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ジュール・ミシュレの反教會思想

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

ジュール・ミシュレの反教會思想

鄭, 賢奎

https://doi.org/10.15017/2340932

出版情報:史淵. 21, pp.63-82, 1939-08-15. Faculty of Law and Letters of the Kyushu Imperial University

バージョン:

権利関係:

(2)

王政復古期の史家亡七川王閥の史家ざを比較して兄る唯前村に於て政流的傾向が弧く後粁に於て純

粋躍間的傾向が弧く︑又前粁が政漿の鰯に史學の手段を僻りたるに封し後蒋が史畢擁継の鯛に政諭ど取

らざるを得︽惨かった様に見受けられる︒王政復古期の史家と七川王剛のそれっこの對照に於て︑ジュリァン

・ジュール・ミシュレの反戦倉思想左一一

六五四三二一

︽ヒール.︑尺シゞレの反教會思想

目次

ミシュレの宗教思想

生涯ざ思想の礎遥

政情の影響

アンティ・ジェジュヰット

大學教育の防禦

自由ご反教愈思想

一︑ミシュレの宗教思想

J可811

賢杢

I

(3)

Q

ミ︑ンニレの政治的宗教的思想を研究した多くの史家は一概に彼李ゼアンティクレリカル︵釣具匡冒︒鳥︶な

PD

m心想家だ︽こ断一両してゐる︒若し乖血廷にして﹁ローマン・カトリック教稗ごフランス國家さの密接な統合開 係を結ばんざする伽向をクレリヵリスム﹂ご定義し鍔トジョルジ・ヴェールの様に︑﹁アンティクレリカリス

ムを教命いざ悶家芦一の密接な統へ皿︑己戦ひ︑術侶逹の政論的椛利を排斥するもの﹂ざ定義する事驚M定し︑

更に共卸王義的な傾向は必然的に三つの要素︑即ち民主王義的なもの︑アンティクレリカルなもの︑愛剛

主義的なものを内包するこし.十一ロジャル・ソルトーに從って︑民主王義新に取っては﹁教命螂は進歩の敵﹂︑ あるやうに老へられる︒ 宗教及び彼の祇禽的︑宗敦

・ジ子︲ル・ミシュレの反致命思想六四

は前肴が政治的利審開係から史學に移つにのに反し後肴が観念的︑哲學的な猫逃︑擶心に刺戦された純粋

史學から政淌にまで移つだ己述べて居り︑又ルイ・アルファンは前新に脇する人糞︑即ちギゾー︑チェリ︑

チェル︑ミネー等の政治家が自己政策を擁謹するため史學を取ったのに對し︑後蒋の人糞︑殊にキネやミ

シュレが自己の史畢を擁謎するため政論に入つにこ述べてゐる︒ミ︑ンユレ自身もその著﹁民衆﹂に於て自己

の史學川紺曽政論運動どの關係に就いて﹁詩的仰記から理術へ又術理から信仰及心惰へ﹂ご述べて居り

此の典味ある叙述に對し一人の史家チェルノフは﹁七〃王岡の共和旗﹂の中に﹁ミシュレは朧史研究から

現蛮に蹄つに﹂ゞこ裏書してゐる︒斯くの如く七川王閏の史家が史學から政治へ︑叉ミシ︽しが歴史研究か

ら現蛮へ入ったこざを上川定し得るさせば︑ミシュレの史畢の理念及志向を見た吾盈は更に彼の政治的運動

的思想一般を考案し又その史學さ宗致︑心想︑この聯關を考案するのは極めて自然で

(4)

