• 検索結果がありません。

わが国における幼児教育と小学校教育との連関に関する一考察 : その法的変遷を中心に

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "わが国における幼児教育と小学校教育との連関に関する一考察 : その法的変遷を中心に"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

連 関に関す る一考察

― そ の 法 的 変 遷 を 中 心 に ― 清 水 一 彦 は じ め に 今 日,教育の先進国 といわれ る国々では,それぞれの公教育制度 において就学 前 の 教 育 (保育)施設 と小学校 との連関の重要性が認識 され,その制度的対応策 も積極的に とられ るよ うになった。 イギ リスの幼児学校 (infantschool)制度や西 ドイツの- ッセン州を 中 心 と した5-6歳児を対象 とす る入学準備課程 (Eingangsstufe)の設置は,最 も代表的 な改革 例 として広 く知 られている。 また, フランスで も,す でに1977年 に母親学校 (-幼稚固) と 初等学校準備期 (-小学校第1学年)の間に教育的連続性を図 る方策を打 ち出 してお り, さ らにアメ リカでは,保 育学校 と幼椎園,小学校 の第2- 3学年 までを統合 して初等教育単位 とし,教育全体の継続的 プログラムの一部に位置づけ ようとす るまでに至 っている。 これ ら の国 々では,幼児教育 と小学校教育 との連関 (以下,幼 ・小教育連関)の問題は,今や論議 の段階を経 て改革の段階-入 ってきてい るとい って もよい。 こうした諸外国の改革動向に対 して,わが国では どうであろ うか。周知 の ように,昭和46 午 (1971)の中央教育審議会の答申では, 4- 5歳児か ら小学校低学年 の児童 までを同一 の 機関で一貫 した教育を行 う 「幼児学校」 の先導的試行の提案が出 され,注 目 を 集 め た。 ま た, この延長線上 に位置づ くもの として,先頃出 された同審議会 の 「教育内容等小委員会」 の経過被告 (昭58)では,子 どもの心身の発達 の連続性 とい う観点か ら,子 どもの発達段階 に応 じた幼椎園 と小学校の教育内容の構成 の仕方や指導方法のあ り方 を検討す る必要性が指 摘 された。 この ように,わが国でも今 日,幼稚固,保育所 のいわゆ る集団施設保育の普及, それに伴 う保育の教育的性格 の強 ま り, あるいは子 どもの発達 の加速化現象等がみ られ る中 で,幼 ・小教育連関の問題があ らためて大 き くクローズア ップされてきている。 しか し,先の国 々と比較 してみた場合,教育内容面 を含めてその制度的対応が立 ち遅れて いることは否めない。その最 も大 きな要因 として考 え られ るのが,所轄庁を異に して並存す る幼稚園 と保育所 (以下,幼 ・保)の問題 をは じめ,わが国の歴史的,伝統的な幼児教育観 及びそれを反映 した具体的方策である。幼 ・小教育連関についての先行研究がきわめて少な い背景には, こうした事情が含 まれてい るもの と思われ る。 本稿 では, こうした認識に基づき,わが国の明治以降か ら今 日までの幼児教育 (保育)に 係 る教育法制を中心に取 り上げ,分析す ることに よって,そ こにみ られ る幼 ・小数育連関の 歴史的,制度的問題点を明 らかにしてい きたい。 この ような教育制度上 の問題 の所在を明 ら

(2)

研究紀要 (第2号) かにす ることは,子 どもの発達保障 とい う観点に立 った今 日的課題 としての幼 ・小教育連関 のあ り方を考える上で,必要不可欠な前提作業 といえ よう。 Ⅰ. 戦 前 に おけ る幼 ・小 教 育 連 関

1

.

幼 .小教育連関の始 ま り 「小学校-教育 ノ初級 ニシテ人民一般必ス学 -ス ン-アル- カラサルモノ トス之 ヲ区 分 ス レ-左 ノ数種 二別 ツ- シ然 トモ均 ク之 ヲ小学校 卜称 ス即チ尋常小学女児小学村落小学貧人小 \11 学小学私塾幼稚小学ナ リ」 これ は,近代的学校制度を企画 した明治

5

(

1

8

7

2

)

の 「学制」での規定である。 この中 の 「幼稚小学」 は,「男女 ノ子弟六歳迄 ノモ ノ小学 二人ル前 ノ端緒 ヲ教ル」学校 で,今 日の幼 児教育機関に相当す るもの と考え られてい る.それは,「小学校」の一種であ り,他 の小学校 と同様 に 「教育 ノ初級」を成 し国民が必ず学ぶべ きもの として,制度的に位置づけ られたの である。 この規定 には

,

「幼稚小学」の入学年齢や教育内容等の基準について何 ら触れ ること はなか ったが,当時の欧米においても例のない先進的なものであ り,幼 ・小教育連関の教育 法制上 の始 ま りとして注 目され る。 わが国の幼稚園の慣矢は,明治10年

