Wage
by
Eiichi Matsui
Theory
一 まず,辻岡氏の側からの「積極的な理論的展開」をきくことにする.氏はいう.一一 「現実の賃金は「労働力の価値」を基礎にしながらも,資木主義のもとでのたえざる失業,・反失業者層の増 大という労働力の供給過剰の作用のなかで,ますます価値以下に低下する傾向がすすみ,しかも,そのなかで, 資本家階級の下げようとする力と,それに抵抗する労働者階級の団結と統一の力との関係のなかできまるので ある.ところで,また,現実の賃金は「労働力の価値」としてでなく,「労働の価格」として現象する……… こうして「労働の価値」としての支払形態(賃金形態,若しくは賃金体系)をとった賃金は,それ自身,た んに搾取をおおいかくしているだけでなく,資本はまた,この賃金形態を利用し;そのときどきの生産条件や 労務管理と結合して賃金形態を発展させ,そのなかで,・さまざまの賃金格差(差別賃金)を拡大させることに よって一層,賃金を全体として価値以下にふだんに切り下げ,こうして搾取をつよめるのである.…… ………現実の賃金形態の如何にかかわらず,労働者階級か賃金要求をかかげる上で,かならずかかげなければ ならない原則があり,それか他ならぬ「同一労働同―賃金の原則」であり,いま一つは「最低賃金の原則」な のである.……そして,このような原則か,どのような経済法則に依拠しているかということは実践的にはさ して重要な問題ではない.しかも,しいて,その依拠しているものを明かにしろというのであれば,そ,れは, いうまでもなく「労働力の価値法則」以外にはないのである.」(辻岡,前掲論文, pp. 111-112.) ここでも賃金論争のなかでいつもだされてきた問題,労働力の価値法則のみによって賃金の諸問 題をあきらかにすることができるか,否か,が問われている. 労働力は直接人間によってはこぼれる.それに,熟練度にかんしては複部労働から簡単労働への 移行がきわめて容易であるとともに,生産性の向上によって簡単労働化がすゝみ,熟練の互換性が (1)は し が き
『<季刊≫経済』(1963年6月夏季号)に辻岡靖仁氏は「『労働力の市場価値法則』論批判一一岸本
英太郎氏の『同一労働同一賃金』の内容---」と題する論文をのせた.批判の対象になったのは岸
本英太郎氏著「同一労働同一賃金」(1962年6月刊)および同氏編著『日木賃金論史』(1962年12月刊)
にのべられた理論である.
わたしは『日木賃金論史』執筆者の一員として,岸本氏の主張する「具体的な労働力」の価値と
その法則についての理論を支持したので,辻岡氏がだしている問題にこたえておきたいと思う.
ただ,その著の「あとがき」にのべられているように,わたしの考えは他の「論史」執筆者との
あいだで最終的に調整する機会をうしなったままになっているので,あらかじめそのことをことわ
っておきたい.
あ
-る辻
賃 金 理
岡靖仁氏四
松
論 に う い て
説を批判するー
井 栄 (文理学部・経済学研究室)On a
62 高知大学学術研究報告 第12巻 人文科学 第6号
- -高められる.こうした傾向は社会の発展とともに強められる.そのために労働力は単一の商品であ
り,’抽象的には,そのことに対応して単一の労働力市場が存在する.こうして,社会で支配的な成
年男子の簡単労働力の社会的再生産費が労働力の価値を規定することになり,複雑労働力の価値は
それから乖離するものとしてとらえられる.
辻岡氏は「労働市場論を第一におくことから賃金を論ずる」ことに反対する(同上,
p. 109.)が,
本来,労働力の価値そのものが氏がいうごとく「市場価値」(同上,
p. 109.)である.労働力の価値
が現実の賃金に具体化してゆく過程は,それに対応する労働力市場の具体化ときりはなして考える
ことはできないのである.
労働力がみぎにのべたように完全な競争,自由な即時的移動をなしうるのであれば,すべての賞
金の運動は労働力の価値法則によってあきらかにされよう.
しかし,競争は競争を制約する条件を克服する過程としてとらえられねばならない.競争は競争
に反するものをそのなかにもっているのである.競争を制約する条件か瞬間的に克服されるのであ
れば,その克服の過程についてくどくどのべることは無意味であろう.
