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﹃菅家後集﹄所載﹁央奥州藤使君﹂

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(1)

﹁国語国文学研究﹂第四十九号抜刷 平 成 二 十 六 年 三 月 六 日 発 行

﹃菅家後集﹄所載﹁央奥州藤使君﹂

の構成論考

焼

山

康

志

(2)

﹃ 菅

家 後

集 ﹄

所

載 ﹁

突 奥 州 藤 使 君

﹂

の構成論考

﹃菅家後集﹄所載の﹁術央奥州藤使君九月二十二日︑四

十韻﹂は五言人十匂古詩のスタイルで︑﹁銭意一百韻﹂に次ぐ

長編の作品である︒題注にもあるように︑道真五十七歳時︑太

宰府左遷の当該年の秋︑九月二十二日に詠まれたとある︒その

内容は︑人の呪誼を受けて亡くなったと伝え聞く旧友の陸奥守 藤原掛錨の死を京都からの家族の手紙とそれを太宰の諦居に届

けに来た使者より知り︑その死を悼み︑さらに今の我が身を鑑

み︑ともにこの世の非情を嘆く心情が︑鬼気迫る筆致で貫かれ

て い

る ︒

太 宰

府 で

の 道

真 の

心 情

の 変

遷 を

知 る

︑ ?

え で

注 視

す べ

き 作品である︒この詩については︑既に注釈書 Z

を 公

に し

た ︒

又 ︑

その作品内容より窺えることを﹁総括﹂の形で︑前稿 Z

で 提

起

してみたロしかしながら紙頁の制限があり︑その中で十分意を

尺ミすことが出来なかった恨みがあり︑今稿は︑再度︑全文を

取り挙げ︑構成論に視点を置き︑更に考察を深めることが大き

な 意

図 で

あ る

︒

焼

贋

志

山

具体的には︑前稿 Z で 提 起 し た こ と を 踏 ま え て ︑ 改 め て こ こ

に 整

理 し

考 察

を 深

め る

︒

それは本詩の第七十九句・八十句にある﹁拙詞四百言/以代

使君諌(拙調四百言/以て使君の諜に代へん)﹂の句内容の意

味 す

る も

の ︑

と り

わ け

﹁ 諒

﹂ の

使 い

方 に

注 視

す る

必 要

が あ

る 点

︒

そ し

て こ

こ か

ら 本

詩 の

構 成

の 仕

方 の

糸 口

が 見

え る

点 の

一 三

白 川

で あ

まず﹁諒﹂の使い方についての考察を再度以下に整理してみ る ︒

ゑ制

道真は︑第七十九匂八十句で(﹁五言四十韻﹂の古詩でもっ

︒

て ︑

﹁ 諒

﹂ の

代 用

を し

た )

と 詠

む ︒

そ の

﹁ 諒

﹂ と

は ︑

﹁

G

死 者

の

生 前

の 功

績 を

た た

え ︑

そ の

死 を

悼 む

﹂ と

︑ 又

﹁ ②

し の

び ご

と ︒

死 者

を 哀

悼 す

る 文

章 ﹂

の こ

と で

あ る

が ︑

前 稿

で 提

起 し

た よ

う に

︑

(3)

ここでの使われ方は︑﹁諒﹂を死者を追悼する文章﹁しのびご

と﹂の漢訳語としてではなく︑古代中国本来の﹁諒﹂の文体を

指 し

て い

る と

考 え

る ︒

井 上

和 歌

子 氏

の 論

文 (

﹁ ﹃

空 也

連 座

考 上

文 体

︑ 成

立 の

指 示

︑ 評

価

l

﹂ )

( ﹁

和 漢

比 較

文 学

﹂ ﹂

一 号

) に

次 の

よ う

な 言

及 が

あ る

︒

漢 文

の 諒

は ﹁

│ │

諒 井

序 ﹂

︑ 即

ち 散

文 の

序 と

韻 文

の 諌

の 一

一 部

で構成される誌は︑四字句で押韻する績で綴るのが通例であっ

た︒(中略)諒について︑より詳細な説明は﹃文心雌龍﹄等の

文体論に見える︒(中略)この諒に関する文体論は︑以下の五

点 に

温 め

ら れ

る ︒

( 中

略 )

