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森有正における<西欧>と<日本>

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(1)森有正における. (西欧)と. (日本). 果的には一九七八年十月パ-で客死するまで二十六年間という長きに. わたってパリに住みつくことになってしまった。. の過去の欧米留学者たちのもたらした成果に対する疑問をあげている0. 渡仏することにためらいがあったもう一つの理由として彼は、日本. めらいがあったと書いている。彼はその理由としてご-常識的なもの. 他に、その板抵に重大な理由があったからである。それは過去におけ. る欧米留学者そのものが、その留学によって何をもたらしたかという. 点について、私ほ非常に懐疑的だったからである」(3)0. そんなわけで森ほ、留学することの意義についてかなり苦しんだ形. 跡があり'渡辺一夫に相談をもちかけている。「出発前に'私は恩師. でに東大助教授の職にあり、「自分の生活、研究、仕事が一応安定し. イユに家が並んでいるのを見るだけでよいから'行ってらっしゃい』. 不安であるということをお話したが、先生ほそれに対して、『マルセ. 渡辺一夫先生をお訪ねしてフランスへ渡るのが何だか億劫で'その上. た道を辿り始めていた」とはそのことを意味する。だから彼にとって. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. 森がマルセイユに上陸したのほ'1九五〇年九月二十五日である。. こすという極めて特殊日本的なパタ-ソに乗ったものであった。. の結果としてでほなく(4)、周囲の状況に何となく流されて行動をお. ヽ. にふるっているではないか。つまり、森が渡仏したのは主体的な選択. 恩師に相談するというのも日本的だが、それに対する渡辺の答も実. と森は回想している。. と言って下すった」(3). され、ラ・マルセイユ-ズ号に乗船したのも神戸からであった。すで. に東京を出発したラ・マルセイユ-ズ号を汽車で追いかけ、神戸で乗 船したのである。. 森は、しかしながら'結. ヽ. 一五. 「パリ留学ほ一年と頭から決めていた」(2) 森有正における(西欧)と(日本). ヽ. に当時の騒然とした政治状況の中で'森は学生委員の一人として忙殺. パリへ行-ということは便宜以外の何物でもなかったのである。さら. 森は一九五〇年フランス政府給費留学生として渡仏した時にほ、す. ていなかったからである。」T). くことは、それを補強する以外には本質的な必要性があるとほみとめ. 一応安定した道を辿り始めていたからであって'私にとってパリへ行. 「私の場合、私が積極的でなかったのほ自分の生活、研究、仕事が. れている。. 即ち彼ほ先の引用文のすぐ後で次のように述べている。「しかしその. 有正はい-つかのエッセイのなかで'フランスへ渡ることにた. l をいくつかあげている。たとえば、「パリ随想」には次のように書か. 森.

(2) ヽ. 森有正における〈西欧)と(日本). 覆わた後甲板の藤椅子に身を伸ばして、船尾から泡立つ白い航跡が水. い太洋は大きいうねりとなって律動しながら日のとどく限り拡がって. 頭の真上にほ雲lつない空に赤道の太陽が旺しいばかりに輝き、蒼黒. マルセイユに着いた時、.彼はパiへ行-ことに新たなためら.いを感じ. 森の内面で何かがめざめは. ヽ. いたoふと'その時'自分の生きる願いとこの航海とが私の中で1つ. ヽ. 本の情感の中に深-煤-眠っていた」(3) じめ.ていたのである。. ヽ. に結びついた。それは「つの啓示のようなものであった。意志的なも. ヽ. のでも反省的なものでもなかった。椀挺と泡立ちながら不断に船尾か ヽ. 一つは、彼の専門である、デカルト、・パスカルの研究を現場で深める. ヽ. りかけていた彼にとって、パリへ行-のが恐ろしかったのは当然であ. 証明することになるのである。このように、すでに内面で何かがおこ. 決してそうでほなかったことを、それから一年後に森がとった決意が. 情に色どられた存在感の表出と受けとめる人もいるだろうが、それが. これを、旅に出た時に誰でもが1時的に抱-、安手のロマン的な感. (傍点原著者). の生れた国から私を刻々に遠ざける距離の生きた標尺と化した」(6). ヽ. ら繰り出されて遠か彼方に伸びて行く真白な潮ほ、私にとって、自分. ・森は、.パリに赴-にあたって三つの目療を設定したと書いている。. ヽ. のである。J長い船放で、い-つもの異国を通過していくうちに、「日. 平線まで長-延びて行-'光に添れる真昼の海面を私は眺めていた。. 一六. て^1る。そしてそのためらいほおそら-日本を出る時にほなかったも. ヽ. こと、二つ目は、日本文化と日本という国を外部から客観的に眺めて みたいということ、そして三つ目は、以後の森の行動思想を決定的な ものにすることになる彼自身いつも持ち続けてきた願望をあげている のである。最初の二つの目標ほごく常識的なものであろうが、この三 有正という一個の人間を語るにあたって無視でき ヽ. た理由としてさまざまなものをあげているが、あらゆる表層的な理由 をとり払った後、最後にのこるものは、この「一回限りの生を徹底的 に生きたい」という彼の生来の願望に外ならない、と私は見る。 ヽ. 「昼食後の一とき、コ-ヒ-をバ-で飲んでから、日除けの掩幕に. かっていた時のことだ。. 劇的に措きだしている。それは、船が、仏領ソマリアのジブティに向. すことのできない事実として意識に上っ」てきた時の具体的な情景を. 確かである」(傍点原著者)と書いたあと、「この結びつきが突然、動か. 彼は'「この結びつきが、船が日本を離れた後で起ったことだけほ. ヽ. と直感した森にとって、これから行こうとす. と彼は後に書いている。. 「バビロンの流れのほとりにて」にはじまる森の数多-の哲学的エ. な気がした」(or). った。何かパリには恐ろしい、到底私の手に負えない何かがあるよう. もパリに行-のが厭で、この南フランスの港町で数日をすごしてしま. かったのである。「ほじめ船がマルセイユに着いた時'私はどうして. るパリほ観楽だけを約束して-れる面白おかしい観光地である筈ほな. してならなかった」了). った。すでに、「自分がそこを再びもとに戻ることがないような気が. でも、名所旧跡を面白半分にめぐり歩こうとしている観光客でもなか. と奇妙に結びついた」(5二傍点原著者)森はパリに永住することになっ る。彼は、大学から1年休暇をとってフランス見物に出かける助教授. ヽ. っ目の目標は、森. ないものである。「最後に、私にほかねて秘かな願いがあった。それ ヽ. ほ唯一回限りであるこの自分の生を徹底的に生きたい、というえたい ヽ. の知れぬ願い、殆んど祈願にも似た、願いがあった。それが巴里留学. ヽ.

