解題〕前号に続いて、北宋・陳師道の『後山詩話』の訳注稿である。号には、全八十四節のうち、第七十一節から第八十四節まで掲げ、本訳注稿を終えることにする。なお、最後に当たり、録一》として『四庫全書総目提要』の解題を、《附録二》とて「後山詩話諸本異同」を末尾に附した。
凡例〕テキストは、清・何文煥輯『歴代詩話』(中華書局、一九八一年四月第一版)を底本とした。底本で校異が示されている部分については、原文に〔校一〕、〔校二〕…と付してその箇所を示し、【校異】の項目を設けて訳出した。 ◇ 【訓読】の項目の書き下し文については、漢字の読み(ルビ)は現代仮名遣いを、送り仮名は旧仮名遣いを用いた。
七十一
裕 陵 常 謂 杜 子 美 詩 云 、「 勛 業 頻 看 鏡 、 行 藏 獨 倚 樓 」。 謂 甫 之 詩 、 皆 不 迨 此 。
【訓読】
裕陵 常に杜子美の詩に、「勛業 頻 しきりに鏡を看、行蔵
独り楼に倚る」と云ふを謂 いふ。謂 おもへらく甫の詩、皆な此れに迨 およばず、と。 訳
『後山詩話』訳注稿(四)
北宋・陳 師 道 著 青木沙弥香・竹 澤 英 輝・許 山 秀 樹 松 尾 肇 子・三 野 豊 浩・矢 田 博
士
訳注
【語釈】*裕陵︰北宋の神宗のこと。死後、永裕陵に葬られたので、そう呼ばれる。*「勛業」の二句︰唐・杜甫の五言律詩「江上」詩の頸聯。*「勛業」の句︰鏡に映し出される年老いた顔をしきりに眺めては、何ら勲功をあげていない我が身の不甲斐なさを思う、ということを詠っている。「勛業」は、勲功、業績、の意。*「行藏」の句︰独りで楼閣の手すりにもたれかかり、我が身の出処進退を思う、ということを詠っている。「行藏」は、世に用いられれば道を行い、用いられなければ民間に蔵 かくれること。出処進退を言う。【通釈】
北宋の神宗は、杜甫の詩に「何ら勲功をあげることがなかったことを思いつつ、鏡に映し出される年老いた我が顔を頻りに見つめ、我が身の出処進退を思いつつ、独り楼閣の手すりにもたれかかる」とあるのをいつも口にされていた。私が思うに、杜甫のほかの詩は、いずれもこの詩には及ばない、と。
七十二
呂 某 公 歸 老 於 洛 。 嘗 遊 龍 門 還 、 閽 者 執 筆 、 歷 請 官 稱 。 公 題 以 詩 云 、「 思 山 乘 興 看 山 回 、 烏 帽 綸 巾 入 帝 臺 。 門 吏 不 須 詢 姓 氏 、 也 曾 三 到 鳳 池 來 」。 【訓読】
呂某公 洛に帰老す。嘗て龍門に遊びて還るに、閽 こんじゃ者
筆を執り、歴 ことごとく官称を請ふ。公 題するに詩を以てして云ふ、「山を思ひて興に乗じ 山を看て回 かえる。烏帽 綸 かんきん巾
帝台に入る。門吏 須 もちひざれ 姓氏を詢 とふを。也 また曽 かつて三たび鳳池に到りて来たる」と。【語釈】*呂某公︰姓が呂という以外、名や伝記については未詳。*歸老︰官を辞めて老後を過ごすこと。*龍門︰洛陽市の南にある岩山の名。石窟があることで知られる。*閽者︰「門吏」に同じ。宮殿の門を守る役人。*歷︰次々に、一つ一つ、の意。*官稱︰官職と名称。*烏帽綸巾︰黒い帽子と青い絹糸の組みひもで作った頭巾。いずれも道士の服装を表す。*帝臺︰天子の居る宮殿。*不須~︰~する必要はない、の意。*三到鳳池來︰「鳳池」は、宮中の庭園にある池の名。そばに中書省があった。「三」は、「三度」または「しばしば、何度も」の意。「到鳳池來」は、中書省に勤務することを象徴する。ここでは、呂某がかつて何度も中書省勤務を経験したことを言う。ちなみに、【備考】に挙げた張士遜の場合の「三至鳳池來」の「三」は、その経歴から「三度」と回数が特定できるようである。【通釈】
