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コーネリゥス・バージェスの火薬陰謀事件説教について : バージェスはアンドルーズ、プリドー、マーシャルからどのような影響を受けたか

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全文

(1)

いて : バージェスはアンドルーズ、プリドー、マ

ーシャルからどのような影響を受けたか

著者

高橋 正平

雑誌名

SHIRON(試論)

48

ページ

1-24

発行年

2013-08-31

URL

http://hdl.handle.net/10097/57605

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コーネリゥス・バージェスの火薬陰謀事件説教について

─バージェスはアンドルーズ、プリドー、マーシャルからどのような影響を受けたか─

高橋 正平

1641 年 11 月 5 日、コーネリゥス・バージェス(Cornelius Burges)はピュー リタン説教家として最初の火薬陰謀事件説教、 “Another Sermon” を行っ た。火薬陰謀事件は言うまでもなく1605 年 11 月 5 日にカトリック教徒の 過激派ジェズイットが国会爆破と共にジェームズ一世(James I)の暗殺を 狙った事件である。事件は未然に終わったが、事件の翌年からジェームズ 一世の要請を受けて毎年事件日に英国国教会説教家によって記念説教が行 われることになった。いわゆるピューリタン革命が勃発すると英国国教会 説教家による記念説教はなくなり、代わりにピューリタン説教家が事件日 に火薬陰謀事件説教を行うことになった。その最初の説教家がバージェス である。英国国教会説教家による火薬陰謀事件説教はほぼ同じ内容で、聖 書、主に旧約聖書から火薬陰謀事件に適応できる一節を選び出し、事件の 凶悪さを訴え、カトリック教徒を徹底的に批判する。その説教はジェーム ズ一世の奇跡的救出を扱い、事件を解決に導いたジェームズ一世を賞賛 し、最後に王を救出してくれた神の「慈悲」への感謝と賛美で終わる。英 国国教会説教家はほとんどがこの図式に則して説教を行っている。ピュー リタン説教家バージェスの記念説教もほぼ内容は英国国教会説教家と類似 しており、聖書から一節を選び、事件の凶悪さとカトリック教徒批判を行 い、事件を解決してくれた神への感謝表明で終わっている。唯一の違いは ピューリタン説教家の記念説教にはジェームズ一世賞賛が大々的に扱われ ないことである。本論の目的は英国国教会説教家による火薬陰謀事件説教 とピューリタン説教家による火薬陰謀事件説教の比較ではない。私が特に 注目したいのはバージェスが3 人の説教家の名前を記念説教に引用してい

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ることである。そのうち2 人は英国国教会説教家のランスロット・アンド ルーズ(Lancelot Andrewes)とジョン・プリドー(John Prideaux)である。 アンドルーズの説教は1616 年 11 月 5 日、プリドーの説教は 1636 年 11 月 5 日にそれぞれ行われている。もう一人はピューリタン説教家のスティー ブン・マーシャル(Stephen Marshall)である。バージェスは、これら 3 人 の名前を説教に記しているだけではなく、3 人の説教の一部をも説教に引 用している。これはバージェスが3 人の説教を読んでいたことを示してい る。3 人の説教を読んだ後にバージェスの説教を読むと、バージェスの説 教がいかに3 人の説教と部分的に類似しているかが理解できる。本論の第 一の意図は、バージェスは3 人の説教家から着想を得て、それを自分の説 教に組み入れたのではないかとの仮説を立証することにある。次に、バー ジェスの説教は単なる火薬陰謀事件説教ではなく、ピューリタンが当時直 面していた英国社会変革を強く意識した説教であり、そのためにバージェ スは火薬陰謀事件説教とは関係のない同じピューリタン長老派の大御所 マーシャルの説教の主張に同調していることにも論を進めていくことにし たい。

1.バージェスとアンドルーズ

最初に取り上げたいのはアンドルーズである。アンドルーズはジェー ムズ一世お気に入りの説教家で、10 編の火薬陰謀事件説教をほぼ毎年、 1606 年から 1618 年まで行っている。その説教はすべて火薬陰謀事件の実 行者ジェズイットへの批判に集中している。バージェスはアンドルーズの 1616 年の説教の一部を引用し、説教の余白に “Bishop Andrews. on Nov. 5. 1616 on Isay, 37 3.” と書いている(Burges 28)。これは 1616 年 11 月 5 日に アンドルーズが行ったイザヤ書37 章 3 節についての火薬陰謀事件説教を 指している。バージェスが引用したアンドルーズの説教の一部はローマカ トリック教枢機卿ロベルト・ベラルミーノ(Robert Bellarmine)の書に対 してである。ベラルミーノは、原始キリスト教徒が迫害する皇帝に対して 反乱を起こさなかったのはキリスト教徒に武力がなかったからだと言った が、バージェスはそれに反論している(Burges 28-29)。バージェスはもう 一ヵ所をアンドルーズから引用している。そこでもバージェスはキリスト 教徒に武力がなかったというベラルミーノの主張に反論している(Burges

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29)。バージェスがキリスト教徒に武力がなかったという主張になぜ反論 するのかと言えば、カトリック教徒には火薬陰謀事件を始め、英国内での 数々の反乱、陰謀の実績があるからで、ベラルミーノはいわば身内のカト リック教徒擁護のためにあえてキリスト教徒には武力がないと言っている にすぎない。アンドルーズからのバージェスの引用はこの2 ヵ所だけであ るが、実はバージェスの説教とアンドルーズの説教には類似点がある。そ れはキリスト教徒が悪人たちによってぎりぎりの所まで追いやられるが、 最後に彼らは神によって救われるという考えである。アンドルーズは次の ように言う。

To suffer his [leviathan’s] whelps and him to have their course for a time, and for a long time; and then [God] suddenly give them a twitch, and down they come. Let them go even till they come to the birth, and then comes in the neck of them with a Non sunt vires, and all is marred. (Andrewes, 360) 最後のぎりぎりのところで神によって救助される例としてアンドルーズは アッシリア王セナケリブのエルサレム攻撃とスペイン無敵艦隊による英国 襲撃を挙げる(Andrewes 360)。セナケリブは、エルサレム襲撃直前、アッ シリアがエチオピア人によって侵入されたとの知らせを受けて、エルサレ ムを攻撃しないで自国に帰った。神が突然介入し、悪人の計画を失敗に追 いやる例としてバージェスはアンドルーズと同じ箇所をイザヤ書37 章 8,9 節ではなく列王記下19 章 8 節から引用している(Burges 41)。神は英国襲 撃直前までスペインに好きなようにさせ、そして最後のぎりぎりのところ で介入し、スペイン人を追い払ったとアンドルーズは言っている(Andrewes 360)。神は最後のところでキリスト教徒を救ってくれるというこの考えを バージェスは説教で使用している。バージェスは次のように言う。

