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磐 経 〉 経 典 群 の 編 纂 過 程 か ら 照

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(1)

〈 浬 磐経﹀経典群の編纂過程から照

               

〈 法 華経﹀の構造解明のための準備として らす︿法華経﹀

第一節 入滅による仏の位相の転換

  誕 生︑成道︑初転法輪︑入fi ︵=浬繋︶という︑仏教の四大聖地

を形成するブッダ生涯の事跡のうち︑最後の︿入滅﹀のみは︑前三

に 比 肩 しえない重要な影響を仏教の歴史全体にあたえた︒誕生︑

成道︑初転法輪は︑歴史的ブッダの存在によって展開する仏教の次

に あるものの︑入滅は歴史的ブッダの意義を無化し︑あるいはお

おきく変容してしまう事件である︒歴史的ブッダという強力な焦点

に 研究の関心が集約されてしまいがちな現代の研究者にとって︑こ

の ことの意義はかならずしも自明なものではないかもしれない︒け

れどもブッダの入滅を契機として仏教徒たちが以前と位相のことな

る仏教を生きてゆかねばならなくなった事実は︑仏教を解明するう

えできわめて重要な前提である︒

  この仏教の位相の転換は︑ブッダの存在様態の変化に象徴的にあ 教の長大な歴史をつくりあげてゆく︒教法の伝承と仏塔の継承 利﹀というiつのありように転換し︑互いに影響しあいながら︑仏 らわれている︒入滅を契機として︑ブッダの存在は︿教え﹀と︿舎

抽 象 的 な 理 念と具象化された形象とが同lの歴史を形成するという︑

一 見︑理解しがたいこの事態は︑大乗経典の出現によって顕在化し︑

ことにそれは本特集号の主題であるく法華経Vの構造に顕著に反映

された︒ひるがえせば︿法華経﹀の構造を適切に把握するためには︑

ダ入滅の仏教史上に有する意義を正しく理解することが必要と

なる.︑

  この目的を果すため︑本稿では入滅︵11浬築︶のテーマを中心に

す え︑浬葉を主題とする諸経典︑すなわち︿浬藥経﹀経典群の特徴

と仏典編纂の過程における意義を考察し︑そこで得られた知見をもっ

〈 法 華経﹀を照らしなおしてみる︒これによって︿法華経﹀が有

する歴史意識の内実はより鮮明になり︑作品全体がいかに周到なナ

ラティヴによって構成されているかが見えてくるだろう︒それは同

繋 経 経典群の編纂過程から照らす 法華経 ︹卜田一

(2)

法華文化枡究二45..トL旦2

時に大乗経典の特質を解明するうえでの示唆ともなるにちがいない..

〈 浬 繋経﹀にはさまざまにことなった系統のテクストが伝承され︑

それらは経蔵と律蔵とに分けておさめられている︒入滅︵11浬繋︶

をテーマとして︿法華経﹀の構造を解明するために︑これらの︿浬

磐 経﹀のうち︑これまで日本ではほとんど注目されたことのなかっ た

『 力士移山経﹂と︑その拡大された内容をかかえる異本﹃増一阿

含・四二ー三経﹄︑およびこれら1経典に対応するモチーフを有す

る︿根本説一切有部律﹀﹁薬事﹂の記事に注目し︑補足的に時代を

下 る若干の関連文献を考慮に入れる︒

  この考察には三つの理由がある︒それは第一に︑これらの︿浬磐

経﹀は﹃遊行経﹄や﹃マハーパリニッバーナスッタンタ﹄など︑伝

sc  ︷﹇ut Mainstream Buddhismにおける拡大︿浬磐経﹀編纂の核

に なったばかりでなく︑︿大乗浬葉経﹀の編纂にも影響をあたえた

と考えられること︑第二に︑これらの経典の内容は︑微妙で重要な

異 をふくみながら︿根本説一切有部律﹀﹁薬事﹂におさめられて

い ることから︑経蔵と律蔵というそれぞれの系統のく浬繋経Vの差

異 を考察する適例となること︑そして第三に︑これらの考察から得

られる︿入滅−浬繋﹀をめぐって仏教世界に起こった変化の内容が︑

〈 法華経﹀のもつ精緻な構造の意義を明かすのに有力な手がかりを

あたえてくれるからである︒ 第一.節 経蔵における︿浬磐経﹀  

滅 U浬葉を主題とする仏典編纂の意義を理解するためには︑ま

ず 経 蔵 に お ける仏典の制作運動と︑律蔵におけるそれとを区別し︑

両者の特徴的差異をたしかめておく必要がある︒まずは前者︑経典

制作運動としての︿浬築経﹀形成の流れをふりかえっておこう︒

  筆者はかつて︿大乗浬繋経﹀の形成過程を考察するなかで︑現在

〈 大 乗浬繋経﹀が編纂されるうえでの核となった﹁原始大乗浬磐

経﹂を復元し︑この仮想の経典を媒介することによって︑伝統仏教

の 拡 大

〈 浬

繋 経﹀から現存する︿大乗浬繋経﹀への発展が1つの連

続 的な経典制作運動として理解しうること︑この経典制作運動の根

底には︿仏存在の永続性﹀という理解があることを明らかにした..

浬 磐という経典のタイトルやブッダ最後の旅をおもわせる物語の

展開を前提とするなら︑伝統仏教における︿浬藥経﹀の基底にある

制作動機を﹁ブッダ入滅の事実﹂だと理解する先学たちの見立てに

は 理

が あるようにおもわれるだろう︒けれども︑現在残されたく浬

葉経Vの諸異本を比較したとき︑それらに共通にあらわれる核は

   

r 最期の禅定への入定﹂と﹁滅後の舎利についての記述﹂にし

め されるようにーー入滅という事実を超えて継承される仏の存在と︑

仏 に代わる教説の意義の閲明の11つである..前者は︑あたかも菩提

(3)

