• 検索結果がありません。

初期ブルーノ・バウアー純粋批判の歴史的位相 -近代の揚棄と大衆批判に関する考察を中心にして

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "初期ブルーノ・バウアー純粋批判の歴史的位相 -近代の揚棄と大衆批判に関する考察を中心にして"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Title. 初期ブルーノ・バウアー純粋批判の歴史的位相 −近代の揚棄と大衆批 判に関する考察を中心にして. Author(s). 田村, 伊知朗. Citation. 北海道教育大学紀要, 人文科学・社会科学編, 59(1): 45-53. Issue Date. 2008-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/927. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第59巻 第1号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(HumanitiesandSocialSciences)Vol.59,No.1. 平成20年8月 August,2008. 初期ブルーノ・バウアー純粋批判の歴史的位相 一近代の揚棄と大衆批判に関する考察を中心にして. 田 村 伊知朗 北海道教育大学函館枚(政治学研究室). EinleitungzurForschungtlberdiereineKritikdesjungenBrunoBauer. ZusammenhangzwischenderAufhebungderModerneundderKritikanderMasse TAMURA Ichiro. DepartmentofPoliticalScience,HakodateCampus,HokkaidoUniversityofEducation. 要 旨 ブルーノ・バウアーの純粋批判は大衆の変革によって,社会的現実態を変革することを指向しない。社会 変革によって,近代を超克する時代を構想するのではない。普遍性を基準にするかぎり,批判理論は,近代 が産出した実体としての大衆との接点を喪失する。近代の自己意識は,歴史的現実態によって産出された大 衆から生じるのではない。自己意識が現実化される対象としての大衆という現存在形式から,自由の自己意 識に代わる新たな自己意識が形成されるのではない。大衆という社会的実体と自由な自己意識が和解不能な 二元論として対立している。. Ⅰ ヘーゲル左派研究史における純粋批判. 近代哲学史及び近代思想史において,ヘーゲル左派という思想集団が前世紀において初めてその全体像を 臆であれ現わした。ヘーゲル左派がヘーゲル哲学解釈史においてだけではなく,思想史全体において何らか の意義性を持っていることは,思想史研究者において共有されてきた。しかし,19世紀後半においてほとん ど看過されてきたその思想は,一世紀以上経過した今世紀においても未だ総体として解明されていない。哲 学的な人間了解と世界了解に関するこの学派の統一性と全体像は今世紀においても確定されていない。ヘー. ゲル左派という思想集団の集団的境界と特定思想家内境界は,未だ明らかになっていない。ヘーゲル左派の 周辺とされた思想家群に関する研究,たとえばルーテンペルク,マイエン,ブール等に関する研究は,19世 紀,前世紀においてほとんど解明されていない。彼らの主著のいくつかがヘーゲル左派に関する一般的体系 書において触れられるだけであり,ブールに至ってはその死の年月すら明らかになっていない。その全体像 が曖昧なままであり続けている原因として,以下のことが容易に挙げられるであろう。 第一の原因は,ヘーゲル左派という思想集団がマルクス,エンゲルス,ルーゲ,そしてフォイエルバッハ. 45.

