呼子町の漁業と観光-続・水産物の地産地消の事例研究に向けて-
41
0
0
全文
(2) 呼子町の漁業と観光 続・水産物の地産地消の事例研究に向けて. 伊 東 維 年. はじめに 筆者は, これまで地産地消に関して, 農産物および木材 (間伐材) に起点を置いた地産地消 の研究に取り組んできた。 一つは, 農産物に起点を置いた農協の地産地消活動についての研究 であり ), 二つは, 林業における間伐問題の解決に寄与する間伐材の地産地消についての事例 研究である )。 これからは, 起点を水産物に替え, 水産物の地産地消についての事例研究を試 みることにしたい。 その際, 地産地消についての下平尾勲教授の定義に倣い, 「地産地消というのは, 地元で生 産された産品が地元で消費されることによって, 生産を刺激し, 関連産業を発展させ, 地域の 資金循環を活発にし, 地域を活性化する一つの手法である。」) という定義のもとに, 地産地消 は 「地域を活性化する一つの手法である」 との視点から地産地消についての研究を試みる。 また, 水産物の地産地消の事例研究の場所として取り上げるのは, 佐賀県唐津市呼子町であ る。 呼子町を選定した理由は, 呼子町内あるいは唐津市の魚市場などで水揚げされた水産物が, 呼子町の朝市, 直売所, 水産物加工場, 活魚料理店, 旅館などを通して地元で消費されており, バラエティーに富んだ水産物の地産地消の形態を見出すことができるからである。 本稿は, 本研究の前段として, 呼子町における水産物の地産地消に関連深い本町の漁業と観 光について考察するものである。 本考察を進めるにあたり, あらかじめ呼子町の位置, 土地利 用, 人口の推移, 産業構成の変容についてその概況を説明することから始めたい。. 呼子町の位置および土地利用 年 (明治 年) 月 日に, 市制・町村制施行に伴い, 呼子・小友・大友・殿ノ浦・加 部島・小川島を行政域とした呼子村が誕生したのが呼子町の起源である。 その後, 年 (昭 和 年) 月 日に町制施行により呼子町と改称し, さらに町制施行から 年 カ月後の ― ―.
(3) . . . . 年 月 日をもって佐賀県東松浦郡の呼子町・鎮西町・肥前町・相知町・厳木町・浜玉 町・北波多村の 町村と唐津市が合併し, 新しい唐津市が誕生したことにより, 呼子町は, 現 在, 唐津市呼子町となっている。 本稿では, 便宜上, 旧呼子町, および合併後の唐津市呼子町 を, ともに一括して呼子町と称する。 呼子町は, 佐賀県の北西, 東松浦半島の最北端に位置し, 玄界灘に面している。 小さな入江 である呼子湾に沿った市街地を核として東西に広がる陸地と, 年に開通した呼子大橋で 陸地と繋がった加部島および離島の小川島などの島嶼からなり, その総面積は で, 陸地部と島嶼部の面積が相半ばしている (図 )。 唐津市等と合併前の呼子町は佐賀県内で面積 がもっとも狭小な町であった )。 港湾や漁港の背後地を含む僅かな平坦地のほかは, 通称 「上場 (うわば)」 と称される海抜 ∼ の玄武岩台地が本町面積の 分の を占め, もっとも高い所で である )。 こ のような地勢から, 宅地面積の割合が少ないのが呼子町の土地利用の一つの特徴である。 呼子 図 呼子町の位置.
(4) !"#$%&' ()* +,-./01234)*567)*+,-./012
(5) 8 98 :;<=> ?@ABC>DEFGHIJ'KLM. ― ―.
(6) 呼子町の漁業と観光. 表 呼子町の民有地の利用区分別土地利用面積 (年, 年)
(7) . . .
(8). . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
(9)
(10) !"#$%&'
(11) ()!"#$*+,-./
(12) 01!"234
(13) 567
(14) 789
(15) :;
(16) 789<=9><=/?@ABCD9
(17) %&'EF6G HIJKLIJMNO/PQRS T U VWXYPQRS Z[\]/?L^_`abIOcd_QRS ef Yghi jklmnopqkrstuvwx! Ygy jpqkuvzopqkuv{|*&RS. 町が合併する直前の 年の民有地面積 ( ) について利用区分別土地利用面積をみる と, 宅地面積は で全面積の %に過ぎない。 もっとも広いのが畑地の で 全面積の %を占めている。 農用地は台地上に展開していることから, その大部分が畑地 であり, 稲作が行われる水田は僅か , 全面積の %と狭い。 これが本町の土地利用 のもう一つの特徴である。 そのほかに, 山林面積が で全面積の %などとなって いる。 その 年前の 年の利用区分別土地利用面積をみると, 宅地 ( %), 畑 ( %), 田 ( %), 山林 ( %) などとなっている。 従って, 宅地が拡大する一方, 農用地としての土地利用面積が減少してきていることも本町の土地利用 の特徴として挙げることができる (表 )。. 呼子町の人口の推移 呼子町の人口は, 戦後, 年 (昭和 年) までは 万人台を維持してきたが, 日本経済 の高度成長に伴い, 若年層を中心に大都市圏に人口が流失し, 以後, 人口の減少に転じた。 こ れに対応して, 呼子町では人口の定着のため, 観光に力を入れるとともに, 呼子造船鉄工団地 の造成, 港湾整備などの産業基盤の整備, 国道 号線や主要地方道肥前・呼子線といった交 通網の整備・充実, 公営住宅整備事業をはじめとする生活環境の整備等を進めてきたが, 人口 減少に歯止めが掛からなかった。 呼子町は, 年に制定された過疎地域対策緊急措置法に基 づき, 同年, 過疎地域に指定され, 月に町議会において 「呼子町過疎地域振興計画」 が可決 され, また 年に制定された半島振興法により, 年に地域指定を受け, 各種優遇措置が講 じられるようになったものの ), 雇用規模の大きな企業の進出に恵まれず, 人口の社会減に自 ― ―.
(18) . . . . 然減も加わり, 依然として人口減少が続いている。 このようなことから, 年に 万 人 を有した人口は合併後の 年には 人へと, この 年間に 人, 率にして . % ほど減少しており, ほぼ半分の人口となっている (図 )。 同期間の佐賀県の人口減少率は . %であるので, 呼子町の人口減少率は県内でも著しく高い )。 人口の減少と同時に人口の高齢化も進行しており, 旧呼子町としては最後の国勢調査が行わ れた 年の年齢 (区分) 別人口構成をみると, 呼子町における 歳以上の老齢人口の割 合は . %に達しており, これは佐賀県平均の . %, 全国平均の . %に比べ大幅に高い。 逆に ∼ 歳の生産年齢人口の割合は, 呼子町の場合 . %と, 佐賀県平均の . %, 全国 平均の . %に比べ一段と低い (図 )。 このような人口構成も過疎地域としての呼子町の特 徴を色濃く現している。 図 呼子町の人口の推移 (年∼年) 11,000. 10,000. 9,000. 8,000. 7,000. 6,000. 5,000. 4,000. 3,000. 2,000. 1,000. 0 1955. 60. 65. 70. 75. 80. 85. 90. 95. 2000. 05.