ジェジュキット攻撃ごユルトラモンチ

ある︒と言ひ得るやうに老へられる︒

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通 じ

見る時︑現濟的祉界雁史の發展は人冊の汽践を通じての仲の抑念の表現であり︑文化の能症的及び保持

的原理は川のイーブ−だざする彼の史學の原理は︑彼を熱烈な宗教史家の様に思はしめ︑彼の中仙史の叙

述︑基将教徒の生活へ十字軍やサン・ルィ︑ジャヌ・ダルクに開する記録は︑モンタラン↓へlルやネット

マ.ン︑ラム︑不−︑エクスティン男爵等の自由カトリック教徒の満領逹をして彼等の味方或は友人ざ忠はし

め︑彼のルターに開する研究は彼か純粋な韮将教信粁雪こ恩はしめ︑進んで彼の﹁術侶﹂﹁民衆・一﹁蝦命

史﹂の叙述は反韮将教的原蝿の上に建つもの琶老へしある様な︑斯くの如き極めて複雑多様な彼の宗教

的思想内群を︑唯棚服に﹁アンティクレリヵル﹂な皇高菜を以って果して把握し得るであらうか︒彼の思

想は果して急激な鍵化をなし仁であらうか︒此所に乖兇の裸魎はある︒ ﹁民主主義の信條さカトリックの信條さはその理論及び行動の原理一に於て噸立し得ざな﹂故︑民主主義村は必然的雁アンティクレリカルな思想家になるざ云ふ︾﹂さを認め得るごせぱ︑民主︑主義的史家ミシュレのジエジュキヅト支腱ごユルトラモンテェーヌの自巾教育に對する排曜は︑明かにアンティクレリヵルな行動で

ミ恥ンユレの思想の鍵遥を噸みて︑ダニエル・プレヴィーばその箸﹁ジュール・ミシュレ﹄の中で彼の生涯

ジュール・ミシレュの反戦念恩恕六五

二︑生涯と思想の愛遷

(5)

I

ジュール・ミシュレの反戦命思想六六

を︑一八三五年餌の博學荷であり体統的韮将教的な史家電こしての節一期︑・四五年唖の載命的な史家及び

教育家︑こしての第二期︑雌後の緬刺詩人︑溌愛交學作家及び自然詩人﹃こしての節三期↓己に価分して居り

ガプリエル・モノーは一八一六一八三○の準備期︑一八○五二の過激な思想家であつに成熟期︑−

八五二七川の可生した藝術家であった老年期の三期に随分してゐる︒若し否左にして上述の節二期を

更に前半期ご後半期︑即ち一八三○I川二℃こ一八川二五二に細分し柵るさせば︑外的にはじⅡ政府の

正に反動期に移る契機を一致し︽内的にはシメネール夫人の死期ご一致し︑彼の思想的發鵬からは︒

八四三年以前には飢暴にも唯純粋研究生活のみに押込崇れ﹂川三年から始めて常時の献御問題に關與し

に史震にも合致するやうに恩はれる︒此に曲って︑彼が純粋の歴史研究から政治蓮動に移つにのは一八

四三を郷換期さして世あったこゞ迫︑叉彼の思想上簸者明瞭にアンティクレリヵルの理念が現はれて害仁

のも︑彼の生涯の第二期の後半であった一﹂さが共に蹄結され得るご老へられる︒此の締術一L基いて此の

後半期に彼が﹁歴史研究から政治ご移った刺機を考究して見たい︑辻恩ふ︒

時代から時代へさ鐵縛棚まりなき時代的偏見︵嵐鳥目号︒鳥︶に對する抵抗力の弱琶人︑それは外祁

の刺戦及び興燕を蚊もよく受入れ易い鋭敏な感受性を持つ人であらねばならぬ︒エミール・ファゲーに從

へぱ︑ミシュレほどそ・の感受性を多分に持つものはない︒ファゲーは一八川○年代の時代的侃兇のミシコレ

に對する影郷を述﹃ぺて曰く︑

﹁國王に對する恐怖︑价侶の排斥︑ジェジ卓噸トに對する畏怖.英剛の憎悪︑猫逸崇拝︑図民主菱︑民

(6)

一一

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〈",兵宗諒S捲濤。汁Jsd宗諒働唱向S熱鐵ヨ三四則"嘘認嚇S寡令○三興鴇岸,吟亦S>需障鳶S鶚

