• 検索結果がありません。

崔貞熙の小説に描かれた太平洋戦争と朝鮮戦争

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "崔貞熙の小説に描かれた太平洋戦争と朝鮮戦争"

Copied!
8
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

論文

崔貞熙の小説に描かれた太平洋戦争と朝鮮戦争

A Study of Choe Jeong-Hui's Novels in the Period of Pacific War and Korean War 戦争と母子

The Mother and Child in Wartime

山田 佳子1

YAMADA Yoshiko

1 はじめに

1931年に三千里社に入社して以来、記者、小説家として数多くの文章を書いてきた崔貞熙は、植

民地末期には文学者の御用団体である朝鮮文人協会の幹事を務めるなど、日本の戦争に協力的な活 動を積極的に行った。崔貞熙の小説において戦争協力的とみなされる作品は、1941年に

1

編、1942 年に

4

編が確認される。

5

編のうち

3

編は日本語で執筆されている。そのほかにも記事や随筆な ど、時局関連の文章を韓国語と日本語で多数、発表した2

一方、朝鮮戦争期には空軍の従軍作家として民族同士の戦争に加担し、時局協力的な作品を発表 した。言うまでもなく、

2

つの戦争は朝鮮民族にとってまったく意味の異なるものであったが、作 家崔貞熙にとっては関連がないとは言えない体験であった。「植民地の文人たちが皇国臣民になろ うとしたならば、朝鮮戦争期の文人たちは『防共国民』になろうとした」のであり、「文人たちを はじめ、当時の南朝鮮に居住しようとする者はすべて『防共を欲望する国民』にならなくてはいけ なかった3」ためである。

本稿ではそうした執筆背景を踏まえつつ、崔貞熙が

2

つの戦争に直面して書いた小説の内容、お よび当時の作家自身の置かれた状況、特に母子の関係を通して

2

つの戦争と崔貞熙の文章との関連 性を明らかにすることを目指す。

2 太平洋戦争期に書いた時局関連小説

植民地末期における崔貞熙の

5

編の時局関連の小説には、大きくわけて女性たちをいわゆる「銃 後婦人」にするための啓蒙を目的としたものと、兵士または兵士に憧れる少年たちが登場するもの とがある。

「銃後婦人」を扱った作品は「二月十五日の夜4」(日本語)と「薔薇の家5」(韓国語)である。

両作品とも、時局に無関心で華美な生活を続ける女性たちに対し、「愛国班」活動の重要性を説き、

節約、貯金、国防献金、防空練習に参加することなどを呼びかけている。先に「二月十五日の夜」

が日本語で書かれ、それを発展させた「薔薇の家」は放送小説として、日本語を理解しない一般女 性たちの啓蒙を目的として書かれたものと思われる。

兵士や少年が登場する作品には「幻の兵士6」(日本語)、「黎明7」(韓国語)、「野菊抄8」(日本語)

がある。これらはさらに

2

つに分けられ、「幻の兵士」が韓国に駐留中の日本人兵士と韓国人女性 の交流を通して「内鮮一体」を標榜する内容であるのに対し、「黎明」と「野菊抄」は、自らの息

(2)

子をすすんで戦場に送り出す母の役割の重要性を訴えている。

ここではこれらの作品のうち「黎明」と「野菊抄」を取り上げ、幼い少年と母親それぞれの戦争 に対する態度を通し、作品執筆当時の崔貞熙の心境に接近する9

2-1 「黎明」

1938年 2

月に陸軍特別志願兵令が公布されて以後、朝鮮では少年の意識を「皇民化」するための

様々な方策がとられた。志願兵制度の目的について、海田要志願兵訓練所所長は「皇国臣民育成の 精神教育」であるとし、戦闘を目的とする軍隊とは異なると述べていた10。しかし早くも一期生か ら戦死者が出てしまったことに対しては「朝鮮全道に非常に大きなショックを与え、これこそ朝鮮 の名誉だという声が澎湃として起って11」きたと言い繕っている。そしてその最初の犠牲者である 李仁錫上等兵の「名誉の死」は紙芝居や映画、さらに教科書を通しても教えられ、少年たちは志願 兵に対する憧れを膨らませた。

