• 検索結果がありません。

オーストラリアの経済と金融機構(承前)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "オーストラリアの経済と金融機構(承前)"

Copied!
11
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

オーストラリアの経済と金融機構(承前) 19

オーストラリアの経済と金融機構(承前)

       目    次 1 序

2 オーストラリア連邦銀行からオーストラリア準備銀行へ 3 準備銀行の金融政策

4 むすび

1

 オーストラリアの金融機構をみると,中央銀行たるオーストラリア準備銀行を中心にそ の監督下に商業銀行としてのtrading bankと貯蓄銀行とによって構成されている。前 者の業務は短期金融として,農牧意業についで製造業,商業部門に運転資金を供給して いる。それに対し後者は主として公共投資,住宅投資の機関として活動している。その ほか,一般産業の設備資金の供給の必要からオーストラリア資源開発銀行(Australian Resources Development Bank),:オーストラリア連邦開発銀行(Comnユom祀alth DeveloP磁ent Bank of Australia)また特別基金(Special Term Loan Fund)の制度 がある。

 オーストラリアの金融制度は欧米先進国のそれと異なった形で発展をとげたがその歴史 は比較的に新しい。準備銀行の中央銀行としての成熟化は比較的新しく,金融政策につい てそのコントロールのおよばない面が大きいことも一つの特徴である。すなわち設備資金 の供給については前にあげた機関のほかに準備銀行の直接監督下にない賦払信用会社,開 発会社など非銀行金融機関に依存する部分も大きい。これらの機関は州法による設立で州 政府が監督権を有している。ここに準備銀行の金融政策をして十分に効果的たらしめない 事情がある。またこのほかに外資の重要性が考えられる。

 このようにオーストラリアの金融機構の特殊性がそこに形成されているが,商業銀行,

貯蓄銀行の中には政府系銀行がある。すなわち連邦商業銀行と連邦貯蓄銀行がそれで,連 邦開発銀行とあわせて,1959年にオーストラリア連邦銀行の改組による連邦銀行公社

(Co艶rnonwealth Banking Corporation)がこれらを統轄し,一般の商業銀行,貯蓄銀 行と同様にオーストラリア準備銀行の統制下にある。この小論ではオーストラリアの中央 銀行についてみることにする。

(2)

2

 オーストラリアにおける中央銀行制度は,短期間に確立したものではなく徐々に成長を とげ,オーストラリア経済の性格に左右されて独特の様式で展開したものであった。1911 年に連邦政府によるオーストラリア連邦銀行(The Commonwealth Bank of Australia)

がその前身であるが,連邦銀行の中央銀行としての最終的な発展は計画的というより偶然 的なものであった。連邦銀行がオーストラリアの中央銀行として認められるに至ったの は,この国の歴史で三つの主要な危機の時期を経過してであった。すなわちその時期は第

1次大戦,193G年代初期の不況および第2次大戦であった。連邦銀行め設立を規定した法 律は商業銀行と貯蓄銀行としての一般的機能しか同行に付与しなかった。事実上紙幣発行 の管理権が与えられたのは1924年の改正法によるものであったが,当時はなお金融政:策手 段を有せず,実質的に中央銀行としての機能を果すに至らなかった。1930年代の不況は中 央銀行化を促進するものとなり,さらに第2次大戦に入って戦時法規によってその役割を 課せられることとなった。第2次大戦がオーストラリアの銀行構造に与えた衝撃は,連邦 銀行に必然的に以前にまして大きな変化を引受けさせるものとなった。成熟した中央銀行 制度の発展はこの時期であった。

