Title
観光による農業振興の可能性の検討−読谷村の基地跡地
利用問題と糸満観光農園の挫折から考える−
Author(s)
圓田, 浩二
Citation
沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of
Humanities and Social Sciences(14): 53-62
Issue Date
2012-03-10
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/9643
沖 縄 大 学 人 文 学 部 紀 要 第 1 4 号 2 0 1 2 <論文>
観光による農業振興の可能性の検討
一読谷村の基地跡地利用問題と糸満観光農園の挫折から考える−
園田浩二') 要 約 2011年の3月11日以降,私たち日本人は,「食の安全」という問題を突きつけら れている。本稿では,沖縄の農業の可能‘性を,観光という面から考えることを目的と している。取り扱う問題は,沖縄において,観光と農業との両立は可能かという問題 である。事例としては,糸満観光農園と読谷村の基地跡地利用問題の二つを取り扱う。 結論としては、沖縄において,観光と農業との両立の可能‘性は難しく、3.11とTPP問 題を抱える沖縄農業にとって、「ユイマール」に代わる農業コミュニティか、農を軸 とした人々の連携のシステムが必要であると結論づけている。 キーワード:沖縄,農業,観光農園,基地の跡地利用,ユイマール I 問 題 の 所 在 2011年の3月11日以降,日本は大きく変わった。変わらざるを得なかった。東北地方を襲 った地震と津波,そして原発の事故が変えてしまった。そして,人々の認識,社会の見方まで 変わってしまった。原発事故を人為的ミスではないと公言した東京電力や,当初メルトダウン の可能性を否定していた原子力保安委員,水素爆発か核爆発(暴走)かいまだ議論のわかれて いる福島原発3号機の爆発,情報を統制し,小出しに事実を認めていった政府,それに追随し た新聞・テレビなどのマス・メディア,これらは日本人における社会への「信頼」の問題を大 きく揺るがした。 そして,原発事故問題はいまだに解決していない。今もメルトダウンが続き,福島原発から 大量の放射能物質が流れ出ている。放射能汚染は,食品,カロエ品,飼料,肥料,廃棄物を通し て,日本全士に放射能汚染をまき散らしている。日本最南端県,福島原発から約1,800キロ離 れたここ沖縄にも,表面化しただけでも,汚染された肉牛,和牛を飼料としての藁,堆肥の流 入という形で,放射能汚染はやってきている。 福島の原発事故は,あらためて,私たちに「食の安全」問題を突きつけてくれた。沖縄のス ーパーでは,日本人の主食である米は,この時期よく見られた福島・栃木,宮城などのブラン ド米が姿を消し,西日本産に置き換わっている。 沖縄の産業の「3K」と言う言葉を聞いたことがあるだろう力も基地,公共工事(建設業, 観光である。在沖基地は現在縮小傾向にあるが,その経済効果は沖縄の県民所得4兆円のうち, 1兆円(25%)以上になるという試算もある[樋口2011p.62-63]・公共工事に関しては, 2011年10月における約1,550億円(年間ベースで12倍とすると,1兆8600億円)で全国20 位,その9割が国の補助金でなされており,沖縄県は,その道路,港湾,公共施設が全国的に も最も整備された県となっている。ちなみ,他の都道府県の補助金率は5割である。また,沖沖縄大学人文学部紀要第14号2012 縄県が政策として掲げている観光産業の経済規模は2010年度約4,000億円である。いかに,い まだ沖縄が基地と公共工事に大きく依存していることがわかるだろう。 沖縄の在沖米軍基地問題は,暗礁に乗り上げている普天間基地移設問題を除けば,順調に返 還されている。2014年には,キャンプ・キンザー(270ha)の返還が予定されている。今,沖 縄の,在沖米軍基地を抱えている地方自治体の頭を悩ませている問題は,基地の返還後の跡地 利用問題である。例えば,読谷村は,返還された土地の一部に,ショッピングセンターと住宅 と公園を作り,地域活性化を行おうことを決定している。しかし,沖縄の中・北部の地域に同 じような光景ができあがるのは,各自治体にとって,それほど上手な解決策とは言えない。シ ョッピングモールと住宅,公園を作って,人を呼び込むという発想が安易すぎるからである。 その理由は,一時的には人々の関心を呼び,人とお金を集めることができるだろうが,5年後 や10年後には廃れていく姿が容易に想像できるからである。 