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ババッド・タナ・ジャウィ(8) 第5部ババッド・マタラム2

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訳 者 序 言 今号はババッド・マタラムの 2 回目で (第49∼60章), スルタン・アグ ンによるジャワの統一が語られる。ついに東部ジャワの宿敵スラバヤを倒 し (第56章), オランダの拠る西部ジャワのジャカルタ (バタヴィア) 征 服は失敗に終わるが (第59章), その後東端部のバランバンガン王国と西 部ジャワのスムダンを征服して (第60章), 統一事業は一段落つく。なお スラバヤ征服は1625年, ジャカルタ遠征は1628∼1629年である。 ジャワの統一には, 武力による制圧一辺倒ではなく様々な術策, 政略が 用いられる。政略結婚は常套手段だが, とくにスラバヤの王子プキックに 妹パンダン・サリを与えたのは重要である。この夫婦の間に生まれた娘は スルタン・アグンの長男であるマンクラット 1 世 (位1646∼1677) の妃と なる。いとこ婚であるが, この結婚から生まれた子がマンクラット 2 世 (位1677∼1703) になる。第58章でスルタン・アグンがプキックに語った 言葉はこのような未来を予言しているのである。マンクラット 2 世はスル タン・アグンの孫であると同時にプキックの孫である。とすると, スラバ キーワード:ババッド・タナ・ジャウィ, マタラム, スルタン・アグン, スラバヤ, プキック

ババッド・タナ・ジャウィ (8)

第 5 部 ババッド・マタラム 2

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ヤはセナパティ以来マタラムの征服事業に立ちはだかる宿敵であったが, ここにおいて, マタラム王国はじつはスラバヤとの婚姻の上に成立した連 合政権でもあることがわかる。このように, いとこ婚はジャワの王権ある いは王権論において重要であるが, マジャパイト王家内でいとこ婚がおこ なわれていたことは14世紀については青山亨 1995 , 15世紀については 深見 2015 をみられたい。 解 題 4.大ババッド・グループ  大ババッド 総体として大ババッドと同じ物語展開を見せる作品群を大ババッド・グ ループとよんで, 以下にその概要を紹介する。以下の説明もおおくをラス の解題によっている。 大ババッドは宮廷詩人ヤサディプラ 2 世 (Yasadipura II, 1756∼1844) がスラカルタ王国のパクブウォノ 7 世の命により編んだものであり, 1836 年に完成した。原本はスラカルタの王宮に保存されているとのことである が Ras 1987b : XIV , 筆者は原本の現状について情報をもたない。なお, ヤサディプラ 2 世の生年については明記しない資料が多いが, ここではフ ロリダに従っておく Florida 1993 : 372 。 ヤサディプラ 2 世はヤサディプラ 1 世 (1729∼1803) の子であり, ラン ガワルシタ (Ranggawarsita, 1802∼1873) の祖父である。 3 人とも宮廷詩 人であり, 時代を代表する文学者であった。なかでもヤサディプラ 2 世は サストラ・ヌガラ (Sastra Negara) つまり国家文学者という高い称号を与 えられていた。宮廷詩人は引き継いだ作品を書き次ぐことがあり, その際, 旧版に単に書き足すのではなく, 旧版の叙述に手を加えるのが普通であっ たらしい。したがって, 旧版が見つからない場合は, 古い部分ほど誰の手

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になるのか弁別が困難である。本書でも 1 世の記述と 2 世のそれを区別す るのは難しいという。 このヤサディプラ 2 世の原本からウィンテルの監督下でスラカルタにお いて写本が作成された。美しい王宮書体だという Pigeaud 1967 2 : 25 。 この写本がデルフトに送られた時点は, 1836年からウィンテルが死去する 1859年の間という以上には特定できない Ras 1987b : XV 。1864年にデル フトの東インド課程がレイデン大学に移管されたときに, ウィンテルがデ ルフトに提供した資料もレイデン大学図書館に移管され, この写本に LOr 1786 という整理番号が与えられたことはすでに述べたとおりである。  大ババッドとメインスマ版の比較 大ババッドは本来の宮廷詩であり, メインスマ版は教材用の散文である。 内容的には前者は1770年ころまで Pigeaud 1968 2 : 25 (バライプスタカ 版は1743年ころまで) を扱い, 後者は1721年ころまでを扱う。メインスマ 版が扱う1721年ころまでは, 大ババッドではバライプスタカ版の第20分 冊61頁までにあたるが, その分量はメインスマ版の 2 倍弱である Ras 1987b : XV 。両者とも英語訳はまだないが, メインスマ版にはオランダ 語訳が存在し, 広く読まれている。 こうした外面的な違いだけでなく, テキストの内的な違いがある。第一 に両者の物語の流れが大きく前後することがある。このことは, ラスがメ インスマ版の各頁の左右余白に付加したバライプスタカ版の詩章詩節の番 号をたどると, 順序よく推移せず行きつ戻りつする部分があることによっ て確認できる。その大規模な例は, 第83章 (第111詩章第10詩節から第113 詩章第 7 詩節, 原文の235∼237頁, オランダ語訳の241∼244頁) が第90章 と第91章の間に位置することである。また第92章において (原文の242∼ 247頁, オランダ語訳の249∼253頁) 第120詩章のなかの詩節の並べ替えが かなり頻繁におこなわれている。こうした叙述順序の不一致は後半で目立

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つが, このことの意味は筆者にはよくわからない。 第二に, 出来事の説明の仕方が異なる。ラスは, 叛乱の中心人物トルナ ジャヤ Trunajaya の処刑に対するマンクラット 2 世の関わり方がバライプ スタカ版とメインスマ版で大きく異なることを論じている。ここでは紹介 する余裕がないが, ラスはその上で, メインスマ版が依拠した韻文テキス トが大ババッドより古い可能性を示唆している Ras 1987b : XV∼XVII 。 ラスはまたメインスマ版にはバライプスタカ版にない詳細が記されるこ とがあるという。たとえば, ラスは取りあげていないが, すでに述べたよ うに (解題 4 末尾) パジャンのスルタン, アディウィジャヤの名前がバラ イプスタカ版に記されていない。ラスはまた本書にしばしばみられる予言 のうち, バライプスタカ版とメインスマ版で取りあげ方が異なる場合をあ げているが Ras 1987b : XVIII∼XIX , ここでは省略する。 このように, 大ババッド以外に, メインスマ版の元になった韻文テキス トが存在したことは明らかであり, そのテキストの方が大ババッドより古 いかもしれないのである。残念ながらその所在は不明である。 参 考 文 献 (追加分のみ) 青山亨 1995「アルジュナウィジャヤからスタソーマへ」 東洋学報』77 1 & 2:133 深見純生 2015「15世紀のマジャパヒト」 昭和女子大学国際文化研究所紀要』 21:4357

Florida, Nancy K. 1993 : Javanese Literature in Surakarta Manuscript, Volume 1: Introduction and Manuscripts of the Karaton Surakarta, Cornell University, Ithaca, New York.

