会計数値形成についての諸前提
その他のタイトル Some Premises on a Manager's Choice of Accounting Procedures
著者 高尾 裕二
雑誌名 關西大學商學論集
巻 34
号 2
ページ 196‑211
発行年 1989‑06‑25
URL http://hdl.handle.net/10112/00020526
蛉(196) 関西大学商学論集第糾巻第2号 (1989年6月)
『会計数値形成についての諸前提」
高 尾 裕
は じ め に
一般に複式簿記システムを通して形成される会計数値が,価格およびその 代替物に加えて,一部の取引ないし経済活動に関して,シグナルとして機能 している,といった状況が存在すると考えられる。ここでシグナルという用 語は,価格のように需給を調整し取引の対価を示す,といった明確な意味に ではなく,もうすこし広く解釈して,取引を調整するための指針ないし基礎 を与え,ある種の契約の締結,履行を可能にする,といった意味で用いられ ている。他方,ベイズ・ルールを通じて,意思決定者の事前の信念を事後の 信念に修正する契機となるある情報システムから発せられるシグナル(また はメッセージ) という情報一般の機能を意味するものとも異なる。ここで は,会計システムから形成される会計数値という特定の属性をもつものを念 頭において用いている。
広く認識されているように,株主,企業役員等への企業成果の分配制度,
法人所得税制度は,代表的な会計数値の一つである企業利益がその調整のた めのペースを提供する。われわれの観点からいえば;会計数値がシグナルと して機能している典型的な取引例である。もっとも,このような事実は,ぃ わゆる『利害調整のための会計』として伝統的な会計学においても一つの問 題領域を形成してきた。最近の研究においては,経営者報酬プラン,借入・
貸付契約,政府の規制(例えば, 公益事業の料金決定など), 政治プロセス といった経済の諸側面で,会計数値のあり方が関係者の富を変化させる可能
清水宗一先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
性に積極的に着目し,企業キャッシュ・フローに与える影響,当事者間での 富の分配への影響を前提として,経営者の会計手続の選択,会計基準の設定
・変更をこれらの諸要因を用いて説明しようとする問題意識が,一つの問題 領域を形成しており,アメリカにおいてはすでに数多くの実証テストが蓄積
(1)
されている。われわれの観点からいえば,このような取引,契約において,
会計数値がシグナルとして機能している,ということになる。
このように考えると, (財務)会計学として, 次のような基本的課題があ ることがわかる。
(a) ある種の取引,契約において,なぜ会計数値がシグナルとして用いられ るのか。
(b) ある種の取引,契約にシグナルとして機能する会計数値とはどのように 形成され,どのような影響を実態経済に及ぽすのか。また,ある種の機能 の類似性が駆められる市場価格との対比において,会計数値はどのような 属性を有するものなのか。
上記の包括的な課題に取り組むための序論としての本稿の一つの目的は,
(a)の課題について,以前に取り上げた市場と階層組織とを対比するといった 視点とは異なった観点,つまり,各種の市場状況の観点から改めて会計数値 形成の前提を整理することである。その手掛かりとして,市場構造と利益測 定の関係についての Beaverand Demski (1979]を取り上げ(第I節), その内容を, われわれの視点から改めて整理する(第Il節)。本稿のもう一 つの目的は,第I節,第Il節の合意を受けて,(b)の課題についての予備的な 若干の議論を行うことである。すなわち,会計数値形成における会計上の諸 制約を整理し(第皿節),経営者の手続選択の基本モデルに向けての工夫を要 すると思われるいくつかの点を指摘する (第
w
節)。簡単な要約と展望が最 後に行われる。(1) これらの実証テストを要約したものとしては,例えば, Watts and Zimmer‑
man (1986), Holthausen and Leftwich (1983)がある。
48(198) 第 34巻 第 2 号
第
I
