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中国の「恵台政策」と対峙する台湾社会 (特集 蔡英文政権の成立と台湾政治の今後)

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Academic year: 2021

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全文

(1)

中国の「恵台政策」と対峙する台湾社会 (特集 蔡

英文政権の成立と台湾政治の今後)

著者

川上 桃子

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

254

ページ

8-9

発行年

2016-11

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00018764

(2)

アジ研ワールド・トレンド No.254(2016. 12)

8

特 集

蔡英文政権の成立と

台湾政治の今後

 「

  中国は長年にわたり、台湾統一 工作の一環として「ビジネスをも っ て 政 治 を 囲 う 」( 以 商 囲 政 ) 戦 略 を 展 開 し て き た。 そ の 手 法 は、 中台間の経済的な結びつきの深ま りとともに、変化を遂げてきた。   一九九〇年代から二〇〇〇年代 前半にかけて、中国による台湾へ の働きかけの主な対象は、中国に 進出した台湾企業とそのオーナー ら( 「 台 商 」) で あ っ た。 中 国 は、 台湾系企業に 「同胞」 としての様々 な 優 遇 措 置 を 与 え た。 「 台 商 」 た ち は そ の 庇 護 へ の 見 返 り と し て、 台湾の選挙の際に大挙して帰国し、 中国共産党の「友党」となった国 民党に投票する姿をアピールした り、メディアに登場して中国が望 むような発言をするなどして、中 国への協力姿勢を示してきた。   二〇〇〇年代半ば以降になると、 中国による働きかけの対象は、台 湾住民へと広がった。特に、二〇 〇 八 年 に 国 民 党 が 政 権 に 復 帰 し、 両岸関係が急速な改善に向かうと、 中国は、台湾への観光の解禁、台 湾産の農産品や電子製品・部品の 買い付け等に乗り出した。このよ うな中国による台湾への経済的利 益の供与を通じた政治的取り込み 策は「恵台政策」と呼ばれる。   し か し、 こ の「 恵 台 政 策 」 は、 二〇一四年春に起きた「ひまわり 学生運動」と、これに続く台湾政 治の変動によって、大きく挫折し た。 本 稿 で は、 「 恵 台 政 策 」 の 事 例をいくつか紹介し、二〇一六年 の政権交代後の新たな動きについ ても論じる。

 国

  二〇〇〇年代半ば以降、中国が 「 恵 台 政 策 」 の 実 施 に あ た っ て 重 視してきたのが、中小企業、中南 部、中下層所得者の「三中」であ る。 「 三 中 」 は、 中 国 が「 台 商 」 経由ではアクセスできなかったグ ループであり、民進党の支持基盤 とも重なっているからだ。   台南市学甲区で二〇一一年から 五年間行われたミルクフィッシュ (虱目魚)の中国向け契約養殖は、 「 三 中 」 向 け「 恵 台 政 策 」 の 典 型 例である。その経緯は以下のとお りであった。   二〇一〇年夏、台湾社会の草の 根に深く分け入るという任務を帯 びて、台湾農村部を回っていた中 国国務院台湾弁公室(国台弁)の 鄭立中・副主任が、地元有力者の 招きで学甲を訪れ、ミルクフィッ

中国

﹁恵台政策﹂

対峙

台湾社会

シュの養殖業者たちと座談会を持 った。出席者らは、不安定な市況 に悩まされていること、中国向け の契約養殖が実現すれば、収益の 安定化が見込まれることを語った。 これがきっかけとなり、翌年から、 国台弁の仲介により、中国側の大 手食品事業者が買い手となり、一 〇〇~一五〇戸の学甲の漁民から、 養殖コストに一定額を上乗せした 価格でミルクフィッシュを買い取 る契約養殖が始まった。   この取引は、国台弁の幹部が主 導し、民進党の強固な地盤である 台南地域で行われたこと、それま での果物や電子部品の買い付けと は異なり、継続的な取引であるこ となど、いくつもの点で、従来の 方式から一歩踏み込んだ「恵台政 策」として、広く注目を集めた。   しかし、この取引は、二〇一六 年に中止された。直接の原因とな ったのは、寒波の影響でミルクフ ィ ッ シ ュ の 稚 魚 の 価 格 が 高 騰 し、 中国側の買い取り価格では割が合 わなくなったことだ。しかし、よ り大きな要因は、後述する「ひま わり学生運動」以降の台湾政治の 情勢変化により、中国側がこの利 益供与策への関心を失ったことに あろう。また、中国側の食品業者 05_特集.indd 8 16/11/02 11:17

