§1 ヨーロッパ大陸を制した「アナナス」
熱帯植物として馴染み深いパイナップルは,日本でも家庭で栽培できる果 物である。実際,2014年9月に NHK のテレビ番組でパイナップルの栽培方 法が紹介され,話題を呼んだ。その内容は「(パイナップルは)食べた後の上 部を土に挿すだけで,根が出て育っていく便利な植物。茂った葉の中から茎 がのび,3,4年後には新たなパイナップルの実がなる。酸性用土を好むの で適した土の選び方なども(番組で)紹介する」というものである(1)。早速こ の番組を視聴したところ,5分の放送をとおして,パイナップルは手頃な価 格で気軽に栽培でき,その生長を楽しめるとのことである。偶然だが数年前 に拙論で,17世紀にイングランドに運び込まれたバルバドスのパイナップル がイングランド国王に献上され,この果実はそれ以降,次第に国内で流通し ていった経緯を考察したことがある(2)。そして今や日本では,パイナップルの 栽培方法がテレビで放映され,一般家庭でも育てられる身近な熱帯植物となっ ていることは感慨深い。このことは,この果実が現代の日本においても食用 植物さらに観葉植物として人気があることを物語っている。
もう一つ興味深い話題がある。それは BBC(英国放送協会)で制作された ダイアナ妃の死に関する記録映像の中で,パイナップルにまつわる意外な真 相が明かされていることである。それによると1997年8月30日夜,ダイアナ 妃と恋人のドディ氏がパリのリッツホテルで食事をしている間,同ホテルの
「知」の体系化と拡大
―パイナップルの交易をめぐって―
中 井 理 香
バーで,このホテルの警備副部長アンリ ・ ポールがパイナップル ・ ジュース を追加注文した。しかし実際に飲んだのはジュースではなくアニス酒のリカー ルであり,バーテンダーによると,この酒が原因で,その後アンリ ・ ポール はダイアナ妃とドディを乗せた車を運転し事故を起こしたという。この映像 の中で,パイナップルをフランス語ではアナナスと呼ぶことをめぐり,アン リ ・ ポールはドディ氏専属のボディーガードと雑談をしている(3)。
ここで興味深いのは,pineapple は ananas であることが今も日常会話の話 題になること,さらにパリの8月,まだ日照時間の長い夏に高級ホテルのバー でパイナップル ・ ジュースを飲むという嗜好が,生活感覚に根づいているこ とである。因みに小学館の『オールカラー ・ 6か国語大図典』(p.196)その 他によると,パイナップルはドイツ語で Ananas,フランス語で ananas,イ タリア語で ananasso,スペイン語で piña といい,熱帯果物(tropical fruits)
として区分されている。かつて大航海時代に,ポルトガルがインディオたち のアナナスを運び込んで ananás という語で商売したことに由来する。その ポルトガルに対抗して貿易を推進したスペインは,パイナップルの形が松笠
(piña)に似ていることからパイナップルに当て字をして piña と呼ぶように なったようで,スペインでも ananás という語は使われている。他に北欧,
トルコも含めてパイナップルは ananas と呼ばれる。そうであれば,この果 物は大航海時代以降,現代のヨーロッパでも人々の味覚に親しまれてきたこ とになる。
研究社の『新英和大辞典』(第6版)によると,ananas は複数形も ananas で「1.アナナス《パイナップル科アナナス属(Ananas)の植物の総称;
pineapple など》.2. パイナップル科の植物の総称《pinguin など》.語源は 1613年スペインの ananás で,Guarani(族の)naná(に由来する)」とある。
実際,18世紀の英語文献を調べると ananas も pineapple も使われているが,
現在は英語圏では pineapple が一般的だろう。
一方,日本の幕府が初めて外国人に版権を認めたヘボン著『和英語林集成』
(1867)には,pine および apple は載っているが ananas もしくは pineapple
は表記されていない。しかし,芥川龍之介著「猩々の養育院」(Orangoutang’s almshouse,1909[明治42年])の中にアナナスが記されており,20世紀初頭 には日本でも使われていた。
因みに,アジアで「パイナップル」を使っているのは日本であり,中国で は「菠夢」(bōlu’o バルオ),台湾は「鳳梨」(ônŋ-lâi オング ・ ライ),カンボ ジアは「mnɔəh モノアツ」など各国の言葉を使っている。シンガポールや香 港は「パイナップル」を使っている人もいるようだが,東アジアでは「アナ ナス」はあまり流布していないようだ。
ではなぜ,そしてどのように,パイナップルは次第に人々の生活に語とし て,さらに物として浸透していったのだろうか。イングランドでは17世紀以 降,「知」の拡大と連動してパイナップルも次第に流通し,人々の関心を集め てきた。そこでこの果実について記述している当時の日記,トラベル ・ ライ ティングに含まれる報告等を分析し,そこにフランシス ・ ベイコンのユート ピア物語『ニュー ・ アトランティス』(1627)を置いて考察することにより,
17世紀イングランドの「知」にこの果実がもたらした効果とその意義を跡づ けていく。
§2 言説としての「権威」
まずは,美術史と歴史が専門のサイモン ・ シャーマによるドキュメンタリー DVD『英国史』第10巻に触れたい。それによると,ホウィグ党のロバート ・ ウォルポール(Robert Walpole, 1676-1745)は大蔵大臣に就いて以来,資産 運用を重視した経済政策を実施したため,英国は大量消費によって経済が活 性化し,ロンドンは大きな商業都市へと成長していった。その一方で,都会 の中で堕落していく人々も増加した。ロンドンには2万もの店が商品を売り,
珍しい物や贅沢品は次第にありふれたものになり,中産階級の人々にも手頃 な値段になっていった。その中にオランダから届いた茶器,ザクロやパイナッ プルのようなエキゾチックな果物もあったという。こうしてパイナップルは,
18世紀半ばに至るまでに英国の消費文化を象徴する果物となっている。この ことは,当時のイングランド社会においてこの果実が消費の実態を表わす事 例になり得ることを示している。
ではなぜ,そしてどのようにパイナップルは有名(famous)になったのだ ろうか。その経緯を解くにあたって,哲学系の先行研究として Sean R. Silver の‘Locke’s Pineapple and the History of Taste(2008)は有益である。シル’ ヴァーはジョン ・ ロック(1632-1704)の主著『人間知性論』(An Essay Con- cerning Human Understanding,1690)の草稿(4)をめぐる議論をもとに,次の ように述べている。
