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ソーシャルメディアとオーセンティシティの構築 「インスタ映え」の観光社会学的考察

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Academic year: 2021

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特集論文

ソーシャルメディアとオーセンティシティの構築

―「インスタ映え」の観光社会学的考察

Social Media and the Construction of Authenticity:

A Sociological Analysis of Instagenic Tourism

鈴木 謙介

Kensuke SUZUKI

関西学院大学 社会学部 准教授

Associate Professor, School of Sociology, Kwansei Gakuin University

キーワード:ソーシャルメディア、オーセンティシティ、インスタ映え Keywords : social media, authenticity, instagenic tourism

I. 「インスタ映え」と観光名所 II. 観光の構築主義から〈多孔化〉へ III. 消費者行動としての「インスタ映え」 IV. オーセンティシティの構築 V. 今後の課題 要約: 本稿では、「インスタ映え」という新しい現象を対象に、ソーシャルメディア時代における観光がどのような特徴を持つのか について、主として社会学の立場から検討した。 インスタ映えは、メディアを経由して流入する情報が空間の意味を上書きするという〈多孔化〉の議論によって一部説明で きる。しかしながらそこではインスタ映えについては検討されていない。そこで本稿ではインスタ映えについて(1)消費者研 究における「関与」の程度の違いがもたらす効果、(2)経営学における「ほんもの」に関する議論を参照しながら理論的分析 を行った。 その結果、以下のような知見を得た。すなわち、(1)インスタ映えは、低関与な消費者が自らの需要を満たすために、シンボリッ ク属性に関する情報探索を行う際に適合的である。(2)インスタ映えする観光地のオーセンティシティは、ソーシャルメディ ア上のコミュニケーションが生み出すコードと、観光地のマテリアリティの相互作用が生み出している、というものである。 Abstract:

In this paper, I discuss the characteristics of tourism during the era of social media, especially instagenic tourism, from the perspective of sociological theory.

Instagenic tourism can be explained in part by discussing porosization, in that information, as it flows via media, overrides the meaning of space. However, there has been little-to-no discussion of instagenic tourism. In this study, we conducted research to examine instagenic tourism through a theoretical analysis of (1) involvement theory in consumer research and (2) authenticity in business administration.

As a result, the following knowledge was obtained. First, instagenic tourism is adaptable when consumers with low involvement search for information about symbolic attributes. Furthermore, the authenticity of a tourist spot is created by an interaction between code generated through communication on social media and the materiality of the tourist spot in question.

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I. 「インスタ映え」と観光名所 現代における「観光」を考えるうえで、スマートフォ ンとソーシャルメディアの普及は、欠くべからざる要因 だと言えるだろう。それらが単に目新しいということだ けでなく、観光研究がこれまで考えてきたいくつかの根 本的な問題に対して、より精緻な理論モデルを構築する のに重要なヒントを与えてくれるからだ。 観光との関係でとりわけ重要なのは、画像や動画を投 稿するソーシャルメディアの普及だ。この分野の代表的 なサービスである「Instagram」の利用率は、2015年か ら2016年にかけて、10代から30代の間で約5∼15ポイ ント増加した。 Instagramの特徴は、写真を投稿し、利用者に公開で きるところにある。公開された写真は、Instagram上の 友だちや一般利用者に閲覧され、「いいね!」などのリ アクションを得ることがある。また基本的にはスマホ のアプリとして利用されることを念頭に置いたサービス であるため、投稿される写真は外出先での友人とのアク ティビティであることも多く、友人からの高評価を得ら れそうなアクティビティやロケーションは「インスタ映 え」すると呼ばれるなど、2010年代後半の流行現象に なっている。 こうした流行は、観光にも影響を与えている。「ゴー ルデンウィーク」のハッシュタグが付けられた投稿の中 で1位だったのは、東京ディズニーリゾートではなく国 営ひたち海浜公園だったという。一面にネモフィラが咲 いてブルーに染まる同公園の風景は、Instagramやキュ レーションアプリで拡散されて話題になった。このよう に「Instagramで話題になると観光客が殺到する」とい う例が近年増加しており、福岡県篠栗町の「篠栗九大の 森」のケースでは、観光客によるマナーの問題や渋滞が 発生したことから、警備員が巡回するようになったと報 じられた。 ソーシャルメディアの情報が人々を観光地に引きつけ るという現象は、学術的にはどのように捉えられるの だろうか。これまでの観光研究においては、メディアと 観光地の関係を巡る「オーセンティシティ」の問題や、 ソーシャルメディア上のコミュニケーションが観光地を 構築していくという現象についてはしばしば言及されて きた。しかしながら「スマートフォンで撮影された写真」 というメディアが起点となり、それがソーシャルメディ ア上で拡散されることによって生み出される観光につい ては、ほぼ検討されていないというのが実情だ。そこで 本稿では、特に「インスタ映え」に見られる社会的な相 互作用を対象に、それがどのようなものであり、観光研 究にとってどのような意義を持つのかについて分析した い。 II. 観光の構築主義から〈多孔化〉へ まず、これまで観光研究の中で論じられてきた、メディ アと観光の関係について振り返ってみよう。たびたび繰 り返されてきたように、この分野ではダニエル・ブーア スティン(1962/1964 後藤・星野訳)による「疑似イ ベント」としての観光論が起点となり、「客観主義」と「構 築主義」とでも言うべき立場で議論が深められてきた。 すなわち、観光客はメディアによってつくられた観光地 のイメージを受動的に消費しているに過ぎないという主 張に対して寄せられた批判から、オーセンティックな観 光地とはいかなるものであるのかについての議論が盛ん になったのである。 よく知られたこの議論を簡単に振り返るならば、観 光客はメディアのイメージに踊らされ、表層的にしか 観光していないというブーアスティンの主張に対して、 ディーン・マキァーネル(1999/2012 安村・須藤・高 橋・堀野・遠藤・寺岡訳)は、観光客はむしろゴフマン のいう「舞台裏」を求めていると論じた。また、マキァー ネルを引き継いでエリク・コーエン(1979/1998 遠藤 訳)も、観光客が観光地に求めているのは、観光客のも つ様々なモードによって変化するのだということを述べ ている。 こうした議論の流れは、エドワード・ブルーナー (2005/2007 安村・遠藤・堀野・寺岡・高岡・鈴木訳) の「観光構築主義」やジョン・アーリ(2011/2014 加太訳) の「観光のまなざし」など、観光客の関わりがもたらす 観光への影響、あるいは観光という現象そのものの生成 といった論点へと至る展開だと、一般には考えられてき た。しかしながら「インスタ映え」のような現象につい 図1 Instagramの利用率 (総務省(2018)をもとに筆者作成)

