ロビンソンの経済学研究における変遷
その他のタイトル Some Changes in Robinson's Economic Studies
著者 三谷 友吉
雑誌名 關西大學經済論集
巻 6
号 8
ページ 734‑751
発行年 1956‑12‑01
URL http://hdl.handle.net/10112/15675
リッジ学派の流れをくむものであるが︑有名な﹁不完全競争の
経済学﹂をもつて従来の完全競争の経済学に反旗をひるがえ
し︑それからのちは有力なケインジアンとしていわゆる正統派
経済学に反対の立場をとるとともに︑資本主義制度にたいして
もある程度まで批判的な態度をしめしている︒左派ケインジア
( 1 )
ンと自称するゆえんである︒そして最近においてはマルクス経
している︒シュムペーターのごときは彼女をマルクス経済学者
( 2 )
とみなしている仕どである︒この見方はどうかとおもわれるけ
れども︑ともかくもロビンソンはマルクスが提起したような長 済学に興味をかんじ︑それにかんするいくたの著書論文を公に ジョーン・ロビンソンはマアシャルをもつてはじまるケムプ
は し が き
これである︒本稿においては︑ロビンソンの︑マルクス研究に 経済学の研究をへて長期発展理論の確立に専心している時期︑ 般理論﹄の出版をへてケインズ理論の普及とその拡充︑とくにその︵静学的︶長期化に努力した時期︑第三︑その後︑マルクス するにいたるまでの時期︑第二︑そのころから︑ケインズ﹃ 一九三三年に﹃不完全競争の経済学﹄を公に においていちじるしい変遷をしめているのであるが︑これについてはだいたい三つの時期を区別することができるであろう︒すなわち︑第一︑ かくてロビンソンの経済学研究はその課題においてまた方法 期発展問題を重視し︑その解決をめざしてひとつのあたらしい資本蓄積論をうちたてようとする努力のあとをみせているのであ
る︒
ロビンソンの経済学研究における変遷
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にしつつ︑いささか考察してみたいC
註
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88 5.
ッジにやってきて︑経済学をまなびはじめたときには︑マアシャ
ルの﹃原理﹂がバイプルであった︒そしてわれわれはそれ以上
については保とんどしらなかった︒ジェヴォンズやクールノ
はなにもきかなかった︒スウェーデンはカッセルによって︑ア
メリカはアーヴィング・フィッシャーによって代表されてい
ロピンツンの経済学研究におサる変遷︵三谷︶ ﹁﹃原理﹄のなかにはひとつのふかく根ざした撞着がある︒ マアシャルじしんそれをしつてこころやすからぬものがあっすなわち︑・たえざる蓄積をともない︑時間をとおして発展する
( 1 )
ような経済に適合する結論とのあいだの撞着︑これである︒し
かしともかくもわれわれは一切をなんとかしてうのみにした︒
﹁わたくしが一九二九年にケムブリッジにかえつてきて︑教
えはじめたとき︑スラッフアの説がわれわれの島国根生に透入
しつつあった︒かれはマアシャルにおける諸矛盾を指摘すると
( 2 )
いう漬廻罪をおかしつつあった(‑九二六年のかれの論文はな
お反響しつつあった︶︒⁝⁝年長のひとびとはできるだけマア
ルの分析のかたい核心に加工して静態理論の論理的体系をつく
静態分析をすてて︑
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マアシャルの発展の理論とおりあいをつけ アシャルが経済学であった︒手段として企業の最適の大きさという概念をみちびきいれた︶︒ た︒オーストリアやドイツは保とんどしられていなかった︒マつていた︵そうするために︑かれは内部経済から競争をすくう ったようにおもわれる︒ビグー教授はずつと以前からマアシャ れはパレートの法則についてきいたが︑一般均衡体系について﹁いまでは︑この点においてわたくしはあやまった転回をや ー︑リカアドウでさへも︑脚註における人物であった︒われわ 構造とのあいだのふかい矛盾はあまりにも明白となっていた︒ はかれらによって説得されなかった︒静態的基礎と動態的上部 シャルを擁護することによって反抗した︒しかし若いひとびと つぎのように書いている︒﹁わたくしが一九二二年にケムブリ ロビンソンは﹃経済学論文集﹄(‑九五一年︶の序文のなかで た︒純粋に静態的である分析と︑それからひきだされる結論︑ いたるまでの経済学研究の変遷をば︑彼女こしんの述懐を参考
