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社会統計的認識の問題と特質 : ブリント教授の見解について

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社会統計的認識の問題と特質

iプリント教授の見解について一

一  統計学の本質は古くして新しい問題である。十九世紀前半におけるドイツ大学派と政治算術Uクトレー学派との対抗、 十九世紀中葉より二十世紀初めにかけての形式科学観と実体科学観との対立i統計学史上いく度か統計学の本質は論争        の的となった。しかも最近多くの人々の注目をひいた所謂ソヴェト統計学論争も統計学の本質に関するものであった。こ の論争を契機として東ドイツにおいても討論がくり返され、わが国においても統計学の本質に関する反省が深められつつ    あるコソヴェトの論争を始めとするζれら一連の学問的努力において白上に乗せられたのは、統計学を自然科学・社会科 学の区別なく応用される普遍的方法科学とする数理統計学的傾向であった。そしてこの傾向との対決を通じて社会を対象         とする統計方法の独自的展開が志向されているところに吾々は多大め関心をもつのである。  ところで注目すべきは、西独においても、伺様の問題と志向をもつ一群の学者がいることである。フラスクムパー教授 ︵諄巳囲霧恩暮霞︶および同教授を申心と﹂して学問的に結集する︼団の入塾、これである。       リ  フラスクムパー教授は戦前より社会科学における数理統計学の意義について批判的態度をとりつづけて来た。それば社 会科学的領域における統計方法の独自性を確信するからに外ならない。      ﹁社会統計的認識の問題と特質      二三

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     社会統計的認識の問題と特質       二四         フラスクムパi教授によれば、統計学は一つの方法論的科学口形式科学である。その内容をなす統計方法は自然科学的領 域におけると社会科学的領域におけるとでは原理と構造を異にする。自然科学的領域のそれは大数法則を原理とし確率算 的形式をとり、典型的なものの認識を追求する。この方法は社会科学的領域では適用条件が稀にしか満されぬゆえ応用が 局限されている。しかもこの領域では典型的なものの認識だけでなく純記述的な認識が目標とされる。純粋の記述は自然 科学的領域では典型的なものの認識のための過渡形態として第二次的な意義しかもたぬが、社会科学的領域ではそうでな く、独立の価値をもつのである。かくて社会科学的領域においては統計方法の目標として典型的なものと純記述的なもの とのこ元主義が成立つ。しかして純記述的認識は大数法則や確率算とは何の関係もない。それは一定の事物的老慮を前提 する計数︵国塑冨。ロ︶および計量︵言窪窪︶による。ところで自然科学的対象は本質的に数量化に適するが、社会科学的対象は その根本的性質においては数量化に適しない。数量化は僅かに第二義的側面において可能となるにすぎず、しかも変異的 申聞的形態の広範な存在によって特殊な人工的方法的変形を介してのみ実現する。かくて数理は事物的考慮を通じて成立 し、事物的意昧によって制約され、この制約の上にのみ存在して独立の生命をもつことがないのである。事論理︵ω碧冨。㈹節︶ と数論理︵国憲・巳。σqεとは平行しなければならぬ。これは社会科学的領域における統計方法の全構造を貫かねばならぬ原 則である。この様に見て来ると統計方法は社会科学的領域におけると自然科学的領域におけるとでは非常に相異ることが 判る。社会科学的領域における統計方法は自然科学的領域における統計方法とは別個に確立されねばならぬ。この課題を       ● 果すのが吾々の問題にする統計学であって、この意味においてそれは〃社会統計学〃︵ψON帥跳m“騨け一こ口け一犀︶である。!以上、 フラスクムパi教授の見解は、要するに、形式科学としての統計学︵望彗聾属籍・。隔9ヨ巴Φ宮奮Φ葛。匿ε、認識目標の二元主 義︵∪瓢磐。。耳払蜘霧国島窪暮雪。・N邑。9目禦鉾糞ε、事論理と数論理の平行主義︵国邑一Φ房髪長く。目。。陣鐘。σ。笹目鼠N魯冨垂下一吋︶の 上に立つ社会統計学の独立性の主張と云うことが出来る。