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て考える場合には、この先行研究の流れを従来とはやや 異なった視点から切り直してみることが重要ではないか と筆者は考える。 実は、ブーアスティンもマキァーネルも、ひとつの論 点を共有している。それは、現代の商業化された観光に おいては、観光すべき対象が何らかの人為によってつく られる性格が見いだせるということだ。ブーアスティン は、メディアが映し出した現実のほうがオーセンティッ クなものになることを批判し、マキァーネルはそれに対 して「演出されたオーセンティシティ」という概念で、 観光地もまた観光すべき対象を創造すると見なした。す なわち両者はともに「つくられたオーセンティシティ」 が観光の対象になりうることを意識している。ただマ キァーネルがブーアスティンと異なるのは、観光客もそ の「つくられたオーセンティシティ」について意識して おり、より「舞台裏」へと向かおうとすると見なした点だ。 要するに、ブーアスティンもマキァーネルも、観光地 には見るべき対象、あるいは構築されざる「生の現実」 が固有のものとして存在しているという前提に立ってい る。問題になっているのは、その現実とメディアのイメー ジや観光客のもつイメージとのギャップであり、それが 埋められることが「オーセンティックな観光」であると いう意識を見出すことができるのである。 これに対して、ブルーナーやアーリの立場は、「観光 すべき対象」を、あくまで観光客や、せいぜい観光客 と観光地の間の相互作用によって生み出されるものだと 見なすものであり、その意味で強い構築主義的な前提に 立っている。すなわち、観光すべき対象が固有のものと して認知されるのは、そこで相互作用を行う人々の振る 舞いによって対象が名指され、実際に観光されるからな のであって、そうした相互作用なしに観光すべき対象が 知覚されることはありえないというのが、構築主義的な 観光の捉え方ということになろう。 このようにふたつの見方を整理すると、そこで問題に なっているのは、「観光すべき対象」のマテリアリティ (物質性)ということになる。ここで言うマテリアリティ とは、主として景観人類学の中で用いられているターム であり、人々が儀礼の対象とすることで変化する環境や、 逆に政治的な意図によって一部の「特殊な文化」が拾い 出され、意味を付与されていく環境のことを指している (河合, 2016)。 本稿における関心に照らすならば、マテリアリティと は、観光のまなざしの対象となり、まさに「見るべきも の」として対象化されるその「場所」や「景観」、「ラン ドマーク」など、なんらかの物質性を有した客体である。 観光すべき対象というものは、何らかのマテリアリティ を有した対象なのか、それとも純粋に社会的な構築物な のか。極論するならば、何のマテリアリティもない状況 においても、人々の相互作用によってその場所が観光す べき対象だと見なされれば、そこに人は「観光」として 訪れるようになるのだろうか。 従来の観光研究の視座においては、特に1970年代後 半以降、構築主義的な議論が主流であったために、この マテリアリティの問題はあまり扱われてこなかった。し かしながら現代の観光を考える上では、インターネット の普及やソーシャルメディアでの口コミといった変化に より、ますます構築主義的な前提に立った分析が求めら れるようになっている。こうした分析は、現代のメディ ア環境を考える上では非常に重要であるものの、そのよ うな視座から観光を見るほどに、観光される対象のマテ リアリティに関する考察は手薄になっていくのではない か。 そこで本報告では、その対象のマテリアリティにつ いて考えるための補助線として、鈴木謙介(2013)に おいて提起された概念である「空間の〈多孔化〉」を挙 げてみたい。〈多孔化〉とは、情報通信環境がモバイル なものになる中で、ひとつの空間に複数の空間における 個々人の役割やコミュニケーションが流入し、空間の意 味を確定できなくなる現象を指している。以下、簡潔に 〈多孔化〉について説明しよう。 私たちは通常、一個の統合された人格として社会生活 を送るものだと考えられている。だが社会学における役 割理論を参照する限り、この理解は必ずしも正しくない。 複雑に機能分化した社会においては、特定の社会領域で 個人が求められる役割も細分化し、特化したものになる 傾向がある。たとえば店のレジを任された店員は、職務 中にプライベートな会話をすることを戒められる。いわ ば「店員である自分」以外の自分は、その場では隠され るべき要素になる。 このように、場面ごとに求められる役割を意識し、自 覚的に使い分けながら私たちは社会生活を送っている。 ところがモバイルなコミュニケーション手段が普及する ことで、この使い分けがうまくいかなくなるケースが登 場してくる。たとえば、勤務中にスマートフォンに送ら れてくる友人からのメッセージ。お店という空間にいる 自分自身は「店員」という役割を帯びているのに、突如 として別の空間から、自分に「友人」としての振る舞い を期待するコミュニケーションが流入してくる。そのこ

