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南アジア研究 第21号 014書評・竹中 千春「広瀬崇子・南埜猛・井上恭子(編著)『インド民主主義の変容』」

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(1)

広瀬崇子・南埜猛・井上恭子

(編著)

『インド民主主義の変容』

東京:明石書店、2006年、376頁、5000円+税、ISBN: 4-7503-2283-0

竹中千春

今、2009年第15回総選挙が進行している最中に、この書評を書いてい る。選挙戦のただ中にあるこの国を見ていると、本書のタイトルのままに、 インドの民主主義はダイナミックに変化しているという実感が湧いてくる。 この国の民主主義はどこに向かっているのだろうか。どんな新しい現象を 生み出しているのだろうか。そうした考察を進めるために、5年前の2004 年総選挙が何だったのかについて、改めて学ばざるをえないだろう。 本書のまえがきは、次のように始まる。「21世紀に入って国際政治にお けるインドの存在感が急速に高まってきた。最大の要因は急成長する経済 であるが、同時に独立以来培ってきた民主主義が、この国の信頼を高めて いることも事実である。選挙による政権交替がスムーズに行われ、しかも 政策面での一定の継続性も維持される。こうしたインド民主主義の成熟度 を示したのが、2004年に行われた第14回連邦下院選挙であった」。けれ ども、「インドの選挙は複雑さを増している。それぞれの州が独自の政党 制を発達させ、それが中央の政治と絡んでくる。全国の選挙結果を集計す れば、名前を聞いたこともない政党が出現したり、前回は一大勢力をなし ていた政党が姿を消したりしている。連合政権は定着したようだが、その 実態は不明な点が多い」(3頁)。 確かに、インドの選挙は、外国人にはわかりにくい。そもそも投票日が 何回にも分けられ、何週間も選挙が行われて、その後に開票結果が一斉に 発表される。そうした運用をする理由の一つは治安の維持にあり、全国一 度に行うためには警察と軍の人員が足りないのである。その他の具体的な 事情について、「第2章 第

14回連邦下院選挙の経過と結果(南埜猛)

」 が紹介してくれている。厳しい暑さの4

-

5月にわざわざ投票日を設定した

のは、投票所に学校が使われるため、学期末試験後のこの時期とされたと 説明されている。ああそうか、と膝を叩いてしまうだろう。また、107万

5000台の電子投票装置が導入され、いずれの主要政党も選挙キャンペー

ンにインターネットを活用するようになったと指摘される。 書 評

(2)

さて、インドが連邦制だということも、選挙のわかりにくさの要因であ る。「州の政治」と「中央の政治」という二つの領域が存在しており、そ の二つの政治をつなぐ独特なダイナミズムがある。また、民族や地域の独 自性を主張する声を反映して、新しい小さな州がいくつも作られた。した がって、ウッタル・プラデーシュ州のように1億6620万人の人口を擁す る巨大な州が80議席、つまり下院の7分の1程度の議席を輩出する一方 で、北東諸州のように小さな州で1名の議員を選出するのみのところもあ る。しかも、それぞれの州には州議会があり、州議会選挙のサイクルと連 邦議会選挙のサイクルとが微妙にずれながら動かされている。そして、「中 央の政治」の選挙だとしても、州で行われる限りでは「州の政治」のコン テクストで展開されるのだが、にもかかわらず、「中央の政治」の「勝利 の風」がどちらに吹くかによって、各州の人々の投票行動も左右される。 まだまだいろいろな点で、簡単に気付くだけでもこの国の選挙のわから なさを指摘することができる。だからこそ、よくわからない国なのにイン ドと付き合わざるをえない人々が増えた、そういう日本の読者には、本書 の丁寧な紹介が役に立つだろう。各種のデータを集め、整理し、各州の事 情を捉えやすくしながら、比較の上で全国レベルの政治へと結びつくよう に工夫されている。「総勢28名の研究者」によって「2年がかりの作業」 を経てまとめられたというが、「4つの小さな連邦直轄地を除く、28州お よび3連邦直轄地を網羅し、それぞれの州・連邦直轄地の内情を分析する とともに、1議席でも確保した政党については残らず解説を設けた。イン ド政治のエンサイクロペディアとしての役割も果たしている」(同上)。 さて、2004年の選挙はどのような結果となったか。1998年・1999年 と2回の総選挙を制して政権を担当したインド人民党は、任期満了のため の総選挙を前に、大勝を予想した強気の姿勢で選挙戦に臨んだ。与党とし て「輝くインド」をスローガンにし、経済成長や核保有といっためざまし い成果を自画自賛する姿勢を露骨に表して運動を展開したのである。しか し、「選挙結果は、与野党の政治家自身を含む大方の予想に反するもので」 (同上)、人民党連合は下野し、逆に、1996年以来野党であったインド国 民会議派は予想外の勝利をおさめ、他の諸党と連合を組んで政権を担うこ とになった。 第Ⅱ部では、各政党の動向が紹介されている。「第