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49.キヤイ・スラタニに東部ジャワ征服が命じられる ある日スルタン陛下は謁見にお出ましになった。王族, ブパティたち, マントリたち, そして下級の者たちすべて揃っていた。スルタン陛下はトゥ ムングン・スラタニにお命じになった。「スラタニ, その方東部に出陣せ よ。戦いにマタラムの全軍と我が一族を率い, 戦わせよ。お前が大将とな るのだ。もし戦いのなかで敵に後ろを見せるマタラム人あらば, 成敗せよ」 スラタニ公は「御意のままに」と答えて, 準備にかかった。すべて整う と出陣した。すでにマタラムに服従するパシシル 北海岸 と外領の国々

ババッド・タナ・ジャウィ (8)

第5部 ババッド・マタラム 2 目次 49.キヤイ・スラタニに東部ジャワ征服が命じられる 50.マタラムがウィラサバ征服に乗りだす 51.東部の国守たちがマタラムに進撃する 52.ラスムとパスルハンがマタラム軍に占領される 53.馬ドンバのためにパジャンがマタラムに下る 54.トゥバンがマタラムに征服される 55.マドゥラがマタラムに攻められる 56.スラバヤがマタラムに屈伏する 57.パティ国守のプラゴラがマタラムに叛く 58.プキック公がラトゥ・パンダン・サリと結婚, ギリ征服を命じられる 59.マンドゥラ・ルジャ公にジャカルタ征服が命じられる 60.シラロン公にブランバンガン征服が命じられる

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も随陣した。それゆえスラタニ公の軍は並外れた大軍になった。スラタニ 公が進発すると, スルタン陛下はラデン・ジャヤ・スパンタ Jaya-Supanta にお指図になった。スラタニ公について戦場に行き, マタラム軍の戦いを 注視し, 誰が良く戦い誰がそうでないか観察せよ。そしてスラタニ公に, まだパスルハンを征服してはならないと命じよ, まだその時ではないので 通りすぎるだけにしておけと。スパンタは「かしこまりました」と言って 出立し, スラタニ公に合流した。 大軍はウィノンガン Winongan に至り, そこに陣地を作って宿営した。 いまやブランバンガンのブパティはじめマタラムに服従しないブパティた ちは, 敵軍が攻めてくると報告を受け, 警戒を怠らなかった。 ウィノンガンに陣を構えたスラタニ公は, キ・トゥムングン・アラップ・ アラップにルマジャンとルノン Renong を征服するよう命令し, 4 人のブ パティとその部隊が付けられた。アラップ・アラップ公は軍を率いて出発 した。ルマジャンに到着すると, ブパティはすでに夜中秘かに逃亡し, 山 に隠れた。追跡され, 大勢が捕まって殺された。ルマジャンの町は略奪さ れ, 女たちは連れ去られた。つぎにアラップ・アラップ公はルノンを攻撃 した。これも征服され, ブパティは逃亡した。ルノンは略奪され, 女たち は連れ去られた。こうしてアラップ・アラップ公はウィノンガンに戻った。 スラタニ公とマタラムの全軍は, プマラン Pemalang マラン Malang のことか を攻略するため進発した。マランのブパティは, 名をランガ・ トジワ Toh-Jiwa といい, 敵の襲来を知ると軍とともに要塞にこもった。 しかし持ちこたえられないと覚ると夜中に逃げ出した。マタラム軍は追跡 し, マラン軍は雲散霧消した。マラン征服の後, スラタニ公は軍を率いて 南西に向かった。 さて, パンゲラン・スラバヤはマタラム軍の来襲を知ると, ラスム, グ ルシック, マドゥラ, パスルハン, クディリ, トゥバン, ラモンガンのブ

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パティに使者を派遣した。みな軍を率いてスラバヤにやってきた。マドゥ ラ軍の大将はラデン・パンジ・プランジワ Pulang-Jiwa といい, 強く, 勇 敢で, 人々の信頼が厚く, また容姿が優れていた。その他の軍はブパティ 自身が指揮していた。こうして大軍がスラバヤを進発し, マタラム軍の後 を追い, 森を焼き尽くしながら進軍した。 マ タ ラ ム 軍 は 追 跡 さ れ て い る と 気 づ く と 行 軍 を や め て , ア ン ダ カ Andaka 川の西に布陣した。スラバヤ軍は東岸に布陣し, 互いに挑発しあっ た。マタラム勢は東に渡ってこいと挑発され, 悪口雑言に耐えられず, 一 斉に川に飛び込んだ。東軍は槍と銃で思うままに攻めたてた。多くのマタ ラム勢が傷ついて, あるいは溺れて死んだ。スラタニ公とブパティたちは, 加勢せんと急いで川に飛び込んだ。スラタニ公は溺れて死んでしまった。 マタラム勢は大将が死んだとわかると退却し, そして手さぐりでスラタニ 公の遺体を捜した。遺体が見つかると, 水から引き上げ棺に納めた。その 時アンダカ川は血の流れ, 死骸の流れのように見えた。東軍は祝宴を張っ た。マタラム軍は夜明け前に東岸に渡りはじめ, 橋頭堡を築き, 日の出時 には全軍東岸に上がっていた。東軍は驚愕し, 激戦が起こった。東軍は多 くの死者がでて, ブパティたちにも敵兵が迫った。味方の死者が多いのを 見ると, 生き残った者たちは潰走した。ブパティたちもすぐに流されて敗 走した。マドゥラ軍の大将プランジワだけが戦塵の中に没した。 多くの捕虜を得たマタラム軍は翌朝帰国の途に着いた。スルタン陛下の 監軍ジャヤ・スパンタは急ぎ先行し, スラタニ公が戦いの中で没したこと, そしてマタラム軍の誰彼の戦いぶりの善し悪しを報告した。おおいに心を 動かされたスルタン陛下は, スラタニ公の妻に使いを遣わされ, 弔慰金を お与えになった。やがてマタラムの大軍もスラタニ公の遺体とともに到着 した。スルタン陛下は王族たち, ブパティたち, マントリたち, そして下 級の者たちにもれなく報酬をお与えになった。

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50. マタラムがウィラサバ征服に乗りだす 半年ほどが過ぎてから, 王様はウィラサバ征服に乗り出され, 武士たち の戦いぶりを見んものと自らお出かけになることとなった。こうしてトゥ ムングン・マルタラヤに, パシシルと外領のすでに服従している地域から 軍を動員するようお命じになった。マルタラヤ公は使者を派遣し, パシシ ルと外領のブパティたちはみな軍を率いてマタラムにやってきた。王様は ただちにご出陣になり, 並外れた大軍であった。 さて, ウィラサバのブパティは名をパンゲラン・アルヤ Arya といい, ようやく15歳になったばかりだった。たいそう見目佳しで, 寝食を削るこ とを好んだ。パティの任にあるのはランガ・プラマナ Pramana といい, 堅強で不屈だったが, 足を患っていた。戦ったり部隊を監察する時は輿に 乗った。ウィラサバ公は, 自国がマタラムから攻められる, それもマタラ ム王自ら出陣しているとわかると, 急ぎスラバヤに援軍を求める使者を出 した。スラバヤ公はただちにスムヌップ, バレガ, パカチャンガン, グル シック, ラモンガン, シダユ, トゥバン, ジャパン, パスルハン等々のブ パティに, ウィラサバに援軍にくるよう命令した。ウィラサバの軍は非常 に大きくなり, 森や川筋にあふれた。ウィラサバ公ははなはだ堅固な要塞 を築き, ウィラサバ軍と援軍はみな警戒を怠らなかった。 マタラムの王様は軍勢とともにウィラサバに到着しパラダディ Pala-Dadi 村に滞陣なさった。しかしマタラム軍には病に倒れるものが多く苦 しみにうめく声が満ちていた。王様は近親者やブパティたちに, 兵士に病 気の者が多いのでマタラムに戻りたいとの願いを口にされた。ウィラサバ 征服は挫折に瀕した。パンゲラン・プルバヤ, 王族たち, そしてマルタラ ヤ公はじめブパティたちは, このような王様の言葉を聞くと急いで戦いの 銅鑼を打ち鳴らした。マタラム軍はウィラサバの町へと出撃し, 要塞を奪

