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変貌する山村芳井町 (岡山県)

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(1)

C. 地 域 研 究 第 1 5 集

変貌する山村芳井町 ( 岡山県)

‑ へ き地 か ら工 特 地 域 ‑ ‑

i = ■ ヽ

i11 . T lii823̲ a 岡 i l L 大学職 E l也 Uに 7

‑ ‑ ‑ ‑・一一 ̲ . tI 二Jt

岡山大学教育学部社会科教室 内地域研究会

鵬 山新 喜 伊 代 弓

(2)
(3)

高 山 市 の 集 落

朗蔽先生桜漢記念碑

(4)

芳 井 町 の 中 心 典 落 書 井

太 刀 洗 開 拓 地

(5)

種 の 大 規 模 開 拓 ブ ドウ 園

・・:

鋼管鉱業芳井鉱薬所 (吉井上嶋 )

(6)

旧 明 治 村 役 機

旧 明 治 村 役 場

旧共和村役場 (現公民館 )

(7)

芳 井 町 立 芳 井 中 学 校

(8)

1 50,000

(9)

は し

岡山大学教育学部地域研究会第15集報告朝 として , 「変貌す る山村芳M J‑(岡山県 ) ‑

‑ き地か ら=特地域‑ ‑ 」 を公刊するQ

調査対象地は岡山県後月郡芳井町である。芳井町比 ,後月郡内の他町村が ことごと く井原市

合併された後 も

,

「‑ き地」の故をもってこれに加わ らず .一郎‑町の町 としてその儀みを続け て きたQ ところが .その後福山 ・笠 岡両市 を中心

に .

救鉄 とその関連=業の大規換展開が緒につ き .備後工婿地域の指定があるに及んで ,この一郎一町の町 もこれにふ くめ られ ,=特地域の一 角をにを うこととなった。

われわれは ,音備高原の南の端を占めて ,高原上 とその中央を北から

に貨流する小 田川の河 堤段丘上に触藩 を残 し .第一次産典 を主たる産薬 として嫉んで きたこの町が ,かつていか なる歴 史を秘めて今 日にいたD .新たな時代にいかに対応 しつつあるかを明 らかに したい と願 ったQ

調査は ,昭和4 0年7月25日か ら5日間を本胴衣 とし ,社会科教官7名が これを指辞 し ,辛 菜生有志の応援をえて ,教室所属 5年択草生全員が とれ忙当たった。調査不十分の面は ,その後 秋か ら冬にかけて補足のための調査を行なったd

調査に当た っては ,芳井町 当局 とくに花川弘町長 ・,J、谷鉄雌助役 ・篠原国夫教育長 ・三宅重 男 社会教育主IJiか らは格別のど配慮 をえ .町内の関係各位か らも有難い E.'協力をいただいたO

ことに記 して心か ら感謝す る次第である。

(10)

教 官

卒 業 生

学 生

調 査 参

藤 沢 虫 明 飢

米 村 昭 二 三 漸 道三郎

中 野 莫智子 薪 本 居 昭 岡 崎 明 宏 在 間 宜 久

河 田 捕 一 箱 山 政 史 吉 永 美佐男 井 山

恵 矢 吹 誰 郎 ′ト 川 道 代 高 月 恭 子 森 康 成 田 中 京 子 古屋野 弟 三 浦 千代子 塩 見 由紀 子 大 野 光 二 武 田 千代子 藤 田 和 子

Jilユ Klelnb。r

G l

加 者

高 志一 進 宗 田 克 己

山 下 滋

上 EB 賢 一

田 広 志

白 神 乗

ノJ、 田 孝 子 沖 品 雅 章 七 薪 泰 子 尾 崎 邦 子 岩 本 興 八

EqT 橋 遷 郎

井 上 啓 糞

渡 辺 光

釜 田 ゆ き こ 池 内 和 糞

佐 藤 凍

三 宅 みさ子 近 藤 謙 介 中 原 住 忠

(11)

は し

岡山大学教育学部地味研究会第1 5典報告番 として

,

「変貌す る山村芳井町 (岡山県 ) ‑

‑ き地か ら=特地域へ ‑ 」 を公刊す るO

調査対象地は岡山県後月郡芳井町である。男=井町比 ,後月郡 内の他町村がことごとく井原市

合併された後 も

,

「へ を地」の故を もってこれに加わらず .一部‑町の町 としてその営みを続け て きたo ところが ,その後福山 ・笠 岡両市 を中心に ,魁鉄 とその関迎工難の大規模展開が緒につ き,備後工特地域の指定があるtrE及んで .この一部‑町の町 もこれにふ くめ られ .エ特地域の一 角をになうことと在 った。

われわれは ,吉備 高原の南の瑞を占めて ,福原上 とその中央を北か ら南に貿旅する小 EB川の河 岸段丘上に集 落を残 し ,第一次産業を主 たる産業 と して歩んで きたこの町が ,かつていか なる歴 史 を秘めて今 日にいた り ,新たな時代にいかに対応 しつつあるかを明 らかに したい と願 ったQ

調査は ,昭和4 0年7月25日か ら5日llJjを本調査 とし ,社会科教 官7名がこれ を指導 し ,卒 巣生有志の応援をえて .教室所属5年次学生全長が これに当たった。調査不十分の面は .その後 秋か ら冬にかけて補足のための謝壷を行なったO

調査に当た っては .芳井町当局 と

に花川弘町長 ・小谷鉄推助役 ・篠原国夫教育長 ・三宅重男 社会教育主串か ら比格別のと配慮をえ ,町内の舶係各位か らも有如い と協力をいただいた。

こ こに記 して心か ら感謝する次第であるo

(12)

教 官

卒 共 生

学 生

調 査 参

藤 沢 晋 虫 明 軌

米 村 昭 二 三 浦 道三郎

中 野 黄 智子 森 本 辰 昭 岡 崎 明 宏 在 間 宣 久

河 田 摘 一 箱 山 政 史 書 永 糞 佐男 井 山 一 患 矢 吹 謙 虚 ′ト 川 道 代 高 月 恭 子 森 康 成 田 中 京 子 古尾野 勇 三 浦 千代 子 塩 見 由紀 子 大 野 光 二 武 EEr 千代子 藤 田 和 子

J

ll l X lt )int ) erg

加 者

高 盟 進

宗 田 克 己

山 下 滋

上 田 紫 ‑

窪 田 広 志 白 神 爽 小 田 孝 子 津 島 雅 章 七 森 泰 子 尾 崎 邦 子 岩 本 興 八

高 橋 遵 郎

井 上 啓 美

渡 辺 光

釜 田 ゆき と 池 内 和 莫

佐 藤 操

三 宅 みき子 近 藤 誰 介 中 腰 食 思

(13)

目 次

第 1車 自 然 壌 墳 第 1節 地 形 第 2節 地 質

第 5節 高原台の カルス ト地形

1 1 10 14

4斬 気 候 ‑‑一一一一‑ ‑‑一一一一一‑‑‑‑一日 一一‑‑I‑‑‑ ‑‑‑‑‑日 ‑1 21

第 2輩 人口 と過疎化集落

第 1節 人 口

第 2節 過 疎 化 薙 簡 第 5章 古代 ・中世の芳井

l・ 古 代 の 概 観 2. 中 世 の 芳 井

28 28 59 45 45 44

第 4賓 近 世 の 芳 井 ‑‑一一一一I‑一一一一‑‑‑一一一‑ 一一一一一一日 ‑‑‑ ‑‑ ‑一一一一一 51 第 1節 領有関係 と地方支配 一一一一1‑‑‑‑ ‑‑‑‑‑‑‑‑一一‑‑‑‑一一一‑ ‑一一一一一 51 第 2節 検地 と年 賓収 納

第 5節 盛 民 の 生 括 第 4節 交 通 と 流 通

第 5牽 近代化へ の胎動 ‑‑ 一一‑一一一‑ 一一‑‑‑I‑‑ ‑‑‑‑日 一一‑ = ‑‑ ‑‑ ‑ 117 1. 地方 自治 の展開 一一‑I‑‑‑‑‑‑‑ ‑‑日 一一1‑‑‑‑‑‑‑I‑‑‑I‑‑‑‑‑ I‑‑ 117 2. 近代産業 の萌芽 一一一一一一一一一‑ ‑‑‑ ‑‑‑‑ ‑ll‑‑‑‑ ‑‑‑I‑I‑ ‑一一 125 第 6牽 経 済 構 造

第 1節 盛 業 の 発 展

( イ )

耕地軽費の展

( ロ )

商品作物の導入 とその発展 (Jう 遊 民層の分解

II

( I)

座薬構造改沓 事業 第 2節 盛 業 構 造

( イ )果

(14)

(ロ) 特 用 作 物 ̲‖ ‥ ‥ " " ̲̲̲̲̲̲̲̲" ̲̲̲一一一̲一一日 ̲̲̲̲ ̲‑. 174

( , , ) 畜

産 ‑ー… ̲̲̲‑̲̲̲一一… ̲‑‑I‑ ‑ ‑‑‑‑一、‑‑‑‑‑日 ̲一一一1 182 第 5節 林 業 ̲̲̲= ̲̲‑… 一一一一一一一一一一一一一一日 一一一一一一一一一一一 207 第 4節 鉱 工 業 ̲̲̲= ̲̲= ̲" I… … " ̲ー̲I‑ ‑I‑ ‑ ‑ ‑‑‑I 215 弟 5節 商 業 ," ̲‑… ‑̲= 一一11‑‑‑‑‑‑日 一一一‑‑ I‑ ̲‑̲‑‑‑ 1 221

(イ) 商弟 の推移 と現況 ̲.̲̲̲̲̲一一‑ ‑ ‑ ‑ 一一‑ ‑‑一日 ‑

‑…‥.