そこで,本稿では,今伸び悩んでいるとされる観光産業に注目し,その解決策を,県の政策 ともなっている中国人を中心とした外国人誘致にではなく,観光と農業という視点から考えて みたい。 Ⅱ沖縄における農業の現状と,発展の可能性 2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震と,それに起因して発生した福島原発事故 (以降「3.11」と記述)は,「食の安全性」の問題を,放射能汚染だけでなく食品添力吻や農 薬・薬品の問題にまで,人々の関心を高めてくれた。沖縄の特徴はその亜熱帯性気候にあり, 四季がない点にある。沖縄には冬がないため,年中耕作地を利用できることにある。 『農業関係統計」によれば,2005年度の沖縄県における農家率4.9%,総世帯数488,368戸の うち,総農家数24,014戸である。また,2006年度,沖縄県の総生産39,227億円のうち,第一 次産業で733億円分の生産を計上し,そのうち農業546億円となっている。 そして,農家の現状は次のようになる。2005年度,経営耕地面積侵家が経営する耕地面積 =所有耕地のうち貸し付け耕地と耕作放棄地をのぞき,借り入れ耕地を加えたもの)が26,517ha あり,耕作放棄面積(農家が所有している耕地のうち,過去1年以上作付けせず,しかもここ 数年の間に再び作付けする考えのない耕地の面積)が3,240haある。沖縄県の農業産出額は, 2007年に930億円であり,そのうち耕種(土地を耕して,種や苗を植えること)558億円であ る。内訳は野菜118億円,パインアップル16億円,サトウキビ181億円,工芸作物222億円と なる。生産農業所得は総額465億円となる。2007年,農作物別の内訳を見てみると,上位5位 の内訳は,1位サトウキビ181億円(19.5%),2位肉用牛162億円(17.4%),3位豚Ill 億円(11.9%),4位菊101億円(10.9%),5位鶏卵46億円4.9%)となる。下位5位の内 訳は,6位以下では,6位葉たばこ40億円(43%),7位生乳37億円(4.0%),8位にがう り24億円(2.6%),9位マンゴー23億円2.5%),10位パインアップル16億円(1.7%)と なる。 上記の作物別売り上げで注目したいのが,1位のサトウキビ,4位の菊,8位のにがうり, 10位のパインアップルである。沖縄において,「サトウキビは,日本本土の稲作と同様に風土 に適した基幹作物であって,琉球王朝以来,「キビ+イモ+ブタ」の生産体系を基軸としなが ら推転してきた」[杉原,1994,25]とされるように,延々と続くサトウキビ畑は,沖縄の風 景の一つになっている2)。 しかし,「さとうきび・製糖業は我が国産産業政策の一環としての農業政策により保護・青
回 田 : 観 光 に よ る 農 業 振 興 の 可 能 性 の 検 討 一 読 谷 村 の 基 地 跡 地 利 用 問 題 と 糸 満 観 光 農 園 の 挫 折 か ら 考 え る − 成政策」[比嘉,2002,150]とされているように,膨大な補助金がサトウキビの買い上げの際 にかけられている。これは,沖縄のサトウキビにかけられる特別な助成金であり,沖縄の「復 帰独立支援法」によって,買い上げ価格の8割を補助金に頼っている。他にも,ビニールハウ ス内の果樹,ハウスに対して80%の補助金が支出される。農家がサトウキビを1トン20,000 円で売ったとすれば,そのうち16,000円が補助金となる。沖縄におけるサトウキビ生産量の高 さは,農家のAさんいわく,「補助金の高さと育てやすさ,兼業が可能であり,植え付けから 出荷まで,18ケ月かかる」と言う[インタビュー,2011.11.13]・生産効率としては,だいた い3000坪で50トンのサトウキビの収穫が見込めると聞いた。つまり,2007年度の農産物産出 額の,約2割に当たるサトウキビの181億円(19.5%)は,約145億円が補助金,つまり国民 の税金であり,残りの36億円が実質的な市場価格による産出額となる。これは,7位の生乳 37億円(4.0%)とだいたい同規模である。ここに,大きな沖縄農業の,歪みの問題がある。現 在,国政の問題として議論となっているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)によって,サト ウキビによって生産される砂糖の値段が国際競争にさらされ,サトウキビ農家は壊滅的な打撃 を受けるということになる。つまり,サトウキビ農家は,日本におけるサトウキビの市場買い 取り価格によって生産された砂糖よりも安い,海外の砂糖によって,存在意義をなくしてしま うとことになる。ごく簡略化すると,サトウキビ農家の年収は2割以下になり,存続できなく なる。