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案 深 餐 墨 專 観 喫 葉 舎 會

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(1)

案深餐墨專観喫葉舎會

號八十六 第

明治四十四年九月二十八日獲行

(2)

t

十全會雑誌第六十八號目次

O漂著及實験

①臓位韓錯ノ一例二就テ︒

     ○雑

0右利亡左利︒

     0漫

⑳其角句申の讐學︒

⑳杏林笑詐︒

⑰本邦論於ケル外科學二十五年ノ圓灘︒

⑭追懐談︒

     0抄   録

⑳有尾類嘉器ノ形態學補遺︒.

㊧﹁オニヒョダクチルス﹂ノ水晶体︒

㊧自家考案ノ注射器︒

面筋肉附著匠印象法︒

⑳自製ノ人体内臓實葦刈型︒

㊤カハール氏三二就テ一ごノ注血島︒

㊧標本供覧︒

⑭悪性貧血病原論︒

⑳畢簡ナル新式羊術︒

㊤﹁クロ︑フォルム﹂死︒

⑳腹膜内﹁ヘルニア﹂︒

石 三四郎永 井

富士川  游屓葛厚卜庵

田 代 義 徳岡 田 乾兜

島 敬川 喜子 治上 遅々木村 孝

飯森盆太鄭村 田  醇 ㊤直膓脱二三ス〃直膓固定法︒         ・木 村 孝 藏⁝      O學   會⑲金澤小見科學會︒⑫金澤讐學會︒⑧第九師團方團研究會︒私立衛生會石川支部総會︒     O通   信⑬鈴太寛之助氏︒㊥小山田基氏︒㊧永井人雄氏︒⑬韓︑湯氏︒②赫戸通信︒㊤名取博三氏︒     O外國雑報⑫墨國二於ケル本邦讐師︒㊥露國ノ旧師欠乏︒⑪米國ノ看護談︒㊥客来及一領諸島塾本邦萱藥︒     ◎内地雑報⑳東西藥種商比較︒㊥同萱⁝樂小萱商比較︒⑧島根縣學校生徒ト寄生虫︒⑧新讐學博士︒⑫博士ノ現在歎︒⑱讐師ト費藥︒     O讐稜難報⑬各所ノ新事業︒     0校内雑報⑪劒道大會︒⑱新入學生σ㊧林教授逞別會︒㊥林教授の渡欧葎逡ろ︒⑱講師岡本先生な迎ふ︒⑫在外國會員の宿所︒㊧叙任及辞令︒      O人  事⑮山崎教授の出張︒㈱宮田教授︒⑭鬼頭教授︒璽松原教授︒働高岡榮氏の昇任︒⑳生沼曹六氏蹄朝︒麟久保武氏︒㊥林教授の新任亡留學︒0岡部千太郡氏︒      O會   告

.③校外特別會員會費領収報告︒

(3)

︵雑纂︶

 號八十六第誌棄亀會杢十・

い〜、〜〜〜〜 へ一〜〜〜一、〜〜〜《(({《《へ・vy・N〜〜へへ

嫁シ在り健 仔血族申碕形児等ナシ

一︑既往症 幼時縷器質斯二聾リシト云フ他著患三罹リシコ︸ナキ屯僅カ

ノ勢働二依リ心悸充進チ蝿ユ故二小量校長學中塗二駈歩競争等チ好マザジ

シト蝕フ煙草及酒チ嗜マズ

一︑現症 髄格榮養共二申等式長五寸二寸八分体重十四貫目筆力聴力等二

異常チ認メメ鼻腔尻軽度ノ湿性添加答見チ有ス四肢ハ左右欝等二襲胃シ異

常ナシ乳部及生殖器等跡異常ナグ羅丸ハ左睾丸右二比シ下垂ノ度強シ腰強

ハ小幅シテ軟且ツ糟⁝ヤ頻⁝数ナリ胸部覗診上心尖搏常位昌認メズシテ右乳線

外一指横径ノ部二於テ之レチ認メ鰯診二際シ心尖搏動軟弱ナルニ依リ其ノ

右胸心ナル玉且ツ心機能二異常ノ存スルコレチ疑フチ得タリ打診上心臓ハ

胸骨右線封リ上ハ右第三肋間外側ハ右乳線ノ稽ヤ外側一指牛横径ノ部以内

軽濁音チ呈シ上ハ第四肋間外ハ乳線ヨリ孕指外側内ハ胸骨ヨリ一指横径外

側ヨリ濁音界チ占ム聴診上心音ハ一般二弱ク且ツ清澄ナラサル下心尖部チ

右乳線部二置キ各辮ロノ位置恰融生理的位置ト其ノ位置チ左右相反セシメ

タルモノニ相當ス加之心尖部二牧縮期的雑音チ闘ク

肺臓ハ打診上其ノ下線二於テ左肺ハ正中線三ア剣状突起ノ基底ノ高サ乳線

三ア第宍肋骨中腋窩線ニテ第八肋間肩押骨内縁ノ延長線二於テ.第十胸椎棘

駿突起ノ高サニ蓮シ以下濁音チ呈ス右肺ハ恰モ普通ノ左肺二於グルガ如ク

前胸ご於テハ前記ノ心臓チ包擁シ腋窩線背部ハ左側ト等シ賠診上及聲音振

盤呼吸蓮動異常チ認メス即チ右肺ト左肺下其ノ位置チ轄換セル屯ノ下認ム

肝臓ノ位置ハ其ノ濁音界モ亦左二有シ其ノ上界ハ申腋窩二於テ第八肋間ヨ

リ︸前ハ甜孔 線ニテ牌粥山ハ肋骨⁝止申綿讐コア創胱突起ノ基底ノ古同サ一後ハ肩⁝押骨内線

ノ延長線ニテ第†胸椎棘状突起ノ高サ以下二占メ其ノ下界ハ左乳線及申腋

窩線ニテ季肋蔀二肩脚骨内緑ノ延長線一=ア第十一胸椎疎朕突起ノ高サニ位

ス曜診上其ノ下端子季肋部二於テ鰯ル︑コ塾能ワズ即チ右側二存ス〃關係

チ其ノ儘左二移シタルモノ玉認ム 胃ヌ膨瀧試験等精密ナ〃論協査チ鋏ク屯打診上下界ハ背位二於テ膀上二措横樫ニアリ︵愉鵬査時午前†時頃︶之レヨ肪左側ノ鼓音界ノ大サヨリ右側⁝ノ方大

ニシテ乳線二達ス故二之レ亦左側二幽門チ有スルニ非ラザルヤ杢推測スル

ナリ直膓試瞼チ鉄クチ以テ蓮べ蹴難シ

以上ノ諸症二日リ臓位曙錯症ニシテ糧性心内膜炎ヲ屯兼タル屯ノト認ム依

テ本症ノ一例チ追加タルモノナリ

稿チ終〃﹄臨ミ軍馨分團弘前研究會七児例會二本症ノニ例報告アリト聞ク

チ以テ鼓二附記ス

3昌凄嗣==昌==昌===雷==幽=昌==謡==呂留=昌禺昌誤■==

醗右利と左利

    ︵奨進讐會列會席上に於て︶

磐學博士 永 井

     第一 左右相綴⁝の基源

吾人の勢膿ほ大艦に於て︑左右相禰ふれども︑その間に亦不相構の存する

を見るは興味あることなのo動物の最も原始的ふろ形に︑一定の相稽叉に

挑列ふきものふり︑例へば﹁アメーバ﹂悔綿動物の如き是ふりo漸次高等と

ふろに從ひ︑瓢線或に面の周團に器官が相等しき挑列秘ふし︑随て之な等分

(4)

