモチーフを 打ち出しているわけである。 更に若菜下巻においても、光源氏主催の六条院における碓脱な女 楽の終了後に、その ような夕霧の息いが紐返し述ぺられている。 (紫上の)筍の琴の、かはりていみじかりつる音も、 耳につき て、 恋しくおぽえ給ふ。 わが北の方は(中略)をとこ君の御前 にては、恥ぢてさらに弾 き給はず、何事も、ただおいらかに、 うちおほどきたるさまして、 子ど も の あっかひを、 いとまな く、つぎl\し給へば、 をかしき 所もなくおぼゆ。(笛三五五) 女楽 に お け る 紫上の布の演奏のすばらしかったことを思い出しつ っ、 雰井 雁のおっとりとして百児に余念のない有様と対比する夕務 の心理がよく表われている一節で ある。 このように、夕霧の紫上に 対する憧れと、塞井雁に対する不満と は、 かなり根深いものがある と言わねばならない。前者の方は、 紫上が女楽後霞病に陥ったこと によって発展性を失うのであるが、 後者の気持は当然残ってしまう わけで、 それが、 横笛巻における落葉宮の音楽の風流に対して強い 感銘を受けさせる要因となり、 彼女に強く心を傾かせる心迎的背梨 となっていることは明らかである。 上坂信男氏が、「現実の問返と しても、 折にふれ事にふれて他さ れる詩歌管絃の御遊に琴の拙い女性は、たとえ入内しても帝の刑を (7) 期待することは困難になっただろう。」と言われている如くに、 平 安朝役族社会の女性にとっては、琴の技芸が不可欠の教捉だったわ けであり、「みやび」は、 まさに音楽と切っても切れない関係にあ ったのであっ て、そのよ うな秤染が、 四井雁・紫上・落漿宮三者に おける女性的船力の問姻において、 鉗的に反映されているわけであ る。 なお、「源氏物語」だけ でなく、 例えば「狭衣物語」などでも、 今姫君の幼稚な性格が、琵琶の絃の張り方や弾き様によって表現さ れ(巻三) 、 彼 女が、 娘大君を狭衣帝の一宮に嫁がせたいと希望す る際、「 ...... (母君の)琵琶の音を、(大君 は)ひきったへてやあら (8) ん・: ... 」 (咎四)と狭衣が問題にしないところなどに、女性の英に 関わる音楽の意義が感じられると思う。

夕霧は、落葉宮が布を泰で出す前には、「御簾のもとちかく、(和 琴を)おしよせ給へど、 とみにしも、うけひき給ふまじきことなれ ば、しひて もきこえ給はず。」(横笛•四六二)とあるように、彼女 が弾琴の所堕に応じるとは全く息っていない状態であるわけだが、 これは、男性が女性の琴の音を聞くことがどんなに容易なことでは ないかという惑じを与える物語中の諸例を念頭に脱いて読めば、•こ く自然な心理であること に気付くであろう。例えば、明石牲 で、 明 5

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石上はすでに源氏と契りを結んでいながら、「 この、 常にゆかしが り給ふ、 ものの音など、さらに聞かせたてまつらざりつるを、いみ じう恨み給ふ。」(口八九)と記されているように、源氏の弾琴の所 望に日ごろ全く応じず、別れに臨んで漸く第を奏でるのであり、す でに愛児のいる薄丞巻でも、「(源氏が)琵琶 を、 わりなく資め給 へば、 すこしかき合はせたる 」 (⇔ニニ五しニニ六)という消極的 な態度をとっている。また玉堡は、源氏に庇護を受けていながら、 「せちにきこえ給へど (中略)ひが事にもやと、つつましくて、(和 琴に)手触れ給はず。」 (常及·国一 九) という ような状態である し、 真木柱の娘の宮姫君も、 継父の按察使大納言との間で、「

......

