シュテーデル美術館設立史料試訳
野 田 龍 一 *
*文中[ ]および...は、それぞれ、筆者による挿入部分および削除部分を示す。
目 次 はじめに
1.シュテーデルの遺言
2.シュテーデル逝去後の財団設立関係史料 3.シュテーデル美術館設立史関係年表
はじめに
わたくしは、かねてより、ドイツにおける財団法の歴史に関心をいだいて きた。ドイツにおける財団法の歴史をたどるとき、重要な事件がいわゆる シュテーデル美術館事件である。わたくしは、この事件について、とくに
「十九世紀初頭ドイツにおける理論と実務―シュテーデル美術館事件をめ ぐって―」『原島重義先生傘寿 市民法学の歴史的・思想的展開』(2006年 信山社)205-241 頁において研究する機会があった。
* 福岡大学法学部教授
その後、研究を続ける中で、シュテーデル美術館設立関係史料を、研究の 一助として試訳することが必要になった。粗雑な試訳であるが、ここに公表 する。
1.シュテーデルの遺言
以下、邦訳するのは、ヨハン=フリードリヒ=シュテーデル(1728 年 11 月 1 日誕生―1816 年 12 月 2 日逝去)の遺言およびその付録である。これら の史料は、フランクフルト=アム=マインの都市文書館を経て、現在フラン クフルト都市史研究所(旧カルメル会修道院)に所蔵されている。わたくし は、その原本の複写を、同研究所のご好意により閲読することができた。本 史料の請求番号は、Verträge der Freien Stadt Frankfurt, Nr. 415-417 であ る。ここに、複写をお送りくださり、本邦訳を許諾くださった同都市史研究 所の各位に対して、こころからなる感謝の意を表したい。なお、この遺言 の概要などに関しては、野田龍一「十九世紀初頭における理論と現実―シュ テーデル美術館事件をめぐって―」『原島重義先生傘寿 市民法学の歴史 的・思想的展開』206-211頁を参照されたい。ちなみに、一貫して「シュテー デル美術館」と訳した原語は、das Städel’sche Kunst-Institut である。遺言 からわかるように、同美術館は、たんに展示館のみならず、美術学校をも付 設するものであって、あるいは、インスティトゥートとそのまま使用した方 が適切かもしれない。(櫻井文子「問われる美術館の公共性―シュテーデル 美術インスティトゥート訴訟(1816-1829)に見る 19 世紀ドイツ語圏におけ る文化事業の位置付け」『比較都市史研究』第 29 巻第 1 号 4 - 5 頁は、原語 のまま使用している)。しかしながら、原田慶吉『日本民法典の史的素描』
(創文社 1954 年)26 頁にならい、広義の用法で「美術館」と訳したこと は、これまでにわたくしが発表した論文と同じである。
凡例
1.[ ]は、訳者による挿入部分を意味する。
2.[第○葉]とあるのは、原本の頁数を意味する。
3.紙幅の制限から、訳注は施さなかった。
4.以下の史料中、Nr.415(遺言本体)については、Christian Friedrich Elvers, Theoretisch-praktische Erörterungen aus der Lehre von der testamentarischen Erbfähigkeit, insbesondere juristischer Personen, Göttingen 1827, Beilagen S.3-15 その他に掲載されている。解読にあたって も、つねに参照した。
―
415
[第 1 葉]
神の名において!
わたくし、当地の市民にして、かつ商人ヨハン=フリードリヒ=シュテー デルは、久しい昔から、つぎの決意をいだいてきた。絵画、銅版画および美 術品についてのわたくしの相当の蒐集を、わたくしの、すべての、他日遺さ れる財産とともに、この財産が、特別の遺贈によって減少をこうむらないか ぎりにおいて、わたくしの、特別の、独立して存在し、かつわたくしの名 前を冠する美術館なるものの財団設立に、当地の都市および市民団のために 捧げる。また、この目的のために、すでに過去において、そして、名をあげ て言えば 1793 年 1 月 26 日および 1812 年 1 月 18 日に、遺言による諸々の処 分が、わたくしによって作成された。だがしかし、この間に、わたくしの、
愛する父なる都市は、その自治に、そして、フランスの制度と法律とが廃止 された後では、かつてそこで適用されていた普通法および[フランクフルト の]都市法を享有することに立ち戻った。;その後で、わたくしはつぎのよ うに決意した。上述の、そして、すべての従前の終意処分を破棄し、かつ無
効としたうえで、普通法の形式を遵守して、なお享有しているまったき精神 力―神に感謝!―があるうちに、わたくしの死後、わたくしの、この世での 遺産について、どのように処分されるべきかを、これをもって命じる。
それゆえに、わたくしは、以下のとおり、意欲し、かつ命じる。
第Ⅰ条。
絵画、デッサン、銅版画および美術品のわたくしの蒐集が、それに属する 書籍とあわせて、当地の都市および市民団のために、これをもって、わたく しによって財団として設立されるシュテーデル美術館なるものの基礎である べきである。
わたくしは、このシュテーデル美術館を、わたくしの包括相続人に、動産 および不動産に関する、わたくしの他日の遺産について、最良の法形式にお いて、これをもって指定する。ただし、わたくしによって、遺言の付録にお いて、わたくしの親族、友人およびその他の人々のために寄進されるか、ま たは、なお、さらに、わたくしによって書かれ、かつ署名されるか、もしく は、たんに署名されるにすぎない紙片によって寄進される諸々の遺贈を、唯 一の例外とする。
第Ⅱ条。
わたくしの意図は、つぎのことに向けられる。わたくしによって財団とし
[第 2 葉]
て設立されるこのシュテーデル美術館が、当地の都市にとって真の誇りとな り、そして、同時に、当地の都市の市民団にとって有益とならんことを。;
それゆえに、わたくしは、こう意欲する。絵画、デッサンおよび銅版画から 成る、わたくしの現にある蒐集は、その、美術の専門分野関係の書籍となら んで、その他の美術品をも含み、そして毎年増加され、―機会あらば、すで
にある、より劣悪な、そして月並みな作品を、よりよい作品と交換すること によって完全なものとされるばかりか、訪れる芸術家や愛好家らにもまた、
特定の日時に、しかるべき監視のもとに、利用と鑑賞とのために、まったく 自由に、かつ無料で開放される。
だがしかし、同時に、わたくしは、こう命じる。貧乏な、当地で市民と なった両親の子らは、性別や宗教の差別なしに、芸術および建築専門職に身 を捧げることを意欲するならば、腕のよい教師によって、図画の初歩を習 得するために、当地においてすでに存在する都市の図画学校において―そし て、こうした子らが、その恵まれた、自然の素質および能力を、この最初の 教育にあって証明し、勤勉さとよきふるまいとによって、いっそうの支援に 値するとされる場合には、その他の親方らによって、歴史画および風景画に ついて、すべての作法での銅版画について、純粋数学および応用数学につ いて、だがしかし、まったくとくに、建築術およびその、芸術専門分野に関 係する諸々の学問について、無料で教育され―そして、必要な支援を、当地 で、むしろ、諸事情および個々人にあって示されるすぐれた能力およびよき ふるまいに応じて、外国でもまた―有益でかつ有用な市民にして芸術家とな るために、この、わたくしの美術館から受け取るべきである。