(3) ッセイが、現今日本の書店にあふれている、比較文化論風の、ヨ-ロ. て、誰も彼を痩解する人がいな-なる. 本の生活と地位が崩れ落ち'友人たちが続々と離れ出し'供を批判し. という孤立状態の中で'どうしても森はフランスにいることの理由を. だし'無関心になり出し」(ll). る深い感動をわれわれにあたえるのは、実に森が、パ-を中心とした. 自らに問いかけねばならなかったのである。一般的に日本人というの. ッパ施行記、ヨ-ロッパ滞在記と比較して、質的にそれらとほ全く異. ヨ-ロッパを'自己の一回限りの生を燃焼しっ-す場としてとらえて いるからに外ならない。ヨ-ロッパを、そこで何かを功利的に学ぷ場. は他人の自由な生き方を許さない。1回限りの生を徹底的に生きたい. にほ受けいれ難いことなのだ。そうい. うことを、常識人でもあった森は知りすぎるはどよく知っていた。い. -ら理屈をあげてみても無駄なのだ。だから、「自分が永くヨ-ロッパ. にいてしまったことに就いて、自分で色々考えることがあるが、それ. ということ. になる。したがって彼が最終的に行きついたのは1種の運命論であっ. ほ自分に対してさえもしばしば自己弁解めいてくる」(SH. の気がどうしても知れなかった。我々は日本でこそ、着実な人生の歩. これほ、日本人ならば'知識人であると否とを問わず'誰でもがそう. な人生を浪費するのだろうと思っていた」(10). いて、残るところなく、露われているのではないだろうか」という美. うものは、その過程を営む'生命の経い日に'すでに、その本質にお. ビロンの流れのほとりにて」の冒頭にしるされた、「1つの生涯とい. 有正の数多-の作品の中でも最高傑作である、「バ. た。それは'森p. 考えるであろうような、常識的な観点である。そう考えていた筈の森. あったらしい。「今暫くフランスにのこって・勉強したいという私の節. 受理されたあとだった?両人のあいだで相当激しい議論のやりとりが. わざわざパリへ寄ったゐである。すでに森の東大助教授辞任の願いが. の国際会議のあと、森を東大に復職させようと、彼を説得するために. な一例に元東大学長、南原-繁のパリ訪問がある。南原ほオランダで. 日本人が他人の自由な生き方にどんな風に干渉するかという具体的. う言葉を冗談半分にあげてい.る(13)0. 「たまたまパリにいるように、たまたま日本に生まれたのだ」とい. しい文章である。また、他の所で彼ほ、加藤周一が言ったという、森. つかれていた森にたいして、パリという都市がどのようにからみ合っ てきたのだろうか。 森ほ、日本を離れてパリへ住むことを決意するにあたってかなり苦 しんだらしい。生を徹底的に生きたいという情熱を秘めていながらも、. 他方では、「フランスに十年、二十年いる人の気がどうしても知れな. かった」ij考える膚識人でもあった森ほ、したがって、自分がパリに いる.ことの理由を執物に問うことになる。東大助教授を辞職し、「日 森有正における(西欧)と(日本). 一七. ろうか。すでに、自分の一回限りの生を徹底的に生たいという願望に. が留学予定の切れる一年後にほ、なぜ帰国の意志がな-なったのであ. と森は書いているが、. みができるのに、どうしてあんな馬鹿な、抽象的な生活をして、大切. は. (知識人であってもけしてこれか. という森の真意は日本的村落共同体. とらえる視点は森には無縁であると言ってよいだろう。. ら自由になれないのが日本だ). ヽ. 所、異国情緒への渇望をみたして-れる場所'戦後三十年を経た日本. ヽ. がもほや学ぶところが何もなくな-つたことを確認する場所等々として. ヽ. 「必ず一年で帰るつもりであった。フランスに十年、二十年いる人. 2.

(4) 森有正における(西欧)と(日本). と森は書いている。辞任願いがすでに受理されている. いと、日本へ帰って働けという先生のお考えとがどうしても折り合わ なかった」(14). のだから今さら帰るわけにほいかないという森の反論に対して'「そ れは事務上の問題であり、どうにでもなることだ」と南原ほ答えてい. ほすでに動き出していた。私ほいかに. (こういう大げさ. る。しかしこれに対して森ほ、「私に関する事務上の決定ほ、決して 事務的なものではなかった、と私ほ信じていた。賭. な表現ほ避けたいとは思うが). 係であったろうと、私ほ思う。 いずれにしても'「南原. (これは私自身も含めて言うのだが). が、書物から過剰. なはどのヨ-ロッパ情報をかき集め、頭につめこんでいるにもかかわ. 日本の知識人. 貧しく'みすばらしいのである。そして'それほ南原ばかりではな-、. の敬語のちりばめられた文章で措かれているにもかかわらず、.ひど-. 繁先生」に描かれた南原の姿は、最大級. 一つになっているのほ、彼自身が日本人と取り結んだ個人的な人間関. 一T/ ∧ ■/. いる1(-LD)(傍点原著者)と書いている. 「普遍妥当的なこと」とほ、森. (あるいは人々). み出されなければならないこと、私の場合は(森の場合 日本へ戻ることは、カントのいう断言命法に当る」[.a). がいること'. 平野注)、. という南原の. るのでほない。この極めて不思議な現象について、私自身も苦しみ、. 長いこと考えてきたのだが、今はっきり言えることほ、それほ、日本. 人というのほ、知識人であると否とを問わず、自我を主体とする生き. 有正も、共同体的な生き方に慣らされた人間がI. 方をしていないからだと思う。又そういう生き方は日本の社会ではで きないのである。森. ことを書いている(17)0. 主体的自我に生きる人間とぶつかる時いかにもろ-崩れ去るかとい-. 極めて対照的な在り方が露口王されている。つまり、「純粋主観的にし. 間の側面が共存していた。それは生まれながらの気質とも言えようがI. 何事も「純粋主観的にしか引き受けられない」とする強烈な自我的人. 有正という人間にほ、平凡な共同体的常識人の側面と'. か引き受けられない」と考える生き方は、独立的な自我をあくまで重. 幼年時代から彼が受けた教育とも関係があるだろう。フランス語を六. 全体に森. んじる西欧的なそれであるし'全体のパ-ステイクティブからの意志. ていたのである。彼自身も述懐し. にひたしな. がら生育したのだ。-この点で、森と淑石は対照的であったと言える。. ているとうり、彼はいわば、半身を「日本のヨ-ロッパ」. 時から十年以上も教育を受け」(望. 典礼には十六歳で触れたという彼は(望、「カトリックの学校で、幼い. 歳で、英語を十二歳で学びはじめ、新教の教理は十三歳'カトリック. (これに関しては後に詳述する)が、また、日本文化の様態を. 日本人の人間関係から執勘に追求することになるのだが、その遠因の. ている. 森は時たま発作に駆りたてられたように激越な日本文化批判を展開し. もかかわらず、特殊日本的、村落共同体的思考の典型であるといえる0. 決定を主張する南原の主張ほ'カントの理論などで武装されているに. つまらない言い合いのように見えるけれども、ここにほ、日本人の、. あげた理由をさしている。. -. だから意志の決定ほこのパ-スペクテ.ィ-ヴに据えられ、そこから凍. 生に生きているのではないこと、他の人. 有正という人間だけが'「一人で人. らず、ヨ-ロッパに行くと'例外な-貧相にみえるのと軌を一つにし. ヽ. 普遍妥当的なことでも、純粋主観的にしか引き受けられず、決定でき. ヽ. ヽ. ている。私は'顔が黄色いからだとか'背が低いからだとか言ってい. ヽ. ヽ. ないこと、またそれを欠いては生きた人間の行動でほないと確信して. ヽ. ヽ.

