第Ⅰ部
ヴェーバーとトラーを出会わせたもの
はじめに
マックス・ヴェーバーは、キリスト教神秘主義の代表的思想 家マイスター・エックハルトについて﹃世界宗教の経済倫理﹄ ・ ﹁序論﹂のなかでこう論じている。 ま ず ヴ ェ ー バ ー は 、 ユ ダ ヤ = キ リ ス ト 教 の 宗 教 伝 統 に 触 れ 、 この伝統が掲げる﹁使命預言﹂の観念は﹁特定の神観念、つま り、現世を超越する人格的な、怒り、赦し、愛し、求め、罰す るような創造主という神観念と深い親和性をもっていた﹂と指 摘し、他方、インド宗教、つまりヒンドゥー=仏教の宗教伝統 に お け る 知 識 人 階 層 の 追 求 す る ﹁ 宗 教 的 救 済 財 ﹂ を ﹁ 模 範 預 言 ﹂ 型 と 呼 び 、 そ の 核 心 は ﹁ 神 人 合 一 の 無 感 動 的 エ ク ス タ シ ス ﹂ の 獲 得 に あ る と し 、 後 者 の 伝 統 が 定 立 す る 神 は ﹁ 通 例 は 、 瞑想的な状態としてのみ近づきうるような、したがって非人格 的な最高の存在である﹂から、この点において両者は﹁対照的 で あ る ﹂ と 述 べ る 1 。 そ の う え で 彼 は 、 キ リ ス ト 教 の 範 疇 内 に 位 置 し な が ら 汎 神 論 的 思 想 を 追 求 し た エ ッ ク ハ ル ト に 言 及 し 、 エックハルトは﹁西洋的な天地創造の信仰や神観念における一 切の決定的に重要な諸要因を完全に放棄することなしには、神 秘 主 義 者 に 固 有 な 汎 神 論 的 神 体 験 を 貫 き と お す こ と が で き な かった﹂と指摘する 2 。 私は、このヴェーバーの指摘に関して、拙著﹃ドストエフス キーとキリスト教﹄および本論考の一年前に書いた拙論﹁一つ の 対 話 を も た ら す 試 み︱
ヴ ェ ー バ ー 、 ド ス ト エ フ ス キ ー 、 大 拙 ﹂ のなかでこう批評した。ここでは後者から引こう。 ﹁ 彼 の 指 摘 は 、 そ の 限 り に お い て は ま っ た く 正 鵠 を 射 て い るといえよう。だが、この﹃模範預言﹄的救済財も﹃使命 預言﹄的なそれと同様、いわば 併存的 0 0 0 に人類によって常に清
眞人
二人の葛藤者
ヴェーバーとトラー
﹁脱世界連関的愛
akosmishe Liebe
﹂概念を軸に
か つ 普 遍 的 に 欲 せ ら れ 続 け て き た と い う 見 地 か ら 見 れ ば 、 西洋においてはなるほど後者の優位において前者は常に後 景に退かされてきたとはいえ、 だからこそ 0 0 0 0 0 同時に常にかか る優位への反逆が反抗的知識人や芸術家のなかで生じ続け てきたのでもあり、両者のそうした隠然たる確執こそが勝 れて西洋文化史の固有性であり、展開モーターをなしたと もいい得るのである。文化の創造局面は常にこうした﹃異 種交配化合﹄の混淆的確執こそを自己創造の動力とすると いう私の基本的視点からすれば、ヴェーバーにはこの文化 の創造的批判的な局面への視点が弱い﹂ 3 。 と こ ろ で 、 マ ッ ク ス ・ ヴ ェ ー バ ー の 妻 マ リ ア ン ネ は か の ヴェーバー伝﹃マックス・ヴェーバー﹄のなかで夫についてこ う指摘している。
︱
ヴ ェ ー バ ー は 常 に 自 分 の な か に 二 つ の ﹁ 対 蹠 的 な 素 質 ﹂ が葛藤していることを意識しており、その対立は彼にとってそ の優劣の力関係がいつ何時逆転するやもしれぬ不安的な動性に 満ちたものであった、だから彼は﹁生涯を通じて﹂ 、﹁われわれ の天性は逃れることのできぬ法則にしたがってあらかじめ形作 られているという意見を熱っぽく否定した﹂と 4 。 そして彼女は、この彼のなかの﹁同等の強さを持った彼の二 つ の 本 質 的 傾 向 ﹂ を ﹁ 活 動 的 な 傾 向 と 観 想 的 な 傾 向 ﹂、 ﹁ 知 性 ﹂ と﹁信念︵信仰︶ ﹂の二つの傾向の﹁対決﹂と呼ぶのである 5 。 実は、彼女が右のように述べたとき、後で縷々述べるように、 そ れ は ヴ ェ ー バ ー の な か の 父 親 譲 り の リ ア リ ズ ム の ﹁ 合 理 性 ﹂ に徹する一方の﹁素質・本質的傾向﹂と、それに真っ向から対 立する他方の、イエスの﹁山上の垂訓﹂を無条件に実践しよう と す る 、 母 親 譲 り の ﹁ 脱 世 界 連 関 的 愛 akosmishe Liebe ﹂ の ﹁ 宗 教 性 ﹂ を 敬 愛 す る そ れ 、 こ の 両 者 の 彼 の 内 な る 葛 藤 ・ 確 執 を指してのことなのである。後で本論考で検証するように、実 に ヴ ェ ー バ ー は イ エ ス 思 想 を 特 徴 づ け る こ の ﹁ 脱 世 界 連 関 的 愛 ﹂ の 思 想 を 、﹃ 経 済 と 社 会 ﹄・ 第 五 章 ﹁ 宗 教 社 会 学 ﹂ に お い て ﹁ あ る 特 殊 な 意 味 で ﹂ と 断 り な が ら も 、 し か し 、 仏 教 と 並 ぶ ﹁﹃現世拒否的﹄な第二の大宗教﹂とまで呼ぶのである 6 。 先 ほ ど 紹 介 し た よ う に 、 昨 年 ま で は 私 に は ヴ ェ ー バ ー は ﹁﹃異種交配化合﹄の混淆的確執﹂へのセンスが弱いように見え、 それが不満であった。しかしながらマリアンネの視点に立てば、 実はヴェーバーの最深の内面を定義するものこそかかる確執で あるということになる。これは思いがけない発見であった。 実は、くだんの拙論﹁一つの対話をもたらす試み⋮⋮﹂を執 筆したとき、私のヴェーバー理解は彼の﹃世界宗教の経済倫理 三部作﹄にもっぱら依拠しており、まだ﹃経済と社会﹄第二 部・第五章﹁宗教社会学﹂を読めておらず、かつまた彼の妻マ リアンネが記した伝記﹃マックス・ヴェーバー﹄の右のテーマ に深くかかわる数々のきわめて興味深い指摘と証言について失念していたのである。 そのことによって 0 0 0 0 0 0 0 0 、私はその拙論においてこう主張すること になった。 すなわち、一方でヴェーバーはカルヴィニズムと古代ユダヤ 教 と の あ い だ に 張 り 渡 さ れ た 継 承 関 係 を 鋭 く 摘 出 し な が ら も 、 その継承線が如何にイエス思想と対立するのかという問題点に つ い て は 考 察 を 放 棄 し て い る と い わ ざ る を 得 な い 。 つ ま り 、 ヴ ェ ー バ ー の ﹁ キ リ ス ト 教 ﹂ 論 は ま さ に ﹁ キ リ ス ト 教 ﹂ 論 で あっても、決して﹁イエス﹂論とはなっていない。私からすれ ば、彼の﹁キリスト教﹂論は古代ユダヤ教とイエス思想とのあ いだにある亀裂と確執という問題の環をほとんどまったく取り 落としており、実はユダヤ教とキリスト教を原理的にひたすら に太い連続線で結んでしまうことによって﹁イエス思想﹂の固 有な意義に関する議論を視野の外へと追い出してしまうもので あり、その点では、まさにニーチェが批判した﹁正統キリスト 教﹂的解釈枠組み
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イエスの名を騙って、実はイエスがあれほど 鋭 く 対 立 し た ユ ダ ヤ 教 的 心 性 と そ の 宇 宙 観 へ キ リ ス ト 教 を 先 祖 返 り さ せ る︱
に 立 っ た ﹁ キ リ ス ト 教 ﹂ 論 で し か な い 、 と 。 ︵ な お こ こ で 一 言 し て お く な ら ば 、 私 は 自 分 の 批 判 が ﹃ 世 界 宗 教 の 経 済 倫 理 三 部作﹄の範囲の限りでは、今も正しいと確信している。 ︶ また、ヴェーバーのドストエフスキーに対する関心の有無と 在り方に関しては、私はその有無をもっぱらカルヴィニズムと インド諸宗教との宗教性の相違を論じるヴェーバーの問題場面 において考察し、この問題場面にはドストエフスキーに対する ﹁ 重 大 な 関 心 を 窺 わ せ る 痕 跡 は な い ﹂ と 結 論 づ け 、 次 の 問 題 を まったく取り落とす結果となってしまったのである。すなわち、 ﹃ 職 業 と し て の 政 治 ﹄ に お い て ﹁ 心 情 倫 理 ﹂ と ﹁ 責 任 倫 理 ﹂ と の葛藤というヴェーバー思想の核心をなすきわめて重大なテー マに直にかかわって、彼が﹃カラマーゾフの兄弟﹄の﹁大審問 官 ﹂ 章 に 深 甚 な る 関 心 を 寄 せ て い た と い う 問 題 を 7 。 ま た 、 同 じく同書で﹁脱世界連関的人間愛と慈悲の心に溢れた達人﹂に イエスや聖フランチェスコや仏陀の他に﹁ドストエフスキーの 描く聖者の姿﹂を挙げるが、それが﹃カラマーゾフの兄弟﹄の ゾシマ長老を指すのは間違いないこと、この点も見逃していた のである 8 。 