民話と説教の不都合な融合
―『ヴェニスの商人』材源再考
鶴 田 学*
はじめに
本論は『ヴェニスの商人』の主たる材源といわれるイタリア民話とシェイク スピア時代の説教との知られざる関係を探求する1。論の極みは、劇作家シェ イクスピアが材源である複数の民話を自在に組みあわせて喜劇の筋を再構築し たときに、思わぬ連想からそこに説教の文言がまぎれこみ、劇作家の仕事場の 舞台裏というか思考過程を曝してしまったのではないか、というところだが、
材源研究という分野は一般になじみの薄いものだろうから、はじめに近年の動 向について簡単におさらいして述べておきたい。
シェイクスピアがもちいた芝居の材源にかかわる諸事情は、巨星ジェフ リー・ブロー(Geoffrey Bullough)2の手による計八巻からなる『シェイクス ピアの材源』(Narrative and Dramatic Sources of Shakespeare)によって一応
* 福岡大学人文学部准教授
1 本論は、第52回シェイクスピア学会2013年10月5日、6日(鹿児島大学)において 筆者がコーディネーターを務めたセミナー「神話・民話・逸話から『ヴェニスの商人』
を読み直す」にて口頭発表したものを大幅に加筆・修正したものである。
2 Oxford Podcastsに よ る 配 信 授 業 で 急 速 に 知 名 度 を 高 め たDr. Emma Smithは、
Bulloughをつねに「ブルック」という風に発音しているが、本論では日本の慣習に従い
「ブロー」と表記した。たとえばhttp : //podcasts.ox.ac.uk/othelloの音声ファイル、17 分25秒以降。
1
の決着がついてしまった、というのがシェイクスピア研究者のあいだでの暗黙 の了解となっている。遅れて取りかかったもうひとりの碩学ケネス・ミュア
(Kenneth Muir)も『シェイクスピア劇の材源』(The Sources of Shakespeare’s Plays)と題する著作物を構想したが、テクストを豊富に収集し網羅的な編集 を行ったブローの後に同じような試みを繰りかえすのは無用と悟り、材源につ いて作品ごとの概要を紹介する一巻本を上梓した。結果として、世のシェイク スピア研究者は、エンサイクロペディックなブローとコンサイスなミュアの双 方から益を享受することとなった。
二十世紀後半のブロー、ミュアの偉業によって、材源研究についてはne plus
ultraの域に達したようにも思われたが、世紀の変わり目あたりを境にしてあ
らたな動きが生じる。すなわち、作品の背景を探求する学問的姿勢が、元となっ た狭義の「材源」を追求するものから、幅広く同時代の関連文書を発掘する方 向へと転じたのである。文
!
学
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研究から文
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化
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研究へ、作家中心主義から時代の周 辺へという時流の一環といえるだろう。とりわけ顕著なのは、近年刊行されて いるThe Bedford ShakespeareやThe Norton Shakespeareといった前衛的な 北米系シェイクスピア校訂・注釈本であり、そこにはブローなどがいうところ の材源の概念をはみだすような、必ずしも劇作家シェイクスピアが創作時に参 照したわけではない資料がふんだんに紹介されている。同じような特徴はRout- ledge社が刊行しているShakespeare’s Sourcebooksシリーズという材源に特 化した参考書にもあてはまるから、あたらしい傾向はすでに本場の英国にも浸 透していることになる。蛇足かもしれないが、Routledgeといえば、ブローの
『シェイクスピアの材源』を出版し、The Arden Shakespeareシリーズの刊行 を担っていた名門である。かつてはシェイクスピア産業(the Shakespeare in-
dustry)などと揶揄されたこの業界も、激動の経済混乱期においてM&Aの波
に呑まれたのである。語学教材系のThomson Learning(現 Cengage Learn- ing)に買収されるなど紆余曲折を経た後、アーデン・シェイクスピア・第三
2
版シリーズの出版はBloomsbury Publishingに吸収され、落ち着いた。
1.『ヴェニスの商人』の材源
『ヴェニスの商人』に話をしぼって進めよう。もはや古典的ともいえるブ ローの『シェイクスピアの材源』第一巻によれば、その材源と考えられる文書 は八つであり、ブローの記述に従って目次を示せば、次のようになる。
I. Ser Giovannni Fiorentino,Il Pecorone(1558)Day4, Story I.(Translation)
II. FromThe Three Ladies of London,by R. W.(1589)
III. FromThe Orator,by A. Silvayn ; trans. L. P.(1596)No.95 IV. From Anthony Munday’sZelauto or The Fountaine of Fame(1580)
V. FromThe Jew of Malta,by Christopher Marlowe(1633)