呂某 なにがしという人が年老いたため官を辞して洛陽に隠居
した。あるとき龍門に出かけて帰ってきたところ、宮殿の門番が筆を手に取り、官職と名前を答えるよう一つ一つ求めた。そこで呂公は詩を書き付けて次のように言った。「山を見たいと思い興に乗じて行き、山を見て帰ってきたのだ。道士のような服装で宮殿の門をくぐろうとしただけのこと。門番よ、私の名を尋ねる必要はないのだよ。この私も以前は何度も鳳池のそばの中書省に勤めたことがあるのだから」と。【備考】
南宋・王鞏の『聞見近録』には、北宋・張士遜の逸話が収められており、その内容が本節と極めて類似する。張士遜は、字を順之と言う。仁宗の天聖六年(一〇二八)、明道元年(一〇三二)、宝元元年(一〇三八)に、三たび同中書門下平章事に任命された。康定元年(一〇四〇)、太傅の官職で致仕した。皇祐元年(一〇四九)に八十六歳で卒し、文懿と諡された。以下、参考までに「原文」と「訓読」を掲げる。
張文懿旣致政、而安健如少年。一日西京看花回。道帽道服、乘馬張蓋、以女樂從。入鄭門、監門官不之識也。且禁其張蓋。以門籍請書其職位。文懿以小詩大書其紙末云、「門吏不須相怪問、身曾三至鳳池來」。監門官卽以詩進仁宗。遣中使錫以酒餼問勞。
〔張文懿 既に致政し、而れども安健なること少年の如し。一日 西京にて花を看て回る。道帽道服にして、馬に乗り蓋を張り、女楽を以て従はしむ。鄭門に入るに、監門の官 之を識らざるなり。且つ其の蓋を張るを禁ず。門籍を以て其の職位を書せんことを請ふ。文懿 小詩を以て其の紙の末に大書して云ふ、「門吏 須ひざれ 相 ひ怪しみて問ふを、身は曽て三たび鳳池に至りて来たる」と。監門の官 即ち詩を以て仁宗に進む。中使をして錫 たまわるに酒 しゅ餼 き(酒と生肉)を以てし労を問はしむ。〕
七十三
曹 南 院 爲 秦 帥 、 唃 氏 舉 國 入 寇 。 公 自 出 禦 之 。 戰 于 三 都 谷 、 大 敗 之 、 唃 氏 遂 衰 。 其 幕 府 獻 詩 云 、「 賢 守 新 成 蓋 代 功 、 臨 危 方 始 見 英 雄 。 三 都 谷 路 全 師 入 、 十 萬 胡 塵 一 戰 空 。 殺 氣 尚 疑 橫 塞 外 、 捷 音 相 繼 遍 寰 中 。 君 王 看 降 如 綸 命 、 旌 節 前 驅 馬 首 紅 」。
【訓読】
曹南院 秦の帥たりしとき、唃 こく氏 し 国を挙げて入寇す。公 自ら出でて之を禦 ふせぐ。三都谷に戦ひて、大いに之を敗り、唃氏 遂に衰ふ。其の幕府 詩を献じて云ふ、「賢守 新たに成す 代を蓋 おおふの功。危きに臨み 方に始めて英雄 見 あらはる。三都谷路に 全師 入り、十万の胡塵
一戦にして空し。殺気 尚ほ疑ふらくは 塞外に横たはるかと。捷 しょう音 いん 相ひ継ぎ 寰中に遍し。君王は看る
降 くだ
ること綸 りんめい命の如きを。旌 せいせつ節 前駆して 馬首に紅なり」と。
【語釈】*曹南院︰北宋・曹瑋のこと。真宗の時の人。かつて宣徽南院使の官に就いていたので、そう称される。*秦帥︰「帥」は、安撫使の別名。地方の兵権をつかさどる。多くは州知事が兼任した。「秦」は、陝西省のあたりの地を指す。『宋史』巻二五八「曹瑋伝」によれば、曹瑋は、秦州の知事に就任した時、涇・原・儀・渭・鎮戎縁辺の安撫使を兼ねたと言う。*唃氏︰青海省のあたりを拠点とするチベット系の異民族。*三都谷︰甘粛省天水市の西。渭水の支流である散渡河の流域一帯の地。