そうして,簡単労働力は簡単労働職種のあいだを自由に移動することができても,複雑労働職種
へ移動することは比較的困難であり,かつ複雑労働力は特定の職種についての熟練をもつにすぎな
いのであるから,他の複雑労働職種へ移動するにあたっては相当大きい制約をうけざるをえない.
これらの職種間の労働力移勁の相対的不自由は競争を制約する条件の克服によって解決されるので
あるが,その克服は生産技術の進歩による複州労働の簡単労働化を通じて達成される.いうまでも
なく,この過程はきわめて長期にわたる歴史的過程である.
したがって労働力にかんしてはこの過程そのものの考察が重要な課題になっている.この過程は
平均概念としての労働力の価値についての法則のみによっては充分にあきらかにすることはできな
い.この過程を,労働力の価値法川から発展し,それにたいして相対的な憲味をもつ,職種別労働
力の市場価値法則によってあきらかにするのである.表現をかえるならば,職種別労働力の市場価
値か社会的平均としての労働力の価値に収斂されてゆく過程をつらぬくのが,その法則である.
労働の価格法則についても同じようにいうことができよう.
平均をこえる質量の労働にたいして,その職種の労働力の市場価値をこえる賃金が支払われると
き,他の多数の労働者か即時に平均をこえる質量の労働に移ることかできるとすれば,たちまちに
して新しい平均的労働がつくりだされることであろう.このような完全な競争かあれば労働の価格
法則を云々する必要はない.しかし,現実にみられるごとく,既存の労働の平均度をこえようとす
る労働者の競争は種々の事情によって制約され,そのために平均的労働とならんで平均をこえる労
働が存在することになる.労働者は結局は競争を制約する条件を克服するにしても,新しい平均が
うまれるまでの過渡期は長期にわたることがある.この過渡期をつらぬく法則を労働の価格法則と
よぶのである.
労働力という商品はその特殊な性格によって一般商品とはちがった競争の形態をとる.そのため
に,労働力の価値法則から発展し,これを補うものとして,いくつかの賃金にかんする法則を論ず
ることは妥当な方法であると思われるのである.
− − 職極別労働力の市場価値とその法則についての理論を避けるばあい,男女賃金格差の問題はどの ようにして解明されるか.辻岡氏はいう.−− 「………資本は「女子労働力の仙i値が小さい」(これは第一にマルクスが言った「機械は,労働者家族の全成員 を労働市場に投ずることによって,夫の労働力の価値をその仝家族の上に分割する.だから機械は,彼の労働 (2)あ る 賃 金 理 論 に つ い て (松井) 65 力の価値を減少させる」ことの結果として妻の労働力の価値かより小さくなること.第二に女子労働力の多く は一般的にいって不熟練労働力がその大部分を構成するということが理由である.)ことを利用して極端な低 賃金を強制し,これを足場に一層,全休の賃金を価値以下に低下させようとするのである.」(同上, pp. 112― 113.) これが辻岡氏による男女賃金格差発生の理由である. ここにのべられている「女子労働力の価値」および「妻の労働力の価値」はともに「個別価値」 に訂正されねばならない.なぜなら,労働力の価値法則のもとでは,男女労働力の価値が異なるな らば,ちょうど簡単労働力と複浬労働力とのあいだにおけるように,両者の価値,賃金は一致する ことはないのであ・る. 辻岡氏は他の箇所で「……1・ff.でも知っている通り,……「労働力の価値」はあくまで「社会的価 値」なのであり,……に し氏のいう労働力市場はもっとも抽象的な労働力市場一般であり,女性労働力市場を想定して「女 子労働力の価値」を云々しているのではないし,もし,職種別市場を無視して女性労働力市場を想 定しているとすれば,それはまたそれであやまりである. しかも,氏は,女性労働力の多くが不熟練労働力であることを資本が利用して低賃金を強いるだ けでなく,一般の賃金水準をもひきさげる,とのべているのであるから,氏の考えている「女子労 働力の価値」はきわめて強力に法則的に作用しているようである.