Locke insists that “nobody gets the relish of a pine-apple till he goes to the Indies, where it is, and tastes it,” yet Locke doesn’t seem ever to have made the trip himself. This is to say that Locke’s insight about the nature of flavor isn’t constructed from the standpoint of one who has had “the relish of a pine-apple” by having had it in his mouth, but, instead, one who has such a relish by way of the travelers’ reports that precede it. It is the pineapple, in other words, and not the taster, which is hypothetical. What gives Locke the authority to pronounce such an object delicious, and to desire it as a delicious object, is precisely the discourse, the world of words,which structure and make desirable the anticipated experience of the chemical object itself.(Silver, p.50: empha- sis added)
ロックの『人間知性論』の草稿ではパイナップルについて論じられているが,
ロック自身は食べたことがないようだと論者シルヴァーは指摘する。「味覚の 特質についてのロックの洞察は,パイナップルの風味を実際に味わったこと のある者の見地からではなく,旅行者の報告を通してそのような風味を知る 者の観点から組み立てられている」という。「そのような物をデリシャスと断
言し,デリシャスな物として渇望する権威をロックに与えたのは,まさにディ スコース,すなわち言語領域に他ならない」とも述べている。
もしそうであれば,ロックは知識が経験から生ずることを主張したが,そ の彼にも言説が影響を与えていたことになろう。と同時に,当時のある一定 範囲の人々の間で,パイナップルを味わう経験を持つ以前に,パイナップル に対する好感が風聞として広まっていたことにもなる。では権威ある言説は どのような層に属するのだろうか。
日記作家ジョン ・ イーヴリン(John Evelyn, 1620-1706)は彼の日記の中 で,チャールズ2世の王政復古を祝ってパイナップルが献上された1661年の 出来事をこう記している。
9th August, 1661. . . . I first saw the famous Queen Pine brought from Barbadoes, and presented to his Majesty; but the first that were even seen in England were those sent to Cromwell four years since.(Evelyn, p.348: emphasis added)
イーヴリンは,バルバドスから持ち込まれて王に献上された有名な‘Queen Pine’を初めて見たこと,しかしイングランドでお目にかかった最初は,その 4年前にクロムウェルに運ばれてきたパイナップルだったと述べている。そ の約10年後にロックが『人間知性論』の草稿でパイナップルに言及したので あれば,パイナップルは風味にまつわる付加的な意味を伴って有名になって いったと考えられる。かつて人はめったに口にしたことのなかったパイナッ プルは,イングランドが消費社会へと進展するにつれて,美味しい(delicious)
からこそ一層流通したとすれば,それが‘famous’であり続けるには,最初 は香りの風聞からイングランド人の好奇心を刺激し,次第に味覚をも変えて 社会に定着していったと考えられる。
そこから言えるのは,言説(discourse)は不特定多数の人々の心の動きを 捉える材料になり得ることである。もし人々の嗜好に合わなければ,有名に
はなっても消費活動を長期的に刺激することはなかっただろう。持続する消 費を支えたのは,人々の味覚や心の機微にあったという前提で,パイナップ ルにまつわるシルヴァーの議論をしばらく検証していく。
シルヴァーは,パイナップルは食べ物(a food object)である以前に,文 化的な物(a cultural object)だったという。彼によると,ロックの『人間知 性論』がまだ出版されない草稿段階の1671年に,ロックは王立協会のメンバー 6人位との会話のやり取りに従って,パイナップルに関する箇所を書いた。
この時点では,イングランドのパイナップルは大変珍しかったので,地位の 高い政治家やジョン ・ イーヴリンのような文学愛好者は,それをちらっと見 ただけでも記録に値する出来事だと考えたとのことである。また「旅行者の 報告」(the travelers’ report)は既に届いていて,約100年もの間パイナップ ルは賞賛されていたと言われる(Silver, p.51)。
この説では,美味しい(delicious)という報告によってこの果実が有名に なり,そのような言説が流通する風土を文化として捉えている。つまりパイ ナップルは,ロックをはじめイングランドの一部の人々が実際に食べて美味 しく感じたから有名になったのではなく,まずは報告者の風聞があり,次第 にそれに興味をもつ王立協会のような団体,ロックをはじめとする哲学者,
地位の高い政治家らがさらにパイナップル言説を流通させたことになる。イー ヴリンにしてもロックにしても,彼らがパイナップルについてどのように理 解したかを文章に残すことにより,その記述がイングランドの文化に変換さ れる。彼らが記述する以前に得たパイナップル情報が彼らの知識としての材 料になるのであれば,17世紀の文章は,記録に残された事実そのものを重ん じるというよりは,物事を記述する文筆家に階層があり,それに従って文章 も階層化されたのだろう。そして18世紀に至ると,「知」を記述する行為は,
記述者の社会的地位や立場に対してより偏りなく公平になり,「知」としての 事実を重視するようになっていったと推察する。
イーヴリンは,1668年8月14日にチャールズ2世とのディナーの席で初め てパイナップルを食べたこと,それはバルバドスと西インド諸島で産出され
た King-Pine であることが知られている(Silver, pp.51-52)。この King-Pine という命名は王党派の政治に関係し,それが商品の流通にも影響すると指摘 されている。イーヴリンがパイナップルの情報源としたのは,彼と同じく王 党派の Richard Ligon による A True and Exact History of the Island of Barbadoes(1657)であるという。リゴンは1640年代の内乱に敗れた王党軍の 将校で,西インド諸島へ追放されたが,既にその土地でパイナップルは栽培 されており,先の著書は本国を出た後に執筆した。そのためこの果実を King- Pine と新たに名付け,彼は国外に追放された王政主義の文化に投資した,と シルヴァーは論じている(Silver, p.53)。
‘King-Pine’と名付ける背景に,内乱時代に国外に追いやられた王党派の立 場があるのは興味深い。もしパイナップルに王を連想させる語が付加されて 本国に入ったのであれば,食物にも階層付けがなされ王政復古後の物の流通 と消費に影響を与えたことだろう。
では,名誉革命以降になると,議会派が勢いづいていく中,政治の流れと パイナップルの消費との関係はどのようになったのだろうか。このようにパ イナップル言説を辿ることにより,後の博物誌に従事した人達の階層も上昇 し,18世紀に食物の消費量が増えることで庶民の味覚も変化したと考えられ ないだろうか。