(7)

か・上る思想的發展を老並した上︑吾凌はガブリェル・モノ︑ご共に﹁彼の行動ざ思想の色糞な局而を惹

起す・べく︑彼を刺戦したのは公的生活の事件ではなく︑彼の私的生活の出來事である﹂ご言ひにい︒而

ジュール・ミシュレの反戦倉思想六八

彼の祇韮に御川席遊ばされ︑叉彼は王女クレマンチヌの誰義を樵任され︑チュイルリーやヌュイリ宮唯に

招待を給はれた︒彼の友人チエル︑ヴィルマン︑ク︑lザン︑ギゾーは大臣に︑↑ハラントは大使に任ぜら

れ︑叉彼の苓述の現ばれるご︑こに総ての文章家の装望の的こなった︒モノの言を借れぱ︑.﹁シャトプリア

ン千厩︑ラムネー︑ヴィルマンや︑サント・プーヴヘヴィクトル・1︾コーや︑ラマルティーヌ︑ギゾーやシ

スモンディ︑モンタランベールやフルーリ︑クール价正︑グルー︲︑加特力教徒自由思想家︑正統主義

新︑オルレアン主義群︑共和主維粁逹睦無って彼に讃僻を捧げた﹂のである︒斯の如く七川王閏の前

期に於ける彼の華やか左猪詫を老へ︑四三年以後の彼の過激な側向への轆換浄思ひ合す時︑軍に時代的

偏見に刺戦されたさ兄倣す外︑もつ︽己彼の思想の内而的發展を考究せねばならぬ琶考へられる︒即ちⅢ

○年代を韓期ざし︑以上何れの数派も七川革命の原理より達ざかり︑﹁民衆﹂の原理を離れ︑.或は﹁王

座﹂に︑或は﹁祭垣﹂E走ったのに反し︑ミシしはひ︑こり民衆の理原を進展させた虚県大きな思想

的原因が存在するやうに恩はれる︒ロ︒ハート・プリントもその特﹁フランス史學史﹂の中で︑ミシゞしが

﹁フ|フンス史﹂をルイ十一壯の時代で中止し︑﹁革命史﹂の絞述に移った理由を彼が﹁民衆の偏仰を確立

1 8

せずには王朝時代を皿解し得なかった﹂︾﹂ざ︑又民衆の役荊が亜要な原理である革命史が︑世ちにジェ

ジュヰットやユルトラモンテェーヌの主張の攻曜の材料寺﹂なり得にこざのためであるぜ﹂述べてゐる︒︒ ■■1F■

(8)