ついてなんら明白な説明をあたえなかった︒現実世界の描写と できない堅い消化しにくい塊たることをしめした︒﹂種々の産業における現実の状態はいっぱんに完全競争または独占にあてはまらず︑むしろ中間帯に属し︑それぞれの特殊な事情にしたがつてそのいずれかによりちかいものである︒しかし教科書はこれらの中間的な場合をいかにとりあっかうべきかに しかも うにみえた︒そしてそれは美学的魅力をもつていた︒しかしど 析にとりかかるのが慣例であった︒全図式はほとんど同質のよこかひとつの孤立した章において独占の分析が導入されなければならなかった︒これは競争的分析のけつしてのみこむことの よ ると
︑
﹁古い教科書のなかでは完全競争の観点から価値の分 ここでロビンソンは︑ ロピンソンの経済学研究における変遷︵三谷︶
るぺくこころみるかわりに︑わたくしはビグーにしたがつて︑
( 3 )
静態的仮定のうえに﹃不完全競争の経済学﹄を展開した︒﹂
一九三三年の彼女の名著﹃不完全競争
の経済学﹄がうまれるまでの︑経済学史上の劃期的な事件につ
いてのべ︑しかしこの書物がやはり静態的仮定のうえにたつて
いることを告白しているのである︒その当時においては彼女は
もっぱら完全競争の理論の非現実的なことを痛感していたよう
である︒同書の緒論においてロビンソンがのべているところに
世界は完全競争の諸仮定を満足させないという単純な説明をか
んがえつくまえに︑その現象の複雑な説明をさがしもとめるか
たむぎぷあった︒あるいはかれらは理論的図式のなかにつぎの
ごとき諸要素を導入するようにいざなわれた︒すなわち︑皮相
的にみると現実世界の現象を説明するようにみえるが︑しかし
理論的図式の論理的首尾一貫性をまった<破壊するところの諸
要素が︑それである︒スラッファ氏が左のごとく宣言したのは
かかる混乱の時機においてであった︒いわく﹃だから︑自由競
争の道をすてて︑反対の方向︑すなわち独占の方向に転回する 済﹄のごとき︑ある現象を見出したときには︑かれらは︑現実 ける完全競争の論理的優位性によってまよわされて︑それが現いう考え方についおとしいれられた︒かれらが現実世界のうちに︑完全競争の諸仮定と矛盾するところの︑﹃企業に内部的な経 実の世界においてもひとしく重要なものでなければならないと によってきずつけられた︒経済学者たちは︑かれらの図式にお 世界と価値の競争的分析とのあいだの関係は︑たびたびの誤解 たのち︑さらにつぎのごとく論じている︒
( 4 )
しては理論はひとびとをなっとくせしめるものではなかった︒
このようにロビンソンは完全競争の理論の非現実性を指摘し
六
﹁そのうえ︑現実の
737
限し価格を引上げる傾向は︑近代産業の構造的変化についての や不完全競争市場に本来そなわっているところの︑産出量を制
1︑
1 /
ついての偏見﹂とも称すべきものの批判をあたえる︒独占市場なかで述懐しているところによると︑ 格︑産出量および生産要素の報酬にかんして比較することが可 な転回をしめすものであったことは否定できない︒E
・ロ
ール
そしてロビンソンじしんがこの転回をなしとげた︒すなわ
ち︑独占の分析から出発して︑不完全競争の理論︵完全競争の理
論をふくめて︶をうちたてたのである︒彼女じしんは現在では
この理論が静態的仮定のうえにたつていることに不満を感じて
いるようであるが︑ともかくもそれがひとつのあたらしい大き
によれば︑ロビンソンの理論における結局の成果は︑競争︑独
占あるいはいかなる中間的状況にもひとしく適用しうるような
一般性をそなえた市場均衡の条件の説明ということである︒い
まや均衡条件はすべての市場状況にたいしておなじような言葉
で説明されているので︑それぞれのみちびきだす諸結果を︑価
能となる︒新理論のこの側面は経済理論の﹁資源の最適配分に
観察者にとつてはすでにながらく明白なことであった︒これが
( 6 )
いまやその理論的表現をもつにいたったのである︒
ロピンソンの経済学研究における変遷︵三谷︶ 註
(1
)
この点については左を参照せよ︒
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隅谷三喜男訳下巻二八七頁︒
さてつぎにすすもう︒ロビンソンが﹃経済学論文集Kの序文の
一九二九年にケインズは
﹃貨幣論﹄の校正刷によって講義をしていた︒この書物が一九
三0年のおわりにあらわれたとき︑激烈な論争がはじまり︑こ
れよりして五年後に﹃雇用︑利子および貨幣の一般理論﹄がう
( 1 )
まれたのである︒ロビンソンは一九三三年十月に﹃レヴュー・
( 5 )