⑤ 記

述 の

方 法

︒ 伝

の ス

タ イ

ル で

記 述

し ︑

鎮の文を用い︑生前の徳を誉め︑そして死を悲しむ︒称える事

と哀悼する事が両立する記述が必要である︒(中略)死者の徳

行を伝によって記述し︑更に哀悼の調を述べ︑かっ声に出して

朗 読

き れ

る こ

と が

諒 に

求 め

ら れ

た の

で あ

る ︒

﹂

ここで︑この﹁突奥州藤使君﹂の詩に目を移す︒井上氏の言

及する﹁諌﹂の文体とどう関連するのか︑又この詩の構成とど

う関わるのか︑全人 O 匂を便宜上人句ずつ十段落に分け考察を

進 め

る ︒

段 l 

家害告君畏

約略寄行李

病源不可樺

被人厭魅死

曾経共侍中

了知心表裏

雌有過直失

矯曲執相比

2  3  4  6 5  8 7 

矯 過 が 了 曾 士 人 病 約 家

曲 直

t知 経 て に 源 略 書

市 〈 す 厭

t

執 22

共 魅 み 醤

E 行 君 か 套 心 に せ す 李 が

相 在 官 の 侍 ら ベ に 喪 せ

比 ひ

Z

表 中 れ か 寄 し

せ ιぃ 裏 た て ら す こ

ん 難

E り 死 ず と

も き す を

告

ぐ

62 

V

︹ 藤

原 滋

実 の

陸 奥

で の

国 守

と し

て の

功 績

・ 徳

行 ︺

( そ

の 一

)

妻からの藤原滋実の死を告げる家書が届き︑太宰に派遣され

た使者より︑その死に至るまでのいきさつがつかめた︒それは

病気キ事故によるものではなく︑呪誼によるものであることが

判明する︒その想定外の友の死に︑道真は言葉を失う︒と同時

に︑滋実の生前の在りし姿が道真の脳裏にありありと建ってく

る︒この︻一段︼では︑滋実と自分との関わりの契機︑そして

滋 実 の 顕 著 な 性 格 ︑ ( そ れ は 正 置 過 ぎ て 一 本 気 な 所 は あ る が ︑

(4)

とにかく不正に対してつゆとも妥協しない潔白さがあったこ

と)をまずこの︻一段︼で特記する︒

段 9 

東涯第一州

分憂為刺史

盈 日

告 白

氷 雪

焼身帯弦矢

僚属銅臭多

錬人煎骨髄

土風絶布悪

股勤責細美

16  15  14  13  12  11  10 

段 土 人 僚 身 口 憂 東 動 風 を 属 に に ひ 涯 に 布 鎌 主 銅 線 号 盈 み を の

細 の L

臭 ら た 分 第

美 悪 て 多 し し け ー な し 骨 し て て て 州

る き 髄

弦 氷 刺

長

t

畠 皇 宮君主

む ち る

帯 舎 り

ぷ み

V

︹藤原滋実の陸奥での国守としての功績・徳行︺(その二)

︻二段︼では︻一段︼の内容を受けて︑藤原滋実の陸奥の囲

守としての功績及ぴこの徳行を具体的に記す︒

十一句・十三句の﹁ロに盈たして氷雪を含み/身に続らして

弦矢を帯ぷ﹂の句意は︑先の注釈害

の中で須藤修一氏が具体

T v

的に考察しているように玉︑滋実の奥州固守としての実直な仕 事ぶりを活写している内容にとどまらず︑滋実の性格そのもの︑ つまり︑﹁口に巧言なく実直︑誠実で︑わが身を持すことには 厳しく︑自他ともに不正を容赦しなかったこと﹂を高く評価し ている点に注視すべきである︒その対極として︑悪に染まった 汚職まみれの人聞や社会風潮を次の段から次々に暴露していく︒

