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医療保険約款における法的問題

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医療保険約款における法的問題

甘 利 公 人

■アブストラクト

医療保険についての始期前発病の解釈の生保協会のガイドラインは,はた して始期前発病の条項が機能するかどうかはおおいに疑問があるところであ り,約款にも書いていない主観的要件をあえて付加して解釈することには,

告知義務制度との補完的役割を担う始期前発病条項の効力を減殺しその趣旨 を没却するものであって賛成できない。

■キーワード

医療保険,始期前発病不担保条項,告知義務

1.はじめに

医療保険は,被保険者が傷害または疾病を被り,その直接の結果として入 院・手術をしたときに保険金を支払うものである 。被保険者が傷害や疾病 を原因として入院・手術をしたことが保険事故となっている。医療保険は疾 病の発生の有無および発生時点の不明確な事象をも担保し,かつ高額な保険 金を支払うものであるから,その性質上逆選択やモラルリスクを誘発する可 能性の高いことが指摘されている 。そこで,ある医療保険の約款では,

*平成18年10月28日の日本保険学会大会(中央大学)報告による。

/平成19年2月1日原稿受領。

1) 神谷高保・医療費用保険の解説91頁(1987年・保険毎日新聞)参照。

2) 東京海上火災保険株式会社編 所得補償保険 損害保険実務講座7巻新種保 険(上)159頁(1989年・有斐閣)参照。

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当会社は,被保険者が保険期間中に入院を開始した場合に限り,保険金を 支払います。 と規定し,その2項では, 前項の規定にかかわらず,この保 険契約が初年度契約である場合において,入院の原因となった身体障害を被 った時が保険期間の開始時より前であるときは,当会社は,保険金を支払い ません と規定している。この規定は,始期前発病不担保条項(以下,始期 前発病という)といわれており,告知義務制度を補う機能を果たしている。

始期前発病については,三井住友海上火災保険が金融庁から,約款上は医師 の診断により始期前発病が認定された場合に免責が適用されるが,社員が医 師の診断に基づかずに自ら判定を行う等,免責が不適切に適用された事例が ある旨を指摘された。そこで,本報告は,この始期前発病の規定について,

その適用範囲を約款解釈上の法律問題として検討する。

本報告は,始期前発病について,すでに公表されている,いくつかの裁判 例や保険実務に対して問題提起する見解と同様の立場から検討するものであ る 。

2.始期前発病不担保条項と告知義務制度の関係

告知義務制度の理論的根拠について,今日では,既存の法理論からの説 明を断念し,保険制度の技術的構造の特殊性に基づいてとくに法が認めた制 度である,と説く学説が有力であり,これは危険測定説ないし技術説といわ れている 。すなわち,保険制度の合理的な運営のためには,保険事故発生 の統計的計算を基礎として多数の契約における危険の総合的平均化によって,

支払われるべき保険金の総額と受くべき保険料の総額との間に均衡を保たせ ることが必要となる。したがって,保険者が保険契約の締結に際してはその 危険率を測定し,これを引き受けるべきか否かおよびその保険料の額を決定

3) 長谷川仁彦 高度障害保険金と実務上の課題―責任開始期前発病の認定―

生命保険経営73巻1号99頁(2005年),小林三世治 医的危険選択の実務と責 任開始期前発病不担保条項 日本保険医学会雑誌103巻3号224頁(2005年)参 照。

4) 石田満・商法Ⅳ(保険法)〔改訂版〕73頁(1997年・青林書院)参照。

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しなければならない。その際,本来は保険者自らが危険状態を調査すべきで あるが,危険に関する情報がとくに保険契約者または被保険者の内部的個人 的情報である場合には,保険者は危険を測定することが困難である。そこで,

保険契約者に告知義務を課したのである。危険の選択の資料となる事実につ いて正確に告知されない場合,法が保険者に対して解除権などを付与してい るのは不良危険の排除のためである。

告知義務の経済的根拠を示すものとして,危険測定説ないし技術説は妥当 な見解である。告知義務の法理論的根拠として保険契約の善意契約性に基づ くものとみて,これを具体的に技術化したものと考えることも可能であり,