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︒﹄
と︒
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た︒しかしどういうわけかわからないが を 書い
た︒ ロピンソンの経済学研究における変遷︵三谷︶
オヴ・エコノミック・スタディーズ﹄第一.巻第一号に論文﹃貨幣の
理論と産出斌の分析﹄を発表したが︑これはその当時において
えたかぎりでのケインズ理論の輪郭をあたえている︒この論文
幣論﹄の出版直後におこった論争ではいわゆる﹁井戸の釣瓶理
論﹂がとかれていた︒すなわち︑消費財にたいする需要が減少
する︵節約が増加する︶ならば︑資本財にたいする需要︵投資︶
がそれにひとしい額だけ増加するとの理論が︑それである︒ロ
ビンソンは一九三一年の夏にこの議論にたいするケインズの回
答を説明せんとこころみた一論文﹃貯蓄と投資についての寓話j
これは﹃エコノミカ﹄の編集者によって受理され
一九 三三 年の 二月
︑
すなわち﹃レヴュー﹄第一巻第一号よりも数力月前にはじめて
(2) 発表されたのである︒
p.A・サミュエルソンはロビンソンの右の二つの論文が
﹃貨幣論﹄から﹃一般理論﹄への推移をしめすものであるとの
べた が︑ L.R
・クラインはこの指示にしたがつて一九三三年
の二月と十月とのあいだにケムプリッジに革命がおこったと推
( 3 )
測している︒ロビンソンみずからのしるすところによれば︑こ のまえにもうひとつの注目すべき論文が公にされている︒
﹃ 貨
(M
)
が大であればある保ど︑それの価値︵冗︶はますます小
得の 割合
︑
Mは貨幣数量をあらわす︶においては︑貨幣の供給 にあたいする︒ なければならない︒それはともかくとしてロビンソンがはやく の推測はかならずしもただしくないことがわかる︒クラインにならって推測をこころみるならば︑三年の十月までのあいだにいわゆる革命がおこったとかんがえも一九三三年に﹃一般理論﹄の主要問題すなわち全体としての産出景の問題を意識にとりあげて論述していることは特筆する
一九三三年出版の﹃不完全競争の経済学﹄では
( 4 )
ロビンソンは﹁価値の分析﹂または﹁一貨物の産出量と価格の
( 5 )
分析﹂を主要問題として︑全体としての産出量の問題はとりあ
( 6 )
つかわないと明言しているcしかし当時すでにこのあたらしい
問題について考察をすすめていたものと推定されるのである︒
ロビンソンの第二の論文﹃貨幣の理論と産出量の分析﹄の要
点をしめすならば︑つぎのごとくである︒すなわち︑ロビンソ
ンによれば︑これまでの貨幣理論は需要供給の法則を貨幣価値
または物価水準を決定する力の分析にもちいる︒数量方程式︑
KR
たとえばケムプリッジ方程式
71
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T︵ここで冗は貨幣の購買
カ ︑
Rは実質的国民所得︑Kは貨幣の形態で保有される実質所 一九三一年の夏から一九 六
四
739
の公理は妥当しなければならないから︑財貨にたいする需要の
六五
は︑貯蓄率が上昇すると︑その結果︑消費は減少し︑そのため 方程式が持続するうえにきわめて重要ないまひとつの過程の作 の場合︑なにがあころうとも︑物価は騰落しない︒ケインズ氏 たつて財貨の供給が完全に弾力的であるとすれば︑どうか︒そ のみ均衡に達するであろう︒よろしい︒しかし︑ある範囲にわ る︒かれによれば︑﹁物価水準は︑貯蓄が投資にひとしいときに い
るの
であ
るが
︑
ない同義反復にすぎないが︑しばしば貨幣価値または物価水準
の決定に利用され︑貨幣の供給が変動すれば︑貨幣価値または
の変動はまったくかんがえられていない︒しかしその産出量の
( 7 )
分析こそ問題なのである︒ケインズはその著﹃貨幣論﹄(‑九三
0年︶のなかでこの視点から注目すべき若千の暗示をあたえて
しかしやはり数量説の誤謬におちいつてい
増減はすこしも物価の変動なくして産出量の増減をもたらし︑
必然的に貯蓄と投資を均等にたもつようなこれら両者の変動を
( 8 )
ともなわなければならない︒﹂このようにかんがえてロビンソ
ンは産出量の分析によって貯蓄ー投資方程式に到達しているの
であ
る︒