マリアンネはくだんのヴェーバーの伝記のなかで次の興味深 い事実を報告している。すなわち、ヴェーバーが宗教社会学論 の 執 筆 を 構 想 し た さ い 、﹁ 最 初 彼 は 、 宗 教 改 革 か ら さ か の ぼ っ て、中世および初期のキリスト教世界と社会的経済的存在形態 の関係をも分析することを計画した﹂のだが、トレルチの当時 の研究動向と領域があまりに接近しているがゆえにこの構想を 放 棄 し た こ と 9 、 ま た 新 た な 構 想 に 立 つ ﹃ 宗 教 社 会 学 論 集 ﹄ 全 三巻、すなわち﹃世界宗教の経済倫理 三部作﹄は﹁初期キリ ス ト 教 の 分 析 で そ の 研 究 の 環 を 閉 ざ す は ず で あ っ た ﹂ が 10 、 それは未完の企てに終わったことである。そして、構想されなが ら果たされずに終わったこの研究の諸モチーフは、実はヴェー バー死後マリアンネが彼の遺稿を編集して公刊した﹃経済と社 会﹄第二部・第五章﹁宗教社会学﹂のなかに散見されることに なるのだ。 その彼の遺稿をまだ私は読めていなかったのである。 では、本論考の目指すものとは何か? 一言でいうなら、それは、これまでの私のヴェーバー理解の 限界性に対する 自己批判 0 0 0 0 を媒介としながら、主にくだんの﹃経 済 と 社 会 ﹄ 第 二 部 ・ 第 五 章 ﹁ 宗 教 社 会 学 ﹂、 ﹃ 職 業 と し て の 政 治 ﹄、 マ リ ア ン ネ の ﹃ マ ッ ク ス ・ ヴ ェ ー バ ー ﹄ の 三 著 作 を あ ら た め て 読 み 込 む こ と を と お し て 、 ヴ ェ ー バ ー を
︱
私 の 言 葉 で い え ば︱
﹁﹃ 異 種 交 配 化 合 ﹄ の 混 淆 的 確 執 ﹂ の 相 の 下 に 読 み 直 すことである。またそのことによって、ヴェーバーのみならず、 およそ人間の宗教的・思想的・文化的営為のいわば創造的モー ターというものはそうした﹁異種交配化合﹂の葛藤性にこそあ るということをあらためて追想しようとするものである。その 意味では、本論考は昨年の拙論のいわば自己批判を孕むという 点で補完的意義をもつ、その続編である。 では、私はこの探究をまずどこから、何を梃にして開始する のか? おそらく、読者にはきわめて唐突であろうが、私はその梃と して﹃職業としての政治﹄が誕生するうえできわめて重要な役 割を果たしたドイツ表現主義演劇の創始者たるエルンスト・ト ラーとヴェーバーとの出会いをめぐる問題を取り上げることに したい。ちなみにいえば、紛れもなくトラーも私のいうくだん の﹁確執者・葛藤者﹂の一人なのだ。第一章
トラーについて
エルンスト・トラーは日本では一般にはほとんど知られてい ない。だが、彼について優れた評伝を書いた島谷謙の、その評 伝のタイトルをそのまま借用するなら、まさに二十世紀前半の ドイツにおいて﹃ナチスと最初に闘った劇作家﹄と評し得る人 物であり、かつドイツ表現主義演劇の創始者と目される劇作家 である。 彼の処女戯曲は、彼が当初義勇兵として勇んで参戦した第一 次大戦から、その戦争の惨酷な現実に打ちのめされて﹁不適格 兵﹂として除隊になり、ミュンヘン大学に入り直し学生になっ た 一 九 一 七 年 に 書 か れ た ﹃ 変 容︱
あ る 人 間 の 闘 い ﹄ で あ る 。 この戯曲はその作劇方法において﹁宿駅ドラマ﹂と称される展 開形式、すなわち、それまでの﹁自然主義的リアリズム﹂の作 劇法を打破し、現実と夢とが交差しあう場面転換の連鎖として ﹁ 抽 象 的 、 様 式 的 な 舞 台 空 間 ﹂ を 創 造 す る こ と に よ っ て 、 何 より も 人 間 の 意 識 下 の 葛 藤 を 表 現 し よ う と 試 み た 作 品 で あ っ た 。 そして、まさにこの作劇法によって﹁表現主義演劇﹂の誕生を 告 げ る 画 期 的 作 品 と な っ た 。 ︵ な お 彼 は 自 伝 ﹃ ド イ ツ の 青 春 ﹄ の な か で 、 第 二 作 目 で あ る ﹃ 群 衆 ・ 人 間 ﹄ に 寄 せ て 、﹁ 抽 象 的 舞 台 空 間 ﹂ の 構 築 が 自 分 の 作 品 の 表 現 形 式 と な っ た 必 然 性 に つ い て こ う 語 っ て い る 。﹁ 体 験 の 感 覚 的 な 充 溢 が あ ま り に も 強 烈 で あ る た め に 、 抽 象 に よ っ て 、 つ ま り 、 事 の 基 底 を 規 定 す る 線 を ド ラ マ チ ッ ク に 照 明 す る こ とによってしか、この体験をこなすことができなかった﹂と 11 。以下、 読 者 は 本 論 考 を 通 じ て こ こ で 問 題 と な っ て い る ﹁ 体 験 ﹂ の ﹁ 強 烈 さ ﹂ が 彼 に と っ て い か ば か り か で あ っ た か 、 そ れ に 立 ち 会 う こ と と な ろ う。 ︶ 彼は当時ドイツ領内であった現在のポーランド中西部に生ま れたユダヤ系ドイツ人であった。彼の自伝﹃ドイツの青春﹄を 読むと、既に幼年期に彼が一方では自分がユダヤ系であること でドイツ人でありながらドイツ人から蔑視され疎外される屈辱 を味わうと同時に、他方、 植民者 0 0 0 の息子としてはまさにドイツ 人の一員として原住民であるポーランド人を蔑視する側に否応 なく立たされ、ポーランド人から常に敵意の眼差しを受けてき たこと、いわば﹁移民﹂経験を 被 0 差別と差別の両方向に渡って 重ねるなかで、あらゆる民族対立を乗り越えた人類の普遍的な 和合への強い希求を自分のなかに育んできた人間であったこと が よ く わ か る 。 ︵ 参 照 、 本 論 考 ・ 第 Ⅱ 部 ﹁ ト ラ ー 自 伝 ﹃ ド イ ツ の 青 春﹄抄﹂ ・﹁Ⅰ 子供時代﹂ ︶ そ の 彼 が 第 一 次 大 戦 に お け る 痛 苦 の 前 線 経 験 に よ っ て ︵ 参 照 、 本 論 考 ・ 第 Ⅱ 部 ﹁ 自 伝 ﹃ ド イ ツ の 青 春 ﹄ 抄 ﹂・ ﹁ Ⅳ 前 線 ﹂︶ 、 こ の 幼 年期以来の自分の希求をいっそう決定的なものとし、徹底的な ﹁平和主義者﹂となってミュンヘン大学に入りなおすのだ。 彼は第一次大戦の勃発に出会い、当初、わざわざ志願してこ の戦争に義勇兵として参加する。というのも、彼はこの行為に よっておのれのドイツ人としてのアイデンティティーを命賭け で証明することで、ドイツ人でありながら ユダヤ系ドイツ人 0 0 0 0 0 0 0 0 と してドイツ社会において疎外されてきた苦痛を一挙に取り除こ うとしたのだ。 ﹁わたしたちは感情の陶酔の中に生きている。ドイツ、祖国、 戦争という言葉は不思議な力を持つ﹂と、彼は当時の自分を振 り 返 っ て 自 伝 ﹃ ド イ ツ の 青 春 ﹄ の な か に 記 し て い る 12 。 あ る い は 、﹁ 私 は 、 少 年 時 代 、 他 の 子 に ﹃ ユ ダ ヤ 人 ﹄ と の の し ら れ た 少年の苦しみ、キリストの像との子供らしい対話、ユダヤ人で あると気づかれなかったときに感じた恐ろしい程の喜び、開戦 の頃の日々、生命をかけて自分がドイツ人であり、ドイツ人以 外の何者でもないことを実証しようとした激情的な願望を思い 出す﹂と 13 。 だ が 、 前 線 に お い て 彼 が 発 見 し た こ と は 次 の こ と で あ っ た 。 陣地争奪戦の果てに両軍の戦死者が折り重なって横たわる光景
の只中で、彼は次の想いにとらわれる。くだんの自伝にこうあ る。 ﹁ひとりの
︱
死んだ︱
