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リヴァイアサンの論理(三)

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Academic year: 2021

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(1)リヴァイアサンの論理日. リヴァイアサンの論理口. 四、ホッブズの国家論. 立口. β. 悟. 朗. 互いの間の契約を結ぶということを始めた。. お互いに契約を結んでおくのが、得策であると考えるようになる。このことからして、人々は法律を制定し、お. を経験してみると、一方を避け他方を得るだけの力のない連中は、不正を加えることも受けることもないように. によって得る善︵利︶よりも大きい。そこで、人間たちがお互いに不正を加えたり受けたりし合って、その両方. が、ただどちらかといえば、自分が不正を受けることによってこうむる悪︵害︶の方が、人に不正を加えること.  自然本来のあり方からいえば、人に不正を加えることは善︵利︶、自分が不正を受けることは悪︵害︶である. 岡. 説. H 国家諸概念の史的整理. プラトン﹃国家﹄Go$A. ー. 一97一. 論.

(2)  国家論を検討する際には我々は、様々な国家諸概念と共に同義語あるいは関連諸語を持っている。℃・一す。三奮迄8−. 2窪8あるいはω聾Φ等の国家諸概念と共に、政治社会、政治体、また、ゲマインシャフトやゲゼルシャフトの諸概念. ︵お毘εにあっていずれの語に力点がかかっているのか、あるいは﹁善﹂や﹁法﹂といった饗導概念によっていか. である。その際我々は、ただそれらの諸概念の現代的関連づけに終ることなく、個々の歴史的社会的実態のもつレアリア                                          リ ディング. に饗導されているのか、あるいはまた﹁自然﹂や﹁作為﹂等の思考的外被によってそれらはいかにおおわれているのか、. そして更にまたそれらの諸語の史的位相︵↓ε9︶  変容と交錯1を概念史と歴史的実態との一致の中に追究しなけ. ︿ω聾①﹀を﹁一定の国民に対し一定の領土において実力の行使を統制する資格を具えた一個の組織﹂と考えること、ま. ればならない。但し、本稿のこの作業はあくまでホッブズ国家論の前提として予備的な交通整理にとどまるこど、また、                                           の. た、︿ゲマインシャフトとゲゼルシャフト﹀についてはリーデルのテンニエス批判を考慮にいれつつもテンニエスの概                                         の 念、即ち、ゲマインシャフトを﹁様々に制約されている諸個人間の関係の必然的な所与の性質﹂とする定義を保持しゲゼ. ルシャフトをゲマインシャフトのもつ﹁必然性﹂並びに﹁所与性﹂ー個人の労働力や利益や思考の未分離ないしは未分                   ヤ  ヤ  ヤ  ヤ               ヤ  ヤ  ヤ. 化  の分離、分化と考えるものである。.  まず倉○冴﹀から始めよう。ポリスは自然的な生成であり共同善の最高の実現であったが、それは構成員の土地に対. する関係は表さず構成員の総体を指示するものであった。﹁ポリスは、現に我々が見る通り、いずれもある種の共同体.     ク                                                                                                    ヤ ヤ ヤ. ︵ざ言9昼︶である、そして共同体はいずれもある種の善きものを目当に構成せられたものである。⋮⋮⋮そしてその                                        の ︹善の︺至高のものというのが世に謂うポリス、あるいはく唇一三ぼぎぼo巳εなのである。﹂ポリスは﹁自由人のコイ                             の ノーニア﹂、また﹁同様な者︹平等な者︺からなるコイノーニア﹂である。﹁ポリスの至高の権力を有するのは国民団. ︵宕年窪日帥ζであり、それは﹁舵取り︵ざぽ目98︶﹂と比喩されたり﹁ポリスの主権者﹂とも呼ばれる。一方、﹁自然に                                                             の ロ 即して構成せられたコイノーニアが家︵oま山︶﹂であり、それは家父長による経営体である。そしてコつ以上の家から. 一98一. 説. 論.

(3) リヴァイアサンの論理日.                        ゆ 先ず最初のものとして出来たコイノーニアは村︵ぎ曇凹﹂でありコつ以上の村から出来て完成したコイノーニアがポリ     お    ロ                                                                           ヤ ヤ ヤ ヤ. ヤ ヤ ヤ                                                                 コイノドニアポリティケポリテ. スである。﹂かくして我々は、以下のように要約できよう。つまり、それは家←村←ポリスヘと自然的に秩序づけられた. ウマ キュベルネドテス. 共同体の世界であり、共同善の実現をテロスとする世界である、と。その世界にあっては、ポリス”政治社会“公民. に属しているのである。つまり、一言でいえばすぐれて共同体の政治理論なのである。. 団目統治者が同一のもの︵リーデルはこれを﹁同一性原理﹂と呼ぶ︶として語られており、経済は共同体の基体たる家                                    ⑬.  ローマの︿。三富ω﹀も基本的には共同体の政治理論であって、キヴィタスは市民︵o一く芭の、即ち市民権保持者の共. 同体なのである。この市民の団体を︿3ω℃8巳一﹀といい、それが統治団体く霧旨需§邑なのである。その世界が. ︿ωOo一Φ雷ω〇三房﹀であって、この政治社会は、それに並立する唯一異種の家族共同体、即ち︿8。艮83目Φ寮8﹀のみ. 一99一. を認めていた。ただ、ギリシャと違いローマは、キヴィタスと並んで、宕陰ピ9αQΦ霧もその同義語であるように国家構. 成員の領域が広域化され人間社会くω○。一Φ鼠ω言ヨき専の概念をもったこと、またギリシャの饗導概念たる﹁善﹂を﹁法甘ω﹂. に転換せしめたこと、である。.  中世においては、ヨーロッパの諸方面、特にイタリアで繁栄した都市国家を︿9葺霧﹀と呼び、中世盛期以来形成過. 程にあった領邦制国家を︿おαq目日﹀、そして、更に広大な社会、即ちあらゆる信者を一つの囲柵の中に団結させるものが. 介8ヌ匡一8。ぼ一鋒き鋤﹀であった。レスプブリカ・クリスティァーナは自然的共同体を基盤にして帝国と教会という双頭. を持つ楕円的・二中心的統一体であり、その鰹導概念は神であった。コイノーニアの訳語として︿8日ヨ仁巳奮噸8ヨヨ暮,.                             ロ. 一。蝕98ヨB巨δ﹀が使われ、それらは︿ω0998﹀と同義であった。しかし、緩やかな時間の中にも様々な変化が現れ. る。アウグスティヌスは、ローマの﹁人間社会﹂の概念を継承しつつそれを人類一般︵人類のソキエタス︶︿ω8曇霧. Φ房厨冨ヨき一﹀へと拡張したが、それは家︵3目霧︶、村︵<一8ω︶、都市︵9昌β8窮日巨ぎ。。︶、州︵駿○≦8互、王. 国︵8αQ目ヨ︶、そして帝国︵冒需Hごヨ︶を包含する統一的階層構造をなしていた。しかもトマス・アクィナスにょってソ. αQ.