ロピンソンの経済学研究における変遷︵三谷︶ インジアンはその後継者よりもずつと明晰であったのだ︒この議論においてロビンソン夫人は︑いかにして貯蓄と投資があらゆる時点において均等となりうるかということ︑しかもなおこの両者は同一の函数表または曲線とはならないということを︑はつきりと語っていた︒彼女はまず第一に不均衡を仮定し︑ついで実質所得水準が貯蓄と投資を均等ならしめるように調節されてゆく概念的な過程をしめした︒また彼女は︑貯蓄ー投資用︑すなわち﹃強制﹄投資の作用をもしめしたのである︒彼女方程式は維持できなくなるであろうと仮定した︒その場合の調節にかんする彼女の説明は︑在庫品が消費率の減少のためにうずたかくつまれてしまい︑かくして投資は増加した貯蓄水準に 中心としてあらわされている点にある︒ 物価水準は変動するというふうにとかれる︒この場合に産出量 の価値はますます大である︒この方程式は因果的な意味をもた である︒貨幣にたいする需要(UR)が大であればあるほど︑そこの論文の先駆的な意義についてはクラインのつぎの言葉を
引用しておこう︒すなわち︑﹁この論文の見事な点は﹃一般理
論﹄の分析をきわめてはつきりとのぺていることであり︑また
貯蓄ー投資方程式のような重要な要素が︑つまらぬ術語上の論
争の形においてではなく︑そこにふくまれている真の問題点を
﹃一般理論﹄以前のケ
は短期分析の形で展開されたケインズの理論体系を長期の領域 らはケインズ﹃一般理論﹂の普及やその諸原理の特殊問題への ロピンソンの経済学研究における変遷︵三谷︶
である︒この議論の全体は︑さまざまの異った水準のどこにお
いても│ー完全雇用水準であろうとそれ以下であろうとー均
( 9 )
衡産出量が存しうるという論述によって要約された︒﹂
周知のように︑一九三六年におけるケインズ﹃一般理論﹄の
出版は学界に一大旋風をまきおこした︒まったくケインズ革命
の名にあたいするものがあった︒多くの学者がその理論を熱心
張がどんなものであるかを十分に理解することができず︑それ
にたいしてむしろ批判的な態度をとつていたものがすくなく
( 1 0 )
ない︒このような事態のなかにあってケインズの使徒ロビンソ
ンはどのような行動をとったか︒彼女は一九三六年に論文﹃雇
( 1 1 )
用の長期理論﹄などを発表し︑
んする諸試論﹄および﹃雇用理論入門﹄を公にしている︒これ
適用をこころみたものであるが︑とくに右の﹃雇用の長期理論﹄ 一九三七年には﹃雇用理論にか ズ派にぞくしているひとびとのなかにも︑当時はケインズの主 に批判して伝統的な学説を擁護しようとした︒いまではケイン は今日のケインジアンたちによって普通につかわれている論法 一致するまで上昇することを強制さるというのであった︒これ
目にあたいするであろう︒ ケインズの一般理論が短期的な仮定にもとずいていることは
( 1 3 )
すでに多くの学者によって指摘されているが︑ロビンソンもそ
( 1 4 )
れを﹁有効需要の短期変動の理論﹂とみなし︑また﹁一定の資
本存在量と将来にたいする一定の予想をふくむ一体系の均衡に
( 1 5 )
かんする﹂短期の分析︑あるいは﹁資本存在量と生産技術があ
( 1 6 )
たえられている短期﹂の分析をおこなうものとかんがえてい
る︒それはともかくも︑彼女が当時においてすでにケインズ理
論のこの一面性を意識し︑その長期化をくわだてているのは注
註
(1 ) このあいだの事情については左の著書を参考すべ きで ある
︒
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塩野谷1九十九訳
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篠原三代平•宮沢健一訳五0頁。
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( 12
︺に拡張する方法について論じているのである︒ 六六
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訳書四九ー五0
頁 ︒
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日本銀行調査局訳I四四頁以下参照︒
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訳書︱一五頁以下︒
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訳書六三四頁以下︒
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( 12 )
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p .