(5) 淑石がどうしても'イギリス人とロンドン生活になじめなかったのほ、. 彼が幼時に受けた江戸文化の教養並びに漢籍の勉学と無縁でほなかっ 「自分ほヨ-ロッパへきた。それは何ごとかを学ぶ為ではな-て、. 「感覚」という言葉はすでに らわれている。. 「ハビロンの流れのはとりにて」にあ. 「僕は、少し言葉はむつかし-なるが、純粋感覚、あるいは、感覚. の純粋状態という言葉を使いたい。すべての本当の経験の、したがっ. ほど細密になるということだ。そしてこの感覚の純粋状態は、決して. て思想の、出発点にはそれがある。-.それほ現実そのものと相覆う. 主観的なものでほな-、それが感覚である程度だけ深く、厳密に対象. 必然のなり行きだった。私は必然が呼ぶところ、何処へでも行くだろ と森は書いている。ここにほ' う。内的必然、と私は言いたい」(gi). との関連で出現するものである」(S3) ヽ. フランス留学を「とにか-お引受けするのが妥当と思われた」と書く. ヽ. ような優柔不断な共同体人の森右正はいない。. ヽ. 「感覚は自分でないものとの接触」(聖(傍点原著董 ヽ. ヽ. 「感覚というものほ、感覚していると思うことではな-、一つのじ ヽ. ′「感覚の騒乱」を自らの思考の出発点として意識した時、同時に、. 力なイデオpギ-も森を動かすことほできなかっただろう。. 中に投げ入れることによって得た出発点だからである。どのように強. にゆるぐ筈はなかった。それは森が自らを全的に、ヨ-ロッパ文化の. ルトの亜流じゃないかと言う人もいるだろう。しかし森はそんな批判. 覚」とほ、異質な対象との関連で生じて-る'痛みにも似た'ほとん ど現実そのものと区別がつかないような触知ということになる。デカ. 人が異国の地を踏んだ時に、すべて例外な-経験する筈のものだ。森 ほそれを見のがさなかった。そして整理して言えば、森にとって「感. 「感覚の騒乱」が出発点である。この「騒乱」は、島国人である日本. 後に書きつけられている。すべては異国の風物にはじめてふれた時の. これらの引用文はすべて、ヨ-ロッパの風物の精練で詩的な描写の. 長い長い遍歴が必要だということが判って来るであろう」垂. なまの接触と痛みとが1つの本当の交通を形成するに到るには、実に. かの接触、一つの痛みだということを悟るだろ-。そして、こういう. ヽ. 「内的必然」に促されて'パリ永住を決意した森はしかし、そのあ こういう認識が、「バビロンの流れのはとりにて」. とに続けてこう書く。「しかし、それは、見方をかえれは偶然とすれ すれであった」(a). の冒頭にしるされた運命観と結びつき、知的に堅固に構成されている 森のエッセイに'他方では、深い詩的な美しさをあたえているのだろ らノ0・. 「パリに定着して私の中に起ったことは、それが感覚の騒乱である と共に、一つの方向があったのである。l言でいえば、あるものの本. 源地へ釆たという感覚、その意味での騒乱である」(撃と森は書いて 有正の思考の出発点であった。彼 いるが、この「感覚」こそが、森. のヨ-ロッパ論が、教義的、学者的なそれと比較して、探さと、魅力 をたたえているのは、この自己の「感覚」とからみ合わせて論じられ. ているところにある。それほけして、短期滞在にょってほ得られない ものである。森の半生は、この「感覚」が思想にまで転化していく、 ある意味では苦しい、困難な過程そのものであったと言ってよい。 森有正における(西欧)と(日本). 一九. 3. ヽ. た。.

(6) ヽ. 森有正における(西欧)と(日本) 森の内部で深刻な自己批判がおこっていた。即ち、自己の感覚を大切 にし、それを深めながら、イデオロギ-を疑ってみる態度が、なぜ、 パリに来るまでの、東京での生活でほとれなかったかという疑問が彼 にほうかんで-る。彼ほ、イデオロギ-などに頼らず、感覚から出発 して、自己の判断を形成してい-過超を、「内的促し」と呼んでいる. のだが、そういう「内的促し」を触発させるような「当体」に東京で. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. 1. 1. 1. ヽ. ヽ. ヽ. まれてくる。 この自己反省がいかに彼にとって深刻なものであったかということ. ヽ. ヽ. できない」(撃. であるのだが、「ある根本的な発見があって、. と」(S=)'「言葉の深い意味で客観的になること」(認)'であって'「経験. 全-新し-なり、全体のペルスペグティ-プが明噺になってくるこ. それに伴ってものを見る目そのものが変化し、また見るものの意味が. まさに.「一つの充実」(空. 形成物であり、「『人間』として生きること以外の何物でもな」重く、. 「経験」とは、「一人7人の個人の他と置き換えることのできない」(A). と想像と情念との広大な領域を通過しなければならない」垂 のだが、. さらに、森の言葉にしたがえば、「感覚から経験に到る前に、知覚. 目しておこう。. 成覚-経験-思想-人間普遍相の定義、という思考の展開過程に注. 二〇. 出て来ない」垂等々。ここで注意しておかなければならないのほ、 これらの言葉が、パリに-る以前の森自身の思考の在り方にむけられ. た自己批判であると同時に、日本の精神状況への批判でもあることだ0 さらに森は、感覚が堆積、成長、発展したものを「経験」と名づけ ている。. 「この静かな成熟過程、感覚の堆積が経験を生み、経験が思想に結 実し、ついに人間の普遍の相を定義するに到ること、この成熟過程は もちろん心理学で規定することはできない。論理学で解明することは. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. には、「経験」がある、あるいは、文. 『人間』と『社会』とを定義する秩序が露われて来る事態」(空 「文明の基底」(望. 体であるということになる。. いたものである。「体験」ほ、「その対象が固定し、個人を、板本的に. 立つものであるのに反し、語る人の主観状態の域を出ず、普遍性を欠. 「体験」というのは、「経験」が語られてみて客観的な知識とし-て役. 的によ-似ている「体験」とを明確に区別している0. をおそれたからであろう。その証拠に、彼は「経験」と、それと意義. 試みているのほ、それが言葉の性格上、観念的な主観と誤解されるの. 森がこれほどに詳細にわたって、「経験」というものの定義づけを. 明というものは、「人間経験の結集」(S). であっ. には無私ともいえる精神」垂(傍点原著者)、「『現実』Åそのもの>](盟 ヽ. と言えるようなものなのである。さらに、「経験」とほ、「人間が幾億 ヽ. いようとlつである」垂 ような何物かであり、「1個の人間の中に、. ヽ. これを措いて外に絶体に道はない、残酷な人間的事実である。いかに. 精密、巧妙に観念操作をしてみても、この事実の壁を破ることほ出来. ヽ. 雲泥の差がある」垂「自由な態度ほ単なるイデオpギ-や学問からは て'すべての. ない」垂「頭で解ることと感ぜられて-ることは決して同じでほなく、. ヽ. 「本の中や頭で考えた思想は藁-ずに等しい」(璽「普遍に達するにほ. は次のような、-り返しくり返しなされる重言を見れば明らかだろう。 に徹しょうとする時、そこにあらわれて-るのは真の客観性、主体的. ヽ. ヽ. は出会うことができなかった、と書いている垂。そして,「フランス ヽ. 文明は'それに素直に触れる時に、人をそういう態度へおのずから導 ヽ. くような性質の文明である」(cqtt)(傍点原著者)というフランス認識が生. ヽ.

(7) 制約しているものであり、それぞれの主観が対象と分れることが出来. するにその本質的な要素に還元され、密度の高い圧縮された命題によ. 当然制限された、特殊な所与を内容とし、そこから出発して抽象と一. って表現された『思想』というものの観念である-. 。出発点は個人意識. 般化との操作を経て、普遍的価値をもつ認識に到達する。^Jれが、秦. ないように結びつき'場合によっては、主観が対象に依拠するに到 ようなものである。また、「経験」と「体験」ほ「わた-し」. における. においてほ、. と内面的につながっている点では似ているが、「経験」. 後者は、もう直接に知覚されることほできないが、凡ての意識に真理. であり、到達点は、ある普遍的な『価値』である。. r<わたくしⅤがその中から生まれて来るのに対し、『体験』はいつも. として妥当するものである」(EB). 「知覚」. を吸収する」垂 のである。. ここには明らかにデカルトの影が投影されている。このようなデカ. ルト的過程を経て得られたものでないような思想ほ、森に言わせれば. 世訓にすぎないものを「思惑」ととりちがえたためにおこる悲喜劇ほ、. にまで昇華したものであるのに対して、「体験」のほうは、一時的主. こういうスコラスティックな議論の背景にも、森の、日本人、日本. 単なるイデオロギ-や処世訓にすぎないのである。イデオロギーや処. 文化紅対するきびしい批判が含まれていることをわれわれは見のがし. き離され、移動させられた時'ほとんど意味のない死物に化するとい. うことである。「ヨ-ロッパ的思想に対してアジア的思惑を対置する. ことが馬鹿げているように、思想をそれを生み出した生活から抽象的. ヽ. 野)とつけ加えるのを森ほ忘れていない。 (「体験」に を伴ないながら、深められ、成熟してい-「経. このように、感覚から出発して、主体自身の「変貌」(9) はこれがけしてない). に裏づけられて、はじめて真の思想というものが生まれて-る。. 「意識は、知覚の、直接な従ってそれ自体において確実な、しかし 森有正における(西欧∨と(日本). 験」'そして. 「生活」が「決定的に」必要なのである(S3)0. こ・こまで釆た時、すでに森の視野にほ近代「日本」. 「経験と思想」. ほ、おそらく森のライフ. において'森は、「私の大きい関心事、『日本』という問題があ と言っている.この. 二一. ワ-クとなるべき筈のものであったろ-が、序論が書かれた段階で、. る」(3). 思想」. れていた笥である。そして、森哲学の体系的叙述をねらった「経験と. の問題が措定さ. うなものではないのだ。本当の思想を生み出すには、「感覚」と「巌. いている。思想というものは、「何かとり外しが出来る物品」(cqLL,). に切りはなすのも、坂本的に間違っている」(聖(傍点原著者)と森は書. ヽ. ヽ. 「戦後海外族行は'観光であると研学であるとを問わず、非常な盛 ヽ. 況ぶりを示しているが、その何割が日本人の本当の経験の中に入って. ヽ. 来たであろうかoその大部分が一つの体験であるに終わり、やがて忘. ヽ. 却の中に置き捨てられてしまうのではなかろうか」(47) (傍点平野) そして、人の経験が、単なる「体験」で終りはててしまうか、「経 ヽ. にまで高まるかは、「主体がそれとどういう関係に立つか、によ ヽ. って決るのノである (そこに意志の問題の深い根拠がある)」(脂)(傍点平. ヽ. のよ. ヽ. ヽ. てはならない。. 過去現在に.わたって、いやと.い-はど日本で演じられてきた管だQ森 の言いたいのは、思想というものが、それが生み出された基磐から引. 観的な印象のようなものとして考えられている。. つまり簡単に言えば、「経験」は、感覚が普遍妥当的客観的なもの. 私がすでに存在しているのであり、私ほ『体験』に先行し、またそれ. る」垂 験」 験」.