危険測定説ないし技術説と善意契約性は矛盾するものではない。

告知義務の法的性質については,古くから契約上の拘束要件ないし前提要 件であると主張されてきた。すなわち,真正の義務ではなく保険者の保険金 支払いの責任を問いうるための一つの前提要件として履行されるべき負担に ほかならず,いわゆる自己義務の一種に属するというのである。しかも告知 義務は,客観主義から主観主義への変遷あるいは無効主義から解除主義への 変遷をみることができ,いわゆる前提理論の主張するように,保険者の損害 てん補責任を問うことができるための前提というのは正しくない。告知義務 は,請求・履行の強制によって裏打ちされた権利ではないとしても,既存の 権利喪失・法的地位の変化などの不利益による強制がみられる。したがって,

このかぎりにおいて弱き効力しか有しないとはいえ,やはり義務性が認めら れる。

このように告知義務制度については,様々な見解が主張されているが,い ずれにしても契約締結時において,保険者が危険を引き受けるかどうかの判 断をする情報を保険契約者等に告知させ,これがなされない場合には,保険 契約者等の悪意・重過失を要件として,保険者に契約の解除権を認める制度 である。

始期前発病の規定が設けられた趣旨は,生命保険の約款についてではあ るが,保険者が担保すべき高度障害の範囲を限定するとともに,予定事故率

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を維持するためであり,保険事故の不確定性ないし不可測性を必要とする意 味からも時期的制限があるといわれている 。前述のように,始期前発病の 規定では,告知義務と異なり保険契約者の主観的要件は問題とはならず,そ の効果も保険契約そのものの解除ではなく,始期前発病した疾病についての 保険金を支払わないだけである。すなわち,それ以外の疾病については,保 険者はてん補責任を負わなければならないのである。

このように告知義務制度と始期前発病の条項は,ともに保険事故の偶然性 を確保するための制度であるという点において共通性を有している。しかし,

両者は適用要件と法的効果を異にしているから,その関係が問題となる。医 学的見地から,危険選択の必要性を次のように主張する見解がある。すなわ ち,始期前発病の条項がなかったとしたら,告知義務制度による危険選択し か行えなくなり,実務上,加入時の選択を大幅に強化せざるを得なくなり,

その結果,契約の謝絶や特別条件付決定が増加し,加入者の間口を狭めるこ とになってしまうから,告知義務制度とともに始期前発病の条項が機能する ことにより,逆選択の排除・低廉な保障機能の提供が可能となり,ひいては 保険契約者全体の利益に寄与するというのである 。

以上をまとめると,告知義務制度は,保険契約締結時において,保険事 故発生に影響を及ぼす重要な事項について告知を求め,危険選択を行い予定 事故発生率を維持することにより,契約当事者間の衡平を図る制度である。

また,始期前発病は,契約締結後に危険選択を行って,告知義務制度によっ ては果たせない危険の選択を補完しようとする制度である。両制度は,共に 予定事故率を維持する機能を有するものであるが,その機能と効果は別々の ものであり,別個の制度として理解されている。多くの裁判例も同様の立場 である(後掲⑨判例を参照)。したがって,医療保険の始期前発病の条項も

5) 坂本秀文 生命保険契約における高度障害条項 三宅一夫先生追悼論文集・

保険法の現代的課題319頁(1993年・法律文化社)参照。なお,糸川厚生 廃疾 給付の法律問題 保険学雑誌457号74頁(1972年)参照。

6) 小林三世治・前掲註3)228頁参照。

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同様の趣旨で定められているのであるから,上記の始期前発病と告知義務の 関係についても同じことがいえる。告知義務制度と始期前発病の条項は,と もに保険事故の偶然性を確保するための制度であるという点において共通性 を有している。しかし,両者は適用要件と法的効果を異にしているから,そ の関係が問題となる。告知義務制度は,保険契約締結時において,保険事故 発生に影響を及ぼす重要な事項について告知を求め,危険選択を行い予定事 故発生率を維持することにより,契約当事者間の衡平を図る制度である。ま た,始期前発病は,契約締結後に危険選択を行って,告知義務制度によって は果たせない危険の選択を補完しようとする制度である。両制度は,共に予 定事故率を維持する機能を有するものであるが,その機能と効果は別々のも のであり,別個の制度として理解されている。多くの裁判例も同様の立場で ある。したがって,医療保険の始期前発病の条項も,同様の趣旨で定められ ているのであるから,始期前発病と告知義務の関係についても同じことがい える。始期前発病の規定は,告知義務制度を補う機能を果たしているのであ り,この両制度により疾病危険を担保する保険事業の健全性と保険団体構成 員の利益と公平を実現しうる 。