(19) !"#$%&'()*. ― ―. 09.
(20) 呼子町の漁業と観光. 図 呼子町と佐賀県の年齢 (区分) 別人口構成 (年) 14 15.7. 16.4.
(21) !" #$%&' ()*+,-.
(22) /01234 5 6723489:;<=#>?@". 呼子町の産業構成の変容 呼子町の産業構成は, 戦後, 大きく変容している。 次に, 呼子町の産業構成の変容について, 国勢調査による産業別就業者数の推移と, 佐賀県の市町村民経済計算 (年度までは市町村 民所得推計) の結果に基づく産業別純生産・総生産の推移の両面から言及することにしたい。 ただし, 詳細については, 筆者が熊本学園大学付属産業経営研究所の機関誌. 産業経営研究. 第 号に掲載した論稿 「呼子町の人口の推移と産業構成の変容 ― 水産物の地産地消の事例研 究に向けて ―」 において既に論述しているので ), それを読んで頂くことにして, ここでは要 点のみを著すことにする。. () 産業別就業者数の推移 年から, 旧呼子町において最後の国勢調査が実施された 年までの産業別就業者数 の推移を示すと表 の通りであり, その態様の変化を要約すると次のようになる。 第 に, 年・年当時 人台を有していた本町の総就業者数は, 年を境に以後 漸減し, 年には 人へとこの間に 分の 近く減少している。 第 に, 産業大分類別にみると, ① 年から 年までは就業者数の順位で漁業就業者, 農業就業者, サービス業就業者が上位 位を占め, とりわけ漁業就業者数は逓減しつつも, 本 町の総就業者数の %を上回り, 年を除きトップの座を維持してきた。 ② 年には漸増 してきた卸売・小売業・飲食店の就業者数が最多数を占め, 次いで漁業就業者数, サービス業 の就業者数の順となり, これ以降, これらの三つの産業の就業者が本町の就業者数の中心を構 成するようになった。 ③ 後述するように呼子町のイカの活き造り料理が評判となり, イカの ― ―.
(23) . . . . 活き造りを看板とする料理店が町内に次々とオープンし, 既存の旅館においてもイカの活き造 りを饗するようになり, イカの需要が増大し, イカ釣り専用の漁船が増加したため, 年に は漁業就業者数が回復し, 年にかけて総就業者数の %余りを占め, トップの座に帰り着 いた。 しかしその後, 漁業就業者数は再び減少に転じたことから, 年以降その比率は % を下回り, 年には %にまで低落した。 それに対して, 観光客の増加もあって, 卸売・ 小売業・飲食店の就業者数は増加傾向を保持し, 年からは %台を超えた。 また, 年か ら増加に向かい, 年後の 年には本町において最多の就業者数を抱えるに至ったサービス 業も %台の比率に上昇し, 年には卸売・小売業・飲食店とサービス業の両産業の就業 者数が拮抗し, 合計すると総就業者数のほぼ半数を占めるまでに至った。 第 に, 産業 部門別では, 前記のような推移を反映して 年から 年までは第 次産 業の就業者数が本町の総就業者数の半数以上ないし半数近い人数を占め, 就業者数からみて本 町は第 次産業に傾斜した産業構成を有していた。 しかし, 年以降は, 第 次産業の就業 表 呼子町の産業別就業者数の推移 (年∼年) .
(24).
(25) .
(26) . .
(27)
(28). . . . . . . . . . .
(29) .
(30). . . . . . .
(31) . . .
(32) . . . . . . . . .
(33)
(34). . . . . . . . . . . . . . . .
(35) . .
(36) .
(37). . .
(38).
(39). .
(40). . .
(41) .
(42) . . . . .
(43) . .
(44) .
(45) .
(46)
(47) . . .
(48).
(49). . .
(50)
(51) . . .
(52). .
(53) . . . . .
(54)
(55).
(56) . .
(57) . . .
(58) . . .
(59) . . . . !" #$%&
(60). '. . ' . . . . . ' . . '.
(61). '. '. . . . . . . . . . .
(62) .
(63)
(64).
(65). . . . . . .
(66) . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
(67) . . . . . . . . .
(68)
(69). . .
(70). . . .
(71) .
(72) . .
(73)
(74). . . . . .
(75) .
(76) .
(77) .
(78)
(79).
(80) . . .
(81) . .
(82)
(83).
(84) .
(85) . . . . .
(86). . .
(87)
(88) . '. '. . . '.
(89). '. . '. '. . . . !" #$%&. ( )#$*+, -./01 234567859:;<=> ?@ A5BCDEFG5HIJKLM>. ― ―.
(90) 呼子町の漁業と観光. 者数が第 次産業の就業者数を上回り, 第 次産業の就業者数の比率上昇, 第 次産業の就業 者数の比率低下, 第 次産業の就業者数の比率は %台を維持する, という傾向で推移し, 年には第 次産業の就業者数が本町の総就業者数の 割近くに達し, 第 次産業に傾斜 した産業構成に変容している。. () 産業別純生産・総生産の推移 続いて, 呼子町の産業構成の変容について産業別純生産・総生産の推移を通して見ていくが, その前に幾つかの点に関して断っておく必要がある。 その一つは, 佐賀県の 算報告書. ( 年度までは. 市町村民経済計. 市町村民所得推計結果報告書 ) が 年度までは町内純生産. を推計しているのに対し, 年度以降は町内総生産を算出していることである。 従って, ここでは 年度までは町内純生産を, また遡及数値を利用して 年度以降については町 内総生産を用いる。 二つに, 年度より前の市町村民所得推計結果を入手できなかったた め, 年度から国勢調査の結果に倣って 年毎の推移を追うことにする。 三つに, 市町村民 経済計算は年度毎の計算であり, 本町が 年 月に合併した関係から, 年度の本町の 町内総生産は算出されていない。 従って, 町内総生産については 年度と 年度の数値 を取り扱う。 これらのことを前提に, 呼子町の産業別町内純生産・町内総生産の推移を表示すると, 表 のようになる。 年度から 年度までのその推移について, 要点をまとめると次のよう に摘記される。 第 に, 呼子町の就業者数が減少傾向をたどっているのに対し, 町内純生産は 年度か ら 年度にかけて着実に増加し, 億 百万円に達した。 その後, 電源立地促進対策交 付金をもとにした各種の整備事業が終了し, 公共事業が縮小したのに伴い, 建設業の純生産が 落ち込んだことを主因として, 年度には 億 百万円へ幾分減少した。 また,
(91) バ ブルの崩壊によって 年から日本経済が不況に陥ったことを背景に, 呼子町においてもそ れまで順調に成長を遂げてきたサービス業にも陰りがみえ, 卸売・小売業の売上が減少し, さ らに漁獲量の減少等の要因も加わって, 年度と 年度の間の町内総生産も 億 . 百万円から 億 百万円へ減額している。 なお, 年度の佐賀県全体に占める呼子町の 町内総生産の比率は %に過ぎない。 第 に, 産業大分類別にみると, ① 年度の町内純生産ではサービス業, 卸売・小売業, 水産業が上位 位を占めていたが, 年度からは水産業と建設業が入れ替わり, サービス業, 卸売・小売業, 建設業の 業種が上位 位内に位置するようになった。 これは, 年度お ― ―.
