翻 訳
ゲオルク・シャンツ
所得概念と所得税法 ︵2︶
篠 原 章 訳
第 二 部
立法者はこれまで所得概念をどのように取り扱ってきたのであろうか? もちろん彼らは所得についてある立
場を表明しなければならなかった︒つまり立法者は︑たとえば理論がそうであるのと同じく︑納税義務を決する
には細々とした区別やはっきりとした境界づけを必要とする︑というような大ざっぱで曖昧な定義には満足でき
なかったのである︒そのためには必ずしも所得概念を法律自体に正式に定義する必要はなかったし︑現在もなお
その必要はない︒もっとも︑ザクセン︑アンハルト︑ハンブルク︑オーストリアのように︑こうした正式な定義
が行われている事例も多数見られるげれども︒しかしながら︑立法者は︑何らかの所得概念に基づかなければな
らない︒そして︑そこから首尾一貫した論旨を導きだし︑この概念に沿った所得を得るためにいかなる計算をす
所得概念と所得税法 ︵2︶
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べきなのか︑またいかなる取り扱いをすべきなのかについて︑できる限り詳しく人々に説明しなければならな
︵49︶かったし︑今もなおそうしなければならない︒
もちろんこのばあいに立法者は︑学説が提示してしることを寄りどころとしていた︒理論を支配する不確実さ
が︑立法者のばあいにも当てはまるということである︒彼らはあれこれの様々な概念を同時に利用することも稀
ではない︒本来の限定的な概念であれば認めることができないものまで一緒くたにして︑所得に属するものと考
えてしまうこともしばしばである︒いかなる免税措置が概念の本質から導かれるのかについて︑またこれらの免
税措置にかんする根拠が概念とは全く別のところにあるのか︑それとも免税措置の根拠については不完全な︑あ
るいは誤った所得概念を引合いにだすことはそもそも必要ないのか︑といった点について立法者は完全に通じて
いるわけではない︒
立法者が最低生活費を免税と認めることや︑同一所得のもとで生計を立てる家族成員の数を酌量すること
−jたとえば︑未成年の子弟にたいして一定の控除を認める措置などljは︑所得概念と全く関係がない︒支払
い能力は所得の大きさによってのみ規定されるものではない︒立法者が生命保険の掛金の一部を免税にするばあ
い︑彼らの意図は生命保険制度一般を助成するところにあるのかもしれない︒あるいは︑保証のない所得にたい
しては保護が必要であるとの判断からなのかもしれない︒こうした免税措置についても所得概念を引合いにだす
必要はない︒この免税措置の根拠が十分であるか不十分であるかを判断することは︑ここでは考慮の外に置いて
︵50︶も差し支えないだろう︒立法者はまた課税に際しても︑所得のうち多くの部分を脱落させることがある︒このよ
うな所得は︑彼らにとって重要性がないと考えられているものであったり︑それを計算することが困難で︑税務
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行政にとって厄介なものであったりするからである︒たとえばここでは種々様々な使用権を想起すれば十分であ
る︒立法者はまた︑ある種の大きな所得項目を除外することがあるが︑これはこうした項目がすでに他の租税に
よって十分捕捉されているという理由からである︒たとえば︑立法者が負担の重い相続税及び贈与税を実施して
いれば︑相続︑遺贈︑贈与などのケースで彼らはこの問題を念頭に置いて考えなければならないだろう︒その他
の取引税を考えるときにも︑様々なケースで同じ問題が発生してくるかもしれない︒他でもないこうした問題点
を︑立法者はまるで考えてこなかったも同然である︒奇妙なことに彼らは︑相続などを除外しようとして大胆に
すぎる主張と所得の構成とに訴えることを好んでいるのである︒
以下の議論で私が意図しているのは︑所得の定義について詳細をきわめた完全無比な展望を示すことなどでは
なく︑いくつかの点だけを強調することである︒こうした点は所得概念の境界領域にとってとくに重要な意味をも
ち︑争いの種となっているものなのである︒無論︑私がここで根底に置いているのは主として近年の税法であ︵る巴︒
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1 使用権を含む現物所得
各国の税法が共通して自明のことと見なしているのは︑自ら生みだした生産物を納税者とその家族が現物で享
受するばあいに︑所得計算上この分を考慮しなければならない︑という点である︒私の知る例外は︑農産物の自
家消費にかんするものだけだが︑バーゼル都市州とアメリカ合衆国である︒バーゼル都市州では︑この例外的措