それはちょうど日本の鎖国時代に,長崎でのオランダ貿易を通して西洋の 風物が言説として大名の中で流通していたことと類似する。しかし異なるの は,イングランドは帝国化していく中で食物は広く消費され,それを味わう 層が拡大した点だろう。
以上は王党派によるパイナップル言説だが,批評家シルヴァーによると,
ジョン ・ ロックは強力なホウィグ党員なので,パイナップルについての純粋 な知識(the simple idea)を考察するにあたり,イーヴリンら王党派の政治 言説を少なくとも幾分かは除外していると論じている(Silver, p.57)。そこか ら,政治的立場の違いがパイナップルの解釈にどのように反映するのかを考 察することも可能だろう。シルヴァーは,様々な文人がパイナップルについ
てどのようなコンテクストで記述しているかを読み込み,そこに味覚と美学 論を絡めてその変遷を辿っていく方法を採っている。結局,批評家シルヴァー が結論として主張するのは,次のとおりである。
This cultural investment - this historical discourse - provides the vocabulary for enjoyment; as I have tried to suggest, this particularly important symbolic center - the pineapple, what is figured as its flavor - is also what by way of Locke provides the vocabulary for thinking “taste” in the first place.(Silver, p.59: emphasis added)
「この文化的投資―この歴史的言説―は楽しめる語彙を供給している。
私が示唆しようと努めてきたように,特にこの重要で象徴的な核―その香 りを想像させるパイナップル―はまた,ロックを経由して第一に味覚を考 察する語彙を供給する物である」と主張する。
このような方法は,美味の観念をいかに言語に映すか,その歴史的言説を 調査し,語の言い換えを論じることになり,パイナップルの風味そのものは 人間の味覚を通してさほど変化していないということにもなろう。一方,本 稿はイングランド人の「知」の探求の中でこの果実が取り上げられる経緯を 跡づけていく。
§3 リゴンの記述方法―階層による動植物分類
まず,イーヴリンがパイナップルの情報源とした Richard Ligon の A True and Exact History of the Island of Barbadoes(1657)を検討する(図版1(5))。
この報告は約120ページにわたる。著者リゴンは自らの軽率を咎められ,イン グランドからバルバドスへ逃亡を企てた経緯,1647年6月16日に「アキレス」
(Achilles)という大型船に乗り出帆したこと,途中でコーンウォールのファ ルマス港(Falmouth-Harbour)に滞在し,その後,小型船「無類の物」
(Nonesuch)と呼ばれる約半分の重さの船で出帆したことなどから始まる
(Ligon, pp.1-2)。バルバドスに漂着したのは1647年9月初旬(p.85)で,漂着 後は日照時間や温度,水源,そして生命を維持する食物,飲み物の調理とそ れらの味覚について記されている。興味深いのは,食物および飲み物として ジャガイモ(Potatoes)が現地の人々(the Indians)に重用されていること である(p.31)。そして飲み物の中でも最高な物として,‘Wine of Pines’ が以 下のように紹介されている。
The last and best sort of drink that this Island or the world affords, is the incomparable wine of Pines; And is certainly the Nectar which the Gods drunk; for on earth there is none like it; and that is made of the pure juyce of the fruit it self, without commixture of water, or any other creature, having in it self, a natural compound of all tastes excel- lent, that the world can yield. This drink is too pure to keep long; in three or four dayes it will be fine; ’tis made by pressing the fruit and straining the liquor, and it is kept in bottles.(Ligon, p.33: emphasis added)
現地産の飲み物の紹介として,第1番目にこの島で一番使われるジャガイモ でできたモビー(Mobbie)の調理法について述べ,2番目はカッサバの根か ら採るペリノ(Perino),3番目はグリッポ(Grippo),4番目はパンチ
(Punch),5番目はプラム(wild Plumbs),以下続いてプランタン(Plantine),
砂 糖(sugar), 湧 き 水 と 白 砂 糖 と オ レ ン ジ ・ ジ ュ ー ス で で き た 飲 料
(Beveridge),そして最後の9番目に「比類のないパイン酒」が紹介される。
それは「神々が飲まれる果汁」とされており,一番格が高い飲み物であるこ とが解る。因みに,当時 pine はパイナップルのことを指し,それが松笠に似 ていることから英語でも単にパインと呼ばれた。
次に報告者リゴンは,現地で採れる食物,住居や建物,居住者たちについ
て記述し,次いで動物(Beasts)として駱駝,馬,牛,豚,羊,山羊,そし て鳥類が続く。そのあと小動物(lesser Animals)として最大の蛇から始ま り,昆虫(Insects)へと順を追って解説する。それが一段落すると今度は果 物の木々について順次説明し,特にヤシとプランタンは挿絵つきで詳しい。
そして最後に,パイナップルについて3ページにわたって詳細に述べられ,
挿絵も付いている(図版2)。その書き出しはこのように始まる。
Now to close up all that can be said of fruits, I must name the Pine,
for in that single name, all that is excellent in a superlative degree, for beauty and taste, is totally and summarily included: and if it were here to speak for it self, it would save me much labour, and do it self much right. ʼTis true, that it takes up double the time the Plantine does, in bringing forth the fruit; for ’tis a full year before it be ripe; but when it comes to be eaten, nothing of rare taste can be thought on that is not there; nor is it imaginable that so full a Harmony of tastes can be raised out of so many parts, and all distinguishable.(p.82: emphasis added)