       註(1>

 以上は拙稿ですでに述べたところであるが,ここではその後の経過についてさらにウィ       註②

ルソンにしたがいその概要について述べることにする。

 19妬年3月,チフリ蔵相(J.B, Chifley)はオーストラリア連邦議会に連邦銀行法案 と銀行業法案の2議案を提示した。その目的は戦前からのオーストラリアの銀行制度をか なり修正しようとするものであった。これは多くの論議を惹きおこすものであった。連邦 銀行法案の最も明確な目的の一つは,連邦銀行の中央銀行機能を強化し,連邦銀行の金融 政策が主要な政府の政策決定と調和すべきことを確保しようとするものであった。同時に 商業銀行との積極的競争を通して連邦銀行の一般銀行業務を拡大せんとする意図も示され

た。

 商業銀行の活動を効果的にコントロールするために,連邦銀行が中央銀行としてさらに 強化さるべきであり,また同時に政府金融政策の機関として作動すべきであるとする政府 の見解は,1930年代の不況期における連邦銀行の歴史から引出されているが,それはたと えば1923年一33年のオーストラリアの経済事情が中央銀行を創出したものであるが,連邦 銀行および銀行制度は不況時代の苦悩をもっと軽減するように活動すべきであったとする 考えである。

 連邦銀行法案の最も議論の余地ある点の一つは,政府と連邦銀行の間における政策に関 する意見の相異のある場合におけるものである。連邦銀行はその通貨銀行政策について随 時,蔵相に報知することを求められていた。もし議論によっても解決することが不可能で あるような意見の相異が生じた場合,蔵相は政府見解に合致する政策を連邦銀行が採用す

(3)

オーストラリアの経済と金融機構(承前) 21

るについて政府自らがその責任を負うことを連邦銀行に通告するとなすものであった。

 1945年立法の重要条項は連邦銀行を中央銀行として正式に承認するものであった。それ までも実際には,連邦銀行は暫定的に中央銀行として活動していたが,そのような事態に いまや法律による承認が与えられたものであった。連邦銀行は引きつづいて連邦の銀行業 者,金融代理者として活動するう,えに,紙幣発行の調節,預金受入,資金の貸借,手形の 割引および再割引,有価証券売買,外貨および金の取扱い,信用の設定,保証供与など全 般的権限を付与された。

 なお新しい資本規定が,1945年法のもう一つの特徴であった。中央銀行業務の目的から 連邦銀行の資本はいまや,現存の資本に準備金から資本勘定に繰入れられたものを加え 400万オーストラリア・ポンドとなり,さらに一般銀行業部門,農業信用部門(Rural Credit Department),抵当銀行部門(Mortgage Bank Departmeれt),工業金融部門

(lndustrial Finance Department)の必要資本量のための別の規定も設けられた。

 中央銀行が大規模な商業活動に従事することは異例なことであるから,いまや中央銀行 たる連邦銀行が一般銀行業務を継続しているのは,多くの人にとって驚くべきことに見え るであろう。さらに不思議なごとは1945年の法に含まれていた方向であった。すなわち連 邦銀行が一般銀行業務をさらに発展,拡充させようとすることであった。実際に,新しい 規定のもとで,連邦銀行の一般銀行業務を通してそれを行なうことは,他の商業銀行から その業務を取りあげる影響をもつからという理由で,連邦銀行にその業務を拒否させるこ とはできない。連邦銀行に商業銀行業務部門と中央銀行業務部門とを配置することの有利 性はさておき,オーストラリアでは時として,連邦銀行の商業銀行との競合は,中央銀行

としてその持つ権限を有用に補足するものであるとの議論がなされてきた。しかし後にな ってこの議論は商業銀行の活動をきびしくコントロールすることで説得力を失ってしまっ たと人は考えるであろう。連邦銀行はその商業銀行業務の利益と中央銀行業務の責任との 起りうる軋礫についていえば,おそらく連邦銀行は目前の利益を超えて国家的考慮に縛ら れるであろう。事実この考え方が連邦銀行自体の内部で,ますます賛成を得てきた兆がす でにあった。

 さて1945年の連邦銀行法の紙幣発行規定のもとで,オーストラリアの銀行券はいまや 法的にオーストラリアで発行され流通する唯一の流通銀行券となり,1910年のBank

      註(3)