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とによって「私」は、ひとつの空間に「店員」と「友人」 という異なる役割の混在する状況に直面することになる のである。 〈多孔化〉という概念は、こうした個々人の役割の混 乱状態を、空間という視座から描きなおしたものである。 ある物理的空間には、そのときその状況に応じた「意味」 が存在し、人々は多くの場合、その意味を意識しながら 空間内で有意味な行動をとっている。そのことによって 空間は、特定の意味が共有された場として機能する。こ のような「意味の天蓋」が共有されることで、人々は互 いの行為を認識したり、期待はずれに対処したりするこ とができる。そこで外部からスマートフォンに通信が入 る状況というのは、いわば天蓋に〈孔〉が開き、その場 の意味を共有することが困難になっているということを 示している。現在のように個人が一人ひとりスマート フォンを持っていれば、意味の天蓋に無数の孔が開く可 能性があり、「同じ場所」にいるという意識さえも希薄 化するのではないか、というのが〈多孔化〉概念によっ て示されることだ(図2)。 では、〈多孔化〉と観光の問題についてはどのような ことが言えるだろうか。まず考えられるのは、観光地と いう場所がもつ意味を、スマートフォン経由で流入して くる情報が上書きし、変容させてしまう可能性だろう。 特に「インスタ映え」との関係に焦点を当てるなら、そ こで写真を取る、ライブ動画を配信するといった行為が 行われることによって、本来行われていたことが後景化 してしまうというケースが考えられる。たとえば近年で は、複数の神社や宗教施設が「インスタ映え」するとい うことで人気になっているが、こうした施設に写真撮影 で訪れる観光客が殺到した結果、通常の参拝をする訪問 者が目立たなくなってしまっているという。 このように考えるならば、「インスタ映え」する場所 に観光客が殺到する現象は、〈多孔化〉概念を用いて理 解可能なものであるように思われる。とはいえ、これま での議論では明らかにならない独自の現象がそこで起き ていることも確かだ。 たとえば、そもそもなぜ「インスタ映え」する場所を 訪問しようとするのかという問題。これまでの〈多孔化〉 の議論においては、ある空間にいる個人に、外から情報 が流入してくるというケースが想定されていた。しかる に「インスタ映え」のケースでは、人々はその場所に自 身が訪問し、積極的に意味を流入させ、場所性の上書き を行っているように見える。なぜ人々は、ソーシャルメ ディアで見た情報をもとに、実際にその場所へ向かおう とするのだろうか。 また、そこで実際の空間がもつ意味、あるいはマテリ アリティがどのように扱われているのかという点も、従 来の議論からは明らかでない。スマートフォンで「イン スタ映え」するスポットを発見した人々は、その写真だ けを見て「ここに行きたい」と考えるのだろうか。強い 構築主義的な前提に立つとすれば、そのようにしてソー シャルメディアで話題になれば、どんな場所であっても 「インスタ映え」するということで人気になりうるはず だが、実際に人が集まるスポットは限られている。そこ には何らかのマテリアリティが介在している可能性はな いのだろうか。 以下に続く節では、こうした関心をもとに、スマート フォン経由で広がる「インスタ映え」する場所への観光 が、どのような原理で行われているのかについて論じる。 III. 消費者行動としての「インスタ映え」 まず人々が、ソーシャルメディアの情報をもとに特定 の場所を訪れるという振る舞いについて考えてみたい。 現在では「インスタ映え」するスポットへの訪問は流 行現象、すなわち集合的に観察される現象になっている が、もともとは一人ひとりがそれぞれの動機づけで行う 消費行動である。だとするなら、まずは「インスタ映え」 という消費のスタイルについて分析する必要があるだろ う。 消費者がメディアの情報との相互作用の中で消費を決 定するプロセスについて、消費者行動研究では「消費者 情報処理」というアプローチを取る。これは消費者をひ とつの情報処理システムと捉え、外部から入ってくる情 報だけでなく、個人の内部で記憶や認知などの情報がど のように扱われるかを研究する分野で、主として心理学 図2 現実の〈多孔化〉 (鈴木(2013 p. 137)をもとに筆者作成)

