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漢 文 訓 読 の 初 期 条 件

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Academic year: 2021

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1

漢文訓読の初期条件︵初稿︶ ︹上︺   古田島洋介*日本文化学科 教授 日中比較文学

しかも︑それが 過去 の 一時期 に 限 られた 話 ではなく︑ 今日 なおも 継続 し ているのか︒その 根本的 な 理由 ︑いわば 漢文訓読 の 初期条件 について 確 認 ・ 整理 を 試 みんとするのが 本稿 の 目的 です︒

  とはいえ︑ 過去 にさかのぼり︑ 古人 が 何 を 考 え︑どう 古典中国語 に 対 峙 しようとしたのか︑また︑ 実際 どのように 対峙 していたのかを 詳細 に 探 ることは︑ほとんど 不可能 だと 言 って 差 し 支 えないでしょう︒ 資料上 の 制約 も 多 く︑ 非力 の 私 にはあまりに 荷 の 重 い 課題 ︑とてもやりとげる 自信 は 持 てません︒

  そこで︑ 本稿 では︑あくまで 現在 の 視点 から

0000000

漢文訓読 の 初期条件 を 考 えてみることにします︒ 具体的 には︑ 今日 の 対照言語学 の 成果 を 援用 し て︑ 漢文訓読 が 可能 となった 諸条件 を 探 ろうというわけです︒ 対照言語 学 と 聞 くと︑ 何 やら 難 しい 話 が 始 まりそうだと 一瞬 たじろぐかもしれま せんが︑そこは 安心 していただきたい︒ 私 とて 言語学 の 専門家 ではなく︑ 正 直 に 言 って︑ 対照言語学 については 通 り 一遍 の 大 ざっぱな 知識 ︑いや︑ ほとんど 摘 まみ 食 いに 近 い 知識 しか 持 ち 合 わせていません︒ 名 こそ 難 し そうですが︑ 要 するに︑ 日本語 と 漢文 すなわち 古典中国語 とを 見比 べて︑ 両者 の 共通点 と 相違点 を 明 らかにしようというくらいの 話 です︒ 決 して 耳慣 れない 言語学用語 が 飛 び 交 うような 事態 にはなりませんから︑どう ぞ 御懸念 なく︒

  ただし︑すでに 右 に 記 した 孤立語 ・ 膠着語 ・ 屈折語 についてだけは︑ 本論 に 先 だって 説明 しておきましょう︒ 実 のところ︑こうした 分類 は︑ 古典的言語類型論 と 呼 ばれ︑ざっと 五千 にものぼる 世界 の 諸言語 を 必 ず しもすっきり 分類 できるわけではありません︒ 孤立語 が 部分的 には 膠着 語 の 性質 を 帯 びている 場合 もありますし︑また︑ 膠着語 の 一部分 が 屈折 語 に 似 た 性質 を︑ 屈折語 が 何 ほどか 孤立語 もどきの 性質 を 呈 する 場合 も 漢文訓読の初期条件 ︵初稿︶

  ︹上︺

なぜ孤立語を膠着語に変換できたのか?

古田島洋介

はじめに

  漢文訓読 とは︑シナ・チベット 語族 に 属 する 孤

りつ

の 古典中国語 を︑ ウラル・アルタイ 語

︶1

族 に 属 する 膠

こう

ちや

くご

の 日本語 に 変換 する 技術 です︒ 返 り 点 を 打 って 語順 を 入 れ 換 え︑ 送 り 仮名 として 助詞 ・ 助動詞 などを 附 け れば︑たしかに 古典中国語 はあらまし 日本語 に 変換 できるのです︒

  しかし︑そこには 単 なる 外国語学習 にとどまらぬ 条件 が 備 わっていた のではないでしょうか︒というのも︑ 歴史上 ︑ 日本人 は︑インド・ヨー ロッパ 語族 の 西方 チュートン 系 に 属 する 屈

くつ

せつ

のオランダ 語 ・ 英語 にも 漢文訓読流 の 解読方式 を 試 みたものの︑その 種 の 蘭文訓読 ・ 英文訓

︶2

読 は︑ 確乎 たる 読解様式 として 定着 しなかったからです︒なぜ 漢文 すなわち 古 典中国語 にだけ 訓読方式 が 通用 し︑ 一 つの 様式 として 定着 し 得 たのか︒

(2)

2

明星大学研究紀要︻人文学部・日本文化学科︼第二十七号 二〇一九年

= 桓公読

於堂上

︵ 桓

くわん

こう

しよ

を 堂

だう

じやう

に 読

む︶ * ﹁ 書 ﹂は 名 詞 で︑ ﹁ 書 籍 ﹂の 意 ︒ 上 接 す る 動 詞 ﹁ 読 ﹂の 目 的 語 となる︒

    膠 着 語 ︵ agglutinative languages ︶と は︑ ﹁ 膠

モテ

クル

語 ﹂︵ 膠

にかは

も て 着

く る 語 ︶つまり 一 つひとつの 単語 に︑ 他 の 単語 がまるで 接着剤 の 膠

にかわ

で 貼 り 附 けたように 附着 する 言語 です︒ 印象 としては︑ 語句 にぐだぐだ

4444

と 尾 ひれ が 附 きまとう 感 じ︒ 日本語 ・ 韓国語 などがこれに 属 します︒ 左 のような 日本語 の 一文 を 見 れば︑ 御理解 いただけるでしょう︒

   

+ 打消 の 助動詞 ﹁ない﹂が 附着 する︒ * 動詞 ﹁ 飲 ま﹂に︑ 使役 の 助動詞 ﹁せ﹂ + 可能 の 助動詞 ﹁られ﹂ * 名詞 ﹁ 酒 ﹂に︑ 助詞 ﹁を﹂が 附着 する︒ * 名詞 ﹁ 病人 ﹂に︑ 助詞 ﹁に﹂ + 助詞 ﹁は﹂が 附着 する︒ 03 病人 には 酒 を 飲 ませられない︒

    屈 折 語 ︵ inflectional languages ︶と は︑ ﹁ 屈

ルル

語 ﹂︵ 屈

くつ

し 折

る る 語 ︶︑ すなわち 一 つの 単語 が︑ 文法上 の 関係 によって︑あたかも 折 れ 曲 がるご とく︑ 語形 に 変化 を 起 こす 言語 です︒ 印象 としては︑ 語句 がくねくね

4444

と 姿 を 変 えながら 進 んでゆく 感 じ︒ 英語 ・フランス 語 などがこれに 属 しま す︒た と え ば︑ 英 語 の 一 人 称 代 名 詞 と 動 詞 ︿ write ﹀の 基 本 三 形 を 思 い 出 してみてください︒

04 I my me ︵ 主格 ︶︱ ︵ 所有格 ︶︱ ︵ 目的格 ︶

05 write wrote written ︿ 現在形 ﹀︱ ︿ 過去形 ﹀︱ ︿ 過去分詞形 ﹀

φ

あります︒ 文字 どおり 古典的 な

0000

言語類型論 にすぎず︑ 言語 の 普遍的 な 性 質 を 探究 しようとする 現代 の

000

言語類型論 から 見 れば︑いささか 粗

あら

い 印象 を 否 めません︒しかし︑ 差 し 当 たりの 目安 としては︑ 少 なからず 有効 な 分類 で︑ 何 かと 便利 なことはたしかです︒この 三者 のほか︑ 第四 の 類型 として 抱

ほう

ごう

語 または 包

ほう

せつ

語 ︵ incorpolating ﹇ polysynthetic ﹈ languages ︶ と 呼 ばれる 言語 もありますが︑ 日本人 にはあまりに 馴染 みが 薄 く︑ 説明 を 試 みてもややこしいかぎり︑ 本論 の 内容 にもまったく 関係 しないので︑ ここでは 言及 しません︒

  孤立語 ︵ isolating ﹇ analytic ﹈ languages ︶とは︑ ﹁ 孤

語 ﹂︵ 孤

ひと

り 立

つ 語 ︶︑す な わ ち 単 語 が 一 つ ひ と つ 独 立 し て い て︑ま っ た く 語 形 変 化 を 起 こさず︑ 常 に 一定 の 形 で 現 れ︑その 品詞 や 文法機能 は 文中 の 位置 によっ てのみ 決 まるという 言語 です︒ 印象 としては︑ 語句 がぼこぼこ

4444

と 並 んで ゆく 感 じ︒ 中国語 ・タイ 語 などがこれに 属 し︑ 漢文 すなわち 古典中国語 もその 一 つにほかなりません︒

  たとえば︑ 古典中国語 の﹁ 書 ﹂という 単語 を 掲 げてみても︑これだけ では 名詞 ﹁ 書籍 ﹂の 意味 なのか︑ 動詞 ﹁ 書 く﹂の 意味 なのか︑わからず じまいでしょう︒けれども︑ 次 のように 文中 に 入 れば︑その 品詞 と 文法 機能 が 周囲 の 語 との 関係 によって 確定 できるのです︒ 参考 として︑ 訓読 文 ・ 書 き 下 し 文 を 示 しておきます︒

   