By permitting mans rage sometimes to proceed so far, as all may see a necessity of a Divine Power to give it a stop, and behold an immediate arm of the Almighty in defeating of it. Therefore God permitted Pharaoh to pursue Israel, not onely to the banks, but even into the midst of the Red

Sea, that by destroying him there, the right hand of the Lord might become more glorious in power. (Burges 37)

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が、最終的には神によってモーゼは救出される。神が危機一髪のところで 敬虔なキリスト教徒を救ってくれた格好の事件は火薬陰謀事件であった が、それについてバージェスは次のように言う。

…when all these [our King, Queen, and Prince, so on] were so neere to destruction that there was scarce a step between them and death, and such a step as had been easily made, had not the Lord to whom belong the issue

from death, stept in to prevent it. (Burges 48)

火薬陰謀事件はまさに国会爆破直前に発覚し、未然に終わった。神が事件 を防ぐために足を踏み入れたからである。神の介在についてバージェスは 次のようにも言う。

It is true that their [the wicked’s] rage sometimes goes very far, and doth much mischief; but never beyond what may stand with the honour, truth, and goodnesse of God, and with his Covenant made to his people. When the enemie begins to make himself sure of his will upon the godly, and to say, I will pursue, I will overtake, I will divide the spoile; my lust shall

be satisfied upon them, I will draw my sword, mine hand shall destroy them. Then God steps in, and sets their bounds far shorter then wicked

men promised to themselves, saying to them, as to the raging sea, Hitherto

shalt thou come, but no further: and here shall thy proud waves be stayed.

(Burges 40) 悪人が善人を滅ぼす直前に神が介入し、悪人の行動を阻止する。それを最 もよく示しているのが火薬陰謀事件である。アンドルーズは1616 年以前 の火薬陰謀事件説教でも事件の劇的な発覚について言及しているが、これ は彼以降の多くの英国国教会説教家たちも説教で取りあげたテーマの一つ である。劇的な事件からの救出はジェームズ一世が事件直後の国会演説で 言及し、彼はそれを神の「慈悲」であると言ったことに起因する(McIlwain 284)。王以後の説教家はいわば王の演説に呼応するかのように王と同じ テーマを取り上げることを忘れはしなかった。英国国教会説教家による火 薬陰謀事件説教の目的は事件計画者・実行者のジェズイットを徹底的に批 判することにあった。と同時に事件を暗示した謎の書簡を解読し、事件を 未然に防いだジェームズ一世を彼らは賞賛し、神格化する。ジェームズ一 世王朝ひいては英国のカトリック教化防止のために敵を攻撃することは説

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教家に課せられた任務であった。その意味ではアンドルーズは説教で当然 すぎることを言っているにすぎない。 ピューリタンのバージェスはどのような理由からかは定かではないが、 英国国教会の代表的説教家アンドルーズの火薬陰謀事件説教を読み、彼の 説教の一部を引用し、カトリック教徒を擁護するベラルミーノに反論した。 しかし、これ以外にもバージェスがアンドルーズの説教から得たと思われ る点がある。それは最後の土壇場で神が信心深いキリスト教徒を救出する という一節であった。アンドルーズが説教にあげた聖書の一節はイザヤ書 37 章 3 節である。それは子供が生まれようとしているが、母親に生む力 がないと述べている流産のイメージである。これは火薬陰謀事件に適応す ると「子供」が火薬爆発で、「生む力」がないというのは事件が失敗した ことを意味する。アンドルーズが説教で強調したかったのは悪人がいかな る事件を企てても最後には失敗に終わるということであった。カトリック 教徒がいかに巧妙に陰謀を企んでもそれは最終的には成功しない。もし陰 謀が成功すれば悪人が勝利することになり、それは神の敗北を意味する。 キリスト教徒にとって神の敗北はありえず、いかなる陰謀も結局は陰謀者 の敗北に終わらざるをえない。陰謀の失敗はジェームズ一世の勝利である。 火薬陰謀事件説教でアンドルーズがこれを避けて通ることはできない。ア ンドルーズは幾度も陰謀の失敗を説教で繰り返している。実はこの主張も バージェスに見られるのである。悪人の意図するところは必ずや失敗に帰 することについてバージェスは次のように言っているからである。

Pray that either the wickednesse of the wicked may come to an end, or that God would breake the arme of the wicked and the evill man, and that he would breake their teeth in their mouth. And if this will not do, then, that he would destroy them, and make them still to fall by their own counsels. (Burges 36) 最初の3 ヵ所の下線部はそれぞれ詩編 7 章 9 節、10 章 15 節、58 章 6 節か らの引用である。神は悪人の悪を必ず終わらせ、もしそれが出来ない場合 悪人は自らの意図するところによって倒れるとバージェスは言う。この バージェスの言葉は上記のアンドルーズの言葉を思い出させる。 バージェスの説教とアンドルーズの説教との間にはいくつかの類似点が 見られる。これは単なる偶然の一致で済ませることができない。バージェ スがアンドルーズの説教を読んでいたことは考慮に入れると、バージェス

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はアンドルーズの説教から着想を得て、それを自分の説教に取り入れたと 考えることができよう。

2.バージェスとプリドー

プリドーはアンドルーズと同じく英国国教会説教家である。彼の火薬陰 謀事件説教は1636 年 11 月 5 日に行われており、バージェスの説教には “Dr. Prideaux, on Nov. 5 on Psal. 9. 19.” とあるが(Burges 29)、“19” は “16” の誤 植である。プリドーの説教のタイトルは “Higgaion & Selah” である。これ は詩編9 章 16 節の終わりに出てくる言葉で、9 章 16 節は、悪人が自ら作っ たわなにかかり、自滅することを扱っている。バージェスはプリドーの説 教から以下の一節を引用している。

[Prideaux] professeth to have done it “to make it appeare to those that

would willingly be better perswaded of their Doctrine, that the Doctrine itself directly warranteth Treason, let the Traitors be what they will, and that none can be an absolute Papist, but (if hee throughly understand himself, and live under a Christian Prince, that hath renounced the Popes