No宅es Tax Actは不必要となり廃止された。しかしながら最も重要な変化は,銀行券発 行準備に関係するものであった。オーストラリアの紙幣はすでに金との交換は行われなか ったので,紙幣発行とオーストラリアの海外資金或いはまた金との問に直接的関係を必要 としない状態であった。政府は,重要なことは連邦銀行が公衆の日常の必要をみたすに充 分な紙幣を発行すべきこと,かつ現在の事情のもとでは商業銀行の信用ベースをコントロ ールすることが,もっと強調ざるべきことであるとする実際的な見解に立っていた。

 以上1945年の法改正による連邦銀行について述べたが,これによって中央銀行としての

(4)

体裁をととのえたことになるが,そこには欧米先進国の中央銀行と梢々異なった点のある ことも明らかである。

 ところで連邦銀行法の規定するオーストラリア連邦銀行の目.的,任務はつぎのごとくで       註{4)

ある。 (法8条)

 オーストラリア連邦銀行は,その権限内においてオーストラリア人民の最大限の利益達 成を目的として通貨政策ならびに金融政策を遂行し,かつ同行の見解に基いてつぎの目的 に最:も良く合致するように,本法および1945年銀行法に基いて与えられた同行の権限を行 使する義務を有するものとする。

 1 オーストラリア通貨の安定

 2 オーストラリアにおける完全雇用の維持  3 オーストラリア人民の経済的繁栄と福祉の維持

 連邦銀行の政策決定機構についてみると,はじめ自由地方党連立政府(Libera1−Country Party Coalition Govem拠ent)は195Q年3月,連邦銀行の政策決定のため新しい連邦銀 行理事会(Comrnonwealih Bank Board)の設立案を提案した。しかし時のメンジス

(Menzies)政権は上院の過半数を得ておらず,労働党が過半数を占めていた上院は連邦 銀行理事会に原則的に反対していたため上院を通過するところとならなかった。1951年4 月の総選挙で自由地方党は下院と共に上院においても過半数を占め.再び提出された法案       註㈲

は両院を通過し新理事会、の設立をみた。

 理事会は連邦銀行の政策濠定および業務監督機関として,その構成は総裁,副総裁,委 員7名一産業部門に広い経験を有する者にして,少なくとも5名は連邦銀行職員または連 邦公務員以外の者でなければならない一大蔵次官よりなる。議長は総裁があたり,委員の 任期は5年,総督が任命する。総裁,副総裁はまた執行機関として総督の任命になり任期 は7年である。

 連邦銀行の対政府関係においてすでにふれたごとく,理事会は政府に随時通貨政策,金 融政策について通告するが,これについて政府との問に意見の不一致が生じた場合,理事 会は大蔵大臣に意見書を提出し,また大蔵大臣は総督に勧告書を提出する。かくて総督は 連邦銀行の政策を決定し,大蔵大臣は決定された政策を理事会に通知し,同時にその政策 の責任は政府が負う旨を通告する。これにもとずいて理事会は決定された政策を実施する ことになる。以上は議論のある点であったが両者の政策調整についでで連邦銀行の特徴を 示す点である。

 連邦銀行の貸出に (1),中央銀行業務として くイ)商業銀行に対する貸出,回中央銀行部 より内部機闘である農業信用部,抵当銀行部,工業金融部に対する貸出と,②これら3部 門の農牧畜業,工業特に中小企業への直接貸出とがある。商業銀行は手許準備が豊富で,

通常連邦銀行よりの借入崇行なわず,連邦銀行の貸出は後述の支払準備率引上げ等に際し 短期的のものである。また短;期金融市場が未発達で再割引政策は実施されておらず公定歩

(5)

オーストラリアの経済と金融機構(承前)