(

1

8

7

7

)

フ レーベル主義に基づ く幼稚園を範 として創 設 された東京女子師範学校附属幼稚園であ った。同幼稚園規則は,国の定めた教育法令に基 づ くものではないが,設立 の趣 旨について次の ように規定 していた。 「学齢未満 ノ小児 ヲシテ,天賦 ノ知覚 ヲ関連 シ,固有 ノ心思 ヲ啓発 シ身体 ノ健全 ヲ滋 補 シ 交際 ノ情誼 ヲ暁知 シ善良 ノ言行 ヲ慣熟 セシムルニ在り」 また, 入学年齢については一応 「満三年以上満六年以下」 としていたが, 特別 の事情があ る場合には,満二年児あるいは蒲六年以上 の者 も在園できるとされた。 この幼稚園では,明 (2) 治

1

4

(

1

8

8

1

)

に保育科 目の規定を改正 し,親 の要求な どを受け入れた形 で,新 しく 「数-方,読 ミ方,書キ方」等が追加 され,小学校入学直前 の幼児に対 して これ らの指導をす るこ とにな った。 このほか,幼稚園上級組 と小学校 の最下級 とを一緒にす る試み も行われ,制度 上,内容上 の幼 ・小教育連関が図 られていたのである。 (3) 明治

1

2

(

1

8

7

9

)

には, これ までの 「学制」が廃止 され,新 たに「教育令」が制定 された。 そ こでは,「学校-小学校中学校大学校師範学校専門学校其他各種 ノ学校 トス」 とな り, 幼 稚園は 「学校」に含 まれなか った。 この条文 については,当初 の原案ではそのあ とに 「但幼 稚園モ亦之二属ス」 と,但 し書 きであったにせ よ 「学校」の一種 とな っていた。 しか し,幼 稚園は必ず しも 「学校」に属す るもので もない とい う判断に よ り,その但 し書 きが削除 され て しまったのである。 これは,幼稚園が一個の独立 した保育機関 として位置づけ られた とも 考 え られ るが,結果的 には, このことが以後の文教政策におけ る小学校以降の学校教育重視 (4) とい う傾 向を もた らす ことにな ったのである。明治

1

7

(

1

8

8

4

)

の文部省達の中で,小学校 入学 の学齢未満児を小学校か ら排除 しその教育の充実を図 ろ うとした ことや,明治

1

9

(

1

8

86)に小学校以上 の学校種別 ごとに単独 の学校令を制定 したのに対 し,幼稚園はその後長い間

(3)

単独の教育令を もたなか った ことな どに,その一端を うかが うことができる。 明治20年代 には,地方 自治制の整備に伴 って, さらに一層小学校教育の拡充が推 し進 め ら れた。幼稚園教育の振興は,その一環 として,公立幼稚園の増加 とい う状況に合わせて考 え られたにす ぎなか った。明治23年 (1890)の 「小学校令」では,市町村の幼稚園設置をは じ めて法的に認め,幼稚園を小学校 に併せて運営 できる方針を示 した。そ して,幼稚園は小学 校 に関す る規定 に準 じて取 り扱われ,翌年 の文部省令に よる規則の中では,幼稚 国 保 姫 は 「女子 ニシテ小学校教員 タル-キ資格 ヲ有 スル者又-其他府県知事 ノ免許 ヲ得 タル老 トス」 とされ,小学校教員の流用を可能にしたO また,府県知事が認可す る幼稚園の 「保育規程」 は文部大臣に開申すべ きことが明示 された。 しか し, これ らの規定はいずれ も具体的内容を (5) 示すには至 らず,単 なる大綱的な規定に とどまっていたのである。

2

.

幼稚園の発展 と幼 ・小教育連関 明治30年代に入 って, よ うや く幼稚園の独立規程が具体的内容を もって設け られ るよ うに な った。明治32年 (1899)の文部省令 「幼稚園保育及設備規程」は, まず 「幼稚園-満三年 ヨリ小学校 二就学 スルマテ ノ幼児 ヲ保育スル所 トス」 として,その就園年齢 と 「保育」機関 としての性格を明示 した。 また,幼児の保育の 目的については

,

「心身 ヲシテ 健 全ナル発育 ヲ遂 ケ善良ナル習慣 ヲ得 シメ」 ることに よって

,

「家庭教育 ヲ補 - ソ」 とす る も の と位置づ けた。 こうして,幼稚園を 「幼児 ノ心性及行儀 二注意 シテ之 ヲ正 シクセシメンコ トヲ要 ス」 単 なる家庭教育の補助機関 ととらえた ことは,幼稚園の性格 ・機能 の独 自性を否定 したばか りでな く, 幼 ・小教育連関を よ り一層困難 な ものに させてしまった といえる。ただ