『宋史』巻二五八「曹瑋伝」によれば、唃 こく廝 し羅 らが数万の大軍を率いて攻め入ってきたのを、曹瑋が三都谷で迎え撃ったと言う。*蓋代功︰世に並ぶ者がないほどの功績。*全師︰全ての軍。*方始︰そこではじめて、の意。*殺氣︰戦乱が起こりそうな不穏な気配。*塞外︰国境の向こう側。*捷音︰戦勝の知らせ。*寰中︰全土、の意。*「君王」の二句︰「綸命」は、天子の詔。「旌節」は、安撫使に授けられる旗じるし。紅色を基調とする。ここでは、詔に応じるかのように敵が降伏し、馬の頭のあたりに赤い旗をはためさせながら凱旋する曹瑋の雄姿を、天子が御覧になることを言うのであろう。【通釈】
曹瑋が秦の地方の兵権を統括する安撫使であったとき、唃 こく氏 しが国を挙げて攻め入ってきた。曹瑋は自ら出陣しこれを防いだ。三都谷で戦って、大いにこれを敗り、 唃氏はかくして衰退した。その幕僚が詩を献上して、次のように讃えた。「すぐれた長官が今ここに世に並ぶ者がないほどの大きな手柄を立てられた。危機に臨んでこそはじめて英雄は現れるのだ。三都谷の道には全ての軍が押し入り、十万のえびすどもは一戦を交えただけで一掃された。なおも不穏な気配は国境の向こう側に横たわっているようではあるが、戦勝の知らせが次々と届き我が国全土に知れ渡る。君王は、詔に応じるかのように敵が降伏するのを御覧になり、馬の頭のあたりに赤い旗をはためかせながら、あなたは凱旋なさるのだ」と。
七十四
太 祖 夜 幸 後 池 、 對 新 月 置 酒 。 問 「 當 直 學 士 爲 誰 」、 曰 「 盧 多 遜 」。 召 使 賦 詩 。 請 韻 、 曰 「 些 子 兒 」。 其 詩 云 、 「 太 液 池 邊 看 月 時 、 好 風 吹 動 萬 年 枝 。 誰 家 玉 匣 開 新 鏡 、 露 出 清 光 些 子 兒 」。 太 祖 大 喜 、 盡 以 坐 間 飲 食 器 賜 之 。
【訓読】 太祖 夜 後池に幸し、新月に対して置酒す。「当直の学士は誰たるか」と問ふに、曰く「盧多遜なり」と。召
して詩を賦せしむ。韻を請ふに、曰く「些子児なり」と。其の詩に云ふ、「太液池辺 月を看るの時、好風 吹き動かす 万年の枝。誰が家の玉匣ぞ 新鏡を開く。清光を露出すること些子児なり」と。太祖 大いに喜び、尽く坐間の飲食の器を以て之に賜ふ。【語釈】*後池︰宮中の御苑にある太液池を言う。*新月︰出たばかりの月。*置酒︰酒宴を催すこと。*學士︰翰林学士のこと。皇帝の側に仕え、詔勅の起草などを職務とする。*盧多遜︰五代末から北宋初期にかけての人。北宋・太祖の時に翰林学士、中書舎人、参知政事などを歴任し、太宗の時に中書侍郎、平章事に拝せられた。*些子兒︰少し、の意。ここでは、韻の指定を求めた「盧多遜」の名が、「多孫(子孫が多い)」に通じることから、戯れに「少しばかりの子ども」の意とも取れる「些子児」を句末に用いて詩を作るよう命じたのであろう。*「太液」の詩︰『全宋詩』巻十三には、本節を出典とし、「新月應制」の題で収められている。*「好風」の句︰「萬年」は、木の名。冬青木。モチの木。同じく宿直の様子を詠った南朝斉・謝朓の「直中書省」詩にも、―風動萬年枝、日華承露掌。〔風は動かす 万年の枝、日は華やかなり 承露の掌〕。
―とあり、劉良の注に「萬年、木名。〔万年は、木の名なり〕」とある(『文選』巻三十)。盧多遜の句は、謝朓の句を踏まえていよう。 *玉匣︰鏡を入れる箱。*露出清光些子兒︰清らかな光がわずかに漏れ出ていること。出たばかりの月の光の様子を、箱の中からわずかに漏れ出る鏡の光にたとえる。ここでは、太祖が天下を統一して宋朝を開き、これから明るく新しい治世が始まることを頌えていよう。【通釈】