「さて果物について語り得る最後の最後に至って,パイナップルの名を挙げ なければならない」と述べ,その美しさと味わいが最高だからだという。こ の果実が実るのに丸1年かかるが,一度口にすると,その珍奇な風味は他に 思いつきようがないとして,非常に調和のとれたその風味を絶賛している。
このようにパイナップルの味わいと美しさを賛美し,それが生長し変化して いく様子をその丈,形,色合いなどを通して描写(represent)していく。そ の後で,‘Queen Pine’と‘King Pine’について次のように説明する。
There are two sorts of pines, the King and Queen Pine: The Queen is far more delicate, and has her colours of all greens, with their shad-
owes intermixt, with faint Carnations, but most of all frost upon green, and Sea greens. The King Pine, has, for the most part, all sorts of yel- lows, with their shadowes intermixt with grass greens, and is com- monly the larger Pine.(p.83: emphasis added)
この2種類のパイナップルは,色と大きさで分類されていることが解る。そ してその香り(smell)については,「この果実が熟すと,その香りによって 知覚できるが,ヨーロッパのどんな果物の香りにも及ばない。ちょうど味覚
(taste)がそうであるように」と表現している(p.84)。続いてパイナップル の食卓での切り方,スプーンでの食べ方を述べた後,その味わいを具体的に 以下のように記している。
As you taste it, you find it in a high degree delicious, but so milde, as you can distinguish no taste at all; but when you bite a piece of the fruit, it is so violently sharp,as you would think it would fetch all the skin off your mouth; but before your tongue have made a second trial upon your palat[e],you shall perceive such a sweetness to follow, as perfectly to cure that vigorous sharpness; and between these two extreames, of sharp and sweet,lies the relish and flavor of all fruits that are excellent; and those tastes will change and flow so fast upon your palate, as your fancy can hardly keep way with them, to distin- guish one from the other: and this at least to a tenth examination, for so long the Eccho will last.(p.84: emphasis added)
ここではパイナップルの旨味の両極端,すなわち酸っぱい切れ味と甘味の間 で風味が広がり,その風味は変わりやすく口蓋ですぐに流れ,1つ1つ識別 するのにほとんど想像力が追いつかないが,少なくとも10回繰り返しても持 ちこたえるだろうという。この記述は,報告者がゆっくりと噛みしめながら
味わっている様子を彷彿とさせる。だからこそ,イングランドに持ち帰りた いと何度も考えたものの,完全に保存された状態では不可能だし,それでは 満足できないとも述べられている(p.84)。
このようにパイナップルをリチャード ・ リゴンによる報告全体から位置づ けると,彼の記述方法は動植物に階層を設けて分類し並べていることが解る。
その中でパイナップルはその美しさと味覚において最高位である。この報告 に見られる動植物に序列をつける発想は,どこに拠っているのだろうか。も とからあった博物誌の体系と,新たに経験による知識として加わった物との 関係は,19世紀のダーウィンに至ると,どのように変換されたのだろうか。
可能性として考えられるのは,報告者リゴンのパイナップルの記述に付随す る「神々」「国王」という語は,動植物の体系化には意味を成さなくなるだ ろう。
図版1 図版2
§4 「知」と科学の相関関係
一方で,リゴンはパイナップルの話題以降は,現地で砂糖作り(Sugar- making)の大仕事が住民によって実践されたばかりだと述べ(p.85),砂糖き び,ショウガ,ジャガイモ,銅などと併せて,その生産状況を土地面積,生 産量,価格,経費などの数字の一覧表と図版に記していく。このことは,以 後バルバドスが奴隷を使った砂糖のプランテーションで生産量を上げていく 前段階の現地資料として貴重だろう。また,甘味という点でパイナップルも 砂糖も同質であるが,バルバドス発のこれらの食物は,その後は利潤の対象 として生産されていく。
リゴンの著書の中で,触れておきたい重要な箇所はフランシス ・ ベイコン に関する記述である。リゴンは現地の洞穴と岩について,泉に関連して次の ように述べている。
I have often wondered, why such vast Caves and Rocks should not afford some springs of water,the ayre which touches them, being so very moyst; for we see in England,where Rocks are, Springs of water issue out; and sometimes(when wet weather is)the moysture hangs upon the Rocks in drops, and so runs down, and finds a way to vent it self into small bibling[bubbling] Springs; but here it does not so, though the Ayre be much moyster than in England: But certainly the reason is, the extraordinary driness, and spunginess[sponginess] of the Stone, which sucks up all moysture that touches it, and yet it is never satisfied.