Authoritie) must needs, being put into it, be an absolute Traitor.” (Burges 29)1 この一節は、カトリック教の教義が反逆を保証し、「完全な反逆者」とな らなければ「完全なカトリック教徒」となりえないと教えるカトリック教 会を批判した一節である。プリドーの説教はアンドルーズの説教と比べる とカトリック教会への批判が強い説教となっている。プリドー同様、バー ジェスも説教でさかんにカトリック教会及びカトリック教徒の暴動、反逆 精神を取り上げ、彼らを容赦なく批判する。例えば、バージェスはカトリッ ク教が反逆を教えていることについて次のように言う。

It is not our Lawes, but sundry Principles of their [Catholics’] very

Religion, that makes them disloyall, and carries them still on upon Treason,

and Rebellion, would doe so, although the Lawes made against them, were all repealed. So that in this sense, our Publike Prayer, appointed for this day, as it was first penned and published; viz. that their faith is Faction,

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Antichristian Profession; and is unjustly altered, what ever hath boldly said, and published, to justifie the alteration. (Burges 25)

カトリック教徒の英国への不忠実は彼らがローマカトリック教会から教え られた「反逆」と「反乱」の教義のためである。この一節は上記のプリドー の一節に対応している。両者とも反逆・反乱精神がカトリック教の教義で あるという点においては一致している。バージェスがプリドーから得たと 思われる着想はこれだけではない。その一つは、英国内のカトリック教徒 への英国側の処遇である。プリドーは、国内のカトリック教徒は寛大に扱 われており、職業も自由も享受し、名誉の称号も与えられており、国王の 周囲にもいることができ、英国王の法律の保護をも受けており、いかなる 暴力をも与えられなかったと述べ、英国内のカトリック教徒への英国王の 寛大な処遇に言及している。

Nay, were they [traitours] not tolerated at a small rate, or none at all, to enjoy their professions and liberty, graced with titles of Honour, admitted to be about His Majesty, and have the protection of his laws, without any violence offered? (Prideaux 21)

同じ問題をバージェスも説教で取り上げ、カトリック教徒への英国の寛大 な処遇に対して次のように言う。

I answere, that for the Lawes against them [Catholics], they may thank only themselves, that have so much abused Royall Clemencie and Goodnesse. But what ever the Lawes bee, none have been put to death, save only for Treason. And even among those that have come within this compasse, many have escaped with banishment. And when the turbulencie of some have enforced the State to execute them, yet others too guilty, have been spared. (Burges 24)

あるいは

Neither have our Lawes been so rigid, nor so rigidly executed against

Papists here, as theirs have been against Protestants. (Burges 24)

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にいることを認められ、国家内で名誉と信頼のある公職をも任せられたと 言うが、これはプリドーと同じ発言である。

Nay, sundry degrees of Dignitie and honour, have been (in later times, especially) heaped upon divers of them; yea, they have been admitted very neere to his Majesties Sacred Person, and trusted with Offices of greatest honor and trust in the State. (Burges 25)

バージェスがプリドーから得たと思われるもう一つは、スペインの宗教裁 判がルター信奉者を裁判なしで即刻火刑に処したという点である。これに ついてバージェスは次のように述べている。

Witnesse the Spanish Inquisition, whereinto, if any Lutheran be secretely conveyed, they put him not to a legall trial, but give him their Marshall Law. For, as Hosseus the Jesuite was wont to bragg, they hold it a good peece of Pieties, instantly to commend him to the fire, ut anima eijus in

curru igneo ad inferos trahatur, that so his soule might be forthwith carried

to hell in a fiery Chariot; (Burges 24)

これが次のプリドーの一節を踏まえていることは明白である。

Whereupon Hosseus the Jesuite was wont to say (as Hasenmuller, who lived amongst them reports it) that they dragg’d any Lutheran they could find, straightway to the fire, ut sic anima eius in curru igneo ad inferos

feratur, that so his soule in a fiery chariot might be hurried to hell. (Prideaux

19-20)

バージェスのこの一節は上記のプリドーの一節とほぼ同じである。バー ジェスのラテン語の原文はプリドーのとは少し異なるがほぼ一致してい る。驚くべきことにラテン語の原文の著者であるハーゼンムーラーについ ての脚注が “Histor. Iesuit. cap. 6.” とプリドーの説教の脚注には書かれてい るが(Prideaux 19)、全く同じ脚注がバージェスの説教にも見られる。た だしバージェスは “Hassen Muller. Hist. Iesuit. cap. 6.” と書いている(Burges 24)。いずれにせよバージェスがプリドーの説教からハーゼンムーラーの 書を知り、そこから得た話題を自分の説教に取り入れていることがわかる。 このようにバージェスはプリドーからいくつかの点を説教に取り入れてい

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る。しかし、プリドーの説教がバージェスに与えた最も大きな影響は次の 一節である。それはバージェスの説教のテーマに関わる重要な次の一節で ある。

But when the Lord ariseth to execute Iudgement, and when his glory shall appeare, the fiercenesse of man shall turne to his praise, and the fiercenesse of them shall he restrayne. (Prideaux 6)

後半の「人間のどう猛さは主の賛美に変わり、主は彼らのどう猛さを抑え る」はバージェスが説教の冒頭にあげた詩編76 章 10 節の “Surely the rage of man shall praise thee, the rest of the rage shalt thou restraine.” を思い起こさ せる。“fiercenesse” が “rage” となっているが、意味はほぼ同じである。詩 編の「確かに人間の怒りは主を賛美し、怒りの残りを汝は抑える。」はプ リドーの一節と同様の意味である。バージェスはプリドーの説教を読んで いた。とすればバージェスはプリドーの一節から自分の説教の主題の着想 を得たと言っても過言ではない。バージェスはプリドーの一節と似た一節 を聖書に見つけ、それを説教の主題としたと考えることができる。何より もその一節は火薬陰謀事件にうまく適応できる。「人間の怒り」とはジェ ズイットの火薬陰謀事件であり、実行犯は最終的に皆逮捕され処刑される が、処刑直前に罪を悔い、主を賛美した者もいた。「怒りの残り」とは火 薬陰謀事件後の実行犯援護者の行動であるが、彼らはすべて逮捕され、処 刑される。詩編の一節は人間の怒りは主に対しては全く意味がないことを 示しているが、プリドーの一節も詩編と内容が同一である。バージェスが プリドーの説教を読んでいたことはすでに上で明らかにしたが、そのバー ジェスが説教の主題となる一節をプリドーの説教から思いついたとしても 何ら不思議ではない。 この他にもバージェスとプリドーの一致点はある。例えば反逆者へ殉教 の名誉を付与すること(Burges 32, Prideaux 8)、ハマンがモルデカイのた めに用意した絞首台で自らが死んだこと(Burges 38, Prideaux 14)、火薬陰 謀事件記念日への人々の関心が消えつつあることへの批判である(Burges 47, Prideaux 26)。このようにバージェスはプリドーの説教から所々借用し ていることがわかる。ピューリタンのバージェスは宗派の異なるプリドー の説教からも様々なヒントを得て、自分の説教の構成に組み入れているの である。特にバージェスがプリドーから受けた影響はカトリック教の反逆 及び反乱の教義とバージェスの説教の主題である。後者はとりわけ看過で