,

「幼児 保育 ノ項 目-遊嬉,唱歌,談話及手技」 とい うよ うに,文部省に よっては じめて幼稚園の保 育内容 (項 目)が規定 された点は,幼稚園のその後 の発展に大 きな影響を与 えるものであっ た。 この独立 の幼稚園規程 も,他 の小学校 に類す る各種学校 とともに,翌年 の 「小 学 校 令改 正」の中で,再び小学校令 に吸収 されて しまった。同改正では,幼稚園が小学校 に付設 でき る法的裏付けが確立 された。 また,その 「小学校令施行規則」では,幼稚園に園長を置 くこ とができた こと,保姐の職務が 「幼児 ヲ保育スル者」 とは じめて規定 された以外は,先 の幼 稚園規程がほ とん どそのまま取 り入れ られてい るにす ぎなか った。そればか りか,明治

4

4

年 (1911)の同規則改正では

,4

つの保育項 目のそれぞれについて示 されていた要 旨が削除 さ れ ることになった。その理 由については,次 の よ うに説明 されていた。 「幼稚園 二於 ケル保育事項等 ヲ小学校 二於 ケル教則其 ノ他 ノ如 ク画一 二規定 スル- 却 テ保 育 ノ進歩発達 ヲ促 ス所以 ニアラサル ノ ミナ ラス往 々ニシテ保育 ノ本 旨ヲ誤ル ノ虞ナキ ヲ保 セ ス・・・-」 大正期に入 ると,幼稚園の単独の教育令及びその施行規則の制定 を求め る声 が, とくに幼 稚園関係者の間で高 まってきた。そ して,その努 力は大正15年 (1926)に ようや く実 を結 び,最高の規程 である勅令 としての単独 の 「幼稚園令」 とその施行規則が制定 され ることに な った。それは,幼稚園史上画期的な ことであった。「幼稚園令」では,幼稚園の 目的につい

(4)

研究紀要 (第2号) て,従前の 「善良ナル習慣 ヲ得 シメ」に代わ って 「善良ナル性情 ヲ滴義 シ」 と改め, よ り広 く人間性の基礎を培 うもの ととらえ られ るようにな ったが,「家庭教育 ヲ補 フ」保育機関 とし ての性格はそのまま受け継がれていた。ただ, これ まで とは違 って,全体的に幼稚園に自由 裁量 の余地を もたせ,その拡充 を図 ろ うとす る工夫がい くつかみ られた。 例 えば,入園年齢については,新 たに 「特別 ノ事情 アル場合 二於 テ-文部大臣 ノ定 ムル所 二依 り三歳未満 ノ幼児 ヲ入園セシムル コ トヲ得」 と但 し書 きを付加 した。 ここには,「幼稚 園を保護者の経済的,社会的な状況にかかわ りな く,ひ としく幼児に開放す るもの としたい (6) との見解が生か され て」お り,幼稚園に当時 の託児所 の機能を併せ もつ ことを可能 にす るも (7) ので もあ った。 また,同施行規則では,「自然及人事 二属スル観察 ヲナ サ シムル」ために, 新 たに保育項 目に 「観察」が追加 されたはか,「従来 ノ如 ク其 ノ項 目ヲ限定 セス当事者 ヲ シ (8) テ学術 ノ進歩実際 ノ経験 二応 シテ適宜工夫 セシムル ノ余地 ヲ存 シク リ」 として, 5項 目以外 に 「等」の字句がつけ加え られた。 この 「幼稚園令」は,「時勢 ノ進運」や 「社会 ノ情勢 二鑑 ミテ」 さらには 「外国 ノ実例 二徴 スル ニ」などを背景に,幼稚園の施設を改良 し, また幼稚園に制度上確固 とした地位を認め るものであ った。 しか し,幼 ・小教育連関については何 ら触れ ることな く,それは従前のま まであ った。そ して, この頃か ら共に増加 しつつあ った幼稚園 と託児所 の関係の問題 が表面 化す るよ うにな ったのである。

3

.

幼稚園と託児所の関係 「幼稚園令」が制定 された直後か ら,社会事業関係者の問で,託児所 を 「幼 稚 園 令」 に 含 め,幼稚園 との一元化を求める声が高まった。 しか し,行政当局の反対を受けて,それは次 第 に 「幼稚園令」 とは別個に法令を制定す る運動- と変わ ってい った。 こうした中で,昭和 13年(1938),社会事業大会 の 「保育所 に関す る継続委員会」は,次の内容を含む 「保育所令 (9) 案要綱」を厚生大臣に建議 した。 「保育所 -乳幼児 ヲ保育 シ其心身 ヲ健全 二発育 セシメ国民 トシテ ノ善良ナル性情 ヲ滴 養 シ 家庭教育 ヲ補 フ ト共 二其家庭生活 ノ向上 二資セシムル ヲ以テ 目的 トスル」 この 目的規定は,幼稚園のそれ とほ とん ど同一 であ り,当時 の両施設における実際上 の保育 内容が きわめて似通 っていた ことを裏付けるものであ った。結局, この 「保育所令案」は実 現す るに至 らず,託児所 は同年 の 「社会事業法」の補助規定 に位置づ くことにな った. 一方,幼稚園は,戦時下における 「皇国 ノ遺 二則 テ」その教育的側面が強調 され,小学校 とともにその 「国民的教育」 としての進展が図 られ ようとしていた。昭和13年(1938),内閣 総理大臣の諮問機関である教育審議会は