節 不完備市場と利益測定本節では,各種の市場状況と会計数値の役割についての手掛かりを得る目 的で, Beaverand Demski (1979〕の利益測定についての議論を以下,簡 潔に要約する。
かれらは,財務報告における関心の中心である利益測定の性格に注目し,
利益測定が企業の生産計画についての一つの選好順序の表現であるという観
(2)
点から,設定された市場状況のもとで,利益測定の役割について検討する。
(1) 完全市場かつ完備市場のもとでの確実性下における利益測定
(3)
市場が,完全でかつ完備しており,経済が掏衡状態にあると仮定する。さ らに,企業は,資源を取得し,これらの生産要素を販売可能な消費財に即時 に変換するといった同時的状況が想定される。当該企業の収入から支出を差 し引いた残高を利益と呼ぶとすると,利益, I,は,次のように示される。
m+• m
I=区P mーI:P沼J i=m+l i=l
(1‑1)
q= (q1,•…••,qm) 企業が取得した各生産要素の数量
r= (r1,• …••,ち) 企業が生産した各消費財の数量
P m+n次元の価格ベクトル
上記のような伝統的な新古典派的セッティングの特徴の一つは,同質的で ない個々の株主が経済における種々の企業の代替的生産計画のランクづけに (2) やや視点は異なるものの類似の議論は, Beaver(1981〕第3章および第4章に
おいてヨリ広範に行われている。
(3) Beaver and Demski [1979〕によれば,すべて生産要素およびすべての生産物 が,組織された市場において取引されるという意味で,市場は完備である。価格 がすべての市場参加者に知られており,いかなる形態であれ取引コストは零であ り,すべての市場参加者は価格受容者として行動し,かつ取引デクノロジーは凸
(あらゆる生産要素および生産物は分割して利用することができる)という意味 において市場は完全である (Ibid.,p. 39)。なお, 完備市場については, 将来期 間を念頭において,特に金融市場に関して,あらゆる自然の状態に対して,各状 態条件つき財 G証券)が存在する場合に市場は完備している,といわれる。
「会計数値形成についての諸前提」(高尾)
全員が一致するということであり,この順序は,(1‑1)式の利益尺度により 示される(ある生産計画は, ヨリ低くない利益額をもたらすならば,かつそ のときに限って,他の生産計画と同程度に好まれる)。各個人が不飽和であ ると仮定すると,完全,完備市場のもとでは,個人の富の増加はヨリー層の 消費と同等であり,企業の利益が増加するにつれて,各株主の富が増加する ことになる。従って,このような市場状況のもとでは,利益尺度は明確に定 義され(収入一支出),企業はあたかも利益尺度を最大にするように行動する ものとして描かれる。 このようなセッティングのもとでの利益測定につい て,彼らは次のように要約する。
(i)収入一支出という基本的測定 (fundamentalmeasurement)が 強 調 され, 代替的な生産計画から, 生産計画の連結的 (complete)かつ推
(4)
移的な順序を示す(との関係を用いて)実数線への写像が存在する(た だし,この尺度はユニークなものではない)。
(ii)諸計画,可能性および市場価格はすでに知られているので,利益は,
各個人によってすでに既知であるか,コストなしで算定することができ る。
(iii)事前測定と事後測定の区別は,重要なものではない。
(2) 完全,完備市場のもとでの不確実性下における利益測定
次に確実性下の仮定にかえて,不確実性下の世界を想定する。この場合,
状態変数 (sES)を導入することにより,どの自然の状態が生起するかに条 件づけられた生産要素と消費財の取引についての基礎が提供されることにな る。さらに,考えられる状態が lコ存在するものと仮定する。よって,企業 (4) Beaver and Demski (1979Jによれば,ある集合におけるすべての要素がラン クづけられるとき, その集合の要素の順序は連結的 (complete)であるとされ る。同様に,ある要素が第2の要素より上位にラングづけされ,第2の要素が第 3の要素よりも上位にランクづけされるならば, 第1の要素は第3の要素より 上位にランクづけされるとき,順序は推移的であるといわれる (Ibid.,p. 40,脚 注)。
50(200) 第 34 巻 第 2 号