VI.Il Novellinoof Masuccio; trans. W. G. Waters(1895). The Fourteenth Story VII. FromConfessio Amantis,by John Gower, Bk. V
VIII.Gesta Romanorum. Story LXVI ; ed. Sir. F. Madden(1838)
ブローの編集姿勢は、直接的な影響関係が濃厚なものを「蓋然性のある材源
(Probable Source)」とし、やや蓋然性に劣るものは「可能性のある材源(Pos- sible Source)」、さらに関係が薄らぐものは「類似文書(Analogue)」とするな ど、かかわり具合のスペクトラムを細かに色わけしているが、『愚か者』(Il Pe- corone)第四日第一話は、八つのなかでも「蓋然性のある材源の翻訳(Transla- tion of Probable Source)」(Bullough463)として筆頭にあげられている。後 で触れるように、この「編者による翻訳(translated by the editor)」に問題が あるのだが、論を急がず、ここでは材源としての重要性を指摘しておくにとど
3
めたい。
『愚か者』第四日第一話以外にも散文の材源として、三番目にあげられた
『弁士』(The Orator)、四番目の『ゼラウト:名声の泉』(Zelauto or The Foun- taine of Fame)、六番目の『マスッチオの物語』(Il Novellino of Masuccio)、 八番目の『ゲスタ・ロマノールム』(Gesta Romanorum)などが『ヴェニスの 商人』に影響を与えたと考えられている。『弁士』は元々フランス語で書かれ た。ブローの格づけでは、「人肉質入れ裁判」に類似した話(Analogue)であ り、その英訳は1596年にロンドンで出版されている。『ゼラウト』もまた「人 肉質入れ裁判」の話だが、ブローの評価は「可能性のある材源」ということで
『ヴェニスの商人』との関連がより深いと思われる。『ゼラウト』の高利貸し トゥルクレント(Truculento)は、ユダヤ人ではないが、「証文通り」の罰を 主張する際の文言や、「血の一滴も流してはならない」という裁判官のことば などが『ヴェニスの商人』の法廷における描写にきわめて似ている。『マスッ チオ』は「ジェシカの家出の筋」に関わる「蓋然性のある材源」である。本論 では深入りしないが、騎士道的な恋愛への揶揄と奇想天外な恋の逃避行をふく む波乱のストーリーであり、散文の物語としても読まれる価値がある。『ゲス タ・ロマノールム』第六十六話は「三つの箱選び」というアイデアを『ヴェニ スの商人』に提供している「蓋然性のある材源」であり、後から詳しく述べる。
散文のほかに演劇という分野も考慮しなければならない。もっとも関係が深 いのがシャイロックの人物造型に少なからず影響したクリストファー・マーロ ウ(Christopher Marlowe)の『マルタ島のユダヤ人』(The Jew of Malta)で ある。なぜかブローは五番目にあげていて、彼なりのランクづけも単に「材源
(Source)」という中途半端なものであるが、『ヴェニスの商人』への影響から いえば、序列はもっと高い位置にあっても不思議ではない。主人公である高利 貸しバラバスとその娘アビゲイルの描写が『ヴェニスの商人』におけるシャイ ロック、ジェシカ父娘のモデルになったと広く認められている。演劇研究では、
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近代初期英国の高利貸しというテーマも近年の注目の的であるが、ブローは、
その分野の芝居を二番目にあげている。厳密には作者不詳、おそらくはRobert Wilson作と推定されている『ロンドンの三人の貴婦人』(The Three Ladies of London)であり、この道徳劇的な色彩の濃い古い喜劇も人肉質入れ裁判に関 して『ヴェニスの商人』に影響したのではないかと考えられている(ただし、
ブローの評価は「類似文書(Analogue)」であるから、さほど高くはない)。 このように、作品の構成要素という意味での狭義の材源は、すでにブローに よって指摘された八つの材源をもって必要十分であり、ブロー、ミュアの後に 何かさらに目あたらしい資料を探そうとなれば、シェイクスピア作品の周辺、
すなわち文芸以外の分野、たとえば、歴史的な資料などに向かわざるをえない ように思えてくる。そこで、気鋭の北米系シェイクスピア校訂本は、おそらく は同時代の文化研究という信念から、『ヴェニスの商人』との因果関係を予感 させる、ひとつの説教を紹介している。
その説教とは、1607年8月24日に説教壇ポールズ・クロス(Paul’s Cross)
から発せられた「商人」(The Merchant)という名前の説教である3。説教師 は、武闘派プロテスタンティズムの牙城となっていたヘンリー王子の宮廷に出 入りする説教師Daniel Price4であり、聴きに集まった聴衆はロンドン商人組 合の面々であった。当該の説教は、パトロンであるヘンリー王子の支援をえて 1608年に出版された。従来の狭義での材源だけに対象を限定していたならば 決して多くの人の目に触れることもなかったであろう当時の文書が、抜粋とは いえ、手軽に読めることになったのはありがたいことであるが、推定1596−7 年初演、第一・四つ折り本(Q1)の出版が1600年である『ヴェニスの商人』
