日蓮数且宇中に交錯せる中古天台の思想及び様相
日蓮教撃中に交錯ゼる
中古天台の思想及び様相
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で 日 蓮 壁 一 人 の 天 台 敬 勝 一 史 観 山天台妙祭俸軟に奥同さる、二草場 ∞慈魔知日設以後の台宙科否認の立場 ⑪ 中 古 天 台 の 寄 訟 は 甥 在 絡 言 =、宗撃上に交流する中古天台思想の一特 山 三 筒 大 事 はけ日浦抄同法車中本門弘終抄ω
悌 身 観 付天台一家の品伸身観 (ハ) 長 流 1 £ 俸 抄一
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A 原 始 天 台 の 害 時 量 制 刷 本 論 B 曲 由 民 百 知 臼 諮 等 臼 本 上 古 天 ム 口 の 額 本 論 C 中古天ム口の願本論 何 削 刷 所 宜 導 師 等 の 霧 量 制 脚 本 論 印 吾 宗 諸 家 の 中 古 天 台 模 倣 初 中 古 天 台 数 皐 交 錯 の 経 路 三、御遺文中に交錯せる中古天台の思想及び形態 P.t 上 中古天台と日蓮敬息?との関係を明かにする箆めには、先づその前提として、 一般天台敬壌に針する聖人の態度を一瞥ずる必要があらうと思ふ。そこで順序として先づ天台大師であるが、大師の救撃は.六岨剤漢の解説に従へば、﹁法 華経を宗骨とし、大論等の大一束救論の内容を以て柿装した敬義である﹂が、五口が聖人は大師を以て純正法華経王主義 者と目されて居る。とれを組越した章安←へ師は勿論、六組荊漢もまた述べて作らや、大休組連の範闘を山川でない D 勿 論三論華厳等に依る外的刺識もあったので、若干の損充もあり護展もあったが、後の越宋天台に見るが如き、法華経 の埼外に出たものではない。 宋代に至って所謂山家山外の論争を生じ‘員安観境について論難鹿酬に蘭菊の美を競ふたが、その後支那天台にはこ つの傾向を生じた。その一は天台敢闘宇の精併を期するの結果、世帯ら三大部の詰躍に主力を注いだ所謂訓詰抵であって その飴流は遠く日本に流れ、近代の撃匠たる恵澄大賀雨帥等に及んで居る。他の一一慨は天台の論崎中から極 K の 論 題 を求めて、とれが徹底的究明を計らんとしたもので、日本天台に於ける論議の如きもその亜流である。論議抵の意圃 ずる所は、他宗の義撃をも抱容して、とれを同化せんとしたのであるが、その結果或は踏に認するもの、或は念伸に 走るもりなどを生やるに至った。かくて支那天台は清朝に至り、調徒知日旭の出づるに及んで、老儒の思想さへ採用す るに至ったのである。 而して五日が聖人は天台・妙壊を以て正統天台とし.妙禁門下の道遼・行満の雨帥から、教祖二門を博法されたとい ふ傍歌大師までを相承の師として仰がれたが、その後支那で越宋時代に入って展開された山家山外の論争や、四明以 後に分流した多くの接祇等に就ては飴り閥心を持たれ・なかったゃうである。 日本天台の姐たる倖教大師は、偉設に依れば入腎してベ組荊川崎門下の行満から一家の法門を受け、同門の遺遼から 一心三観を受けたといはれ、二師別俸を停へて居るが、との誌に就ては今日専門拳者の間に議論があって、 こ れ を そ 日逮秋桜巾に交錯せる巾古米ム口の思想及び様相 ム
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日連品抗感巾に交山下せる中古天台山法制仙及び標相 l旦l の ま L 引け背するととは出来在い。しかし侍散大師が正統天台のむ遼・行満から悼法されたといふ事貨に就ては異論は − な か ら う と 忠 ふ 。 体拡大師。悼法内容に就ては、最近も締の相停に闘して論議が行はれたほ
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で、相営異論がある。止問業遮那業の 皐生を川敷にされた点から、天台一家では傍救大師は岡山川費等であったといふ見解である。然るに五日が聖人は‘大帥 の岡山明朗”について、飽くまで法華至上と見倣し、﹁真言宗の宗の名字をぱ削らせ給ひて、天台宗の止観真言等とか L せ 給ふ﹂といはれて居るのである。 また大仰が同頓大戒控の建立を畢生の願業とせられた事貨に徴しても、大師の意固が単なる法華一元の悌政の傍弘 に非やして、回出戒を打って一丸とした統合的一大岡宗の建立にあったととを首肯せざるを得ないのである。従って 同じ法華経を倖弘文﹄れでも、天台大川に在つては一一五的であったものが、惇散大師に五つては多元的となって居る。 然し吾が聖人は.雨大師とも法華中心といふ重点に鐸りは・ないものと昆倣し、雨大師を奉巳て正統天台の組として 景仰されたのである。 且つ侍敬大師が鎮護同家を強調された点に、立正安閣を理想とされた聖人の共鳴があったらうとも考へられる。す − た は ち 天 台 大 帥 に 在 つ て は 、 一念三千の哲理は、仰人的成仰の直道として採則されたのであったが、傍敬大師に至つ ては、菅に成例法たるに止まらや、鎮護岡家の大法として、法華経中心の一大固宗を建立せられた。そとに安一人の私 淑 と 憤 組 問 と が あ っ た の で あ ら う 。 かくて聖人は天台・妙薬・停救の諸師を正統天台の帥と仰ぎ、支那天台の鼻岨天台大師と、日本天台の組たる偉敬 大師とを相承の帥と仰がれたのである o 聖人がみづから天台沙門と名乗り、根本大師門人といはれたのは.以上の立場に於てである。 もっとも佐渡以後に於ける聖人がみづから﹁智解は天台傍救が千寓分が一分も及ぶととなけれども、慈悲すぐれた る こ と は 畏 れ を も 懐 き ぬ べ し ﹂ と い っ て 、 そ の 調 白 的 立 場 を 標 椋 し 、 ま か 一 ﹁ 像 法 ノ 中 ノ 末 = 観 音 輔 衆 王 一 不 一 一 現 シ 南 普 天 台 等 ↓ 出現
