生命保険会社の経営破綻要因
植 村 信 保
■アブストラクト
本研究では1997年から2001年に経営破綻した中堅生保について,各種の資 料に加え,当時の経営者など関係者への大規模なインタビューを行うことで,
各社が破綻に至った要因を格付けアナリストの視点から考察した。さらに,
同時期の韓国生保の破綻事例についても調査を行い,日本との比較を試みた。
一連の生保破綻については,バブル崩壊などの外的要因に求める見方が一般 的だ。しかし,調査の結果,破綻は必ずしも外的要因だけで発生したのでは なく,内的要因が重要な役割を果たした可能性が浮き彫りになった。いくつ かの内的要因が破綻リスクを高め,その後,経営環境にストレスが生じた局 面で各社の経営が悪化。さらに,いくつかの内的要因が危機認識の遅れや不 適切な対応をもたらし,最終的に各社が破綻に至ったことが伺える。
■キーワード
ペンローズ報告書,オーラル・ヒストリー,外的要因と内部要因
1.平成金融危機における破綻生保の検証
1997年の日産生命保険を皮切りに,2001年までに中堅生保7社が相次いで 経営破綻に追い込まれた。生保の経営破綻は諸外国も経験しており,例えば 米国では1990年代初頭に複数の大手・準大手生保が経営危機に陥り,英国で は世界最古の生命保険会社として知られるエクイタブルが2000年12月に実質
平成18年6月27日の日本保険学会関東部会報告による。
/平成19年4月4日原稿受領。
破綻している。そのなかでも日本の事例は,歴史が長く一定の経営規模を擁 する中堅生保の大半が短期間のうちに消滅したという点で,極めて特異なも のと言えよう。
英国ではエクイタブル生命が実質破綻したのを受け,2004年3月に原因究 明調 査 報 告 書 と し て
Report of the Equitable Life Inquiry
(い わ ゆ るペンローズ報告書 ) が発表されている 。
他方,日本では政府や国会が破綻事例を調査・分析し,その教訓を生かそ うという取り組みは残念ながらほとんど行われていない 。そもそも生保の 破綻事例が限られているうえ,公表データの制約が大きいため,統計手法を 用いた生保破綻の研究も少ないようである 。そこで,本研究では英国 ペ ンローズ報告書 にならい,平成金融危機における生保破綻の要因分析を試 みた。
具体的には,この時期に破綻した生保7社のうち,規模の小さい大正生命 を除く6社の事例を直接の調査対象に,ディスクロージャー資料や当時の新 聞報道など通常入手できる資料に加え,大蔵省 検査報告書 のような通常 入手できない資料を情報公開請求により確保した 。加えて,日本で初めて 関係者(当時の経営者,企画・数理・運用部門等のスタッフ)への大規模な インタビューを行い,破綻生保の経営に関する証言を集めることで,破綻し た中堅生保経営の問題点を浮き彫りにした。
なお,インタビューは金融庁からの委嘱調査 金融機関の破綻事例に関す
1) エクイタブル生命の実質破綻と政府の責任を追及する声を受けて,英国財務 省は2001年8月にペンローズ卿を委員長とする独立調査委員会を設置し,破綻 要因の調査が行われた。報告書ではエクイタブル生命が実質破綻に至る経緯を 精緻に振り返ったうえで,同社の財務状況について克明に分析。さらに,ガバ ナンスと監査,契約者の合理的期待,監督規制に関する問題についても整理し ている。
2) 金融庁は2007年3月に委嘱調査 金融機関の破綻事例に関する調査 を公表 した。この中には生保破綻に関する調査も含まれている。
3) 統計的手法を用いた生保破綻の研究には,久保英也[2005]などがある。
4) 破綻生保の直近数回分の検査報告書(付属資料部分)が公表された。
る調査 の一環として行ったものが大半を占めている。ただし,調査報告の 内容,意見などは金融庁に属するのではなく,あくまで執筆者個人によるも のとされている。
今回の研究では,近年 オーラル・ヒストリー として確立されつつある 口述記録を活用している 。特に,資料が乏しかったり,統計的アプローチ が困難だったりした場合にはオーラル・ヒストリーを用いる利点は大きい。