+ 

立八十六第

るに︑動物的官能な螢むべき骨格.筋肉.紳経等は相構的なれども︑植物 すべき面の数ば減少する秘見ろべし︒然而して誌面ぜる脊髄動物に撃て見 ものあれども︑兎に角卵よの饗逮が進むに從て軸が定まり︑蹟て鎧存等分 ミして︑之を等分すべき面甚多し︑尤も卵の各部分に相等しからずぐ﹂云ふ 夏に皆野装生鮮に之な見れば︑卵にありてば圓形に近くして︑一義な中心 分し得ろ面に漸次減少する望見ろQ 物の系統装生の順序に從ひて閥察し彩れば︑動物の高等εふるに從て︑等 すべき面は︑縦軸ε矢状軸ぜな含めろ唯一の面に限らろ㌧に至ろ︒斯く動 らず︑矢状軸の爾端に於ても亦器官の蓋置隠秘異にすろ秘以て︑盟か等分 は圭軸と湯器軸秘含めろ面に限らろQ然るに一層蓮めば︑濁り縦軸のみふ な異にずうな以て︑障壁等分すべ・き面に︑圭軸秘橿軸伽含めろ面か︑若く 軸ふり〇三に横軸にtて左右の軸ふりQ而して各軸に於て夫々器官の排列 にして口ε肛門ごの軸走ふり〇二ば矢状軸にして縦軸建直角なふす前後の 大に載籍すべこ︒更に進めば︑膣に一ごの軸存設くろ得〇一は縦軸即ち主軸 て等分ぜらろ㌧に至る︑從て之な等分すべき面の数に︑前者に比すれば︑ 生す︑例へば﹁クラゲ﹂の如〃し︑されば艦に︑この圭軸 葎含めろ田面により 於てに︑一器官の登野趣存異にし︑一方がnH︑一方が肛門ぜ云ふ如き挑列な 秘等分ずうな得べし○進でに龍に於て一定の軸定まり︒此の主軸の両端に 國に相稻的の置かる㌧が敬に︑荷も渡島な慨する面あらんにに︑何れも之 放散類ε呼ぼろ㌧もの﹂如きに︑睦器官の排列に︑一望な申飛出して其周 すべき面の籔11︑動物が高等ピふるに従ひ︑漸次戚少すうに至る︑例へば

の官能なふすべき丙部臓器な見るに︑何れも不相禰ふり︒滞れ狡き範園内

に深き表面を有ぜんこ言なカめ︑鰻曲叉に搬疑秘生すればふり○然るに外

部器官にありては相獺ふるが便なり︑運動秘すうにも左右相異るに不便ふ

り︑感畳にありても右に感ずろミ左に感ずる亡同じからざれば不便ふり︑

されご外形にありても︑吾人の考へ居ろよ琴に遙に■左右の差甚しきものあ り︒必ずしも全く相惚ふらずして︑黒雲の氣附かざろ所に左右相違の瀦喜すうな見る︒     第二 人類に於けろ左右相稽の研究顔面及び黒茶に就で︑見うに︑︵ンケ践は有名ふる﹁ミロ﹂のヴェーヌスの像⁝の頭の大に不相爾ふろことな家士し得て︑此驕に於てこの作物に大に藝伽的債値か存すろ者書ぜり○次てハツセ氏も亦同じく此の冠像の顔面の不相稔ふろな知り︑且つ實際置型の顔面の不相稔ふろことな測定し︑斯くして作港の親察の細密なるに敬服ぜり︒准例是等の頭に︑左翼溺右牛よりも大にして︑顔ぼその反封に右牛が左牛よりも大ふろを常ごす︒リープライヒ氏ば之に三種の﹁ダ︐4プ﹂ありミぜり︑就中顔疽の左より右に振れし如き形最も多し︑炉︑る形を生ずる原因匿︑母胎に於けろ胎見に位置は第一頭位最も多き爲ふらんε云ふQ即ち其際ほ︑胎見に曹通その左牛が母の脊桂ご向ひ︑右牛が腹部に向ふ故みり︒脊桂に言いイ︑揃うに小児にぼ正規的之な示ず者頗る多し︑刺イツセル氏に五百†五人の男女崖答申十八人の病的ふるものな除き四百九†七人中爾五〇.九%の曲れる為見穴りQ怠れ何も生理的に唱曲ぜうものふり︒クル!グ氏に八歳より十毛歳に至る一千四百十八入の學齢悪童中病的ふる十三入葎除き騰り一四〇五人申二四%の脊桂の曲れるを見下り︒大人にありてば       のハツセ︑デーナー氏にように灘干一百四十一人に就いて六八%に曲り居り僅か三二似−︒丈σか曲直の春三七有すろ三見穴切b而して三曲ぜる方向如何といふに小庭期免童にありては圭ミして左に曲り︑大入にあのては腰にてば左︑胸にては右に曲れる者尤も多しO侮三三より縫曲の現象めらにる㌧炉亡いふに︑極めて幼少ふろ者にありては︑著しく簿曲ぜす︑電歳頃に至りて初めてあらはる︒その原因に心してほ書論あり︒︵一︶児童の︐生長すうに際し左右の生長の不同ふるよ切乾ろ︒︵二︶脚の長さの左右等しからざう

ぶり骨盤下りて之が爲めに釣合姦直らんとピて脊柱の曲るあの︒︵三︶外部

︵雑纂︶

(5)

へ雑纂︶

ノX

 號入十六第誌霜露杢十

wtvsrvAvvwwVVVvvwwwvvvwwww一. ws−vWwwvvvwh

豊原囲書しては机︑腰掛︑荷物の素望︑職業等に關係あり︒斯くて生長す

る頃に多少攣化眞直ふる脊柱存有する者に却って稀となろ︒蘇に卑齢の長

ず︐うに從ひて其度釜々甚だしく︑エメーペレ厨に大人の屍艦に就いて百申

僅に七のみ脊柱の屓に正し・きな見知るのみと云ふ︒︑    .