しかし,不熟練労働力の低賃金 が全休の賃金水準になぜ影響するかについては,労働力市場についての理論の展開が不充分である ために,事実上説明されないままに終っている.(なお女性労働力が不熟練労働力であることから 生ずる低賃金は,そのものとしては,男女差別賃金の問題とはなりえない.) 多くの賃金論者は不注意に女性労働力の「価値」と称することによって理論上の混乱におちいっ たのであるが,辻岡氏のはあいは意識的に「価値」とよんでいるようである.氏が理論上の混乱に 手を焼かなかったのは,氏の叙述が理論的性格をもたぬためであろう. このようにみると,男女賃金格差の発生の理由は辻岡氏によってあきらかにされなかったように 思われる. ・ いうまでもなく,男女賃金格差の発生はつぎのように個別価値と(市場)価値との関辿のなかで あきらかにされねばならない. ある職種で男女のいずれが支配的であるかによってその職種の労働力の市場価値は規定される. したがって複部度のひとしい二つの職種のうち,一方が女性により支配されるならば,そこでの労 働力の市場価値は女性労働力の個別価値に一致し,男性が支配的な職種とのあいだに労働力の市場 価値の格差がうまれる.このことは労働力の市場価値法則の必然的結果である. さらに,たとい男性が支配的な職種であっても,女性が競争のなかで│白│己の労働力の個別価値に 依拠してその労働力を販売するならば,そ・の職種のなかで労働力の販売価格にかヽんして賃金格差が うまれる.このばあいの格差は,その職種の労働力の市場価値,すなわち男性労働力の個別価値と, 女性労働力の個別価値との差額である. このことも,また,職種別労働力の市場価値法則の一つの現象である.このばあいの賃金格差は その職種で女性労働力か支配的になることによって,または販売価格が統一されることによって解 消される.これまでのべてきた賃金の諸法則についての説明の仕方を借’りるならば,労働力の個別 価値に依拠する個別価格から生ずる男女賃金格差は新しい市場価値が成立.するまでの過波期にうま れるものである. ところで,このばあいの過渡的現象もまた長期にわたって存在することがある.それにもかかわ らず,労働力の個別価値格差からうまれる賃金格差を,職種別労働力の市場価値法則から相対的に 独lllな法則によって生ずるものとみなさないのはなぜであるか.労働力の価値法則,.「具イ水的な労 (3)
64・ 高知大学学闘りF究報告 第坦血,人文科学 第6号
慟力」の価値法則,職種別労働力の市場価値法則,および労働`の価格法則は,本質から現象への過
程で根幹をなす法則であり,すべて,それぞれの論理の段階での,・いわゆる「一物一価」の法則で
ある.それにたいして,労働力の販売価格の格差から生ずる賃金格差の問題はもっとも具体的な競
争に属する現象である.したがって,その格差は職種別労働力の市場価値,市場価格がそのまゝ現
象しないところにうまれるとみるのである.
男女賃金格差は大量に,長期にわたって存在す.る反復的過程であるので,職種別労働力の市場価
値についての理論がそれの発生を解明しえた,ということは理論上の大きい成果であるといえよ
つ.
異種労働間および同種労働内における男女賃金格差についてのみぎの指摘は,職種別労働力の市
場価値についての理論からえられるものの,ほんの一部でおる.
つけくわえるならば,同じ職種のなかで男女賃金格差を維持しうるばあい,そこでは相対的高賃
金が維持されていることになる.なぜなら,男女がともに労働しうる職種ではやがて女性が支配的
になり,労働力の市場価値が女性の労働力の個別価値に一致することになるが,それにくらべてみ
ぎのばあいには男性にかんして相対的に高い賃金がたもたれていることになる.当然,このような
職種のなかで男女同一賃金がとなえられるときには女性の賃金を男性の賃金の水準にまで高めるこ
とが要求される.