本研究では複数の関係者にインタビューすることで可能なかぎりクロスチェ ックを行った。筆者の格付けアナリストとしての経験もインタビューには活 かされている。
さらに,韓国の破綻事例についても調査を行った。韓国の生保市場や制度 は歴史的に日本の影響が強かったが,1997年からの経済危機により生保の経 営環境に強いストレスがかかるなかで,日本と同様に大規模な生保破綻が発
関係者インタビューでの主な質問事項 1.ビジネスモデルと破綻の関係
①ビジネスモデルの特徴
・他社と比べた経営の特色について
②経営危機をもたらした経営行動・判断
・ターニングポイントになった事項とその背景
(営業政策,資産運用,経営組織など)
③経営危機下での経営行動・判断
・そもそも,どの時点で危機と認識したのか
・危機と認識した時点でどのような行動をとった
(あるいはとるべきだった)のか
・実際にとられた対応策について 2.経営チェック・リスク管理体制の実態
上記1−②,1−③のそれぞれについて,
・どのような仕組みがあったのか
・どこに問題点があったのか
・経営トップを牽制する仕組みはあったのか
・監督官庁,総代会,親密金融機関などの役割
5) オーラル・ヒストリーは個人や組織の経験をインタビューし,記録を作成し て後世に伝えるものである。御厨[2002]を参照。
生した。日韓生保の破綻事例を比べることで,生保の破綻要因について,よ り深い理解を得ようという狙いである。
今回の調査対象とした破綻生保の概要は以下の通りである。
<日産生命保険相互会社>
1909年創業の太平生命保険株式会社が前身。旧日産コンツェルンの流れを くみ,日立製作所,日産自動車などと関係が深かった。しかし,①1980年代 後半に金融機関との提携ローン商品が爆発的に売れ,予定利率の高い個人年 金保険を集めすぎてしまったこと,②高い利回りを確保するため無理な資産 運用を行ったこと,③経営内容が悪化するなかで,不適切な決算対策を行っ たことなどから経営危機に陥り,1997年4月に経営破綻した 。
<東邦生命保険相互会社>
明治時代に設立された徴兵保険株式会社が前身で,1947年に再発足。太田 一族のオーナー経営で知られた。労組市場の開拓などに特徴があった。経営 危機に陥ったのは,トップとその周辺が不適切な経営を行っていたなかで,
1980年代後半に高利率の貯蓄性商品を大量販売したこと,不動産関連投融資 などに傾斜し,バブル崩壊で多額の不良資産を抱えたことなどが挙げられる。
1998年に米
GE
キャピタルと提携したが,翌1999年6月に経営破綻した。<第百生命保険相互会社>
大正時代に当時の川崎財閥が設立した日華生命保険株式会社が前身。家庭 市場を顧客基盤としていた。もともと余裕のない収益構造だったところに,
1980年代後半の一時払い貯蓄性商品の販売で資産規模が拡大した。配当負担 などから株式含み益に一段と依存する脆弱な収益構造となった。さらに,
1990年以降には株価下落など資産劣化の影響を強く受けた。カナダの大手生
6) 破綻後に,収益を先取りする運用商品の活用などが明らかになっている。
保マニュライフとの提携で生き残りを図ったが,2000年5月に経営破綻した。
<千代田生命保険相互会社>
明治時代に日本初の英米型相互組織を採用して創立した。戦前は5大生保 の一角を占めていたが,その後は徐々に業界順位が落ちていった。経営危機 に陥った直接の要因は,①1980年代後半に高利率,高配当の貯蓄性商品で資 産が急拡大したこと,②高利回りを確保するため,不動産関連やノンバンク などリスクの大きい資産運用に傾斜したこと,③大口企業保険契約の見返り に株式を大量に購入したことなどが挙げられる。2000年10月に経営破綻した。
<協栄生命保険株式会社>
1935年に民間生保各社の出資で設立された協栄生命再保険会社を前身とし,
戦後,協栄生命保険株式会社として発足した。学校の教職員団体や同業組合 などニッチマーケットに注力したが,1980年代後半から1990年代にかけて販 売した一時払い養老保険で毎期多額の逆ざやが発生し,1990年代後半からは 資産売却益に依存した収益構造となっていた。親密銀行の経営破綻や資産運 用の失敗もあり,2000年10月に経営破綻した。