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 近時における数理統計学の発展はめざましく、これにともなってその成果の社会科学的領域への導入の試みが盛んとな り、その部分的成功︵例へば品質管理・標本調査︶が普遍的統計学の思想を強化し社会統計、学の独立性を押し潰すかの如 き状態となった。これに対して、フラスヶムパー教授によって育てられ或はその学問影響を受ける人々、例へばプリント ︵bqO︸隔 国一陣昌蜘︶、 ハルトウィック︵閏Φぎ弓ざぽ国詰寒気︶、 メ.ンゲス︵Φμ馨題目①鶏日︶等の諸氏がフラスクムパー教授を中心と して結集し社会統計学の独立性を守って対決しているのである。  フラスクムパー教授は筆者への私信において、これら一団の人々を﹁フランクフルト学派﹂︵轟き匡霞醇の9巳㊦︶と呼ん でいる。彼らを∼つの学派とすることの当否についてはなお検討を要するゆえここではこれにふれない。ただ筆者はこの 自己称呼に深い感慨を催さざるをえないのである。フランクフルト学派とは、或は彼らの本拠とする土地の名を形式的に とったまでに過ぎぬかも知れぬ。しかしフランクフルト・アム・マインはドイツ統計学と因縁浅からぬ土地である。一八 四九年この地で開かれた国民議会でヒルデブラント︵ヒu.昌昌Φ胃§自一一。。D一iN。。︶らは始めてドイツ統計の統一的編成を要求し た。同市の統計局はベルリン市の統計局と共に最古の都市統計局たる栄誉をになっている。幾人かの著名な統計家がこの 地に関係をもった。ジージェック︵国■凶一No瞠一一〇〇N①1一⑩ωcQ︶は一九一四年より死に至るまでこの地の大学の統計学教授であり その間長年都市統計局の局長を務めた。フラスクムパー教授は大学においても都市統計局においてもジージェックの直接 の後継者である。これらを思合すとフランクフルト学派と云う自己称呼はドノ・ツ統計学の真の継承者かつ展開者たろうと する彼らの自負と気慨を暗示する様に思われる。たしかにこれら一団の人々による社会統計学の独立性の主張はドイツ統         計学の正統的伝統をつぐものであり、また現勢階において新しい運命をドイツ統計学にきり開こうとするものである。  社会統計学の独立性のためにこの学派がとり上げねばならぬ問題はなおいくつもあり、中でも社会統計における法則的 認識および蓋然判断の問題は特別に重要である。記述唇側面については既に多くのことが云われている。しかし法則的認      社会統計的認識の問題と特質       二五

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     社会統計的認識の問題と特質       二六 識および蓋然判断の方法論の展開は今後にまたねばならぬ現状である。しかもこの方面は自然科学的統計方法と相重るこ とが多い。もしこの方面において社会統計学の特殊性が確立されなければ云うところの社会統計学の独立性は根拠を弱め られざるを得ないであろう。  一九五三年ドイツ統計学会︵]9①昌汁。ロOぽ①の↑ゆ註ω獣。脅Oげ①O㊥㊨㊥昌ooO7帥添削︶の年次大会においてフランクフルト学派を代表して行った   .       ⑥ アドルフ・プリント教授︵急逝。罵国ぎ角︶の報告勺驚。ぴ器§o§旨亀手§§§、母蕊自負§恥oN貯、ωぎ鴨軌肋勘魯ごミ自尋§ミミ勉はこの事態 に対処するものであった。プリント教授はこの報告において確率算的手﹁続,の挫外書、計にお,ける意義を聞.題にする。ここに・ 確率算的手続とは、確率算嶋基礎をおぐとごろの、集団現象㊨研究のため0手続を云う碑フラスクムパi教授はボルトキ ヴィソチ︵ピ・<.b﹂。詳眠。<罫二。。cDc。1おω一︶にならって敦。多多駐き馬ミミぎ§なる名を与え、プリント教授もこれを踏襲して しばしばこの名を用いてい炉。算術平均・、これを基礎とする分散の測度・最小自乗法・相関の測度等は本来確率算的手続 としで成立したものであり、・また標本調査法の如き調査捷術もこれで属す。社会統計におけるこれら確率算的手続の意義 を規定するために、この手続の方法的性質を分析するとともに社会統計の性質を吟味し、以上の二つの方向の交叉点にお いて問題の解決を図ろうとするものである。  本稿はこの報告をとり上げる。所説の要点を浮彫にすることによって、フランクフルト学派の見解の特徴を、特に社会 統計学の独立性の主張を明かにしたいと思う。この報告が社会統計学の独立性の展望しつつストカスティッシュな側面、を 就中、斯学における確率論的手続の意義をとり扱う点はフランクフルト学派の理論的前進として興味深い。それはまた、 吾々自身の理論的展開にとっても無意義ではないであろう。所論のもつ欠陥すらも吾々にとっては教訓となる程この側面 の理論的展開がおくれている今日である。更に冒頭に記した、古くして新しい問題、統計学の本質を現段階において、し かも国際的規模において討議する上に無視することが出来ぬことは改めて云うまでもない。以下は報告の要点である。

