弘前大学教育学部克 己要 第 6 9 号 :81 ‑9 6( 1 9 9 3 年 3 月 ) Bul IFa cEducHl r OS aklUni v6 9:81 ‑ ‑9 6( Ma r ̲1 9 9 3 )
詩 的風景芸術論序説
‑ 風景 の奥 に潜 む ものに就 いての一考察 ‑
AnI nt r oduc t i o nofanEs s a yonAr twi t haPoe t i c alSc e ne
岡 田 敬 司*
Kei shiOKADA
81
要 旨
私達が 日頃何気 な く目にす る風景 も,注意 して見れ ば, そ こに は< もう一 つの世 界 >が隠 さ J l . / ‑)
れてい るこ とが感 得 で きる苦 であ る。 それ は無 限の広 が りを持 った想像 の世界 であ り, 目に見 える世界 の裏側 に潜 む精神 的風景 であ る。私達 の 目に映 ず る世界 は,世界 の現象 的一側面 で あ ろに過 ぎず, もしかす る と, その背後 に潜 む世界 こそ真 の世界 であ るのか も知 れない.可視的 現象世界 は,様 々 な寓意 を信 号 として私達 に送 り続 けて い る。 これ ら無数 の と言 うべ き信号 を 感受 で きるか否 か は,私達 の感 受性 の問題 であ る。意識 的 に注意 を向 けてみれ ば,隠蔽 され た 意味 が有意義 な もの として浮上 して来 るか も知 れ ない。 それ こそ私達 が求 めて止 まない <真実 ( の風景)>で あ るのか も知 れ ない。この < もう一 つの世界 >の実在 を検 証 す る為 に,ここに「 詩 的」 とい う意味 を篭 めて,風景 に内在 され た < もう一 つの世界 >の探索 を試 み,世界認識 の拡 大 を試 みてみ よ う とす る もので ある。
目 次
1.無数 の雨滴 に覆 われ た地表面或 いは雨後 の水溜 りに映 じた風 景 2.割 れた ロー ド ・ミラー に映 し出 された風 景
3. 幽霊 ビルの在 る街 角の風 景
4. 山の在 る風景 ( 或 いは物体 の表面 に就 いて) 5 穴状 に破 られ た金網 の在 る風景
6. 破壊 され亀裂の入 った鉄線入 り透明 ガ ラス屋の出現風 景
7.アスフ ァル ト路上 に付 け られた赤のマーキング とそれ らを結ぶ白線 の在 る風景 8.野球場 ネ ッ トに架 けられたハ ンガー群の在 る風景
9. 青森 県八戸市鮫漁港 に見 るコ ンク リー ト塊群 の在 る風 景 1 0. 防雪柵 の基礎 の在 る風景
ll.青森 市郊外 国道 7 号線 添 いの中央分離帯 の台形状 の土盛 りが見 える風 景 1 2. 「 沈埋 函 ( かん) 」 の建造現場風 景
結 びに代 えて ‑ 彫 刻 に於 ける世界構造 に就 いて 一
*弘前大学教育学部美術科教室
Depar t mentofFi neAr t s ,Facul t yofEducat i on,Hi r os akiUl l i ver si t y
1.無数の雨滴 に覆 われた地表面或 いは雨後の水溜 りに映 じた風景
無数 の雨滴が地表面 を平等 に覆 し) 尽 す時, 私達 はその鏡面効 果 に依 って,倒立 した風 景 をそ こに見 出す ことが出来 る。 その像 は 虚像であ るが故 に, イメー ジの世界 に近 い が, この ことは現実の風景 は常 に虚像 を含 んでいる とい うことの証左 である。移 しい 雨の降下,地表面上 の滞留現象 に依 って, 私達 は二倍 の風景 を楽 しむ ことが出来 る。
視点 の移動 に依 って風景 は千変万化 す る。
図 1 そ して際限無 く水平方向 に連続的である。
雨 の鏡 ( 雨後の水溜 り) ( 図 1 )は,若干,明度 を下 げ,不鮮明 さを伴 っている。 それ は水面下 の地質構造 の反影 に依 る もの と思われ る。風 が吹 くと鏡面 は揺れ,映像 も揺 らめ き,<振動 す る 風景 >が出現す る。私達 はここでセザ ンヌの風景画 に見 られ るような <空気の振動 を空間の実 体 として表現す るとい うこと>を連想 す ることも出来 る。道路上 に出来 た雨後 の水溜 りは, 自 然が産 み出 した鏡であ り, ア リスが入 って行 った不思議 の国への入 口であ り,<もう一 つの世 界 >への入 口である。 その世界 はイ メー ジの世界であるが故 に,無限性 を内蔵 し,流動的 で捉 え難 い。 これ を永続的 な,可視的具体物 として捕捉す る為 には,絵 画や写真 のような表現手段 に依 るか,彫刻の ように立体 的表現 に依 る場合 には,鉛 の ような物質 で表面 を擬装す るの も一 方法であ る。
雨滴が天か ら降 り始 め,地表面 に到達す るまでの問,雨滴 は空 中に在 り,空間 はその密度 を 次第 に増加 させ られ る。 それ に並行 して空間の湿度 も漸次高め られ る。空気が湿 り気 を帯 びる と空間全体 は膨張 し始 め る.地上 の植物 はその水分 を吸収 し,一挙 にその成長 を早 めその全体 量 を増加 させ る。植物 の生長 に依 る変容 に興味 を抱か され るの は, 日々成長変化 を止 めない為 である。植物 (‑緑色) の増加 は,大気 を緑色 に染 め尽 くして仕舞 う。 その緑色の空気 は,十 分 に湿度 を保 ちなが ら,私達 の肺臓 の奥底 にまで浸入 し,何時 しか,人間 は緑色 に依 って侵蝕 され,植物化 させ られて仕舞 う恐怖 を感 じさせ られ る。所謂 「 緑色 の恐怖」であ る。「 緑色 の恐 怖」 とは,水中の藻草 が異常 に増殖 して,水中 に棲息す る魚達が身動 き出来 ぬ程 にその密度 を 高 めて仕舞 うことに似 て,私達人間が 日常的 に生活す る空間全体 を満 た して仕舞 う程,緑 が増 殖 して仕舞 う事態であ る。植物 の成長 ‑増殖 の速度が異常 に早 まった場合 を想像 してみ よう。
私達 は, アマ ゾンの ような密林 に閉 じ込 め られ た生 き物 とな り,やがて身動 きす ら出来 ぬ程 に, 植物 に絡 め取 られ,死 に絶 えて行 くであ ろう。幸 い現実 には, その増殖速度 は康 やかで, その
ような事態 にはな らないだ ろうが,空想 の世界で は可能である。( 条件 さえ整 えば,例 えば,高
湿多湿で 日照時間 も長 い とかの条件 さえあれ ば,現実 に も有 り得 る話で はないか。)かつて SF
映画であった ろうか,深夜,人間共が寝静 まった頃,室内の観葉植物 がニ ョキニ ヨキ伸 び始 め,
やがて室内 に充満 した植物 は,人間が寝 ている所 までその事 を伸 ば し, それ は, あたか も鋼鉄
製であるかの如 く,強力 に人間の身体 を締 め付 け始 める。気付 いた時 には既 に遅 く,人間 は身