・せめ聞え給へば、くるしと思した る気色ながら、(琵琶を)爪弾に、 いとよく合はせて 、ただ少し、かき嗚らし給ふ。 」 (紅梅・同 二 四一) と描かれているような具合である。更に、宇治大君・中君は、柄姫 巻において、 ••…•「かき嗚らし給へ」と、(八宮が)あなたに聞え絵へど、「思 ・ ひ よらざりし独り琴を、聞き給ひけんだに、あるものを」「いと、 かたはならむ」と、ひき入りつつ、みな、聞き給はず。たびた び、そそのかしきこえ給へど、とかく闘えすまひて、 やみ給ひ ぬ め れば、 (黛には)いと、口惜しうおぽゆ。 (国三一―

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と描かれている ように、父の八宮から促されても、菰に琴の音を潤 かせようとしない。中君の場合、宿木路 で、 (匂宮が)人、召して、第の御こと取り寄せさせて、弾かせた て まつり給へど、 (中略 )つつましげに、手も触れ給はねば、 「かばかりの事も、開て給へるこそ、心憂けれ。(中略)かの君 (菰)に、はた、かうもつつみ給はじ、こよなき御中なめれば」 など、(匂宮から) まめやかに恨みられてぞ、 うち咬きて 、 す こし 調ぺ給ふ。 (ll! 1 0四~10五) とあるように、匂宮に菰との関係を皮肉られて、渋々所望に応ず る 程である。「源氏物語」以外の作品を見ても、例えば『宇沌保物語」 には、 月下の合泰を仲忠に立ち聞きされた こ と を知った拭宮 が、 (9) 「さは琴弾きつるは聞きつらむな。 あなはづかしや。」(まつりの使 巻)と赤面する場面が見られ、さらに、 「:':'ただこのこゑながら、この誠の手を、とどめ給ふ手な く 遊ばせ。(中略) 」 と(朱雀帝が)のたまふ。北の方(俊蔭女) 「さらに、(中略)琴とは何の名にか侍らむ、それをだにえ知り 侍らぬに、 あやしくきこえ させけるかな」上「( 中略) かく辞 (10) し給ふこそはかなけれ。」 (初秋巻) とい うように、俊蔭女が朱雀帝からの弾琴の要請を極力拒む場而も 見受けられ る。また、 『夜半の寝槌」には寝此上に関して、 (内大臣は)さまざまにかぎりなく見奉り給に、上の、「御琵琶 は、ひが祁にもあらん」と、はづかしく思して、せめて弾きと どめ、 几帳にすべりかくれ給ぬるを、(内大臣は ) そ れをしも C11) あかず思して…·: (怨五) と描かれる場面があり、「浜松中納言物語』には、肘后に関して、 「・・・・・・わが世のおもてをこすと おぽして、えうしうのうちなる げらうと思はせて、琴を弾きて、この中納言に聞かせ 給へ 」 と、 (唐帝が)ねんごろに仰せらるるに、后いとあ るまじき事とお (12" ぼしたる・・・・・・ (巻一)

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という描写、「狭衣物語』には、 源氏宮に関して、 (狭衣は)我も勾椙に寄りかかりて 、笛を吹きつつ、そそのか . し 閲ゆれど、(源氏宮は)「同じさまに習ひし かど、 殊の外なる . を 、 なかなか耳馴らさじ」とにや、弾きすさみて(注・弾き拾 (巻二) C13)� てて) ...... という描写が見られる。 このように、物詣においては、 女性が琴の 音を、 親密な者にせよ、 投顕にせよ、男性に対して間かせることを こよなく恥じらうとい う描写が定型化されており、男性が女性の音 楽美を哀受することは至難とされているわけである。 ざてそこで、 夕霧と落菜宮の場合を考えてみると 、 別 に男女の親 (14) しい間柄というのでもな く、 また 身分的にも下る夕霧の求めに応じ て、 宮がすなおに油泰することはまず有り得ないはずであって、タ 霧が期待せず、強く促していないのは全く当然な こ と と言ってよ い。 ところがそれにも拘らず、 ややあって宮は、 「風はだ寒く、 も のあはれなるに誘はれて」、 自発的に傍の第を奏で 出し ている わけ である。従って、 夕霧が、個人的に堅女・落葉宮の琴の音を全く思 いがけなく聞いたという点において、 如何に深い感動を党えたかと いうことを、 よく推察することができよう。作 者は、 そのようなタ 霧の心に与をる彩響の大なるを期して、殊更、彼が落葉宮の弾琴を 期待していないとし、殊更、 宮が自発的に弾き出しているとしてい るわけである。 ただ、 そうすると、落 葉宮 の行為には一体恥じらいの気持は無か ったのかということが問邸になろう。実は、 一条宮における落葉宮 との対面後しばらくして、夕霧は父の源氏にその話をしているのだ