「黎明」には学生時代の同級生である

3

人の女性とそれぞれの息子たちが登場する。いずれも国 民学校12に通う少年たちは宿題の「慰問文」を一緒に書き、「日米英戦13」と称して真剣な様子で戦 争ごっこをして遊ぶ。少年たちの会話には「兵隊さん14」、「天皇陛下万歳15」などの日本語も混ざり、

いわゆる「軍国少年」ぶりを発揮する。一方、母たちの戦争に対する認識は様々であり、ある女性 は西洋人の家で育てられたという恩から彼らに道案内をして息子に叱られたりもする。しかし彼女 も友人から、「子供たちが正義と考えている道のために、自分自身を子供たちと同じようにまっさ らにするのよ。そうして子供たちとしっかり歩調を合わせて進むの……16」と説得され、認識を新 たにする。すなわち戦争に協力的な母へと変貌するのである。

2-2 「野菊抄」

「志願兵(志望者)十萬突破記念特輯」の中の「志願兵母妹に送る書17」には、息子を志願兵と して送り出すべく母たちを鼓舞する文章が多数掲載されている。「野菊抄」は、同時期に三千里社 の記者として志願兵訓練所を訪れた崔貞熙の体験をもとに、母親の役割を強調する作品である。

崔貞熙は1940年10月、「朝鮮文士部隊」として京畿道楊州の志願兵訓練所を訪れ、「『眞實』で勝 て18」という記事を書いているが、「野菊抄」には訓練所の生活の様子がより具体的に記されている。

海田所長が小説では原田という名で登場し、「半島の青年が、立派な軍人になれるのには、先づ何 よりも母の力だと思ってゐます19」と母の役割の重要性を説く。

「野菊抄」は一人称小説であり、12年前、身ごもった「私」を捨て本妻のもとへ去った男性に向 けて書かれた手紙を外枠とし、その中に志願兵訓練所での出来事がはさまれる形となっている。あ る日、「私」は息子を連れて志願兵訓練所を見学に行く。「私」の息子とは「私」が妻子あるその男 性との間にもうけた子であり、現在、11歳の「軍国少年」である。息子は

3

年前に「僕戦争へ征っ て死んだらおかあさん、泣きますか20」と尋ねたことがあったが、そのときの「私」は何も答える ことができず息子を失望させていた。しかし「私」は訓練所の見学を通し、乏しい食事内容をはじ め、「月月火水木金金21」を基礎とする訓練所生活の全てを「人生勉強22」として肯定的に捉えるよ うになり、息子の意志を受け入れる。「黎明」の母と同じく、「私」は「軍国の母」へと変貌を遂げ るのである。

「私」の手紙はこうした過程のすべてを自分と息子を捨てた男性に報告するものである。「黎明」

が単純明快な戦争協力小説であるのとは異なり、「野菊抄」は戦争協力の小説でありながら、男女 間の葛藤のようなものが書き込まれていることが注目される。妻子ある男性との関係や子供をめぐ る葛藤は崔貞熙の小説で繰り返し扱われてきたテーマである。

「野菊抄」は崔貞熙の作品では珍しく一人称であること、「私」の来歴、そして11歳の息子との離

(3)

別の示唆など、この時期の崔貞熙の個人的状況が、時局の枠の中で綴られているという印象を与え る。これについては

4

章で述べる。

3 朝鮮戦争期に書いた時局関連小説

植民地からの解放後の一時、「風流が揺らめく村23」などの農村を舞台とした作品を発表してい た24崔貞熙は、朝鮮戦争勃発後の1950月12月12日に大邱へ避難25すると「空軍文人団」に加盟し、

従軍作家として活動する。当時の崔貞熙は「人民軍統治下のソウルで1950年

6

月28日から

9

月28日 までの約

3

ヶ月間、『朝鮮文学家同盟26』に加入して活動した前歴が問題視されて27」おり、「『反逆 作家』という汚名をそそぐことに努めていた28」という。従軍作家としての活動はそうした事情に よるものであったと考えられる。

