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アジ研ワールド・トレンドNo.192 (2011. 9)
第17回
寳劔久俊
月
日
の
経
つ
の
は
早
い
も
の
で
、
筆
者
が
研
究
者
の端
く
れと
し
て
中
国
の
農
村
調
査
に
携
わ
っ
て
か
ら
、
一
〇
年
以
上
の
年
月
が
過
ぎ
て
し
ま
っ
た
。
中
国
農
村
の
フ
ィ
ー
ル
ド
ワ
ー
ク
と
言
え
ば
、
改
革
開
放
後
は
も
と
よ
り
、
戦
前
の
時
代
か
ら
日
本
人
や
中
国
人
の
優
れ
た
研
究
者
に
よ
っ
て
数
多
く
行
わ
れ
て
き
た
。
そ
の
た
め
、
筆
者
の
よ
う
な
若
輩
者
が
中
国
の
農
村
調
査
を
総
括
す
る
こ
と
は
、
あ
ま
り
に
烏
滸
が
ま
し
い
。
し
か
し
な
が
ら
、
現
代
中
国
の
農
村
問
題に
対
峙
し
て
い
る
自
分
自
身
の
経
験
か
ら
、
同
じ
よ
う
な
問
題
意
識
を
も
つ
研
究
者
に
対
し
て
、
何
ら
か
の
ヒ
ン
ト
を
提
供
す
る
こ
と
は
で
き
る
か
も
し
れ
な
い
。
そ
こ
で
本
稿
で
は
、
現
地
調
査
を
通
じ
て
体
得
し
た
こ
と
に
つ
い
て
、
具
体
的
な
事
例
を
交
え
な
が
ら
叙
述
し
て
い
き
た
い。
●農村調査の厳しさと奥深さ
中国は広大な国土と多様な風
土を抱える大国で、その様相は
地域によって大きく異なる。こ
の
事
実
は
す
べ
て
の
人
に
と
っ
て、
あ
ま
り
に
自
明
な
こ
と
で
あ
ろ
う。
しかしながら、中国で実地調査
をしているとき、とかくその事
実を忘れてしまい、調査対象地
域が中国すべてを代表している
かのような錯覚に陥ってしまい
がちだ。この
陥
穽
は、いずれの
地域を研究する人でも直面する
ものであるが、とりわけ中国の
よ
う
な
大
国
で
あ
れ
ば
あ
る
ほ
ど、
そのことを常に認識することが
大切と思われる。
さて、アジア経済研究所への
入所後、最初のうちは先輩研究
者や知り合いの先生の調査に同
行させてもらう形で現地調査を
行い、その後は様々な人間関係
に助けられながら、農村調査を
重ねてきた。その経験から学ん
だ
教
訓
は、
﹁
地
元
の
研
究
者
や
政
府関係者と長期間にわたる良好
な関係を構築することが、中国
を理解するための重要な手段で
ある﹂ということだ。
良好な人間関係を構築するた
めには、謙虚で誠実な姿勢を保
つことで相互理解を深め、調査
研究を超えた人間としての信頼
関係を築いていくことが求めら
れる。そして、時にはこちらか
ら情報提供を行ったり、日本で
の実地調査を計画したりするこ
とも必要となる。
また、人間関係を構築する最
も重要な場のひとつである宴会
では、その振る舞いがその後の
調査を大きく左右すると言って
も良いであろう。中国の宴席で
は、地元の名物料理を始めとし
た
豪
華
な
食
事
に
加
え、
﹁
白
酒
﹂
と呼ばれるアルコール度数は五
〇度を超える蒸留酒が提供され
る。この﹁白酒﹂をめぐる﹁乾
杯﹂合戦︵一気呑みでにグラス
を空ける︶を如何にうまくこな
していくかが、地元の人との人
間関係を築くために極めて重要
である。
よ
く
、﹁
お
酒
を
い
っ
ぱ
い
飲
め
れ
ば
大
丈
夫
﹂
と
い
っ
た
意
見
も聞
く
が
、
私
は
必
ず
し
も
そ
う
は
思
わ
な
い
。
む
し