動 き出来 な くなっていて,死 んで仕舞 うのであ るO これ は実際 に有 りそうな話 である。実際,
ポ トス とい う観葉植物 は屋 内に栽培 され るが, この植物 の蔓 の伸 び具合 は,凄 まじ く,触手 の
詩的風景芸術論序説 8 3
ような蔓 の先端 は壁伝 いに,始 の吸盤 のように,或 い は, ある種 の食 虫植物 の ように粘 っこ く 張 り付 きなが ら生長す る。 その伸 びる有様 は,正 に恐怖 であ る。 この SF の話 は,私達人間共 が産 み出す様 々な公害物 に依 って,人類全体 をじわ じわ と締 め付 け,弱体化 を促 が していると い うこ とに対 す る現代 の物質文明批判 の暗喰 もし くは寓意 なのであ ろうか。 フロンガス問題 や 地球温暖化現象等,人類 は自ら墓穴 を掘 ってい るのではないか とい う問題 に対 するに鋭 い警鐘
となっているよ うに も思 えるのである。
とど
この ように, イメー ジの世界 は,観念連鎖 に依 って止 まる所 を知 らず,無限に拡が ってい く
≡壬 1)
ものなのである。
2.割れた ロー ド・ミラーに映 し出 された風景
し , ト 仁 卜 1 .I J
私達 は不特定の街路 を歩 む時,交叉点 や T 字路上 で,必ず一 つや二つの円盤状 の「 反 射鏡」に出会 うことが出来 る。言 うまで も な く, それ らは見通 しの効 かない方向の道 路状況 を映 し出す装置 であ るが,時 として, それ らの中の幾つか は,一部割れ て欠損 し て い た り,亀 裂 が入 って い た り ( 図 2‑
1) ,凹凸が不 自然 に付 けられていた りす る ( 図 2‑2 ) 。 それ らは普通,凸面鏡であ る が故 に,風景 を縮小 して映 し出 している。
無傷 の凸面鏡 もそれな りに街 の風景 をその 中に取 り込 んでいて面 白いが,一部分割れ て欠損 してい るもの は, あたか も,風景 に 亀裂が入 ったかの ように見 える。平凡 な 日 常風景 に突如 として出現 した 「 鎌馳 ( か ま いたち) 」の如 く,真空 の,無 の風景 を出現 させ る。現実 の風景 にそれ は滅多 に起 る現 象 ではない。通常 は連綿 と続 くパ ノラマで ある。凹凸が不 自然 に付 け られている場合 図 2‑2 な ど,風景が奇妙 に歪 んでいた りして, 日 常風景 の悲劇 的災害的変容 を予感 させ る。実際 の風景 も新築,増築 な どが際限無 く繰 り返 され, 不変 の風景 は滅多 に無 い。季節 の変化 に伴 って緑 がすっか り住居 を覆 って仕舞 うこともある。
又,雨の 日な ど,雨滴がそ こに付着 している場合 もある。 この場合 は, この映 し出 された風景 は限 り無 く悲 しげな もの とな り,深 く沈み込 んだグルー ミーな情感 を湛 えた もの となる。風景 は水滴 と共 に溶解 し,溶解 された風景 は原形 を留 めず,膝気 にな り,鏡面 よ り進か後方 に退 き, 消滅 して仕舞 う。
か くして, この道路反射鏡 なる物 は,風景改変装置 とな り,隠 された くもう‑ つの風景〉 を
顕在化 させ る為 の装置 とな る。 この装置 は風景 の断片化 を蘭 し,風景 の崩壊感 は終末感 を、或
いは不安 な未来 を予感 させ る もの ともなる。 この ことは,芸術表現上, シュル レア リスムの重
要な手法 =コラー ジュを想起 させ るものであ る。風景 のメタモル フォーゼ は,究極的 には, カ タス トロフィー ( 破滅的 な災害),或 いは崩壊感 とイメー ジが重 な り,更 に,死 のイメージ,ニ ヒリズム と重畳 す るC しか し,雨後 の苛 の ように,再度
,そ こに蘇 って来 る明 るい太陽 を,宿
柄
∈ ))澄 な空気 の中に,朝陽の光輝 を見 出す ことも出来 るだ ろう。
3 .幽霊 ビルの在 る街角の風景
街角 に誓 え立 つ,所謂 「幽霊 ビル」 に出会 う時,無気 味 な念 に襲われ るのを避 け られないだろう。 「幽霊 ビル」
とは,吉 うまで もな く,鉄訪 コンク リー ト造 りの箱状 の 建築物 であ り, その躯体 が外側 だけ出来上 ったまま内部 が完成 せずに何年 も放置 され っ放 しになっているビルデ ィングの ことである( 図 3 ) 。建 築途 中に恐 ら く,経済的 その他 の理 由で,工事 は中断 され,建築 として機能す る 前 に,単 なるコンク リー トの物体 として存在 している。
そ こに見出 され るのは建築 に似 て建築 にあ らざる何 もの かである。建造物 か らその機能性 を剥奪 す る と,残 るは 役立 たずの無用 の長物 であ り,彫刻 に近 い物体 とな る。
それ を造 る意図 は恐 ら く,有用性 であったであろうが, 工事が中断 され るとその有用性 を失 って彫刻的存在物 と 成 る。件 の物件 の壁 には,長方形状 の窓穴 が沢 山穿たれ 図 3 ていて,向 う側 の壁 の窓穴 を通 して,再 に向 う側 の空間 や青空 を見透 す ことが出来 る。確 かに これ は鉄筋 コンク リー トで一定 の空間 を仕切 っていて, 専有す る空間 を持 ってはいるが,内部 は恐 らく,が らん どうで何 も無 いだろう。 そ こにあるの は仕切 られた空間のみであ る。 この虚無的空間的構造物 の存在 は,確 かに異様 である。 まさに 幽霊が住み付 いているかの如 く,不気味 であ る。 なぜ, そんな感 じを与 えるのだ ろうか。思 う に,人間が そ こに入 ることを拒否 し、人間が建物 として,部屋 として使用す ることを拒否 して いて,人間存在 の温 もりをそ こに湛 えていないか らで はあるまいか。人間 を拒否 し,通過 す る ことす ら拒否 したその物体 は,何 を意味す るのか。鉄筋 コンク リー トとい う物体 が,人間的ス ケール を遥 かに越 えて,地上3 0m に及ぶ その存在 は何であるのかO筆者 はこう推論す る.「巨大 な鉄筋 コンク リー トで出来 た この物体 は,現実的な実用性 を剥奪 され,建物 としての機能性 を 喪失 した時,打放 しの コンク リー トが剥 き出 しの侭 に, その荒々 しい物質感 を主張 しだすか ら であ ろう‑‑・ 」 と。普段, 日常的に建物 として使用 されている時 は,何 の違和感 も無 く,街 の 風景 に溶 け込 んで仕舞 うであ ろう。 ところが,実際 に使 用 されな くなった建物 は廃嘘 と同様 に, 風化崩壊 の道 を一挙 に辿 り始 め るのだ。廃嘘が私達 に与 えるあの荒参 とした寂実感 と同 じもの が,件 の ビルに も漂 い始 める。工事人達 が建物 か ら立去 るや否 や,新築 ビル も廃嘘 と化 すのだ。