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経 ノ 五 字 並 = 本 門 ノ 本 傘 未 計 臨 時 か 行 許 之 己 と 末 法 出 現 の 白 己の立場を明かにされたととは、営然であって、要するに天台俸殺の法華経も、所詮末法に入つては無徒なりといふ のが、聖人の南大師視の結論である。 しかしながら、雨大師を止揚された態度は、慈畳智詮以下の台密を否認された、それと同一蹴すべきではない。否 寧ろ聖人はその初期に於て莞詮以下の台経を嫌忌して、天台の殺風を天台倖敬雨大師の古に復せと力説された粛清論 者であり、復古主義者でるったのである。 ∞慈畳智誰以後の台密否認の立場 侍救大師の伸救視について、法華五上と認められたる聖人は﹁叡山第一の座主義民和向・第二の座主因澄大師まで は此義相還なし﹂と詳して、正統天台の櫨紺肴を以て許されて居る。 然るに第三代の座主惑莞に至つては、法華民言の理同を認むるに至うた。すなはち一行阿闇梨の大日経義雄に、﹁法 華経書量品の仰と、金剛頂経の民虚遮が伸とを論じて、雨経の所詮各財閥す所あるを以て偏執すべからや﹂と、二怖の等 同を説くに示唆されて、慈莞は法華民言の理同を認めたのである。かくて慈莞は法華民言の理密を同格に認めたるの みなら歩、更に真一一首の事理供省在主張するに至って.ひそかに民言の優越を認めたも同然で、との点五日が聖人が合総 の先駆者として指捕さる L 所 以 で あ る 。 日蓮敬準中に交縛せる巾古天台の思想及び様相 ハ 五日蓮教撃中に交錯せる中古天台の思想及び様相 更に智設大帥に至つては・その著﹁賠斡二宗本地三身樺﹂民藷計に法華の無作三身を以て大日の三身と同一 蹴して、全く殊異なしと論ゃるのみならや、大日経回日時・講演法華義等には、法華大日の二粧の勝劣乞論じて、顕劣 街路の義を主張して居る。蓋し慈畳のム口幹思想を百パ竿一四一歩前進したものである。 議莞の弟子安然は.日蓮聖人も﹁叡山第一の古徳﹂といほれた程の偉大なる存在であったが、みづから胎斑界の法 を受けて‘その著敬時問答に於ては、法華民言の理同を説き、また菩提心義抄に於ては、二粧の事異を主張して居る。 かくて安然は台密の大成者といはれるのであるが、五日が聖人はその見併を異にせられ、台密の責任はこれを先駈者た る慈血児に課し、安然には別に彼が時を傘草した責任を聞はれて居るのである。す・訟はち安然は救時詩論に九宗の勝劣 を立て L ﹁初めに良一言︷一耳、共に僻心宗、弐に法華宗﹂と法華を第三位に置き、僻心宗すなはち蹄を法華以上に位置づ けたものであって、法華経至上の叡山仰救に封する第二の胃漬として札弾さる L の で あ る 。 降って慈慧門下に多くの英才を出し、多士済々の感観を呈したが‘就中慧心。檀那の南町は群を抜いて秀でた皐匠 であった。その意心街都が、従来国総戒を綜合した叡山怖救中、固に附随せる念怖を調立せしめて、末法相臆の行門 、 と 稿 し 、 と L に一ト新紀元を劃するに烹うた。その著往生要集は念例法門を鼓吹したものであって、その序文に﹁夫住 生極集之救行内濁世末代之
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央 ﹂ とある如く‘法華経も諸経も一括してとれを拠捕し、 念仰の一行乙そ 末法の要行とし℃強調したのである。 かくて叡山仰敬は慈畳に依って先づ真一一=口に堕し、安然に依って調仰に屈し、慧心に依って念悌に走って、所謂機宜雑 凱となってしまった。五口が聖人が以上の三人を撰時抄に﹁法華経倖敬大制の削子の身の三虫たり﹂といはれたのはとの窮めである。かの賓地房詮由民が、営時の叡山俳敢に橡らやして﹁遠土師勺大聖世隼↓近丈師三天台・荊漢↓共齢者不レ 足 日 用 げ
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之 ヲ ﹂ と 道 破 せ る と ‘ 一 服 相 通 や る も の が あ る 。 誇真は源苧時代、東塔の花王院に在った事併守、三大部私記の著者として著聞する所である。夙に慧檀雨流を皐び とれを止揚して第三の地歩を占めたといはれるが、要するに雨抵の敬風に機ら守して、天台・妙業の古に復れと主張 した繭正論者であって‘との点五ロが聖人の佐前に於ける天台への復古主義と、その摂を一にするものがある。m w
中古天台の否認は理在結言 中古天台の範囲に就ては、未だ一定の定説もないが、大体との方面の専門家の意見を参酌して、慧慣雨流の末流で 平安末期の院政時代から元職手保とろまでの呼稲と考へたい。しかしと L では直接聖人と闘係のるつた時代に限定し て 解 説 す る 。 かの慧心檀那を中心として護達した台続的本費思想は、やがて文献を離れて奔放不踊た猫断的解轄を生ぜしめた。 とれには院政時代に於ける同家機力の衰微に乗じて、勢を張った僧侶の墜落や‘忠賓・た事問の衰へたととも一因をな したであらうが‘自由にして奔放不様な主観的風一風の勃興した結果は、互に異設を立て L 自家の秘停と稿し、とれを 門外に一不さどる風習を馴致するに玉った。との傾向が慧心流に於ては三重七科の法門を中心に、所謂口倖法門となっ て 現 は れ 、 口決相承に非ればとれを偉へや﹁錦の袋に入れて頚に懸け、箱の底に埋めて高直に資る﹂といはれ、果て は﹁博千金莫侮之﹂とさへ稿するに至った。あたら一心三視の法門もと L に至って商品化した観がある。他方槽那流 に校つては濯頂玄旨の血脈と稿し、 一一樫の秘斡漉頂式に依って、他の密濯戒漉に到して白門の特色を保っと共に‘そ の流域の棋張を謀った。所謂玄旨時命壇がそれである。 日蓮救皐中に交錯せる巾古天台の思想及び様相 六 七日蓮敬皐巾に交錯せる中古天台の思想及び様相 ノ、 /\、 かくの如く主観的解樟や秘密相惇を山内ぷに至った結果、その教義的内容は非常に濁善的とたり、雑探的となってし まった。口偉法門の筆越された最古の文献としては、国多羅義集であらろといはれるが、その閤多羅義集は古来智詮 大師の作と稲せらる L も、賞は智詮の授決集に擬して後人の偶作したものといはれる。たど的確にその時代及び作者 を推定し特ざるは遺憾である。