3 説 教「商 人」(の 抜 粋)を 掲 載 し て い る の は、M. Lindsay Kaplan編、The Bedford Shakespeare, pp.235−40; Leah S. Marcus編、The Norton Shakespeare, pp.110−14;
S. P. Cerasano編、The Merchant of Venice : A Sourcebook, pp.38−40である。
4 説教師プライスとヘンリー王子の宮廷との関係についてはMcCullough, pp.191−92 を参照のこと。
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と王朝がジェームズ朝に交代した後の1607年の説教とが、どのように関連し ているのか。確かに『ヴェニスの商!人!』と説教「商!人!」と符号は一致するのだ が、両者を直接つなぐ説明らしき説明は残念ながらない。材源研究の分野にお ける、広範囲な文化研究につながる可能性を秘めた動向は、あらたな地平を開 くものとして歓迎すべきものなのかもしれないが、危惧されるのは、旧来の実 証的な材源研究における地味で手堅い手続きが、先にあげた近年の書物に欠如 していることである。歴史的な関連文書として目あたらしい資料を紹介・掲載 するのは構わないが、では、その資料がシェイクスピアの劇作品とどのように 関わったのか。系図の説明が必要であろう。
以下、本論では、近年の注目株でありながら、いまひとつ関連性が判然とし ない説教「商人」は脇におき、より確実に『ヴェニスの商人』に影響を与えた と考えられる別の説教について考察する。それは、時代的に『ヴェニスの商人』
に先行する、説教師ヘンリー・スミス(Henry Smith)による説教「満ち足り た心の恵み(The Benefit of Contentation)」5であり、当該の説教が『ヴェニス の商人』とイタリア民話とのはざまで触媒の役割を果たしていたことを論じ る。これによって、文化的に排他的な関係にあるふたつのジャンルの文書、つ まり説教と民話とが、シェイクスピア演劇という地場で融合していることを提 言したい。
2.『愚か者』第四日第一日
まず、『ヴェニスの商人』における筋の展開と『愚か者』第四日第一話の物
5『ヴェニスの商人』の材源としての「満ち足りた心の恵み」の評価については、拙論、
Tsuruta, “‘The Benefit of Contentation’ : A Possible Source forThe Merchant of Venice” を参照のこと。
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語の展開とを比較し、どこまでが劇作家シェイクスピアの独創で、どこまでが 民話からの借り物であったかの線引きを明確にしておきたい。『ヴェニスの商 人』の一幕から四幕では、「求婚旅行の筋」と「人肉質入れ裁判の筋」という ふたつの筋が互いに交錯しながら同時進行する。このふたつの関心事に決着が ついた後、四幕の終わりから五幕にかけては「指輪をめぐる喜劇的な騒動」が 展開するが、この部分は実際の上演ではしばしば省略され、「裁判の終わり」が そのまま芝居の終わりとなることもある。特に、本来は脇役というか悪役であ るシャイロックの存在が大きく膨らんでしまった現代の演出では、指輪の話を つけ加えることなく、ユダヤ人高利貸しがみじめに敗訴する裁判の場面で終了 した方が、むしろ観客の納得する幕引きを提供できるのかもしれない6。しか しながら、シェイクスピアが、「指環をめぐる騒動」を『ヴェニスの商人』の 終幕としてつけ加えたのには揺るぎなき明確な理由がある。元となった民話
『愚か者』第四日第一話のなかに、それが有機的に組みこまれていて、前のふ たつの筋と不可分にして存在するからである。
イタリア民話『愚か者』はジョヴァンニ・フィオレンティーノによる十四世 紀後半の作品だが、印刷本となったのはエリザベス朝時代である。ブローが英 訳の底本としたのがその1558年版であり、これはウィリアム・シェイクスピ アの誕生する六年前、奇しくもエリザベス一世即位の年である。シェイクスピ ア時代の英訳本は、出版されたという記録もなく、存在も確認されていない。
ブローは『シェイクスピアの材源』において自ら翻訳した英訳を提供している が、どうも劇作家シェイクスピア自身は原語で読んでいたのではないかという 気がする。というのも、後で詳しく述べるように、劇作家がイタリア語を知っ ていたか、あるいはきわめてイタリア語に忠実な英訳を参照したか、そのどち
6 重苦しい裁判の後に陽気な五幕を演じることの困難については、上演に特化したChar- les Edelman編、The Merchant of Veniceの脚注(pp.247−48)を参照のこと。
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らかでなければ考えられないようなことばの連想が働いていて、民話と説教と を深く結びつけているからである。
話を『愚か者』第四日第一話にもどそう。よほど『ヴェニスの商人』の熱心 な読者・観客であったとしても、材源の民話まで読んでいる者の数は限られる であろうから、ここにあらすじを述べる。『ヴェニスの商人』のバサーニオに 相当する人物、主人公ジャンネット(Giannetto)は、フローレンスの豊かな 商人ビンド(Bindo)の三男坊である。父ビンドは遺言によって、ふたりの兄 に財産を分配し、ジャンネットには何も残さず、彼の名づけ親であるヴェニス の商人アンサルド(Ansaldo)の養子になるように命じる。ビンドの没後、ヴェ ニスに赴き、養父アンサルドにかわいがられたジャンネットは、仲間とともに 豪奢な帆船で航海に出発し、その途中で裕福な未亡人が住むというベルモンテ