75
. 篠原三代平・伊藤善市訳︱︱一頁参照︒
(13)一例としてシュムペーターのつぎのごとき批判をあ
げておく︒すなわち︑ジュムペーターによれば︑ケイン
ズの理論は巨視的静学に属し︑かつ短期的である︒その
ためにおこる制限は︑生産函数や生産方法のみならず︑
工場や設備の質も最も変化しないという仮定である︒こ
れによっておおくの単純化がゆるされる︒たとえば︑雇 用を所得︵産出蓋︶にだいたい比例するものとしてとり
あっかうことがゆるされる︒しかしそのためにケインズ
ロピンソンの経済学研究における変遥︵三谷︶六七
の分析の適用可能性はせいぜい二︑三年間に限定され
る︒かくて設備の新設や変化にともなうすべての現象は
考察のそとにおかれる︒
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Ne w Economics,
pp .
92
ー9
3.
訳書I一四ニー一四三頁︒︶
( 1 4 )
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19 47 ,
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95 .
戸田武雄・赤谷良雄訳︱二九頁︒
( 1 5 )
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19 52 ,
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大川一司・梅村又次訳序文七頁︒
( 1 6 )
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19 56 ,
p .
v .
しかしロビンソンはケインズ理論の長期化の試みによってな
にを問題とし︑またそれをどのようにして解決しようとするの
であろうか︒ここで彼女の﹃雇用の長期理論﹄の概略について考
主義制度のもとで生活しているひとつの封鎖的な社会をかんが
え︑しかもその社会では人口数およびその年齢構成が安定して
おり︑さらに嗜好や技術的知識が一定であると仮定し︑利子率
の変動がこのような社会の均衡状態におよぽす効果について研
( 1 )
究しようとするのである︒ 察することにしよう︒ロビンソンは︑この論文において︑資本
ロピンソンの経済学研究における変遷︵三谷︶
ところで︑ロビンソンはまずある一定の利子率が変化しない
との仮定のもとに立論する︒かような状態においては︑あたえ
られた諸条件が十分にながいあいだっづくものとすると︑純投
資はやがてゃんでしまうであろう︒けだし︑資本財の蓄稼がつ
づけられているかぎり︑そのマアジンにおける収益性は低下
し︑したがつて投資をつづける誘因はなくなってしまうからで
ある︒ゼロの純投資に対応する資本の限界効率は利子率にひと
しい︒かくして投資がおわりをつげたときに長期均衡が確立さ
蓄がゼロになるような産出量である︒この水準をこえて総産出
量がいくらかでも増加すると︑それよりも少ない総消費の増加
が生ずるであろう︒なぜなれば︑所得の増加分の一部が貯蓄に
あてられるからである︒この場合︑供給が需要よりもより多く
増加するから︑均衡は達成されないであろう︒反対に︑もし総
産出量が右の水準以下に減少するならば︑需要が供給よりもよ
り少なく減少するから︑総所得の増加によって均衡が回復され
るであろう︒ゼロ投資の場合には︑全体としての社会にとって をあたえる総産出量の水準はただひとつしかない︒それは純貯