(3) 田 村 伊知朗. 等の中心的思想家に限定されて了解されていることである。ヘーゲル左派研究の意義づけが,マルクス,エ ンゲルスの思想形成過程という限定された観点からなされたからである。ヘーゲル左派とは社会主義を基礎. づけた哲学者と,彼らと密接な関係にあった思想家のみに限定された。これによるヘーゲル左派に関する読 書界における偏りは多くの論者が指摘している。ここではこの点に触れるだけに留めておこう。 第二の原因は,最も著名なマルクス,エンゲルス,フォイルバッハを含めたヘーゲル左派の哲学者が大学 とアカデミーという講壇哲学から排除されていたことである。彼らは,「ジャーナリズム的哲学者として特. 徴づけられる。その特有な伝達手段は定期刊行物である」。1ヘーゲル左派の思想家は大学とアカデミーの講 座継承によって,その学問的承継が後世まで保障されたヘーゲル左派以外の学派構成員とは異なっていた。 たとえば,ケーニヒスペルク大学においてカントが占めていた哲学講座は,その死後数百年経過した現在に おいても,カント研究者によって継承されている。その講座継承者は,カント哲学の体系化と精微化を学問 的目的の一つにしていた。それに対して,青年ヘーゲル派の社会的存在形式はジャーナリズムであり,その 直接的な哲学的継承は困難であった。彼らにはその学問的な公式の後継者は存在しない。彼らの著作の多く. は,日々消費される事柄に関わり,必ずしも体系化を志向していたわけではない。また,その論稿は無数に あり,当時からそのすべての論痛が確定されたいたわけではない。匿名,変名で善かれたものも多い。ヘー ゲル左派という思想集団が現代と同様に,彼らが現実に活動していた19世紀中葉においても確定されていた わけではない。. 第三の原因は,前世紀初頭から1930年代において,マルクス主義だけではなく,社会変革運動が世界的に 勃興したことによって,この思想に関する関心が増大したことが挙げられる。この時期,人間的理性に従っ て新たな社会を形成しようとする思想が知識層だけではなく,労働者,商工業経営者,農民等の大衆的な社 会階層にも拡大した。ドイツ,イタリアそして日本のファシズムですら,大衆運動という形式に基づき,近 代社会を超克しようとした。大衆運動を媒介にすることによって,人間理性が現実化されるという信仰が一 般化していた。もちろん,人間理性の具体的内容に関してこれらの運動には様々な差異があった。しかし, 人間理性が実現可能であるという点において差異はなかった。. このような近代社会に対する異議申し立てが高揚するにしたがい,その運動に対する理論的基礎づけが必 要になる。運動を理性によって基礎づけ,運動を拡大する必要があるからだ。その過程でマルクス,エンゲ ルスを含めたヘーゲル左派という思想運動体が着目される。彼らがヘーゲル歴史哲学に基づき,近代の潜勢 力に依拠して近代の超克を思想的に意義づけようとした。近代が到達した自己意識に従って,近代社会を再 構築しようとした。このような研究目的にしたがって,ヘーゲル左派の諸思想のうち,近代の揚棄を主張す る傾向に研究関心が集中していった。ヘーゲル左派のこれ以外の潮流に関する研究,とりわけ近代の揚棄の 不可能性に関する研究は看過されがちであった。. この前世紀初頭から1930年代までのヘーゲル左派研究史に関しては別満で詳細に述べているし,類書も多. 数あるのでここでは割愛する。2しかし,この研究とそれを支えた社会運動もそれ以降の帝国主義戦争によ る社会の混乱,戦後処理の問題のため中断を余儀なくされる。また,ナチス・ドイツが思想と哲学研究をナ チス的なものへと一元化したことによって,彼らの許容範囲を超えた研究への弾圧につながった。とりわけ,. ドイツ本国が戦争の主要舞台になったことにより,研究条件の基礎を支える生活基盤がほぼ壊滅してしまっ た。思想研究もまた,人間の一般的再生産過程に依存しているかぎり,その衰退も当然であろう。研究,と りわけ基礎研究は図書館,公共的アルヒーフでの資料渉猟が整備されて初めて成し得る。それへの社会的な 接近可能性がほぼ消滅したからだ。. 前世紀前半の社会的混乱も1960年代には戦前の水準を回復し,それを凌駕する研究水準にまで上昇する。 とりわけ,1960-1970年代が初期近代と後期近代の分水嶺になり,初期近代における最後の光菅が見られる。. 46.