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取しようと突撃した。ウィラサバ軍は要塞の上から銃と槍で反撃した。マ タラム軍は大勢が傷つき, 死んだ。そして日が暮れると自陣に戻っていっ た。マタラム軍に死者が多く, ウィラサバの要塞を攻略できなかったので, 王様はマタラムに戻ることを願われた。しかしプルバヤ公とマルタラヤ公 の決意は微動だにしなかった。ウィラサバを征服できないなら死んだ方が ましだと。 翌朝マルタラヤ公は変装して, ウィラサバの従僕たちが草を刈っている のに紛れ込んだ。草苅たちはしゃべりあっていた。「マタラムの連中はまっ たく腰抜けだ。こんな要塞をまだ落せない。俺たちだったら簡単なものだ。 梯子をかけて登るか, 大木を打ちつけるさ。この要塞はきっと落せるさ」。 また「トンネルを掘ったら簡単なのに」と言う者もいた。 マルタラヤ公はこのおしゃべりを聞いてとても喜んだ。陣地に戻るとブ パティたちに梯子を作り, 鍬と金梃子を集めるよう命令した。これらの道 具が揃うと, マタラム軍は出撃し要塞に攻めかかった。ウィラサバ軍は壁 の上から反撃し, 銃とカランタカ kalantaka 砲を撃ち, 投槍を投げ, 槍で 突きたてた。マタラム軍は多くの死傷者をだしつつも, 次々と恐れること なく前進した。戦いはますます激しくなり, ついにマタラム軍はウィラサ バの要塞に入り込んだ。マタラム軍は猛攻を加え, ウィラサバ勢は壊滅し た。プラマナは死に, 首が刎ねられた。ウィラサバ公は捕虜となった。女 たちと財宝は戦利品として王様に差し出された。ウィラサバ公は助命が言 い渡されたが, これを拒否しあくまで死を求めた。ついに海に沈めるよう 命じられた。そしてプラマナの遺体を埋葬し, 遺族にわかるように目印を つけるよう命じられた。こうして王様はマタラムにお戻りになった。ウィ ラサバ征服は1568年だった。

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51.東部の国守たちがマタラムに進撃する スラバヤのパンゲランは, まだマタラムに下っていない東部のブパティ たちを呼び集めて, マタラム征服について相談した。マタラムに圧迫され てもう久しいので今度は逆に攻めかけてみたかったのである。みなでギリ に拝謁に行こうと話がまとまった。ブパティたちは賢者王にお許しを求め たが, 賢者王はお認めにならなかった。というのも, マタラムの国がジャ ワ全土を支配するとアラーがお定めになっていることをご存じだったので ある。こうしてブパティたちの願いは叶わず, 先行きが危ぶまれた。しか しブパティたちは, 大軍を擁する自分たちの協力を信じて考えを変えなかっ た。 彼らはギリに暇乞いをしてスラバヤに戻ると, 取るべき行軍の路程につ いて相談した。スラバヤの隠密が申し上げた。「マディウンを通るのがよ ろしゅうございます。地形が平らで米が安くて水が豊富でございます」。 この時マタラムの間者でランドゥ・ワタン Randu-Watang という者がいて, すでに長くトゥバンに仕えてすっかり信用されていた。大軍がマディウン 経由で進むと聞いたランドゥ・ワタンは, その道は行軍に適していて食料 も安いので, とても心配になった。そこでブパティたちに列座するトゥバ ン太守に背後からでたらめを伝えた。「上様, 畏れながら申し上げます。 もしこの大軍がマディウン経由で進みましたら, 道中ずっと困難に見舞わ れましょう。このマディウン, ジャガラガ, プラナラガはみなすでにマタ ラムに下っておりますので, 途中でいつも戦いがおこり進み続けることが できず, マタラムに到達する前に上様の軍勢の多くが傷んでしまいましょ う」 トゥバンの太守はランドゥ・ワタンの言葉を聞くと, それをただちにス ラバヤ公とブパティたち一同に伝えた。するとブパティたちはランドゥ・

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ワタンに大軍が取るのに最善の道はどれか尋ねた。ランドゥ・ワタンが申 し上げたのは, ラスムを経由してパティに向かうことだった。道は良好で, 食料は豊富にあり, 困難は何もないと。ブパティたちはこれを聞くと, 罠 とは気づかず, ランドゥ・ワタンを褒めた。正しい道を勧めたスラバヤの 隠密は, 罠を仕組んだと疑われ殺された。こうして大軍が進発し, 本当に ラスムに向かった。 マタラムのスルタン陛下はパティの太守から, 東部のブパティたちがマ タラムを攻略しようと進軍しているとの報せをお聞きになった。陛下はた だちにトゥムングン・アラップ・アラップに, パティに援軍に赴くようお 命じになり, アラップ・アラップ公は大急ぎで出陣した。 スルタン陛下は続いて軍の動員を命じられ, 自ら敵に当たるおつもりで あった。軍勢が整うと出陣なさり, それは非常な大軍であった。王様の行 軍はパジャンに達し, 町の西に滞陣なさった。陛下はパジャン太守があい さつに姿を見せないことに内心驚かれた。使者を送って調べさせ, こさせ ようとなさった。その時パジャン太守は異心をいだき, 東部のブパティた ちに通じていて, 加勢するつもりであった。すでに町を出てシワラン Siwalan 村に滞陣し, 東部の軍勢を待ちうけていた。そこに王様の使者が きて, あいさつにこない訳を尋ね, 参上するよう求めた。パジャン太守は どぎまぎして, 東からくる敵と戦おうとしていると言い訳した。そして使 者に連れられてスルタン陛下の前に出ると, 間違った行いを赦された。 東の大軍はというと, すでにシワラン村の東に達して, マタラム軍に対 峙しつつ要塞を築いた。すぐに戦いが始まらなかったのは, 東部のブパティ たちが, 内通していて加勢することになっていたパジャン太守がくるのを 待っていたからであった。しかしパジャン太守はついにこなかった。こう して両軍は長い間対峙していた。マタラムのスルタン陛下はマルタラヤ公 に, 敵の陣地の背後遠くに回って秘かに東部軍の食糧補給路を遮断するよ