人間。 突然、まるで闇が光から分かれ、言葉が意味から乖離した かのごとく、わたしは理解した。自分が忘れていた、葬り 去られ覆われて横たわっていた単純な真理、人間、この共 同体、一なるものにして、それぞれなるものを。 ひとりの死んだ人間 死せるフランス人でもなく、 死せるドイツ人でもなく、 ひとりの死んだ人間。 この死者たちはみな人間だ。私と同じように呼吸し、父や 母を、愛する女たちを、根を降ろした故郷を、喜びと苦悩 を示す顔を、光と天を見つめる眼を持っていた。このとき、 私は知った。自分が目を閉ざし、盲目であったことを。こ の瞬間、私はついにわかる。フランス人、ドイツ人を問わ ず、死者たちはみな兄弟であり、自分もまたそのひとりで あるということを﹂ 14 。 かくて、彼はこの戦争から、いわば絶対平和主義者となって 帰還する。本書第Ⅰ部・第三章で取り上げるヴェーバーの言い 方 を 借 用 す る な ら ば 、﹁ 脱 ア コ ス ミ ッ シ ェ ・ リ ー ベ 世 界 関 連 的 愛 ﹂ を も っ て 無 条 件 の 反 暴力・平和を説く平和主義者となって帰還するのだ。 また次のことも紹介しておこう。彼は自伝の終わり近く、ヒ トラーを先頭に﹁あらゆる国でも、盲目的なナショナリズ、笑 うべき人種的高慢が活気づいている﹂ことに深い憂慮と怒りを あ ら わ に し 、 自 分 の 帰 属 を 問 わ れ た な ら ば こ う 答 え る と 記 す 。 いわく、 ﹁ ユ ダ ヤ 人 の 母 親 に よ っ て 生 ま れ 、 ド イ ツ に 養 わ れ 、 ヨ ー ロッパに教育された私の故郷は大地であり、世界が私の祖 国なのだ、と﹂ 15 。 ところが 0 0 0 0 、である。 その﹁平和主義者﹂としての反差別・反暴力の信念を自ら破 り捨てざるを得なくなる自己矛盾に、彼はまたもや突き落とさ れる。戦線からの帰還は、彼にとって、同時に当時ミュンヘン を席巻したバイエルン革命・ 評 レ 議 ー 会 テ 共和国革命への身命を賭し ての参加にほかならなかった。彼の﹁平和主義者﹂たらんとす る信念は、まさにその信念の実現のために一命を投げ打って革 命に挺身することを彼に求める。その結果、まず彼は若干二四 歳 で ﹁ 労 農 兵 評 レ 議 ー 会 テ 中 央 委 員 会 副 議 長 ﹂ と ﹁ 独 立 社 民 党 副 議 長﹂となり、最高指導者であったクルト・アイスナーが暗殺さ れたあとは中央評議会議長にまでなる。さらにまた革命の成果 たるバイエルン評議会共和国を、これを反逆と見なすドイツ中 央政府や民間の反革命軍事組織︵白軍︶から軍事的に防衛する 必要は、遂に彼をして防衛のために組織された赤軍の司令官に就任することを決意させるに至る。その間の事情を追想して自 伝にはこうある。 ﹁ わ た し は 暴 力 を 憎 み 、 暴 力 を 行 使 す る よ り は 、 そ れ に 耐 えることを誓った。革命が攻撃を受けた今、この誓いを破 ることは許されただろうか。わたしは誓いを破らなければ ならなかった。労働者はわたしに信頼を寄せていたし、指 導 と 責 任 を わ た し に 委 ね て い た 。 ⋮︹ 略 ︺⋮ 今 日 、 政 治 領 域 において、経済的、人間的利害の交錯するなかで闘おうと する者は、自分の闘いの法則と結果が自分の善意とは別の 諸力によって規定され、悲劇的にも抵抗と武装を強いられ て、言葉の深い意味で血を流すこともありうるということ を知らねばならない﹂ 16 。 さらに自伝の最終章﹁五年間﹂には次の一節がある。 ﹁ 革 命 の 体 験 が 私 を 苦 し め る 。 わ た し は 挫 折 し た の だ 。 暴 力を軽蔑する社会主義者はけっして暴力を用いてはならな いと信じていたのに、わたしはみずから暴力を用い、武器 を と る よ う に 呼 び か け た 。 ⋮︹ 略 ︺⋮ マ ッ ク ス ・ ヴ ェ ー バ ー がわれわれに悪に対して暴力で抵抗することを望まないと すれば、アッシジの聖フランチェスコのように生きねばな らない、絶対的要求のためには唯一の絶対的道、聖者の道 しかない、と述べたのは正しかったのではないか。行動す る者は罪を犯さねばならないのか。 ﹂ 17 実 は 右 の 一 節 に 出 て く る マ ッ ク ス ・ ヴ ェ ー バ ー へ の 言 及 は 、 次 章 な ら び に 次 々 章 で 詳 し く 扱 う が 、﹃ 職 業 と し て の 政 治 ﹄ で ヴェーバーがおこなった主張を直に指しているのである。この くだりには次のことが示唆されている。まさに﹃職業としての 政治﹄は、革命家として生きんとするトラーがしかし胸中に抱 えた苦悩に直に触れ、まっすぐにそれを射抜くものであったと いう事情が。しかもそこで述べるように、この関係性には次の 事情もまた示唆されているのだ。すなわち、実は﹃職業として の 政 治 ﹄ と は 、 ヴ ェ ー バ ー が 誰 に も ま し て ト ラ ー に 語 り か け 、 彼 と 真 摯 な る 討 論 を お こ な う 意 図 を 深 く 胸 中 に ひ そ め て お こ なった講演、それを論文化したものであったという事情が。そ して、この事情はトラーの胸中に秘めた自己矛盾に訴えかける ものであったと同時に、実は返す刀でヴェーバー自身が密かに 生きてきた自己矛盾に突き刺さるものでもあったことを。 あらかじめいうならば、実はこの問題事情を深く掘り下げて 考察すること、これが本書のテーマなのである。 だが、そのことは次章以下に委ねよう。 まずとにかくトラーの生涯を素描しておこう。 革命は結局敗北し、バイエルン評議会共和国は崩壊する。彼 は、その結果、一九一九年六月にドイツ中央政府によって逮捕 され、裁判の結果﹁大逆罪﹂により禁固五年の刑に処せられる。 彼 の 著 名 な 戯 曲 ﹃ 群 衆 ・ 人 間 ﹄、 ﹃ 機 械 破 壊 者 ﹄、 ﹃ ヒ ン ケ マ
ン﹄ならびに﹃解放されたヴォータン﹄はみなこの五年間の獄 中で創作されたものである。またこの期間にテッサという名の 女 性 に あ て て 書 か れ た 書 簡 は 後 に ﹃ 獄 中 書 簡 ﹄ と し て 、 ま た 数々の詩は﹃燕の書﹄と題された詩集として出版される。 五年後、一九二四年に釈放されたトラーは欧米諸国、中近東、 ソ連を歴訪し、旺盛な作家活動を展開し、新作の戯曲﹃どっこ い、生きている﹄と﹃ボイラーの火を消せ﹄が発表される。同 時に彼は、たんに戯曲家に留まることなく、急速に勃興し勢力 を一挙に増強しだしたナチスとの政治闘争に邁進する。彼は既 に一九二七年の諸講演や文章のなかでファシズムの脅威につい てくりかえし警告し、一九二九年にはいちはやくファシズムの 支配の到来を予告する。一九三〇年には、ナチス党員であるア ルフレート・ミューラーとラジオで四〇分にわたって論争をお こなう。まさに当時トラーは反ナチスの論陣を張る知識人の急 先鋒であり、ナチスが最も憎み敵視した論客となった。 一九三三年一月末、ヒトラーが帝国首相となり、くだんの国 会放火事件が起き、容疑者として四千人以上の反ナチス分子の 逮捕がなされ、焚書がおこなわれ、一挙にナチス独裁体制が確 立される。ナチスの目の敵であったトラーの著書ももちろん焚 書にあう。宣伝相に就任したゲッペルスはユダヤ知識人の反ナ チス活動の罪状を列挙する演説のなかでまずトラーを名指しす る。 危機を察したトラーはドイツを出て、欧米諸国で反ナチスの 講演行脚を重ねる亡命生活に入る。一九三八年、彼は内戦状態 にあるスペインを訪れる。そこで慢性的な食糧不足に悩む避難 民の窮状に心を打たれ、国際的な食糧援助活動を立ち上げる努 力の先頭を務めることを決意する。彼は欧州諸国を奔走し、遂 にはアメリカのルーズベルト大統領との会見にも成功し、その 結果、ルーズベルトはスペイン難民救援委員会の設置を決定す るに至る。トラーの尽力は実を結び、欧米諸国を巡って彼が組 織した五〇万ドル相当の小麦をはじめとする食料が遂にアメリ カ赤十字を通じてスペインに送られるに至る。 ところが 0 0 0 0 、である。なんと、その食料がバルセロナに着いた とき、既にバルセロナはフランコ軍の手に落ちており、食料は 難民に供給されるどころか、すべてフランコ軍のものとなって しまったのである。トラーの落胆と悔しさはいかばかりであっ たか! 絶えまなく緊張を強いられる長い亡命生活のなかで精神を消 耗 し つ つ あ っ た 彼 は 遂 に 一 九 三 九 年 五 月 二 二 日 、 ホ テ ル の バ ス・ルームで縊死する。遺書はなかった。彼は自分が自殺する ことなどあり得ないと周りに言い張ってきた人間であった。半 ば発作的な縊死であった。享年四五歳であった。 ナチスはこの報に接し、早くもその翌日に彼の死を自分たち の﹁政治的勝利﹂として喜びを剥きだしにして報じたという 18 。
島谷の優れた評伝は、その最終章で、トラーと独立インドの 最初の首相となったネルーとの奇しき邂逅と二人が結んだ深い 友情について記している。詳細はそれに譲る。ここでは、そこ に記されていることのなかから二つのことだけを孫引きしてお きたい。 一つは次のことである。一九三六年六月にネルーは﹁パレス ティナのアラブ人とユダヤ人﹂という一文を発表し、両者は互 いの権利を認めあって共存すべきことを説く。彼はこの一文を トラーに送る。トラーはその返書に、ネルーの自伝を読んで深 く感動し、自分と彼とのあいだに﹁絆を感じる﹂としたためる ︵ 他 方 、 九 度 に 渡 る 投 獄 を 経 験 し た ネ ル ー は 、 ト ラ ー の 英 訳 さ れ た 獄 中 書 簡 と ﹃ 燕 の 書 ﹄ は 九 度 目 の 獄 中 生 活 で の 魂 の 支 え で あ っ た と 告 白 し て い る 19 ︶ 。 と 同 時 に 、 ト ラ ー は ネ ル ー の 主 張 を 全 面 的 に 支 持 す る と 書 く 20 。﹁ 世 界 ﹂ こ そ を ﹁ 祖 国 ﹂ と す る 彼 の 信 念 は こ こ では彼を 反 0 シオニズムの立場に立たせたのだ。 も う 一 つ は 、 ト ラ ー の 自 殺 の 二 日 後 、 ネ ル ー が ﹁ ナ シ ョ ナ ル・ヘラルド﹂紙に寄せた長文の追悼文の一節である。こうあ る。 ﹁ ⋮︹ 略 ︺⋮ ト ラ ー は 非 凡 な 人 間 で あ り 、 友 愛 に 満 ち 、 繊 細 で作家としての才能だけでなく、作家としての予見性も備 えていた。彼には暴力が支配し、自由が抑圧されることは 耐えがたいことだった。彼を知る者は誠実で尊い同志とし て彼を愛し、何十万もの人びとが彼の作品