,

「国民学校,師範学校及幼稚園 二関スル件」と題す る答 申を提出 した。その中で,幼椎園は 「国民育成 ノ素地 ヲ培 フ」就学前の教育機関 として 位置づけ られ,「家庭 ヲ扶 ケテ幼児教育 ノ完キ ヲ期 スル ノ要愈緊切 ナルモノア リ」とい う立場 か ら,その普及 ・発達 と内容上 の整備が要請 された。そ こではまた, これ までの 「家庭教育 ヲ補 フ」を一歩進め,「家庭教育 ノ改善 二稗益 セシメ,併 セテ幼稚園 ノ社会教育的 機 能 ノ発 揮 二カ メシムル コ ト」 とし,幼稚園の社会的機能が新 たに強調 され るようにな った。

(5)

また, 同答申は, 幼稚園 と託児所 の関係 につ いて

,

「託児所 二於 テモ其 ノ教育的機能 二付 チ-教育行政 上 ノ立場 カラ配慮 セ ラルべキモ ノガアルヤ ウニ考 - ラレル」 として,託児所 の 教育的機能面 におけ る幼稚 図-の接近 に伴 う適切 な措置 の必要性を説 いた。 この答 申に よって,幼 ・小 教育連関を前進 させ る基礎がで き上 りつつあ ったが,同答 申を 受けたのは昭和

1

6

(

1

9

41

)

の 「国民学校令」 にみ られ るよ うに小学校だけであ った。幼稚 園に関 しては, ほ とん ど従前 の ままで基本的 には大 きな変化はなか った。

戦 後 に お け る幼 ・小 教 育 連 関

1

. 幼 ・小教育連関の新たな展開 わが国におけ る幼 ・小教育連関は,戦後 の教育改革 に よって,幼 稚園の小学校-の組 み入 れ と義務教育化構想 とい う形 で,新たな段階 を迎 え ることにな った。

6・3・3

制導入に重大 な影響を及ぼ した昭和

21

(

1

9

4

6)

のアメ リカ教育使節団報告書 では,幼児教育に関 して,児童 の発達 の特 質を踏 まえて,近 い将来育児場 や幼稚園の増設を 図 り, これを小学校 に組み入れ るよう勧告 した。 さらに また,昭和

2

5

(

1

9

5

0

)

の第

2

次 ア メ リカ教育使節団の報告書 で も,教育機会 の拡大 をめ ざした同様 の勧告を し, 同時 に 「育児 場や幼稚園の教師になろ うとす る者は,小学校低学年 の教師 の資格 がなければな らぬ」 こと を勧告 したのであ る。 しか し, こ うしたいわばアメ リカ的 な幼 ・小教育連関 の方式 は,わが 国の歴史的,教育的事情や現実 の財政上 の問題 か ら,その実現 が見送 られ ることにな った。 幼稚園の義務教育化 に関 しては, アメ リカ教育使節団が来 日した際, 日本側教育家委員会 のメ ンバ ー として活躍 した人 々を中心 に設 け られた 「教育刷新委員会」 で取 り上 げ ら れた が,それは時期 尚早 であるとして,最初 の建議 には盛 り込 まれ なか った。 しか し,昭和

2

2

(

1

9

4

7

)

の第8回建議事項 の中では

,「5

歳以上 の幼 児の保育 を義務制 とす る ことを 希 望す るJ ことが,新 たに追加 され ることにな った。 この よ うに,幼稚 園の義務教育化 (満5歳以 上 の- ヶ年)は,戦後 の公教 育制度 の一つ の大 きな課題 として,当初 よ り認識 され ていたの であ る。 ところで,昭和

2

2

(

1

9

4

7) の 「教育基本法」及 びその理念 の下 での 「学校教育法」 の制 定 は,幼稚園の歴史上,画期的 な もの とな った。つ ま り,幼稚園は,学校制度 の最初 の段階 に位 置づ き,他 の学校 と同格 の教育機関 として取 り扱われ るよ うにな ったのであ る。幼稚園 の 目的 も 「幼 児を保育 し,適 当な環境 を与 えて,その心身の発達 を助長す ること」 とな り, 人的,物的 の環境 の整備 にその重点が置かれ るよ うにな った。従前 の 「家庭 教育 ヲ補 フ」 消 極的な 目的規定 に代わ って,新 たに幼稚園 におけ る固有 の教育 (保育)機能 が明確 に された のであ る。 こ うして,学校教育体系 の一環 として法的 に確立 された幼稚園であ ったが,幼 ・小教 育連 関 とい う観点か らみた場合,そ こには小学校教育の下方 -の延長 とい う意 図 が 含 まれ てい た。具体的には,学校教育法 において,幼稚園は特殊教育 の後 に位置 づけ られ てい るにす ぎ ない こと, また当初幼稚園 の 目的達成 のた削 こ掲げ られた6目標(法律 では5目標)が,小学