(92) . . . . 表 呼子町の産業別町内純生産・町内総生産の推移 (年度∼年度)
(93)
(94) . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . !" #$%&. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . '( )*+,-. . . . . . . . . . . . . . . . . . !" #$%& '( )*+,-. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . /012!34567 8,9:;<9=>?@AB 3C@ 9'( 7 DEFG3HAIJKL )*+,-MNOKB PQ RSTUVQWX>YHZ[Q\ STUV]^>_Z[`\abcd>efghijkB. よび 年度の町内総生産においても変わりはない。 ② 町内純生産において最大のウエイト を有するサービス業の純生産は 年度から 年度にかけて順調に伸長し, この 年間 に 倍に増大し, 町内純生産に占めるその比率は 年度には %と 割近くに達した。 もっとも, 年度に比べて 年度のサービス業の総生産は減少し, その比率も低下して いるが, 町内総生産の 分の のウエイトを有している。 従って, 年度以降をみる限り, サービス業が本町の経済成長をリードしてきたのであり, その盛衰が本町の経済を左右するよ うな構造が出来上がっている。 ③ 本町の建設業は公共事業に大きく依存しており, 公共工事 の実施状況に応じ, その純生産・総生産も上下に振動し, 卸売・小売業との順位にも入れ替わ りがみられる。 ④ 水産業の純生産は 年度から 年度毎の推移をみると一貫して減額してお り, 年度までの 年間に 分の 以下に縮小し, その比率も同期間に %から % へ衰微している。 年度と 年度の総生産でみても, その趨勢に変化はない。 ― ―.
(95) 呼子町の漁業と観光. 第 に, 産業 部門別では, 第 次産業の純生産・総生産の比率が圧倒的に高く, 年 度までは町内純生産の %台, 年度・年度には %を超え, 年度・年度に おいても町内総生産の %台に達し, 町内の総就業者数に占めるその比率を大幅に上回って いる。 従って, 本町の産業構成は, 町内純生産・町内総生産からみると, 就業者数でみる以上 に第 次産業に傾斜した構造を有している。 第 次産業の純生産は, 年度から 年度まで の間に 倍に増額し, その比率は . %から . %に上昇したものの, 年度には建設 業の純生産が落ち込んだ影響が大きく, 第 次産業の純生産は減額し, その比率も %に 低下している。 その後, 公共工事が重なり, 建設業の総生産が増大したため, 年度のそ の比率は 年度の %を上回り %に上昇した。 第 次産業の純生産は, 水産業の衰 退に歯止めが掛からず, 年度の 億 百万円から 年度には 億 百万円へ % も減額し, その比率も %から %にまで低下した。 年度と 年度の総生産をみ ても, 趨勢は変わらず, その比率は %から %へ低下している。 呼子町の産業構成の変容について, 産業別就業者数の推移と産業別町内純生産・町内総生産 の推移の両面からその要点を論じてきた。 ここで, 改めて水産物の地産地消に係わる漁業・水 産業に刮目すると, 漁業就業者数は 年から 年の間に 分の 以下に減少し, その比 率も同期間に . %から %へ低落している。 水産業の町内純生産にしても 年度から 年度の間に 分の 以下に減額し, その比率も同期間に . %から僅か %にまで衰 微している。 年度と 年度の町内総生産においても同じような推移がみられる。 この ようなことから, 呼子町の漁業・水産業が, 景況の脈動を伴いながらも趨勢としては衰退傾向 をたどっており, 呼子町における産業としてのその地位も低下していると言うことができる。 次に, 呼子町の漁業についてより詳しく考察することにしたい。. 呼子町の漁業の変遷 () 漁業経営体数の変化 漁業に関する基本調査である 「漁業センサス」 は 年から 年毎に実施されているが, ここでは 年の第 次から, 呼子町として数値を読み取ることが可能な最後の年である 年の第 次漁業センサスまでの数値をもとに, 本町の漁業経営体数を追うことにする (表 )。 呼子町史. ふるさと呼子. によると, 「終戦後は戦争のため漁場を休めていたこともあり魚. も多く, 若者の復員と共にいち早くイワシ巾着網が組織され小川島三統, 呼子三統, 加部島, 小友にそれぞれ一統が操業, 煮干しイワシの製造など活況を呈した。 一方漁船も十五
(96) ∼十九 ― ―.
(97) . . . . の船が建造され, 十一月から六月まではタイ・ブリの延縄漁, 六月から十一月まではイワシ 巾着網の曵船として操業し, 空前の漁業ブームとなる。 冬期のブリ延縄船は最盛期には三〇隻 を数え, 壱岐と対馬の中間にある通称七里ヶ曽根・対馬北端の泉沖の漁場, 対馬南端の豆酸沖, 三月から五月にかけては沖の島, 五島古志岐島沖, 高麗曽根などで操業したが, 昭和四〇年に なるとブリ回遊が減りスケソウ延縄へと転向, 男女群島沖から東シナ海へと漁場をうつし, 隻 数も次第に減少していった。」 ) という。 ここで論述されているように, 呼子町の漁業経営体 数は 年 (昭和 年) の から 年後の 年 (昭和 年) には へ減少した。 その後, 年からタイを中心に漁業生産額が上昇し (表 ), また同年には福岡の割烹料 理店 「河太郎」 が町内に大型水槽をもつ活魚料理店を出店し, イカの活造りを提供したところ, 人気急上昇でイカの活造りを看板にする料理店が続出し, そのためイカの需要が増え, 価格が. 表 呼子町の水産業の経営組織別・経営階層別経営体数の推移 (年∼年) . . .
(98). . . .
(99). . .
(100).
(101) . . .
(102)
(103) . .
(104)
(105) . . . .
(106) !" '( ) )
(107)
(108) *+ , , , , , . . , , , , ,. . . . .
(109) .
(110) . . . . . .
(111) . . , , , . - . / 0123456789 :; <=>?@ABC D )C D
(112)
(113) E
(114) FGHIJ<=KLMNOPQR9. 表 呼子町の漁種別生産額 ( 年度∼ 年度) ST.
(115) U. U. U. U . .
(116) . . . . .
(117)
(118)
(119) . .
(120).
(121) . . . VWX Y P Z V 7 [ \ ] ^1_.
(122) . .
(123) .
(124) . .
(125) .
(126). .
(127) . .
(128) .
(129)
(130)
(131)
(132) . `. .
(133). . L. U. U. :; abcdAefgNAeEabcdJabchij j. klm1no
(134) pqrsOP QR9. ― ―. #$ %& , , . .