の生産計画は, l次元のインプットーアウトフ゜ットの組合せ (qI,が))として示される。 この場合,企業の利益,
((q1,が), ・・・, I,は,次のように定義 される。
I m+n m
I =区(エ PぅrぅーエPサ如)
,=1 i=m+l i=l (1‑2)
qs = (q, ・勺 ・・・・・,qsm)
r•= (r'1, ・・・・・・,r,")
p,
状態sが生起しかつその場合にのみ取得される 各生産要素の数量
状 態sが生起しかつその場合にのみ生産される 各消費財の数量
これに対応する価格ベクトル
かれらが強調するのは,不確実性下にあっても, 完全, 完備市場のもとで は,各可能な生産計画についてのある種の市場評価が存在し,この評価が,
可能な生産計画集合についての全員一致の選好順序を示すものと考えられる ことである。つまり,不確実性の存在自体は,利益測定にとって,なんらの 問題を生み出すものでも興味を引くものでもないという点である。事前測定 と事後測定との区別についても,事前測定が事前的な展望のもとでの生産計 画について,事後測定が事後的な展望のもとでの結果について,全員一致の 順序を示すことになることから, この区別も重要なものではないとする。
(3) 不完備市場のもとでの不確実性下における利益測定
次に不完全市場,不完備市場というヨリ硯実的な状況が導入される。から れの目的にとっては不完備市場に注目することで足りるということから,不
(5)
完備市場にのみ焦点が当てられる。その結果,一方で,企業は,
設定と同様に,依然として,状態条件付インプットーアウトフ゜ットから構成 上記の(2)の
(5)不完備市場と不完全市場の関係はどのように理解すればよいのだろうか。この 点については, 次の指摘が参考になる。「不完全または不完備市場では, 市場価 格がもはや個人の選好を十分に反映しないという意味で,評価フ゜ロセスは明確な 概念をもたない。そもそも市場価格が存在しない場合もあろうし,また市場価格 は存在しても,それが市場の不完全性のゆえに,請求権の価値を十分に表さない 場合もあろう」 (Beaver, 1981, p. 114,訳書, 141ページ)。
される一つの生産計画を特定化するものとして考えられるが,他方で,ある 種のインプットーアウトプットが組織された市場で取引されない,といった 状況が想定されることになる。生産要素,生産物のすべてについて市場性が 存在するといった状況ではない場合,代替的生産計画の全員一致の順序を失 う可能性が存在する。ある株主は市場性のない生産物に基礎づけられた一つ の生産計画を別の生産計画より好むかもしれない。取引機会がない場合,イ ンプリシットな取引の補償メカニズムを通じて,嗜好の相違を解決する方法 が存在しないことになる。つまり,完備,完全市場の枠組みのもとでは,利 益最大化が消費の増加と一致するがゆえに,利益最大化は全員一致で選好さ れる。しかし,ある種の市場へのアクセスがない場合,調整不能なコンフリ クトが生じるかもしれない。議論を整理するために,もう少し詳しくかれら の議論を跡づけておこう。
(i)不完備市場のもとにおいても,生産計画についての合意が存在すると いった状況を作り出すことは不可能ではない。しかし,全員一致が不完 備市場という市場状況のもとで可能であるとしても,それは,いかなる 伝統的な意味においても,一つの利益尺度によっては必ずしも表現され ない。このような設定のもとでの全員一致の嗜好の表現は,主観的な嗜 好の表現に相当し,換言すれば,この場合の利益尺度は完全に主観的な ものとなる。この意味において,この利益尺度は,観察された価格に依 拠した伝統的な利益尺度の想定された客観性を享受しない。
(ii)ヨリ重要な点は,生産計画のランクづけにおける全員一致が,不完備 市場のもとでは,必ずしも示されないということである。他方,利益測 定は,生産計画の集合から実数線への一つの写像とみなされる(この利 益の大きさにより生産計画がランクづけられる)。このような尺度が代 替的生産計画の一つの順序を示すものであるとすると,この順序は連結 的かつ推移的でなければならないし。 しかし, 生産計画のランクづけ は, この市場状況のもとでは必ずしも連結的, 推移的ではない。 よっ て,基本的利益測定は,企業における代替的生産計画の一つの全員一致