(6)

研究紀要 (第 2号) 校 の8目標に合わせて考え られた こと,な どに うかが うことができる。 この点 において,幼 ・小教育連関は大 きな転換期を迎 えた とはいえ, あ とに問題 を残す ことに もな っ た の であ る。 一方,同 じ昭和22年には 「児童福祉法」が制定 され, これ までの託児所 は,その救貧的性 格か ら児童福祉施設の一種 としての 「保育所」 として新たに出発す ることにな った。 この保 育所 は, は じめ 「日々保護者の委託を受けて,その乳児又は幼児を保育す ること を 目的 と す る施設」 とされた。その後, この 目的や対象児童 において幼稚園 との関係を明確 にす る必 要 もあって,昭和26年 (1951)の法改正では,「保育に欠け る」が 「その乳児--・」 の前に追 加 され ることにな った。 保育所 の保育内容については,昭和23年(1948)の厚生省令「児童福祉施設最低基準」の中で 規定 され,健康状態の観察,個別検査,自由遊び,午睡,健康診断が挙げ られた。 この うち自 由遊 びは,「音楽,リズム,絵画,製作,お話, 自然観察,社会観察,集団遊び等を含む もの」 とされ,後述す る 「保育要領」におけ る幼稚園の保育内容 と非常に似た もの とな ってい る。

2.

幼 ・小教育連関の明文化 と問題点 (10) 幼 ・小教育連関についての事項は,昭和23年 (1948)の文部省令 「保育要領」に よっては じめて明文化 された。それは,当時 の小 ・中学校 の教育内容の基準 となる 「学習指導要領」 作成 の動 きに倣 って,就学前教育 と就学後教育 との一貫性が痛感 されたか らである。 もっと ち,そ こでは小学校の とくに低学年の先生 との密接 な連絡の必要性が述べ られ て い る だけ で,その具体的 な事項や方法については,「ここに述べ る余裕がないので--・・」として何 ら触 れ られていなか った。 この保育要領は

,

副題に 「幼児教育の手引 き」がつけ られてい るよう に,基準ではな く 「参考」程度 の ものであったが, これを契機に幼 ・小教育連関の とくに内 容面 における制度化が進む ことにな り, この意味では重要な意義を もつ ものであった と位置 づけ ることがで きる。 保育要領で掲げ られた小学校 との連絡の必要性は,昭和26年 (1951)の通達 「幼稚園指導 要録 について」に よって,その-方途が示 された。具体的には,幼児が小学校に入学 した場 令,幼児指導要録を入学先 の校長に必ず送付す ることや,その幼児 の指導要録の抄本を作製 す ることが求め られたのである。 この指導要録は,それぞれの幼児についてその成長発達を 全体的,継続的に記録す るもので,その項 目については,「小学校教育 との関連を じゅ うぶ ん考慮 し」た ものが選ばれた。 これは,幼 ・小教育連関を よ り効果的に運営す るための一手 段 として考え られ るものであった。幼稚園指導要録は,その後改訂 され,昭和40年 (1965) には小学校児童指導要録 との一貫性を持たせ るために様式の統一が図 られ ることにな ったO 教育内容面における幼 ・小教育連関は,昭和31年 (1956)の 「幼稚園教育要領」の刊行に よって前進 した。小学校教育 との一貫性,幼稚園教育の 目標の具体化及び指導上 の留意点を 明確 に した この教育要領は,幼稚園教育 の内容 について,新 しく健康,社会, 自然,言語, 音楽 リズム,絵画製作 の6領域 を設け, これに よって小学校 におけ る教科 との関連 も考 えら れ るようにな った。 6領域 については,「小学校以上 の学校 におけ る教科 とは,その性 格 を

(7)

大いに異 にす る」 もの として,幼児教育 の独 自性を強調 した。 と同時に,指導計画の作成 に おいて経験 を組織す る場合, とくに小学校 の教育課程を考慮 して計画す ることが求め られ, また中学校側に も幼稚園の指導計画の理解が求め られた。そ して,両者 の関連を緊密にす る 有効な方法 として