23

合の公表も行われていない状態である。

 連邦銀行は民間商業銀行と同様の業務を競争的に行なってきたが,この関係は第二次大 戦後も継続し,オーストラリアの中央銀行の重要な特選でもあった。1941年ll月戦時規制 令によって特別勘定制度が創設されたが,これは商業銀行の資産額が1939年8月の額を超 過する場合,その増加額の範囲内で連邦銀行に預金させるものであった。これによって連 邦銀行は商業銀行の貸付を統制することができた。戦時,商業銀行の預金増加額の約90%が

この勘定で凍結された。この目的は戦時赤字財政と輸出超過により増大した商業銀行の余        註〔6)

裕資金を凍結せんとするものであった。これは戦時のインフレーションを抑制するうえで その役割を果したものであるが,連邦銀行が商業銀行の凍結資金量を独自に決定するとこ ろに特色があり,民間商業銀行からすれば反対の空気の強い制度であった。

 連邦銀行が一般銀行業務,貯蓄銀行業務を兼営する包括的な金融機関であること,連邦 銀行と商業銀行との競合関係,こうした点は本来の中央銀行としてのあり方,金融政策の 実施のうえからも好ましいことでないことから,結局1959年オーストラリア準・備銀行法を 制定し中央銀行業務を独立させることとなった。また一般銀行業務をうけつぐものを三つ にわけ,連邦商業銀行,連邦貯蓄銀行,連邦開発銀行を設け準備銀行の統制下に置いた。

連邦銀行にはさきにあげた直接融資の三部門の外に商業銀行部門(連邦商業銀行),貯蓄 銀行部門(連邦貯蓄銀行)が実質的にはその一部であったが,形式的にはすでに独立して

いて,かくて新しい機構への改組をみたわけである。

 オーストラリア準備銀行(Reserve Bank of Austra王ia)はシドニーに本店を置き,通 貨の安定,完全雇用の維持,国民の経済的繁栄,福祉の向上を目的とし,発券業務,金融 政策など実施しているが,農村信用部を置いて農牧畜業者への融資を行なっている。

 なお準備銀行の資産,負債表(発券部門を含む)をみるとつぎのごとくである。

表1 100万A$

\{麗麗

 年月i

1973 12   45.6

].974 ].21  45,6

(IMF)

SRD

183.2 207.7

銀行券

SRD

タームロ ・一 ン

フアンド

2,076.2

2,519,2 ユ,048.3

 366.3

47,3

26.3

\難

 \\

、9翻1 197412

 金外  貨

3817.5 3097,3

銀行券硬  貨

22.6

27.3

他銀行

小切手・

手  女

工0.8 9.1

大蔵省証  券

65.1

174.2

農村開発

白 ・一 ン

フアンド

11.0

20.8

その他 の預金

13.2

8.4

貯蓄銀行

の預金

1,427.1

1,067.8

その他 債 務

816.7 893,8

合 計

5,668.7

5,155.8

その他 受取手形 証  券1送金為替

582.3 942,9

57,7 40.2

貸  付 資  産その他

1,ユ12.6

 864.7

合  計

5,668.7

5,工55.8

Australian Bureall of Statistics. Banking Statistics

 準備銀行の発券量についてみると,ユ966年頃まではほぼ横ばい状態を示してきたが,67 年以降激増し,そめ後急速に増加している。1970年代はその基調に海外からの大量の資本

(6)

コ入があったが,これも72年以降為替管理と外資導入の制限で下降してくるが,一方貿易 双支の黒字による好調がみられ,インフレが懸念される状態にあった。いま63年以降の発 券高の推移をうえの資料で示しておく。 (表2)

表2 100万A$

 年月

1963 6

 860.3

64〃

856.1

65 〃

862.4

66〃

835.3

67 〃

930.1

68〃

998.5 69 〃

1,091。5

70 〃

L195、8

71 〃

1,369、4

72 〃

L508.2

73ユ2174.