藝 ﹂を 目的語 とする︒ * ﹁ 書 ﹂は 動詞 で︑ ﹁ 書 く﹂ 意 ︒ 下接 する 名詞相当語群 ﹁ 其徳行道 = 書

其 徳行道藝

︵ 其 の 徳 行 道 藝 を 書 す︶ ︒

とくかうだうげいしよ

01 書其徳行道藝 ︒︵ ﹃ 周礼 ﹄ 地官 ・ 党正 ︶

02 桓公読書於堂上 ︒︵ ﹃ 荘子 ﹄ 天道 ︶

(3)

3

漢文訓読の初期条件︵初稿︶ ︹上︺   古田島洋介

るにすぎませんので︑どうか 安心 してください︒

  では︑ 右 を 踏 まえて︑ 漢文訓読 という 言語上 の 営為 を 可能 にした 諸条 件 を 考 えてゆくことにします︒

* * *

  当初 ︑ 日本人 が 漢文 すなわち 古典中国語 を 純然 たる 外国語 として 学習 しはじめたことに 間違 いはありません︒ 今日 の 私 たちが 英語 を 学 ぶのと 似 たような 状況 であったことでしょう︒もちろん︑ 現代 とは 異 なり︑ 辞 書 もなければ 参考書 もない︒けれども︑その 学習 の 順序 は︑ 今 とさして 違 わなかっただろうと 想 われます︒

  私 たちが 初 めて 英語 を 習 ったときのありさまを 思 い 出 してみてくださ い︒まずはアルファベット 二十六文字 の 名称 ・ 順序 と 書 き 方 を 覚 える︒ 次 に︑アルファベットを 組 み 合 わせた 単語 を 学 んで︑その 発音 を 習 い︑ さらに︑ 単語 の 排列法 つまり 文法 を 覚 える ︱ ざっと︑このような 手続 きが 外国語 の 学習 の 常道 かと 思 います︒そこで︑ 漢文 についても︑ 同様 の 学習過

セス

が 存在 したものと 考 え︑ 以下 ︑ 文字 ・ 単語 ︑ 発音 ︑ 文法 の 順 序 で 話 を 進 めることにしましょう︒ 文字 と 単語 を 切 り 離 さず︑ 両者 を 一 括 して 扱 う 理由 については 後述 します︒

文字・単語

  日本人 が 初 めて 出逢 った 文字 は︑ 漢字 という 表意文字 でした︒ 当初 は︑ 何 らかの 洒

落 た 紋様 か︑ 何 やら 怪 しげな 呪術 に 用 いる 記号 かと 思 ったや もしれません︒けれども︑ほどなく︑それが 文字 すなわち 言語 を 書 き 表 す 道具 だとわかり︑ 何 とか 意味 を 理解 しようと 努 めるとともに︑ほかに     もっとも︑ 現代英語 は︑ 屈折変化 がかなり 衰 えてしまったので︑まだ し も と 言 え ま し ょ う︒ ﹁ 行 く﹂ 意 の 動 詞 ︿ go ﹀な ど︑ 基 本 三 形 ︿ go ︱

went ︱ gone ﹀に 加 え て︑ 三 人 称 単 数 ・ 現 在 ︿ goes ﹀さ え 覚 え て お け ば︑ まず 間違 いなく 用 が 足 ります︒

  し か し︑フ ラ ン ス 語 と な る と︑そ う は ゆ か な い︒ 英 語 ︿ go ﹀に 相 当 す る フ ラ ン ス 語 の 動 詞 ︿ aller ﹀の 直 説 法 ︿ 現 在 形 ﹀ お よ び ︿ 単 純 未 来 形 ﹀を 示 してみましょう︒それぞれ /

スラツシユ

の 上 が︿ 現在形 ﹀︑ 下 が︿ 単純未 来形 ﹀です︒

   

ではありません︒ の 屈折 は︑むしろ 規則的 なほうで︑さらに 語形変化 が 複雑 な 動詞 も 皆無 aller 続 法 ︿ 現 在 形 ﹀︿ 半 過 去 形 ﹀ま で も あ る の で す︒ し か も ︑こ の︿ ﹀ が あ り︑そ の う え︑ 命 令 法 は お ろ か︑ 条 件 法 ︿ 現 在 形 ﹀︿ 過 去 形 ﹀や 接 法 だ け で も︿ 複 合 過 去 形 ﹀︿ 半 過 去 形 ﹀︿ 大 過 去 形 ﹀︿ 単 純 過 去 形 ﹀な ど aller し か も︑ 右 は︿ ﹀の 変 化 の ほ ん の 一 部 分 に す ぎ ず︑こ の ほ か に 直 説 go goes went み︒ ︿ ﹀が︿ ﹀や︿ ﹀に 変 身 す る ど こ ろ の 話 で は あ り ま せ ん︒ allons allez の 面 影 を と ど め る の は︑ 一 人 称 複 数 ︿ ﹀と 二 人 称 複 数 ︿ ﹀の   aller 一 瞥 し た だ け で︑ 意 気 阻 喪 す る の で は な い で し ょ う か︒ 原 形 ︿ ﹀

いちべつそう

         va / ira vont / iront 三人称 単数 複数        vas / iras allez / irez 二人称 単数 複数 06         vais / irai allons / irons 一人称 単数 複数

  もっとも︑ 右 のうち︑ 本稿 で 頻出 するのは︑ 孤立語 ・ 膠着語 の 二 つだ けです︒ 屈折語 については︑ 時 おり 英語 やフランス 語 の 平易 な 例 を 挙 げ

(4)

4

明星大学研究紀要︻人文学部・日本文化学科︼第二十七号 二〇一九年

    支

ぶん

︵ = 漢文 ︶の 朗読 は︑これを 棒

ばう

よみ

に 上 より 下 へよみ 下

くだ

し︑ 其

その

音 をも 支那音 ︵ = 中国語 の 発音 ︶にしてはじめて 其

その

法 を 得 たりと すべし︒ ︹ 中略 ︺ 兎

も 角

かく

も 棒読 だにせば︑ 文法語格 明

あきらか

ならむ︒ 見 よ︑ 今

こん

じん

の 洋文 ︵ = 英語 ・ドイツ 語 などの 西洋語 ︶を 読 むや︑ 決 して 一 字々

いち

に︵ = 単語 ごとに︶これを 邦語 ︵ = 日本語 ︶に 訳 して︑ 顚

てん

たう

して︵ = 語順 を 入 れ 換 えて︶ 読 むが 如

ごと

きことなきを︒

  されば 支那文 の 今 の 読

よみ

かた

︵ = 漢文訓読 ︶は︑まことはこれを 読 む にあらず︑ 語 を 逐

ひてこれを 訳 し︑ 意味 を 辿

たど

りつゝ

︑これを 声 に 発 す る の み︒わ が 西 洋 に あ り し と き︵ = 明 治 十 七 〜 二 十 一 年 ︹ 1884︲ 1888 ︺の ド イ ツ 留 学 中 ︶︑ 此

この

読 方 の こ と を 洋 人 ︵ = 西 洋 人 ︶に 知 ら せむとして︑ 坐

かん

これを 一

いち

の 学者 に 語 りしに︑ 皆未

の 奇談 な り と 称

とな

へ き︒ ︹ 中 略 ︺ 要 す る に 邦 人 ︵ = 日 本 人 ︶の 支 那 文 を 読 む 法 ︵ = 漢 文 訓 読 ︶は︑ 陰 の 仕 事 に て︑ 堂 々 と お も て 立 ち て な す べ き こ とにあら

︶7

ず︒

    趣意 はわかりやすいでしょう︒ ︱ 漢文 は︑ 書 かれた 語順 どおりに 中 国語 で 発音 してこそ﹁ 読 んだ﹂と 言 える︒それは︑ 英語 やドイツ 語 を 語 順 そのままに 原音 で 読 むのとまったく 同 じことだ︒ 漢文訓読 は︑ 一種 の 訳読法 にすぎず︑ 西洋人 の 目 には 奇異 な 読 み 方 としか 映 らない︒ 結局 の と こ ろ︑ 漢 文 訓 読 は︑ ﹁ 陰 の 仕 事 ﹂す な わ ち 個 人 的 な 営 み に と ど め る べ きものであり︑ 人前 で 行 ってみせるようなものではないのである︒ ︱ 幼 いころから 漢籍 の 素読 に 親 しみ︑ 多数 の 漢詩 をも 作 っていた 鷗外 がこ うした 漢文訓読観 を 記 していること 自体 ︑なかなか 興味深 いのですが︑ 今 は 先 を 急 ぎましょう︒ 文字 というものを 知 らない 以

︶3

上 ︑ 漢字 で 書 き 表 される 漢語 をそのまま 日 本語 のなかに 大量 に 採 り 入 れ ︑かつ ︱ ここが 肝腎 です ︱ 日本語 を 表 記 する 文字 としても 漢字 を 借用 しようと 決意 したのでした︒

  日本人 は︑ 表音文字 を 知 りませんでした︒もし 初 めて 目 にしたのがア ルファベット︿ A, B, C, D... ﹀のような 音素文字 であったならば︑また︑ ハングル︿ 가 ・ 나 ・ 다 ・ 라 ⁝⁝﹀のごとく 音素 を 音節 に 組 み 上 げる 文字 で あ っ た な ら ば︑お そ ら く 大 い に 事 情 が 異 な っ た こ と で し ょ う︒ ﹁ア ・ イ・ウ・エ・オ﹂は︿ a, i, u, e, o ﹀あるいは︿ 아 ・ 이 ・ 우 ・ 에 ・ 오 ﹀と 書 き︑ ﹁カ・キ・ク・ケ・コ﹂は︿ ka, ki, ku, ke, ko ﹀もしくは︿ 카 ・

