ライン州デュッセルドルフ県内における都市化の地域的特徴 : 人口統計の整理を通じて
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(2) 棚橋. O乙. 信明. ている。 人口史的な進展との 対応では,①では農村の人口増加が 都市のそれよりも 依然として優位 にあ り,②においては 都市の人口増加が 農村のそれを 次第に圧倒しそして③に 至っては,都市の 急激な人口増加に 対して農村部では 人口の停滞が 日立つようになる ,. と. 特徴づけられる. このようなマッツエラートによる 時期区分は J . ロイレッ ケ によるもの. 引. ". 。. ともおおよそ 重なり. 都市化の歴史研究における 現在の標準的認識を 示すものといえる。 本稿でも,この時期区分をその まま採用し全プロイセン 的な都市化過程との 比較にも留意しながら 考察を進めることにしたい。 ただし本稿で 考察の対象とするのは ,プロイセン 王国によって 統一的な人口調査が 開始される 1816 年から,第. 1. 次世界大戦前の 最後の調査 年 であ. る. 1910 年までとなるり。 時期区分も便宜的に ,. 第 1 期 : 1816 ∼ 1840 年,第2 期 : 1840 ∼ 1871 年,第3 期 : 1871 ∼ 1910 年とし,各時期の区切りと. なる 1816 年, 1840 年, 1871 年, 1910 年を統計表における 基準年とする。 ところが,市制期 以前の ゲ マイン ヂ 人口について 参照した統計資料の [3]では,郡によって 大口の 記載年にばらつきがあ り,基準年の原則を厳守できないこともあ った。 まず, 1816 午に関して ( クレーフェ. 2. 部. 郡と レース 郡 ) で ゲ マインデ人口の 記載がなく,そのためこの 2 郡については 翌年の. 1817 年の人口統計を 示すことにした。 また, 1840 年に関しては 約半数の 8 郡で ゲ マインデ人口が 示 されず,そのためこれらの 郡では 1837 年 か 1843 年の人口統計を 採用した。. (3) 「都市」の定義と 統計表の作成 統計表の作成に 当たって大きな 問題となるのは 何よりも「都市」の 定義であ る。今日に至るまで ,. 歴史研究において「都市」に 関する一致した 定義はないといってよい。 また 1980 年代以降,都市史 及び都市化生研究の 進展にともなって ,「都市」の概念はますますあ いまいで包括的なものとなりつ っ あ る " 。 いずれにせよ ,本稿のような人口統計の整理では ,境界線の明確な行政単位として ,す. なわち. ゲ マインデの分類として「都市」を. 定義するほかない。. そして,統計資料において「都市」に 分類される ゲ マインデとは ,取りも直さず都市の法的資格 をもち, Stadt をその名に冠するものであ った。 同時代の人びとの 意識においても ,ある ゲ マイン ヂ が 「都市」であ るかどうかは ,こうした法的資格の 有無に大きく 関わっていたと 考えられる. ". 。. し. たがって,本稿の人口統計の整理においても ,まずこうした法的資格を基準に ,すなむち法的な区 分 による 都 ㎡と農村 ゲ マインデの分類に 基づいて,両者の人口推移に関する 統計表を作成すること になる。 以下 3 の (2) で提示される 統計表の一覧では ,これが各部 は ついての「統計表 a 」となる。 他方で, 1873 年以降に出された 帝国統計局による 人口統計では , これとは異なる「都市」概俳も 採用されていた。 それは,単純に 人口規模を基準とするもので ,人口2000 以上の ゲ マインデを一律 に 「都市」として 扱うものであ. る". このような「統計的都市概俳. (statistischerStadtbe糾田 」は ,. 近年㈲ 都 ㎡ 化史 研究でも人口史的な 都市化の進展をみるための 重要な視角として 採用されている 本稿 で t, こうした統計上の 区分を採用し. 関する「統計表 b 」を「統計表は」 そして, これら. 2. 統計的意味での 都市と農村 ゲ マイン ヂ それぞれの人口に. と対比するかたちで 示すことになる。. 種類の統計表では ,第1 期,第2 期,第3 期の各期間について. 1. 年当たりの人. 口㈲平均増加率が ,都市と 農村 ゲ マインデそれぞれに 関して示される。 この「年増加率」の 比較・ 検討により,郡による 人口増加の構造的特色が 明らかになるはずであ る。 また, これらの表では 基 準年ごとに 郡 全体に占める 都市の人口比率が「都市化率 この 都 ㎡比率は , い. う. (Ⅵ rstadterungsquote) 」として示される。. までもなく 都 ㎡への人口集中度を 最も端的に表す 数値であ り,都市化の 進展. を比較する際に 最も重要な指標となるⅢ。.
(3) さらに本稿では ,都市化の進展の様相を都市. 3. ライン 州ヂュッ セルドルフ県内における. 都市化の地域的特徴. ( ゲ マイン. ヂ ) の大規模化といった 観点からみるた. めに,人口 2000 以上の ゲ マインデを人口規模別に 整理した「統計表 c 」を 郡 ごとに作成する。 この 統計表では, ゲ マインデを人口規模により. 「農村都市. (Landstadt). (Meinstadt) ( 同 5000 ∼ 1 万 9999),「宇都市 (M 廿elstadt) ( 同 」. (同. 」. 10 万以上 ). の 4. 2. 」. ( 人口. 2000 ∼ 4999),. 「. 小 都市. 万∼ 9 万 9999), 「大都市 (GroBstadt). 」. つに分類する 方法を取るが ,このような分類方法も帝国統計局によって 採用さ. れ,次第に定式化されていったものであ った 諾 。. この「統計表 C 」では上記の 各分類について ,所属する都市 ( ゲ マインデ ) の 数 と人口,そして. 郡 全体における 人口比が示される。 この表により ,各部における都市の人口規模 別 分布の長期目りな 移り変わりとその 特色が明らかになるはずであ る。. (4) 基準となる 郡と 統計処理 郡を地域の単位とする 際にまず問題となるのは , 郡と 対等な地位にあ った 郡 独立都市 (Kreis仕eie の扱いであ る。 1910 年にデュッセルドルフ 県には全部で 12 の 郡独 。都 ㎡があ ったが, そ ㈲ Stadt)l3) ほとんどが 1860 年以降に本来所属していた 郡から分離・ 独立したものであ った 川 。 また, これら の 郡 独立都市の多くは. ,市制期 以降,隣接するゲ マインデの一部や 全体を次々と 編入していき , そ. の 行政区をどんどん 拡大していった。 こうした 郡 独立都市の分離と 隣接 ゲ マインデの吸収は 当然,. 当初の郡の領域に 変更をもたらすものであ った。 そこで人口統計を 整理する際には , 郡 独立都市の人口も 分離以前に所属していた 郡に含めること にした。 要するに,本稿では郡 独立都市も含めた 郡の基本的単位を , 1816 ∼ 1910 年を通じて独自 に 設定するのであ る。 (郡の憶 梧). I ㎏ ndkrels @@KLE@ =Kleve ⑥ RES ⑥ GEL. 亡. Rees. 亡. Geldern. ⑤@MO. 二. Mo Ⅰ s. ㊤ MH. Ⅰ. Mulhelm. (lⅠ八年 に ① KP ⑥K目. 8@E C@D ① MTM. a.d.. l. Kempen ヰ Kref 引 d ヱ Essen キ. Dusse@do. Ⅰ. Me Ⅱ mann. け. '. @@GLB@ @@GV@. uhr. Ⅰ. 。 接刃年 に E" 可わ. ① LEN. 円. Oulsbuりから名付 を 文史. " から. 名 沖を主文. '. 。 Lennep sGladbach. =Grevenbroich. ⑪ NE. ,Neu0. @@SG@. sSolingen. n@ Krosfre@@ Stadt. Dり K片. 接. E. =Esse. Ⅰ. n Ⅱ llsburg K ef 目 d 「. ハ. 亡 Dusse@do. EL8. %Elbe. BⅡ FR. 二日 armen. イ. 吋. eld. 地図 1. ]887年のデュッセルドルフ 県の郡 と郡 独立都市.
(4) 棚橋. 4. 信明. さらに大きな 問題は, 1816 ∼ 1910 年の間に繰り 返し実施された 郡の再編にど. う. 対処するかであ る。. 本稿では便宜的に , 1857 ∼ 1887 年に比較的安定的に 維持された 15 郡を基準となる 単位としその. 前後の時代に 関しても,この 15 郡の地理的領域を 当てはめて統計処理を 行. う. ことにした㍻。 なお,. 郡の名称に関しては , 1857 ∼ 1887 年にも一部で 変更があ ったため, 帝 刑期以降の名称を 全時代につ. いて適用することにした。 (1887年のデュッセルドルフ 県の郡の編成については 地図. 1. を参照。). たとえば,エッセン 郡は 1816 年に設置ののち , 1823 年にその 全 39 ゲ マインデがデュースブルク 郡に 編入されることにより 一時角 牢 体しその後 1857 年 8 月になって 打び同 郡から 2h ゲ マインデを 分離して設立されるといった 経緯をたどる。 このエッセン 郡の場合,基準となる 単位は 1857 年 8 月 以降の. 25 ゲ マインデの領域となる。 したがって, 1816 年についても ,またエッセン郡が実際に. は存在しなかった 1840 年についても ,. この 25 ゲ マインデのその 時その時の人口を 基礎に人口統計. は 計算される。 また, 1873 午にはエッセン 郡からエッセン 市が 郡 独立都市として 分離するが,このエッセン 市は その後も同部 に 属するものとして 扱われる。 さらに 1910 年. 4. 月に,エッセン 郡は隣のミュールハイ. ム (M ㎝he ㎞ a.d.Ruhr) 郡 , 6)から 3 ゲ マインデを編入しているが ,この3 ゲ マインデは同部の 基準 となる単位からは 除外される。 す な れ ち ,本稿の統計表の 作成に際しては , 1910 年のエッセン 郡の 人口統計は郡独立都市エッセンを 含み, 1910 年. 4. 月に編入された 3 ゲ マインデを除いて 計算される. のであ る。 こうした個別の 統計処理については , 各 郡の統計表の 備考欄において ,郡の再編過程と 名称の変. 更, 郡 独立都市の分離に 関する記事とともに ,具体的な説明を付すことにした。 また,本稿では「統計表 ひ 」の 1816 れ 7 年の人口統計について 特別な統計処理を 行うことにした。 すなわち, 1816 ハ 7 年の法的都市の 人口統計は,実際に都市の法的資格をもつ ゲ マインデについて ではなく, 1840 年の時点で法的都市に 属した ゲ マインデについて 計算することにした。 それは,デ ュッセルドルフ 県では 1816 ∼ 40 年の間に法的都市の 顔ぶれに大きな 入れ替わりがあ ったからであ る。. この間に同県では 全部で 27 の農村 ゲ マインデが都市に「昇格」. インデに「降格」. し 逆に 16 の都市が農村 ゲ マ. している。 ライン州ではプロイセン 王国への編入後しばらくは ,都市の法的資格. の 基準に大きな 動揺がみられ , 182S 午 ごろに都議会及び 州 議会の代表権 の付与を通じて 法的都市が 確定していくといった 事情がこの背景にはあ った '7, 。. いずれにせよ , 1816 ハ 7 年の法的都市をそのまま 当てはめて 18W6 ハ 7 ∼ 1840 年の都市化率の 変化. をみた場合,都市化の 進展をみる. ぅ. えで大きな問題が 生じることになる。 都市 数 が大きく増加した. 郡 では都市化率が 急激に上昇 - し 逆に都市が大きく. 減少した郡では 都市化率が大きく. 後退すること. になるからであ る。 極端な何としてゾーリンゲン 郡では,法的都市はこの 間に 1 から 11 に増加し 都市化率は 1816 年のわずか 7.9% から 1840 年には 67.4% へと大きく跳ね 上がる。 逆にゲルデルン 郡では都市数は 4 から 1 へ ,都市化率は27.0% から 8.6% へ 急落する。. このような都市の 入れ替わりを 原因とする都市化率の 大きな変動を ,そのまま都市化の大きな進 展や後退として 理解できないことは 当然であ る。 したがって,本稿では 都市の資格基準が 動揺する なか, 1828 年ごろまでに 都市の法的資格を 獲得する ゲ マインデについては ,初めから都市の 資格要. 件が l,分に備わっていたとみなしまた 逆に法的資格をすぐに 失ってしまう. ゲ マインデについては. 初めから資格要件が l,分でなかったとみなすことにする。 そして,上記のような統計処理により 第 1. 期についても 都市化の進展をなるだけ 的確に捉えようと 試みるのであ る。 ( なお, 1816 ハ 7 年時の.