2,076.2 2,519.2

 さきにあげた連邦開発銀行と梢々性格を異にするが,開発銀行として別にオーストラリ ア資源開発銀行(Australian Resources Development Bank)がある。この銀行は1968 年の設立で,準備銀行の支持によって主要商業銀行の資金によるものであるが,資源の開 発のための融資を目的とし再融資の形をとっている。

(註1)

(註2)

(註3)

(註4)

(註5)

(註6)

拙稿「オーストラリアの経済と金融機構」,研究年報,第17集

J.S. Wilson;The Commonwealth Ballk of Australia, in Banking in the British Commonwealth edited by R.S. Sayers。 pp.81−2,

trading bankの紙幣発行に工Oパーセントの税を課した。

日銀調査局,各国の中央銀行制度,5−6頁 Sayers;ibid,,pp.83−4.

日銀調査月報「濠州の特別勘定制度」昭和31年3月

3

 オーストラリア準備銀行は,中央銀行として形式的に三つの金融政策手段を保有してい るが,金融市場の未発達から実質的には支払準備率政策のみである。金利政策は実施され ておらず公定歩合は公表すら行なわれていない。すでに述べたごとく,金融市場は農牧畜 業者のための短期資金の供給が中心となって,商業手形の流通に乏しい。したがって当座 貸越による融資が主であった。工業化は第2次大戦後推進されてきたが,手形取引は十分 でなく現金取引が主であった。1965年に商業手形市場が開設されたが,一般的に手形割引 の利用が普及して・おらず,したがって準備銀行による再割引もない。金利政策が金融先進 国におけるごとき状態になくその機能を果しているといえない段階にある。

 また政府証券の取引市場である短資市場も1959年に開設をみたが,その対象たる大蔵省 証券,国債の流通量が少なく,オープン・マーケット・オペレーションを有効とするほど になっておらず,その育成はなお今後の課題である。

 はじめに指摘したごとく,オーストラリアにおける重要な金融政策手段は支払準備率操 作である。これはすでに述べたごとく,元来1941年に成立した特別勘定制度で商業銀行の

(7)

 オーストラリアの経済と金融機構(承前)       25

余裕資金を連邦銀行の特別勘定に凍結したものであるが,戦後連邦銀行の恒久的な金融政 策手段となり,1953年の法改正でこの勘定操作は国内信用の:量的調整に重点がおかれ,い わゆる諸外国の法定支払準備制度に相当するものであった。1959年の改正によって法定準 備預金(Statutory Reserve Deposits, SRD)の制度に移行したのである。商業銀行の流 動性をコントロールしょうとするものである。さらにこれと並んで流動資産および国債を 一定比率,保持せしめんとする流動資産・国債比率(Liquid Assets a磁Government SeCUfities, LGS)の制度がみられる。

 法定準備預金制度

 商業銀行は準備銀行に法定準備預金勘定を設け,当座性預金残高に応じ一定比率で強制 的に準備銀行に預金しなければならず,したがってその分だけ資金が凍結されることにな

る。諸外国における場合と同様である。準備預金の在高が規定の比率より低下した場合,

準備銀行から高利の借入などの方法で準備預金を規定の比率に達するまで追加補充しなけ ればならない。この支払準備率は準備銀行が,金融情勢を判断して決定変更する。これに よって準備銀行は支払準備率を操作することで,商業銀行の貸出資金量をコントロールす ることを得る。要するに可変準備制度にして銀行法にもとつく銀行を対象としている。

 すなわち商業銀行を対象とするが,この場合,連邦銀行の商業銀行業務を継承した連邦 商業銀行は実際上はすでに1953年に設立されていたが,この銀行は当時特別勘定の規定を 適用されていなかったので,虫聞商業銀行の大きな不満となっていたものであるが,1959 年の改正で支払準備率操作の対象銀行となり,民間商業銀行と同じ立場にたつことになっ た。1959年の銀行法の条項では,最:初のSRD比率は16・5パーセントであったが,その後 1974年度に至る問の推移をみると(表3)のごとくであるがかなり頻繁に変更されている。