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才気溢れる 戯 曲 、 感 動 的 な 獄 中 書 簡 、 自 伝 ﹃ ド イ ツ の 青 春 ﹄︱
に 親 しんだ。これらの作品を通して読者は彼の内面で繰り広げ られた闘いを知り、苦悩に満ちた世界が本来喜びを歌うべ く 生 ま れ つ い た 繊 細 な 作 家 の 魂 を 抑 圧 す る さ ま を 知 っ た 。 ⋮︹ 略 ︺⋮ 彼 は ユ ダ ヤ 人 で あ り 、 ヒ ト ラ ー ・ ド イ ツ で は 生 活 できなかった。しかしユダヤ人でありながら、彼はわたし がパレスティナのアラブ人の権利について書いた文書に全 面 的 に 賛 同 し た 。 ⋮︹ 略 ︺⋮ イ ギ リ ス 大 使 は フ ラ ン コ に 敬 意 を表明し、戦勝パレードを祝福した。 哀れなトラー、親愛なる友人にして同志だった彼は最後 の希望を失って亡くなった。ファシズムの支配する世界は 彼には野蛮すぎ、彼の性格にはあまりに厭わしいものだっ た。そして民主主義国であるはずのイギリスとフランスこ そ が 偽 り の 約 束 と 裏 切 り に よ っ て 彼 を 破 滅 さ せ た の で あ る﹂ 21 。第二章
トラーとヴェーバーの出会い
ヴェーバーとトラーとの出会いの問題に移ろう。彼らの最初 の出会いは、一九一七年にチュービンゲンのラウエンシュタイ ン城で出版人オイゲン・ディデリクスが主催者となって開いた文化人会議で起きる。島谷は、この出会いが二人の間に生んだ 共鳴についてきわめて重要な指摘をおこなっている。 当初はおのれのドイツ人としてのアイデンティティーの確証 と享受を求め義勇兵として第一次大戦に応召したトラーが、前 線の過酷な現実のなかで如何に﹁祖国愛国主義者﹂から﹁絶対 平和主義者﹂へと変貌したか、このことについては既に触れた。 この点で、われわれは次の点を知っておく必要がある。ハン ナ・アーレントも﹃全体主義の起源﹄で強調していることであ るが、開戦当初ドイツは愛国主義的熱狂に包まれ、多くの知識 人 も 学 生 も ま さ に ﹁ 聖 戦 ﹂ イ デ オ ロ ギ ー の 虜 と な り 、 戦 争 を 、 自 分 た ち が 退 屈 で 卑 小 な 退 廃 的 な ブ ル ジ ョ ア 的 日 常 を 打 破 し 、 自己犠牲と絶対的共同の精神に燃え立つ、英雄的で神聖なる闘 争の日々を生きる天与の機会として歓迎したのである。 アーレントはこう書いている。 ﹁第一次大戦が始まったとき、 ﹃ ひ ざ ま ず い て 神 に 感 謝 し た ﹄ の は ヒ ト ラ ー や 人 生 の 落 伍 者 ば か り で は な か っ た 。 ⋮︹ 略 ︺⋮ 一 九 一 四 年 、 エ リ ー ト た ち は 自 分 た ち が 馴 染 ん で き た 全 世 界 と 全 文 明 が ﹃ 鋼 鉄 の 嵐 ﹄︵ エ ル ン ス ト・ユンガー︶のなかで崩れ去るのを期待して、欣喜雀躍、戦 争 に 赴 い た 。 彼 ら の 詩 は ⋮︹ 略 ︺⋮ 祖 国 の 勝 利 で は な く 、﹃ 浄 化 者﹄ 、﹃救済者﹄そのものである戦争をうたっていた﹂と 22 。 この点でヴェーバーについていえば、当初は彼もまた愛国主 義的であったにせよ、しかしトラーとの出会いが起きる前述の 文化人会議が開かれた一九一七年の時点では、こうしたドイツ 知識階級の基本動向にきわめて批判的となっていたのだ。 いまやその前線経験から徹底的な反戦主義者・平和主義者に 転向していたトラーはこのヴェーバーの姿勢に感激した。島谷 は的確にも次のトラーの言葉を彼の自伝から引用している。い わく、 ﹁ ヴ ェ ー バ ー は あ ら ゆ る ロ マ ン 主 義 的 国 家 論 を 嫌 悪 す る 。 彼は言う。ドイツ帝国は権力国家である。民衆は国家の意 志 形 成 に ま っ た く 影 響 力 を 持 た な い 。 ⋮︹ 略 ︺⋮ あ ら ゆ る 国 家機構は民主化されなければならない。文化の諸問題はす べ て 戦 争 終 結 の 仕 方 に よ っ て 影 響 を 受 け る 、 と 。 ⋮︹ 略 ︺⋮ ヴェーバーは皇帝のうちに最大の悪を見る﹂ 23 。 この年にトラーは﹁ドイツ文化政治青年同盟﹂を結成し、反 戦運動に突き進む。その果てに前述の如くバイエルン評議会共 和国革命の勃発とともに、その中心的牽引者の一人となるのだ。 ヴェーバーの妻マリアンネのくだんのヴェーバー伝はその間 の 消 息 を 生 々 し く 伝 え る も の で あ る が 、 先 の 出 会 い の あ と ト ラーがヴェーバーの主催する﹁日曜の集い﹂に来ておこなった 詩の朗読についてこうしるしている。
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﹁人間の根源的な善 良さを信じ、それぞれの国の政府の命令によってたがいに殺戮 し合っている諸国民に矛をおさめさせることができると信じて いる純粋な魂の息吹に聞く者は感動をおぼえた﹂と 24 。また、バイエルン革命が敗北し、トラーが逮捕され大逆罪の 廉で審問を受けたさい、ヴェーバーはトラーの弁護を買って出 る 。 そ の こ と に つ い て マ リ ア ン ネ は 次 の よ う に し る し て い る 。 いわく、 ﹁ 彼 は ⋮︹ 略 ︺⋮ な か ん ず く そ の 理 想 主 義 的 志 操 は そ の 政 治 的未成熟と同じ程度に疑いを容れぬほど明白であるトラー のために、社会化委員の政治的純潔さを証言した。トラー のような青年たちが実際に或る期間、支配し、大衆を率い て 来 た こ と は 、 こ の バ イ エ ル ン の 革 命 の 異 様 さ の 一 面 で あった。ヴェーバーは審問においてトラーのことを、政治 的現実に向かうと世間離れしてしまい、無意識のうちに大 衆のヒステリカルな本能に迎合してしまった︿心情倫理の 人﹀と性格づけた﹂ 25 。 つ い で に い っ て お く と 、 他 方 、 ロ ー ザ ・ ル ク セ ン ブ ル ク と カール・リープクネヒトを批判する彼女の筆致には容赦の無さ が目立つ。いわく、 ﹁ 狂信的な 0 0 0 0 共産主義者リープクネヒトとローザ・ルクセン ブルクは社会主義者から無血革命の指導権を奪って、民主 主義共和制ではなく社会主義共和制、すなわち評議会組織 を持つプロレタリア独裁を布こうと務めた﹂ ︵傍点、清︶ 。 マリアンネによれば、ヴェーバーは﹁その性格の本質におい て あ く ま で 個 人 主 義 者 で あ っ た ﹂。 だ か ら 、 リ ベ ラ リ ズ ム と 民 主 主 義 精 神 と 一 体 の も の と し て 考 え ら れ た 限 り で の ﹁ 社 会 主 義﹂に対しては、彼は完璧な支持者であったが、実質は共産党 独裁にほかならない﹁プロレタリア独裁﹂の実現を革命の目標 とする 共産主義者 0 0 0 0 0 ・ 共産党 0 0 0 とはまったく相容れなかった。 そしてかかる立場に立つヴェーバーの眼には、眼前に展開し ているドイツ革命の様相は、ベルリンであれミュンヘンであれ、 ﹁革命という名誉ある名に価しない血なまぐさいカーニヴァル﹂ に過ぎないものであった。他方、 共産主義 0 0 0 0 と画然と区別される 社 会 主 義 0 0 0 0 に 関 し て い え ば 、﹁ 人 間 た る に 価 す る 生 活 を 求 め る プ ロレタリアートの闘争へのヴェーバーの同情は数十年も前から きわめて強く、自分も党に所属する社会主義者として全面的に 戦列に加わることができないかどうか屡々考えこんだほどだっ た﹂ 、と彼女はしるしている。 バイエルン評議会共和国革命についていえば、その最初の指 導者クルト・アイスナーは独立社民党員であり、彼は首相の地 位に着くやすぐに国粋主義者の若き伯爵アルコ=ヴァリーに暗 殺され、この暗殺が革命陣営のなかで武装闘争路線を呼号する スパルタクス団つまり共産党の主導権強化に繋がったとはいえ、 アイスナー自身は常に共産党とは一線を画す社会主義者であり 平和革命の道を追求した人物であった。またトラーもこの党派 に 属 し 、 か つ ま た 彼 が 思 想 的 に 大 い な る 影 響 を 受 け た グ ス タ フ ・ ラ ン ダ ウ ア ー ︵ 彼 も 後 に 白 軍 に よ っ て 惨 殺 さ れ た ︶ は マ ル テ ィ