221

(ロ) 商 = 会 の 活 動 ̲̲̲… … … ー肝一日 ‑‑ ‑ ‑‑‑ ̲一日 ‑ ̲̲̲̲̲‑̲ 244 第 6節 交 通 通 信 一一一̲̲一一一対 一‑ ‑‑‑‑ 一一一日 一一‑ ‑ ‑ I‑̲" ̲̲. 249

( 1)

道 路 交 通 一一̲̲̲

(p) 鋼管の トラ ック輸送

( ,

,) バ ス 交 通

巨 )

郵 便 制 度

( 拘

電 信 電 話

249 257 258 261 269 第 7車 社 会 構 造 一・・‑‑一一一一‑ ‑ ‑‑一一一一日 ‑‑‑ 一一‑ ‑ ‑ ‑‑‑‑一 一一一‑ 275

第 1節 家 族 第 2節 同 族 と親 族

( イ )

同族の構成 と変化 1‑‑‑ ‑ ‑ 一一一日 = 一一‑ ‑ ‑‑‑‑‑ 一一一一一一‑ 29占 (ロ) 親 族

第 5 紡 機 経 典 Efl

( J f )

芳井曲集鼠同組合 (ロ) 本花穂生活協 同組合 筋 8 牽 宗 教 と 民 族

第 1節 神社 と祭の変遷 第 2麻 年 中 行事

第 5軒 近世後

戯民住宅 の階層蛸進

第 9葦 教 育

第 1節 近 世 の 教 育 第 2

近 代 の 教 育 第 5 時 社 会 教 育

(15)

第 1 章 自 然 環 境

1

地 形

芳井町は岡山県西都 に位置 し,東経155 021'40

■ ‑

155 029■44",北緯54056J24日〜 540

441261‑の間LKある。東部は小 田部美星町 に,北部は川上郡川上町

,南部 は井原 市に,西部 は広 島 県深安祁加茂町に接 している。面横は性ほ80・8KqlZで ある。以上 は行政上の位置 であるが ,地形的位 置か らみる と,吉備高原中両部に位思す る。図 1I 1‑ 1に芳井町の地形的位燈 を示 すC地形 分類は 経済企画庁の地形 分類図 に よった。 そ してとの 書僻高原面を堀 9こんで小 田川が北西か ら南東に横切

っている。

図 11 1‑ 1 中Exj地方地形地域区 分図 (経済 企画庁 :地形 分類図に よる) A 9 A 91 5 中 国 山 地 8 10 tj10‑ 5 内 帯 A 9‑ 5 大 山 火 山 瀬戸内海

中国山地 A 9‑ 4 吉備 高 原 山 地 沿樟平野 A9‑ 5 石 見高 原 山 地

A 9‑ 6 息 根 u」 地 A 9I rl 中国山地内盆地 A 9‑ T15 捧 LLl 盆 地

A 9‑ 8 6 =. れ 盈 地 B 8

E)本 海 沿撞平野

鳥松江浜

nU・07891一一一一一888□UnUBnDnUR‑nU

取 一倉 吉平野 川田津 江丘丘丘 平 野

陵 地 陣 地 陳 地

a,0C.ae

r,・l

日 山 ・福山平野坐 氏 障 閉 山 平 笠 岡 丘 陵 福 山 平

地野地野

尾 道 丘 陵 地 三 原 平 野 fll 0‑ 6 広 島 ・岩国平野 8 1 0‑ 7 周 防 丘 陵 地

(16)

芳井町の地形 は大 き く分けて,高度5 0 0‑ 50 07nの高原面 と小 田川か 上‑ぴその支流に より開析 された狭V'谷底面 と,谷 と高原面 とを境す る急斜 面の谷壁 面の5つに分け られる。 ここで性,まず 吉 備高原の‑蝦的特色 を述 べ,それか ら芳井町内の 吉備高原面 と,この地域の特色ある地形につ V,て記 し.最後 に小田川の河谷について述 べる こととす るO

(い 吉備高原 の一般的特色

吉騰高原は北 東部 を津山盆地 .北部 を中国山地,北西部 か ら西部にかけて は三次盆地 .壬生盆地 ・ 西条盆地 に,また南部 は束か ら日生丘陵地 ・岡山平野 ・笠 岡丘陵地 ・福山平野 ・尾道 丘陵地 とそれぞ れVEか こそれた,南北'D暗 40 蔵匿 5 0 0‑ 6 0 07nに遷す る高 原である。 中生 代の山 脈が ,その後の長い地層時代に侵蝕 され.中生 代末期 ごろまでに平坦地 (埠平原) とな った。そ して その後 第三紀末の 日本海や瀬戸内海の陥没(・T伴 う断層迎勅 で.中国山地の高位埠平 原面 と比津山盆地 な隔てて離 れ.その後 に隆起 して隆起準平原 とな った。そ して隆起に ともな って若返 った各河川の 藤 んを侵蝕 作用 もまだ もとの準平原 まで開析 するVCはV,た ってV,ない。そのため狭い l姉 や,急流の あ る谷底か ら高原LrCのぼ ると.急 VC高所VCみ ごとな平坦面がひ らけ.なだ らか を起 伏の波浪状の地形 を 見せ ている。 そ して ここに典啓が発達 し,耕地がひ らかれ てV'る。 この高原上には, ところ どころに ぽつんぽつん と ドー ム状に盛 りあが った玄武岩

れなる孤 立峰がそ びえている。成羽町の吹屡 西方の 天神山,川上郡高山市の弥高山 などはこの玄武岩鐘の代表的 な例である。 一応 これ らの玄武岩銀 枚.

準平原 上の モナ ドノ ックと考え られてい.るが.この玄 武岩鐘 は.V'わゆる山砂利届 をぬいているとこ ろが あ り,また山砂利屑 に軋 この玄武岩の鍵を合 せなV,ともいわれ ,埠平 源面形成上玄武岩 の噴 出

との牌係につClて紘検 討を箪す るO

高原 を きざん で流れ るのは 吉井 川 .旭川 .高梁川 ・芦 田川 .沼田川 お よびそれ らの支 流 である。 こ れ らの河川の本流は,いず れ も北 西か ら南東への流路 を と り,吉備高原の中に峡谷 をつ くって横断 し ている。その流路がみ ご となはめ こみ蛇行 を していることや ,両岸の ところ ところに河 岸段丘が残 っ

ってい ることなどで.一度準平原 把まで 侵蝕がすすみ,ふたたび,隆起 した 上う すが推察 され る。本流の河川の侵蝕 枚L^ I たる ところに峡 谷 女作 っているが ,水菜

の少い支流の谷頭侵蝕はま7tJ高原面に連 していたい。支流の谷 を登るといせまで 急旅 をなしてレ、た川が ,平坦面 にでる前 に急にその傾斜 をゆるめる速急点にぶつ か ることが多い.平坦面上 で托川 は広vl 谷 を持 つが, これは 旧嶺 廻の谷 である.

したが って,平坦面の保存が まだ 良好を わけである。

また 吉備高原には阿哲台や帝釈台 など

「『

写実 1‑ 1‑ 1

弥高 山 よb南の 吉陶高原面 と千峰の谷 を皇む。

中央の涙い谷が 千峰の谷,谷のつ きあた Dの山 が銅 山。

‑ 2‑

(17)

の石灰岩台地が 見られ .石灰岩地形特有 の地形 を形 作っている。

(2)芳井町 内の 苦慮高 原面につV'て

芳井町 内の 吉備高原面は,高度4 0 0‑ 5 0 0mで.波浪状 の隆を準平原の型 をよく示 しているo Jt西部の弥高 山 より展望す ると, うちつづ く山稜が平坦 を面の ようfrつなが り,侵蝕前の準平原 を思 いかこさせて くるのである。花滝 ・種 ・佐屋 ・村八 ・高山市などはその中で も特に広V,・平坦面 を もつ。

図1‑ 1‑ 2 切 峯 面 図

(方眼法 化 よる. 5万分の1地形図 で 1Knの方眼 をか けた。)

(18)

図1‑ 1‑ 5 水 系 図

南原面はflat であるがその福原面 を切

D

込んでいる/J\EB川や.その支流の鴨川 な ど吐.比め込み 蛇行を示 し,河川の若返 り連動のため,峡 谷の深 さは5 0 0,,1を こえる所 も奉るほ どで,谷の側 面は 急傾斜 である。 この ように高い波浪状地形 面 と,若 い深い谷 とは,吉備高原面の一般的特色で述 べた

に.地域の地 盤隆起 に伴 って形成 され た ものであるo

この平坦 面上に玄武岩鐘の弥福山 (655.6'71‑ 写真1‑ 1‑ 2)や鍋LLl(4 8 57,i) をどがそ びえ でV,る。 この辺

D

か ら北部丁帯妊かけて図1I 1‑ 4に示す ようEI,I. 2 0数個の玄 武岩鐘が 見られ る0

‑ 4‑

(19)

写寅 1‑ 11 2 高山 市

J :b

弥高山 を望む

玄武岩鐘 は地形図 で 見ると (図1‑ 1‑ 5参照).山瀬 を中心 とした同心円の等高線 で表わ され る。銅山 とい う山名はその形 状VE上b名づけ られた ものであろ う。ま るで鍋 をふせた よ うな 形で玄武岩鐘の性格 をよ く表 わ して いる。