従軍作家たちの作品を掲載する媒体としては、「『前線文学』という文芸誌が刊行され、雑誌『文 芸』も戦時版を出して彼らの活動を支援29」したほか、いくつかの作品集が刊行されたが、本稿で はその中から

2

つの作品を取り上げる。

3-1 「厄介者の徐億萬30

徐億萬

2

等兵はどんな任務もまともにこなすことができない厄介者であり、彼の上官が毎日のよ うに気合を入れるもののまったく効果がない。ある日の夜、歩哨に立っているはずの億萬がいない ことに気付いた中隊長は森の中で彼を見つけるとひどく殴りつける。しかし億萬は「神様は私たち に寝るために夜をお授けになったというのに、なぜあんなに明るい月光をお認めになったのでしょ う31」と「神聖な顔32」を見せるのみで、銃殺されることも恐れる様子がない。その後、億萬は偵 察隊の一員として志願出動し、「数十名の敵を一人で撃滅したのち、壮烈な戦死33」を遂げる。彼 が残した日記には何度も気合を入れられる自らを恥じる文句とともに、「愛する国、愛する民族、

愛する両親、愛する姉と弟、そして戦友たちと上官たち34」等々に命を捧げようという思いが書か れていた。

この作品は、彼の直接の上官である中隊長の視点から、億萬の隠された本質が次第に明らかに なっていく形をとっている。その本質とは月の輝く森の中で見せた「神聖な顔」と「優れて気高 い35」そして「優れて厳粛な36」彼の目が象徴する億萬の神聖さである。戦場で勇敢に戦う兵士に 対しての「神聖」という表現が注目される作品である。

3-2 「出動前夜37

ソウルで名を馳せた声楽家である成珍麗は、夫が北に連れて行かれたあと、一人息子のスンスと 寂しく暮らしていたが、スンスが第二国民兵38として召集されることになる。珍麗は息子を外して もらうよう手を回そうとするが、スンスは「お母さん、私のような人間が行かずに誰が行くのです か。一日に何十回も歯ぎしりし、拳が握られるのを我慢して、この手に銃剣を握る日を待ち望んで いたのに、どうして行かずにいられますか。お母さん、奴らを一人残らずこの地球上から滅亡させ る日まで戦います。お母さん、もう何も言わないでください39」と母を説き伏せる。結局、スンス は訓練所に入り、珍麗はたびたび差し入れを持って面会に訪れ、他の兵士たちからも母のように慕 われるようになる。しかしある日、スンスたちが20分後に出動することを知った彼女は再び息子を 守ろうと最後まですがりつくが、部隊を乗せたトラックは動き出す。最初に隊員たちが珍麗を呼ぶ 声が響きわたる。そして最後の車にスンスの「尊厳と神聖な光40」を浴びた姿を目にした母は、そ れまで一度も口にしたことのない「行け41」という言葉を何度も叫ぶに至る。

作品ではこれを境に珍麗が好戦的な姿を露わにする。帰り道に軍歌を口ずさんでいると、雪合戦

(4)

をしていた少年たちも軍歌を歌い、彼女もまたそれに答えて歌う。そして再び雪合戦が始まると、

「戦え、精一杯戦って勝て、勝て42」と叫ぶのである。

4 「軍国の母」と息子

3

章で見た

2

つの作品ではどちらも兵士に対して「神聖」という表現が用いられ、とくに徐億萬 については戦場での死が神聖化されている。また、珍麗は息子を戦場に送り出さざるを得なくなる と、好戦的な母に変貌する。これらのことから、崔貞熙は朝鮮戦争期に従軍作家として書いた作品 において、太平洋戦争期の時局的作品と同様の主題を用いたことが確認されるのである。

すなわち愛する者たちに捧げる徐億萬の「壮烈な死」は、天皇に捧げる「名誉の死」と捉えるこ とができ、億萬やスンスの神聖な姿は「軍神」を象徴しているようにも見える。さらに「軍国少年」