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きない重要な点で、それはいかにバージェスがブリドーの説教を読んでい たかを示していると言えよう。

3.バージェスとマーシャル

これまで英国国教会説教家のアンドルーズとプリドーとバージェスの関 係を扱ってきたが、バージェスが説教で引用したもう一人の説教家がいた。 それは同じピューリタンでしかも同じ長老派のスティーブン・マーシャル である。マーシャルは1630 年代にはチャールズ一世の右腕ウィリアム・ ロード(William Laud)に匹敵する影響力をピューリタン内で有していた と言われるほど革命前後においては有力なピューリタンであった(Kirby 530)。マーシャルは火薬陰謀事件説教を行っておらず、バージェスが引用 したマーシャルの説教はバージェスより2 ヶ月程前の 1641 年 9 月 7 日に 英国とスコットランドとの間の平和締結を祝福する説教である。同日、同 じくピューリタンのエレミア・バローズ(Jeremiah Burroughs)も Sions Joy という題目でマーシャル同様の趣旨の説教を庶民院で行っていたが、バー ジェスは自分と同じ長老派であるマーシャルの説教を選び、対立する独立 派のバローズの説教を選ばなかった。バージェスからすれば火薬陰謀事件 と英国とスコットランドとの平和締結の間には類似点があった。一方は国 王暗殺で他方は英国とスコットランドとの間の開戦に関わり、両者とも英 国にとっては国家存亡の危機であった。バージェスは、両国間の開戦は火 薬陰謀事件にも匹敵する大事件であると考え、英国とスコットランドとの 和平締結を祝うマーシャル説教を読み、その一部を自らの説教に引用した。 バージェスはマーシャルの説教の一節に言及して、次のように言う。

I hope I shall not need to set before you the Institution of a thankfull man; nor, to spend time in directing how to give thanks; that Work [A

Peace-Offering to God by Marshall] being excellently performed at your late Publique Thanksgiving. (Burges 46)

脚注には “On Septem. 7. 1641” と書かれている。これは英国とスコット ランドとの平和締結を祝福したマーシャルの説教、A Peace-Offering to God

が行われた1641 年 9 月 7 日を表している。“excellently performed” とある からバージェスは直接マーシャルの説教を聞いていた。上記の引用はマー

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シャルの次の文章に言及している。

Let me therefore…give you briefly the Institution of a thankfull man  according to the word,…(Marshall 28-29)

マーシャルはこの後神に感謝する人の性質を詳細に述べるが、それは “the godly man” だけだと当然と言えば当然すぎることをマーシャルは述べてい る。バージェスはマーシャルの説教の一部を自分の説教に引用し、どのよ うな人が神に感謝するのかを述べる。バージェスがなぜこの一節を引用し たのか。それは火薬陰謀事件を引き起こしたカトリック教徒への批判から で、彼らは神に感謝を述べる資格はなく、「信心深い人」ではないとバージェ スは断言したかったからに他ならない。「神に感謝する人の性質」につい てマーシャルはこの後も述べるが、バージェスはマーシャルの言葉を借用 し、当面の批判対象であるカトリック教徒は神を信じる人ではないことを 強調する(Burges 44)。マーシャルのバージェスへの影響はこれだけでは ない。これまでアンドルーズとプリドーとの関係からバージェスの説教を 見たが、彼ら以上にバージェスへのマーシャルの影響は強い。両者の親密 な関係からすればマーシャルのバージェスへの影響は当然のことかもしれ ない。最初に指摘したいのは神による最終的な劇的な救出である。これに ついてはアンドルーズも扱っていたが、マーシャルは次のように言う。

When Gods people are come to the greatest extremitie of danger, that is the time which God chuses for their deliverance. (Marshall 15)

マーシャルは、神の民が窮地に追いやられると神が救助してくれるという 考えを説教で幾度も使用する。

First, God uses to let evils go on against the Church, till they come to extremities. Secondly, when the extremitie is come, then Gods help comes in. (Marshall 15).

劇的な神の救出は聖書からも例証される。エジプトにいたイスラエル人に 対してパロは好き勝手な暴虐を働いたが、最後の紅海脱出の際に神はパロ の追撃軍を破滅に追いやる。これに言及してマーシャルは次のように言う。

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All Moses Servants and threatenings could not make the Aegyptians so much acknowledge Gods being on his peoples side, as when they having promised themselves to overtake them to divide the spoile of them, to have