<東京生命保険相互会社>
1895年に真宗信徒生命保険株式会社として京都で創業。1934年に野村グル ープの会社となり,戦後も大和銀行など旧野村系金融機関との結びつきが強 かった。低収益構造のなかで,1980年代後半に金融機関を販売チャネルとし た保険料ローン契約で資産規模が急拡大したが,その後の金利低下で保証利 回りが負担となり,資産構成を歪める一因にもなった。千代田生命,協栄生 命が相次いで破綻し,解約が急増するなかで,2001年3月に経営破綻した。
2.外的要因と生保破綻
平成金融危機における生命保険会社の破綻要因については,バブル崩壊や
1980年代の予定利率引上げなどの外的要因に求める見方が一般的である。外 的要因は業界全体に対するものと,破綻した会社を中心とした特定属性の会 社に該当するものに整理することができる。
業界全体に対する外的要因としては,資産価格の下落や金利低下など,い わゆるバブル崩壊による影響,1980年代の事業環境(死亡保障市場の成熟化,
予定利率の引き上げや配当還元を促す動き,行政当局との関係など),金融 自由化や国際化の影響(新規参入の増加,商品の自由化,資産運用対象の拡 大など)などが挙げられる。
1990年には一時8%を上回った10年国債利回りがその後1%を下回り,
1989年12月には3万9千円をつけた日経平均株価が1万円を割り込むなど,
日本の生保は予想外の外部環境の悪化に見舞われた。加えて,1997年以降の 金融システム不安は生保にも契約面や財務面などに深刻な影響を与え,大手 生保のなかにも経営危機に陥る会社があった。
バブル期の資産急拡大とハイリスク・ハイリターン投融資も大きかった。
生保各社は1980年代後半に,個人年金保険や一時払い養老保険といった高利 回りを保証した貯蓄性商品を大量に販売し,高い保証利回りを確保するため にハイリスク・ハイリターン型の資産運用に傾斜していた。さらに,契約者 への予定利率の引き上げや配当還元を迫る当時の生保業界を取り巻く事業環 境の影響も指摘できよう。
規制の不備や行政当局の対応にも問題があった可能性が高い。1990年代後 半までの保険会社は大蔵省が経営していたと揶揄されるほど,行政による監 督は商品や保険料率,配当,募集制度,資産運用など経営全般に及んでい た 。保険会社からは毎年詳細な業務報告書が提出され,必要に応じ立ち入 り検査も実施されている。だが,大規模な生保破綻を回避できなかった。
他方,特定属性の会社に該当する外的要因としては,中堅生保の規模拡大 競争,職域市場など特定の顧客基盤の有無,相互会社形態による経営の制約
7) 植村[1999]p.20。
などが考えられる。例えば,1980年代後半には中堅生保間で熾烈な資産規模 の拡大競争が行われており,販売面への影響を考えると競争に参加しないと いう選択肢はなかったという見方がある。大手生保が系列関係や株式保有な どにより大企業の職域市場を確保していたのに比べ,中堅生保の顧客基盤は 見劣りしており,これが1980年代後半の貯蓄性商品への傾斜につながったと いう見方もある。
しかし,これらの外的要因だけで生保破綻を説明できるのだろうか。1997 年時点に存在した生保約40社のうち,最終的に破綻したのは,一般に経営が
中堅生保の総資産競争
単位:億円,%,倍
<1985年度> <1989年度>
総資産 シェア 総資産 シェア 対85年度
日本 第一 住友 明治 朝日 三井 安田 太陽 千代田 東邦 協栄 第百 富国 大同 日本団体 東京 日産
126,027 83,484 69,882 45,661 40,904 30,662 26,374 23,534 17,058 14,752 12,124 10,599 9,029 8,453 7,975 4,049 3,680
23.4
%
15.5%
13.0%
8.5%
7.6%
5.7%
4.9%
4.4%
3.2%
2.7%
2.3%
2.0%
1.7%
1.6%
1.5%
0.8%
0.7%