키 ・ 쿠 ・ 케 ・ 코 ﹀などと 記 し︑ 甚 だ 難解 な 悉

しつ

たん

や 反

はん

せつ

の 研

︶4

究 を 経 ずとも︑ ただちに 子音 や 母音 の 共通性 に 着目 して 日本語 の 音韻 を 整理 し︑ 平安時 代末期 まで 時間 を 費 やすことなく︑すみやかに 五十音

︶5

図 の 類

たぐい

を 作成 でき たのではないかと 考 えます︒

  しかし︑ 幸 か 不幸 か︑ 日本人 が 初 めて 手 にした 文字 は︑ 表意文字 の 漢 字 でした︒ 子音 と 母音 を 分 かつことなく︑ 原則 として 一 つの 概念 または 事物 について 一字 が 対応 する 文字 です︒ 当然 のことながら︑その 数 は 優 に 二万字 を 超

︶6

え︑ 字形 ・ 筆画 の 複雑 なものも 少 なくありませんでした︒ 習得 は 困難 をきわめたはずです︒けれども︑ 日本人 にとって 唯一 の 文字 である 以上 ︑ 漢字 ・ 漢語 そのものを 学 ぶにとどまらず︑ 漢字 を 用 いて 日 本語 をも 書 き 表 そうと 腹 を 据 えるしかなかったのです︒

  ここで 一気 に 話 を 転 じ︑ 森鷗外 ︵ 一八六二 〜 一九一二 ︶が 書 き 残 した 漢文訓読 とドイツ 語訓読 とを 観察 してみましょう︒

  鷗外 は︑まず﹁ 朗読法 に 就 きての 争 ﹂と 題 する 一文 で︑ 次 のように︑ 漢 文 訓 読 を﹁ 陰

かげ

の 仕 事 ﹂と 呼 ん で い ま す︒ 文 中 ︑︵    ︶ 内 の 字 句 は 理 解 の 便 を 図 るための 注釈 ︑ 歴史的仮名遣 いのルビは 恣意 によるものです︒

(5)

5

漢文訓読の初期条件︵初稿︶ ︹上︺   古田島洋介

﹁でるくなあべ﹂ ﹁げすたあで﹂も︑すべてドイツ 語 の 発音 を 日本語 の 近 似音 に 置 き 換 えたもの︒たしかに︑ 漢文訓読 もドイツ 語訓読 も︑ 表面的 には 非常 によく 似 た 現象 です︒ 念 のため︑それぞれの 訓読文 を 示 してみ ましょう︒ドイツ 語 の 訓読中 ︑ ○ は 訳語 が 当 てられていない 単語 ︑つま り 漢文 にいう 置 き 字 のごとく 扱 われている 語 です︒

  日月隠

︑ 山岳潜

︑ 商旅不

︑ 檣傾

檝摧

ケタリ

︿ Es ﹀ ︿ laechelt ﹀

︿ der See ﹀ , ︿ er ﹀ ︿ ladet ﹀

︿ zum ﹀

︿ Bade ﹀ ,

○ わらひ でるぜえ ○ すゝむ を ばあど ︿ Der Knabe ﹀ ︿ schlief ein ﹀

︿ am ﹀

︿ gruenen ﹀ ︿ Gestade ﹀

でるくなあべ   ねふりぬ    に    みどりの   げすたあで     ﹁ば あ ど を す ゝ む﹂ ﹁み ど り の げ す た あ で に ね ふ り ぬ﹂に つ い て は︑ ︿ zum ﹀ ︿ am ﹀それぞれが 含 む 前置詞 に 助詞 ﹁を﹂ ﹁ に﹂を 充

ててみまし たが︑あるいは 今日 の 訓読 における 句中 の﹁ 於 ﹂のごとく 置 き 字 =○ と し︑ 左 のように 返 り 点 を 打 つほうがよいかもしれません︒

  ︿ ladet ﹀

︿ zum ﹀ ︿ Bade ﹀

すゝむ    ○   ばあどを ︿ schlief ein ﹀

︿ am ﹀ ︿ gruenen ﹀ ︿ Gestade ﹀

ねふりぬ   

○ みどりの げすたあでに

  いずれにせよ︑こうしたドイツ 語訓読 が︑ドイツ 語 の 読 み 方 として 邪 道 の 極 みであることはたしかでしょう︒そうだとすれば︑ 漢文訓読 とて   鷗 外 は︑ 右 の よ う な 漢 文 訓 読 観 を 踏 ま え︑ ﹃ 山 房 拊 掌 談 ﹄に 収 め た 一 文 ﹁ 掲帝掲帝 を 三下 り﹂で︑ 左 のごとく 漢文訓読 とドイツ 語訓読 とを 披 露 し て い ま す︒ 右 傍 線 は 原 文 マ マ︑ ︵    ︶ 内 の 字 句 は 注 釈 ︑ 恣 意 に 歴 史的仮名遣 いでルビを 附 け︑ 適宜 に 引用符 を 加 えておきます︒

  顚

てん

たう

して︵ = 語順 を 入 れ 換 えて︶ 支

ぶん

︵ = 漢文 ︶を 読 むべくば︑ 独

逸文 も 争

いか

でか 顚倒 して 読 むべからざらむ︒ 若

もし

﹁ 日月隠曜 ︑ 山岳潜 形 ︑ 商旅不行 ︑ 檣傾檝摧 ﹂を﹁ 日月 ひかりをかくし︑ 山岳 かたちを ひ そ め︑ 商 旅 ゆ か ず︑ 檣 か た ぶ き 檝 く だ け た り﹂と 読 む べ く ば︑ “ Es laechelt der See, er ladet zum Bade, Der Knabe schlief ein am gruenen Gestade ” を も﹁で る ぜ え わ ら ひ︑ば あ ど を す ゝ

む︑で る くなあべみどりのげすたあでにねふ

りぬ﹂とも 読 むべきならむ︒ 唯

ただ

く 外国 の 文 を 味

あぢは

はむとおもふものは︑ 原音 のままにて 真

まつ

すぐ

に 読

よみ

くだ

すべきの

︶8

み︒

    甚 だ 面白 い 一節 で︑ 鷗外 は︑ 漢文訓読式 にドイツ 語 を 訓読 してみせる ことによって︑ 漢文訓読 がいかに 不自然 な 読 み 方 であるかを 指摘 してい ます︒ 漢文 ﹁ 日月隠曜 ⁝⁝﹂は︑ 名文 として 知 られる︹ 宋 ︺ 范

はんち

ゆう

えん

﹁ 岳

がく

よう

ろう

のき

﹂の 一

︶9

節 ︒また︑ドイツ 語 “ Es laechelt..., Der Knabe... ” は︑シラ ー J. C. Friedrich von Schiller ︵ 1759︲1805 ︶の 名高 い 戯曲 ﹃ヴィルヘル ム ・ テ ル﹄ Wilhelm Tell の 冒 頭 ︑す な わ ち 第 一 幕 第 一 場 の 最 初 の 二 行 です︒

  漢文 のうち︑ 右傍線 の 附 いた﹁ 日

にち

げつ

﹂﹁ 山

さん

がく

﹂﹁ 商

しや

うりよ

﹂﹁ 檣

しやう

﹂﹁ 檝

しふ

﹂は︑ いずれも 音読 みの 語 ︑つまり 中国語 の 発音 が 日本風 に 訛

なま

ったものです︒ それに 対応 して︑ 右傍 線 が 加 えられたドイツ 語 の﹁でるぜえ﹂ ﹁ ばあ

︶₁₀

ど﹂

(6)

6

明星大学研究紀要︻人文学部・日本文化学科︼第二十七号 二〇一九年

いずれも 意味 がさっぱりわからず︑つまり 日本語 としてまったく 通用 せ ず︑よほどドイツ 語 に 慣 れていなければ︑いや︑たとえ 慣 れていたとし て も︑ ﹁で る ぜ え﹂ ﹁で る く な あ べ﹂の﹁で る﹂が ド イ ツ 語 の 定 冠 詞 ︿ der ﹀だと 見抜 けなければ︑ 何 が 何 やら 理解 できずに 終 わってしまうで しょう︒

  では︑ 第二段階 として︑ 今度 は 書 き 下 し 文 を 見 てみましょう︒そもそ もドイツ 語 には 書 き 下 し 文 など 存在 しませんが︑ここでは 語順 を 入 れ 換 えて 読 んだ 結果 ︑すなわち 鷗外 が 記 した 読法 を 書 き 下 し 文 として 扱 いま す︒

にち

げつ

ひかり

を 隠

かく

し︑ 山

さん

がく

かたち

を 潜

ひそ

め︑ 商

しやう

りよ

かず︑ 檣

しやう

かたぶ

き 檝

げき

くだ

けたり︒ でるぜえわらひ︑ばあどをすゝ

む︑でるくなあべみどりのげすたあ でにねふ

りぬ   鷗外 の 示 した 漢文 の 書 き 下 し 文 は︑ 訓読 みの 語 すなわち 和語 をすべて 平仮名 で 表記 していましたが︑その 穏 やかめかした 見 かけに 幻惑 されて は な り ま せ ん ︒ 右 の よ う に︑ 訓 読 み に も 漢 字 を 用 い て﹁ 曜