置をすでに一八四〇年四月六日の所得税法以来実施しているが︑これは非常に早くから行われていた農民の全面
︵54︶的な解放と関係の深いものである︒アメリカ合衆国ではその例外的措置の根拠を税法の農業的性格に置いてい
︵55︶る︒つまり税法に農民を租税上できるだけ保護しょうとする傾向が見られるのである︒
耐用資産の使用権については︑中庭︑庭園︑大庭園に当たる部分をも含めて︑持ち家に居住する際の︹仮想的
な︺賃貸価格の見積りが︑税法上はどの国でも共通に行われている︒私の知る限りわずかに一ヵ国だけが古臭い
観点に立っており︑家を賃貸したばあいだけに家賃収入を計算し︑自分自身でそれに居住するばあいにはその計
算が行われていない︒このょうな措置が行われているのはメクレンブルクである︒以前にはバーゼル都市州でも
︵57︶ 一八四〇年四月六日の最初の所得税法に基づいてこの措置がとられていた︒一八六六年十月一日の税法以降︑こ
の奇怪な制度の修正が試みられ︑賃貸住宅の居住者についてその家賃を課税所得から控除することが認められ︵58︶だ︒一八八0年五月三十一日の法律以降は︑居住からの受益は一般に︑賃貸であろうが持ち家を利用しょうが︑
それに関わりなく所得に算入されている︒一八九四年八月二十四日のアメリカの新しい所得税法が持ち家の使用
権を税法上の所得に算入しているかどうかははっきりしていない︒税法の条文にはこの特殊なケースについて触
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︵60︶れられていないが︑この種の使用権の算入を認めていることは疑いない︒
たとえば衣類︑家具のように直接的な必要を満たすこれ以外の耐用資産の使用権は一般に免税とされている︒
所得税法はこの種の自己使用権にはたいていのばあい全く触れていないし︑またその必要性も認めていない︒な
ぜなら所得税法の構成全体を見るとこの種の自己使用権はそこから抜け落とされているからである︒たとえば︑
こうした自己使用権がもっぱら所得として認められ︑資本資産︑基本資産︑持ち家住宅の家賃までを含めた賃貸
用益等︑鉱山を含めた商工業︑儲け仕事︑並びに何らかの種類の時間的な性格の値上がりや利得にたいする請求
権からの貨幣及び貨幣評価可能な年間収入全体を取り扱うとすると︑上述の意味での使用権にたいしては何の余
地も残されていない︒﹃資本資産﹄という表現もこの種の使用権の所得への算入を何ら認めるものではない︒とい
うのは︑この表現は学術的な資本概念ではなく︑貸出資本の通俗的概念を念頭に置いたものであるからである︒
にもかかわらず︑多数の税法がこの種の使用権にたいする免税措置をそれほど自明のものとは認めておらず︑免
税措置を敢えて強調している︒たとえばブレーメンの税法の施行通達第四条には﹃納税者の家庭調度品の賃貸価
格は課税所得には算入されない﹄と規定されている︒またルクセンブルグの動産税・個人税にかんする法律に
は︑この税法の法構成の中に明示的な免税が規定されている︒
免税規定にかんする例外を示すものは︑バーデンの一八四八年七月二十八日の所得税法の条文とバイエルンの
︵62︶一八四八年七月二十八日の所得税法である︒
動産にたいする課税にかんしては所得税よりも資産税の方にむしろ詳しい規定がある︒しかし資産税のばあい
もやはり原則は免税であるが︑スイスの税法を見るとその多くは︑限定された金額についてだけ免税を認めてい
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る︒興味を引くのはヴァートWaadt州の事例である︒ヴァート州では動産にたいする使用権を形式的に年金と
︵63︶同様に取り扱い︑売却︹予想︺価格の四%と計算している︒
所得税法では︑たとえば俸給のばあいにしばしば見られるように︑第三者から支給されたものが問題になると
きには無論使用権が考慮されている︒国家によって家具付きの役宅が提供されていれば︑家具無しのばあいより
もその税額査定はなるほど大きくなるかもしれない︒同じように︑無料で支給される制服の使用権が所得に算入
されるということもあろう︒たとえば︑一八五二年九月十九日の所得税法に基づくヴュルテンブルクの税吏執行
令によれば︑無料支給される制服の﹃使用価値﹄は査定されることになっている︒厳密にいえば︑専務車掌︑車
掌︑国営郵便配達人などのばあいには二〇マルク上乗せ査定されることになっている︒しかしあちこちでもっと
頻繁にとられている方法は︑結局帰するところは同じといえ︑制服支給それ自体を所得の一部として算定する方
法で︑このばあいは支給が実際の消費に対応するように計算される︒たとえばザクセンの所得税法がそれにあた