I had it in my thoughts, to make an Essay, what Sir Francis Bacons experiment solitarie, touching the making of Artificial Springs would do; but troughs of that stone, being of so dry and spungy[spongy] a quality, would never have been fit for it; besides, we have no brakes
growing there, which is one of the materials us’d in that experiment.
(p.98: emphasis added)
「私はしばしば不思議に思っていた。なぜあんなにも巨大な洞窟と岩が多く の泉を造り出し得ないのだろうかと。泉に触れた空気はかなり湿るものだ。
というのもイングランドにはお分りのように岩があり,泉が流れ出している のだから」という。確かにその理由は,極端な乾燥と岩の吸湿性が,岩に触 れた湿気をすべて吸い上げるからなのだが,それでも決して納得がいかない とも述べている。そして,人工の泉を造ることに言及しているサー ・ フラン シス ・ ベイコンの孤独な実験は役に立つだろうと思いついたが,現地の石は とても乾燥していて多孔性なので合わない,としている。
‘spring’は「湧き水,泉,源,水源(fountain)」のことで,‘fountain’を 泉,水源と訳すこともある。実際,ベイコン(1561-1626)は『随想集』(Essays or Counsels, Civil and Moral,1625)所収の「庭について」(‘Of Gardens’) の中で,泉(fountain)に言及している。それによると,‘For fountains, they are a great beauty and refreshment’(Bacon,p.433)という書き出しで泉と 池を対比し,重要なのは,泉の水は絶えず流れていることだと述べている。
もし,バルバドスの報告者リゴンがベイコンの随想集のこの箇所を意識して いたとすれば,リゴンの脳裏にイングランドの岩と泉が前提にあり,そこに ベイコンの実験説が重なって,目前のバルバドスの自然を自分の知識で理解 しようとしている記述だと思われる。
ベイコンの業績については,ウィリアム ・ バイナムが次のように簡潔に説 明している。
ベーコンは科学にも情熱をもっていた。化学の実験をおこない,動植 物から気候,磁気に至るまで,自然界に見られるあらゆる種類の不思議 な現象を観察することに多くの時間を費やした。彼のいちばんの業績は,
科学の価値と方法について,的確で説得力のある主張を見いだしたこと
である。「知識は力なり」と彼は言った。その知識を獲得する最良の方法 が科学なのである。(中略)
科学者は,すでに知っていると思っていることの証明に努めるのでは なく,偏見のない気持ちで研究に取り組む必要がある。そして何より大 切なのは,結果に確証を得られるよう,実験と観察を繰り返すことであ る。これが「帰納法」である。観察結果を多く収集すればするほど,科 学者はその先何が起きるのかを的確に予測できるようになる。事実の積 み重ねによって一般化をおこない,それによって自然の働きを司る普遍 的な法則が明らかになるのである。ベーコンの考え方はその後長きにわ たって,科学者のやる気を奮い立たせてきた。(バイナム,pp.109-110 下 線筆者)
バルバドスの風物を観察し記述したリゴンは科学者ではないが,ベイコンの 死後約30年を経て出版した著書 A True and Exact History of the Island of Barbadoes は,そのタイトルが示すように,バルバドスという現場について 正確な「報告的な話」(history)を記述したというリゴンの自負を読み取る ことができる。なぜなら「科学は人類の知識を豊かにし,自然を理解する力 を高める。自然に対する理解は,人間の生活と公共の利益を向上させる道を 拓く」(バイナム,p.116)というベイコンの信念が,リゴンによって多少な りとも継承されていると考えられるからである。その理由として,リゴンに よる報告の最後の数ページにわたる記述が挙げられる。
彼は現地で病気にかかって熱を出し,薬を飲んで数ヵ月かけて徐々に快復 するが,中には死亡した仲間もいた。そんな折,イングランド行きの商船を 見つける。その船長は充分な食料を約束したので,リゴンと他のジェントル マンも1650年4月15日の夜12時にバルバドスから船出することになった。し かし船は気候の影響を受けて進まず,食料も乏しくなってくる。やっと帰国 を果たすと,かつては友人と呼んでいた何人かの狡猾な策略により,自分は いま投獄されていると語っている(Ligon, p.121)。けれども「この監禁から
も全能の神によって解放されることを疑わない」(pp.121-122)という彼は,
次のように締めくくる。
So may I now say; that God, which has delivered me from a sickness ro
[or]death, on land, and from shipwrack and hazards at Sea, will also deliver me from this uncircumcised Philistine, the Upper Bench,than which, the burning fire of a Feavor, nor the raging waves of the Sea, are more formidable: But, we have seen and suffered greater things.