樹のもとでの成覚経験の禅定から出定して法を説いた仏のように︑

い つ

で も無余浬奨から出定して法を説く仏の存在を暗示し︑後者は

仏 塔をブッダとして受容する仏教の歴史をしめしている︒いずれも

入 滅 を契機とした重要な﹁仏の様態の転換﹂である︒

  伝 統

仏 教における︿浬藥経﹀形成のこの核を共有しながら︑浬藥

をめぐるいくつかの課題を仏の存在の問題へと集約し︑無常︑苦︑

無 我︑不浄という仏教の基本テーゼからブッダを解放してrアート

マ ン﹂と形容し︑その永続性の主張へとあゆみを進めたのが﹁原始

大 乗浬藥経﹂だった︒禅定に入って浬繋界へと存在の位相を変え︑

さらに遺骨をおさめた仏塔に変じた仏の存在にいたりついた伝統仏

教の︿浬繋経﹀から︑この﹁原始大乗浬磐経﹂までの距離は︑ほん

l の で しかない︒

現 在の︿大乗浬磐経﹀は︑伝統仏教の︿浬藥経﹀で達成され︑

F 原始浬繋経﹂で深化させられた仏の存在のうち︑遺骨となり仏塔

となった仏を﹁衆生の内なる本性﹂へと内化し︑理念的存在へと転

せ しめたところに成立している︒仏性と仏塔とがともに同lの原

で あるbuddha−dhfituによってしめされることは︑内化という

転 換 が 言 語 を基体として容易に起こりえたことをものがたっている︒

生 身の仏から仏塔としての仏へ︑そして内化された仏性という理念

へ ︒浬磐をめぐる経典の制作は︑伝統仏教から大乗仏教まで︑位相

を変えながら存在しつづけるブッダを共通の主題としているのであ

葉¥ ﹀経典群の編纂過程から照らすべ法華経∨︵ド田︶

る・

第三節 律蔵における︿浬磐経﹀

  こうした一連の︿浬繋経﹀の制作運動に内在する︑ブッダの存在

と仏教の継承をめぐる考察の展開の意義は︑三蔵のもうlつの重要

なカテゴリーである律蔵における︿浬藥経﹀を対照するとき︑より

鮮 明になる︒律蔵には時代を下って制定された規則がふくまれてい

に しても︑そこで説かれる規則と関連事件のすべては︑ブッダ在

世 中のできごととして記述される︒ところが︑いわゆる結集記事の

み は︑当然のことながら︑ブッダ入滅後の場面設定からはじまり︑

他 とはことなる記述の体裁を取っている︒ここで注目すべきは︑こ

うした律蔵の内部において︿浬築経﹀が占める構造上の特徴である︒

律蔵は︑部派ごとに相異する編纂方法がその全体の構造の相異に反

映しているが︑すべての律において例外なく<浬藥経﹀は第一結集

記 事の直前に置かれている︒

  編纂の手が最も後代にくわわったとおもわれる︿根本説一切有部

律﹀をのぞけば︑この結集記事は︑教団の運営規則を制定したいわ

ゆる﹁健度部﹂に相当する内容の歴史的由来を明かすおおきな文脈

の なかにおさまり︑教団の運営に必要な全記事を論じ終わって︑最

後に入滅11浬築をあつかう︿浬薬経﹀の直後に配置されているので

(4)

法華文化研究︵第一..十ヒ号︶

ある︒この構成を取ることによって︑教団をめぐるあらゆる事件と

それへ対処は︑シャーキャムニ・ブッダ一代の︿はじまり﹀と︿お

わり﹀のあいだに包摂される︿伝道の展開﹀として理解される︒仏

の 存在と仏教の継承の不可分性を強く意識した編集方法である︒

  律蔵における︿浬藥経﹀は︑釈迦在世時代の仏教と︑釈迦人滅後

の 仏 教を︑教法を媒介として橋渡しする位置にある︒換言すれば︑

の 存在が生身の仏から教えとしての仏へ︑後代の教義的な術語を

もちいるなら︑色身から法身へと位相を変える転換点となっている︒

ダの入滅による仏教断絶の危機をのりこえ︑教団に残された教

法が仏に代わって機能する事態の宣言である︒

  律蔵における︿浬架経﹀と経蔵において伝承された︿浬藥経﹀の

あいだには︑﹁入滅の事実を超えて継承される仏の存在と教法の意

の 聞明﹂という趣旨が共通に存在すると同時に︑看過しがたい相

違点が存在する︒経蔵における︿浬繋経﹀編纂の主題がブッダの存

在様態にあるのに対して︑律においては︑教えとしての法の意義と

れ を維持する教団の存在に関心の焦点がある︒これにくわえて律

蔵の場合︑入滅にかかわる記事は︑律全体の構造におさめられなけ

ば ならないため︑文脈上の制約から︿浬磐経﹀の白由な制作は抑

制されるのに対して︑経蔵における︿浬繋経﹀は単独の作品として

自立しているため︑発展の可能性がはるかにゆたかである︒

  以上︑経蔵と律蔵とにおける︿浬磐経﹀の共通点と相違点とを考

察したうえで問題にしなければならないのは︑経蔵における︿入滅目

浬 繋﹀という主題のあつかいについてである︒というのも︑律蔵は

仏の入滅を事実として受け入れ︑消失した仏に代わって教法の編纂

と伝承を果たす教団の存在意義を明かそうとするのだから︑ブッダ

の 入

滅 というテーマのあつかいに無理がないOところが経蔵のほう

は︑﹁入滅した﹂はずの仏の存在様態に焦点を当て︑それを核とし

て 作品を構成しようとする︒現代のわれわれの目から見たとき不条

に おもえるこのテーマは︑いかなる背景で設定されるにいたった

だ ろうか︒この問いに応えるためには︑そもそも︿浬葉﹀がいか

なる事態として仏教において理解されているか︑それを考察しなお

しておかなければならない.︑すでに論じ尽くされているかにおもえ

るこのテーマは︑いまだその理解が十分とはいいがたい︒ここが明

らかにならないうちは︑parillirvArpaにいたった仏の存在という︑

浬 〈 磐経﹀の核を構成する課題意識は理解しえないであろう︒

第四節 浬築の再考察

ひ と︑場所としての浬藥

仏 教にとってもっとも重要な概念である浬葉がなにを意味するの

か という問題については︑こんにちまで東西の学界においてさまざ

まな議論が積み重ねられてきた︒そんななか近年︑スティーヴン・

リンズがほとんど網羅的に問題を洗い出している︒かれは西洋近

(5)