(Belmonte)の港で求婚の賭けに挑戦する。一度の試みでみごとに成功をおさ めるシェイクスピア劇のバサーニオとは異なり、民話の主人公は求婚に二度も 失敗する。民話では、賭けの挑戦に関して、野暮な回数制限などはない。養父 アンサルドは、最初の二回はこころよく旅行資金を準備するが、三度目はさす がに手持ちの資金がつきて、ユダヤ人高利貸しから一万ダカットを借金し、そ の結果『ヴェニスの商人』のアントーニオと同じように裁判に訴えられ、命を 危うくする羽目におちいる。ジャンネットは、ようやく三度目の挑戦でなんと か未亡人を勝ち得るが、その求婚成立のためのルールがきわどい話である。す なわち、求婚者は未亡人を得るために、未亡人と一夜を供にして満足させなけ ればならないのである。ジャンネットは最初の二度の挑戦では、眠り薬が入っ た酒を飲まされてしまい、行為に至る以前に眠ってしまい失敗する。三度目に は、気の毒に思った侍女のひとりから酒のトリックをあらかじめ教えてもらい、
飲んだふりをしてベッドインし、未亡人を満足させる。いかにもイタリア民話 らしい話である。その後、期限までに借金が返済できなかった養父アンサルド の危機を知り、ジャンネットは法廷に向かう。法廷の場には、法律家に扮した
8
未亡人が現れ、機知によってアンサルドを救いだす。裁判の報酬という名目で 未亡人はジャンネットから結婚指輪を取りあげ、ベルモンテにもどった後、新 郎を責めてからかうという展開は、喜劇『ヴェニスの商人』とほぼ同じである。
結末の部分で特筆すべきことは、ジャンネットに秘密を教えた侍女が老アンサ ルドの妻となって終わるところである。『ヴェニスの商人』においてアンサル ドに相当するアントーニオがひとりだけ結婚の輪からはずれて、鬱屈とした雰 囲気のなかで終わるシェイクスピア喜劇とは異なる幕引きである。
3.『ゲスタ・ロマノールム』第六十六話
『ヴェニスの商人』を執筆したシェイクスピアは「剽窃」とさえいえるよう な密度で『愚か者』第四日第一話を活用しておきながら、酒のトリックの話を 完全に削除してしまった。その欠如を埋めるために採り入れられたのが「三つ の箱選び」という別の民話からの逸話である。それは十三世紀、英国において 俗ラテン語(Vulgar Latin)で編纂された、騎士道物語や聖人伝説を集めた説 話集『ゲスタ・ロマノールム』第六十六話のなかにある。シェイクスピアの
『ヴェニスの商人』に慣れ親しんだ私たちからすれば、バサーニオが金・銀・
鉛の三つの箱のなかから、もっともみすぼらしいがあたりである鉛の箱を選ぶ 場面は、当然の約束事であり、あまりにも芝居の流れに溶けこんでいるために、
それを除外してこの喜劇を思い描くことは不可能ですらある。このことはおそ らく、エリザベス朝の大衆劇場の観客・読者にとっても同様であったと思われ る。『ヴェニスの商人』の初期の版本である第一・四つ折り本(1600年出版)
の扉には、The most excellent history of The Merchant of Venice. With the ex- treme cruelty of Shylock the Jew towards the said Merchant, in cutting a just pound of his flesh : and the obtaining of Portia by the choice of three chests
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云々7とあるから、シェイクスピアの同時代人にとっても「三つの箱選び」が 芝居の重要な要素であった様子がうかがえる。劇作家シェイクスピアの創意工 夫は、元々はまったく別の話であった「三つの箱選び」を『愚か者』第四日第 一話を基礎とした『ヴェニスの商人』という構造物のうえにみごとに建て増し してみせたところにある。
材源となった『ゲスタ・ロマノールム』第六十六話では、箱を選ぶのは男で はなく女であると知れば、多くの人は驚くかもしれない。この話もまたあまり 読まれていないだろうから、必要なあらすじを紹介しながら『ヴェニスの商 人』との差異を浮かびあがらせよう。
あるときナポリ国王はローマ皇帝アンセルムス(Ancelmus)と和議を結ぶ ために娘をローマ皇太子の花嫁として差しだすことを決意する。ところがナポ リ国王の娘を乗せた船は嵐によって難破し、娘は鯨に呑みこまれる。娘は奇跡 的に救出され、なんとかローマにたどり着くが、到着した娘に対して、ローマ 皇帝が仕掛ける試験が三つの箱選びである。皇帝は、ナポリ国王の娘が次期ロー マ皇帝の妻にふさわしいかどうかを試すために、金・銀・鉛の器のなかから正 しいものを選ばせる。正解である鉛の器には Thei that chese me shulle fynde
[in]me that God hath disposed という銘が書かれており、信仰に厚い娘は正 しくも鉛の器を選択する。鉛の箱の中身は黄金や宝石であるが、物語の随所で 娘は神に祈ったということばが繰り返されるこの民話では、厚い信仰心の勧め という思想が背景にある。より世俗的な『ヴェニスの商人』においてバサーニ オが選ぶ鉛の箱の中身は、ポーシャの肖像画であり、箱につけられた銘は Who chooseth me must give and hazard all he hath であるから、その点で はシェイクスピアが変更を加えているのだが、金・銀・鉛のなかで鉛が正解で あるという点は同じである。『ゲスタ・ロマノールム』の最初の英訳は、1577