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うお命じになった。マルタラヤ公は騎馬隊を派遣し, 毎日敵軍から離れた ところで道を封鎖させた。食糧が手に入らなくなって, 東部勢は困り果て た。そこに疫病が追い打ちをかけ, 大勢が病に倒れ, 死んだ。そこで東部 のブパティたちは軍議を開き戦いを始めることにした。いくら待ってもパ ジャン太守が現れないことに痺れを切らしたのだった。朝になって進撃し, マタラム軍は防戦した。一瞬で勝敗が決した。ジャパン太守がまもなく戦 死し, その他はみな逃げさった。マタラム軍は敵陣を略奪し捕虜を連行し た。こうしてスルタン陛下は軍を率いてマタラムにお戻りになった。 52.ラスムとパスルハンがマタラム軍に占領される 8 ヶ月ほど経って, スルタン陛下はパスルハン征服をお命じになった。 マルタラヤ公がマタラム軍の半分を率いて出陣した。パスルハンは占領さ れ, 女たちと財宝が戦利品となった。 53.馬ドンバのためにパジャンがマタラムに下る さて, パジャン太守は背こうとしていて, マタラムのブパティ, パンゲ ラン・マンドゥラ・ルジャ Mandura-Reja とすでに通じていた。きっかけ を待つだけだった。やがてスルタン陛下は事態を察知なさった。そして陛 下は, パジャンのマントリ, ガベヒ・タンバック・バヤ Tambak-Baya が, スルタンが乗るのにふさわしい, 大きくて美しい馬をもっているとお聞き になり, その馬を所望する使者をパジャンにお送りになった。使者はパジャ ンに着くと, 陛下の望みをパジャン太守に伝え, 太守はただちにタンバッ ク・バヤに, 馬を連れてくるよう命じられた。タンバック・バヤが馬を連 れてやってくると, 太守はスルタン陛下がご所望なので馬を差し出すよう 申し渡された。タンバック・バヤは拒否すると, その場で馬にまたがり, 槍を構えて, 輪駆けさせた。そして声高に言い放った。「誰であれ我が馬

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を欲しがるとは, 恥を知れ。わが皮膚は, わしが戦をするならば, 三月は もつ」。そして皮膚を引き裂き, 槍を投げ上げた。マタラムの使者はタン バック・バヤの言葉を聞くと, すぐに暇も告げずに戻っていった。 使者はマタラムに戻るとスルタン陛下の前にでて, タンバック・バヤの 言ったことをすべて報告した。スルタン陛下はブパティたちと王族たちに パジャン征服をお命じになった。大将を命じられたのはマンドゥラ・ルジャ 公であった。大軍が進発した。マンドゥラ・ルジャ公は大将に任命されて 困惑しきりであった。いまや謀反のはかりごとは実行できなかった。パジャ ン太守の方は, マタラムから討伐軍が進撃してくることがわかり, 一戦交 えるつもりで警戒を怠らなかった。タンバック・バヤを信頼し当てにして いた。マンドゥラ・ルジャ公と結んでいて, 背後から攻めかかるとの約束 が心強かった。約束が破られるとは思いもよらなかった。パジャン軍は町 の外で陣形を整えていた。そこにマタラム軍が到来し激戦が始まった。パ ジャン軍に多くの死者がでた。タンバック・バヤは手負いのバンテン 野 牛 のように奮戦したが, 敵軍はあまりに多かった。打ち負かされて, み な逃げ出し, マンドゥラ・ルジャ公を罵った。この戦争のきっかけを作り, 最後に裏切ったと。パジャン太守とタンバック・バヤはまっすぐ東に駆け, スマンギ Semanggi 川を渡り, スラバヤに落ちていった。マタラム軍は略 奪し戦利品を得た。タンバック・バヤの馬ドンバもマタラム軍に捕まえら れた。大軍はマタラムに戻ってゆき, 馬のドンバとその他の戦利品はスル タン陛下に差しだされた。 パジャン太守とタンバック・バヤは駆け続けてスラバヤのパンゲランの もとに至った。タンバック・バヤはさんざん自慢話を語った。これを聞い てスラバヤ公は激怒して黄金の弾でタンバック・バヤを撃った。タンバッ ク・バヤは何ともなく, 黄金の弾はペチャンコになった。こうしてスラバ ヤ公はタンバック・バヤを息子として受け入れた。ディパティ・スンジャ

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タ Senjata という名前を与えられ, おおいに寵愛され, 戦いには全幅の信 頼がおかれた。 54.トゥバンがマタラムに征服される つぎにスルタン陛下はトゥムングン・ジャヤ・スパンタ Jaya-Supanta にトゥバン征服をお命じになった。命令は実行され, トゥバンの財宝は奪 い取られ, 女たちは捕らわれ, すべてマタラムにもたらされた。ジャヤ・ スパンタ公はこうして昇進してディパティ・スジャナプラ Sujana-Pura の 名を与えられた。 55. マドゥラがマタラムに攻められる つづいてスジャナプラ公はマドゥラ征服に送り出され, パシシルのすべ てのブパティが随陣した。スジャナプラ公はパシシルのブパティたちとと もに出陣し, みな船に乗って海を進んだ。 一方, マドゥラのパンゲランはマタラムから進撃してくるとの知らせを 聞くと, スムヌップ, パムカサン, バレガ, パカチャンガン, そしてスラ バヤのパンゲランたちに援軍を求めた。みなマドゥラにやってきて, 海岸 に布陣した。マタラム軍が海からきて上陸しようとし, 陸から攻撃された。 激しい戦いがおこった。多くのマタラム勢が敵に殺され, あるいは水死し た。マタラム軍は退却し, 陸から離れた。翌朝早くマタラム軍は橋頭堡を 確保しようとした。マドゥラ軍は頑強に抵抗し, 激戦となった。マタラム 軍もマドゥラ軍もともに多くの死者がでた。マタラム軍は退却して海岸に 陣地を築き, スルタン陛下に使者を送り, マタラム軍が戦いに敗れ, スジャ ナプラ公が死んだことを伝えた。陛下はただちに援軍をお出しになった。 大将は, 故ジュルマルタニの息子で, パヌンバハン・ジュルキティン Juru-Kithing といった。ジュルキティン侯は軍を率いて出陣し, マドゥラ

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の戦場に到着した。 ジュルキティン侯の到着にマタラム勢の士気は上がり, 陣容は建て直さ れた。戦死者の地位は息子や兄弟が引き継いだ。ジュルキティン侯は魔法 の飯を配った。戦いの中で不死身になるよう, みな一掴みずつ食べるよう 指示された。戦意回復したマタラム軍にただちに攻撃の合図がなされた。 マドゥラ軍はよく戦い, 激戦となった。マドゥラの援軍に死者が多く, 結 局マドゥラ人が負けた。スムヌップ公とパムカサン公はともに戦死し, マ ドゥラ公は1000人を引き連れて降伏した。その他の者はみな逃亡した。マ タラム軍はマドゥラ公を連れて引きあげた。スルタン陛下はマドゥラ公が た い へ ん 気 に 入 り , 妹 を 妻 に お 与 え に な り , マ ド ゥ ラ 全 島 の ワ ダ ナ wadana 総督 に任命なさった。 56. スラバヤがマタラムに屈伏する その後間もなくスルタン陛下はスラバヤ征服をお命じになった。命じら れたのはトゥムングン・マングンオヌン Mangun-Oneng であり, 外領の すべてのブパティが付けられた。マングンオヌン公はただちに出陣した。 こうしてスラバヤは包囲され, 食糧補給の道は封鎖された。スラバヤ公は 降伏を決意し, 息子ラデン・マス・プキック Pekik を降伏の証としてマ ングンオヌン公に送った。マングンオヌン公はスルタン陛下に, スラバヤ 公の屈伏を知らせる使者を送った。使者が出発するとすぐにマングンオヌ ン公は, スラバヤ公とその妻子たち, パジャン国守とタンバック・バヤを 引き連れてマタラムに戻るため出立した。一行はクディリ経由で進み, プ ラナラガに着き, そこでスルタン陛下の使者に出会った。陛下の命令は, トゥムングン・サパンジャン Sapanjang をスラバヤのブパティに任命する, スラバヤ公とその家族にはスラバヤの町の外に住いを与えるが家来は与え ない, パジャン太守とタンバック・バヤはマタラムに連行せよというもの