廃嘘 は通常,窓や扉が無 く,窓外か らも自由に鶴 のような鳥達 や煽嘘 な どが出入 りし,格好 の
喝 ( ね ぐら) となる。夜 ともなれば,物 の化 たち も侵入 し,住 み着 くだろう。蜘妹 どもも何時
しか住 み着 き, やがて,彼 らの吐 き出す糸で,内部空間 は埋 め られ るだろう。横 か らの風 に乗
って,枯れ葉や,雨水 も聞入す るだ ろう。人間が人間の為 に造 った建物 は,か くして聖霊 や悪
詩的風 景芸術論序説 8 5
霊 たちの住処 とな る。夜間,明 りは灯 されず,漆黒 の内部 は,正 に闇夜 で,月光 のみの明 るさ
ゴー ス
ト
を有す ることになろう。 か くして この新築 ビル は 「幽霊 ビル」の名称 が与 え られ る。昼間です ら、 この幽霊 ビル は,他 の ビルの活性 の中で,死 の臭 いを漂わす異様 な物体 として,一際,局 囲の健康的 な景観 か ら突 出 して,異彩 を放 つ存在 となる。 その存在感 は, アメニ ティとは相容 れ ない無用 の邪魔物 であ る。時 を待 って復活 させ るか,速 かに取 り壊 すべ き物体 である。 この ような人間の精神性 ( 或い は有用性) に何 ら寄与 しない もの は,除去 しなければな らない。廃 嘘 の美 は, かつて, それが使用 されていて人間 に役立 っ
ていて,人 間の温 もりがあった ことを感 じさせて くれ る か らである。 そ して,経年 と共 に,時間の風化作用 に依 って, 目前の風景 は,た とえ荒廃 していようとも, そ こ には,「 荒廃美」と呼べ るものがある。 その風景 を目に し た私達 もやがて死 に, この荒廃美 と同化 して仕舞 う。形 あるもの は常 に無形 の物体 と化 す。 そこに私達 は 「もの のあわれ」 を感 ず ることが出来 るか も知 れ ない。又,エ ン トロ ピーの一局面 として,或 いは,都市 の砂漠化 を予 感 出来 るか も知れ ない。私達 の未来 の都市風景 をそ こに 見出す ことが出来 る と言 って もいい。現 に私達 は, アメ リカのある人工的都市風景 に同様 の 「 荒廃 美」 を見 出す ことが出来 る ( 図 4 ) し, 日本で も万博 の跡地 な どに似 たような光景 を見出す ことが出来 るだろう。
4 .山の在 る風景 ( 或 いは物体 の表面 に就 いて)
証 2 )
ある彫刻家が以下 のよ うな ことを記述 ( 或 いは対談記 であったか も) しているの を,曾 て, 何処かで読 んだ ような記憶 がある。「ある一台のバ スに一定 の距離 を置 いて,自分の車が後続 し ている時,移 しい雨がバ スの屋根 に当って煙 っていた。 その時,バ スの輪隔 は唆味 とな り,バ スの大 きさを正確 に認知す ることは不可能 であるよ うに思われ た。激 しく降 る雨 の量が,バ ス の占有空間 とバ スを取 り巻 く周囲の空間 との境界 を唆味 に していたのである。 この ことは,彫 刻 とそれ を取 り巻 く周囲の空間 との関係 を示唆 して くれているように思われた。 つ まり,彫刻 の外的空間 に接す る彫刻 の表面 は,出来 るだ けはっ きりさせ るか,或 いは,ぼやか さなければ
註 3)
な らない‑・ ・ ・ . ( 後略) 」 とい うような意味内容 であるO一見相反 す る事柄 を同時 に求めてい るよ うであるが, この言説 の意味す るもの は,恐 らく,彫刻 の周囲 に接す る表面 に意識 を集中 させ ることが必要 である とい うこと,彫刻 を制作 す る時,表面処理 の仕方 に十分注意 を注がねばな らない とい うことの指摘 であろう。同氏 は又,「 禿山 と多量の樹木 で覆 われた山 とを比較 して, 前者 は, その輪隔 を青空 に くっ きりとその形 を際立 たせ るのに対 し,後者 は,樹 間に垣 間見せ
る空の青色 の験人 に依 って, その輪隔 を唆味 にす る。 その ことに依 って,山の形態 は空 と溶 け
合 い一体 とな り,連続 的風景 を形成 する‑‑‑( 後略 ) 」とい うような事柄 を,指摘 していた よう
だ。 山の内部 は岩石や土 など鉱物質の物体 で充填 された物質であ るが,山の表面 は,一般 に数
多の植物 で覆 われている。 山の手前 にあ る空間 は,風景 として視覚で捉 えることが出来 ようが,
山の背後 に も同 じ位 の質量 の空間が在 る とい うことを意識 しなければ,山の実体 は把握 出来 ま
いO山の風景画 を描 く時 には, この ような意識 を常 に持 たなければ山の実体 を描 いた ことには なるまい。更 に山が持つ精神的価値,即 ち,崇高 さ,気高 さ,清清 しさや威風堂々の感 な どを 捉 えることも更 に重要であ ろう。 これ らの <気 > と呼ぶべ き感 じはどこか ら来 るのであろうか。
それ は言 うまで も無 く, 巨大 な物量が人間 に迫 って来 る迫力 である。 山の表面や輪隔な どの眼 に見 える部分 についての考察 も大切 であ ろうが, 山の内部構造 をそれ らを手掛 か りとして洞察 す ることが更 に重要であ ろう。 それ は,切 り通 しや崖崩れ等 で山の内部構造 が剥 き出 しになっ た所,言わば断層部 に明瞭 に示 されている。 そこに見出 され る もの は,巨大 な時間の堆積 であ り,彪大 な鉱物質 の集積 が斎す重量感 であ り,密度 であ り,途 方 もないエネルギーの堆積感 で あ る。山の表面 は無数の草木で覆われていて も,内部 は重い物体 で充満 してい る。 そ こに彪大 なエネル ギーの総量,限 り無 い密度 の高 ま りを感得出来 るのである。 それ らを実感 として感 じ 取 ることが出来 た時,風景画 の実現 (レア リザ シオ ン)が可能 となる。彫刻存在 の実現 も同様 に して,表面の問題 や密度 や量 の充実感 な どを考慮 に入れて始 めて可能 となる。然 らば,ニキ・
ド ・サ ンファールの 「 張 りぼて人形」な どはどう見 た ら良いのか, それ は中味の無 い,空洞の 人形 ( ひ とがた)であるが,彫刻 の表面だけに注 目 した,反密度的,反重量感的,量塊 に対す
る裏返 し的表現 なのであ ろう。 ( 或い は、「表皮彫刻」 と言 って もいい。)
この よ うに,私達 は普通,物 を見 る時, その表面 しか見 ることが出来 ないが,表面 は内部構 追 ( 又 は内部組織 )の現れ として,又,先端部分 として認知出来 るのであ る。かの, オーギュ ス ト・ロダンが言 ったように,「すべての面 は,君 に向か って突 き出 された無数 の針の先端 だ と い うことを意識 し給 え」 を想起 すれば,彫刻 の表面 も内部か ら観者 に向かって放 たれ る無数の 放射線或 いは磁力線 を内蔵 した もの として感得 出来 るだ ろう。 その時,表面の重要性が深 く認 知 出来 るし,表面 を透 して,内部構造 の実体 を ( 或 い は彫刻 の本質 を)洞察 す ることの重要性