(4) キエタスは私的・公的、あるいは一時的・永続的の区別をうけ私法的領域を画定されたのであるが、公的・永続的ソキエ. タスとはキヴイタスあるいはレグヌムにおいて形成される共同体であり人間の生命全体に及ぶソキエタス・ポリティカで. あった。ソキエタス・ポリティカは、神“神法と自然法に響導されるから、﹁市民の合意の内容とされたのは何よりも法. ︵琴日8﹂爲︶であって権力︵貰3ρ宕お警霧︶ないし支配権力︵5需H冒ヨ︶ではなく、その際、契約︵冨o窪BVは協調.                              の. の国家“政治社会の同一性原理が保持されつつ神的共同体的外被におおわれていたのである。一三世紀中葉以降、レスプ. ︵880a田︶、絆︵<冒2ぎ日︶、集合︵895︶、結合︵巨δ︶と同麹﹂であった。即ち、中世にあっては、ギリシャ以来                      ヤ  ヤ. ブリカ・クリスティアーナは、近代のステート概念に最接近する﹁完全にして自己充足的な社会︵83日信巳寅ω℃&8→. 83一獣撃窪9Φ霧︶に発達しながらも、複数の個々の社会、即ち、キヴィタスとレグヌムヘと分裂しつつあった。当時の. ゲルマンにあっては、命Φ一9﹀がレグヌムに相当する言葉として用いられそれは何よりも統治、より厳密には君主の統. 治を意味していたが、都市共同体はキヴィタスと呼称されていたのであった。ただ特筆すべきことは、これらの国家諸概. 念と共に倉きeが用いられ始め、それは古代ギリシャやローマの国家概念がもっている、構成員という指示内容に最 も鋭く対立して国家の重点を土地的要素においたのであった。.  さて、︿斡簿Φ﹀の語源で﹁生活状態や生活様式﹂を意味するラテン語の︿ω聾島﹀は低ラテン語と中世ラテン語を経由. して政治的意味をおびるようになるが、それはある特殊な社会  キルヘ、インペリウム、レグヌム  の繁栄、幸福、. 健全な秩序の同義語であった。三世紀にはテルトゥリアヌスがレス・プブリカの意味でスタトゥスを用い、また六世紀に. ユスティニアヌスが﹁我々は国家の秩序を維持する︵の聾①B邑陰亘ざ器旨馨Φp鼠日島︶﹂とか﹁教会または王国の繁栄の. 為に祈る︵鷺8魯冥○ω聾仁Φ88ω一器○=品巳︶﹂として用いている。しかし、スタトゥスの曖昧な意味に次第に厳密な. 二つの限定が加えられる。一つはある特定の社会的ないし経済的な地位を示す、フランス語のく史器αq魯Rき恩の︿Φマ. 象﹀や英語の︿ω鼠ε98§Φ﹀と、二つは一定の社会の特殊な法的構造を示すものであり、後者が重要である。例えば. 一100一. 説 論.