第Ⅲ条。
この、わたくしの財団として設立される美術館の設立全体;したがって、
必要な財団スタッフの任免;―俸給の規律;美術館を、わたくしの、ロスマ ルクトにある家屋から、別のより広い、この目的専用の、購入され、かつあ らたに建設されるべき家屋へ移転すること、その場合、ロスマルクトの家屋 は、もっとも高い値で申し込む者に売却されるべきである;わたくしの遺産 に属する不動産および動産の譲渡;財団基金全体の管理、この財団基金の元 本は、当地の抵当およびその他のところでの抵当、すべての種類の持参人払
い債務、内外の公債にあって、コンソシアムとして、はたまた約定担保に
[第 3 葉]
投資されることができる。(わたくしは、そのさい、とくに、つぎのことを 命じる。わたくしの死亡時において存在する手形は、別段の異議がない場合 には、財団理事らの判断にもとづいて長くても、たんに 1 年に延期され、し かし、その後は、そして、この期間経過後は、まったくもっていかなる消費 貸借も、単純な、無担保の手形でもっておこなわれてはならない);毎年の 利息から、わたくしの財団基金を毎年増大すること、それは、この財団基金 が、なにがしか発生する喪失にあっても、その結果として減少することがな いようにするためである。;未回収債権の取り立て、青少年に教育を施す教 師の選任、だれが、この美術館から支援を享有するべきか?どれだけか?そ して、いかなる期間にわたってか?の決定―これらの青少年の道徳性の審査 および不道徳なふるまいの処罰;これらの青少年自身が、かれらの両親また は後見人らが、不作法なふるまいによって、支援の享有に値しないものとさ れる場合に、これらの青少年をただちに排除すること;以上すべてのこと、
ならびに、美術館の無制限の管理全体およびこのこととなんらかの点で結び ついていることは、わたくしによって、ただちに、さらに下方で指名される 財団理事らの自由な裁量に、ひとえに一任されつづける。そのさい、なんら かの公権力との協議または公権力の承認を取り寄せることがあってはならな い。
すなわち、わたくしは、
第Ⅳ条。
この、わたくしの、わたくしによって財団として設立され、そして、包括 相続人に指定されるシュテーデル美術館の代表者にして理事らに、また、わ たくしの終意処分の執行者に、名前のアルファベット順に、以下の、わたく
しの友人を指名する。かれらは、わたくしに、その承諾を、もっとも好意的 に約束してくれた。―
すなわち、
法学博士ヨハン=ゲオルク=グランプス氏。
枢密財務顧問官ヨハン=ゲルハルト=ホフマン氏。
商人フィリップ=ニコラオス=シュミット氏。
商人ヨハン=カール=シュテーデル氏。そして、
法学博士カール=フリードリヒ=シュターク氏。
わたくしは、これらの者に、まったき信頼を抱く。かれらは、この、わた くしの、財団として設立された美術館を、よく管理するであろう。それゆえ に、わたくしは、なるほどかれらが、わたくしの逝去後にただちに、そし て、かれらの後任の者たちが、将来において、当地の参審裁判所および控訴 裁判所において、―その名称および施設は、今後変化するであろうにせよ―
わたくしの財団設立状にもとづいて、宣誓義務を引き受けるであろうことを
[第 4 葉]
命じる。しかし、これらの者は、かれらの任意に引き受けた管理に関しては けっして責任を負わせられるべきではない、というのが、わたくしの意思で ある。
これらの、わたくしの前述の理事諸氏は、全員で、または、個別に、わた くしによって包括相続人に指定されたシュテーデル美術館の代表者として、
わたくしの遺産の占有への委付を、官庁に申請するべきである。そして、か れらは、この遺産占有への委付がおこなわれたであろう後では、指定された 遺言執行者として、わたくしによっておこなわれる諸々の特定遺贈を、遺言 の定めにしたがって、相続財産の中から履行するべきである。
理事らのうちのだれかある者が逝去する場合には、理事らは、自由な選任 によって、当地の市民団の中からのふさわしい人物でもって補充する。そし
て、意見が分かれるであろう場合には、抽選による。その他の理事会決議を おこなうさいには、多数決で決定する。そして、その後、なにか重要な事件 が生じ、これらの事件にあって、理事諸氏が、なお、財団外の助言を、有益 でかつ目的にかなったものと見るべきであろう場合には:わたくしは、こう 願望する。理事諸氏は、その場合には、とくに、現在の第二市長氏にして、
第一審裁判所の所長であるヨハン=ヴィルヘルム=メツラー氏のところに赴 かんことを。わたくしは、メツラー氏の友誼と郷土愛の志操を、余すところ なく思い出し、そして、こう確信する。メツラー氏は、わたくしの財団のた めに、いつも、かれのよき助言と、徹底的な識見とをもって、満足ゆくよう に支援するであろう。
第Ⅴ条。
理事らの権限は、このわたくしの財団の、上述の目的および意図から、ま た、第Ⅲ条において付与された無制限の権力から、おのずとでてくる。そし て、すでにうえで述べたことがらのほかに、より詳細で、かつよりこまごま した細目に立ち入ることは、それゆえ、余計なことであろう。したがって、
わたくしは、ただ、[財団の]管理のガイドラインについてのみ、なお、以 下のことを述べたい。:
すなわち、
a)つぎのことが、わたくしの意欲することである。この、わたくしに よって財団として設立されるシュテーデル美術館は、独立して存在し、そし て、いかなる他の施設とも、実に、あまつさえ、いかなる美術館とも、けっ して合併されるべきではない。そして、このシュテーデル美術館は、もっぱ ら、わたくしによって指定され、そして命じられた代表者らによって管理さ れ、そして配慮されるべきである。
こうして、わたくしは、つぎのことを切望する。
[第 5 葉]
b)将来において、この美術館は、他の美術愛好者やうつくしい芸術の支 援者らの寄付金、遺贈および贈与によって増大される。しかし、こうした寄 付金は、わたくしの美術館の精神に、あるいは、わたくしの表示された意思 に、ほんの少しでも違うような条件つきであるときには、受け入れられては ならない。そのさい、当美術館の明白なメリットがあきらかであるとされる であろう、ということにはかかわりない。―
c)当美術館に属する絵画、デッサン、銅版画、書籍およびその他の美術 品のうちのいかなるものも貸し出されてはならないし、あるいは、なんらか の口実のもとで、当美術館の所在地から、たとえだれのところにであれ、し たがって、共同理事らのうちのある理事のところにもまた、持ち出されては ならない。そして、