今こそ,沖縄では,補助金脱却型の農業が求められている。 次に,野菜に目を向けてみよう。耕種の産出額の2割にあたる118億円を,野菜が占めてい る。しかし,野菜の中で,上位10位に入るのは,8位のにがうり24億円(2.6%)である。に がうりは,「ゴーヤー」の名前で,地元沖縄県民だけでなく,沖縄を訪れる観光客や日本各地 にある沖縄料理店で,その存在が知られている。118億円から24億円を引いた94億円が他の 野菜となる。野菜は鮮度が保ちにくく,大きなマーケットである日本の大都市圏への出荷に大 きな問題を抱えている。例えば,JA沖縄関係者の話として,沖縄県外市場への輸送コストの問 題があげられている。「船舶輸送ならばあまり鮮度が落ちず,輸送性があるもので,キク,ス イカ,カボチャ等の市場での販売価格が少なくともキロ当たり二五○円以上でなければ農家の 経営は苦しいものとなる。航空輸送ならば鮮度が落ちやすく,輸送性がないもので,インゲン, メロン,オクラ等の市場販売価格がキロ当たり七○○円以上なければ採算がとれない」[比嘉, 2002,184]とされる。3.11以降,西日本以西の農産物の需要が高まっている。輸送コストの問 題をクリアできれば,野菜には農作物として大きな可能性があると言えるだろう。 2005年度の資料では,沖縄県における,経営耕地面積が26,517haであり,耕作放棄面積 3,240ha存在している。合わせると,およそ30,000haの耕作地がある。これを,より生産性の 高いのものに代替することは可能であるだろう力も 近年,グリーン・ツーリズムが流行し,ツーリズムの一角をなしつつある。「グリーン・ツ ーリズムとは,「緑豊かな農山漁村地域において,その自然,文化,人々の交流を楽しむ滞在 型の余暇活動」と定義され,その目標として「都市住民のゆとりある余暇活動,子どもの貴重 な体験・学習活動」「農山漁村の活‘性化」「農村環境保全の三つがあげられてる」」[日本村 落研究学会,2008,97]。「農業は無限の観光資源」[工藤他,1998,201]とされ,農業と観 光をリンクさせた試みが日本各地でなされている。次節では,沖縄における観光農園の事例を 見てみよう。 Ⅲ糸満観光農園はなぜ失敗したのか 糸満観光農園は,糸満市の援助資金を得て,2002年4月にグランドオープンした。糸満市と
沖 縄 大 学 人 文 学 部 紀 要 第 1 4 号 2 0 1 2 しては,農業と観光をリンクさせた形での農業振興が目標であった。レストランが稼働し,商 業施設として機能する。インフラ整備に40億円かかったと言う。現在の出資率は,糸満市50%, 第3セクターの方式となっている糸満観光農園が40%民間10%となる。民間は25農家が出 資し,一農家当たり60万円とか25万円を出資している。敷地面積は,84,000坪であるが,実 際に利用されているのが40,000坪である。糸満観光農園の現状と課題について,糸満観光農園 のBさんに,話をうかがった[インタビュー,2011.11.13]・ 来園者は,2002年23万人,2003年12万人,それから15,6万人前後で推移していると言う。 冬場のイルミネーシヨンのイベント時に,年間40%の来園者が入ってくる。今年は,まだイル ミネーションのイベント前なので,7000人程度の来園者だという。売り上げは,グランドオー プン時に,1億3,600万円,その次の年が1億4,000万円ぐらい。それから次第に落ちてきて, 一昨年9,000万円,去年が1億1,600万円。それに人件費と管理維持費を払うとマイナスとなる。 指定管理者に株式会社「糸満観光農園」を指定し,管理を任せている。施設運営費として,多 いときで1,900万円,去年が少なくて530万円である。今年は1,300万円となった。売り上げが 1億前後であるから,この額の維持管理費は,糸満観光農園にとって,かなり厳しい数字であ る。糸満観光園の収入では賄いきれないと言う。また,従業員17名はすべて契約社員で,常時 人手が足りないである。 メインの収入は,アセロラ,パッションフルーツのフルーツワインの製造販売であるが,売 れ行きが伸びず,苦戦している。糸満観光農園の目玉であるフルーツワインの売り上げが伸び 悩む理由を,「アルコールと言えば,沖縄は泡盛とビールがメインとなっている。ブドウワイ ンは,日本ではうまくいっている。名護はパイナップルワインは比較的売れている」と語り, 「ブドウワインは数千年の歴史で,研究され尽くされている。他の果実はほとんど研究されて いない」と,フルーツワインの製品としての研究不足と,知名度の無さを,その理由に,あげ ている。