の息子スンスに諭されて好戦的な母に変貌する珍麗は「軍国の母」であり、兵士たちみなの母、ひ いては国民の母として描かれている。

このように崔貞熙は朝鮮戦争期の時局小説を書くにあたり、太平洋戦争期の小説に用いた主題を 韓国語の文脈に移し替えたと見ることができる。ここでは

2

章と

3

章で見た作品の内容を、母が息 子の死を覚悟し、戦場に送る決心をするというプロットに着目してさらに掘り下げていく。

太平洋戦争期の日本語小説「野菊抄」を書いた当時、崔貞熙には作品に登場する少年と同じく11 歳の息子がいた。映画監督の金幽影との間に生まれた長男である。「黎明」にも小学生の少年たち が登場するが、この時期の崔貞熙の作品には小説、随筆、記事を問わず、同年齢の「軍国少年」が 度々登場し、戦争に送り出してくれるよう母を説得する様子が見られる。「帰還勇士と文人座談会」

においては、崔貞熙が息子から「お母さん、僕も戦争に行きたいけれど、行ってもいゝですか」と 問われ、「えゝ、いゝですよ」と答えてから「戦争に行って死んだらどうしますか」と尋ねると、

息子は「日本のためにつくして死ぬんだから、よろこんで死にます」と答えたというエピソードが 紹介されている43。また、「御國の子の母に」には「これからの私は子供に『僕、戦争に征って死 んでもお母さん泣きませんか』と聞かれる時、まごつかずに答へることと思ひます」と記され44

「野菊抄」の内容との類似が確認される。崔貞熙の息子が実際に「軍国少年」だったどうかはわか らないが、それにしても一人の母親として、たとえ創作であったとしてもこのような母子の関係を 素材に小説を書いて発表したことには単なる時局協力以上の理由があったことが推察される。

崔貞熙の長男は金幽影と崔貞熙との間を行き来しながら育てられたが、「野菊抄」を書いたまさ にその頃、内縁関係にあった三千里社の社長、金東煥との間に新たな命が誕生しようとしていた。

そのことは長男との離別を意味するであろう。いずれにせよ息子との別れは初めから覚悟せねばな らないものであった。息子との離別の苦しみを書いた「静寂記45」をこの時期に再び日本語によっ て発表している46ことも注目される。すなわち「野菊抄」は自らの力ではどうすることもできない 息子との離別を「軍国少年」と「軍国の母」の物語に置き換えて表現しようとしたと解釈すること ができるのである。

ところで「軍国の母」とは日本の軍政が故意に作り出した虚像に過ぎない。当然のことながら、

天皇のために命を捧げることを当時の日本兵すら名誉とは考えておらず47、息子を戦死させた母親 はどんな称賛の言葉にも心を癒されることはなかったという48。また、金活蘭49は「内地の婦人が 出征する息子や夫に『天皇のために一死奉公してください。家のことは何も心配要りません……』

と言ったその一言が進撃中の将兵には何物にも代えがたい慰安の言葉なのです50」と「内地の婦人」

の行動を紹介したが、「内地の婦人」と述べていること自体、「軍国の母」が韓国の女性にはとうて い理解できないものであることを示している。つまりそのような異質な「日本精神」はとうてい韓 国語の文脈で解釈できるものではなかったであろう。「野菊抄」を書いたときの崔貞熙は、「日本精

(5)

神」という理解不能の思想と日本語を用いることにより、長男との離別を他者化して受け入れよう としたと見ることができる。

崔貞熙の息子は朝鮮戦争期には実際に召集され、崔貞熙がたびたび面会に行っていたとされる。

「出動前夜」はその体験を小説化したものと言われる51。そして好戦的な息子に諭された母が息子 を戦場に送り出す決心をするという展開は「野菊抄」とたいへんよく似ている。ただし

2

つの作品 を書いたときの崔貞熙の状況はまったく異なる。「野菊抄」を書いた当時の長男がまだ兵士として 志願できる年齢ではなかったのに対し、このとき長男は実際に戦場に行っているのである。これに ついては「出動前夜」では好戦的な母の姿よりも、母の葛藤に重点が置かれているという見方があ る52。また、上官の視点から描かれた「厄介者の徐億萬」では億萬の母が直接登場せず、両親を呼 んで葬礼が執り行われたという下りがあるのみである。このことは億萬の死を母の立場で受け止め ることを避け、あくまで客観的に描こうとしたためとも考えられる。