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 なおプリント教授は、これまでザールブリュッケンの統計局長であったが、昨年フラスケムパー教授の後をついでフラ ンクフルト大学の正教授となった。戦前ジージェソク還歴記念論文集をフラスヶムパー教授と二人連名で編集して吾が国 にもその名を知られていた。ここにとり上げる報.告以外の労作中主なものの題名を次に掲げておく。  ⇔霞Φ帥拶昏無話魯毅鼻け㊤働円く巳霧名田誌号9。聾ロ”自ω鐙田野註ぎ白do罫量09のN鐸弓Uo信愛。冨β宥恕謎臥犀”一⑩ω9  0Q雷鉱。・試ωo冨q湊舘冨冨頃。話魯自旨σq讐∪δの$蝕ω註貯ぽ⇔㊦鼻の魯冨5タ一⑩合・  ⇔霞卜β朝①昌篇賃昌鶴げ霞包9藻曾一〇讐匡爵唐齢魯。国目匿㊦昌ぎ蜘曾σ自誓凱ω江ぎb=σ蔓・望◎b匿げ.層ωωしd働こおお●  臣Φ二二角袖乱爵冒鼻ω目一詳言農画母。ΩoN出藍。。・。gω首邑臣魯露。ワ富蔵ωけ涛一国。諺曾.陶・創.㈹①。。卿白言の酔鎚酔署二一〇。。しd蜘・二〇紹.  ∪器冨目ヨ。巳ω魯①竃一暮卑一昌鋤曾黎鉾一ω鉱ぎb σq■ω漕b弓魯.︸ω¢D︸Wユ・一一綜ド  Uご。・器匡oo9δoげobd巴Φ暮藍u瞬q㊥ωσ自8巨Φ嘗♂魯。β自津3冒ぼqo尾8臥筥嵩おω①βの昏鑑盛。冨ロ。Ω鐙賦の江ドト昌β箪雪d重く①屡穽暮02胃碧げ昼匹の魑    目.ω噛お伊ω. ①国曾内巳Φω讐O。七四江目配犀㊤﹃・。卑冨富δ馬穴障囲。易昏暫鉾蕊α9高野岩三郎訳﹃独立の科学としての統計学﹄昭和一七︵一九四二︶  年︵﹃統計学古典選集﹄︶  b・宮轟雲霞”望鉾お騒ぎ一〇。①N・大内兵衛訳﹃統計学﹄昭和一七︵一九四二︶年.︵﹃統計学古典選集﹄︶  O”伝導目㊥一ぎ層国β平目げ8匡①当朝ψ富訟ω訟ぎ一Q。①N ︵ぎ 閑&①戸β厳島。・9凶ρH・一。。δ︶ 権田保﹁之助訳﹃統計学の理論のために﹄昭和  一七︵一九四二︶年︵﹃統計学古典選集﹄︶  Φ.竃爵♪郵讐溢均斉自昌創O。路房。冨蓉ωδ冨9 H噂日げ8話“器魯①の$試。・舘∬一bβ陣。  お綜.縞馬口中お噛↑ 大橋隆憲訳﹃統計学の本質と方法﹄昭和︸八︵︸九四ミ︶年。なお統計学の本質に就ての諸家の見解の体系的  な概説は ︸富鐸器詳ΦΦ8ぱ。露①層雲ぎ。凱の鐸目貼已㊦警巳閃創田田﹃註。。訟吋二。。。。①⋮自盛。。。ぎ♪Φ昌昌臼Φ。9質昌駒圧電聾騨嶽鼻二⑩器.を参照。 ②ソヴェト統計学論争については、内海庫一郎﹃統計学の対象と方法に関するソヴェト学界の論争について﹄・経済評論・昭和二七  ︵一九五一︷︶年七月号、 ﹃ソ連統計学の動向﹄・統計・第七巻第八号・昭和三一︵一九五六︶年八月、 有沢広己編﹃統計学の対象  と方法﹄・昭和三一︵一九五六︶年・日本評論新社刊、広田純﹃ソヴェトにおける統計学論叢﹄・統計学辞典︵増補版︶.留和三二  ︵一九五七︶年・東洋経済新報社刊、野村良樹﹃ソヴェト統計学会議以後の統計学著作について﹄,経営研究・第二九号・昭和三二  ︵一九五七︶年七月、 経済統計研究会編﹃ソヴェトの統計理論﹄・1・昭和二七︵︸九五二︶年、 皿・昭和二八︵一九五三︶年・  .農村統計協会刊。 社会統計的認識の問題と特質 二七