肩に右の低きな常定す︒右の上肢が左よりも重ければみり○胸椎の鰻課せ

る方向之ε直嬢の嗣係無下ず︒

胸廓も右牛が左牛よりも大なり︒右肺が左心よりも背ければふり○

上肢に就いて見うに即ち右利左利の現象あるふり︒系統獲生的に亡弟調査

するに動物にありてに未だあらはれざうが如し︒獅子︑馬︑鵬鵡︑儲駐等

に之あり定云ふ者あれども果して然るや訪ザしO人類に最も近・き猿につい

ての翻査の結果も域人は右利ぜ云ひ︑或は左利オ云ひ︑入域に於ける程直

写に知るこ定能はすQ大澤博士は犬等に就きて之が観察か行にれ猿に於て

は多少右利左利の差毛の認むべき潜あろな報皆ぜられれり︒然れども其旺

別に人間に於て始めて明に表にる者にして重れ實匹人類の特徴と見て灯ふ

らむ︒     第三 原始時代に於けろ入間の右利左利

原始辱代の人類は如何ふ纏しか︒之な調査ずるにに古代の器具ご息男面骨

皿格とに.よるの他ふし︒石器か研﹂究してその右の手に.て用↑ひられし証左の手

にて用ひられしかを見うに︑勿論右にて作り右にて桐ひしが多けれども左

ふろも頗ろ多し︒石器存賢造すうも右手のみにてすれば直に看破せらろ㌧

程ふり︒今日の入には一乃至四︑五%の左利あり︒然るに太古の入に︑に三

三%の左利めりしεいふ︒此研究の結果にぶりて昔に於てに左潜共に殆ど

同様に用ひられしを知るに足るべし︒次に総諜に就いて争うに︑入の横顔

葎溶くにに右手にて活けば左向亡ふり︑左手にて急けば右向ミふるん・常色.

す・而して左の橿顔多けれども右向も亦多けれぼ︑左利も多かりし葎知ろ

べも即ち今日当りも左手か用ひ得ろこ霊大ふりしふらむ骨絡に就いても 多数は右の骨$左の骨よりも重し・坦今日程その差大みらず此黙より見うも・左右爾手学用ひ得しものならん亡思はろ︒掴龍機生的に見れば.バルド井ンによれば玉ク月乃至九ヶ月に於て匡近き物な取ろには右左の手か出すこと殆ど同じ程なれども︑蓮き罪な取らしむしれば八穿圃の中電+圓は右手な田し︑左手な餓これうに僅に六厩に過ぎざりしεいふQ而して†三ク病目愚婦右利の微量顯著電ふる是に由卯て観るも前に述べ六ろぐ﹂同じく窃にに左利右利山相等しく漸く右利に傾くな知ろべし︒     第四 現代人の左利血胸現代の人に就きて右利左利の割合如何と云ふに學者によりてその設一致ぜず〇四・四%︑四%︑二乃至三%︑等の説あり︑亭均一乃至四︒五%ミ見て可ふらむ︒八%︑二二%等の親もあれども極端ふるものにして取りがカし︒手の長さ.重さ︑大きさの比較に躍れば︑右の左にまされうに言ふ迄もふく︑右手の骨に左よりも一献趣長く血塵も右手が高しε云ふ︑形髄上より去へば︑左利に一〇%ありて然ろべき栖示ぜり︒︵七曲/o︑八%︑

一二%等の観もあ切︒︶然るに實際機能上よ解統計すれば︑僅に一乃至四︒五

%の左利めるのみふろば何故ふろかぐ﹂云ふに蓋是れ左利とみるべき素質に

一〇%7位あれども教育亡習慣書のカによりて感じれる結果ふり︒

     第五 右利の原因

多くの者にありて右手ミふる原因に何ぞや︒之に諸説あり︒第一にに血管

分布り相違よ肩來ろふらんといふ︒是オーグル︑リユーデソケンス氏等の

訊く所ふり︒その親ドぶれば右頚動脈よりも左頚動脈に多量の血液の入り

易きに解剖上明からふろ所にして︑し炉も獅脈にありて解剖學上血管分枝

の状態ありしも左頸静脈が右頸静脈よりも血液の蹄流は困難ふり︒之を以・

て車輪の左証に右牛に比して多量の血被な滞溜し︑右・ふりも夏く蟹達津︒︒

さればその.聾蓮ぜろ左の購の支配ぜろ右手が左手ふりもよマ︑・肇逡して力強

(6)