る︵第二十条第二項︶︒﹃俸給ないし賃金に含まれる現物での受け取りI無料の住宅︑食料︑制服などが含まれるI
は︑当該地域での通常の価格をもとに算定される︒対応するものが︹当地に︺ないばあいは︑その近隣における
X N X X X X X X N 4 S X X 4 X S N X通常の価格をもとに算定される︒﹄さらにこれと並んでシュヴァルッブルクーゾンデルスハウゼンの︹所得税法︺
第十六条︑同じくアンハルトの︹所得税法︺第二十条︑ザクセンーマイニングンの︹所得税法︺第十六条などに
同様の条文が見られる︒同種の使用権をその元に含んでいるその他の税法は︑これにかんしては一般的な表現を
用いている︒たとえばロイス分家領の施行規則第二十八条には﹃さらに考慮しなければならないのは︑現金で支
払われる賃金ないし給与と並んで︑現物での取得︵その例としては無料の住宅︑無料の食料︶あるいはその他の資産
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から生まれる利益で構成される報償も年間所得に含め︑これらを当該地域での通常価格で査定するということで
ある﹄とある︒これと似た条項はブレーメン︑ハンブルク︑リューベック等にも見られる︒
立法者は一般に︑使用権は所得に含まれないという見解を持っているなどとはまず考えるべきではないだろ
う︒動産の使用権にたいする度を越えた免税措置の根拠は主として次のところにあると思われる︒つまり︑最低
生活費を免税にすべきであるという配慮がその役割を果たしていない限りにおいて︑最低生活費算定の障害と
なっている実際上の難点を避けるということが一方にあり︑この最低生活費に当たる所得額はその他の所得にた
︵65︶いする一定の割合として計算されるものであるという信仰が他方に存在しているのである︒だが︑いずれにせよ
その他の所得にたいする一定の割合という仮定は誤ったものである︒課税の執行は︑何らかの平均という物差し
を用いるとすれば︑それほど困難ではないだろう︒たとえば︑動産にたいする火災保険で適用される料率を基礎
︵66︶とする︑と考えるべきであろう︒ここから三%という数値が考えられることになる︒
この現物所得はさらに別の面からも議論の対象になる︒租税年度内に生産されながらまだ処分されていない財
の手持ち分が存在するが︑これを課税上どのように取り扱うかが問われるのである︒最善の方法は︑純収益を確
定するにあたって︑当該租税年度内に生産された全ての生産物を︑それが売却されるのか︑それとも消費される
のか︑あるいは翌年度に持ち越される︵つまり︑後になって初めて消費されるか売却されることになる︶在庫品となるの
かを問わずに︑純収益として算定する方法であろう︒これらの生産物は︑生産された年度の所得税で査定される
のである︒次年度にはこうした在庫品は基本資産となって現れるが︑さらにこの分が家計において消費されると
すると︑これは資産の減少として現れることになる︒その所有者は︑これについて二度と納税義務を負わないと
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いえよう︒正規の簿記の場合にも右と同様の結論に達することになる︒というのは︑この在庫品はわれわれには
利益として示され︑租税期間の推移とともに期初の手元資産にたいして新たに付け加えられるものだからである
︵つまりこうした在庫品も千万資産に含まれるのである︶︒一部の税法もこの観点に立っている︒もっとも多くの税法
はこれとは︑また別の観点に立ち︑売却された生産物の売り上げと自己の家計で消費された生産物の価額だけを
粗収益に含めている︒だが現実には︑かなりの数の所得について一方の原理に従い︑やはりかなりの数の所得に
ついてもう一方の原理に従うという事態が頻繁に発生している︒プロイセンでは農産物については第一の原理を
堅く守っている︒したがって期末における生産物の在庫量の貨幣価値は︑それらが売却を通じて換金されるかそ
れとも自家消費されるかが明白であれば収入として計算され︑前会計年度から本会計年度に持ち越された特定種
類の在庫品の貨幣額は控除されるのである︵施行通達第十一条︶︒各会計年度の期末の在庫が大幅な変動を常時示さ
ない業種については︑その在庫の貨幣価値が︑収入を計算するさいにも支出を計算するさいにも顧みられないで
終わることはありうる︒商工業にかんしては第ニの観点に立つが︑これにたいして利益計算について商業簿記に
従っているばあいには︑もちろん第一の原理に立つことになる︵施行通達第十九条︶︒プロイセンと同様の事例は︑