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だった。 こうしてサパンジャン公は, スラバヤ公を伴ってスラバヤに向かい, マ ングンオヌン公はマタラムに戻るため出立した。パジャンまで戻ると, ス ルタン陛下の使者に出会い, タンバック・バヤをそこで殺すよう命じられ た。タンバック・バヤは手を縛られ石の重しを付けて川に投げこまれた。 こうしてマングンオヌン公はマタラムへと出立した。 57. パティ国守のプラゴラがマタラムに叛く さて, パティ国守のプラゴラはマタラムに叛くと決意し, すでに近隣を 征服し, そこに 6 人のブパティを任命していた。第一にマングンジャヤ Mangun-Jaya, 第二にカンドゥルワン Kanduruwan, 第三にラジャ・ムンガ ラ Menggala, 第 四 に ト パ テ ィ Toh-Pati, 第 五 に サ ウ ン ガ リ ン Sawung-Galing, 第六にシンドゥ・ルジャ Sindu-Reja といった。みなすでに生死を 共にする誓いを立てていた。ただ一人マングンジャヤだけ消極的だったが, このことは国守の決意を変えるものではなく, 毎日戦備を整え, すでに大 軍になっていた。 マタラムのスルタン陛下はパティ国守が叛いて敵対しようとしていると の報せをお聞きになると, ただちに軍の動員をお命じになった。準備が整 うと陛下はご出陣になった。その行軍は山が動くかのようであり, 様々な 種類の部隊からなっていた。早くもパティの境に到着した。マタラム軍は 村々を荒し回り, スルタン陛下はそこに陣を構えられた。パティ国守は, マタラム軍が近づいていて, スルタン自ら率いていて, ブパティたちと王 族たちがすべて随陣しているとの報告を受けた。パティ国守はただちに出 陣し, 町の外に出て, マタラム軍と対峙した。 国守は家来に「兄スルタンはどこにいるか」と尋ねた。家来は「兄上様 は後方の離れたところにおられます」と答えた。国守は「よいか, 皆のも

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の, 他のものには目もくれず, ひたすら我が兄スルタンに向けて突進する のじゃ。よしんばわしが死ぬとしても, それは我が兄スルタンの面前でじゃ」 と下知し, 開戦の銅鑼を叩かせた。マタラム軍は迎え撃ち, 激戦となった。 パティの部隊はこぞっておおいに奮戦した。マタラム軍は外領とパシシル の軍勢が多くの死者をだして, 王様の後ろへと退却した。パティ軍はみな 固く覚悟を決めますます奮戦し, ついにスルタン陛下の近くまで進んだ。 マタラムの王族たちがこれを受けとめ, パティのブパティたちは全滅した。 パティ国守は猛然と王様の前に迫ってきた。王様の家来たちは蹴散らされ てしまったが, 王様の槍キヤイ・バル Baru を担ぐ役目の家臣ナヤ・ダル マ Naya Darma なる者が王様に, 側近の武士たちはみな逃げてしまったの で, 自ら国守の猛攻に立ち向かう許しを求めた。王様がお許しになると, ナヤ・ダルマはただちに国守に立ち向かい, やや斜めに構えた。槍キヤイ・ バルが繰り出され, 国守は脇腹を刺されて死に, 地面に倒れた。生け捕り になった武士たちはみな自ら死を求め, そのとおりに殺された。こうして 参陣した国守の武士たちは全滅した。マングンジャヤだけが生き残り, パ ティに逃げ帰った。マタラムの武士たちはスルタン陛下にパティ国守が死 んだことを報告し, みな自分がやったと主張した。スルタン陛下は槍キヤ イ・バルをお改めになり, キヤイ・バルが血塗られているのをご覧になる と, こう申された。「ナヤ・ダルマが余の弟を殺したのだ。その証拠に, 余の槍キヤイ・バルに血が付いておる」 つづいてスルタン陛下はトゥムングン・アラップ・アラップに申された。 「アラップ・アラップ, お前はジャガバヤ Jaga-Baya, アルヤ・パヌラル Panular, ガベヒ・ウィラパティ Wira-Pati とともに, マタラムのマントリ すべてを率いてパティにゆけ。パティの町のすべてを奪い取るのだ。もし 抵抗する者があれば殺せ。輿をもってゆくのだ。プリヤイの妻たちを輿に 乗せよ。 1 人の女もひとつの財宝も残さぬようくれぐれも注意せよ」。 4

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人は「御意のままに」と申し上げ, 部隊を率いて出立した。こうしてスル タン陛下はマタラムにお戻りになった。 さて, マングンジャヤはパティに戻ると, 国守の妃に殿様が戦場に倒れ 軍は全滅したことをお伝えした。妃は悲鳴をあげ, 宮廷のものはみな泣い た。マングンジャヤは宮廷の警護を任されている 4 人のマントリ, スラ・ プラメヤ Sura-Prameya, ランガ・ジュラドラ Jeladra, スラ・アンタカ Sura-Antaka そしてパンガラサンを呼び集めた。主人が全軍とともに亡く なったと聞かされた 4 人は泣きだし, そして主人に殉じると決意した。こ うして彼らはまだパティに残っている200人の男たちに配置につかせた。 待つ間もなくマタラム軍が到来し, 道を封鎖しようとしているのがわかっ た。マタラム軍はアルンアルンに至り, 激しい戦いがおこった。マタラム 人は大勢が死んだ。パティ側では 4 人のマントリはみな死に, マングンジャ ヤだけが生き残り, 国守の妃に報告した。王宮の中はますます泣き声が満 ちた。マングンジャヤは急いで国守のまだ幼い王子ラデン・ランガを捜し た。王子を見つけると後門を通ってプラワタ山へと落ちていった。パティ 征服は1570年であった。 アラップ・アラップ公と同僚たちは王宮に入り, すべての財宝を手に入 れ, 女たちを捕まえた。国守の妃は輿に乗るよう促された。側室たちとプ リヤイの妻たちは簡易な輿に乗せられた。泣き声が雷鳴のようにおこり, 悲鳴が響き, 亡くなった主人を泣き悲しんだ。アラップ・アラップ公はす べての戦利品とともに町を離れ, ゆるゆると進んでようやくマタラムに着 いた。国守の妃と財宝は王宮に導かれた。 スルタン陛下はただちに国守の妃に, 背き敵対するまでになった理由を お尋ねになった。妃は, ドゥマックのトゥムングン・エンドラ・ナタ Endra-Nata から悪事を唆されたとお答え申し上げた。王様はこれをお聞 きになって激怒された。翌朝王様はシティンギルにお出ましになった。マ