4章 インド国民会

議派(佐藤宏)」では、各州の動向を3つの群に分けて分析し、「人民党が

(3)

決定的に敗れたという印象は全くない」が、会議派が「今回の総選挙では じめて中央における単独政権構想を放棄し、国民民主連合に対抗して選挙 協力を推進した」ことを指摘する(78頁)。つまり、会議派としては「長 期低落傾向」を克服したわけではなく、会議派自体よりも、会議派と連合 した諸党が有権者に選ばれたという。「第5章 インド人民党と国民民主 連合(近藤光博)」は、「同連合全体での議席数は304から186へ(得票率 は40

.

1%から35

.

9%)へ、182から138へ(23

.

8%から22

.

2

%

)へと大き く後退した」という文章で始まる(81頁)。連合は得票率を4

.

2%減少さ

せただけで118議席を失い、人民党は得票率が1

.

6%減少して

44議席も

失ったことになる。しかも、前年末に行われた4州の州議会選挙では、3 州で人民党側が勝利していた。この二つの章では、総選挙時の選挙連合が 決定的だったことが明らかにされていると言えるだろう。 また、興味深いことに、この選挙では「左翼政党の復活とも評され、共 産党(M)、共産党の大幅議席増となった」ことが、「第6章 インド共産 党(

M

)と左翼戦線(井上恭子)」で指摘される。「左翼戦線合計で59議 席を獲得し」、もともと共産党の地盤の「西ベンガル、ケーララで議席を 大幅に伸ばし」、ジャールカンド州などでも大勝した。「政策協力は、容易 ではない」状況が続いたが、会議派連合の政策綱領としての「基本政策合 意」を労働者や農民に有利な方向に動かす力の一つとなった(96

-

97頁)

。 共産党も実は「州の政治」に基づく地域政党の性格が強いが、第Ⅱ部の他 の章で地域的な諸政党が紹介されている。 それでは、2004年の選挙の争点は何だったのだろうか。そのあたりの 疑問に答えようとしているのが、第Ⅲ部である。スローガンとして「輝く インド」を掲げた人民党も、「ふつうの人」を掲げた会議派も、冷戦後の 国際政治経済の動向の中で注目される二つの政策課題については、共通す る部分が大きかった。一つは、経済開放を進めて外資を導入し、一層の工 業化を図りながら高い経済成長率を維持して、世界的なインド経済の地歩 を築くという政策である。もう一つは、アメリカの覇権を反映したブッシュ 政権の対テロ戦争に協力しつつも、インドの核保有を承認させていく政策 である。要するに、経済大国であり核保有国であるインドの保持である。 前者について「第11章 経済政策(久保木一政)」、後者について「第

12

章 国防・外交政策(堀本武功)」、その二つの柱に関わりながら、ある意 味では取り残された形の「第13章 カシミール政策(伊藤融)」が論じら

(4)

れる。 こうした政策的な柱はそこまで揺るがない枠組みの中で、約6億7千万 の有権者の中から、投票率58

.

1%、つまり

3億9千万ほどの票が投じられ

た。まず、「中央の政治」に吹く風を体現した結果となった州として、「第

17章 ウッタル・プラデーシュ州−インド人民党の後退と社会主義党の

前進−(近藤則夫)」、「第23章 ハリヤナ州−州政権に対する不満と『現 職批判』で会議派が議席をほぼ独占−(夛賀政幸)」、「第24章 デリー− 会議派の大勝−(佐藤仁美)」、「第26章 ビハール州−『カースト民主主 義』の勝利−(吉田修)」、「第37章 アーンドラ・プラデーシュ州−選挙 協力と現職への不満の波による会議派の勝利−(浅野宜之)」。「第39章  タミル・ナードゥ州−『民主進歩連合』の圧勝−(南埜猛)」などである。 また、「中央の政治」に吹く風と逆に、人民党やそれに近い勢力の勝利 をもたらしたのは、以下の諸州である。「第20章 マディヤ・プラデーシュ 州−2003年州議会選挙の再現−(角田恵理)」、「第21章 パンジャーブ 州−会議派の敗北とアカーリー・ダルの復活−(伊藤融)」、「第27章 オ リッサ州−野党連合の「不戦敗」と中央の政治的動きを読み違えた選挙 民−(吉田修)」、「第33章 マハーラーシュトラ州−州内の経済格差と有 権者の投票行動に注目して−(小川道大)」、「第34章 グジャラート州− ヒンドゥー・ナショナリスト運動の岐路−(近藤光博)」、「第35章 ラー ジャスターン州−インド人民党の圧勝−(中島岳志)」「第38章 カルナー、 タカ州−インド人民党の南部進出−(北川将之)」などである。 そして、こうした「州の政治」の結果の議席数を総計したときに、「中 央の政治」での帰趨が最終的に確定する。「第1章 インド民主主義と選 挙(広瀬崇子)」で、インドの民主政治の展開として、