いずれにせよ、崔貞熙は

2

つの異なる戦争に際して小説を書くにあたり、表面上は時局協力的な 形をとりながら、その内容は当時の自らの心境を綴っていたと見られるのである。植民地末期に書 かれた作品の大部分は、題材や舞台に「時局的」なものを採用し、そこに自己が訴えようとするも のを繰り込むという方法53がとられたとされるが、崔貞熙は朝鮮戦争期の小説にも同様の方法を用 いたようである。

5 朝鮮戦争と母

従軍作家としての立場を離れた崔貞熙は、戦争中と休戦直後のソウルを舞台に「静寂一瞬54」と

「燦爛たる白昼55」を書いている。

2

つの作品に出て来る母に好戦的な姿はなく、イデオロギーの 戦いである朝鮮戦争に翻弄される真実の母親像を映し出している。

「静寂一瞬」の舞台は、朝鮮戦争の勃発直後に北朝鮮軍に占領されたソウルが一旦取り戻され、

再び奪われるまでの間のソウル城北洞の大きな家であり、その家を一人で守る「老婆」の視点で戦 時中の出来事が描かれる。「老婆」の故郷は北朝鮮であるが、夫が土地改革で土地を失い自殺した のち、2人の息子とともに南に下った。戦争が始まると、その家を建てた長男一家は釜山へ避難し、

次男は共産党に連れて行かれた。そのほか「老婆」には解放後、共産党の夫について北へ渡った娘 と孫たちもいる。「老婆」が一人でソウルに残っているのは、北にいる子供たち家族が帰るのを待 つためである。

作品では戦況が変わるたびに訳もわからず右往左往する「老婆」の姿が、ひと気のなくなった近 所の様子とともに映し出される。空家を荒らしまわる泥棒や、「老婆」の家を接収した共産党から 家財を守るために、不自由な体にもかかわらず、あちこちに隠してはまた隠し直す必死の姿には家 族のためを思う母の強さが感じられる。また、恋人についてパルチザンになったという若い女性に 娘を重ね合わせて同情を寄せることなどは、「老婆」にとっての敵がイデオロギーではなく、家財 を狙う者や、戦況に応じて人を陥れる住民たちであることを表している。この作品には好戦的な内 容はまったく見られず、家族を南北に引き裂かれ、苦労を一人で負った母の姿が強調されるのみで ある。このような母親像は、朝鮮戦争を扱った作品の一つの特徴と言うことができるであろう。

『空軍文庫 小説集 勲章』の収録作品中においても、金松の「母」が同様の母を描いている。

12歳の少年キルスの視点で描かれる「燦爛たる白昼」の母は、夫の帰りを待ちながらも、むしろ

それを恐れている。戦争勃発直後、キルスの父は「一人だけが豊かに暮らし、十人が貧しい社会が いいか、それとも十人がみな豊かに暮らす社会がいいか56」という人民委員会57の青年の言葉に導 かれて義勇軍に加わり家を出た。キルスと母は北朝鮮軍によるソウル占領時にも避難をせず、城北 洞の父の務めていた銀行の寮でそれまで通りに暮らしながら父の帰りを待っていた。しかし父は帰

(6)

らぬまま、北朝鮮軍が押し戻され、戦況は膠着状態となる。母は市場で野菜を売って僅かの金を得 るようになるが、生活は困窮し、キルスの弟は死んでしまう。その後、母はクルクリジュク58の商 売を始め、店に来るようになった北から渡ってきた男、カン・インギを家に入れるようになるが、

男の酒癖のために寮を追い出される。そして母はテントの家でカン・インギの子を出産し、「越南」

と名付けられる。作品では北朝鮮で「クジラの背のような瓦屋59」を共産党に奪われたというカ ン・インギの恨み節や、彼と母のやりとりが、戦争に翻弄された男女の苦悩を生々しく描き出して いる。