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での蓄積が多い。 研 究 の 発 展 や メ デ ィ ア な ど の 環 境 の 変 化 も あ っ て、従来の研究を一言でまとめるのは難しいが、ここ では消費者情報処理モデルの主要概念である「関与 (involvement)」を手がかりに整理しておく。関与とは、 製品に対して動機づけられた結果として活性化される内 的な状態のことである。青木幸弘は消費者の関与を「対 象や状況(ないし課題)といった諸要因によって活性化 された個人内の目的志向的な状態であり、個人の価値体 系の支配を受け、当該対象や状況(ないし課題)に関わ る情報処理や意思決定の水準およびその内容を規定する 状態」(青木, 1989)と定義している。 関与は一般に、その水準の強度を連続的な変数として 表現できると考えられている。そして高関与であるか低 関与であるかによって、情報処理プロセスにも変化が生 じるとされる。青木(2012)によると、消費者が高関 与な状態では、情報の処理水準は深層的になり、情報探 索の量や範囲が拡大し、対象や状況に関する中心的な情 報によって態度が形成されるという。逆に低関与な状態 では、情報の処理水準は表層的なものになり、情報探索 の量や範囲が縮小するため、周辺的情報によって態度が 形成されるという。 日常的な語彙でこの違いを説明するならば、以下のよ うになるだろう。すなわち、製品に対して強い関心があ る状態では、消費者はネットで様々な情報を、詳しいと ころまで検索し、それについて吟味するだろう。製品を どのように受け止めるかについても、性能や成分といっ た細かなところまで知った上で判断するはずだ。逆に製 品に対する関心や知識が希薄であれば、製品に対する態 度も、表層的で印象論的なものにとどまるだろう。 消費者の関与の水準による、製品の受け止め方の違い はどのようなものか。新倉貴士(2005)は、消費者の 知識に関するひとつのモデルである「手段−目的連鎖モ デル」を援用しつつ、製品に対する消費者の受け止め方 としての「属性」を、「特性的属性」「便益的属性」「シ ンボリック属性」の三種類に分類している。特性的属性 とは、物理的で客観的な具体的特性、いわゆる性能や成 分のような属性である。そして便益的属性とは、たとえ ば「無農薬」という特性的属性に対して抱く「体に良さ そう」といった受け止め方のことを指す。他方で、「親 としては、子供に食べさせるなら無農薬野菜を選びたい」 という受け止め方をする場合、それは製品の特性からよ り抽象化された属性ということになるので、シンボリッ ク属性であるといえる。 関与の水準の強度が製品に対する態度に影響を与える とするならば、そこで消費者が見出す属性にも差が生じ ると考えられる。すなわち、高関与な状態であれば消費 者はより特性的属性や、そこから得られる便益的属性に 関する情報を探索する一方、低関与な消費者はそこまで 具体的な情報を事細かに調べず、印象から導き出された 便益的属性やシンボリック属性などの抽象的な属性で製 品に対する態度を決定すると想定できるのだ(表1)。 では、消費者の関与水準と求められる属性の関係を、 スマートフォンという媒体によって情報探索するという 状況において考えると、どのようなことが言えるだろう か。ここで重要なのは、スマートフォンからアクセスす る情報の特徴であろう。一般にパソコンよりも画面の小 さいスマートフォン向けの情報は、画面上に表示される 情報が多くなりすぎないように最適化されていることが 多い。そのため、複数の製品のスペックを比較したり、 大量のリストから自分の求める製品を見つけ出したりす ることには不向きである。一方で、解像度が高く画面の 美しいスマートフォンでは、ディスプレイ全体を覆うよ うな画像や動画を発信することで、細かな特徴は伝わら ないとしても、直感的な印象やデザインなどの情報をよ り効果的に伝達できるという特徴がある。 さらに、パソコンのように大きく、持ち運びに不便な 手段では、消費者がなんらかの課題を感じた瞬間に、そ の場で情報探索を行うことが難しい。通信手段を兼ね備 えているスマートフォンはその点で、その瞬間、その場 所で生じた課題を解決する製品を、すぐに調べられると いう特徴も持っている(図3)。 こうした特徴を挙げていくと、スマートフォン経由の 情報探索が、高関与な消費者による特性的属性の探索で はなく、いま食べたい、この近くで休みたいといった、 突発的であるがゆえに低関与な動機を有した消費者によ る、抽象的な属性の情報探索に適していることがわかる。 そのような前提からInstagramというサービスを見るな らば、そこでは確かに画面いっぱいのサイズの画像が掲 載され、そのシーンに対する強い印象を残す一方で、そ れがどこで撮られたものなのかといった特性的属性につ いては掲載されていないか、わざわざ調べないと分から 表1 現実の〈多孔化〉 高関与 低関与 求められる属性 特性的属性、便益的属性 便益的属性、 シンボリック 属性 (筆者作成)