その内窓は天台大綱決以下五十飴科の法門を掲げて、とれを轄するに備経儲論を列奉 して﹁頓漸固の三敬は法報臆の三身と宰幌中と一心三観と三間一心とに名く﹂といふが如き、華強附舎左臆誌を遅う して居るのである。 また慧心流口偉法門を、相々整理した形態として考へらる L 修師寺決にしても、それが従来の所停の如く俸救大帥 の作でないととは今日事界の定設であって、中古天台口偉法門の文献化したものといふととに異論は・ない。その修蹄 寺決の内容を見るに、国密合談は勿論、往生思想・理観思想・唱題思想等の混交した雑胤悌救である。 その他中古天台を代表すべき枕壁紙・本無生死論・五部血脈・牛頭決等は、何れも口倖法門の文献化したものであ るが、その法義内容は雑飽悌敬の敷に漏れない。法華経至上主義の立場に立って、悪質智詮以後の樫賞雑凱を極力指 弾せられた聖人が‘か L る中古天台の雑凱悌敬を否認せらる L ととは論を侠たざる所である。聖人は常に﹁修多羅と ム口せば録して之を用ひょ。文無く義無きは信受すべからや﹂といって文献主義を主張し﹁悌詑に依相思して、口俸を信 やるとと莫れ﹂と口惇主義の危険を誠められて居たのである。
ニ、宗畢上に受流する中古天台思想の一瞥
属品設以後の叡山悌救を口して、樺宜雑観と庇し、ひたすらに天台大師の法華経王主義の古に復れと叫ばれた聖人が畳誰よりも甚だしき雑嵐敬撃たる中古天台を容認さる L 謂はれなきととは、前項に略述した如くである。然るに古今 の宗皐に於ける種々の部面に亙って、中古天台の影響または轍入と魔しきものが少く泣い。それ等のすぺてを列聞躍す るととは今の目的でないから‘試みに三筒の大事と伸身観に闘する一三万文献を翠げて置く。
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三 簡 の 大 事 ︵ イ ﹀ 日 浦 抄 俸に云︿、佐渡阿開梨日浦著 問 云 、 於 オ 此 宗 一 一 二 筒 ノ 大 事 主 寸 一 宮 何 。 答 ヲ 是 義 米 司 相 偉 寸 但 天 台 一 家 之 三 筒 ノ 大 事 ト 者 四 筒 大 事 ノ 中 ノ 法 華 深 義 ト 云 ヲ 内7
略 偉 三 箇 ノ 大 事 ヲ 開 出3
固 敬 二 ニ 身 、 常 寂 光 土 義 、 蓮 華 国 果 是 也 。 先 岬 此 旨 ヲ 能 ク 能 ク 相 偉 , 共 上 = 可 円 得 t意 事 也 。 営 家 ノ 三 前 ノ 大 事 ト 者 御 書 = 云t
本 門 , 本 隼 ト 輿 = 四 菩 薩 ↓ 戒 壇 ト 南 無O
経 ノ 五 字 也 一 国 一 訂 此 三 大 事 敗 。 敢 テ 難 ゆ 及 山 短 慮 一 。 興門集問。 四 買 以上は中古天台を一貫して中心教事と・危うた三重七科口倖法門の中、庚倖四筒の大事の下、法華深義の下に分間され た時偉三筒の名目を掲げて、その趣旨を相侍せよと詑き、かへって吾宗の三筒の大事については﹁短慮に及び難し﹂ ム﹂匙を投げた態であって、その聞にゐのづから中古天台時讃の片影が現はれてゐるのである。 さて略停三簡の第一、固敬の三身とは、法華経本語の敬相を超越した本前未分の翻心︵すなはち一大岡敬﹀の上に 立つ所の無作三身の僻でるる。従ってとの仰は始めて修刷制した三身ではたく・本来法爾として三身岡湖の費休であっ て、とれを国教の三身とも無作三身ともいふ。すたはち自然本莞の併である。 第二の常寂光土義に於て、理・事の寂光土を説く。す左はち哩の寂光土とは、 一 念 未 だ 生 ぜ 歩 、 高 法 未 だ 分 れ 歩 、 身土依正の別もたい本有常寂の土である。事の寂光とは森羅三千の事相宛然として、身土依正の姿歴然たる営相をい 日蓮教事巾に交錯せる中古天台の思想及び様相 y、
九日蓮数泉中に交錯せる中古天台の思想及び様相 ーと
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ふのである。而して諸宗が理の寂光土を説くに封して.慧心流に於ては俗諦常住を談 J Y る立場から、事の寂光土を主 張 す る の で あ る 。 第三に蓮華因果とは、法界の依正二報の上に、悶果供時に岡満するととを期す法円である。無始巳来三千の諸法宛 然たる所に、本有の因果を説くのであって、とれを蓮華閃果といふのである。すなはち営体蓮華である。蓮華は花泉 同時去る故に、三千の依正宛然たる営体に本有の閃果ありと詑くに警へたのであるつ 要するに国敬の三身は能居の三身を詑き、寂光土義は所居の依報を談じ、蓮華因果は依正二報の上に本宥の因果を 搬す法円である。而してか L る 自 然 本 畳 的 台 密 思 想 が 、 無 保 件 に 五 日 が 宗 撃 に 輪 入 せ ら れ た と と は ‘ 吾 が ︷ 一 不 皐 の 特 異 性 を疑はしむるものである。聖人の立てられたる正確なる宗製指棋が、果してそのやうた宰疎なものであらうか。 ︵ ロ ﹀ 法華本門弘経抄 精議房日降著 日存聖人御口停に云く、紋の天台宗七簡の大事とは、侍法要備の大事、此れは停敬大師の本相承なり c 時傍三筒の 大事とは‘慈畳大師異朝将来の相承左り。都合七筒なり。四簡の大事の中の法華深義より時停三筒の大事は出でた り。所謂三簡とは国教の三身、常寂光土の義、蓮華の因果なり。法華の深義とは、法華玄義と云ふとと左り。玄義 とは五重玄、五重玄とは総別也。別休の︷一万用を以て組名に話す。組側名の妙法蓮華経とは本門にとれあり。本門の妙 。 口 口 口 O つ 口 口 ﹁ 0 0 0 0 口 0 0 00