− − − すでに考察したように,辻岡氏が「女子労働力の価値」を.主張するかぎり,男女同一賃金につい て論ずるための道はとざされてしまっているのであるが,さらに氏の男女同一賃金の理論をきくこ とにしよう.氏はいう.-- 「……女子労働力が次第に増加するにつれて,……しヽiつtゆる「労働力の価値分割」が部分的に逆行すること はたしかではあるが,しかし,資本主義社会での支配的な労働力は依然としてr標準家族の標準的文化的生活 費」であることには何ら変化はないのである.そして,たとえ,女子が圧倒的多数をしめる職種であっても, その賃金を基本的に規制するのは,「女子労働力の価値」ではなく,「普通の労働力の価値」なのであり,それ は「女子労働力の価値が小さい」ことを資本か意識的に利用することによって,はるかに「労働力の価値」以 下に賃金を大巾に切りさげているのであると理解ずべきである.男女同一労働同一賃金とは,このような不当 な性別による賃金差別に反対し,あくまで「男は家族を養える賃金を,女はそれと同じ賃金を」「女子労働者 .のいかなる仕事にもつけることの自由」とあわせて要求することによって男女か団結し,企体としての賃金水 準の向上をすすめようという「嬰求の原則」なのである.」(同上, p. 113.) ここには賃金勢力説があらわれているように思われる.なぜなら,女性労働力の日面値」が力関 係によって一定の水準にまで高められうるというのは,労働力の価値法則を無視することになるか らである. しかしながら,みぎの引用箇所の前半にのべられている,「労働力の価値分割」が「部分的に」 進行するが,社会での「支配的な」労働力は成年男子労働力であるという叙述は,それ自体として は正しいものである. さらに,「女子労働力の価値」を訂正して,女性が支配的な職種にあっても,「その賃金を基本的 に規制するのは」女子労働力の個別的再生産費ではなく七て,成年男子労働力の価値である,と読 むならば,それは適切な指摘である. ここでは主として,この辻岡氏の立場を尊重しながら,「具体的な労働力」の価値についての理 論にふれてみたいと思う. 辻岡氏もふれているごとく,職種別労働力の市場価値法則についての理論には難点かある.その (4)ある賃金理論に・ついて (松井) − 65
難・点は,もちろんその法則の理論の設定そのものが誤ま,りであるために生じたものではなくして,
その法則によって同一労働同一賃金の原則のすべてを解明しようとするところに生ずる.
その理論は,男女のいずれが支配的であろうと,それぞれの職種で同一賃金が成立しうることを
あきらかにしている.しかし,男女のいずれが支配的であるかによって,同じ複雑度をもつ異なれ
る職種のあいだに発生する賃金の格差を説明することができても,これらの職種のあいだで同一の
賃金が成立しうることを,その理論は,主張することができ・ない.したがって,その理論は労働の
格付けと賃金との関係をあきらかにして・・いない.
そのために,岸本氏は「具体的な労働力」の価値という独自の理論を展開することになる.
「具体的な労働力」の価値とはなにか.一口にいえば「いっそう具体的な」労働力の価値である.
それは抽象的一般的な労働力の価値をそれぞれの職種の労働力の価値に具体化したものである.
それは職種において現実に成立する職種別労働力の市場価値にたいしては抽象的な価値である.な
ぜなら,職種別労働力の市場価値は,その職種でいかなる個別価値をもつ労働力が支配的になるか
という,主として労働力の供給条件によって,その大いさを規定されるが,「具体的な労働力」の
価値はすべての職種で成年男子労働力が支配的であるという想定のうえになりたつともいえる.し
たがって,「具体的な労働力」の価値は,社会的平均としての簡単労働力の価値を基準にして,そ
のうえに,それぞれの職種における労働の質量の差異とむすびつく労働力の再生産費部分を加算し
たものである.
では,「具体的な労働力」の価値は簡単・複雑労働力の価値と同一視してよいか.「具体的な労働
力」の価値には職種という概念がはいっている.そのために,それぞれの職種につき=まとう労働の
量の差異かその価値に反映させられている.
こうして「具体的な労働力」の価値にかんするミ論は職種[別労働力の市場価値にかんする理論に
よっては解明できない同一労働同一賃金の原,則のための客観的根拠を与えるL
このような「具体的な労働力」の価値は架空の存在であろうか.もし架空のものであるならば,
辻岡氏もまた「男は家族を養える賃金を,女はそれと同じ賃金を」という要求をさげなければなら
ない.
しかし,辻岡氏は問題の所在に気づかない.「女子労働力の価値」を価値法則のもとで成年男子
労働力の価値に高めうると断定するかぎ・り,それに気づく必要もないのである.