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の順序を示すという意味では,必ずしも可能ではない。それゆえ,財務 報告は, 不完備市場という設定のもとでは, 利益測定という観点から
は,記述できない。
では,利益の本質とはなんであろうか。企業は状態に条件づけられた生産 計画の複雑な集合を提供する。しかし,多くの個人(例えば,投資者)は企 業の経営者が識別する範囲内の様々な状態を識別することはない。その理由 は市場不完備性のためである。それゆえ,企業活動の外部者に対して,企業 は有用な情報を保有することになる。これらの情報は,事前意思決定および
(6)
事後意思決定に有用であるかもしれない。
第
I l
節 会 計 数 値 形 成 の 前 提 と し て の 不 完 備 市 場伝統的なミクロ経済学における企業の理論においては, 企業が一つの生 産関数として表蜆される, としばしば指摘される。 Beaver and Demski
〔1979Jは,まず,利益測定を企業の生産計画に際する選好順序を表すもの とみなして議論を開始する。そして,異なる市場タイプのもとで,利益測定 がこのような役割を達成しうるかどうかが順次検討される。われわれの関心 から,改めて,かれらの議論を整理してみよう。
われわれの立場からの一つの興味深い指摘は,完全,完備市場という条件下 においては,たとえ不確実性下であっても,企業の生産計画の全員一致の選 奸順序を表混するとみなされる一つの利益尺度が存在するのに対して,不完
(7)
全,不完備市場という条件下においては,①このような利益尺度が必ずしも 存在しない,または③存在するとしても伝統的な意味における客観性は享受 できない,ということである。つまり,利益尺度が企業の生産計画の全員一 (6) Beaver and Demski (1979Jによれば,事前意思決定情報とは,意思決定前の 信念の修正に有用な情報という意味で用いられている。また,事後意思決定情報 とは契約の基礎を提供するといった観点から有用な情報という意味で用られてい る (Ibid.,p. 43)。
(7) すでに指摘したように,実際には不完備市場にのみ焦点が当てられている。以 下,無用の混乱を避けるために,不完備市場のみを念頭において艤論している。
致の選好順序を表硯するかどうかという観点からは,不確実性は重要な要因 ではない,ということであり,不完備市場の存在こそ利益測定の性格に影響 を与える決定的な要因である,とする点である。このような論旨の展開は,
いうまでもなく,完全,完備市場のもとでは,確実性下,不確実性下を問わ ず,考えられる各生産計画についての市場評価が存在することによる。
他方で, もう一つ注意すべき点がある。完全,完備市場では,一つの利益 尺度が企業の生産計画の全員一致の選好順序を表現するという一つの好まし い属性をもっている。しかしその反面,このような状況下においては,利益 尺度の報告を獲得するために対価を支払おうとする者はいないとする指摘で ある。なぜなら,利益は容易に知られるのであり,コストなしで計算可能だ からである。このことは,完全,完備市場のもとでの利益がある種の追加的 な経済的意味を持たないものと解釈される。このような条件下で利益が持つ とされたその望ましい一つの属性も,結局は,市場評価に受動的に依拠する ことによってもたらされるものであり,利益を算定することからもたらされ る,利益それ自休がもつ望ましい属性ではないのである。
Beaver and Demski (1979Jにより示唆されているように, 利益を含む 会計数値が改めて議論の対象となる一つの側面は,不完備市場という市場状 況下である。そこでは,組織された市場で取引されないある種の財が存在し,
利益といった集計的会計数値はいうまでもなく,ある種の他の会計数値の形 成についても,全面的に市場価格に依拠することはできないという事態が生 ずる。しかし逆からみれば,利益を含む会計数値が必要とされ,実質的に機能 する一つの状況は,むしろこのような状況においてである。市場評価に直接 的かつ全面的に依拠することができず,よって,.一連の人為的に構成された 会計知識を前提として形成される会計数値は,反面,一連の価格シグナルに 対してなんらかの追加的な経済的意義をもつことができ,組織された市場以 外の場で,組織された市場で価格が果たす機能に一部類似した機能を果たす ことになるのである。不完備市場という一つの「市場の失敗」る補うという