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社会統計的認識の問題と特質 二八  東トイツにおける展開については、経済統計研究会編﹃東独の統計理論﹄1および皿・昭和二九︵一九五四︶年、大橋隆憲﹃ドイツ  民主共和国における統計理論の推移﹄・統計学・第五号・昭和三二︵一九五七︶年。 ③ソヴェ下の六年間にわたる論争の成果を総決算するために開かれた一九五四年の﹃統計学の諸問題に関する科学会議﹄は決議にお  いて、 ﹁統計学は独立の社会科学.である﹂とし、 ﹁大量的社会現象の量的側面を、その質的側面との不可分の関係において研究し、  場所と時間の具体的諸条件における社会発展の合法則性の量的表現を研究するもの﹂と定義する。,統計学を実体科学的に規定するこ  の見解は、同時に、社会を対象とする統計方法の独自的展開を重要な基礎とみなしている。 ﹁独自の研究対象の性格と基本的特質と  にもとづいて、統計学は研究の特殊な手段.と方法︵大量観察、グループ分け、一般的指標、その他︶をつくりあげるが、これらは全体  として統計学の方法・論を構成する﹂と。︵090唱詔旨国。弓oo8①月雷国国巳国。昌oo旨。昌霞自国雷・ヒロ①自国国誘電留国。匿憲・20・9おU+  o月炉。。Nl。。巳 邦訳・有沢広己編﹃統計学の対象と方法﹄ ︵前掲書︶所収・﹃一九五四年﹁統計学の諸開題に関する科学会議﹂の議  事録・決議﹄ ・二こ七−八頁︶ ④題霧島ヨ篇♪∪器℃8窪①ヨ蜘霞2。δ国曽感気Φ穽ぎ魁霞¢鼠駐㌶銅b目叩聾・b噌。崔こおヒロqこ6n曽ヒd葺轟oqN輝同ピ。。q詩創霞。。琶の慧。。。冨昌  嵩§㊦署霞寅b嵩αq■聾.b辱魯二掛切9;おωごヒd巴魯紳βロ畦q再N勇魚㎞霊園ΩoN巨≦一霧Φ塁。冨登匿ξqΩ計b冠。FMωヒd画こおωω   巴薦①巨㊥ぽoo慶¢鉱ω寓ぎ一bβρお茸博悼b黒﹁おお㌧   なお筆者はこれまでにフラスケムパー教授の見解を次の拙稿で詳述している。 ﹃フラスケムパーにカける社会統計学の構想﹄・彦  根論叢・第﹁四号・昭和二八︵一九五三︶年、 ﹃大量観察と大数観察﹄・経済論叢・第四七巻第五号・昭和一三︵︸九三八︶年。 ⑤ フランクフルト学派の人々の最近.の労作申特に重要なものを挙げると次の如くである。  閲・コ霧貯釦日曉♪ω鐙蔵馨一Fb島σq導§︼︶。暮ω9霞蜀。屡9百目内層ぽ茜.く零Uoo切話自国舞噂一8N匿  卜・⇔d翫ロ戸℃き乞Φ目。胃昌自国一σ∋Φ艮βヨ嵩ぎ蕾諜。昌。。o帆自国鐙試零置魯霞笹葺魯ロ叶巳ω−b=㈹.o壁叶・b月二二ωN・⇔d創ご一8ω・  国・閏頸詳類鐸噂客髄εり老器。。o。ぽ跳岳。冨帥口創。qo巴巴埼一。・麺・呂。。魯縁爵魯㊥ω属目。。酔貯︸国璽麓。劉ゆ9霜曇葺盆0霞目の多ごP⇔⇔q.層お♂● ⑥報告全文力よび9雲切。塁$騨氏執年の討議要旨が学会機関誌缶おΦヨωぎ諺oQ多乙類。。。9ωb器巨メωN切qこおUω.に収載されてい  る。本稿はこれによる。 ⑦三塁惹巨冨5邑茜ω日①ぎ①石Ω㌶野註ぎMb篤いおお■o鹿・ωド大橋腱足利訳・豊般統計学﹄・昭和二八︵一九五三︶年ニニニ頁。 ⑧ヒ⇔。貯鎖①N霞∪窪旨魯窪。Ω蜜銭ω賦ぎおし。9

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 一 社会統計的認識の本質と不十分性

 8 社会統計の特殊性は統計調査に先行する概念構成において準備される。この概念構成は社会統計家にとって特別の 課題となる。統計調査に先行する概念構成が統計家の特別の課題となるようなことは自然科学的統計ではあり得ない。こ の点につき先ず分析が加えられねばならぬ。 ︵匹ぱP零。びざ巨ρ巴黄。。酔’b器犀;ωNbコ2一綜ω.ψ・ωO団●一以下簡単に単数のみを 示すことにする︶  自然科学者は概念構成に当って、対象的なものから出発し、対象に共通の性質を抽象し非本質的性質を捨象するところ の普遍化的方法による。かくして構成された概念は、個別的事例に実現しているや否やを大抵容易に識別することが出来 るゆえ、直ちに統計調査に応用することが可能である。一社会科学者は、具体的な個別事例からではなく、意味関連よ り生ずる特定の観念的表象から出発し、研究対象の意味に関して本質的と信じられるものによって、理想型︵冠。巴貯速︶を 構成して定義とする。ところがこの概念の内容をなす特性は、個別的事例において容易かつ明確に認識することが出来な い。それゆえに統計調査に直接用いることは許されない。かくて自然科学的統計家には問題にならぬ特別の課題が社会統 計家に課せられることなるのである。社会統計家は、統計調査のために特別の概念を構成しなければならない。この揚合 盛は自然科学者と同様に普遍化的方法を用いる。かくて意味関連より展開される概念の代りに自然科学的概念が構成され 統計調査に前提されるのである。その結果は如何? 統計的結果は社会科学者が本来求めるものと乖離せざるをえない。 乖離はこの概念的不一致より必然である。かくて社会科学における統計的結果は常に近似的性格しかもたぬと結論しなけ         ればならぬ。このことは統計利用に重大な意味をもつ。      社会統計的認識の問題と特質       二九