吉備高原面 VEは大小の断層が刻 まれているO芳井町 も例外 で はな く,特に北部か ら西部にかけて大小の断層谷が発適 し (図 1‑ 2‑ 1参照),またその断層 に よる特異な地形 を生 みだ し ている。 ここではその断層の 中で も特に大 き く,また有 名で あ る千峰の断層谷 と.黒滝断層分離丘列 について述 べる。

(3)千峰断層谷

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図1‑ 1‑ 4

備中西部玄 武岩鐘の 分布状 態 (宗 田克 巳に よる)

千峰の・谷 は 目指の共和 中学校の所か ら北北東にす っとの ぴてV'る断層谷 (寄弟l‑ 1‑ 1は北 エb みた もの) で,かつては高山市‑の交通路 として利用 されていた。 この 付近の地形図 を 見ると (図1

‑ 1‑ 5),谷の西側 は特に等高線が密 VE分布 し,銘岩の記号 まで つV'ていて, 1007n余の垂直に 近 い断崖 も見られてV'るO実際に谷か ら西側の斜面 を見1 げる と,いせに もくず れ落 ちて きそ うなほ ど息であ 9,まるで谷の上 におおV,かぶ きって くる ような圧迫感 を感 じる。また谷 の東側 も,大島山 のあた Dでは急 にを ってV,る. この よ

に谷壁が急斜 しているの ti, この あた Dの地質が 古生層の チ

Y ・ト・砂岩等で,侵蝕 に対する抵抗 力が強いために ,断層に 上る破砕部だけが侵蝕 されてこの谷が で きたためであろ う。 この谷 を共和 中学校のほ うか ら北にた どってい くと,飯 ノ越 で吉備高原の平坦 面 にあが って しま。飯 ノ越 あた りは第三紀層 の砂岩 で.この地層の上 に弥高山がそびえ てV,るの で, 断層が一時 中断 ILてい る形 になるO弥高山の北方でせた この谷の続 き と思 われ る谷が ,少 し浅 くはを るが北の方にのびているO これは坂 本川の谷 を通 り抜け て,さ らに新 見の北のほ うにまでのぴる もの と思われる。 せたこの谷 を南にた どる と.銅山 VCぶつか って これまた一度は消えるが ,再び帝把の ひ ていき.広島戚側 にまでた どるこ とがで きるO弥高山 ・銅山は前に述べた玄 武岩盛 であるが, この よ

うに玄武岩が地顔の割れ 目である断層 と牌 係 してふいた形跡 があるのは,注 目すべ き串実 で ある0

(20)

図1‑ 1‑ 5 千昧断層谷 と黒滝断層谷

千時断層谷 は 目指 より北北東方向にのぴ る谷。

黒滝断層谷は古市の北 より三原Ijeむか う北東方 向の鵡 川の 谷。

(4)黒滝断腐 分離丘列 愚滝の断層舟板丘列につV'て は現地 を観察で きなか ったの で, 以下は 『岡山県の地形図 』よ り 引用する。 「県滝 の断

抹 チ ‑Y

‑ トか らなる10 07n余の断層 崖で ,鴨 川は こてつふ もとを や や

蛇行 しなが ら共和のほうVCくfと ってゆ くこの断層 と前述 の千 峰断層の間の山地 は.完全 を断 層 プロ ,クで.両側 K断層 塵の みご とにみ られ る珍 しvlブ ロッ

クであるとの プ ロ ・'クを仔細 にみ ると.さらに面 白vl断層地 形の発達 しているの なみ るとと ができる。それは北方 の飯 ノ越 か ら南方高原台忙通ず る道 にか ぎられて .西の方 に南北に7tら

vlくつかの分級丘陵で ある。

す なわ ち∫北方では≡原の ′ト学 校の北VEある もの ,南方 では

58 1''Lの三角点 をは じめ とし て .そのす じ忙同様の地形 をみ るととが できる。 この ような丘 陵が あるために.東側 の山地 と の間に適 当 を通路が もうけ られ てV,る これが vlせい った仮 ノ 越 ・高原 を結ぶ ものである。たが これの分級丘陵 と東方の山地の 聞けつねに鞍部 をつ くっている ので ,この道 仕 との敬部に さまたけ られて,つね に‑上‑下 しなければ ならなV,0」

(5)芳井町 内の 石灰岩地形

芳井町 内に も石沢岩が分布 し.石沢岩地形 をな して いるこの石灰岩は 日南石灰岩屑 と呼 ばれ るも ので あって,鴨川 把 より石尊台 と高原台 VC分け られ ているが . どちら も銅管工 業に よる石灰岩の採掘 が行 なわれ ているo高原台 には ドリーネ ・カレ/7 ェル トな どがみ られ,′J\規模 を カルス ト地形 を見

‑ 61

(21)

せ てV,るO この カルス ト地形 En:つV,では.第 5節 で述 べるこ とにす る。

石灰岩地形の特色 とLて石灰洞が あげ られるが , この石沢洞は高原台に 2ヶ所 は とあるほかに,鴨 川 をはさんで高原台の対岸に天然記念物 に指定 されてV、る蛇の穴がある。後 月郡 誌に よれば

,

「共和 村鴨川の右岸山腹 l・であ T.')。穴は鐘乳円

成す。竹 林遠道恰 も乱 蛇の 巣窟 に似た り,由 bて この名あ D

と云ふ,田 口狭′」\な りと難 も,漸 く進む (′〔従ひ広大 L ib,且つ低下す,溌 さ約百 聞,I;1内数個の房 垂状 たIh L,領地

ト鼠 石等小鼠 三 角′ト鼠 地紋穴等の称 あ

9

,就中電地′」、屋比其の上部平 円に し

て盆 を窃‑せ しか如 く,肩 部 勺九尺,両横凡二十五坪. このF!の薗処 に垂れは,繊 然 と して頭上 に鳴 動の音 あるを開 く, これ患

LF

桐 の漸 く低下 して

川の河鹿 に遺 し,慣洞の上 を経るる

川の 水軌

中に伝はるに よるな D。本部の一番闇た り。」 と記 され かな Dの規模であ った ものの ようである が,現在我 々が観察 した時点にかいて 虹 奥行 きは約 14・5Tnであ b.入 口 より1・57nほ ど下る ぐら いの もので あった。 たた洞内は非常 に低湿 で,午後1時 5 0分 (昭和4 5年7月2 4日) に外 気漁 5 1℃の時.入 口か ら4 mの位 置にお いて1 8℃, 14,n4 0cmの位置にお V,ては9・5℃ しか75:か ったO tまた鍾乳石,石有事は見 られ なか った。

その他石灰洞は石等 把かV,て石沢岩採掘現 場 エb発 見され,鍾 乳石,石盾等の 見られ る か な り大規模の ものであるとV,う話 であ った が,危険防止のため入洞寮止 とな っているの で,確実 な容はわか らなvlo

また蛇の穴 付近の

川で伏流が 見られ たO これ は石灰岩 に上る もので奉る。蛇 の穴上流 約50m付近で鴨川 の水が 消えてV,る。大 き な岩の下忙 カルス トト/ネルの入 口が 見られ (写実 1‑ 11 5),そ こか ら水は吸V,込 ま れ て,県道側 (北側) に伏流 している ようで

写真1‑ 1‑5 鴨川 の カルス トトノネル入 口 (昭和4 5年7月) ある。土地の人の話では よほ どの大 雨で7kいか ぎわ

,

河床上 を流れないといことで あった。 しか し 昭和4 5年8月の大 雨で, カルス トトンネルの入 口 も見え7kく怒 った ようで あるC

(6)′J、田川の河谷

吉備高原面 に対 して, これ を′」\旺川lが開析 して形成 した谷底面 が ある。′」、EflJll比油木の高原に

満を

発 し,東南にWLれて 吉備郡真 備町内で高梁川 に合流す る。芳井町 内にお V,ては.下川原か ら飯 名ま で 南部 女果 ,yL一流 れ るこれに合流す る鴨川 ・辛戸川その他の支流 は,北東または南西か ら直角に合流 している。 これは芳井町 内の断層 の方向忙ほぼ一致 している。′」、馴 旧 井 原市か ら上流で軌 托め込 み蛇行の流路 女と9.その攻鞍斜 面壮急

をな し.せせV,階走斜面 に仏 向町 ・飯 名 .梶江 ・毘敵 側 , 与井 な どの典落がの っている。佐原か ら北で吐谷原はせ ばま れ 谷底平野 らしい もの 托み られ な くな

b,その韓忙沿 って河岸段丘がみ られ るO

‑ 7‑

(22)

(7) 河岸段丘

河岸段丘 は相対的VC侵蝕基準面の低 下に 上 り形成 された地形で .ここでは・吉備高原面 の隆起が 考 え られ る。天神峡 では河床 より約 10,nの高 さの ところ!,C段丘畔が 見られ るo この段丘 比さらtn=上純まで続 き,宇内塚や戸 漆でけその櫛比か去 り広 くな9.集落は段丘 上に乗 っている。 さら

t

nI上流にた どると・殿 川内や福原ではい っそ う明瞭 を段丘地形 教皇 す るエうに なる。 この鴨川 と′ト馴 lの合流す る川相部落の段丘 は規模の小 さな ものであ り, 二段の段丘VC分け られ る。 ここでは便宜 的に 高位段丘 と低位 段丘

と呼ぶ ことにす る.