つぎにロビンソンは利子率が変化する場合における長期均衡 かくして雇用が長期的にいかにして決定されるかがしられる︒貯蓄がゼロとなるような産出量の水準と︑その産出量水準に対応する雇用の水準は︑ただひとつあるのみである︒このようにして決定される雇用の水準はけつして完全雇用の水準とおなじではない︒もし完全雇用に対応する総実質所得水準において貯蓄率がゼロよりも大であるならば︑その総所得水準は達成されえないのである︒だから︑完全雇用が確保されるという保証はないのであって︑失業が存在しうるのである︒しかしながら︑あたえられた雇用水準に対応する失業量が多ければ多いほぜなれば︑失業者にはともかく扶助があたえられなければならないし︑かれらの消費はおそらくある程度までは社会の残余のど︑それだけ雇用水準はたかまる傾向がある︒だが︑均衡においては︑失業羅は︑全体としの社会の純貯蓄をゼロに引下げる
( 2 )
に十分なものでなければならない︒ ら︑他の事情がおなじであれば︑労佑の供給が多ければ多い往 ひとびとの貯蓄を犠牲にしておこなわれるからである︒
だか
ど︑おそらくそれだけ節約意欲表がひくめられるであろう︒な かくて均衡においては純投資率はゼロとなる︒だから︑均衡
れる
︒
は産出量︑消費および所得は同義語となる︒ 六八
743
とに貯蓄意欲の上昇が生ずることであろう︒この場合には︑利
六九
にふけるのである︒だから︑あたえられた総所得のなかで労佑 しくひくい水準におちるまでは︑おそらく利子率の低下するごよりもずつと富裕なひとであり︑したがつていつそう多く貯蓄 ないであろう︒もしも全体としての社会にとつて利子率の低下 いままでよりも多くを貯蓄し︑他のひとびとは少ししか貯蓄し もすくない労仇者によって生産されるようになる︒資本の限界
一定
しかも相当の期間つづいて︑その結果︑ゼロ投資をともなった 点の変化について論ずる︒かりに土地と企業者能力が過剰であり︑事実上︑労仇と資本との二要素だけをかんがえればよいとする︒この場合︑労仇および資本の均等な比率的増加は産出量の同一の比率的増加をもたらすという意味において︑収益不変がおこなわれるものと仮定する︒いま利子率の低下がおこり︑
均衡がふたたび確立されるものとしよう︒その場合に産出量の
均衡水準にたいする効果はどのようなものであろうか︒
まづ第一に考察しなければならない点は利子率の引下げが諸
個人の貯蓄意欲におよ匠す反作用である︒この効果は︑かれら
の環境や心理状態により︑ひとびとにおいてまちまちであろ
う︒利子率が低下すると︑あるひとびとは一定の実質所得から
が貯蓄意欲を減少さすならば︑純貯蓄がゼロになるような総実
質所得は︑利子率が低下すればするほど︑ますます大きくなる
傾向があろう︒しかしながら︑すくなくとも利子率がいちじる
ロピンソンの経済学研究における変遷︵三谷︶ の産出量がいつそう迂回的な生産方法をもちいて︑以前より ロになるような総実質所得水準はただひとつしかないのであっ 子率の低下は総所得を減少さす傾向があるであろう︒もし利子率の変化が貯蓄意欲におよぼす直接的な効果が中立的であり︑したがつて個人が一定の実質所得からおこなう貯蓄額は利子率のいかんにかかわらず同一であると仮定するならば︑貯蓄がゼて︑利子率が低下しても総実質所得はかわらないであろう︒
しかし︑なお考慮しなければならないひとつの効果がある︒
利子率の低下は一人あたりの資本を増加させ︑その結果︑
物理生産力は引下げられ︑労仇のそれは高められるであろう︒