ひかり

﹂﹁ 隠

かく

す﹂ ﹁ 形

かたち

﹂﹁ 潜

ひそ

む﹂ ﹁ 行

く﹂ ﹁ 傾

かたぶ

く﹂ ﹁ 摧

くだ

く﹂の ご と く 記 せ ば︑ 立 派 に 日 本 語 と して 成立 します︒ 否定 の 副詞 ﹁ 不 ﹂だけは︑ 打消 の 助動詞 ﹁ず﹂を 充 て て 読 むため︑ 仮名書 きになっていますが︒

  ところが︑ドイツ 語 の 訓読文 ﹁でるぜえわらひ︑ばあどをすゝ

む︑で るくなあべみどりのげすたあでにねふ

りぬ﹂は︑やはり 意味不明 のまま です︒なるほど︑ ﹁わらふ﹂ ﹁すすむ﹂ ﹁みどりの﹂ ﹁ねぶりぬ﹂は︑いず れも 日本語 ですから︑ 意味 は 了解 できます︒しかし︑それはドイツ 語 を 日本語 に 訳 した 語句 だからこそわかるのであって︑ 決 してドイツ 語 を 訓 同 じく 邪道 そのもの︑ 漢文 の 読 み 方 として︑とうてい 認 められるわけが ありません︒ 鷗外 の 主張 には︑それなりに 説得力 があると 考 えてよいは ずです︒   けれども︑その 一方 で︑ 何 か 騙

だま

されているような 気 になるのもたしか ではないでし ょうか︒ 漢文訓読 とドイツ 語訓読 がまったく 同 じはずはな い ︑と︒そこで︑ 気 を 取 り 直 し︑ 改 めて 両者 を 吟味 してみることとしま す︒   一 つひとつの 単語 に 日本語 を 充 て︑ 原文 の 語順 を 日本語 の 語順 に 入 れ 換 える ︱ この 二 つの 作業 は︑ 紛 れもなく 両者 に 共通 しています︒しか し︑それぞれの 作業 をよくよく 考 えてみれば︑ 結果 として 大 きな 差異 が 生 じていることは 否定 できないでしょう︒

  第一段階 として︑それぞれの 訓読 のなかで︑ 鷗外 が 右傍線 を 附 けた 語 句 を 再掲 してみましょう︒

  日

にち

げつ

  山

さん

がく

  商

しや

うりよ

  檣

しやう

  檝

しふ

でるぜえ   ばあど   でるくなあべ   げすたあで     日本風 に 訛 った 発音 で 漢文 ・ 独文 を 読 んでいる 点 は︑たしかに 共通 し ています︒けれども︑ 各語句 をそのまま 日本語 として 使 えるかどうかと なれば︑ 雲泥 の 差 があると 言 ってよいでしょう︒ ﹁ 日月 ﹂﹁ 山岳 ﹂は 日本 語 の 常 用 語 彙 で す し︑ ﹁ 商 旅 ﹂も︑ 字 面 を 見 れ ば︑お お よ そ の 意 味 は 見 当 が つ く ︒さ す が に﹁ 檣 ﹂﹁ 檝 ﹂は 難 し い で す が︑そ れ は 音 読 み し て い るからで︑ ﹁ 檣

ほばしら

﹂﹁ 檝

かぢ

﹂と 訓読 みすれば︑ただちに 意味 が 了解 できるは ずです︒

  それに 対 し︑ ﹁でるぜえ﹂ ﹁ばあど﹂ ﹁でるくなあべ﹂ ﹁げすたあで﹂は︑

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漢文訓読の初期条件︵初稿︶ ︹上︺   古田島洋介

breakfast ﹀を 頻繁 に 使 った 結果 ︑アメリカの 一部 で︿ before breakfast ﹀ が 英語 の 表現 に 昇格 したのも 一種 の 借用現象 です︒ 日本 の﹁ 柿 ﹂がイタ リ ア に 輸 入 さ れ︑ 初 め は 日 本 語 の ま ま︿ c

achi ﹀と 呼 ん で い た も の の︑ 語 尾 ︿ -i ﹀が イ タ リ ア 語 で は 複 数 形 に 聞 こ え る た め︑ ﹁ 柿 ﹂ 一 個 の と き は︿ c

aco ﹀と 言 う よ う に な っ た の も︑ 自 国 語 へ の 加 工 の 結 果 で し ょ う︒ むろん︑ヨーロッパ 語 どうしでも︑こうした 借用 は 枚挙 に 遑

いとま

なし︒たと えば 英語 の 言 い 回 し︿ it goes without saying that... ﹀︵〜は 言 うまでも ない︶が︑フランス 語 ︿ il va sans dire que... ﹀の 直訳表現 であることは︑ 誰 の 目 にも 明 らかだろうと 思 います︒

  けれども︑ 語彙 ・ 表現 を 文字 ・ 表記 もろとも 借用 したのかとなれば︑ 話 は ま っ た く 異 な り ま す︒ ﹁ 空 手 ﹂﹁ 津 波 ﹂は ア ル フ ァ ベ ッ ト︿ karate ﹀ ︿ tsunami ﹀に 姿 を 変 え て い ま す し︑ア メ リ カ 人 が﹁ 朝 飯 前 ﹂を そ の ま ま 記 し︑ 語 順 を 入 れ 換 え て﹁ 朝

飯 前

﹂と 読 む こ と な ぞ 想 像 も で き ま せ ん︒ ﹁ 柿 ﹂も︑ 単 数 形 ︿ caco ﹀に せ よ︑ 複 数 形 ︿ cachi ﹀に せ よ︑ア ル フ ァ ベ ッ ト で 綴 る こ と に 変 わ り は な く︑ 決 し て︿ un 柿 o ﹀︵ 柿 一 個 ︶ だの︿ tre 柿 i ﹀︵ 柿三個 ︶だのとは 記 しません︒フランス 語 ︿ il va sans dir e q ue ... ﹀ を そ の ま ま 英 語 で ︿ il v a s an s d ire q ue ... ﹀ と 発 音 す る こ と など 考 えられもしないでしょう︒

  しかし︑ 右 に 挙 げたような 奇妙 な 借用 を︑ 私 たち 日本人 は 漢字 ・ 漢語 に 対 して 大量 に︑ 組織的 に 行 ったのでした︒ 言 い 換 えれば︑すべての 漢 字 ・ 漢語 が 日本語 に 対 して 開 かれているということになります︒これを ︽ 文字 ・ 語彙大量借用律 ︾と 呼 んでおきましょう︒

  しか も︑そこには 漢字 ならではの 特殊事情 が 存在 しました︒それは︑ 原 則 として︑ 一 つの 文字 がそのまま 一 つの 単語 に︑いや︑たいていは 二 つ 以上 の 単語 に 相当 することです︒これは︑ 学 ぶ 側 からすれば︑なかな

イツトゴウズウイズアウトセイイングザツト

読 み し た も の で は あ り ま せ ん︒ ︿ laecheln ﹀︵ ︿ laechelt ﹀の 原 形 ︶を ﹁ l

aecheln ふ﹂と 訓 ず る 習 慣 は な く︑ ︿ laden ﹀︵ ︿ ladet ﹀の 原 形 ︶を ﹁ l

aden む﹂と 訓 読 み す る 約 束 事 も あ り ま せ ん︒ 同 じ く︿ gruenen ﹀を ﹁ g

ruenen の﹂と 発音 する 習慣 もなければ︑ ︿ einschlafen ﹀︵ ︿ schlief ein ﹀ の 原 形 ︶を﹁ e

inschlafen る﹂と 読 む こ と も あ り 得 な い︒ 漢 字 ・ 漢 語 と 異 なり︑ドイツ 語 の 語句 には︑ 訓読 みが 存在 しないので

︶₁₁

す︒

  以上 で︑ 漢文訓読 とドイツ 語訓読 との 相違 は 明 らかだろうと 思 います︒ 漢字 ・ 漢語 は︑ 音読 みするにせよ︑ 訓読 みするにせよ︑ 字面 そのままに 日 本語 に 取 り 入 れることができる︒けれども︑ドイツ 語 の 単語 は︑ 日本 語 に 訳 して︑ 漢字 または 仮名 で 表記 しなければ︑とても 日本語 として 通 じるものではない︑ということです︒ 言葉 を 換 えれば︑ 漢文 の 語彙 は︑ そのまま 日本語 として 採用 できるが︑ドイツ 語 の 語彙 は︑ 日本語 に 訳 し て︑ 日本語 の 表記 に 馴染 むよう 加工 を 施 さなければ︑とても 日本語 にな らない︑となるでしょう︒この 事情 は︑ 独文訓読 のみならず︑ 実 は 蘭文 訓読 ・ 英文訓読 などにも 当 てはまります︒