●●●●●●●●●●●■●●●●■
に気付 か させ られ るのであ る。 この ことは,「 物体 の存在 の背後 にまで想 いを廻 らせ」とい うこ Z 王い
とを示唆 して呉 れているように思われ るのであ る。
5 .穴状 に破 られた金網 の在 る風景
運動場 の周囲 に巡 らされ た金網 は,所々 に大人 の人間 が潜 り抜 け られ る程 の大 きな穴 が開 け られ ている。 この 金網 は,言 うまで も無 く,運動場 内のポールが外 に出な いように,又,運動場 の内部 と外部 を区分 けす る境界 と して設 け られているものであ る( 図 5 ) 。上述 の如 き穴が 開 けられ ると, その機能性 と本来の設置 目的が破壊 され る。 その穴 の数 と穴部空間の増大 に伴 って,境界 とい う 意味が次第 に唆味 になって来 る。 この ような金網 は,本 莱,風 ( 空気) の流通 を許 し,又,人間の視線 の透過 も 許 すが, ポールや人間 は遮断 して仕舞 うとい う機能 を持
っている。パ ンチ ング ・メタル ( 穴 あ きの金属板) も同
様 に,半透過性 を持 った物体 である。鉄板 の完全遮断性
に比 べて,半透過性 を持 った物体 であ る。工業的 に生産
され るこの金網 は,規則 的で穴 の大 きさも揃 っていて,
詩 的風景芸術論序説 8 7
味 もそっけ もないが,最大 の物質的取 り柄 は,軽 い ことであ り,次 に扱 い易 い こと,廉価 であ る こと‑‑‑等である。 この金網 に何 らかの衝撃が加 え られ, ( 作為,無作為 に拘わ らず)一部分 に小 さな穴が開 けられ る と, その穴 は次第 に大 きく開 け られ, やがて,大人 の人 が通れ る位 の 大 きさにまで開 け られて仕舞 うようである。 ここで筆者が言わん とす る所 は, その道義的意味 合 いに就 いてで は無 く,空間概念 の変質 に着 目 してみたい と思 う点 に就 いてである。つ ま り, 穴 が開 け られ る前の ネ ッ トの密度 は均質であるが,上述 の如 き穴 が開 け られ る と,俄然, それ は空間 を意識 させ る もの とな る。穴 の周囲の針金 は,通常,捻 じ曲げ られ,寄 り集 まって ( 針 金 と針金 との間隔が狭 め られ)密度が高め られている。 その為 に,穴 のネガ テ ィヴな空間感 が 強 まって感 じられ るのである。彫刻 に於 いて も, ネガテ ィヴな空間 ( 虚空間の こと) に関心 を 示 した彫刻家 は過去 に沢 山いた。 アーチペ ンコ,ヘ ップワース, ムー ア等々である。私達 は, 海岸風景 の中で穴 の開いた奇岩 のある景観 を想起 出来 よう。海岸 の奇岩 の穴 はく門 >的性格 を 有す る。<門 >はく鳥居 >的性格 を持 つ。神社 や示 司の手前 にある<鳥居 >は結界 を表わ し,此岸 と彼岸 の境界 を意味 する。穴 も同様 に, こち ら ( 現世)例 とあち ら ( 来世)側 を結ぶ通路 であ ることが認識出来 るだ ろう。
又,穴 を通 して,私達 は,向 う側 の風景 を眺 めることが出来 る。 その場合,穴の周縁部 は絵 画 に於 ける額縁 と同様 の性格 を有 し,金網 の穴 の中の景観 は,一枚 の風景画 に近 い存在 と成 る。
観 る者が移動す るにつれて,穴 の中の景観 も移動す る。言わば,「キネテ ィック・アー ト」 の一 例 と成 る。私達 はここで数多 くの直線 を垂直 に並べたラフアエル ・ソ トのモア レ ( 干渉縞)効 果 を狙 った作例 を想 い起 こす ことが出来 よ う。普通 は見過 ご して仕舞 う単 なる破 られ たネ ッ ト の穴 は私達 に様 々な ことを考 えさせて くれ る契機 を与 えて呉れているように思われ るのである。
6 .破壊 され亀裂の入 った鉄線入 り透明ガラス屋の出現風景
9 月の或 る土曜 日であった。透明 で細 い
鉄線 が斜交 す るガ ラス扉 の片方に ( 建物 内
部 か ら見て左側 の)無数 の亀裂 が入 り,幅
4. 5 c m のガムテー プで一 時的 に補強 され て
いる情景 に出会 った。 それ は,長 くて暗 い
直線 的な廊下 の突端 にあった。 それが 目に
飛 び込 んで来 た時,「おや,誰 かの作 品 か
な ?」 と思われ た。が近 づ くにつれて,昨
夜 の うちに誰 かが硬 い物 で打 ち破 ろうとし
た ものか も知 れない と思われ た。原因理 由
は不可解 であ った。筆者 の想像 で は人為的 に為 され た ものの ように思われ た。1 991 年 9 月2 8 日
の台風1 9 号 の ような突風 の仕業で も,或 い は又, ジェッ ト機 に依 る衝撃波 の仕業で もないよう
に思われ た。 内側 の床上 には,ガ ラスの小片が飛散 していた し,建物 内部 の ゴ ミ箱 は倒れ,蓋
が飛 んでいた し,右側 の扉 は異常が無 か ったのが その理 由である。 どうや らこれ は事件 の よう
である。 内部 か ら見 て向 って右側 のガ ラス廉 は殆 ど無傷 で平常通 りであるが故 に,左側 の亀裂
に添 って無造作 に張 られたガムテープのガ ラス扉 の異常性が際立 っていた。 もしも人為 的な も
のであれ ば,警察 の現場検証が済み次第,再 び,普通 の見慣 れた何で もない情景 に修復 されて
仕舞 うであ ろう。普段, その扉の風景 に気 を留 めることはあ ま り無 い。 その扉 の存在 に気付 く ことも殆 ど無 い。が, このように異常 な情景 が出現 して見 る と, この扉 の存在 は,私達 に強 い 印象 を与 えるもの として出現す る。言 うまで も無 く, この ような鉄線入 りの透明ガラス扉 は, 建物 の外部 と内部 を区切 る装置 である。物理的に空気 の流通 や人間の通過 を遮 断す る機能 を有 してい るが,視覚的 に透明であるが故 に,外 の風景 へ と私達 の意識 や視線 を誘 う働 きを持 って い る。 と同時 に,明 り取 りの機能 も併せ持 っている。防犯上,鉄線入 りで補強 されているが, 内部 へ侵入 しようとす る人間の意志 の前 には,無力であるかの ようであ る。やがて, ガラス職 人が呼 ばれ,割れたガ ラス部分 を取 り外すoす る と,扉 の枠 だけが一時的 に残 され る ( 図 6)