そして実質賃銀率は上昇するであろう︒ところで︑労佑者と資
本家とのあいだの所得分配の変化は︑全体としての社会の節約
意欲にたいして重大な効果をおよぼすであろう︒われわれの社
会では資本家は少数よりなる階級であり︑労佑者は多数よりな
る階級であるが︑他方︑全所得における労仇と資本の分前は大差
ないものと仮定してよいであろう︒要するに︑資本家は労仇者
いし︑また減少するかもしれない︒この結果は代替の弾力性の あたえられた総所得に対応する労仇所得が増加するかもしれな 雇用労仇量は減少する︒資本の収益率は引下げられるが︑産出 ではない︒労仇の収益率は増加するが︑産出量一単位あたりの 衡水準は利子率の低下にともなって上昇するであろう︒なぜな の分前を増加させるような分配の変化があると︑その所得水準 ロピンソンの経済学研究における変遷︵三谷︶
に対応する貯蓄額はそのために減少せしめられるであろう︒も
し利子率の低下がこのような効果をうむとすれば︑総所得の均
れば︑ゼロ貯蓄に対応する所得は︑利子率が低ければ低い仕
ど︑ますます大きくなるからである︒
しかしながら︑利子率の低下が総所得における労仇の分前に
たいして有利な効果をおよ底すということは︑けつして必然的
量一単位あたりの資本量は増加するのである︒かくて二つの正
反対の傾向がはたらくわけであるが︑.その正味の結果として︑
形で説明することができる︒もし労仇と資本との代替の弾力性
が一よりも小であるならば︑利子率のちいさな低下に対応する
産出量一単位あたり労仇の比率的減少は︑実質的賃銀率の比率
的増加よりも小となり︑所与の産出量にしめる労仇の分前は増
加するであらう︒この場合︑利子率の低下は︑あたえられた総 均衡水準は利子率の低下によってあるいは高められ︑あるいは かくてつぎのような結論に到達する︒すなわち﹁総産出量の 所得に対応する貯蓄額を減少させ︑ゼロ貯蓄に対応する所得水準は高められ︑したがつて均衡所得は増加するであろう︒しかし︑もしも代替の弾力性が一よりも大であるならは︑労仇は得るところよりも多くをうしない︑あたえられた総所得からなされる貯蓄額は︑資本家の分前の増加とともに増大するであろう︒ゼロ貯蓄に対応する所得水準は低められ︑その結果︑均衡所得は減少する︒低められる傾向をしめすが︑それはひとつには利子率の低下が諸個人の貯蓄意欲におよぼす直接効果が負であるか正であるかに依存し︑またひとつには労仇と資本とのあいだの代替の弾力
( 3 )
性が一よりも小であるか大であるかに依存しているのである︒﹂
しかしロビンソンによれば︑利子率の低下が雇用にあたえる
効果についてはなお考察すぺき点がのこされている︒利子率の
低下が総所得の減少をもたらすうな条件のもとでは︑雇用の減
少がかならずおこる︒けだし︑たんに産出量が減少するだけで
なく︑産出量一単位あたりの雇用も減少するからである︒だ
が︑総所得の増加が生ずるような場合においては︑雇用もまた 七〇
745
えがかれるとせよ︒この曲線の弾力性を0としよう︒利子率を
C︑全体の産出量を0
とす
れば
︑
d o
゜
OI
II
吋'
c
となる︒諸生産要素の割合が不変である場合に︑利子率の変化
de
によっておこる雇用の比率的増加はー0.|—にひとしい。つc ぎに刀を代替の弾力性︑にを労仇費用の資本費用にたいする比
1 J
de
K C
とすれば︑産出量一単位あたりの雇用の比率的増加はー・│̲
( 4 )
にひとしい︒かくして利子率の変化によって生ずる雇用の比率
de
1
的増加はー││.