(4) 初期ブルーノ・バウアー純粋批判の歴史的位相. 社会変革一般への社会的承認は後期近代においてほぼ消滅するが,近代が到達した理念に従って社会を再構 成しようとする社会意識が最後に高揚した時期であった。 この時期のヘーゲル左派研究も,もちろんマルクス,エンゲルスの思想形成過程の研究という視座からな された場合も多い。その観点から最高峯とされる研究がコルニューの初期マルクス,初期エンゲルスの思想 形成過程に関する研究業績,『マルクス,エンゲルス伝』であり,そしてその実質的共同研究であったメン ケの『マルクス・クロニック』であることは,ほぼ承認されているであろう。3この二つの著作がマルクス, エンゲルスの思想形成過程の研究の最高峯を形成した。これらの業績は初期近代の最後の段階における最高 の業績であった。しかし,研究が高度化することによって,その新たな展開が拓けてくる。コルニューとメ ンケの業績は,マルクス,エンゲルスの思想形成過程の研究をその主要目的に掲げているが,その業績が占 めている大半の分量は,ヘーゲル左派の研究から構成されている。表題ではなく,内容から考察すれば,コ ルニューの業績が「ヘーゲル左派伝」であり,メンケの研究は「ヘーゲル左派・クロニック」である。両者 の研究は,ヘーゲル左派研究の独自の意義を検証する跳躍台になった。それは,ヘーゲル左派研究の中心が マルクス,エンゲルスから他のヘーゲル左派へと移行する契機になった。 本稿において主題となるバウア一研究においても,現存した社会主義の哲学的基礎づけから解放され,そ の自立的意義が強調された。バウアーはマルクス,エンゲルスの思想形成過程の与件から,その独自の意義 を持つ思想家として移行する。その独自の意義を顕揚する研究者として,レマーマン,メールハオゼン,コツ ホ,レットガース等が容易に挙げられる。4これらの研究業績によって,初期ブルーノ・バウアーの自己意 識の哲学が19世紀中葉の思想史において定位された。マルクス,エンゲルスとは異なる視角から近代の揚棄 を探究しようとした。ブルーノ・バウアーをマルクス,エンゲルスの思想発展における克服すべき対象と考 える研究者は,もはやいないであろう。 にもかかわらず,これらの研究は自己意識の哲学を顕揚しただけに終わり,自己意識の哲学に対する批判 から出現した純粋批判の哲学史的意義づけに成功していない。純粋批判を具体的に展開した『一般文芸新聞』, 『北ドイツ新聞』5ならびに18世紀の独仏啓蒙主義批判に関する文献,すなわち『18世紀の政治,文化,啓蒙』, 『ナポレオン支配下のドイツとフランス革命の歴史』6等において展開された近代主義批判に関する研究は ほとんどなされていない。1844年から1848年までに展開された純粋批判の哲学はほとんど看過されている。 マルクス,エンゲルスの共著『神聖家族』によって直接的批判の対象になった純粋批判は,ヘーゲル左派の 根源的思想,つまり理論の社会的実践性を批判した。これは社会思想史という学問体系が前提にしている自 己了解と矛盾する。それは,理論の現実化をほぼ断念した後期近代における思想につながる。 このような研究史を踏まえて最近,バウアーの純粋批判期の研究にとって画期的な業績をトンバが行っ た。7本箱は一連の彼の業績に基づきながら,純粋批判をドイツ三月前期という初期近代において位置づけ ることを目的にしている。この作業はまた,トンバだけに依拠しているのではなく,間接的には前世紀初頭 から中葉にかけてその死に至るまでブルーノ・バウア一研究に従事したパルニコルの業績にも依拠している ことをここで触れておこう。8彼のほぼ半世紀に渡るブルーノ・バウア一研究は現在その全貌がアムステル ダム国際社会史研究所に保存されている。彼の研究に対して,ほとんどトンバは言及していないが,本稿は 彼の研究業績に依拠しており,それにどれだけ付け加えることができるのかを課題にしている。. Ⅱ 純粋批判と大衆批判 本稿は,このような前世紀におけるパルニコルと今世紀におけるトンバによるバウア一研究業績に主とし て依拠しながら,初期ブルーノ・バウアーの純粋批判の哲学を初期近代の思想史において位置づける。その. 47.

(5) 田 村 伊知朗. 前碇条件としてバウアーの自己意識の哲学,ヘーゲル左派の哲学一般について述べてみよう。とりわけ後期 近代に明らかになるように,近代社会は目的合理的な諸下位システムから構成されている。この社会におい て,人間,社会,自然等を総体として把握しようとする試みは,社会的承認を得られない。後期近代におい て,「総体的な世界に関する学問的に確保された認識は不可能である」。9この認識は,後期近代において支 配的になる。 このような傾向は後期近代に始まったものではなく,初期近代においても形成されつつあった。ヘーゲル 左派の思想は,この後期近代に支配的になる思想に対する初期近代における対抗運動として了解される。こ の運動は,古典哲学,とりわけヘーゲルを中心にした観念論哲学が自明の前碇にしている体系の全体性と閉 鎖性が放棄される傾向に対する反動である。ヘーゲル左派一般,そして1843年までのブルーノ・バウアーの 思想はこの対抗運動に属していた。「青年ヘーゲル派の特徴は,哲学を純粋アカデミックな規律というゲッ トーに押し込めることに対抗して,前近代に保持していたその機能を反動的に再獲得しようとした」。10ヘー ゲル左派の哲学の課題は,生活実践のために哲学を再構成することである。しかも,分節化された個別的人 間生活ではなく,人間の生活実践一般に対する哲学の再構築を目的にしていた。 ここでは近代の時代精神である自己意識としての哲学と実体的世界との分離が前碇にされていた。バウ アーも近代世界における理念的世界と現実的世界との二元論を前碇にしていた。「現存する人間の混乱は, 精神と世界,主観性と客観性,理念性と現実性,彼岸と此岸,天上と地上との対立に基礎づけられる。・・・ 相互に対立する二重化された生活,つまり内面性あるいは天上における真実的であるが,しかし非現実的な 生活と,地上的な外在的存在における非真実的であるが,しかし現実的生活を送らねばならない」。11ヘー ゲル左派,そしてバウアーは,この二元論的生活を歴史的に構成された自己意識にしたがって一元化しよう とする。非理性的現実は自己意識にしたがって揚棄される。その手段が批判である。批判という手続が媒介 されることによって,現存在の仮象性が洞察され,対自化される。自己意識に対応した歴史段階が形成され るはずである。 この自己意識の哲学は,1843/44年を分水嶺として純粋批判に移行する。純粋批判において,中核的な批 判対象として設定される社会的実体が大衆である。この大衆の哲学的性格づけに関して,バウアーは以下の 二つの立場を揺れ動いている。一方の立場は,大衆の現存在形式の批判を通じて,大衆の変革を目的にする。 この大衆と自己意識との陥穿を埋めることによって,新しい歴史段階が形成される。他方の立場は,それ以 前の批判理論の前提になっていた大衆の変革可能性が放棄されている。完成された理念としての普遍的自己 意識と,それと矛盾する現実態との完全な二元論が構成され,一元化されることはない。純粋批判において バウアーはこの二つの立場を揺れ動いている。純粋批判において,前者は例外的であり,後者が中心的役割 を果たす。後期近代において問題になるのは,後者である。 まず,前者に触れてみよう。大衆批判によって,新たな歴史段階,すなわち自由国家が形成されるという 期待を表明している場合もある。「我々は,未だ自由国家において生活していない。しかし,我々は万人に 自由国家を導出することを望む。この国家を確実に導出するためには,この国家がその成員に設定している 義務を果たさねばならない」。12批判という手続を通じて,「政府による現実的関係への支持し難くかつ実現 不可能な企図によってもたらされている混乱が,解消される」。13批判理論によって,現存在における混乱 が解消され,その仮象性が万人に明瞭になる。新たな歴史段階が形成される。批判の中核対象が大衆になる ことによって,大衆が普遍的自己意識の水準に到達する。大衆が,近代の自己意識の水準に高められること によって,自己意識の水準に高められた歴史段階が形成される。これが自由国家である。「歴史段階は,既 存のものを批判することによってその都度到達した段階から離反し,自己自身を弁証法的に揚棄する場合に のみ進化する」。14現存する社会的実体,つまり大衆を批判することによって,未来において自由国家が建. 48.