年間14万本のワイン生成能力をもつ工場が,実際は1万本程度の生産しか,行ってい ない。フルーツワインは,1本1,200から1,400円であるから,1,000万円強の売り上げとなる。 原料となるパッションフルーツは,パッシヨン約60軒の契約農家から仕入れている。仕入れ 代に,今年は1,000万円近くお金を払っていると言う。これに付加価値をつけて,ワインなど に加工して,商品化する。ピューレ3,900万円,ワイン1,000万円,全体で5,500万円前後は売 っている。「地域に対する経済効果は約6,000万円となる」と言う。 筆者が,「観光」の部分がよく見えないと指摘すると,「あまり人がいない」,「私が来て から,観光には力を入れていない」,「観光客に見せる物がない,来ていただいたお客さんに 楽しんでもらう物が整備されていない」と嘆いていた。 また,「農園というのが表に出てない」という指摘にも,Bさんは「そうですね。農家から の果実の購入代金(仕入れ),一番多いときで年間3,300万円,去年が900万近く。今年も, 1,000万円近くお金を払っている」と答えた。昨年度の契約農家数は,一般農家43軒,パッシ ョンフルーツ農家60軒となると言う。パッションフルーツという「歴史が浅い果物」を育てて いる農家に対して,これだけの支払いをしているのだから,「農業という面が見えないという のは違う」と語る。 「収支は厳しい」なかで,糸満観光農園のこれからの選択は,「商業施設としてやっていく のか,公共施設としてやっていくのか」にあると言う。「結果的に,施設整備ができていない ため,民間の活力も利用できない。行政的な発想で,儲かる施設としての作っていない。糸満 市への補助金を使用するために,作られた施設」になってしまっていると話すb日本中の,「ど この地域でも,観光と農業とに力を入れている」なかで,どうやって,糸満観光農園を浮上.
園田:観光による農業振興の可能性の検討一読谷村の基地跡地利用問題と糸満観光農園の挫折から考える− 再生していくの戒大きな課題となっている。 そこで,Bさんが言うには,近くにひめゆりの塔や摩文仁の丘があるという立地の良さと, 悲しく暗い話を聞いたり,見たりした後で,自然体験をし,ゆっくりできるような施設の構築 できる可能‘性がある。また,季節の問題もある。沖縄本島の北部は,冬に,桜,ミカン,タン カン狩りなどの楽しみ方があるが,南部にはそういう楽しめるイベントがないという指摘であ る。そこで,糸満観光農園のもつ利用されていない森林が約40,000坪を,利用して,果物をも ぎって,収穫体験できるようなことを考えている。「熱帯果樹は頭にない。土壌の問題,気候 の問題をクリアし,害虫の着かない作物,収穫体験ができるたわわに実が付く作物を探してい る」と語る。 「農業振興と観光客の呼び込み,2つともうまくいっていない。方向性は間違っていない。 そして,民間の力を借りる」と提案する。結果として,今は行政主導の形でやっているが,民 間主導に変えていかないといけないと話す。糸満観光農園自体を盛り上げていくためにも,「沖 縄らしいコンテンツが必要,お金がかかるから,民間の力を活用したい。「売り上げに協力し てください」とお願いして,売り上げの何%かを観光農園が受け取る」ようになれないかと可 能‘性を探っている。糸満観光農園は,箱物として立派であるが,作られた感がする。「箱物だ けでは人が呼べない。そこの中のソフトの面でどう作っていく。それは民間の力が必要ここ でしか見れない物,食べれない物,体験できない物を作っていかなければならない」と語る。 「人も欲しいし,お金も欲しい。客に来てもらって,お金を落としてもらう。質の高いサービ スを提供したい。そういう専門家に入ってもらい,アイデアをいただいて,テナントさんに入 ってもらう。そのために,環境整備をする」のが;今後の糸満観光農園の課題だと語っていた。 また,古い施設で10年経っている建物もある。もうすでにメンテナンスも入っている。糸満 市が,南部地域の発展のために,この施設をどう活かしていく力も一番の問題はアクセス,導 線の作り方,ここが一番の欠点と指摘する。商業施設として最悪であり,お客さんに背を向け ている構造になってしまっている。西側にアクセス道路を作ってもらい,いろいろ体験しなが らこちらに来て,ショッピングをしてもらってバスで帰る。以上のような施設利用のあり方が 望ましいと考えている。 しかし,課題は多い。3.11以後,沖縄の農業の可能‘性は「ある」と,Bさんは考えている。 例えば,現在はやっている農業体験を例にあげる。農業体験で,どうやって,経済効果を生み 出していくのか?沖縄への観光客の多くは2泊3日の日程でやってくる。その間に,農業を体 験できるのは半日あるかないか,雨の日もあるだろうし,畑仕事した後に汗を流すようなシャ ワー,農機具の準備など,実際に行うとなると,いろいろ課題が出てくる。そして,なかなか 利益が出てこないだろうと推測する。農業体験としての,「観光と農業の可能性は難しい」, 「無理カミある」と,結論づけた。