段

24  23  22 21  20  19  18  17 

兼金又重裏

鷹馬相共市

市得於何慮

多是出遺跡

遁都最猿俗

震性皆狼子

債直甚蛍舷

弊衣朱奥紫

雲

iZi

告 訴

T25

驚

i

整

" ' "   は の

?時宜

ff

堅持ま又

T i L ? 締結 : z i

与

Fソ Eι:ふ

、 ; 空

ソ る

V

︹藤原滋実の陸奥での国守としての功績・徳行︺(その三)

この︻三段︼では︻二段︼を受けて︑藤原滋実の人となりと

対極に位置する︑人聞や社会風潮を具体的に列記する︒ここで

は京の法秩序や文化の及ぱぬ陸奥の住民の野卑さ︑横暴きを記

(5)

す︒これはこの詩の先に制作されたと思われる﹁銭意一百韻﹂

の太宰の地の野卑きを記す箇所︑﹁苦味の塩︑木を焼き/邪庫

の布銭に嘗つ/殺傷軽しく手を下し/軍盗穏やかに肩を差す/

魚袋出して釣を垂れ/扉筆舷を叩くに換ふ/貧禁販米を輿し/

行産官綿として貢す/飽蜂方に息を遣し/琴聾未だ絃を改め

ず ﹂

( 七

十 一

句 l

八 十

匂 ︻

八 段

︼ )

の 口

吻 と

酷 似

す る

︒

︻ 四

段 ︼

32  31  30  29  28  27  26 25 

分寸背平商

野心勃然起

自 士

口 夷

民 嬰

交開成不軌

遁逗嘗無事

兼蔵如意指

惣領走京都

議前顔色喜

議官惣i

兼か運 t

交?士

E

乎分tm

f

領3

ね 遁

5関品ロとλ

、主寸ん凶

め , う て し

んよ勃埋も E " ]  

前

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~た1 平2 日

R idまi5:

ま

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前回

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跨去最重宇警

2FZ

喜

i すそ

ぷ 如 は

し

V

︹藤原滋実の陸奥での国守としての功績・徳行︺(その四)

この︻四段︼では︑紛争の絶えない事由が陸奥の住民の性格

に拠ることを記す︒それは裏をかえせば︑このような地に勇ん で赴き︑統治しようとした︑滋実の多大の労苦と尽力を︑改め て読み手に想起させる内容となっている︒そして後半より︑こ うした住民を利用し︑わが私欲を肥すために︑やっきになって いる︑汚職まみれの受領たちとその悪事に便乗する京の小役人 どもの悪事を赤裸々に活写していく︒

︻ 五

段 ︼

40 39  38 37  36  35 34  33 

使是買官者

秩不知年幾

有司記暦注

細書三四紙

蹄来連座席

公堂倫眼視

欲酬他日費

求利失綱紀

利 他 公 蹄 細 有 秩

E

栢

E

を 日 堂 り 書 司 ァ :

求 の 来 す 年

i i

i i お i f f i  

FX令書面記 2

買

失 L

視 に 紙 す か ?

ふ春るき 自 著

レ り ら

ず

64 

V

︹藤原滋実の陸奥での国守としての功績・徳行︺(その五)

この︻五段︼では︻四段︼を受けて汚職まみれのあくどい受

領と京都にいる官僚たちの癒着ぶりが︑赤裸々に詠まれている︒

潔癖さにおいて誰よりも己れに厳しかった滋実が︑こうした小

(6)

役人の犠牲になってしまった憤りを暗示する匂内容となってい

る︒三十五匂・三十六匂の﹁有司暦注を記す/細書すること

三四紙﹂三十七匂・三十人匂の﹁蹄り来たらば座席に連なり/

公堂眼を倫みて視る﹂とい︑ヱま現内容は余りに具体的で︑そこ

には道真の過去に見聞した国司時代の実体験が投影されている

と考えるしかないような︑迫力がある︒

︻ 六

段 ︼

48  47  46  45  44  43  42  41 

官長有剛腸

不能不切歯

定慮明札察

屈彼無廉恥

盗人憎主人

致死融所以

精霊入冥漠

不由見容止

容 精 死 盗 彼 定 主 歯 官 止 量 を 人 の め を 長

を 冥 致 は 廉

tて 切 長

見 漠 し 主 恥 ち 慮

E

ら 剛

る に て 人 無 に ぎ 腸

に 入 所

E

を き 車

L;