3.始期前発病不担保条項における因果関係

生命保険の約款において責任開始時以後の傷害または疾病を原因とする 高度障害状態に限定した理由は,純保険料の算定の基礎となる予定障害率を 維持するために,契約自由の原則に従い,保険者が担保すべき障害危険の範 囲を責任開始時以後の疾病等に限定したものである。また,始期前発病の条 項における時期的制限は,高度障害保険金支払事由の客観的要件を定めるも のであるから,高度障害の原因となった高度障害等が責任開始時以前に発生 していた場合には,保険契約者が右疾病等を知っていたか否か,告知の有無 に関係なく,また保険者が疾病等を知っていたか,過失により知らなかった

7) 安田火災海上保険株式会社編 所得補償保険 傷害保険の理論と実務256頁 註⑻,277頁註(20)(1980年・海文堂)参照。

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か否かを問わず,保険者は保険金の支払を拒絶できると解されている。

医療保険について,始期前発病に関して公表された裁判例はこれまでにな いので,同様の趣旨の生命保険における高度障害条項の始期前発病条項の議 論が,医療保険のそれの適用範囲を検討するにあたって参酌に値するものと 考える。両者は保険事故が傷害や疾病を原因とする点においては共通するも のがあり,少なくともそれぞれの保険約款において設けられている始期前発 病条項の趣旨,すなわち予定事故率の維持にあるのは明白である。

生命保険の約款では,高度障害保険金は,被保険者の責任開始時以後の傷 害または疾病を原因として高度障害になった場合に保険金を支払う旨が定め られている。契約責任開始時に既に高度障害状態が生じている場合はもとよ り,責任開始時には高度障害状態は生じていないが,その原因たる傷害・疾 病が既に生じている場合にも,高度障害保険金の客観的要件に該当しないこ とになり,高度障害保険金の支払いの対象とはならない 。

生命保険の約款において責任開始時以後の傷害または疾病を原因とする高 度障害状態に限定した理由は,純保険料の算定の基礎となる予定障害率を維 持するために,契約自由の原則に従い,保険者が担保すべき障害危険の範囲 を責任開始時以後の疾病等に限定したものである。また,始期前発病の条項 における時期的制限は,高度障害保険金支払事由の客観的要件を定めるもの であるから,高度障害の原因となった高度障害等が責任開始時以前に発生し ていた場合には,保険契約者が右疾病等を知っていたか否か,告知の有無に 関係なく,また保険者が疾病等を知っていたか,過失により知らなかったか 否かを問わず,保険者は保険金の支払を拒絶できると解されている 。そこ で,高度障害状態の原因となった疾病との因果関係について判示した裁判例 を検討しなければならない。

①大阪地判昭和49年7月17日判タ325号277頁は,障害給付金の支払いに

8) 坂本秀文 生命保険おける高度障害条項 ジュリスト755号119頁(1981年)

参照。

9) 坂本・前掲註8)119頁参照。

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ついて被保険者の両眼が完全かつ永久に失明したときに支払われるという条 項に関して,被保険者がベーチェット症候群により両眼の視力を完全かつ永 久に失った事案において, ベーチェット症候群は現在の医学上その発生の 原因が不明であるとされていること,その治療も,これによって一時的に治 癒することはあっても,根治の方法はないと考えられていること,この病気 は,症状が現われたり消失したりするのを繰返すことが一つの特質とされて いること,そしてその70ないし80パーセントのものは失明に終るものである ことが認められる。したがって被保険者の失明の原因となった疾病は,本件 契約日以後の疾病であるということはできない と判示したが,保険会社の 外務員について保険会社に監督上の過失があるとして保険金請求を認容した。

しかし,控訴審の②大阪高判昭和51年11月26日判時849号88頁は,被保険者 は本件保険契約締結以前から視力減退と飛蚊症の自覚があり,大学付属病院 でベーチェット症候群と診断されたのであるから,被保険者は右契約日前か ら,すでに失明の原因たる疾病にかかっていたものと認定するのが相当であ る,と判示して請求を棄却した。

①がベーチェット症候群は根治の方法はないと考えられていること,また 70ないし80パーセントの確率で失明することから被保険者の失明の原因とな った疾病は,本件契約日以後の疾病であるということはできないと判示して いるのが注目される。また,②では失明の原因たる疾病にかかっていたと認 定するのみで,その蓋然性には触れていない 。