四 つぎに辻岡氏の市場価格についての見解を考察したいのであるが,その理論の核心をなすと思わ れる部分は残念なことに意味がつかめないので,その前後の文脈をたどってみたい. 「……タ」’但Jプコの市場イllll格は,「労働力の価値」を基礎に労働力の需給の関係と労資の力関係によって.決定さ れるのであり,価値から直ちに価格を引き出すことはできない.とくに労働力商品は普通の商品とちがって需 給関係と力関係によって,たえず価値以下に切りさげられており,しかも,さらに独占段階,国家独占資本主 義段階のもとでは,独占価格や国家の低賃金政策の働きによって一層,大巾に価値以下に市場価格が引下げら れるのである.そして,労働力の市場価格は最終的には労働市場で決定されるのであるが,この労働市場は岸 本氏の主張されるような,「具体的な労働力の質的差異」にもとづいて形成されるというような性質のもので はない.」(同上, p. 108.) 「以上のような基本的な「労働力の価値法則」と階級間の力関係をおしのけて「労働の質的差異」にもとづ く労働市場で賃金か決まるという説明は言葉の上でいかに賃金の本質か『労働力の価値』であるとくりかえし ても,それは木質と現象をりJりはなし; 「おおいかくされた本質をさらにおおいかくす」ものである.‘そして また,階級間の力関係とは本質的に搾取関係から生じる必然的な階級闘争の産物として賃金をはあくするとい (5)66 高知大学学術研究報告 第12巻 人文科学 第6号 - - こうとであり,さらには賃金は何よりも生産関係によってまず第一に規制されているということの表現で‘もあ る.この点を軽視して,労働市場論を第一におくことから賃金を論ずることは,いかに剰余価値の搾取か説明 されようと,事実上,搾取関係を否定し,おおいかくすことになり,結果として労資協調論に,資本主義擁護 論に堕落していくことになるのである.」(同上, p. 109.) 労働力の市場価格の段階で氏によってはじめて提起された労働力市縦は,一国の労働力市場であ り,当然,賃金をめぐる労働力の需給関係と労資の力関係が総体としてあらわれる場である. もしそうであるならば,みぎの労働力市場か職種別に相対的に分割されても,やはりその国の総 体としての諸関係がつらぬかれるのではないか.職種別労働力市場は,すでに‘のべたように,あ くまでも相対的なものであるから,一国の階級関係から独立した諸関係をもつものではないのであ る.したがって,職種別労働力市場の現実をみとめることは,搾取関係を否定するのではなくし て,搾取関係の多様な現象形態をみとめることになるのである. 「具体的な労働力」の価値か,主として労働力の供給関係によって職種別労働力の市場価値に転 化することをあきらかにしたさいに,すでにそこに職種間に賃金の不当格差か発生することを知っ た.労働力の需給関係はさらに職種別労働力の市場価値を市場価格に転化させ,無数の賃金の不当 格差をうみだすことになる.労働力の価値以下への賃金の低下はもはや決定的である. ただし,労働力の価値,市場価格を決定する場としての労働力市場は,具体的には,職種別労働 力市場であって,一般にそれ以上の細分はさけられるべきである. 産業部門・企業・工場における生産・労働条件の差異は労働の質量上の差異をもたらすが,それ がそれぞれにおける賃金の差異に対応しているのは,一般に,労働の価格法則のためである.もち ろん,それぞれの産業部門や企業や工場で賃金の差異か生ずるためには労働力移動の相対的な制約 がともなわなければならないが,この労働力移動の制約は一般に職価別労働力市場の内部でおこる ことであって,市場そのものを分割するものではない. 労働力市場についての辻岡氏の理論は職務給の分析にあたってその欠陥をしめすことになる. 五 さきに辻岡氏の男女間の賃金格差とそれの克服についての見解をみたが,ここでは職務給と同一 労働同一賃金の原則についての氏の究明をとりあげてみよう.氏はいう.一一 「差別賃金とは,まず第一に,熟練度の上で明かに同一労働であるにもかかわらず,性や身分や年令や勤続 年数などによって賃金か異っている状態のことをいうのであり,第二に,たとえ,職種や職務ごとの賃金にな っていようと賃金か全体として異常な低水準におさえつけられており,しかも,能力や経験・熟練をどれだけ 身につけていようと身分や年齢や学歴などの差別によって,それにふさわしい職種や職務につくことをさまた げられているような状態のもとにおける賃金格差は,すべてこれを差別賃金ということかできるのである.」 (同上, p. 101.) この引用箇所のなかで「第二に」のべられている「職種・・・…ごとの賃金」は差別賃金ではない. 特定の熟練をもつ労働者がその熟練を生かしえない職種につくためにかれの賃金が低下する,この ことか資本主義制度のもとでの生産性向上にたいする批判をよびおこすのである. 氏は熟練を個人の熟練として把握しているので,そのようなことがいえるのであって,この理解 は「第一」の差別賃金についての理論上の混乱とむすびついている. 「第一」にのべられている差別賃金はどのようにも解することができる. ここで「熟練度の上で明かに同一労働である」といわれるばあいの熟練とは,そのあとにのべら れている「職種や職務」をさしているようである.1 職種にかんしては氏の見解は正しいであろう.「具体的な労働力」の価値についての理論がそれ (6)