54(204) 第 34 巻 第 2 号
(8) 観点に立って,会計の機能を積極的に評価し,・注目することが必要である。
確 実 性 下 で の 完 全 , 完 備 市 場 と い う 条 件 下 に お い て は ( 同 時 に , 企 業 は 質 点 と み な さ れ る と し て ) は , 基 本 的 に は , 会 計 の 必 要 性 は 生 じ な い 。 伝 統 的 な ミ ク ロ 経 済 学 の テ キ ス ト に お い て , 会 計 が ほ と ん ど と い っ て よ い 程 , 取 り 上 げ ら れ な い 一 つ の 理 由 が こ こ に あ る 。 し か し , 完 備 市 場 と い う 仮 定 を 取 り 除 く と す れ ば , 会 計 が 注 目 さ れ る 可 能 性 が あ る よ う に 思 わ れ る 。 価 格 が 果 た し て い る 機 能 と あ る 種 の 類 似 性 を も つ , 取 引 の 調 整 に 必 要 な シ グ ナ ル 形 成 と し て の 会 計 数 値 の 働 き が 注 目 さ れ る 可 能 性 が あ る か ら で あ る 。 不 完 備 市 場 を 前 提 と し て , こ の よ う な 事 実 を 積 極 的 に 明 ら か に す る こ と が , 会 計 研 究 者
(9)
の 一 つ の 役 割 で あ る 。 さ ら に , こ の 状 況 下 に お い て は , 会 計 情 報 と し て の 不 確 実 性 下 を 前 提 と す る ま え に , 確 実 性 下 で の 会 計 数 値 形 成 の 理 論 が 一 つ の 基 礎 理 論 を 構 成 し う る こ と に も 注 意 が 必 要 で あ る 。
(8) この点について, Beaver (1981)は次のように指摘する。「ただし完全・完備 市場では,すべての資産および証券について市場価額が容易に入手できる。した がってそうした利益の分析によって,どれだけの洞察が得られるかはハッキリし ない。そこで次に不完備市場に目を転じることにしよう。不完備市場では,たと えば利益のような会計データの役割は,利益が評価プロセスの副産物として得ら
. . . . .
れるアウトプットとしてではなく,評価プロセスのインプットとして利用される という点で,情報的な (informational)ものとなる」 (Ibid.,p. 100,訳書, 123 ページ)。「完全・完備市場では,資産の市場価格は利益の測定に用いることがで き,発生主義会計に対する倍頼は必要ではない。もちろん,ここでの前提は,ま さに市場が不完全または不完備であるがゆえに, (発生主義会計が)一定の役割 を果たすということである」 (Ibid.,p. 113,訳書, 139ページ,但し,カッコ内 は筆者が挿入)。
(9) 会計が注目されるであろうもう一つの可能性は,情報の完全性を取り除くとい うことである。たとえば, 次のように指摘される。「…理想的な一般均衡のパラ ダイムからもっと混沌とした硯実経済への接近をめざそうとする場合,どのよう な接近方法が適当なのであろうか。それについては,次の2つの方法が利用可能 である。第1の接近方法は,競争の完全性というひとつの仮定をはずす方法であ る。…硯実経済への第 2の接近方法は,もうひとつの完全性条件としての情報の 完全性という仮定を取り除く方法である。…この点に着眼することによって最近 めざましい発展をとげつつある分野が, 「不確実性の経済学」ないし「情報の経 済学」である」(酒井, 1982, 272ページ)。会計の分野においても, 情報の経済
第頂節 会計数値形成に関する制約について
不完備市場においては完備市場の場合とは異なって,会計が対象とする一 部の事象について,全面的,直接的に組織された市場で形成される価格に依 拠することができない,といった状況が生ずる。しかし,そのような状況の もとにおいてこそ,ある種の制約のもので形成される会計数値が,本来なら ば(市場が完備していたならば)価格が果たすであろう機能の一部を代替す るという役割が期待されることになる。そこで,全面的,直接的に組織され た市場で形成される価格に依拠することができない場合,会計数値がどのよ