(5) ライン 州 デュッセルドルフ 県内における 都市化の地域的特徴. 各 郡の実際の法的都市は. ,統計表の備考欄で示される。 ). (5) 統計処理の問題点 以上のような 1857 ∼ 1887 年の郡を基準とする 統計処理は,場合によってはかなり 煩雑なものとな. った。 とくに 1887 年以降,郡の編成が流動的になるルール 地方のエッセン 郡や ミュールハイム 郡な ど では,. 郡 独立都市のみでなく 一般の都市や 農村 ゲ マインデの関与する. ゲ マインデ合併が. なかたちで展開されたことも 加わり,統計処理には細心の注意が 必要であ った. そして,. ゲ マインデ合併のやり. 周。. 方によっては 統計処理を留保せざるを 得ないケースも 生じた。. れは,①郡 独立都市が以双に 所属していた 郡 とは異なる郡から 編入を行. う. (文献. 表の [2. コ. と. そ. 場合,そして②ゲ マイン. デ 合併が異なる 郡の間で行われ ,それによって基準となる郡の 単位が崩れる 場合の 用 できる統計資料. 実に多様. 2. つであ る。 利. [4]) では, ゲマンデ合併によって 所属を変えた 地域のその後の. 人口が記載されないため ,上記のような場合,統計上においても 基準となる郡の 単位を維持するこ とは不可能となるからであ る 朔 。. 1910 年までに ヂュッ セルドルフ県では ,上記の①の 事例が 2 件と②の事例が 3 件 鵜 みられた。 た. だしいずれのケースも. ゲ マインデの一部のみを. 編入の対象とするもので ,その際に大きな人口の. 移動はみられなかった 別 。 したがって,こうした 統計処理の留保によって 統計表の数値には 若干 の. 誤差が生じることになるが ,基準となる 15 郡の都市化の 進展をみる. ぅ. えで大きな支障を 来すとは考. えられない。 ともかく, こうした統計処理の 留保についても 各 郡の統計表の 備考欄で言及すること にする。. 3. 統計表 ( 1 ). 統計表の見方. (A) 統計表 以下 (2) で提示される 統計表 a ∼ c では, 2 の (3) で説明した「都市」の 定義と分類に 基づき 以 下 のような用語表記を. 0 統計表 く. 採用する。. a. 都市 ) : 法的区分による 都市 (==法由り都市 ). (農村 ゲ マインデ > : く. 法的区分に. よ. る農村 ゲ マインデ. 都市化率 ) : 各部における 法的都市の人口比率. 0 統計表 b ( 都市 ). : 統計的意味での 都市 (= 統計的都市 ) (人口 2000 以上の ゲ マインデ ). ( 農村 ゲ マインデ》 ( 都市化率》. : 統計的意味での 農村 ゲ マインデ (人口 2000 未満の ゲ マインデ ). : 各部における 統計的都市の 人口比率. 0 統計表。 ( 農村都市》 : 人口 2000 ∼ 4999 の ゲ マインデ. (/N、 都市》 : 人口 5000 ∼ 1 万 9999 の ゲ マインデ (. 中 都市》 : 人口 2 万∼ 9 万 9999 の ゲ マインデ. ( 大都市》 :. 人口 10 万以上の ゲ マインデ. なお,「統計表 a 」の統計年に 水のあ る午については ,統計表a ∼ c のいずれにおいても 軍事人口.
(6) 棚橋. 6. (Ⅵ ljt 牡bev6l № rung). 信明. を除いた人口が 示される。 統計資料 [3]では,統計年によっては 軍事人口を除 」の統計年の 右側に付した a) ∼ d). いた人口のみが 記載されているからであ る 冴 。 同じく「統計表. a. の記珪は ,以下で説明する 備考欄の項目④で 使用される 記サに. 対んL;するものであ. る。 す な れ ち , こ. れらの 記サは ,基準となる郡の単位を維持するために , 当該年について 何らかの統計処理が 行われ ていることを 示す。. (B) 備考 各 郡の統計表の であ る㈲。. a ∼ c. に っ づく備考欄の①∼④の 説明項目は,それぞれ以下の内容に 関するもの. ①郡の仲編及び 名称の変更. ② 郡 独立都市の分離 ③各年の法的都市. (分離した 郡 独立都市も含む ). ④統計処理及びその 保留 なお,備考欄における 説明では, 郡やゲ マインデ等の 固有名詞は原則として 原語表記としあ わ せて以下のような 略語を固有名詞に 冠して使用した。 Gem. St 。. 二 Gememnde. 二 Stadt :. Krf St. 「・. :. ゲ マインデ. (法的区分による. 農村 ゲ マインデ ). 都市 (法的都市 ). 二 Kreis 仕eie. Stadt. 郡 独立都市. :. Ldkr. 二 Landkrejs : 郡 (農村 郡 ) Reg.-Bez. 二 Regierungsbezirk : 県. (2) ④. 統計表一覧. クレーフエ. 統計表. (Kleve) 都. は. (農村ゲ マインデ・ ). (部 l@@. ゲ マイシ ヂ 数. *1817 a) *1840 1871. 26.3. 47 34,677 26,880 ,' l.3 25.9 2 29,263. 1910. 統計表. 45. 42,063. b 《. ゲ -ア イン. 1817 1840 1871 1910. お@l@i. 4. 年増加 宰 ㎝ ) ゲ マインデ 数. 18,641 14,656 24. 20,786 43,393. W郁Ⅱ l. 《農村とデマインデ》. 》. T. Ⅱ①. 08.. ん. Ⅰ. 人. [l. 4"6. 21,796. 45 44 40. 28,126 26,731 27,933. 年増加 倖㍉ 肋. 60.8. 統計表。 ゲ マインデ. llt ゲ マインデ 数. ノ (Ⅳ Ⅰ. 1817 1840 1871 1910. 3 4. 8,145 10,626@ 11,748 l4,130. り. 人. ヒ. 22.3 22.7 24.7 19.8. 2. 6.511 8.015 9,038 29.263. (%). 比率》. (%) llt ヒ. l7.9 17.1 19.0 41.0.
(7) 7. ライン 州 デュッセルドルフ 県内における 都市化の地域的特徴. [備考 ]. (3)@ 1817@@@:@St Goch , St Griet , St Griethausen, St Kalkar , St , Kleve , St 、 Kranenburg , St Uedemo 1840 , 1871, 1910 年 : St.G ㏄ h, St.KIeve 。 ④ め /都市 ) については 1840 年以降の法的都市で 計算。 ・. ⑧レース 統計表. ・. ・. ・. ・. (Rees) 郡. a. <@ii(i). (ぬ@ll@. (農村ゲ マインデ ). ゲ マインデ 数. *@8l7. 16,822 22,905 30,978 44,242. a). *1840 1871 910 Ⅰ. 40. 19,674. 46.1. 33,759. 56.7. 統計表 b 《農村 ゲ マナ ノデ. 》. ゲ マインデ. ii 左. 人. 数. 1817 1840 1871 1910. 3. 11. 16,341 25,956 38,250 60,916. Ⅱ. 《. fl,W fg (%) @@ t(%) 率 ミょ. 力. 65.8 33. 《農村 邱 fⅦ ゲ マイシ デ. 78.1. 2ク. (%) l仕ヒ ゲ マインデ 数 @8.8 15.2 2 20.5. 9,463 18.705. 25.9 39.3. 1871. 6.878 7,25l 11.942. 26,326. 45.3. 1910. 23.057. 29.6. 13,418. 17.2. 数. 人. 2 3. ヒ率 》. 20,155. 統計表。. 1817 1840. 都Ⅲ. (%). 人 [吐 Ⅰ. 人. 24,44l. (%) ll とヒ. 3l ぷ. 胴引 ① ③. 1823 年 9 円に Ldkr.Dins@akenから 9 ゲ マインデが編入される。 1817 年 : St.Emme hch, 「 St.IsseIburg, St.Rees, St.Schermbeck (1823 年 9 月に Ldkr. 川 nsIaken から 編 人 ), St.WeseL 。 1840 , 1871 , 1910@@@ :@St. Emmerich , St , Isselburg, St , Rees , St , Weselo ④ め 上記①の 9 ゲ マインデを含めて 計算。ただし, 2 の (2) で説明したとうに Ldkr. RccS については 1817 年の人 il統計を採用したが , Ldkr, Dinslakcn については統計資料 [3] で 1817 年の人 @lの記載がなく , そのためこの 9 ゲ マインデについては 1816 年の人 t@で計算せざるを 得なかった。 また, (都市 ) につ いては 1840 年以降の法的都市で 計算,. ⑥ゲルデルン㈹ eldern) 郡 統計表. ひ. (都 rti) ゲ マインデ 数. *1816. a). (部,げ 比率) 8.6. *1837b) 1871 1910. (農村ゲ -ア インデ ). 8.6 10.2. 6.448. 10.6.