、以上,Bさんの話を聞いて,沖縄における観光と農業の可能性を見てきた。糸満観光農園は
なぜ失敗したのかについて,①行政主導で補助金依存型の施設であること,そのため,有意義 なコンテンツが作れず,民間の活力も利用できていないこと,②施設のもつポテンシャリティ を十分に生かしきれていないこと,つまり,敷地面積の84,000坪のうち,実際に利用されてい るのが40,000坪であることからもわかるだろう。③そして,より根本的な問題は,84,000坪の 農地を利用し,耕作し,作物を植えるために必要な,多量の水がないことである。つまり,耕 作地に供給可能な水源を確保ができていないということである。農作物を育てるための水がな いことが,根本的な問題となっている。これこそ,施設の使途目的とその地域の環境条件を考 慮せずに行ってきた「箱物」行政の典型的失敗例であると言えるだろう。そのため,広大な耕沖 縄 大 学 人 文 学 部 紀 要 第 1 4 号 2 0 1 2 作地と立地の良さとをもちながら,「観光農園」としては,「観光と農業の可能‘性は難しい」 という状態になっている。 Ⅳ 読 谷 村 の 基 地 返 還 の 跡 地 利 用 問 題 読谷村にとって,米軍基地の返還は長年の夢であった。人口4万人の読谷村に,全部で100 万坪の返還された土地が返ってきている。読谷村で,事情に詳しいc氏に話をうかがった[イ ンタビュー,2010.11.06]・ 敷地面積の78%が基地だった読谷村は,基地返還をずっと訴え続けてきた。20代で村長にな った人の仕事は,防衛庁の予算はいらないから,「基地を返せ」と国に文句を言うのが仕事で あった。当時の読谷村の雇用率は16%で,事業所がなく,公務員と学校の先生が発言権をもっ ていた。しかし,実際に,基地が返還され,その士地をどう利用するのかについて,誰も考え てこなかった。 一つの試みとして,JA主導で「ファーマーズ・マーケット」が実施された。仕組みは次の通 りである。読谷村の公務員が定年退職をむかえたら,多くの人が退職金の一部でビニールハウ スと耕地を買う。平均200万円を投資するらしい。収穫された農産物を個人名で売る。売り上 げの15%は農協が負担してくれるという仕組みである。ほとんどの人が2ヶ年ほど農業を行っ て,止めてしまう。原因は,沖縄の台風,病害虫が原因で,素人にはできないと結論づけてし まうからだ。この仕組みが一時期,もてはやされ,一番利益を得たのは,JAだったという。「農 協のおいしいビジネスモデルになっている」,「沖縄全体の農産物の生産量のパイは一緒だけ ど,売り場を分けているだけ。沖縄全体の農業には何の足しにもなっていない」と,cさんは 語る。 彼は,読谷の専菊農家などの農家が耕作されていない農地を使って,耕作すべきだと主張す る。しかし,現状はそうはなっていない。「地に足を着いた農業から」読谷村を再生させよう と言うけれど,現状は,沖縄農業では,サトウキビし力儲からない仕組みとなっている」。彼 によると,サトウキビは,トン当たりの買い取り金額24,000円のうち,20,000円は補助金であ ると言う。「補助金によってし力減り立たないものは,将来に向けて何とかしないといけない」 と指摘する。2節でみたように,サトウキビは,その買取価格の8割が補助金によって成り立 っている農作物である。 そして,読谷村が抱える問題として,次のよう問題を指摘する。「読谷は,30万坪に農地改 良を入れて,農業をやらないといけない。全部で100万坪も今農業をやろうとしたら,経費が 半端じゃない。トラクター300万円,ビニールハウス100万など,それが9割補助とか無利子 とか」で成り立つという。そして,「内地の農家が抱く農業に対する意気込みや姿勢がない」 と,沖縄の農家を否定的に語る。読谷村の農家は,ピーマン,スイカ,メロンで沖縄で一番に なったことがあった。しかし,連作障害のせいで害虫が発生し,継続して作物を作り続けるこ とを止めてしまったという。cさんは,「瞬発力では沖縄で一番かもしれない」と,読谷村の 農家の優秀さを語る一方で,持論§力がないのが難点と話す。農家に,問題が生じても挫折せず 農業を続けるだけの,持続力をつけさせるためには,行政的なバックアップが必要だと指摘す る。 読谷村は,将来,100万坪の返還された土地の利用を決定しなければならない。今は,その 計画がいくつもプランで動きつつあるが,100万坪の半分か,それ以上は農地にならざるをえ ないdそのとき,どのような,農業を成り立たせるのか,注目していこうと考えている。