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     社会統計的認識の問題と特質       三〇  概念的不一致より生ずるところのこの乖離および近似的性格がどの程度のものであるかを個々の場合に推定することは 可能である。しかしこれは事物的考慮によるのであって、確率算による訳ではない。確率算はこの二合何の役にも立たな い。 ︵ρωO悼1。。︶  口 社会統計的結,果は調査お、よぴ整理の.過程で生じた誤差を身にまとっている。誤差のうち、特に重視すべきものは組、 織的性質をもつ誤差−組織的誤差1である。その原因としては自然科学的統計で問題になるものだけでなく、更に調 査および整理における概念の説明の不完全、群︵曾口置。︶への調査単位の組入れにあたっての誤り、重複計数と調査洩れ、 被調査者の意識的不正申告、調査員の訓練不足が問題になる。組織的誤差の推定には標本値の標本誤差に関する数学的手 続など全く意昧をもたぬ。相異った調査結果の比較、つき合せ、事物的考察によるより外に仕方がない。  注意深い操作によって組織的誤差をさけることが出来る自然科学的統計では、偶然誤差の確率的規定が重要な意味をも って来る。しかし社会統計では、それは、組織的誤差の確率算的規定が許されぬゆえ、自然科学におけると同様の重要性 をもたないの.である。  社会統計的結果の不十分性を数量的に明確に限定することが、この様に困難であるとすれば、二つの数の湘異が本質的 であるか否かの確率算的検定方式は自然科学的統計における様な効果を発揮することが出来ないであろう。︵oQ●ω0ω一轟︶  日 社会統計の結果は、例えば価格統計におけるが如く、一部少数の調査単位の確認を基礎にしている場合が多い。調 査が拡張され多数の調査単位が観察されたならば個別値が正規分布を示すと仮定し得る場合でも、少数の個別値の!従        って少数の調査単位の確認にもとつく  算術平均は多数の調査単位の確認を基礎にする場合よりも疑わしい。社会統計 的結果の不十分性はこうしたところがらも生ずるのである。 ︵ロQ・ω8︶  ①﹁社会科学における統計的結果は、偶然誤差を無視しても、概念的根拠より常にただ近似的性格しかもたぬ。個々の場合には、そ

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  れがどの程度に設問に合致するかを改めて吟味しなげればならぬ。吟昧なしに経済政策の決定に用いたり、経済理論の研究に結びっ   けたり、経済モデルに代入したりしてはならぬ﹂ ︵︼W一臨躍魁り02● ωOω︶  ②多数の個別値がある場合に算術平均の位置する限界を知ることが出来る。しかしこれは特定の値を当該計算に代入しなければなら   ぬときには余り役に立たぬ。それだけ結果の確実性を失うけれども、極端な値を算術平均の計算より除くか、直観的意味をもつ申位   数を用いるのがよい︵閑獄口創﹁o慶‘ ωOα︶

 二確率算的手続の本質と不十分性

 8 確率算的手続の要素的基礎的な形態は算術平均である。これを基礎にしていくつかの発展形態が見られる。算術平 均およびその発展形態ぱいずれ紅個別値の正規分布︵ζ言巴く①器翠雲︶を前提嵌る。 ところが社会統計においては正規分 布は稀にしか問題にならぬ。董れは社会統計において取扱われる集団が現象規定の一般的原因︵賎σq露㊥ぎΦd話響ぎ目︶から        見て非統一的な集団であることによる。しかも統一的な部分集団への分解が不可能であるばかりでなく、実体的な研究目 標がしばしば﹁集団混成﹂ ︵豊玉・器彊①目一・魯︶に向けられる。 こうしたところがら社会統計では一般的原因から見て非統一        的な集団、従って個別値の非正規分布が正常となる。ところで吾々の問題にする確率算的手続は正規分布を前提する。か くて意馬統計と確率算的手続との闇には間隙があることが判る。一個々の手続形態を一つ一つ検討しながらこの点を具 体的に明かにしなければならぬ。 ︵ωOα一⑩︶

、算術平傷公理魁首償偉︵罫專.5として褒であ寧加え合わすと原数値の合算と管い結果が出る・個別

値が正規分布を示すとき、算術平均は系死の申心点としての性質と典型としての性質を聾つ。標準偏差の計算によって個 別値をこの典型のただ偶然によってゆがめられた像とみなし得る範囲はどれだけかを知ること出来る。しかしこの様な内 容的意味を算術平均がもつのは正規分布の場合に限られる。﹁社会統計では個別値の非対称的分布の繰合が正規で.ある。﹂ かくて社会科学者にとっては算術平均は研究対象について何ら内容的な表示をなすものでないのである。こうした不充分      社会統計的認識の閲題と特質      一一二