ン ・ ブ ー バ ー の 親 友 の ユ ダ ヤ 人 の 無 政 府 主 義 思 想 家 で あ っ た 。 いずれにせよ、彼らは個人の自由なる開花と社会的共同を統一 させることこそを最高価値に据える﹁自由社会主義﹂の系譜に 立 つ 人 間 た ち で あ っ た 26 。 こ の 点 で 、 く り か え し に な る が 、 だ 0 からこそ 0 0 0 0 、敢えて武装闘争の指導者の役を身に背負ったトラー の苦悩は大きく深いものとなったのである。実に、かの自伝は、 トラーのバイエルン革命における指導者の一人としての活動は 常 に 武 装 闘 争 を
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ソ 連 共 産 党 の 革 命 的 権 威 を 背 に︱
呼 号 し て やまない共産党との確執に浸されていたことを如実に物語る。 とはいえ、次の点だけは指摘しておこう。ヴェーバーもマリ アンネもローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトに 対してはきわめて批判的であったが、彼ら二人が暗殺されたと き 、 ヴ ェ ー バ ー は そ れ に 抗 議 し 、﹁ リ ー プ ク ネ ヒ ト は 疑 い も な く 誠 実 で あ っ た 。 ⋮︹ 略 ︺⋮ 労 兵 評 議 会 も ま た 誠 実 だ っ た 。 市 民 階級は自分がこれらの評議会の誠実公正は事業に何を負ってい るかを忘れてはならない﹂と述べたのである 27 。 またトラーについていえば、二人に対する彼の敬愛の念はた いへん強い。二人にしても、たとえ当時は共産主義者であった としても、彼らがもし生き続け後のスターリン主義に覆われた ソ連の有様に出会ったならば、それを真の共産主義理念を裏切 るものとして拒絶したことは間違いないであろう。またスター リンからは、トロツキーやブハーリンと相通じる裏切り者とし て弾劾されたことは間違いないであろう。 さ て そ こ で 、 次 章 以 下 に お い て 、 こ れ ま で 示 唆 し て き た ヴェーバーの﹃職業としての政治﹄とトラーとの関係について 本格的に論じることにしよう。第三章
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ニーチェ、サルトル、ロレンス、ユング マ リ ア ン ネ の 書 い た ヴ ェ ー バ ー 伝 の 第 十 八 章 と 第 十 九 章 は 、 死にゆくヴェーバーの姿を活写し追悼する終章の直前に位置す る二章であるが、最晩年の彼の思索的課題の所在、一言でいえ ば﹁心情倫理﹂と﹁責任倫理﹂との両立不可能性と確執という 問題を、当時彼を包んだ生々しい政治状況、つまりバイエルン 評議会革命と彼との関係を活写することをとおして描きだすも のであった。実に﹃職業としての政治﹄こそはこの問題を一身 に体現する著作である。 そこでの議論は、 ﹃マタイ福音書﹄の描くイエスの平和主義、 すなわちかの﹁山上の垂訓﹂として示される﹁汝の敵を愛せ﹂ ・ ﹁ 汝 の も う 一 つ の 頬 も 向 け よ ﹂・﹁ 悪 し き 者 に も 力 も て 抵 抗 う な ﹂ 等 の 命 法 に よ っ て 示 さ れ る そ れ と 、﹁ 政 治 家 ﹂ つ ま り い か な る 政治運動であれいやしくもその指導者ないし積極的活動家たる道を選んだ者が生きるべき﹁責任倫理﹂との性格の相違、なら びにその相違が生む両者の確執についての自覚、これを如何に 手にすべきかという議論に集中する。ヴェーバーは前者のイエ ス の 誡 命 が 体 現 す る 倫 理 を そ の さ い ﹁ 心 情 倫 理 ﹂ と 名 づ け る 。 また、詳しくは第四章で取り上げるが、彼はこのイエスの平和 主義を﹁ 脱 ア コ ス ミ ッ シ ュ 世界連関的 な愛 akosmische Libe ﹂の思想に立脚す るものとして特徴づける。 ところで、ここできわめて重要となるのは、マリアンネが実 に生々しく描きだしたように、この議論が誰よりも当時社会主 義革命の理想に燃え身をもって革命運動へ挺身せんとする急進 的 学 生 を 念 頭 に お こ な わ れ た 議 論 で あ っ た こ と で あ り 、﹁ 心 情 倫理﹂と﹁責任倫理﹂の確執というテーマが当時最も切実なお のれの切羽詰まった内面の問題として背負い込まれたのは誰よ りも彼らであったという事情である。というのも、彼らの革命 に身を投じようとする道徳的パトスを特徴づける問題性として、 ヴエーバーは﹁心情倫理家が突然、千年王国的預言者に早変わ り す る と い っ た 現 象 ﹂
︱
つ い さ き ほ ど ま で イ エ ス 的 な 絶 対 平 和 主 義 者 で あ っ た は ず の 人 間 が 、﹁ 一 切 の 暴 力 の 絶 滅 状 態 を も た ら す で あ ろ う 最 後 0 0 の 暴 力 の 行 使 ﹂ ︵ 傍 点 、 ヴ ェ ー バ ー ︶ と い う 自己正当化の論理をもって、次の瞬間に一転して暴力革命の扇 動者となる事例を目の当たりにしていたからである 28 。 実に、トラーこそはヴェーバーにとってこうした学生たちの 代表者にほかならなかった。 しかもまたきわめて興味深いのは、ヴェーバーは同論考にお い て 、 こ の 両 倫 理 の 両 立 不 可 能 性 と 葛 藤 と い う 問 題︱
そ の 自 覚 か ら の 逃 避 欲 求 0 0 0 0 と い う 逆 説 的 心 性 と し て 生 じ る 革 命 的 ヒ ロ イ ズ ム へ の 自 己 耽 溺 と い う 問 題 も 含 め︱
を 最 も 鋭 く 描 き だ し た 文 学 作 品 としてドストエフスキーの﹃カラマーゾフの兄弟﹄におけるか の﹁大審問官﹂章を持ち出すことである。いわく、 ﹁ 諸 君 の 中 で ド ス ト エ フ ス キ ー を ご 存 知 の 方 な ら 、 こ の 問 題が的確に展開されている例の大審問官の場面を覚えてお られるであろう。心情倫理と責任倫理を妥協させることは 不可能である﹂ 29 。 また彼は別な個所で﹁ 脱 ア コ ス ミ ッ シ ュ 世界連関的 な人間愛と慈悲の心に溢 れた達人﹂にイエスや聖フランチェスコや仏陀の他に﹁ドスト エフスキーの描く聖者の姿﹂を挙げるが、それが﹃カラマーゾ フの兄弟﹄のゾシマ長老を指すことは間違いない 30 。 ところで先の引用にも示唆されるように、ヴェーバーは同論 考においておのれの﹁天職﹂として政治指導者たらんことを選 ん だ 筆 頭 の 人 間 類 型 と し て ﹁ 預 言 者 ﹂ を 取 り 上 げ て い る 31 。 こ のことは、古代ユダヤ教のヤハウエ主義が掲げる﹁宗教的救済 財﹂を現世における﹁政治的および社会的革命﹂に見る彼の観 点と深く連動するものである。 だ が 私 の 視 点 か ら い う と 、 そ の さ い ヴ ェ ー バ ー の 議 論 に は 、預言者が代表するこの﹁革命﹂主義が︽マニ教主義的善悪二元 論︾と骨がらみとなった﹁聖戦﹂思想によって色濃く染め上げ られており、この問題性にイエスのくだんの﹁愛敵﹂の主張が 対決するという問題文脈、これが 直接の文言上は 0 0 0 0 0 0 0 まったく登場 してこない。 *1 とはいえ 0 0 0 0 、では︽マニ教主義的善悪二元論批判︾というテー マは彼のもとには存在しないのかといえば、実はまったくそう ではない。 否それどころか 0 0 0 0 0 0 0 、彼のいう﹁責任倫理﹂の核心こそ この︽マニ教主義的善悪二元論批判︾の観点なのである。彼は 同書でフェルスター教授を﹁善からは善のみが生まれ悪からは 悪のみが生まれるという単純な命題﹂に支配された思考の持ち 主 で あ る と 批 判 し つ つ 、﹁ し ば し ば そ の 逆 が 真 実 で あ る こ と ﹂、 ﹁ こ れ が 見 抜 け な い よ う な 人 間 は 政 治 の イ ロ ハ も わ き ま え な い 未熟児である﹂と批判する 32 。 また、次の一節もある。彼は﹁とくにそうである﹂と断りな が ら 、﹁ 信 仰 の 闘 士 ﹂ す な わ ち ﹁ 宗 教 上 の 闘 士 や 革 命 の 闘 士 ﹂ を例に挙げ、こう述べる。 ﹁ 暴 力 に よ っ て こ の 地 上 に 絶 対 正 義 を 打 ち 立 て よ う と す る 者は、部下という人間﹃装置﹄を必要とする。そのために はこの人間装置に、必要な内的・外的なプレミアム
︱
あ の世またはこの世での 報 ロ ー ン 奨︱