oこの時,扉 は扉 としての機能 を果 さず,人 の通過 を可能 にす る。枠 だけあって,ガ ラスの無 い 扉 は奇妙 な存在 である。枠 だけ残 された このガラス扉 を 2‑ 3 回潜 ってみ る。通常 は確か に こ こにガラスが入 っていて,通行 を拒否 していた筈 の この扉 は,人 間の通過 をい とも容易 に許 し て仕舞 う。扉 の 「 通行 を遮 断す る」 という機能性 は, ここで も唆昧 とな り,単 に心理的な存在 物 とな るO或 いは,扉 の枠 は,絵画の額縁 となって,向 う側 の風景 の一部 を区切 る物体 と化す。
( 前節 の金網 と同様 であ る。) 建物 の内側 か ら見 た この風景 は,偶々, そ こに在 る何 で も無 い普 通 の風景 であ る。 しか し, この鉄線入 りのガ ラス扉が破壊 され, ガラス部分 のみ取 り除かれ, アル ミ製の凡 そ 1 2 c m 幅 の枠 のみ残 され た この景観 が意味 す る ものは,甚 だ興味深 い ものがあ る。
普段,見慣れた単 な る扉 が, ここで は,通常 の 日常的秩序が崩 されて,通常の機能 は剥奪 され て,別種 の景観 を呈す る とい うことの重要性 に着 目すべ きである。 つ ま り,通常の ものの秩序 の在 り方が,一寸ず らされ ると, そ こに別種 の世界 が出現 す る とい うことを暗示 してい るので あ る。 この ことこそ世界認識拡大 の為 の有力 な一方法 であ り,芸術世界 への入 口の一 つ を示唆 している と知 らされ るのである。<もう一つの世界 >は,こんな風 に して私達の前 に開示 され る のであ る 。
7.アスファル ト路上 に付 け られた赤のマーキング とそれ らを結ぶ白線 の在 る風 景
それ は, とある市営住宅が立並ぶ入 り口附近 のアスフ . ァル ト路上 に見出 された。数棟 の市営住宅 ( だ と思われ る) に向 って大通 りか ら直角に分岐 され た道路 と各戸 口 を繋 ぐ岐路 附近 の路上 に付 され て いた もので あ る ( 図 7)。複数 の真赤 な低 い円錐形 を した物体 は直径 2. ‑2. 5 c m 位 の もので,若干,路面 の傾斜 が変化す るポイ ン トに 打 ち込 まれ ていた。一部所 に 5‑1 0 個位,全部 で 8 部所 見受 け られた。真異 なアス ファル トに真赤 な丸 いマーク ( 複数 の) とそれ らを結 ぶ 白線 は何の為 の ものなのか不 明であ る.道路工事関係者が恐 ら く行 ったそのマーキン グ とい う行為,所々 に数字 も見受 け られ る。 これ らは明 らかに道路整備上必要 な ものであ ろう。が,私達一般 の 通行人 に とっては全 く不要の光景 であ り,物体 であ る。
その機能上 の意味 を伺 い知 るべ くもないが, もしかする
と,或 る人が芸術的意図 を持 って行 ったパ フォーマ ンス
詩的風景芸術論序説 8 9
の痕跡 なのか も知 れ ない と想像 してみ る と,俄 然興味深 い景観 となって起 ち上 って来 るように 思われ る。幼 児 の路上 に描 かれ た くら くが さ) に似 て非 な る もので, これ らは明 らか に道路整 備 関係者 ( 即 ち大人 )が行 った もので あ る。 その 白線 はすべて直線 か ら成 り, それ らの手際 は
プ ロで あ るo その白線 は雨が降 って も消滅 しないか ら,単 な る 「 組石」 で描 かれ た もので は無 い。プ ロのみが所有 す る特殊 なチ ョ一 一クで引かれてい るのだ。( 筆者 は これ らを数度以上確認 し てい る。)友人 の M 氏 が制作 す る絵 画 「 釘打 ち シ リーズ」に似 てい るO黒 いアス フ ァル トは黒 い 画 面 として,丸 くて小 さ くて赤 い釘 で打 ち込 まれ たそのマー キ ング は,明 らかに,路面 の傾 斜 変化 を示 す ポイ ン トに付 され てい る。 それ ら各点 を繋 ぐ白線 は,定規 を用 いて直線 的 に描 かれ, 幾何学的抽 象形態 を形成 してい る。路上製 図 と言 って もいい。 これ らの図形 は何 を意味 す る も のか不 明であ るが故 に,一層,感興 をそそ られ るので ある。 それ に して も美 しい と思 う。確 か に路上 は面 白い世界 であ る。 マ ンホールの蓋 の擦 り減 ったデザイ ンや,移 しい車 の通行 に依 っ て摩耗 され, 凹んだ路面 に,部分 的 に当た られ た新 しいアスフ ァル トの 「 継 ぎ当て」 も面 白い 形 を してい る( 図 8 ) 。普通, それ らは,車 の進行 方向 に沿 って縦長 で,車 の進行 方向手 前 に三 角形状 に尖 ってい る。反対側 も三 角形状 に尖 ってい ることが多 い ようで あ る。新 たに補修 され た部分 は,他 の古 い部 分 よ り若干高 く盛 り上 が ってい るが,車輪 が その部分 に乗 り上 った時, 抵抗感 を少 な くす る為 の工夫か ら考案 され た
「 継 ぎ当 て」の形状 であ る と思われ る。 心理 的 に は,運 転 者 に向 っ て放 た れ た く槍 >で あ り,<攻撃 す る物体 >で あ り,又,その <影 >
であ る。何故 か気 にな る形状 であ り,色 であ り,質感 を持 った物体 で あ るよ うに思われ る。
8 . 野球場 ネ ッ トに架 け られ たハ ンガー群 の在 る風 景 ( 遺 して ≪夏の終 り》)
夏 も終 り,秋 の訪 れが肌 に感 じられ る頃 であった。 とあ る野球場 のネ ッ トに架 け ら れていた複 数 のハ ンガー は, プラスチ ック 製 の もの らし く黒光 りして いた。 どれ も同 じ形 を していて,数 は 1 0 本 を優 に越 えてい た。野球選手達 が汗 に塗 れ た衣類 を洗濯 し, 干 す為 に, ナイ ロン製 ( だ と思われ る) の
ネ ッ トに架 け られ ていて,乾燥後 ,衣類 の み取 除 かれ,ハ ンガーのみが残 され ていた 図 9 状景 で ある( 図 9 ) 。夏 は暑 い。殊 の外,汁 を掻 く。従 って衣服 は洗濯 の必 要が あ り, それ らは干 され る必 要 が あ る。乾 けば,衣類 は取 り 込 まれ る。 ハ ンガー は明 日も使 うであ ろうか ら, そ こに架 け られ た まま残 され た ものであ ろう。
素 よ り, これ らの使用者達 ( 選手 た ち) は,ハ ンガー を架 け るこ とで芸術 的表現 を行 なお うと
してい るので はあ るまいO だが,雲‑ つ無 い青空 を背景 として残 され たハ ンガーの群 が醸 し出
す雰囲気 は奇妙で,非常 に面 白い状 景 となっていたのであ る。 ネ ッ トは風景 を視覚的 に透過す