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ないようになっている。以上のことから、「インスタ映え」 という現象には、消費者行動論の観点からは「いまここ で生じた課題を消費によって解決したい」という低関与 な消費者が情報探索を行う上で合理的に行動した結果と して生じている側面があるといえるのである。 ただ、こうした説明はあくまで、消費者の「事前探索」 について説明したものに過ぎない。Instagramはそもそ も観光スポットや飲食店などの消費手段を紹介するため のサービスではないし、スマートフォン向けには他にも レジャースポットを紹介する様々なアプリがある。それ にもかかわらず、そこで紹介される風景すらも「インス タ映え」するという形で、Instagramに投稿されること が推奨されるのはなぜなのか。 これについても、消費者行動論の知見を援用して理解 することができる。一般に低関与な消費者の情報探索に おいては、表面的で抽象的な属性が態度決定に影響する ため、実際に購入した際の後悔につながることが多いと される。その代わり、情報の処理にかかるコストを減少 させることによって便益を得ようとするのである。つま り、時間をかけて色々と調べておけば購入後に後悔する 確率は下がるだろうが手間がかかる。その手間を省く代 わりに、後悔するリスクを引き受けるというのである。 Instagramのようなソーシャルメディアには、投稿し た画像に対して「いいね!」などのリアクションを行う ことができる機能が実装されている。そこで「いい」と されているのは何か。まさに消費者の選択そのものが、 そこで肯定されているとは考えられないだろうか。つま り、表面的で抽象的な属性をもとに購入を決定した製品 に対して、事後評価として与えられる「いいね!」が、「こ の製品を購入したのは間違いではなかった」という安心 感をもたらしているのではないか。 以上見てきた通り、「インスタ映え」するスポットへ の訪問という消費行動は、①スマートフォン経由の情報 探索行動が、画像などによって抽象的属性にもとづく態 度決定を行う、低関与な消費者の選択に適合的であるこ と、②抽象的な属性による態度決定がもたらす後悔を、 ソーシャルメディア上でのリアクションが緩和してくれ ると期待できること、という2つの点から考察すること ができる。以下では、この考察をもとに、なぜ「インス タ映え」する場所を実際に訪問しようとするのかという 点についての考察を述べていこう。 IV. オーセンティシティの構築 ソーシャルメディア上で話題になったスポットを、特 に写真やキャッチコピーといった表層的で抽象的な属 性を求めて訪問するという出来事は、どのように理解さ れるべきか。メディア上で見たものを実際に確認するた めに訪問するというのであれば、それはまさにブーアス ティンの言う「疑似イベント」そのものであり、とりた てて新しい行為ではないように思える。 確かに、たとえばレジャースポット紹介アプリだけを 見て訪問先を決めたということであれば、そこには一定 の疑似イベント的な性格を見出すことができるだろう。 しかしながら既に考察してきた通り、「インスタ映え」 するスポットへの訪問という行為には、そうした「メディ 図3 スマホとPCにおける情報探索と関与度の違い (筆者作成)