代の研究を批判的に辿り︑浬藥という究極的な概念を論ずる場合に 研 究 者が陥りがちな問題点にまず注意を向けた︒つづいて︑nirvfi=

p a

という語の語源的な考察に限定されず︑その語法と比喩表現の

双 方を考慮の対象としながら意味するところ明かした︒ここではそ

の 議

論 を敷桁しつつ︑本稿の主題にかかわるかぎりでの結論をかん

たんに述べておく.︒仏教において浬葉は︑第一に到達すべき究極的

な実在と考えられており︑第二にその実在に到達したひとをもさし

る︒

  まず︑仏教文献において︑浬繋がr絶対的な無﹂を意味するとこ

ろは↓箇所もない︒無になっているものは煩悩であり︑障害であり︑

有為法としての五+縄存在である︒浬繋は無為法として存在する︒

『 ス

タニパーx﹄ 1O七四︑lo七六の詩節において︑浬繋に達

した聖人を﹁風によって消え去った炎﹂にたとえ︑死後にどこに存

在するとも指示しえないことを述べるくだりから︑浬葉はたんなる

消滅にほかならないという理解が︑これまでの研究者のあいだに呼

び起こされた︒しかしインドにおける火のたとえは存在の消滅を意

味するのではなく︑消えたかにおもえて存在しつづける事象をさす.︑

さらに火が消える表現に理想の浬磐を託すのは︑ヴェーダ︑ブラー

マ ナ

に おける祭火の存続という文脈を前提にし︑それを転換する

意 図による︒

浬 繋はしはしば海にたとえられる︒それは死骸をとどめず︑どれ

淫 藥経 経典群の編纂過程から照らす 法華経 ︵卜田一

ほ ど多くの河が流れ込もうともあふれることなく︑巨大な生物たち

の 住 処であり︑華のような波に満ちみちている︒死骸は煩悩をさし︑

巨大な生物たちは聖者︵阿羅漢︶であり︑美しい波は智慧と解脱の

徳 をあらわす︒この不思議な徳を集める場が浬藥である︒︿大乗浬

繋 経﹀も﹁原始浬築経﹂の末尾に位置する﹁名字功徳品﹂において︑

この海の比喩をそのままもちいている︒

  また︑海から一転して︑対照的な﹁陸地﹂庄巴①︑F洲﹂合冨を

もって浬磐を象徴する例も頻出する︒それは輪廻の海︑暴流から解

放され︑ゆらぐことのない安定した足場であり︑あらゆる恐怖から

開放された場所である︒これら一連の比喩においては︑陸地の堅固

さが海や流れのもつ不安定さ︑あらゆるものを呑み込む混沌に対時

されている︒

以 上︑火︑水︑洲という代表的な三例は︑いずれもヴェーダやブ

ラーフマナでもちいられる比喩を換骨奪胎したものである︒バラモ

ン聖典にあらわれる術語は︑当時の社会︑文化の骨格をつくりあげ︑

時代を規定する強力な隠喩として機能している︒最初期の仏教はこ

の 点に着目し︑その用法を転換することによって浬繋のたとえとし

た︒いずれにしてもそこにあらわれたものは︑負の遺産から解放さ

諸 功徳に満ちた場であり︑虚無とはまるで相容れない至福の状態

で ある︒

浬 繋のこうした性質は︑教義的な議論の文脈では疑問の余地なく

(6)

法華文化研究︹第.︑.十L号︶

明白になる︒研究者にこのんで引用される﹃ウダーナ﹂三げ︸︶目P

p atisa口iyuttaya kathA ︵80−1︶への註釈は︑浬繋が究極的実在で

あり︵三ひげロロ毘ω㏄⁝paramatthatovijjama−na−bhEMiべa−vibhavanam︶︑

究極的に獲得可能であること︵る︼己コ5三5ε三︺巴襲ひ三峯巳を明

す る︒また﹃ミリンダパンハー﹄や﹃ヴィスッディマッガ﹂など

の 理 論 書 に

注 目すれば︑浬繋は無為法として存在し︑たんに煩悩の

消滅であるにとどまらず︑修行体系の︿道﹀において生起する︿智

慧の対象﹀として捉えられている︒無為法として存在する浬築の議

に おいては︑バラモンの想定する常住な存在であるアートマンや

サ ーンキヤのプラクリティとの区別を明確化し︑さらに智慧の対象

としての浬磐を論ずるさいには︑浬薬をたんなる$︷ abhAvftcとして

え る誤りを意識しながら︑浬繋を無として理解させる可能性のあ

る経典をIK了ua neyyatthaと位置づけるゴ

浬 集の理解をめぐって第二に注意しておきたいことは︑浬藥がひ

とつの至福状態をさすばかりではなく︑その状態を有する場︑さら

に は そ の

境 地 に い た

た ひ とをもしめす点である︒これまで看過さ れ て い

た この重要な点は︑コリンズがノーマンの翻訳を引きつつ

『 ウダーナ﹄の浬繋理解を解釈する箇所で詳細に論じた︒仏教にか

ぎらずインド一般において行為や状態をあらわすことばが︑その主

体や基体と不可分にもちいられる︑いわゆるkAraka理論について

は︑ここでことさらに付言するまでもないだろう︒これは浬繋を考

ノ、

えるさいにも重要な要素であり︑氾磐ということばは︑その状態に

い た

た ひ と︑すなわちブッダと重なりあって使われている︑

  これはたとえばζ巴局る三三三550㏄已﹇狂ゴ9の註釈であるSum=

athgalavilE−isiniにさらに註をなすダンマパーラによってはっきりと

襲 されている︒かれは︑経典のタイトルであるmahfiparinibbA−

n a

の 解釈としてr諸仏を特徴づけ︑世間に分かちあたえられて

い る戒などの諸特性においてすぐれたブッダについてである﹂と理

解し︑浬葉を仏の特性をしめす術語として解説する︒

  この理解は︿大乗浬磐経﹀においてもそのままあらわれる︒︿大

乗浬藥経﹀のなかに︑大般氾藥を解脱の同義語としたうえで︑﹁解

脱﹂が﹁かたちあるもの﹃口ε5﹂か﹁かたちなきものO昌℃養﹂か

を問いとしつつ︑百項日におよぶ比喩をもちいながら︑それらをす

べ て

「 如来﹂として定位するくだりがある︒この箇所は勺碧﹇11

s a mbhidfimagga S Vimokkha−kathfi Q議論と重なりあい︑註釈

諸 レベルにおいて︿大乗浬繋経﹀が伝統仏教と展開を共通にしてい

ることをしめす一例である︒

そ もそも︑浬磐がそれを達成したひととともに語られなければな

らなのは︑最初期の仏教から想定されるべき事態である..ブッダが

浬 繋を語りだすとき︑それを聞くものたちにとっては︑浬繋はその

語 り手であるブッダとともに存在する︒その意味でブッダこそが浬

襲にほかならない︒浬繋の意義がブッダから弟子たちへと伝えられ

(7)