  このように 見 てくれば︑ 漢文訓読 が 可能 になった 根底的 な 条件 は 明 ら かでしょう︒それは︑ 中国 の 漢字 ・ 漢語 を 大量 に 借用 して︑ 日本語 の 語 彙 とすると 同時 に︑ 日本語 を 表記 する 文字 としても 用 いようとした 決意 ︑ すなわち 漢字 ・ 漢語 を 自家薬籠中 の 物 とせんとする 意志 にほかなりませ ん︒

  外国語 の 借用 そのものは︑ありふれた 現象 で︑おそらくどの 言語 にも 見 られ ることでしょう︒また︑それを 自国語 に 合 うように 使 いこなすの も ︑ 決 して 珍 しい 現象 ではありません︒ 日本語 ﹁ 空手 ﹂﹁ 津波 ﹂などは︑ そ の ま ま 英 語 ︿ karate ﹀︿ tsunami ﹀と し て 立 派 に 通 用 し ま す し︑ 日 本 の ビ ジ ネ ス マ ン︵こ れ も 英 語 か ら の 借 用 語 ︶が﹁ 朝 飯 前 ﹂の 直 訳 ︿ before

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明星大学研究紀要︻人文学部・日本文化学科︼第二十七号 二〇一九年

組 み 合 わせを 記憶 せねばならず︑しかも︑ 英語 は︑ 発音 と 綴 りの 対応 が 混乱 をきわめているため︑ 発音 できるからといって︑ 正確 に 綴 れる 保証 はありません︒ところが︑ 実際 はどうか︒ちょっと 英語 ができる 人 なら ば︑ ︿ laugh ﹀を︿ lauf ﹀だ の︑ ︿ height ﹀を︿ hight ﹀だ の と 綴 り は し な い で し ょ う し︑ ︿ doctor ﹀や︿ prior ﹀を︿ docter, prier ﹀と 記 す こ と も ないでしょう︒ 何事 も︑やる 気 さえあれば 何 とかなる︒まさに︿ Where thereʼs a will, thereʼs a way. ﹀です︒

  すでに 日本語 の 表記体系 ができあがっているうえに 英語 を 学 ぶ 場合 で も︑こうした 実情 なのですから︑ましてや 自 らの 日本語 を 表記 する 文字 として 漢字 を 学 び︑ 漢語 をも 語彙 に 加 えようとした 日本人 にとって︑ 習 得 の 苦労 なぞ 何 のその︑ひたすら 漢字 を 学 び︑どしどし 漢語 を 語彙 に 加 え ていったに 違 いありません︒

  漢字 を 日本語 の 表記文字 として 大量 に 借用 し︑なおかつ︑ 漢語 をも 日 本語 の 語彙 として 大量 に 借用 しようと 決意 したこと ︱ この︽ 文字 ・ 語 彙大量借用律 ︾こそが 漢文訓読 を 支 える 基底条件 であったと 考 えてよい でしょう︒

  

  大量 の 漢字 ・ 漢語 を 借用 しようと 決意 した 日本人 のまえに 立 ちはだか ったのは︑ 発音 の 問題 です︒ 漢字 は 表意文字 とはいえ︑ 意味 だけわかっ て 発音 できないのでは︑ 甚 だ 精神衛生 に 悪 い︒ 日本人 は︑この 問題 に 対 して 二種 の 方法 で 立 ち 向 かいました︒ 言 わずと 知 れた 音読 みと 訓読 みで す︒ か 有 利 な 条 件 と 言 え ま し ょ う︒た と え ば︑ ﹁ 書 ﹂と い う 字 を 覚 え れ ば︑ ﹁かく﹂ ﹁ほん﹂ ﹁てがみ﹂ ︵ =write, book, letter ︶などの 意味 を 書 き 表 す こ と が で き ま す し︑ ﹁ 我 ﹂を 習 え ば︑ ﹁わ れ は﹂ ﹁わ が﹂ ﹁わ れ を﹂ ︵ =I, my, me ︶の い ず れ を も 書 け る こ と に な り ま す︒ む ろ ん ︑ 字 を 学 ん だ だ けでは 語彙 が 足 りず︑ ﹁ 書 ﹂ならば︑ ﹁ 書写 ﹂﹁ 書籍 ﹂﹁ 書簡 ﹂などの 熟語 も 覚 える 必要 があり︑ ﹁ 我 ﹂についても︑ 他 の 一人称代名詞 ﹁ 吾 ﹂﹁ 予 ﹂ ﹁ 余 ﹂や﹁ 朕 ﹂をわきまえたうえで︑ ﹁ 我欲 ﹂﹁ 吾人 ﹂﹁ 余輩 ﹂などの 熟語 をも 知 らねばなりません︒たしかに 漢字 は 数 が 多 く︑それを 組 み 合 わせ た 熟語 も 膨大 な 数 に 達 します︒ 加 えて︑ ﹁ 不得已 ﹂︵ 不

ムヲ

= 已

むを 得

ず︶の よ う に 三 字 か ら 成 る 表 現 も あ り ま す し︑ ﹁ 傍 若 無 人 ﹂︵ 傍

ラニ

キガ

人 = 傍

かたは

らに 人

ひと

きが 若

ごと

し︶のような 四字成語 も 多数 にのぼります︒ しかし︑ 漢字 を 日本語 の 表記 に 用 い︑その 語彙 をも 借用 しようと 決 めた からには︑どれほど 苦 しかろうと︑ 日本人 は 漢字 ・ 漢語 の 習得 に 励 んだ はずです︒そして︑その 気 になりさえすれば︑ 漢字 ・ 漢語 を 習得 する 負 担 は︑ 今日 の 私 たちが 想像 するほど 重 くはなかったのかもしれません︒

  今日 ︑ 英語 を 習得 するのは︑た しかに 難 しい︒アルファベット 二十六 字 を 覚 え た と て ︑ 英 語 で 一 字 が そ の ま ま 一 単 語 に な る の は︑ ︿ a ﹀︵ 不 定 冠 詞 ︶︑ ︿ I ﹀︵ 一 人 称 代 名 詞 ︶︑ ︿ O ﹀︵ 感 嘆 詞 ﹁あ あ︑お お﹂ ︶く ら い な も の︑ 無 理 を し て も︿ Z ﹀︵ 鼾

いびき

の 音 ︶ま で 含 め る の が や っ と で し ょ う︒ E メールで 用 いる CUL ︵ =see you later ︶の C ︵ =see ︶や U ︵ =you ︶の 類 を 正 式 の 単 語 と 認 め る こ と は で き ま す ま い︒ま た π ︵ 円 周 率 ︶や e ︵ 自 然 対 数 の 底 ︶な ど の 記 号 は も ち ろ ん の こ と︑ Q ︵ =question ︶ and A ︵ = answer ︶や the three Rʼs ︵ = reading, writing, arithmetic /いわゆ る﹁ 読 み 書 き 算盤 ﹂︶に 見 られる 略号 ︿ Q, A, R ﹀の 類 も︑やはり 正規 の 単語 とは 言 えないでしょう︒ 単語 を 覚 えるには︑そのアルファベットの

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漢文訓読の初期条件︵初稿︶ ︹上︺   古田島洋介

  ﹃ 源 氏 物 語 ﹄ 少

女 巻 に︑ 光 源 氏 が 元 服 し た 息 子 の 夕 霧 を 大 学 寮 に 入 れ て 漢学 を 修 めさせようとする 場面 が 出 てきます︒ 光源氏 は︑ 夕霧 を 右 の よ う な 厳 し い 漢 学 の 修 業 に さ ら そ う と 決 意 し た の で す︒そ れ は︑ ﹁な ほ 才

ざえ

を も と と し て こ そ︑ 大

和 魂

だましひ

の 世 に 用 ゐ ら る る 方

かた

も 強 う 侍

はべ

︶₁₄

め﹂と い う 考 えからでした︒

  とはいえ︑ 遣唐使 が 八三八年 の 派遣 を 最後 として︑ 八九四年 には 制度 そのものが 廃止 され︑ 中国人 の 音博士 の 人材確保 が 難 しくなったため︑ 次第 に 中国語 の 発音 が 怪 しくなっていったのは 避 けがたい 事態 だったこ とでしょう︒ 唐 に 留学 した 学僧 ・ 学生 たちの 発音 も︑しだいに 日本風 に 変 わってしまったに 違 いありません︒ 最終的 には 一一七七年 の 京都大火 で 大学寮 も 焼失 した 結果 ︑ 日本人 は 中国語 の 発音 を 学 ぶ 公的 な 場 を 失 っ てしまいました︒むろん︑ 日本人 とは 言 っても︑ほぼ 貴族 に 限 られる 話 で ︑その 後 ︑ 日宋貿易 のルートなどを 通 じて︑ 中国 に 渡 った 僧侶 たちも いたわけですが︒

  けれども︑ 推測 するに︑ 漢字 の 発音 は︑ずっと 早 くから︑おそらくは 中国語 の 発音 を 習 うのとほぼ 同時 に︑すでに 発音 の 日本化 が 始 まってい たのではないでしょうか︒それは︑ 現代 の 我々 が 英語 の 単語 をどのよう な 発音 で 借用 しているかを 見 れば 明 らかだろうと 考 えます︒

  たとえば︑アメリカの 地名 ﹁カリフォルニア﹂です︒ 我々 は 英語 の 知 識 と し て︿ California ﹀が /kæ`l ə fɔ́:rnja/ と 強