うに形成されるのかを,改めて検討する必要が生じる。
不完備市場を前提として,会計数値の形成プロセスを記述しようとする場 合,どのような表現が可能であろうか。ここでは考えられる一つの方法を示 すことにしよう。いま,ある会計期間において行われた経営者の意思決定の 結果としての事象を とする。事象いこ起因して変動する財貨・用役それ自 体についての組織された市場が存在しないものとする。(あるいは, 不完備 市場の定義にヨリ忠実に,事象Xにより複数の財貨・用役が変動し,少なく
ともそのうちの一つの財貨・用役については, 市場が存在しないものとす る)。事象Xを市場に依拠して評価することができないので, 市場評価に代 わりうるシグナルとして,会計数値が必要とされているとしよう。ただし,
このような状況下においても,ある種の関連する価格デークが会計数値の形 学の枠組みのもとでの会計情報の情報経済分析が著しい展開をみせていること は,改めて指摘するまでもないことである。このような枠組みの下で,外部会計 報告の役割としては,(1)意思決定ー情報提供的役割,(
2 )
契約一履行的役割に区分 されて,分析されるのが一般的である(サーヴェイとしては,例えば,'Feltham, 1984を参照)。会計数値の役割を価格とのアナロジーに求めようとするわれわれ の見解は,ある意味で,上記(2)に区分される領域と密接な関係を持っているよう に思われる。しかし,経営者の会計手続選択を直接の課題とするとき,少なくと も硯時点においては,情報の経済学の枠組みに依拠しない別の方法があるのでは ないかと考えている。56(206) 第 34 巻 第 2 号
成に関わっていることは明らかである。しかし,ここで想定される価格デー クは, あくまでも当該事象によって変動する財貨・用役それ自体について の,組織された市場で成立する価格ではないこと(以下,間接的価格デーク と呼ぶ)に注意しなければならない。
最も単純な会計数値の形成は,会計数値を an,会計数値形成関数を
f 1
と すれば,次のように表されることになるかもしれない。an=J1(x) (3‑1)
この関係式は,経営者がある意思決定を行えば,それに応じて自動的に一つ の会計数値が形成されることを示したものである。従って,経営者は会計数 値形成の過程については何ら関与しないことを示すとともに(経営者に中立 的な会計数値),他方では,会計規制領域に相応する会計数値形成関数
f 1
に は,会計数値を形成するために必要とされる間接的価格データおよびあらゆ る会計知識が盛り込まれていることになる。会計知識とは具体的に,計算技 術的な枠組みを体現する複式簿記システムに加えて,発生主義会計,キャッシュ・フロー会計,インフレーション会計といった各種の会計システムに関 する知識各会計システム内で隠められる飼々の手続に関する知識などであ る。注意すべきは,代替的会計システム,代替的会計手続方法間での選択基 準も
f 1
に含まれていると考えられることである。要するに,この場合f l
は,会計数値を産出するために必要なすべての間接的価格デーク,会計知識 ならびに代替案間の選択基準が含まれることになる。いわゆる会計学上の規 範的アプローチとは, (3‑1)式で表現されるような特定の会計数値形成関 数
f 1
を想定していると考えることもできる。会計数値形成に関する最も一般的と考えられる状況は,個々の会計システ ム内での会計手続選択については,各企業の経営者にその自由な選択を認め るというものである。いま,ある一つの会計システムの採用が規定されてい るとして,当該会計システム下での意思決定の結果としての事象zに関する 会計手続を m1(i=l,……,n)とし, この場合の会計数値形成関数を f2と
すると,会計数値の形成は次のように表すことができる。
ani =f2(x, mi) (た 1,• …•·,n) (3‑2)
(3‑2)式は,会計数値が,経営者の意思決定の結果(ズ)と会計手続の選択の 結果 (mり の 2つの変数に依存することを示したものである。これに応じ て,f2は, f1から,個々の会計手続選択基準を除いたものに相当することに なる。この場合,経営者は,実態面に関する意思決定とともに,会計手続方 法の選択にも直面することになる。いま仮定されているように,単に一つの 事象ズであったとしても,形成される会計数値は,一期間のもとで,選択さ れる会計手続により異なることになる。異なる会計手続に対して異なる会計 数値が形成されるとすれば,n次元の数値ペクトルが形成されることになる。