なお貯蓄銀行の連邦準備銀行預金についてはSRD制度の適用がない。

表3

変 更  日

1961.  4. 19

   5.IO    6.21    6,30    7.12

1962. 8. 18

  工0.31

1963, 7. 10

1964.1.8    2, 5    3。 4

比率  %

16,5 15.5 14.5 13.5 12.5 10,5 11.5 10.8 工2.0

14.0 15.5

変 更  日

1964.  7, 13

  10.14 1965、4.5    5. 5   ユ2. 7

1966.  4. 5

   4,26   12. 6

1968,  2. 19

   4. 9   ユ0、23

比率

14.8 15.8 14.8 13.8 12.8 10.4 9.4 8.9 8.4 8.0 8,5

変 更  日

  11.15

1969, 8. 18

  10. 3

1970. 9. 29

1971.  4, 15

  12,20

1972. 11. 18 1973.  4. 17

   4.30    8. 2    8. 3

比率 変 更  日  %

9.0 9.5 10.0 9.4 8.9 7,1 6.6 7.1 7,6

    8.61

8.oi    

   8.28

1974.  6. 13

   6.20    7. 9    7.12    7.24

   8..29

   9.25   10. 4

比率  %

9,0 8.3 7,5 6.9 6。0 5.5 5.0 4.0 3.O

Reserve Bank of Australia, StatisticaユBuUetirl, Commonwealth Bureau of Census and Statistics, Banking a且d Currency

(8)

      註

 また主要商業銀行および全商業銀行についてみた実際のSRDの水準を同じ資料でみる と(表4)のごとくである。

表4   1 年

週平均1962−

    63

薪1・L多

全商業 銀 行

 %

10.6

63曽64

12.7

12.O

64−65

15.O

ユ4.2

65−66

12,3

U.7 66−67

9.1

8.5

67−68

8.5

8.0

  i

68一一6969−70

  1

8.6

8.1 9.7

9.1

70−71

9.4

8.8

71−72

7.8

7.3

173.

1・・月

8.9 74.

1月 4月

8.81g.1

 1 7月

6.5

1o月

3.2

 流動資金・国債比率制度

 商業銀行はその保有する運用資産のうち,現金,預け金(法定準備預金を除く),大蔵 省証券,国債など流動資産,政府証券の預金残高に対する比率を一定割合に維持すること を要求されている。準備銀行は商業銀行の流動性についてコントロール手記としてこの比 率を操作する制度である。SRDの変動は商業銀行の流動性に影響を与えることになる が,うえの流動資金・国債比率(LGS)の規制は商業銀行の収益性に対し大きな影響を

もつものではないであろう。

 LGSの比率が上昇する場合には,商業銀行はその流動資産を貸出や株式投資などにむ ける余裕が生ずるわけで,逆にそれが規定された比率より低下した場合,商業銀行は貸出 の抑制,回収,資産の処分或いは準備銀行からの高利の借入などによって規定比率まで是 正をはからねばならない。いま準備銀行が金融引締を行なわんとするときSRDの比率を 高めればよい。逆に商業銀行の:貸出増加をはかろうとする場合にはその比率を引下げれば よい。拘束をとかれた流動資産はLGS資産を増加させることになる。 SRDの制度が金 融政策として成功する背景にLGSの制度が補完的な役割を果しているといい得るであろ

う。

 SRD比率の操作はかなり頻繁に実施されてきたが, LGSの比率は変更がなく1962年 5月に引上げられて18パーセントになった。商業銀行の現実に維持している主要商業銀行 についてみた1972年より74年に至る期間のLGSの水準を,準備銀行月報によると(表5)

のごとくである。

表5 週平均

1972

19ア3

1974

1月

 %

29.1

 %

34.1

 勇

25.9

2月

305

33.8

3月

29.7

4月

28.2 3。.8128.3

247 奄Q3 7 20.6

      

5月 6月i7月

8月   9.月   10月   ].1月   12ノヨ 1

26・・i23・引24・5i26・8129・33・・3

  1      1

252 23.1

19.7 119.2

        122.7

23邑。22 7

奄Q2引3

20。 P2。・。 20.4 2L9 3L8

24.1 31.8

24.9

23.2

(9)