る 有

由 り 以 ん 憎 を 自 主 こ ら あ て を む 屈 笠 宮 と ば

ら 識 し す 晶 能

ず る 叉 は

巨ず

す"

"

 し

V

︹藤原滋実の陸奥での国守としての功績・徳行︺(その六)

この︻六段︼では︻五段︼の受領と京都在住の役人との癒着

とは対照的な︑滋実の筋金入りの漂白さで︑物事を押し進めて 来たこのことが︑却って悪人どもの恨みをかうことになり︑命 を落とすことになった無念きを︑強い慣りをもって詠い上げる︒ そこには︑太宰府左遷に到る我が身の顛末と重なるものからく る心情が込められている︒ ︻ 七 段 ︼

56  55  54  53  52  51  50 49 

骸骨作灰塵

無慮停音旨

葬来十五旬

程去三千里

廻 環 多 日 月

重複幾山水

憶昔相別離

寧知濁傷設

事 Z 主義襲苦青書 i 管

知 昔 す す 去 て を

ら

る よ 停 灰

む 相 幾 多 こ り ふ 塵

ひ 山 く と 来ζる と

濁 別 水 の 三 の に 作 な

日ぞ月五 f f り

せ と 五

ら き

句

る る を V

︹人々の呪誼により命を落とした藤原滋実への哀悼︺

( そ

の 一

)

この︻七段︼より︑今まで滋実が死に至るまでのいきさつの

推測から︑既に死去しあの世に旅立った滋実の死を惜しみ悼む

心情を詠むものに変わる︒

(7)

死者である滋実と生者である自分自身とが二人だけで真撃に

対 時 し ︑ 赤 裸 々 な 心 情 を 吐 露 す る 内 容 が 展 開 さ れ て 行 ︿ ︒

︻ 入 段 ︼

64  63  62  61  60  59  58  57 

君 閲

泉 壌

入

我劇泥沙委

天 西

奥 地

下

随聞第英始

英 罷

想 平

生

一 言

遺 在

耳

目吾被陰徳

死生将報爾

我 君

は は

劇時間 1

し か く に

泥古泉 Z

T

持 i 苧

5・

-~突聞天

ま す く の E

る に 西

将E

菩 り こ 随 主 と

に て と

H r地

爾 E

陰E耳 罷 ゃ 干 の ぢ徳tに み 人 下

絵を在あ玉誉と

い 被

2り ま 是 姶

ん り 3 E

いめ

と て

1

と

す 駅第

t zす

固 死

く

生

V

︹ 人

々 の

呪 誼

に よ

り 命

を 落

と し

た 藤

原 滋

実 へ

の 哀

悼 ︺

( そ

の 二

)

︻七段︼に続き︑死者の滋実と生者である自身との一対一の

対時がなされている︒滋実の東北の地での無念の死と西府の太

宰の地で諦居生活を余儀なくされ︑生きる屍となりつつある自

身 を

﹁ 泉

壌 ﹂

﹁ 泥

砂 ﹂

と 対

比 さ

せ る

︒ そ

し て

︑ か

つ て

道 真

に 誇

っ

た滋実の言葉を想い起こす︒そこには︑﹁銭意一百韻﹂の中に おいても︑﹁秋夜﹂の中でも繰り返し詠まれている﹁絶望的な 孤

独 ﹂

の 心

情 が

︑ 亡

き 友

滋 実

に 対

し て

初 め

て ︑

心 を

開 く

か の

よ う

に︑自分の今の心情を語りかけようとするのは他ならぬ︑﹁滋

実 ﹂ が ﹁ 死 者 ﹂ ( あ の 世 の 人 間 ) で あ る こ と に 因 る ︒ つ ま り ︑

この世での絶望があの世での光であって欲しい切なる願いが込

め ら

れ て

い る

の で

は な

い か

︒

︻ 九 段 ︼

72  71  70  69  68  67  66  65 

惟魂而有霊

莫忘奮知己

唯要持本性

終無所傾情

君廠我凶悪

撃我如神鬼

君察我無事

潟我請冥理

我 君 我 君 終 唯 奮 惟

ζ

が

を に だ き れ

矯 我 撃 我 傾 目 要 t W '

