関谷博氏の書評について
木 村 洋 守 日 本 近 代 文 学 ﹄ 第 九 四 集 ︵ 二O
一 六 年 五 月 ︶ に 関 谷 博 氏 の 書評﹁木村洋 著﹃ 文学熱の時代懐慨から煩悶へ ﹄﹂ が 載 っ て い る 。 この書評は ﹃ 文学熱の時代 ﹄ の内容をよく理解し ないまま書かれている。関谷氏の誤りを正しておきたい 。 関谷氏はまず、明治負債農民騒擾についての研究成果の 参 照 が ﹁ こ の 時 期 ︹ ど の 時 期 ? ︺ の 政 治 と 文 学 ︵ 特 に 政 治 小 説 評価︶再考の上で不可欠﹂であるとし、﹁﹁懐慨﹂といいな がら、氏はその中身について黙殺同然である﹂と述べてい る ︵ 二 六 八 頁 、 ︹ ︺ 内 は 木 村 に よ る 補 足 、 以 下 同 ︶ 。 し か し 関 谷 氏はそうした研究成果の参照が﹁不可欠﹂となる具体的 な 根拠を何も示さない。さらに ﹃ 文学熱の時代 ﹄ の 序 章 に は っ きりと書かれているように、ここで扱っているのは、明治 負債農民騒擾が頻発した時期でも、﹁懐慨﹂が全面化した時 期 で も な い 。 あ く ま で ﹁ 懐 慨 衰 へ て 煩 悶 興 る ﹂ ︵ ﹃ 文 学 熱 の 時 代 ﹄ 七頁︶という動きの進 行過程 ︵﹃ 国 民 之 友 ﹄ 刊 行 以 後 ︶ が 分 析 対象である 。 そ の 上、そもそも ﹃ 文 学 熱 の 時代 ﹄ は政治小 説研究を標梼してもいない 。 関谷氏は ﹃ 文学熱の時代﹄序 章で示した問題意識に対して、関谷氏の言葉を借りれば、 ﹁ 黙 殺 同 然 で あ る ﹂ 。 また関 谷 氏 は 、 ﹁ 雑 誌 ﹃ 国 民 之 友 ﹄ が新文学育成に果たし た 意義や民 友社系作家たちに彼︹徳 富 蘇峰︺の及ぼした影響 力 等 、 多 く は 周 知 の 話 題 に 属 す る ﹂ ︵ 二 六 八 頁 ︶ と 述 べ て い る 。 関 谷 氏は蘇峰と民友社の研究状況をどれほど把握している のだろう。蘇峰を中心に据えた文学研究者の論文はこれま で ほとんど書かれていない 。 宮崎湖処子、松原岩五郎、山 路愛 山、竹越三叉、塚越停春、人見 一 太郎についても同様 で あ る 。 こうした状況のために今なお蘇峰は単なる功利主 義 者として誤解されている︵ ﹃ 文 学 熱 の 時 代 ﹄ 四 六 頁 の 注 l ︶。 民 友 社研究の遅れはこれまでにも他の研究者によって指摘 されてきた 。 関谷氏の言う研究状況は、他の研究者たちが 共有している研究状況とは異なるものらしい。 ま た 関 谷 氏 は 、 蘇 峰 の ﹁ 社 会 進 化 論 的 発 想 ﹂ に 対 す る ﹁ 突 っ 込 んだ考察﹂を行ったのは筆者ではなく中江兆民だったと し、こう述べている。﹁兆民は、﹁有名無形の進化神に一任 して己は唯静情なる傍観者の地﹂に身を置いて歴史を眺め ているにすぎない、と ︹ 蘇 峰 そ ︺ 批 判 し た の で あ る ﹂ ︵ 一 工 ハ 九 頁 ︶ 。 関谷氏は こ と で 兆 民 の ﹁ 国 民 之 友 第 十五号﹂という記 口δ 1 Bム事を引いている。しかしこの記事は、﹃中江兆民全集 ﹄ 巻 ︵ 岩 波 書 店 、 一 九 八 五 年 五 月 ︶ を 見 れ ば 分 か る よ う に 、 わ ず か一一行の寸評にすぎない 。 どこに蘇峰の﹁社会進化論的 発想﹂に対する﹁突っ込んだ考察﹂があるのだろう。 