 號八十六第誌雑會杢十

v一一. vN v . V N」ww LwVvVWv vvN. vvwVVv  v v VN.. vAvAiN

くふろは當然の事ふo左の膿が右に比しで︑血墜高き事ば何の眼に於て近

親若くに蓮繭が多く郭者るかの統計的事實にぶりても亦之な確むうに足る

べし○即ち論理上に遠祓近覗に就ても同檬の一事實あり︒眼内の歴高ければ

蓮親とふり低ければ旧観とふるものふるが事實上右眼の近覗が左眼に比し

イ、卲^に多数ふりQ叉写μ爾⁝蓄電に近謂既ふらば右眼の方度高きか常とす

以上の設ば右利の説明εして有力ふろに歪力れども︑ゴリラ海豹の如き動

物に於て血管に人類ミ同じきもさぽど右利になれろ纂蜜ふきが故に未だ置

足ふる説明ミ云ふべからず︒左の大鵬は右よりも螢逮佳く︑こ\に言語の

中櫨あるミ事實ふ覇︒されどこれ大鵬が登庸し六る爲に言語の巾福か生じ︑

右利葎生じ量るか︑或ば右手が愚筆しれろ爲に左の大謄が雲台し︑そこに

言語の三三な生じたるかに明らかならず○

第ごに母胎に於けろ胎兄の位置によるとの読あり︒コント氏の唱ふる所ふ

り煎れによれば胎児二萬五百の中一三九千七百に通常の頭位にあり︒就・申

第二顧位即ち前に蓮べたる如く胎兇の左牟が母の気遣に向ひ︑右牛が腹部

に向ふものこ禺七干二百ありて之に反する第二頭位ば僅に二二百に愚ぎ

ず︒さらば一一銘の左利あって然ろべき義り︒この説も右利左利の原因解

読明し得る如しと錐︑右利左利の原因が一年後に於て剃あてあらはろ\に

何故ふろか︒未だ書足ふる読明とすべからす︒

その他見童の抱き方︑腹かぜ︐方︐右左の重さ︵右の方に重き肝臓あり︶等に

よりて右利窃親明せんとする潜あり○最後に有力ふる考は入間の直立歩行

が最物の原因ならんε云ふ説ふり︒上肢にもと場騰な支ふる機關ふりしに︑

直立歩行すうに至りて之が自由の機關εふり︑妹に戦孚に於て手占用ふる

にば爾手か用ふるよりも隻手な用ふるか便電す︒石な投ぐるにも食物蕊取

うにも一方に豫備に且ハふるが便錦りQ而して特に右手存用ふる所以に左手

に以て重要ふる心臓秘防衛ずうに便ふればふり︒爾來右手秘用ふろこと︑

ふりたれども動物叉ば兇童にば未だ右利の現はれざろふり︒然らば心臓に  細行に左に偏⁝したうか○動物にありてぼ心臓⁝ば胸骨にて支へらろ○然うに

入間の如く直立歩行すうに至れば自ら心臓に下らざるな得ずQその下切︑て

横隔膜に止まるρ︑左肺の右肺に比して浮ぶる等の原野よりして左に偏し

 漏るもの\如しQ

     第山脈 脚部の︸止規的不相撮粥

下肢即ち脚部について言うに右手利ば左足利なり︒四足蹴の歩行するな見

 ても右手ミ左足も左手ご右足の兄弟ふるか知ろこミな得べし︒善癒吾入の

注意点惹かざれども左右の脚部の全く同Pき者に殆どふく︑何れか一方︵多

くに左︶の他方よりも転瞬ぜうに明らかなろ事實ふり︒かのチルケル︑べ

 必qグソグ上滑して夜中方角の罷れざる附き原野或ば湖上か行く者の直進

す亡思ひ乍らその實循環蓮動かふすごεに入に於イ︑も蒐等に於て︸も屡3あ

らはる㌔現象ふり・曇れ前払が完全に其働葎なし方角私誤らぬ時は鵬の各

牛に各漣當に運動野起さしめ思ふ膀の方向に進み得る者なれども此作用ふ

 吾暗は自然薗部佳き山力の脚に他側に比して運動の速度大書ふるを以て︑進

路に勢ひ大ふろ環た描くに至るふり︒

     第七 眼の左利右利

 眼についても右利左利ミあろべし︒善通は左利のみにて交字な讃むよりも

 右利にて護む方へ爾⁝眼にて勤むにに如かざれども︶早く讃むな得べく且そ

 の印象も確かふり︒︵刀圭新報抄︶

︵雑纂︶

・一

(7)

︵漫 録︶

塵國一開鱒鱒一一一口霞一一脚●脚嘗隔ロ一〇陣一一一口口幽幽==一目團閣印一函幽鳳飼回口剛働一脚一ロロ一脚隔即一一層顧■ロ駒

t翻も

號八十六第誌難風全十

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言書角集中の曙學選士川

晋其角に馨家に生まれ︑自均も父の業な承けて初め馨か修め六のであろ︒

その師行る草刈三越ミいふに︑羽州の人で︑江戸に業な開き︑所謂學謄な

以て當暗に■聞レ?六人である︒皇國名讐傳ふどにに︑漏れて居るが︑しがし

其薯述な見ろミ︑申々見識の高い學者で︑固より名騰傳中の人物であるか

ら其角がこれに親衆して受け六ろ感化も著しかつ六ε思にれろ〇三越の著

述﹁磨教正意﹂四丁に︑其角が三越の門に入つ力年の翌々年︵延賢六年︶に上

梓ぜられ糞のであるから︑當肺の状勢よの推して考ふろに︑其稿本11其角

入門の當時餅⁝に出來て居て.其角もその講繹な凹いれに違いふい〇三越の

﹁讐教正意﹂に五運六氣の設に基きて論葎立て︑油入A口Fの理か唱道して︑

遽に易醤論に及びて居ろQ所謂後世家の占冠で︑一方の旗頭と見るべきも

のであるから︑其言行の尋常で無かつカこεば大概想懐⁝ぜられろ○其角が

此の師匠から受け六ろ感化はどの位であっ六か︑固より之か明にすろこピ

に出來ぬが︑勘なく定も︑其角は野師の誼栖融きて︑治療の方術よりも︑

ろの理論を喜びて︑心かこれに傾け六であらふ︒然らば︑.其角の俳句か調

べて見て︑それに依りて其角の騰學の智識の程度が︑たビ一斑でも窺はれ       むうかεいふに︑其角の俳句の申に︑疾病に關するものに 績虚栗集    さ月待加茂の祭の高ザらん   破 笠           瘡落ちよε唄い六㌧き   其 角淋佛に所りて疲な治すろこεに︐我郵俗間にても古くまり行はれ六れども︑磐書にも﹁外璽三三﹂に﹃許伯仁日︑島病別有二所薦厭艘而愈暫こミ記し︑鎌倉時代の讐書﹁萬安方﹂﹁頓讐抄﹂以下にも弓術にて癒な治すろこ亡を墨げ︑之か俗間の読のみ亡見ろべきでは無い○其角の暗代より百餓年の後︑

山久サ叉政年間.原南陽が署蓮し覧ろ﹁叢柱亭讐事小言﹂にも杜子美が詩句

﹃子璋燭骸血模糊手郷捉還崔大夫﹄か書し水服すれば瘡な戴るのみにあら

ず︑狐狸も畏ると云ふこε秘揚げたるな見れば︑庇の如き治癒の方も︑當       む   晴の謄學警急に行はれ叢るものミ見て誤域ふいのである︒但し虐な干ると      お      いふべき術語か癖な港とすεいふ俗語︵?︶にしれのに如何であろか︑叉何

心頃よりこの語が行はれぬかは︑猫ほ調べて見れいこεであろ 績虚栗集  モノヨシ   癩のものうき富の世葎悟り   破 

    柴の戸深く維磨聞くらん   其 角

癩病ば先生の罪業により︑賦活の冥罰の六めに起るものであろ炉ら︑所詮

善根秘隠し︑繊悔なふして善な修すべしといふことは︑鎌倉出代﹁頓騰抄﹂

以來評家の間に行にれカろ読で︑癩病な不治の業病εし︑只管堺に轄胴り穴

ろことば元緑前後にも猶ほ行ばれ六るもの亡思はれろ 花つみ           伊興裳に狂ふ月のかげ   其 角    頓爲の琵琶の折からの秋   漢 

狸郭の説ば︑﹁今昔物語﹂にも出て居るが・これに孤纈の名四し︑讐書

に載ぜ距のに香川修庵の﹁一本堂行蝕欝言﹂が始めてであろから︑寳暦明和       時代以前は勿論欝家も狐付の出面な用みて居つ六のであろ︒しかし俗人に

駐疾Φ見て直ちにこれか狐付εすろこ亡に多いから他の狂疾と狐愚瓶εに

(8)

八幸六第翻雑會壷→d

VVNV一〜〜〜〜Nい〜〜〜へ(ハ〈.VWVVVW.VVVVNM v−V VN、  

 .NtK.

s一一s

常に混同ぜられ六が︑其角の謂ふ所の下着に︑狐藤であろこミに︑同じ集      む   むむ む      ︵花つみ︶申に﹃伊勢の國にて狐の入につきて云曳けろ句﹄﹃批狐つき日比

の田夫にてぞありけろ︑狐にて後に無事なりし也﹄亡記し六るにて︑明か

であろ 五元集          雁瘡のい49.る時得し御法か・ふ

貞享三年刊行の﹁病名量騨﹂に﹃雁瘡.俗に云ふガソがサなり﹄ミ記し︑

﹁病源候論﹂な引て︑﹃批瘡な得るもの常に看秋二月八月に︑在り︑雁与る¢

きは獲し︑雁去うときに便ち癒ゆ︑故に以て名εす﹄電墨げてあろ 五元集         茸狩や山のあふ六に虚勢病 翌翌集   蠣の盧何す㌧しくふりにけり    其    莞爾⁝親の留守を慰む  匂 子