園 田 : 観 光 に よ る 農 業 振 興 の 可 能 性 の 検 討 一 読 谷 村 の 基 地 跡 地 利 用 問 題 と 糸 満 観 光 農 園 の 挫 折 か ら 考 え る 一 V沖縄における農業振興の課題と処方壁:「ユイマール」に代わるもの 最初に,サトウキビ援農隊の事例を紹介したい。サトウキビは,「一九五○年代末期より, 世界的糖価上昇にあおられた形で沖縄にいわゆる「サトウキビ・ブーム」が到来する。面的な 拡大としては,一九五九年期一万トンから一九六四期には三万トンと,三倍になった」[杉原, 1994,163]や,「こうした農業が今日のようなサトウキビ単一の形態に変わるのは第2次世界 大戦後のアメリカ軍統治下におけるサトウキビブームの時期以降です」[仲地,2008,62]に 見られるように,アメリカ軍統治下における沖縄での,世界的な砂糖価格の上昇を契機に,モ ノカルチャー(単作)化していった。 砂糖製造にかかわる労働力「労働提供者には,ユイマールの受け手から食事が賄われるだけ である」[杉原,1994,147]という指摘あるように,以前は,サトウキビ農家や村落共同体が, 植え付けや刈り入れなどの人手が足りないときは,協力して作業を行っていた。しかし,2005 年度の沖縄県における農家率4.9%という数字が示すように,多くの人は別の仕事や家業をもつ ようになった。以前のような,村や近隣の農家をあげての,ユイマールは期待できず,実現不 可能になった。 そのような状況下で,現れたのが,1976年に始まった与那国島のサトウキビ援農隊である。 与那国島は,畑作業40人,製糖工場40人の計80人を,往復旅費支給,日給3,500円(女443,000 円),40日間の条件で,募集をはじめたのが最初だった。当時2,000人の島民にとって,6,000 トンのサトウキビを刈り取ることが困難であったためだ6 第一回の援農隊はこうして始まった。さまざまな問題と軒余曲折を経て,結果的に,2011年 の第36回「サトリキピ刈り援農隊」まで,「厳密に言えば援農隊は職安法に引っかかる」藤 野,2004,100]が,この事業は続いている。与那国島にきた援農隊員たちは,「自分たちは島 が人手不足で困っているから,手伝いに来たのだ,助けに来たのだ」というある種の自負があ ったため,単なる「労務者」と呼ばれたくない[藤野,2004,96]という意識が強かった。 また,与那国島のサトウキビ援農隊が有名になるにつれ,「自治労や宗教団体の援農隊は無 料奉仕であるため,農家は畑までの送り迎え,午前と午後の休憩時のおやつ,昼時には温かい お茶を配るなど,最大限に気を遣って接待した」藤野,2004,126]り,「石垣島ではバーや クラブのホステスさんの”一日援農隊”というのが出現した」[藤野,2004,126]といった波 及効果を,もたらしていった。 しかし,こうした動きも,1980年頃には,「当時,沖縄では「援農随といえばわたしたち の活動以外にはなかった。自治労や宗教団体の”一日援農”もいつの間にか聞かなくなってい た」臓野,2004,180]という状況になった。与那国島のサトウキビ援農隊は,「ユイマール」 に代替できるアイデアを含んでおり,現在も続いていることは大いに賞賛に値するだろう。こ こから何か,新しいアイディアを,沖縄の農業に与えることはできないだろう力も 「世界人口の一割以上が飢えに苦しんでいる時に自国で生産するより,コストが安いという 理由から,安易に外国の農産物を買うということが必ずしも国際化とは言えない。また,それ では安心・安全も保障されないであろう。それが結果的に,地球環境問題を引き起こし,開発 途上国の貧しい人達から食べ物を奪っているということになる。国内農業の仕組みづくりが二 十一世紀に,課せられた課題であると言えよう」[東江,2003,6]という論調には大いに賛同 したい。しかし,3.11以降,日本の食の安全は保障できなくなり,何年後に日本の食の安全が 保障されるのかも,不透明なままである。福島原発から,1,800キロ離れ,亜熱帯性の気候と広 大な農地(耕作放棄地と基地返還予定地)をもち,稲作の三期作も可能な,沖縄にこそ,今, 農業が立ち上がる契機が訪れているのではないだろう力も