魂

に が つ が 情 ぃ42'じきに

冥 事 Z

こ 凶 す ‑ l ‑ を し 理 無 と 患

t る;;Ji:忘て

に き 神 を 所

E る 霊

請 を 鬼 隊 み 無 iL"

る 有

へ 察 の ば か ヤ

νこ ら

せ 如 ら iF

と ば ば く

し 、 莫 な

せ め か

よ よ れ

66 

曹 ︹

人 々

の 呪

誼 に

よ り

命 を

落 と

し た

藤 原

滋 実

へ の

哀 悼

︺

( そ

の 三

)

︻人段︼を受けこの︻九段︼は亡き友滋実に︑より具体的に

(8)

今の心情を︑激情がほとばしるように︑声高に詠み上げる︒今

生きている人間に働きかける術を持たぬ遺真にとって︑又︑生

きている人聞が自分の無実を晴らし︑京に呼び戻してくれる気

配の全くない絶望感の中で︑今︑道真がすがりたいのは︑﹁公

正な神﹂の存在であり﹁天の神による公正な裁き﹂である︒そ

してそれを滋実に必死に訴え願つのは︑その﹁自分﹂と﹁天の

神﹂との仲立ちの役目である︒滋実が﹁死者﹂であるからこそ

頼める願いである︒私が﹁無実﹂であるか否か︑公正なる天の

神が存在するならば︑必ず白黒をはっきりさせてくれるはずだ︒

自分に疾しさがあるのであれば︑命を落とすことも辞さない︒

もし無実であるならば︑天下の者にそのことを明らかにして欲

しいと叫喚する︒裏を返せば﹁無実﹂が晴れないのは︑﹁天の

神﹂の不在に他ならないことを言う︒これは須藤修一氏の論ず

る

AS

︼ ﹃

白 氏

文 集

﹄ ﹁

突 孔

哉 ﹂

Z の中にある︑優れた友﹁孔哉﹂を

失くしたことに対し白居易が︑天の神に訴える二十五句から三

十二匂﹁賢者の生民を矯むる/生死懸って天に在り/天人を

愛せずと謂はぱ/胡第れぞ其の賢を生ず/天呆して人を愛す

と矯さば/胡第れぞ其の年を奪ふ/註荘たる元化の中/誰か此

の知き権を執る﹂の匂内容︑つまり﹁天命はだれが握っている

のか﹂という切なる問い掛けが︑投影されていると見て間違い

な い

と 思

う ︒

︻ 十 段 ︼

8 0   7 9   7 8   7 7   76 7 5   74 7 3  

冥理遂無決

自議長己失

言之涙千行

生路今如此

聞之腸九嶋

幽途復何似

拙詞四百言

以代使君諒 冥理遂に決すること無くんぱ 姦れより長く己みなん

5 

言えば涙千行 生路今此のごとし 聞

け ば

腸 九

帥 押

す

い か

幽途復た何似ん

拙調四百言

以て使君の諒に代へん

V

︹ 人 々 の 呪 誼 に よ り 命 を 落 と し た 藤 原 滋 実 へ の 哀 悼 ︺

( そ

の 四

)

そして︻九段︼を受け︑七十二一・七十四句の﹁冥理遂に決

すこと無くんぱ/葱れより長く巳みなん﹂の匂意が前述した白

詩 ﹁

突 孔

蛾 ﹂

Z の三十一句・三十二句﹁荘荘たる元化の中/誰

か此の如き権を執る﹂の内容と表裏をなしていることが判明す

るロ白居易が直接的に天の神の﹁在﹂﹁不在﹂を問い掛けるの

に対し︑道真は一歩ひかえた腕曲的な表現に徹しているは︑道

真の今の置かれている立場の不安定さを暗示する︒その揺れる

心情が︑最後の匂へと一気に流れて行く︒そして君を悼む気持

(9)