を約束しなければならない。 そうでないと装置が機能しない。内的プレミアムとは、現 代の階級闘争という条件下では、 憎悪と復讐欲 0 0 0 0 0 0 、とりわけ 怨恨と似非倫理的な独善欲 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 の満足、つまり 敵を誹謗し異端 0 0 0 0 0 0 0 者 扱 い し た い と い う 欲 求 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 を 満 足 さ せ る こ と で あ る ﹂ ︵ 傍 点 、 清︶ 33 。 まさに、ここでいわれる﹁似非倫理的な独善欲﹂ 、﹁敵を誹謗 し異端者扱いしたいという欲求﹂こそは︽マニ教主義的善悪二 元論︾を生む怨恨的心性にほかならない。 この点で、私はニーチェ、サルトル、ロレンス、ユングの次 の諸観点を紹介し、その基本的問題意識において如何にそれら の観点とヴェーバーとが実質的には期せずして連帯的であった かを示したい。 ま ず ニ ー チ ェ を 取 り 上 げ よ う 。 ︵ ヴ ェ ー バ ー は 、 ニ ー チ ェ の ﹁ ル サ ン チ マ ン 宗 教 ﹂ 論︱
ま さ に ユ ダ ヤ = キ リ ス ト 教 的 心 性 と 一 九 世 紀 社 会 主 義 と を 繋 げ て み せ た︱
を 、 カ ル ヴ ィ ニ ズ ム 理 解 に 適 用 す る こ と は 拒 絶 し た に せ よ 、 そ れ を ﹁ 素 晴 ら し い 試 論 ﹂ と 評 価 し た 34 。 ﹃職業としての政治﹄ではこの肯定的評価の側面が前面に出てくる。 ︶ ﹃ 道 徳 の 系 譜 ﹄ の な か で ニ ー チ ェ は 、 怨 恨 の 憎 悪 心 に 駆 ら れ た人間が必然的にとることになる意識=行動様式に関してこう 述べている 35 。 ﹁これに反し、ルサンチマンの人間が思い描くような︿敵﹀ を想像してみるがよい、││そこにこそは彼の行為があり、 彼 の 創 造 が あ る 。 彼 は ま ず ︿ 悪 い 敵 ﹀、 つ ま り ︿ 悪 人 4 4 ﹀ を心に思い描く。しかもこれを基本概念となし、さてそこか らしてさらにそれの模像かつ対照像として︿善人﹀なるも のを考えだす、││これこそが彼自身というわけだ!﹂ 36 これは︽怨恨的人間︾に関する卓抜な定義ないしは認識であ る 。 必 要 は 発 明 の 母 で あ る 。 こ こ に 描 き だ さ れ て い る の は 、 ︽ 怨 恨 的 人 間 ︾ と は ︿ 敵 ﹀ を 自 分 の た め に 必 要 と す る が ゆ え に それを創り出す人間であるという事情だ。彼にとって敵は 与え 0 0 られたもの 0 0 0 0 0 ではなく、彼の 作品 0 0 なのだ。そして 作品 0 0 とはその 作 0 者 0 を、彼の 何者性 0 0 0 を顕示ないし暴露し露呈せしめるものである。 ではなぜ︽怨恨的人間︾は︿敵﹀を自分のために捏造しなけ ればならないか? その答は、 ︽怨恨的人間︾は自分を︿善人﹀ として構成する必要があるからだ。現実には屈辱的な敗北を重 ね続けてきた彼は、せめて想念の世界で敵を道徳的劣者として 見下したいのだ。どうしてもその精神的補償が要るのだ。その ためにはまず自分を︿善人﹀へとアイデンティファイするため の表象回路を生みだすことが必要となる。この︿善人﹀という 表象の案出は︿敵﹀の想像的な捏造と背中合わせになっている。 と い う の も 、 こ の ︿ 善 人 ﹀ と い う 表 象 が 成 立 す る の は 、﹁ 基 本 概念﹂として打ち立てられた︿ 悪人 4 4 ﹀の﹁模像かつ対照像﹂と してのことだからだ。 ︿ 悪 人 4 4 ﹀ は も ち ろ ん ︿ 善 人 ﹀ の ︽ 絶 対 他 者 ︾ で あ る 。 ま っ た き︽他者︾ 、寸分の隙間なく自分とは異なった存在、 ︽彼のなか に我を見出し、我のなかに彼を見出す︾いかなる相互性も発見 し得ない相手である。とはいえ、この︽絶対他者︾が﹁基本概 念﹂なのであり、そこから出発して自分がその﹁対照像﹂とし て 把 握 さ れ て く る の で あ る 。 し か も 、︿ 悪 人 4 4 ﹀ が 頭 の 先 か ら 爪 先 ま で 悪 の 塊 で あ る の と ち ょ う ど 同 じ く 、 そ の 意 味 で は ﹁ 模 像 ﹂ と し て 、 つ ま り 頭 の 先 か ら 爪 先 ま で 善 の 塊 で あ る ︿ 善 人 ﹀ と し て 把 握 さ れ る の で あ る 。 つ ま り 、 我 は 、 我 の ︽ 絶 対 他 者 ︾ たる︿ 悪人 4 4 ﹀のその︽絶対他者︾として把握されるのだ。ニー チェが﹁創造﹂と皮肉をこめて呼ぶのは、この独特な自己把握 の論理ないし回路の誕生を指してのことだ。 ここで次のことを指摘しておきたい。ニーチェのおこなった この洞察を、サルトルは﹃弁証法的理性批判﹄のなかで引き継 いでいることだ。サルトルは暴力という関係性の本質を次のよ うに喝破している。 ﹁ 暴 力 と は 、 ⋮︹ 略 ︺⋮ 人 間 の 諸 態 度 の 恒 常 的 な 非 人 間 性 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 の こ とであって、要するに、 各人が各人のうちに 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ︿ 他者 0 0 ﹀ およ 0 0 び 0 ︿ 悪 0 ﹀ の原理を見るようにさせるもの 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 なのである。それ ゆ え ⋮︹ 略 ︺⋮ 殺 戮 ま た は 投 獄 と い っ た 、 目 に 見 え る 実 力 行 使のおこなわれることは必要ではない。それどころか、実 力行使の企図の現前する必要さえもない。生産諸関係が不 安 と 相 互 不 信 の 風 土 の な か で 、﹃ ︿ 他 人 ﹀ は 反 = 人 間 で 異 種族にぞくする﹄と信じようといつも身構えている諸個人
によって打ち立てられ、追求されさえすれば、換言すれば ︿ 他 者 0 0 ﹀ は ど ん な も の で も 0 0 0 0 0 0 0 0 ︿ 他 者 0 0 ﹀ た ち に 対 し て 0 0 0 0 0 0 ︿ 先 に 手 0 0 0 をだした者 0 0 0 0 0 ﹀ としていつもあらわれる 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ことができるのであ れ ば 、 そ れ で 十 分 な の だ ﹂ ︵ 傍 点 、 清 ︶ 37 。 ま た こ う も い っ て い る 。﹁ 純 粋 な 相 互 性 に お い て は 、 私 と 別 な 者 [ 他 者 ] も、また私と同じ者である。ところが稀少性によって変容 された相互性においては、その同じ人間が根本的に別の者 ︿ 他 者 ﹀︵ つ ま り 、 わ れ わ れ に と っ て の 死 の 脅 迫 の 保 持 者 ︶ として現れるという意味において、その同じ者がわれわれ に反 = 人間として現れる﹂ 38 と。 ︽ 彼 の う ち に 我 を 見 い だ し 、 我 の う ち に 彼 を 見 い だ す ︾ と い う彼我の相互性の関係、他の人間を他人として認知するさいの 意識を成り立たせているこの 相互主観性の構造 4 4 4 4 4 4 4 4 が、つまり︿ そ 4 れゆえにこそ 4 4 4 4 4 4 彼はわれわれにとって脅威の塊以外の何ものでも ない﹀という彼我双方の暴力性に対する相互的認知が、暴力の 論理のなかでは、確かに無意識の裡に作動していながらしかし 意識の内部では自己欺瞞的に抹消され、ひたすらに相手だけに 固有なるものへと悪魔的に転倒するわけなのだ。 ここでサルトルがいっている﹁ ︿他者﹀および︿悪﹀の原理﹂ と い う の は 、 ニ ー チ ェ が い っ た ﹁︿ 悪 い 敵 ﹀、 つ ま り ︿ 悪 人 0 0 ﹀﹂ と同じである。それは、われわれとは根本的に異なって頭の先 から爪先までこれことごとく悪の塊であり、だからわれわれと のあいだにはついぞ彼我の相互性の関係なぞ成立しようがなく、 全 面 的 に 敵 対 的 な 存 在 ︵﹁ わ れ わ れ に と っ て の 死 の 脅 迫 の 保 持 者 ﹂ と い い う る 程 の ︶ で あ る が ゆ え に 、﹁ ︿ 先 に 手 を だ し た 者 0 0 0 0 0 0 0 0 ﹀ と し 0 0 ていつもあらわれる 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ﹂存在としてわれわれによって表象される 存在だというのである。