(5) リヴァイアサンの論理(ヨ. ローマ法の﹃学説類集﹄で公法︵甘ω陰窪8日︶とは﹁ローマの国家組織に関するもの ︵εaa器ε日邑3βき8.       デイゲスタ. る。ダンテは﹃神曲﹄において専制国家︵葺四目昼︶に対する自由な国家︵器ε瀞房○︶を用いている。しかし、︿一〇ω聾○﹀. 呂8聾︶とする例である。中世後期の文献ではこの意味でスタトゥスと並んでイタリア語の︿一〇器8﹀が頻繁に用いられ         ⑯. は国家組織の意味に用いられただけでなく、特定の権力が行使される国民または領土を指示する場合もあり、ブルクハル. トによれば︿δω聾○﹀は大使の報告において当初はすべての共同体に常設されていた永続的な権力及び官職を表す為に.     oの. 用いられていたが後には支配領域そのものを表す為に用いられた、という。このことから、マキァヴエリが︿一〇ω翼○﹀を. 必ずしも一貫して用いていないのも不思議ではないが、しかし、かれは新しい意味の決定的な形跡を示すあらゆる国家概. や領土はすべて、共和国と君主国のいずれかである。﹂. 念の総称として決定づけたのである。﹁これまで人々を治めてきた国︵暮呂︶や領土︵3巨巳︶、また現に治めている国                       ⑬.  しかし、 合o。。聾P魯界ω鼠舞ω鼻Φ﹀だけが各国において各々使用されたわけでなく、他の類義語と併用されたので. ある。ボダンは、 .U①富即9魯言諾、︵一五七六年︶の中で︿Φω§﹀を介9呂言器﹀と共に用いたしくΦ。。鼠¢を状. 態、秩序の意味で︿Φ馨9傷、9Φ目9昌言幕﹀、︿一.Φω§号冨甲き8﹀と使用したり、︿Φ。。聾﹀を︿ω09緯霧9≦房﹀と同一. 視している。また同時代の英語の著述家は︿ω聾Φ﹀を︿お巴βげ○身宕犀す8目日8名S導﹀と併用したのであった。.  イエリネクにょれば﹁イギリスにおいては︿ω聾Φ﹀という言葉が国家の専門的な呼称としてシェイクスピアによって          ㈲ 頻繁に使用されている﹂という。しかし、英語の貧象Φ﹀は一四世紀では公的職権の意味で﹁大司教は職務停止処分を. 受け、教皇は大司教の手から︿ω§Φ﹀を奪った﹂︵二二三八年︶の様に使われ、一五世紀には力の概念領域の中へ入り込. み﹁最強の曾蒔算﹀と主要な︿。。聾①﹀を持った君候たち﹂︵一四〇〇年︶、﹁我々は︿ω聾Φ﹀を求めて争いたくはない﹂. ︵一四七〇年︶と使われるようになり、十六世紀も同様に君主の権能の意味で﹁国家または君主︵ω聾Φ9宕帯筥魯Φ︶﹂. ︵一五五九年、エリザベスの首長宣誓︶と使われていた。︿ω聾Φ﹀がく邑跨讐88R霧酔Φαqo話ヨ日Φ日Rヨご謁宕嶺R. 一101一.

(6) ○︷帥02旨q浮①ω9RΦ象巽冥①目Φ宕一識o巴宕譲R9巳匿巨巳怨蝕9﹀︵ψρU●︶の意味で使われるのは、イタリ. ア、フランスの国家理性︵寅αqご8島ω翼ρ邑ω○・伍、国聾︶概念の影響が絶大であったと考えられる。英語の貧讐Φ﹀.           ㈲                                ㈱ は、︿8霧90診§Φ﹀のくお霧80φが脱落した形で定着するのである。.  ドイツ語の︿ω鼠黛﹀は一五世紀に﹁状態︵N屋件きα︶﹂の意味で用いられ、その後、統治︵園ΦαQ冒Φ三︶の意味を獲得し. ながら、一七世紀になって国家会計、財政︵コ壁目︶の意味に用いられた。その後暫く、それはオランダ共和国自体を. 特殊に指す言葉であったが、一七世紀中葉、国家理性概念の影響をうけ一六四〇年以降やっと近代国家概念の意味をおび. たのである。著作用語としてはプーフェンドルフによって﹃もっとも高貴なる諸国家︵園9畠巨αω富碧窪︶の歴史への. 序論﹄︵一六八三年︶において初めて導入されたが、﹃自然法と万民法﹄︵一六七二年︶や﹃国家生活に関するキリスト教. の慣習について﹄︵一六八七年︶においてもくω富8膣︿9≦鼠の﹀“︿ω9一Φ$ω。貯まω﹀という同一性原理は保持された ままであった。.  ﹁ホッブズにおいて︿。三鉦98目ヨ自名Φ巴辞Fω§①﹀が意識的に等置される﹂のであるが、ホッブズの検討は暫くお.                                   吻.                み                                           ハリ                を                                               ぞ. き、我々はホッブズ以降を簡単にみておこう。.  ホッブズからジョージ・ロウスンを経て、ロックは、﹁最初の社会︵ω09Φ蔓︶﹂が夫婦間に存在するとするがしかしそ            ヤ  ヤ  ヤ. れは﹁政治社会︵宕疹8巴89①q︶﹂ではない。政治社会は以下の時に成立する。即ち、﹁どれほどの人数であろうと、. ヤ                ヤ   ヤ   ヤ   ヤ. 人々が結合して︵巨箒︶一社会︵○ま89Φ蔓︶を構成し、その結果、すべての人が自然の法の執行権を放棄してそれを. 公共の手︵浮Φ讐匡ざ︶に委ねるときにはいつでも、そこに、またそこにのみ、政治社会あるいは市民社会︵山宕聾8巴.                                     ヤ   ヤ      . R。三尻09Φ蔓︶が存在するのである。そしてこのことは、どれほどの人数であろうと、自然状態にあった人々が社会に.                                           ヤ  ヤ  ヤ 入り、唯一至高の統治︵o器ω唇おB①αqOぎ目目Φ艮︶の下で、一つの国民∂房需○筥Φ︶、一つの政治体︵o常ぎ身宕一獣o︶. をつくる場合、あるいはだれかある人が既に存在する統治に加わり︵一〇汐︶、これと合同する︵ぼ8壱9魯Φ︶する場合に. 一102一. 説. 論.