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アのイメージを追認する」ということにとどまらない要 素が含まれている。 人々は、自分がどのような場所を訪問するかについて、 慎重に情報を吟味した上で決定するのではない。むしろ 「インスタ映え」するスポットについての情報は、まず 写真などのイメージが先行し、そこから実際の場所がど こであるのかを調べるという順番で探索される。そして その場所が行くことのできる場所であった場合に「訪問」 という行為が行われ、またそこで写真の「撮影」が行わ れる。撮影された写真はInstagram上で公開され、「いい ね!」などの評価を得ることで、抽象的だった訪問先の 属性が「よい」ものとして認知されるようになるのだっ た。 ここで重要なのは、多くのユーザーが訪問先を決定す る際、その場所がどこにあるかということと同じくらい、 「Instagram上でどの程度の評価があるか」を確認すると いうことだ。具体的には「同じ場所のハッシュタグでの 投稿が何件あるか」「他の写真も同様に美しいか」といっ たことが、事前の情報探索の対象になるというのである。 こうした行動は消費者行動論的には、低関与な消費者が 情報探索の手間を省きながらも後悔を避けるために行う ものだと理解できよう。だがそれゆえこの「共有された 情報の確認」というステップは、「インスタ映え」の意 義を考える上で決定的な意義を持つのだと理解されなけ ればならない。 というのも、「インスタ映えする」という評価は、そ こで撮影された写真の美しさのみならず、低関与な消費 者がその場所を訪問し、それがInstagram上で他のユー ザーに評価されるというサイクルの中で再帰的に構築さ れるものだからだ。言い換えると、その写真に切り取ら れた風景の美しさという美学的基準ではなく、それを 人々が「美しいと評価している」という社会学的基準に よって構築されたコードこそが「インスタ映え」の本質 なのである。 ゆえに、人々がなぜ「インスタ映え」するスポットを 訪れるのかという問いに答えるとするならば、そこで求 められているのが、写真を眺めて感じる美しさではなく、 人々が「インスタ映えする」と感じている社会的評価で あり、その評価を価値付けるためには、写真を眺めるだ けでなく、実際にその場所を訪れ「ほんとうに綺麗だっ た!」と評価する側に回る必要があるからだ、というこ とができる。「インスタ映え」するということは、その ような再帰的プロセスの一部になることと同義なのであ る(図4)。 では、そこで実際の場所がもつマテリアリティについ てはどのように理解すべきだろうか。この点についても 興味深い例が報告されている。「インスタ映え」するス ポットとして有名なもののひとつに「壁に描かれた天使 の羽」というものがある。この壁の前に立ち、正面から 写真を撮ると、まるで天使の羽が生えているように見え るということで、Instagramでは定番のスポットだ。 実はこの「天使の羽」にはルーツがある。これはアメ リカ人アーティスト、コレット・ミラーが始めた「Global Angel Wing Project」というアート作品なのだ。ミラーは 「人はだれでも天使になれる」というコンセプトを作品 の中核に据えており、そのためこの作品は、オリジナル が描かれたロサンゼルスのみならず、ニューヨーク、ハ ワイなど世界各地に存在する。 しかも、Instagram上で人気になっている「天使の羽」 スポットの中には、ミラーが描いたものではない作品も 図4 インスタ映えをめぐる再帰的プロセス (筆者作成)