d)わたくしは、すでにうえで第Ⅱ条においてこう述べた。わたくしに よって遺される絵画、デッサンおよび銅版画、はたまた、その他の美術品や 書籍のうちからですら、当美術館において保管されるに値しないと考えられ るであろうものを選り分け、かつ排除することは、理事らに委ねられる。そ れと同様に、理事らはまた、同じ吟味に耐えたもののみを、遺贈および贈与 として受け取るべきである。なぜなら、わたくしは、わたくし自身の蒐集に 関しては、同一の慎重な選別を命じ、だれも、このことによっては侮辱され ることはできないからである。
第Ⅵ条。
わたくしの両名の商業使用人、ゴットフリート=ケッヒァー氏、およびヨ ハン=ゴットフリート=イェーガー氏がいる。両名とも当地の出身である が、前者は、20 年前から、後者は、7 年前から、わたくしのまったく満足す るところとして、わたくしに仕えてきたし、そして、現在なお仕えている。
かれらは、なるほど、かれらの従前の俸給を維持したうえで、この俸給は、
毎年そのつど 50 グルデンだけ増額されてきたのであるが、そして、理事会 によって定められるべき食事に関する量を維持したうえで、美術館の家屋に おいて、美術館の雇い人として雇用されるべきである。だがしかし、それ は、このことが、美術館の長である諸氏の賛同および満足とでもっておこな われることができるそのかぎりにおいて、である。けだし、かれらに、反対 の場合において、終身の既得権を認めることを意欲する、というのは、わ たくしの意図ではないからである。むしろ、第Ⅲ条によれば、かれらの解雇 もまた、長である諸氏の裁量にあり、そして、いずれかが婚姻するであろう 場合には、この者は、異議なく、美術館のその時点での所在地を去り、そし て、美術館の近くに移されるべき住居に関して、理事諸氏の賛同を懇請し、
この者について、これらの理事諸氏が、毎年、住居に関して定めるに適切と
[第 6 葉]
考える金額でもってただちに満足しなければならない。
第Ⅶ条。
わたくしは、わたくしのまったき信頼を、わたくしによって指定され、そ して、将来、あるいは、なお、さらに、わたくしによって―いずれかの理事 が、わたくしよりも先に死亡するであろう場合には―指定されるか、あるい は、かれら理事によって、規定にしたがって、当地の市民団の中から選任さ れる理事諸氏の識見と正直さとに、このシュテーデル美術館の最初の設立 にあっても、また、その継続にあっても措く。そして、すべての将来の制度 を、諸々の指示によってあらかじめ定めるのは、得策でもまた有益でもな い。;それゆえに、わたくしにとっては、わたくしの美術館の精神と意図と を、以上において、十分に表示し、そして、長である諸氏に、わたくしのよ く考えられた意図を達成するために、すべての無制限の力と権力とを付与し
た、ということで、十分である。
ただし、わたくしは、つぎのことを意欲する。
第Ⅷ条。
すなわち、毎年の収支、そのさいに記載されるべき正規の帳簿、そして、
それに属することに関して、常任の財団の会計監査役として、これをもって 以下の者たちを指定した、ということである。:
1)現在の都市シュルトハイス氏、
2)そのつどの筆頭法律顧問氏、
3)称賛される市民委員会の現在の長老氏ら、ならびに、
4)2 名の、かの称賛される市民委員会の中から選任される、会計制度の わかるメンバー。
帳簿および会計簿が、これらの監査役の諸氏の前に、毎年、特定の日にお いて、美術館の長である諸氏の会合において、監査のために提出されるべき である。
わたくしは、この労苦のために、これらの監査役のうちの各人に、金 10 ドゥカーテンの毎年の報酬を定める。この報酬は、財団基金から、付与され るべきである。
以上とならんで、わたくしの願望であるのは、当地の市民団が、理事会を 通じて、折りに触れて、当美術館のなりゆきおよび当美術館の慈善活動につ いて、あまねく知らせられる、ということである。
第Ⅸ条。
さて、以上が、そして、添付され、かつ、なおさらにいくばくか添付され るべき紙片が(この添付紙片は、本遺言に文字通り合体されたものとして見
[第 7 葉]
られるべきである)含むことがらは、わたくしの熟慮された最後の、そして もっとも愛好される意思である。したがって、わたくしは、つぎのことを意 欲し、かつ要求する。この意思は、すべての部分において正確に遵守される こと、そして、この意思が、期待に反して、正式の遺言としては存立できな いそのかぎりでは、それにもかかわらず、この意思は、小書付として、そし て諸々の法からすれば、もっともよくおこなわれることができ、そしておこ なわれたい、すべてのその他の方法で、維持され、そして有効とされる、と いうことである。
わたくしの自署による、公証人氏および 7 名の、とくに要請された遺言証 人の前で、おこなわれた署名と捺印とを証拠として。
以上のように、フランクフルト=アム=マインで、1815 年 3 月 15 日水曜 日におこなわれた。
(印章)ヨハン=フリードリヒ=シュテーデル、遺言者として。
(印章)ベルンハルト=オットー=フス、要請された遺言証人として。
(印章)ヨハン=ミヒァエル=ヘネル、要請された遺言証人として。
(印章)エマヌエル=ヴィンクラー、要請された遺言証人として。
(印章)ヨハン=クリスティアン=レゲス、要請された遺言証人として。
(印章)ハインリヒ=ルードヴィヒ=ロース、要請された遺言証人として。
(印章)アウグスト=ヴィルヘルム=ベルニンガー、要請された遺言証人 として。
(印章)コンラート=ハインリヒ=ナーゲル、要請された遺言証人として。
以上の遺言行為は、わたくしの、署名する、このためにとくに求められる 公証人の立会いにおいて、まったくもって、法律の規定にしたがって、とく に、文書が一体であることを精確に観察したうえでもまた、各方面からの
手と印章について再度確認をしたうえで、執りおこなわれた。;以上のこと が、これを通じて、わたくしによって、公証人による公証のもとに、手と印 章でもって公証される。以上のように、フランクフルト=アム=マインにお いておこなわれた。1815 年 3 月 15 日。
カール=ヴィルヘルム=コルディア
(印章) 自由都市フランクフルト=アム=マインにおいて。
公けに宣誓した公証人。
[第 7 葉の左側欄外]
都市裁判所で、開封され、そして朗読された。
1816 年 12 月 3 日火曜日。
ハルトマン 一等書記官。
―
416
[遺言書の封書表題]
1816 年の第 57 番。
―
この中に、わたくしの、1815 年 3 月 15 日に、7 名の証人および公証人の 前で作成された、終意処分が存在する。そのさい、わたくしは、同時に、わ たくしの真剣な意思を、つぎのように表示する。わたくしが逝去した後で、
いかなる裁判所での封印もくわだてられるべきではない。そして、このわ たくしの終意にすでに添付されている主たる遺言付録のほかに、なお、さら に、わたくしによる遺言の紙片が、いつの日か発見されるときには、これら の遺言の紙片も、[主たる遺言付録と]同じ有効性をもつ。
ヨハン=フリードリヒ=シュテーデルによる。
―
417
№ 1.