(135) 呼子町の漁業と観光. 安定したこともあり, イカ釣り専用の漁船が急増した )。 このようなことから, 呼子町の漁 業経営体数は 年に へ, 年にはさらに 「オイルショックを契機に建設業等の不況が続 き, 関西方面の出稼ぎから ターンして漁業経営を再開し」 ) たものも加わり, へ増加し た。 しかし, 壱岐水道, 五島, 対馬海域を漁場としていた本町の漁業は, 「一本釣漁業が主体で あるが, 沿岸漁業の過密化や網漁業による乱獲が資源の枯渇」 ) を招き, 後述するように漁獲 量は 年の を頂点に以後激減し, 年には 年の半分以下に落ち込み, 漁業経営 体数も に減少した。 その年以降も, 漁獲量は多少の増減を繰り返しながらも逓減し, かつ イカの漁場が遠くなったことによる漁船の高速化やイカ釣りの効率化のために多大な設備投資 や経費増が負担となり, 水揚高で費用を賄うことができないケースも生じ, センサス毎に漁業 経営体数は減少し, 年には を数えるまでに至っている。. () 経営組織別経営体数の動向 呼子町の漁業経営体を経営組織別にみると, 前掲表 のように, そのほとんどが個人経営体 である。 団体経営体は 年に 経営体, 年に 経営体を数えたほかは, 各年とも 経 営体以下で, 年のように団体経営体がない年もある。 また, 団体経営体の数は, 年の . 経営体以降, 減少傾向を示し, 年には僅か 経営体となっている。 団体経営体の内訳については, 年 (第 次) までの漁業センサスにおいては掲載されて いないので, 年からみると, 同年の 経営体の総てが共同経営であり, 最多の 経営体を 数えた 年には会社経営が , 漁業協同組 合が , 共同経営が , 年に次ぐ 経営. 表 呼子町の団体漁業経営体の内訳 (年∼年)
(136) . 体を数えた 年には会社経営が , 共同経 . 営が というように各年とも共同経営が多かっ た。 しかし, 漁獲量の減少とともに共同経営 が難しくなり, 年には会社経営が , 共同 経営が , 年には会社経営が , 共同経営 が と両年ともに共同経営が 経営体に減少 し, 会社経営が相対的に多くなった。 その後 は団体経営そのものが厳しさを増し, 年には会社経営, 共同経営の双方ともに 経 営体のみという状況に陥っている (表 )。 ― ―. . . . . .
(137) . . . . ! " #$
(138) %&'() *+,-./012+! " 345678 9:;<=>?@A! " B! " $
(139) %&'();<C DE FG.
(140) . . . . () 経営体階層別経営体数の推移 続いて経営体階層別経営体数の推移に目を向けよう。 漁業センサスにより, まず過去 年間 に主として営んだ漁業種類 (販売金額 位の漁業種類) により決定した経営体階層別の経営体 数, すなわち大型定置網, 小型定置網, 地びき網および海面養殖の経営体数を, 年から 年毎にたどると, 大型定置網や地びき網の漁業経営体はいずれの年も皆無である。 これらの階 層のうち, 小型定置網漁と海面養殖業が営まれているが, 小型定置網の経営体数は 年に , 年・年に , 年・年・年に を数えるに過ぎない。 一方, 海面養殖の経営体数 は, 年の から 年に , 年・年 , 年・年 と, 漁獲量の減少・不安定性に 対応する形で徐々に増えていたが, 養殖漁場の再編により 年には 経営体に減少してい る (前掲表 )。 次に, 過去 年間に使用した漁船の種類および使用動力船の合計 (トン) 数により, 漁船 非使用, 無動力船, 動力 未満から動力 以上の階層までの 経営体階層に分類すると, 漁船非使用の経営体数は 年には を数えたが, 年には , 年には となり, その 後 年から 年にかけては全くない状態が続き, 年になって再び 経営体が出現して いる。 無動力船の経営体数は 年の から 年 , 年 , 年 と減少を続けた後, 消 失している。 呼子町の漁業経営体の圧倒的多数が動力船の経営体で, 呼子町の総経営体数に占めるその比 率は, 年の
(141) %以降, 各年ともに %以上を占めている。 動力船の経営体数は, 年の から, 年 , 年 , 年. と, 年まで増 加したが, その内訳を階層別にみると, 年と 年の間は 未満および ∼ 未満の経営 体の増加によるものであり, 年と 年の間は ∼ 未満および ∼ 未満の経営体の増 加に基づくもので, 年と 年の間には増加していた 未満の経営体はこの期間には減少 に転じた。 年と 年の間は 以上の各階層とも増加し, 未満の経営体は引き続き減少 した (前掲表 )。 年を境に以後 未満の経営体数は減少に向かい, 逆に ∼ 未満の経営体数は 年 までの 年間に
(142) 倍に, 以上の経営体数は同期間に
(143) 倍に増加しているが, 「これは, 沿岸漁場の資源の減少から, いか釣り, はえなわなど沖合に活路を求めた結果, 漁船の大型化 が進んだためである」 )。 このようなことから, 年には 経営体を数え, 以後減少しつつも 年まで 経営 体以上を擁し, 本町の漁業経営体のなかで最多数を占めていた 未満の経営体も 年には となり, 増加を続けてきた ∼ 未満の経営体数 (経営体) を下回るようになり, ― . ―.
(144) 呼子町の漁業と観光. 年からはこの ∼未満の経営体が本町の漁業経営体の中心を形成するようになった。 年以降, 動力船の経営体数は減少の一途をたどり, 年には と, 年から 年までの間に実数で 経営体, 率にして 割余り ( %) も減少している。 階層別にみる と, 年までは 未満の経営体のみが減少し, 以上の各階層の経営体数は増加していた が, 年から 年までの間は ∼未満・∼ 未満の経営体数は増加する一方, 未満 のみならず, 以上の経営体数も減少に転じ, その後は各階層の経営体数とも揃って減少し ている。 かつては呼子町の漁業経営体のなかには, を超える大型漁船を有するものもあった。 こ れらの大型漁船はふぐやスケソウの延縄漁のため黄海, 東シナ海に出漁していた。 そのなかで, 年 月に黄海水域へふぐ延縄漁に出漁した信隆丸が寄港中に北朝鮮の船に拿捕される事 件が発生した )。 船体, 漁船員は 月に釈放されたが, その 年後の 年 月には黄海に ふぐ延縄漁に出漁していた松生丸が北朝鮮の船に銃撃され, 乗組員二人が死亡, 二人が負傷す る惨事が起こった )。 この事件を契機に, 黄海, 東シナ海海域での操業の自主規制が強化さ れ, ふぐ漁も衰退し, 東シナ海のスケソウ漁へ転向するものの, 日本, 韓国, 中国, 台湾の漁 船と競合し, 大型船は次第に減少していき, 最後に残っていた大型船も 年に遂に操業を 中止し, 呼子港から大型船の姿は見られなくなった
(145) )。 年における呼子町の経営体階層別経営体数をみると, 漁船非使用, 動力船 未満, 小型定置網, 海面養殖で 経営体を数え, 総漁業経営体数
(146) の %に及んでおり, 残 りは動力船 ∼ 未満の 経営体に過ぎないことから, 本町の漁業経営体が漁業センサス のいう 「沿岸漁業層」 (漁船非使用, 無動力船, 動力船 未満, 定置網, 地びき網及び海面 養殖の各階層を総称したもの) によって占められていると言ってよい。. () 営んだ漁業種類別経営体数および主とする漁業種類別経営体数の変化 呼子町の漁業経営体について, 最後に, 営んだ漁業種類別経営体数と主とする漁業種類別経 営体数の変化を取り上げ, 呼子町の漁業経営体がどのような漁業に携わってきたかを捉えてお こう。 ただし, 「漁業センサス」 では, 営んだ漁業種類別経営体数に関しては 年 (第 次) の調査から, 主とする漁業種類別経営体数に関しては 年 (第 次) の調査から, 項目が設定 され, 掲載されるようになったものであり, この関係から, 前者に関しては 年から 年 までの変化を, 後者に関しては 年から 年までの変化を取り扱う。 漁業センサスによると, 「営んだ漁業種類」 とは, 「漁業経営体が過去 年間に営んだすべて の漁業種類」 ) を指すものであり, 一つの経営体が単一の漁業種類を営んだケースもあれば, ― ―.