沖 縄 大 学 人 文 学 部 紀 要 第 1 4 号 2 0 1 2 しかし,解決すべき問題は累積している。土壌の質の問題,夏場の農産物,台風,水資源の 確保,サトウキビを代表する補助金作物に代わる作物の育成など,多岐に上る。「本県の土壌 は,全国にも類のない,土壌ペーハーが中性∼微アルカリ‘性の土壌が全耕地面積の,約七○パ ーセントも分布している。(中略)ミネラル分を豊富に含んでいる天然資源の特殊土壌を活か した,域内発型のイメージづくりでの発想を展開すること」[東江,2003,7-8]が望まれてい るが,現実はそんなに簡単なことではない。亜熱帯‘性の気候は,「洪水,塩害,アルカリ土壌, 病害虫,および台風,水不足,土壌浸食は,熱帯・亜熱帯地方の共通する問題ですbこれらの 問題は,毎年,農産物の収穫量を約40%減少させ」[ホサイン,2010,239]る。 そして,現代社会において,注目されつつある有機農業についても,難しい問題を抱えてい る。「有機農業は時々肥料欠乏がみられ,生産量が少なくなり食糧が不足することが考えられ ま式そのため,有機農業では,総合的な肥料管理は極めて重要です」[ホサイン,2010,239-240] と述べられている。また,安全な農産物を考えれば,有機無農薬農業になるが,その苦労は激 増する。除草剤は撒けないし,農薬が使えないため,病気や害虫には別の方法で対処しなけれ ばならない。除草は手作業,病害虫については,農薬を使用しない対処を農家が考えなければ ならない。 やや悲観的なことを書いてきたが,日本の,そして沖縄の農業の可龍性は大いにあると,筆 者は考えている。「農業八兆円産業のうち,自律志向の農家がすでに五兆円以上を産出してい る。大規模な米,畑作農家は補助金のおかげで何とか黒字になっているのが現状だが,とくに, 野菜,花,果実農家は独立して黒字経営を続けているところが多い」[浅川,2010,183]。こ の事実を考え直してみよう。沖縄のサトウキビなどの補助金作物は,日本政府のTPPの対応次 第で立ちゆかなくなる可能‘性がある。サトウキビ農業が立ちゆかなくなった時に考えるのでは なくて,将来に備えて,今から,補助金に頼らない農業のあり方を,沖縄県と農家,それを食 する県民は,真剣に考えていかねばならない時期に来ている。「補助金がないと,日本の農家 はつぶれるのではないか?」という懸念はあるが,そうではない。「補助金の廃止により農産 業が発展した国もある。その代表格がニュージーランド」[浅川,2010,184]である。ニュー ジーランドは,1985年に補助金を廃止したが,八万戸の農家のうち,8,000から1万戸が廃業 すると予想されていたが,実際に廃業したのは五年間で1,000戸未満だった。補助金を頼らず に,農業を成り立たせてゆくためには,農家の意識改革が必要である。また,欧米のように, 補助金のあり方を変えていくことも必要なのかもしれない。「「農業の延命装置」として補助 金をばらまく日本とは逆に,欧米のそれは農産物の国際競争力を高める下支えが目的であり, いうなれば未来に対する投資だ」[浅川,2010,183]とする方法である。これから,国や県の 農政のあり方と,農家自体の意識改革が必要となってくるだろう。 農家のAさんは,「農業の問題点は,植え付け時と収穫時に大量の労働力を必要とすること」 であると明言する。耕地面積が平均的に小さく,大型農業機械を利用できない,沖縄の農家に とって,これは深刻な問題である。Aさんは,「それには農業コミュニティ,「農耕」を軸と した人々のつながり」が必要だと語る。「ユイマール」の樹申は,沖縄の一部の地方では残っ ているかもしれないが,地縁・血縁を軸とした人間関係に,協力を求める時代は終わっている。 農業と観光の両立が難しいのならば,沖縄にかかわらず,全国の農業で,作物の植え付け, 刈り取り,ピニールハウスの建設・張り替えなど,一時的に,大量の労働力を必要とするとき に,その労働力を提供するシステムを,「ユイマール」を代替するシステムを作り上げないと いけない時代となっている。そのとき,参考になるのが,「与那国島のサトウキビ援農隊」の システムである。この援農隊というシステムを,無償のボランティアという形で募り,その収