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タ ラ ム の 家 臣 団 が 勢 揃 い し て い た 。 王 様 は 家 臣 の マ ル タ ・ ル ル ッ ト Marta-Lulut とシンガヌガラ Singa-Negara に厳しくお命じになった。「よ いか, マルタ・ルルットとシンガヌガラ, ただちにエンドラ・ナタめを刺 し殺せ。パグラランでやれ」。2 人はただちにエンドラ・ナタを刺し殺し, その内臓は市場に晒された。 しばらくして, 王様は伯父パヌンバハン・プルバヤにご相談になった。 「伯父上, スラバヤ公はすでに亡くなり, 一人息子のラデン・マス・プキッ クなる者を残していると聞きましたので, これをここに呼び, ここマタラ ムに住まわせたいと存じます」。プルバヤ侯が賛成されたので, 王様はパ ンゲラン・プキックを連れてくる使者をスラバヤにお送りになった。使者 はスラバヤに出立し, プキック公に会い, 王様のお召しを伝えた。プキッ ク公は心得ましてございますと答え, いそいで家族共々用意を整えた。つ づいてマタラムの使者はトゥムングン・スパンジャンに, プキック公に同 行し道中の安全を配慮して食べ物に不自由しないようお世話することを命 じた。スパンジャン公はかしこまりましたと答え, プキック公とともに出 立した。 一行は穏やかに進み, ブトゥ Butuh に至ると聖墓にお参りした。その 夜は聖墓の足許で寝た。真夜中過ぎたころプキック公は声を聞いた。「プ キックよ, よく聞くのじゃ, お前はやがて孫をさずかる。それは偉大な王 となり, パジャンの西のワナクルタ Wana-Kerta の原に王宮を構え, 大軍 を擁し, そしてスナン・マンクラット sunan Mangku-Rat と称するであろ う」。プキック公はびっくりして目が覚めた。朝になってプキック公は墓 守にことの次第を語った。プキック公の言葉を聞いた墓守はとても喜んで 58.プキック公がラトゥ・パンダン・サリと結婚, ギリ征服を命じられる

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アラーに感謝を捧げた。こうしてプキック公は出発し, ゆっくりと進んだ。 マタラムの近くまでくると, 王様のお召しを伝えた使者は先行して, パ ンゲランがきていることを王様に伝えた。王様はとてもお喜びになり, 謁 見のためシティンギルにお出ましになった。家臣たちはみな揃っていた。 王様は静かにプルバヤ侯に申された。「伯父上, パンゲラン・プキックが まもなくここにやってまいりますが, その時いかがすべきでしょう。余が 彼に跪くべきか, それとも彼が余に跪くべきか」。侯は静かに答えられた。 「陛下, 私の考えますに, スラバヤのパンゲランが跪くべきであります。 なぜかと申しますに, あなた様の方が地位が高いのです。スラバヤはまだ パンゲランにすぎませんが, 陛下はすでにスルタンでございます。加えて, マタラムに呼ばれて伺候しにまいるのです」。プルバヤ侯の答えを聞いて 王様はおおいに満足なさった。 その後間もなくプキック公がアルンアルンに到着し, 2 本のワリンギン の樹の南側に一族の者たちと共に座った。王様はこれをご覧になるとお呼 びになった。プキック公はシティンギルに進みでた。王様の前にくると, クリスを下に置き, 足許に口づけし, 跪拝して申し上げた。「ご主人さま, 私めの生死を差し出しまする。陛下にただちに伺候すべきところ, お召し を待つという, 私めは大きなまちがい犯しましたゆえ。いま私めは, 私め の体と家族のすべてを陛下にお委ね申し上げます」。プキック公はさらに 多くのことを口にした。 王様はプキック公の言葉にたいそうお喜びになり, さらに見目佳しであ り, まだ若くて, 自分と双子といえるくらいそっくりなのを見ておおいに 満悦された。スルタン陛下は重々しくお話しになった。「スラバヤの弟よ, 余がお前を呼んだ訳は, 宝石は大事にしまっておくようにというアラーの 思し召しによるものじゃ。たとえて言えば余が泉でそなたは池, あるいは 余が中身でそなたが入れ物である。つまりじゃ, そなたが余とともにジャ

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ワ国の王たちの祖となることはすでにアラーの思し召しによる宿命であり, そなたは女の側から, 余は男の側から力を合わせるのだ。いま余の願いは そなたがマタラムに住まいし, ここに館を構えること。余はスラバヤの国 をそなたに返す。そなたの権力の大きさは元のままである。ここマタラム にいるのじゃ, 迷うことはない, 弟よ, マタラムにいようとスラバヤにい ようと同じことではないか」。プキックは「御意のままに」と答え, 王族 地区に館が与えられた。 その後間もなく王様の妹君ラトゥ・パンダン・サリ Pandhan-Sari がプ キック公に妻として与えられた。夫婦は相和し互いに深く愛し合った。 しばらくして, スルタン陛下はパンダン・サリ様を内廷にお呼びになっ た。召使がただちにスラバヤ殿の館に向かい, プキック公の妃は女官に案 内されて内廷に入られた。スルタン陛下の前にくると, パンダン・サリは お尋ねになった。「兄なる王様, 急ぎ妾をお召しになるとはいったい何事 でございましょう」。スルタン陛下は静かにお話しになった。「余の心臓に 病いが潜んでおる。妹よ, 余の心臓の病いはとても重い。一人のパンディ タ 聖人 がいて, いまだ余に屈伏せぬ。ギリに住んでおる。この者以外 はジャワの国のすべての者が服従した。お前の夫に伝えよ, 余に屈するよ うギリを攻めさせるつもりであると。最善はお前の夫がギリを破滅させる ことじゃ, お前の夫もパンディタの一族なんだから」 ラトゥ・パンダンは「かしこまりました」と答えてスルタン陛下の前か ら辞去した。館に戻ると夫に, スルタン陛下のお命じになったことを伝え た。プキック公は答えた。「陛下の願いが, ギリがマタラムに服従するよ うにわしがギリを破滅させねばならないというのなら, ギリはすでに我が 手中にあるようなものだ。修行場ギリの征服をお引き受けしよう。さあ, 2 人で王宮に伺おう。そしてスルタン陛下に 2 人して行くことを許してい ただこう」