(8) 棚橋. 8. 信明. 統計表 b ( @lll 考訂. 》. 《. 且熊村ウ ガマインデ》. 《. 都Ⅲ. ゲ マインデ 数. 8 7. 1816 1837 1871 1910. 10 10. 19,013. 18,737 22,605 31,589 40,328. 49.6 54.0. 63.4 66.5. 統計表。 (農村祁山》 ゲ マインデ 数. 1816. 7. 1837 1871. 1910. 7. ノ Ⅰ. ば り. ll. 人. 18,737 17.562 20,967 19.933. (%) ll比ゲ. マインデ 数. 52.3 41.9 42.1 32.9. ¥都@ll 》. (%). 人 l吐ヒ. 人Ⅱ. 5,043 3. 12.0. 10.622. 21.3. 20,395. 33.6. [備考 ]. ①. 1823 年 9 月に Ldkr.Rheinberg を編入する。 1856 年 6 月に旧 Ldkr.Rheinberg の 57 ゲ マインデを再び 分離する. (3)@ 1816@@@. :@St , Geldern. ,. St , Kervenheim. ,. (Ldkr.Moersの新設 ) 。. St . Straelen , St , Wachtendonko. 1837 年 :St.Geldern, St.M ㏄ rs, St.orsoy, St.Rhein㎏ rgo (St.Geldern を除く 3 都市は 1856 年 6@M に Ldkr.Moers に分離。) 1871 , 1910@@ :@StGeldemo ④ a) (椰 ㎡ ) については St.Geldern のみで計算。 b) 1823 年 9 月に Ldkr.Rheinberg から編入された 57 ゲ マインデを除いて 計算。. ⑨メールスⅢ oers) 郡 統計表ひ (部 f@l). *l8l6 a) 卸 843. b). 1871 1910. (部,@l. (農村ゲ マインデ ). 57. 31,162. 50@. 101,574. 4 4 30,439. 23.1. 統計表 b ( lf@ お廿. 1816 1843 1871 1910. 2 5. 4,638 13,370. Wib. 《農村 ゲ マインデ》. 》. 11.9. 7.0 t.0. Ⅰ. Ⅰ. 26.3 29.2 74.4. 統計表。 《。},@ 市 rtJ. (農村都 f@@N ケ マインデ 数. 1816 1843 1871 1910. 5 6 8. 人. ll. 4.638 l3,370 16,93l 23,653. 》. 人. (%) ll比ケ. 11.9 26.3 29.2 17.9. マインデ 数. 3. @l 比ゲ. ll. 人㏍ ). 26,544. 20. ⅠⅠ. マインデ 数. 2. 人Ⅱ. 48,054. 人. (%) l@r ヒ. 36.4. [備考 ]. ① (3). 18Rf 年 6 月に Mkr.Geldern より 旧 Mkr.Rhe 市bere の 57 ゲ マインデを分離して 新設される。 1858 年 1 月に [email protected] ㎡eld より 4 ゲマインデを編入する。 1816@・ , Alpen , St , Buderich , St Moers , St Orsoy , St Rheinberg , StSonsbeck , St Xanteno ・. ・. ・. ・.
(9) ライン 州 デュッセルドルフ 県内における 都市化の地域的特徴. ④. 1843, 1871, 1910 年 :St.Moers, St.orsoy, St.Rheinbere, St.Xanteno り /都市 ) については 1843 年以降の法的都市で 計算。. a), b) 1858 年 1 月に編入された 4 ゲ マインデ (①参照 ) は特別に基準となる 郡に含めることにし れ 以降,メールス 郡に所属した 61 ゲ マインデについて 計算。. ⑤ミュールハイム. (. 凧 heim. 一 ) ア,. 人 Ⅱ. 1910 d). 5. 2120. l87l c). 2934 8359 8896. 12,855. 21,004 52,542. 3330. イ数ン 3332. イ数. t. (都市). *1816 a) *1840 b). 統計表. a. d. Ruhr) 郡. 541,989. b 《. i. 都けけ. (農村ゲ マインデ》. (都市. ゲ マインデ. 数. 人 Ⅱ 4093. 034. 410. ll. 13,673 26,711 120,327 606.328. 33ll1ll1. 3782. 1816 1840 1871 1910. 35.3 44.6 87.5 98.5. 統計表。 (農村都市》 ゲ マインデ. 数. 1816 1840 1871 1910. (%). 人口. 2 11. (小部lti》 入Ⅱ 比. 8,309 9,953 33.579 6,44@. ゲ マインデ 数. 21.4 l6.6 24.4 l.0. 3 6. 人Ⅱ. 人. ノ・ 数. Ⅱ. (%) Ⅱ. 比. 5.364 16.758 56.215. 13.8 28.0 40.9. 31,703. 5.1. 3. 443,766. 72.1. [備考 ]. ①. 1823 年 9 月に Mkr. 川 nslakeI@@(22グ マインデ ) と Ldkr.Essen(39ゲ マインデ ) の合同によって [email protected]℡ g. として新設される。 1857 年 8 月に 2R ゲ マインデが分離され , これにょり Ldkr.Essen が再度,設立される。 1871 年に Mkr.Miilhe ㎞ a.d.Ruhr に名称を変 典 する。 1K87 年 7 月に 21 ゲ マインデが分離され , これにより Ldkr. №止 rort が新設される。 1910 年 4 月, 全 6 ゲ マインデのうち 3 ゲ マインデが Mkr.Essen に偏人され,残る 3 ゲ マインデも周辺の 3 つの 郡 独立都市に併合され ,この時に郡は 完全に解体する。 ② 1874 年 4 月に血 介 St.D ㎡sb ℡ g が分離する。 1901 年 4 月に K「 fr.St.oberhausen が分離する。 1904 年 1 月に K ㎞.St.M ㎝he㎞ a.d.Ruh 「 r が分離する。 ③ 1816 年 : St.Dins@aken,St.D ㎡sb ℡ g,St.HoIten,St.Ruhrort( 以上の 1816 年当時の所属は M ㎞.DinsIaken), St.Mtilheima.d.Ruhr (1816 年当時の所属は Ldkr.Essen)n ・. 1840 ,. 1871@ ,@@:@St. ・. Dinslaken. ,. St , Duisburg. ,. St , Miilhe@@. a. d,. Ruhr , St , Ruhrorto. 1910 年 :St.朋 nslaken, St.Hamborn (以上の 1910 年当時の所属は Mkr.Ruhrort), Krfr.St.D㎡sburg, Krfr. St.Miilheima.d.Ruhr, ㎞ fr.St.oberhausen。 (ただし St.Hambornoo 正式な都市資格取得は 1911 年。 ) ④ a¥ ,a) (都市 ) については 1840/71年時の法的都市で 計算。 a), b) 1857 年 8 月以降の 36 ゲ マインデについて 計算。 め , d) 1861 年 11 月に Ldkr.Essen の Gem.Borbeck の一部が新設の Gem.oberhausen に偏人されたが , この地域の人Ⅱを 除くことはできなかった。 d) 1887 年 7 月に分離した Mkr.Ruhrort の 21 ゲ マイン ヂ , 1910 年 4 月に Ldkr.Essen に分離・偏人され た 3 ゲ マインデ, 血fr.St.Duishu ㎎, 血五 St.oberhausen, Ⅹ St.M ㎝he@ a.d.Ruhr の 人 l@ を基礎に 計 算 (①参照 ) 。 ただし 1910 年 4 月に Gem.Hei 膝 n の一部が㎞丘. St.Essen に編入されたが ,この時に ・. 分離した地域の 人Ⅱを含めることはできなかった。. 血. ・.
(10) Ⅰ. 棚橋. 0. 信明. ① ケ ンペン (Kempen) 都 統計表 " (都lti). (者f@@@. (農村ゲ マインデ ). ゲ マインデ 数. *1816. 44. 4. a). *1840 1871 1910. 22,456 32,534. 23. 33,552. 23. 69,316. 31.9. 統計表 b (郁ltl. 《都市. 《農村 ゲ マインデ》. 》. ゲ マイシ・ デ. 1816. 50.7. 1840. 12. 1871 14. 1910. 83,192. 18,658. 統計表。 ぱ. 農村孝rt@ 廿. (小部市》. 》. ゲ マインテ 数. 1816 1840. 人. (%) il とヒ. ケ マインデ 数. 人Ⅱ. /ulltM, (%). 22,6l4 38,144. 50.7 68.5. 1871. 29,549. 35.3. 37.677. 45.1. 1910. 26.680. 26.2. 56.512. 55.5. 8. 12. [備考 ]. ①. 1819 年 1 月に Mkr. 細 efeId から St.StichteIn と BauerschaftKehn を編入する。 後者は同時に ゲ マインデ 合. 併 により解体。 (3)@ 1816@@@:@St Bruggen , St , Dulken , St , Kempeno ・. 1840 ,. 1871 ,. 1910@@@. :@St Dulken ・. St Kaldenkirchen. ,. ・. ,. St , Kempen. ,. St , Suchteln. 。,. a) 1819 年 1 万に偏人される Ldkr. 血 efeld の 2 ゲマインデの 人 l@ を含めて計算 (①参照 ) 。 したがって ,. ④ く. 都市 ) については St.Siichteln が含まれる。. ⑥クレーフェルト. (Krefeld) 郡. 統計表ね (祁. Ⅱ. (農村ゲ マインデ ). け. <fflltl ,. ゲ マイン ヂ. 数. *1816. 16,328. a). *1840 b) 1871 c) 1910 d). 17. 57.6. 60,224. 2@. 139,163. 13. 31,758. 81.4. 統計表 b ぱ. ゲ マイン ヂ. 数. 1816 1840 1871 1910. ⅠⅠ. n" コ. ;"""(0) "@。 @1. 丑 士や. ハ. ノ. ヵ. 16,629. 8@. 農村ろ% マインデ》 Ⅰ. n.. Ⅱ. 《甘竹. 年増加 率 (x). 17. @@. 化率 (%) 》. 58.7. 167,762. 98.2. 統計表。 ゲ マイン. 数. 1816 1お @0. 1910. ヂ. 《. 畏ホ士杵 @ Ⅱ》. 人口. 2,253 8,217 18.102 13,097. (%) L. 入Ⅱ. ヒ. 8.0 17.8 21.2 7.7. ゲ マイン 数. ヂ. 人口. 14,376. (%). 人口比 50.7. ゲ マインデ 数. 人口. 25,897 57.105 25,259. 14.8. 0). 入ロ上ヒ 帖. ゲ マインデ 数. 人. n. 、 (%). ノ. 口上ヒ. 56.2 66.9 129,406. 75.7.