さらに議論を進めて,会計システムについても,経営者の選択を認めると いった状況を想定してみよう。 特定の会計システムを y,(i=l,·… ••,l) と し,事象Xに関わる会計手続を加(j=l,……,n)とする。会計数値形成関 数をf3とすると,
an,;= fs(x, y,, m,) (i = 1,……,l) (3‑3) (j=l, ・・・・・・,n)
となる。この場合,会計システムの選択基準が経営者に委ねられることにな るので, f2からこの部分を除外した残りの知識がf3に含まれる知識に相当 する。他方,事象元に適用される可能性のある会計選択パクーンは,最大限 lxn個にのぽ`ることになり,これに応じて,事象Xに関する会計数値は,
lxn型会計数値行列として表硯されることになる。
いま,取得原価主義会計,一般物価水準変動会計およぴ取替原価主義会計 を代替的な会計システムとし,これらシステムの主要な相建が,利用される 間接的価格デーク (P)の相遮であるとすると,(3‑3)式は次のように書換え られることになる。
anu=f3(x,pi,加) (i = 1, 2, 3) (3‑4) (j=l,・・・・・・,n)
68(208) 第 34 巻 第 2 号
第
W
節 会計手続選択モデル化へ向けての諸問題前節では, ある一つの事象を会計数値に変換するためのプロセスについ て,会計選択権を経営者に順次移行するという視点から,会計数値形成の制 約関係を示す会計数値形成関数を整理したものである。•このように,会計数 値形成関数は,会計規制領域と経営者の裁量領域とを識別する機能をも併せ もつものと考えられる。経営者の会計選択は隠められた裁量の範囲で行われ ることになり,会計規制部分は会計選択における与件とみなされることにな る。
最も一般的と思われる (3‑2)式のような会計制約関係を前提として, ど のように会計数値が形成されるのか,あるいは経営者はどのような会計手続 を選択するのかを,特定の会計手続(例えば,期末棚卸資産評価方法)に限 定することなく,ある程度の抽象レベルを維持したうえで表硯しようとする と,どのような問題を解決しなければいけないのだろうか。ここで問題とな るのは,手続選択についての目的関数に相当するものである。経営者の会計 手続選択に関する基本モデルとして,確実性下での一期間モデルを念頭に置 くとして,工夫を要すると考えられるいくつかの問題点を以下で簡潔に指摘 することにしたい。
(a) 一つの工夫を要する点は,経営者が会計数値形成の一定の側面に関与し うるとして,経営者の会計手続選択をモデル上でどのように表現するかであ る。会計選択についての一つの重要な分析ツールであるエージェンシー・モ デルをみてみると,例えば,ェージェントの報酬額の決定について,経営者 の努力と自然の状態の結果として決まるアウトカムを,ある種の数値に変換 するものとして会計報告関数が表現され,利害を異にする所有者との対比に おいて,各当事者にとっての望ましい会計報告関数の属性を比較するといっ た形をとる〔Ng, 1978]。
確実性下で,前節の (3‑2)式によって示された会計制約を前提として,手 続選択を直接的に取り扱おうとすると,会計手続を操作可能な形でどのよう
209)59 に表硯するかという問題を解決する必要がある。この場合,経営者の手続選
(10)
択の一つの指標として手続選択の実証テストで開発された「(総)発生額」と いう概念が有用であるかもしれない。いずれにせよ,経営者の手続選択を直 接の課題とする場合,会計手続選択を分析的にどのように表現するかは,一 つの大きな課題である。
(b) 経営者手続選択論の一つのインプリシットな仮定は,手続選択パクーン に関して,よって,会計数値の形成に課して,ある種の相対立する要因によ って会計数値の一つの均衡値といえるものが存在するということである。会 計数値の形成に関して,経営者に裁量権を一部委ねたとしても,例えば,一 連の事象に対して,利益増加的な手続が一方的に選択されるということは一 般的ではないとする。利益増加的要因に対して,利益減少的要因が他方で同 時に働くと考えられるからである。よって,手続選択における相対立する諸 要因のうちどのような要因を取り上げ,取り上げられた相対立する要因をど のようにモデル上で表硯するかが問題となる。会計情報の需要と供給といっ