(6) 初期ブルーノ・バウアー純粋批判の歴史的位相. 設されるはずである。. この新しい時代の形成と大衆の陶冶形成が同一のものとして把握され,自己意識に対応する新しい時代を 形成するために,大衆の変革が課題になる。これが,批判理論による大衆批判の中核である。「より良い未 来を導出するためには,‥・大衆が変革されねばならない」。15大衆の変革こそが,あらゆる社会的,政 治的変革にとって中核である。自己意識を具現化した少数の批判家によって,多数の大衆はより高次の水準 に高められる。 近代社会の主体が大衆としてしか形成されえない以上,その変革こそが批判理論の課題になる。批判理論 において大衆がこのような設定されているかぎり,純粋批判は,青年ヘーゲル派の一般的概念規定,すなわ ち「青年ヘーゲル派は,・・・人間をつねに歴史過程の成員とみなし,歴史的理性とそれに対応する政治的 行為から最終王国の実現を目的にしていた」,16と矛盾することはないであろう。 他面で大衆批判がその媒介項を欠く以上,社会的実体を批判理論から排除するという結果をもたらす。大 衆が近代の自己意識の水準に高まらず,大衆の揚棄が不可能になる。大衆という存在形式が近代の必然であ るかぎり,その揚棄不可能性は近代の揚棄そのものの不可能性と同義になる。大衆の変革可能性を放棄し, 近代の揚棄そのものの不可能性を主張する立場において,大衆は,「国民の下層だけではなく,・・・自己 欺瞞あるいは錯誤表象に囚われている人間である。その精神的怠惰ゆえに,そのときどきの状況に関して明 白な評価ができない人間である。端的に言えば,意識的あるいは無意識的に精神的進歩に敵対し,批判の意 義と自己意識の哲学に敵対するものである」。17ここでは,大衆と批判理論は対極的に位置づけられている。 なぜ,このようなバウアーの大衆に関する性格づけが可能であろうか。 まず,バウアーのフランス革命における大衆に関する考察に依拠しながら,その歴史的位相に触れてみよ う。中世における人間は,血縁共同体,地縁共同体という自然的紐帯に拘束されていた。中世社会は人間の 自然的紐帯に基づいて階層化された社会であった。それに対して,近代における大衆という存在形式は自然 的紐帯の解体から必然的に生じた。近代社会は個人を共同性から自由にし,すべての自然的紐帯を解体し, 万人を純粋な原子へと解体した。近代は,「類の個々の原子への分割であり,個人を,これまで分離してい るが,結合させている多様な関係へと設定してきた特殊な制限の解体である」。18個人はこれまでの特殊性 から解放され,普遍的人間へ自己を高めることができたかにみえた。「フランス革命は,国民生活における 封建主義的限界を廃棄した」。19身分的特権を排除したので,人間は近代的自由を獲得した。少なくとも, 近代はこのような意識を獲得した。自由な主体,人権もまたこの意識の産物である。意識において人間は個 人へと解放された。 大衆は,この中世から近代へと移行する革命期に新たな自己意識を形成する際に大きな役割を果たした。 なぜ,大衆がこの移行期において新たな自己意識を形成する主体たりえたのか。「大衆はその非拘束性ゆえに, 特殊な行為利益,産業的ならびに商業的利益を持っていなかった」。20大衆は,近代革命期において実体的 利益を目的にして行為したのではない。バウア一によれば,自己意識を形成する媒介としての役割を果たし た国民大衆は,歴史形成能力を有した主体であった。大衆によって新たな歴史段階が形成され,彼らによっ て自由が近代の自己意識として形成された。大衆と対照的にブルジョワ,すなわち市民階級は「新しい歴史 段階のために巨大な力を持つはずにもかかわらず,犠牲的行為,理念への熱狂を持っていなかった。彼らは その中間的利益のために献身した」。21彼らには近代の自己意識を形成するための歴史的能力が欠けていた。 形成された近代において,大衆も市民階級と同様に自己の特殊利益に囚われている。近代の自己意識が自由 として定立された以後,大衆が形成される。 人間は,中世における被規定性,被制限性を克服したにもかかわらず,すぐさま別の形式の被規定性,被 制限性的関係に入る。近代革命は,人間を意識において解放しただけではない。身分的制限性から解放され. 49.