スト

レス

ア ク セ ン ト を 以 て 発 音 さ れ る こ と を 知 っ て い る︒ 英 文 を 読 ん で い る な か で︿ California ﹀が 出 て く れ ば︑ 当 然 ︱ 上 手 か 下 手 か は さ て お き ︱ /kæ`l ə fɔ́:rnja/ と 発 音 し ま す︒ 実 際 ︑ 私 の 知 る か ぎ り︑ /kæ`l ə fɔ́:rnja/ の 第 一 ア ク セ ン ト が 置 か れ る /fɔ́:r/ は か な り 強 く︑あ る 若 い ア メ リ カ 人 女 性 に 出 身 地 を 尋 ね た と き︑そ の 女 性 の 答 え は ︑ 早 口 で あ っ た せ い も あ り︑ほ と ん ど /fɔ́:r/ し か ア   音 読 み

  漢字 ・ 漢語 を 大量 に 借用 しようと 決 めた 以上 ︑まずは 漢字 ・ 漢語 を 学 ばなければなりません︒そして︑ 学 ぶからには︑なるべく 中国語 の 原音 に 忠実 な 発音 を 心 がけるのが︑ 今日 の 常識 に 照 らしても 当然 のことでし ょう︒ 実際 ︑ 古人 は︑ 中国人 の 先生 から 発音 を 習 い︑ 日本人 の 先生 から 解釈 を 学 んでいたのです︒つまり︑ネイティヴ・スピーカーの 教師 につ いて 発音 を 教 わり︑ 日本人 の 教師 から 解釈 を 説明 してもらう ︱ これは 現代 の 外国語教育 とまったく 同 じと 言 って 差 し 支 えありません︒

  具体的 には︑ 律令制 のもとで 存在 した 大学寮 という 官僚養成機関 での 話 です︒ 音

こえ

のは

かせ

と 呼 ばれる 中国人 の 教員 が 発音 を 教 え︑ 日本人 の 教員 が 解釈 を 担当 していました︒ 遣隋使 ・ 遣唐使 の 派遣 により︑この 正式 な 外 交 ルートを 通 じて 中国人教員 を 確保 できたので

︶₁₂

す︒

  大学寮 では︑ 厳 しい 試験 が 行 われていました ︒ 発音 については︑ 帖

じよう

けい

と 呼 ばれる 試験 が 実施 されます︒ 帖経 とは︑ 経

けい

しよ

︵ 儒教 の 聖典 に 当 たる 書物 ︶の 一部 を 附箋 で 隠 し︑その 隠 された 文字 を 答 えさせる 試験 です︒ 経書 のなかから 一千字 を 選 んで︑そのうちの 三字 を 隠 し︑それを 中国語 で 正確 に 暗誦 できるかが 試 されました︒また︑ 解釈 については︑ 二千字 のなかから 一箇所 を 選 び︑その 大意 を 正 しく 説明 できるかが 問 われまし た︒そ れ ぞ れ 三 題 を 課 し︑ 全 問 ま た は 二 題 が 正 解 な ら ば 合 格 で す が︑ ︑ 一題 しかできなければ︑あるいは︑ 三題 すべてが 不正解 ならば︑その 怠 け 具合 に 応 じて 笞

むち

打 ちの 罰 が 科 されま

︶₁₃

す︒もし 今日 の 大学 でこのような 試験 を 実施 したら︑ 文字 どおりの 大騒 ぎ︑たぶん 漢文 の 担当教員 は 血祭 りに 上 げられ︑ 有無 を 言 わせず 懲戒解雇 になってしまうでしょう︒

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うのがふつうかと 見受 けます︒

  右 と 似 たような 事情 が 漢字 ・ 漢語 の 発音 にも 当 てはまるのではないで しょうか︒ 中国語 の 発音 をそのまま 日本語 に 持 ち 込 んだのでは 具合 が 悪 い︒ 中国語 として

000000

発音 を 学 ぶときは︑もちろん 中国語 の 発音 を 正確 に 再 現 しようと 努 めたことでしょう︒しかし︑ 漢語 を 日本語 の 語彙 として 借 用 しようと 決意 した 以上 ︑ 日本語 としては

0000000

当然 のごとく 日本風 の 発音 に 改 めて 口 にしたものと 推測 します︒

  この 推測 を 強 くするのは︑ 現今 の 地図帳 における 中国 の 地名 の 表記 で す︒ 何 とか 現代中国語 の 標準語 ︵いわゆる 普

プートンホワ

通話 ︶に 近 づけようと 片仮 名表記 がほどこされ︑ 該当 する 漢字 が 後方 のカッコ 内 に 添 えられている のですが︑ 実 のところ︑その 片仮名表記 は︑ 原音 には 程遠 い 日本風 その ものの 発音 を 何 の 工夫 もなく 記 しているだけで︑まったく 役 に 立 ちませ ん︒ /n/ と /ng/ の 区 別 も な く︑ ﹁ 山 東 ﹂ Shan ¹dong ¹ や﹁ 南 昌 ﹂

Nan ²chang ¹ を︑ ﹁シ ャ ン ト ン﹂だ の﹁ナ ン チ ャ ン﹂だ の と 発 音 し て み て も︑ 決 し て 中 国 人 に は 通 じ な い で し ょ う︒ ﹁ 成 都 ﹂の﹁ 成 ﹂ Cheng ² と ﹁ 重 慶 ﹂の﹁ 重 ﹂ Chong ² は︑ 互 い に 発 音 が 異 な る の に︑い ず れ も﹁チ ョ ン﹂と 記 し︑ ﹁ 成 都 ﹂が﹁チ ョ ン ト ゥ ー﹂ ︑﹁ 重 慶 ﹂が﹁チ ョ ン チ ン﹂で は︑ 中 国 語 も 何 も あ っ た も の で は な い︒か つ て﹁ 成 都 ﹂が﹁チ ョ ン ツ ー﹂と 記 されていたことを 想 えば︑ ﹁ 都 ﹂ du ¹ が﹁ツー﹂から﹁トゥー﹂ になっただけ 進歩 したとも 言 えますが︑まったく 中国人 に 通 じない 点 で は 五十歩百歩 でしょう︒しかも︑ 何 とか 標準中国語音 に 近 く 表記 しよう と す る 方 針 が 一 貫 し て い る な ら ば と も か く︑ ﹁ 北 京 ﹂ Bei ³jing ¹ や﹁ 南 京 ﹂ Nan ²jing ¹ は︑ 昔 な が ら に﹁ペ キ ン﹂ ﹁ナ ン キ ン﹂と 記 さ れ て い る の ですから︑ 何 をか 言 わんやです︒どうせ 通 じないまでも︑せめて 基本方 針 に 殉 じ て ︵﹁ 準 じ て﹂で は あ り ま せ ん︶ ︑﹁ 北 京 ﹂は﹁ペ イ チ ン﹂ ︑﹁ 南 聞 こ え ず︑ ︿ California ﹀だ と わ か る ま で 数 秒 を 要 し た 経 験 も あ り ま す︒ 英語 の 強弱 アクセントは︑ 日本人 の 耳 には 甚 だ 聴 き 取 りづらいのです︒

  けれども︑ 日本語 のなかで﹁カリフォルニア﹂を 言 うときは︑どうで し ょ う か︒ ﹁カ リ フ ォ ル ニ ア で は ワ イ ン 造 り が 盛 ん ら し い﹂と い う 一 文 を 口 に す る と き︑ ﹁ /kæ`l ə fɔ́:rnja/ で は ⁝⁝﹂と 発 音 す る で し ょ う か︒ 英 米人 をはじめとする 外国人 であればいざ 知 らず︑ 日本人 ならば︑どれほ ど 英語 が 達者 であろうと︑ 日本語 になじむよう 母音 を 差 し 挟 み︑ 高

低 ア ク セ ン ト を 用 い て︑ 誰 も が﹁カ リ フ ォ ル ニ ア /kariforunia/ で は ⁝⁝﹂ ︵ 左 傍 線 = 低 ︑ 右 傍 線 = 高 ︶と 発 音 す る で し ょ う︒ ﹁フ ォ﹂が 不 得 意 な 人 な ら ば︑ ﹁カ リ ホ

0

ル ニ ア﹂と 言 う か も し れ ま せ ん︒ 末 尾 の﹁ア﹂を 露 骨 に﹁ヤ﹂と 発音 する 向 きも 多 いでしょう︒ 実際 ︑それでも 日本語 とし

00000

て は

00

十 分 に 通 じ る の で す︒ ﹁ワ イ ン﹂の よ う な 短 い 単 語 で さ え ︑ 日 本 語 の な か で 発 音 す る と な れ ば︑ /wáin/ で は な く︑ /

/w/ /h/ / な い た め︑ 何 と な く と の 中 間 の よ う な 音 /w/ て い る 人 が 大 半 で は な い で し ょ う か︒ 語 頭 の で し っ か り 唇 を 丸 め Φ áiŋ/ の ご と く 発 音 し Φ / に な り︑ 語 末 の /n/ も つ い 鼻 に 抜 け て /ŋ/ と な っ て し ま う ︱ 明 治 維 新 か ら 約 百 五 十 年 を 経 ても︑これが 日本人 の 日本語 として