their lust satisfied upon them, to have their hands destroy them, when they were entangled in the land, when the Wildernesse and the Sea had shut them in, God then came in and made the Sea a path for his people, and the waters a wall to them, but took off the Aegyptians Chariots wheels, and turned the waters upon them: Then they are constrained to cry out, Let us flee from the face of Israel, for the Lord fighteth for them against the Aegyptians. (Marshall 19) 紅海脱出はまさにイスラエル人が危機一髪の瀬戸際で神に救助された格好 の例である。ちなみに最後の「イスラエルの顔から逃げよう。なぜならば 主はエジプト人を敵にしてイスラエル人のために戦うからである」はバー ジェスも引用している一節である(Burges 38)。バージェスが危機に際し ての神の救助を説教に取り入れていることはすでにアンドルーズとの関係 で述べた。この他にマーシャルは特に神の「慈悲」を強調する。説教の なかでマーシャルは “mercy” や “merciful” を 67 回も使用していることか らもいかに彼が “mercy” を重視しているかがわかる。マーシャルの説教は 1641 年 9 月 7 日であるが、それ以前に国内では様々な改革が行われていた。 それをマーシャルは “the admirable mercies which God hath bestowed us this very last year” (Marshall 40)と言い、その改革を神の「慈悲」のお陰であ るとした。その改革とは2 月の三年議会法制定、5 月の解散反対法と初代 ストラフォード伯トマス・ウェントワース(Thomas Wentworth, 1st Earl of Strafford)処刑、6 月の反トン税・ポンド税法、7 月の星室庁裁判所廃止お よび高等宗教裁判所廃止、8 月の反船舶税、王有林不当拡張反対法、騎士 強制金禁止法である。2 これらはすべて神の慈悲なしでは実現できなかっ た改革であるとマーシャルは考える。マーシャルの説教が行われた16419 月 7 日までに国内ではチャールズ一世がカトリック教化による王権強 化に奔走し、諸悪の元凶であるストラフォード伯、ロード大主教が表舞台 から姿を消した。チャールズ一世(Charles I)体制を支えた諸悪が根絶さ れ、国外的にはスコットランドとの和平締結による平和が英国に樹立され た。マーシャルの説教はその年に起こったすべてを神の慈悲の成せる業で あると高らかに宣言した説教でもある。 マーシャル同様バージェスも神の慈悲を繰り返し説教で強調する。バー

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ジェスにとって火薬陰謀事件からの救出はまさに神の慈悲のお陰であ る。“this great Deliverance [from the Gunpowder Plot] was a mercy altogether unexpected.” (Burges 48)とバージェスは火薬陰謀事件からの救出が神の慈 悲によることを述べる。更に、バージェスは、 “Mercy endures for ever.” と 詩編の一節を2 度も引用しており(Burges 49, 55)、説教全体では 20 回も 使用している。特に説教の後半には “mercy” が頻出する。なぜマーシャル もバージェスもこれほどまでに “mercy” を強調するのか。それは英国と神 との特別な関係を強調したいためである。いわゆる「神の国」英国観が “mercy” 重視の背後にはある。 マーシャルの説教とバージェスの説教との間の類似点は「慈悲」以外に も見られる。それは、人間の怒りは最終的には神の賞賛に向かうという点 である。これについてマーシャルは次のように言う。

[God] delights to make the wrath of man to turn to his praise, that he may shew his wisdome, power, and love in preserving his Lillie among the

Thornes, and to keep his bush (though burning) from consuming. (Marshall 8)

これに対してはバージェスの次の言葉がある。

Let the rage of wicked men be what it will, it shall onely raise that glory to God, and benefit to his people, which the wicked never intended; and ever fall short of that issue which they chiefly projected. (Burges 37)

あるいは

Howbeit the most wise and omnipotent God who is always zealous of his own glory and his peoples good, intends himself praise from every spark of fury, and extracts honour out of the least atome of each mans rage, when, or which way so ever it break out. (Burges 37)

人間のいかなる怒りも神により静められ、逆に神の偉大さを証明し、神の 民には幸福をもたらすだけである。バージェスは火薬陰謀事件に関しても 同様のことを言う。

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heard. Now see how this rage so far as it was permitted, did turn to Gods

praise, and how powerfully he restrained the rest. (Burges 44)

火薬陰謀事件は人間の怒りが引き起こした凶悪極まる事件であるが、その 実行者も最終的には神の賞賛に至ったとバージェスは言う。事件の張本人、 ガイ・フォークス(Guy Fawkes)とトマス・ガーネット(Thomas Garnet) は処刑寸前に神の賞賛を繰り返したからである(Burges 45)。更に、価値 のない、神に感謝もしない人々に神は多くのことを成し遂げてくれたこと についてマーシャルは次のように言う。

…all this [what God did in 1641] done for the most unworthy and unthankfull nation in all the world, our God hath thus broke in over all the walls of separation which our sins have built up against us, and called for vengeance upon us. (Marshall 46)

これに対してバージェスは次のように言う。

Think seriously what manner of persons wee were for whom he [God] did all this. Are we not a sinfull, unthankfull, stubborne People, as ever tasted of mercy? a seed of evill Doers, that call God Father, and yet doe as evill

things as we can? And yet for all this, God hath opened his hand wider,

than ever we opened our mouths, and crowned all our years and days with such loving kindnesse and mercy, as never any Nation under Heaven received greater, or enjoyed longer. (Burges 47-48)

罪深い、恩知らずの人間に対してさえ神は愛する優しさと慈悲をかけてく れる。罪ある人間であっても神は決して見放しはしない。罪深い人間であ るからこそ神は人間を見捨てず、逆に愛の手を差し伸べてくれる。マーシャ ルもバージェスも同じ事を述べている。 次に指摘したい両者の類似点は、人間は自分のためには労を惜しまない のに神に対しては何もしないという人間のエゴである。これについてマー シャルは次のように言う。

Now you have built your own house, and procured Civill Liberties, should you let Gods house lie waste, should you be…less zealous in Gods cause, then in your own, I solemnly professe unto you, the God of heaven will

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require it at your hands, and the hands of your posteritie: (Marshall 50) 人は自分の家を建て、市民としての自由を獲得しても神の館を建てること はせず、荒れ放題にしておく。これに対応するバージェスの言葉は以下の 通りである。

Can you finde time for your selves, and none for Mee [God]? Should I blesse you in pursuit of your own affaires, while you neglect mine? Nay,

consider your ways. See what you have gotten, in the issue, by all the

Labours you have taken for your selves, while you have done nothing to set forward the House of your God. (Burges 61)

自分に関わることは追求するが神に関わることはないがしろにする。自分 のためになした労力によって人は手にするものがあるが、神の館を推し進 めるためには何もしない。両者がここで言う神の館とは偶像崇拝的なカト リック教会とは異なる真の意味でのキリスト教、プロテスタント確立であ る。バージェスは更に言葉を続けて次のように言う。

Thus it was with them [Jews], although an Edict was still in force against building of the Temple; because they did not cordially doe their utmost, to obtaine the repeale of that Ordinance, but rather made use of it to pursue their own businesse with more zeal and industry. (Burges 61)