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スルタン陛下は妹が夫と一緒にやってきたのを見ると, すぐに近くに座 るよう呼びかけ, お尋ねになった。「スラバヤの弟よ, いかなる所存かな」。 スラバヤ公は跪拝して申し上げた。「ギリを攻めよとの陛下のご命令を謹 んで実行いたします。他の国々の助力を求めるとは申しましても, 私めは 恐れるものではありませぬ。出立のお許しをいただけますよう」。王様は これをお許しになり, 妻を連れるよう言い渡された。 2 人は王様の足許に 口づけした。スルタン陛下は, 道中平安であるよう, そして弟の戦いが勝 利をえるようお祈りになられた。プキック公とその妃は王様のもとを辞去 して館に戻ると, 軍を率いてスラバヤに出立する準備を整えた。軍勢が整 えられ, 準備がそろうとギリ征服に出発した。 さて, ギリのパンディタは, スラバヤ公が攻めてくるとの報せを受ける と, 一族の者やモスクの職員, そして弟子たちすべてにしっかり準備する よう指示なさった。パンディタには中国人の男の養子があり, また200人 の部隊があり, これを頼りにしていた。これらはスラバヤ勢との戦いに当 たることを誓った。ギリの者たちの軍備が整い, スラバヤ軍が現れると戦 いがはじまった。スラバヤ軍は多くの死者をだして退却し, 戦いに敗れた。 パンダン・サリは, 自軍が敗れて死者が多いのを見るとただちに部隊を集 め, 財宝と衣類を取りだし, みなに分配させた。スラバヤの部隊はおおい に喜び, 士気を回復した。こうして再び戦いに赴いた。ギリ軍はこの攻撃 に耐え, 激しい戦いになった。ギリ軍に多くの死者がでて, 残りはみな逃 げ去った。パンディタは捕らえられ, 命乞いをした。スラバヤの武士たち はみなパンディタを殺すよう主人に進言した。プキック公はこう答えた。 「わしはパンディタを殺さないでおきたい。将来わしの孫がギリを破滅さ せ, ギリのパンディタになった者を殺す力をもつことだろう」 プキック公はギリのすべての財宝を奪い取ることを命じた。女たちは連 行された。パンディタは輿に乗せられた。こうしてプキック公はマタラム

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に戻っていった。パンディタと戦利品は王様の前にもたらされた。しかし 王様は何も取ろうとせず, すべてプキック公にお贈りになった。パンディ タはすべての罪が許された。 59. マンドゥラ・ルジャ公にジャカルタ征服が命じられる 王様は謁見にお出ましになり, マタラムの家来たちはみな揃っていた。 王様はパンゲラン・マンドゥラ・ルジャにお命じになった。「マンドゥラ・ ルジャ, その方ジャカルタを攻略せよ。いまそこはオランダ人が占拠して おり, そのブパティはすでに戦いに敗れた。ジャカルタの国を奪うのじゃ, オランダ人をそこから追い払え。スラバヤから西のパシシルの者たちを率 い, 戦わせよ。サンパンとグルシックのブパティに海の戦いを担当させよ。 余の大砲 2 門をもっていけ。お前に大将を任せる」 マンドゥラ・ルジャ公とパシシルのブパティたちは「御意のままに」と 答えると, 各々の国に戻って準備を整えた。陛下の大砲 2 門は海上の戦い に備えてサンパンに運ばれた。ブパティたちは, アスティナ Astina 国に 集まる約束をした。 マンドゥラ・ルジャ公はマタラムを出発した。アスティナに着くと, パ シシルのブパティたちはみな軍を率いて勢ぞろいしていた。軍勢は数えき れない多さだった。そして船が用意され, 船に乗りこみ, 帆を上げて陸を 離れた。はやくも陸地は見えなくなった。チルボンに着くと滞留し, 態勢 を整えた。準備ができると, 再び出立した。船団はジャカルタに至り, 錨 を下ろした。マンドゥラ・ルジャ公とその軍は上陸し, 町の南東に陣を張っ た。この到来したばかりの軍勢がそこにいるオランダ人を追い払おうとし ていることはジャカルタの人々に広く知れわたった。ジャカルタのジャワ 人はみなマンドゥラ・ルジャ公に服従した。残ったのはクンペニ Kum-peni オランダ東インド会社 の者たちだけで, 彼らは高いレンガ壁の要

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塞にこもり, 大砲を配備し, 手榴弾や投擲弾を用意した。オランダ人は毎 日混乱して右往左往していた。オランダ人には指揮官が多かった。大尉が 8 人いて, 名前をジャクウェス Jakuwes, バルム Balem, エンドロ Endro, シトゥイェ Situye, ジュロド Jrodo, ワミ Wami, カレン Kareng, そしてグ ジュグ Gejug といい, 中尉は 4 人だった。彼らはくる日もくる日も教練 し, ひっきりなしに太鼓を叩くだけで, 誰も砦の外に出ようとしなかった。 マンドゥラ・ルジャ公と, グンボン Gembong, パスルハンから西, ジャ カルタまでのパシシルの国守たちがみな軍を率いて参陣していた。軍勢は 数えきれない多さだった。海戦を指揮することになるサンパンの国守だけ まだ到着していなかった。ジャカルタの商館への攻撃はサンパン国守の到 着を待っていた。 さて, マタラムのスルタン陛下はパヌンバハン・プルバヤにお命じになっ た。「伯父上, 追従してジャカルタに行き, 戦いを指揮してくだされ。し かしあまり深入りなさらず, オランダ人に目に物見せるにとどめてくださ れ。大軍を率いず, ひそかに海路を行くのです」。プルバヤ侯は「御意の ままに」と答えて出立し自身の主立つ家来数人を連れただけでジャパラに 直行した。侯は自身の船をもっていて, カラドゥタ Kala-Duta といった。 これに乗船すると帆を挙げた。船足は速かった。 マンドゥラ・ルジャ公は, プルバヤ侯が後を追ってジャカルタにくると いう知らせを聞くと, 自分に代わる大将がくることに屈辱を覚え, ただち に戦いの銅鑼を叩かせた。海戦を指揮するサンパン国守もすでに到着して いた。クンペニの者たちは敵襲とわかると, 4 部隊の兵を布陣させ, 大砲 を 4 隅に配備し, 手榴弾と投擲弾を準備した。要塞の中のオランダ人はみ な銃で武装し, その指揮をとるのは大尉 1 人, 中尉 2 人, そして少尉 1 人 だった。巡察はジャクウェス大尉だった。すべての準備が整い, 役割を分 担しあい, 生死をかけて助け合うと誓いあった。背中合わせで配置につい