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9

アジ研ワールド・トレンド No.254(2016. 12) が、中国の消費者になじみの薄い ミルクフィッシュの買い付けに乗 り 気 で は な か っ た こ と も 響 い た。 「 恵 台 政 策 」 の 実 験 と し て 始 ま っ たこの取引は、政治的有効性を示 すことができないまま、頓挫した。

 「

  馬英九政権が発足してまもない 二〇〇八年、中国は、かねてより 台湾側から要望があった観光ツア ーの訪台を解禁した。翌年には個 人旅行者の訪台も解禁された。   中国は、自国民の海外旅行の行 き先や人数を厳しく管理している。 このようななかでの台湾への観光 客 の 送 り 出 し は、 「 恵 台 政 策 」 と し て の 明 確 な 意 味 を 持 っ て い た。 中国人観光客の数は、二〇一五年 に四二〇万人に達し、来台者数の 四割を占めた。特に、海外からの 観光客が多くなかった南部や東部 の観光業にとって、台湾一周を基 本パターンとする中国人団体ツア ーの急増は、特需をもたらした。   しかし、この「恵台政策」は諸 刃の剣でもあった。二〇〇九年に 高雄市の映画祭で、亡命ウイグル 人組織の指導者に関するドキュメ ンタリー映画が上映された際には、 中国人団体客の高雄での宿泊が大 量に取り消され、観光業者らが高 雄市に上映を中止するよう圧力を か け る と い う 出 来 事 が 起 こ っ た。 さらに、今年一月の選挙結果を受 けて、中国は訪台観光客の人数を 削 減 す る 動 き に 出 た。 今 年 七 月、 八月の中国人観光客の数はそれぞ れ、昨年比で一五%、三二%の減 少 と な っ て い る。 九 月 半 ば に は、 台湾の観光業者たちが街頭デモを 行い、苦境を訴えた。

 ひ

  このように、中国の恵台政策は、 二〇一六年の民進党政権の成立を 機に曲がり角を迎えた。この政権 交代の起点となったのが、二〇一 四年三月のひまわり学生運動であ った。   この運動の衝撃は、中国との経 済交流の帰結に対する台湾の人々 の意識を大きく変えた。運動に結 集した若者たちの「両岸交流によ る経済利益は、中国と結託した台 湾の一部の大企業や政治家によっ て 独 占 さ れ て い る 」「 中 国 と の 経 済統合により、若者が低賃金や失 業問題に直面するようになってい る」という訴えが、社会的な広が りを獲得し、馬英九政権期に進ん だ中台交流の深化に急ブレーキを かけることとなったのである。二 〇一四年の統一地方選挙で、国民 党は惨敗を喫した。さらに二〇一 六年の総統・立法委員選挙で、民 進党への政権交代が起きた。   こうして、中国が一〇年近くに わ た っ て 続 け て き た「 恵 台 政 策 」 は、ひまわり学生運動を契機とす る台湾政治の地殻変動により、大 きく頓挫した。

 中

  政権交代後、中国は、右で述べ た動きのほか、台湾の私立大学が 経営面で依存するようになってい る中国人留学生の数を削減するな ど、様々な圧力をかけている。   このような「懲罰」は、台湾社 会に一定の動揺を引き起こしてい る。しかし、中国のこのような行 動は、選挙直後からある程度予想 されていたことでもある。総じて いえば、台湾社会はこれを、中国 への過度の依存が引き起こした反 作用として冷静に受け止めている ようにみえる。   他方、過去十数年にわたる「恵 台政策」が頓挫したとはいえ、中 国の「ビジネスをもって政治を囲 う」対台湾統一戦略が緩むことは ない。 九月半ばに国民党系の八県 ・ 市の首長が北京を訪れた際、中国 側はこれら県・市向けの経済交流 策を示した。また、ひまわり学生 運動の後、中国の働きかけの新た な重点対象になっているのが、台 湾の若者たち、特に起業を志す若 者たちだ。   昨 年 三 月、 李 克 強 首 相 は、 「 台 湾の若者の中国での創業を歓迎す る」と述べた。中国各地の地方政 府は、競い合うように、台湾の若 者に対して渡航費や生活費の支援、 気前の良い優遇策を提供し、誘致 に力を入れている(参考文献①) 。   しかし、このような政策が、果 たして台湾の若い世代の心をつか み、対中観を変えることができる ものだろうか。台湾海峡を挟んだ 利益、思惑、アイデンティティー の戦いは、その主戦場と手法を変 えて、新たな局面を迎えている。 ( か わ か み   も も こ / ア ジ ア 経 済 研究所   技術革新・成長研究グル ープ) 《参考文献》 ① 「招聘740萬台灣青年」 『商業 周刊』一四九六号、二〇一六年 七月、七〇―一〇〇ページ。 05_特集.indd 9 16/11/02 11:17

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