日本 第一 住友 明治 朝日 三井 安田 千代田 太陽 東邦 協栄 日本団体 大同 第百 富国 日産 東京
248,814 173,608 148,617 100,856 79,545 63,028 54,209 45,189 44,005 40,759 30,009 24,950 24,556 23,613 21,620 16,270 10,091
21.4
%
14.9%
12.8%
8.7%
6.8%
5.4%
4.7%
3.9%
3.8%
3.5%
2.6%
2.1%
2.1%
2.0%
1.9%
1.4%
0.9%
2.0 2.1 2.1 2.2 1.9 2.1 2.1 2.6 1.9 2.8 2.5 3.1 2.9 2.2 2.4 4.4 2.5
(出所)インシュアランス生命保険統計号
脆弱と見られることの多い新設会社や小規模会社ではなく,歴史が長く一定 規模を持つ中堅生保に集中している。しかも,同じく歴史の長い中堅生保の なかには,少数ながら規模拡大競争に走らず,健全経営を維持した会社も存 在している。顧客基盤にしても,破綻した千代田生命や東京生命は大手のよ うな職域市場を確保していたし,協栄生命は教職員など強固な顧客基盤を持 っていた。
3.内的要因が重要な役割を果たした可能性
英国 ペンローズ報告書 ではエクイタブル生命の破綻要因について,経 営姿勢やガバナンス構造に大きな問題があったとしている。今回,日本の事 例を,関係者インタビューなどを通じて個別に踏み込んで調査してみると,
一連の中堅生保の経営破綻は必ずしも外的要因だけで発生したのではなく,
内的要因が重要な役割を果たした可能性が浮き彫りになった。
調査結果を踏まえ,内部要因を次の3つに整理してみた。以下では具体例 をもとに説明したい。
・歴史的に形成してきた企業文化やビジネスモデル
・経営陣の不適切な判断や行動
・ALM・リスク管理体制や経営チェック機能の不備
歴史的に形成してきた企業文化やビジネスモデル
親密な企業グループの存在,ビジネスモデル上の欠陥,創業者の影響力な どが挙げられる。
例えば,日産生命を経営破綻に追い込んだ最大の経営行動は,1980年代後 半の数年間に金融機関との提携で予定利率の高い個人年金保険を集めすぎて しまったことである。しかし,その背景には日産生命が親密先である日立・
日産グループへの依存度が高かったため,1980年代前半までは保有契約が伸 び悩んでいたという点がある。経営陣は何とか現状を打破しようとして,ニ ューマーケットの開拓や新しい販売チャネルの開発を模索していた。金融機 関との提携販売はまさに当時の経営陣のニーズに合致したのである。
第百生命の場合には,低収益構造の見直しができなかったことが最後まで 尾を引いた。もともと家庭市場に貯蓄保険を売る会社だったが,収益性を高 めるために新しい保障性商品を開発し,移行を促しても,貯蓄商品の販売に 親しんできた営業サイドがなかなか切り替えられなかった。他社が大型保障 に向かうなかで,医的診査のいらない少額保障が多くなったり,保障ニーズ のない若年層の契約に走ったり(=義理で加入してもらい,すぐに解約とい うパターン)して,余裕のない収益構造から脱却できなかった。社内では収 益構造を改善しようという議論を何回も行っていたようだが,結局のところ 徐々にしか変わらなかった。
また,戦後の千代田生命は大手から凋落する歴史で,1970年代後半には5 年チルメル式責任準備金の達成をも危ぶまれる事態に陥るという苦い経験を していたため, 大手復帰 への渇望が経営陣にも管理職にも非常に強かっ た。1980年代後半には 大手復帰 を掲げたトップの旗振りの下で,保有契 約高や収入保険料,総資産といった規模指標で業界8位に浮上したが,実際 には地道な取り組みよりも,企業の財テク資金を引き受けるなど,現場が即 効性の高い方法に走ってしまった。
経営陣の不適切な判断や行動
経営トップやその周辺人物の暴走,現状認識の甘さや遅れなどである。
日産生命はわずか2年間で総資産を3倍に増やした時期がある。関係者に よると,すでに1987年には,高い利回り負担を財務部門と数理部門が問題視 していたが,営業部門を抑えられなかったという。その後も資産急拡大につ いて社内で何回も議論したようだが,経営には