(7) リヴァイアサンの論理日.             の                                                       ヤ ヤ ヤ ヤ              を はいつでも行われるのである。﹂ところが、第八章九五節では以下のような混惑させる表現もある。﹁市民社会の拘束を受.                         ヤ  ヤ  ヤ.                                 ヤ  ヤ  ヤ                             ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ. けるようになる唯一の方法は、他人と合意して一つの共同体︵僧8目目唐一受︶に加わり︵﹂・営︶結合する︵巨一冨︶するこ. とである﹂、あるいはまた﹁どれほどの数の人であろうと、人々が一つの共同体︵○羅8目目巨一蔓︶あるいは統治︵αQOくΦ目ー. ヨΦ導︶をつくることに同意したならば、そのことによって彼らは直ちに合同し︵58弓○曇Φ︶、一つの政治体︵○房ぎ身. 宕一獣oVをつくることになる。﹂ここまでのロックの論理をおうと、人間はまず自然状態から社会︵。。09①2︶をつくる為. に結合する。その社会のうちにあって、人々は政治社会n市民社会睡共同体︵8B日巨芽︶目政治体をつくる。その政治社                                                ヤ  ヤ 会”共同体の構成員lIそれは多数決を行うことの出来る自由人︵第八章九九節︶であるーーが﹁合法的な政府︵αQO<Φヨー                                    ヤ  ヤ 日Φ日︶を開始﹂させるのである。つまり、政治社会μ共同体において自由人が集会を開き政府を設立する。だから、こ. の共同体は政府に対して﹁最高の権力︵。。唇お日Φ宕名R︶﹂を保有しており、共同体は最高権力劉立法権を政府に信託. ︵叶旨8するのである︵第十三章一四九節︶。共同体は、一旦、立法権を政府に信託すればそれは休止状態に入るが、信託条. 件違反があるかないかを監視するから︵常に抵抗権の発動態勢にある︶、決して解体されるのではない。このようにロッ. クの理論は、政治社会“共同体という古典的同一性原理を保持している。ヨモンウェルスという言葉によって私が常に.                                  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ.                                   ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ                               ヤ  ヤ.           ヤ  ヤ  ヤ  ヤ   ヤ  ヤ                             ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ                           ヤ. 意味しているのは、民主制とかその他の統治形態のことではなく、ラテン人がキヴィタスという言葉で表した独立のコミ   ヤ ヤ  ヤ                                                                                            マ  ヤ                                           を ユニティのことである、と理解してもらわなくてはならない。英語でこの言葉に最もよくあてはまる語はコモンウェルス. であり、これは英語のコミュニティと都市︵o一蔓︶では表現できないような、一種の人間の社会︵ωq魯鎖89①蔓○︷旨窪︶.                                      ㈲ を最も適切に表現している。何故なら、従属的な諸共同体︵。。暮Oaぢ象①8日旨巨置霧︶が一つの統治の中に存在する場                                           の                      ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ ヤ                                 を 合もありうるし、また我々の間でいう都市は、コモンウェルスと全く異なった概念だからである。﹂コミュニティであっ. てコミュニティと表現できないまことに難解な国家概念なのであるが、我々少なくとも国家”政治社会という古典的同一. 性原理を確認出来よう。しかもロックの政治社会髄共同体は自由人で構成されること、つまり、制限選挙による一部の国. 一103一.

(8) 民で構成されているのである。とすれば、政治社会n公民団の等式も成立するのである。 ﹁ロックは⋮・⋮・.︿ゲゼルシャ.             ㈱. フト﹀概念の伝統的な位相を、一方では内容的に解釈しているのだが、しかし他方では、国民と市民的ゲゼルシャフトの                                  ㈲ 同義性ということも含めて︵アリストテレス的な目的理念︶を保持している﹂というリーデルの指摘は︵かれの﹁ゲゼル. シャフト﹂概念に一定の留保づきで︶首肯できよう。しかし、ロックの思想は、古典時代以来の同一性原理の繰り返しに. とどまるものではなく、新しく﹁経済﹂概念との結びつきを示している。つまり、 ﹁自然状態﹂において貨幣と所有権を. 論理展開の軸としつつ交換と分業の萌芽がみられるのである。後にアダム・スミスによって市民社会U経済社会という完. 成をみるその前段階と考えられよう。﹁スミスのいう市民社会は、ロックによって自然状態として把えられ、ス、、、スのい う国家はロックによって市民社会として把えられることになる。﹂.  イエリネクは﹁国家と社会を対置したのは、よしんば両者の間に用語上の区別をしなかったにしても、ルソーが最初で.   ゆ あっ伽﹂として﹃政治経済論﹄の次の箇所を掲げる。﹁あらゆる︿。っ○。聾ひ宕浮5幕﹀は様々な種類のより小さいく。。Oo一ひ邑. から成っており、その各々は自らの利害と格率︵§臥日Φ︶をもっている。しかし、これらの社会は公認のかつ明白な形. 式において誰にでも識別されるが、しかしそれは︿一、団§﹀の中に現実に存在する唯一のものではない。共通の利益に. ょって相互に結びつけられている個々人もすべて、同様に、永続的あるいは一時的な他の社会を作るのであって、それら. の社会の力は、人々が殆どそれに気がつかないとしても、少なからず現実的であって、また、それらの種々の関係を充分.                                            ヤ  ヤ  ヤ. に観察すれば、習俗についての真の知識を形成する。これらすべての、暗黙のあるいは公然たる結合体︵霧。。09蝕○霧︶                                  ㈹ が、すべてその影響を通じて、実に好きな仕方で公共意志の表現を制約する。﹂ルソーの﹃政治経済論﹄ではこのように. ︿一、更界89ひ芯宕一置2Φ唱09甥宕年5器﹀が同時に使われ、またそれらと同義で︿8Bヨ巨簿ρ89曾訟 〇三一窃﹀も. 使われている。ただ我々は、﹃政治経済論﹄において、第一にコ般経済または政治経済︵ひ88aΦαqひ器邑Φ2. 2犀β幕︶﹂︵あるいは公経済︵ひ8目昌①讐げ言斥︶と﹁家庭経済または私経済︵ひ88巨Φ&日8言ま2窓鼠o巳感Φ︶﹂. 一104一. 説. 論.