これ ら高位段丘 と低 位の各 々の面の 良 く 保有 されている地域 の分布は図1‑ 1‑

6の と

うD

である。

川相 より上流の鴫川 流域に比河津段丘 は 観察す ることはで き ないが ,′」、田川の流 域tでは.川相 よ り上

写其 1‑ 1‑ 4 川相 付近の河岸段丘

手前が字 内攻の高位段丘 と低位段丘 向 うが 川相の典落 なのせ ている高位段丘 と低位段丘

qLKも断片的に観察 園 11 11 8 川相 付近の河 岸段丘 (狩野哲 に 上る) す ることがで きる M :宮等 F :福 原 K :川 相

U:

亭内項 T :天神 す なわち,

川 に甘 ×印紘段丘瞭屑の 見られ るところ

いて も土地の隆起 は行 なわれたが ,鴨川hi幼年谷で側方侵蝕 よりも,下刻 作用 が主 で隆超前 作かいて は谷底平野 の形成 がなされず , したが って土地が隆起 して も段丘 比形成 され なか ったの であるo とこ ろが,川相打かいては.隆起前L・rすでVC谷底平野 を形成す るだけの側方侵 蝕力 を持 った′畑 川に鴨川 か加わ って より侵蝕力 たi L,,蛇行 しなが ら平坦面 を形成 した もの と考 え られ るo 川相の河箆段丘地 域の地質 払 古生層の 千枚岩即 占硬 岩で あるが ,か な り風化 されて赤茶色の板状 をな して もろ くなっ た ところ もある。

a 高位段丘

海抜高度姓 100m前後 で.低位 段丘面 とは1 57n内外のほ とん ど垂直 な段丘 崖で接 してい るo小 一 8‑

(23)

規模を もので.戸飯の段丘で長い部 分で約 占00れ,鴫谷の段丘では長 V,部分で約2 7Dlnである。

福原 ・宮草の段丘 を除 いて比段丘の平坦 面はほ とん ど開析 されてお らず .山荘 より小 田川に向 って, 約 10前後で緩傾斜 している。 これ ら高位段丘 を形成 している段丘崖にはいずれ も27TL前後の厚 さで碑 が水平に層 を成 しているのが観奈 され る。 この高位段丘は砂寮膚の厚 さか ら見ると岩 石投丘である。

集落は主 として高位投丘 上VEの っている。 これ比洪 水の心配 もなV,こと.また地下水が 浅 いために飲 料水が容易に求め られるためであろ う。

t) 低位段丘

L 低位段丘 は海抜 80m前後 で,河床 との比高は約 378でるるC との低位段丘 壮図トー 1‑6よbわ かるように.小 BjJllの油走斜面 に発達 してい る。地質杖沖成層 に属 し, したが って低 位 艮丘 はと く最 近になって形成 された もので 奉る。低位段丘 比水利の俵が艮V,ことか ら早 くか ら水田が 開か れてvlた.

(8) 環流丘陵 (鶴谷丘陵) と穿入曲流谷

図1‑ 1‑ 7 青井付近の続谷丘陵 と穿入 曲流谷

吉井の南の高 さ約 21 07nの峰をもつ丘陵が大 仙山鵜谷丘陵

‑ 9‑

(24)

小田川の ように平野や準平原上 を経流 していた曲流河川 の流域 に侵 蝕が復活 した時にqi.曲流河川 の河底 吐平野面 より探いために. もとの流路 ・k保 ちつつ下方侵 蝕 を営 み易V,。そ して利 伸 L屈 曲す る 谷 中 を流れ る ようにな る。 この ような状態の谷が穿入 曲流谷 で,その中 を流れる河川の流れ方が 算入 曲流で ある。穿入曲流谷の故の基部が切断 され る時 は,決は谷 中に孤 立する丘陵 として或 る。 これが 環流丘陵 (凝 谷丘陵) である。/相 川は吉井の あた 9で特に広い氾濃原 を もっているo この氾濫原 は 現在 水田VE利用 されてい るが. しか しその中に大仙 山を吐 じめ として, 2‑5個の′ト丘が,周陶の山 と孤立 してそびえている (図1I 1‑ 7) これ らの′」、丘が塀統丘陵 と呼 ばれ る もので‑小 田川1)流 路変遷 を物語 ってい る。 ここでは大仙山環流丘陵 について述 べる.現在佐原 た流れている小

E B

川LVt・

か っては沢岡か ら西 吉井 をとお って与井の方向 に流れていた ものである。 ところが/」、田川 が屈 曲を増 すrL‑したが って.側方侵 蝕 も増 し,大仙山の基部の攻'&料 率が どん どん侵蝕 され て・ついVCは大仙山

女切 b離 し現在の流路 を とる ようにな った もので あるb

(河 田 精 一) 参 考 文 献

(1) /」\学舶 (19 占5)

:

『図説 日本文化地理大系 』 中国

(2)石田 ・宗田 ・金谷 ・西本共縦 (196 5)

:

『岡山嬢 の地形図 』 (3)渡辺 光 (19占5)

. ‑

『白熱地温 ・応用地理 』第 1番地形学

(4) 経済企 画庁 (19 6 8) :5 00万分の1地形 分類図 V (中国 ・四国地方) . (5)狩野 膏 (1959) :嶋川流域の地形 と鵜落,岡山大学教育学部卒業論 文

2 地 賓

表1‑ 2‑ 1は中国地方の地質系統衷 (′」\林貞一 に 上る) であ り,図11 2‑ 1吐芳井町の地質図 (岡山県地旬図 を改締) である。乙の表 と図 を もとに芳井町 の地質 を地史的に概観 してみ よう0

古生代後期 に は中国地方は,ア ジア大陸の東部の 比較的洩 V,海底 (秩父地 向斜) に位促 してV,た。

そ こには大陸か ら遇ばれた土砂等が堆債 した。 これが非変成 古生屑 (♯父古生層) である。 中国地方 の非変成 古生層吐.山 口層群 と秋 吉層群 に分け られ る。山 口層群 は石択岩が少 く,秋 吉層群 は石灰岩 vc雷ん でV,ることを特徴 とす る。秋 吉層群は 石沢岩 を特徴 とす る地層 なので, 石沢岩 を図11 2‑ 1 の非変成 古生層の 中に特 別に記入 した。秋 吉層群 は皐 とで述 べるが秩 父地向斜 の堆頗物 である山 口層 群上に碑被せて きた外乗物 で,純秋 吉層群 と準秋 吉層群の2つVC分け られ る。純秋 吉層群 は秋 吉台の ようにほ とん ど全部が 石灰岩か らな っているのに対 し,準秋 吉層群 は石灰岩層 と砂岩 ・頁岩 ・角岩 な どか らなる地層が交互 してV,るO

図1‑ 2‑ 1に示 され る ように芳井町 のほほ 中央

D南 と,芳井町 北部 ・日南 .三原 ・高山 市 付近 K非変成古生屈が み られ.その 占め る割合比大 きV,。 南部q)非変成 古生膚 は粘板 岩 ・輝禄聯灰岩 を主 とす る地層で あるo北部は石灰岩がみ られ, これ と砂岩 ・貰岩 .角岩等 を主 とす る地層 で,準秋 吉層 群に あたるO表 1‑ 2‑ 1VE示 される ようVE下位か ら日南石次岩 ・大獄角岩層 ・三原砂岩 頁岩 .高山

‑ 10‑

(25)

表 1 1 2 1 1 地 茶 系 統 表 (小林貞一 に 上る )

注 ) 絶体 年代 は湊 ・井尻寺 「El.本 夕岨 J第二版 (岩汲 )に

上るo

地 質 時 代 句 作 区 分 火 成 活 動 地 殻 変 動

節 坐

代 現 世 万年まえ 沖 棟 平 野 L砂 斤 玄 武 岩玄 武 二宮耗鎌 忘火 宍第 一軒ニ(時泉道ー瀬

)内

一階 )戸 大 A.0.8‑1100 卵低位 段 丘山‑

脂 (

(意 賃 二完襲膚 ) 層

洪 凍 期

平 都 細 物 Id 富 山 皆野 岩 八

鮮 新 世

15560

0

〔1

0

・ 6508

・一億5500 ー1僚 8100

‑ 2鯨5800

‑ 2鯨 80日5倍 450880

‑‑‑ 5..5位 4044僚 2500鯨 05値 0000m00 松 江 統 火 M 中 新 世

芸誓 冨 古 江 耗

詣 ‰ ) …仙霊 T酔.層 共 苛 政 脚流 紳 号井山岩LI 倒 代 古軒三C

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古 耗 劫潜花類久野轟世宅領 家 並 入書滞甚性 岩 釣大 領

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豊 浦 扶 ケ岳 代

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四 ツ 暮 膚 ? (都実成岩節ヽー ′満豊麻曽瀬ヽ

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常 森 耗 坂登 米

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確虫石灰岩 時代、)、?

石 炭 た 椎 飛 高山岩 膚

F1.15.1ユin、〕u 石 灰 岩

≡ 肝砂岩長等 塔 内 増 TF

朝 岡(散 吉 相 )石沢 岩 (畿秋 吉腐)

デ ポ ノ紀

シ^,リアだ l.

オ ル ドビス紀

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I ‑ ll̲ 、 ㍍ ′

(26)

□ 1田 47, o

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‑ 三 ‑‑

∃ km

田 2∈ ∃ 5 監 ∃ 8 田 11

∈∃ 3皿 6 ‑ 9

那 ‑ 2‑ 1 地卵 と斬舶 固 く剛 鵬 箕郎

上 る )

1.

.、 層 7・ ̲(雪空警)鵬 a 三郡変成岩頼 9. 第4紀火山岩塀

10. 中生代後期一新生

代棚

山巻炉

11. 古生代後期〜中生

代火

山 岩 炉 2. 洪 積 層

i 第 三 紀 層 4. 白 亜 紀膚 5. 三 畳 紀 膚 L 非変成古生属

石脚 と区 ‑ てい るo石 ‑ か ら止す ノブの化 石 ・‑ の化 石が 産 出す る。 また脚 南

の 鮒 =

̲ 群 綿 岩 が .