粧に岡敬の三身、常寂光土義、蓮華因果の三筒の大事を具是せり。此の三簡の大事とは営宗三筒の秘法なり。所 以に本門の本等とは国教の三身、本門の戒壇は常寂光土、事行の首題は蓮華悶果と相配すれば、次での如く義理亦 分明たり。再躍に及ば今 o − U 云 ︵ 日 隆 上 入 金 集 十 一 各 五 一 只 ︶ と明かに中古天台に於ける略倖三筒の法門を採り上げて、本門の三大秘法を解説されて居る。と L に至って一部宗外の聾者から、本門の三耐は、中古天台に於ける三筒大事の肱化なりといはれでも‘何等耕疏の献はないわけである。 ︵ ハ ﹀ 民 流 正 傍 紗 常不軽院日良著 倖 救 大 師 略 惇 三 箇 ノ 秘 法 ト 一 広 ヲ 事 道 遼 ノ 修 蹄 寺 決 ト 一 五 ヲ 物 2 書 官 。 目 疋 レ 則 チ 七 百 飴 科 ノ 相 承 ノ 中 ヲ 取 オ 簡 要 五 局 守 三 筒 ノ 秘 法 ↓ 。 夫 レ ト ハ 者 国 救 ノ 三 身 、 蓮 華 因 果 、 常 寂 光 土 義 也 。 此 ノ 三 ヲ 蓮 帥 替 オ 名 目 ゴ 三 本 門 三 大 秘 法 ↓ 事 ヲ 鋒 外 一 通 , 抄 ニ 有 幻 製 作 一 。 此 中 二 品 目 ガ 岡 敬 三 身 ↓ 営 家 ノ 敬 主 也 。 是 ヲ 営 宗 主 名 目 本 門 ノ 本 等 寸 扱 テ 蓮 華 因 果 工 者 営 ︵ 一 不 ノ 題 目 ノ 一 大 事 也 。 常 寂 光 土 義 工 者 本 門 ノ 戒 壇 院 也 。 ︵ 本 妙 法 華 宗 部 第 一 、 一 三 三 頁 ︶ との文には略侍三簡の大事を、五口が聖人がその名を本門の三大秘法と改められたと断言されて居る。五口が宗旨の三副 にして呆して然らぱ本化別頑の救観も決して別踊ではあり得ない。樺質雑飢の極に達した中古天台の雑蹴悌救 M L 母胎 として脱化した本門の三副たりと断やるに至って、吾が宗撃の特異性もなければ優越性もあり得ない。かくて聖人を して中古天台の一亜流と化せしめて悔ゐなきを得るであらうか。 !2) 悌 身 観 ︵ イ ︶ 天 台 一 ’ 誕 の 伸 身 論 宗事上に散見する中古天台の伸身視を検討する前提として、先づ天台一家の書量顕本論を一瞥し、特に中古天台に 於ける伸身視そのものを正確に認識し、とれを把握し−なければならない o (a) 原始天台の蓄量顕本論 天台大師以前の所相古帥の伸身観は概ね法身顕本論であった。また光宅の如きは書量日聞の雰頭に﹁如来秘密神通之 力﹂とある交に依って、書量の塵点遠毒を以て、開伴等の紳迫力に依る延需と解し、一紳通延毒・なれば絡に謹くる期あり 円建設夢中に交錯せる中古天台の忠恕及び様相 七
回連敬桜中に交錯せる巾古一大台の思想及び様相 一仁 となして、臆身無常論を唱へた。 天台大帥は古制の法身顕本と、光宅の膳身無常論とを止揚して、自ら通明三身別在報身の義を提唱されたのでるる。 すなはち書量顕本の所詮は‘通じては三身常住であり、別しては報身顕本である。怖の智慧が宇宙の真理を体制刊さる L 時、その所知見の理を法身といひ、能知見の智慧 bL 報身といふ。市してその備が赴機続物の矯めに震動する、それ を脂身といふのでるる。すたはち最初詮得の悌︵報身﹀が宇宙の民理に其し、赴機待物に護助︵脂身 V する.そとに 三身が具足するから週明三身といふ。而も中間性の報身は上、法身に冥し‘下、臨身に契ふから.別在報身と説︿。 とれは俳身観稜展史上に於ける天台大師の一大山中見であって、妙紫大師も、とれを稽承して 法身非需は諸敬の常談・但だ未だ曾て久遠遠需を設か・?。 ︵文合二十五巻問十四了﹀ と、天台の久遠遺書を大師の猫創として誇耀されて居る。まととに法身非霧は冷かも仏る理休法身の常住に過ぎない。 とれを人格的に久遠質成の報身怖と見る所に‘法華経の卓・異性があり、天台大師の調創があるのである。また妙融市大 師は光宅の鷹身無常に劃しでも 諸醐伴皆書量を以て無常とせ守、光宅乃ち需量を以て延需とたす。 と評破されて居る。かくて原始天台に於ては文上盛点を能額とする報身備を以て誇量顕本の所詮としたのである。 ︶ ︼ ’ B 臥 ︵ 慈 畳 知 H 誰等日本上古天台の頴本論 原始天台に於ては.報身顕本を以て一家の濁創として誇耀するに拘らや、日本天台に於ける慈費智詮以後に至りて は真言の影響を受けて、大日本地身の法身と、害時量本備との融合を説くに至った。その源は遠く支郊の一行阿閤梨に 費 し た も の で あ っ て 、 一行の大日経義糟︵韻戴第三十六套三三八︶には、法華粧を以て略説とたし、大日如来の設か
れた密粧を﹁妙法蓮華最深路島﹂となして、害日五品は畢克﹁此宗︵真言︶職伽之意耳﹂と説いて居る。すなはち法華本 門の報身悌と、大日法身如来との融合論でるる。この大日経義躍の文に示唆された慈畳大師は、その著金剛頂経疏に 於 て 、 見虚遮那伸、雄三 A D ト 不 久 現 誰 ↓ 而 モ 成 伸 己 米 甚 大 久 遠 . 所 一 − 一 以 内 不 山 説 レ 経 計 却 敷 ↓ 者 於 採 血 = 各 有 = 傍 正 ノ 義 一 故 = 法 華 ハ 正
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近 成 ノ 執 ↓ 故 − − 由 民 ク 詑 U 劫 事 ザ 。 今 此 経 ハ 正 ク 樹 九 一 唄 成 之 相 寸 故 = 魔 グ 演 出 此 現 設 相 寸 時 y 詮 U 久成 J 事 4 雄 日 有 寸 傍 正 一 二 悌 不 レ 異 ヲ 。 ︿ 三 谷 六 丁 ︶ と論じて、金湖国経の不久現設と.法華経の久遠貫成とを習合して、金剛頂経は国間哉の陸劫を破して、密教の頓読の 相を顕すが矯めに不久現詮といひ、法華は近成の執を破するを正意とするが故に久遠質成と説く。互に傍正の異りと そあれ、その師趣は一であると主張したのである。 弐に古来智設の著と倖ふる頴密二宗本地三身樺が、果して智詮の作なりや否やは別に検討の必要がある。寧ろとの 書は中古天台の分野に入るべき思想内容と思はれるが、同室円には 経 = 云 ク 我 質 成 悌 巳 来 文 天 台 大 師 ノ 樺 = 一 一A
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能成 n 即報身、所成 n 即法身、法報合2