し此の場合︑彼の私的生活の事砂篤平に︑モノのやうに︒︸△一兀年のポーリンの死に始まり︑四一不ア

デレさアルフ馬ド・ツメネールの維辮︑殊に砿要なのば凶一年のシメネール夫人の病死に経る家庭的悲

劇である﹂さのみ考へない︒勿論姻人の死による家庭的悲劇の時期程憂諺さ傾悶藩騰さ苛黄が彼の

生活を苦しめに時はなかったにしても︑斯う云時期に︑彼をして燕教ルネッサンスの自由教育問題ざ︑大

蕊敦育の自曲擁誰のために︑政沿問題に開與せしめに也接の動因は︑一偶然にも一彼が犬學教授の職を占

凸凸秘めて居つにこさ︑叉柑時彼が蚊も人紫ある教授の一人であった故︑大學攻嬢に對し反唯せざる悲側な力

つ↑L琶云ふこさにある亡思惟される︒殊にグーチの云︑剛︽通り︑共和主義的自山思想家に取ってはジェジュ

キットの攻蠣と﹁學問の自曲︑政治的自巾が礎んに攻確され︑今や全く危機に瀕してゐる﹂ご恩はれる

ミシュレの﹃史學から政治へ︑過激なる思想へ﹂さ推移しつkあつにこ︑とを老案して来た吾糞は︑七矧

王剛に於ける政情及び思想杢般を考究するの必要に辿られてゐる︒

﹁剛民の主﹂ルイ・フィリッ︒フの時期は︑涯那糞に政治的無力の時期淵和政策及び平和政策員制限選

恥のブルジョア勝利の時期のやうに兇ゆるけれさも︑此の立悲王剛の肺禽の内部的生派琶︑非粥に平靜の

様に兄ゆる砒愈の裡而さを注意深く洞察すれば︑極めて蠕縦たる昂燕さ鯵附しい革命的向上の時期であ

ジュール・ミシュレの反敦御思想六九

に於てをや︒

三︑政情の影響

(9)

I

の衰頽ざ︑ユルトラモンテェーヌ︑ご蒋教さの特接な統合を︑亜要な事件さして指摘してゐるこEを恩ひ川

し︑又ヴィネ2首①鈴︶が﹁ジェジュィティスムは凝間されたカトリ︑ンスムであり︑カトリ・ンスムは稀薄なる

2 6

ジェジュィティスムである﹂ご述べてゐるこさを恩合せば︑術時の鷲敷ルネッサンス勢力の弧大化の傾向ざ

それに對する自曲思想家の葛藤及軋礫が豫想される︒ジニジュイトの激烈なる大學激育及びミ・ンユレ攻嶬

は︑決して偶發的事件でなかったこさが了解される︒

七月政府はその政治的見解に於て︑三つの黛派︑即ち共和蝋︑ボナパルト蕪及び正統派に依って鍋︲ぬ

ベンュール・ミシュレの反教称思想七○

つたこざが老へられる︒七月政府が偏狭な選畢手段に依って︑確蛮な間己の將來︽ぜ夢見て居った時に︑

ルィ・フィリッ︒フの制度の背後には靜︑かに︑川八年の革命ご帝政復興ざを準怖しつNあった川諏の蓮仙︑

2 2

即ち宗駁運動︑政流運動︑.肺称通勤︑及び女學蓮動が流れてゐにこさが思惟される︒

アンシャン・レジム時代のフランスは所洲宗教剛家であり︑そこでは﹁王座﹂号茸言の︶ご﹁祭亜﹂

︵展巨旦︶さは堅く結滞してゐた︒ジョルジ・ヴェールはその特﹁仙僻思想史﹂に於て︑さう云ふ壯態を

﹁岡家は部分的に教愈の中にあり︑教御は部分的に剛家の中にあった﹂ご表現してゐる︒而るにフラン

ス革命以来︑ローマ教御さ仙俗岡家さの述栫的關係ば一時巾断されたが︑ボナパルトのコンコルダに毎

ワ︼4鉛度根を發し︑浪漫主義にその榮養を取り︑王政復古期にやⅨ旺盛になり始め極カトリック・ルネッサンス

は七川革命に依って妨げられたが︑一八川○年醜は再度激烈↓こなった・川○年代のフランス宗教界を願

みて︑・サント・ゞフーヴがその群作﹁十九仙紀の蒋教史﹂の中で︑フランス閲比救命ガリカニスム緒川

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(10)

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(11)