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     社会統計的認識の問題と特質       三二 性にもかかわらず社会統計家が算術平均をよく用いるのは、中位数や並数が計算に煩雑なことやそれ以上の計算的利用に 算術平均程うまくあてはまらぬことによる。         ヒ セ ら くこモくギ ユ にだぜ       らトさメマ           標準偏差も正規分布でないときにはすぐれた効用を失う。  所謂最小自乗法によって趨勢線を算出する場合、吾々はこの揚合にも算術平均に立脚七ている。フラスクムパーが嚢う 様に趨勢線は動的な算術平均である。したがってそれが内容的な意味をもっためには算術平均が度数分布において内容的 な意昧をもっために必要とすると同様の条件、すなわち、経験値が趨勢線を中心として、正規分布をすることが必要であ る。更に充分に多数の個別値が得られたならば正規分布をすると仮定し得る場合でも、社会統計では少数の個別値が与え られるのが通例であるゆえ、算出される趨勢線はしばしば欠陥をもつ。  回帰線についても趨勢線についてと同様のことを云うことが出来る。 ︵oΩ.G。OUt㊤︶  口 確率算的手続の本領は数的な蓋然判断にある。数的に示される信頼度において経験値より未経験値の推定がなされ る。吾々はこれを数量的な蓋然判断と云う。算術平均或は回帰線等を中心とする個別値の正規分布が与えられると、現れ 得.べき数値を推知することが出来る。しかし繰返し述べた様に社会統計では正規分布は例外的である。かくてこの確率算 的手続は一正規分布を前提するゆえ一社会統計では一般に用いることが出来ず効果がない訳である。  時系列の揚合は度数分布の聖楽より更に都合が悪い。社会現象は歴衷的性格をもつ。与えられた条件の下でただ一回だ け生ずるものである。それは偶然を含んでいる。しかし自然現象の様に実験を繰返すことによって、偶然を含まぬ、いは ば本質的な数値を明かにすることが出来ず、また本質値を中心とする経験値の分布法則或は偶然の分布形式を知ることも 出来ない。しかもそれらは現れ得べき値を推定するために不可欠である。それらを欠くかぎり確率算的推定は不可能であ る。人々はその勘合概ね正規分布と直線的回帰を仮定する。しかしこれは恣意的な仮定でしかない。要するに確率算的手

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続による現象の推定は断念するより外にない。 ︵oQ﹁ω8一δ︶  日 社会統計において確率算的手続を適用し得ぬと云うことは統計的観察より経験的に推論を誘導することが出来ぬこ とを意味しない。社会統計におけるその手法は数理統計学のそれと根本的に相異するだけである。社会統計における統計 的判断は対象に即した推論の矛盾なき多勢的総合的な体系の構成であり、確実性に近い内的蓋然性︵一類。お≦魯冠・・。匿鑑。げ− 犀葺︶を志向する。それは数量的には規定され得ぬ。確率算とは結びつかぬ。日常生活における蓋然判断と同様に社会統 計における統計的判断は確率算よりも一般的である。 ︵の■ωδ1一︶ ① プリント教授は戦前の労作ロD鐙蝕・・註。・魯㊦d需白銀。昌陶。議簿β昌σ聖において統一的な一般的原因をもつ部分集団への分解の困難を詳論し  いるて。 ︵の富菖。。試犀言回︶。暮器冨暫冨Pこお轟O︶ ② 固器護§娼霞”∪薗。・℃ぎ建①巨幽霞2画。影写鐸冨詳ぼqΦ弓ロD蜜試ω註ぎ匿置.oDけ●b尾翼.”お⇔dq.=紹O幽 ③算術平均の補償機能︵国忌瞼印“N隔目口犀什一〇︼ρ︶を重視する所はフラスケムパー教授を継承している。フラスケムパー教授は云っている  一﹁﹄藁蕎5・卜⋮⋮この関係には大きな事論理的意味がある。すなわち、算術平均の補償機能である﹂︵固器冨百篇♪≧茜Φ巨Φ一ロΦ  己ロ富註の鉱﹃鱒b島 oΩ・一〇一.訳書一〇一頁。 ④プリント教授は云う一標準偏差によって正規曲線の二つの二曲点が位置づけられる。この轡曲線は系列の典型よりの相異が全く        ダ  非本質的な範囲の限界を直観的に示すものとして重要である。 ︵︼W一一βΩ噌 OD. ωON︶ ⑤ こう云う場合には、算術平均についてなした註記と同じ主旨で、極端な値を除くか、中位数的な趨勢線を算出するのがよい、と教  授は考へている。 ︵⇔﹂一一昌創讐oD.ωOc◎︶ ⑥﹁一系列の時間的に継起する現象の場合に各個の現象が相異る原因的条件の下に生ずるならば、反覆測定を何回もすることは特に  大事である。個々の値は椙互独立と見なし得ないし、それゆえに分布法則も現実の回帰も反覆実験の方法によってしか知ることが.出  来ぬからである。しかし反覆実験が統計的研究対象の歴史的性格によって排除され、確率算的分析はその分布法則の認識なしには不  可能だから、吾々は概ね単純に直線的回帰と正規分布から暴発する。この恣意的な仮定は蓋然性が少い。時間的に継起する個別値は  社会科学的領域では内的に互に結合しており、とり出し.た玉を元﹂にもどす単純は壷遊びのシェーマに一致しないだろうから。吾々が 社会統計的認識.の問題と時質‘ 三三