And when the great Leveller of the world,Death, shall run his prog- ress, all Estates will be laid eeven[even].(Ligon, p.122: emphasis added)
「神は私を陸では病気と死から救い,海では難船と災難からお救い下された のだから,この異教の俗物である王座裁判所からも私を救って下さるだろう。
この裁判所よりも,燃えさかる火のような高熱,あるいは荒れ狂う波の方が 恐ろしいのだから。しかし,私たちはもっとすごいことに遭遇してきた。そ して,この世の偉大なる平等主義者,すなわち死神が自分の進路を突っ走る とき,全ての身分は平等になるだろう」という。
前にも述べた通り,報告者リゴンはこの著書の冒頭で,何人かの人たちか ら自分の軽率について咎めを受け,イングランドに留まるよりは別世界へ行 こう(p.1)と1647年6月16日にロンドンから出帆し,同年9月初めにバルバ ドスに着陸した。1647年と言えばイングランドは内乱の中,平等派が台頭し て刊行物を増やしている時期である。そしてリゴンがバルバドスからロンド ンへ船出した1650年4月15日までの間に,1649年のチャールズ1世処刑,平 等派の最後の反乱など事件が相次ぎ,バルバドス出帆後の数ヵ月間で,イン グランドはクロムウェルが議会軍の総司令官に就任,次いで彼によるスコッ トランド侵入と政情不安定が続いている。従って上記の引用文は,リゴンが イングランドに帰国して捕えられた後の記述であり,彼が「異教の俗物」と 見なしている王座裁判所(the Upper Bench)は,イングランド共和政時代
(1649-60)の裁判所である。また平等派(Leveller)は当時の王権に反対し,
信教の自由と社会的平等を唱え,クロムウェルに鎮圧された一派である。
そこから解るのは,報告者リゴンは帰国後に逮捕されても,共和政には反 対の立場であり,平等派に対しても,身分を超えた政治的 ・ 社会的平等は死 をもって実現すると言うかのように暗に距離を取っていることである。彼自 身は信仰心を持ち,航海で危険な目に遭っても,異国で病気に罹っても,救 われることで慈悲深い神を喜ばせるのだから,清き御名が永遠に祝福されま すようにと記している(Ligon, p.121)。
一方,この書物の初版が出された1657年は,イングランドが東インド会社 の特権を再確認した年でもある。そうであればリゴンは,自らのバルバドス 体験と現地に関する記述をイングランドの貿易推進のため,つまり本国の人々 の「生活と公共の利益」のためにも提供したと考えられる。いわば彼の報告 は実用書に属するだろう。このように,神への信仰心を抱いて自然を理解す ることで公共の利益を追求する姿勢は,既にフランシス ・ ベイコンの未完の 寓話『ニュー ・ アトランティス』(1627)にも現れるテーマである。
この作品は,太平洋の島国ベンサレム(Bensalem),アラビア語で‘son of peace’(Notes in Bacon,p.791)という意味の架空の島に,語り手であるイ ギリス人航海者が仲間とともに漂着し,そこで出会った同じくキリスト教徒 たち,さらに「ソロモンの家」(Salomon’s House)という自然科学の実験研 究所などを述べたユートピア物語である。その冒頭は,次のような旅行記に も似た形態をとっている。
We sailed from Peru,(where we had continued by the space of one whole year),for China and Japan, by the South Sea,taking with us victuals for twelve months; and had good winds from the east, though soft and weak, for five month’s space and more. But then the wind came about, and settled in the west for many days, so as we could make little or no way, and were sometimes in purpose to turn back.
But then again there arose strong and great winds from the south, with a point east; which carried us up(for all that we could do)towards the north: by which time our victuals failed us, though we had made good spare of them. So that finding ourselves in the midst of the great- est wilderness of waters in the world, without victual, we gave our- selves for lost men, and prepared for death. Yet we did lift up our hearts and voices to God above, who ‘showeth his wonders in the deep’;(Bacon,p.457: emphasis added)
「ペルーから出帆した私たちは,(そこに丸1年間滞在したのだが),南海
〔the Pacific: Notes in Bacon,p.790〕経由で中国と日本へと向かった」とい う書き出しで始まり,途中,たびたび風向きが変わり,食糧も尽きて死の覚 悟をしたが,神に祈ったというものである。やがて島を発見し,そこに漂着 すると職杖を手にした何人かの人々に会うが,上陸を禁じているようだった。
そこへ「黄色い杖」(a yellow cane: Bacon,p.457)を手にした役人が現れる。
この役人とのやり取りの中で,航海者たちに病人がいることを伝えると,島 の書記が手に果物をもって船に乗り込む次のような場面がある。
And a while after came the notary to us aboard our ship; holding in his hand a fruit of that country, like an orange,but of colour between orange-tawney and scarlet, which cast a most excellent odour. He used it(as it seemeth)for a preservative against infection. He gave us our oath; ‘By the name of Jesus and his merits:’(Bacon,459: emphasis added)
この書記は,手にオレンジのようなその土地の果物を持っており,それは黄 色がかった緋色で,素晴らしい香りを放っていたこと,また病気を予防する ためのようであること,さらにこの書記は「イエスの御名と功績にかけて」
と,自分たちと同じような誓いを立てたことが述べられている。この果物は オレンジを指すようで,保存および壊血病の治癒に使われ,この病気はビタ ミン C の欠乏等により船乗りの間で流行っていたとのことである(Bruce, p.231)。
§5 知的世界の拡大と海外進出