[第 1 葉]
この年[1815 年]の 3 月 15 日において、わたくしは、すでに、わたくし の終意処分を作成した。わたくしは、この終意処分に、いまや、以下の諸々 の遺贈およびその他の諸処分を付け加える。―そして、わたくしは、わたく しの遺言において、わたくしが包括相続人に指定したシュテーデル美術館 の、わたくしによって指定された理事諸氏に、つぎのことを懇願する。遺言 執行者らとして、いまや、ここにおいて、以下につづく諸々の遺贈を、しか るべく、そして、自身の裁量にもとづいて、わたくしの逝去から計算して 2 年以内に、わたくしの受遺者らのいかなる者にも、この 2 年以内には、その 者に付与される遺贈を、わたくしの相続財産から請求する権利は帰属するべ きではない、というように、しかも、すべて、24 グルテン貨単位で支払う ことである。すなわち
わたくしは、シュトラスブールなる、わたくしの亡きおじクリストフ=フ リードリヒ=シュテーデル氏の子らに、名を挙げて言えば
1.)シュトラスブールなるダニエル=ベルンハルト=シュテーデル氏、そ の子らおよびこれらの子の子孫に。六千グルデン=すなわち 6000 fl.
2.)シュトラスブールなる元林務書記官ヨハン=シュテーデル氏の娘に。
六百グルデン=すなわち 600 fl.
3.)同じくシュトラスブールなる故 M. エリーザベト=ゲリング夫人旧姓 シュテーデルの子らおよびかれらの子孫に。六千グルデン=すなわち 6000 fl.
4.)シュトラスブールなる故ドロテーア=ソハツ夫人旧姓シュテーデルの 遺された娘およびその子らに。三千グルデン=すなわち 3000 fl.
5.)シュトラスブールなる故アンナ= M. =ホルツベルガー夫人旧姓シュ
テーデルの子らおよび子孫らに。四千グルデン=すなわち 4000 fl.
6.)当地なる市民にしてかつ商人ヨハン=カール=シュテーデル、わたく しの亡きおじカール=シュテーデル氏の息子、または、万一、かれが逝去し た後ではかれの子らに。六千グルデン=すなわち 6000 fl.
7.)故ロシナ=シビラ=ケルナー夫人旧姓シュテーデルの両名の遺された 子らに。すなわち、ヨハンナ=カロリナ=メツラー夫人旧姓ケルナーおよび
[第 2 葉]
商人カール=フェルディナント=ケルナー氏に。合計して六千グルデン=す なわち 6000 fl.―
8.)フリデリカ=カタリナ=シドマ=オットマン博士夫人旧姓シュテーデ ルに。この女性は、再婚したのだが、終身、毎年二百グルデンすなわち毎年 200 fl.―
9.)ラプラス夫人旧姓シャルロッテ=サロメ=シュテーデルに。かの女 は、ロシアにいたのだが、終身、毎年 100 グルデン=すなわち毎年 fl. 100.―
10.)クリスティナ=マルガレタ=ジーベルト夫人旧姓アルトネおよびか の女の子らに。四千グルデンすなわち fl. 4000.―
11.)マリア=エリーザベト夫人旧姓アルトネに。いまや、司法顧問官ヴィ ルト氏と婚姻しているのだが、そして、その子らに。四千グルデンすなわち fl. 4000.―
12.)故宮中顧問官ゲオルク=アドルフ=フッチュ氏の寡婦夫人およびか れの子らに、かれとの生涯おこなった親密なる交流への追憶として、三千グ ルデンすなわち fl. 3000.―
13.)わたくしの 5 名の理事の諸氏に。もっとも、かかる者たちは、わた くしによって、もっともわずかな報酬もなく、そして、たんに、郷土愛精 神およびこのわたくしの慈善的な美術館への愛情から、同美術館の長とな ることを請い求められた。;かれらには、しかしながら、少なくとも、わた
くしの終意処分の執行者らとして、始まりは、多くの骨折りと時間の浪費と を惹起するであろうがゆえに、わたくしは、1 回かぎり、報酬として、しか も、各人に五百グルデン=すなわち fl. 500.―を、したがって、合計すれば、
二千五百グルデンすなわち fl. 2500.―を定める。そして、わたくしは、友誼 として、かれらが、この二千五百グルデンを、わたくしの、至当な謝意とし て見るという慈悲深さをもつであろう、ということを請い求める。
14.)わたくしの年長の商業使用人、当地出身のゴットフリート=ケッ ヒァー氏に。四千グルデンすなわち fl. 4000.―
15.)わたくしの第二の商業使用人、当地出身のヨハン=ゴットフリート
=イェーガー氏に。二千グルデンすなわち fl. 2000.―
16.)わたくしの厨房使用人、ヴァルデキッシェンなるヴィルドゥンゲン そばのゲラスハウゼン出身のクリスティアン=バイトホイザーに。かれは、
すでに 1786 年以来、わたくしに仕え、そして、忠実かつ誠実に尽くした。
[第 3 葉]
わたくしのまったき満足の証拠として。千グルデン。つぎのこともまた、
わたくしの意思である。同人は、わたくしの逝去後、かれが、わたくしの美 術館の家屋にとどまるか、あるいは、否かにかかわらず、終身、かれの従前 の俸給と衣類とを、これまでどおり受け取り、そのほかにも、豊かに世話を される。それは、かれの残りの生涯の日々を、平穏に、あるいは、当地にお いて、あるいは、そのほかに、かれが意欲するところで暮らすことができる ようにするためである。
17.)わたくしの家政婦、フルダ出身のカタリーナ=エリーザベト=フッ クスに。この家政婦が、わたくしの逝去の時に、わたくしに仕えていたなら ば、三百グルデンすなわち fl. 300.―また、この家政婦のために、つぎの配慮 がおこなわれるべきである。この家政婦が財団の家屋にとどまると否とにか かわらず、―五十グルデンの毎年の俸給とならんで、その日々を、豊かな扶