る場においては︑かならず発生する問題である︒

以 上︑仏教において浬繋という術語は︑究極的実在であり︑かつ

その実在にいたったものをも同時にさししめしている︐それはけっ

してたんなる消失ではなく︑入滅ということばでは尽くせない概念

で ある︒この点を押さえるとき︑なにゆえに経蔵においてブッダの

存在様態を主題とする︿浬繋経﹀の編纂がされはじめたのか︑その

背 景が浮かびあがってくる︒律蔵の編纂者とはことなって︑経蔵

〈 浬 磐経﹀編纂者たちがブッダの存在を︑教えと教団の存続に単純

に 置き換えることはしなかったのは︑浬薬を究極的実在と理解し︑

そ の 実在にいたった仏の様態を希求しつづける課題意識の地平に立っ て い た か らである︒

第五節 ﹃力士移山経﹄と経蔵︿浬藥経﹀の編纂

  ここで取りあげるのは﹃力士移山経﹂︑および﹃増一阿含・四一.1 三 経﹄︑それに対応する︿根本説一切有部律﹀﹁薬事﹂における︿浬

藥 経﹀である︒前二者は︑伝統仏教における経蔵としての拡大︿浬

葉経﹀編纂の核になるとともに︑︿大乗浬磐経﹀の誕生にも影響し

た 可能性のある経典である︒しかもそこで論じられる素材が︑︿根

本説↓切有部律﹀﹁薬事﹂にほとんど対応するかたちで見いだせる

ことから︑経蔵と律蔵の︿浬磐経﹀の差異の考察対象として︑これ

淫 繋経﹀経典群の編纂過桿から照らす 法華経∨︵ド田︶ 以上に理想的な例はない︒この経典の解明は︑経典の制作について︑

伝 統 仏

教 と大乗仏教とを総合的に理解するうえで︑重要な示唆を提

供してくれるだろう︒

『 力士移山経﹄と﹃増l阿含・四二 三経﹂に共通する内容は︑

クシナガリーにおける岩山をブッダが威力によって移動させ︑その

力のいわれを︑力を誇りとするマッラ族の青年たちに説明し︑ブッ

ダが有する生来の身体的力よりも神通による力がすぐれ︑それより

さらに智慧力がまさること︑だがそうした如来の力さえ無常の力が

凌駕することを説いている︒如来は最期にみずからの慈悲の力によっ

て 金 剛 の

ご とき身体を破砕し︑その遺骨と仏塔をジャーンブー州全

体 に 流 布させることによって仏教の継承を確かならしめた︒

F 薬事﹂の︿浬磐経﹀もふくめたこれら三つの文献を分析すれば︑

全体に共通するモチーフは︑如来の有する力︑金剛という比喩︑無

常の力︑そして破砕・分散という四点にあることがわかる︒﹃力士

移山経﹄と﹃増一阿含経﹄は︑これらを同じ文脈において同一の趣

旨でもちい︑如来が有する力を無常の力が凌駕したのち︑金剛のご

ときブッダの身体が無数の仏塔として世界全体に流布するさまをし

め す︒ところが︿根本説一切有部律﹀﹁薬事﹂において金剛なるも

の は仏の智慧であり︑仏の身体は金剛にたとえられてはいない︒ま

た 破砕されるものは巨岩であり︑ブッダの身体ではない︒﹁薬事﹂

に おいてはブッダの身体という主題が据えられてないばかりでなく︑

(8)

      法華文化研究ρ第.−仁L号︸

文脈も入滅以後にかかわることはなく︑生前になされた奇跡という

に とどまっている︒すなわち︑経蔵の︿浬繋経﹀は︑浬磐という究

の 存在いたった舎利という位相のブッダに光を当てているのに対

して︑律蔵の︿浬磐経﹀は︑入滅を浬磐という特別な概念にかさね

て 理 解 す ることはない︒

  これらふたつのうち︿大乗浬繋経﹀は︑経蔵の系譜にある︿浬藥

経﹀の制作運動︑ことに﹃力士移山経﹄の編纂者に近いところから

生 まれてきた可能性がたかい︒﹃増一阿含経﹂は︑ヴァイシャーリ−

の 記 述 か らはじまって﹃力士移山経﹂に存在しないさまさまなモチー

を有し︑バローが指摘するように︑伝統仏教の拡大︿浬葉経﹀に

発 展

す る可能性を十分に秘めている︒一方の﹁力士移山経﹄はクシ

ガ リーのみを舞台とし︑モチーフも上述の三点に限られ︑はるか

に 素朴な形態をとっている︒この﹃力士移山経﹂のモチーフのみを

前提としたとき︑﹁原始大乗浬藥経﹂誕生へのいとぐちがみえてく

る︒

F 原始大乗浬奨経﹂は︑クシナガリーのみを舞台とし︑その教説

の クライマックスにおいて︑如来の常住︑無常をめぐる議論と︑金

剛のごとき不壊なる身体を有することを主題として成立している︒

『 力士移山経﹂と比較をすれは︑ブッダの存在をめくってさらに深

化 した議論が展開されてはいるものの︑基本のモチーフは両経にお

て おどろくほど一致している︒﹁原始大乗浬藥経﹂は︑この﹃力

士 移山経﹂の伝承を核としながら︑クシナガリーにおけるチュンダ

の 布施へと経の内容を発展させて在家への教説を準備し︑一方で無

常を超えた教理を展開することによって出家者にむけての教説を整

えている︒しかも﹁原始大乗浬磐経﹂の﹁金剛身﹂の章において説

れ るのは︑あらたに制定される戒律の規定である︒これは﹁原始

大乗浬繋経﹂の編纂者たちが律蔵の系譜で伝承される︿浬葉経﹀の

存在を同時に意識していたことをしめしているo

  このようにみてくれば︑浬磐をめぐる経典の制作は︑﹃力士移山

経﹄←﹃増一阿含・四l  −1.1経﹄ー伝統仏教の拡大︿浬葉経﹀とい

う系統と︑﹃力士移山経﹄←﹁原始大乗浬繋経﹂ー︿大乗浬葉経﹀

と展開する系統との二つが認められるとともに︑後者の系譜では︑

律蔵の系統で伝承される知識も前提とされていた可能性がたかい︒

  第六節 仏舎利の分散をめぐる解釈

             

   ︿法華経﹀との関係

『 力士移山経﹄ならびに﹃増l阿含・四二 三経﹂において最終

的に否定されているものは︑生身の如来の体力︑知力︑神力であり︑

肯定されているもの︑それは聖遺物︑仏塔の存在である︒ことに金

剛のごとき身体を粉砕して遺骨として世界に流布させることが経典

の 中心主張となっていることは注目にあたいする︒経はつぎのよう

に述べる︒

(9)

     

仏 はおっしゃった︒﹁わたしはかつてこうかんがえた︒過去

    の 仏

た ちは入滅したのちに︑残された真理はひさしく世界に存

    続

す ることがなかった︒さらに重ねて︑どうすればわたしが獲

  得した真理は世界に存続するだろうかと︒如来の身体は金剛の

   

ご ときものであり︑この身体を破砕して芥子粒大にし︑世界に

  流布させたなら︑未来の信心深いものたちで︑如来の身体を見

  ることができないものたちは︑この遺骨を取って供養し︑それ

  によって福徳を獲得し︑四つの高貴な姓に︑四天王に︑三十三

    天に︑ヤマ天に︑兜卒天に︑自在天に︑他化自在天に生まれ︑

    また︑この福徳によって︑欲界︑色界︑無色界に︑あるいは︑

   

須 陀垣道︑斯陀含道︑阿那含道︑阿羅漢道︑眸支佛道に生まれ

  て︑佛道を完成するだろう︒

  じつはこの遺骨分散の理解は︑パーリの伝承においてもまったく

同様のかたちで確認される︒ブッダの火葬が終わったのちの拡大

〈 浬 繋経﹀の記述についての︑ブッダゴーサの解釈をみてみよう︒

      残ったのは︹複数形の︺°・①さ芸のみであったというのは︑

    以 前 に は一全体だったのでsarira.と﹁単数形で︺呼ばれたが︑

   

い まや分散してしまったのでsarira−niと︹複数で︺いわれて

   

い る︒ジャスミンの芽のような︑輝く真珠のような︑黄金のよ

  うな遺骨﹂古鋤εが残ったという意味である︒というもの︑寿

    命の永い諸仏たちの身体は金塊のごとくただ一全体なのだが︑

浬 繋経﹀経典群の編纂過程から照らす 法華経マ︵ド田︶

   一方︑世尊は﹁私は永くはとどまらず浬築しよう︒私の教えは

  まだあまねく行き渡ったわけではないので︑浬藥したのち私の

   