オーストラリアの経済と金融機構(承前)

27

 以上のほか,準備銀行は商業銀行に対し直接的な統制手段として,預金金利の最高限度 を決定する権限を有している。また同様に商業銀行の当座貸越金利の最高限度をも決定し 得る。この限度内では実際の金利水準の適用は異なってくるが,最高限度が変更される場 合それに応じて貸出金利のレートを変更させることを,準備銀行と商業銀行との間で定め ている。

 貯蓄銀行に対しても準備銀行は預金,貸出の金利水準を定める規則制定を行ない得るこ とになっているが,実際には規則は制定されておらず,準備銀行は貯蓄銀行と協議のう え,預金金利の最高限度を決定するとともに貸出金利の水準については商業銀行の最高限 度に準じて定められている。いま1974年12月末における預金金利,貸出金利の水準をみる

と(表6)のごとくである。

      表6

    [

預 金 金 利

商業銀行

  定期預金(A$50,000未満){a}

   3ケ月以上12ケ月未満    12ケ月以上24ケ月未満   24ケ月以上48ケ月未満   48ケ月

  定期預金(A$50,000以上)〔aXb}

  30日以上48ケ月

  預金証書(A$50,000以上){b}

   3ケ月以上48ケ月 貯蓄銀行

  普通勘定   A$4,000まで   A$4,000をこえるもの  投資勘定

9.00

9.50 9.OO 9.oo

10.00

(c)

(d}3.75−6.50

(d}6.00−6.50

 9.00

王974. 7. 9施そテ

 〃 7.9  〃 7.9  〃 7.9

〃 7.9

1973. 9.17

1974. 8. 1

 〃 8.1  〃 7.9

商業銀行

 当座貸越(A$50,000未満)(a)

 当座貸越(A$50,000以上)

 無担保個人貸(al回

貯蓄銀行

 個入住宅ローン

 その他ローン(A$50,000来満)la)

 その他ローン(A$50,000以上)

準備銀行一農村信用部 連邦開発銀行  農牧二業  工業

11.50

8.25

(b)

9.25−10.00

1L50

  {b)

9.50−10.OO

lO.50 11.50

1974. 7. 9

1973.9.17

1974 7。9

 〃 7.9  〃 7.9

1973. 10,1 1974, 7.15

〃 7.9

〃 7,9 Australian Bureau of Statistics, Banking Stat三stics

(a}最高利率  (b)実際利率は銀行と取引先との協議による。

回 最高利率を条件としない  ㈲ 多数銀行で低いほうの利率が有力   である。  (e}一律利率

(10)

 ところで近年の金利水準の推移をみると,196工面以降当座貸越については6.5%から 9.5%の範囲内で変動している。無担保貸付のそれは6%から7.25%の幅であった。貯 蓄銀行では従来不動産金融機関,協同組合の住宅ローンおよび地方自治団体への貸付に対 し,夫々若干異なった利率が課せられていたのであるが,1970年以降個人住宅ローンとそ の他のローンに区分され,前者には7%から9・5%,後者には銀行と取引先との協議事項 となっている。連邦開発銀行については(表6)で示したものは基;本利率にして,ユ969年以降 農牧畜部門と工業部門とにわけて貸出利率が示され,前者は6.2%から8.5%,後者は 三々高く6.75%から9.5彩の範囲内で変更されている。:オーストラリアは元来低金利国 で政策的に低くおさえられていたが1970年代にはいり金利水準が上昇した。一般的に1972 年労働党政権の誕生後この傾向が顕著となった。

 商業銀行の中央銀行への依存度が低くまた短期債三市場も未発達のオーストラリアで は,支払準備率操作のみが準備銀行の主要な金融政策手凌であることはすでに述べたごと

くである。(表3)でみたとおり労働党政権成立前の1972年11,月にSRDは6.6%までに 引下げられている。労働党政権iのもとで1973年4月SRDは7.1%さらに7.6%へ金融 引締の第一歩を踏みだしたが8月末には9%と71年以来の高水準に達した。商業銀行は