○○だから大丈夫 という
情報ばかりが上がり,提携金融機関に販売抑制を要請したのは1990年以降だった。
表面的な数値が良かったことも,拡大に歯止めをかけられなかった一因と 考えられる。日産生命に限らず,多くの中堅生保では費差損の解消が課題と なっていた。なかには解約失効を抑え,保有純増を果たすことで費差損の解 消を図った会社もあるが,一時払いの貯蓄性商品の販売で費差損解消を達成 した会社が多かった。日産生命でも契約高が飛躍的に増えた結果,1988年度 に念願の費差益を達成した。しかし,実際には一時的に付加保険料を確保し たというだけではなく,銀行系代理店に支払う手数料を下げ(=費差益の増 加要因),その代わりに銀行への 協力預金 を増やしたり(=利差益の減 少要因),金銭信託などを使って株式含み益を実現化したり(=利差益のか
総資産の推移
単位:億円,%
日産生命 全社合計
1985年度 3,680 538,706 1986年度 4,441 653,172 1987年度 6,964 792,684 1988年度 13,230 970,828 1989年度 16,270 1,173,439 1990年度 18,555 1,316,188 1991年度 19,443 1,432,341 1992年度 20,285 1,560,111 1993年度 21,029 1,691,221 1994年度 21,461 1,779,655
(出所)インシュアランス生命保険統計号 2.1
%
3.7
%
4.3%
4.8%
14.0%
23.0%
90.0%
56.8%
20.7%
19.1%
前年比5.2
%
8.4%
8.9%
8.8%
12.2%
20.9%
22.5%
21.4%
21.2%
17.8%
前年比責任準備金に占める個人年金のウエート
<1986年度> <1989年度>
日産 全社合計 日産 全社合計 12.3
%
2.9%
55.9%
6.8%
(出所)インシュアランス生命保険統計号
さ上げ)と,損益が歪められていた。
東邦生命の場合にはトップとその周辺による不適切な経営が続いたことが 大きかった。社長が企業スキャンダルや経済事件に関わったり,親族企業の 負債解消のために東邦生命の資金を流用し,破綻後に損害賠償を求められた りしている。このような不適切な経営が可能だったのは,明治時代から一族 が社長を務めるのが当たり前とされ,入社した時点で将来の社長就任が約束 されていたこと,実力者を次々に排除し,周囲をイエスマンで固めた結果,
誰も何も言わなくなっていたことなどが指摘できる。
社長を祭り上げ,周りが好きなようにやっていたという面もあるようだ。
社長の信任をバックに財務部門を牛耳っていた担当役員は,経営会議に資産 運用の明細を出さなくなり,公私混同も見られたという。社長に近い別の実 力者の場合には,関連会社を設立し,東邦生命からの資金で不透明な投融資 を行ったという話もある。
創業者がアクチュアリーだった協栄生命では,経営判断を実質的に創業者 だけが行う体制が続いていた。協栄生命には1998年頃まで基本的に企画部門 が存在せず,創業者と側近で物事を決め,他のメンバーはそれに従う体制だ った。創業者がかなり高齢になっても経営陣は創業者に相談しないと決めら れず,亡くなる直前になっても,経営陣が決済を求めて入院中の病院まで行 ったというエピソードもある。
このため,1990年代後半に経営が危機的な状況に陥り,一部の役員が外部 との提携交渉を開始するようになっても,大半の役員や顧問(役員
OB)に
は経営危機という認識がなく,自力再建派が多数だった。しかし,自力再建 派に具体策はなく, 株価が2万円を超える 行政が潰すわけがない とい う声が最後まで強かったという。外資との提携を進めている矢先に,自力再 建派が経営不振に陥っていた第一火災海上保険との資本提携を持ち込み,実 行してしまうといったことも起きている 。8) 第一火災は提携から約1年後の2000年5月に経営破綻した。
ALM