このように,オレンジはベイコンのユートピア物語の中で,芳香さらに治 癒の意味合いで記されている。それは,この物語の出版から約20年後にバル バドスを訪れたリゴンが,パイナップルの芳香について記述した行為を彷彿 とさせる先行テクストである。実際,ベイコンは1625年に出版された随想集 所収の「旅行について」(‘Of Travel’)の中で,若者に旅行をさせるなら「旅 行する国について記述している地図や本を持参させるとよい。それは調査を するのに良い手引きになるだろう。また日記をつけさせると良い」(Bacon, p.375)と述べている。このエッセイは,元はヨーロッパ旅行に関する文章
(Notes in Bacon,p.737)だが,そこで述べられている内容は,バルバドス現 地について記述したリゴンの報告が,本国の人々に活用されうることを示唆 している。例えばジョージ ・ サンプソンは『ケンブリッジ版イギリス文学史』
の中で「海洋文学」について次のように述べている。
ルネッサンス時代の人間の精神活動は,自然科学の新しい発見に新た な衝撃を受けた。コペルニクスは天を広げたように思われたし,コロン ブスは地球そのものを広げた。そのうえ,新しい知識の広汎な普及には 印刷という新しい手段があった。モアの『ユートピア』(1516)は,人間 の精神におけるこの種の胎動を早くも示していた一例である。(サンプソ ン,p.269)
ここで指摘されているように,ベイコンの『ニュー ・ アトランティス』
(1627)よりも約1世紀前に世に出たトマス ・ モアの『ユートピア』以降,イ ギリスの海洋文学は航海と旅行体験を吸収し,同時に海外進出を奨励して経 験を記述する行為に刺激を与えてきたと言えよう。『ニュー ・ アトランティ ス』が出版された17世紀については,A. N. ポーターによると,ブリテン諸 島から大西洋を渡る移民の数が40万にのぼり,その半数は1630年から1660年 の間であると言われ,「宗教的 ・ 政治的に波乱に満ちたこの数十年間は,農業 は不作で賃金は低かった。失業,低雇用が世を襲っていた。1620年代には20 万人ほどが,イングランド人の植民活動の本場であったカリブ海に渡ってい る。死亡率は高く,多くの人が死んでしまった」(ポーター,p.36)というこ とである。この1620年代,特に1625年はチャールズ1世による対スペイン戦 争が勃発し,西インド諸島の占拠に繋がったとされる。同年にバルバドスは 占拠され,1640年代以降には商品作物としての砂糖の産地に転換された(ポー ター,p. 27)。
そうであれば,ベイコンはユートピア物語の中で,イングランドの発展の ために科学の進歩を提唱したことが伺える。また,オランダ東インド会社は 1602年に設立されて株式会社の先駆となり,1609年には日本とも貿易関係を 開くようになる。こうしたオランダによる商業利潤の追求,経済活動の推進 は,『ニュー ・ アトランティス』の執筆開始が1624年だったことから,ベイコ ンの構想にも刺激を与え,作品の冒頭で中国と日本へ向けて出帆し架空の島 に漂着するという設定が記されたものと思われる。
一方,リゴンの著書 A True and Exact History of the Island of Barbadoes の初版が世に出た1657年については,次の説明が符合する。
1660年で,英領北アメリカのヨーロッパ系人口はおよそ7万,オラン ダ領ニュー ・ ネザーランドは5,000,フランス領カナダは3,000であり,ス ペイン領フロリダではなお,もっと少なかった。イングランド人の植民 活動の拡大の第二波は,内乱[ピューリタン革命のこと]期に国王に忠 誠を守った人たち,もしくは王政復古を確実にするのに功績のあった人
たちに報いる手段としてはじまったのだが,クロムウェル時代の攻撃的 な商業政策および拡張主義的政策の継続という面もあった。オランダ人 は勢力争いの油断ならない競争相手として排除されたが,フランス人の 方がもっと手ごわい敵であった。(ポーター,p.34)
リゴンが本国に向けてバルバドスを発ったのは1650年4月,その翌年はイギ リスの航海法が発布され,商業の覇権をめぐって次第にイギリスとオランダ の対立が深まっていく。1657年に出版された彼の報告は,実用面で商業活動 の推進に寄与したと考えられる。1660年はチャールズ2世の王政復古により,
ベイコンの自然科学研究の構想が王立協会の設立をもって実現したことから,
「ソロモンの家」の構成員である「自然の解釈者」(‘Interpreters of Nature’: Bacon,p.487)の育成は現実のものとなっていった。その証拠に,先に述べ た日記作家イーヴリンは園芸にも携わり,王立協会員でもあった。ヨーロッ パの庭師たちは国産のパイナップルを作る課題を与えられたため,彼は「土 壌の研究」を王立協会に提出し,後の温室に繋がるパイナップルストーブを 設計したということである(ローズ,pp.15-16)。
ベイコンによる架空の島ベンサレムは「偏りのない観察者による客観的な 調査」(the objective examination of an impartial observer: Bruce, p.xxx)が なされていると指摘されている。そうした経験に基づいた調査および帰納法 について,初期近代の旅行記との関連から批評家トンプソンは次のようにベ イコンを評価している。
One result of Columbus’s startling discoveries was accordingly a new emphasis on the act of eye-witnessing, of seeing for oneself and estab- lishing facts through empirical enquiry rather than through reference to the great authors of the past. Increasingly, philosophers such as Sir Francis Bacon sought a radical recognition of knowledge and the prin- ciples of intellectual enquiry, insisting on the importance not only of an
empirical approach, but also of an inductive method; . . . they also exer- cised a profound influence on the development of Western travel writ- ing. (Thompson, pp.40-41)
コロンブスによる発見以来,目撃すること,経験による調査を通して事実を 積み上げることが強調され,ベイコンのような哲学者たちは経験的アプロー チと帰納法を主張し,西洋の旅行記の発展に多大な影響を与えたと述べられ ている。
しかし一方で,批評家ブルースは『ニュー ・ アトランティス』を評価する にあたり,経験論と帝国との関係を次のように論じている。
