ア イ ヌ の 流 通 生 活 と 貨 幣 形 態
越 崎 宗
一闘︑序言
往古我北海道(蝦夷島)は津輕と共に出列に屡し︑鎌倉時代には陸奥に属して居たが其威令は行はれてゐなか
つた様である︒(北海道廃編纂北海道史四〇頁)叉安東氏時代(西暦一四五六年より約百年間)には本道南部に移佳
した日本人(和人)が勢力を増大したが然し實質上日本の支配下には無かつた︒徳川封建的申央集構が蝦夷島に
及んだ十六世紀末葉以後に於て始めて北海道は實質上日本領土となつたと構し得よう︒
日本の武力による支配椹が蝦夷島に完全に行はれた以前には︑北海道は實にアイヌの北海道であつたのであ
る︒筆者は今こ玉にアイヌの北海道時代に於て︑アイヌは如何なる段階の流通生活を螢んでゐたかを考察し︑併
せて貨幣の問題に言及せんと欲する︒これは軍にアイヌに關する考古學的論述をなすのが目的ではなくして︑他
日筆者が畿表せんとする本道の経濟的史的襲展の背景冨爵σq3賃巳として述べて置きたいと思ふのである︒叉樺太
は我日本の武力支配が完全に行届かなかつた爲に︑途に明治八年千島と交換に露西亜に引渡さねばならなかつた
アイヌの流通生活と貨轡形態一四︼
アイヌの流涌生活と貨讐形態一四二
し︑且つ樺太アイヌは本道アイヌと多少風俗習慣を異にしつ瓦も︑要するに本道を通つて渡つて行つたアイヌが
永年の環境による多少の相違に外ならないのであるから︑これにも筆を及ぼしたい︒然しアイヌが淺した記録と
いふ檬なものに乏しく︑從つて本道樺太等に入つたパイオニーア日本人の手に成る所謂アイヌ生活の記録を吟味
しつ﹂辿る以外に方法は無い︒只吾人は考古學・人類學等によつて記録以前の状態を明かにして貰ふ事を期待し
得るに過ぎない︒
吾々は先づこ玉に流通の意義をはつきりさせて置き度い︒流通を交換より更に廣義なものとして︑一維濟輩位
(一個人︑一家族︑一部落叉は一種族)より他の維濟軍位へ財が移り行くことを意味する︒(流逓の詳しい定義に就
ては輻田博士流懸鰹濟講話肇照の事)以下アイヌの場合に就てこれを考察しよう︒
二︑アイヌと他種族との流通
ミシバセアイヌは可なり古くから他種族と流通歌態に在つた︒齊明天皇の四年(西暦六五八)齋愼を討つたといふこと
が皮上に見えてゐるが(北海道史二〇1一=頁)此記事より察すれば既に=二〇〇年飴以前にアイヌはツングース
族併びに大和民族と流通關係に在ったものと見得る︒以後奈良朝︑平安朝爾時代には度々渡島蝦夷が獣皮外産物
を朝貢した記事を散見し得る︒即ち之等は贈與の形式であり︑日本からもアイヌに返禮してゐる︒例へば持統天
イナサムシシラシユヱサウ皇の十年(六九三)三月朔越度島の蝦夷伊奈利武志と粛愼志良守叡草とに錦砲袴緋紺施斧等を賜つた︒養老二年
(七一八)には渡島蝦夷出朋蝦夷と共に都に上り馬を貢し︑延暦二一年(八二〇)には渡島蝦夷貢献の獣皮を私
に買取る事禁制の布令が出た︒(北海道史年譜一‑二頁)安東氏時代以後和人が蝦夷地へ移佳し始めてからは日本
人との交易は釜々盛んとなり︑アイヌは漁猿を主とし其獲る塵は自用に供し其絵る塵を以て和人と交易したるも
の〜様である︒北海道アイヌは更に進んで奥朋地方に至つて和人と交易した︒(北海道史七入頁)
アイヌは他方北に海を隔てた山丹人と交易してゐた︒阪倉源次郎が元文四年著した北海随筆には