女脈

緑 齢古 色 ‑

岩 力 ・

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‑央 O ‑ら 卿そ o A

‑12‑

(27)

割合が非変成古生層についで広 く, この2つの古生界で芳井町の大部分が占め られ る。

古生代後期か ら中生代初期にか けて併 入 した変放れV,岩が芳井町 南部 にわずか み られる。

山口県 の秋吉台 を中心 として中生代三畳紀 中後期 を頂点 把造山運動がか こったっ この連動紘今 日の ヨー ロッノJの アルプスの造山運動 と比救 されるほ ど大規模 をもので.秋 書造山連動 とエばれる。 この 運動に 上って秩父地向斜は陸上 に姿をあらわ したO

秋 吉造山運動 に

b陸化 した地層 は削則 され.海中に没 し海成層が堆横 した。jlラ紀末期か ら白 亜記TD頭に秋 吉造山運動 とならんで械慮上玉饗毛並山蕗地がか こったO との造山適地托大食造山運動 とよばれ, この造山運動 と火山活動

上 り再び陸上に姿 をあらわ した。蘇部で比変動 を.凍所で化秋 吉造山帯が 二次的 D変形 を謡 D.その上D被覆層群は帯 曲したCその上iAr非変成古生Jjの獲秋 割 山野 が押被せて きた。 この水平移動 女大 賀の押 硬せ (大 TEデ フケン) とvIV,,芳井町 北部の 日商付近

上b

川上郡 VCかけてみ られ る。前述の芳井 町北部の非変成古生層のみ られ る場所 であるO この大賀 ヂノケ ン壮阿哲台や アルプスデッケンに佐敷す る.地絹代下部 より時代厭 にな らんでいるのかふつ うだが . ここではこの ような神韻せ把 よって同が逆 転 し,下旋L・C中生

J

dか あD,上に古生屈がの ってV,る。 ま たとの押被せの産物 でか うう根無 し号塊 (クリッベ)と呼 は11る石灰岩が陸地 ・高蘭 にみ られ るn

・」、林貞一老 『E]本地方地負託 中国地方 』に よれば 「大 賀台の率秋 吉層群中には小帯 曲 ・小凄乱吐ある として も全体 としては北J/E博幸,東谷 ・天王 ・高山 を軸 として向斜 女形成 してV,る。 この韓秋 吉層群 は成羽統上‑.そ して一部で吐直接その下の 千枚宕頚上に砺上 しているO この大賀押壊せ 休の価 上妨 紘,自画か ら北廉約20

汲江把の ぴていO 日南の 取方千蜂谷 で比断層 によって飾 上額が 1粁 余 出 ヒにと D,その東では 日南石灰岩帖佐かVE大汝角者の下krレ ノ メ 状をなして荘われてV,るVCす ぎ ないO衝上額の殻は さらVC大敗角岩 と三原砂岩粘板岩 を斜打切 9.神野か ら息に高山石灰岩が突 き出 している。」 と述 べている。秋 吉造山過勤末期把堆 放 した●と思われ る三畳紀膚が , 日南 ・南部 と北束

推み られるが.芳井町にかける三畳紀屈の占める割合比少 か (O

中生代末期 ・新生代薦三紀に火成 活軸が あった。 中国地方壮当時の火成岩が最 も広 く分布 してV,る ところだが,芳井町では日南の西部の県境 付近 と,高山市 付近に流紋岩男砕屑篭頬がみ られるだけで ある。 この ような火成活動に伴 って銅鉱 ・批鉱その他の鉱床ができたO 岡山鵜地異図に よれば,高山 市付近 に銅鉱,現在採掘が行なわれていない もの として吐下鴨 .佐屋 と高瀬の 中聞部に硫化鉄 臥 堀 江 付近

V

C枇 鉱が冠耕 されてV'るO また佐 原北方 に鋼鉢が.陸地 付近に無燈炭がてると開いたが散 々た る ものの ようである。

新生 代第三紀中新枕が村 入日.近 と銅 山 ・弥高山のふ もとに分布 している

砂岩 ・頁岩 ・確岩 上9な 9,動物,植物化石お よび央 炭層を含んでいる.鍋山 と弥高 山比 これ ら第三紀層 をぬいた玄武岩鐘で r 参る.第三紀鮮新世か ら弟四紀蘇原世 忙か けて日本海が陣没 したOそのため長い間侵蝕 され平坦化 さ れてV'た中国山地 ・吉備高原 は隆起 し,蔵 やか に流れていた小

E B川

,成羽川等の河川が若返

D

飲め込 み蛇行 な始めたOまた間畝的な隆起 に伴

E B

川に低位河岸良丘がみ られ る。洪碗統 VC属す るいわ ゆ る山砂利は高瀬 と井 山付近にみ られ,押凍層吐小田

に泊 って河谷底 VC分布す るにす ぎをvl.

斬膚 などの地質稗造線の方向は南西一北東方向の ものが多V,(図1‑ 2‑ 1)。河谷 は この構造万

(28)

向に支配 されている ものが 多い。

参 考 文 献

(1) ′ト林 貞一 (19 5 0) :日本地方地

I

fq誌 中国地方 (2)稲 見悦治 (19 51) :岡山頻新誌

(3)岡山頻 (19 占5) :岡山県地質図

3

高 原 台 の カ ル ス ト地 形 (I) 高原台の概観

(稲 山 政 史)

写真1‑ 5‑ 1 陰地の簸落 上れ宅原台 を望む。裸 出 した崖比石灰岩の採 石場 (昭和46年5月) 高原台は芳井町 の北西部に位僅す る,小 田川 の支 流鴨川が ,黒滝 を南!,‑L'下 って上嶋地区で東流す る あた りの左岸 に望 まれ る台地であ るO地層 は中生屑 の上 把の bあげた. 日南石灰岩層

エb

構成 され.

有名な大賀 デッケンの南端 にあた る。高原部落の乗 っている台地なので,高原台 と呼ぶ こと灯す るO 高度は5 9 0‑ 4 2 07花で,平均高匿は約4 0 57花,

東西 約8・4 07n,南北約4 9 0mで,西か ら南は鴨

川の著 しV,下刻 に 上る息崖に臨み ,東は千峰の断層 500rn 谷で,北東 も千峰の谷の支谷で深 く切 られ た石灰岩

の平坦 を台地 であるo鴨川の谷 か ら台地面 までの比 高 紘約200mである。高原台の周囲の谷壁 は急斜 面であ b,ことに南側 は 目もくらむ急崖 とな る. こ の南西の急塵の石灰岩 を崩 して採 石場がある。高原

へ登 る道はV,ずれ もか

Dの急坂 であるc 0 高原 部落は昔 よ り

,

「‑布乱 二神野 ,三高 原,

四 り高山 」とい う言葉 に数えあげ られ るほ ど,経済

‑14̲

800 1▲00仇

図1‑ 5‑ 1 高原か ら銅山にいたる地形 断面 図

(29)

的に豊か であ った とV,われ るo石 田 兄 は 「地域研究第4報 ・高 原の村 」の 中でその V,われ Ln=つい て次の ように記述 してい る。

① 昔栄えて今 はさびれた所。

② 石灰岩質の こえた土項 で畑 作物の よ くで きる所。

③ 野 呂方は家が バ ラJ(ラ忙あ るが , この4ヶ所 だけ紘比故 的か た ま ってvlるの で ,乞食が物貰 いL{歩 くの把好 都合 だ とV,う。

ここで もあげ られ ている よ うi'E石灰岩Piの こえた土 壌 とい うのが ,高原台 の大 きな特色 の1つ と V,うことになるC

高原台 は石沢岩の 台地 なの で小 規模 なが ら石灰岩地 域特有 の カルス ト地形 がみ られ る。 台面上 に は残禎 土の赤色土が地表 を啓 ってお D,小数 の ドリー ネ と小 規模 を カ レン フェル トを有す る幼年期 の カルス ト地形である。 高原台 の地形図 と,諸種 の カJレス ト地形の 分布 とは図1‑ 5‑ 1に示 したC 以 下に 個 々の カJL,ス ト地形 Vrつ いて述 べ よ うo

; ''i

I: I ;

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: :鼻∑ :

同 1‑ 5‑ 2 高原台 の カルス ト地形 分布

‑15‑

レ y 71^・ト

# 井

帖 細 *dL

(30)

(2) ドリー ネ

高原台の平坦 面上にけ4ヶ所の凹地が ある。平 坦面の中央 VEある もの と,神社の西側の もの は漏斗 状 .平坦面の西側にある ものけ西南に,東側 にある ものけ東南の方向tで開 く半漏斗状 である。 直径け

8 0‑ 10 0mでち b,深 さはいずれ も浅 い。

寮 され る。

中央の ドリー ネは一番浅い もの であ り.