ジュール・ミシュレの反我命思想七二

七月王剛の後半期︑ミ・ンユレがジェジ卓ツトに對し︑従だし.琴挑戦的態度を取るまでは︑彼自身祁術緋

痛を味はったであらう雪こ蒲へられる︒ミシュレさカトリック︑ルネッサンスの思想家ざは︑浪漫主義の或る

一鮎に於て︑密接な關係を持って居り︑大きな思想的共叫を有して居りながらも︑フランス政局の鍵移さ

剛蒋各糞對跳的傾向への思想的發展にょ︑り︑遂に和五敵對するまでに到ったからである︒ミシユレの浪漫

主義的惟暁に棚しては︑勿牒な見解が存在する︒﹁ミシュレも多くの浪漫主韮村岡様︑形而上學概念に適

した糀祁さ︑象徴主義的想像を持つてゐに﹂恥を︑その箸﹁フランス交學史﹂に於て︑指摘したランゾ

2 7

ンは﹁彼の心情及び思想から見て︑彼はやはり浪漫主義汁である﹂ご述べてゐるが︑従だ疑問である︒

エドァルト・フュータ︑は此の軸に就いて︑明瞭にも﹁ミ︑ンユレは交章家︑詳述家ごしては浪漫主義に脇

するも︑彼は決して浪漫主義的政溶理論家には蹄するものでない﹂︑と規定して一?︒︒ミ・ンユレ自身も粥に

浪漫主義に暁するこ↓こ今鈩一拒み︑自か島古典主義群ご同任し︑十八仙紀ヴォルテールの子であるこさを主張

して︑﹁十八仙紀から川に私は︑雌盈そこを連ざかるが轍にそこに戻って来る﹂︑こ考へてゐる︒此によ

って︑モノの言︑﹁彼は正理主張に脇する以上に︑浪漫主義に蹄したわけではない﹂さ云ふ意味が眞蛮

に近いやうに恩はれる︒斯く︑政淌蝿諭家さしては︑浪漫主義にではなく︑螺ろ古典主義に鴎する這兇

てよいミシュレも︑史蕊理論からは︑古典主義箭よりは浪漫主義肴であり︑又十八枇紀感壁主義ざ非宗教

的瓜想母﹂に反對する術時代の︑浪漫主義に根ざす︑精祁的復興運動拘殊に蒋教内部の宗教的復興運動に︑

淡怯なる同情を持って居り︑シャトブリアン若しくは﹁未來﹂の細卿者逹さ︑緒祁的に一派相迩.じて届つ

(12)

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(14)

原因ざを恩ひ合せる時︑少し偏狭な兇解のやうに老へられるにしても︑カミーュ・ジュリアンが二八川

○年から︑七月政府は向分が北庭から生れに︑自巾主義の原理ざ︑民主主義の熱望こに對して戦った﹂

さ述べてゐる一﹂ざを承認すれば︑雨教授が優柔不断の政府の態度︑七剛政府の反動に慨慨したこご容易

に理解され得る・濟際ギゾーやサルヴァンー署千厩に依って代表された俄時の政府は︑カトリック・ルネッサ

ンス思想家達の教育自由の亜求壷己︑彼等の自曲思孤家に對する苛州な虚分の訴願︑叉は一八三○年に約

束した燕教の自由︑此蝉や彼搾に許典するこさも︑川来なければ︑叉その反對に文士や教授逵の白山も

擁護するこさが川來ないき云ふ︑極めて暖味な熊度を取った︒政府は確定した汁剖もなしに︑ルッター

が現代締祁に多く貢献した・己︑述べに那曲で︑一人の歴史教授シ伊菟職させ︑ラゴルディエルを批判した理

由で︑ポールドー犬蕊の打洩教授︒ヘルゾーの地位ぞ剥奪した︒ヴィルマンは犬躍教育の向山問題に對し︑

﹁宗教的教育ざ畢校教育は不可分離のもの︑犬蕊教行はカトリック的であったし叉あらねばならぬ﹂︑己主

張し諺クーザンは卜院に於て︑.︵一八川三・五︑一五円︶﹁現在此の閏の如何なる祇韮に於ても︑山接又

間接にカトリック教の原理を︑密する様な・ものはない︒又犬喫の禰難の祇義︑その他凡ての教有がカト

ワ︼リック教の原理に基づいてゐるこつ迫蒋断言する﹂さ述べてゐる︒此に依ってギゾーやサルヴァンティ︑ヴィ

ルマンやクーザンに依って代表されてゐる粥時の政府が︑如何にカトリック教義を犬翠教育の推礎︑こして

承認し︑以って犬躍教育の宗門への姉鵬彩承認したかを認識し柵る︒こ忠ふ︒ミ︑ンユレは﹁教育の宗門より

の還俗﹂﹁岡家の宗教よりの離脱﹂の鰯︑反教御思想家に鍵つにのである︒︐

ジューール・ミ︑萱レの反孜禽思想七光

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(15)