るか ら, その存在感 は,有 と無 の中間 にあ る。否,無 に近 い と言 っていいだ ろ う。 そ こに架 け
られ たノ、ンガ‑の群 は,限 り無 く澄み渡 った青空 を行 く飛行機 の編隊 のようであった。仕舞 い 忘れた それ らのハ ンガー達が与 えて くれ る風情 は,≪夏 の終 り》とい う感が して, どこか もの寂 しい情感 を湛 えていた。空 に雲一 つ無 く,真青 に澄 み渡 ってい るが故 に,一層, もの悲 しさを 募 らせてい るように思われた。 ところで,青空の青色 は 「イヴ ・クライ ンの青」 を連想 させ は しないか。「クライ ンの青一色 に塗 られたスポンジやキ ャンバ ス は青色 とい う物質感 を強調 した
註5 )
ものである」 ( 中原佑介) と言われているが,青 とい う色彩 は,無限 に後退す る色 であ り,辛 宙 に連 な るが故 に,無 限の感 を与 えて くれ るものである。「 天高 く」 と言 えば,「 秋」の代名詞 ( 正 し くは形容詞,或 い は季語) である。真青 に澄 み亙 った秋 の青空が, あの ように高 く感 じ させ るの は, この為 であ ろうか。
9.青森 県八戸市鮫漁港 に見 るコンク リー ト塊群 の在 る風景
これ らは単体 で 1. 5×2, 5×3. 5 m 位 の コンク リー ト塊 で,同形 の ものが数個,人工的突堤 に沿 って並置 されていた ( 図 1 0 1 1,図 1 0‑2) Q恐 ら く,防波堤 の役割 を担わ されていてそ こに在 るのであ ろう。 同類 の物 にテ トラポ ッ ドがあるO これ は普通,正四面体 の軸芯構造 の四本足 を 持 った幾何学的抽象形態 である。 これ に比 して,件 の物件 はシンプル な直方体 を成 している。
上面 には二個 の小 さめの方形状 の穴 ( 何 の為 の穴 か は不明)が付 され てい る。各 ブロック上面 の凹隅 には, これ らを運搬 す るのに必要なn型 のフックが付 け られてい るO荒波 に洗われて, 陵角 は幾分欠損 してい るのが見受 けられ る。 しか し, その大 きさや塊 が訴 えて来 る存在感 や重 量感 や堅固 さは尋常で は無 い。物体 の存在 が <強固な意志 > となって語 りか けて来 るのだ。 こ れ らの物体 を造 ろうとした人 や,実際 に造 った人々や,海 に生 きる遥 しい荒 くれ男 たちを努案
とさせ て呉れ る。実際,海 が見 える風景 には, はた また港 には不思議 な魅力 を覚 えるのだ。普
段私達が住 む内陸部 では, お目にかか ることが殆 ど無 い奇妙 な物体 が散在 しているし,大海原
の偉大 さ,大 自然 のスケールの大 きさ,異国に繋が っている所 か ら来 る異国情緒, はたまた,
海 の塩気 を一杯含 んだ香 りな ど, その魅力 の源泉 は限 りが無 い。 内陸部 に住 む私達 は,魚市場
な どで, その香 りを嘆 ぐことが出来 て も,漁港 と比 すれば,大分,薄 め られ ている し,間接的
詩的風貨芸術論序説 9 1
であ る。 漁港 の海 の香 は,生臭 さを伴 って,濃厚 であ り,活気 の程度 も,海 の幸 の鮮度 も明 ら か に異 な る し,味覚 に訴 えて来 る豊儀 さ も大 いに異 な るC都市 に住 む人 々 は,か くして,薄 め られ た生活体験 を余儀無 くさせ られてい るのであ る。件 の コンク リー ト塊群 を契機 として,海 に依 って生活 す る人 々の達 しさ をまざ まざ と実感 させ られ るのであ る。 これ らの コ ンク リー ト 塊群 の並列 の様 は,正 に, ミニマル ・アー ト ( 最少限芸術 ) の諸作 品 ( 例 えば, ドナル ド ・ジ
ャ ッ ド, カール ・ア ン ドレな ど) を想起 させ るに十分 で あった。 ミニマル ・アー トは個人 的 な 趣 味 ・趣 向や私 的 な情緒 ,情感 な どを最大限抑制 す るこ とか ら逆 に生 れ る<簡潔 さが蘭 して く れ る印象 の強 さ‑普遍 美 >へ と繋 げ よ うとす る芸術 表現 の一方法であ り,鮫 の漁港 に見 られ た 件 の物件 も, 国際的 に通用す る<普遍 の美 >を兼備 してい るよ うに思われ たので あ る。
1 0. 防雪柵 の基礎 の在 る風 景
図 11 図1 1 の概念図
弘前市 の とあ る住宅街 で この物 件 に出会 った。 隣地 との境界手前 に位置 す るそれ は,個人住 宅 の北側 に,‑直線上 に きちん と並べ られ た 6 個 の コンク リー トの直 方体 で,各 ブロ ックに は 6 本 のボル ト・ ナ ッ トが それ ぞれ突起 してい た ( 図 1 1 ) 。 明 らか に これ らは,屋根 に溜 まった雪 が隣地 に落 ちない よ うにす る為 に南側 の住人 が,北 隣の住人 に配慮 して設置 しよ うとしてい る 落 雪防止 のための 「 防雪柵」 の基礎 であ るこ とは疑 い無 い。基礎 の上 に棚 が取 り付 け られ て仕 舞 えば何 で も無 い 「 防雪柵」 になって仕舞 うで あ ろ うが, それが取付 け られ る前 の土台 が恐 ら く計測 されて整 然 と並 んで い る様 は,只物 で無 い よ うに思われ た。 これ も又 「ミニマル ・アー ト」 で はないか。家主 は恐 ら く, そんな事 は考 えていないに違 い無 い。 しか し,筆者 か ら見 る と, それ は, ドナル ド ・ジャッ ドの整然 と並 んだ箱状物体 を連想 させ るに十分 であ った。 ジャ ツ ドの箱 が これ に似 てい るのか, この土台が ジャ ッ ドの彫刻作 品 に似 てい るのか は, あ ま り重 要 で は無 い。 これ らを<美 > と感 ず るか否 かが重要であ り, それ は観 る者 に委 ね られ てい る。
筆者 は, 「 美 しい . /」と単純 に思 う。 これ ら 6 個 の人工的物体 は,更 に基礎 コンク リー トで連 繋
されていて,美術館 や画廊 な どへ と他 の場所 に移動 させ る ことは不可能 で ある。 この場 , この
土地 に繋留 されている。 だか らこそ, これ らは風景 として しか眺 め ることが出来 ない し,鑑賞 す ることが出来 ない。風景 はその土地 と切 り離す ことが出来 ないのだ。 それが在 る場所 に行 っ て初 めて,認知す ることが出来 る, そ うい う物件であ り,様 態である。 これ らは<旅人 の眼 >
で しか把 える ことの出来 ない美 なのだ とも言 えそうである。何故 な らば,美 は眼 に慣 れ易 く, 慣 れた眼 で は美 を美 と感 じられ な くなって仕舞 うとい う傾 向があるか らであ る。 この ような物 に美 を感 ず ることが出来 る とした ら, それ はもう赤瀬川原平 ( 尾辻克彦) らの 「 路上観察学」