(7) 田 村 伊知朗. た個人は,それ自体として現実態において自由な個人になったわけでない。諸特権から解放された原子的個 人は,個別的民族の統括化へと移行する。平準化された個人は,国家のもとに包摂される。「普遍的従属と 独裁は,フランスの歴史に限られたことではなく,原子化された大衆を組織するためには不可避的結果であ る」。22このような大衆は被支配者としての国民意識に捉われている。国民として現象することによって,「国 民大衆の大衆性は,彼らが特殊かつ反復的活動と労働に限定される」。23大衆性を統合するものとして,支 配と被支配の関係が現われる。. 近代社会において大衆が存在している。この社会的存在は,近代の自己意識と矛盾する現実態である。「概 念に従うかぎり,現実態は学問的に矛盾し,錯誤した現実態である。その結果,現実態は自己自身と矛盾す る。現実態とそれに対応する概念が自己において矛盾する」。24この矛盾は,概念に対応した現実態の変革 を伴わないかぎり,別の思考様式を必要とする。それが純粋批判である。批判理論がどのように大衆を批判 しようとも,大衆という存在形式が解消されるわけではない。批判理論が大衆という存在形式を現実態にお いて発見した段階では,理論は現実態としての大衆に対して直接的に実践的であった。しかし,理論が普遍 性を独占すれば,この実践的関係は余計なものになる。批判主体と批判客体との無関係性が宣言される。現 実態は普遍性をすべて剥奪された絶対的非理性であり,普遍性を独占する批判理論と無関係になる。概念と 矛盾する現実態からすべての普遍性が剥奪され,概念として自己意識に普遍性が付与される。「バウア一見 弟は,否定的なものにおいて肯定的なものを確定することをしない」。25テーゼは,アンチテーゼによって 完全に否定されねばならない。否定的と見なされた大衆に対して,普遍性が付与されることはない。普遍性 を独占する自己意識は,大衆を否定の対象としてしか設定できない。「新しい社会は,新しい人間から共同 的に再構成される。‥・新しい人間は,古い人間の完全な否定,つまり無から生じる」。26新しい社会を 構成する新しい人間は大衆からではなく,大衆との関係を切断した別の類型の人間から生じる。後者は,自 己意識の水準に到達したとされる批判者である。「批判家のみが歴史を導き,形成した。批判家が,歴史的. 過程の無意識の前碇を解明し,無意識的対立を意識的対立にする」。27批判家の課題は,近代社会における 絶対的な非理性的存在として大衆を描くだけである。自己意識の生成は,大衆批判,社会的実体の批判から ではなく,時代の産物ではない。それは個別思想家から出現する。 ブルーノ・バウアーは,自己意識の普遍性を制限している現実態という規定性から解放された哲学を構成 しようとする。すべての規定性から解放された哲学,純粋批判である。「批判は対象自身において考察する。 真理は,対象に固有の矛盾を示す批判である」。28もはや,批判による大衆の存立形式の変革,つまりヘー ゲル左派を規定してきた社会的実践性が放榔されている。 社会的実践性を放棄したブルーノ・バウアーの純粋批判は,近代における大衆をどのように性格づけるの であろうか。その意義をマルクスと比較することによって考察してみよう。周知のように,マルクスによれ ば,プロレタリアート つまり労働者は生産労働を通じて,類的生活を送る。「人間は対象的世界において 類的本質として確証される。生産は人間の活動的な類的生活である。・・・労働対象は人間の類的生活であ る」。29人間が人間になるためには,労働をしなければならない。労働する人間,すなわちプロレタリアー トが近代世界を総体として揚棄する。プロレタリアートが階級として形成されることによって,近代はその 理念にしたがって再構成される。マルクスの理論の真正性は,近代におけるプロレタリアートの意義づけに 依存している。このような理論はバウア一によって政治的啓蒙と称され,彼らは「大衆,つまり原子の塊 を‥・カルトと信仰の対象にしようとする」。30バウアーは大衆,あるいはその規定された存在形式とし てのプロレタリアートを理論の内に取り込まない。批判理論は,社会的対象に没頭し,特定の社会的対象に 依拠することはない。アーレントによれば,「マルクスがプロレタリアートとみなした労働以外の何物も持 たない人間,そこに未来があるとマルクスが確信していた点」31こそが,理論の真正性を社会的実体に求め. 50.