(11) ライン 州 デュッセルドルフ 県内における 都市化の地域的特徴. Ⅰ. 1. [備考 ]. ① ② ③・. 1819 年 1 月に St.SUchteln, BauernschaftKehn が Ldkr.Kempen に分離・編入される。 1858 年 1 月に 4 ゲ マインデが Ldkr.Moers に分離・偏人される。 1872 年に Krfr.St.Kre卸 dMが分離する。 1816 年 :St.Krefeld, St.Linn, St.S 廿 chteIn, St.Ue 血 ngeno 1840. 1871 年 : St.Krefeld, St.Ue 価 ngeno 1910 年 : Krfr.St.Krefeld, St.Uerdmngerlo a) (都市 ) については 1840 年以降の法的都市で 計算。 め ∼ d) 1819 年 1 月に Ldkr.Kempen に分離した 2 ゲ マインデとともに , 18R8 年 1 月に Ldkr.Moers に分 離した 4 ゲ マインデ (①参照 ) も特別に基準となる 郡から除かれるものとして 計算。 d) K「 fr.St.KrefeIdの 人 Ⅱを含めて計算。. ④. (Essen) 郡. ⑪エッセン 統計表. a. (都 f). (都市. (農村ゲ マインデ ). け. 与. *1816 a) *1840 b) 1871@ c) 1910 d). 21 21 23 17@. 4. 41.3. 67.465 241,266. 統計表 b ( rfi 者廿. (農村ケーア. 》. 年増加 (%@ ゲ マイシ 数 ヂ. 人口. ヰミ. (甘@@@l. インデ》. 人Ⅱ. 0@57. 4699. 952. }. }l}}}. .... 002. }. ナ. @@l@. 4lll2@.@@. 4929. l11l.ll. 2llllll. 2842. 063. l. |Ⅰ. 629. l: l5. ・・・. 丁, }. 3640l628. 1226. 2820. 0427. 2820. 3739. ム田 卸田. ゲ マインデ 数. 自. 統計表。 《農村 都lt. (小者 田 f@). テ》. 午. ケ マインデ. 数. 1816 1840 1871. 人口. 3. 10.2l3 13,043 21.307 15,331. 斥り. |. (%). 人口比 ゲ マインデ 数 42.0 36.2 15.8 5. │ 2.7 │. 人口. 11,823 49,404. 《. (%). 人口比. ゲ マインデ 数. 32.8 36.6. 11@I@ 119,589@│@ 21.0@│. 中部@l》. 《. 月. ノ Ⅰ. @コ. 51,513. 人. (%) Ⅱ. 比. ゲ マイン 数. ヂ. サく都. 人. rt@). n. 、 (%). ノ. 口上ヒ. 38.[. 3@│@ 137.507@│@ 24.2@│. 1I. 294,653 │ 51.8. [備考 ]. ①. 1823 年 9 月に全 39 ゲ マインデが Mkr.D ㎡sb ℡ g に編入されることにより 一時,解体する。 1857 年 8 月に Ldkr.Dmisb℡ g から 25 ゲ マインデを分離して 再度,設立される。 1910 年 4 月に Ldkr.M lIhe ㎞ a.d.Ruhr から 3 ゲ マインデが偏人される。 ② 1873 年に血 fr,St.Essenが分離する。 (3)@ 1816@@@ :@St . Essen , St , Steele, St , Werdeno 1840 , 1871@@ :@St . Essen , St , Kettwig , St , Steele, StWerderio 1910@if :@Krfr . St Essen , St , Kettwig , St . Steele , St . WCrdeno ④ め く都市) については 1840 年以降の法的都市で 計算。 a Ⅰ, b) 1857 年 8 月以降, Mkr.Essen に所属した 25 ゲ マインデについて 計算。 c), d) 1861 年 11 円に Gem.Borbeck の一部が Ldkr.Dulsb ℡ g の Gem. Oberhausen に分離・偏人された が , この時に分離した 人 ll を含めることはできなかった。 d) l910 年 4 月に Ldkr.Miilhe㎞ a.d.Ruhr から編入された 3 ゲ マインデを除き , Krf「. St.Essen を含めて 計算。 ただし, 1899 年 2 月及び 1900 年 12 月に Gem.Kupferdreh が Ldkr.Me 市mnn の Gem.Hardenberg の 一部を編入したが , この時に編入された 地域の人 ll を除くことはできなかった。 また, 1910 年 4 月 に Krfr.St.Essen は Ldkr.M ㎝he ㎞ a.d.Ruhr の Gem.He Ⅲen の一部を編入しているが ,この時に編入さ ・. ・. れた地域の人Ⅱも 除くことはできなかった。.
(12) Ⅰ. 棚橋. 2. 信明. (DUSSe@do f) 郡. ①デュッセルドルフ. 「. 統計表, (W). I. (農村ゲ マインデ ). (都市. @@. 5678. 3806. 8l57. 2l4. ⅡⅠ. 3199. 6369. 2225. 7245. 1885. 左. よ主. 920. Ⅱ. 4654. 248g. 3838. 9573. 5565. 8889ll47ll. 統計表 b 都 l@@》. 《農村 ガマインデ》. 《 有廿. 乃. l@. 0088. 4460. 8889. 52@5 6133 4137 @l.l766 人 222l. 一一. テ. テ. ノ. ゲ. @. 《. l. 統計表。 (農村祁山》. ( 。 @,お田 t玲. ケ マインテ 数. 1816 1843. 人. 3 3 3. 1871 1910. 1. 4. 7,307 9.594 8.734 │. (%) ll とヒ. ゲ マインデ 数. 9,711 │. [l. 人 ㎝ )比. 人Ⅱ. 14.2 13.0 7.5. l1.551. 2.2 │. 4@ │@. 44,079@. (%). ゲ マインデ 数. 人Ⅱ 比. 22,538 37.003 69.365 20,444@. 10.0 9.8@ i. │@. 《大都市》. │@. ケ マインテ 数. 43.9 50.2 59.8 4.5@ │. 1@i@. 人Ⅱ. 人. (%) [@ とヒ. 358,728@│@ 79.8@│. [備考 ]. ② @@. 1820 年 2 月に K ㎞.St.Diisseldorf が偏人される。 1872 午に Krfr,St,Diisseldo㎡が分離する。 1816@@@ :@Krfr , St , Diisseldorf, St Kaiserswerth , St Ratingeno 1843@@ :@St , Angermund , St , DiissCdorf, St GerreshCm , St , K6serswerth , St Rati gerio 1871 年 : St.Angermund, St.DtisseIdorf,St.Gerresheim, St.Ⅲ den, St.Kaiserswerth, St.RatingeIlo 1910 年 : K 「 fr.St.Dtisseldorf, St.Angermund, St. ℡ den, St.Kaiserswerth, St.Rati㎎ eno め (都市 ) については 1843 年時の法的都市で 計算。 め , b) Krfr.St.DUsseIdo㎡を含めて計算。 b) l909 年 4 月に Kr 仕. St.Diisseldo「は Mkr.NeuB の Gem.Heerdt の一部を編入したが , この時に編入 された地域の 人 @l を 除くことはできなかった。 ・. ・. ・. ④. ①メットマンⅢ ettmann). ・. 郡. 統計表, ゲ マイン. 卸 8lf. ヂ. (都,ti). (農村ゲ マインデ ). 勺. 1871@ b). 77 93.649 59,569 , 49 7 177,193. 1910. 7@. *1840. 405,817. 3.,3. 8. 8. l@i. 84.2. 22,677 49,034. 89.2. b. 農本. 十 か 女 Ⅱ緩. 表午. c). ㌻ ム. ). 8. Ⅱ弔. 2334. 4697.