養付きで、平穏のうちに過ごすことができるように。
18.)オーバーラートなるわたくしの農場管理人であるブラウンまたはか れの子らに、三百グルデンすなわち fl. 300.―
19.)ブラウンの娘であるアンナ=マリア、婚姻後の現姓ルノーには、な お特別に、二百グルデンすなわち fl. 200.―
20.)ブラウンの娘である、オーバーラートなるマリア=ドロテーア、婚姻 後の現姓ガンツィンに。わたくしの亡母は、このマリア=ドロテーアの洗礼 のさいに代母をつとめた。そして、かの女の子らに。二百グルデン fl. 200.―
21.)当地なるダニエル=ヘーフナーの妻、旧姓シンプティンに。わたく しの亡母は、この妻の洗礼のさいに代母をつとめた。二百グルデン fl. 200.―
22.)わたくしの亡父が代父をつとめた受洗子、ラムバハなる隣人ヨハン
=ダニエル=シュヴァインに、二百グルデンすなわち fl. 200.―
23.)称賛される精神病院に、千グルデンすなわち fl. 1000.―
24.)称賛される救貧院に、千グルデンすなわち fl. 1000.―
25.)称賛される聖霊病院に、千グルデンすなわち fl. 1000.―
26.)称賛されるゼンケンベルク博士財団に、千グルデンすなわち fl.
1000.―
27.)当地のドミニクス=アルノルト氏に。かれは、わたくしの事務所に
[第 4 葉]
いた。五百グルデン。fl. 500.―
28.)コンラート=ヒエロニムス=ミュラー氏に。かれは、わたくしのと ころで見習修業をした。五百グルデン。fl. 500.―
29.)商人シュテファン=ムージに。われわれの親しい歓談の思い出とし て。二千グルデン fl. 2000.―
30.)ついで、わたくしは、つぎのことを意欲し、そして命じる。わたく しから、毎月支援を受け取る、かの貧困者らは、かれらが生きており、そし
て、かれらのふるまいによって、この支援に値しないものとなるのではない そのかぎりにおいて、この支援を、さらに受け取るべきである。
31.)すべての、うえの、わたくしの家外の親族らのために調達される遺 贈は、これらの親族に、純粋にかつ完全に、特定された金額にもとづいて支 払われ、そして、遺贈について支払われるべき税金またはその他のこれに関 する雑費は、わたくしの相続財産から、なおとくに、これらの税金または雑 費に関して支弁されるべきである。
フランクフルト=アム=マイン 1815 年 3 月 22 日。
(印章) ヨハン=フリードリヒ=シュテーデル 当地の市民にしてかつ銀行家であるヨハン=フリードリヒ=シュテーデル は、わたくしこと、署名した公証人によって、以上の遺言付録の内容につい て、再度知らされ、そしてこの付録に、わたくしの立ち会いにおいて、自 署し、そして捺印した。;わたくしは、ここに、これによって、求めに応じ て、公証人の信義のもとに証明する。フランクフルト=アム=マイン 1815 年 3 月 22 日。
カール=ヴィルヘルム=コルディア
(印章) 自由都市フランクフルトにおいて登録された公けに宣誓した公証 人。
―
417
№ 2.
[第 5 葉]
わたくしは、わたくしの、1815 年 3 月 15 日に作成された終意処分に、こ こにある第二の付録を付け加える。わたくしは、すなわち、つぎのように命 じる。
第一に。わたくしは、つぎのことを意欲する。わたくしの財団の、わたく
しによって選任された理事諸氏は、この財団の名において、わたくしの遺産 を、無条件に、かつ、裁判所での財産目録の利益なしに就任するべきであ る。それは、実際にも、わたくしが、この動機から、わたくしの裁判所によ る財産目録の作成がおこなわれるべきではないことを命じるごとくである。
―だがしかし、だからといって、裁判所での手数料に関することがらのため に、なんら失われることがないようにするために、この裁判所での手数料に 関することがらのために、100 グルデンが、―しかも、これを受け取るべき 裁判所職員に、同様にその分だけ、わたくしの遺産から支払われるべきであ る。―
第二に。:わたくしは、わたくしに、そのように好意的に、また活発に提 供された、重要な奉仕についての、わたくしの感謝する思い出のために、当 地の博士ヨハン=ゲオルク=グランプス氏に、24 グルデン貨単位で二千グ ルデンを遺贈する。
フランクフルト=アム=マイン 1815 年 3 月 28 日。
ヨハン=フリードリヒ=シュテーデル
わたくしは、サムエル=フリードリヒ=オストヴィルトの最初の婚姻から 生まれた子らに 24 グルデン貨単位で四千グルデンを遺贈する。―
わたくしは、ヨハン=アダム=ヘルマン=ディープ氏に、同様に、24 グ ルデン貨単位で四千グルデンを遺贈する。しかしながら、これら四千グルデ ンは、わたくしの逝去後、かれが、子無しで死亡するときは、上述のオスト ヴィルトの子らに復帰するべきである。―わたくしの遺言において理事とし て指定されていたカール=シュテーデル氏は、最近死亡したがゆえに、わた くしは、この者の代わりに、これをもって、カール=フェルディナント=ケ ルナー氏を、わたくしの財団の理事として指定することを意欲する。;そし て、わたくしは、こう信じて疑わない。同人[カール=フェルディナント=
ケルナー氏]はかれの人格に措かれる、わたくしの信頼に、かれの好意的 で、かつ郷土愛的な志操からして、よろこんで応えるであろう。フランクフ ルト 1815 年 7 月 1 日。
ヨハン=フリードリヒ=シュテーデル
― 417
№ 3.