(8) 初期ブルーノ・バウアー純粋批判の歴史的位相. ることである。プロレタリアートはここで強固なドグマ化されたカテゴリーになっている。この錯誤をバウ. アーは回避する。社会的な実体的関係を変革するために,その意識を変革するのではない。批判は「不自由 であるという自由を不自由者に与える」。32批判理論は,普遍性を維持するために「和解的であろうと,対 立的であろうと世界への関係を切断しなければならない」。33現存社会の主体である大衆は,国家に包摂さ れているかぎり,普遍的自己意識に到達しない。大衆が国民として国家に統合されているかぎり,宗教性に 囚われている。. この国家と宗教,両者の基礎にある宗教性に関して,エトガー・バウアーが明白に述べている。「国家と 宗教は同一の人間の心情状態に基づいて樹立されており,相互に依存している。一方は他方の鏡像である。 教会は国家的に組織された信仰態であり,国家は教会的に組織された社会である」。34この国家概念はブルー ノ・バウア一によって批判の対象になるキリスト教国家のみならず,近代国家そして近代以降のすべての形 式の国家に妥当する。キリスト教国家のみならず,すべての形式の国家がキリスト教的なのである。すべて の国家はその基礎に,キリスト教それ自体とは区別された意味での宗教的契機を持つ35。 大衆がこの宗教性に捕われているかぎり,大衆が近代の自己意識に到達することはない。大衆が現実態に おいて自由になることはない。大衆批判によって,「批判が普遍的自由を実現できると考えていたのではない。 バウアーの批判は,理性の現実化の問題に関与しない」。36バウアーは大衆の変革によって,社会的現実態 を変革することを指向しない。社会変革によって,近代を超克する時代を構想するのではない。普遍性を基 準にするかぎり,批判理論は,近代が産出した実体としての大衆との接点を喪失する。「精神の真の敵は, 大衆に求めねばならない」。37近代の自己意識は,歴史的現実態によって産出された大衆から生じるのでは ない。それは,ヘーゲル左派的,あるいはヘーゲル的定理,つまり自己意識の現実化は超越的ではなく,歴 史的現実態との弁証法的関係から形成されるという定理から逸脱する。自己意識が現実化される対象として の大衆という現存在形式から,自由の自己意識に代わる新たな自己意識が形成されるのではない。大衆とい う社会的実体と自由な自己意識が和解不能な二元論として対立している。それは,近代社会の二元論一般と 関連している。この意味に関して,別稿ですでに詳細に論じている。38. Ⅱ 小 措 これまでヘーゲル左派的な歴史意識,自己意識の社会的実体における現実化という定理を前碇にしつつ, 大衆という社会的実体と近代の自己意識との関係を問題にしてきた。近代社会の必然性としての大衆的存在 形式と,近代によって導出された自由の意識との闘争の問題でもあった。 近代精神史一般という観点からすれば,このブルーノ・バウアーの純粋批判における大衆批判の問題は, どのような意義を持っているのであろうか。もちろん,近代の時代認識一般に関する議論は,後期近代では その設定すら不可能である。39学問的論文が近代精神一般を論じることは学問という領域から逸脱してしま う。このような試みの不可能性を認識しながらも,近代思想史総体を記述しようとした試みもあるが,永遠 に未完のままである。40この壮大な試行はアカデミズムの領域において承認されることをほぼ断念してい る。アカデミズムは厳格な意味での研究史的考察を前碇にしつつ,その欠落を埋めることを目的にしている。 近代精神一般に関する考察は,その研究史という課題を設定するだけでも困難である。 にもかかわらず,近代思想史においてあたかも特定の思想家の思想が近代思想を代表するかのごとく論じ られてきた。この断絶を埋める媒介はどこに存在するのであろうか。特定の思想家の特定の思想段階によっ て近代思想一般が論じられないとするならば,バウアーの純粋批判,そして大衆批判も,近代精神が持つ無 限に多様な側面のうちの一側面を照射したにすぎないであろう。「純粋な真理は,・・・有限な理性にとっ. 51.