﹁病名帯解﹂に﹃虚勢は雷雲の症ふり︑元氣不足により心心黒くるEあって︑

或に氣血か螢要し︑或ば酒色過度して漸く眞陰欝損ずうに至て︑梢火騒て

飽す火面する建きは眞陰秘鎗礫して鰍秘ふし︑写声なし︑淡なふし︑熱な

みし︑吐血頗血ななし︑盗澤遺精秘ふし︑云々﹄辿読てある︒これが其角

購代の屠學拙會に行はれ染る虚勢症の定義及び病理である 署葉︐合   げぢくに亭主も居直りてグジく軸⁝腱が甜︸ぶりて㎝髪が禿げろオいふごピば︑當暗俗間に導ばら行ばれし説ミ

思にれる︒漢名に鬼舐頭ミいふのに則ちこれで︑﹁類聚和名鈴﹂に﹁病源候

論﹂葎引て︑鬼舐頭を墾げ︑﹃註に思慮四二天狗下薬一所レ鵡是﹄ぜ記してあ       キ シろ︒叉鷹取秀次の﹁外報剃明野﹂へ天正九年︶には﹃鬼鵡ε云ふ足長き看れぶ

りて︑にぐろ事あろ﹄ε記して居ろ◎其病捷ぼ島形禿髪症で︑命目の俗に 所謂毫薄坊圭に外みらぬのであろが︑前にも言ふ通り︑其原因に或に天狗下食の舐⁝ぷろれめに生ず亡いひ︑或に鬼舐⁝といふ轟﹁の舐⁝ぷろために生すろ      ダジくといひしが︑何時の問にか︑軸艇の赦ぶるれめであるεいふことにみつ穴ので︑コ病名壁謂解﹂︵貞享三年︶にに﹃鬼舐頭︑舐鯉子プルと讃めリ︑俗にゲジゲジが舐る亡云ふが如きものふり﹄と載ぜて居ろ 溢元集          夏の夜に疲ぬろ.痛氣の起りけり 繧五元詰      む   蒜に穴へて痂氣のみいりけり 若葉合      む   誰も痂氣ε 背から腰痛氣の名11﹁素問﹂に出て居て俗稽でに無い︒貞享三年刊行の﹁病名彙解﹂に﹃荊氣︑俗に下風ε云︵り﹄と記ぜうか見れば︑貞享年間な距ろこミ遽からざろ元豫頃にも署家が痂氣といふものな俗人に下風ε名づけ六こ電︑思にれる︒元緑時代頃の騰學の黒黒とし曇霞丹漢の奮學正解﹂に﹃荊氣者︑睾ゐ刈⁝遅二小⁝腹.H魚︸痛也﹄ε響き斑幽萱山ハ年刊行﹁謄 方聚要﹂︵轡田時成恥に行にれナ一ろ欝方書︶にも痂氣の一部門私設けて︑委細にこれを論じて居る︐ 纏薮元気   妹それむ姉や貧しき           風に吹れてかるい庖瘡   煤掃に笠も薪もかれつけて            打舅に酒な﹂是藥ふりε 焦尾琴          白禿のふほろにがり存ころも更       の   駿足も.痔には任かぜぬ鞍の上          小鷺ふす世間ふみ電て下り腹

・漫鋳︶

(9)

へ漫錐︶

o 號八十六第誌購會壷十

 ・俳諮錦繍段     む     目病みεも門に立ちれろ朗日影 花つみ    む  む      憂目やむ洗藥もふみれふり 旬兄弟       む   氣につれて小便濁ろ秋の暮

大抵︑右の様ふ・句で︑殊に取り立て﹄云ふべきものば見當ら槍︒叉もとよ

り向の藪が多く無いのであるから︑これだけで以て︑其角の讐十二知識の

如何な論ずるこ亡の爵來ぬは無論であろが︑しかし右の諸句中に見にれ穴

所だげで︑考へて見ても︑其角に讐學の素養があっれこεに明瞭である︒

しかも吉島農が後世家別派であったこ蜜も確かに想定ゼられるのであろ

よくはわから槍けれこも︑其角が讐學の本領ぼ本草にあっ六もの﹂やうに

見えるO手錐の略譜に﹃十四歳︑於堀江町本草調目爲︑修治︑主治︑襲明﹄

ミあろが︑其角が齢十四歳の暗は上菅二年で︑草刈三越の門に入った前々

年である︒されば其角に父の東順の許にて︑多少聖書を詰み︑本草に趣味

なもって︑皿遜に本草綱・目ん昏側すに至つ巽ものかミ思はれろ 宋若葉

     製白幕εて   明饗hのふばぐにふる炬燵哉   是 橘

     餌食南橘の六とへの如く父が讐ふれば寒雲習ひ予か俳諾奄いへ

    ば艶旬私つぶやく欝欝のかしこき六めしににあらでふらにんよ

     りば馴六うもやさし   河豚汗に叉本草のはなしかふ    其 角

全禮︑本草の學に︑藥物の名稽な正し︑其功能な研究するのが主で︑大審ハ

令には其官もあっ六が︑申世この科は去たれ糞︒然うに慶長年間李暗珍の︑

﹁本箪綱目﹂溺渡潔してから︑再びこの學に開て︐嘉永十蚤年に江戸に藥園 が出來︑﹄本草の名家も現はれれQそれで學謄と稽ぜらろ嵐には本草を修むるこεは必須であっ六〇其角溺丈に﹃父が謄ふれば二部習ひ﹄εても.廟草の事秘心得て居る定いふのは︑所謂墨讐の事である︒其角が句に 五元集         香需散犬かれふって雲の峯香需散εいふのば︐もと支都の﹁和矧局方﹂に出で六る方で︑此方は夏月暑邪に申リ︐腹痛擢多量潟し︑或ば族中卒に暑勲に感じて卒倒するなど奄治する暮方として專ら用ひられ六ものである︒我邦にては鎌倉時代ぶり此等方ば窪齪に用ひられ六のであるが︑足利時代存経て︑徳川氏の初世に及び.元緑の頃に至りてに︑既藥︵多少攣方して︶に憎く民間に行はれ︑茶に代て之を飲むほどになつ六といふこミに︑元藤十二年刊行香月牛山の﹁方考﹂に ﹃世讐此力に加減シテ︑或福富傳ト稽シ︑或ハ秘方ト稽シ︑夏月ニナレバ 諸人二賦リ典フ︑塞朝ノ風俗トナリ︑代レ茶テ飲レ之或ハ夏月ニナレハ 毎朝一望シテ豫警防レ暑ト︑藤江頴ノ観二本ヅキテ俗チナスナリ︑云々﹄ミあるので明かである 五二集   病申制禁好橋桁の串海鼠はつでや月の友禁好物私諸病に就て︑入釜敷言ひ立つるに至つ距始に︑鎌倉時代のことであろが︑徳川氏の初世の頃から︑濫補の治術へ後世家磐方︶が盛に有ばれれろより勢ひ禁好物のこεも治術の生馬ふろものεふり︑諸病の点食戸禁物︶斎食ハ︵好物︶ないふこピが八釜敷炉つ五のであろ 俳譜錦繍段      む   川菖の香に湿ろ㌧や谷の水 焦尾琴   床入りに守り秘書れは鏡おほろ     其  雫       む    翻髭脚へか・︑つ入塗の橋   笠ハ 角