(11)
たアイデアは,開示の範囲およぴ時期に開するもので,手続選択の議論とは やや次元を異にする。エージェンシー・モデルをとれば,所有者と経営者と の間での対立的状況が,アウトカムの分配を介してもともと設定されている ので,この課題は重要ではないのかもしれない。一般的には,経営者の効用 関数に,対立する諸要因を表現する変数を同時に組み込むか,会計数値が重 要な役割を演ずる取引を想定して,取引当事者間での取引の調整過程で会計 数値が決定されるといった状況を設定するか,いずれかの方法が考えられ る。手続選択に影響を与えると考えられるどのような要因を識別するか,そ して採用された要因を分析的にどのように表現するかも,一つの解決を迫ら
(10) 「(総)発生額」とは,会計利益から営業からのキャッシュ・フローを控除して 求められるもので, 経営者の会計手続選択の一つの指標と考えられるものであ る。詳しくは, Healy(1985)を参照してほしい。
(11) この点については, Foster(1986)の第1章,第2章において要領よく整理さ れている。
60(210) 第 34巻 第 2 号 れる重要な課題である。
(c) 一つの意思決定の結果に関連した会計手続集合の要素としての各手続に ついて,ある種の抽象レベルを維持するためには,手続の属性をある程度一 般化する必要がある。いうまでもなく,一つの典型的な手続属性として,利 益増加的手続ー利益減少的手続という属性を指摘することができる。問題 は,一期間,確実性下を前提とする場合においても,経営者が手続選択にあ たって識別すると考えられる属性がその他にも存在するかどうかである。こ の点は,会計数値のうち利益のみがクーゲットとして用いられるかどうかの 認識にも関わっている。複数の一般化された属性を識別することは,会計手 続選択論の内容を豊かなものにするうえで,重要であると考えられる。
お わ り に
完備,完全市場に対する不完備市場という側面は,市場に対する組織とい う側面と同様に,経済における会計の機能を浮かぴ上がらせる。いずれの状 況においても,市場価格が成立しないか,成立したとしても取引される財に ついての十分な情報媒体とはいえない,といった状況が想定されるからであ る。このような状況下においては,会計数値が価格に加えてあるいは価格に 代わって一つのシグナルを提供するものとして,取引,契約の締結,履行に 実質的に関わってくる可能性がある。
このような会計的状況ともいえる経済環境のもとで,つまり,客観的に観 察可能な価格に全面的,直接的に依存できないといった環境のもとで,会計 数値がどのように形成されるのかがわれわれの主要な関心事である。経済に いて価格が果たしている機能とある種のアナロジーを会計数値にみようと するのがわれわれの立場であることから,あえていえば,ェージェンシー理 論,合理的期待形成仮説といった高度な情報経済学的分析モデルに依拠する ことなく,ごく基本的なミクロ経済学のテキストで示されているような企業 行動モデルを参考として,経営者の会計手続選択パクーンの単純なモデルを 表現できるのではないか,というのが当初の直観であり,実を言えば,それ
に基づく簡単なモデル化が本稿の基本的な動機であった。しかし,このよう な作業もまた容易でないことが次第に明らかになった。それは,一部には前 節で指摘した諸点に起因するものであるが,もともと不完備市場を前提とし て議論する必要があることにも起因している。とはいえ,実態面での意思決 定とともに,会計上の決定も企業関係者にとっては無視できるものではな い。実際のところ,これら2つの意思決定の組合せが企業関係者の富に影響 を及ぼすことになると考えられるからである。情報経済学でみられる分析的 枠組みではなく,われわれの枠組みのもとでの,経営者の会計手続選択を直 接的に表現した筒明な基本モデルを作ることが急務であるように思われる。
( 文 献J
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