(9) 田 村 伊知朗. て到達不可能である」。41近代精神史一般への試みは,その不可能性にもかかわらず,今後もまた追求され てゆくのであろう。. 1 W.Bunzel:Form-undFunktionswandelderPhilosophieimVormえrz.Sozial-,medien-undkommunikationsgeschicht- 1icheAspektedesJunghegelianismus.In:Hrsg.Ⅴ.L.Lambrecht:EntstehendesOfEentlichen.EineanderePolitik.Frank- furta.M.u.Berlin2007,S.17. 2 田村伊知朗『近代ドイツの国家と民衆一初期エトガー・バウア一研究(1842-1849年)』新評論,1995年,8-10頁参照。 Vgl.Ⅰ.Pepperle:JunghegelianischeGeschichtsphilosophie.Berlin1978,S.228f. 3 Vgl.A.Cornu:KarlMarxundFriedrichEngels.LebenundWerk.3Bde.Berlin1954-1968;W.M6nke:(unver6fEentlicht). KarlMarxChronik.1843-1845.1972u.1985.後者は,ベルT)ン・ブランデンブルク科学アカデミーに保管されている。 4 Vgl.G.Lammermann:KritischeTheoIogieundTheoIogiekritik.DieGenese derReligion-undSelbstbewusstseins- theorieBrunoBauers.Mtlnchen1979;J.Mehlhausen:Dialektik.SelbstbewusstseinundOffenbarung.Diss.Bonn1965;L. Koch:HumanistischcrAthcismusundgcscllschaftlichcsEngagcmcnt.BrunoBaucrskritischcKritik.Stuttgart1971.;K. R6ttgers:KritikundPraxis.ZurGeschichtedesKritikbegriffsvonKantbisMarx.Berlin u.NewYork1975. 5 Vgl.Hrsg.v.B.Bauer:AllgemeineLiteraturZeitung.Charlottenburg1843-1844;Hrsg.v.B.Bauer:Norddeutsche Blatter.EineMonatsschriftftlrKritik,LiteraturundUnterhaltung.Berlin1844. 6 Vgl.B.Bauer:Geschichte derPolitik,KulturundAufklarungdesachtzehntenJahrhunderts.Fortsetzung.Deutschland WえhrendderZeitderFranz6sischenRevolution.2Bde.Charlottenburg18431845;B.Bauer:GeschichteDeutschlands undderFranz6sischenRevolutionunterderHerrschaftNapoleons.2Bde.Charlottenburg1846. 7 Vgl.M.Tomba:KriseundKritikbeiBrunoBauer.Frankfurta.M.u.Berlin2005. 8 Vgl.E.Barnikol:BrunoBauer.StudienundMaterialen,auSdemNachlassausgewahltundzusammengestelltvonP. ReimerundH.M.SaLLAssen1972;E.Barnikol:DasentdeckteChristentumimVormえrz.BrunoBauersKampfgegen ReligionundChristentumundErstausgabeseinerKampfschrift.Zweite,WeSentlicherweiterteAuflage,besorgtv.R.Ott. Berlin1989. 9 L.Lambrecht:PluraleGeschichte?In:Hrsg.Ⅴ.M.Pltimacher.u.Ⅴ.Schtlrmann.u.S.Freudenberger:Herausbildung Pluralismus.Frankfurta.M.u.Berlin2000,S.114. 10 W.Bunzel:Form-undFunktionswandelderPhilosophieimVormarz,a.a.0,S.15. 11H.Stuke:Philosophie derTat.Studienzur”VerwirklichungderPhilosophie“beidenJunghegelianern undden WahrenSozialisten.Stuttgart1963,S.165. 12 B.Bauer:VerteidigungsredeBrunoBauersvordenWahlmannern desviertenWahlbezirkesam22.2.1849Berlin.In: E.BarnikoIsunvcr6ffcntlichcsQucllcnmatcrialzuscincr BiographictlbcrBrunoBaucr.IntcrnationalcsInstitutftlr Sozialgeschichte,Amsterdam,S.1. 13 Ebenda,S.3. 14 K.Liうwith:DieHegelscheLinke.Stuttgart/BadCannstatt1962,S.32. 15 M.Lange:DerJunghegelianismusunddieAnfえngedesMarxismus.Diss.Jena1946,S.148. 16 Ebenda,S.157. 17 D.Herzt-Eichenrode:DerJunghegelianerBrunoBauerimVormarz.Diss.Berlin1957,S.102. 18 B.Bauer:Judenfrage.Braunschweig1843,S.2. 19 B.Bauer:WasistjetztGegenstandderKritik?In:AllgemeineLiteratur-Zeitung,a.a.0,H.8.1844,S.209. 20 B.Baueru.E.Bauer:DenkwtlrdigkeitzurGeschichtederneuestenZeitseitderFranz6sischenRevolution.Bd.10. Charlottenburg1843,S.42. 21Ebenda,Bd.9,S.7. 22 M.Tomba:KriseundKritikbeiBrunoBauer,a.a.0,S.181. 23 B.Bauer:DieGattungunddieMasse.In:Hrsg.Ⅴ.B.Bauer.AllgemeineLiteratur-Zeitung,a.a.0,H.10.S.43. 24 K.R6ttgers:KritikundPraxis,a.a.0,S.199.. 52.