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数多く含まれている。というよりも、上述した「写真と 評価の相互作用から再帰的に構築されるコード」の中に、 それがミラーの作品であることという条件は含まれてい ないと考えるべきだろう。こうした現象だけを見れば、 現代の「インスタ映え」するスポットの訪問という現象 からは、実際の場所のマテリアリティは失われているよ うに思える。 これは言い換えれば、「インスタ映え」するスポット のオーセンティシティは何かという問題でもある。「天 使の羽」が描かれている壁があれば、それはどこでも「ほ んものの天使の羽」になるのだろうか。それとも場合に よっては「にせものの天使の羽」ということになるのだ ろうか。 この点について参考になるのは、オーセンティシティ についてビジネスの面から考察した、ギルモアたちの整 理だ。ギルモアらによれば、人々は企業の提供する「に せもの」の価値に飽き飽きし、なんからの点で「ほんも の」とみなすことのできる価値を求めるようになってい るという(Gilmore & Pine II, 2007/2009 林訳)。大量生 産の規格品や効率化を重視したサービスでは、価格以外 の競争力を失い、コモディティ化を避けられない。その ために企業の製品や企業自身が、顧客に対してオーセン ティシティを示す必要があるというのだ。 そこで重要なのは、オーセンティシティにも二種類あ るという点だ。ギルモアたちは、ライオネル・トリリン グの「誠実」に関する議論を引用しながら、それを「そ れ自体(自己)に誠実であること」と「そうだと主張す るもの(自己)であること」と述べている。直感的に理 解しがたいこの区分は、要するに企業や製品のオーセン ティシティが、何に立脚したものであるかによって線を 引くことのできるものである。 「それ自体(自己)に誠実であること」とはどういう ことか。ギルモアたちが引用するトリリングの文脈にお いては、「誠実であること」とは、自己の役割に忠実で あること、すなわち他者からの期待を裏切らずにいるこ とだった(Trilling, 1972/1976 野島訳)。ここでギルモ アたちはもとの概念を転用し、自社(製品)はこうある べきだと標榜した価値、すなわち自社(製品)に対する 外在的価値に忠実であることとして、この概念を捉えて いる。具体的に言えば、「わが社は地球環境を大事にし ています」と標榜するならば、実際に環境に配慮した活 動を行っていなければならないということだ。 「そうだと主張するもの(自己)である」とは、まさ にその自社(製品)が何であるかについて偽ってはなら ないということを意味する。牛肉100パーセントを謳う のであれば、実際に牛肉しか使ってはならないし、無添 加だというなら、食品添加物を使用してはならない。こ うした自社(製品)の内在的価値が、ここで示されてい るものということになる。 この二種類のオーセンティシティを彼らが挙げた理由 は、多くの企業にとって、外在的価値においても内在的 価値においてもオーセンティシティを有した自社(製品) であることは、現実には困難であるということ、そのた め、外在的価値、内在的価値のいずれかがオーセンティ シティを有しているような自社(製品)であることにも 注意を向けるよう促すためだ。彼らは、内在的価値が「ほ んもの」で外在的価値が「にせもの」であるような「ほ んもの・にせもの」と、逆に外在的価値が「ほんもの」 で内在的価値が「にせもの」であるような「にせもの・ ほんもの」について、様々な企業や製品の事例を挙げつ つ、そのことを強調している。 一例として、「リプロ」と「レトロ」と呼ばれている 概念について述べてみよう。「リプロ」とは「リプロダ クション」の略だが、むしろ「リノベーション」と言っ た方がわかりやすい。横浜の「赤レンガ倉庫」は、かつ て実際に倉庫として使用されていた場所を改装して店舗 として利用しているわけだが、そこには「この建物はほ んものの倉庫だった」というオーセンティシティがある。 言い換えると、その場所がいまは倉庫ではない、つまり 倉庫という場所のあり方(外在的価値)に誠実でなくて も、そこが倉庫であった(内在的価値)のオーセンティ シティが、赤レンガ倉庫に価値をもたらしているのであ る。 対する「レトロ」の例として挙げられるのは、新横浜 の「ラーメン博物館」であろう。そこではラーメンのルー ツとされる「昭和30年代の町並み」が再現されているが、 その建物や場所に、実際にそのような町並みがあったわ けではない。その点でラーメン博物館の「昭和30年代の 町並み」は「そうだと主張する内在的価値」に反している、 すなわち「にせもの」だ。しかしながらその町並みには、 昭和30年代の映画のポスター、公衆電話、駄菓子屋など があり、またスタッフが「駄菓子屋のおばちゃん」を演 じてもいる。つまり可能な限り「昭和30年代の町並み」 という外在的価値に誠実であろうとしている。 ギルモアたちの言う「ほんもの・にせもの」としての「リ プロ」と「にせもの・ほんもの」としての「レトロ」と いう対比を、先の「天使の羽が描かれた壁」のケースに 当てはめて考えてみよう。そこで「天使の羽」のオーセ