[第 6 葉]
わたくしは、フィリップ=ニコラオス=シュミット氏に、わたくしの友誼 的な思い出として、24 グルデン貨単位で二千グルデンを遺贈する。―
フランクフルト 1815 年 10 月 30 日。―
ヨハン=フリードリヒ=シュテーデル
― 417
№ 4.
[第 7 葉]
わたくしは、さらに、ここにある紙片付録によって、1815 年 3 月 15 日に 作成された、わたくしの遺言に加えて、つぎのことを命じる。わたくしが逝 去するさいには
1.)わたくしの商事使用人ゴットフリート=ケッヒァー氏に、24 グルデン 貨単位で一万五千グルデンの遺贈が、
2.)わたくしの商事使用人ヨハン=ゴットフリート=イェーガー氏に、24 グルデン貨単位で六千グルデンの遺贈が、さらにわたくしの遺産から支払わ れるべきである。それは、かれらに、かれらの提供された奉仕についてのわ たくしのまったき満足の証明を与えるためである。しかも、わたくしが、さ きにそれゆえに処分したことがらを別として、わたくしの遺言の第Ⅵ条で
命じられた、上述の、わたくしの両名の商事使用人の任用は、その生涯全 体に、無条件で及ぶべきである。フランクフルト=アム=マイン 1816 年 6 月 4 日。
ヨハン=フリードリヒ=シュテーデル
2.シュテーデル逝去後の財団設立関係史料
以下試訳するのは、フランクフルト都市史研究所の所蔵にかかる、シュ テーデル逝去後のシュテーデル美術館設立関係史料である。
わたくしは、2010 年 9 月 9 日から 9 月 17 日まで、福岡大学海外研修員と して、上記研究所で、これらの史料を閲読筆写することができた。
解読した原文については、後日、別途公表したい。
第 1 部で試訳したシュテーデルの遺言に比すれば、シュテーデル逝去後か らシュテーデル美術館の財団としての設立にいたるまでの史料はこれまであ きらかにされていなかった。
以下の史料は、この欠を補う一助となりうると確信する。
凡例は、第 1 部と同じである。
史料の請求番号は、Nachlassakten 1806/509 である。
以下の史料を閲読・邦訳するにあたっては、上記研究所の快諾をえた。マ イン河畔は旧カルメル修道院内の静謐で清潔な閲覧室で過ごした、修道僧に も似た研鑽の日々を思い起こしながら、ここに、謝意を表したい。
― 1
自由都市フランクフルトの都市裁判所において証書として作成。1816 年 12 月 3 日火曜日午前。ここに持ち込まれた、1815 年 3 月 15 日に作成され、
そして、印章でもって封印された、逝去した、当地にいた市民にしてかつ商 人ヨハン=フリードリヒ=シュテーデルの終意処分が、主たる遺言、付録お よび 3 通の小書付とともに開封され、朗読され、そして、ただちに、第 57 番の番号をつけたうえで1816年のその他の諸々の遺言に加えて登録された。
[フランクフルト都市裁判所]一等書記官ハルトマン
― 2
いとも称賛される都市裁判所宛て。 いとも称賛される都市裁判所 もっとも畏れながらの、もっとも謹んだ陳情および請願。
末尾に署名している、ヨハン=フリードリヒ=シュテーデルがすでに指名 した遺言執行者らにおいて。これらの遺言執行者の、不特定の相続財産の管 理人としての仮の任命、この資格でのかれらの義務付けおよび命じられるべ き開封に関して。
本年 12 月 2 日に逝去した商人ヨハン=フリードリヒ=シュテーデル氏 は、かれの 12 月 3 日に公表された遺言において、なるほど、すべての裁判 所での封印を禁止した。だがしかし、この裁判所での封印が、それにもかか わらず、称賛される都市当局によって命じられた。遺産は、この状況におい て、将来の占有委付まで、シュテーデル氏によって[相続人に]指定された 財団には、とどまることができない。故人が遺した、すこぶる莫大な財産の 状態にあっては、日々のできごとが、つぎのことを要求する。ひとは、戸棚 や鉄製の箱から書類を取り出さなければならないし―また、その中に封入さ れたものの中から、現金および鉄製の箱を取り出すことを余儀なくされると 見る。
それゆえに、末尾に署名した者たちは、シュテーデル氏の指名された遺言 執行者らとして、謹んで、つぎのことを請願することをきっかけづけられ た。:
これらの者を、不特定の相続財産の管理人らとして―いとも適切に任命し
―そして、この資格において、義務づけ、ついで、だがしかし、裁判所によ る封印を、ふたたび、もっともいとも適切に命じられんことを。
ヨハン=ゲオルク=グランプス博士 博士カール=フリードリヒ=シュターク
カール=フェルディナント=ケルナー フィリップ=ニコラオス=シュミット ヨハン=ゲルハルト=ホフマン都市参事会員 1)当地の市民ヨハン=ゲオルク=グランプス博士、カール=フリードリヒ
=シュターク博士、商人カール=フェルディナント=ケルナー、商人フィ リップ=ニコラオス=シュミットおよび都市参事会員ヨハン=ゲルハルト=
ホフマンは、当地の市民かつ商人ヨハン=フリードリヒ=シュテーデルの動 産の現存する遺産の遺言執行者に、これをもって任命され、そして、これら の者は、このゆえに、つねのごとくに義務を負わされるべきである。
2)事前の裁判所による審理なしには、[また]申立人らが、相続人に指定さ れた美術館の、故人によって指定された理事として、相続財産に委付される 前には、これらの遺産を申立人らのために開封することを求める申請は聞き 届けられることができない。;これに対してはつぎのことが申し立てられた。
この財産の管理において、滞りが生じることのないようにするには、戸棚や 鉄製の箱から、書類や現金を取り出す、ということが、必要であろう。:そ れゆえに、申立人である諸氏は、すべての個々の場合において、このことが 必要であるとされるであろうときには、[都市裁判所の]二等書記官のとこ ろに赴くべきである。この[都市裁判所の]二等書記官は、かれら申立人 に、そのつど必要とされる目的物を、領収証と引き換えに引き渡し、これに つづいて、だがしかし、引き渡さなかったものを、ふたたび封印のもとに置 くであろう。