000000

話 す 英語 の 実情 かと 思 います︒

  右 は︑ 外国語 からの 借用語 すなわち 外来語 にあまねく 共通 する 事情 だ ろ う と 考 え ま す︒ ﹁ア ル バ イ ト﹂が ド イ ツ 語 Arbeit だ と わ か っ て い て も︑ 誰 も 日 常 会 話 の な か で /árbait/ と は 発 音 し ま せ ん︒ 母 音 /u/ や /o/ を 補 い︑ 高 低 ア ク セ ン ト で﹁ア ル バ イ ト /arubaito/ ﹂と 発 音 し て こ そ 日 本語 の 生理 に 合 うわけです︒ 朝鮮民族 の 漬 け 物 ︿ 김

キム

﹀も 然

しか

り︒ 唐辛子 で 真 っ 赤 に 漬 け 込 ま れ た 白 菜 キ ム チ を 食 べ な が ら︑ /gimchʼi/ と 発 音 す る 向 き は 皆 無 で し ょ う ︒ 破 裂 音 を 語 頭 に も 用 い︑さ ら に 母 音 /u/ を も 補 っ て﹁キ ム チ /kʼimuchi/ ﹂︵ 敢 え て ハ ン グ ル で 記 せ ば︿ 키

﹀︶と 言

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漢文訓読の初期条件︵初稿︶ ︹上︺   古田島洋介

  けれども︑この 訓読 みという 言語現象 は︑きわめて 特殊 な 性質 を 帯 び ているのです︒ 漢字 という 外国語 の 単語 を 持 ち 来 たって︑それに 相当 す る 自国語 の 単語 を 探 す ︱ 要 するに︑ 外国語 を 自国語 に 翻訳 するわけで すから︑ここまでは︑どの 言語 にも 見 られるありふれた 作業 です︒とこ ろが︑その 自国語 の 単語 を︑ 当 の 外国語 の 単語 の 読 みとして︑つまり 発 音 としても 用 いる ︱ これが 訓読 みの 特殊性 なのです︒

  朝鮮民族 は︑ 日本 と 同 じく︑ 中国 から 大量 の 漢字 ・ 漢語 を 借用 しまし た︒ 現在 の 朝鮮半島 は︑ほぼハングルの 専用状態 ですが︑もと 漢語 であ った 単語 を 漢字 で 表記 すれば︑その 比率 は︑ 日本語 における 漢語 の 比率 をも 上回 ると 言 われているほどです︒ 旅行 でソウルを 訪 ねた 経験 があれ ば︑ 誰 しも﹁なぜ 漢字 で 書 いてくれないのか﹂と 嘆 いた 経験 があること でしょう︒ 事実 ︑ハングルで﹁ 약 ﹂だの﹁ 은행 ﹂だのと 書 かれた 看板 を 見 て も チ ン プ ン カ ン プ ン で す が ︑も し 漢 字 で﹁ 薬 ﹂﹁ 銀 行 ﹂と 記 し て あ れ ば︑す ぐ﹁あ そ こ が 薬 局 だ な﹂ ﹁こ っ ち が 銀 行 か﹂と わ か り ま す︒ま た︑ ﹁ 소화기 ﹂では︑ 何 のことやらわからなくとも︑ ﹁ 消火器 ﹂と 書 いて お い て く れ れ ば︑ 見 た と た ん︑ ﹁な る ほ ど︑そ れ で 赤 い 箱 に 入 っ て い る んだな﹂と 納得 できるわけです︒こうした 例 は︑ 枚挙 に 遑

いとま

がありません︒ それほど 日本 と 朝鮮半島 に 共通 する 漢字 ・ 漢語 は 多 いのです︒ 今 はハン グルに 身 をやつしているから︑わからないだけのこと︒せめてハングル に 漢字 を 添 えてくれれば︑ 私 たち 日本人 の 韓国旅行 も︑ずいぶん 気安 い ものとなるに 違 いありません︒

  ただし︑ここで 注意 してほしいのは︑ ﹁ 약

ヤク

﹂﹁ 은

ウン

ヘン

﹂や﹁ 소

ホワ

﹂が︑ あ く ま で﹁ 薬 ﹂﹁ 銀 行 ﹂そ し て﹁ 消 火 器 ﹂の 音 読 み だ と い う こ と で す︒ もちろん 日本語 でも﹁ 薬

ヤク

﹂﹁ 銀

ギン

コウ

﹂﹁ 消

シヨ

ウカ

﹂と 音読 みすることは 可能 で すが︑ 同時 に︑ ﹁ 薬

くすり

﹂﹁ 銀

しろがね

みせ

﹂﹁ 消

けス

ひヲ

からくり

﹂のごとく︑ 漢字 それぞれに 京 ﹂は﹁ナンチン﹂と 記 してほしいところです︒むろん︑ここまで 中国 語 の 発音記号 に 数字番号 を 附 けて 示 しているとおり︑ 中国語 には 屈曲 に 富 ん だ 第 一 声 〜 第 四 声 の 声

調 ︑い わ ば 旋

律 ア ク セ ン ト が あ り︑そ れ を 正確 に 守 りつつ 発音 しなければ︑まったく 中国語 として 体

てい

を 成 しません︒ この 点 でも︑ 中国語 の 片仮名表記 には ︱ 取 り 立 てて 種々 の 工夫 を 凝 ら さなければ ︱ 根本的 な 限界 があるので

︶₁₅

す︒

  その 気 になりさえすれば︑ 現今 ︑ 中国人 に 正 しい 発音 を 教 えてもらう 機会 はいくらでも 作 れるでしょう︒また︑ 録音機材 を 使 って 正 しい 発音 を 学 ぶことも 容易 なはずです︒しかし︑ 実際 は 今 なお 右 のような 体 たら く︒ 況 んや 往時 においてをや︒たとえ 大学寮 で 正 しい 発音 を 習 ったとし ても︑その 発音 は︑ 時 を 措

かず 日本風 に︑とりわけ 日本語 の 発話 のなか で 用 いられた さいには︑まず 確実 に 日本風 になってしまったのではない で しょうか︒

  中国語 の 発音 が 日本風 に 訛 ったのが 日本漢字音 であることは 事実 です︒ けれども︑その 実情 は︑ ﹁ 次第 に 訛 った﹂のではなく︑ ﹁ 口 にしたとたん に 訛 った﹂のではないかと 想像 します︒おそらく︑それは 予想以上 に 短 い 時間 であり︑ほとんど 同時 と 称 してもよいくらいだったのではないで しょうか︒

イ   訓 読 み

  日本人 は︑ 小学校低学年 の 幼 いころから︑ 漢字 の 音読 み・ 訓読 みに 慣 れています︒ ﹁ 山 ﹂ならば︑ 音読 み﹁サン﹂ ︑ 訓読 み﹁やま﹂という 具合 ︒ 今 さら 確認 するのも 愚 かしいほど︑ 訓読 みの 存在 は︑ 日本人 にとって 当 たりまえのことでしょう︒

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明星大学研究紀要︻人文学部・日本文化学科︼第二十七号 二〇一九年

朋 有 り︑ 遠 方 より 来 たる︑ 亦 た 楽 しからずや︒

ともゑんぱうたの

07 有

朋自

遠方

来 ︑ 不

亦 楽

乎 ︒︵ ﹃ 論語 ﹄ 学而 ︶

よリタルシカラ

    音読 みは﹁ 遠方 ﹂のみ︑その 他 はすべて 訓読 みです︒ 漢文訓読 に 対 し て︑いかに 訓読 みが 貢献 しているかがわかるでしょう︒ 韓国語 では︑こ の 手 が 利 きません︒ 漢字 はすべて 音読 みし︑ 句間 ・ 句末 にハングルで 論 理関係 や 情感 を 表 す 語 を 附 け 加 えるのが︑ 韓国 の 代表的 な 漢文読解方式 で す︒か つ て は︑ 日 本 の 片 仮 名 に も 似 た 文 字 を 記 す﹁ 口

訣 ﹂︵ 구 결 ︶が 用 い ら れ ま し た が︑ 現 在 は︑ハ ン グ ル で そ の 種 の 語 を 記 す﹁ 懸

ヒヨ

ント

﹂︵ 현

토 ︶が 使 われています︒

   

08 有 朋 이 自 遠 方 来 면 ︑ 不 亦 楽 乎 아

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    漢字 の 音読 みを 片仮名 による 近似音 で 示 し︑ 送 り 仮名 のごとく 加 えら れ た ハ ン グ ル の 意 味 を 平 仮 名 で 記 せ ば︑ ﹁ユ ブ ン が ジ ャ ウ ォ ン バ ン レ な ら ば︑プリョクラクホだなあ﹂となります︒そのまま 日本語 に 移 し 換 え れ ば﹁イ ウ ホ ウ が ジ ヱ ン パ ウ ラ イ な ら ば︑フ エ キ ラ ク コ だ な あ﹂ ︒ 正 直 に 言 って︑お 経 の 棒読 みのようなもの︑ほとんど 意味 が 理解 できないで しょう︒ 訓読 みの 有難味 がわかろうというものです︒