(13) 13. ライン 州 デュッセルドルフ 県内における 都市化の地域的特徴. 統計表。 (農fす都 lげ. (小郡@li). 》. ゲ マインデ. 数. 1816 1840 1871 1910. 人. 4 3 3. 人. Ⅱ. 17,226 8,984 13,l13 2.1l6. (%) ll比ケ. マインデ 数. 24.3 8.1 6.6 0.5. 人. (.@,都 l廿 ). l@. 人. 24,232 33.015. 2 5 5 8. (%) 比ゲ Ⅱ. マインデ 数. 人. 21.676. 34.2 29.8. 2 2. 37,463@ 18.7 87,608. 人Ⅱ. ( いく 都け j》. 65,727 145,833 23,134. l9.3. (%) 比ケ Ⅱ. マインデ 数. ノ Ⅰ. @1. 30.6 59.4 73.0 5.1. 2. 339,409. 74.6. 備剖 ①. 1820 年 10 月に Mkr.EIbe. ㎡・. eld (St.Barmen. と. St.Elbe㎡eld に よ り構成 ) が Ldkr.Mettmann. (13 ゲ マイン. デ ) を編入する。 1860 年 10 月に Ldkr.Mettmann に名称を変 典 する。 1860 年 10 月に K 血. St.Barmen とそ丘. St.E 腕 rfe@d が分離する。 (3)@ 1816@@@ :@St , Barmen , St . Elberfeldo ②. 1840@@@. :@St , Barmen. , St E ・. Ⅰ. 1871 , 1910@if , :@Krfr, St Barmen ・. erfCd , St Kronenberg. , St Langenberg. ・. , Krfr St E ・. ・. Ⅰ. ・. erfe Ⅰ,St Kronenberg. , St , Mettmann , St , Langenberg. ・. , St , VCbert , St Mettmann ・. , St ,. W. Ⅱ. fratho. , St Vel ert , ・. St.Wiilf℡ tho ④ a) Ldkr. 別 berMd と Mkr.Mettman の 人 @@ 合算。後者には 1819 年 10 円に Ldkr.Solingenから偏人され た Gem. 血 onenbe ㎎を含む。 また, (都市 ) については 1840 年以降の法的都市で 計算。 b), c) K ㎞.St.Barmen とⅡ血. St.Elberfeld を含めて計算。 め 1899 年 2 月及び 1900 年 12 月に Gem.Hardenberg の一部が Ldkr.Essen0)Gem.Kupferdreh に分離・ 編入されたが , この時に分離した 地域の人 fl を含めることはできなかった。. ⑪レネップ (Lennep) 郡 統計表. a. <W). *1816 a) *1837 1871 1910 b). (都市. (農村ケ マインデ ). 67.6. 60,704 147,504. 8. grg71. 93.7. b. 統 i. 3 2@@@ 8 3 lll. 人 Ⅱ. 67. 8. 6. 28.264 l9.032. 6・. 17,301・. 8ll@. 8. "n5 9679. 0. 180376g6 9362. 2. n0575. 汁. 表ポ. 統. (山部rtl>. (農村都市 ) ゲ マインデ. 数. ︵. ︾ ア. 人. 67l0. け 9l29 イ数. イ数. 《都市》. (%). 3. 人口比 ゲ マインデ 数 65.5 32.2 21.1・ 5. 7,948 35.748 40,129. 人口比 18.4. 目五部. l@i). ゲ マインデ 数. 60.4. j 48.9 1 75,349│ 47.8). 6│. |. (%). 人口. │. 《. 1 26.8 72,159 1 45.8. 22,003. [備考 ]. ① ②. 1819 年 10 月に St.B ℡ ga.Wup 卍 Ⅰを Ldkr.SoIlngen より編入する。 1888 年 10 月にⅡ . St.Rem ㏄ heid が分離する。. 血. (3)@ 1816@ff. ・. :@St Lennep ・. 1837 , 1871@@@:@St St . Remscheid. ,. ,. St , Radevormwald. , Burg@a , Wupper. St . Rondsdorfo. ,. St Ronsdorfo ・. , St 、 Huckeswagen. , St , Lennep. , St , Luttringhausen. , St Radevormwald ・. ,.
(14) 14. 棚橋. 1910@if ,. :@Krfr St Remscheid ・. Radevormwald. ,. St , Burg@a , Wupper. ,. ・. St . Rondsdorf. ,. 信明. St Hiickeswagen. ,. ・. ,. St , Lennep. ,. St , Luttringhausen. St . Wermelskircheno. a¥ /都市 ) については 1837/71年時の法的都市で 計算。 b) K fr.St.Remscheid 「 を含めて計算。. ④. 午. ㊤グラートパ ッハ Ⅲ adbach) 郡 統計表. a. (都 胎. (農村ケ マインデ 、. ・. (都市. ゲ マインデ 数. *l8l6. a). 11. 60.5. *l843 187 Ⅰ. 5. 1910 b). 169,129. 62,617. 73-0. 統計表 b ( lfi. 6. 年. 1816 1843 1871 1910. 10 12 13. 何. 者廿. 《農村 ゲ マインデ》. 》. 26,353 47,862 94,979 228,079. 十. 3.0. 64. (おトけ i. 10. 66.l 94.8. 3. 3,667. 98.4. 統計表。. (農村都市》. ケ マインデ 数. (%). 人口. 1816. 14,439 12.181 22,503 16,129. 1843. 1871 1910. 《目口称Ⅱ. 人口比 ケ マインデ 数 36.2 2l.8 22.5 4 7.0 3. (%). 人口. 1l,914 35,681 46.122 27.764. 人口比 29.9 63.7 46.0 l2.0. ゲ マインデ 数. 5. 干丹. (%). 人口比. 人口. 26,354 184,186. 26.3 79.5. 備利 1888 年 1 月に K 血. St.Miinchen Gladbach が分離する。 1907 年 4 月に Krfr お t.Rheydt が分離する。 (3)@ 1816 ,@@:@ St . Munchen@Gladbach , St . Rheindahleno. ②. 1843 ,. ④. 1871@@@:@St. ・. Munchen@Gladbach. ,. St Odenkirchen. ,. ・. St Rheindahlen ・. ,. St Rheydt ・. ,. St . Vierseno. 1910 年 : Krfr.St.M は nchen 引 adbach, Krfr.St.Rheydt, St.odenk 地 hen, St.RheindahIen, St. Ⅵerseno め (都市 ) については 1843 年以降の法的都市で 計算。 b) 桁丘,・ St.Mtinchen 団adbach と Krfr.St.Rheydt を含めて計算。. ⑪グレーフェンブロイ 統計表. ヒ. (Grevenbroich) 郡. a. (都十 ). (農村ゲ マインチ ). V率坤加. 数. *l816 a). (都市. (%) (%) >. ケ マインテ. 2. 24. 25,690. 他車. 8.9. *l843 1871. 1910. 2. 13.9. 統計表 b (者甘 Ⅱヲ 》. 《農村とバマイン. ヂ》. 1816 1843 1871 1910. 8. 《邪計五. <l-fn @(%)化(%) 4i) ,. ゲ マイン ヂ 数. ヰ. 22. 14,049 9,095 62% 21. 20,276 30,851. ヵ. ;Ⅱ. 19,100 20,143 52.3 fl6 .3. ,. St.
(15) @ 、 )地域的特徴. 5. 都市化. 1. ライン 州ヂュッ セルドルフ県内における. 統計表。 《農村 郁 lf@ 》. ケ マインテ. 、 n.l. ⅠA. 数. 1816 1843 1871 1910. 4 5. 9,095 141049 20,276 24,082. 7 7. 人口比 (%) ケ マインテ 数 32.3 41.1 52.3 47.8. 人口. 6,769. 人口 (兜 )Lヒ. 13.4. [備考 ]. (3)@ 1816@if, :@St. Grevenbroicho 1843 , 1871 , 1910@@@:@ St Grevenbroich , St Wevelinghofeiio ④ a) (都市 ) については 1843 年以降の法的都市で 計算。 ・. ・. ⑪ / イス (NeuB) 郡 統計表 a. <ffilll). (都l@l. (農村ケ マイン ヂ). ゲ マインテ 数. *1816 a) *1843 1871 1910@ b). 37,224. 20. 21,205. 19. 33,130. 22.8. 統計表 b (郁l@i. (農村ゲ マインデ ). 》. 《. 都㎡. ゲ マインデ 数. 1816 1843 1871 1910. 20. 21,205. 22.8 44.1 67.9 78.2. 4 12. 55,003. 統計表。 (,t@ぬ@r@@. (農村郁 @@@》 ケ マインデ 数. 人Ⅱ. 》. (%). 人口比 ケ マインデ 数. 3 7 7. 1843 1871 1910. 6,264 151852 l7.779. 人. 6,249 9,580 13,996. 1816. 17.4 36.1 25.3. (%) 比ケ Ⅱ. マインデ 数. 人. ll. 人. (%) ii とヒ. 22.8 26.6 31.9 37,224. 52.9. 脇引 ③ ④. 1816 年 : St.Neufi, St.Zonso 1843, 1871, 1910 年 : St.NeuR 。 (都市 ) については 1843 年以降の法的都市で 計算。 b) l909 年 4 月に Gem.Hee ㎡t の一部がく . St.DUsseldo㎡に偏人されたが ,この時に分離した地域の人 を 含めることはできなかった。. 血. ⑥ゾーリンゲン 統計表. (So@ingen) 郡. a (都市). *. *1816 a) *1843 1871 1910 b). (農村ゲ マインデ ). (@計@@@l. ケマインデ 数 l l. 1 l. 68.0. 11 11. 10. 72,820 157,055. 48,234.
(16) 61. 棚橋. Ⅰ. 百. 信明. 統計表 b F. (@mn@. 《農村. 》. ろ戸. (郁r@l. マインデ》. ケ マインデ. 放. 1816 1843 1871 1910. 13 13 15. 66.0. 15,299 14r330 -0 . 42. 79,805 197,753. 12,679 7,536. 77.3. Ⅰ・. Ⅰ. Ⅰ. 86.3. [email protected]. 96.3. 統計表。 (農村郁lll). k@. ㈹、 郁lti. 数. 1816 1843. (%) 比ケ マインデ 数. 人口. 9. 《目口部. 》. ケ マインデ. 人Ⅱ. 1871. 29.750 25,479 13,032. 66.0 40.3 14.l. 1910. Ⅱ, 9㏄. 5.8. (%). 、 n;. 人口比. 23.419 66,773 82,108. 37.0 72.2 40.0. Ⅰ. Ⅰ. ゲ マインデ 数. @@). 人口. 3@. 103,649@. (%). 人口比. 50.5. 脇引 ①. 1819 年 10 月に Mkr.opladen. (16 ゲ マインデ ) を編入し Ldkr.Mettmann. と. Ldkr.Lennep. にそれぞれ 1. ゲ マインデを分離する。 ② ③. 1896 年に Kr 丘 St.Solingenが分離する。 1816 年 :St.SoImngeno ・. 1843 ,. 1871@if. ・. :@St , Berg@NeuRrchen. ④. (Rhid ) , ・. St Ohiigs. St , BurschCd. ,. ・. ,. St Opiaden. ,. St Dorp , St Grafrath , St Hidorf ・. ・. ・. ,. St , Hohschei. ,. St , Solingen, St . Waldo 1910 年 :Krfr.St,SoIingen, St.BergNeukirchen, St.Burscheid,St.Grafrath,St. Ⅲ tdorf, St.Hohscheid,. St , Leichlingen@. ・. ,. St.LeichIjngen (RhId.),,St.ohIigs, St.opladen, St.WaIdo a) 1819 年 10 月に編入する 16 ゲ マインデを含め ,同時期に分離することになる 2 ゲ マインデを除いて 計算。 また, 都市 ) については 1843/71午時の法的都市で 計算。 b) K fr.St.SoIingen 「 を含めて計算。 ただし 1905 ∼ 1910 年に Reg.-Bez.KoIn の Ldkr.Miilhe㎞ a.Rhein く. に所属する Gem.Merhe かった。. ㎞の一部が編入されたが ,この時に編入された地域の人Ⅱを 除くことはできな. ㊥デュッセルドルフ 県 統 ,外表a (祁山 ). @@@. (朽nl@l. (農村ケ マインデ ). ケ マインデ 放. 63. 269,892. 375@. 321,553. 1.3. Ⅱ. 45.6 48.7. 1871 1910. 72.2. 統計表 b ぱ椰. Ⅱ. f》. (農村ゲ マインデ ). 姐計. @lti. ゲ マインデ. *1816/17. +1837/40/43@ 1871 1910. 72 106@ 148 169. 318,139 540,163 1,082,940 3,218,323. R3.8 66.1. 統計表。 (農村都 rli. (小郁㎡》. 》. 《. ゲ マイン ヂ. 数. *H816/17 *1837/40/43. 1871 1910. 人. 60@ 73 93 76. 187.868@ 213,749 274,936 230,839. 31.8 26.1 20.7 億8. 10 29 47 65. 86,057 197,787 405,316 646,360. (%) 比ゲ Ⅱ. 14.6 24.2 30.5 18.9. マインデ 数. 2 4 8 20. 人. ll. 44,214 128,627 402,706 775,216. ヲく郡. Ⅱ》. 人 Ⅱ 比ゲ マインチ. 数. c,.5 15.7 30.3 22.7. 人Ⅱ. 8@. 1,565,962@. 入 ㈹Ⅱ)比. 45.8.