,

「近接の幼稚園 と小学校が合同の研究協議会を開 くとか,教育委員 会 が 中心にな って,両者 の関連を考慮 した指導計画を研究す ること」が挙げ られた。 小学校教育 との一貫性や幼稚園教育の独 自性が求め られ る中,現実にはそれに反 した実践 もみ られ るようにな った。それは,幼児の知識や技能 の習得 に偏 した実践で, こうした一部 の教育状況に対す る方策 として,幼稚園教育課程 の基準を求め る動 きが出て きた。昭和38年 (1963)の教育課程審議会の答申は, これに関 して,幼稚園の教育水準 の維持向上を図 る教 育課程 の基準を明確に公示すべ きであるとした。そ して,結果的には, この答申に沿 って, 翌年学校教育法施行規則が一部改正 され,先 の 「幼稚園教育要領」は文部大臣 の 公 示 す る 「基準」 として,その法的拘束 力が確定的な もの とな ったのである。 Ltl1 同審議会 の答申では, また 「幼稚園教育は, この ような (小 ・中学校 の)教育の基本方針 に沿 って一貫 した 目標のもとに営 まれ る必要がある」が, この ことは 「幼稚園教育が小学校 教育の単 なる準備 のために これ と類似の教育を行 な うことを意味す るもの で は な い」 とし て,む しろ幼児の成長発達 の特質に応 じて家庭教育 との密接な関連を強調 し た。 こ の よ う に,答申では,幼稚園教育 の独 自性を重視 し,それを家庭教育 との関連において とらえてい た。それゆえ,幼 ・小教育連関は ここに一歩後退す ることにな り, これは翌年 の 「幼稚園教 育要領」 の改訂告示 に も うかが うことがで きる。つ ま り,幼 ・小教育連関については,指導 上 の留意点 としてわずかに 「--・なお幼稚園修了前の幼児については,小学校-進学す る期 待や心構 えな どを育てるように配慮す ること」 と明記 され るに とどまったのである。

3

.

幼 ・保の教育的棟能面での歩み寄 り ところで,戦後の児童福祉法,児童福祉施設最低基準等に よってその制度上,内容上 の整 備を図 って きた保育所 は,当初 「教育的意図の積極的な達成-の配慮 よ りも,健康管理 な ど (12) の養護面-の配慮 に重点がおかれて」 きたが,その後 の普及 ・発達 とともに,次第に幼稚園 との関係を法制上確立す る必要性に迫 られ るよ うにな った。そ して,幼 ・小教育連関 の問題 ち,その延長線上で考 え られ ることにな ったのである。 昭和38年 (1963)の文部省 と厚生省の共同通達 「幼稚園 と保育所 との関係について」は, 幼 ・保 の歩み寄 りを進め る意味で画期的な ものであ った。通達では

,

「幼児教育 については, 将来その義務化 についても検討を要す る」 として, 4- 5歳児におけ る幼稚園教育の普及 ・ 充実が詣われた。同時にまた,義務化-の方途 として,「保育所 のもつ機能 の うち,教 育 に 関す るものは,幼稚園教育要 領に準ず ることが望 ましい こと。 この ことは,保育所 に収容す る幼児の うち幼稚園該当年齢 の幼児のみを対象 とす ること。」が明示 された。 このよ うに,両 者 の歩み寄 りは,保育所 の保育におけ る"教育性"の確立 とい う方 向で行われ ることにな り, それは幼 ・小教育連関の上で不可欠な条件 とな ったのである。 (13) 幼 ・保 の教育的機能面 での接近は, さらに昭和40年 (1965)の 「保育所保育指針」に よっ

(8)

研究紀要 (第2号) て一層深め られた。 この指針 では, 冒頭 で 「保育所 は,・・-・養 護 と教育 とが一体 とな って, 豊 かな人間性を もった子 どもを育成す るところに,保 育所 におけ る保育 の基本的 性 格 が あ る」 と述べ られ,養 護 と教育 の一体化が強調 された。そ して, 7つの保育 目標が掲げ られ, その 目標達成 のための保育内容 の区分 では,年齢区分 ごとの 「領域」 の考 え方 が取 り入れ ら れ た。 ここには,幼稚園教育要 領 と出来 るだけ同 じものに しよ うとす る意図が うかがわれ る。 また昭和46年 (1971)には,中央児童福祉審議会が 「保育所 における幼児教育のあ り方 に ついて」 の意見具申を し,その中で 「すべての幼児は平等 な教育を受 け る権利があ るとす る な らば,保育所 は幼児 に も,幼稚園の幼児 に対 す る教育 と同 じ教育がな されな くてほな らな い」 ことが示 された. 与れほ,保育所 における幼児教育 のあ り方 を,子 どもの学習権 とい う 観点か らとらえ ようとした ものであ る。

4

.