故 = 能 ク 篠 山 物 ヲ 0 故 − − 能 ク 三 世 = 利 = 徒 ぇ 衆 生 サ 己 上 能 成 即 報 身 者 如 来 ノ 知 見 也 。 所 成 即 法 身 内 者 所 知 見 三 界 之 相 也 。 准 す − 一 此 文 一 躍 迦 如 来 ノ 久 遠 質 成 之 時 、 コ 一 界 , 衆 生 悉 ク 成 守 本 地 ノ 法 身 ザ 也 。 四 伴 迦 如 来 ハ 以 計 如 質 ノ 知 見 イ APR 三 界 ノ 衆 生 サ 成 帥 本 地 ノ 法 身 U 者 日 疋 妙 中 ノ 花 一 妙 、 極 中 ノ 紙 読 也 o ペ 臼 本 大 藤 鰻 天 台 宗 密 敬 意 疏 四 七 三 頁 ﹀ と論じて居る。との書に樺隼の本地開顕を能顕とし、衆生の本地問顕を所顕とするあたり、かの二帖抄鬼間 内 天 金 二 七五一只、同二六九頁︶及び文句略大綱私見聞︿備会一五七頁﹀等と同裁であって、寧ろ中古天台に属すぺき文献であらう 日 蓮 致 事 中 に 交 錯 せ る 山 ・ 古 天 台 の 思 想 及 び 様 相 t二日 蓮 数 皿 宇 中 に 交 錯 せ る 中 古 天 台 山 忠 恕 及 び 様 相 t二 四 が、別に智詮の阿字秘轄には‘ 害 支 ノ 常 住 n 久 ク 修 , 得 タ リ 正 ク 此 妙 法 ハ 最 傑 耐 特 ノ 大 日 如 来 ノ 常 心 地
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今 潟 戸 大 合 引 自 ラ 開 演t
故 題 山 妙 法 蓮 華 経 ↓ 。 ︵ 日 歳 天 台 宗 由 利 数 章 疏 一 巻 四 六 八 頁 ︶ と、議量品の仰を能詮、大日如来を所詮として、岡山利一設を説委﹂、隠約の聞に密勝額劣の思想を露顕せしめて居る。 かくて支那天台に在つては、書量文上の鹿点に即して報身常住を就きたるに封して、今や畳穀雨師に依って密粧と 結合の結巣、久遠質成の轄傘は能詮の報島均伸、不久現詮の大日本地身は所詮の法身悌と論じて、沿のづから密勝顕劣 の思想に堕して居るのである。 例 中 古 天 台 の 顕 本 論 中古天台の最大友特色は、設相を逸脆した極端た翻心主義であるが、伸身観もまたその紘に沿って生長してゐる。 古来慧心信都の著といはれる枕双紙は、今日に於ては俊範から静明のとろの作と推定されてゐるが‘同需に 悌 本 門 書 量 = 設 計 久 遠 成 道 4皆 椴 ノ 施 設 也 。 共 レ 貫 一 − h 如 来 臓 ノ 理 三 本 白 リ 不 L論 功 成 不 成 延 辺 始 中 経 ノ 差 別 − 何 ゾ 論 理 主 久 遠 ト 輿 日 今 日 一 雄 日 然 : 毎 日 利 = 徒2
衆 生 寸 話 三 令 日 起 口 信 心 ↓ 設 計 五 百 鹿 点 ↓ 也 。 若 シ 得 計 三 他 機 ザ 不 レ 同 号 。 相 = 陪 セ パ 彼 一 者 可 け 詑 ヲ A 百六百乃至百千高1
皆 目 疋 レ 仮 設 也 。 ︵ 葱 心 全 集 一 巻 二 三 丁 ︶ と五百塵点は仮設なりと断じて居る。また等海口偉には 静 明 ノ 御 義 昌 平A
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世 間 ノ 由 華 匠 月 五 百 塵 点 最 初 質 成 ノ 事 成 ノ 時 分 ヲ 云 山 本 質 成1
一 耳 目 開 閉 本1
也 。 共 ぞ 顕 本 ノ 共 一 也 。 擢 山 事 成 ノ 本 サ 事 老 母 い 顕 弓 無 作 三 身 ノ 本 ↓ 方 便 也 。 的 テ 先 ν 可 リ 定 山 本 質 成 ノ 相 サ 也 。 営 流 = 、 本 宜 成 ト 権 一 三 ト 無 始 無 格 無 作 ノ 三 身 J 顕 本 寸 脅 ヲ 也 。 門 天 台 集 会 書 五 O 問 ︶と論じて、韓傘の久遠質成を以て文上能顕の方便となし、脚伴仲ヰの無始無終本費無作の三身を顕すのが文底所顧の賓義 であるといふのである。とれは明かに書量一品の上で文上能顕と文民所掘とを論ゃるのであって、かの費詩等のム口斡 に於て、法華経と密経とを封立せしめて能所を論じ、法華経は能詮の報身、事顕本の樟仲与なりといひ、密粧は所詮の 法身、理問問本の大日本地身友りと説くとは、その綱格を異にするものである。彼は二粧割論の上の能所であり、とれ は法華一粧の上の能所であり、魁質していへば書量一品の上の能所である。 かくて中古天台に於ては書量銅山本の併は無始無終の本質三身如来と説くのであるが、その伸の法体内容に於ては、 大日本地身と何等異る所もない自然本畳の素法身に外ならぬ。との点密粧の影響で・なくて何であらう。 かくて顕本の事現について、文句略大綱私見聞には. 先 ッ 事 国 間 本 工 程 文 一 一 臨 時 一 致 ノ 五 百 塵 点 ノ 相 ヲ 説 ヂ 破 立 宍 近 情 古 寺 破 控 顕 本 ト 云 ヲ 也 。 四 期 本 ド 一 五 n 我 等 生 死 流 時 ノ 無 始 ノ 色 心 7 本 畳 無 作 ノ 妙 境 妙 智 ト 顕 λ 是 タ 開 悲 願 本 ト 云 也 。 ハ 例 数 金 書 一 五 七 頁 ︶ と事顕本の落居は理顕本であると論じて居る。且つ等舜の玄義見聞には、 悲 心 流 − 二 理 成 ハ 勝 し 事 成 ハ 劣 ル ト 成 。 玉 ヲ 也 。 接 点 , 尚 南 初 ノ 事 成 伸 ト 者 岱 リ 破 言 旭 化 ノ 近 情 五 づ 借 斗 座 点 一 故 − 一 被 n 能 顕 ノ 方 便 也 。 此 外 − − 所 副 相 ノ 僻 休 可 立 何 日 之 也 。 共 悌 ト 云 ハ 性 本 願 本 内 設 住 ⋮ 作 本 費 ノ 如 来 也 。 ハ 六 谷 十 問 丁 ︶ と論じて事成は能顕の方使、理成は所願の質事であって、本莞無作の併であるといって居る。その他等海口傍︵天会 五 ︵ U 二 一 只 ﹀ 等 に も 心 賀 の 御 義 と 精 し て 現 顕 本 圧 意 が 設 か れ て 居 る 。 かくの如く事顕本の報身を方便とし‘理期制本の法身すなはち本畳無作の怖を良質身とする所にも、法華経本語の救 相を離れて、専ら翻心を最要とする翻心主義的傾向が見られるのである。等海口停に‘ 日蓮致事中に交鈴せる中古天台の思想及び様相 七 五