(17) ライン 州 デュッセルドルフ 県内における 都市化の地域的特徴. 17. ⑥プロイセン 王国 統計表. a. (都 r@i) l.. ゲ マインデ. 1816 1840 1871. 1,020. 976 1,290. 2.881,533 4,065,164 8,000,931. 1910. 1,276. 18.963,785. 圭. 人. 数. @l. (農村ゲ マインデ ). <ffmr百. (%). 年増加 率 ゲ マインデ 数 27.8. 統計表 b 《都市 ). 1871 1910. 1,406 2,167. 何. (農村ゲ マインデ》. 9,176,258 ) 4.3 24,687,490. 53,337@ 50,447. 《. 15,463,448 ) 一 0. l 15,477,729. 有nl@f. 37.2 6l.5. 統計表。. 《農村 都l@). 亜 l、 都 r@@). 丁. ゲ マインデ. 数. 人. Ⅱ. 人. (%) @l とヒ. ケ マインチ 数. 人Ⅱ. 1871. 1,024. 3,069,306. 12.5. 333. 2,938,995. 1910. 1,353. 4,086,006. 10.2. 626. 5,682,779. ( 。@l郁 十 ) 人. (%) Ⅱ. 比. 11.9 14.1. ゲ マインテ 数. 45@ 155. 人Ⅱ. 1,892,294@ 5,900,672. Ⅰ、l%) lll し. 7.7 14.7. /ulll (%). ケ マイノ 数 テ. 4 33. ヒ. 1,275,663 9,018,033. ミリ. 2. 22.5. 4. 統計表に基づく 考察 ここでは,上でボ した統計表に 基づき, 郡 ごとに都市化の 地域的特徴を 整理 L,ていくことにした い。. 3 の (2) 末尾には 各 郡の統計表を 集計して作成したデュッセルドルフ 県の統計表と , 別の統計. 資料によるプロイセン 王国の統計表を 示したが 卯 ,これらの表のいわば 平均値は,以下の考察で 比 較の基準値として 役立っことになる。 また,統計表と 備考欄で使用した 用語表記と略語は 以下にお いてもそのまま 用 い ,言及する ゲ マインデの名称についても 原則として原語表記とする。 ( ゲ マイン デの 地理的位置に 関しては地図 2 を参照。). 地図 2. デュッセルドルフ 県の主要都市 (イタリックの 表記は農村 ゲ マインデ. ).
(18) Ⅰ. 棚橋. 8. 信明. ④クレーフェ 郡 クレーフェ郡のく 都市化率 ) は 1817 年当初より県の 平均値を大きく. 下回り, 1817 ∼ 1910 年を通. じて プロイセン王国全体の 平均値にかなり 近い推移を示した。 この間の県内の 順位は 10 ∼ 11 位. (1816ハ 7 年 と 1910 年の順位で示す。 以下同様 ) であ った。 (都市 ) 人口の年増加率は 全期間を通 じて デュッセルドルフ 県の平均値を 大きく下回ったが ,第1 期にく農村 ゲ マインデ ) 人口の増加が. 優位にあ り, この時にく都市化率 ) が後退している 点は,回部のほかにはケ ンペン 郡 (⑥ ). リンゲン 郡. (⑥ ). とゾ一. にみられる特徴であ る。. 統計的都市を 基準とする同部 の ( 都市化率》も , 県の平均値を 大きく下回る 推移をみせた。 ( 都 ㎡ 化率 》におけるクレーフェ 郡の順位は, 1817 年に県内で 11 位であ ったが, 1910 年には最下位の 15 位 に後退している。 岡部では 1817 年当初より人口 2000 未満の《農村 ゲ マインデ》が 圧倒的多数を 占め, 1910 年に至っても 全 47 ゲ マインデのうち 40 が《農村 ゲ マインデ》に 属した : 0 県内で最高の 割合 ) 。 こうした小規模 ゲ マインデの圧倒的優勢が. ( 都市化率》の. 低迷の背景にあ った。. また,同部ではゲ マインデの大規模化にも 遅々たる進展しかみられなかった。 1910 年に至っても 人口. 2. 万以上の ゲ マインデは存在せず , (/J、 都市》に St. Meve. 万 1128) の. 2. 0人口 1. 万 8135). と. St. Goch. (同 1. つの法的都市を 数えるのみであ った。. ⑥レース 郡 レース郡の (都市化率 ) は,第 1 ∼ 2 期にはデュッセルドルフ 県の平均値とほぼ 同等の推移を 示し この間の県内の 順位もほぼ中間の. その結果, 1910 年には県内. 9. 7. 位であ った。 ところが,第 3 期の. (都市化率 ). の伸びは小さく ,. 位に順位を落としている。 (都市 ) 人口の年増加率は 全期間を通じて. 県の平均値を 大きく下回ったが ,とくに第3 期の年増加率 1.1% 。 は県内では最低レベルの 値であ. り. これがく都市化率 ) の伸び悩みの 大きな原因であ った。 同部 の. 《都市化率》も. 当初より県の 平均値を下回るとともに ,その上昇,は 比較的穏やかであ った。. 県内の順位は 1817 ∼ 1910 年に マインデの. 4. 分の. 1. 9 ∼ 11. 位と後退気味であ った。 1910 年に至っても《都市》は 全 44 ゲ. にあ たる 11 ゲ マインデにすぎず ,これは県内でも上記のクレーフェ 郡と メール. ス 郡 (⑪ ) に次いで小さな 割合であ った。 ゲ マインデの大規模化も. 同部ではきわめて 低調であ った。 同 郡の特徴は St.Wesel と St.Emmehch. の突出であ った。 1910 年には同部 で 最大の前者が《宇都市》に ,それに次ぐ後者が (/J、都市》に そ れぞれ属し. この. 2. つの法的都市が 低いレベルで ゲ マインデの大規模化をリードした。. ⑥ゲルデルン 郡 ゲルデルン郡の. (都市化率 ). は県内でほとんどいつも 最下位にあ り,全期間を通じてプロイセン. モ国の平均値を 大きく下回った。 都市 ) 人口は同部 で 唯一の法的都市 St. Geldern の人口であ り, その年増加率もプロイセン 王国の平均値をつねに 大きく下回った。 く. 他方で同部 の 《都市化率》は 1816 年に県内. 8. 位 と ,それほど低くはなかった。ところが,その 後. の進展はきわめて 緩慢で, 1910 年の順位は 13 位と大きく後退している。 それはこの間に 人口 2000 以. h の《都市》がほとんど 増加しなかったことに 原因があ る。 また,回部では1910 年に至っても ,最大のゲ マインデは (/」、都市》規模の㏄ m.Kevelaer. 7793) であ り,そのほか(/」、都げ i》には St. Geldern. (同. U 人口. 6448) と㏄ 血 . Straelen ( 同 6154) が属し. た。 ゲ マインデの大規模化では ,上記のクレーフェ 郡や レース 郡 よりも遅れをとったといえる。.