Bacon sees scientific empiricism as being fundamental to the goal of political empire, and it is the relation between empire and empiricism, power and knowledge, which he wants his reader not merely intellec- tually to consider, but emotionally to feel. Perhaps it is this reason that Bacon chose a literary vehicle for the communication of what he had to say. . . . The New Atlantis may alert its readers to the political necessity of attaining the knowledge that bestows on its owners such power. The narrator fails - in stark contrast to the Bensalemites - to understand the manner and degree in which knowledge and power are inter- twined. We should not, the text may be telling us, make the same mistake.(Bruce, pp.xxxv-xxxvi)
ベイコンは科学的経験論を帝国の基礎と考え,帝国と経験論,権力と知の関 係を読者に考えるだけでなく感じるよう望んでいると指摘されている。しか し,読者は同じ過ちを犯してはならないとブルースは述べている。
このユートピア物語の中にブルースが指摘するような帝国の構想は,それ ほど押し出されていないことは,先述の通りである。作中の架空の島ベンサ
レムの名が‘son of peace’という意味のアラビア語に由来すること,そのよ うな設定で自然科学の研究が奨励されていることから伺える。むしろ,先に 考察したように1620年代の作品であることから,イングランドの経済状況を 改善するために,学問的知を「生活と公共の利益」に活かすことが主眼だっ たと思われる。その後,方法としての偏りのない自然科学の研究が次第に実 用に用いられ,それが帝国の拡大へと利用されていった経緯をパイナップル の追跡から想定できるのである。
註
(1) 出典は2014年9月7日(日)に放送された NHK の「E テレ」による番組
「趣味の園芸ビギナーズ 夏を楽しむトロピカルプランツ 食後に育てるパイ ナップル」のホームページ〈https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.
do?pkey=001-20140907-31-22119〉による。この番組放送については,丸善雄 松堂の田中英之氏からご教示頂いた。ここに記して御礼申し上げます。
(2) 拙論「イングランドのパイナップル―〔第1部〕『庭師ローズの献上』絵 をめぐって―」(『立正大学文学部論叢』第131号),および「イングランド のパイナップル―〔第2部〕裸体と収集をめぐって―」(『立正大学人文 科学研究所年報』第47号)にて論考した。
(3) Days That Shook the World: The Coronation & Death of Diana より。
(4) S. R. Silver, “Locke’s Pineapple and the History of Taste”,p.62 によると,
パイナップルについて述べているこの草稿の出典は以下の通り。John Locke, Drafts for the Essay Concerning Human Understanding, and Other Philo- sophical Writings,ed. Peter H. Nidditch and G. A. J. Rogers(Oxford, 1990),7.今回はこの原典を入手できなかったため,今後の課題としたい。
(5) Richard Ligonの著書A True and Exact History of the Island of Barbadoes の初版は1657年,第2版は1673年であるが,第2版を入手することができた。
なるべく原文に従ってそのまま載せた。
図版
1 : Richard Ligon の著書 A True and Exact History of the Island of Barbadoes 第2版1673年の内表紙。
2: Ligon による同書に所収された版画。パイナップルの絵の上に‘The Queen Pine.’と手書きされ,絵の右下には同じく手書きで‘page 84’ と記されている。
引用文献
Bruce, Susan, ed., intro., notes. Three Early Modern Utopias. 1999. Oxford:
Oxford UP, 2008.
Days That Shook the World: The Coronation & Death of Diana. DVD. BBC, 2002. 丸善出版,2006.
Evelyn, John. The Diary of John Evelyn. Ed. William Bray. Charleston: Biblio- Life, 2010.
Silver, Sean R.‘Locke’s Pineapple and the History of Taste’. Eighteenth Century
- Lubbock - Vol. 49; Numb. 1. pp.43-66. Texas Tech UP, 2008.
Ligon, Richard. A True and Exact History of the Island of Barbadoes. 2nd ed.
1673. London: Frank Cass Publishers, New Impression of the Second Edition, 1970, reprented 1998.
Schama, Simon. “Britannia Incorporated”,A History of Britain Vol.10. DVD.
BBC, 2001. 丸善出版,2013.
Thompson, Carl. Travel Writing. London: Routledge, 2011.
Vickers, Brian ed. Francis Bacon: The Major Works. Oxford: Oxford UP, 2008.
芥川龍之介『芥川龍之介全集』第21巻 東京:岩波書店,1997年.
サンプソン,ジョージ.『ケンブリッジ版イギリス文学史 Ⅰ』平井正穂監訳 東 京:研究社,1976年.
コルベイユ,ジャン=クロードほか著,小学館外国語辞典編集部編『オールカ ラー ・ 6か国語大図典』東京:小学館,2004年.
バイナム,ウィリアム ・F『歴史でわかる科学入門』藤井美佐子訳 太田出版,
2013年.(Bynum, William F. A Little History of Science. Yale UP, 2012)
ポーター,アンドリュー ・N 編著『大英帝国歴史地図―イギリスの海外進出の 軌跡[1480~現代]』横井勝彦 ・ 山本正訳 東京:東洋書林,1996年.
ローズ,ビル.『図説 世界を変えた50の植物』柴田讓治訳 東京:原書房,2012.
(Laws, Bill. Fifty Plants that Changed the Course of History. London, Quid Publishing, 2010)
(2016年2月29日受理,2016年3月1日採択)