③千葉地判昭和60年2月22日判時1156号149頁は,被保険者が脊髄腫瘍に より障害状態になったとして障害給付金等を請求した事案について,被保険 者が発病した時期について判断することなく,重過失による告知義務違反が あるとして保険会社の契約解除を認めた。控訴審の④東京高判昭和61年11月 12日判時1220号131頁は,詳細な事実認定から判断して,被保険者が契約締

10) 糸川・前掲註5)74頁・75頁では,失明に至る確率はきわめて高いが,必然的 関係がない場合には,約款の例にみる簡単な条文では,契約者に有利に解釈さ れ給付の範囲がいたずらに拡大されてしまうおそれが十分にあるという。

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結前に発病した可能性を否定し契約後に発症したものであることを認めるに 足る証拠はない,と判示して請求を棄却した。事実認定に関わる問題である が,発病の可能性の程度で判断しているのが注目される。

⑤札幌地判昭和62年10月23日文研生命保険判例集5巻144頁は,保険契約 締結前に両視神経萎縮および両開放隅角緑内障の診断をうけていたが,保険 契約締結時から約1年8か月後に,乗っていたバスがタンクローリー車に追 突される交通事故に遭い,その約6か月後に両眼失明状態となった被保険者 が,交通事故により両眼失明状態となったこと,または責任開始日前の障害 に交通事故による傷害が加わることにより両眼失明状態となったことを理由 として,保険会社に対して高度障害保険金および災害高度障害保険金の支払 いを求めた事案について,次のように判示して請求を棄却した。すなわち,

普通保険約款2条1項は, 給付責任開始日以後に発生した傷害又は発病し た疾病によって高度障害状態になった場合に高度障害保険金を支払う。 旨 規定している。同約款2条1項は,それのみでは高度障害状態には至らない 給付責任開始日よりも前に発生または発病した傷害または疾病であっても,

それが高度障害状態の原因となるものであれば保険金を支払わないことも定 めた規定と解されるのである。そして,……,被保険者の両眼失明について は被保険者の両開放隅角緑内障が一つの原因となったことは明らかであり,

右両開放隅角緑内障の発病が給付責任開始日よりも前であることも明らかで あるから,保険会社の抗弁は理由がある。被保険者は,普通保険約款2条1 項の規定により支払が拒絶される給付責任開始日前の疾病は高度障害状態に 至る確率の高い疾病だけであり,被保険者の両開放隅角緑内障はそれには該 当しない旨主張するが,前示のとおり,同約款2条1項の趣旨はそれのみで は高度障害状態に至らない疾病であっても,それが高度障害の一つの原因と なるものであれば,給付責任関始日前に発病している限り保険金を支払わな いことも含んでいるから,高度障害状態に至る確率の高い給付責任関始日前 の疾病のみが保険金不支給の対象となるということはできず,また,給付責 任開始日以後に発病した疾病によって高度障害状態になった場合に保険金を

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支払う(同約款2条2項)ことにしたのは,高度障害の予定発生率を維持す るためのものであるところ,両開放隅角緑内障に罹患した者の失明に至る確 率はそれに罹患していない者が失明に至る確率と比して有意的な差があると 認められるから,仮に被保険者が主張するように給付責任開始前の疾病とし て保険金不支給の対象となる疾病を高度障害に至る確率によって制限すると しても,両開放隅角緑内障はむしろ不支給の対象となる疾病に該当すると言 わざるを得ないから被保険者の主張は理由がない,と判示した。

控訴審の⑥札幌高判平成元年2月20日(昭和62年(ネ)270号)と上告審 の⑦最判平成元年10月27日文研生命保険判例集6巻103頁も同様の判断をし た。責任開始前発症不担保条項の趣旨について,それのみでは高度障害状態 に至らない疾病であっても,それが高度障害の一つの原因となるものであれ ば,給付責任関始日前に発病している限り保険金を支払わない,と判示して いるのが注目される 。

⑧神戸地判平成15年6月18日金商1198号55頁 は,新聞等で遺伝子訴訟と して話題になったものであるが,平成元年11月1日にY生命保険会社(被 告・被控訴人)との間で高度障害保険特約付きの生命保険契約を締結したX