(19) ライン 州 デュッセルドルフ 県内における 都市化の地域的特徴. 19. ⑨メールス 郡 メールス郡のく 都市化率 ). も. 1816 ∼ 1910 年を通じてプロイセン 王国の平均値をかなり 下回り ,県. 内の順位はつねに 13 位であ った。 第. やや後退しているのが. 2. 期に. 同 郡の大きな特徴であ. (都市 ). の人口がやや 減少し. る。 その後,櫛巾) 人口は第. く都市化率 3. ). もこの時に. 期に比較的順調な 増加. をみせるが,この 時 農村 ゲ マインデ ) の人口も県の 平均値を上回って 増加しており ,その結果, く. く. 都市化率 ) の上昇もそれほど 日立ったものになっていない。 また,同部の 《都市化率》は 1816 年に県内で最低値を 示しその後,第 2 期までの上昇も 比較的. 穏やかであ った。 ところが,第3 期に著しい伸びがみられ , 1910 年に県内の順位を 12 位にまで上. げている。 それはこの間に《都市》の 数がほぼ倍増しその 人口が る 。 この時の《都市》人口の. 年増加率 12.3%. 6. 倍近くにも膨らんだことによ. は県の平均値を 大きく上回るとともに ,県内の最高 伸. であ った。 こうした《都市》数の 増大とともに 第. 3. 期には ゲ マインデの大規模化もかなり 顕著であ った。 1910. 年に同部 で 最大規模の《宇都市》に 属したのは, St.Moers した Gem,Homberg(. Gem.Hochemme. U 人口. 2 万 3251) のほかその郊覚に 位置. 同 2 万 4803) であ った。 また, ( 小 都市》には㏄ m.Repelen-BaerK(同 1 万 2841),. 「 hCh. (同. 8513), Gem.F hemershe 「 ㎞. (同. 5190) の 3 つの農村 ゲ マインデが属し. 同. 郡のゲ マインデの大規模化には 郊覚の農村 ゲ マインデの急激な 成長が大きく 係 わっていた。 ⑤ミュールハイム 郡 ミュールハイム 郡のく都市化率 ) は, 1871 年までは県の 平均値を大きく 下回っていた㈹が ,第3 期に 38.2% から 88.0% への凄まじい 上昇をみせている。 この間に同部 の 位は. 9. 位から. 3. (都市化率 ). における 順. 位に跳ね上がっている。 都市 ) 人口の増加率は 全期間を通じて 県の平均値を 上回っ く. たが,なかでも 第 3 期の年増加率 23.9% は驚異的な値であ った。 他方でく農村 ゲ マイン ヂ ) 人口に ついては,第2 期の急増と第 第 3. 3. 期の減少を大きな 特徴として指摘できる。. 期のく都市 ) 人口の急増と. く農村 ゲ マインデ ). 人口の減少には ,大規模なゲ マインデ合併の. 進展と農村 ゲ マインデの法的都市への「昇格」が 大きく作用していた。 1875 年以降,同部では 10 の 農村 ゲ マインデが, K 血・, St.Dmisburg, Krf「, St.oberhausen, Kr 丘 St.Miilhe㎞ a.d.Ruhr に編入さ ・. れ消滅している。 さらに, 市 制 期 になって回部では ,人口増加の著しかった 3 つの農村 ゲ マインデ. Gem.oberhausen,. Gem.Meide hCh, 「 Gem.Hamborn. がく都市 ) の仲間入りを 果たしている㈲。 第 2. 期以降に急増した 農村 ゲ マインデの人口が , こうした 2 つのルートにより 法的都市に大規模に「 移 行 」していったことが , 同 郡の第. 3. 期におけるく 都市化率 ) の上界を強力に 促進することになった. のであ る。. 他方,同部の 《都市化率》については ,第2 期における 44.6% から 87.5% への急激な上昇,を 重 大な特徴として 指摘できる。 それは《都市》の 数が のであ った。 この時. 憤め. 3. ( 都市》の人口も 約. 7. から 18 へ 急増したことを 直接的に反映するも. 4.5 倍になっており ,第2 期の年増加率 11.3% 。 は県の平均. 倍を上回る値であ った。 この間に同部 は 《都市化率》で 県内 11 位から. る。 続く第. 3. 6. 位へと大躍進してい. 期には ゲ マインデ合併の 進展により《都市》数は 大きく減少したが , ゲ マインデ合併. も 大きく貢献した ゲ マインデの大規模化により《都市》人口は. 引き続き激しい 増加をみせている。. こうした第 3 期における ゲ マインデの著しい 大規模化の様相は ,統計表 c から容易に読み 取るこ とができる。 1871 年に同郡の最大の ゲ マインデは. (. 宇都市》に属する 人口 3 万程度の St. Dmisburg. であ ったが, 1910 年までに K 血 St.Duisburg ( 人口 22 万 9483), Ⅱ泣 St.M ㎝he ㎞ a.d.Ruhr ・. 「・. (同. 11.
(20) 20. 棚橋. 万 2580), St. Hamborn. (同. 10 万 1703) の. 3. つの. 信明. ( 大都市》が出現し. これらの《大都市》に 同 郡. の人口の 72.1 % までが集中した。. なかでも Hambom. の人口の第. 期における年増加率は 実に 100% を上回った。 同ゲ マインデは. 3. 1871 年に人口 2272 の寒村であ ったのが, 1895 年の ゲ マインデ合併を 契機に人口 1 万人を上回り ,. 1910 年には人口 10 万に達するとともに 翌年には法的都市の 資格も得たのであ る。 また, 1910 年の 2. つの《宇都市》のうちの. l. つ Krf「, St.oberhausen U人口 8 万 9900). も, 1874 年に農村 ゲ マインデ. から法的都市に「昇格」したものであ った。 そして,《宇都市》の残る 発展を続ける Gem.Sterkrade. 市を始めとする. (人口 3. つは農村 ゲ マインデのまま. 万 4518) であ った。 このように同部では ,一見して郡 独立蔀. 法白り都市が ゲ マインデの大規模化を. ゲ マインデの巨大化と. 1. 圧倒的にリードしたかにみえるが ,一部の農村. ,農村ゲ マインデの ゲ マインデ合併による 糾合も大きな 意味をもったのであ. る。. ⑦ ケ ンペン 郡 ケ ンペン郡の. (都市化率 ). ∼ 12 位であ った。. く. はプロイセン 王国の平均値をつねに 下回って推移し. 都市 ) 人口も. (農村 ゲ マインデ ). 県内の順位は 11. 人口の増加も ,第2 期を除いてかなり. 低調で. あ った。 他方で,同部の 《都市化率》は 県の平均値とほぼ 同等の推移を 示し,県内の順位も た 。 ケンペン郡では 1816 年当初より 全ゲ マインデに占める《都市》の 数的 割合が高く. 7∼9. 位であ っ. とくに第 1. ∼ 2 期に《都市》 数 とその人口の 増加が比較的順調であ ったといえる。. ところが, ゲ マインデの大規模化はそれほど 進まなかった。 1910 年に同 部で 最大の ゲ マインデは ( 小 都市》規模の. 万. St.D Ⅲ㎏ n. 118), St.Kempen. (同. (人 [コ 1. 7371). と 4. 万 517) であ り, (/J、 都市》にはそのほかに St.SUchteln ( 同. 1. つの農村 ゲ マインデが属した。 ここで農村 ゲ マインデの健闘も. 指摘できるが ,その成長はいずれも 比較的緩慢であ った。 ⑥クレーフエルト クレーフェルト 郡のく都市化率 ) は県全体の平均をかなり 上回りながら 推移した 6∼5. 位 ) 。 同部 の. (都市 ). 人口は St.Kre 卸 d. と. ( 県内の順位は. St.Uerdmneen の合計であ ったが,前者の人口が全期. 間を通じてく 都市 ) 人口の圧倒的部分 (1910 年には 93.0%). を占めた。 そのため,郡の (都市 ). 人口の増加のテンポは St.Krefeldのそれとほぼ 一致しく都市化率. ). の上昇 - も 同市の人口増加に 大き. く依存していた。 同部 の 《都市化率》も ,県全体の平均値を 若干上国・りながら 比較的順調に 上昇,していった ( 県内 の順位はつねに. 5. 位 ) 。 ただし. 上,記のケ ンペン 郡と 比較した場合, 全ゲ マインデに占める《都市》. の数的 割合が 1871 年までかなり 小さかったことが 口につく。 クレーフェルト 郡では,この《都市化 ,率 》の推移についても ,郡内で圧倒的な 人口規模をもった St,血e 血 d が決定的な影響力をもち ,《都 r i》数が少なくても 高率の《都市化率》を 維持できたのであ る。 1816 年に St.KreMd Ⅰ. のみで《都市》. 人口㈹ 86.5% 。 を占め,その割合は 1910 年に至っても 77.1% であ った。. そして, ゲ マインデの大規模化においても St.Krefeld が抜きん出るかたちとなった。 1910. 年に《大. 都市》に属した 人口約 13 万の St.Kre 卸 d に続くのは,人口わずか 9757 の《』、都市》 St.Uerdin簿 n であ り,その差には 大きな開きがあ った。 また, St. Kre 卸 d の郡の人口に 占める比率は 1816 年に 50.7 %0 であ ったのが, 1910 年には 75.7 %0 に達した。.
(21) ライン 州 デュッセルドルフ 県内における 都市化の地域的特徴. 21. ⑪ エ ツセン 郡 エッセン郡の. (都市化率 ) は. 1816 年に県の平均値を 若干下回り,全期間を 通じて県の平均値との. 差が拡大していく 傾向にあ った。 (農村 ゲ マインデ ). く. 都市 ) 人口の第 2 ∼ 3 期の増加はかなり 急激であ ったが,同時に. 人口の増加も 著しく,それにより. く都市化率 ). の上昇,が抑制されたからであ. っ. た. また,同部の. 4. つの法的都市のなかで 急激な成長をみせたのは St.Essen のみであ った。 す な れ ち,. 第 2 ∼ 3 期のく都市. ). 人口の増加は ,圧倒的に St.Essen に依存していたのであ る。 同市の人口は 1840. 年に 6672 人であ ったのが, 1910 年には 29 万 4653 人に達しく都市 ) 人口に占める 割合もこの間に. 43.3% から 89.9% にまで増大している。 そして,市制期の大規模な ゲ マインデ合併も Kr 丘. St. Essen を中心とするものに 限られたこと , さらに,法的都市へ「昇格」する 農村 ゲ マインデがまったくみられなかったこと , こうした点が 前 込め ミュールハイム 郡. 様に第. 2. (⑥ ). との大きな相違点、 として指摘できる。 他方で, ミュールハイム 郡と同. 期以降,一部の 農村 ゲ マインデの急激な 成長がみられたのであ り,すな れ ち ,激増するく農. 村ゲ マイン ヂ ) 人口のく都市 ) へ 「移行」が比較 り少なかったことが ,エッセン郡のく都市化率 ) 由. の低調な推移の 背景にはあ ったのであ る。 他方でエッセン 郡の《都市化率》については ,第1 ∼ 2 期の急激な上昇が 大きな特徴であ った。 同 部 の 1816 年の《都市化率》は 県の平均値をかなり. 下回り,県内で10 位であ ったのが, 1871 午には. 90.5% に達し,県内 4 位に躍進するのであ る。 とくに第. 2. 期には《都市》人口が 4.9 倍にも膨らみ ,. この時の年増加率 12.6% は県の平均値の 3.9 倍の値であ った。 また,第 3 期にも 4.6 倍に増大し《都市化率》は. 1910 年に 99.7% にも達した. 著であ ったのは,《農村ゲ マインデ》から に. 8. ゲ マインデが《都市》 へ. 「上昇」. ( 県内 1. ( 都市》への「上昇」であ. 位 ) 。 この第. ( 都市》人口は 3. 期にとくに顕. った。 同部では 1871 ∼ 1910 年. しゲ マインデ合併による 消滅も手伝って , 《農村 ゲ マイン ヂ. 》. は 14 から 2 へと激減している。. 上記のような 同 郡の特徴は ゲ マインデの大規模化にも 反映された。 まず, St.Essen の突出が次第 にはっきり目立つようになるとともに ,巨大化する 農村 ゲ マインデが 1910 年には《 にまで進出していったのであ る。 この 年 《宇都市》に 属したのは Gem.Borbeck. Gem. 川 tenessen. (同. 4 万 644), Gem.Rotthausen. (同. 中 都市》クラス. (人ロ. 7 万 1106),. 2 万 5757) の 3 つの農村 ゲ マインデであ り,. いずれも第 2 ∼ 3 期に急激な成長を 経験した ゲ マインデであ った。 なかでも㏄ m.Ro 甘hausen の第 3 期の人口の年増加率は 32.0% 。 にも及んだ。 ここで注目すべきは ,こうした急 成長がいずれも ゲ マイ ンデ合併なしで 達成された点であ る,6,。 エッセン郡における ゲ マインデの大規模化においては , St. Essen の膨張とともに ,その郊覚の農村 ゲ マインデの成長にも 看過できないものがあ ったのであ る。 0%. ユッ セルドルフ 郡. デュッセルドルフ 郡の. (都市化率 ). は, 1816 年より県の平均値をかなり 上回り,その後も好調な. 伸びを示した ( 県内の順位は 5 ∼ 4 位 ) 。 同部では 1816 ∼ 1910 年を通じて法的都市は. そのうち圧倒的な 比重を有し. (都市 ). 5. つを数えたが ,. 人口の増加を 圧倒的に担ったのは St.Dtisseldorfであ った。. 同市のく都市 ) 人口に占める 割合は, 1816 年にすでに 75.3% であ り, 1910 年までに 91.1% にまで 増加している。 ここでは, クレーフェルト 郡. (⑥ ). における St.血 efeldやエッセン 郡. (⑪ ). におけ. る St.Essen の役割と同様の 特徴を指摘できる。. 《都市化率》については ,県の平均値と 前後しながらも 比較的順調な 進展をみせた. (県内の. Jl はィ立.