3)この命令を、称賛するべき都市区裁判所に、つぎの委託付きで送付する ことが、意図される。それは、債権債務関係の記録を、ここに届けさせ、そ して、この遺産を、二等裁判所書記官において再掲示する、という委託であ る。
4)この二等裁判所書記官には、これにもとづいて、遺産を、この裁判所の
印章のもとに置き、そして、この命令の第 2 項の規定にもとづいて手続きを することが、委託される。
4/2 1816 年 12 月 4 日の都市裁判所の命令。
12 月 5 日に、グランプス博士および称賛される都市区裁判所に送達。
ゼル
― 3
都市裁判所において証書として作成。
1816 年 12 月 4 日水曜日。
本日言い渡された裁決によって、当地の市民ら 博士ヨハン=ゲオルク=グランプス氏
博士カール=フリードリヒ=シュターク氏 商人カール=フェルディナント=ケルナー氏 商人フィリップ=ニコラウス=シュミット氏および 都市参事会員ヨハン=ゲルハルト=ホフマン氏は、
逝去した、当地にいた市民にして商人ヨハン=フリードリヒ=シュテーデ ルの<相続財産:抹消>遺産の管理人に任命された後で、同人らは、この資 格で宣誓義務を負わせられた。
ハルトマン 一等書記官
― 4
1816 年 12 月 4・5 日
いとも称賛される都市裁判所宛て。
逝去した、当地の市民にしてかつ商人ヨハン=フリードリヒ=シュテーデ ル氏によって指定された、同氏によって設立される美術館の理事らの、もっ
とも謹んだ、無条件の相続就任の届け出で。
逝去した、当地の市民にしてかつ商人ヨハン=フリードリヒ=シュテーデ ル氏の、1815 年 3 月 15 日に作成され―そして、本年 12 月 3 日に裁判所で 開封された遺言は、もっとも謹んで署名をおこなった者たちを、故人氏に よって設立され、かつ、故人氏の財産の包括相続人に指定された美術館の理 事らに指定し、同時にまた、署名をおこなった理事らは、裁判所による遺産 への占有委付を管轄権限ある官庁に申請するべし、と定める。
われわれは、故人氏のこの命令を、これによって果たす。こうして、われ われは、設立されたシュテーデル美術館の名において、故人氏の遺産へのい とも恵みふかき占有委付を申請する。また、われわれは、同時に、故人氏の 意思にもとづいて、相続については、無条件に責任を負い、そして、同時 に、もっとも謹んで、こう請願する。:
いとも称賛される都市裁判所は、公布されるべき公示催告の手段により、
なんらかの法的根拠から、この遺産に対して請求権や債権をもつことができ るすべての者に、これらの者が、かれらの請求を、一定の短い期間のうち に、確実に、裁判所に届け出て、そして、法的に根拠付けることを求めさせ んことを。また、この期間が満了した後には、占有委付が、ただちにおこな わわれるべきことを。
以上。
博士カール=フリードリヒ=シュターク 博士ヨハン=ゲオルク=グランプス カール=フェルディナント=ケルナー J.G. ホフマン
P.N. シュミット
申立人らに、つぎのことが課される。公示催告が、申立にもとづいて、
そして、事実に即した先決のもとで受け取られることができる前に、故人
によって設立された、美術館なる財団が、国家における倫理的人格 persona moralis なるものとして見られる、ということについての[フランクフル ト]都市参事会の認許を提出するように。
6/1 1816 年 12 月 6 日の都市裁判所の裁決。
12 月 9 日に、博士グランプス氏に送達。
ゼル
― 5
1816 年 12 月 9・6 日
C.2423. 都市区裁判所の記録の抜粋。
シュテーデルの遺産に関して。
都市区裁判所裁判官博士キュヒナー氏および博士シェーンハルト氏の立ち 会いにおいて、フランクフルト=アム=マインで 1816 年 12 月 3 日に、当職 は、当地の市民にしてかつ商人ヨハン=フリードリヒ=シュテーデルの死亡 について都市参事会員博士モーリツ氏によって知らされた。
当地の市民にしてかつ商人ヨハン=フリードリヒ=シュテーデルの遺産は 封印されなければならなかった、という覚書付きで。裁判所書記官シェル ファー。
この遺産について、封印が、裁判所書記官に命じられた。
博士キュヒナー。
博士シェーンハルト。
1816 年 12 月 4 日水曜日作成。
都市区裁判所裁判官博士キュヒナー氏および博士シェーンハルト氏の立ち 会いにおいて、ひとは裁判所書記官シェルファーの封印報告を、第 1 番のも とに登録した。;これにもとづいて、この記録を、いとも称賛される都市裁 判所に送付することが決定された。
博士キュヒナー。
博士シェーンハルト。
第 1 番。
フランクフルトにて 1816 年 12 月 3 日に謄本付きで証書として作成。
番号:C第 41 番。午前。
わたくしは、わたくしに付与された都市区裁判所の委託にしたがって、本 日午前、裁判所執行吏ヴァーグナーを同伴のうえ上記の居宅へ赴いた。それ は、逝去した、当地の市民にして商人ヨハン=フリードリヒ=シュテーデル の遺産の封印を執行するためであった。
わたくしは、つぎの者たちが、そこに居合わせているのを見いだした。
1)都市参事会員ホフマン氏
2)当地の正規の弁護士博士グランプス氏
3)法学博士カール=フリードリヒ=シュターク氏
4)当地の市民にしてかつ商人フィリップ=ニコラオス=シュミット氏 5)当地の市民にして商人フェルディナント=ケルナー氏。
全員が、故人の遺言執行者である。
わたくしは、同様に、当地の市民にして商人ゴットフリート=ケッヒァー が居合わせている[のを見いだした]。かれは、故人のそばで、商事使用人 として存在し、そして、故人の家計について世話をした。かれは、手で忠実 に、つぎのことを誓約した。かれは、その主人が遺したすべてのものを、誠 実に、かつ良心にしたがって述べることを意欲する。:その後で、わたくし は、つぎのとおり封印した。
Ⅰ.すぐに 1 階にあって、カウンターテーブルにおいて、金銭入りの 2 箱の 鉄製の箱、書類入りの同じたぐいの 1 箱、金銭および手形入りの壁に密着し たキャビネット。
Ⅱ.裏の家屋においては、1 階段登ったところで、1 部屋の居室[があっ