1960年代までの会

議派の傘の下にすべての政治勢力があるような「コングレス・システム」 の時代、1970年代の「多様性の否定」としてのインディラ・ガンディー 時代、1980年代の「調整期」、1990年代の「連合政治の時代」という流 れを紹介する。そして、「第3章 第14回連邦下院選挙の位置づけ(広瀬 崇子)」では、表3で各州・各政党と連合の中核となった会議派あるいは 人民党との協力関係を詳細に示している。 その結果、「多くの州分析が指摘するように、今回の選挙での争点とし ては、言語やカースト、あるいは地域主義と言ったエスニックなものより も、経済自由化、農村対策などの経済政策が一般的に重要であった。また、

(5)

汚職問題、派閥争いなどを通して、政府の統治能力、行政能力についての 選挙民の監視能力も高まってきている。その意味で、過去20年あまり続 いたアイデンティティ政治を一段階超えて、インド民主政治は成熟度を増 したと言ってもよいだろう」(67頁)という結論が述べられている。現在 の2009年の総選挙を見ても、この傾向は確かに指摘できるだろう。 ポスト社会主義国の一つとして1990年代後半以降めざましい経済成長 を遂げ、21世紀の世界経済においては、インドがブラジル・ロシア・中 国とともに指導的な地位を獲得すると言われるまでになった。本格的な自 由化を開始した18年前からは想像もできない変身である。2008年秋から 広がった金融・経済危機は、インドの株式市況や投資状況にも大きな影響 を与えたが、それで潰れてしまうほど弱い経済ではないことも確かで、

G

20を構成する大国の間でも世界的な危機を打開するためにはインドの協

力が必要だと考えられている。したがって、民主的なインドの選挙がどの ような政権を樹立するのかは、単に国内の問題ではなく、国際的な注目の 的となっている。本書でも、第Ⅳ部で「周辺諸国の反応」として「第14 章 パキスタン(井上あえか)」「第15章 中国(高木誠一郎)」「第16章  バングラデシュ・スリランカ・ネパール(村山真弓他)」がまとめられ ているが、すでに南アジアの地域を越えて、インド国民の選択が注目され る時代となった。 そうした時代のインド政治の特徴として、本書でも随所で指摘されてい るが、たとえば以下のような点にも注目することができるかもしれない。 第1に、1977年総選挙以後のジャナタ連合の中から生まれ、あるいは 成長した諸政党についての検討である。インド人民党も含めて、社会主義 党(サマジワディ党)、民族ジャナタ・ダル(

RJD

)などは、いずれもこ うした政党である。これらをどのように包括しつつ、どのように比較分析 できるだろうか。これは、1980年代の政治の捉え方、1996

-

1998年に2

期続いた統一戦線内閣の位置づけ、本書でも繰り返し指摘されている「州 の政治」と「中央の政治」の結びつき方、あるいはジャナタ勢力より遅れ て登場した新しい政党としての大衆社会党(

BSP

)などを捉えるためにも、 有意義な分析ではないかと思う。 第2に、メディアと政治という観点である。市場経済の大規模な展開に よって、今やほとんどの有権者がテレビを目にして生きている。自分の家 にはテレビがなくても働き先や庶民的な食堂や商店には置いてあり、

(6)

ニュースやコマーシャルが人気の連続ドラマとともに、人々の日常的な必 需品となっている。「輝くインド」のスローガンがメディアで大々的に、 取り上げられたのに、人民党が敗北したことを見れば、メディアの宣伝す る内容通りに有権者が行動するわけではないことも確かである。けれども、 ニュースに頻繁に登場する会議派党首ソニア・ガンディーの高い人気が、 会議派への風を吹かせたとも言われた。テレビや新聞が、片言の英語も混 じった地元言語で、政策からゴシップまで、生きた政治の情報を提供し続 ける。生々しくエネルギッシュな怪物のように、インドのメディアがのた うち回って、それとともに選挙が動かされている。インドの民主主義は、 その意味でも変容しているのである。 まだまだ論点は尽きないが、ともかくインドの民主主義や選挙はおもしろい。 けれどもそのおもしろさを知らない人々に伝えようとすると、いつも四苦八苦し てしまう。その意味で、本書は、地域研究者にとってありがたい道案内の書と なるだろう。 たけなかちはる ●立教大学法学部教授

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