1-邑;エ-位'―

き•-ー

4 が、 その折に面氏が、 「かの、 想夫恋の心ばへは。げに、いにしへ のためしにも、 ひき出で つぺかりける折ながら、女は、 なほ、 人の 心うつるばかりのゆゑよしをも、 お ぼろげにては、"涸らすまじうこ そありけれと、思ひしらる る事どもこそ、 おほかれ。」(横笛•国七 二)と、宮が想夫恋を合奏した行為を軽率だと批判するようなこと を苫っているのである。女は、 男の気をそ,さるような情辿をいい加 減なことで見せるぺきではないという理由によってであるが 、 これ は、 すでに見たような、女性が男性に琴の音を間かせることは極力 慎むのが普通であるという事実と閑迅するので あり、 源氏 の感想 は` 要するに第三者がごく自然に抱くものであると言えよう。 そう すると、 そもそも夕霧に想夫恋合奏を強要させるきっかけとなった 最初の策の琴の弾泰も、 客観的には軽々しい行為と見られかねない ものということになるわけであ る。 ところが、 落猿宮の性格として は、 夕霧咎の大詰めに塗籠に籠るまでして最後の最後まで夕霧を拒 み続けている態皮に象徴的なように、丁 度、 いわけなさが強聞され ている異母妹の女三宮とは正反対に、思巡深く、しっかりしている という点が特徴的であ る し、 その弾琴の行為も、 ものあはれなる折 柄に加えて、夕霧と母御息所が亡き夫を追怯し合ったり、夕霧が亡 き夫の愛用していた和琴を泰でたりする様子に、一屈自らの憂愁の 思いを増長させられ、その発録をふと傍の箱に求めたといったとこ ろが内実であろう。すると作者は、決して軽率でない落菜宮を軽率 だと第三者たる源氏に夕霧との対話の中で批判させざるを得ないよ うな浪奏の行為を描いているということになるわけである。すなわ ちそこには、何としてでも落 葉宮 の琴の音を夕霧に問かせようとい

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う作者の強い意図が感じられるので あり、 それはまた、作者が、タ 窮を感勁させる索材とし て如何に音楽を重視し ているかと いうこと を示すものにほかならないと思うのであ る。

以上、 ・ 三つの角度から考察したところにより、横笛巻における 落 葉の琴の油奏が如 何に夕霧を感勁させるもので あったかというこ とを確認できたと 思う。作者は、音楽を解し、風流な女性を憧憬す る夕窮に対して、楽オ幾かな落葉宮のすぐれた箪の音 を、 しかも思 いがけ なく聞かせ、更に は想夫恋を合奏させるといった、非常に周 到かつ綿密な方法で以て、まめ人たる彼の心を強く揺り動かし得て いるわけである。そして結局は、そのことを夕霧巻における「行動 する夕霧」を描く原動力としているのである。つまり、夕霧巻の例 の冒頭の一節に、「との一条の宮の御有 様を、 なほ、あらまほしと、 心にとどめて」(宮の 御様子をやっぱり理想的だと執心して)とあ ・るのは、明らかに、その音楽中心の楊面を踏まえて密かれているの である。その場面 以前、二人の 関わり合いの覇著なも のは、 柏木巻 における夕霧の二度の一条宮訪問だけであり、 二庇目の折には、す でに触れた「この宮こそ、 聞きしよりは 、心の奥みえ給へ。」(日五 O).云々と、恋愛感情のは しりが見受けられるのであ るが、 しかし、 そこから 夕霧巻への飛躍は全く不可能なのである。かつて柏木や父 の涼氏の好色ぶりを、 ……(柏木の女三宮への思磁は)いみじくとも、さるまじき事 に心を乱りて、かくしも、身にかふぺきことにやはありける。 (中略)さ るぺき、 昔の契(り)といひな がら、 いと軽l\し う、 あぢきなきことなりかし…… とか、 (源氏が玉盤と睦んでいるのを垣朋見て)いで、あな、うたて。 (中略)おもひよらぬ隈なくおはしける御心にて、 も と よ り、 見馴れおほ したて給は ぬは、かかる御思ひ、 そひ給へ るなめ り。(中略)あな、うとまし・・・・・・ (野分・国五八) などと批判して、 「まめ 人の名をと」っていた夕霧が、今度は自ら 浮名を立てるに至る必然性・合迎性 は、 横笛巻の音楽の場而を遥過 してこそ納得がいくのである。