太祖が夜、太液池に行幸し、出たばかりの月を愛でながら酒宴を催された。「今日の宿直の学士は誰であるか」と質問されたところ、「盧多遜です」と答えた。そこで呼び寄せて詩を作らせることにした。盧多遜が韻を求めたところ、「些子児がよい」とお答えになった。その詩に次のように言う。「太液池のほとりで月を眺めていると、心地よい風が万年という名の木の枝を吹き動かす。いったい誰であろうか、美しい箱を開けて新しい鏡を取り出したのは。清らかな光がわずかに漏れ出ている」と。太祖は大いにその詩を気に入り、宴席に並べてあった飲食器を全て彼に褒美としてお与えになった。
七十五
韓 魏 公 爲 陝 西 安 撫 、 開 府 長 安 。 李 待 制 師 中 過 之 。 李 有 詩 名 、 席 間 使 爲 官 妓 賈 愛 卿 賦 詩 。 云 、「 願 得 貔 貅 十
萬 兵 、 犬 戎 巢 穴 一 時 平 。 歸 來 不 用 封 侯 印 、 只 問 君 王 乞 愛 卿 」。
【訓読】
韓魏公 陝西の安撫と為り、府を長安に開く。李待制師中 之に過 よぎる。李に詩名有り、席間 官妓の賈愛卿の為に詩を賦せしむ。云ふ、「願はくは貔 ひ貅 きゅう十万の兵を得て、犬 けん戎 じゅうの巣穴 一時にして平らげんことを。帰り来たれば 封侯の印を用ひず、只だ君王に問ひて愛卿を乞はんのみ」と。【語釈】*韓魏公︰北宋・韓琦のこと。字は稚圭。仁宗の天聖五年(一〇二七)の進士。宝元年間の初め、西夏の侵入を防ぐため、陝西の安撫使に任じられた。その後、枢密使、宰相職の同中書門下平章事などを歴任。魏国公に封ぜられた。*安撫︰地方の兵権をつかさどる安撫使という官職。*李待制師中︰北宋・李師中のこと。字は誠之。神宗の煕寧年間の初めに、天章閣待制に抜擢された。その後、西夏の侵略にあたり、秦鳳路経略安撫使・秦州の知事に改められた(第八十二節を参照)。*官妓︰官営の妓女。*貔貅︰虎や熊に似た獣。ここでは、勇猛な兵士を喩える。*犬戎︰かつて陝西の地を中心に栄えた西周王朝を滅ぼした異民族の名。ここでは、西夏を喩える。*封侯印︰諸侯とすることを認める印章。異民族を破った功績に対する 恩賞として与えられることが多い。【通釈】
韓琦は、陝西の安撫使となり、長安に幕府を開いた。天章閣待制の李師中がそこに立ち寄った。李師中は詩で有名であったので、宴席に侍っていた人々が官妓の賈愛卿のために詩を作るよう命じた。そこで李師中は次のような詩を作った。「願わくば勇猛な十万の兵士を引き連れて、えびすどもの巣穴を一瞬にして平らげてやりたいものだ。帰還したならば、諸侯のしるしなどいらない。ただ皇帝陛下に愛卿を頂きたいとお願いするだけだ」と。
七十六
某 守 與 客 行 林 下 、 曰 「 柏 花 十 字 裂 」。 願 客 對 。 其 倅 晚 食 菱 、 方 得 對 云 、「 菱 角 兩 頭 尖 」。 皆 俗 諺 全 語 也 。
【訓読】
某守 客と林下に行きて、曰く「柏花 十字に裂く」と。客の対 ついせんことを願ふ。其の倅 さい 晩に菱を食らひ、方 はじめて対 ついを得て云ふ、「菱角 両頭に尖る」と。皆な俗諺の全語なり。
【語釈】*柏花︰「柏」は、ブナ科の常緑針葉樹。コノテガシワ。「柏」は、「百」と音通で、「十」の字と数字に関する言葉遊びとなっている。*倅︰州郡の副長官。*菱角︰「菱角」は、菱の実。ここも「柏花」の句と同様、「菱」が「零」と音通で、「兩」の字と数字に関する言葉遊びとなっている。*俗諺︰世間で言われている諺。*全語︰そっくりそのままの語、の意。【通釈】