(10)

號八十六第講難會壷十

 績虚栗集   規曾て鯖減ろ︑さくら哉   露 沽         む     黄罎結⁝ あ ろ 峡↑の 日 の 朝       其   角

本草に慰する旬ば︑割合に多い︒而して儲位の資料でも︑其角が轡學の内

で︑本草に趣味なもって居ったといふこピは剣麟ぜられるのであろが︑半

時の胱勢で.本草の研究秘しカのに所謂學膣であっ六から︑其角もま六所

謂學讐であったものと思にれろ   む む 謄家εしての其角存研究ずべき材料に︑其甲西に︑割合に多いが︑これに

問題が違ふから︑こ﹂には何もいふまい︒六Σεつ序に記して置き憂い

こεがあろ︑それに次の一事であろQ

嘗て欄逸にゲーテ︑シルレルの二大詩人があっ六が︑ゲーテに国家にあら

すして鰐事な説・き︑シ〃レルは讐學のドクレ〃であーリふがら欝を罷めて暫

墨及び丈學の教授εふつれ︒我邦の交人の申で曲亭馬琴が丁度ゲ:テの風

で︑晋其角ほ彼のシルレル亡同檬であろε.余ほ常に思ふのであろ︒それ

らの事に勿論本題に豊年のない事である︒︵完︶

      鑑  休  庵   夏痩や薄書藏の人の肩  ︵刀圭回報抄︶

㊧香林笑話眞葛原ト庵

      醐 國母の手術

有名なヂーブエソバッハが普國皇妃の手術なせねばふらぬ事があっ六︑虚が

侍欝のルス止みる春がヂーフエyバッハに私語して曰く君!何卒しつかり

頼みますよ︑君が今手術ぜんεすろ入ば即ち國母であろ︑君11即ち其國母

弘(

驕Bへき大君に刀な加ヘス混學であろから︑ 十・分の注ぬ思を⁝以て︑やって憾貝にれ

ぽふらぬ書云ふ六︑然うにヂーフエソバヅハの答が振つとろ︑励﹁ソオカナi

僕にに君の云ふ事が解らふい︑僕縫刀秘手にしてイザ手術肇に臨まん亡ず・

る噂にに︑僕の眼前に横る所の人髄は即ち燐むべき同胞である亡思ふのみ

であって︑其人び果して瀧會に干て如何ふる位置に居る人であるがε云ふ

︑︑とは僕に討て關ぜざろ所であろ﹂亡やつれには︑流石の侍磐も返ず言葉

も無かつ六そうふ︒

      島 讐者の手後れ

患者 先生私ぼ今日○○僅四士に監察して一匹ひまし畝ムが︑あふ穴が全然誤⁝診

して居られ六が爲に︑も早手渇れだと申されまし六・先生非遣いでにあり

まぜんか︑どうしてくれますQ

聾者 左様駅︑それでに早々これ迄の藥儂の書付な上げまぜう︐手遙れに

ふると私が困ります︒

      随一・ペツテソゴーヘレの健小山

猫逸化學會雑誌に︑ペツテンコーへ〃氏の逸事ミして面白い記事があっ

カ︒有名ふるペツテソコーヘル氏も亦學春的健忘の行跡があった70彼に外幽す

る暗に盆葎持って出れば︑必ず何麗かに忘れてしまって持て餓らふい︒家

族の者に﹃あふ力傘に﹄オ言にれて︑始めて氣が付くのが常であっカ︒或

ろ時英國へ族行した事があっカが︑呼時にに珍らしく傘に忘れすに持って

楽六︑アウグスプ〃ヒぐ﹂云ふ威まで來て︑家族の者に左の電職な唆した

  余及び余の傘ば無轟

慮で彼が家に著した時にに︑傘は手に特うて居ふかった︑家入に注意され

てにじめで︑氣付い六Qあれ程電報まで訂しれ傘に︑何逮に忘れれかと考て

見ろεも成程アウグスプ〃ヒの電信局に忘れたのであっ六〇

︵漫録︶

(11)