ここではエルサレムに神殿建設を行わなかったイスラエル人が自ら家のた めには労を惜しまなかったことが批判されている。イスラエル人の行動は 英国人にも言えることである。利己的なイスラエル人を描くバージェスは マーシャルと同じである。マーシャルの「神の家を荒れたままにしてお く」はハガイ書1 章 4 節に言及しているのであるが、それについてもバー ジェスは同じハガイ書1 章 4 節を引用して “Is it time for You, O yes, to dwell

in your seiled houses, and this House lie waste?”(Burges 61)と述べ、マーシャ

ルと同じ文言を使用している。

ピューリタンと王党派との対立は次第に激しくなっていくが、議会で主 導権を握ったピューリタンにとって改革は期待したほど進まない。バー ジェスが説教を行った1641 年 11 月 5 日までには両派の戦闘はまだ行われ ていなかった。バージェスの説教は元々は火薬陰謀事件説教である。だか

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らバージェスは英国国教会説教家のアンドルーズとプリドーの火薬陰謀事 件説教を読み、そこから少なからず影響を受けた。ところがマーシャルに は同じ長老派として、そして当時政治的にも宗教的にもピューリタンに最 も影響力のあったマーシャルに敬意を払う目的でバージェスはマーシャル の説教を読んだ。マーシャルの説教はスコットランドとの和平を祝う説教 である。本来はその和平をもたらした神の “mercy” 賞賛の説教である。火 薬陰謀事件からの救出も神の “mercy” による。この点においてバージェス がマーシャルを引用した理由は理解できる。ところがマーシャルの説教は 最終的にはピューリタン革命を推進する説教になっている。説教の流れは バージェスも同様である。バージェスの説教は火薬陰謀事件である。しか しながら説教の後半へ進むと、その内容は一変し、マーシャル同様ピュー リタン革命の遂行を訴える説教となっている。バージェスの説教は火薬陰 謀事件を批判すると同時に革命をも推進している。バージェスの場合、火 薬陰謀事件の主役も革命の行く手をさえぎるのも同じカトリック教会であ り、カトリック教会に傾倒するチャールズ一世や側近のロード大司教であ る。バージェスは火薬陰謀事件だけを説教で扱うことには満足せず、一 ピューリタンとしてやはり革命を推進せざるをえない。そこで同志マー シャルの説教が革命を推進しているのを読み、その影響を強く受けた。マー シャルは革命が一向に進展しない現状に苦言を呈し、庶民院議員に国会で 行うことは多くあると言う。

Thirdly, then look to sweep the Church and kingdome; blessed be God you have begun well, you have been happie Instruments to ease many pressures; But beloved, there is yet much work to be done,…(Marshall 50) この後我々の悪の根元が取り払われていないこと、カトリック教徒聖職者 の追放がなされていないこと、主の神殿が建てられていないこと等「多く の仕事」が述べられる。上記の引用でマーシャルは「教会と王国の一掃」 を述べるが、これは教会内部からの儀式性の強いカトリック教的要素の排 斥と同じく国家からのカトリック教徒排斥への言及である。ピューリタン にとってカトリック教は真の宗教ではない。それは儀式、制度、迷信に執 着した反キリスト教の宗教で、聖書に基づく真の信仰心からはほど遠い形 骸化した宗教である。カトリック教は内面よりは外面を重視した宗教で ある。宗教と国家の改革は国会が主導的立場に立ち、行わねばならない。 チャールズ一世はロード大主教とストラフォード伯の下、カトリック教

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化への道を歩んでいた。王の妻ヘンリエッタ・マライア(Henrietta Maria) がカトリック教徒であったことも国民の不信感を煽っていた。マーシャル はかかる現状に失望し、英国の宗教と国家の改革を強く庶民院議員に要請 する。我々が注目しなければならないのは同じ要請をバージェスも行って いることである。バージェスは、国会開会以来議員は「多くの勇気ある高 尚な決意を述べたが」(Burges 60)と言い、次のように続ける。

Howbeit, I know not how it comes to passe, but so it is, that Gods Work lies yet undone. Matters of Religion lie a bleeding; all Government and Discipline of the Church is laid in her Grave, and all putredinous vermine of bold Schismaticks and frantic Sectaries glory in her ashes,…(Burges 60) 神の仕事は成されず、宗教問題は血を流し、教会統治と規律は墓に葬ら れ、宗派分立論者は教会の消滅を喜んでいる。長老派バージェスからすれ ば宗派分立論者、分派的宗教宗徒の代表的存在は独立派である。独立派は 過激な宗派で、徹底した革命により、英国社会の改革を目指し、宗教の面 においても儀式や制度よりも聖書を第一に考える。その点では長老派と軌 を一にしている。ただ両者の最初の違いは、長老派は国内の秩序を守りな がら、国の変革を行おうとする点である。二つ目の違いは、独立派が良心 の自由を訴え、各会衆の自治を認めたことである。これを認めれば社会が どのようになるかは明白である。長老派は現状維持から国王制維持の姿勢 を示す保守的革新家である。3 バージェスはイギリスの宗教改革が進展し ない現状と国内の宗派分裂に憂慮を表す。これはマーシャルと同じ態度で ある。国内の改革が進展しないのは宗派分裂にあるとバージェスは指摘す る。バージェスの説教とマーシャルの説教は元々説教の目的が異なる。バー ジェスの説教は火薬陰謀事件記念説教であり、マーシャルの説教はスコッ トランドとの和平締結を祝う説教である。バージェスは事件を起こしたカ トリック教徒ひいてはその背後で彼らの陰謀を援護するローマカトリック 教会への批判を説教の主たる目的とする。そして事件を未然に防いでくれ た神に対して賛美と感謝を捧げることを人々に要請する。マーシャルの説 教は「今日の義務は喜ぶことであり」、「神へ賛美を捧げる」(Marshall 2) ことをその目的としている。両者の説教とも「救出」と関わっている。バー ジェスにとっては火薬陰謀事件からの脱出が「救出」であり、マーシャル にとっては英国とスコットランドとの和平が英国にとっての「救出」であ る。さらに両者にとって英国が直面する改革の成功が「救出」でもある。