ちを︑本来ならば﹁諌﹂の文体で綴るべきだったのだが︑その

自分の心情は︑この五言古詩というスタイルでしか︑言い尽せ

な か

っ た

と ︑

こ の

一 文

を 止

め る

の で

あ る

︒ 四

以上︑全人十匂を便宜上︑人句ずつ十段落に分けて概略を述

べ て

き た

︒ こ

こ で

改 め

て 各

段 落

と の

つ な

が り

を 考

察 し

て み

る ︒

すると︑前述の井上氏の﹁諌﹂の言及に︑この道真の詩を充て

て 考

察 す

れ ば

︑ こ

の 作

品 の

構 成

が 上

手 く

説 明

で き

る よ

う に

恩 つ

︒

つ ま

り ︑

V [

圃固・回国自国・岡国同国・閑国]

︻ 徳 行 ︼

←(藤原滋実の陸奥の国守としての功績・徳行)

V [

開

聞 凶

・ 同

開 凶

問 問

凶 問

問 凶

]

︻ 哀 悼 ︼

4(

藤原滋実が人々の呪誼により命を落としたその死を悲し

む )

﹁ 前

半 ﹂

で 藤

原 滋

実 の

生 前

の 徳

を 誉

め ︑

﹁ 後

半 ﹂

で そ

の 死

を 悲

しむという︑井上氏の言及する﹁称える事と哀悼する事が両立

す る

記 述

﹂ に

な っ

て い

る こ

と が

明 ら

か に

な る

︒

そして︑次に︑考えなければならない事はなぜ︑道真が︑こ

の詩を古代中国で制作されてきた﹁諒﹂の文体を意識し︑それ

に 倣

っ た

構 成

に し

つ つ

も ︑

﹁ 謝

﹂ で

は な

く ︑

﹁ 諒

﹂ に

代 わ

る ﹁

到

言 古

詩 ﹂

の ス

タ イ

ル に

し た

の か

と い

う こ

と で

あ る

︒

私論だが︑道真自身が︑この﹁五言古詩﹂こそが︑我が心情

を吐露できる最も意を得た作詩スタイルであると考えていたか

らではないか︑と私は考える︒その根拠は以下のようなもので

ホマ

@︒

井 上

氏 が

言 及

す る

よ う

に ︑

﹁ 諒

﹂ な

ら ば

︑ ﹁

四 字

句 ﹂

を 押

韻 す

る﹁額﹂で綴るのが通例であったこと︒又︑﹁鳴呼哀哉﹂とい

う四字の哀悼の定酒匂を用いなければならないとい立制約があ

るのに比して︑古詩にはそうした制約が全くない点︑そして何

よりも﹁五言古詩﹂へのこだわりが道真自身にあったことを物

語っていると考える︒それは︑筆者が︑百韻という大作﹁銭意

一 百

韻 ﹂

が 五

一 言

一 排

律 で

あ っ

た こ

と ︒

そ し

て ︑

こ の

大 作

の あ

と に

こ の

﹁ 央

奥 州

藤 使

君 ﹂

が 詠

ま れ

た と

考 え

る か

ら で

あ る

︒ つ

ま り

︑

﹁絞意一百韻﹂と﹁突奥州藤使君﹂は当時の道真の心情を窺え

る ﹁

表 裏

一 体

﹂ の

大 作

で は

な い

か と

分 析

し て

い る

か ら

で あ

る ︒

68 

(10)

︻ 注 ︼ (1 )

﹁央 奥州 藤世 君﹂ 他一 縞(

﹃菅 草後 集﹄ )全 注釈 (一 一)

焼山贋志監暢﹁道真樟の金﹂捕大洋印刷平成二十宜年一月

(2 ) 菅原道真研究│音量後差金注釈さ十五)