(147) . . . . 表 営んだ漁業種類別経営体数の推移 (年∼年) .
(148) . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 0 0 0 0 . 0 0 0 0 . 0 0 0 . 0 0 0 . 0 0 0 . 0 . . 0. !. ! "#! $%&%!. '( '). 12,-. *+,./,345,$%&%67,$%&%(7,$%&%,-. 8 9 : ;%<=>?@ABC. DE%FGHI%J/K%LF0GM7NOPJ/K%QRSC TF$%&%
(149) GUV/WDXYW/J/C Z[ \]^_`abc d ec d f
(150) ghijk\]lmnop+qrC. 複数の漁業種類を営んだケースもある。 このことを認識したうえで, 呼子町の営んだ漁業種類 別経営体数の変化を追うと, 表 のように, 漁業経営体数が増加していた 年から 年に かけての時期には, 既存の漁業種類の経営体数は概ね増加した。 この時期, 営んだ漁業種類別経営体数のなかで経営体数がもっとも多かった漁業種類は, た い釣やぶり釣などの 「その他の釣」 で, 年には 経営体 (総経営体数の %), 年に は 経営体 (同 %) と, 本町の漁業経営体の 割余りが 「その他の釣」 を営んでいた。 それに次ぐのがイカ釣で, 年の 経営体 (同 %) から 年には 経営体 (同 %) へ急増した。 既述のように 年の 「河太郎」 の出店とイカの活造り人気の急上昇に伴い, イカの活造りを看板にした料理店が続出し, イカの需要が増大したのを受け, イカ釣の経営体 数はこの 年間に も増え, 営んだ漁業種類別経営体の増加数としてはこのイカ釣がもっと も多かった。 これらの釣以外にも, はえ縄漁や小型底びき網漁, 刺網漁の経営体も 年には 以上を数え, いずれも 年に比べ増加した。 ― ―.
(151) 呼子町の漁業と観光. 年を境に以後, 小型底びき網, はえ縄, 刺網などの経営体数の減少によって, 呼子町 の漁業経営体数は減少傾向をたどるが, そのような中で, イカ釣の経営体数は増加を続け, 年には 経営体 (総経営体数の %) と 「その他の釣」 経営体を上回るようになり, 年には 経営体 (同 %). 「その他の釣」 の 経営体の . 倍. に達し, イカ釣. が文字通り呼子を代表する漁となった。 この 年代には, 釣の漁獲量の減少から, あわび, さざえなどの採貝や, 採藻に参入したり, ぶり・たいの海面養殖を始めるものも現れ, これら の経営体数も増加した。 その後は, 先に () 漁業経営体数の変化のところで述べた理由により, イカ釣の経営体数は 減少に向かい, 年 , 年 , 年 と 年から 年の間に 分の 余りの 経営体がイカ釣から離れていった。 また, 「その他の釣」, 採貝, 採藻, 海面養殖の経営体数も 減少に転じ, はえ縄, 刺網などの経営体数は引き続き減少するに至っている。 次に, 漁業経営体が過去 年間に営んだ漁業種類のうち主とする漁業種類 (漁業種類を 種 類以上営んだ場合には, 販売金額 位の漁業種類) 別の経営体数について, 年から 年までの 年間の変化に目を向けよう。 主とする漁業種類別経営体数のなかで抜. 表 主とする漁業種類別経営体数の推移 ( 年∼年) . きん出て多いのがやはりイカ釣の経営体 で, 年には 経営体を数えた。 し かし, 本町の漁業経営体数が減少するな かで, そのイカ釣を主とする経営体数も 年には , 年には と減少 を続けている。 イカ釣に次いで多い 「そ の他の釣」 を主とする経営体数も 年. , 年 , 年 と漸減してい る。 その他二桁台の経営体数を有する採.
(152) . )*'(. 業種類を主とする経営体はいずれも一桁 台の経営体数でしかないが, それらの経 営体数も小型定置網の 経営体, 小型底 びき網・ひらめ養殖の各 経営体を除く と, こぞって少なくなっている (表 )。. . ! "
(153). 貝・はえ縄を主とする経営体数にしても 同じ状況にある。 これら 種類以外の漁. . $%&'( +,-'( ./'( '(. . . . . . . . . . . . . . . # . . # #. # . # . 01 2 3456789:; <='(>=?&' (> @='(> ABCD.E89%F =' (=?&'(> @= !&'(> ABCD.E89:; GHIJKLMNOP QRP Q S
(154) TUVWXIJY Z[\%]^;. ― ―.
(155) . . . . 前述してきたように, 本町の漁業は, 年までは, もっとも多くの経営体が営む 「その 他の釣」 と, 経営体が急増するイカ釣を中心に経営体数を増やしてきた。 その後, イカ釣の経 営体数は続伸し, 年には 「その他の釣」 の経営体数を追い抜き, 文字通り呼子を代表する 漁となったものの, 小型底びき網, はえ縄, 刺網などの経営体数の減少によって総漁業経営体 数は減少傾向をたどるようになった。 年からはイカ釣の経営体数も減少に転じ, 同時に大 半の漁業種類の経営体数が減少に向かい, 全般的な衰退現象を呈する事態に立ち至っているの である。 その最大の要因は次に述べる漁獲量の減少である。. () 漁獲量の盛衰 漁業経営体の態様の変化を通して呼子町の漁業の変遷について通観してきた。 最後に, 本町 の漁業の実態を把握するうえで不可欠な漁獲量の推移を示すことにしたい。 佐賀県の海面漁業 漁種別漁獲量に関しては, 九州農政局佐賀農政事務所 (旧佐賀統計情報事務所) が集計し, 統 計数値として公表してきているが, 市町村別の海面漁業魚種別漁獲量については 年から の統計数値しかなく, また統計上の手続きから呼子町の数値は合併前の 年までで終わっ ているため, ここでは, 主として 年から 年までの海面漁業魚種別漁獲量の推移をた どることにする。 ただし, 年 月に呼子町役場が編集・発行した. 呼子町勢要覧. に,. 年から 年までの呼子町の 「漁業別漁獲量 (属人)」 が記載されているので, 溯って 年代半ばから 年までの漁況について触れることから始めたい。 ① 年代半ばから 年までの漁況 呼子町の漁船が操業する漁場は, 壱岐水道を中心に五島・対馬海域に及ぶ外洋性漁場, 東松 浦半島や神集島・小川島・加唐島等の玄海諸島周辺の沿岸漁場, 唐津湾・伊万里湾等の内湾漁 場から成り, 漁獲対象魚種が多種にわたっている。 年代半ばから 年までの本町の漁業の主体となっていたのは, たい・ぶりの一本釣や イカ釣の釣漁で, このほかに外洋性漁場においては, はえ縄漁, 機船底曳網漁が行われていた。 一方, 沿岸や内湾では釣漁のほか, 小型底引網漁, まき網漁, 刺網漁, 敷網漁, 小型定置網漁 が営まれ, また採貝や採藻, たこ・うに漁も行われていた。 このような多様な漁法によって, たい, ぶり, いさき, あじ, いわし等の魚類をはじめ, イ カ, たこ, うにといった水産動物類や, あわび, さざえに代表される貝類, わかめ, てんぐさ, ひじき, あらめ, ほんだわら等の海藻類が水揚げされていた。 年 月に佐賀県が発行した. 佐賀県総合開発計画書. は, 「由来, 玄海沿岸は近傍に. 好漁場を有していたため, 小型漁船の発達が著しく資源的にゆきづまった今日において, ふく ― ―.