圃 田 : 観 光 に よ る 農 業 振 興 の 可 能 性 の 検 討 一 読 谷 村 の 基 地 跡 地 利 用 問 題 と 糸 満 観 光 農 園 の 挫 折 か ら 考 え る − 穫物をもって,その報酬とするようなシステムが今,必要とされている。3.11とTPP以降,大 きく沖縄の農業の形態が変わっていくことだろう。今後の沖縄の農業の行方を見守ってゆきた い。 注 1)沖縄大学・人文学部・国際コミュニケーション学科・准教授 2)例えば,歌手の森山良子が歌った名曲『さとうきび畑』や,高視聴率を記録したドラマ『さ とうきび畑の唄』(2003年)などがあげられる。 参考文献 阿部司(2009)『なにを食べたらいいの?』新潮社 東江三信(2003)『農風一沖縄農業・現場からの実践報告一』メディア・エクスプレス 安室知・古家晴美・石垣'悟(2009)『日本の民俗4食と農』吉川弘文館 浅川芳裕(2010)『日本は世界5位の農業大国一大嘘だらけの食料自給率一』講談社(新書) 藤野雅之(2004)『与那国島サトウキビ刈り援農隊一私的回想の30年一』ニライ社 比嘉堅(2002)『沖縄のアグリビジネスと産業組織』東洋企画 樋口耕太朗(2011)「日本の端の沖縄から地域再生を考える」『事業再生と債権管劉No.131 pp、62-70 池原真一(1979)『概説・沖縄農業史』月刊沖縄 工藤順一・平井隆(1998)臓光農業は感動のドラマ』家の光協会 仲地宗俊(2008)「沖縄農業の成り立ちと歴史一農耕文化が語るもの−」琉球大学編『やわ らかい南の学と思想一琉球大学の知への誘い−』沖縄タイムス社所収:pp.54-63 モハメド・アムザト・ホサイン(2010)「亜熱帯地域での食糧の安全と環境保全のための農 業」琉球大学編『知の津梁−やわらかい南の学と思想3一琉球大学の知への誘い−』沖 縄タイムス社所収:pp.238-251 日本村落研究学会編(2008)『グリーン・ツーリズムの新展開一農村再生戦略としての都 市・農村交流の課題一』日本村落研究学会 沖縄開発庁沖縄総合事務局農林水産部統計情報課(1998)『第26次沖縄農林水産統計 年報』沖縄農林水産統計情報課 沖縄県農業研究センター(2010)『平成20年度業務年報』 沖縄県農業研究センター(2011)『平成21年度業務年報』 沖縄県農林水産部(2009)膿業関係統計』 大泉一貫(2009)『日本の農業は成長産業に変えられる』洋泉社(新書) 佐々木高明(2003)『南からの.日本文化(下)−南島農耕の探求−』日本出版放送協会 杉原たまえ(1994)『家族制農業の推進過程一ケニア・沖縄にみる‘慣習と経済の間一』日 本経済評論社 参照ウェブページ 大臣官房統計部経営・構造統計課(2011)『生園妻業所得統計平成21年度』 http://www.e-s蹴・go.jp/SGl/estat/List.do?lid=000001084169(2011.11.26閲覧) 総務省統計局(2011)『小売物価統計調査2010』 htta/Aハ'ww.e-stat.go.ip/SGl/estat/List.do?lid=000001073645(2011.11.26閲覧)
An
Examination of the Possibility of the Promotion of
Agriculture through Sightseeing""--IIConsidered from the
Perspective of Frustrations with the Base Site Use
Problems of Yomitan-vilIage, and the Failure of Itoman
Tourist
Farm--Koji MARUTA
Abstract
Since March 11, 2011 the Tohoku earthquake, for the Japanese people, "food safety" has been posing a problem. This paper considers the possibility of developing agricultureinOkinawa through tourism. The problem is whether the coexistence oftourism and agriculture in Okinawaispossible.The case studies used are of Yomitan-village and Itoman Tourist Fann.Inconclusion, the possibility of balancing agriculture and tourism.is seen as difficult for agricultUre in Okinawa because ofproblemswithTPP and the March. 11 the Tohoku earthquake. It is necessary to have a"y'uimaru" type of alternative ·organization for farmiDg communities, or people to develop cooperative system centered on farming.