日蓮敬筆中に交錯せる中古天台の思想及び様相 七 ノ、 謹 門 内 躍 僻 ノ 三 身 也 。 本 門 同 報 伸 二 ニ 身 也 。 本 謹 不 二 ノ 観 心 n 法 中 論 三 ノ 三 身 也 。 門 天 台 宗 主 脅 阿 九 五 一 只 とある如きは‘とれを裏書きするものであるoかくて文上塵点賓修賓詮の報身悌を有始として軒視し、支店の無始無 終本畳無作の自然畳を重んじた結果・それは濁り果上の悌のみには限らない。在迷の凡夫もまた同じ本鹿児無作の三身 如来であるといふ思想にまで展開した。との問の開係を二帖抄見聞に‘ 今 ノ 顕 本 ノ 本 意 内 十 回 外 ノ 衆 生 悉 , 無 作 本 質 ノ 如 来 2b テ 一 切 衆 生 ノ 生 住 異 減 ノ 四 相 ヲ 本 来 常 住 ト 見
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成 道 ト 云 ヲ 也 。 ハ 天 台 宗 令 書 二 七 五 頁 ︶ 所 詮 顕 本 ト 一 言Z
何 事 ゾ ト 言Z
顕 日 衆 生 成 悌 ノ 本 悌 ↓ 名 す 。 其 成 伸 ト 者 額 百 同 受 用 木 魔 ノ 智 体 4 名t
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ハ 同 二 六 九 頁 ︶ と論じて、書量顕本 J 本意は衆生本有の無作三身を顕すにありといひ、文句時大綱私見聞にも‘ 今 ノ 然 我 質 成 僻 〆 我 : 自 我 得 悌 来 ノ 我 ヲ 一 日 時 − − 習 ヲ 時 、 凡 y 於 け 我 = 賓 我 慢 我 : 、 凡 夫 ノ 我 ヲ 質 我 ト 言 ヒ 働 界 J 我 ヲ 根 我 ト 言 ヲ 也 。 A 7 J 我 内 向 梓 掌 ノ 顕 本 ヲ 詑 タ 故 − 一 般 我 也 。 此 ノ 我 ヲ 十 界 ノ 我 ト 習 ヲ 也 : ・ : ・ 此 時 R 樺 傘 一 悌 ノ 期 本 ヵ 十 界 同 時 ノ 顕 本 ト 可 b 得 レ 意 也 o Q怖 敬 金 書 一 五 七 頁 ﹀ と書量品に於ける樺隼の顕本を仮設として、衆生の顕本を賓義とするに至った。而して樺隼自らの第一人稀である﹁我 質成伸﹂﹁自我得悌来﹂の我の字に﹁大﹂の一字を冠して‘とれを十方法界の﹁大我﹂と解醐伸したのである。かの御義 ロ倖に﹁我とは法界の衆生なり﹂と解棒せる如きは、貫にとの中古天台の思想に基くものである。 かくの如き翻心主義の解樺は、菅に十界の衆生の頴本に止らや、更に進んで森羅三千の情非情の瀬本にまで展開し た。す左はち文句時大綱私見聞に蓮質房の口俸として﹁五百塵点 F 迩伸ノ害命.森羅高象 r 本僻 F 害 命 ト 口 決 シ 玄 へ り ﹂ と 一民ひ、とれと同じ口停が等海口偉︵天金五三八頁﹀にも見えて居る。かくて法身理顕本の思想は裡隼の瀬本より十界の衆生の附樹木と左り、再柑押して非情の一草一木の顕本にまで展開したのである。草木成悌の思想はこの思想の基礎に立 つ も の で あ る 。 か L る親心主義の傾向は、還に十重顕本は敬相の所談にして貰義に非やと下し、十重期本の上に別に翻心顕本を立 て h 、とれを最後究寛の旧樹木となすに至った。すたはちこ帖抄見聞に、 十重 m樹 木 ノ 中 = 不 レ 謹 詰 糊 本 ノ 賞 義 ↓ 此 上 − − 立 町 観 心 ノ 問 問 本 ↓ 顕 山 一 念 三 千 ノ 本 理 成 道 ザ 也 。 此 等 ノ 義 門 他 流 − ニ 不 山 知 ラ 事 也 。 門 天 金 二 七 O 頁 ︶ ’ F﹂ 、 そ の 潤 創 を 誇 り 、 十 重 旧 制 本 ノ 中 ノ 性 本 開 閉 本 ト 言 フ モ 質 −
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用 ノ 重 也 。 破 麿 開 合 同 ノ 上 z 住 守 本 質 ノ 内 詮 一 故 ヱ 向 日 正 レ 外 用 ノ 重 也 。 : : : 迷 悟 モ 不 ι分 タ 機 法 そ 不 山 起 ラ 三 千 有 ノ 任Z
本 地 無 作 ノ 宜 体 ヲ パ 賞 二 不 立 読 書 量 口 問 一 一 也 。 ︵ 天 金 二 八 三 頁 ︶ と論じて未だ迷悟も分たや機法も起らざる本有のご一千の有りのま L なる本地無作の賞体を顕すのが宜義であるが、書 景品にはその宣義が詑かれてない、それゆゑ需品単一品の十重顕本の上に更に翻心掛本を立て L . 員 一 貨 の 期 間 本 と す る の で あ る 。 かくの如く全く敬相の軌範を枕して、飽くまで奔放不輔な自由な解搾は、中古天台に於ける猫創であって、教祖相 者一の戦撃に於ては結えて見ざる所である。 ︵ ロ ﹀ 綱要導師等の害景顕本論 導帥は﹁三世間制本最初震本章﹂に於て書量顕本を論やるに、営体義紗・総勘文抄・桜田抄等を堪げて、書且一一所思の 伸休を無始本莞昆畳一本と論じられて居る。果して然らばそれは自然本完の仰であって賓修宜誰の怖ではない。放に 日 蓮 致 事 中 に 交 錯 せ る 中 古 天 ム 口 の 思 想 及 び 様 相 七 七日蓮敬隼中に交錯せる中古天ム日の岡山恕及び様相 七八 側者はとれを指摘して、 所 レ 明 ぇ 即 日 疋 無 作 三 身 ノ 会 象 ‘ 本 来 ノ 白 魔 伸 − − メ 未 山 渉 日 修 諮 一 者 也 。 ハ 捌 略 二 三 二 頁 ︶ と許破されて居る=優陀那和上もまた五議にとの点を論じて、 此 一 向 ノ 法 門 是 レ 台 家 耀 文 ノ ん 一 不 要
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市 非 = 営 家 樺 義 ノ 所 用 一 何 ト チ レ パ 者 営 家 ノ 判 ヲ コ 害 責 ノ 文 義 ↓ 以 苦 境 点 , 初 成 ↓ 常 一 プ 文 上 能 開 閉 ↓ 以 計 無 始 本 島 凡 寸 話 主 人 民 所 顕 ↓ 故 二 二 世 顕 本 皆 無 始 本 質 見 虚 一 本 ヲ 常 山 所 顕 ノ 本 地 ↓ 故 也 。 ︵ 制 略 直 議 合 本 一 三 阿 頁 ︶ と 許 慌 し ﹁ 剛 者 の 詑 節 理 痛 快 、 頗 得 一 一 顕 本 ノ 本 意L