(9) リヴァイアサンの論理日. の区別にょって経済社会としての市民社会の展望をもつこと︵但しルソーの公経済は政府︵αQ2語ヨΦ目Φ日︶“執行権と. 同義である︶、第二にアソシアシオンの登場の意義︵後述︶、第三にアソシアシオン睡一般意志、大社会擁特殊意志である. ことを確認しておこう。﹃人間不平等起源論﹄ではもっぱら、︿89簿ひ﹀と︿ω○。一蝉傍9邑8﹀の概念のみで論じられて. いたものが概念的格闘が行なわれ﹃政治経済論﹄での一定の深化だと考えることができる。それは﹃社会契約論﹄におい.                     ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ                                                      ヤ ヤ. て︿8。聾盆9並窃﹀の語が完全に姿を消すことからも確認しうるのである。では﹃社会契約論﹄をみてみよう。﹁あら. ゆる社会の中でもっとも古く、またただ一つ自然なものは家族という社会︵ω○。一ひ邑である。﹂﹁家族はいわば政治社会. ︵89騨ひ窓浮昼幕︶の最初のモデルである。﹂しかし、この︿。。8養ひ言浮昼奉﹀も﹃社会契約論﹄の中でその後使われ.                   ㈱.      ヤ  ヤ  ヤ  ヤ                                                       ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ. ない。使用されるのは、もっぱらアソシアシオンとコミュノテであってこの両概念が論理の軸となる。﹁各構成員の身体. と財産を、共同の力のすべてをあげて守り保護するような、アソシアシオンの一形式を見出すこと。そうしてそれにょっ                                               る て各人がすべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること﹂という根. 本命題から始まり、その根本命題に解決を与える社会契約の﹁諸条項は、正しく理解すれば、すべてが次のただ一つの条. 項に帰着する。即ち、各構成員をそのすべての権利と共にコミュノテの全体に対して全面的に譲渡することである。﹂つ.                                                  ウ                          ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ             ヤ  ヤ  ヤ                          む. まり、ルソーの論理に従えば、人々は自然状態から結合してコミュノテに入る。その時、各人の権利はコミュノテ全体に. 対し全面譲渡する。従ってコミュノテ内部で各人がそれぞれ権利を主張すれば︵自分自身が裁判官であること︶﹁自然状. 態﹂が存続するし、あるいは全面的な自由喪失”受還目一Φとなる。コミュノテにあって全体的関連なしに個人の意志を考.               ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ                                                                             ヤ  ヤ  ヤ  ヤ. 察する場合、個人の特殊意志と呼びその総計を全体意志と呼ぶが︵へーゲルの﹁欲求の体系﹂︶、この特殊意志を止揚する. のは、アソシアシオンにおける方向性の一致である。﹁我々の各々は、身体とすべての力を共同のものとして一般意志の.                                                 岡 最高の指導の下におく。そして我々は各構成員を、全体の不可分の一部として、ひとまとめとしてうけとるのだ。﹂即. ち、コミュノテの全体目アソシアシオンの方向性”一般意志なのである。この一般意志の確認”実体化が次の文章であ. 一105一.

(10)                                     ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ.                                      ヤ  ヤ  ヤ                                  ヤ  ヤ. る。﹁アソシアシオンのこの行為は、直ちに、各契約者の特殊な自己に代わって、一つの精神的で集合的な団体︵巨8弓ω. ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ                      ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ. 日o邑卑8一8段︶をつくりだす。その団体は集会︵霧器ヨ巳曾︶における投票者と同数の構成員からなる。それは、この. 同じ行為からその統一、その共同の自我︵※G・D・H・コールにょる英訳は8ヨヨ○巳留日一受︶、その生命及びその意志. を受けとる。このように、すべての人々の結合︵暮箒︶にょって形成されるこの公的人格は、かつては︿O譲﹀という.                                      ヤ  ヤ  ヤ  ヤ. 名前をもっていたが、今では共和国︵園9魯言器︶あるいは政治体︵8壱ω宕一一且ま︶という名前をもっている。その.                             ヤ  ヤ  ヤ.                        ヤ  ヤ 構成員にょって、政治体が受動的に法に従うときは国家︵蝉辞︶、能動的に法をつくるときは主権者︵ω○薯Φ邑p︶と呼.                    ヤ  ヤ   ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ     ヤ  ヤ  ヤ. ばれ、それを他の同じ公的人格と比べるときは、国際法の上で国︵陰一器き8︶と呼ばれる。構成員についてみると集合. 的には人民︵勺窪巳Φ︶という名称をとり、主権に参加するものとしては個別的に市民︵Ω8巻霧︶、国法に従うものとし              ㈱ ては臣民︵ωε9ω︶と呼ばれる。﹂だから、我々は、この﹁精神的集合的団体﹂を公民団と呼んでもよかろうが、しかし. その時、コミュノテの構成員の一部が公民団を構成するのではない。ルソーの場合、コミュノテの構成員において能動的. り、コミュノテ全体の共同の利益や意志にみる場合一般意志なのであるから、公民団は正確には市民団としか呼べぬで. 市民と受動的市民の差異はないのであって、コミュノテの意志を、内部にある個々の利益や意志にみる場合全体意志であ                                            シトワイヤン. あろう。コミュノテ構成員と同数の者がこの団体を構成し集会を開く。つまり、コミュノテ構成員“シトワイヤン時集会. 構成員である。ただ我々はその集会において議決については多数決もあること、また集会は﹁廃止ないし延期しない定期.                        ㈹ 集会︵一Φ。 。器器B匡曾ω忌言鎌ε①ω︶﹂であること、を確認しておこう。だから、ロックの集会が不定期的・間接的なもの                                          ヤ  ヤ に比べて、ルソーの集会は定期的・恒常的なものなのである。この集会を通して表現される意志︵腫一般意志︶が公的人. 格”シテ腕レプブリークHエタ”コール・ポリティクである。 ﹃社会契約論﹄の中ではその後、もっぱら、シテ、エタ、                                                               ヤ        ヤ                                か                                        ヤ                                コール・ポリティクの三語が使用される。﹁エタまたはシテは精神的人格にほかならない。﹂だから、エタ“一般意志を実. 体化して執行する者、即ち、代理人が必要である。人民”市民“主権者が、発した一般意志︵エタ︶の、執行人”代理. 一106一. 説. 論.