(原告・控訴人)が,疾病に基づく痙性対麻痺による両下肢機能全廃(身体障 害者等級1級)と認定されたので,Yに対して高度障害保険金の支払いを 請求した事案について,次のように判示してXの請求を棄却した。

すなわち,Xには平成2年8月ころにクラッベ病特有の症状として急激 な歩行能力の低下が起きたこと,その後も,歩行能力の低下が徐々に進行し,

平成3年5月ころにはXに何らかの白質ジストロフィーの可能性が認めら れたこと,さらに,歩行障害が増悪傾向を保ったまま,平成6年3月にクラ ッベ病の確定診断を受けたことなどが認められることを考慮すると,平成2

11) 一ノ瀬和久・文研保険事例研究会レポート68号7頁(1991年)は,疾病と傷 害との高度障害への寄与度と両者の協働についての判断基準を示していない,

という。

12) 山野嘉朗・法学研究45巻1・2号120頁(2003年)参照。

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年8月ころ以降のXの障害状態は,いずれもクラッベ病を原因とするもの であるか,あるいは,クラッベ病を原因とする障害状態に他の疾病が加わっ て発生したものであると認められる。そして,⑴責任開始期前の障害状態が 両足の尖足や歩行機能の低下であるということ,⑵その障害状態が進行性で あると認められること,⑶9歳ないし10歳時に最初の運動機能の低下が発生 していること,⑷クラッベ病と診断されるまでは原因が特定できず痙性対麻 痺という症状名での診断しかできていなかったこと,⑸中学生のころに受け た両足の手術,21歳のころに受けた歩行を円滑にするための装具の使用,25 歳のころに受けた薬物治療などは,いずれも歩行機能障害に対してなされた ものであって,Xの歩行機能は増悪傾向を持続してきたと認められること,

⑹その後,Xはクラッベ病と確定診断されるに至ったところ,クラッベ病 は進行性の両下肢機能の低下を典型的な症状としており,成年型では10歳こ ろから歩行能力に相対的な劣後が認められること等を総合考慮すると,責任 開始期前のXに認められた障害状態もクラッベ病によるものであり,それ と無関係な他原因が新たに加わって症状が悪化したのではなく,クラッベ病 の進行により障害状態が悪化したものであると認定するのが相当である。そ うであれば,結局,Xの現在の障害状態は,責任開始期前の疾病によるそ れが自然な経過により増悪し,高度障害状態に発展したことになる,と判示 した。責任開始期前のXに認められた障害状態は,クラッベ病によるもの であり,それと無関係な他原因が新たに加わって症状が悪化したのではなく,

クラッベ病の進行により障害状態が悪化したものである,と認定しているの が注目される。

控訴審の⑨大阪高判平成16年5月27日金商1198号48頁 は,保険金支払い の要件について原審の判旨を引用したうえで, 確かに,クラッベ病の成人 型は,我が国では数例の症例しかないし,その病状や症状の発現,進行につ いては,研究者や医師の見解も分かれているが,……成人型のクラッベ病の

13) 山下典孝・金商1198号62頁(2004年),小林道生・保険事例研究会レポート206 号1頁(2006年)参照。

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発症経緯は,一般的には10歳前後に運動障害,知能障害という形で発症する ものであるところ,責任開始期前に生じていたXの歩行機能障害について は,クラッベ病と考えれば合理的に説明可能であるのに対して,他の要因や 疾病が原因となっていることを認める証拠はないから,クラッベ病によると 推認するのが相当である。したがって,Xの高度障害状態は,責任開始期 前にクラッベ病を発症していたというべきであるから,Xの上記主張は採 用できない。また,同病による症状が安定する場合があるとしても,上記の とおり,これが進行性のものであるといわれていることからすると,他の要 因や疾病が原因となっていることの蓋然性が肯定できない以上,Xの高度 障害状態は,責任開始期に発症していたクラッベ症がその後進行したものと いわなければならない。 と判示したが,Y保険会社の支部長のアドバイス によりXが保険金の支払いを受けることができなくなった可能性が非常に 高いので,YXの高度障害保険金の支払いを拒否するのは信義則違反で あるとしてXの保険金請求を認容した。この控訴審の結論には疑問がある が,他の要因や疾病が原因となっていることの蓋然性が肯定できない以上,