「幼 児学校」構想 上記 の意見具 申が出 され る少 し前 に,中央教育審議会 の 「今後 におけ る学校教育 の総合的 な拡充整備 のための基本的施策 について」 の答 申が出 され,そ の内容は"第3の教育改革"と して注 目された。答申は,初等 ・中等教育 の改革 に関す る基本構想を打 ち出 した ものであ る が,は じめて初等教育 に幼稚園を含 めた改革案が提示 された。す なわ ち,そ こでは 「初等 ・ 中等教育は,人間の一生 を通 じての成長 と発達 の基礎づ く り」 の場であ る ととらえ られ,人 間 の発達過程 に応 じた学校体系 の開発 として,すでに冒頭で述べた 「幼児学校」 の先導的試 (14) 行 の提案が出 されたのであ る。そ の先導的試行 のね らいは,「現在 の幼稚園 と小学校 の 教 育 の連続性に問題 のあ ること,幼年期 のいわゆる早熟化 に対応す る就学 の始期 の再検討,早期 教育 に よる才能 開発 の可能性 の検討」 な ど,幼年期 の集団施 設教育 の さまざまな可能性 を究 明す る ことにあ った。 この うち,早期才能開発を指 向す る 「幼児学校

構想 については, 多 くの論者が指摘す る ように問題 があるにせ よ,子 どもの発達段階 を考慮 した幼 ・小教育通

の可能性 を明示 した点 は,幼稚園教育が初 等教育 の一環 として位置 づけ られ る ようにな った ことと併せて,大 いに注 目され なければ な らない。 答 申では また, この 「幼 児学校」構想 と関連 して, とくに5歳児の就園を第 1次 目標 に掲 げ,市町村 の幼稚園設置義務や国府県 の財政援助 の強化 を誼 っている。そ して,幼稚園教育 の積極的 な普及 ・充実の要求は,昭和48年 (1973)の通達 「幼稚園教育振興計画要項 につい て」 に も具体化 され,「4 ・5歳児については,保育所措置児及び特殊教育対象児を除 い て 全 員を就園 させ ること」が,その 目標 とされたので ある。 こ うした動 きと相侯 て,一方では教員養成面 での幼 ・小教育通関に もスポ ッ トが当て られ る ようにな った。昭和47年 (1972)の教育職員養成審議会 の建議 「教員養成 の改善方策 につ いて」 の中では,幼稚園教員 の養成 にあた って

,

「小学校教員の養成 の場合 の趣 旨に 即 して 改善 を図 る必要 がある」 として,免 許状取得 に必要 な専門科 目に係 る最低修得単位数 の改善 (15) 案が提示 された。 この ように,幼稚園教員の資格 ・養成 のあ り方 が,小学校教員 との協 力 ・ 協働体制 とともに,幼 ・小教育連関を図 る上で重要 な問題である と,強 く認識 されて きてい る。

(9)

お わ り に 以上,本稿 では,わが国の教育法制 あるいは関連す る報告 書等 を通 して,幼 ・小教育連 関 の歴史的,制度的変遷 をみて きた。 これか ら,お よそ次 の ような ことがいえるで あろ う。 まず,維新草創期 に小学校 の一種 として学校体系 の中に位置 づい た 幼 稚 園 (幼稚小学) は,その後 「学校」 の枠外 に置かれ,それ とともに学校教育 との関係が条文か ら姿を消 し, もっぱ ら家庭教育 との関係が強調 された。そ こでは,幼稚園は家庭 の教育機能 と同質 の もの とみな されたのである。 こうした戦前 におけ る小学校以降の学校教育中心 の方策 に よって, 幼 ・小教育連関 については少 な くとも法制上取 り上げ られ ることはなか った。 これに対 し,戦後 の教育改革 では,幼稚園は正規 の学校 として学校制度 の中に位置 づけ ら れ,その独 自の教育機能 が明確 に された。 これ に よって,幼 ・小教育連関 も新 たな段階 を迎 え,教育内容面 あ るいは教師の相互理解 ・協力等 の運営的側面 での改善が図 られ る ようにな った。 しか し,それは当初か ら小学校教育-幼児教育を近 づけ る方 向で進 め られ,依然 とし て伝統的 な義務教育 中心 の方策 は従前 とほ とん ど変わ ることはなか った。 また,わが国の戦前,戦後を通 じた幼 ・小教育連関 の法制史において特徴的 な点は,それ が まさしく幼 ・保 の関係の歴史で もあ った ことである。それ ぞれ起源,背景を異 にす る両者 の関係は,長 い間の行政上 の分離 ・対立 とい う状況 の中で,幼 ・小教育連関の問題 を一層 困 難 な ものに して きた。 しか し,戦後の諸規定 に よって制度上 も内容上 も二元化 さ れ た 両者 は,その後 の普及 ・発達 とともに, とくに教育的機能面 での歩み寄 りが進 め られ,小学校教 育 との一貫性が強調 され るようにな った。 こうした中で,「幼児学校」構想 に代表 され る幼年期教育 の構築 は,幼 ・小教育連関に新 し い方 向性 を もたせ る ことにな った。そ こでは,幼児教育 に準備教育的性格 を もたせ小学校教 育- の移行を容易にす る とか, あるいは逆 に現存 の保育制度 を前提 として小学校低学年 の教 育を改善す るとかい った, どち らか一方 に対応 させ る ような接着剤的 な考 え方 が 排 除 され る。そ して,両者 の異 な る特質を明 らかにす るのではな く,子 どもの発達 に主眼をおいた新 しい教育段階 の創造 とそれにふ さわ しい教育内容 ・方法 の編成 がめ ざされ なけ れ ば な らな い。 今 日のわが国において, 5歳児の就園 ・在籍率は90%を超 え,世界第2位 の高い比率を誇 ってい る。に もかかわ らず,幼 ・小教育連関 の問題 は,他 の小 ・中あ るいは中 ・高 の連関 の 場合 と比べ てその制度的対応が大 き く遅れてい る。それは着手 されたばか りであるとい って よい。今後,公教育制度 の大 きな課題 の一 つ として認識 され る幼年期 教育 の構築を進 めてい くためには,何 よ りもまず伝統的 な学校教育観か らの脱却が図 られ なければな らないであろ う。 本稿 では,小学校 に関す る教育法制には触れ なか ったが, さらに具体的 な教 育 目 標 や内 容,方法等 の歴史的検討 を進 めるためにその検 討が必要 とされ る。 これ については,今後 の 研究課題 としたい。