7 アーデン第三版John Drakakisによる序文(p.9)のなかに掲載されている第一・四つ 折り本の扉のページから、不規則な当時の印字を通常の現代綴りに直して引用した。
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年に刊行され、改訂版が1595年にも出版されていることから、『ヴェニスの商 人』を執筆した際に劇作家は容易にこの物語を英語で参照することができたと 考えられる。
4.『ヴェニスの商人』に残る民話の痕跡
シェイクスピアは、求婚者、花嫁ともに臑に疵を持つ『愚か者』第四日第一 話の求婚旅行の話を回避し、ある意味で無色無臭な「三つの箱選び」を『ヴェ ニスの商人』に組みこんだように思われる。だが、もしも劇作家の意図が主人 公であるポーシャやバサーニオの周辺から不道徳な臭いを一掃することであっ たのだとすれば、随分と手間をかけた割には、不徹底なことをやっているとし かいいようがない。未亡人が求婚者に酒を飲ませて陥れる原話の名残りが、ポー シャのせりふのなかに残っているからである。一幕二場、ベルモントの屋敷の 場面で、ポーシャとネリッサは婿候補者の名前をあげて、それぞれを評価して いる。そこでポーシャは、自分の好みではない大酒飲みのドイツ人求婚者(ザ クセン公の甥)に対しては、はずれの箱のうえに好物のワインを置いて、あや まった選択へと導いてほしいとネリッサにいっている。
NERISSA
If he should offer to choose and choose the right casket, you should re- fuse to perform your father’s will if you should refuse to accept him.
PORTIA
Therefore, for fear of the worst, I pray thee set a deep glass of Rhenish wine on the contrary casket, for if the devil be within, and that temptation
11
without, I know he will choose it. I will do anything, Nerissa, ere I will be married to a sponge.(1.2.87−94)8
ポーシャは、建前では、父の遺言(will)によって生きている娘の自由意志
(will)が制約されていると苦言を呈しているが、実のところ、このような企み ごとをして己の選択の意志を働かせている。原話『愚か者』第四日第一話では、
未亡人は求婚者全員に酒の罠を仕掛けている。もしも求婚に失敗した場合、求 婚者は罰として持参したすべての財産を没収されてしまうというルールであ る。民話の未亡人は、ポーシャのように婿選びを行っていたのではなく、金儲 けを目的とした詐欺を働いていたのであり、ジャンネットとの結婚は、いわば 成行きである。シェイクスピアは、その点を大幅に改良し変更した。『ヴェニ スの商人』では、酒を仕掛ける罠は、特定の嫌いな候補者への仕打ちとして、
単なるひとつの逸話として、このようにポーシャのせりふのなかに閉じこめら れている。これが演劇の筋のレヴェルにまで浮上して実際に場面として演じら れることはない。しかしながら、シェイクスピアは、省いてしまおうと思えば 容易に省略できたはずの民話の痕跡をなぜか敢えてここに残しているので ある。
また、求婚相手をベッドのうえで満足させるという話は、『ヴェニスの商人』
の「求婚旅行の筋」では完全に削除されているが、同様の猥雑さを連想させる せりふが別の場面で脇役グラシアーノに振り当てられている。四幕の終わりか ら五幕にかけて展開する「指輪をめぐる騒動の筋」は、前述したように原話
『愚か者』第四日第一日にすでに含まれているが、シェイクスピアが意図して いた本来の『ヴェニスの商人』のあるべき姿においても、指輪をめぐる一連の
8『ヴェニスの商人』からの引用と幕・場・行数は、アーデン第三版William Shake- speare. John Drakakis, ed., The Merchant of Venice(London : Bloomsbury,2010)に よる。
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騒動の終わりが芝居の終わりとなっている。すべての誤解が解けて、二組の新 婚夫婦、ポーシャとバサーニオ、ネリッサとグラシアーノが仲直りしたところ で、グラシアーノは猥雑な冗談をいって芝居を締めくくる。
Well, while I live, I’ll fear no other thing
So soar as keeping safe Nerissa’s ring.(5.1.306−7)
複数の学術的な版の註釈が意見を同じくしているように、「指輪」とは女性器 を暗示している9。こうしたきわどい冗談をもって幕を引くことによって、『ヴェ ニスの商人』は、消去しようとしたはずの猥雑な空気を呼びもどし、結果とし て最後の最後に至って原話であるイタリア民話の雰囲気に一歩逆もどりしてい るのである。劇作家の頭のなかでは、侍女と老アンサルドが結びつく怪しげな 結婚の話が思いだされていたのかもしれない。あまり重要な人物とはいえない グラシアーノに締めのせりふが与えられている理由も元となった民話を参照す るとその構造的な仕組みが見えてくるように思われる。