﹁ソウヤの交易物の内錦青玉弊はカラフト島より持來ると也︑カラフト島惣名はタライカイと云⁝・此タライカイより北方に
営りてサンタyマンチウといふ慮は是北高麗也といへ・り︑錦青玉等も此爾國より渡し來る為タライカイの者ども爾國へあきな
いに行て常に交易すろと也﹂
と見え︑叉近藤重藏は﹁蓬要分界圖考﹂に云
﹁蝦夷入山丹入日︑唐太地より山丹地に到り山丹地より満洲ギチに到・リイチ制瀞ツトな経てヌソ〃タイへ出ギリウラ彪過て瀞
チョに到ろ︒暇夷山丹入毎歳ギチにおひて満洲と交易ななす︑時々ヌン〃タイ瀞チヨに至ろもの有と﹂(蝦夷風俗彙纂後編三
所牧)
樺太アイヌは山丹以外にオロツコ︑スメレンクルと交易してゐた︒而して交易晶は獣皮米酒木綿煙草斧針鍋の
類を渡し錦玉煙管其他鷲屑及びトナリ(獣皮を以て製し縄にかへ用ゆるもの)等を受取つた︒交易の爲め族行す
る時は酋長は一隊の先導を爲したといふことである︒(青山氏極北の別天地二八頁)
北海道アイヌが鐸捉島へ行つて交易する時には沈黙交易亀①三賃註・の形式で行はれたといふことが蝦夷見聞志
に見えてゐるが︑揮捉人は更に
﹁扱姦夷入と霧し馨︒翠叉かの鑑駐釜の入と霧穿るもあり︑藩ゑ呈に讐よろこぼしむる悪杢風として
唯めづらし春ものな本國へ多くもち行事な手ぶらとし衷るものなるべし︑この英斯歌未亜の入揺捉におひて蝦夷の入に蓮ひし
事あ・りといふ説有﹂(彙纂後編三所牧)
アイあ流涌生活と貨幣形態︑酋三
アイヌの流通生活と貨幣形態一四四
と述べてゐる︒而して此沈蹴取引は﹁英斯歌未亜の風なりとかや︑不審なり﹂としてゐる︒輻田博士は沈獣交易
は交換の最も原始的形態なりとするポスト︑ルトルノー︑シユラーダーの諸読を排してこれは梢進んだ民族の間
に於いて行はれ︑一種の宗敏的迷信か若くは肚會的因襲の爲めに交換當事者の相接見するを禁する交換行爲であ
ると見られた︒(流涌纒濟講話三一〇i三一一頁)高垣博士も沈織交換の行はる玉理由を﹁爾者が封等の僚友として
準和的に相會することを得す叉封等の敵として武装の市場に相會することを得ざるが故⁝⁝又當事者の一方が他
方の動静を知らす從つて相手方の來るを待つよりはその貨物を遺留するを便とするより起るべく或は叉當事者が
未知人に封して懐く蓋恥心より來ることがあらう﹂(貨幣の生成一五i一六頁)と見て居られる︒右何れに該當す
るや研究家の高見を侯つ︒
罠︑アイヌ種族内の流通
アイヌは松前統治以前に就て知らる﹂庭少しと雄も徳川時代の記録を通じて考ふる時は馬経濟史上漁猿民族に
属し︑魚獣を主たる食料とし之に補助的に一部農作物を食してゐた︒且つビユヒヤーの封鎖的家内経濟を螢み男
女間に職能分割行はれて︑男子は漁磯を螢み且つ之に用ふる武器器具を製し舟を建造する︒女子は主として植物
性材料に關係せる仕事即ち耕作︑紡績︑織布等を分澹し消費方面にては食物の調理に當る︒之は洋の東西を問は
す経濟嚢展の初期に於て︑材料攣形の專門職業なく各家族内に於て起り來る一切の欲望を満足せしむる最善の方
法であつた︒
か﹂る段階に於てアイヌには如何なる形態に於て流通現象存したかを次に述べてみよう︒
イ︑賓禮
アイヌは相互間に惜しみなく與へ合ふ種族である︒これは原始民族内にあつて交換以上に遙に重大な流通の役
割をなした様である︒中央濠太刺利亜土人など著しい此特性を有してゐる︒
蝦夷國志(丈化)には