(156) 呼子町の漁業と観光. 表 呼子町の漁業別漁獲量<属人> (年∼年) . . . . . . . . . . . . . .
(157). . . . . . . . . . . . . . . . !"#$%&'()*+!"#,-./!"#$%0 10 23456 789:;<=>78?5. そう化が顕著となり, 生産の低下となってあらわれた。 とくに生産において最も比重の大きかっ たまいわしの資源枯渇が漁村疲弊の大きな原因となった。」 ) と述べている。 同じ玄海漁業に 属する呼子町の漁業においても, 漁船が出漁する好漁場は狭く, 過密操業状態に陥っていた。 年の呼子町の漁獲量は一本釣漁の不振などから と 年代後半ではもっとも不漁で あった。 しかし, その後, たい・ぶり類の沿岸性高級魚をはじめ, さば・あじ・いわし・イカ 類等の多獲性回遊魚や, その他の魚類も漁獲量が回復して増加へ転じ, さらには貝類, 海藻類 においても水揚げ量が増え, 本町の漁獲量は 年には へ, 続く 年・年には一本 釣漁だけで . ∼. 台の漁獲量を揚げ, 総漁獲量は . 余りにも達した。 翌 年には たいの一本釣やいわし漁の不振によって一旦 に落ち込むものの, 年には . 台に 回復した (表 )。 この頃の呼子町の漁獲量は, 漁業資源や漁場における輻湊化の問題があったものの, 後の時 期と比べると遥かに多かった。 ② 年代の漁況 呼子町の漁業は 年に . を超える漁獲量を揚げたのも束の間, 翌 年から 年に かけて, 貝類を除き, 主力のぶり・たい・イカ類をはじめ, いわし・あじ・さばなどの魚類, たこ・うにといった水産動物類, わかめ・ひじきなどの海藻類に至るまで漁獲量が激減した。 年に豊漁であったアミは翌年には全く獲れなくなり, 回遊魚のさばは 年には姿を消し, 年に を水揚げしたイカの漁獲量は 年には と 年の 割にも届かなかった。 このため, 本町の漁獲量は 年には前年より . 以上も減少して へ, 年には . 年に比べ 減 (
(158) %減) の へ落ち込んだ。 ― ―.
(159) . . . . 一旦姿を消したいわしは 年に再び姿を現し, 年頃からいわしの回遊が増えていった。 このため, いわし棒受網漁によっていわしの漁獲量は 年代後半から急増し, 年には . とたい類の漁獲量を超え, 翌 年にはイカ類の漁獲量を上回る へ増大し, 呼子町の漁 種別漁獲量のなかで一躍トップの座に駆け上がった。 その後も, いわしの漁獲量は著増し, 年には . , 年には と前年を一挙に も上回り, 本町の総漁獲量の半分以上を 占めるに至った (表 , 後出図 )。 年にかけて落ち込んだイカの漁獲量も, 呼子町でのイカの活造り人気の急上昇に伴い, イカの需要が増大したのを受け, イカ釣専用の漁船が急増し, またオイルショック後
(160) ター ンしてイカ釣漁に加わるものもあって, 年から上向き, 年には 年とほぼ同量の . 表 呼子町の漁獲量の. .
(161) . . . . . . . .
(162) . ! "#
(163) $%. &' .
(164) . . . . . . . .
(165) . ! "#
(166) $%. &'. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . ()*+,- ./ 01234--567 8 (9:*;<=>?@A=>BC:D"EFGHIJKLMN8. ― ―. . . . . .
(167) 呼子町の漁業と観光. に回復し, 以後は 年代末まで 台で安定的に推移した。 これに対して, イカとともに, 呼子町の漁業を支えてきたたい類は, 年には の漁 獲量があったが, 乱獲による資源の減少によって, 年に を記録して以降, を超 えることなく, 徐々に減少を続けていった。 さらに, 「まあじ, ふぐ, いさき, うに類, なま こ類, あわび, さざえ等の高級魚介類の漁獲量が停滞または減少」 ) した。 ともあれ, 年を底に, 以後, いわしの漁獲量の回復・急増によって, 呼子町の漁業は 息を吹き返し, 総漁獲量は増加に転じ, 年には へ, 年には と 年振りに を超えた。. 推移<属人> (年∼年)
(168) .
(169)
(170) . .
(171)
(172) .
(173)
(174).
(175) .
(176).
(177) .
(178) .
(179) . . .
(180) .
(181) .
(182)
(183) . .
(184)
(185) . .
(186)
(187). . .
(188) . .
(189)
(190)
(191)
(192). .
(193).
(194) .
(195)
(196)
(197)
(198) . . .
(199)
(200). .
(201) . . .
(202)
(203)
(204) . . . .
(205) . . . .
(206).
(207)
(208) . .
(209)
(210)
(211)
(212). . . ― ―. . . . . . . .
(213) . .
(214) . . .
(215) . .
(216) .
(217)
(218). .
(219) .
(220) . . .
(221) .
(222)
(223) .
(224) . .
(225). .
(226) .
(227) . . . . ③ 年代の漁況 年代に入っても, いわしの漁獲量は 年 , 翌 年には と遂に を 超え, 呼子町はいわしの豊漁に沸いた。 続く 年もいわしの漁獲量は を記録し, 年 から 年までいわしは抜きん出た漁獲量を誇示した。 それも, 年になると, いわしの回遊 が激減し, その漁獲量は前年の 分の にも届かない に落ち込み, この 年から, い わしの漁獲量は を割り込み, 減少傾向をたどっていった。 このような状況のなかで, 呼子町の漁業の主役の座に就いたのが 「今やイカなしで町の歴史 は語れない, 名実共にイカづくしの町となった」 ) と称されるイカである。 イカの漁獲量は, イカ専用船の増加とともに, 漁船の大型化による沖合漁場への進出によって, 年には 台を超え, 年・年と 台にのぼり, 年にはいわしに代わって呼子町の漁種別漁獲 量の第 位に位置することとなった。 翌 年から 年にかけてイカの漁獲量は一旦減少する ものの, 以後, 再び増勢に転じ, 年には と 年前に比べ丁度 増,
(228) 倍に増加 した (図 )。 一方, たい類の漁獲量は, 年代には 年代よりも低迷した。 それでも 年までは 前後で上下していたが, 年に とかつてない水準に陥って以降, 台から 台 で推移し, 年には と 年前の半分の漁獲量に留まった。 また, かつては冬場の稼ぎ 頭であったぶり類にあってはたい類を上回る惨状を呈した。 ブリの漁獲量は, 年代の 年 図 呼子町の総漁獲量とイカ・たい・ぶり・いわし類の漁獲量の推移 (年∼年) J # "# " !# ! # # # '% % %. %! %" %# %$ %% %& %' & & &. &! &" &# &$ &% && &' ' ' '.