(11) リヴァイアサンの論理日. 人、これが政府︵αq2お日ΦBΦ艮︶である。それはエタとスヴレの中間にある。つまり、中間団体である。﹁この団体の成. 員は、施政者︵目お巨§︶または王︵邑︶、即ち統治者︵αqO薯Φ目Φξ︶と呼ばれ、団体全体としては執政体︵冥ぎ8︶﹂.                                                    ㈹. という名をもつ。従って政府とは執行権にほかならないのである。このようにルソーの論理を辿ってみると、ソシュエ. テ、コミュノテ、エタ、等の概念の区別は必ずしも明瞭でないし、またコミュノテの発する一般意志を実体化するプロセ                                 ヤ   ヤ  ヤ   ヤ   ヤ  ヤ   ヤ  ヤ. スにおいて構成員が常に同数であることから、ルソーの政治は大規模社会では殆ど実現不能に陥ってしまう。その意味. で、リーデルが﹁ルソーの契約構成には、この一般意志を共同体の中で制度的に実現する点に関して首尾一貫性が欠け、                                               ⑳ またその政治理論には、最後に至って再度古いポリス︵シテ!︶に回帰するという論理的矛盾が見られる﹂という指摘は. 充分首肯できょう。しかし、ルソーのコミュノテとアソシアシオンの概念は人民主権の主張とあいまって、後世のアソシ                                    ㈹ アニストや空想的社会主義者、またマルクスにも大きな影響を与えることになる。.  さてカントがルソーの影響をうけたことはよく知られている。﹁国家論において、カントはルソー﹃社会契約論﹄の自. 由並びに同意と、ホッブズ﹃リヴァイアサン﹄の支配並びに絶対的権威とを結びつけようとする。かれは自由主義的、個.          ヤ  ヤ  ヤ  ヤ. 人主義的諸前提から出発するが、拘束されないエゴイズムのもつ力に対する恐怖と、人民、大衆に対する一般的恐怖の為                                ㈹ に、保守的で権威主義的な諸原理を弁証することで結論を下すのである。﹂カントの論理の出発点は自然状態︵ω韓房ま→. 霞巴一ω︶に対立する公民状態︵ω聾臣9≦冴︶であり、﹁諸個人の全一体は、その固有の諸成員との関係において国家︵o一≦、. 幹霧︶と呼ばれる。即ち、法的状態において存在しようとする万人の共通的な︵αqΦ日①置鐙旨︶利害により結合したものと. して、公共体︵○ΦB①言名89︶︹広義の共和国︵おω陰匡8巴蝕島巴o島。鼠︶︺と名づけられ、他方、他国民との関係に                            ㈹ おいては、端的に勢力 ︵ζ8算宕房導一山︶と呼ばれている。﹂ここまではルソーとほぽ同じ論理である。しかし、ル. ソーがポリス鋪シテに回帰することによって、コミュノテヘの各人による結合契約との論理矛盾をきたしたことから、カ.                             ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ. ントは公民的結合契約︵窓o言日巨δ巳。。9≦房︶を、ア・プリオリな規範として主張するのである。︵﹁ア・プリオリ﹂.                          ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ. 一107一.