中央の低みで吸V,込み穴 を捜 したが.け っ きDと した ものけな く,土地の人の静 VCよ ると,昔か ら雨が降る と,水がす ぐたま っ て池の エう把をるが.ど こか らともな く消 え てい くそ うで あるo数 年 前に中心部に小 陥没が あ った とい う話で あったが ,たばこ 畑 と75ってい るために,現在その穴け認め

られ なか った。

神社 の西側の ドリーネ (写央 1‑ 5‑ 2)

これ らの凹地 打,その地形的特徴か ら, ドリーネと推 ■

写共 1‑ 5‑ 2 高原台の神社司の ドリーネ 付,直径は前述の もの よb'」、さV,が ,他 よ

bけい くらか深 さが あ り,高原台の ドリーネの中て吸い込み穴 らしさ ものが 見られた唯一の もので あ る。吸 い込み穴 を中心に四方に十字形の コン ク1)‑ トで排 水鞘 を取

b

つけてあ D (写衣 11 5‑ 5). 中央 の穴け梶 で埋 ま ってお 力,棒 を押 し込

んでみたが ,どこまで もも

ぐD

.深 さは ど の くらいの ものか 見当が つかない。数年前 まで打,雨が降 って もこの穴か らす ぐ排 水 されていたが,一度肥料 の ビニール袋がつ ま ってから打,排 水が ス ムーズにいか な く な った そ うで ある。 また吸い込み穴の周囲

VCは,赤色土 が堆舶 して か 9,乾燥時 には 他 甲型のひ びわれがみ られた。

他の2つの ドリー ネ打,どち らも平坦面 の 周辺 に位置す る もので .酌記の2つ より

も型が 不完全で あ D,谷の方に・口を開 いて

写其 1‑ 5‑ 5 高 原台の神社菌の rl)‑ネの 吸 い込み穴

V'る (写実 ト 51 4)。 ドリ‑ネの形成後 .谷の方か らの位蝕に り 破壊 され ,半漏斗状にな った も の と推察され る。

‑1i‑

(31)

写兵 1‑5‑ 4 高原台の西の ドリーネO との ド リー ネは西 (右手 )にむか って開いているO

写真11 5‑5 高 原台 の カレン

写美 1‑ 5‑8 カレ/フェル ト

雑木林か ら下の斜面に カV̲ンが点在 してV,る。

‑17‑

(3) カレ/ (ラ ビェ,溶蝕岩柱) 石灰岩の表面 を流れ る水は一様 に流 れないので,溶蝕の進む所 とお くれ る 所が で き.傾斜 方向の帝yCをる所 ,稜 把なる所がで きるO石灰岩の岩男 に よ ってとの差が あ らわれ る所 もあるが , 節理やその他の割れ 目がある とそれ に そ って鞘がで きやす い。 これが進 む と 石灰岩の岩塊 や宕柱が或 るよ うに在る。

これが カレンである。そ して カレノが 多数存在す る地域 を カレノフェル トと 呼ん でいるo カレンけその形態 に よっ てV,ろV,ろを型に分類 され ているが , 高原台の カレ/け尖頂塾で あ り.秋 吉 台や阿哲台 な ど他の石灰岩地域 の もの と同様石灰岩が撤密 で純度が高 いため で ある。 (結晶質石灰岩の平尾台の も のけ円頂型で ある) いずれ も落水線の 方向 に並ぶ丸底の溶 蝕帝 と鋭 い畝に か かわれてV,る。

カレ/ フェル ト (一応 カレフェル ト と呼 ぶがその ように大規模 なものでは な く,多 くて も2 5個,少 ない ものけ 2‑5個の カレンが塊せ ってV,る把す ぎなV,)の分布はV,ずれ も谷 K向か う 斜 面上 であ り,平坦 面の端 に多 く位僅

している。特に妙福寺の カレノコンレト を自然の まま利用 した磨 け 乱歩であるO いずれ も緩斜 面上 であるが,平坦 面の 東商 端 にある

原台 への豊 9道の途 中 にある ものけ .か な bの急斜面 にあ ら われていた。平坦面上打赤色

虹感わ れてい るので,カレ/打は とん と地表 には現われていなか った。 また ドリー ネの周辺 部の凄斜面上 把 も,小 さを も

(32)

のが少数 見られ た。

(4) 石 灰 洞

石灰洞は.石灰岩地域 の地下水系の幹線 を表す もので あれ 石灰岩地域 には しば しば 見られ る もの である.神社の

に′」、さを洞穴が あO奥 行87n,幅7m,高さが低 い ところで1・5m,高い ところ で2‑ 2.57n性 どある。 ′ト規模の ものでは あるが ,洞穴の壁 面は溶

に よるもの と観察 されるので . 一応 石灰洞 と思 われ るD せた高原台の商圏 面 の絶

に 「コウモ リ穴 」と呼ばれ る石灰洞が あるそ うだ 那,入口が 見つか らず , どの くらいの もので あるか結は っき りとはわか らない。

(5) ′J、 丘 陵

平坦 面の 中央 を東

西

に4つの小丘陵が あ. これ らはいずれ も赤色#択盟 の もので あ り,石灰岩 の 上にってい る もの と思われ るd これ比石灰岩 をかか っていた赤色聯灰岩が ,侵蝕 され残 った もので あろ。赤 色葬灰岩 と石灰岩 との接触

に姓,好灰岩が石灰岩 を取 り込んでで きた もの と思われ る梅 花石が 見られる。梅花石はか な りの硬 度 をもち.‑ /マ‑を用いて も容 易に割 る ととがで きをか った.

(6) 高原台の用水

Tiた高原 は昔 より水の不便 な所 で あっ たOこのことは石沢岩地域での共通 な悩 みで あ っただろ う。高原では昔か らの共 同井 戸 として 5ヶ所,個人所有の もの 1 ヶ所 ,また最近掘 られた もの らしい井戸

1ヶ所 を観察 し。 これ らの井 戸の分布 をみ る と,平坦 面の

にある ものを除い て,いずれ も赤色凍灰岩 の′」、丘陵 の中腹 か,あるい比そ の

にあったCこれは降 雨後 .石灰岩の所では水持 ちが悪 く,チ ぐ浸透 して しま うが .赤色凍灰岩 はい く ぶん保 水力が 参 り,それが少 しず つ赤色 伊沢石 と石灰岩 との境か ら流れ出て くる ためで あろ うと思われる O

以析高原台比.水止非 常に虫重 なもの で

D,前帯のわず かの井戸水 しか なか ったそ うであO 「雀が麦をついはんで も追わ ぬが .水を飲 めば追 う。 」とh 5 ほ ど,わずかの水で も大 切に利用 してい た。宗 田克 巳氏の

に よれば,これ吐民 家の構

に も

轡を与 えてい ,下水な どは托 さ

に貯 めてお き, これ を畑 をど

写其 1‑51 7 高原台の井戸 (NA2)

写真1‑5‑8 高原台の井戸 (Nub)

‑ 18‑

(33)

の抑瀧に利用する。そのために高原台の民家は僻に康博 を大 き くしていた とい うことであるo Lか し この水不足 も,昭和5年の天水の利用技術 ・施設の導入.そ して10年酌の簡易水道の設倍で.現在 水紘あま り不 自由吐 してい ない。 しか し飲用水だけの帝であ D.曲菜用 水壮昔 と変わ らず,i,(,地Bi との関係もあ 9,現在 も盛典は畑作だけで ある.

(河 田 相 ‑ ) (7)高原台の地下水

石沢岩の高原台で吐,雨水は皐ま りとど7tることなく ドリー鼻の底か らその基底 に もぐって伏流水 となD,台地の塵端で下の中生屈か ら沸きだナ ことに在る。 したが って福原台では地下水が

得にくく,

崖斜面の 目指や日南では,石灰岩 を く

Dぬけた地下水が 得 られるo これ らの地下水の性格 はどの よ うをものであろ うか.そこで台地面の高原の井戸 と崖斜面の 目指 ・日南の井 戸 ・鞠水 および石灰岩の 全 く存在 しない陰地の水について,硬度・P打 (水楽 イオ/指数)を測定 した。硬度およびP月の軌 定法は,次の方法 を用いた。

硬度 :水中に存在す るカルシウムイオ/か よひ マグネ‑/ウムイオノの合計丑 を,これ らrL対応する炭 酸 カルシウム

CaC0

3の ppm(mg/I)で表示 した もので ある。 あ らか じめ検水のPEIを

10に

調節 したの ち, エ リオクロムプラグク T (Rt)T) を指示薬 とし. エテレノジア ミノ四酢俊二 ナ トリウム(EDTA) で滴定 して, カルシウムイオyとマ グネ シウムイオ ンの和 を求め これ を CaC03に換EFした訪島で,坪庭は次式 に 上か耳出 した。

旋鹿 (

C a

CO。p

pl r l )

‑bX雪㌢ x l・001X F ただ しa :滴定 に用いた検水の加数 (今回 a‑‑ 10)

b :満定 に要 した0・01M EDTAの me軌

F :aOIMEDTAの7 7ククー (今回F‑ 1.05 1)

pH:溶液 中の水素 イオノの濃度春水窯 イオン敦盛 とhh 1

L

の溶液中に存在す る水菜 イオノの グ ラム数の値で表わす。その逆数 の常用対数 は,水乗 イオン拍車 とエばれ , これがP月である。

pES 7.0が中性ITPBが7.0

り大 きくなるLCつれて 7ル カリ性がつ よ

な D.反対

にPn

が7.0よb'J、さ くなるにつれて酸性が つ エく在る。 PETの湘j定法は,試験耗法 ・比色管法 ・ガ ラス喝橿法 などが あるが ,とこでは比色管法 を用 いた。

表1‑ 5‑ 2枚その測定 値である。図1‑512に向原忙おけ る測定地点 を示 してある。各地域 の 硬度IPRの単純平均をだ したのが表1‑ 5‑5である。

この測定 値をみると,石灰岩の影響 をうけてい る南野 ・日精 ・日南の地下水 と,石灰岩にまった く 関係 しない陰地の地下水では敵度・Pfiと もに極めて対肘的である。高原 ・目指 ・B南の地下水の密 度が. 141‑ 312pplB(平均227p叩 )に対 して.陸地の水蛙, 10‑ 5 5ppm で あ り・ P片 結高原 ・目指 ・日南の弱 7ル171)に対 して陰地は弱酸性を量する。