(8) 森は他界しているのだが、彼のエッセイのはとんどがヨ-ロッパを軸. した。ヨ-ロッパ文明は到底外側から真似のできるような、また単な. じさせていたフランス文明の本体が'今ほ僕自身の内面の問題に転化. 森有正における(西欧)と(日本). として展開されているのに反し、この本でほ、序論そのものが、「日. 「深く長. 「1つの文明の根本に属することが'. の顔がますます鮮明の度を加えて-る。そして、大抵の場合、そこに. 窓ガラスの景色を精細に凝視すればするほど、同時にそこに映る自分. て、我々はどう関係しているのだろうか。日本にほ本当の近代がなか. 結合的に到達し、そこから更に1歩ふみ出そうとしている西欧に対し. される中世も日本にはありはしなかったのである。古代史はたしかに ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. さらに別のところで森は書いている。「私なりに理解しえたことが. (傍点平野). -ロッパに来てみて、日本文化の断層が実に深刻であることを発見し. ヽ. 日本の中まで延びこんでいたし'それは最近まで続いていた。僕ほヨ. ヽ. 明治維新以来、日本が「近代化」されていく中で'ほとんどすべて. で強烈に意識するようになる」(Eg) (傍点原著者). 増してくるにつれて、日本という'私自身であるものを痛ましい思い. ヽ. 時'パリへくる以前の、身分の貧しい精神生活が、そこに映し出され. ヽ. ヽ. ていた。そして森がフランスへ釆てからの最初の作品である「バビロ. ヽ. ヽ. ンの流れのはとりにて」において展開されているヨ-ロッパ文明論の. 背後にほ、すでに日本の文化状況が見すえられている。まずヨ-ロッ パ文明、フランス文明が森によってどのように認識されていくかをこ の作品に則してたどってみることにしよう。. ヽ. いようのない絶望感に襲われる」(S;) 「色々な面から僕に恐ろしさを感. 程、その複雑な発酵過程だということに思い到った時、僕は何ともい. 「落差、亀裂」に直面した近代日. 本は'和魂洋才とか、和洋折衷とかいう極めて便宜的な方法で解決を. 苦しまなければならなかった。この. ーロッパ文明というものが'‥-(中略)-・人間経験の無限の循環過の日本の知識人が直面した「西洋」と「日本」の落差'亀裂に、森も. 「文明が欄熟しなければ'本当に洗練された芸術が生れない」垂「ヨ. ヽ. すでに論じたように、森が、「感覚」を自己の思考の基本にすえた. ったなどと、言われるが、近代どころか、精神史的にほ、西欧で意味. 「古代にほじまり、中世から近代へと二千年の脱皮作業の末、この. るが、日本の文化歴史について、森は次のように書-。. 用文の一つには、「絶望感に襲われる」という言葉がすでに見えてい. に情けない文化状況を対置して'はじめて意味を持って-る。右の引. このようなフランス文明、ヨ-ロッパ文明の理解ほ、近代日本の実. れた国だ」(a). 自然の条件の中にまでも具わっている国として、フランスは実に恵ま. い精神的伝統の上に立つ文明」(聖. る観賞によって学べるような'浅い簡単なものではない」(撃. 二二. 本人とその経験」というテ-マでほじまっているのである。. た」(61). 映し出された自己像は人をいらだたせるていのものなのである。. ガラスに映る景色とともに、そこに映る自分の顔を見るのである」車. うに言っている。「外国ほ窓ガラスのようなもので、われわれはこの. しい。アラン・ペイルフィットほ外国を窓ガラスにたとえて、次のよ. は、同時に、自己の確認を含まざるをえないという命題はここでも正. 観的抽象的な視点から眺め、論ずることは不可能である。対象の認識. 1つの文化を、外国人が、そのもの自体として、自己を除外した客. 4.

(9) に醜く,「痛ましい」ものに見えて-るのである。自己の醜怪な姿に. るということではないか」(E)(傍点原著者)「ヨ・-ロッパの偉大な努力. は、その倫理においても'日常道徳においても、また礼儀作法の末に. おいても、この本質的にむつかしい人間関係をその本質的矛盾におい て実現することを目的としている」(75)「理性に支えられた意志がフラ. ンスの人1人1人とその生活の隅々まで及んでいることは驚くべきほ. ヽ. 気づいて、ある老ほ、「日本回帰」という方法に訴えた。しかし、「日. ヽ. 「公共のものに向って開いているこ. にあふれた国としてとらえ. 改造するための手本として、西ドイツや日本をあげているのである-. ているからである。おまけにペイルフィットは'そういうフランスを. 「いさかい」、「動脈硬化、危槙の光景」(幼). というのも、彼は、政治家の立場から'フランスを、「永遠に続く」. だならば、おそらく笑い出すにちがいないようなフランス賛美だろう。. これらは'『フランス病』の著名、アラン・ベイルフィットが読ん. と、これはヨ-ロブパ文明の基本的な構造のlつである」(空. 日本人と組織的なフランス人」(cotl). -・無限定な悪意的な独我的な個人ではない」(E=) 「根本的に衝動的な. ヽ. 本回帰」なるものが、日本人をどのような不幸のどん底へ引き落した. かほすでに歴史が証明するところとなった。. さらに、パリとフランスについての次のような森の認識を見てみる. と,すべてが現代日本に欠けているものであることがはっきりする。. の隅々に. 「恐ろしいぼど密度の高い都市」(S3)「パリの町は、浮わついた心と. はおよそ逝の限りなく堅固な実体」(3)「文化が現代において望みうる. 最高度に達している」(-LD)「フランス全土の自然と文化施設とが1元的. に構造づけられている」(i)「舗装にしてもフランスのほ厚さが一メ-. トルもあります」(5)「その細部. まで伝統と仕事と注意とが行き亘っているのを見るのほ誠に感動的で. どである」(e)「個人と. ない。それほ堅固に組織された『社会』にのみ宿る力強い静けさであ る」(eqty「一つの感覚'それが音であっても、色彩であっても、それを. で還元し'そこに人間的感動をもたらす新しい世界を構成すること、. 純化し、分析、綜合しっつ、一つの組織された感覚の世界の素材にま. 人類が始まって.以来、ヨ-ロッパ文明ほどこの道を遠くまで行ったも ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. のほない」(73)「ヨ-ロヅパ人の社会がなぜあのように進歩をとげたか。 ヽ. それほ自己の批判原理を自己に対して内在的にもっていた、また、い. ヽ. 森有正における(西欧)と(良木). 「乱雑な東京」(8)「日本のわびしい風景」(望「理解しえないものを宣. 伝する日本の文化層」(nco)「世は『思いつき』に充ちています。毎月、. 何百万部と出る無数の雑誌は、-I(中略)-・『思いつき』を満載し、. 何百万の読者が何か役に立つ体験を読んで得しょうと待ち構えていま. 「日本から来る雑誌類を見ていると・・・・(中略)・・・ぉしゃべり、. 「書物文 観念の遊戯と体験礼讃との両極の間を右往左往している」垂. 「日本のジャ-ナリズムにほ・・・・(中略)-・自己規律が少し甘. すぎるのではないかという感じを禁じえない」(E6) 「維新百年と言われ. る。その間に達成されたものは驚ろ-べきものであるが、またそこに. 二≡. ヽ. 明」(撃 す」(a;). 豊」(g)「パ-の日曜日。誰も電話をかけたり、訪ねて来る気遣いは. ところで森 有正ほ日本をどのように見ていたであろうか。′ か」(S)「近代国家よりも古い文化的実体が厳存するパリ」(-〇二思想と. ある」(e)「フランス文化が全体としてどんなに人に娠びることがない. ヽ. はかってきたのだが、その結果できあがったのが'現代の日本なので. (パリの町並みー平野注). ある。だがそういう日本は'1度、ヨ-ロッパに対置してみた時、実. いう名で呼ばれるような行動の仕方をもつ.