ろ
﹁
面
子
﹂
を
重
ん
じ
る
中
国
人
に
対
し
て
、
乾
杯
の
順
番
や
そ
の
タ
イ
ミ
ン
グ
を
推
し
量
っ
た
り
、
自
分
の
限
界
ま
で
お
酒
を
呑
む
姿
勢
を
示
す
こ
と
が
よ
り
大
切で
、
た
だ
単
に
飲
め
る
だ
け
の
人
は
、
む
し
ろ
嫌
わ
れ
て
し
ま
う
こ
と
も
多
い
。
さらに、相手の話に合わせな
がら相づちを打ち、話をうまく
展
開
す
る
能
力
も
必
要
と
さ
れ
る。
私自身、
大勢の中国人を相手に、
持論を展開できるほどの中国語
のレベルにはないため、酔っぱ
らって意識を失いそうになりな
がらも、話の方向性を把握でき
るよう意識を集中させ、話の展
開に合わせながら会話を進める
よう苦心している。
●江蘇省の農村調査からの啓示
ところで、筆者は二〇〇四∼
〇六年にかけて、アジア経済研
究所の在外研究員として北京大
学中国経済研究センターに在籍
し、大学院のコースを聴講する
傍ら、中国各地で農村調査を実
施した。とくに二〇〇五年の夏
には、山東省∼雲南省∼江蘇省
∼四川省∼吉林省∼黒龍江省と
いうルートで、一カ月半にわた
る調査旅行をしたことは、いま
振り返ってみると貴重な経験と
なっている。そのなかでも、南
京農業大学の教員と一緒に実施
した江蘇省での農家調査は、私
の研究人生にとって大きな転機
となった。
この調査は、農村部の主要な
金融機関である農村信用社の改
革が、
農民の借入行動に対して、
どのような変化をもたらしたの
か実証することを目的としてい
あ
な
た
に
す
べ
て
を
委
ね
る
勇
気
を
51
アジ研ワールド・トレンドNo.192 (2011. 9)
た。二〇〇五年八月に南京農業
大学の四名の教員と一二名の大
学院生とともに、江蘇省の泗洪
県、興化市、常熟市という三つ
の地域を訪問し、地元政府関係
者の協力のもと、農家へのアン
ケート調査と地元政府や農村信
用
社
へ
の
ヒ
ア
リ
ン
グ
を
実
施
し
た。
本調査は当初、南京農業大学
の教員と私の研究目的が合致し
て企画されたもので、調査経費
の大部分をこちらで負担する予
定で準備を進めていた。
しかし、
金融学を専門とする同大学の別
の教員が、江蘇省内の農村信用
社関連で強力なネットワークを
持つことから、彼に協力を仰ぐ
こととなった。その一方で、ア
ンケート調査に関する経験が不
足していた筆者は、調査開始当
初、予算の割り振りや調査日程
の調整について、細かい要望を
出していた。
し
か
し
、
筆
者
の
そ
の
よ
う
な
態
度
を
見
兼
ね
た
共
同
研
究
者
か
ら
言
わ
れ
た
一
言
を
今
で
も
忘
れ
る
こ
と
が
で
き
な
い
。﹁
相
手
を
信
頼
し
た
な
ら
ば
、
細
か
い
こ
と
を
言
わ
ず
、
そ
の
人
に
す
べ
て
を
任
せ
ろ
﹂
と
。
中
国
に
も﹁
入
郷
随
俗
﹂︵
郷
に
入
っ
て
は
郷
に
従
え
︶
と
い
う言
葉
が
あ
る
よ
う
に
、
地
元
で
調
査
を
行
う
際
、
大
き
な
枠
組
み
に
つ
い
て
は
相
談
を
す
る
が
、
そ
れ
以
外
の
具
体
的
で
細
か
い
点
に
関
し
て
は
、
地
元
の
人
に
託
す
こ
と
が
望
ま
し
い
。
訪
問
先
や
調
査
日
程
の
詳
細
ま
で
こ
ち
ら
側
で
計
画
し
た
り
、
指
定
し
た
り
し
て
し
ま
う
と
、
む
し
ろ
先
方
の
調
整
が
困
難
と
な
り
、
計
画
自
体
が
頓
挫
し
て
し