国語国文学研究(熊本大学文学部)第四十人号平成二十宜年二月

( 3 )

﹁総括考察①﹁輔央奥州車使君﹂に投影された﹃自民主鼻﹄

の一 考 察須 藤修 一︹

﹁央 奥州 藤使 君﹂ 他一 編(

﹃菅 草後 鼻﹄ )全 注釈 (二 )︺ (4 ) 百氏文

盆﹁蜘央孔哉﹂を以下に引用する園

格面誰不死

昌明

死聞

長貴

我是知験者

間之梯法然

践世山東軍

非義不可干

揖衣向西来

某道直如絃

書

量 日

人人以鶏雄

合置在朝端

側E

措陪誰か死せざらむ

長安に聞ゆ

也聞

が死

我は是れ磁を知る者

之を聞いて骨法然たり

畿は山東軍の世たり

義に非ずんば干(もと)むべからず

衣を揖ひ酉に向って来る

其の 遭

直(なお)きこと舷の加し

事に従ひ此の如きを得るは

人

人以て難しと鶏す

人は言ふ明明の代

合(まさ)に置いて朝端に在らしむべし 或望居謙司

有

事蔵

書

或望居置府

有邪蔵品弾

惜哉両不脅

没歯鴻閣官

寛子

小得

一目

春

春立

高

形骸従来人

舷葬北部山

刑制剛劇内

置車蹄其問

賢者震生民

出荷 思租 売

剖問

克原 動見

胡靖生其賢

創売場勤元

副体紙北端

荘荏元化中

輯執刺陥掛 或は諌司に居かんことを望む事

有ら ぱ欝 必ず 冒は んと

︒

或は憲府に居かんことを望む

邪有 らぱ 稜必 ず弾 (た だ) さん と︒

惜しいかな︒両(ふた)つながら脅(かな)はず︒

歯(よはひ)を没(をは)るまで閣官たり︒

寛(つひ)に一日も

畠青 春( けん けん )と して 君前 に立 つを 得ず 固

形骸呆人に従ひ

北時山に敏葬(れんぞう)す

z 剛 耐の

内

直集其の聞に蹄す

EE

者町酌同志節目

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44

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開愈

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町牢

記事

以刷

註荏たる元化の中

輯が

川崎

町一

四b

F掛

LU

耕 匂

(本 文は 朱金 瞳鐘 校﹃ 白居 易量 轟校

﹄︹ 上海 古籍 出版 社︺ に拠 る)

︒ (訓 は続 園長 漢文 大成

﹃白聖天詩集﹄に概ね従う︒)

(11)

(原 文中 町樟 線は

︑道 真の 詩に 引か れて いる 詩句 ) (原 文中 町点 組は

︑道 真の 詩内 容に 間接 的な 投罷 が窺 える 詩句 ) この 障の 大量 は院 のよ うな もの であ る︒

私

( 白 居島

)は孔織の死を聞いてそぞろに涙を施した.

孔睡

眠は

か

つて

山 東町 節度 府( 地

方量官町役所)

で寧 ー・ 紀{

文書嘩}であったとき︑従史

(小 役人 )の

不Eを揮しとせず︑禍気を理由に官聴を中量で辞して措︑

畠に 帰

って

きた

.

耐 の 河 川 な こ と は

弓

少し も幽 が

引たところはなJ

川︒

その

桂︑

二

つの 要職 町話 があ った が︑ 惜 しい かな

︑ニっとも叶わないで閑職にいて一生を酔えた.そのため判

封叫 刷剣 も空

L︿婚に帰してしまった︒天が万民を量するものだとす

るのならば何故に孔慢の寿命を事ったのであろうか︒天命は︑

一体 だ れが 握っ てい るの だろ うか

︒

70  (続

固訳 漢文 大鹿

﹃白 畢天 詩集

﹂ ( や き や ま ひ ろ し /

大学院文学研究科第七回修了/有明高専)

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奥付の記載が西暦の場合にも、一貫性を考えて、 []付きで元号を付した。また、奥付等の数

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