・リスク管理体制や経営チェック機能の不備会社内部のリスク管理体制に様々な問題があったばかりでなく,外部から の経営チェック機能が事実上存在しなかったという点も指摘できる。
中堅生保のなかで,大同生命は1990年代前半に保有資産を株式から公社債 にシフトしている。当時の生保では保有株式の多くが 政策保有 である。
株式含み益に依存した経営に危機感を抱いた運用部門が売却を強く主張し,
営業部門からの強い反対があったものの,最終的には経営陣を動かした。
しかし,破綻した生保では,経営が悪化してからも 政策保有 株式の売 却になかなか踏み切れなかったケースが多い。 1997年に政策株式を売却し ようとして,常務会で 総枠いくら と決めたのだが, 相手の了解が得ら れない という理由からほとんど売却が進まなかった 総論賛成,各論反 対 という状態が続いた 役員からは (株式の大半を売却すると)会社が 壊れてしまう
○○社の株を売るくらいなら,潰れたほうがいい という
声が上がり,提案が却下された といった,結果として株式保有リスクへの 対応よりも営業政策を優先したという話が目立つ。リスク管理体制の改悪も行われた。例えば,千代田生命では1980年代前半 には融資の実行部門と審査部門を分け,牽制機能を持たせていた。だが,そ の後,財務部門の担当役員が審査業務を兼任するようになり,あえて牽制機 能を働かなくしている。決済規定についても,その担当役員が 短期なら役 員決済で
OK
など,いわばリスク管理体制を骨抜きにするような規定案を株式ウエートの推移
第百生命 大同生命 全社
(出所)インシュアランス生命保険統計号
90/3 91/3 92/3 93/3 94/3 95/3 96/3 23.6
%
22.8%
23.7%
23.5%
23.8%
20.7%
16.2%
18.9%
19.5%
14.8%
11.3%
11.5%
10.8%
9.7%
21.8%
22.1%
21.7%
20.3%
19.7%
18.8%
17.2%
常務会で提案している。しかも,規定見直しを承認した常務会メンバーは財 務の素人だったため,誰も反対しなかった。なお,千代田生命では財務部門 全体で運用方針会議を行っていたが,その担当役員になってからは出席者が 徐々に少人数となり,さらには担当役員に直接持っていく体制になっていっ たという。
アクチュアリーが果たした役割はどうか。社内におけるアクチュアリーの 地位は会社により様々だったようだ。創業者がアクチュアリーだった協栄生 命では,側近のアクチュアリーが トップの両腕的存在 として会社を動か していた。しかし,1980年代半ばには,それまで3.75%に抑えていた一時払 い養老保険の予定利率を,いきなり他社並みの5.5%に引き上げるといった,
およそアクチュアリーらしからぬ経営判断が見られた。第百生命でもアクチ ュアリーの存在感は比較的大きかった。1990年代初頭にはアクチュアリーが 将来収支分析を行い,経営に警鐘を鳴らしている。しかし,途中で自ら妥協 案を出してしまうなど,収益構造の見直しを徹底できなかった。他方,千代 田生命ではアクチュアリーが1970年代の経営不振時に力を発揮できなかった ことから社内で重視されず,1980年代にはただの 計算屋 と見られていた。
1988年頃にアクチュアリーを中心に貯蓄性商品の売り止めを主張しても,営 業部門が全く耳を貸さず,実現できなかった。
さらに,外部からの経営チェック機能も実質的にはほとんどなかった。相 互会社の社員総代会はほとんどセレモニーだった。 総代も評議員も会社が 選ぶ 社長が好きな人を総代にする といった具合で,ガバナンス機能を 果たしていなかった。協栄生命は株式会社だったが,株主から経営に注文が つくことはなく,株主総会で発言するのは
OB
株主だけという状態だった。千代田生命や東京生命のように,親密金融機関を持っていた会社の場合で も,危機的状況に陥るまで(もしくは陥っても)経営にはほとんど口を出さ なかったようだ。
4.韓国における生命保険会社の経営破綻
日本で中堅生保が相次いで破綻したのと同じ時期に,韓国でも多くの生保 が破綻に追い込まれている。