「俺だけが越えてきたって? みんな越えてきたさ。みんな越えて来て嫁さんもらったさ

……」、「38度線がぷつんとちょん切れてみろってんだ。俺の女房だって中共軍の野郎とくっ付い てるかもわからんさ……60

「こっちだってクルクリジュクなんか見たこともなかったよ。こんな市場なんか足も踏み入れ たこともなかったよ。いまいましい戦争だか何だかのせいでくだらない人間と付き合ってああだ こうだやってるけど……お前みたいなのと関わったのだって市場なんかに来たせいだよ61」 さらに、カン・インギを父と呼べないキルスが、むしろ孤児たちの身の上に憧れることなど、子 供たちを取り巻く環境の異常さも際立つ。捕虜解放が発表されても父が帰って来る可能性を手放し に喜べないキルスの姿は12歳の少年のものではない。理不尽な戦いによって自らも愛を失った大人 たちの犠牲となり、親の愛情を諦めざるを得ない子供たちの姿もまた、朝鮮戦争の一つの側面を描 き出していると言えるであろう。

2

つの作品に出て来る母は民族同士の戦争に直面した母親の真実の姿であろう。家族が南北に引 き裂かれ、ソウルに留まるしかなかったために苦難を強いられる「静寂一瞬」の「老婆」の心情に はイデオロギーなど入り込む余地はない。崔貞熙の「私の母(

2

62」と「うちの母63」によれば、

崔貞熙のきょうだい

4

人のうち、妹の

1

人は解放後に北へ渡った夫を追って越北し、ただ

1

人の男 きょうだいである弟は戦争勃発時に行方不明となったが、北に渡ったとされる。そして母は一人息 子の行方を探してさまよい歩き、祈りを捧げ64

4

人の子供たちの写真を「丈夫な封筒に入れ、一 日に何度も取り出しては見ていたものだ65」という。「静寂一瞬」はまさに崔貞熙自身の母をモデ ルに書かれたと見られる。

崔貞熙の父は咸鏡北道城津郡で漢方医をしていたということであるが66、教育熱心で、娘を

5

歳 から書堂に通わせた67。そして崔貞熙が10歳近い頃、咸鏡南道端川へ移り、崔貞熙はそこで

3

年ほ ど学校に通う68。しかし父が妾を作って家を出ると暮らしが困窮し、母は娘に勉強を続けさせるた めに、再び父の住む城津へ遣ったという69。しかし「父と一緒にはいられず、親戚の家の脇部屋で その家の嫁と暮らしながら小学校に通った70」。崔貞熙の母は恵まれない結婚生活を送った末、故 郷も失い、その不遇な人生において、子供たちへの愛だけを生き甲斐にしていたことが察せられる。

「うちの母」によれば、崔貞熙の母は、崔貞熙の息子を幼い頃から育てただけに深い情を感じて いたが、その結婚式を見ずに亡くなったという。年譜では崔貞熙の息子の結婚は1962年であること

から、

1960年前後のことと思われる。崔貞熙は、この時期、随筆にたびたび母のことを書いている。

崔貞熙は一人弱っていく母を見守りながら、母の過去に思いを馳せたのであろう。

「燦爛たる白昼」においては配偶者を南北に引き裂かれた男女、子供に愛情を注ぐ余裕のない母、

親を失った子供たち、そして孤児たちの放浪生活をむしろ羨ましがる少年など、休戦後の荒廃した 生の姿を少年の視点から生々しく描き出した。ここでは誰もが幸せではなく、誰もが悪者ではな い。カン・インギや母の恨み節のように、怒りをぶつける敵のいない遣り場のなさが12歳の少年の

(7)

視点から描かれている。この少年の早熟ぶりは軍人に憧れる「野菊抄」の少年のあどけなさとは対 照的である。

崔貞熙は他国の戦争であり、直接戦火に巻き込まれることもなかった太平洋戦争に際し、理解の できない「名誉の死」という装置を利用して、息子を手放さざるを得ない当時の心境を綴った。そ して朝鮮戦争期には実際に息子を戦場に送りながらも、従軍作家としての立場から再び死を神聖化 して取り入れた。一方、朝鮮戦争は現実の死に結び付く家族の危機を意味するものでもあった。こ のように崔貞熙の