と削者の説を支持されてゐる。まことに本史毘虚一本を所期の本地 となすが如きは、傘舜の玄義見聞︵ムハ谷十四了︶その他前記中古天台の諸書に明かなる如く、全く中古天台の思想その も の で あ る 。 また導師は﹁書量所顕本費三身意﹂に於ても、濯頂抄、総削文抄、御義口偉壮一寸の文献を思げて﹁須らく向来の諸文 を以て本莞所願の旨を思付すペし﹂といひ、営体無作本費三身の義を主張し・また﹁二種本門十僚異日﹂の下には、 指 U 文 上 ↓ 名 31 内 随 他 ↓ 者 正 ク 由 一 円 需 は 野 ガ 遮 執 ↓ 旦 グ 立 て 遠 成 之 言 日 共 云 で 成 伸 ↓ 是 順 守 夢 裏 ノ 安 情 一 之 一 治 す 本 質 之 家 エ ハ 都 テ 佐 一 五 成 俳 之 言 、 ︵ 制 時 一 四 七 頁 ︶ 弐=随白木門工者即是 L 文 民 加 熱 始 ノ 古 伸 也 。 ︵ 捌 略 一 一 間 七 頁 ︶ と文上随他‘文民随自等の義を懇げられて居る。而してとの義が前掲の玄義見聞等の中古天台の義と酷似して居るの で、流石に導師も簡別に苦み﹁慧流古義、大に今の意に同じ|捌略一四七頁﹂と告白されて居る。更に導師は大日経の 我一切本初と法華経の久遠質成との同異を論じて、 夫 ι 大 日 経 = 詮 勺 我 一 切 本 初 ↓ 自 ヲ 約 す 法 身 ﹃ 諸 経 ノ 常 談1
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未 げ 足 芸 同 希12
今 粧 調 , 明 以 前 挫 点 成 悌 ↓ 此 レ 約 丸 山 戦 腹 立 系 典 − − n 絶 ラ鉱 山 シ O ︵ 測 略 一 五 O 頁 ﹀ と法華の報身顕本を誇り O L .而も前記の如く中古天台に同じて自ら法身顕本に堕し、﹁慧心ノ本莞義濫主口門ノ流義こ などといはれて居るのでるる。
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五 口 宗 諸 家 の 中 古 天 台 模 倣 更に興削の筆交と倖ふる﹁救化弘粧七箇口決大事﹂﹁御本隼七箇之相承﹂の如きは、中古天台に於ける﹁七筒大事﹂ を模倣したるもの L 如 く 、 八 口 問 隆 師 の 私 新 抄 第 十 三 忠 信 ︵ ︷ 一 示 会 三 九 六 ︶ に ﹁ 救 行 設 三 重 血 脈 事 ﹂ の 一 項 を 置 い て 、 ・ ム u が 宗の三重血脈を説く如きも.中古天台の三重の口停を模したものであらう。もちろん敬行詩三葉のととは、天台大師 が夙にいはれたととで﹁一来三有コ三額一謂タ敢行詮|玄曾五下八右﹂とあるのであるが、とれを三豆の口停として取扱つ たととろに.中古一大台の特色があり‘それを模倣したのが私新抄等である。 また興師の口訣相承と稀する本因妙抄、百六筒相承を初め.三位順帥の本因妙口訣等、多くの口傍静態をなすもの は.恐らく中古天台の口倖形式に息んだものであらう。 而してその模倣は形態の上のみではなく、思想内容に於ける輸入も前記諸文献の外、御本隼七筒相承に、 帥 式 ク 法 問 介 ノ 五 大 二 身 ノ 五 大 也 。 一 筒 ノ 五 大 内 池 山 田 介 ノ 五 大 也 。 法 界 即 日 蓮 、 日 蓮 即 法 界 也 一J
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︵興命全集問二頁︾ と五大休同の理体論を以て、営位即妙不改無作の即身成帥を説く如きは、真言統救から輸入した合終思想の再輪入で なくて何であらう。 その他問主興肢の救判、本法未分の一致論、木有忠組.心性本完思想等一々枚壊に遣ないほE
であるが、それ等の 考設は且らく措き、宗関学上にかくの如く中古天台の敬撃を輸入するに至った起因が那設にあるのであらろか。 日 返 品 抗 準 中 に 交 錯 せ る 巾 士 白 ・ 米 ム u の思想及び様相 七 九日蓮敬摩中に交錯せる中古天台の思想及び様相 ノL 0 州 中 古 天 台 秋 風 一 e交錯の経路 小 十 リ ズ ム 口 秋 風 一 a が、五口が宗周一ゐ中援にまで侵入した経路を明確にする局めには、多くの考詮的研究を要するが、今そ の一班を考察するに‘聖人滅後昭削門下の臼一航、身延三世日進、宮士興帥門下の三位日順位一ザの諸師を初め、多くの法 孫が叡山に登って椛宜雑蹴のム口密の法水を掬した結果でたいとも限らない。もっとも前記耐・進・順等の諸師が直ち にム同総移入の責任者であるといふのではなく、か L る時代の情勢から生じた結果ではあるまいかといふのである o また錘倉の末期から足利時代へかけて後展した関東天台の品へるに及んで、宗門の皐匠が多くとの方面から法流を 倖へた形跡がたいではない。例へばかの録外御書編纂の先駆者の一人と日さる L 京都本莞寺の真如住削が、傘海門下 の一附海の末商から侍法した柏原慶舜より七科法門の倖技を受けた事貨があり、妙問覚寺旦字削は隼加といふ人からご帖 抄の相停を受けて、とれを五昌院日性に授けた。そ.して性師が永千五年十月から二帖抄について講述されたものを、 合下の日義が記録して﹁一流相倖私見聞書﹂と題し、今なほ身延文庫中に現存して居る。同書に二帖抄相停の系脈に ついて左の如く記して居る。 此 相 承 ハ 隼 海 ︽ 五 十 八 歳 、 耐 海 ハ 四 十 二 、 貞 海 ハ 三 十 、 貞 済 ハ 三 十 丘 、 貞 舜 ハ ︵ 柏 原 開 組 ︶ 二 十 九 、 民 舜 内 二 十 九 、 日 佐 川 ︵ 本 売 牛 寸 ︶ 三 十 二 . 日 一 一
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妙 莞 ヰ 寸 ﹀ 二 十 八7
寧 源 ョ リ 初 テ 倖 授2
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・ 重 テ 日 住1