5.民話と説教の不都合な融合
芝居のプロット展開という意味でいえば、民話『愚か者』第四日第一日にお ける婿選びの話(実質的には未亡人による結婚詐欺の話)は跡形もなく消去さ れていて、その空白を埋めあわせるためにシェイクスピアは「三つの箱選び」
9 M. M. Mahoodは、新ケンブリッジ版の脚注で「指輪」は「女性器(vulva)」を意味
し得ると記している。また、アーデン第三版の編者ドラカキスは、脚注で、グラシアー ノによる妻の(女性器)所有への言及は「やっかいな役目でもあり、不安定さ、不安に 満ちている(both an onerous task, and is fraught with uncertainty and anxiety)」と立ち 入って述べている。
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を導入した。だが、原話の強烈な印象は、さすがに劇作家の頭から完全に消え さることはなかったと思われる。『愚か者』第四日第一日では、主人公ジャン ネットは、三度目の挑戦で侍女のひとりから酒のトリックを教えてもらい、就 寝前にふるまわれた眠り薬入りの酒を飲んだふりをして、行為におよぶ。そう してジャンネットがみごとに目的を達成したことを物語る原話のくだりを引用 すると「一晩中、その女性は彼の抱擁から離れず、このうえなく満足した。(e in tutta notte non gli uscì di braccio ; di che la donna fu più che contenta)」と ある(Giovanni Fiorentino92)10。参考までに、これに該当する直訳調の英訳(十 九世紀後半のW. G. Waters訳11)は and all that night she lay in his arms ; wherefore she was well content (Marcus93)である。前半と後半をセミコロ ンでつなぐことで、原文のイタリア語も英訳も、どちらも未亡人の「満足(con-
tenta/content)」がジャンネットの抱擁によることを明示している。これに対
するブロー訳は and all night long she did not leave his arms. The lady was highly delighted (Bullough470)であり、イタリア語との開きが顕著である。
まず、イタリア語では抱擁と満足の因果関係がセミコロンで結びついていて明 らかなのに、ブロー訳はここでピリオドを打ち、ふたつの文に分断している。
そして「満足(contenta)」に相当するところは、語彙を置きかえ、婉曲的に
「たいへん悦んだ(highly delighted)」と意訳している。決してブローの功績 を貶めるものではないが、ここでは、原話であるイタリア民話の猥雑さを多少 なりともやわらげようとする翻訳者(=ブロー)の意図すら感じられるのでは ないだろうか。もしも、そうだとすれば、「翻訳者は裏切り者(traddutore, tra-
ditore)」とイタリア語の諺にいうように、ブローの「善意」の意訳によって、
シェイクスピアのもちいた材源と完成作品としての『ヴェニスの商人』との関
10
引用は18世紀末にロンドン(Londra)で印刷されたイタリア語版より。
11W. G. Watersによる英訳はLeah S. Marcus編のThe Norton Shakespeare, pp.84−99 で読むことができる。本論への引用も同版から。
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係が見えにくくなっているとすれば、なんとも口惜しいかぎりである。特に、
ブローが『シェイクスピアの材源』で六番目にあげた『マスッチオ』の場合に
はW. G. Watersの英訳をそのまま掲載していることを考えると、『愚か者』第
四日第一日だけをブロー自ら英訳しているのは、なおさら不可思議である。
*
さて、『ヴェニスの商人』のプロットのレヴェルでは「(女性を)満足させる」
という概念は完全に消去されているが、興味深いことに『ヴェニスの商人』に
おいて content ということばは、複数の意味を重ね書きされたキーワード
となっている。材源と喜劇とのあいだの観念連合にこれまで充分な注意が向け られなかった原因は、残念ながらブローの英訳が障壁となっていたからだろう。
以下、I,II,IIIと番号を振りあてた引用から明らかなように、『ヴェニスの 商人』において content ということばは「人肉質入れ裁判の筋」の始まり と終わりで主要登場人物によって印象的に反復されている。
I. ANTONIO
Content, in faith : I’ll seal to such a bond
And say there is much kindness in the Jew.(1.3.148−49)
II. ANTONIO
So please my lord the Duke, and all the court, To quit the fine for one−half of his goods,
I am content … (4.1.376−8)
III. PORTIA
15
Art thou contented, Jew? What dost thou say?