2

つの戦争を背景とした作品それぞれには、執筆当時の作家の、家族に対する思 いが読み取れるのである。

6 おわりに

本稿では崔貞熙の太平洋戦争と朝鮮戦争を背景とした小説を通し、作家としての崔貞熙が

2

つの 戦争にどのように対応し、どのような執筆をしたのかについて、とくに母子の関係に注目して検討 した。

崔貞熙が太平洋戦争期に書いた時局小説には「名誉の死」、「軍国少年」、「軍国の母」など、日本 軍が作り出した虚像がそのまま用いられ、朝鮮戦争期に従軍作家として書いた作品においては、そ の装置を韓国語の文脈に移し替えて用いたことが確認された。そして母が好戦的な息子の意志を受 け入れ、「軍国の母」になるという展開において類似した

2

つの小説、すなわち太平洋戦争期の「野 菊抄」と、朝鮮戦争期の「出動前夜」には執筆当時の崔貞熙自身の心境を読み取ることができた。

一方、朝鮮戦争の休戦後に書かれた「静寂一瞬」と「燦爛たる白昼」においては、南北に引き裂 かれた家族の帰りをひたすら待ち続ける母の姿が描かれている。特に「静寂一瞬」は崔貞熙の母を モデルとしているように思われる。

このように崔貞熙の

2

つの戦争を背景とした作品には家族、とくに子供に対する母の強い思いが 読み取れるのである。

1

 新潟県立大学国際地域学部

2

 山田佳子「崔貞熙の植民地末期小説研究」、『県立新潟女子短期大学研究紀要』No.41、2004.3参照。

3

 ソ・ドンス『韓国戦争期の文学談論と防共プロジェクト』、ソミョン出版、2012、p.354。

4

 崔貞熙「二月十五日の夜」、『大東亜』1942.4。

5

 崔貞熙「薔薇の家」、『緑旗』1942.7。

6

 崔貞熙「幻の兵士」、『国民総力』1941.2。

7

 崔貞熙「黎明」、『野談』1942.5。

8

 崔貞熙「野菊抄」、『国民文学』1942.11。

9

  山田佳子「崔貞熙の植民地末期における時局関連作品─三つの類型と『野菊抄』─」、『国際地域研究論集』第

7

号、2016において言及した内容と一部重複する。

10 

海田要「志願兵制度の現状と将来への展望」、綠旗連盟編『今日の朝鮮問題講座』第三冊、1939.11(『日本植民 地政策史料集成・朝鮮篇』第32巻、龍渓書舎、1989所収)。

11 平井武臣「海田大佐に訊く─志願兵訓練所を訪れて─」、『綠旗』1939.8、p.51(図書出版青雲版)。

12 植民地朝鮮においても1941年の「国民学校令」により、小学校は国民学校に改変された。

13 崔貞熙「薔薇の家」、前掲、p.84。

14 同上、p.83。原文は日本語のハングル表記。

15 同上、p.85。原文は日本語のハングル表記。

16 同上、p.82。

17 『三千里』1940.7、p.31。

18 崔貞熙「『眞實』で勝て」、『文士部隊と「志願兵」』、『三千里』1940.12、p.60。

(8)