、あ る 賃 金 理 論 に.つ い て (松井) 67 の正しさを証明した. 職務についてはどうか. いうまでもなく,辻岡氏は職務給に反対しており,この論文もそのために書かれたものであると いえる.氏はつぎのようにのべている.- 「「職務給」こそが「同一労働同一賃金」なのであるという独占資本のデマ宣伝をうちやぷり,「職務給」の 政治的経済的本質をばくろし,それに対決して,正しい「同一労働同一賃金」の原則の上にたって,「職務給 反対」のだたかいを………」(同上, p. 113.) これが氏の基本的な立場であり,この立場をつらぬくために,.ついに職種別労働力市場の存在す らも否定したのである.氏はいう.一一 ゛ 「……現実の賃金における格差は何よりも全体として,大巾に価値以下に切下げられている低賃金のもと で,資本が「労働力の価値」における熟練費の若干の差異を利用しつつ,恣意的にすすめてきた差別賃金政策 にもとめなければならない………」(同上, p. 109.) ここにのべられている差別賃金政策は職務給をさしている.(氏は別の箇所で「熟練度別賃金を 確立する方向」(同上, p. 113.)をとなえているが,この方は職種別賃金一一「具体的な労働力」の 価値に規制されたーをさしているようにみうけられる.) さらに,辻岡氏が,「『労働の質的差異』は具体的有用的労働としての差異でもあれば,抽象的人 間労働としての差異でもある」(同上, p. 108.)とのべ,「資本に異なった剰余価値をもたらすのは 『熟練労働か不熟練かという労働の質的差異』だけであって,『職種や職務のちがいという労働の 質的差異』によるものではないのである」(同上, p. 108.)と強調し,職種や職務と熟練度との関係 を分離したのも,職務給にたいする警戒心のためであった. これほどまでに職務給に反対しながら,辻岡氏は,職務における熟練度の問題を理論的にいかに 処理すべきか,について何らの示唆も与えていない. 辻岡氏の理論にあっては,熟練度といえば職種[と職務か同時にあらわれ,熟練労働者の賃金とい えば職種と職務の賃金がーしょにあらわれざるをえない.もともと労働力の価値のなかに「女子労 働力の価値」がはいるくらいであるから,職務や個人の複部労働力の「価値」があっても不思議で はない.このようなことがおこるのは,特定職種の複部労働力の価値の複州度をーつの平均として とらえないためである.氏に労働力市場論があればこのことはすぐにわかったはずである.ところ が,逆にますます労働力市場論を排斥する.そうして,結局,職種と職務を無理にきりはなし,職 務給反対説をつくりあげるのである. 以上にのべたことは辻岡氏の見解を曲解することになるであろうか. 労働力市場は,論理の一定の段階で捨象されることかあっても,つねに職種別に厳存するのであ って,それを背景に複雑労働力の価値が考えられねばならないンそのような理論上の手続きを経な ければ,複雑労働力はたちまちにして職務や個人の労働力になってしまい,複雑労働力の価値とい えば職務や個人の「労働力の価値」をさすものときめこんでしまう,怖れかおる.そうして差別賃 金についての「第一」と「第二」にのべられた氏の見解は複節労働力の価値を労働者個人の労働力 の「価値」として解しているのである. 辻岡氏にかわって職務給反対の理論を賃金理論によって展開してみよう. 職種か職務に分解するとき,従来の職種の枠ではつつみこむことのできない熟練を要する職務が うまれることかあろう.このようなばあいには,この職務にかんして新しく労働力の市場価値が成 立することになろう.あるいは,その職務は既存の他の職種に包含されることもあろう. しかし,一般に職務は既存の職種にくらべて労働の簡単化がすすんでいるので,熟練の互換性の 高い多くの職務が従来の職種の枠のなかで一括されたり,あるいは従来の職種とはちがった新しい (7)
68 高知大学学術研究報告 第12巻 人文科学 第6号
職務群として一括される.新しい職務群は一つの職種とみなしてよかろう.これらの職務の労働
は,そういう枠のなかで,平均的労働とそれから乖離する労働を構成し,それに対応して,労働力
の市場価値とそれから乖離する価格か存在することになる.・これか職務給である.ここで援用され
たのは労働の価格の理論である.