I (
ミ}
ー 7)
にひ
とし
い︒
c k
利子率の変化が貯蓄意欲におよぽす直接的効果が中立的であ
ロピンソンの経済学研究における変遷︵三谷︶ 利子率と総産出量の均衡水準との関係をしめすひとつの曲線が
うにのべている︒
七
﹁いかなる現実社会の状態も投資がゼロにむ などによる均衡点の移動に論及したのち︑結論としてつぎのよ よいであろう︒最後に︑ロビンソンは人口の増加や技術の変化 しない︒むしろ雇用の減少がおこることがある︒だから︑以前に存在していた失業は減少せず︑かえつて増加するかもしれない︒そして︑ロビンソンは︑失業があればおのずから貨幣賃銀の下落をもたらし︑その結果として利子率が低下すること︑または金融当局が金融緩和の政策をとつて利子率を引下げることによって︑雇用がかならず増加し︑完全屈用に到達しうるとい
( 6 )
う見解には︑反対する︒
なおロビンソンは土地その他の稀少な生産要素の存在する場
合についても考察しているが︑ここでそれにたちいらなくても 衡における総産出量はかならずしも増加せず︑また雇用も増加 右の効果を一般的に表現すれば︑つぎのごとくである︒いまかくてロビンソンによれば︑利子率の低下する場合︑長期均 れるであろう︒ までよりも多くの総産出量がより少ない労仇者によって生産さ 資本増加によっておこった産出量一単位あたりの雇用の減少が︑産出量の増加を相殺してあまりがあり︑したがつて︑これ 増加するということにはかならずしもならない︒一人あたりのつて︑代替の弾力性がが一にひとしいというもっとも単純な場合には︑利子率の低下に応じて総産出量の増加は生じない︒かくして0はゼロであり︑そして利子率の比率的低下を労佑と資
との比で割ったものにひとしい雇用の比率的減少がおこるであ
( 5 )
ろう
︒
は間接的に︑すなわち所得分配の変化をとおして︑貯蓄意欲 さえ︑経済体系はその均衡点のまわりをおそらくいつまでも変 調整の過程そのものが振動をひきおこし︑静止的条件のもとで ロピンソンの経済学研究における変遷︵三谷︶
かつて動く傾向にあるものとみなすことができる︒︹もちろん︺
所与の状況にたいする調整が完了する以前に︑その状況は変化
する︒人口数や︑技術や︑利子率や︑社会的および制度的影響
や︑それから政治的状勢やにおける諸変化は︑たえず均衡点を
移動させているのであって︑投資の過程はけつして資本の均衡
存在量の変化においつくひまがないのである︒⁝⁝たとえ状況
がもとのままに不変であるとしても︑経済体系は均衡点にむか
つてなだらかに動くことはないであろう︒なぜなれば︑まさに
動しつづけるであらうから。••…•しかしながら、均衡点を研究
しようとする動機は︑経済体系が均衡からはずれている場合に
作用している諸力を発見するにあるのであって︑われわれがこ
れまで論じてきた長期傾向なるものは︑どのような変化によっ
てでも︑その変化がひとたび生ずるやいなや︑すぐさま作用せ
( 7 )
しめられるのである︒﹂
ロビンソの雇用の長期理論はだいたいにおいて以上のごとき
ものであるが︑その要点は︑利子率の変化が︑直接的に︑また一緒にして︑これら二つの均衡分析の方法
は︑長期問題の論議への道をきりひらくものであるが︑完全に とはちがつている︒ 使用されているものと仮定している﹃古典的な﹄均衡の扱い方 に︑したがつて消費におよ匠す長期効果によって︑総産出量や
( 8 )
雇用量の均衡水準を考察していることである︒そしてとくに雇
におよ匠す影響をも重視するのである︒︵そして右の均衡水準
をともなう均衡点そのものを研究しようとするものであり︑や
版への序文︵一九五四年九月︶のなかでロビンソンの語るとこ
「雇用の長期理論••…•にかんする論文は、いかな
る現実の経済にも適用できるひとつの分析というよりは︑むし
ろ論理的な演習といった性質をおびるものである︒その議論の
基礎は︑利子率を任意の既知数とみなし︑資本利潤率に利子率
が一致したときに︑蓄積が停止するようになると想定している
点にある︒つぎにさまざまの利子率での諸均衡点が比較され
る︒その分析は︑諸生産要素の数量が所与であり︑かつ完全に る
によ
れば
︑
はり静学的であるといわなければならない︒﹃諸試論﹄の日本 論はたしかに長期的であるけれども︑しかしもっぱらゼロ投資 はかならずしも完全雇用の水準と一致しない︒︶かくてその理 用量については労佑と資本とのあいだの代替関係が直接に雇用
七