(10) 「かの女(森の知人のフランス人女性-平野. ヽ. ヽ. 森有正における(西欧)と(日本). ヽ. ヽ. れ以外の世界とを区別し、そこに内と外との別が生じ、内に対してほ 極度に敏感になるのに、外に対しては全-無関心である」(聖「社会が. ヽ. 著童「日本人は自分に利害,血縁その他の上で直接触れる世界とそ. 本に『社会』と称ぶことの出来るものが実在しているか」(A)(傍点原. ヽ. 民地的雰囲気の中に低迷していなければならないように思う」(a)「日. 進むべき方向を大き-定めて行かなけれ、は、わが国ほいつまでも半植. 何か根本的に欠けたものがある」(S)(傍点原著者)「わが国が自主的に. ヽ. ヽ. 悪意になってしまうQそこからあらゆるいやらしさが出て来る」重 ヽ. さにこの日本の情けない文化状況があるからだろう。. が日本という国そのものに強烈な関心を抱-に致る理由の一つほ、ま. ちかねないような混乱状態を呈していることも事実であるQそして森. 他国の文化を基準にして観察すると、まさに「琴二尭目の原爆」が落. 白鳥が荷風の明治文明批判に苛立ったように。しかし日本という国ほ. 二四 ヽ. ヽ. ヽ. の根源をつきとめようと窒息するのである。ここでも森の出発点は彼. 自身の「経験で」ある。7個の個人の感覚から出発しながら、いかに. して普遍妥当的なものへ到達できるか'というのが、森の終生の関心. 事の一つであったが、日本文化分析は、彼の「経験の哲学」の有効性. がどの程度のものであるかを証明することになるのである。森がもし、. フランス文化、ヨ-ロッパ文明を、「経験の哲学」として肉化しただ. けに終ったならば、彼の仕事ほおそら-中途半端なものにすぎなかっ. でに文化人類学者や社会人類学者が到達した結論とほぼ一致する。だ. て、森の分析が興味深いのほ、そこで、彼のとなえた、「経験の哲学」. から出された結論ほ、特に目新しいものでほないが'われわれにとっ. の有効性が証明されているからである。. 森はまず、日本文化を分析するにあたって、日本語と日本人の人間. 関係に注目した。パ-大で日本語を教えていた森が日本語の特異性に. 大方の日本人ほこういう日本観に腹空止てるだろうOちょうど正宗 注目するのは当然であろう。そして日本語の特異性の背後にほ、8本. ったのだ、ということが余りにもほっきり分ったからである」重. で暮していて感じていて口に出さないでいることを,口に出してしま. い。ただ私は、このうら若い外人の女性が、何百、何千の外人が日本. それは私自身第三発目が日本へ落ちるだろうと信じていたからでほな. たが、しばら-しても私はその言葉を否定することが出来なかった。. へ落ちると思います。』とっさのことで私はすぐには何も答えなかっ. 殆んど一人言のように言った。『璽亮日の原子爆弾ほ頂た日本の上 たであろう。そして先走って言えば、森の分析の到達した結論ほ、す. ほとんど裸形のままの状態で出会わすのである。. ぅな文章を読む時、われわれは、彼の日本に対する感情のある側面に,. のない批判である。そして、大学紛争時に森が帰国して書いた次のよ. 以上、思いつ-ままに列挙してみたが、実に辛らつとしか言いよう. と、非常に困ったことほ天災的なものと見倣される焼向がある」(9-). ぁる」(.;)「たとえ人間関係から起って来ることでも、思いがけないこ. 秀点原著童「おどろ-ほど、社会の機構に対する無批判的な随順が器がそなわっていたQそして森は、日本文化の「板の浅さ、軽薄」さ. けでほない。哲学徒である森にほ、荷風とちがって、分析力という武. ない時、そこにおける行為はどんなに立派に争葺も、窮極ほ個人の しかし森ほ'荷風のように、やたら日本文化に八ツ当りしていたわ. 5. ヽ.

(11) ヽ. 人の人間関係がひそんでいるということに気がつくにほそう時間がか からない。、しかし、彼が'日本人的人間関係に注目するにあたっては. ほ、容易なことでほない。森は続けてこう書いている。. 「でほ一体それほ何なのか。一瞬私はためらった。しかし答えはす. くいう社会的ヒニラ-辛-(階層的秩序)あるいは上下的社会秩序、. ぐでてきた。それはちょっと言葉で表わすのはむつかしいが、人がよ. T九六八年の夏、森は帰国して、銀座四丁目を歩いていた。「多数. ということで、から-も表現している、日本社会に独特のあるもので. 別の要因も大きく働いていたQ. の人間とすれちがった。ある人はカバンを抱えて忙しげに歩いてくる。. ある。私ほ道で出会うすべての人がその存在のすみずみまでこの刻印. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ ヽ. ヽ ヽ. ヽ ヽ. ヽ ヽ. ヽ. のである」(聖. (傍点平野). ヽ. いたことである。「日本人だとほとんど誤りなく識別させる何か」を. きなのであるが、森の鏡さほ、その「あるもの」の正体をすぐに見抜. ってからそういうことにはじめて気がついたというのは'いささか驚. 「日本人に刻みつけられたあるもの」がある。だから森が、十八年た. てしまうのである。そこにほまぎれもなく、文化的刻印としての、. 町で出会う東洋人が日本人であるか否かほ、およそ「喚覚」でわかっ. あるのではないだろうか。私などの経験を言わせてもらえば、外国の. はおそら-、外国でたとえ短期でも暮らした人ならば誰にでも経験が. 強烈な印象を受けたことほめったにない」と続けて書くのだが、これ. 頃である。森ほ、日本人に「共通の刻印」を発見して、「私はこんな. 一九六八年と言えば、森がフランスに渡ってから十八年が経過した. ヽ. ヽ. (傍点原著者). と正真性があるのである。森ほしたがって、どんなに日本文化の板の. 創りあげられたものでほない。だからこそ、そこには、堅固な落着き. ロッパ文明は、日本の近代のように、外在的批判原理の導入によって. 自己を意識化してい-過程がヨ-ロッパ文明そのものであった。ヨ-. いる」文明としてとらえていて、そういう自己批判を積み重ねながら、. ヨ-ロッパ文明を'「自己の批判原理を自己に対して内在的にもって. いうものの批判的原理がそこにある」という言葉である。森ほすでに. ここでわれわれが注意しておかなければならないのほ、「日本人と. ことなのである」(97). ということほ、日本人というものの批判的原理がそこにある、という. こにほ日本人のもつ最善のものと最悪のものとが共にふくまれている0. るいは上下的社会秩序といってしまってほあまり単純化している。そ. 々を共通に刻印づけているあるものである。社会的ヒニラ-辛-. ヽ. 主義者からもっともラディカルな進歩主義者まで、すべての傾向の人. 喫茶店から談笑しながら出て-る若い二、三人連れがある。四、五人. ヽ. 、あ. を帯びているのを確実に知った。それほ老若男女すべての人々、保守. ヽ. かたまっておしゃべりをしながら歩いて-る娘さんたちがある。腰の. ヽ. ヽ. まがったおばあさんが-る。中年の人と連れだってくる学生がある。 ヽ. その時、私はふと気がついた。この人たちにほ何か共通の刻印がある、. ヽ. と。そして同時に、この観察している私も同じ刻印を帯びているに違 ヽ. いない、と感じた。それは生理的解剖的特徴でほむろんない。皮膚の ヽ. 色でもない。しかしある否定しがた-日本人に刻みつけられたあるも. ヽ. ヽ. 深さ'軽薄さ、いやらしさを感情的に告発していても、外在原理によ. る日本分析を拒否しょうとする。「所謂先進国から、思想や観念をと. って釆て、それを日本の現実にあて飲めようとしてみたり、あるいは. それで日本の現実を解釈しようとしてみたりしたそういう時期はもう. 二五. ヽ. 感覚的に直感することほ証にも出来るが'その正体を明快に言うこと. ヽ. ヽ. ヽ ヽ. ヽ. 森有正における(西欧)と(日本). ヽ. ヽ.