遺 骨をひとびとに芥子粒ほどでもひとつ持たせ︑各自の居所に

    おいてチャイトヤとなして供養するなら天界に生ずるだろう﹂

   と考えて︑遺骨の分散を決意された︒

  仏 の 遺 骨 が

分 散されるかいなかについての明確な回答を示してい

る︒

  遺骨が分散されることについての積極的な評価は︑ダンマパーラ

の 復註にもあらわれている︑先にもしめしたが︑大般浬藥︼︼峯冨‖

p a

ri

ni b

b a

n a

S  FK﹂ mahaを解釈するくだりにおいて︑﹁拡大す

るからであり︑すなわち遺骨が拡大するからである﹂と理解してい

る︒ここでは遺骨がparinibbanaと解釈され︑その拡散が己㏄9

と理解されている︒

  さらに遺骨の分散と統一というこれらの相違は時代を下るパーリ

の 仏 典 切已合︸5︿㏄壱臣や弓︸旨︼邑ヂ江日㏄ロにおいても受け継がれ︑舎

利が分散した仏として︑第五仏レーヴァタ︑第六仏ソービt﹀x Sob=

hita︑第八仏パドゥマPaduma︑第十一仏スメ−ダの已日︒合e︑第

十四仏アッタダシー﹀↑芸邑臣呂などが挙げられ︑一方︑舎利が統

一 されていた仏として︑第一仏ディーパンカラO吉o旦窮臣︑第二

仏コ−ダンニャー内oロエ呂萄︑第三仏マンガラ﹈≦芦σq巴㏄︑第五仏

ス ty

 Sumanaなどが列挙されている︒

(10)

法華文化研究へ第︑.十L臼2

  もちろん︑これは大乗においても受け継がれる理解である︒周知

の ように︿法華経﹀において全身舎利の問題は以下のように記述さ

れ て

る︑

   

  この天王如来が浬磐に入った後︑正法は二〇中劫のあいだ存

    続

す るだろう︒彼の旨二日は遺骨として分散されず︑1つの

   全体Φ︸£昌p口㏄として七宝からなる仏塔におさめされるだろ     う︒その仏塔は高さ六〇ヨージャナ︑ 一辺四〇ヨージャナある     だ ろう︒天も人も︑それに対して華︑香料︑香水︑華蔓︑塗香︑

   

粉 香︑衣︑傘蓋︑旗︑幡によって供養し︑詩頒︑歌によって称

  賛するだろう︒その仏塔を右遠し︑礼拝するもののうちあるも

    の は 最 高果である阿羅漢果をさとり︑あるものは辟支仏となり︑

  はかりしれないかずの天やひとが無上菩提に発心して不退転と

  なるだろう︒

  ここにしめされた遺骨の分散と統1は︑ジョン・ストロングが指

摘するように︑ブッダの教説の拡散と統1︑つまり結集と教えの展

開という事態にそのまま重なりあう︒ブッダ在世中に弟子たちに展

開し拡散した教えは︑第一結集によってふたたび統一された全体と

なった.︑やがてそれは再度伝道の拡大によって展開拡散し︑第二結

集が必要となった︒仏教の歴史は︑遠心的力と求心的力とが交互に

はたらき︑拡散と統lをいくたびか繰りかえしながら展開してゆくo

細分化された舎利の拡散流布と全身舎利の統1というブッダの身体 をめぐるできごとは︑この仏教の歴史そのものを象徴してもいる︒

〈 大 乗浬禦経﹀の核である﹁原始大乗浬藥経﹂のさらに中心とな

る﹁金剛身品﹂は︑ここに述べた﹁ブッダの身体の破砕と統一﹂と

い うモチーフを前提として成立している︒この理解がブッダゴーサ

に︑さらにはダンマパーラに受けつがれていることは︑大乗仏教と

伝統仏教とを区別することは研究上の意味がないどころか︑かえっ

て 阻害することをしめしている︒たしかに伝統仏教の拡大︿氾繋

経﹀は︑舎利の分配という記述を淡々と記載して経を終えているた

め︑それが﹁原始大乗浬奨経一に結びつくゆえんはみえない︒けれ

ども浬繋をめぐる経曲ハ群をひろく押さえ︑その註釈にまで視野をひ

ろけるとき︑浬葉をめぐる経典の制作活動は︑︿大乗浬葉経﹀もふ

くめて︑おおきなひとつの文脈を形成していることが明らかになっ

て くるのである.

第七節 へ法華経﹀の構造と編纂者の意識

歴 史的ブッダの入滅による仏教の位相の転換とブッダの存在様態

の 変化︑浬繋という究極的実在にいたったブッダ存在の意義︑教説

の 展 開と舎利の分配あるいは舎利の分散・統一と教説の展開・統一

の 重なり  ︒これまでに論じてきた︿浬繋経﹀の編纂をめぐるこ

うしたあらゆる課題が︑︿法華経﹀の構造を理解するうえで重要な

(11)

となる︒

  伊 藤 瑞 叡

に よる精密で網羅的な︿法華経﹀研究史がしめすように︑

法 〈 華経﹀の成立にかんするこれまでの研究は他の経典には比肩し

えない厚い蓄積がある︒近代仏教学の父と呼ばれるウジェーヌ・ビュ

ル ヌフによって近代仏教学が構築されたとき︑対象となった主要文

献 が ほ

か ならぬ︿法華経﹀だったこともあり︑以降こんにちまで蓄

積されてきた︿法華経﹀研究の歴史は︑近代仏教学の歴史そのもの

と重なっている︒ほんらいならこれらの研究成果全体を詳細に検証

し︑そのなかに本稿の意義をできるだけ正確に位置づけなければな

らない︒けれども︿浬薬経﹀の編纂過程の解明を︿法華経﹀の構造

解明のための準備と位置づけるこの小論に︑それはおおきすぎる課

題である︒ここではこれまで議論をしてきた要素が︿法華経﹀にい

か に か か わるかを概略スケッチするにとどめておく︒

二 十八にもおよぶこれまでの︿法華経﹀成立史論は︑それぞれに

固有の長所と意義をかかえているので︑それら全体に厳密に共通す

る見解をひきだすことは困難である︒けれどもこれらの研究を概観

したとき︑およそ 門と本門という︿法華経﹀の伝統的な理解にそっ

た 読

み 取りが依然として有効であることは認めてよいだろう︒それ

は伝統を踏襲するという態度とはまったくべつに︑ひとつのテクス

トの深い読みは時代を超えて通用することをしめすものであり︑伝

統 的な教義学を頭ごなしに廃しがちな近代仏教学の研究者たちはあ

繋 経︑経典群の編纂過程から照らす法華経\︵下田︶ あり︑テクストが歴史的環境や社会的制約を超えて同lの影響をあ 用語をもちいるなら︑﹁テクスト内在$ti﹂ intra−texuality g問題で らためて意識しなおしたほうがよい︒これは現代のテクスト研究の

た えつづける事態にほかならない..こうした影響を正確にとらえる

ことは仏教研究の重要な課題である︒

〈 浬 磐経﹀の編纂過程に出現する諸問題から︿法華経﹀の構造を

照 らそうとするとき︑勝呂信静の成果は  その結論の細部につい

て の 判断は保留するとして.  ︿法華経﹀全体の構造を有機的に読 み 取ってゆく判断のバランスからして︑信頼のおけるものである︒

勝 呂は法華経の全体を︑布施浩岳あるいは吉田龍英の説を踏まえな

が ら︑第一類︵序品から随喜品︑あるいは法師品まで︶︑第二類

宝 ( 塔品から神力品まで︶︑第三類︵嘱累品以降︶に分けて内容を分

析 し︑本稿で提起する諸問題と諸処で響きあう考察結果を提示して

い る︒本稿の問題関心からことに注目されるのは︑第一類と第二類

差 異の基準を︑仏在世と仏滅後という場面の対比に求め︑第二類

の 主 要 なテーマをブッダ入滅後における経典の付属・弘通とみなし︑

それを法身のはたらきと理解している点である︒この理解は︑期せ

ず して 門︑本門という︿法華経﹀の伝統的理解の分類にも対応し︑

細部の相違をのぞけば現在おおむね支持されている読みであろう︒

  第一類︑第一.類ともにシャーキャムニ・ブッダが一貫してあらわ

れてvるので︑たしかに両者間の場面設定の相違は表層的にあきら

(12)