JEW
I am content. (4.1.389−90)
引用Iは、例の「証文」に関して、アントーニオがシャイロックの提示する条 件をのむときのせりふである。当然、この「満足だ(content)」は反語であり、
続く「ユダヤ人にも親切心があふれているものだ」も負け惜しみである。引用 IIは、裁判の場面の終盤にさしかかるところだが、このアントーニオのせりふ から十数行後に続いてシャイロックが同一の文句 I am content (引用Ⅲ)
を発声する。このように、『ヴェニスの商人』において「満足(content)」と いうことばは、意図的に、構造的に反復されていることがわかる。シャイロッ
クの I am content には「判決に異議無し」という表層の意味と、本当は満
足していない者が無理矢理に「私は満たされた」といわされる深層のアイロ ニーが重ねられている。いうまでもなく、原話『愚か者』第四日第一日では、
裁判の場面において高利貸しが「満足した(content)」と発言することはな い。シャイロックの発言は、シェイクスピアの創造である。
原話における未亡人の性的な「満足」を『ヴェニスの商人』の裁判の場面に おけるユダヤ人高利貸しのアイロニカルな「満足」に属性変換したのは、劇作 家シェイクスピアの職人的直感のなせる技だったのではないだろうか。という のも、民話『愚か者』第四日第一日における未亡人の立ち位置と『ヴェニスの 商人』におけるシャイロックのそれは、ある角度からみた場合、きわめて類似 しているからである。すなわち、この両者は必要以上の富をためこんでいると いう点においてみごとに共通している。もう一度『愚か者』第四日第一話にも どって確認すると、一度目と二度目の挑戦では、ユダヤ人高利貸しは登場すら しないのである。大枚の出所は養父アンサルドの財布であり、その潤沢な富を
16
放蕩息子としてのジャンネットが蕩尽している。お金の流れこむ先はベルモン テの未亡人の懐であり、三度目もまだ彼女はジャンネットを鴨にするつもり だったのである(ところがひとりの侍女による裏切りのために運命が彼女の予 想外の方向へと脱線する)。原話の未亡人は、『ヴェニスの商人』のポーシャと 違い、最初から求婚者ジャンネットに好意を抱いていたわけでもない。必要以 上の富を溜めこむということが悪徳ならば、イタリア民話の未亡人は、ある意 味で、ポーシャよりもシャイロックに似ているのである。
*
「満足(content)」というキーワードが民話の未亡人と『ヴェニスの商人』
のシャイロックとをつなぐ。その延長線上に現れるのが、説教師スミスの「満 ち足りた心の恵み」である。『ヴェニスの商人』においてシャイロックの金銭 的強欲は血に飢えた狼の欲望として表象されている。ブローが解説しているよ うに、人肉を質にして償うという話は究極的には『マハーバーラタ』、「タルムー ド」、「十二表法(the Twelve Tables of Roman Law)」など人類古代の法にま でさかのぼるのかもしれないが(Bullough446−47)、『ヴェニスの商人』の材 源として対象をしぼって考えるのならば、『愚か者』第四日第一日、『弁士』、『ゼ ラウト』といった散文物語を考えればこと足りる。これらの諸材源と比較して
『ヴェニスの商人』がきわだつ点は、狼という動物を使った比喩表現である。
法廷の場面において、傍聴者のひとりであるグラシアーノは、次のような野次 を飛ばしてシャイロックを罵る。
Thou almost mak’st me waver in my faith, To hold opinion with Pythagoras
That souls of animals infuse themselves 17
Into the trunks of men. Thy currish spirit
Governed a wolf, who, hanged for human slaughter, Even from the gallows did his fell soul fleet, And whilst thou layest in thy unhallowed dam, Infused itself in thee ; for thy desires
Are wolvish, bloody, starved and ravenous.(4.1.129−37)
ここに現れる狼については、エリザベス女王暗殺未遂の嫌疑をかけられ、1594 年に処刑されたユダヤ人侍医ロデリーゴ・ロペスをさすという「狼(lupus)
=Lopez」説が19世紀末以来、広く流布している。だが、筆者は、この説を 採らない。この一見歴史的な、しかしながら実証できるほどの確証は何もない 説の考案者は、あのDictionary of National Biographyの編集主任であったSid-
ney Leeである12。推理によってシャイロックの「正体」を突きとめたという
リーのエッセイは1880年発行のThe Gentleman’s Magazineに発表され、その 記事を脚注に取り入れたNew Variorum版やJohn Dover Wilson編集の旧ケン ブリッジ版シェイクスピアを通じて、あたかも定説のようになっていった。し かしながら一方で、アーデン第二版の編者John Russell Brownのように、シェ イクスピア時代の大衆劇場の観客がロペスの血筋について知っていたはずもな く、狼=ロペスの同一性は、観客にとって何の意味もなさなかった13と考える 強力な反対派も存在する。また、批評家のStephen Orgelも狼=Lopez説には 完全に懐疑的である(Orgel149−50)。この問題については、Shylock : A Leg- end and Its Legacyの著者であるJohn Grossもいっているように「証明も反証 もできない領域(beyond the realm of proof or disproof)」(Gross33)なので
12
ちなみに、当時のDNBの「シェイクスピア」の項の執筆は、リーである。現在のDNB
ではPeter Hollandが担当していて、その異常に長い記事は一冊の本になっている。
13