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     社会統計的認識の問題と特質       三四   当該分布法則を知らぬと云うこと、実験によってこれを知ることも、実験が吾々の研究対象の歴史的性格によって排除されるゆえ、   出来ぬと云うことによって、確率算的分析は社会科学的統計では根本的な困難に逢着するのである。﹄ ︵一W一一昌q︸ o慶. ωOq⊃1一〇︶    プリント教授は次の如き例をあげている。1例えば、鉄道走行粁の数字と支出人件費の数字が何か年間か平行的に示されるとす   る。両者の関係を一定の数式にまとめること・が出来る。この数字は実際に観察された期問に対する、全くの偶然を含んだ記述でしか   ない。走行粁程の変動に対応する人件費支出の変動を正確に数量的に推定することを許すものではない。そのためには如何なる偶然   限界内で、人件費支出が振動するかを走行粁程の変動毎に明かにされねばならぬ。この分布法則の確定が確率算的手続応用の条件で   ある。

 三社会統計における確率算的手続の意義

 確率算的手続は社会学的領城ではただ例外的にしか効果的に利用されえない。自然科学的統計家に大変閤に合う様に社 会統計家にも役立つと考えてはならぬ。自然科学的統計学におけるが如く妊会統計学の方法体系の根幹をなすなどおよそ 思いもよらぬことである。しかしそうだからと云ってこれを無視することは完全に誤っている。吾々は冷静でなければな らぬ。確率算的手続の特殊な条件と直観的意味を正しくつかまねばならぬ。そして個々の貫合に当面する社会統計的活動 の特殊な問題と性質に応じてこの方法がどの程度効果を発揮し得るかを判定しなければならぬ。この観点から事態を検討 するに、総合して大体女の三つの揚合をあげることが出来よう。 ︵q慶●ωδ1噛︶  ω 確率算的手続応用のために必要な前提を統計家自身が作り出し得る揚合。これは最も好都合な場合である。例えば 標本調査において任意抽出によりくじ引と同様の状態を作り出し標本結果より母数を推測する場合がこれにあたる。  回 正規分布を前提する手続がその適用条件を欠き統計家もそれを作り出すことが出来ぬけれども、しかしそれぼど厳 格な適用.条件を必要とせず、それほど正確な結果に導かぬ他の手続によることが出来るか、或はその様な他の手続を立て ることが出来る勘合。こう云う手続として算術平均でなく並数による方法を示すことが出来る。社会統計家は手続を実際

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的所与の条件に順応させることに努力しなければならぬ。  ㈲ 偶然の作用について何事も知ることが出来ぬために確率算的手続適用の条件が全く存在せぬ場合。多く見られるク ースである。この場合には数的な蓋然判断は断念しなければならぬ。しかし経験と事の脈絡より数的でない蓋然判断を導 き出すことは可能である。ただし判断誘導の、規則はまだ十分に整備されておらぬし、そのために実際に価値の多い結果は 厳密な方法的手続よりも堪能な統計家の直観に負うている。社会統計家は、事情によっては、事物的に根拠のある、互に 関連し合い支持し合った考察と推論によって1数的に定められぬ  高い確実性をもつ蓋然判断に到達することが出来 る。そして社会統計学の当面の課題はかかる推論の誘導に適する手続を実際的に組織的に発展させ教え得るものにするこ とである。 三  プリント教授が社会統計学の独立性を展望しつつ斯学のストカスティッシュな側面との関係において確率算的手続の意 義を問題にしたことは、フランクフルト学派の理論的展開の上で重要な意味をもつ。教授のもたらした結論は確率算的手 続が社会科学的領域においてもつ意義の著しい制約性であった。教授は云っているi﹁確率算的手続は社会統計におい         てはただ例外的に効果的に応用され得るにすぎないし、それゆえに社会統計の方法の基礎と云うことが出来ない﹂と。所         論は、本筋において、かってフラスクムパー教授が定式化したものと同じである。しかし特に現段階における状勢を考慮に 入れて所論は一般と広くかつ具体的となっている。そして社会統計における蓋然判断が確率算的手続とは別の形式で行わ るべきことを指示することによって、社会統計学の独立性の主張は一歩前進したと云うことが出来よう。社会統計的認識 の特殊の聞題と特質についてこれまで多かれ少かれ一般的に云われて来たことより一歩出ようとした教授の意向は実現し      社会続計的認識の問題と特質       三五

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     社会統計的認識の問題と特質      三六           たと云わ.ねばならぬ。  しかし教授の所論には問題がない訳ではない。社会統計における蓋然判断は如何になさるべきかの問題について、教授        