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ンティシティを、「コレット・ミラーが描いたもの」す なわち内在的価値にあるとするならば、世界各地に存在 する「天使の羽」の多くは「にせもの」である。だがそ こで、「天使の羽」の価値を外在的なもの、すなわち「あ の天使の羽そのもの」であることに求めるならば、それ らの羽も「ほんもの」であると言うことができるのでは ないか。 問題は、そこで「あの天使の羽である」ということが、 どこから生じているのかという点だ。その外在的価値と してのオーセンティシティを生み出しているのは、まさ にInstagramで写真が共有されること、そしてそれがユー ザーたちに評価されること、さらに、その評価が情報探 索の対象となることである。つまり、先に述べた社会学 的基準によって構築されたコードこそ、そこで「天使の 羽」を「あの天使の羽」たらしめているものなのである。 では、「天使の羽」は、どこに、どのように描かれて も「あの天使の羽」であるのだろうか。確かに、「天使 の羽」のオーセンティシティを構築するコードは、ソー シャルメディア上のコミュニケーションに由来するもの のようにも見える。だがここで注意しなければならない のは、そのコミュニケーションとは、人々が共有するコー ドに従って「いいね!」などのリアクションによって評 価を可視化する振る舞いなのだということだ。 そこで評価されているのは何か。それは、Instagram やレジャースポット紹介アプリの写真であり、その写真 が撮影された場所そのものである。ということは、ここ で生じているのは、ある場所のマテリアリティが「撮影 された写真」という形で、あるコードのもとに評価さ れ、その評価がその場所のマテリアリティを構築すると いう、場所とコードの相互作用による再帰的なプロセス だということができるだろう。だから、「インスタ映え」 するスポットは、単にコミュニケーションによってのみ 構築されるのではない。コミュニケーションが生み出す のはあくまでコードであり、コードが評価の対象とする マテリアリティがなければ、「インスタ映え」もまた存 在しないのである。 以上の考察から、マテリアリティとコードの関係は図 5のように整理できる。すなわち、あるマテリアリティ を持った対象がデータとしてイメージ化されることで、 別のマテリアリティを評価するためのコードへと昇華さ れる。また、そのコードが人々の間で共有されることで、 マテリアリティに対する取捨選択が行われ、コードに合 致するマテリアリティが顕在化するのである。 V. 今後の課題 以上に述べてきたことを簡単に振り返っておこう。「イ ンスタ映え」するスポットへの訪問という社会現象には、 まだ明らかになっていない論点がいくつかあった。本報 告では特に「なぜインスタ映えする場所を実際に訪問す るのか」「インスタ映えするかどうかという問題に、場 所のマテリアリティはどう関わるのか」という点につい て分析と考察を行った。その結果、「インスタ映え」す るということは、実際の場所への訪問や評価を通じて生 成されるコードの問題であること、そして、そのコード と場所のマテリアリティの相互作用こそが、その場所を 図5 コードとマテリアリティの相互作用 (筆者作成)

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「インスタ映えする場所」たらしめているのだというこ とが明らかになった。 こうした知見のインプリケーションは、「インスタ映 え」にとどまらない広がりをもつ。たとえば現代の商 業施設においては、アラン・ブライマンのいう「テーマ 化」された消費空間を多く見出すことができる(Bryman, 2004/2008 能登路監訳)。こうした「テーマ」はこれま で、空間の提供者や運営者によって統制され、管理され るものだと考えられてきた。しかしながらラーメン博物 館の事例からもうかがえる通り、「昭和30年代の町並み」 といったテーマをテーマたらしめるのは、提供者という よりは来訪者も含めたステークホルダー間の相互作用で ある可能性が高い。だとするなら、「インスタ映え」と 同じように、付加価値化された空間の価値の生成プロセ スについても再検討する余地があるだろう。 また、現代の消費者が「インスタ映え」に何を見出し ているのかという、内面的な意味論の問題については、 今回の報告では扱えなかった。レジャーも消費財もあふ れかえる消費環境の中で、ほかならぬ「インスタ映え」 が選択される背景には、どのような要因があるのだろう か。消費者が低関与であるとしても、そこで表層的、直 感的に「これだ」と選ばれる以上は、彼ら自身の内的な 論理を超えた要素があると考えるほかないだろう。 こうした点について考察するためには、「インスタ映 え」あるいは「観光」という現象だけを切り出して分析 するだけでは足りない。むしろ消費社会としての現代社 会を綜合的に把握する、理論的パースペクティブが求め られているのだ。 参照文献 青木幸弘(1989)「消費者関与の概念的整理―階層性 と多様性の問題を中心として」『商学論究』37 (1-4), 119-138. 青木幸弘(2012)「情報処理のメカニズム」青木幸弘・ 新倉貴士・佐々木壮太郎・松下光司編『消費者行 動論 ―マーケティングとブランド構築への応 用』(pp. 138-162)有斐閣

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Business Review Press. [林正訳(2009)『ほんも の―何が企業の「一流」と「二流」を決定的に 分けるのか?』東洋経済新報社]

河合洋尚編(2016)『景観人類学―身体・政治・マテ リアリティ』時潮社

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参照

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