さらにこのとき、なぜか関谷氏は﹁有名無形の進化神に ﹂ 云々という先の兆民の記述を、﹁社会進化論的発想﹂に染 まった蘇峰に対する批判として意味ゃつける 。 これは明らか に誤読である。むしろ兆民は、蘇峰の中に ﹁ 社会進化論的 発 想 ﹂ ︵ と り あ え ず 関 谷 氏 の 言 葉 を 使 っ て お く ︶ が 希 薄 で あ る こ 四 とこそを難じた。実際、﹁有名無形の進化神に﹂云々のすぐ 後ろで、﹁何ぞ憤ふらざるや泣かざるや世の中に憤ふると泣 くと程進歩に益するものは有らずかし﹂ ︵ ﹃ 中 江 兆 民 全 集 ﹄ 一 六 八 頁 、 傍 点 木 村 、 以 下 同 ︶ と 蘇 峰 の 冷 笑 的 態 度 を 批判する。先の関谷氏の見解は、関谷氏が援用しようとし た当の資料によって否定されている。 また関谷氏はこう書いている。﹁ちょうどその時、︹帝国 議会開設のとき︺国民に向けて、今風にいえば、政治なんで も う ダ サ い 、 と 蘇 峰 は い っ た ﹂ ︵ 二 六 九 頁 ︶ 。 ﹃ 文学熱の時代 ﹄ のどこに﹁政治なんでもうダサい、と蘇峰はいった﹂とい う意味のことが書かれているのだろう。むしろ ﹃ 文学熱の 時代﹄は、蘇峰がつねに政治︵社会改良︶を忘れなかったこ 一 四 巻 、 とをくどいほどに強調した ︵ 四 四 頁 ほ か 多 数 ︶ 。 関谷氏 の 理 解 力には強い不安を覚えた 。 また関谷氏は、高山樗牛 ﹁ 美的生活を論 ず ﹂ をめぐる 筆 者の指摘に触れてこう述べている 。 氏は政治主義からの文学の自立を読み込んでいるつ もりかも知れないが、楠木正成 の 忠 義 も、菅原道 真 の 君 恩 感 謝 の 念 も 、 ﹁ 人 性 本 然 の 要 求 ﹂ ・ ﹁ 本 能 ﹂ な の だという主張ほど、帝国臣民にふさわしいものもあ る ま い 。 ︵ 中 略 ︶ 樗牛のような存在の 登場 が、教 育 勅 語体制の完成を証明するのであ る 。 ﹁ 旧思想﹂対﹁新 思 想 ﹂ というトピ ッ ク は、それら 一 セ ッ ト と な っ て 、 旧 社 会 の価値秩序を 一 日 一 解 体 し て 個 人 の 析 出 を 推 進 すると同時に彼らを帝国臣民としてかたく統合しよ うとする近代化戦略の機能を 果 たすものと見倣すべ き だ ろ う 。 ︵ 二 七
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頁 ︶ n 可 U 旬 Ei 関谷氏は 樗 牛の﹁美的 生活 を 論 ず ﹂ を 、 ﹁ 楠木正成の忠 義 も、菅原 道真 の 君 思 感 謝 の 念 も 、 ﹁ 人 性 本 然 の 要 求 ﹂ ・ ﹁ 本 能 ﹂ なのだという主張 ﹂として捉える 。 そ れ は ﹁ 美 的生活を論ず ﹂ の 片 言 を都合よく切りと っ たものにすぎず、本来の主張と は別物である。﹃文学熱の時代 ﹄ で 述 べ た よ う に 、 ﹁ 美的生 活を論ず ﹂ の挑発性は、楠木正成のような 存 在を、守銭奴や心中する男女などの逸脱者と区別できない﹁本能の満足﹂ の実践者として解釈し直した点にあった︵一六 二 頁 ︶ 。 そ の ことを無視した関谷氏の理解は窓意的と言うしかない。 現に当時の論者たちは、関谷氏とは異なり、﹁美的生活を 論ず﹂を決して楠木正成礼賛の文とは考えなかった 。 ﹃ 文 学 熱の時代 ﹄ に記したように、例えば蘇峰はそれを﹁国家の 事 を 、 馬 鹿 に し た る 話 ﹂ と 罵 倒 し た ︵ 一 七 四 頁 な ど ︶ 。 少 な く とも関谷氏はこの資料と先の主張がどのように整合性を持 っかを説明するべきだろう。この文脈で、蘇峰が教育勅語 の 礼 賛 者 だ っ た こ と も 補 足 し て お き た い ︵ ﹁ 日 曜 講 壇 近 世 文 明 と 教 育 ﹂ ﹃ 国 民 新 聞 ﹄ 一 九
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八 年 二 月 一 一 一 一 一 日 ︶ 。 同 様 に 、 ﹃ 勅語桁義 ﹄ ︵ 敬 業 社 、 哲 眼 社 、 一 八 九 一 年 九 月 ︶ を 執 筆 し た 井 上 哲 次 郎 は 、 ﹁ 青 年子女を有せる家庭への注意﹂︵ ﹃ 新 公 論 ﹄ 一 九O
八 年 六 月 ︶ な どで﹁本能主義﹂や﹁ニイチエの議論﹂を攻撃した。むろ んこれも樗牛の﹁美的生活を論ず﹂を意識したものだろう。 筆者が見るかぎり、関谷氏の言う﹁樗午のような存在の登 場が、教育勅語体制の完成を証明する﹂という主張にとっ て不利な資料ばかりが存在しているように見える。もし筆 者の見解に異を唱えたい ならば、少なく ともこれらの事実 を排除するに足る根拠 を 用 意 す る べ き だ ろ う 。 また関谷氏はこ う述べている 。 ﹁ 七 九 頁 や八九頁の注2
で、松原岩五郎と幸田露伴の共闘関係︵?︶に触れている のに、他の箇所では﹁紅葉露伴﹂と 一 緒くたの扱いだった のは、露伴最属の評者としてはとても残念だった﹂︵二七O
頁 ︶ 。 ﹃ 文 学 熱 の時代﹄を否定するためにわざわざこうした 非 学問 的で趣味的な言辞までも弄する関谷氏の態度を残念 に 田 ? っ 。 また関谷 氏 は 書 評 の 冒 頭 近 く で 、 ﹃ 文学熱の時代 ﹄ が ﹁ よ り 基 底的な政治状況に対する分析﹂を欠いていると述べ ︵ 二 六 七 頁 ︶ 、 末 尾 で は ﹁ 近 代 文 学 と い う 制 度 の 枠 内 に 留 ま り 、 これを相対化する試みとしては、いまだし、の感が強い﹂ と評している︵二七O
頁︶。ここで言う﹁基底的な政治状況 に対する分析﹂とは、先ほどの﹁彼らを帝国臣民としてか たく統合しようとする﹂云々といった分析を指している。 関谷氏が述べているのは、一九九0
年代頃に倦むことな く反復された国民国家批判の理屈と何ら変わらない。関谷 氏によれば、この理屈を今さら繰り返すことが﹁近代文学 と い う 制 度 ﹂ か ら の 脱 却 ︵ 何 の こ と か 分 か ら な い が ︶ の た め に 必要らしい。この記述は、関谷氏が ﹃ 文 学熱の時代﹄をま ともに読んでいなか っ た こ と を 物 語 っ ている。関谷氏は筆 者が自覚できていない ﹃ 文 学 熱 の 時 代 ﹄ の限界を見抜いた つ も り ら し い が、筆者は ﹃ 文学熱 の 時 代 ﹄ の序章で国民国 -20-家批判の分析例に触れ、そうした視点をとらないとわざわ ざ明言していたご六 j 一 七 頁 ︶ 。 補 足 す る と 、 こ こ で 関 谷 氏 が披露した﹁基底的な政治状況に対する分析﹂は、先述の ように筆者には非学問的なものにしか見えない 。 ︻ 付 記 ︼ 二