の述べるところは余りにも抽象的であると云わねばならぬ。それだけではない。無二,綾、義,隣寡,一

独立性.の論証.に・おける教授の手法にはいくつかの難点がある様に思われる。  教授は、紐会統計の方法毬社会科学.言書淡呂.せず、、自然科学的、方法きする。このことは社会統計調査に前提される概念 を自然科学的概念と見ることや次の所論.からも明かである。報告後の討論において教授は述べている一﹁載る程度まで         自然科学的な手続を吾々は統計において、しかもストカスティクにおいてのみでなく、統計の全分野で用いる﹂社会統計 の方法は、教授によれば、明かに自然科学的方法である。社会科学的方法ではないのである。しかもなお社会統計学の独 立性を主張するのはどう云うことであろうか。社会統計学の独立性は社会科学的認識との統一一・いわば統︼の強化の方 向1にお・いてこそ主張さるべきものではないであろうか。なお、社会科学的概念と社会統計的概念との不一致、社会科         学的認識と社会統計的結果との不一致の強調、不可知論的結論は問題である。  第二に、社会統計の方法は、これを自然科学的方法とみるならば、その点において確率算的手続と異るところがなくな り、共に社会科学的認識にとっては外的なものとなる。両方法の相異は社会科学的認識に対してどれだけ適応性をもつか における量的相異に帰着することになる。両方法の対立はいまや質的なものではなく量的ものとして吾々の前に立現れる。 i社会科学的認識と社会統計との統一が破られる半面、社会統計の方法ど確率警語手続との対立はぼやかされるのであ る。1所論の進行にともなってこの状況が成立した。確率算的手続に対する教授の所説はこの状況においてとらえられ ねばならぬ。所説に若干微温的なものがあるのも当然である。特に、確率算的手続を出来るだけ祉会統計の中に組み入れ ようとする努力。  ともあれ、教授の態度は、次の言葉にも示される様にせいぜい批判的態度以上には出ないのであ

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る。i﹁私は確率算の応用と斗う者では決じてない。反対である。⋮⋮私が努力しているのはただ確率算的手続の適用       ⑦ に必、要な条件を検討解明し、正しいと思われる場合にのみこの手続が用いられる様にすることである。﹂  これら一連の問題点のよって来るところはどこにあるか。一つには社会科学的認識を意味関連.において展開される認識 活動とみる薪カント派益主観的立場をあげることが出来よう。いま一つはフランクフルト学派の主張するところの、事論 理と数論理の平行主義と云う、方法の批判選択に終始する態度をあげることが出来よう。これちについては別の機会に詳 論する。ここではただ次のことを附記するにとどめよう。社会統計学の独立性は社会科学的認識との不可分の統一におい ての社会統計独自の方法の具体的展開の中に求められねばならぬ。 、 ①︼W=邑閣甲。駕窪Φロ巳国一σq窪窪巨ぎ鼻直径ωo臥餌巨蝕。。試。。萎萎申ぎ壽↑ログ邑蒔。。骨b窓rωN切9GqQ.G。ご● ②コ霧罫厳建5∪δoΩ雷賦馨一閑日ロq蟄。。O㊥ωΦ齢画霞鷺。。。ω魯N警ざ詳卜冒σq・oΩ戸b尾魯’二①bd自・”お嫡●   拙稿﹃大量観察と大数観察﹄・経済論叢・第四七巻第五号。 ③曽ぎP暫.穿○二〇Q●ωOド ④社会統計における蓋然判断の方法論的規定には、先ず何よりも社会法則の性質と構造、それの具体的実現のメカニズムの分析が前  提されねばならぬ。しかして社会法則の一般的規定は社会科学の理論に外ならぬゆえ、社会科学の理論が社会統計における蓋然判断  の方法論的規定の基礎におかれねばならぬ︵個々の実際的な蓋然判断においてもそうである︶ ⑤b⇔。蕩♂鼻帥・即○ご。。・ω伊U● ⑥ これまでに何人かの学者が統計的概念と社会科学的概念との不一致を問題にした。例えばジージェックは後者が統計調査のために  不十分であると主張する。 ︵O日野昌曾認噺曾ω蜜募菖吋讐Pb島r一露ω”ψ①①︶  しかし問題のとり上げ方は技術的たるこ.とが多いの  に対して、プリント教授はこれを社会統計的認識の基本的性格にかかわらしめていることに注意しなければならぬ。   社会科学的概念と社会統計的概念との不一致より社会統計的結果が社会科学的本来的問題設定に充分答え得ぬと云う不可知論的結  論が引き出される。もっともプリント教授は両者不一致の克服の努力がなされねばならぬことを主張して云っている:i﹁社会統計  学の決定的な特質は社会科学的問題設定と自然.科学的領域上の手続によっ.て展開された。それゆえに本質的に異なる概念との間の溝  をうめる試より生ずる。﹂ ︵切註ロP℃胃。菖①日ρ勲勲O二口α●ωお︶ ⑦ゆ自器鼻勲欝Oこの■ωα伊 社会統計的認識の問題と特質 三七

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