以上、「源氏物語」に描かれている幾多の男女の触れ合いにおい て、 音楽がい ろいろな意義深い役割を担っている事実の一例とし て、夕霧と落葉宮のOO係の楊合を取り上げて論じた。まめ人・タ霧 を様悪しく変貌せしめている程に、作者・紫式部は、音楽が人間の 心に与える絶大な彩菩力について熟知していたのである。 (1) 「涼氏物語の音楽」(昭9.宝文館、 引用文は昭44発行の 復刻版による)の自序゜ (2)秋山虔氏編「涼氏物語必携」(昭42・学燦社)中「夕霧」. 一七一頁。 (3)以下、「源氏物語」本文の引用は 、 全 て日本古典文学大系 「源氏物語」マ�五(山岸徳平氏校注 )に拠り、それぞれ日 lgと略記する。 (柏木・日四一)

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源氏物語における玉整の登場の仕方は異色であ り、 興味深い。少

(4)笛●ついては、「•;・・・大将(夕霧)、 たちどまり給ひて、 子のもち給へる笛(横笛)を取りて、いみじくおもしる<、吹 立てたまへるが、 いと、 めでた<聞ゆれば、 い.つれもl\ みな、(源氏の)御手を離れぬ、 ものの伝へl\、 いと 1 ーな くのみある」(若菜下・国三五四し三五五)、 琵琶については、 故六条の院(源氏)の御伝へに て、 左のおとど(夕霧)なむ、 この頃、 世に残り給へる。」(紅梅・国二四0)。 (5)「:・・・・(紫上の)和琴に、 大将(夕霧)も耳とどめ給へるに、 なっかしく愛政つきたる御爪音に、 ひき返したる音の、 やっ らしく今めきて ...... 」(若菜下・国三四五)などの記述。 (6)阪倉篤義氏校注・日本古典文学大系r夜の疫党」(昭47). 二九七頁。 (7 ) 「物語序説」(昭 42.有精堂)中「源氏物語序説」・ニ四五頁 (8) 1 二谷栄一氏ほか校注・ 日本古典文学大系「狭衣物語」(昭 48)•四五四頁。

(9)原田芳起氏校注・角川文叫本「宇津保物語」上巻(昭44)· 二六九頁。 (10)同右「宇津保物語」中巻·一五0頁。 (11 )注6に同じ。同杏・三六八頁。 (12 ) 日本古典文学大系77中の松尾聡氏校注「渋松中納言物語」 (昭47)・一九八頁。 (13 )注8に同じ。同也·一九一頁。 (14)横笛巻の対面以前に 裕莱宮が夕務へ示していた反応は、 柏木巻において、「ことならばならしの枝にならさなん莱守 の神の許しありきと」(四四九)という夕霧の懸想めいた詠み かけに対し、 従姉妹である少将君を介して、「かしは木に莱 守の神はまさずとも人ならすぺき宿のし.つえか」 (国五0 ) という極めて淡泊な返歌をすることぐらいだったのである。 (岡山大学大学院文学研究科) 女巻末の八月、 六条院が落成する。 彼岸の頃に紫上をはじめとし て、花散里・秋好が、神無月には明石上が引き移 り、 六条院は名実 共に完成したのであるから、作者がここを舞台に、新たな物語世界

参照

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