( 超芸術 トマ ソン)の世界 に近 い とい うことを感 じさせ られ るのである。
l l.青森市郊外国道 7 号線添 いの中央分離帯の台形状の土盛 りが見 える風景
それ は弘前市か ら八戸市 に向か う車 中に, 突然飛び込 んで来 た不思議 な光景 であった。
台形状 の底辺が長 い割 には高 さが低 く,大 凡,一辺1 5 m 位 ある と思われ る土盛 りであ り,表面 は緑色 の丈 の低 い草で覆われてい た。遠望で は芝生が密生 しているように思 われた ( 図1 2 ) 。 これ ら数個 あ る土盛 りの物 体 は市街 を迂回す る環状線 ( バ イパス)の 中央分離帯 であることが後 目確認 されたが, 図 1 2 最初 5‑6 0 m位離れて遠望 した時 は,何 の 為 に,何 の目的で作 られた ものか,即座 に理解 す ることが出来 なかった。後 日,同 じような場 所 へ行 ってみる と,別 に どうと言 うことの無 い中央分離帯 の機能 を持 った物 だったのである。
それに して も高 さ3‑ 4m 以上 あ ろうと思われ るその物件 は,中央分離帯 であれ ば,夜間の対 向車 の旺 しい前照灯 の照射 か ら運転手 の眼 を防 ぐ為 であ ろうが,当初 の遠望 で は, それが理解 出来 なかったのである。 そ う言 えば, その台形状物体 の左側 は道路建設中であった し,件 の物 件 は出来 て間 も無 い ものだったのだ ろう。後 日,確認 したの は,同様 の物 で , 2‑ 3 年経 って いた別 の物 だったのか も知れ ない。人間,慣 れて仕舞 えば, どうと言 うことの無 い,只 の風景 ち,未完成 で,上部 に何 も無 く,単 なる土台 のみであ ることに依 って, その風景 は異様 に思わ れた。 もしや, これ らは,正 に現代 の ピラ ミッ ド群 で はないか と内心密か に狂喜 したのである
。或 いは, これ らは諸外国で盛 んに試み られている 「アース ・ワー ク」で はないだ ろうか と一瞬
我が眼 を疑 ったのであ る。マイケル ・ハ イザ‑な どが ブル ドーザー を用いて,広大 な荒地 に試
みてい るそれで ある ( 図 1 3 ‑ 1,1 3‑2) 。 このアース ・ワー クは,地球 を彫刻 の素材 と看徹
し,地球表面 を彫刻 す る行為 である。 そのスケール感 は壮大で, とて も小 さな画廊空間の中に
運 び込 めるような代物 で はない。従 って,都会 に住 む人々 に, それ らの試 みを伝 える手段 は,
一般 に,写真や ビデオに依 ってである。 これ ら壮大 な試み は 「 作 ること」であ り,「‑・ ・ ・ す るこ
と」であ る。 その行為 は,正 に,土木工事 である。 その行為 を通 して,大 自然の偉大 さを知 る
ことが出来 ると同時 に,人間存在 の弱小 さを, まざまざ と知 らされ るのである。 この大 自然 の
大 きさを前 に した人間 とい う存在 は,正 に一 匹の蟻 である。 だが, ここで再度確認 したい こと
は,一 匹の小 さな虫 に過 ぎない人間 とい う生 き物 は,精神 を持 った存在 である とい うことであ
る。 この精神 の力 ( ‑意志の力)で,理論的 には, どんな高みに も,又, どんな深 い所 にも到
詩的風景芸術論序説
連出来 る とい うことであ る。人間 とい う生 き物 は,肉体的 ( 物質的)存在物 であ ると い うこと以上 に,精神的,霊的存在物 であ る とい うことが再確認 され るのである。
土 という自然 と, それ に手 を加 える人工 との接点 に,芸術 的様相 が出現す るとい う ことの一例 であ り, それ は山を切 り開いて 建設す るダムのある風景 や,崖崩れ防止の 為 の防護工作物 ( 通常,鉄筋 コンク リー ト や金網が用い られ る)の在 る風景 に も同様 の ものが顕 示 され る とい う こ とを, あ る
註
6 )
写真家が実証 した ことは周知 の ことである。
1 2.「 沈埋函 ( かん) 」の建造現場風景
「 平屋根 の ビルが並ぶ工場 の ようだが,莱 は 『 箱』 である。幅約 4 0 8 ㍍,長 さ約 1 3 0 ㍍V , 高 さ約 1 0 ㍍V .鉄筋 コンク リー ト製だO この 箱 はやがて往復 6 車線 の走 る自動車専用 ト
ンネル となる。建設中の首都高速湾岸線 の
93
一部,多摩川河 口部 ( 延長 1 5 4 9 ㍍) と川崎 l 航路部 ( 同1 1 87 ㍍)の海底 に埋 め られ る。
F 沈埋工法」 と呼 ばれ る方法で, その一単 位 とな る この箱 は 『 沈埋 函 ( か ん) 』 とい
うC
その函が11 個 も整然 と並 んでいるの は, 東京都大 田区東海 にある首都高速道路公団 の作業基地 (ドライ ドック)。全部 出来上が る と, ドック内に注水す る。す る とこの巨
大函が浮 く。 それ を川崎市 ・東扇島の仮置 P) 1 4
きヤー ドにひいて行 き, さらに建設現場 へ。すでに造 られた 1 0 個 は仮置 きヤー ドにあ り,今 は 2 回 目。総工事費約 2 0 0 0 億 円。平成 6 年度完成 の見込みだ とい う0
やが て海底 を貫 くプ レハ ブの函。人知 の結晶 は, コンセプチ ュアル ・アー ト ( 観念芸術)の
註 7
)
ように見 えた 。 」 ( 図1 4)
これ は正 にその通 り, コンセプチュアル ・アー ト ( 観念芸術 ・ 概念芸術)であ り, ミニマル・
アー ト ( 最少限芸術 )であ る。但 し, 自動車専用 トンネル とい う実用性 を持 っていない場合 に 限 られ るがo この用途 を失 えば,巨大 な鉄筋 コンク リー トの塊 の存在 とな り, これ程,巨大 な 無用 の長物 は滅多 に無 いだ ろう。 しか しこれ を風景 として眺 めてみ ると,整然 と並 んだその様
は,正 に圧巻 であ る。彫刻 は巨大化 を目指 し,建築的,土木的スケール を指向 し,人工的風景,
景観 を創 出す る。か くして,このような人智の結晶 は大 いなる自然 と互角 に吃立す る。「自動車
専用 トンネル」 として実用 に供 され た時, その芸術 的命運 は尽 きる。 つ ま り,制作途 中の,完 成 に至 る までの,束 の間 の芸術 なの だ。 これ ら函 の製 作関係者 は,勿論芸術 作品 を造 ってい る とい う意志 は持 たない。 が,見 る人 に依 って は, それ らを芸術 として或 い は芸術 的景観 として 観 る ことが出来 る し,勝 れ た芸術作 品が持 つ あの偉大 で且 つ静護 を湛 えた,観 る者 を高揚 させ