四 十 三 ノ 年 俸 授 ト 仰 セ 也 一 五 云 。 更に眼を特やると、身延行皐朝師の師日出上人は曾ては仙波談林の化主となった人であり、また朝帥自らも少くして 仙波に負笈し、後更に叡山に登ヲてム口密を研鈴せられた人である。かの仙波は固頓日加算海以後関東天台の中心であり 間合慧心の本山であった。その仙波に師の日出上人は化主として骨錫し‘弟子の朝帥も後年曲学徒として m向 島 一 せ ら れ た のであるから、その皐風に影響の・あるのが率ろ営然の経路ともいふぺきであらう。且つ朝師の弟子の意師は叡山に於ける朝師と同事たるのみならや‘朝帥に私淑して師事するに至るまでは金錆寺豪 海門流の築源の門に在った人である。また同じ朝師門下の日倖上人にしても、檀那流の出身でありながら二帖抄見聞 をものし、現に身延の賀誠に現存して居る。同書に七科の法門について、 一 切 ノ 法 門 ノ 母 也 。 此 七
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揺 嵐 − − 非 凡 法 門 A 不 レ 可 レ 有 也 。 円 上 巻 十 七 丁 ︶ と記されて居る。営時の天台一家に於ては、入室の弟子に封して先づ法華経を授け、弐に三大部を皐ばしめ、然る後 との七科の法門を血脈として授けるのが例であった。即ち七科の法門は天台の三大部に代るべき時代化した敬感体系 として金科玉僚の重きをなし.口訣相侍されたものである。身延の意師が曾て泰書と揺し、未だ天台の島一借であった 頃に主円かれたコ流相倖法門私見聞﹂が.身延文庫に現存するが、その巻頑に、 仰 − 一 云 、 入 室 ノ 弟 子 ト 者 初3
弟子ノ事也。先 v 博 ニ 受 シ 法 華 経 ↓ 共 後 三 大 部 ヲ 島 ナ ヒ 明 メ テ 後 此 J 血 脈 ヲ 受Z
也 。 と記されて居る。以て営時如何に乙の書が泌亘せられたが乞怨見し得るのである。 而して五口が宗の事匠が相次で‘或は柏原に、或は仙波に、或は金銭に羽田錫して、中古天台の中按たる七科法門の相 停を受けられたのみたらや、とれを棺讃し、淘僻されたかの規あるは、まことに意外ではあるが、とれを五口が宗筆上 に中古天台・故壌の賢人せる事賓と思ひ合せる時、ほどその山って来る経路について見営がついたやうにも思はれる。 且っその耐停相承の形態を生中るに至った動機として考へ得るととは、聖人滅後、聖人門下に於ける各祇分張時代 に於て、互にその流義を誇耀するの結果、これを秘して他門に一不さや、天下無嬰唱授一人の大法門として秘情相承の 風 b L生 じ た も の で 、 一一躍の猫善的態度を中古天台のそれに倣ったものであらう。 中古天台一流の翻心主義が、吾が日蓮門下に・浸潤した営時のとと、龍華の像師門流では、六ケ依式日なるものを制 日蓮致事中に交錯せる巾古天台の思想及び様相 /¥..日蓮品抗感中に交錯せる中古天ム口の思想及び概相 i¥. 定 し て 、 不 日 知 計 救 道 詮 道 之 義 ↓ 而 於 一 円 謂 詰 間 道 之 法 門 ↓ 之 官 争 h − 者 不 レ 可 岩 崎 山 仙 砂 崩 寺 門 徒 ↓ 。 と山早観無数の翻心主義を戒めて居る。との六ケ依式円なるものが、果して像師の作なりや否やは別に検討の必要があ るとしても、とれに依って龍華門徒が、救観相資の立場を守って、妥りに観道に走るの危険を戒めた常時の宗歯学界の 情勢を看取し得ると同時に、門流割擦の情勢が窺はれるのである。
三、御遺文中に実錯せる中古天台の思想友びその様相
聖人滅後に登展した宗風一上に中古天台の思想及び形態が交錯して居るととは、前項までにほど明かにし得たと思ふ が‘聖人みづからの御撰越と侍へらる L 諸篇の中にも、同じ傾向が窺はれるのである。例へば慧心の﹁法華即身成俳 要記﹂を改訂したと推定すぺき十如是抄の如きもあれば、その他中古天台の翻案改訂と見るべき諸結がないではない それ等の中には、中古天台、殊に慧心系の口侍形式b z
文献化した口倖抄とか口訣形態のものがある。 またそれ等の法義内察としては、法身瀬木の重に立つ自然本莞の無作三身説、心性の八葉蓮華説、五大融通思想、 四重興鹿の敬判、本有常住の思想、本語未分思想等.凡そ中古天台特色の法門を採り入れて.五口宗の救墜と殆 P ﹂ 識 別 に苦しましむるものがある。聖人滅後に於て成立し殻 M ほした宗壌に於てとれあるは、ほど前越の如き歴史的理・闘に起 因したものであらうが、聖人みづからの御撰越と鵡する諸捕にこれあるはまことに不審に堪えざる所である。 而してとの点について宗内的に撃者の検討が行はれてゐないから、古今自他宗の曲学者をして、拍車人殺事の真髄を把 握するに苦ましむるのみならや、かの舜統院長起をして、中古天台の代表的著作ともいふぺき修蹄寺決を﹁恐らくは日蓮末弟の謀作なるべし﹂と放言せしめ、 また近世三井の敬光や前田慧雲師等をして、 聖人の教謬は修蹄寺決より脆 化せるもの友りと断ぜしむるに至ったのである。且つ島地師の如きは聖人の敬義は本質無作の立場であるに拘らや、 その行門に於ては、有作の唱題修行を唱導されて居るが、 との聞の聖人の自己矛盾については、恐らく終生解決し得 ざる謎であらうといはれてゐる。 かくの如く古今自他宗に亘って、聖人敬撃の特色を把握し認識するに苦ましめた第一の原悶は、 果して何底にある か。との点を究明し検討するのは、吾等宗皐の研鎮に従事するものに課せられた重要なる一課題であるる。 一 四 ・ 二 ・ 一 八
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参
考 圭並 ”日 檀那流! ー 泰 事 ︵ 身 延 日 意 ︶ ー 乗 海 ︵ 身 延 日 停 ﹀ 。 。 一 | 蓮 長 杉 生 大 和 旋 一 栗 田 口 皇尭Jl
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心 柴 一 一 | 承 論 ! 一 一 丁 豪 海 | 心 源 | 心 運 | 宥 慶 | 康 栴 | 築 源l
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