︵漫 録︶

號八十六第講論會杢十

騒本邦に於ける外科學二十五年の回顧

   ︵明治四十四隼三月識臼第二+回讐家先哲写譜會

    臨席⁝上二於テ︶一頃博士田代義徳

ゆ  序言自分が東京醤科大學秘樹たのは丁度明治二十一年であるから簾て満

ご十五年にふろ︑酋洋にに粟窪のあろ事であるから︑日を期して當時の卒

業譜一堂に相會し卒業漏二十五年の醍官話開炉う定企があろ︑併し唯だ集

まって飲んで食って話して夫れで別れろのでば興が薄い謬りでふく︑寧ろ

甚だ無趣味の避である︑そこで各自島二†五年の闘に得六る讐學の各科に

亙る命索の道程な記載して後日の紀念に諾しれら甚だ有盆ふると¢自分に

思って居ろ︑若し島計劃が行ばれ六ふらば某氏に内科某君ば眼科自分は営

業門の立膓からして庇歳月の間日本に起つ六外科の墜遷ε云ふもの為聖業

の編年禮でふく調べ上げて見ぬら嚥引面白がらうと頻りに思って居つ六虚

に︑奨進警會の藤根君が來られて奨単離會で近日第二十回謄家先哲追薦會

秘催すいら最近に於けろ外科學の進歩を話して呉れぬ粉♂いふ般頼みであ

っれ︑其時不圖この事な想ひ起して軽卒にも快諾なしカのであっ六︑趾依

頼に鷹じカのに縷⁝かに数日前の・とて後から深く考へて見るミ央℃て容易の

⁝菜で㎞μふい︑腹案は馬跳に.十←分鑑來て居うがさイ︑色々自分も調一べ人に起聞・き

合ぜて夫れか組み立てるにに相補の時口H秘要する︑それで今日は唯だ自分

の記憶に姦すろ儘か思ひ歯し・く秩序もふく順序もふく話さうと思ふので

あろ︑云は讐雑談である顎併し難治は凡ゴ\自分が親しく目購耳聞し六もの

であるから亦多少の興味ある乙な信じて疑に沁︑猶一つお潜りし六いのに

自分の艶話ほ古いぐ﹂云っても實ぱ僅かに二+蝕年前の辺であろ︑現に小生

と當畔か纏早し穴ろ大石榮三君なり罵田乾児君なり鼓.に幽議して居られ︑ 叉先輩六ろ多くの入・も居らろ緊がら隙襯く人によって㎞μサツ︒バリ詰門らぬ・ものかも知れ沁が︑自分に其頃丁度養父の起し六﹃磐事新聞﹄の編輯にも興って居つ六から︑馨學界一般の芝に亘って諸君に比して多少よリ多くな知るの便宜があっ六ε思ふ︑叉事の大學に關係あろものに幸にも其頃小使亡して三際な知って居り今日は器械係として大學に勤績する安西と云ふ看があるから夫れから親しく聞いて一々自分の記憶に誤りがふいか何うか存確め穴のであろ︒    む の ゆ むむスグワバ先生の手術 自分が卒業し六盗時ほスクリバ先生は丁度賜暇臨⁝國申で外科志望の油分に一年間︵明治二十ご年︶佐藤教授︵三吉︶の下に助手た勤め次で明治二十三︑四の二年間刻先生に師事したのであろ︑そこで高話は最勧は學生εして接近し︑後には助手として知る同先生の手術から始めよう︑全斜懸の第一屠院は丁度今の病理學教室あたりの一帯の地にあって建物が凡て富三棟あっ六︑其西の一棟が内科︑東が外科︑前の一棟が教室︑外科手術室及び病竈の一部であった︑スクリバ先生の外科手術の大部分は雌馬で行ほれた︑手術室ミ満ってに版画の頗ろ粗末のものに過ぎぬ︑夫でも上から光線丈けに探れろ様にふって居つ六が︑雨天のHに雌硝子張りの探光写声ら盛んに雨漏りがすろので憲の上に鑓奄被ぜて之を防いだものだ︵河本重次耶君糠雨︶︑當暗の院長に華岡眞節で屡3手術室の改築奄逼ったが豫算の都合上中々行はれふかつぬのである︑其手術室の中央には木造長方形の手術墾があって其上に畳な置き更に桐油な敷て︑患者は著衣の儘其上に後かされて手術部な露出し他ぼ油紙で躍れろのであろ頭上に11昇添水の入つ六大きふ瓶が二つ吊されてあっ六︑手術室の消毒に主に石叫灰酸﹁スプレー﹂で稀に硫舳黄の下血なやつれ︑スクリバ先生に洋服の上衣葎脱ぎ捨て﹁シャツ﹂の袖な高く至り︑腰の邊にに力士の著ける化粧廻の榛ふ眞田紐のつい六前垂檬のものな﹁チョッキ﹂の上炉ら括.りつけて居られろ︑

⁝勘手に白い前垂掛に似六丁純愛葬式の白丁の著て居る様ふものな銘につけ

(12)

號『 ェ十六第無難會杢十

て基準︵當時の學生間に外科助手な渾名して紳葬祭の旗持ピ笑ふ六り︶︑固

より殺菌水ぼ愚か水道もない時で室外の﹁タンク﹂貯狂れ大井永か導いて何

でも使つれ︑叉室内に小さみ風呂桶があって湯が沸してあろ︑手術前にに

勿論手な洗ひ清穴が石鹸亡刷毛ぜな用みた・とに矢張り今日と同⁝標であろ蟄

出血か拭ふのに凡て海綿で大小種々の海綿奄海綿鋏に挾んで交るく使ふ

のであるから︑三人許りの看護婦に孟升程入って居ろ石炭酸水の甕か罷ん

で血に汚れ六詩編洗ひに忙しいつれものだ器械類は凡てこ十倍石炭酸水に

漬けて浩⁝毒し穴︑絹縣⁝な用ゐ始六のは河本︵重次郎︶鴛の説にようεスクワ

バ先生だそうでシユルツェ先生の畔迄ば一切際脚線であったさうだ︑之にス

クリバ先生り一大功績亡云って宜い︑叉先生は爾短性の外科的盤よりも日

本の大工の用ふるもの\方が遽に工合がよいと云って常に惚れ秘使にれ

た︑自分も今日外科の難秘特に大工の難の様に作らぜて用みて居るが確に

工合が頁い︑把針器に悉くジ屯ソ式のものであっ六曜倦其手術後局部ほ更

に昇添水で洗て凡て擁膿管を入れて絹帯秘施し六ものだ︑﹁カーセ﹂の如き

も腕脂﹁ガーセ﹂は高士で頗乃貴重のものミされて開腹術以外には絵り用る

ふかつ☆︑凡て生﹁ガーゼ﹂で濟まし六︑﹁サリチー〃﹂酸綿に騒分多く使つ

六︑助手に其刺戟で鼻か掛れて弱らぜられれ︑患者の運搬ぼ凡て澹架であ

っ六が自分の助手時代一明治廿蕊年頃に陰暗の器械係の大酉老入︵秀春︶に

相談しゴ︑車輪の薫れものに改血しお︑其後大西老人が赤十字病院に麟じて

其慮でも用ゐられ六さうであるが兎に角蓮搬車に全く自分の機意ε思ふ︑

勿論順天堂病院の如き大病院では其亜型用ゐられて居つ六か何うかは知ら

ぬ︵瀬尾原始︑磨事新聞第二九二號︑讐科大學第一麟院防腐滴梅客︑明治

廿二年刊行︶o

病室でへの槻棚帯山父焔尻仲μ等しくn凡てへ﹁スプレー﹂の下でやつ穴︑笠ハ粥唄㎞μ一廻訟診一睡にr

.一病室から大きふ金堂に山の如く血や膿に滑れ六縫帯材料が繊六ものであ

る︑以て當時如何に創傷が多く化膿しつ﹄あっ六か気立せられろ︒     ゆ開腹術 開腹術丈けば今の病理學教室の後方にあった上等病室の一葱割いて其手術室に充て他の手術と別けてあっれ︑前夜がら石炭酸﹁スプレー﹂で室の浩⁝毒存し六︑手術の時にスクリバ先生僧始め助手に勿論︑謬観の學生まで凡て入浴し一同白衣な著け六︑叉先生の命︵P︶亡あって眼鏡も石炭酸水に漬け頭髪までそれで拭つ六︑今から考へると手術其ものにも随分無駄と思ふとをやった様である︑開腹術の中で一番多かつ六のは卵菓嚢腫の手術であっ糞セ其頃婦人科に清水︵郁太郎︶教授の死後で講義はベルツ先生の携任であっ六︑併しスクリバ先生の開腹術の成績に不幸にしで佳夏でふかった而して其夏くふいε云ふのに全く傳染病室が接近して居る爲めであらう書云ふ論なふしれ人があってスクリバ先生の詰めに同病竃平他に移轄す︒へく膏閏蒔の鈍羅山土三浦︵謹之助︶君ふhど㎞μ︑至心に論此︷説を+鵬張されて屡ダ學・生噛議私鵬い六ものだ︒

     む の ゆ  む       ヒスクリバ先生の孚面 スクリバ先生に時に随分無理ふ手術もされ六が確炉

に上手であっ六︑先生は元と剖ル刻プルヒ大義の出勇でハイデルベルビ

で﹁ドグ下〃﹂試瞼に鷹ヒ其の後フライプルヒで腎臓摘出を以て有名ふデー

モン民に師事され︑叉脊椎﹁カリエス﹂の治療存以て知られ議バマース氏にも

蟄あ執られカ︑それで先生も日本に聰ぜられて間もふく明治14老年の頃ミ

荒砂うが既に外磁性腎臓揺蕩に其摘出な試み︑黒馬の毛な詰め乱射か盛ん

に用みて心脊椎﹁カリエス﹂益治療され六︑拙蘇談ほ措いてスクリバ先生の手術

に確かに既謂妙手であった︑器械係の大西老入溺ぶぐ云つ六ことがある︑

前のシュルソエ先生は器械が喧かましくて凡て揃になければ中々手秘下さ

れ趣ひつ穴が︑スグリベ先生に至っては頗る無雑作で器械係に樂である確

かに上手の先生だピ云って居六︑現にある手術の時骨膜剥子が見當らぬの

で方々探して持て吊れ時には既に先生は鎮子の一方で用を終って居六︑乳

癌の如きも先生匡一刀の下に其一側を大胸筋まで割り第二圓の刀で他側秘

戴砂去つ距︑それから大海綿で押へて嵩置煽止あて置てボツ・/\血管な結

︵漫録︶

(13)