(229)
(230) . ― ―. '! '" '# '$ '% '& '' . !.
(231) 呼子町の漁業と観光. のうち 年は を上回っていたが, 年代になると を超えたのは 年の のみ で, 年から 年にかけての間は 台ないし 未満という不漁状態に陥り, やや持ち直 した 年でも の漁獲量でしかなかった。 そのほかの貝類・海藻類・たこ類・うに類の漁獲量にしても, とりわけ 年代半ば以降 顕著な減少がみられた。 このような状況から, 呼子町の総漁獲量は, いわしの豊漁によって 年には前回の最豊漁 年であった 年の を上回る を記録したものの, 年には に急減し, 年からは を下回って推移する事態となり, 年には と 年のいわしの漁獲量に さえ届かない状況を示すに至った。 ④ 年代以降の漁況 年代にイカは呼子町の漁業の主役の座に上り詰めるが, それでも呼子町の総漁獲量に 占める比率はいまだ %台から %台であった。 それも 年代以降には %台から %台 へ上昇し, 「イカ釣が本町の主漁業となっており, …… 本町の漁業がイカ釣の好不調に左右さ れるといっても過言でない状況」 ) となった (図 )。 つまり, イカの漁獲量と本町の総漁獲量 がパラレルに変動する関係が生じるようになったのである (前掲図 参照)。 このイカの漁獲量は, 年代後半からの増勢を 年まで続け, 同年には という 年来最高の漁獲量を達成した。 その 年を最後に, 以後, イカの漁獲量は を下回 るようになり, 漁獲量が多い年でも 台前半という状況で, 上下変動を伴いながらも漸減 していった。 それでも 年代末までは 台を下回ることがなかったが, 年代に移り 図 呼子町の総漁獲量に占めるイカの漁獲量の比率 & % $ # " ! '%. %#. &. &#. '.
(232) . ― ―. '#. . !.
(233) . . . . 年から 年にかけての期間は 台から 台へとさらに落ち込んでいる。 たい類の漁獲量は, 年代の趨勢を引き継ぎ, 年代以降さらなる停滞・減少傾向を続 けた。 年代前半は 年代末の漁獲量を若干下回る程度で推移したが, 年代後半になると を切り, 年から 年代末にかけては 台に下降し, 年代に入ると 年. , 年 , 年 と年々減少し, 年には と 年の漁獲量の実に 分の にまで凋落した。 ぶりの不漁は 年代以降も持続し, 漁獲量が を超えたのは 年と 年の両年だけ で, ほかの年は 台から 台の漁獲量で終始した。 同じ回遊魚のいわしは, 年代以降, 回遊が一段と減少し, 回遊してきても水揚げは少なく, その漁獲量は 年の が最高で, 年から 年にかけては ないし でしかなく, その後は 年に の漁獲量があっ ただけで, いわしの姿は見られなかった。 そのほかのうに類, 貝類, 海藻類の漁獲量も, 同じ ように全般的に漸減していった。 この結果, 呼子町の総漁獲量は, 年代に入り 年・年と増加し, 年にはイカの 漁獲量の記録的な豊漁によって と 年振りに 台に回復したものの, 翌 年から はイカをはじめ全般的な漁獲量の減少によって を下回る状況に陥り, さらに 年以降 は を切り, 年から 年の間は 台から 台という呼子町の水産業にとっ てかつて経験したことのない不漁の時代に突入した。 このような漁獲量の減少・低迷によって, 年まで増加を続けたイカ釣を営む経営体も 年からは減少に転じ (前掲表 参照), 年代から持続している本町の漁業経営体数の減少 に拍車が掛かり, 関連して漁業就業者数の大幅な減少が生じたのである。 こうした呼子町の漁 業の全般的な衰退現象は 年以降も持続しており, 年 月に唐津市が策定した 津市過疎地域自立促進計画. 平成 年度∼ 年度. 唐. は, 「呼子区域の水産業は, …… イカ. を主要な漁獲対象として地域の産業を支えてきたところです。 しかし, 漁業就業者数は平成 年 (年) から平成 年 (年) までの 年間に約 %減少し, 漁獲量も大きく落ち込 んでいます。」 ) と述べ, さらに呼子町の漁業経営体数が 年の から 年の へ と一段と減少していることを表示している (表 )。 前述してきたように, 呼子町の漁業は, 年以降, 全般的な衰退現象に陥っているが, 依然として呼子町の漁業の主役がイカであることに変わりはない。 このイカが 年代に呼 子町の漁業の主役に躍り出たのは, 既述のように, イカの活造りが観光客の人気を呼び, イカ の活造りを看板にする料理店が続出したのに伴い, イカの需要が拡大し, イカの魚価が上昇し 安定したからにほかならない。 このようにして, 観光は呼子町の漁業に大きな影響を与えたの ― ―.
(234) 呼子町の漁業と観光. 表 呼子町の漁業就業者数・漁業経営体数の推移 (年∼年)
(235) . . . . . . . . . . . !"#$ % &%'()*+,-%./012 3/45678*. である。 漁業ばかりでなく, 観光は, 筆者が呼子町における水産物の地産地消の事例として取 り上げる総ての分野に深く係わっているのである。 そこで, 次に呼子町の観光について述べて おこう。. 観光の町づくりと観光客の動向 呼子を観光地として発展させようという地元の取り組みはすでに町制施行前から開始されて いた。 町制施行の前年, 年 (昭和 年) に松浦潟呼子宣伝会が設立され, 呼子八景を選定 し, これを観光資源として, また当時来遊した横山美智子の 「光波に砕けてあり入江の青さ」 の句から生まれたと称される 「水光呼子」 をキャッチフレーズに, 呼子観光を宣伝し, 観光客 の呼び込みに努力してきた )。 第 次大戦後においても, 松浦潟呼子宣伝会は活動を継続し, 年に始めた同宣伝会に よる国立公園指定の運動が 年の玄海国定公園指定の布石になった。 宣伝会は 年に呼子観 光協会に改称され, 呼子観光協会がその後の呼子町の観光をリードしてきた。 もちろん, 呼子町役場も, 戦後早々から本町の将来を展望し, 観光の町づくりの方向性を打 ち出し, そのための基盤整備や関連施策に取り組んできた。 年発行の 町制二十五周年記念. 呼子町町勢要覽. は, 「本町は……天然自然の一大景勝地としての條件を具備して居り. 之を最大限に發揮し得られる様な観光都市としての準備が焦眉の急務であると確く信ずるもの である。 幸にも今次町制二十五周年記念事業として水族館建設工事が計画された事は此の上も ない慶事と存ずる次第で一日も早く開設のはこびに至り本町發展の一助とならん事を切望する 次第である。」 ) と述べ, 「観光都市」 としての町づくりの方向性とその具体化の緊要性を説い ている。 ここでは, 戦後の呼子町における観光の町づくりの歩みと観光客の動向をたどるが, それに先立って呼子町の自然的・歴史的な観光資源を紹介しておく必要があろう。. ― ―.