韓国の生保市場は保険料収入ベースで世界第6位と,アジアでは日本に次 いで大きい。世帯普及率は90%近くに達しており,日本とともに生命保険が 広く国民に普及している国と言えよう。戦後長く6社体制が続いていたが,
1980年代後半に内外に市場が開放され,1990年代後半には33社が事業を展開 するようになっていた。しかし,1997年末からの金融危機を引き金に韓国の 生保は厳しい構造調整を経験した。
資産規模で韓国第3位の大韓生命が1999年に破綻しているものの,日本の 生保破綻とは違い,韓国でこの時期に破綻した生保の大半は,1980年代後半 からの市場開放を受けて設立された会社である。1998年5月に金融監督委員 会は生保18社に 経営正常化計画 の提出を求め,8月に4生保(国際,
BYC
,太陽,高麗)を閉鎖。その後1999年に1社,2000年に5社,2001年 以降に4社の構造調整(=破綻処理)を行った 。金融危機が韓国経済に与えた影響は非常に大きく,1998年の実質
GDP
成 長率は大きく落ち込み,2%台だった失業率は8%近くまで上昇。銀行の不 良債権は急増した。ここまでの事業環境の急激な悪化を事前に予想すること はできなかっただろう。金融危機のなかで健全性規制が強化され,新たな破 綻を招いたという指摘もある。政府関係者からは,そもそも市場規模のわり に会社数が多すぎたという声も聞かれた。だが,各社が経営危機に陥った要因を見ると,無理な規模拡大や高コスト 構造,ハイリスクの投融資,経営者の不適正な行動など,決して外的要因だ けが破綻の原因ではなかったことが伺える。
9) 韓国の生保破綻については文献調査のほか,韓国金融監督院,保険開発院,
韓国金融研究院,韓国預金保険公社などでインタビュー調査を行った。
10) 李[2004]
例えば,新設会社のビジネスモデルは概して既存6社と同じものだった。
多くの会社は女性営業職員を大量に採用し,人海戦術で貯蓄性商品を満期保 険金の魅力で販売した。規模の拡大と市場シェアの獲得が最大の経営目標だ ったため,新設会社は10年満期など長めの金利固定型商品に力を入れた。と ころが,1990年代後半以降に金利水準の低下が進み,逆ざやで苦しむことに なった。
市場参入の目的がそもそも グループ企業への投融資 だったり, 生保 は金のなる木 という認識だったりしたため,提供する商品や生保事業のリ スクに関心がない経営者が多かったとも言われている。
新設会社の高コスト構造も指摘できよう。生保事業は設立当初にコストが かさみ,韓国でも 普通は10年くらいが損益分岐点 (保険開発院)と言わ れている。しかし,過当競争の影響もあり,新設会社の収益力は極めて低か った。各社とも市場シェアを確保するため,組織拡大と人材確保に莫大な事 業費をかけた結果,費差損解消の目処が立たず,責任準備金の積み立て水準 も低いままだった。さらに,新設会社は設立5年目まで,事業費の最大50%
を移延資産(=繰延資産)として資産計上できたため,事業費が使いやすく なり,高コスト体質につながった。
大手の大韓生命の場合には,収益性の低い短満期商品による規模拡大,本 社ビルなど投融資の失敗,長期にわたり経営を支配していたトップによる不 適切な経営,などが経営危機を招いた要因として挙げられる。大韓生命は資 産運用の一環として,韓国一の高さを誇る 63ビル (=本社ビル)を建設。
グループ会社への過剰な投融資も後に多額の不良債権となって経営を圧迫し た。さらに,トップが熱心なクリスチャンだったこともあり,大韓生命の資 金で立派な教会をいくつも建てるなど,会社の資金を私的にも流用した。上 場会社ではなく,トップに逆らう役員もいなかったため,1999年にトップが 逮捕され,検察のメスが入るまでは外部からは誰も経営の実態をつかむこと ができなかった。
韓国と日本の破綻事例には重要な相違点もある。まず,韓国では新設会社