︵漫錐︶

西

 愚暗や六下講雑 會一一ト

pm v vNNNNNNvvvWvnLrv vvv−maNNwwvvv.患春から診察料な⁝微劃すると義ふこミに此入が始て行つ六のである︑何所 術も逮者であった君痛いことに肺患で早く世私去られ六︑詰開治療で初診 最初の人であろ︑同教授の臨來始めて我が大饗に︐嫌感厚の雲立葎見事︑手 大憲卒業で︑明治十四五年の頃婦入科學研究として官費留學葎命ぜられ糞 習して悪いこ虐はふかつ六のである︑此済⁝水教授と云ふのば明治十一年の ろ︑現に清水敏授の成績にしても︑東京病院の高木男の成績にしても當時 前に云つ力如く不頁ふらしめ穴一原因ではふ炉つ六かと今思ひ當るのであ の爲めに比較的多くの時間を費し六こεば或ぱ先生の開腹術の成績なして 私立病院でふすべ・き事であろ要すうに先生の手術に刀の運びば早いが講義 みに顧慮してロクく慈童にも見朝す講義もしみいと云ふならば︑それば く︑先生の有徳な毒筆し六一端と見られろ︑若し一向に慮巳の手術成績の 義加績けられ穴以て先生が如何に學生の蒲陶に熟心であっ六かか察すべ れが亦先生の得意ふ所であっぬ︑開腹術にしても腹腔な開い六儘で諄く講 く先生の蓮刀は頗ろ侠遽であるが學生に見ぜる蒔間ぱ可ふり長かつカ︑そ れ︑頸部の復讐轄移癌ふども何等の顧慮なく亭然ビして刀を下され六︑か 意周働の熊度とは正反野に違って居れ︑謂ゆる快刀瓢廊な漸つの趣があっ かやつ六ものである︑佐藤教授溝一方に止血して一方に刀な進めらろ﹂用 生が學生に教へられた言である︑其頃の自分蓬は大に之な眞似て間々失策 紮され六︑幽血ば手術秘早くさいすれば央して恐ろ﹄に星らぬとに常に先

炉憂つれ入であっ慧智思にれる︑叉鵬岡の大森︑池田の二君に明治二†二︑.

三年の頃既に開腹術の一百例を記して其成績の厳いこミ潜云って居られれ

のであろ︑二君は叉十七︑八年の頃國帝切開術准も試みて夏結果か牧めら

れ穴︑叉濱田教授が明治二十二年頃に行ばれ★開腹術の成績も決して悪い

とは聞かふかつれのであろ︑序に常夏の濱田教授式開腹術の織田が委しく

其頃の﹃主事新聞﹄に出て居るが︑患家にば羊術の藪臼前から臨⁝類下愚葎與

へて腸管た疏通し︑猫二三圃の灌膓か反復し︑手術室にば甫夜から石炭酸 ﹁スプレー﹂存施しカεあろ︵翼崎二黒︑望事新聞第三〇四號︑明治廿二年勢考︶oの び   ゆ ゆ ゆ の防腐外利の輸入 本邦に防腐外科秘輸入し六大功勢者に公正に云って實に輻闘の大森︑池田の二君であろ︑二君ば其種子な輸入し培養し更に一般に聾黄門しめ六外科の恩ムであろ︑蓋本邦外科の進歩に於て其功猫逸國に於けろ引スターーの學説経紫雲に理解し之葎實隊に鷹羨しれ彼のフォルクマンに比して勝る書も上して劣るこピはふいのである︑其一罵れる池団君は有名ふる猫逸語の達人で學生確代から既に平な笠石の新刊書に注いで新智識の吸敗に努め去て日本の黒字に讃むにも書くにも困られ六ミ云ふ話のあろ程の人である︑想ふに仙學藩翰心ふる大森君の智慧袋ば黒門こそ異れ池田君であって爾晶相侯て並に今日の築三男芸の濫艦栖ふし六ものであらうミ思ふ︑勿論故人ピなられた橋本子爵若くに佐藤男爵の本邦外科學の登達に於けろ功績に至ってば之なうyゲンベツクに比しス峯ローマイエルに擬ずうも何入も異議のふいものミ思ふ︑橋本子爵ほ明治八︑九年の頃既に手な上顎切除術に著け︑叉佐藤男爵ば同八年の駕御か卵集の手術に染められ大︑併し當時の開腹術ば手術後﹁ドレーン﹂な腹腔に廼じ消毒急難で洗った亡云ふのであろから獣畜の頁くなかつれのも無理にふい︵順天堂謄事雑誌巻一︑明治八年登行塗考︑■内に二十年前笠翁佐倉にて言葉轟腫な夏野蹄秘以て手術秘施したりミあり笠窪亡は爾申の號ふり︶翻って我が大學に防腐外科秘輸入され六のぼ佐藤教授であっれか或に宇野教授であっ訊バか今確然力るをな云ひ得ねが︑佐藤教授の蹄朝ば明治二十二隼であろから猫逸にも未だ其繭芽な見れに過ぎね謄である︵佐藤教授溝ベルグマンに從遊し逼る當踏に臨急到玖プ︐翫賞認︐に未だ田て來らざりしと云ふ︶︑宇野教授が﹁ツベルクリ

ン﹂の研究亡して渡欧され距明治ご十四年の頃に最も其盛んふ暗代で︑山現

に同前授溺彼地でシンメルプツシユの浩毒釜な購求して大音に逡られ︑其

血行自分達は何かの露の紀念電して止金しで此蔵並釜煎買つ☆ことにして

(14)

八→一六第百;隔心鹸會∠奎:→凸

自分蓬の名義で大學に寄附した事實の記憶があろから㌔多分二野敏授が防

腐外科︵浮野釜︶輸入の功績な澹にろべき入であらうと思ふ︑兎も角も二教

授共に今日猴ぽ世に生存ぜられて若し此自分の推測に間違があろふらば馬

面でも正誤な申込み得らろ﹂人であろから︑自分は蛇に揮炉らず所信な公

言するのであろ︒

ゆ     の ゆ む洋嫁法の縫遷 眼存縣じて治療法の攣遽か奮うに僅に二十蝕年間の出來事

でばあるが随分攣つ六こざが多い︑恰も外科各論な書く積ので系統か遂ふ

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︵漫鎌︶

参照

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