(10)

10 研究紀要 (第2号) 註 (1) 以下の法令の条文や審議会 の答申内容等は,主に次の文献 ・資料に よる。 ① 文部省「幼稚園百年史」,ひか りの くに,昭54,の質料編 ② 文部省「学制百年史 資料編」,帝国地方行政学会,昭47 (2) 保育の要 旨の中では,「幼稚園-学齢未満 ノ幼児 ヲ保育 シテ家庭 ノ教育 ヲ補 ケ学校 ノ教育 ノ基 ヲ ナスモノ-

-・

」(傍点一 引用老)と規定 されていた。 日本保育学会 「日本幼児保育史」第1巻, フ レーベル館,昭43,p.96 (3) 同令第 1条では,「学校幼稚園書籍館等-公立私立 ノ別 ナ ク皆文部刺 ノ監督内 ニアル - ン」 とし て,幼稚園を教育制度上 の名称 として位置づけた。 (4)「学齢未満 ノ幼児 ヲ学校 二人 レ学齢児童 卜同一 ノ教育 ヲ受 ケシムル-其害不砂侯懐右幼児- 幼 稚 ノ方法 二困 り保育侯横取計 7- シ此 旨相違供奉 ---」 (5) その理 由について,文部省は 「地方 ノ情況各其趣 ヲ異 ニシ到底 同一 ノ規程 ヲ以 テ律ス- カラサル モノア レ-ナ リ」 と説 明 していた。 (6) 文部省「幼稚園 百年史

,前掲書,p.205 (7)(8) 同年 の文部省訓令 「幼椎園令及幼稚園令施行規則制定 ノ要 旨述 施行上 ノ注意事項」, よ り (9) 小川正通「世界の幼児教育」,明治図書,昭42,p.381参照 (10) この 「保育要領」は, 昭和28年 (1953), 幼稚園の教育的 擬能を一層強調 して,「幼稚園 教育要 苗」 となった。 (ll) ( )内は引用者 (12) 岡田正章編「日本」(岡田正章 ・川野辺敏監修『世界の幼児教育』), 日本 らいぶ ら り,昭58,p.278 (13)全国社会 福祉協議会「保育所保育指針全文 とその見方

,昭46, よ り (14) これは,昭和44年 (1969)の同審議会 の中間報告の うち 「5歳児 と6・7歳児 とは発達的には近似 してい るに もかかわ らず,教育制度上 の取扱いに関連性が乏 しい」 ことな どを受け, さらに諸外国の 改革例等を考慮 して出 された ものであ る。 (15) この案は,つい最近 の同審議会 の答申 「教 員の養成及 び免許制度 の改善について」で提示 された 改善案の下敷 きともなってい る。

参照

関連したドキュメント

1、研究の目的 本研究の目的は、開発教育の主体形成の理論的構造を明らかにし、今日の日本における

かであろう。まさに UMIZ の活動がそれを担ってい るのである(幼児保育教育の “UMIZ for KIDS” による 3

関係委員会のお力で次第に盛り上がりを見せ ているが,その時だけのお祭りで終わらせて

・学校教育法においては、上記の規定を踏まえ、義務教育の目標(第 21 条) 、小学 校の目的(第 29 条)及び目標(第 30 条)

各サ ブファ ミリ ー内の努 力によ り、 幼小中の 教職員 の交 流・連携 は進んで おり、い わゆ る「顔 の見える 関係 」がで きている 。情 報交換 が密にな り、個

 英語の関学の伝統を継承するのが「子どもと英 語」です。初等教育における英語教育に対応でき

小学校学習指導要領総則第1の3において、「学校における体育・健康に関する指導は、児

● 生徒のキリスト教に関する理解の向上を目的とした活動を今年度も引き続き