つまり、実際にそうであるのかないの かとは無関係に、既に先入見のレベルで、 われわれの想像力に 0 0 0 0 0 0 0 0 0 よってそういう存在だと捏造されてしまった存在 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 だというので ある。 ここからして次の意識が生まれる。相手が振るう暴力は 悪の 0 0 暴力 0 0 、 暴力としての暴力 0 0 0 0 0 0 0 0 、つまり﹁先に手を出した者﹂の暴力 だが、われわれの側の暴力はやむをえずそれに対抗するために 振るわれた 正当防衛のための正義の暴力 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 であるという。だが問 題 と は 、 如 何 な る 0 0 0 0 暴 力 も 常 に そ の よ う に 0 0 0 0 0 自 分 を 表 象 す る ︵ 思 い 描 く ︶ こ と を と お し て 、 つ ま り 自 分 を 正 義 の 暴 力 0 0 0 0 0 と 言 い 張 る こ とによって、暴力として自分を発動させるのだということだ。 先 に 紹 介 し た 、 ヴ ェ ー バ ー の い う ﹁ 内 的 プ レ ミ ア ム ﹂ と は 、 まさに闘争者の内面におけるかかる心理機制・心理欲求の動員 で あ り 満 足 で あ る 。 一 言 で い え ば ︽ マ ニ 教 主 義 的 善 悪 二 元 論 ︾ が司る心理機制への自己幽閉化である。 この点で、われわれは再度アーレントが指摘した問題の重要 性を確認すべきであろう。すなわち、第一次大戦がその当初交 戦し合う双方の側で等しく﹁聖戦﹂の開始として如何に多くの
人びとによって熱狂的な道徳的高揚のなかで迎え入れられたか、 次いでその心性がたちまち今度は革命とファシズムの熱狂に移 行し、その果てに第二次大戦へと雪崩を打って突入し、莫大な 人命が死の祭壇に捧げられるに至ったという二十世紀前半の悲 劇、この過程の全体に際会した多くの優れたヨーロッパ知識人 は、そこにヤハウエ主義的﹁聖戦﹂思想の悪しき復活と席巻を 見いだし、その批判的克服こそを現代思想の課題として自覚し たという事情を。 私は拙著﹃聖書論Ⅰ 妬みの神と憐みの神﹄で次のことを紹 介 し た 。
︱
た と え ば 先 の 暴 力 論 を 展 開 し た サ ル ト ル は 彼 の 世 代 の ﹁ 聖 戦 ﹂ 体 験 を こ う 回 想 し て い る 。﹁ わ た し た ち は 幼 年 期 と少年期にかけて、聖なる暴力を二度経験しました。一九一四 年には戦争があり、この戦争は正しく、神はわれわれの味方で ある、とわたしたちは教えられていた。一九一七年にはロシヤ 革 命 で す 。︹ 略 ︺ わ た し た ち に は 、 父 親 の 暴 力 が 滲 み こ ん で い た の で す 。︹ 略 ︺ こ の 聖 な る 暴 力 を 内 面 化 す る よ う に 求 め ら れ ていたからです。彼らは実際にそうした、そしてそれにうんざ りし、多くのもの︱
私もその一人でしたが︱
は、その聖な る戦争なるものを聖なる革命によって置き換えるのになんの困 難もなかったのです﹂ ︵傍点、清︶ と 39 。 こうした問題連関がいかに当時の西欧知識人の関心を捉えて いたかを物語るもう一つの代表例は、D・H・ロレンスの﹃黙 示録論﹄である。ロレンスは同書で、キリスト教を構成する諸 要素のなかで古代ユダヤ教の強烈な道徳主義的=革命政治主義 的性格に直結する要素として黙示録的観念を取りあげた。そし て、その現代的賦活をまず第一次大戦において西欧社会を席巻 した﹁聖戦﹂思想のうねりのなかに見いだし、次にその継承者 と し て︱
ま さ に ヴ ェ ー バ ー の 指 摘 し た ﹁ 政 治 的 お よ び 社 会 的 革 命 ﹂ の 指 導 神 と し て の ヤ ハ ウ ェ と か の ﹁ 預 言 者 ﹂ た ち を 髣 髴 さ せ る コ ン テ ク ス ト を 負 っ た︱
レ ー ニ ン な ら び に ム ッ ソ リ ー ニ の 名 を 挙 げ 、 黙示録的観念のそのような現代的な隆起の仕方に強い危惧を表 明 し た の で あ っ た 。 ︵ 参 照 、﹃ 聖 書 論 Ⅱ 聖 書 批 判 史 考 ﹄・ 第 一 章 ﹁ ニ ー チ ェ の イ エ ス 論 ﹂・ ﹁ D ・ H ・ ロ レ ン ス と ニ ー チ ェ と の 異 同 ﹂ 節﹂ ︶ 最後にユングの﹁影﹂の理論についていささか述べよう。 ユングに関してきわめて興味深い点の一つは、その議論がイ エ ス の 思 想 に 関 す る 独 特 な 理 解︱
私 見 に よ れ ば 、 そ れ は グ ノ ー シ ス 主 義 的 理 解 に 非 常 に 接 近 し て い る︱
と 結 び つ い て な さ れ る 点である。 ユングは、イエスが古代ユダヤ教の批判者として出現したこ との意義を次の点に見る。すなわち、古代ユダヤ教が見失いか け て い た 神 ︵ 汎 神 論 的 非 人 格 的 宇 宙 神 ︶ の ﹁ ソ フ ィ ア 的 智 恵 ﹂︱
い う な ら ば 善 と 悪 が 相 互 に 移 行 し 合 う 矛 盾 的 全 体 性 を 、 律 法 主 義 的 に 杓 子 定 規 に つ ま り 善 悪 二 分 法 的 に 生 き る の で は な く 、 善 悪 の 相互 移 行 を 自 覚 す る こ と に よ っ て 彼 我 の 対 立 を 絶 え ま な く 破 局 的 対 立 か ら 融 和 化 ・ 中 和 化 の ベ ク ト ル へ と 転 轍 す る 抑 制 的 な 智 慧 、 お そ ら く 大 拙 な ら ﹁ 中 道 ﹂ の 智 慧 と 呼 ぶ で あ ろ う
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と の 接 続 す る 絆 を 再 興 し た 点 に 。 ユ ン グ は い う 。﹁ イ エ ス は 、 人 類 が 神 と の つ な が り を失って、単なる意識とその﹃合理性﹄へと迷い込むことを防 ぐ ﹂ と 40 。 こ こ で い う ﹁ 単 な る 意 識 と そ の ﹃ 合 理 性 ﹄﹂ と は 、 おのれのなかの︽悪︾とみなす要素をことごとく否定しようと するあまり、それを﹁無意識﹂のなかへと追い遣ることでおの れの﹁影﹂に変えてしまう、キリスト教徒に典型化する﹁道徳 的完全主義﹂に囚われた反省的自我の﹁合理主義﹂的志向性を 指す。 他方、イエス的視点 ︵ユングによれば﹃ヨハネ福音書﹄がイエス の 言 と し て 伝 え る ﹁ 助 け 主 ︵ パ ラ ク レ ー ト ︶﹂ と し て の ﹁ 真 理 の 御 霊 ﹂ が 体 現 す る ﹁ ソ フ ィ ア 的 智 恵 ﹂ の 観 点 ︶ は 、 ユ ン グ に い わ せ れ ば 、 二 〇 世 紀 こ そ が 必 要 と す る 視 点 、 す な わ ち 、﹁ 善 と は 悪 が う ま い こ と 隠 さ れ て い る こ と で あ り 、 悪 と は ︵ そ の こ と を 自 覚 せ ず に 、 清 ︶ 無 意 識 的 に 行 為 す る こ と で あ る ﹂ と 考 え る 視 点 、﹁ 善 と 並 んで悪も考察される時代を、すなわち何が悪であるかがそのつ ど完全に正確に分かっているという疑わしい前提に立って︽始 めから︾悪を抑圧するようなことをもはやしない時代﹂を﹁す でに視野の中に入れている﹂視点、これを先取りするものなの で あ る 41 。 か の ﹁ 汝 の 敵 を 愛 せ ﹂・ ﹁ 裁 く な 、 赦 せ ! ﹂ の イ エ ス の標語が示す反マニ教主義的態度の意義はそう解釈されるべき なのだ。 だ が ユ ン グ に よ れ ば 、 そ の よ う に イ エ ス は ﹁ ソ フ ィ ア 的 智 慧﹂の観点を堅持しようとしたにもかかわらず、むしろ 正統キ 0 0 0 リ ス ト 教 0 0 0 0 は 前 述 の ﹁ 道 徳 的 完 全 主 義 ﹂・﹁ 合 理 主 義 的 迷 妄 ﹂ を も 推進してきたといい得るのであり、この伏流は二〇世紀に至っ て大規模な再興を果たすと見る。ユングは、自己懐疑の不安を 投げ捨て、おのれを頭ごなしに道徳善と正義の化身であると妄 想 し て や ま な い ﹁ 道 徳 的 完 全 主 義 ﹂ が 振 り か ざ す ﹁ 合 理 主 義 ﹂ に つ い て こ う 述 べ て い る 。﹁ 人 間 は つ ね に 、 そ し て ま す ま す 、 彼の心の中の非合理的な事柄や必要物を見逃し、意志と理性に よ っ て す べ て を 支 配 で き る と 思 い 込 み 、 そ の た め に 社 会 主 義 ︵ お そ ら く 無 政 府 主 義 を 指 す 、 清 ︶ や 共 産 主 義 の よ う な 大 規 模 な 社 会政治的な企てについて明瞭に見ぬかねばならないこと・すな わち前者においては国家が、後者においては人間が疎外される と い う こ と ・ を 無 視 で き る と 思 い 込 む 危 険 に 陥 る の で あ る ﹂ と 42 。 こ の 観 点 は ﹃ ア イ オ ー ン ﹄ で も く り か え さ れ て い る 。 そ こでは﹁こんにち独裁国家の強制収容所で起こったこと﹂を指 し な が ら 43 、 こ う し た 所 業 を 引 き 起 こ し た 究 極 の 深 層 心 理 学 的 問題は﹁意識の外にあって意識を育てている根から意識をもぎ とってしまって、意識に対して意識内部にしかない目標ばかり を か か げ る ﹂ と こ ろ の ﹁ 合 理 主 義 的 傲 慢 ﹂ に あ り 44 、 そ の よ うな 態 度 ︵ 無 意 識 的 な ・ 非 合 理 的 な も の の 存 在 と 作 用 を 極 度 に 軽 視 す る ︶ が 無 意 識 化 に 追 い 遣 っ た 自 分 の な か の ︽ 悪 ︾ と 暴 力 の 諸 要 素をひたすらに︽敵︾にこそ固有なものとみなして、相手にな すりつけ、それへの攻撃にいきり立つ