以上 の こと払 高原 .目指 ・日南の地下水が 石択岩

<8

にかかわ った ものであることを示すQTZ た天水の硬度 (雨水の硬度 とほぼ同 じとみて 上かろ う. )か らみて もその ことが轟 付け られ ようoた だ し天水のP月は,雨水を集めるときの有機 質の旅人 ・貯水槽内での有擬贋の発生が影響 してい るも

(34)

表1‑ 5‑ 2 高原 ・目指 ・日南 ・陰地の地下水の硬度 とPfI

測定 日 昭和4 5年7月25日‑ 7月2 7日 帆 走地点 地下水の分類 硬 度 PfT 採 水時の地下 水面の深 さ 備 考 福 原仙 1 井 220

ppm

7.4 1.7 7n I

2 井 161 7.7 0.8

5 井 155 7.8 0.7

4 井 251 7.4 5.5

5 井 207 7.4 0.a

6 井 158 7.6 0.6

7 井 187 7.6 1.5

8 簡易水道 254 ‑

9 天

55 7.4

10 天 水 62 8.4以上

目指 11 井 512 7.0

12 湧 水 208 ◆7.6

15 ‑ 172 8,0

14 ‑ 2dO 8

. 0 ‑

15 180 7.4

日南 18 井 160 7.8 ‑

17 湧

141 7̲8 ‑

陰 地 18 湧 水 55 6.8 ‑

19 簡易水道 10 a.8 ‑

表 1‑ 5‑ 5 高原 ・目指 ・日南 ・陰地 の地下水の平均硬度 ・平均 pH 平 均 硬 度 平 #) pn

高 原 19

占 7 ) p m

7.i

目 指 226 7.占

日 南 150 7.8

餌 ( i )

表 1よ

b

平均硬度 ・平均 PHを計丑 した。

h

) NA8PH Nu9,NnlOの硬度, Pfは 除いて

慾 した0

‑20‑

(35)

のであろ う。

台地面 (高原)の井戸水 と崖斜面 (目指 ・日南) の湧水の硬度 を戟 べてみ ると,崖斜面の水の方が 硬度の .,'ラ ツキが大 きい。 Nullの5 12ppm 絃台地面の井 戸水のいずれ よbもか な 9高い し.N

a

15姓台地面のNQ,2 ・Na5 lNadとほほ同程度で ある。 これは石灰岩 の中を通 って帝 き出 した硬 度 の 商い水と.地表近 くの石灰岩の影辞の少 をい水 ,あるいは この水 と石灰岩の中を通 って きた水が混 じ

った もの との差で あろ う。

襲 1‑ 3‑ 2に高原台の地下水の採水時にかける地下水面の深さをあげて ある. Na45,,tを越 し た井戸で あるが ,他の井戸は1m前後で伐か ったO

(常 山 政 史 )

4

気 候

岡山地方気象台 より芳井町佐屋VEおけ る気象 デー タを得た。 他に芳井町の気象 デー タで確実 を もの は入手す ることがで きなか った。そ こで 吉備屯原上 と,′ト田川の省間 と,瀬戸 内海沿岸 との5地域 の

気候

tA=ついて,佐屋 .′」、田川に治 って,芳井町のやや下

に位思す る矢掛 ,芽井町の南の笠 岡 を例 と

して比戟 し.それぞれ の特色 を述べ ることにす る。 参考 として岡山の デー タも付記するO 各 観測点の位倍

佐屋 北揺 54041■ 東経 155027' 高度 590771 、 矢蛾 u 54057 0 153057● 18,,i

笠 間 0 34050■ 〝 153051● 〝 20,A 岡山 u 5404 11 〝 155055'

r

5Tn 中国地方の気候は.和達滑夫監修

「日本の気候に よって図1‑ 4‑ 1 に示す ように, 5気候区に分類 され て い る。 この分類 に よれば ,佐屋比山陽 気侯区に.失乱 立 岡技瀬戸内気侯区 に属す るo

山酔気候区の気候の特色吐.書僻高 原 を除 き.一般に温暖 で降水丑は,梅 雨畑 ・台風期 を除 き,「緑に少 ない。

瀬戸 内気候区の気候の特色比 ,温暖

で ,降水丑は年間を通 じて きわめて少 園 1‑ 4‑ 1 中国地方の気辰区

(和適 材夫監修 :「日本の気鞄より) 食い。

(‖ 気 温

昭和4 0‑ 4 4年の岡山地方気象台縮 「岡山虎気象 月報」によって・月別平均気温 と,月別最高 ・最 低 気温 とを襲 1‑ 4‑ 1,図1‑ 4‑ 2,図1‑ 4‑ 5に, 月別 目敏差 を表1‑ 4‑ 2に,また5年 間の港南 ・最低 気温 を表1‑ 4‑5に襲 わ しでみた。

(36)

表1‑ 4‑ 1 昭和40‑ 44年の5年間の 月別平 均 気温 .最高 気温 ,最低 気温

月 別 1 2 5 4 5 占 7 8 9 1D ll 12 年 千 佐 屋 1.28 1.86 5.42ll.50 16ー08 19.60 2172 25ー58 20.50 15.90 884 ま50 12ー62 均 矢 掛 104 5.84 7.02 12.94 17.74 21.50 25.9827.58 22.dd 15.94 10.58 5.10 14.52 気 笠 岡 4.24 4.56 7.58 15,02 17.64 21.24 25.72 27.66 25.16 17.00 ll.76 i.44 15.00 温 岡 山 140 4.20 a.08 15,24 18,02 21.94 26.06 27.72 25.08 18,50ll,06 5.58 14.84 娘 佐 屋 5.54 a.46 10.86 1d.90 22.10 24.70 27.66 50.06 24.90 18.90 15̲80 7.50 17.44 高 矢 掛 8.54 9.5d 15.58 l?.40 24,62 27.42 50.42 52.90 27.?8 22.48 16.82 10.66 20.54 気 笠 岡 8.80 9.12 12.占8 17.90 22.94 25.80 29.44 52.10 27,56 22.26 16,86 10.98 19.72 温 岡 山 8.54 9.44 15,02 1884 25.98 26.8占 29.92 52.58 27.74 22.12 16.82 10.70 20.02 最 佐 屋 ‑ 5.04‑2.80 0 5,62 9,96 14.5d 20.44 20.60 15,94 8.96 5.80‑0.98 7.68 低 矢 掛 ‑2̲52‑1.92 0.80 i.40 10.84 15.74 21.40 22.12 17.30 ?.40 4.28‑0.5ム 8.58 気 笠 岡 ‑0.56 D 2.50 aOd 12.52 16,88 21.96 25.20 18.70 ll.占8 a.58 1.82 10,28

表1‑ 4‑ 2 昭和40‑ 44年の5年間の 月別平均 目敏差

1 2 5 4 5 A 7 8 9 10 ll 12 計

佐 屋 8.58 ?.26 18.86 ll,28 12,14 10.14 7.22 9.4占 8.96 9.94 10,00 8.48 9.76 矢 掛 ll.06 ll.48 12.78 1100 15̲58 11ーム8 ?.D2 10.78 10.88 15.08 12.54 ll.22ll.98 笠 岡 9.1占 9̲12 10.18 9.84 10.82 a.92 7.48 9.90 8.8610.58 10.28 9.16 9.44

表11 4‑ 5 昭和40‑ 44年の5年間の環高 ・最低気温

佐 屋 矢 掛 笠 岡 岡 山

最高気温 54.4 (S42.a24) 56.2 (S42.&24) 55,a (S40.a 5) 55.9 (S42.& 2占)

年平 均気温は ,佐屋は12・占̀2℃で.矢掛の14・52

・ C

,笠 岡の15・0℃ と比較 して2℃か ら2.5

℃ほ ど低いのが 目立つo jた月平均 気温は図1‑ 4‑ 2よb見ると.≡地域 とも同 じ型 を と9 . 1月 が一番低 く・ 8月が 最高 とな っているo Lか し佐屋の グラフは ,各 月 とも下の位置 をと ってい る。笠 岡は矢掛 よりも南に位置 してい るが,占月か ら8月にかけて矢掛 よ

b

も平均気温が低 く.また穀高気 温 も・矢掛 よ

b

高い 月は1月と1 1月, 12月だけで あるこれは笠 岡が瀬戸 内海に面 してい る こと と・矢掛が山地に よって瀬戸内海の影酌 ▲らさえ き.られ た小 田川の河 谷に位促 して .やや内陸性で あ る ことに起 因 しているので あろ う。 この ことは .年救 差や 目敏差に明瞭に表 わされてい る。年間の最

‑22

(37)

2

5

7 lO け ‑

図 ト 4‑2月別平均気温(昭和40‑44年平均)

9 1 l 12月

唖月の平均気温 と慮寒月の平均気温の差が 気湿の 年敏美で,夏冬の温度差 のはげ しさを示す丑 であ る。 気温の年故蓮は一 般に醇蜂で小さ く,内陸 に 入るほど年改善仕増 し,山岳部で長 も大 き くなる。

佐屋の般懐月は8月で平均気温は2 558℃

.