ある長官が客人と林の下を歩いて、次のように言った。「柏の花が十の字の形に裂けている」と。そして客人に対となる句を作るよう求めた。副長官であった者が暮に菱を食べ、そこではじめて対となる句が思い浮かんだ。その句に言う。「菱の実は両端が尖っている」と。いずれの句も、民間の諺の語をそっくりそのまま用いたものである。
七十七
杭 妓 胡 楚 龍 靚 、 皆 有 詩 名 。 胡 云 、「 不 見 當 時 丁 令 威 、 年 來 處 處 是 相 思 〔校一〕。 若 將 此 恨 同 芳 草 、 卻 恐 青 青 有 盡 時 」。
張 子 野 老 于 杭 、 多 爲 官 妓 作 詞 。 與 胡 而 不 及 靚 〔校二〕。 靚 獻 詩 云 、「 天 與 羣 芳 十 樣 葩 、 獨 分 顏 色 不 堪 誇 。 牡 丹 芍 藥 人 題 徧 、 自 分 身 如 鼓 子 花 」。 子 野 于 是 爲 作 詞 也 。
【校異】
校一︰「年來」は、もと「年年」に作る。適園本によって改める。校二︰「與胡」は、もと脱落していた。適園本によって補う。【訓読】
杭の妓の胡楚・龍靚、皆な詩名有り。胡云ふ、「当時の丁令威を見ず、年来 処処 是れ相ひ思ふ。若し此の恨みを将 もって芳草に同じくすれば、却 まさに恐る 青青 尽くる時有るを」と。
張子野 杭に老い、官妓の為 ために詞を作ること多し。胡に与ふるも靚に及ばず。靚 詩を献じて云ふ、「天は群芳に十様の葩を与ふ。独り顔色を分 わかたるるも誇るに堪へず。牡丹 芍薬 人の題すること徧 あまねし。自ら分とす 身は鼓子の花の如しと」と。子野 是こに于いて為 ために詞を作るなり。【語釈】*丁令威︰漢代の人。仙術を学んで鶴となり天に昇ったと言う。*此恨︰ここでは、不老不死の仙人とは違って、年老いていくことを避けられない妓女の無念な思いを言う。また、好きな男と添い遂げることが出来ない嘆きを言う。*卻︰ここでは、まさに、あたかもちょうど、の意。*張子野︰北宋・張先のこと。子野はその字。仁宗の天聖八年(一〇三〇)
の進士。詞の作者として知られ、柳永と並び称された。*羣芳︰多くの植物。*葩︰花のこと。*獨分顔色︰「獨」は、ただひっそりと、の意。「分」は、分け与える、の意で、平声で読む。「顔色」は、色、の意。ここでは、花の色と容貌とを掛けている。ただひっそりと控えめに色を分け与えられていることを言う。*不堪~︰「不可~」に同じ。~できない、の意。*自分︰自分自身わきまえる、の意。「分」は、本分とする、の意で、去声で読む。*鼓子花︰ひるがおのこと。【通釈】
杭州の妓女の胡楚と龍靚は、いずれも詩で名が知られていた。胡楚の詩に次のように言う。「漢の当時の丁令威の姿を目にしなくなりました。いつでもどこでも心に思っています。もしこの思いを香り草にたとえるならば、青々と茂る草もいつかはつきてしまうのだろうと不安なのです」と。
張先は杭州で老後を過ごし、官妓のために詞を作ってやる機会が多かった。胡楚には与えたが、龍靚には与えてやらなかった。そこで龍靚は詩を差し上げて言った。「天は多くの植物にさまざまな花をお与えになりましたが、私は誇るに足るだけの色を分け与えられませんでし た。ボタンやシャクヤクは大勢の人々が詩に書き付けてくれますが、私はこの身をヒルガオのようなものだと自らわきまえております」と。子野はそこで龍靚のためにも詞を作ってやった。
七十八
王 岐 公 詩 喜 用 金 玉 珠 璧 、 以 爲 富 貴 。 而 其 兄 謂 之 至 寶 丹 。
【訓読】