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た。南東側の兵員が分厚くされ, 大砲, カラタカ砲, 小型回転砲, 臼砲が 増派された。至る所で火縄銃がきらめいた。指揮者は 4 人の大尉だった。 マンドゥラ・ルジャ公は合図の銅鑼を叩かせて攻撃に踏み出した。ジャ ワ人は一斉に喚声を上げて要塞を奪取しようと突撃した。オランダは反撃 した。大砲は次々に火を噴き, 山が崩れるような音を轟かせた。弾が降り 注ぎ, 彗星が落ちてきたようであった。ジャワ人は大勢が死に, また負傷 してあたり一面に横たわり, 這いずりまわった。最前線は壊滅した。こう して夜の闇の中を退却した。翌朝マンドゥラ・ルジャ公は船にいるサンパ ン勢に陸上の軍と同時に要塞を攻撃するよう命じた。こうしてサンパン勢 は船から大砲を撃った。激しい砲撃戦になった。オランダ人で死んだのは 大尉 1 人, 中尉 2 人, 軍曹 3 人であり, 死傷した兵士は数えきれなかった。 さて, プルバヤ侯はすでにジャカルタの海に近づき, 船に乗るオランダ 人と戦った。オランダ人は敗れて逃走した。侯はついで上陸するため岸に 向かった。そこでさらに激しい砲撃戦があり, 砲弾があたり一面に飛び交っ た。ジャワ人の大砲が直撃弾を受けて砲口が破壊された。多くの船が壊れ, 多くのジャワ人が死んだ。オランダ人もまた大勢が死んだ。オランダ人は 弾薬が不足し始めた。そして彼らは糞便を弾丸代わりに撃ち始めた。多く のジャワ人が汚物に当たって嘔吐させられた。 プルバヤ侯はというと, わずか 3 人の家来と共に戦場の真っただ中にき てしまった。オランダ人はそこにプルバヤ侯がきているとわかった。並外 れて霊力が強く, 飛ぶことができると聞かされていた。一斉砲火が浴びせ られた。集中砲火も侯には当たらず, 悠々とタバコを吸いながら要塞に近 づくと, 大声で言った。「おい, オランダ人ども, もっとわしを撃ってみ よ。お前たちの要塞が堅固だと信じておるのか」。こう言うと要塞を指さ した。すると要塞の壁に人間一人分の大きさの穴があいた。侯はこうして 霊力の証拠を残すと, マタラムに帰るために船に戻っていった。

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マンドゥラ・ルジャ公も懸命に闘い続けたが要塞に取りつくことはでき なかった。汚物の悪臭が耐えがたかったからである。衣服はすっかり汚物 でまみれた。パシシルの国守たちとその部隊は多くの死者をだし, 生き残っ た者は汚物の臭いに耐えられなかった。戦場から戻るとみな川に浸かりに いった。すでに戦いは長びいていた。生き残ったジャワ人には恐怖心に取 りつかれて逃亡して国に戻るものがあった。オランダ人の方は 3 部隊が死 に, 1 部隊が生き残っていた。みな恐怖におののき, 生き長らえるとは思 えなかった。 さて, プルバヤ侯はマタラムに戻ると王様の前に伺候して, 事の始終を 報告した上で, こう申しあげた。「ジャカルタの戦いは, 中止なさるのが 宜しゅうございます。オランダ人は商売をするためにここにきているだけ でありますので」。スルタン陛下は我が意を得たりと, 静かにお話しになっ た。「伯父上, あなた様は正しゅうござる。くわえて, オランダ人がやが て, 王位につく余の子孫を助けることはアラーの思し召しによる宿命なの です。余の子孫が将来戦いで負けた時, きっとオランダ人に助けてもらう のです。余がこの戦いを始めた理由はただ, 彼らが後々恐れをいだく根拠 を作っておきたかっただけなのです」 つづいてスルタン陛下は伝令官にお命じになった。「伝令官よ, お前は ジャカルタに行け, そしてマンドゥラ・ルジャとその配下にみな戻らせる のじゃ。道中でトゥムングン・バウルクサ Bau-Reksa を殺せ。マンドゥ ラ・ルジャもまた死なせよ。遺体はカリウング Kali-Wungu に埋めよ」。 伝令官は「かしこまりました」と答えて出立した。ジャカルタに着くと王 命を伝えた。マンドゥラ・ルジャ公はすべての配下の者とともに帰国の途 に着いた。マンドゥラ・ルジャ公とバウ・ルクサ公は殺された。 マタラム軍が退却したとわかるとオランダ人はみな大喜びだった。オラ ンダ人に許しを与えたのはスルタン陛下の意思によるのだとみな想像した。

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そこでオランダ人はマタラムに使節を送って様々な種類の贈り物を差しだ した。これは1571年のことであった。 60. シラロン公にブランバンガン征服が命じられる 王様は謁見のためにお出ましになり, パンゲラン・シラロン Silarong にお命じになった。「シラロン, その方, ブランバンガンを征服に行け。 お前に外領の者すべてと東パシシルの者を付ける。これらに戦わせよ。そ して余の伝令官パドゥ・ルクサ Padu-Reksa を同行させる。余の代理とし て, 余の臣下たちの振る舞い, 成績の善し悪しを監察させる」 シラロン公および外領とパシシルのブパティたちは「御意のままに」と 答えて, 準備にかかった。パスルハンに集合する手はずになった。シラロ ン公は軍を率いて出立し, クディリ経由でパスルハンに到着した。ブパティ たちはすでに揃っていたので, そこからブランバンガンとの境界まで進出 し, 布陣した。 ブランバンガンの都の人々は大混乱におちいり, 町から逃げだした。国 守はバリに援軍を求める使者を出し, 500人ほどの折紙付のバリ人の援軍 が送られてきた。デワ・ルンカラ dewa Lengkara と デワ・アグン dewa Agung の 2 人が率いていて, その下にパンジ・バレレン Baleleng とパン ジ・マチャンクニンMacan-Kuning がいた。こうして国守は自身の軍とバ リの戦士を率いて, 境界に陣どる敵に当たるため出撃した。都は国守の次 男キ・マス・クンバル Kembar が守備した。国守は境界に至り, 敵に対 峙した。翌朝戦いが始まり, 銃を撃ちあい, 槍を突きあい, 戦いは激しかっ た。バリ人の武器に毒矢があり, マタラム軍はこの毒やその他により大勢 が死んだ。バリ人とブランバンガン人もまた大勢が死んだ。死骸が重なり あい, 戦士たちは遺体に足を取られた。結局ブランバンガン勢が戦いに敗 れ, 都に逃げこんだ。マタラム軍は追撃し都を猛烈に攻めた。町の人々は

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山に逃れ, マタラム軍は略奪を働いた。王子クンバルは捕虜になり, 国守 は生死不明だった。シラロン公は山に逃げ込んだ者たちを追跡するよう命 令した。マタラム軍は険しい山をよじ登った。多くのブランバンガン人が 捕虜になったり死んだりした。そこに一人のアジャル 賢者 が住んでい て, 名をアジャル・サロカンタラ Salokantara といい, 縛られて山を降り, シラロン公の前に連れてこられた。アジャルは殺され, 遺体は消えてなく なった。そして声が聞こえた。「おい, シラロン, わしは罪なくしてお前 に殺された。いつか仕返しをしてやる。ある者が王位についたとき, 左の 二の腕に傷跡があれば, それはわしが化身したのだ。そしてわしはお前を 殺す」 シラロン公とその軍は戦利品と捕虜とともにマタラムに帰陣した。マタ ラムに着くとこれらは王様に引き渡された。クンバルは縛めを解かれ, 忠 誠の誓いを立て, ブランバンガンのブパティに任命された。王様は戦いに 勝利した軍に褒美をお与えになった。伝令官の長パドゥ・ルクサは昇進し, パンゲラン・トゥパサナ Tepa-Sana に改名した。 つ づ い て 王 様 は ト ゥ ム ン グ ン ・ シ ン ガ ラ ヌ Singa-Ranu に ス ム ダ ン Sumedhang とウクル Ukur の征服をお命じになった。そのとおり実行さ れ, 財宝と女たちがマタラムに連れてこられた。

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