法華文化研究︵第.一トL号︶

か なものではない︒けれども歴史的ブッダとしての釈迦は︑より深

い 層の仏教の歴史を明かすための語り手として機能しているのであ

り︑ ︿法華経﹀中の釈迦仏が明かすところは︑在世中と滅後という︑

まったく位相をことにする仏教全体のありようと意義の評価であっ

て︑編纂者はすべてを釈迦在世中のできごとに回収しようとしてい

るのではない︒

  こうした課題に真っ向から挑む︿法華経﹀の編纂者は︑経蔵と律

蔵両方にあらわれた︿浬藥経﹀編纂の諸課題を︑みごとなまでに視

野 に おさめている︒第一に︑編纂者たちは︑第一類と第.︑類との差

異 と連続性にしめされるように︑ブッダ在世中の仏教の歴史と入滅

後の仏教の歴史とを﹁腱度部﹂︳u l結集記事﹂の配置によってひと

つ に

織 りなそうとする律蔵の編纂者の意識にまで届いている︒第二

に︑︿法華経﹀の場面が転換するさいに付随する︑禅定からの出定

と仏塔の出現による説法の開始によって表現されているように︑編

纂者たちは︑究極的実在である浬繋にいたり︑位相の転換したブッ

ダの存在を模索しつづける経蔵の系譜における︿浬磐経﹀編纂者の

知 識体系につうじている︒第三に︑﹁見宝塔品﹂における全身舎利

存 在と﹁従地湧出品﹂における分身の限りない遍満︑再集合の記

に よってしめされるように︑舎利の分配と集約︑教説の拡大と統

一 という︑仏教史に確認されるおおきな事象を編纂者たちは意識し

て おり︑仏教史全体を傭轍的に把握していたことが明らかである.︑

  そしてもっとも注目すべきは︑︿法華経﹀の編纂者たちが︑入滅U 浬 藥をめくって経蔵と律蔵の編纂者たちがかかえた諸課題を︑シャー

キャムニ・ブッダによる︑シャーキャムニ・ブッダ自身の﹁存在と

歴 史のかたりなおし﹂という︑きわめて斬新で︑このうえなく巧み

な方便によって解決している点である︒

  直線的に展開するはすの歴史のナラティヴを︑自己言及的な話法

に 転

換 することによって︑歴史叙述の終点と始点とがむすはれ︑時

間は円環的に変容する..ことなった位相がそれぞれべつ存在として

切断されず︑反照的に言及しあう同lの次元にもたらされるとき︑

位 相の相異を包含するあらたな存在次元が出現する︒

  直線として描かれた時間は︑いかに丹念に辿っても︑起源からの

乖 離であり︑根源的なるものの衰退でしかない︒ことなった位相を

か える存在が部分的に切り出されて叙述された場合︑それぞれの

位相は断絶した存在として放置されたままである︒けれども叙述が

円環を構成するとき︑原理的にはこの円環上のあらゆる点が︑全体

歴 史を紡き出すための始点となりうる︒ことなった位相が︑メビ

ウスの輪のようにむすはれるとき︑それらの位相はひとつの存在に

おさまるとともに︑その円環上のどの点から出発しても︑どのこと

なる位相にもいたりうることになる︒

  この斬新な物語の準拠枠が提供されるとき︑仏在世中の歴史と仏

滅 後の歴史は連続し︑過去に浬磐に入ったはずの仏と︑現在にあっ

(13)

て 世俗にことばを発する仏とはつながる︒ここには︿法華経﹀のみ

な らず︑さまざまな大乗経典が仏説として成立するための︑より深

い 階層で仏説が成立するための︑言説のあらたな次元の出現がある︑

ここに古代から現在までひとびとを惹きつけてやまない︿法華経﹀

の 力が存する︒この課題はあらためて別稿に託すことにする︒

第八節 結びにかえて −−.今後の仏典研究の方向性

以 上︑浬奨をめぐる経典の制作をふりかえってみると︑仏典の編

纂 者 た ちは︑ほとんど調停不能におもえる事態を相手としながら︑

仏 教 の 存続を模索しつづけてきたことがわかる︒シャーキャムニ・

ダが究極的世界である浬葉にいたったこと︑けれどもその仏の

身体には寿命が存在し︑そのために教えに直接出会えないものたち

が 彪

大 な数生まれたこと︑それにもかかわらず後世の衆生たちは仏

の 教えを求めつづけていること︑あらゆるものを陵駕する力を有し

い るはずの仏が無常の力に抗しえず入滅をしてしまったこと︑生

身のブッダははるか過去に消失したものの︑ブッダの存在を実証す

る舎利は現に存在しつづけ︑その意味で生身のブッダを凌駕する力

を有していること︑それにもかかわらず舎利は微動だにしない物象

で しかないこと⁝⁝︒こうした調停困難な要素は︑ほとんど際限な

く列挙することができる︒

浬 繋経﹀経典群の編纂過程から照らす 法華経 ︵卜田 

  編纂者たちはこうした課題をそれぞれに引き受け︑おのおの独自

の 解決策を求めつづけてきた︒︿法華経﹀の編纂者たちもまったく

同様である︒こうした課題解決の努力が仏教の歴史を形成している︒

とすれば仏教研究の第↓の目的は︑この足跡をできるだけていねい

に 辿るところにあるだろう︒歴史の展開とともに複雑化してゆく事

態 を仏教者たちが相手にしつづけているとき︑研究者も同様の課題

を引き受けなければならない︒

た とえは﹁原始仏教﹂なる理念を研究の前提に立てる場合︑その

念 をつねに後代の解釈に曝し︑批判に耐えられるかぎりにおいて

仮 説 の

効 力を認めるという態度が必要である︒研究対象の文献をは

じめから選別し︑じっさいの仏教史でなされた議論を排斥して︑べ

つ 思 想を立ててしまっては︑歴史研究からおおきく逸脱してしまう︒

す で に い くつかの機会に論じてきたが︑大乗経典や仏伝を排除し︑

パ ーリ語のわずかな資料のみをく選択Vする研究には︑方法的妥当

性がなぱ  

r 原始仏教﹂の研究においてく法華経Vが対象とされたことなど︑

す くなくとも近代仏教学においてはほとんどなかっただろう.︑だが︑

筆者がかつて論じたように︑パーリ律﹁健度部﹂の冒頭にある﹁梵

天勧請﹂の説話意義は︑︿法華tw﹀ r方便品﹂と照らし合わせたとき

より明らかとなる︒パーリ﹁腱度部﹂の編纂者たちの意識について︑

時代も地域もまったく隔たったわれわれが比較の素材もないままに

(14)