しかし,労働組合はこの職務給を容認することができるであろうか.
特定の職種から多数の職務かうまれたと仮定し,『資本論』の個数賃金制についての叙述を,労
働者個人々々の労働ではなくして,それらの職務の労働にあてはめてみればよい.職務給のもとで
は,熟練の互換性の高いそれらの職務のあいだで,労働者の競争,移勁がはげしくなるであろう.
その競争,移動は職種のあいだで発生したものとは比較にならないであろう.こうして,伝統的に
維持されてきた職種別標準賃率はくずれ,結果は賃金水準の全般的低下である.
したがって,職務給はたとい企業の枠をこえて産業部門のなかで統一的に設定されていても,賃
金水準の低下に貢献するであろう.まして,企業ごとに職務給がうみだされているぱあいには,企
業別賃金格差を通じて,賃金低下の傾向は倍加されよう.
労働組合はしたがって職務給に反対しなければならない.しかしながら,職種の職務への分解は
不可避的なものであり,職務ごとに労働の質と量が当然ことなってぐるのである.労働組合が制限
慣行をまもっても,同一労働を各職務の労働者に強いることはできない.
職務間の労働の質量の差異はそれぞれの職務の生産条件からうまれるものであり,完全な同一労
働は実現できない..とくに職務は企業間でことなる.
職務間の労働のわずかの差異は無視すればどうか.このわずかの差異にたいして職務給がうまれ
るのに,どうしてそれを無視することができるのか,
それは職務間での熟縦の互換,移動がほぽ完全に自由であるからである.しかし,ただ単に,そ
れか自由であるだけでは不充分である.そのために労働条件の悪化が促進されるばあいもあるから
である.逆に労働力の競争,移動は熟練養成制度の欠如や,定員制,昇進制度などによって,相対
的に制約されており,このことがまた職務給の根拠となって労働条件を悪化させる.
問題は労働組合の肩にかかってくるようである.労働組合は,・似通った熟練をもつ職務を一括し
て,これに同―賃金を保証し,全体としてすべての職務の労働が,可能なかぎり,同一のものとな
るように仕向けることになる.このばあい労働組合は,職務間の熟練の互換性,労働力移動の自由
のうえにたっている.しかも組合は養成,定員,昇進制などについて発言権をもち,時と場合によ
っては労働力移動を制限することによって労働条件の悪化をふせぐ.
以上の考察は,企業間で不可避的にうまれる職種内,または職務内の労働の質量の差異と企業の
枠をこえた同一賃金の確立についての問題にも適用できよう.
このように職務給についてみるとき,理論はおのずから労働組合論に発展し,職務給と企業別組
合との関係がとわれることになろうが,職種と職務は決して同列におかれるべきではない.
職務給と同一労働同―賃金の原則との関係につい,ての考察をおえるにあたって,差別賃金につい
ての辻岡氏の見解を書きなおしておきたい.
差別賃金についても,労働力の価値の具体化のなかで,賃金の諸法則に依拠してあきらかにして
きたがここでは思いつくままに列挙してみよう.
まず,簡単労働職種や同一複雑度の諸職種のあいだでうま’れる職種別労働力の市場価値の格差か
ある.つぎに,職種別労働力の市場価格の成立によって生ずる格差がある.第三に,同じ職種内
で,労働力の個別価値に依拠して発生する労働力の個別的販売価格の格差がある.第四に,労働の
価格法則のもとで同一労働にたいして同一賃金が支払われていても,刺戟賃金制のごとく,差別賃
金とみなされるばあいがある.第五に,同一労働同―賃金の原則がまもられていても,同―賃金が
同一賃率をさすか,同一日賃金または手取り賃金をさすか,によって,差別賃金とみなされるばあ
(8)
あ る 賃 金 理 論 に つ い て (松井) 69