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その「救出」は全国的な教会組織を通して改革を実施するかそれとも個々 の教会の独立によって改革を行うかであり、前者は長老派、後者は独立派 である。4 バージェスの説教とマーシャルの説教は様々な点で類似している。バー ジェスは彼の説教の2 ヶ月前の同志マーシャルの説教を読み、火薬陰謀事 件より目下の英国社会改革により関心が移っていく。バージェスは説教の 全半ではもっぱら火薬陰謀事件を扱い、カトリック教会の陰謀、反逆精神 を徹底的に批判する。そのカトリック教会、カトリック教徒批判は次第に 当時の英国社会のカトリック教化を目論むチャールズ一世体制へと移って いく。バージェスは一ピューリタンとして英国の現状には満足できない。 英国社会の現状改革なしでは英国は再びカトリック教化への道を歩む危険 性が十分にあった。バージェスは「時代の潰瘍を治癒する」(Burges 64) と述べ、英国社会の現状打破に並々ならぬ決意を見せているように、バー ジェスの最大の関心事は英国社会の改革にあった。バージェスはマーシャ ルと同じ長老派ということもあってマーシャルの説教はバージェスにとっ ては共感するところが多くあった。これまで見てきた両者の説教の類似は 同じ宗派に属する宗教人としては共通の認識であったのかもしれない。特 にマーシャルの現状打開への熱意はバージェスに大きな影響を及ぼした。 しかし、バージェスの説教がマーシャルからの借り物であるということで は決してない。バージェスはピューリタンらしく聖書を熟読し、聖書を唯 一の拠り所として説教を進める姿勢は説教の随所に見られる。ピューリタ ンの「聖書のみ」の姿勢である。ただ一点だけ両者の説教に違いがある。 それはバージェスの説教には1641 年 10 月 23 日に勃発したアイルランド 反乱への言及があるがマーシャルの説教にはそれがないことである。マー シャルが説教を行ったのはアイルランド反乱が起こる前の9 月 7 日であっ たからマーシャルの説教にアイルランド反乱への言及がないのは当然であ る。その反乱は、英国内での王と議会の対立とアイルランド総督ストラ フォード伯の帰国に乗じてアルスターのカトリック教徒が起こした反乱で ある。不思議なことにバージェスは説教でこの反乱を真っ向から取り上げ ようとはしない。5 バージェスの意図は火薬陰謀事件の計画者とアイルラ ンド反乱者は共にカトリック教徒であることを示し、カトリック教徒への 警戒心を強めることを聴衆に訴えることであった。その意味ではバージェ スの火薬陰謀事件説教はアイルランドの暴動がきっかけとなって行われた と言ってもよい。聴衆の中にはアイルランド反乱についてのバージェスの

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発言に関心を抱いていた者もいたはずである。しかし、アイルランド反乱 を突き詰めればチャールズ一世批判へと至る。王制を認める長老派バー ジェスにとってチャールズ批判は自らの信念とは相反する。だからバー ジェスはアイルランド批判を大々的に扱うことを避けたのである。反乱者 カトリック教徒批判とチャールズ一世擁護、バージェスにとってはジレン マである。このように考えるとバージェスの説教はカトリック教徒を批判 した点においては聴衆を納得させたであろうが、聴衆の最大の関心事であ る反乱の背後で暗躍するチャールズ一世批判を扱わなかった点においては いささか聴衆を失望させた説教でもあった。火薬陰謀事件、国内の宗教改 革、アイルランド反乱、これらはいずれもカトリック教と密接に絡み合っ た問題である。マーシャルの説教はアイルランド反乱以前の説教であり、 その反乱とは関係のない説教であったが、火薬陰謀事件をわずかであるが 論じている(Marshall 16)。両者には英国社会変革への強い意気込みが感 じられる。バージェスの説教には火薬陰謀事件よりも国内の社会情勢を論 ずる際に強い情熱が見られることはその説教の真の目的がどこにあったか を我々に教えてくれる。マーシャルも同じである。マーシャルもバージェ スも目指すゴールは同じであった。その意味でバージェスがマーシャルの 説教から強く影響を受けたのは当然のことであったと言わざるをえない。

結び

これまでバージェスの説教に記されたアンドルーズ、プリドー、マー シャルの説教家を手がかりにして、バージェスがこれら3 人の説教家から どのような影響を受けていたかを論じてきた。その結果バージェスは3 人 の説教家から様々な点において影響を受けていることがわかった。アンド ルーズからは、神が窮地の限界の際に神を信じる人を救ってくれることと 悪は必ず失敗に終わること、プリドーからはカトリック教徒の反逆・反 乱の精神がカトリック教会の教義であることとバージェスの説教の主題 への影響、そしてマーシャルからは特に英国の社会改革が遅々として進 展しないことへの反省と改革への意欲および罪深い人間への神の愛であ る。バージェスの説教は元々は火薬陰謀事件であった。しかし、説教時英 国社会を揺るがしていた大きな問題は英国社会の改革とアイルランド反乱 であった。これらにはローマカトリック教会とカトリック教徒が密接に絡

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んでいた。火薬陰謀事件について言えることは英国社会改革とアイルラン ド反乱にも言えることであった。カトリック教に傾きつつあったチャール ズ一世、英国国教会のカトリック教化を画策する腹心のロード大主教やス トラフォード伯への国民の反発は強まっていく。チャールズ一世を支えた 両輪は1640 年 11 月に逮捕され、王は政治的にも宗教的にも次第に追いつ められていく。そのような状況のなかでさらに追い打ちをかける知らせが アイルランドから届く。アイルランド反乱である。誇張された犠牲者数が 英国民を震撼させる。この反乱にはチャールズ一世が関わっていたとも言 われ、妻のヘンリエッタ・マライアがカトリック教徒であったことも国民 の王への不信感を募らせた。バージェスは本来ならば説教の約2 週間前の アイルランド問題を全面的に説教で取り上げ、暴動を起こしたカトリック 教徒を批判すべきであった。聴衆の関心は36 年前の火薬陰謀事件よりア イルランド反乱にあったことは明らかである。いずれも悪魔のようなカト リック教徒が引き起こした事件であったからである。バージェスは火薬陰 謀事件を契機にカトリック教徒への批判を強め、いかなることがあっても カトリック教徒に寛容であってはならないと激しい口調で彼らを批判する が(Burges 34)、その怒りをアイルランドのカトリック教徒に向けはしない。 なぜバージェスは彼らに怒りの矛先を向けなかったのか。チャールズ一世 への配慮もあるが、我々はバージェスが説教の「考察」(observation)とし て上げた以下の3 点を考える必要がある。

1)The rage of the wicked against God and his people is botomlesse and endlesse.