Xの高度障害状態は責任開始期に発症していたという判旨は正当である。

また,Xは,支払基準の解釈は合目的的にされるべきであり,責任開始 期において当時の医療水準によっても予見が不可能であった疾病は予定高度 障害率に考慮されていなかったのであるから,責任開始時にすでに存在した 疾病とは因果関係がないものというべきであるとして,上記規約上の因果関 係については相当因果関係をいうものと解すべき旨を主張した。しかし,判 旨は,次のように判示して,相当因果関係の立場を取らなかった。 確かに,

保険契約時において予見が全く不可能であった疾病は予定高度障害率に考慮 されていないし,いわゆる逆選択の問題も不公平の問題も生じないとはいえ るのであるが,本件約款の規定自体から条件的因果関係を採ったとみるのが 自然であり,相当因果関係を採ったとみられるような文言もないうえ,因果 関係の有無について相当因果関係によって判断することになれば,その予見 可能性をできるだけ客観的に判断するとしても,主観的要素を考慮すること

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には相違なく,障害や疾病の種類によっては,その判断ははなはだ困難であ り,多数の保険契約について画一的に処理する必要がある保険事故の有無の 解釈基準としては不適切というべきである と判示した。本件の医療補償保 険は,約款上 直接の という文言があるので,疾病との相当因果関係があ ることが要件である。

大阪地裁堺支判平成16年8月30日判時1888号142頁は,介護費用保険契 約の被保険者が脳内出血により要介護状態となり,保険会社に対して保険金 と遅延損害金の支払を請求したのに対して,保険会社が被保険者の要介護状 態の原因は高血圧性脳出血であり,これは保険期間開始前に発症していたか ら,免責事由に該当すると主張した事案について,次のように判示して保険 会社の免責の主張を認めなかった。すなわち,疾病には,慢性疾患なども含 め様々な病態があり,一口に疾病に罹患しているといっても,疾病の内容に よって保険事故たる要介護状態を発生する危険率について様々な段階があり 得る。そして,保険事故を発生する蓋然性が高いといえない疾病まで,当該 疾病の再発と評価できることをもって,当初の発症の段階で保険事故の原因 疾病が生じているとすることは,保険制度の趣旨に反するものである。被保 険者の平成13年出血は,高血圧性脳出血という疾病としては再発と評価でき るが,高血圧性脳出血の再出血は,10パーセント程度,年2パーセントにと どまり,将来要介護状態となる蓋然性が高い疾病とまでいえないことからす れば,平成2年出血が要介護状態の原因となった事由に当たるということは できない,と判示した。高血圧性脳出血の再出血は,10パーセント程度,年 2パーセントにとどまり,将来要介護状態となる蓋然性が高い疾病とまでは いえないことを理由として,要介護状態の原因となった事由に当たらないと 判示したのが注目される。

津地裁四日市支判平成11年10月14日生命保険判例集11巻574頁は,網膜 色素変性症について,その発症時期は責任開始期以降に発症したとは認めら れない,と判示した。

以上の裁判例の検討によれば,生命保険の高度障害保険金の責任開始前

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発病不担保条項の解釈については,次のようにまとめることができる。すな わち,高度障害状態の原因となった疾病がそれのみでは高度障害状態に至ら ない疾病であっても,それが高度障害の一つの原因となるものであれば,責 任関始日前に発病しているものと判断する(⑤⑥⑦の裁判例)。すなわち,

疾病と高度障害との間に高い蓋然性を必要とはせずに,その疾病が高度障害 の一つの原因となるものであれば,責任関始日前に発病しているものとして 保険金請求を認めないという判例が確立している 。また,他の要因や疾病 が原因となっていることの蓋然性が肯定できない以上,被保険者の高度障害 状態は責任開始期に発症していた疾病がその後進行したものといわなければ ならない(⑧⑨の裁判例)。このことは,医療保険契約の始期前発病の約款 解釈に当たっても十分に参考になる。