:LSGの比率を最低18%維持することを義務づけられているため, SRDの比率引上げは 銀行の流動性ポジションを圧迫することになった。74年にはいると金融引締の効果があら われ,外資流入の規制と相まって商業銀行の流動性は急速に悪化し,LSGの比率は同年 6月には!9.2%まで低落し貸出余力を大きく減少させるに至った。民間の金融情勢は逼 迫の度を強め同6月から74年を通じSRDほ引下げの一途を辿ることになった。なお貸出 金利についで預金金利についてみると,商業銀行の預金は定期預金と利子付当座預金,無 利子当座預金より構成され,・定期預金では預金額の大いさ,期間の長短により夫々異なっ た金利が定められていたが,ユ972年以降表で示し:た種別に区分され,この間金利水準も引 上げられてきた。貯蓄銀行では,4000A$を境に以下のもので3.75%から6%,超える もので4.25%から6.25%の範囲内にあった。資源開発銀行についても預金利率が定めら れている。金利引上げはこれに伴ない長期債の利回り引上げに:および,全般的な金利水準 の王昇によってうえに述べた金融市場の逼追につながり,その後金融緩和策へと労働党政 権の政策転換となった。

(註)主要商業銀行と呼ばれるものは現在政府系1行,民間5行,民間英系1行計7行あり,これに    Bank of:New Zealand, Banque Nationale de Parisおよび民間4行を含めた6行を加    えて全商業銀行と呼んでいる。

4

7

 以上オーストラリアにおける中央銀行について述べた。その成立の歴史,業務活動,金 融政策手毅についてみたが,オーストラリアの国の歴史,産業経済の発達状況から金融面

(11)

オーストラリアの経済と金融機構(承前)

29

においても特異性があり,中央銀行としても金融先進国と異なった面をもつことを明らか にしてきた。すでに述べたごとく,オーストラリアの金融機構は準備銀行を上部にその下 部機構として,民間金融機関に商業銀行,貯蓄銀行がある。この外賦払信用会社,開発会

社など中小企業向け金融機関,産業資金を供給する証券取引所やunderwriterなど,ま た住宅貸付を主とする建築協会,牧畜金融会社等非銀行機関が存在する。しかも非銀行金 融機関の金融機関総資産に占めるウエイトは上昇の傾向がみられる。第2次大戦後工業化 政策がすすみ,これに応じ金融市場の発達がみられ金融機構の多様化がすすんできた。

 したがってこうした分野について全般的に検討しなければならない。殊に商業銀行,貯 蓄銀行が中枢機関として独自の業務を営んでおり,これらを含め近年の金融事情の実情に つきふれる必要がある。商業銀行餌その機能を強化してゆくことは中央銀行の金融政策を 有効に実施し得る基盤を提供するもので金融市場の発達を進展せしめることにもなる。さ

らに別の機会にゆずることにしたい。

参照

関連したドキュメント

点から見たときに、 債務者に、 複数債権者の有する債権額を考慮することなく弁済することを可能にしているものとしては、

・子会社の取締役等の職務の執行が効率的に行われることを確保するための体制を整備する

健康維持・増進ひいては生活習慣病を減らすため

基準の電力は,原則として次のいずれかを基準として決定するも

モノづくり,特に機械を設計して製作するためには時

(1) 汚水の地下浸透を防止するため、 床面を鉄筋コンクリ-トで築 造することその他これと同等以上の効果を有する措置が講じら

1に、直接応募の比率がほぼ一貫して上昇してい る。6 0年代から7 0年代後半にかけて比率が上昇

あり、各産地ごとの比重、屈折率等の物理的性質をは じめ、色々の特徴を調査して、それにあてはまらない ものを、Chatham