﹁夷入の食事多くに一日に爾度な・り︑若客等あ・りて夜に至る時などは三四度其絵にも及べる事あり
亦食事の時外より入來ろ事あれば其入殿の多少ないにず家の者とひとしく食存す﹂め︑すべて微少の食物といへども我日入
にて喰ふといふ事あらず其座にあろほどの入ににこと4\く配分して喰ふ⁝大いに漁猛等あ・りしと毒は親類胴友なまれきて
本邦にて俗に振舞などいふ溝如きの事ななすこともあり︑逡方毒族入來ろ事あれば幾日といふ事なく留置て食事の中尤夷入
の美と愛すうものあ盤して饗慮する事などもあるなり︑是等すべて飲食の事につ含て夷入の性淳朴にして親愛深く交際和睦ぜ
ろ{畢なおもひ浄μかるべし﹂(θ粟纂前編入所睡牧)
と見え︑叉蝦夷雑書には
﹁些少の酒と難ども他入の傍にて一入飲む事なし︑聯にても配分し共に飲むなり﹂(同上所牧)
とあるが如く︑他入に喜んで與ふる風俗があつた︒之は必らすしも遣り放しではなくお互に與へ合ふi即ち必
らすしも等債々値の交換ではないが接待の形式で流通してゐた課である︒更に進んでは
﹁東遊記に蝦夷入隣家なまれ春て酒秘振舞ふことあり︑夫の代りに婦入行事あれば宿ぷ噸壷やうの物も持行垣に掛置て己に少
ばかり飲み蝕りは其壷に入れ置て家つとにす﹂(千島志料︑彙纂後編八所攻)
とあるが如く家へ土産に持蹄る例竜ある︒酋長叉は富者は一方的に給付すと見られることがある︒蝦夷雑書に目
く
﹁一ケ年一爾度乙名或は富徳の者粟酒な遊り近郡に至ろ迄老幼男女招き集め飲酒ぜしめ其時乙名なるもの標の削り表るものな
アイヌの流通生活と貨轡形態一四五
アイヌの流通生活と貨雷形態一四六
以て遣りし輪の如きものな冠り躍る︒他入立騒ぎなどし終て一統輪廻りの躍な始む︑男女互に飲酒すろこと書夜歎葎霊事あ
り︑之なカモイノミと云ふ﹂(同上所牧)
以上の如く賓禮は先づ交換に先んじて起つた著しい流通現象であるが︑賓禮に封する返禮は即ち贈與より交換
へ邉移の過渡を示す︒ビユヒヤーの學げてゐる例によると︑申央濠太刺利亜のデイーリー族では贈物を受くれば
彼等は相手が欲する物を返禮しなければならぬといふ︒普通か玉る方法によつて己が所要の品物を遠隔の地より
得ることが出來るといふ︒(櫨田課経濟的丈明史論入二頁)
原始民族に於ては老人に物を與へるといふ美風が存してゐることは探瞼家アイヤも報告してゐるし︑スペンサ
ー︑ギレンは申央濠太刺利亜の低度民族に於て老人に食物を供給することが各人の義務であり︑且つ喜んで之を
鑑すといふことを報告してゐる︒穗積陳重先生の所謂敬老俗が獲達してゐるのである︒(流涌経濟講話二三九ー二四
三頁)蝦夷國志にも
﹁もし至てわつかの物にて醗分すべからざうものに其座の申にて老入あろひに小見などにあ六へて一入に食ぜしむる事もある
なり︑老衰の夷或に重病等の夷佳居近§にありて養ふべき入もなく飲食心にまかせざるものには食事の表びごとにかならず持
行て喰にしむ﹂(藁纂後編八所牧)
とあつて︑一般に弱き人に封し物を給與する風俗がよく行はれてゐたと思はれる︒
右の外原始民族に於ては諸々の儀式に物を遣り取りする︒アイヌの年中行事である熊途りには近隣は勿論親戚
故奮を悉く招待し酒と熊の料理を馳走することはよく人の知る塵である︒此他アイヌにあつては結婚式の場合︑
佳家を薪に竣工せる場合には特に酒宴を張つて接待するのである︒
ロ︑相緩