法 華文化研究︵第一.にrL号︺

類推するよりも︑︿法華経﹀編纂者たちの意識と照合するほうが︑

はるかに客観性が担保された理解が得られるのである︒

  近代仏教学は大乗仏教を伝統仏教とはべつものしてあつかいすぎ

た︒たしかに大乗仏教の主要資料である大乗経典を歴史解明に利用

す ることは︑在家仏塔起源説の誤りが皮肉にも証明したように︑容

易なことではない︒けれども不可能なことではない︒本稿で論じた

ように︑言語次元を掘り下げ︑そこに解釈学の展開の活動をみいだ

す なら︑伝統仏教と共通のおおきな文脈があらわれてくるはずであ

る︒

( 1︶本稿において仏典名にく Vをもちいる場合は︑ことなる版 注

    や 異 訳 をふくめた総称としてのテクストをさす︒︿法華経﹀の  

  場合には︑これまでの学界での共の通理解にもとづき︑羅什訳

  を基準として︑それにほぼ対応する諸サンスクリット語テクス

   ト︑チベット訳テクストの総称としてもちいる︒

( 2︶その意味で本稿は︑経蔵と律蔵とに分けてブッダ浬繋の事蹟

  をこのうえなく綿密に調査したアンドレ・バローの仕事の延長

    上 に ある︑小さな成果である.︒

( 3︶以上の議論は下田正弘﹃浬繋経の研究  大乗経典の研究方

    法 試論﹄春秋社︑﹂口零参照︒

( 4︶もっとも律においても︑入滅後のブッダの像や遺物をおさめ

た ものが仏そのものの変わりになることが認められている.︑

  PaPaRcasadanl v.73: Samantapasadika°1142−3° Cf s° Collins︐

  Niriiana ancl Other Buctcthist. FeEctt︐ies: LftoPias bS /ali  

l maginaire︐ Cambridge Univeisity Press. 1998︐ I︶. 149.

(if︶︶ S. C!ollins Sei.ftess Persons: I?nagery and Thought in

 Titerapa︵ta Bttctdhts?n︐ 1990: Nirvan.a and Otlzer Buddhtt t Fe−

 licities: UtoPias of Iati /?naginaire° Cambridgo Uniくersity

 Press︐ 1990.

   

た しかに︑仏教において究極的価値をあらわす浬藥という概

  念を研究の対象にする場合に研究者は︑研究の対象内部におい

て 究極的な価値をになう概念を︑自身がもつ価値の問題と無意

  識 の うちに混同し︑その結果︑文献に描かれたものとは異なっ   た︑研究者個人の世界観を﹁浬葉理解﹂に反映させてしまう︒

1 つ

の 術語の研究対象内における意味を論ずることと︑研究者

  自身がその術語にいだく世界観を論ずることはまったくべつの

  問題であるが︑考察の対象が究極的価値をあらわす術語である

  場 合︑視点はしばしば混同され︑議論を不必要に複雑化させる︒

  松本史朗﹃縁起と空  .如来蔵思想批判﹄︵大蔵出版︑一九八

  九年︶の﹁浬繋﹂理解の諸論孜にはこの傾向がある︒研究にあ

  た

慎 重を期すべき課題である︒この問題はたとえばロジェー1

(15)

  ポル・ドロワが指摘する︑西洋近代が理解した﹁虚無の信仰と

  しての仏教﹂という指摘を取りあげるとき︑その重要性がより

  明らかになる︒浬繋を虚無と解釈したヨーロッパから発信され

仏 教理解は︑そののち世界全体に影響をあたえ︑現実の仏教

  界における仏教理解を変えることになった︒

  第二の問題はもっと複雑である︒古代︑異世界のことばを相

  手とするとき︑その語としての成り立ちを追求すること︑すな

わ ち語源の解明をなすことは︑おそらくもっとも有力な方法の

ひ とつだろう︒だがそれにもかかわらず︑浬繋の意味の追求が

そ の 語 源 の 解 明 という作業にのみ還元されてしまい︑じっさい  

の 文献にあらわれる多面的で複雑な内容をかかえた事例が考慮

  されなくなるなら適切な理解は得られない︒むしろいかなる比

  喩がもちいられ︑それがどう評価されているかをたどることが︑

  仏 教文献における浬藥理解に重要である︒

( 6︶古くはF°O. Schrader︐ On the Problem of Nirv鋤ロa︐ Jettr  

n at of the Paii Te:tt .Societ.g︐ 5︐ 1905︐ 157−70; E°Frauwaller︐

  His. tery of Indian PhUosophy︐ 1973︐ p°178i下田正弘﹃浬藥経  

の 研究..i大乗経典の研究方法試論﹄春秋社︑1997︐ pp. 496−7.

( 7︶ミ§ミミさ惑ミニ87. Sa7myutta−nikaya iv 376−9; Vinaya−

  Pieka ii 238︐ Agguttara−nika.ya i<︐ 202−3︐ Udana 53−5など︒

( co︶ r陸地﹂庄巴①はSamyuttanikaya i 48︐ iv174︐ Itivttatca 57︐

繋w ︶経典群の編纂過程から照らす・法華tw 1 ︵下田︶

〔 ミ§守ミミ§ミ言宗S﹁洲﹂﹂芭sは句ミSミ盲ミ巳ロト︒ムなど︒

( 9︶ヴェーダ︑ブラーフマナの輪廻をめぐる用語についてはL°

Sil︸urn︐ fnstant et cause: te discontinue dans la Pen g. be

  p hitosoPhique de t7nde. Paris: Librairie Philosophique L.

  Vrin︐ 1955参照︒ことにいのちや時間を呑みこむ輪廻の海の存

  在についてはp°95参照︒

( 9︶以上のmsS. 1S Visuddhimagga pp° 5o79︐ Sammohavinodani   p p. 51−4︐ Mohavicched.aミ pp. 133−6など︒○︹° Collins︐ oP. cit︐

p p. 177−190.

( 1︶ Collins oP. cit. pp︐ 167−172.