(12) 森有正における(西欧)と(日本). 郎関係の親密性、相互故入性、㈲関係方向の垂直性、がそれである。. 自己開被しながら、排他的特殊的に接触し合うことを言う。関係方向. 過ぎ去ったのである。我々は我々自身の経験、それがどんなに痛まし. い」(98). の垂直性とほ'先生と生徒とか先輩と後輩とかいう、一定の既成的社. 関係の親密性、相互飲入性というのは、二人の人間が秘密を共有し、. ての上下的ヒエラルキ-の人間関係に注目した時'当然その背後に、. 会秩序を内容とする直接的、私的な関係を意味する。それほ、有能な. と彼は自らの決意を語っている。森が日本文化分析の核とし. 森が長年月をかけて血肉化したヨ-ロッパ文化が控えていることは否. ない。. 老と無能な者、強者と弱者といった自然的秩序にもとづいた関係では. 欠如理論の信棒者と見る. このような特殊日本的人間関係はすでに多くの学者によって指適さ. ある。森の批判は、自らの経験をないがしろにし、軽薄に右往左往し. ましい欠点と考えている。「二項方式」を抽象的な定理として考える. 美点と考えるかである。森ほ、明らかに、それを日本の、日本人の痛. れているところだが(S)、問題は、それを日本人の欠点と考えるか、. ている現今日本の文化状況に向けられているのであって'少し物事を. 係から出てくると考えられるさまざまな社会状況、文化状況を事実と. 限り、それは'美点でも欠点でもありえないのだが、そういう人間関. ものが日本を横行しているかに誰でも気がつ-筈である。. るかを知らねばならない。そして森にとってそれを分析する鍵になる. は、二人の人間が融合し、「私」が疎外されるため'責任の所在が不. 能」(107)にし、「根本的には社会の否定」(朋)につながる。「二項方式」. たとえば、この排他的人間関係は、「社会の社会としての組織を不可. して目の前にあげられると、われわれは動揺せざるをえないのである0. のは日本人の上下的人間関係であった。彼はそれを最初は「二項方. 明確になる。また'この関係においては、人間ほ、「自然」に須落し. 自らの経験に徹するためには、その経験の質がどのようなものであ. 式」(100)と呼び、後には「私的二項方式」(101)と改めている。また、「経. ようとする傾向があるため'社会的道徳が欠如する'等々。. 森は'具体例の1つとして、日本における子供の牒の問題をあげて. 係」(o's)、また、「日本における共同体の在り方の一つ」(1). をしているのはまずきまって日本人の親なのである。森によれば、子. 故か。ル-ゲル博物館などで、子供が名画に手を触れてもそ知らぬ顔. いる。日本人の親子が公共の場で、時として実に見苦し-なるのは何. 「二人の人間が内密な関係を経験において構成し、その関係そのもの. 性の中にのみひたっているので、「社会」という視野がけして入って. 供を朕る規範が日本にはないという(これは、親子という関係の直接. 「二項方式」の特徴として森は二つあげている。. が二人の人間の一人一人を基礎づけるという結合の仕方である」(響. まず、「二項方式」とは、日本の「共同体の根抵にある二人称関. 験と思想」においては(=1)、「二項結合方式」、「二項関係」などとも呼. であり、. 真剣に考える人間ならば、「欧化主義者」ならずとも、いかに愚劣な. 森がヨ-ロッパから学んだものほ自己の経験に徹するということで. のは誤っているだろう。. ているからダメだと一方的に裁断する」(翌. 定出来ないにしても、「ヨ-ロッパを範型に、日本にほ何々が欠如し. いものであろうと、その中から思想を構築して行かな-てはならな. 二六. ばれているが、ここでは「二項方式」という呼び方を用いることにす る。.

(13) ヽ. のである。森は続けて書く。「阿呆同然な親子が横行する. を他人の前に持ち出さないことであり、殊に子供に対してそれが要求. とさらけ出す結果になる。そして「妖の本態は、こういう内密の感情. こないためである)。そして私的内密な情緒的関係を社会の面に平然. かしい、とする考え方である。近代化=産業化と考える視点に立てば、. みる時、特殊なものにすぎず、それを範型としてみなすことの方がお. る。ヨ-ロッパ近代こそが、地球上の他のさまざまな文化と比較して. ロヅパ近代を、文化人類学的理論によって相対化してしまうことであ. 日本ほ'近代化において、欧米に追いつき'今や追い越そうとしてい. される」(捕). 社会は、まことに見苦しいものである。これほ正直のところ、言語に. るという歴史的事実が、ヨ-ロッパ近代の相対性をきわ立たせるのに. ろうか。ここから森. 有正の苦悩がはじまる。. ただし、森の苦悩から自由になる方法がある。そしてこれは、最近 日本ではほぼ一般化してきた見方であると言ってよい。それは'ヨ-. 有正の場合'一見すると「欠. 「痛ましい」、. 「二項方式」的人間関係. ことほ、ヨーロッパでの森の経験が許さな. 『経験』の特殊な餐. と彼は書く。つまり、日本. の特殊な姿は、森にとってほ'あくまでも「自己批判的対象」なので. 的傾動をもっていなければならない」(111). れて来る『現実』あるいほ『経験』は、より真実な現実把握への批判. としての意味を持っていなければならない。換言すれば、明らかにさ. は'それ自体においては一つの批判的、より正確には自己批判的対象. これに対する森の答ほこうである。「日本人の. い筈だ。これは誠に苦しい問題である。. 上に立って'「開き直る」. をその青ま受けいれることは森には出来ないだろう。「二項方式」の. によって析出された、日本文化の核としての. 経験から出発する以外に方法がないという問題意識であった。だが森. 情けないものであっても、日本人はやほり、日本人が積み重ねてきた. 験が、ヨ-ロッパのそれに比較してみる時、どんなに. 式」的人間関係の分析を支えていたものほ、日本人の総体としての経. 如理論」の信捧老に見えかねない部分があるけれども、彼の「二項方. 「開き直り理論」と言えるだろう。森. れば、日本の特異性を主張し、ヨ-ロッパを相対化する考え方は、. ヨ-ロッパ近代をモアルに日本を批判する理論を「欠如理論」とす. 絶するはど非道いもので、その害の及ぶところは限りな-広-、どこ ヽ. 役立っている。 ヽ. から説明し、処理してよいか判らないはどである。それは稚い子供か ら学生にまで及ぶ非常に重大な問題であって、正直のところ私は殆ん ど絶望的である。殊に我が国では朕の本質が十分に把まれていないた. (傍点原著者). め'枝葉に属することの崩壊が、どうしようもない混乱を惹き起して いるのである」(a). 森ほ、続けて'「二項方式」的人間関係を直接的に反映している「日 本語」を分析しているが、これは本論では取扱ほない。 「二項方式」からほ、「自我」意識と、「社会」意識が生まれて釆な いことを森は、周到に、敵密に分析して見せるのだが、考えてみるに、 こういう特殊日本的人間関係ほ、日本人がほぼ千年以上の年月をかけ て醸成してきた、存在の仕方である。そして、明治以来の近代化政策、 敗戦による民主化政策にもかかわらず、けして日本人が棄てるこので きなかったものなのだ。そして、他方では'「二項方式」は集団的行 動を円滑にし、戦後のおどろくべき経済成長を支えてきたという実績. (?)がある。さらに言えは、千年以上にもわたって醸成されてきた ヽ. ような存在方式を、人は、意志的に棄てることがはたして出来るのだ. ヽ. 森有正における(西欧)と(日本). 二七. ヽ.