ブラウンによるアーデン第二版序文pp. xxiii−xxivを参照のこと。
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ある。
喜劇の登場人物がせりふのなかで偶発的に言及する狼が、特定の宮廷人をさ していたと考えるのにはどうしても多少の無理が生じるが、それが強欲を象徴 しているという点においてはほとんど疑いようがない。エリザベス朝の大衆劇 場の観客にとってシャイロックのイメージを構成したものは、おそらく、満た されることを知らない欲望を持った狼のアイコンだったはずであり、それは当 時の有名な説教のひとつ「満ち足りた心の恵み」のなかにも登場する。
... though his house bee full, and his shop full, and his coffers full, and his purse full, yet his hart is not full, but lanke and emptie, like the disease which vvee call the Wolfe, that is alvvayes eating, & yet keepes the bodie leane.(A3v)14
富を蓄えながらも心は満たされずに痩せこけている狼。これが『ヴェニスの商 人』の高利貸しシャイロックを描写する一文だったとしても何らおかしくはな い。シャイロックは、借金返済不履行の代償として、執拗に「胸の肉一ポンド」
を追い求めるが、それはシャイロック自身がもっともよく承知しているように、
「羊肉、牛肉、山羊の肉(flesh of muttons, beeves, or goats)」と比べても「何 の価値もなく、利益にもならない(not so estimable, profitable neither)」(1. 3.162−64)。人肉を借金の形にする話は、『愚か者』第四日第一日のなかでも
展開し(Bullough469)、「肉一ポンド(a pound of flesh)」(4.1.304)という 印象的な表現もフランス由来の材源である『弁士』の英訳本に登場している
(Bullough 483)。しかしながら、これら外来の民話では、「無駄な肉」という 概念は扱われていない。役に立たない無駄な肉という発想もスミスの説教「満
14
説教「満ち足りた心の恵み」からの引用はシェイクスピア時代の版本の複写を利用し た。参考文献のHenry Smith.Three Sermonsより、原文そのままに引用した。
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ち足りた心の恵み」に登場する。スミスは、 …the couetous man lyeth by his money as a sick man sits by his meate, and hath no power to take it, but to
look vppon it (A3v)と説き、強欲な精神を、食べられない肉を渇望する病人
にたとえている。
「狼病」の「摂取する体力がない/取る権力がない(hath no power to take it)」は、裁判の結末における辛辣なアイロニーにつながっている。若い法学 博士に扮したポーシャは、最初に意図的にシャイロックに荷担するようなポー ズを取った後で、一転して以下のようにいい放つ。
This bond doth give thee here no jot of blood ; The words expressly are ‘a pound of flesh’.
Take then thy bond. Take thou thy pound of flesh.(4.1.303−5)
ダ ブ ル バインド
証文通りの直解主義を究極に推し進めたこの命令は、二重束縛以外の何もので もない。追い打ちをかけるように、財産没収と改宗をいい渡されたシャイロッ クに対して、ポーシャは「異義はないか、ユダヤ人(Art thou contented, Jew)?」(389)と詰めよるが、シャイロックは「異議ございません(I am con-
tent.)」(390)と答えるほかに残された選択肢はない。「狼病」という強欲の病
にかかったシャイロックは、アントーニオの「肉一ポンド」を取る権力を奪わ れ、満たされないままに「私は満たされた(I am content)」といわされるの である15。
これまで見てきたように、『ヴェニスの商人』では、ユダヤ人シャイロック
15Hugh Shortの論考 Shylock is Content : A Study in Salvation は、シャイロックの 強制改宗が合意のもとになされたという珍説を展開しているが、筆者はその立場を採ら
ない。Julia Luptonもシャイロックの強制改宗は、彼のキリスト教社会への参与を意味
すると肯定的に解釈しているが、かなり奇抜な発想である。
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が強欲の罪を背負うスケープゴートとして祭りあげられている。主たる材源と なった民話『愚か者』と喜劇『ヴェニスの商人』のテクストとを平行して読む とき、民話の未亡人の性的「満足(contenta)」が、裁判の場面で白旗を揚げ るシャイロックの「異議ございません(content)」に転化されている構造は明 白だが、そこにもうひと捻り加えているのが説教のことばである。イタリア民 話のきわどい話が、ある意味で純化され、毒をろ過されて無害になっていると 思われる一方で、劇作家は、民話と説教と演劇を三枚重ねに上書きして皮肉る という驚くべき力業をなしとげているのである。説教をいわば文字通り下敷き にされた説教師スミスにしてみれば、迷惑千万なことだっただろうが、幸か不 幸か、『ヴェニスの商人』初演時の1590年代後半にはすでにスミスは鬼籍に 入っていた。それにしても「エリザベス朝のショスタコーヴィチ」16と呼ばれ る劇作家シェイクスピアは、老成した類いまれな言語能力と少年のような悪戯 心とを兼ねそなえた人である。
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