( 12︶﹃力士移山経﹄ ︵T No. 135︶︑﹃増一阿含±°3.as﹄ ︵T No. 125  

( 4 2.3︶︶︑︿根本説一切有部律﹀︵﹁薬事﹂glfi﹈7︐ T No. 1448︐ 24  

3 0

c 2 0−31b17︐ Peking Bkhah−bgyur bDul−ba︐ Ge 54b3ff;

  Derge Kha 59b2ff°︶oこれらの経典は︑早くにエルンスト・

  ヴ

ル トシュミットiQ:H︐.lni−−︶ ︵E. Waldschmidt︐ Wunderkr銑−

f t

e  des Buddha. Eine Episode im Sanskrittext des Maha−

〉 ミ㏄ミミぶ塞ミざ冒.︒Nachrtchit.en. der G6t.tinger Akademie der

  Wissenschaften S.48−9. 1︐ G6ttingen︐ 1948︶︑つづいてアンド  

レ・バローがく浬薬経V制作の核として取り上げて詳細に論じ

  た の︐g ︵A°Bareau︐ La fin de Ia vie du Buddha selon 1Eko−

tt a r a−agama︐ Hinduismus undBuddhismus. Fe st s. chrtf t far

一 五

(16)

        法華文化研究︵第.︑.トヒ号︶

Ulrich Schneider︐ Freiburg︐ 1987︐ S.13−37.︶︑筆者自身がく大

乗浬藥経Vの解明のなかでとりあげ︵下田正弘︑前掲書﹈吉

7 77°︒︶た︒近年になってピーター・スキリングが舎利との関

係gJ ︵P. Skilling Cutting across categories: The ideology

of relics in Buddhism︐ Annual RePort of the Internationa.l

Research lnstitut.e for Adva︐nced BuddSzotogぼ at Soka Univer−

sity for the Academic Year2004. Vol. VIII︐ Tokyo: The Inter−

national Research Institute for Advanced Buddhology. ︐ Soka

University︐ 2005. pp° 269322︶︑モニカ・ッィン︵7︼° Zin

About Two Rocks in the Bhddas Lifo Story︐ IJast and

L

West︐ IslAO︐ Vol°56−No.4︐ 2006︐ pp.329−358︶や︑小谷仲男が

ガンダーラ浮彫図解釈の立場から論ずQ ︵﹇ガンダーラ浮彫図

の 新解釈 ー末羅力士の移石説話﹂﹃5︿ge..ll 66. 2009. pp. 128−

9 8︶など︑注目を集めている経典である︒ジョナサン・シルク

も舎利の課題をあつかうなかで論じている︵S切巳オニ﹈︵×ご

Language: Indic Sarira and ChinesO Shili in the Mah.a−=

p a

ri nirぐA仁asatra and Saddharma︺undarika︐ International

I nstitute for Buddhist Studies︐ 2006︶Oこうしたなか︑ブッ

ダの浬藥をめぐる詳細な文献の検討と綿密な考察をなしたバロー

の 理

解 は︿浬繋経﹀の形成についての画期的な見解として高く

評価される︒ヴァイシャーリーとクシナガリーとの結びつきか        ︑六

  らはじまる経典が複数存在し︑それが入滅へ向かう仏のできご

  との中心的な題材を構成していることを知るなら︑クシナガリー     で の 入 滅 が ヴ

イシャーリーと結びついたところに伝統仏教に

  おける拡大︿浬繋経﹀の完成にいたる筋道が立ったという理解

  は達見である︒

( 13︶世尊告日﹁我向者作是念︒過去諸佛世尊取滅度︑遺法不久存

  於世︒我復重思惟︑以何方便︑使我法得︑久存在世︒如來身者

  金剛之敷︑意欲碑此身︑如芥子許︑流布世間︑使將來之世︑信

  樂 檀越不見如來形像者︑取供養之︑因縁是福祐︑當生四姓家︑

  四 天王家︑三ト三天︑炎天︑兜術天︑化白在天︑他化自在天︒

  因此福祐︑當生欲界︑色界︑無色界︒或復有得須陀垣道︑斯陀

  含道︑阿那含道︑阿羅漢道︑辟支佛道︑若成佛道﹂︵弓一ト︒口   Vol°2. 7i﹈la9−18︶︒

( −︶句☆さぶ︑㌦ミミSだ急菱軌ミンQ己τ己三︶○︵斥飴¢㏄コ鵬匡暮o↑巨9け后  

s a rlrar︸i nAma ahosi. Ida−niべ量邑合葛告鼠salirAni ti vuttam.

  sumanainiakulasadisa ca dhota−mutta−sadisA ca suvanna−

  a s disE−i ca dhAtuyo avasissi召sL−i ti attho° Digh Ayuka−buddh−

t−i

n arp hi sarisa信 suva管pa−kkhandha−sadisa己 eka−ghanam  

e v a  hoti. Bhagav鋤 pana: aharp na ciraヨ thatvFi parinibbfiy;

A mi︐ may. haip sasanam na tti<a sabbattha vittha−ritam︐

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sm鋤 pa・inibbuttassa pi me sAsapa−mattam pi dhAtu日

(17)

   

σq

a hetv翻 attano attano vasana−t︐Lh鋤nO cietiy. am katvfi

   

p a

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a c r

a nto mah倒jano sagσqa−par鋤yano hoti ti︐ dhfitana己

    vi

ki

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n arp adhitthAsi ︵DA 603.32−604.11︶

( 蛎︶ Sv°℃戸 ︵P口r餌コa言k鋤 on the Sumangalaべil口sini︶ ii !;58°

( 16︶舎利の分散と統1をめぐる話題をあつかう諸文献については

    P° Skilling︐ Cutting ae.ross categories: Th勺 ideology of r勺lics

   in Buddhism︐ Annuat RePort. of the /nt.e∨nationat Research

    i nstitute for Advanced Buctdh.otogy at Soka Un・ii.︐ersitg foこhe    Acade?nic Year 2004. Vol.VIII︐ Tokvo: The Int︐ernational     Research Institute for Advanced Buddhologq巳c力oka Univer−

    si

t y︐ 200︐5︐ pp° 269−322参照︒

( 17︶ devarajasya⁝tathagatasya parinirvrtasya virpSatyanta=

   

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k a︸pan saddharmah sthAsyati/ na ca g.arir︑am dhat〒

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t 卿 ny u口caistvena bhaくi$yat.i catv胸rim⑩ad−yojan餌ny ay四=1     mena/ sarく⑦ ca tatra dΦvamanuひy勘b ptrrij飽m ka.ri頓ranti

   

p u$pa−dhapa−gandha−maly. a−vilepana−cUrna−civara−cchatra−

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〈 浬 繋経﹀経典群の編纂過程から照らすズ法華経ヒ︑.︹.卜田︶

   

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KブJ 259.13−260.︐i︶︶ .

( E l 9 )  J. Stiong︐ Rei.ics of the B父ddha︐ Princeton University     Prのss︐ 2004︐ pp°25−49°

( 19︶この内容は下田正弘﹁智慧︑世界︑ことば− 正統性の更新﹂

    桂紹隆他遍﹃智慧/世界/ことば  大乗仏典1﹂︵シリーズ

    大乗仏教 第四巻︑春秋社︶に所収予定︒

( 2︶たとえば下田正弘﹁︿物語られるブッダ﹀の復活.−歴史学

    としての仏教学を再考する﹂長崎法潤博士古稀記念論集﹃仏教

    とジャイナ教﹂平楽寺書店︑2005︐ pp︐3︐57−379.

( 21︶下田正弘﹁梵天勧請説話﹂と﹃法華経﹄のブッダ観  .仏教     に おける真理の歴史性と超歴史性﹂﹃中央学術研究所紀要﹂N8    

9 l 9

9︐ pp.69−99.

( 2︶大乗仏教がいかに出現したかという問いについて︑これまで

    の

研 究を批判しながら︑筆者なりのまったくあらたな仮説を呈

    示した︒下田正弘﹁経典の創出  大乗仏教の出現﹂桂紹隆他

    編﹃大乗仏教の誕生﹄︵シリーズ大乗仏教 第二巻︑春秋社︶

    に 所収予定︒

一七

参照

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