4.生命保険協会の始期前発病不担保条項についての解釈

平成18年1月27日,生命保険協会は,次のような保険金等の支払を適切に 行うための対応に関するガイドライン公表した。

⑵ 契約(責任開始)前事故・発病

イ.契約(責任開始)前事故・発病ルール

高度障害保険金ならびに入院給付金等については,これらの原因(疾病,

傷害や不慮の事故)が責任開始時以後に生じたことが支払いの要件とされて おり,責任開始時前に生じていた場合,約款の支払事由に該当しない(契約

(責任開始)前事故・発病ルール)。

告知制度 と 契約(責任開始)前事故・発病ルール は,共に責任開 始時における保険事故発生の偶然性を確保することを目的の一つとしており,

14) 長崎靖 責任開始前発症不担保条項の適用基準 生命保険経営66巻3号138 頁(1998年)では,責任開始前の症状と責任開始後の高度障害との因果関係に ついては,告知義務違反と同程度の因果関係があればよいとする考え方と,極 めて高い蓋然性を必要とする考え方があるが,契約前の原因と請求事由の間に 強い因果性を持つ疾病とそれ以外の疾病に分ける必要があるという。

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両者は趣旨が類似するが,別個独立の制度である。

①成立要件

主観的要件はなく,客観的に責任開始前に高度障害や入院の原因となった 疾病や傷害,不慮の事故等があれば契約(責任開始)前事故・発病ルールに より支払対象外となる。

②契約(責任開始)前事故・発病ルールが適用される期間

高度障害保険金については契約(責任開始)前事故・発病ルールが適用さ れる期間について特に定められていないが,入院給付金等については,該当 の特約等に所定の期間経過後に開始した入院・手術について責任開始後の原 因によるものとみなす規定がある。

③効果

責任開始前に保険事故の原因となる疾病や傷害があった場合は,約款所定 の保険金等の支払事由に該当しない。しかし,契約は,そのまま継続し,責 任開始後に生じた別の原因により支払事由が生じたときには保険金等をお支 払いすることとなる。

ロ.契約(責任開始)前発病の考え方

高度障害状態に該当する場合においても,責任開始前に医学的に原因とな る疾病や傷害があれば,契約(責任開始)前事故・発病ルールにより高度障 害保険金は支払対象にならないことになる。

しかしながら,被保険者が契約(責任開始)前の疾病について契約(責任 開始)前に受療歴,症状または人間ドック・定期健康診断における検査異常 がなく,かつ被保険者または保険契約者に被保険者の身体に生じた異常(症 状)についての自覚又は認識がないことが明らかな場合等には,高度障害保 険金をお支払いする。

同様に入院給付金等についても,被保険者が契約(責任開始)前の疾病に ついて契約(責任開始)前に受療歴や症状,検査異常がなく,かつ被保険者 または保険契約者に被保険者の身体に生じた異常(症状)についての自覚又 は認識がないことが明らかな場合等にはお支払いする。

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以上のガイドラインでは,はたして始期前発病の条項が機能するかどうか はおおいに疑問があるところであり,約款にも書いていない主観的要件をあ えて付加して解釈することには告知義務制度との補完的役割を担う始期前発 病条項の趣旨を減殺または没却するものであって賛成できない。

5.おわりに

近時の始期前発病の趣旨を損なう生保協会の対応の仕方には,保険契約上 の多くの問題がある。保険学会での報告後,和歌山地判平成19年1月12日

(平成16年(ワ)第106号保険金等請求事件)は,医療補償保険において原告 が入院の原因となった頸椎後縦靱帯骨化症が保険期間開始前に発症していた として,始期前発病不担保条項により免責かどうかが争われた事案について,

頸椎後縦靱帯骨化症の進行,悪化に伴い,同症が原因となって,下位頸椎が 上位頸椎の骨化の影響を受けて変性し,本件入院の原因となった右上肢の知 覚異常等を生じたものといえる以上,本件保険期間の開始時より前に発病し た既存の疾病(頸椎後縦靱帯骨化症)が,入院の原因となった身体障害(右 上肢の知覚異常)の1つの原因となっているということができ,原告には頸 椎後縦靱帯骨化症の他に入院の原因となった疾病や要因は認められないこと,

頸椎後縦靱帯骨化症は,局所症状に始まり,進行すると,神経根症状,脊髄 症状,果ては四肢麻痺に至る可能性があるが,骨化を抑える治療法はなく,

原告は骨化の範囲が広がっていく 連続型 あることに照らしても,原告の 本件入院は,既に発病していた 頸椎後縦靱帯骨化症 が1つの原因となっ ており,始期前発病の支払免責規定の適用を受けるものと認められる,と判 示した。頸椎後縦靱帯骨化症が入院の原因の1つであるとして,医療保険に おける始期前発病の支払免責規定を適用したもので,今後の医療保険におけ る約款解釈において参考となるものである。

(筆者は上智大学法学部教授)

参照

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