寒月は 1月で平均気温代 1.2 8℃で,埴駿 月と長 藤月の蓮は2 4・1℃であるO矢掛の最暖 月は 8月, 蚤殊月払 1月で ,平 均気温はそれぞれ2 7 58℃

と5・08℃で あb,その差吐 2 45CであるO笠 間 も舷硬月8月,罷寒月1月で,平均女も侃壮それ ぞれ27,6dCと4 24℃でその差は25.42℃

となっている。 これは前記の年較差の一般性 と比 軟 して一致 している。

日歓喜 と吐 日壕高気温 と日放低気温の差 であ っ て気温の 目変化のはげ しさを示す. 日較差は海岸 で小さ く.内陸で大 きい.僻に内陸の盆地は大 き く,山岳はかえ って′トさい。表21 4‑ 2に よる と.日較差の大 きいのは矢掛であb. 4月, 5月, 8月は 15℃を越える。また反対に小さいのは笠 岡であ って,大 きい月で も1 1℃を越える ことは ない。 日歓喜 も年較差 と同 じく前記 の一般性に従

う。

昭和40‑ 44年の月平均気温 ,月平均降水蕊 をもとに して クライモクラフを 作D,図1‑ 4‑

4に示 した。

これに よる と,佐屋 ・矢掛 ・笠 岡ともだいたい 同 じ型を示すが,佐屋は気温が低 く.降水丑が 多 いので,他の グラフよ9‑やや下右方に位憧する。

iた佐屋は7月と8月, 8月 と9月の降水丑の差 が大 きく,帯咋 9月の降水地が 多い ことが ,他の グラフ上 り少 し興 った

に してVlる.また佐屋, 矢掛の グテ7忙比べて笠 岡の グラフはやや偏平で ある。

昭和4 0‑ 4 4年の5年間の点高気温 と最低

温は衷 1‑ 5‑5の とうりである。

図 5 月別位高最低気温 (昭和40‑44年平均)

(38)

100 200 500Tnnt 100 200 5DO柄Tn

図1‑ 4‑ 4 佐屋 ,矢掛 ,笠 岡,岡山の クライモ グラフ (昭和40‑ 44年平均) (2) 降 水 立

昭和4 0‑ 4 4年の 「岡山県気象 月報 」に より,月別平 均降 水丑 を表 1‑ 4‑ 4と図1‑ 41 5に表 わ した。

表 1‑ 4‑ 4 昭和40‑ 44年の5年間の月別平 均降水丑 (単位mm)

1 2 さ 4 5 A 7 8 9 10 ll 12 計

佐 屋 54.a 47.2 105,0 125.0 181.4 208.0 514.占 70.4 264.0 71.0 70.0 40,4 1551.8 矢

45.8 4占,8 87.4 109.A 155.8 20占,a 270,占 55.a 200.2 42.2 85.8 29.4 1555.8 笠 岡 45̲占 45.a 86.4 112.8 156.a 189.8 247.8 41.8 17aO 56.8 dad 5D.4 1258.8 岡 山 42.0 45.8 91.0 ll4.8 165.i 184.a 252.8 55.6 195.2 75.8 57.8 28.0 1502.I d

‑24‑

(39)

図1‑ 4‑ 5 月別平均降水丑 (昭和40‑ 44年平均)

これに よると年間降水丑は,佐屋が1,5 0 0 糊 を越え一 番 多 く,笠岡では1.500加l以 下で あるO佐屋は1551・dnZDTでは あ って も. 「理 科年表 」の19 5 1年か ら19 占 0年 までの統 計に よる鳥取の2.05占仰 .広 島の1,59dpza など と比べ る と,同 じ中国地方で あ って も少 な

。 12月か ら2月まで を見る と,佐屋以外は 5Duに もた っしなVl。 これ を図1‑ 4‑ 5で み ると,三地域 とも最 も降水丑 の多V}のは7月 で ,ついで 9月, 占月 となってい るo d月と7 月とに多いのは梅雨に よる もので あ b, 9月に 多いのは台風 に よるものであるO佐屋 と矢掛.

笠 岡では特に7月と 9月に降水丑の救差が大 き くな っている. 「また佐屋 のみ冬期 の降水蒙れ 5I)爪舟を越えているのは 降雪 のためで あろ う。

各地域の降水 日数 は表1‑ 4‑ 5の通 りで ある.

矢掛 の降雨 日数が1 5 4.占日で佐屋 の15 2.2 日よりもやや多いに もかかわ らず ,年降 水丑が 2DOmLaZも少L^のは,佐屋の方が降 水宜≧ 1hZm.

≧ 1 0qzm,≧ 50mmの どの 日教 も多い ことで説明で きるで あろ う。つま り佐屋の方那, 1度の降水丑 が 多いので ある。

表1‑ 4‑ 5 昭和40‑ 45年の4年間 の平均年間現 象 日数

佐 屋 矢

笠 岡 岡 山

快 晴 115.25 106td 12ま0 116.25 負 121.5 1da25 144.75 188.0 雨 152,2 154.占 120.2 15占.4

質 57.4 1&8 ll.2 19.占

あ ら れ 2.8 0.8 0.2 5.2

ひ 上 う 0.4 0 0 ロ,2

a 15.8 72.2 ll.2 21.0

稲 占2.25 7aO 57.25 82.5

14,5 18.CI 4,75 1825 gd' 占7.5 54̲75 1.25 2.0 結 77.0 76.25 41,5 84.8 降

1 nzm 111,4 7012 188.4 101.占

n 18 1m 4占.2 40.8 59.8 41.占

50 仰 15.i ll.8 ll.4 ll.2

1D e砕 0.8 0 0 8

20 cn 0.2 8 0 0

50 cn 0 ロ 0 0

(40)

r3) 風

昭和48‑ 45年の各 月の最 多風 向は表1‑ 4ldの通 Dで ある。

表 1‑ 4‑ 6 昭和 40‑ 45年の4年間の 月別壊 多風向

1 2 5 4 5 る 7 8 9 10 ll 「12

和 佐矢 掛屋 SWW NWW SWW NfEC F冗J 氏E SWW SE〟 WW NW WN WN 40年 笠 岡 N SW SW W SW W SW SE SW NFJ NW W

岡 山 W W E NE FJ E SW E 冗 E W W

和昭 佐矢 屋掛 NW WN WN SEE NWSE NWNE SWE EE SEa Nfド己 WN NWNW 41午 笠 岡 SW N甘.NW N SW NE S SW SW N SW N W

岡 山 W W W S E 冗 E FJ E E

W W

昭 佐 屋 W W W W FJ NW W W W W W NW

和 矢 掛 W W SE SE SE SE E NE NE NE Nfi: NW

42年 笠 岡 N N SV/ N N N N N SW N SE.SW ド

岡 山 W W E 冒 E E E

W

W

E W

昭 佐 屋 W W W .NW W N

W

E E

W

NW N W

和 矢 掛 W NW W NE E 冗 NE SW NE: NE W NW

45年 笠 岡 ド N E NE NE NE SW NE SW SE: NE S王: ド

これ に よると.全体的 に 見て冬 に北西の風が 多 く.夏 は南東の風が 多 くな ってい る。 また風 力≧ 6 の 日数 は年平 均にす る と,各地域 とも5日以下 と少 なho風 力6とは .風速10,8‑ 118mAで ,陸 上では大枚が動 き.電債が 鳴 れ か さは さ しに く くなるo海上では大 きな政が で きは じめ ,いた る と

ころに 白波が で き、 しぶ きが生 じる程鮭の もので あるO

また芳井 町 においては .顕著 を局地風は 見 られ ないが ,吉備高 原 と小 田川の谷 との間の急斜面には , 山臥 谷風がみ られ る。 日中は風が 山側や谷 に沿 って吹 き上げ ,夜間は山側 や谷に沿 って 吹 き下 ろ し 早朝 までつづ く。 前者 を谷 胤 後 者 を山風 と呼 び .温 度差 の 日変化 に よって起 る もので ある。

(4) 降 雪

降雪は≡地域の 中では ,佐屋が降雪 日数 に して も, 降雪丑 に して も一 番 多いこれは佐 屋の高度 に関 係 す るで あろ うO表 2‑ 4‑ 7に示 してある昭和4 0

‑ 44年の最大俄 雪丑 にかいて も55C茄と群 を抜い ている.

しか し多い とは い って も, この三地域の比較 にわ ー24‑

表 1‑ 4‑ 7 昭和40‑ 44年の5年間の最 大頒 雪畳

;佐 屋 55 (S 45, 2. 15) 矢

5 (S 45. 2. 21) 笠 岡 5 (ss 三 ::≡) 岡 山 4 (ss:i. 乙 …ヲ)

表 1 1 2 1 1 地 茶 系 統 表 (小林貞一 に 上る ) 注 ) 絶体 年代 は湊 ・井尻寺 「E l . 本 夕岨 J第二版 ( 岩汲 )に 上るo 地 質 時 代 句 作 区 分 火 成 活 動 地 殻 変 動 節坐代 現 世 万年まえ 沖 棟 平 野 L 砂 斤 玄 武 岩玄 武 二 宮耗 鎌 忘火 宍 第 一 軒ニ・和(時 泉道 ー瀬 )内一 階 )戸 大A.0.8‑1100卵低位 段 丘山‑脂(京(悪原意 賃 二完襲押膚 )層洪 凍 期平 都 細 物 Id富 山 皆野 岩 八鮮 新 世
表 L Z ‑3‑タ (太 J 六 .gF 丘 肺 門 J 戎) 図山 武 豪,f留 l 一 、 ‑ ‑ \ノ慶鯛 。&amp; 乳 香血相 卓彦 点 呼 門 カ ネ貴簡銀水各村下野六 郎 方 新円 項 ).IJ・rJ・・ 女ネ(ハ租虐抑婁) 女手 (早 死 )∵ ?ダ与(外山冬花嵐撃追貴 ) ・.I
図 41415 七 日市 助 井村
表 6 ‑ 1‑ 2 2 日′ 」 、 作別反別耕地 面硬及 び′ ト作地車 田 反 別 畑 反 別 自 作 地 小 作 地 計 小作地事 自 作 地 小 作 地 計 小作地率 昭 1 1

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