  ただし︑ 我々日本人 にとっては 当然 の 訓読 みという 営為 が︑ 言語現象 としては︑きわめて 特異 なものだということをわきまえておく 必要 があ ります︒たしかに︑ 英語 でも︑ラテン 語 に 起源 を 持 つ 略語 を 読 むとき︑ 訓 読 み に 似 た よ う な 現 象 が 見 ら れ ま す︒た と え ば︑ ︿ etc. ﹀︵ ︿ ラ テ ン 語

et cetera ︶を︿ and so forth ﹀と 読 んだり︑ ︿ i.e. ﹀︵ ︿ ラテン 語 id est ︶ を 口 頭 で︿ that is ︵ to say ︶﹀な ど と 言 い 換 え た り す る の が︑ 英 語 に よ 訓読 みを 当 てはめて 訓読 することもできます︒ここが 肝腎 なところ︒ 韓 国語 では 漢字 に 音読 みしか 存在 しない のに 対 し︑ 日本語 では 漢字 に 音読 み と 訓読 みが 存在 するのです︒

  も う 一 つ︑ ﹁ 風 ﹂を 例 に 挙 げ て み ま し ょ う︒ 言 う ま で も な く︑ 日 本 語 では︑ 音読 み﹁フウ﹂と 訓読 み﹁かぜ﹂の 双方 が 存在 します︒けれども︑ 韓国語 では 音読 み﹁ 풍

プン

﹂が 存在 するだけで︑ 訓読 みは 存在 しません︒む ろ ん︑ 風 は 人 間 の 日 常 生 活 に 密 着 し た 気 象 現 象 で す の で︑ 韓 国 語 に も ﹁か ぜ﹂に 当 た る﹁ 바

ラム

﹂と い う 単 語 が 歴

れつき

と し て 存 在 し ま す︒し か し ﹁ 風 ﹂を 韓 国 漢 字 音 で﹁ 풍

プン

﹂と 音 読 み し︑ 日 本 語 と 共 通 の 語 彙 ﹁ 풍

プン

ギヨン

﹂ ︵ 風景 ︶・ ﹁ 풍

プン

ソク

﹂︵ 風俗 ︶・ ﹁ 풍

プン

リユ

﹂︵ 風流 ︶などが 存在 するものの︑ ﹁ 風 ﹂ を﹁ 바

ラム

﹂と 発音 する 習慣 はない︑すなわち 訓読 み﹁ 風

パラム

﹂は 存在 しない のです︒

  同 じく 中国 から 大量 の 漢字 ・ 漢語 を 借用 しながら︑つまり︑ 日韓 とも に︽ 文字 ・ 語彙大量借用律 ︾が 成立 しながら︑ 日本語 に 訓読 みが 存在 す るのに 対 し︑ 韓国語 には 訓読 みが 存在 しません︒この 現象 は︑どのよう に 考 えればよいのでしょうか︒おそらく︑ 朝鮮民族 は︑ 漢字 ・ 漢語 を 操 って 自分 たちの 思考 を 書 き 表 そうとしたのに 対 し︑ 日本人 は︑ 漢字 ・ 漢 語 を 同 じ 目的 に 使 うのと 同時 に︑ 自分 たちの 言葉 を 書 き 表 そうともした からでしょう︒そして︑ 漢字 で 日本語 を 表記 するということは︑ 逆 に 言 えば︑ 漢字 に 日本語 を 当 てはめ 得 ることを 意味 します︒すなわち︑ 漢字 を そ の ま ま 日 本 語 に 移 し 換 え る こ と が 可 能 に な っ た わ け で す︒こ れ を ︽ 国語充当律 ︾と 呼 びたいと 思 います︒

  ここで﹃ 論語 ﹄ 冒頭 の 有名 な 一句 ﹁ 有朋自遠方来 ︑ 不亦楽乎 ﹂の 訓読 を 見 てみましょう︒

(13)

13

漢文訓読の初期条件︵初稿︶ ︹上︺   古田島洋介

ア 語 ︿ zan ﹀を 充 て て 発 音 し て し ま う︒ま さ に﹁ 男 ﹂を﹁お と こ﹂ ︑ ﹁ 女 ﹂を﹁お ん な﹂と 読 む 日 本 語 の 訓 読 み と 同 一 の 現 象 で す︒ 同 様 に ︿ LYLYʼ ﹀や︿ ŠM ﹀も︑の っ け か ら︿ šab ﹀︿ nam ﹀と 読 ん で し ま う の で す︒   面 白 い の は ︑﹁ 行 く ﹂ 意 の ︿ 'Z LW N -tn ﹀ や ︑﹁ 来 る ﹂ 意 の ︿ Y ʼT W N -tn ﹀ に 附 け ら れ た︿ -tn ﹀で す︒こ れ は 中 世 ペ ル シ ア 語 の 発 音 補 辞 で︑ア ラ ム 語 ︿ ʼZLWN ﹀︿ YʼTWN ﹀に 中 世 ペ ル シ ア 語 ︿ šudan ﹀︿ amadan ﹀を 引 き 当 て る べ く 発 音 を 補 っ た 綴 り で す か ら︑さ し づ め﹁ 行 く﹂ ﹁ 来 る﹂の 送 り 仮名 ﹁く﹂ ﹁る﹂に 相当 するものと 考 えてよいでしょう︒

  こうした 中世 ペルシア 語 のウズワーリシュンは︑ 日本語 の 訓読 みと 同 等 の 体系的言語現象 で︑ 名詞 ・ 代名詞 ・ 形容詞 ・ 接続詞 ・ 前置詞 など︑ 各種 の 品詞 にわたって 認 められます︒ 訓読 みができなければ 日本語 が 読 めないのと 同 じく︑ウズワーリシュンがわからなければ 中 世 ペルシア 語 も 読 めません︒ 実際 ︑ 中世 ペルシア 語 の 文章 には︑ウズワーリシュンが 頻繁 に 出現 します︒

  ただし︑ 中世 ペルシア 語 のウズワーリシュンと 日本語 の 訓読 みとでは︑ やはり 大 きな 相違 があることも 否定 できないでしょう︒

  第一 は︑ともに 体系的 な 言語現象 とはいえ︑ 体系 の 規模 が 異 なること です︒ 日本語 では︑ 原則 として︑すべての 漢字 に 訓読 みがあります︒ど れほど 少 なく 見積 もっても︑ 現行 の﹁ 常用漢字表 ﹂が 載 せる 約二千一百 字 に 訓読 みが 存在 するわけです︒むろん︑ 該表 を 見 ればわかるとおり︑ ﹁ 簡 ・ 巨 ・ 毒 ・ 貿 ﹂など︑ 音読 みしか 認 めていない 漢字 も 散見 し︑ 実際 ︑ この 四字 と 同 じく︑まず 訓読 みを 用 いることのない 漢字 も 多々 あります が︒これに 対 し︑ 中世 ペルシア 語 のウズワーリシュンは︑ 約一千語 にと どまり︑ 一九 〇〇 年 ごろまでに 判明 した 中世 ペルシア 語 の 総語彙数 = 約 るラテン 語 の 訓読 みだと 考 えることはできるでしょう︒けれども︑それ は 特定 の 語句 に 限 られた 現象 であり︑とても 英語 という 言語 が 体系的 に 備 えている 特徴 とは 言 えますまい︒

  日本語 と 同 じく︑ 訓読 みという 現象 が 数多 く 見 られる 言語 は︑ 私 の 知 るかぎり︑いや︑ 知 ったかぶりをするかぎり︑ 中世 ペルシア 語 ︵いわゆ る パ フ ラ ヴ ィ ー 語 Pahlavi ︶だ け で す︒ア ラ ム 語 の 単 語 を 借 り︑そ れ に 中世 ペルシア 語 を 当 てはめて 発音 したのでした︒このように 用 いられた アラム 語 の 単語 ︑すなわち 中世 ペルシア 語 で 訓読 みするアラム 語 の 語彙 を ウ ズ ワ ー リ シ ュ ン uzwarišn と 呼 び ま す が︑ 左 に 若 干 の 例 を 挙 げ て み ましょう︒すべてローマ 字化 して 記 します︒ 大文字 がアラム 語 ︑ 小文字 が 中世 ペルシア 語 を 表 します︒アラム 文字 は︑アラビア 文字 などと 同 じ セム 語系 の 文字 のため︑ 子音 しか 記 しませんが︑ 今 ︑ 中世 ペルシア 語 に ついては︑その 発音 をローマ 字 で 示 しておきます︒

   

NYŠH 語 ︿ ﹀を︑そ の 発 音 は 無 視 し て︑や は り﹁ 女 ﹂の 意 の 中 世 ペ ル シ mard を 意 味 す る 中 世 ペ ル シ ア 語 ︿ ﹀を 充 て て 読 む︒ ﹁ 女 ﹂の 意 の ア ラ ム   GBRʼ ﹁ 男 ﹂を 意 味 す る ア ラ ム 語 ︿ ﹀を︑そ の 発 音 に 関 係 な く︑ ﹁ 男 ﹂   YʼTWN-tn amadan 来 る ʼZLWN-tn šudan 行 く ŠM nam 名前 LYLYʼ šab 夜 NYŠH zan 女 GBRʼ mard 男 09     ︹ 意味 ︺ ︹アラム 語 ︺ ︹ 中世 ペルシア 語 ︺

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