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その自分には無自覚な︱
﹁アンチ・キリスト﹂的暴発へと導いたのだとしている。 この観点から、彼は右の問題の典型的な現れ・表現を﹃ヨハ ネ 黙 示 録 ﹄ の な か に 見 い だ す 。 神 を そ の ﹁ 愛 と 赦 し と 善 の 神 ﹂ の相貌だけにおいて捉え、かくてまたおのれを︽悪︾と暴力の 要素を一分も含まぬ善と愛の精神に横溢した人格に形成しなけ れ ば な ら な い と 考 え る キ リ ス ト 教 徒 的 自 我 は 、 そ の 強 迫 的 な ﹁ 完 全 主 義 ﹂ 的 自 己 理 解 に よ っ て 45 、 か え っ て 逆 説 的 に も 、 そ の無意識の領野・層においてはきわめて攻撃的な︽敵︾憎悪の 心性=欲動をおのれのうちに育む。いま自分を駆り立てている、 ︽ 悪 ︾ を 拒 絶 し 憎 み そ れ と 闘 う と い う 激 烈 な 道 徳 的 な 闘 争 感 情・意志・欲動それ自体が、実は﹁愛と赦しと善の神﹂が闘お う と す る 当 の ︽ 悪 ︾、 つ ま り ︽ 敵 ︾ 憎 悪 の マ ニ 教 主 義 的 心 性 ・ ルサンチマン的心性なのではないか? だが、かかる自己懐疑 を自分の善性を確信したがっているキリスト教徒的自我はまさ に自分から遠ざける。そういう仕方で、無意識の領野・層に追 い遣られた︽悪︾の欲動はかえってますます凶悪化して、それ は実はキリスト教徒的自我に、この自我がおのれの背後にたら す﹁影﹂となって執拗に纏わりつく。 ユングは集団 対 0 集団が構成する社会的場面における﹁影﹂化 さ れ た 欲 動 の ダ イ ナ ミ ズ ム に つ い て こ う 論 ず る 。︱
諸 個 人 の ﹁ 完 全 主 義 ﹂ 的 な 道 徳 的 意 識 の な か で ﹁ 影 ﹂ 化 さ れ た く だ ん の 諸 欲 動 は 、﹁ 集 団 的 無 意 識 の 敵 対 者 像 に よ っ て も 布 置 さ れ る ﹂ に至る、と。つまり、それらは自分自身から疎隔化され、自分 の帰属集団が︽敵︾とみなす相手集団を特徴づける要素へと変 換 さ れ 、 他 者 化 さ れ 、 敵 対 集 団 像 の な か に 投 影 ・ 投 射 さ れ る 。 その︽悪︾は彼ら敵対集団にこそ固有であって、我らにはそも そも存在しないというように。とはいえ、かかる投影・投射は ま さ に ﹁ 影 ﹂ と な っ て お の れ に 憑 き 纏 う 不 安︱
お ま え 自 身 の な か に そ の ︽ 悪 ︾ が あ る こ と の 証 だ と い う︱
を 、 影 を ︽ 敵 ︾ に 投射することでおのれから拭い去りたいからのことだ。かくて、 敵は︽悪︾の化身であり、我らは︽善︾の化身であるとのマニ 教主義的な彼我像が確立する。かかる悪循環が始まるのだ。 そしてこの悪循環こそがチャンスなのだ。いまやおのれのな かに潜む︽悪︾は、自分を︽道徳の騎士︾をみなすキリスト教 徒的自我によって︽正義の仮面︾をあてがわれ、遠慮会釈なく ︽敵︾へと噴出するチャンスを得る。 こ の 逆 説 的 転 換 を ユ ン グ は ﹁ エ ナ ン テ ィ オ ド ロ ノ ミ ー ﹂︵ 反 動衝動機制︶と名づける。彼の言を借りれば、 ﹃ヨハネ黙示録﹄ が提出するキリスト像は﹁まるで愛を説く司祭の﹃影﹄のよう で あ り ﹂ 46 、 そ こ に は ﹁ キ リ ス ト 教 の 謙 遜 、 忍 耐 、 隣 人 愛 や 敵への愛、また天にまします愛の父とか人間を救う息子や救世主 と い っ た 、 あ ら ゆ る イ メ ー ジ の 横 っ つ ら を は り と ば す よ う な 、 お ぞ ま し い 光 景 ﹂、 ﹁ 憎 し み ・ 怒 り ・ 復 讐 ・ 盲 目 の 破 壊 的 憤 怒 ・ の 正 真 正 銘 の 狂 乱 ﹂ が 噴 出 し 、﹁ 無 垢 や 神 と の 愛 の 交 わ り の 原 初の状態へと救い出そうと今まであくせくしてきたこの世界を、 血と炎で覆いつくすのである﹂ 。 47 いささか長くなったが、くりかえすなら、ヴェーバーの﹃職 業 と し て の 政 治 ﹄ も こ う し た ﹁ 聖 戦 ﹂ メ ン タ リ テ ィ ー 批 判 ・ ︽ マ ニ 教 主 義 的 善 悪 二 元 論 批 判 ︾ の 諸 々 の 試 み と 軌 を 一 に し て いるのだ。 しかも、それをユングの議論と対質させた場合、 ﹁心情倫理﹂ の支柱を﹁ 脱 0 世界連関的愛﹂の原理のなかに見るヴェーバーの 観点がユングの観点と或る種の逆説的連関を形作ることが興味 深い。 ︵後述︶ 補注1 ﹁マニ教主義的善悪二元論﹂という用語の使用について 本 論 考 で は ニ ー チ ェ 、 サ ル ト ル 、 ユ ン グ 等 が 批 判 し た 善 悪 二 元 論 的 思 考 を ﹁ マ ニ 教 主 義 的 善 悪 二 元 論 ﹂ と 呼 び 、 そ の 宗 教 的 な 祖 型 を 三 世 紀 に ペ ル シ ャ で 開 祖 マ ニ が ユ ダ ヤ 教 、 ゾ ロ ア ス タ ー 教 、 キ リ ス ト 教 、 グ ノ ー シ ス 教 、 さ ら に は 仏 教 を 混 淆 し て 新 宗 教 と し て 立 ち 上 げ た マ ニ 教 の 二 元 論 的 宇 宙 観 、 す な わ ち 光 と 闇 、 善 と 悪 、 精 神 と 物 質 の 二 元 の 原 理 の 争 闘 と し て 宇 宙 の 諸 現 象 を 説 明 し た 宇 宙 観 に 見 い だ し て い る 。 そ れ は 、 後 代 の 特 に ヨ ー ロ ッ パ で の 議 論 に お い て は か か る マ ニ 教 が 善 悪 二 元 論 的 思 考 の 典 型 ・ 代 表 者 と し て 映 り 、 善 悪 二 元 論 的 思 考 に 対 す る 批 判 が 問 題 と な っ た と き 引 き 合 い に 出 さ れ る こ と が 常 で あ っ た 事 情 を 踏 ま え て の こ と で あ る 。 そ の 点 で 、﹁ マ ニ 教 主 義 的 0 0 0 ﹂ と 形 容 し て 、 た ん に マ ニ 教 を 指 す の で は な く 、 思 考 の 或 る 一 つ の パ タ ー ンを指す用語として使用した。 し か し 、 宗 教 思 想 史 の 文 脈 で い え ば 、 こ の マ ニ 教 の 善 悪 二 元 論 的 思 考 は い わ ば ゾ ロ ア ス タ ー 教 ︵ 紀 元 前 十 世 紀 0 0 0 0 0 0 頃 同 じ く ペ ル シ ャ に ザ ラ ス シ ュ ト ラ を 開 祖 と し て 誕 生 ︶ へ の 先 祖 返 り と し て 生 ま れ た も の で あ り 、 こ の 意 味 で は 善 悪 二 元 論 的 思 考 の 宗 教 的 祖 型 は 何 よ り も ゾ ロ ア ス タ ー 教 に あ る と い わ ね ば な ら な い 。 だ か ら 、 本 論 考 で ﹁ イ エ ス は ユ ダ ヤ 教 の な か に 孕 ま れ る マ ニ 教 主 0 0 義 的 0 0 善 悪 二 元 論 的 思 考 に 対 決 し た ﹂ と い う 場 合 、 宗 教 思 想 史 上 の 正 確 さ を 期 そ う と す る な ら 、﹁ イ エ ス は ユ ダ ヤ 教 の な か に 孕 ま れ る ゾ ロ ア ス タ ー 教 に 由 来 す る 善 悪 二 元 論 的 思 考 に 対 決 し た ﹂ というべきだということにもなる。 ︵何しろ、マニ教の誕生はイエス 以後の出来事なのだから︶ 。以上、誤解なきよう、注記しておく。