2)Let the rage of wicked men be what it will, it shall onely raise that Glory to God, and benefits to his people, which the Wicked intended, and, ever shall short of that issue, which they chiefly projected. (3)The experience of Gods ever-ruling, and mastering the rage of man in

times past, is an undoubted assurance of the like for all time to come. (Burges 9) 特に(3)は重要である。なぜかと言えば神は自らの過去の行為を将来に も繰り返すからである。(3)と関連してバージェスはパウロ、モーゼ、ダ ビデを例に上げ、「世界の始めから我々自身のみならず他の人たちにも神 によって与えられた救出はあらゆる苦難と困窮のなかで神の民に同じ結果 を保証する確かな証拠である」と述べるが(Burges 51)、6 この図式に従

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えばアイルランド反乱も火薬陰謀事件が失敗に帰したようにいずれは神に よって鎮圧される。バージェスがアイルランド反乱を大々的に扱わなかっ たのは同様の反乱を聖書に見、その反乱はすべて失敗に終わっていること からアイルランド反乱の先を読めたことが一つの理由だった。火薬陰謀事 件に関わったカトリック教徒、アイルランドで反乱を起こしたカトリック 教徒、いずれもローマカトリック教徒である。火薬陰謀事件に関わったカ トリック教徒の陰謀失敗はアイルランドのカトリック教徒陰謀失敗にも通 ずる。カトリック教徒は英国本土でもアイルランドでも社会の秩序を破壊 する反乱分子であった。英国にとって最大の敵であるカトリック教徒を批 判し、彼らの危険性を聴衆に周知させること、これがバージェスの説教の 主たる目的であった。 しかしながら、バージェスの意図はそれだけではない。バージェスの説 教と英国国教会説教家アンドルーズとプリドーの説教との違い は、バー ジェスの説教には敬虔なキリスト教徒が歩むべき道が示されていることで ある。説教の後半でバージェスはピューリタンの生きる指針を述べる。そ れはダビデのごとく生きることである。ダビデ重視の姿勢はマーシャルも 同じである。7 ダビデが神の館と神の王国を建設することを決意したとき に、神はダビデを助けてくれ、ダビデはペリシテ人、モアブ人、ハダダゼー ル人から勝利を得ることになった(Burges 65)。ピューリタンが神への揺 るがぬ信仰心を示し、ダビデと同じ道を歩むときにはピューリタンにもダ ビデに起こったことと同じ事が起こる。

And thus would it be with you, when in zeal for God, you follow his [David’s] steps. What ever the difficulties and discouragements be, when Zorobabel fals close to work, what mountains, so great and high, that shall not become a plain! No plots, no power of hell should prevail against you. (Burges 65) ゼルバベルはバビロニア捕囚後エルサレムの神殿建設に関わった人である が、彼が神殿建設後はどんな山も平地になった。我々がダビデと同じ道を 歩み、ゼロバベルと同じ道を歩むとき、神は我々の味方となる。だから神 の仕事を続けなければならない(Burges 65)。神の仕事を続ければ神が我々 の仕事を続けてくれる。神に対する絶対的な信頼感を基に神へ謙虚な真摯 な態度を示すこと、これによって人はあらゆる逆境を生き抜くことができ る。「神が我々と共にいる」(Burges 56)からである。これは英国国教会の

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説教家、アンドルーズやプリドーの説教とは著しく異なるところである。 彼らの説教はいかにカトリック教徒が英国において陰謀・反乱を画策して きたかを徹底的に追及し、その実態を暴くことにその目的があった。それ は裏を返せばいかに英国社会の現状を維持するかにも直結した問題であっ た。国を守るには敵を倒すことが先決である。しかし、ピューリタン説教 家バージェスによる火薬陰謀事件説教はカトリック教会・カトリック教徒 へ批判が向けられるが、その批判だけが説教のすべてではない。バージェ スのカトリック教会・カトリック教徒への批判は容赦のない批判であるが、 彼はその批判を越えてさらに真のキリスト教徒が歩むべく姿勢をも示して いる。それは神に対する絶対的な信頼をもって生きることである。それ をバージェスは旧約聖書を基に訴えている。旧約聖書のイスラエル人の生 き方はまさに英国人の生き方を示している。8 イスラエル人は神から愛さ れ、時には神に反抗し、神から怒りを買うがそれでも神は彼らを完全に見 捨てはしなかった。それは彼らにまだ神への信仰心があったからに他なら なかった。人間は過ちを繰り返す。その過ちを通して人間はさらなる進化 を遂げる。このイスラエル人の歩みは英国人の歩みでもあった。1588 年の スペイン無敵艦隊の襲撃、1605 年の火薬陰謀事件から英国はいずれも奇跡 的に救出された。両事件から英国は神と特別な関係にあると人々は考えた。 英国は神の国である。その意味でバージェスの説教は英国人の神への絶対 的信仰を改めて表明し、その神への信仰により英国社会改革の可能性を強 く訴えた説教でもあった。ピューリタンによる英国社会改革の失敗は彼ら の神への信仰心の希薄に原因がある。ピューリタンは神への絶対的信仰に より種々の困難を克服し、英国を真のプロテスタント国家へと変革してい かねばならない。彼らは「神とともに歩む」ことにより「神とともに歩ま ない」敵を打倒できる。その精神がピューリタンに英国社会改革へのエネ ルギーを注ぎこんだのである。 注

1 原文はPrideaux, Higgaion & Selah (Oxford, 1636), 17 にある。

2 マーシャルは、星室庁裁判所と高等宗教裁判所廃止について説教で言及している。

Marshall 45.

3 バージェスは、説教ではジェームズ一世に対しては否定的な態度は取っていな

い。バージェスは火薬陰謀事件を未然に防いだジェームズ一世を賞賛しており(46)、

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4 バージェスは「全教会会議」(synod)招集を訴えるが(63)、これも長老派の特 徴の一つである。 5 バージェスの説教でのアイルランド反乱への言及については23, 31, 54, 61, 62, 64, 65 に見られる。 6 54 では「火薬陰謀事件からの救出は今後も起こる陰謀からの救出を保証してくれ る」とも言っている。 7 マーシャルは「ダビデを模範とせよ」(48)と言っている。

8 バージェスは英国を “this our Israel” と呼び(15)、庶民院議員を “You the Elders of

our Israel”(49)とも呼んでいる。

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