(14) ヽ. 森有正における(西欧)と(日本) あって、「開き直る」ための手段ではない。そうかと言って、これほ. は、範型解析ほなされていても、自己解析がなされていない理論のこ. 単なる欠如理論ではあるまい。私の理解によれば、欠如理論というの. は根本的に異なっている。なぜならば、東洋的思惟と西洋的思考とを. れ程似たものになろうとも、そもそもの出発点において、森と西田と. ということになる.・おそらくこれが森の結論で. のようなエビ-ソ-ドがある。それは、コレ-ジュ・ド・フランス教. 森がくり返し好んで語った(a)、ある無名のフランス人に関する次. はなかったQ. 哲学とか思想とかいうものほ、必ずしも書物に活字で印されたもので. の経験に根ざしたものであるということである。そして森にとって、. ないのは、彼の思想が、頭の中で考え出されたものでほな-、生活上. ルファであり、オメガなのだ。そして、われわれがいつも忘れてなら. ほどにもちがう、異質なものである.という認識こそが、森の思想のア. 融合させようとするよ-な、オプティ、、、スティックな態度ほど、森が. へと須落して. へと透明化しっつ上昇して行くかは、事柄. 志の問題である」(112). 「意志」の内容である。これほどう見ても、東洋. に書いた追憶文である。森. その同窓にイラリオン・イカ-ルという若い百姓がいた。兵隊にとら. はこう書いている。「-ユス氏は小学校時代を郷里の南仏で過したが、. 授、ポ-ル・、,、ユス氏が雑誌「エスプリ」. いてはやはり、森の考え方は、欠如理論の一種たらぎるをえないので. 平野注)思想が、哲学者西田幾多郎のそれに通じるところが. あるように考えている」(113)と書いているが、抽象理論として考察す. る限り、「哲学」なるものほ、どんなものでも、それぞれが相似かよ っているものなのだ。森の思考方法の背後にデカルトやパスカルの影. 『方法叙説』を読む必要のない人. いう生涯こそ一つの経験であり、一つの思懲でないだろうか」と言い. 森ほ、「この文章ほ強-私を打った」と書いたあと、続けて、「こ-. る、と」(116). 間が多数いるのだ。だからこそまたデカルトのような人が出るのであ. ランスにほこのように、デカルトの. ようになり、七十何年の勤勉な生涯を閉じた。、、、エス氏が言うに、フ. れは凡ゆる努力をして、義手義足を駆使してともか-人並みに働ける. れるとすぐ第一次大戦が勃発し、最前線に送られ'二週間も経たない うちに両手両脚に重傷を負い、大不具老になってしまった。しかしか. 杉本春生民は'森. 6. ょる美の触知を通じて、それが名づけがたい現実となるという彼の. 有正と西田幾多郎とを比較して、「純粋感覚に. ある。. 部から導入されたものの媒介がなければならない。こういう意味にお. た意志だろう。日本的特殊性をのりこえるためには、どうしても、外. 的観照的態度とはおよそ無縁な、西欧的な強烈な「自我」に支えられ. あろう。問題はこの. それ自体に内在していることではな-、人間の実存的事件であり、意. 行くか、あるいは『経験』. 決定できる事柄でほない。換言すれば'それが『体験』. 定するか、それを批判的に超えて行くかということは決して自明的に. そし七、日本の特殊性を、「それ自体において理解し、是認し、肯. とだ、からである。そこから欠如理論の救い難いオプティミズムが生普. を見ることほ容易である。森の哲学が、結果的には、西田めそれとど. 二八. 練ったものはないからである。「西洋」と「日本」とほ「水と油」(山). ヽ. れてくる。. ヽ. (森の・-.

(15) はなかったのである。だからこそ、彼はエッセイという形でしか自ら. 切うている。哲学を書物として体系化するような意図ほ始めから森に. 望を読者にそそるような性格をもっていることは否定しがたいが.。. た彼のエッセイは、そこから'T個のT哲学」を抽出したいという欲. かったのだろうか。森の 本氏の主張ずる通り、西田の くるだろうが、森の. ほ、論理過程として語られる時、移. はけして観念の産物ではなかった。だか. 「純粋経験」と、重なり合う部分が出て. 「経験」. 「経験」. ら「主客合.1の原初的事実」など、J森にとっては最初から問題になり えなか′つたのである。それは、不具になったイラヮオン・イカ-ルに 「コギト」など全く問題でなかったのと同じであ. 味を持つのほ、彼が、「西洋」と「日本」という本来的に. ヽ. ヽ. ヽ. 「水と油」の. ヽ. と述べているが、この場合問題なのは'「西. 子とする、ゐ非違続の連続∀ともいうべき波状的'もしくは療旋的な ものとして描きうる」(5). 欧・世界への傾斜」の中味であろう。. 森がしばしば衝いているものに、近代日本における西欧像の軽薄さ. がある。たとえば'東京でつくられている「フランス料理」なるもの. が、いかに本場のそれとは似て非なるものになっているかを述べたあ. と'彼はこう書いている。「日本におけるヨ-ロッパ的なものの殆ん. どすべてが'このような変容を受けているのであり、従ってそういう. ものの背後に映るヨ-ロッパ像ほ、現実のヨ-ロッパから遊離した空. 想的なものにならざるを得ない」(a)(傍点原著者)また、アルジェリア. 問題に触れて、なぜフランスが、莫大な犠牲を払ってアルジェリアに. と述べたあと'彼はこう書いている。「我々のヨ-ロッパ理解とヨ-. 固執するのかという理由が、十二年パリに滞在してはじめてわかった. にしても、それほ'彼の著作の魅力をいささかも減ずるものではない。. そして、日本人の外国文化理解の欠点を次のように別挟する。「す. ことを益々感じるようになった」(響. ロッパそのものとの間に実に大きい、殆んどこえがたい裂け目がある. かさを内に秘めたものなのである。そういった意味で森のエッセイほ けし′て「哲学」ではないし、むしろ文学に近いものと考えたほうがよ. でに流通しているある名をもって呼ぶことのできる個物あるいほその. 二九. いだろう。もっとも'フランス哲学め研究者として哲学に親しんでい 森有正における(西欧)と(日本). ヽ. 透氏は、『日本精神史へ. ヽ. の序論』 において、「近代日本における精神史の軌跡は--(中略)‥ -ゐ西欧・世界への傾斜ⅤとA日本への回帰∀という遠求心両運動を挺. いうことにある、と私は考えている。宮川. 関係にある、おたがいに相いれない二つの文化を身を賭して生きたと. ヽ. 有正という一個の人間が、近代日本の精神史において、重い意. の思想を語らなかったのであるし、日本人を分析するにあたっても次. ヽ. 「『純粋経. 「実存的過程」が生々. 点平野)そして、これは森がすべてのエッセイの中で採用している方 法でもある。森という、思考する1個の人間の し-語られているところに、彼のエッセイの魅力がある。. ヽ. 「経験」を、西田の. 森にとっての「実存的過程」とは、ヨ-ロッパ生活における経験の ヽ. 成熟過程のことである。森が、自らの ヽ. 験』という主客合一の原初的事実とは全然ちがう」'(=).(傍点平野)と. ヽ. 言う時、彼が晴々裡に拒否しているものほ、西田哲学の観念性ではな. ヽ. ヽ. のようにその方法を確認しているのである。「人間が個人として、ま. た社会を構成して生きている事実を『経験』が成熟して『思想』 ヽ. る1つの実存的過程として内側から把握したいと考えている」(1)」(傍. ヽ ヽ. とっ■て、デカルトの. ヽ. ヽ. る。森の「経験」概念が「論理的には多-の爽雑物を含んで」(S). ヽ. ヽ ヽ. 彼の経験は、簡単に論理化などを許さないようなめ-るめ-ような豊. いる. ヽ. に刺. 森. ヽ.