た]。この居室で、故人が生活していた。そこには、さまざまなキャビネッ トがあった。それと隣接して同じ居室が[あった]。そこには、銅版画があ り、書物入りの、2 つの白く塗ったキャビネットがあった。
Ⅲ.裏の居宅の第 2 の部分には、鉄製の扉が、2 階にあった。同じたぐいの 扉が、同じく 3 階にあった。:同じ扉が、1 階にあった。この扉でおおわれ た部分には立ち入ることができなかった。この部分においては、いくつかの 施錠された部屋およびキャビネットが存在する。
Ⅳ.表の居宅には、3 階の居室に属する 2 つの扉が、同じように、4 階に通 じる 2 つの扉が[あった]。
追記。双方の上述の階においては、絵画コレクションが、見いだされる。
地下室および屋根裏部屋は、空の状態であった。
以下の目的物が封印されることができなかった。それらは、2 階の空の ホールにおいて見いだされた。
a)24 脚の裏張りされた椅子
b)7 脚の雲間模様のカヴァー付きの白いソファー c)8 脚の木製の椅子
d)3 台の娯楽用テーブル e)1 台のコーチ
f)4 枚の壁掛鏡
g)大理石のプレート付きの 3 台の鏡台
h)鍍金された額縁付きの 2 枚のすこぶるおおきな絵画 i)1 つの[?判読不明]
k)1 棹の道具キャビネット l)1 脚の並みの椅子
m)1 枚の鍍金した枠付きの鏡
n)2 つの引き出し付きの 1 棹の胡桃の木製の箪笥
o)1 台のコーチ
わたくしは、[これらを]上述の商人ケッヒァーに保管するように委ね、
そして、同人に、とくに、鏡を傷つけないように勧奨した。
当座の費用の支払いおよび家計の運営のために、わたくしは、博士グラン プス氏の明示的な同意のうえで、1000 グルデンの金額を、自由に使えるよ うにした。
この封印作業は、午後 2 時過ぎまでつづいた。そして、5 名の上述の遺言 嬢執行者諸氏はこの封印作業が終了するまで待つことができず、その間に辞 去した。それゆえに、この記録は、事前に朗読され、かつ承認されたうえ で、ただ、たびたび述べられた商人ケッヒァーによってのみ署名された。
ゴットフリート=ケッヒァー 裁判所書記官シェルファー。
同じ内容の謄本に関して ガルス[?]
― 6
自由都市フランクフルトのいとも賞賛されるべき都市参事会宛て。逝去し た、当地の市民にして商人ヨハン=フリードリヒ=シュテーデルの遺言に よって設立される美術館に関して。
いとも賞賛されるべき都市参事会
逝去した当地の市民にしてかつ商人ヨハン=フリードリヒ=シュテーデル によって 1815 年 3 月 15 日に作成された遺言が、本年 12 月 3 日に、下記の 裁判所において、開封された。
かれは、この遺言において、かれによって、これにより設立される美術館 を、包括相続人に指定する。この遺言それ自体から、この財団は、当地の都
市および市民のためになるべきである、ということがあきらかになる。それ ゆえに、この種のその他の類似の財産と同様に、いとも賞賛されるべき都市 参事会にこのことについて知らせる、ということが目的にかなったことであ る。:こうして、われわれは、過つことなしに、このことを、こうすること によって成就する。われわれは、遺言の信用できる謄本を、それに属する小 書付と一緒に、同封して送付し、そして、つぎのことを、いとも賞賛される べき都市参事会の判断に委ねる。都市参事会は、原本を、保管のために、都 市文書館において、都市裁判所で認定させることを意欲するのか?この場合 には、われわれは、原本の信用できる謄本を、これについて問題となる私法 上の議論のために、都市裁判所の文書室において保管するであろう。あるい は、原本の遺言は、付録と一緒に、すべてのその他の都市裁判所で開封され る遺言と同様に、都市裁判所において寄託されつづけるべきか?
いとも尊敬をこめて、われわれは、とどまりつづける名誉をもつ。
7/1 いとも賞賛されるべき都市参事会のもっとも従順なる都市裁判所
― 7
1816 年 12 月 9・13 日
[都市参事会]大会議の議事記録からの抜粋 第 175 番
フランクフルト 1816 年 12 月 10 日
称賛される都市裁判所の報告にもとづいて。逝去した、当地の市民にして 商人ヨハン=フリードリヒ=シュテーデルによって、当地の都市および市民 団のために設立される美術館に関して。
この、逝去した商人ヨハン=フリードリヒ=シュテーデルによって、当地 の都市および市民団のために、かれの追憶を、誉れ高き方法で永久のものと する無償出損(恵与)なるものをもって設立される財団は、これをもって正
式に承認される。そして、称賛されるべき都市裁判所は、財団設立状を、他 日、占有委付がおこなわれたであろう時に、公証された謄本をとったうえ で、都市文書館に提出するべきである。この都市文書館において、これを もって、それに任じられる文書係員らによって、注意ぶかく保管されるべき である。
ついで、都市シュルトハイス氏、都市首席法律顧問氏および称賛されるべ き常設の市民委員会の長老氏に、それについて、謄本による通知をおこなう べきである。それは、かれらによって引き受けられるべき会計監査の尽力の ゆえに、であり、また、それとともに、称揚される市民委員会の中から選 出されるべき、会計制度のわかるメンバーらの指名が、他日かれらによって きっかけづけられるようにするために、である。;ちなみに、すでに、これ らの者の指名について知らされた理事らは、この財団設立状を印刷によって 一般に知らしめる、ということを、おのずと、こころがけるであろう。
公証につき 都市官房顧問官 博土ミルテンベルク
― 8
1816 年 12 月 12 日・14 日
7577 番 いとも称賛される都市裁判所宛て
本年 12 月 6 日に公布され、そして 9 日に登録された裁決にもとづく、わ れわれ、逝去した商人ヨハン=フリードリヒ=シュテーデル氏によって指名 された理事らの、もっとも従順な届出ならびに請願。それは、同人[逝去し た商人ヨハン=フリードリヒ=シュテーデル氏]によって設立される美術館 の、いとも気高き評議による承認および請願された公示催告の公布に関する