(236) . . . . () 呼子町の自然的・歴史的な観光資源 ① 自然的観光資源 呼子町観光を代表する一つが, 典型的なリアス式海岸, 群生熱帯魚類が生息し海藻群落が繁 茂する海中景観, 大小島々からなる風光明媚な自然景観である。 玄界灘に面したリアス式海岸には国の天然記念物に指定されている七ツ釜がある。 七ツ釜と は, 玄武岩の断崖絶壁に七つの空洞が並んでいるところから名付けられたものである。 空洞は, 玄武岩からなる海岸が玄界灘の荒波によって浸食されて自然に形成されたものであり, もっと も大きいもので洞の間口 , 高さ , 奥行き もある。 七ツ釜は, 「高さ約 の断 がい絶壁の玄武岩に不気味な口を開けた七ツの大岩洞は正に天下の奇勝である。」 ) と称され, 大空洞に入りこの奇勝を眺める観光船が呼子港から発着している。 呼子地区には, 人が住んでいる加部島・小川島のほかに, 臼島・鷹島・弁天島といった無人 の小島が点在している。 これらの島嶼周辺の海中には, ベラ・イスズミ・メジナ・アイゴ・ス ズメダイ・イシダイ・カマスなどが游泳し ), 海底にはわかめ類・ほんだわら類・ヤギ類・ ミル・あらめ・くろめ・ひじきなどの海藻の群落が繁茂し, うに・あわび・サザエなどの貝類 が生息して美観を形成している )。 このため, 臼島周辺.
(237) と鷹島周辺
(238) の海域が玄 海海中公園の指定を受けている (表 )。 鷹島周辺の海底遊覧を楽しむ海中展望船も呼子港を 起点に年中就航している。 また, 呼子港の玄関口に位置する弁天島は, 豊臣秀吉が朝鮮出兵時に二見が浦に見立てて船 遊びをしたと伝えられている。 加部島の北端に広がる牛の放牧場である杉の原からは, 眼前に 浮かぶ馬渡, 加唐, 松島, 小川の玄海諸島の間を大小の船舶が行き交うさまを一望に収めるこ とができる )。 中島史子氏は, この加部島の高台の景色について, 「名産の甘夏が濃い緑の葉 陰に実り, 赤味を帯びた土と野菜が丘を彩る。 明るい色彩が地中海沿岸の風景に重なる。 ここ は日本のエーゲ海。」 ) と表象している。 これらの自然的観光資源が呼子観光の魅力の一つになっていることは間違いない。. 表 呼子町の玄海海中公園指定区域 . . . -.. ! "!/0. "!#$. . ?.. ! 6!/0. 6!#$
(239) . @ABCDEF/ GHIJKL.
(240) .
(241) . % &'()*+, 1 2345 % 789:;<=9:(9:5*+> 1 2345. MN OPO@QRCSTUV; W;XYZ[. ― ―.
(242) 呼子町の漁業と観光. ② 歴史的観光資源 歴史的観光資源のうち, 歴史的文化財の一つとして加部島の田島神社がある。 社伝によると, 田島神社は 年 (天平 年) の創建とされ, 肥前国 (佐賀県・長崎県) 最古の宮である。 祭神 は田心姫尊・瑞津姫尊・市杵姫尊の三女神で, 「当社は聖武天皇の御代に吉備の大臣が遣唐使 に立ちて帰国の折, 田嶋宮の神慮により大海難を避けることができた」 ) との言い伝えがあり, 交通・商売の守護神として広く信仰を集めている。 境内には, 日本三大伝説の一つ松浦佐用姫 が夫との別れを悲しんで石になったと言われる望夫石が祀られている, 末社の佐用姫神社があ る )。 小川島は, かつて捕鯨が盛んに行われていたことで知られている。 その起源は定かではない が, 慶長年間に当時の唐津藩主が紀州の太地浦から多数の捕鯨師を招致して突取法による捕鯨 を行わせたのが始まりとも称されている。 小川島には捕鯨の本拠地が置かれ, 島内の諸処に見 張所 (山見場) を設け, 鯨の来遊を待ち受け, 鯨見ゆの 「のろし」 や旗の合図をみて, 各船が 本拠地から出航し, 鯨を捕獲したという。 小川島を本拠地とする捕鯨業は昭和の時代まで続い たが, 不漁続きとなり, 年 (昭和 年) に姿を消した。 この鯨見張所が玄海捕鯨の唯一 の遺構として小川島に残っており, 佐賀県有形民俗文化財に指定されている )。 これらのほかに, 町内には, 国の特別史跡に指定された文禄・慶長の役の際の黒田長政陣跡・ 伊達政宗陣跡・加藤嘉明陣跡・徳川家康別陣跡があり, あわせて瓢塚古墳, 大友遺跡など各種 の史跡・遺跡が点在しており, 歴史的な文化財は豊富である。 歴史的観光資源のうち, もう一方の伝統行事として, 呼子大綱引, 小友祇園祭, 田島神社夏 越祭が有名である。 呼子大綱引は, 豊臣秀吉が名護屋城在陣の際に将兵や町民の士気を鼓舞するために始められ た行事で, 年以上の歴史を持つ。 町を二分した老若男女が直径 . ・長さ の大綱 を, 曲がりくねった街角に縦棒を立てて引き合うもので, 浜組が勝てば大漁, 岡組が勝てば豊 作になると言われる呼子町最大の年中行事である。 旧暦の 月 日・日に開催されていたが, 観光客を増やすため, 年からは 月第 土曜・日曜日に開催されるようになり, 大勢の 観光客を集めている )。 小友祇園祭は, 小友地区の八坂神社の行事として行われている。 由来は確かではないが,
(243) 年 (万治元年) の流行病に際し, 悪疫退散を祈願して始まったとされている。 旧暦の 月 日・ 日の両日に, 高さ , 重さ トンの祇園山笠を小友地区の住民や出身者が担ぎ, 海を練り廻るという 「海をわたる山笠」 として有名で, 観光客も増えているという )。 田島神社夏越祭は, 前述の加部島の田島神社において毎年 月 日・日に行われる祭礼 ― ―.
図
関連したドキュメント
このように、このWの姿を捉えることを通して、「子どもが生き、自ら願いを形成し実現しよう
手動のレバーを押して津波がどのようにして起きるかを観察 することができます。シミュレーターの前には、 「地図で見る日本
海外市場におきましては、米国では金型業界、セラミックス業界向けの需要が引き続き増加しております。受注は好
燃料・火力事業等では、JERA の企業価値向上に向け株主としてのガバナンスをよ り一層効果的なものとするとともに、2023 年度に年間 1,000 億円以上の
この P 1 P 2 を抵抗板の動きにより測定し、その動きをマグネットを通して指針の動きにし、流
Q7
である水産動植物の種類の特定によってなされる︒但し︑第五種共同漁業を内容とする共同漁業権については水産動
きも活発になってきております。そういう意味では、このカーボン・プライシングとい