(16) 々日本人ほ実に敏感であり、巧妙であるが、その外皮を破って内部に. 集合に感心し、それを模倣し、更に改良さえすることにかけては、我. 影響をあたえるという事実はなかったし、今後も長い間ないであろう0. も次元も異るのである。その意味で、ヨ-P. 森有正における(西欧)と(日本). 進み入り、それを作り出した素材から、それをとり上げた心性の質ま. 日本はヨ.-ロッパを追い越し、もはやヨ-ロッパに学ぶことは何も. ることではないだろうか。. これほ文学だけに限られたことではな-、文化全般にわたって言え. ことはヨ-ロッパ諸国の間だけのことである」(響. るならば、「西欧・世界への傾斜」といっても、その内容は極めてお 寒いものであったのではなかろうか。そして'「西欧・世界への傾斜」. えノ0. 有正自身が文化接. 本」の接触はどのような様相を呈していたのであろうか。一九六五年、. 触の生きた範例であった。しからば彼の内面において、「西欧」と「日. 接触し合ってきたし、これからもするだろう。森. しかし事実の問題として、「意味も次元も異る」文化がおたがいに. る」日本と西欧の融合などありえないという絶望感があったからだろ. 本人の経験」にあれはどこだわったのは、もともと「意味も次元も興. 「外皮」=虚像にすぎなかったのである。森が、最晩年になって'「日. ないなどとうそぶく日本の一部の知識人に最も欠けているのが、こう. る「西欧・世界への傾斜」はそういった意味で、「西欧・世界-虚像 への傾斜」と言い直したほうが、より事態を正確に衝いているように 思われるのである。 森に言わせれば、日本人によってヨ-ロッパが正確に把握されたこ となど一度もないのである。『ブッデンプロ-ク家の人々』の舞台と なった、リユ-..(ックを訪れた森ほ、L町の家並を眺めながら、次のよ 平野注). ヽ. つまり、森の滞仏十五年目に善かれた「霧の朝」には次のように書か. ヽ. うな感想をもらす。「それは(ヨ-ロッパ近代市民社会. を蓄積しそれに伴って自由と平等とを獲得し、更にその上に、文化を. ヽ. そして森ほすぐに日本. のものであることを考えなければならない。これほフランスの近代文 学に対しても、均し-言えることである」(a). へと目をむけて次のように垂-。「人生の探求といっても'全く意味. 感覚をもって呼応しながら、連なっている」(S). (傍点平野). ものが形成され、それが遠距離にある日本の社会の変化に実に鋭敏な. 或いは'その底部に'深層心理と呼べそうな一種の夢の世界のような. れている。「自分の中に、経験の二重の層が出来、一つほ自分を取り. ヽ. 花咲かせた。殆ど日本でほ想像もできないその堅固さ、生活の知慧と. ヽ. りえないのではないだろうか。近代日本精神史の軌跡の一方の軸であ. への反擬としてなされてきた「日本回帰」なるものも、自らが描いた. ヽ. いう森の認識なのではないか。もともとヨ-ロッパを学ぶ対象と考え. ヽ. 虚像にすぎないものへの反擁である限りにおいて、軽薄さをまぬがれ. ヽ. たところに日本近代の滑梧さがある。「意味も次元も異る」文化を安. ヽ. るはずはないのである。そもそもヨ-ロッパというものが、その実像. ヽ. 易に学ぶことなど不可能なのだ。日本が学んだと錯覚したのは、その. ヽ. において全的に把握されている場合には、安易な日本回帰など、おこ. ヽ. 日本近代のヨ-ロッパ像が、もし森の言うようなものであったとす. 影響のように見えることは実は全-別のことである。影響などという. ツパ文学が、日本文学に. 三〇. で到ることは非常に稀だということである」(ne!). ヽ. 富. 巻くフランスの社会の中で形成されるもの、もう1つは、その深部に、. ヽ. ヽ. 享楽、ト-マス・マンの文学はそれに対して更に反抗した実竪尚次元. ヽ. -.

(17) そしてヨ-ロヅパで由来た経験の層と、すでに日本に居て出来あが と彼は書い. だが'先にも述べたとうり、文化接触ほおこらざるをえないし、こ. れからは'練応なく、ますます高い密度でおこっモくるだろう。たと. えば森は欧米各国に見られる日本趣味虹ついて次のようた書くq. に編入し、更にそれに基いて、その背後にあるべき抽象化された日本. 像を作り上げ'それはもはや実在する日本とは何の関係もないものに なってしまう」(捕). われわれは戦後日本へやってきたアメ-カ人の日本趣味の俗悪さを. 笑った。だが、欧米においては日本趣味は、日本における. 味」にくらべれば、ごく限られた人々によって行われているにすぎな. い。欧米化はわれわれ日本人の生活のすみずみにまで行きわたってい. る℃外国の文学や思想は、翻訳されて、ほとんど自国のもののごとくI. 何の抵抗もな-読まれている。そして勝手な欧米像を作りあげ、その. いう事態をさけるためには'フランスの文学や思想を例にとればそれ. 欧米像-虚像に日本を対置してきたのが実情ではないだろうか。こう. 「欧米趣. れらは浮降給、禅'茶道などを好み、・それを自分達の欧米の生僧体系. 「か. っていた経験の層は'「二つの項として関連している」(望 ている。さらに、「自分の心のさらに奥にある、自分の生れた国の歴. (傍点平野)と彼は書-0. 史と、外国の経験の層の奥にある'その外国の歴史とが、異常な次元 でからみ合い始める」(望. こういう森の経験ほ貴重である。近代日本の知識人たちは、このよ うな内部経験を欠いていたため、結果として、西欧をも日本をも誤解 していたのでほないだろうか。彼らほただ、西欧を「訳読」していた だけにすぎなかった。彼らにとって、西欧と日本とほけして「異常な 次元」でからみ合うようなこともなかったし、西欧はただ、「訳読」し、. 「翻訳文化」はそ・の典型であろう。. 自分の都合のよいように変形させる対象にすぎなかったのである。森 が嫌悪をもって語っている、日本の. 森ほさらに続けて次のように述べている。「僕はそういう心の構造 の中に、自分にとって、自分の国と外国とが交渉する、本当の唯一つ の実在する場所を確認したのである。少な-とも僕にとって'それ以. ンス社会についでの経験が徐ろに形成され、その内部に自己の学ぷ文. 学なり、思想なりが定位されるのでなけれはならない」(9). 三7. になるふもしれないと森ほ言う。それは実際森が経験したことであっ. ていたものが、外国という別の体系に入れられた時'意味のな.いもの. しかしこういう事態が進行すると、日本で意味があると思ってやっ. からであ. ているフランス社会がなければならず、その圧倒的影響の下に、フテ. 不可能であるとは言わないが、極度に困難である。それにほ先ず生き. (傍点原著者) と森は言う。「しかしそれほ観念的に行うことは絶対に. を'「実在するフランスそのものの中に定位する操作が必要になる」(a). ヽ. ヽ ヽ. 外のいかなる場所でなされる外国文化論議も、それと対応して考えら (傍点平野). れる日本文化論議も、色あせた'単なるおしゃべりとしか映らないの である」(S). ヽ. ヽ ヽ. 日本が西洋と出会う唯1の実在する場所は、心の構造にしかないと する森の主張はわれわれを絶望させる。われわれ・の内部にある経験ほ、. 経験=日本層ばかりであり'経験=西欧層はご-浅薄な形でしか形成 しようにないからである。森の内部の経験=西欧層が三〇年近-の長. ヽ. ヽ ヽ. へと額落してい-運命にある. ヽ. ヽ. い年月にわたって形作られたものであることを思う時、たいていの日 本人のそれは、やがて森の言う「体験」 のである。 ・森有正における(西欧)と(日本). る。. ヽ ヽ.

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