(22) 22. 棚橋. は 6∼7. ィ立. )。. 信明. そして,この《都市》人口においても St.DUsseldorfの人口が 1816 年に 75.5%,. 1910. 年には 82.8% の割合を占め , 《都市化率》の 推移に決定的な 役割を果たした。 また,第3 期におけ 《農村 ゲ マインデ》数の 大きな減少は , Krf「. St.DUsseldorfを中心に進められた ゲ マインデ合併に. る. よるところが 大きく, この ゲ マイン. ゲ マインデ合併は 他方で《都市》人口の. 増加を大いに 促進した。. ヂ の大規模化においても St. Disseldo㎡の 突 Ⅲは大きな特徴であ った。 1910 年に《大都. 市》の Kr 仕. St. DUsseldorf U 人口 35 万 8728) に郡の人口の 79.8% までが集中したが , この状況は クレーフェルト 郡と 類似していた。 K 血. St.DUsseldorfに続いたのは 第. 3. 期に急激に成長し 1910 年. に《宇都市》に 属した Gem, Benrath であ ったが,人口規模は 前者の約 18 分の. 1. のわずか. 2. 万 444. 大 であ った。. ①メットマン 郡 メットマン郡のく 都市化率 ) は 1816 年当初よりきわめて 高く, 84.2% 。 の値は県の平均値の. 近く,プロイセン王国の 15 ゲ マインデ Barmen. う. 3. ち約半数の. (1900年ごろまで県内. 倍にもなった 7. 1. 2. 倍. 位 ) 。 その背景には ,同部では全. ゲ マインデがく 都市 ) に属したこと ,そのなかには St.Elber6eId と St.. といった県内屈指の 大規模 ゲ マインデが含まれていたことがあ った。 両ゲ マインデは双子. のように成長していき ,両者を合わせた人口は 1910 年にく都市 ) 人口の 83.6% を占めた。 同部 の 《都市化率》も 1816 午にすでに 89.2% の高率を示し. 1900 年ごろまで県内でトップを 維. 持した。 ここでも, 全ゲ マイン ヂ の約半数が初めから《都市》に 属したことと , St. Elbe 「 Meld. と. St.. Barmen が決定的な役割を 果たしたことを 指摘できる。 この 両ゲ マインデで 1910 年の《都市》人口 の 75.0%. を占めたのであ る。. したがって,同部 のゲ マイン ヂ の大規模化をリードしたのもこの 双子都市であ った。 1910 年には ぱ. 大都市》に属する St.Elber俺 d. St.Ba ㎝ en の人口がそれぞれ 17 万 195. と. に 対して,郡内3 位の St. № lbertの人口は. 2. と. 16 万 9214 であ ったの. 万 3134 で , 《宇都市》の 基準をようやく 上回る程度で. あ った。. ⑪レネ ップ郡 レネップ郡のく 都市化率 ) についても,上記のメットマシ 郡 とよく似た特徴が 指摘される。 同部 では 全 14 ゲ マインデのうち 半数の. 7. ゲ マインデがく 都市 ) に属しそのため. 年よりかなり 高い値を示した (県内. 3. 位 ) 。 また,第 3 期にく都市化率. それには. 3. ). (都市化率 ). は 1816. に大きな伸びがみられるが ,. つの農村 ゲ マインデの合同によって St.Wermelskirchenが新設されたこと (1873 年 ), そ. して, ゲ マインデ合併の 進展によりⅡ血 St.Remscheid ・. と. St.Lennep に. く. 農村 ゲ マインデ ) 人口が. 次第に吸収されていったことが 大きく影響していた。 また,同部では《都市化率》も当初よりかなりの 高率を示したが ,これもメットマン 郡と 同様に ,. 全ゲ マインデにおける《都市》の 数曲割合の大きさから 説明できる。 つぎに. ゲ マインデの大規模化に. 関して指摘できるのは , St.Remscheid の漸次的突出であ る。 同市. の 人口は 1816 年にわずか 7948 で , 郡の人口に占める 割合も 18.4% にすぎなかったが ,第2 期以降. の人口の急増の 結果, 1910 年には人ロ の 45.8%. 7. 万 2159 で同市は郡内で 唯一. ( 中 都市》に属し. 郡の人口. を占めるに至っている。. また,同部では農村 ゲ マインデの成長が 比較的低調であ ったことも,大きな 特徴として指摘され る。. 1910 年に同部 の (/」、都市》に属したのは , St. Wermelskirchen (人口. (同 1 万. 5365), St.LUtt「 hnghausen. (同 1 万. 3560), St.Lennep. (同 1. 1. 万 6380), St, Ronsdorf. 万 3123), St.Radevormwald ( 同.
(23) ライン 州 デュッセルドルフ 県内における 都市化の地域的特徴. 万 1541), そして Gem. Neuhuckeswagen. 1. (同. 23. 5380) の 6 ゲ マインデであ り,前述のように St. Wermelskirchen は新設の都市ではあ ったものの,伝統的都市の 圧倒的な優勢が 確認できる。 ①グラートバッハ 郡 グラートバッハ 郡の (都市化率 ) 県内の順位は 1816 年の. 4. も. 1816 年よりかなり 高かったが,その上昇は比較的緩慢であ. 位から次第に 後退し 1910 年には. 増加は比較的順調ともいえるが ,第3 期の. り. 位にまで落ちている。 都市 ) 人口の. 7. く. (農村 ゲ マインデ ). 人口の急増が. (都市化率 ). の上昇を. 抑える結果になっている。 また,同部の 《都市化率》の 県内の順位は 1816 ∼ 1910 年に な 伸びも確認できる。. 同部でも 令ゲ マインデにおける. 位にあ り,全期間を 通じて順調. 3∼4. ( 都市》の 数的. 割合が当初より 高かったこと. がここで指摘できる。. そして,. ゲ マインデの大規模化について 同 郡の特徴は,突出した人口規模の ゲ マインデがなかっ. たことであ る。 同部ではもともと 人口規模の近接した 複数の伝統的都市が ,均衡をある程度保ちな がら成長していったとみることができる。 1910 年の《宇都市》に 名を連ねたのは K 血 St.M 廿 nchen ・. Gladbach27@人口 6 万 6414),行伍 St.Rheydt(同 4 万 3999),St,Wersen ( 同 3 万 172),St.odenkirchen ( 同 2 万 60) であ った。 ただし同部では 一部の農村 ゲ マイン ヂ の急激な成長にも 看過できないものがあ った。 1910 年の 《宇都市》には Gem.M. 廿. nchen 団 adbach (別名 Ober 群 burth) も含まれたのであ る。 同ゲ マインデは. 1871 年に人口わずか 4826 人であ ったのが,第3 期に年増加率 9.9% をもって急成長し 人口は 口 1. 2. 1910 年の. 万 3541 に達したのであ る。 また,その下の規模の《 刀 、 都市》に属した㏄ m.Neuwerk. 万 2345). と. 扶. Gem. 色 esenkirchen ( 同 6935) は,いずれも Krf St.MUnchen 団 adbach の近郊に位 「・. 置し第 3 期になって急激に 人口を増加させた ゲ マインデであ った ⑪グレーフェンブロイ グレーフェンブロイ. 鵜。. ヒ郡 ヒ. 郡の㎝ 市化率 ). は,前述のゲルヂ ルン 郡. ベルを推移した (@ 位は 15∼ 14 位 ) 。 法的都市は St.Grevenbroich. ったが,両者とも 当初より人口規模が 小 t. く. (⑥ ). と. とならんで県内で 最低 レ. St.Wevelinghovenの 2 つであ. ,成長もきわめて 緩慢で, 1910 年に至っても 人口 5000. 未満の《農村都市》の 規模にとどまった。 同部 の 《都市化率》も 県の平均値をつねに 大きく下回り ,県内の順位は 1.3∼ 14 位であ った。 市 》の数はわずかずつ. 増加したものの ,《都市》人口の 年増加率は全期間を 通じて県の平均値を. 《. 都. 大き. く下回った。 したがって,同部では ゲ マインデの大規模化もきわめて 緩慢であ った。 1910 年の最大の ゲ マイン デは目、都市》に属した Gem. Wckrath る. U 人口. 6769) であ ったが, この ゲ マインデの第. 3. 期におけ. 人口の年増加率もわずか 1.1 % 程度であ った。. ⑪ / イス 郡 /. イス郡のく都市化率 ) は県の平均値を 大きく下回って 推移した. 市 ) の 人口は郡内で. ( 県内の順位は. 12∼ 10 位 ) 。 (都. 唯一の法的都市 St,Neu ほの人口であ ったが,同市の人口上首加も 決して急激では. なく,年増加率は第工期を除いて 県の平均値を 下回った。 また,同部の 《都市化率》も 県の平均値をかなり 下回りながら 推移した 位 ) 。 ここで 同 郡の特徴として 指摘できるのは ,第1 期と第. 2. ( 県内の順位は. 14 ∼ 10. 期に《都市化率》に 比較的大きな 伸び. がみられたのに 対して,第3 期にはその勢いが 大きく減速していることであ る。.
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