(10) 初期ブルーノ・バウアー純粋批判の歴史的位相 25 K.Rosenkranz:KritikundPraxis.K6nigsberg1847,S.32. 26 K.R6ttgers:KritikundPraxis,a.a.0,S.210. 27 Ebenda,S.205. 28 E.Barnikol:BrunoBauer,derradikalsteReligionskritikerundkonservativsteJunghegelianer.In:DasAltertum.Bd.7. H.1.Berlin1961,S.48. 29 K.Marx:Okonomisch-philosophischeManuskripteausdemJahre1844.In:MEW.Bd.40,S.517.(真下信一訳「経済学・ 哲学草稿」『マルクス・エンゲルス全集』第40巻,大月書店,1975年,437頁)。. 30 B.Bauer:DieGattungund dieMasse,a.a.O,S.43. 31H.Arend:KarlMarxandTheTraditionofWesternPoliticalThought(unver6ffentlicht)1953.(佐藤和夫編訳『カール・ マルクスと西欧政治思想の伝続』大月書店,2002年,63頁)。. 32 B.Bauer:DasentdeckteChristentum.EineErinnerungan das18.JahrhundertundeinBeitragzurKrisisdesNeun- Zehnten.Ztlrichu.Winterthur1843.Neuausgabe:E.Barnikol:DasentdeckteChristentumimVormarz.Jena1927,S.270. 33 M.Tomba:KriseundKritikbeiBrunoBauer,a.a.0,S.164. 34 E.Bauer:DerStreitderKritikmitKircheundStaat.Charlottenburg1843,S.265. 35 Vgl.ebenda,S.203. 36 M.Tomba:BrunoBauer.DialektikdesIndividualismus.In:Hrsg.Ⅴ.L.Lambrecht:Entstehen desOfEentlichen,a.a.0, S.42.. 37 B.Bauer:DieGattungunddieMasseGattung,a.a.0,S.3. 38 田村伊知朗「初期ブルーノ・バウアー純粋批判研究序説一後期近代における時代認識との連関において」『北海道教育 大学紀要(人文科学・社会科学編)』第58巻第2号,2008年,27-37頁参照。. 39 田村伊知朗「初期近代における世界把捉の不可能性に関する政治思想史的考察一初期カール・シュミット(Karl Schmidt1819-1864年)の政治思想を中心にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』,第55巻第2号,2005年, 73-80頁参照。. 40 Vgl.P.Kondylis:DasPolitischeundderMensch.Bd.1-3.Berlin1999-.. 41W.G.Jakobs:PluralismusundWahrheit.ZuBeweggrtindenneuzeitlicherPhilosophie.In:Hrsg.Ⅴ.M.Pltlmacher.u.1v Schtlrmann.u.S.Freudenberger:HerausbildungPluralismus,a.a.0,S.205.. [付記]本研究は,平成19年度日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(C),課題番号:19530166)による研究成果の一部. である。. Verfasser:Ichiro Tamura. Prof.Dr.phil.geb.1958inJapan(Bezirk:Kagawa).ProfessoranderPadagogischenHochschulezuHokkaido.Themati- scheSchwerpunkteundVer6ffentlichungen:ZurpOlitischenPhilosophie(Junghegelianismus,insbesondereEdgarBauer, KarlNauwerck,KarlSchmidt)undzurpolitischenTheorie(Wohlfahrtsstaat) E.Mail:tamura@hak.hokkyodai.ac.jp (函館校教授). 53.

(11)

参照

関連したドキュメント

政策上の原理を法的世界へ移入することによって新しい現実に対応しようとする︒またプラグマティズム法学の流れ

まず, Int.V の低い A-Line が形成される要因について検.

行列の標準形に関する研究は、既に多数発表されているが、行列の標準形と標準形への変 換行列の構成的算法に関しては、 Jordan

について最高裁として初めての判断を示した。事案の特殊性から射程範囲は狭い、と考えられる。三「運行」に関する学説・判例

このように、このWの姿を捉えることを通して、「子どもが生き、自ら願いを形成し実現しよう

 

太宰治は誰でも楽しめることを保証すると同時に、自分の文学の追求を放棄していませ

 親権者等の同意に関して COPPA 及び COPPA 規 則が定めるこうした仕組みに対しては、現実的に機