19 崔貞熙「野菊抄」、前掲、p.140。

20 同上、p.143。

21 同上、p.144。

22 同上。

23 崔貞熙「風流が揺らめく村」、『白民』1947.8- 9

24 山田佳子「崔貞熙の作品集『風流が揺らめく村』について」、『朝鮮学報』第189輯、2003.10参照。

25 崔貞熙「私の母( 1

)」、『若き日の證言』、育民社、p.141。

26 植民地からの解放直後に結成された左翼系の文学者たちの団体。

27 

西山順子「韓国女性従軍作家研究─韓国戦争期を中心に─」、東国大学校大学院国語国文学科碩士学位論文、

2002、p.7。

28 同上、p.8。

29 クォン・ヨンミン『韓国現代文学史 1945-1990』、民音社、1994、p.101。

30 崔貞熙「厄介者の徐億萬」、『空軍文庫 小説集 勲章』、空軍本部政訓監室、檀紀 4285年。

31 同上、p.81。

32 同上、p.82。

33 同上、p.84。

34 同上、p.86。

35 同上、p.82。

36 同上。

37 崔貞熙「出動前夜」、『戰時 韓國文學選 小説篇』、國防政訓部、檀紀4287年。

38 有事時に出動する兵士。

39 崔貞熙「出動前夜」、前掲、p.256。

40 同上、p.260。

41 同上。

42 同上、p.261。

43 「帰還勇士と文人座談会」、『緑旗』1942.1、p115(図書出版青雲版)。

44 崔貞熙「御國の子の母に」、『朝鮮日報』1942.5.19、 3

面。

45 崔貞熙「静寂記」、『三千里文学』1938.1。

46 崔貞熙「静寂記」、『文化朝鮮』1941.5。

47 一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵』、講談社現代新書、2014、p.63。

48 

新谷尚紀『慰霊と軍神』、藤井忠俊・新井勝紘編『人類にとって戦いとは』

3

、東洋書林、2000、p.167. 藤井忠 俊『国防婦人会』、岩波新書、2015、p.166参照。

49 

朝鮮初の女性博士。梨花女子大学初代総長。日本の植民地期には女性界に戦争協力を呼びかけた(木村誠ほか編

『朝鮮人物事典』大和書房、1995参照)。

50 金活蘭「女性の武装」、『大東亜』1942.5、pp.96-97。

51 

小野順子「崔貞熙の作品にあらわれた二つの戦時体験─太平洋戦争と朝鮮戦争を中心に─」、『福岡大学人文論叢』

第42巻第

3

号、2010.12、pp.751-752。

52 同上、p.752。

53 三枝勝壽「一九四〇年代前半期の小説について」、『朝鮮学報』第86輯、1987.1、p.137。

54 崔貞熙「静寂一瞬」、『現代文学』1955.9-10。

55 崔貞熙「燦爛たる白昼」、『文学芸術』1956.6- 8

56 崔貞熙「燦爛たる白昼」、『崔貞熙小説集・燦爛たる白昼』、文學と知性社、1978、p.104。

57 植民地からの解放直後に各地に作られた住民の自治組織。多くは左派の主導によった。

58 米軍の残飯をもらい受けて作った粥状のもの。

59 崔貞熙「燦爛たる白昼」、前掲、p.132。

60 同上、p.134。

61 同上、p.144。

62 崔貞熙「私の母( 2

)」、『若き日の證言』、前掲、p.143。

63 崔貞熙「うちの母」、『崔貞熙文集』、明書苑、1977、p.198。

64 同上。

65 崔貞熙「私の母( 2

)」、前掲、p.143。

66 徐永恩『崔貞熙傳記 川の流れの果て』、文學思想社、1984、p.8。

67 同上、p.9。

68 崔貞熙「自叙一節」、『三千里』1941.4、p.243。

69 徐永恩、前掲書、p.12。

70 同上、p.15。

参照

関連したドキュメント

基調講演(小此木政夫・慶應義塾大学名誉教授) 米国が朝鮮戦争に介入した理由については、さまざまに論じられてきました。国際政治学的には 「ミュンヘンの教訓」、すなわち第三次世界大戦を回避するために、断固としてソ連への宥和を拒否 したという理解が一般的です。その他にも、大韓民国の樹立を支援した国際連合の権威を守護する

『朝鮮』は国籍を示すものとして用いているもの

朝鮮人にとって米軍撤退問題とは、コストや心

付則 本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス   「国民学校令施行規則」第 47 条で,学校で式 を行うべき日として定められているのは,紀元 節(2月 11 日)

(台湾人)ともにラジオ放送を安定的に聴取でき

田村からスミスの命令を伝えられた各掃海艇長は、合議の上「触雷必至と思われる掃

 さて,戦費総額で最大となるのは,④の「外資金庫損失額」であり,5247億円という巨額にの

よく僕にはわからないところがありますが、洪秀全の場合には、科挙に失敗した時に夢に天使