に構造調整先が集中したのに対し,日本では歴史の長い中堅生保が相次いで 破綻した。深刻な金融危機のなかで韓国生保の大半が経営悪化に苦しみ,グ ループに優良企業が多い三星生命と,親会社からの支援を得ることができた 興国生命を除けば,実質的に全社が経営危機に陥ったという見方もあるほど だ。そのなかでも経営基盤や収益性で見劣りする新設会社へのダメージは大 きかった。日本でも1990年代半ばから新規参入が増え,会社数は20社程度か ら40社強へと倍増していたが,新設会社の経営破綻はなかった。これは,日 本の生保破綻が1980年代後半の急激な資産拡大と,ハイリスク投融資への傾 斜に起因するところが大きかったためである。新設会社にとっては,むしろ 経営悪化に苦しむ既存生保の存在が営業面で追い風になった。
もう一つの大きな違いとして銀行の存在が挙げられる。韓国では金融資本 と産業資本が明確に分けられ,財閥(=産業資本)が銀行を所有することが できない。このため,銀行と保険会社の資本持ち合いの問題はなく,銀行が 生保の救済に乗り出すこともなかった。しかし,日本では銀行と生保の資本 持ち合い構造が,1990年代半ば以降に金融機関の信用力が悪化するなかで進 み,金融システム不安を増幅することになった。
とはいえ,経営危機をもたらした背景には共通点も多い。ともに規模の拡 大が経営の優先課題とされ,販売組織の増強に走った。資産と負債を総合的 に管理するという発想もなかった。日韓ともに,歴史的に生保は産業資金
(あるいは財閥)の資金供給源という位置づけがあったため,いかに保険料 を集めてくるかに経営の主眼が置かれ,資産・負債の金利リスク(ミスマッ チのリスク)が軽視された。
経営チェック機能が事実上,監督官庁に限られていたというのも共通して いる。上場会社がなく,情報開示も不十分だったため,トップが長期にわた り経営を支配しやすい状況があった。監督官庁にしても,検査内容が銀行に 準じたものであったり(日本),監督官庁の水準が低く,表面的なチェック に終始したり(韓国)と,外部規律として十分に機能していなかった可能性 がある。
5.まとめ
破綻した中堅生保が辿ったパターンは,①1980年代後半に高利回りの貯蓄 性商品に傾斜,②高い利回りを確保するための無理な資産運用が,バブル経 済の崩壊で失敗,③その後,経営悪化が進むなかで再建が進まず破綻,とい う姿が一般的とされる。
ただ,今回 ペンローズ報告書 と同様の手法により,平成金融危機にお ける生保破綻の事例研究を行ってみると,外的要因だけで破綻が生じたとは 到底考えられず,内的要因が重要な役割を果たした可能性が高い。すなわち,
歴史的に形成してきた企業文化やビジネスモデル 経営陣の不適切な判断 や行動
ALM
・リスク管理体制や経営チェック機能の不備 といった内的 要因が破綻リスクを高め,その後,経営環境にストレスが生じた局面で各社 の経営が悪化していったことがわかる。さらに,これらの内的要因が危機認 識の遅れや不適切な対応をもたらし,最終的に各社が破綻に至ったことが伺 える。つまり,内的要因と外的要因をセットで考えることで,はじめて生保 の破綻メカニズムを深く理解できるのではないだろうか。当時に比べ,生保のリスク管理態勢は著しく改善され,ソルベンシー・マ ージン比率に代表される健全性規制の見直しも進みつつある。しかし,経営 の健全性を確保するにはリスク管理の高度化だけでは不十分であり,トップ が適切な経営判断を行えるような態勢や不適切な経営を防ぐ仕組み,市場規 律が働く経営環境を整備していく必要があろう。
(筆者は㈱格付投資情報センター勤務)
参考 献
・植村信保[1999]: 生保の未来 日本経済新聞社
・太田三郎[1996]: 企業倒産の研究 同文館
・久保英也[2005]: 生命保険業の新潮流と将来像 千倉書房
・預金保険機構[2005]: 平成金融危機への対応 預金保険研究 第4号
・李洪茂[2004]: 韓国における生命保険会社の破たん処理 生命保険論集
No.
146・御厨貴[2002]: オーラル・ヒストリー 中公新書
・中北・西村教授グループ[2007]: 金融機関の破綻事例に関する調査報告書 (金融庁委嘱調査)
・George W. Penrose[2004]:“Report of the Equitable Life Inquiry”
・各社のディスクロージャー資料