(12)                        ヤ  ゐ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ. ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ. の意味については後述しよう︶﹁国家︵。一<一鼠ω︶とは法の諸法則のもとにおける人問の一群の結合である。.・.⋮..即ち、. 理念における国家である。⋮⋮⋮それは規範︵8§餌︶として役立つ。﹂﹁立法のために結合してこういう社会︵ω○。一Φ鼠ω. 〇三冴︶の、即ち国家の、成員となる者たちは、国家公民︵。一くΦ。。︶と呼ばれる。﹂﹁この︵公民的︶自立性︵霊窪旨墜9Φ馨一曽︶.                                        ㈹ という性格は、能動的国家公民と受動的それとの問に区別を設けることを必然ならしめる。﹂受動的公民とは職人、雇. 員、未成年者、婦人等を指しており、カントはロック的な制限選挙を主張することによりルソーと訣別することになる。. カントは、アリストテレス以来の国家“政治社会”公民団という同一性原理の最後の主張者であり、しかもそれを内在的. 論理というよりも外在的な、ア・プリオリな規範によって設定するのである。ところで、カントは一七九三年、︵フラン. 一108一. ス﹃人間と市民との権利宣言﹄に関連して︶﹃理論において正しくとも、実践においては役立たないという俗諺につい. 理論の中で停滞させたこと、つまり、自由で自立した人間が家長のもつ法的特徴に意味づけられたのである。第四は、第. リオリな原理によって基礎づけられている﹂のである。第三に能動的公民と受動的公民の区別によって支配からの解放を. も、公民の自立性概念によって国民の分裂、公衆旺公共の分裂が生ずること、つまり﹁投票権に即してみるとア・ポステ. 念はア㌔フリオリに証明されえるものではない。第二に根源契約がア・プリオリな原理に従って社会を基礎づけるとして.   ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ. 第二原理は﹃フランス人権宣言﹄の基本原理と同じであるが問題は第三原理にある。第一にカントのいう公民の自立性概.                                                 ㈲ 9Φ日貯︶、である。この﹁ア・プリオリな三つの原理﹂についてリーデルは五点にわたって問題提起をしている。第一、. ︵99。浮Φ5、③公共体︵OΦ幕ぢ壽の窪︶の各構成員の公民︵ω鼠9匡茜巴としての自立︵ωΦ一げ。。巨似巳蒔犀魯も昌δ良一−. ①︿ω・。一9霧。三房﹀の各構成員の、人間としての自由︵即①旨Φε、②各構成員と各構成員との問の臣民としての平等. て﹄を著わしその第二章においてホッブズ批判を展開している。しかし、ホッブズ批判とはいえ、﹁その大筋において          も ホッブズの思想を追う﹂ものであり、批判点といえば、ホッブズの﹁抵抗権﹂︵それを革命権とみなした上で︶の否定だ                                                ㈹ けだといってもさしつかえあるまい。その論文においてカントは﹁ア・プリオリの原理﹂を明らかにしている。それは、. ㈲. 説 論.

(13) リヴァイアサンの論理日. 一、第二原理と第三原理との矛盾である。第五に、社会領域が政治社会のア・プリオリかつ法的な構成の副産物にとどま. り、単に相互的自由と平等とを内容とするかにみえるあの法概念から一方的従属と新しい不平等とが結果として生ずるこ.             ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ                           ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ. とである。さて、カントの先験性の現実的背景とは何であったろうか。﹁すでに権力を獲得し安定させた社会階層は、世. 界構成の諸要因が必然的に先験的なものではなく、事実上経験的なものであると主張することが比較的に容易であるし、.                め   ヤ   ヤ   ヤ   ヤ   ヤ   ヤ   ヤ   ヤ. またそれらの諸要因間の具体的な関連性という基本的問題に自ら答えるゆとりをもつこともできるのである。ところが、. これらの諸要因とその関連性とが将来の可能性として、まだ単に待望され、願望されているだけであるところでは、換言. した理念として、要請としてうけとめられるほかはない。﹂カントの論理が、ω鼠讐嘗茜R”℃○年貫9<厨であり、ω鼠魯”. すれば存在の認識ではなく、その評価が問題とされるところでは、そのような傾向は弱くなる。それらは﹃経験﹄を超越                         の   ヤ ヤ          ヤ ヤ                               ツ. o一くぎωも8蛋霧〇三房であれば、カントはまさしく古典的な同一性原理の伝統にある最後の主張者としてそれを後進的. ドイツの社会現実に位置づけたのである。カントもまた、ロックやルソーと同じく、古典的同一性原理への回帰、あるい. は繰り返しであれば、へーゲルによって以下の様に批判されざるをえない。即ち、﹁もし国家が様々の人格の一体性、た.                                       ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ. い。近代の国法学者の多くは、これ以外の国家観にこぎつけることはできなかったのである。﹂. だ共同性であるような一体性と考えられるならば、これによって考えられているのは、市民社会の規定であるにすぎな                                        ら.  カントが世界構成の諸要因とその関連を論ずる際、論理の起点をア・プリオリな原理、即ち構造の外へ、理念、要請と. しておいたとすれば、アダム・スミスは逆にそれら一切を経験の中に解消し歴史的実態の中で語る。それは理論的論理で. はなくて歴史的現実的論理である。国家”政治社会の定式は現実のコモンウェルスロ政府︵αqO<Φ旨目①暮︶と表現され、.                         の そのガヴァメントもせいぜいのところく鼠≦二霧蜂暮δひにすぎない。つまり、ルソーにおいて一般意志を代理で執行. する施政者︵ヨお巨§︶は、スミスにあっては経済利益社会の番人︵〇三一日囲巨§①︶にすぎないのである。結合契                                  ⑬ 約、統治契約の双方を示す原契約︵○話ぎ巴8旨β8は﹁決してありえない。﹂原契約は、経済社会としての市民社会. 一109一.