る感興 に浸 り切 ることが出来 るよ うに思われ る。
結 び に代 えて ‑ 彫 刻 に於 ける世界構造 に就 いて ‑
私達 は日常 の種 々の物 たち を何 げ無 く見 ている。正確 には眺 めて い る と言 うべ きで ある。<観 ること>は考 える こ とで あ り,認識 す ることであ り,具体 的 な物 た ち を契機 として,物 たち を 超越 し, その存在 の背後 に思 い を馳 せ ることであ る。他 方,眺 め ることは,外界 の物 たちが, 私達 の眼の網膜 上 に単 に像 を結ぶ生理 的現象 であ るに過 ぎない。 そ こで は認識作用が働 かず単 な る受像器 に映 じた像 であ るに留 まる。これ に対 し,<観 る こと> は,網膜 上 に結 んだ像 の意味 を考察 す る ことであ り,解釈 す る ことであ り, その点が決定 的 に異 な るのであ る。
さて,私達 は,彫刻 とい う物 を見 る時, そ こに どうい う意味 が托 されて い るか を感 じ取 ろう とし,又,考察 す ることを余儀 な くさせ られ る。時 に は単 なる物体 が そ こにあ る とい う場合 も あ るだ ろうし,何 か不思議 な恐怖感 に襲 われ るこ ともあ るか も知 れな い 。筆者 は常々,彫 刻 は 単 な る物体 で は無 く,〈 神秘的 な魔力 の ような もの)或 い は ( 名状 し難 い畏怖 の ような もの)が そ こに漂 ってい るので はないか と感 じてい る。 ワル ター ・ベ ンヤ ミンの言葉 を借 りれ ば, ア ウ ラ ( 後光) とで も呼べ る何 ものかで あ る。屋 内,屋外 を問わ ず,彫刻作 品が放 つ何 か は目に見 えな くとも感 じられ る何 か であ る。彫刻が存在 す る こ とで,周 囲 の空気が一変 して仕舞 う何 か であ る。時 には, 日常 的 な情景 を一変 させ,特異 な空 間 に,変貌 させ て仕舞 う何 かであ る。 こ れ を 「 空間 の異化」或 い は 「 異化 され た空 間」或 い は 「 磁場 を形成 され た空 間」 と言 う。 この ことこそ,彫刻芸術 の不思議 な力 に他 な らない。従 って彫刻 は, その物 自体 が与 える印象 は勿 論重要 であ るが,更 に重要 な ことは,物体 の存在 が,周 囲の空間の質 を変 えて仕舞 うのだ とい うことであ る。 日常 の空間意識 を越 えて,異次元 の空間 に,私達観 る者 を誘 って呉 れ る力 を備
レノン ・デ ‑トメレ
えてい るのだ。この ことこそ,彫 刻 の最大 の魅 力 の源泉 で あ り,精神的 な意味 に於 ける存在理 由 で もあ る。
又,風景 は,場所 と密接 な関係 にあ り,他 の場所 に移 す ことは困難 な事物 で あ る。特定 の <
もの >や <こと>は特定 の場所 と結 び付 いて,独特 の景観 を呈 す るが,彫 刻 の周 囲 の空間 との 関係 を考察 す るとき,必 然的 に風景,景観,景色 な どが私達 に訴 えて来 る情感 と結 び付 き,彫 刻存在 の拡大 的解釈 として, それ らは存在 す る とい う位置付 けをす る こ とが出来 る。 つ ま り彫 刻 に就 いて考察 す る とい うことは,風景 に就 いて洞察 す る とい うこ とと同義 とな る。 しか るに 私達 は, 目前 の具体物 ( 彫刻 や風 景 な どの) を契機 として, その存在 の力 な り,磁場形成 の在 り方 を探索 しなが ら, その背後 に無 限 に拡 が る< もう一 つの世界 >に就 いて考察 を加 えること を余儀無 くさせ られ るよ うに思われ るので あ る。
。。.。'
。 。 註8 )
ここに至 って筆者 は,<風景 を発見す る> とい う手法 に依拠 して,世界認識 の拡大 を試 みてみ
た訳 で あるが, まだ まだ その入 口附近 に仔立 して いるに過 ぎない とい うこ とを実感 す る次第 で,
今後,更 に詳細 な検 討 を加 えてい く必要 を痛感 す るばか りであ る。
詩的風景芸術論序説 9 5
註
1 )この節 について饗庭孝男 はその著 r 幻想 の都市j ( 新潮社 1 9 9 2. 9 pp. l l ‑1 2 ) の中で、 リルケの 詩 の一節 を紹介 しているが、注 目され るのは以下 の部分 である。
「もう一 つの道 を待 っている、それ は 夕方の澄 んだ水 を‑ また ぎしてやって くるO あた りの物 の姿が柔 らかになって行 くにつけ、
その水 に映 った さか さまの世界が
本 当の物 らの一度 もまだ持 たなか った真実味 を帯 びて くる。
この町 は死 の都 と呼 ばれたので はなかったか ?
それが今 ( 何 かわか らぬ一 つの法則 に従 って) この倒影 の世界 でめざめ、 さわやかな姿 をとっ て くる、
そ こでの生 の営み もまれで はないかのように ( 以下略)」 ( 傍点筆者)
( 高安 国世訳) この 「フラン ドルの宝石 ・ブ リュージ ュ 」 ( 饗庭) を謡 った リルケの詩 について、氏 は 「 過去 と 現在、夢 と現実 のように リルケは複合的に とらえ、その生 と死 の融合す る水 のたゆたい を聴 きつ けてい」て 「 非凡である」 と述べているが、「 水の倒影」 ( 饗庭)か ら触発 され る死 と背中合わせ の生の 〈イメー ジの豊か さ〉 に、関心 を寄せていることは興味深 く思われ る。
2 )若林 膏 ( いさむ)
3) 筆者記憶 に依 る ( 本文 中、特 に明記 されなし ‑ 1 傍注 も同様)
4)これに関 して次の ような言説 に注 目したいO それ は戸谷成雄 ( Toya, Shi ge o1 9 4 7 ‑) に就 いてで あるo「西欧彫刻があ ま りに自明の こととして,つい見過 して きたのが,彫刻 をめ ぐる表面 の問題 であった。ふつ うの考 えな ら, それ は彫刻 とい う実体 を包 み込 む絶対的 に確定 され た輪郭面 とな る。 したが って,表面 を介 して,莱 ( 彫刻) と虚 ( 空間) は明確 に二分 され る。 ところが, ポ ン ペイ市街 を埋 め尽 くした火山灰 と, そのなかで蒸発 した人体 の跡 ( 空洞) の間で はこの関係が逆 転 して しまう。 それ を手がか りに,表面 とは実 と虚 の関係性 の別名 に過 ぎず,相対的 な ものであ ることを明か したのが戸谷であ る。彼 はその問題意識 を実践 を通 して深めてい くが ,8 4 年 にはじ まる r 森』 シ リーズで, それ は決定的かつ刺激的な表現 に結実 してい く。 そ こで は彫刻 の表面 は,
(マ マ