ハンブルク︵第四条付帯条項四︑五︑六︶に見られる︒シュヴァルッブルクールドルシュタットでは商業簿記の
ばあいに限って第一の観点が固守されている︒︵施行令第四条︑第九条︑第十条︶︒リューベックではブレーメンの手
︵67︶続きにならって︑完全に第一の原理に立ち戻っており︑﹃家計と経済で消費された生産物と年度末に在庫として
残っている生産物全ての合計額﹄を収入としているが︑ブレーメンとは違って﹃これらがそれ以前に課税を受け
ていないばあいに限る﹄と付言されているのは適切である︒これがバーデンとなると一切の種類の所得につい
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て︑例外なく第ニの観点をとっている︵執行規則第三条第四項︶︒
総じて言えば︑この二つの手続きは多くのケースにおいて同じ結論に達する︒二つの手続きのあいだの違い
は︑主として︑一方が第一年度の所得を相対的に大きくとり︑次年度の所得を相対的に小さくとるのにたいし︑
他方はその逆となるという点だけである︒しかしながら理論的には第一の観点の方がより正確なもので︑この手
続きを通じて簿記との一致も見ることになり︑さらに現物所得は所得でないという観念を退けるだけに︑なおの
︵68︶ことこれに拘泥すべきであろう︒第ニの考察方法にはこの他にもなお難点がある︒第二の手続きをとると︑事業
コストを売却された生産物と消費された生産物とに分ける必要性が生まれてくるが︑これは必ずしも容易なこと
ではないし︑さらに売却されなかった生産物と消費されなかった生産物の経営コストをも含めた全経営コスト
が︑︹実際に︺売却された生産物と消費された生産物に含めて計算されるという恐れも生まれてくる︒執行令では
経営コストの選別について明示されていないので︵ただしバーデンでは明示されている︶︑この恐れは一層強いとい
えよう︒第二の方法が全く誤った帰結をもたらしうるケースは︑森林業にこの手続きを適用するばあいである︒
たとえばこれはプロイセン︵施行通達第十三条︶︑バーデン︵執行規則第三条第四項︶︑シュヴァルッブルクールドル
シュタット︵施行令第三条︑第四条︶に見られる︒プロイセンの通達には次のように謳われている︒﹃森林︵伐採︶か
ら生ずる課税所得の算定にさいしては︑1︑基準となる期間内に︑所定の伐採及び間伐によって得られた生産物
の売り上げを収入とすること︒2︑監視及び管理︑伐採︑選別︑木材の輸送および筏流し︑並びに諸施設︵監視小
屋︑橋梁︑林道など︶の維持に要した支出を経費とすること︒3︑所定の使用権から逸脱した通常外の伐採によっ
て得られたものについては︑これらが立木資本の減少と見なされることから︑計算の対象から外すこと︒新たな
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る植林の費用は︑それが森林現況の維持を目的とするばあいについてのみ控除を認められる︒ただし森林現況の
拡大を目的として︑本来樹木のない土地に新たに植林するばあいにはこの限りでない﹄ この規定は妙な結果を
もたらす︒ある人が︑たとえばより大きな収入を後年に期待して立木を残したり︑高木林経営を企んで伐採時期
を先送りしたりするばあい︑この人には何の所得もないことになる︒そして彼がこの後高木林を売却しても︑市
況利益にたいする課税が存在しない限り︑国家はその分の税金を得る機会を全く失ってしまうだろう︒これに反
して︑森林所有者が慣例に基づいた伐採を行い︑その手取り金額を森林現況の拡大に用いるばあいには所得が存
在することになる︒もっとも両者とも事業の拡張には違いない︒ただし前者は事業拡張の集約的な側面を示し︑
後者は規模拡大的な側面を示しているのである︒これはちょうど︑産業家がより改良された機械を調達するか︑
それともより多くの機械を調達するか︑というのと同じである︒
正しい見地に立っているのは︑ロイス分家領︵第十一条︶︑ザクセンーヴァイマール︵第四十五条︶︑オルデンブ
ルク︵第七条︶である︒たとえばオルデンブルクの税法には次のように規定されている︒﹃森林から生ずる課税所
得は︑第三者に支払われた伐採費用を控除した後︑査定年度について残された資本価値の増加分︑すなわち年間
増加価額である﹄以前にはプロイセンにおいてもこの種の規定が適用されていた︒それは︑一八七七年一月三日
の指令Instruktion第三条の示すところであるるこの規定がなぜ廃止されたのか︑さらにこの計算方法が第九条
Uの第一項といかなるかたちで調和されうるのかについて理解するのは困難である︒
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