(14)           ヤ  ヤ  ヤ. ︵。一註89Φ蔓︶、厳密にいえば一八世紀イギリスの経済的ゲゼルシャフト“近代市民社会にとけこみ、交換と分業の形態. としてのみ現れる。家共同体もまた、夫が妻の動産、不動産を自由に処分しうることでゲゼルシャフトヘとひきよせられ. る。つまり、国家も共同体も市民社会11経済社会に吸収されるから、ラサールが鋭く指摘するようにスミスの国家は.             り                                                                                                                       ら                                                                         ら. まさしく夜警国家なのである。スミスによれば、人々が市民社会に加わるのは、原契約ではなく権威及び功利の原理. ︵℃臥営乾8魚き爵自幽蔓働巳呂浮邑である。権威の原理は﹁年長である、心身の能力の優越、家柄の古さ及び富の優越                                         の ということが、ある人に他人に対する権威を与える四つの事情であ﹂って、社会発達の四段隊  狩猟、牧畜、農業、商. 業のうち商業社会を除く社会で働く原理である。商業社会で働く原理が功利の原理である。この原理は、個人の功利. よりも公的功利を優先させ﹁社会における正義と平和を維持し﹂また﹁政府を転覆しない方が私の利益よりも優先する﹂. という原理である。まさしくこれは、一八世紀イギリス社会の完全な肯定なのである。テンニエスがスミスの社会を﹁市             ㈹ 民社会“交易ゲゼルシャフト﹂と表現したのは至言であろう。.  既にみたように、ロックがコモンウェルス”ポリティカル・ソサエティ目コミュニティ、ルソーがシテ目エタ”コール. ・ポリティーク“コミュノテ、カントがシュタート”キヴィタス囲ソキエタス・キヴィリス”シュタートビュルガーとい. う形で古典的同一性原理を保持したとすれば、へーゲルの場合、この同一性原理の解体、更にいえば近代社会契約論批判. から始まるといってよかろう。その際、へーゲルにこの原理の解体を促したものこそ、スミスの経済社会としての市民社. ⋮をみよ︺⋮⋮⋮思想の栄誉になる学である。﹂と。へーゲルは社会契約説を批判して、﹁精神の偶有性がもろもろの個人. 会概念であった。へーゲルはいう、﹁国家経済学は⋮⋮⋮近代において成立した学の一つであり、⋮⋮⋮︹スミス、⋮⋮                                    ㈲. なのである。だから倫理的なものを扱うさいには、いつも二つの視点でしか可能ではない。すなわち実体性を起点にして. 考えるか、それとも原子論的扱い方をして個別性を基礎とし、これから昇って行くかである︹社会契約論︺。だが、この. 後の視点は精神を欠いている。何故ならそれは一つの合成物に行きつくだけであるが、精神は個別的なものではなく、個. 一110『. る. 説. 論.

(15) リヴァイアサンの論理日.  オイコノミエ                  .                       の 別的なものと普遍的なものとは一体性だからであ廓。﹂という。﹁精神の直接的実体性﹂が家族であるが、へーゲルの家族. は家父長的経営とは無関係な全く私的な近代的家族である。家族は﹁市民社会︵げ日αq①忌9Φ○霧Φ房畠蹄︶自身の基. 釦. 盤﹂であって、人間︵属Φ霧号︶は家族にあっては家族員、市民社会にあっては市民︵国寓αQR︶として現れる。市民社会. は、労働と欲求の満足という欲求の体系、所有を保護する司法活動、そして共同的なるものを配慮し管理する福祉行政と                  ㈹ 職業団体という三つの契機を含んでいる。﹁市民社会は万人に対する万人の個人的利益の闘争場であるとともに、この個. 人的利益が共同の特殊な要件に対して衝突する場でもあり、さらにこの二つがいっしょになって国家の一層高い見地と指              ㈹ 令に対して衝突する場でもある。﹂しかし﹁市民社会は家族と国家の間にはいる差別態﹂であって﹁市民社会において各. 人は自分にとって目的であり、その他の一切のものは彼にとって無である。⋮⋮⋮ところが特殊的目的は、他の人々との                   ヤ       ヤ                  ゆに            ヤ ヤ   ヤ め                 関連を通じておのれに普遍性の形式を与えるのである。﹂かくして市民社会という圏は、普遍性を獲得する国家へと移る。                                     の        ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ                                              む ﹁国家は倫理的理念の現実性﹂であり、﹁即自かつ対自的に理性的なものである。﹂ここにおいて初めてヘーゲルにょっ.                            ヤ  ヤ  ヤ                                              ヤ  ヤ  ヤ            ヤ  ヤ  ヤ. て、国家と︵市民︶社会の分離が完成する。しかもその分離は、家族、市民社会、国家という諸概念の区別と連関性を見. 事に規定しえたのである。ところが、政治的国家は﹁︹a︺普遍的なものを規定し確定する権カー立法権、︹b︺特殊的. な諸圏と個別的な出来事を普遍的なもののもとへと包摂する権力II統治権力、︹C︺最終意志決定としての主体性の権.                                ヤ  ヤ  ヤ  ヤ.        カ    ヤ ヤ ヤ ツ                                             ヤ ヤ ヤ. カー君主権﹂に区別される。君主権は﹁憲法及び法律の普遍性と、特殊的なものを普遍的なものへと関連させることと                             う                         ヤ  ヤ           に しての審議、自己規定としての最終決定の契機﹂を含んでいる。統治権は、﹁市民社会に属していて、国家という即自か. つ対自的に存在している普遍的なものそれ自身には属さないような共同の特殊的利益に対する行政的管理は、地方自治体                    ヤ  ヤ  ヤ. ウ                                                                                            ヤ ヤ. やその他の商工業団体や身分団体といった諸団体と、それらの管理者︵○げ一一。穿葺9︶や長や経営者などによって行われ. る﹂という。これはコーポラティズムにほかならない。立法権“議会は、 ﹁実体的関係を基礎とする身分︵“農業身                                                  ゆ                                     ヤ   ヤ                         ひ 分︶と、特殊的欲求とこれを媒介する労働とを基礎とする身分︵“商工業身分︶﹂で構成される。しかも諸身分が議会. 一111一. ㈹. む.

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