ま
う
こ
と
も
あ
る
。
し
た
が
っ
て
、
中
国
の
農
村
調
査
で
は
、
人
間
関
係
を
最
大
限
に
活
用
し
、
先
方
の
可
能
な
範
囲
で
こ
ち
ら
の
希
望
に
見
合
う
よ
う
に
調
整
を
し
て
も
ら
う
こ
と
が
、
結
果
と
し
て
よ
り
良
い
調
査
に
つ
な
が
る
。
実
際
、
江
蘇
省
調
査
で
も
、
先
方
と
の
調
整
を
そ
の
先
生
に
す
べ
て
任
せ
た
結
果
、
現
地
と
の
調
整は
非
常
に
ス
ム
ー
ズ
と
な
り
、
マ
イ
ク
ロ
バ
ス
や
食
事
、
宿
泊
の
手
配
と
い
っ
た
ロ
ジ
調
整
の
手
間
は
大
幅
に
減
り
、実
際
に
掛
か
っ
た
調
査
費
用
も
当
初
の
予
定
額
を大
幅
に
下
回
っ
た
。
そ
の
一
方
で
、
四
〇
〇
世
帯
以
上
の
農
家
に
対
す
る
ア
ン
ケ
ー
ト
調
査
は
予
想
以
上
に
大
変
で
、
地
元
農
家
の
聞
き
取
りに
く
い
方
言
や
質
問
の
や
り
取
り
に
苦
し
ん
だ
り
、
疲
労
で
体調
を
崩
す
大
学
院
生
が
出
て
く
る
な
ど
、
ト
ラ
ブ
ル
も
相
次い
だ
。
そ
の
た
め
、
問
題
が
発
生
す
る
た
び
に
、
南
京
農
業
大
学
の
教
員
や
大
学
院
生
と
情
報
共
有
を
図
っ
た
り
、
改
善
策
を
夜
遅
く
ま
で
協
議
し
た
り
し
た
結
果
、
調
査
の
後
半
か
ら
は
農
家
へ
の
ア
ン
ケ
ー
ト
も
順
調
に
進
み
、
調
査
も
無
事
に
完
了
す
る
こ
と
と
な
っ
た
。
●
﹁包﹂で繋がる中国人
この﹁人に任せる﹂という考
え方は、中国人の伝統的な倫理
規
律
で
あ
る﹁
包
﹂︵
請
負
︶
と
関
連しているかもしれない。
﹁包﹂
と
は、
﹁
人
と
人
と
の
間
の
取
引
的
営みの不確実性を、第三の人を
そ
の
間
に
入
れ
て
請
け
負
わ
し
め、
確
定
化
し
よ
う
と
す
る
﹂
も
の
で、
中国では契約の不完全性を補う
ひとつの手段として機能してき
た。たとえば、人民公社が解体
し、農業生産責任制が導入され
た際にも、この﹁包﹂の思想に
よって農家への請負が実現でき
たとも考えられ、一九八〇年代
前半の農業生産性の向上にも大
きく貢献している。
もちろん、中国でも市場経済
化の進展に伴い、国際基準に合
致した制度が徐々に整備されつ
つ
あ
り、
﹁
包
﹂
の
よ
う
な
曖
昧
な
契約から脱却し、より透明性の
高いものに移行する動きもみら
れる。しかしながら、人と人と
の関係のなかで、信頼のおける
人にすべてを託すといった姿勢
が農村調査のみならず、中国で
生活していくためにも依然とし
て有用と思われる。
この﹁包﹂で繋がった人との
縁
を
大
事
に
し
つ
つ、
﹁
わ
か
っ
て
いることは、わからないことだ
け﹂という言葉を
道
標
に、今日
もまた、研究という名の道を愚
直に歩み続ける。
︽参考文献︾
加藤弘之﹁移行期中国の経済制
度と﹃包﹄の倫理規律﹂中兼和
津次編﹃歴史的視野からみた現
代
中
国
経
済
﹄
ミ
ネ
ル
ヴ
ァ
書
房、
二〇一〇年。
ほうけん ひさとし/アジア経済研究所 開発研究センター
専門:開発経済学 中国農村経済論
編著:池上彰英・寳劔久俊編『中国農村改革と農業産業化』(アジ研選
書No.18)2009年、などがある。
農家へのアンケート調査の様子(江蘇省にて)