・ジュール.︑︑︑シェレの反教魚思恕七六

今此のミシュレの反敦禽思想を彼の本來の思想どの關聯に於て老察する時︑木來︑宗敦そのものに反對

する反宗教恩想家でも︑本來︑推将教そのものに反對する反韮将教的思想家でもない彼が︑唯彼の民主主

義的立脚鮎から︑﹁奈教さ圃家どの内而的統合﹂を以って民主主義溌危くするもの↓上老へ︑悶家の還俗︑

教育の裕化を切離すろ立場からの反敬称主義村である様に凪はれる︒ジョルジ・ヴェールが﹁枇硲思惣班﹂

に於て︑十九仙紀に於て︑佃裕思想︵固需冨呂︒︶に武献しに川っのグループ︑即ちガリヵン主義のフ

ランス岡教徒︑禰需主義薪或は向山新教徒︑自然宗教の慌粁︑終りに白山思想家を鍬げ︑ミシュレの貢献

く 4

を販要脱してゐる︒斯く老へれば︑多くの史家殊にエリヒ・ステェガー︵厚﹈号聾穏の﹃︶アンリ・スェー 4 4

︑9Ff台

︵国︒昌駕①︶グスタフ・ヴ寺1ルフ竿が史家ざしての彼れぞ︑フーフンス雄大の史家琶考へてゐるが今︑

宗教思想家毒こしての彼は︑仙俗思想の發展を促進し仁もの︑言﹂結論せられる︒ガブリェル・モノが﹁フラ

ンスは教愈さ団家さの分離の例瀞欧洲に典へに雌初の岡である﹂さし︑その功絃を多くミシュレに肺し︑

ミショレが仙俗思想發展に︑貢献したこさを裏番してゐる︒斯くの如く彼の反教獅思想は民主主義に立脚

するもの故︑術時自曲蒋教復興の勢力が﹁閏家に對する宗教の支叩﹂を主張し得る土号發展せざる限り︑

叉淵時の政府が﹁宗門の支配﹂を認めるの杷愛が存在せざる限り︑彼の批俗思想は發芽しなかつ仁であ

らう︒柑時の惰勢ば此の何れをも袈切って仕舞ってゐる︒

六︑自由と反教會思想

(16)

ヴィクトル・1︾コーの反教森思想の性儀を論じて︑ロジャー・ソルトーはその﹁十九枇紀フランス政淌

思想﹂の中で曰く︑﹁彼の反教念主義はミシュレやキネーの反教含思想同様︑宗教そのものに對する敵對

がぢ起ったものではなく︑教命がその本来の使命を充蛮に︑果さないどの信念から來る一さ述尋へてゐる︒

此に依って三人の反教禽思想の性憧を了称し得る︒ミ︑ンユレ自身その諸著﹁術侶﹂﹁民衆﹂﹁革命史・﹂殊

にキネーご﹂の共著﹁ジェジュヰット﹂に於ても︑ローマ教命そのものの攻撃ではなく︑寧ろ教禽本来の糀

川に反する︑ジェジ罪ツト及びユルトラ・モンテェーヌの攻盤を兇る︽へきである︒死の原理に對する生命

の原理︑宿命に封する白曲の原理︑此を雁史槻の中心理念さしてゐるミシュレは︑今山王黛攻準の基準を

此れに見出すのである︒彼はジニジ卓ツトの教義及び原理に於て︑現代民主主義的教育思潮の凡ての反

對︑即ち旋蛮に對する侭拷を︑自由に對する屈從を︑心情の宗教に對する機械的形式宗教を見︑彼が人

冊性の進歩の根源を生命︑人川の自曲な努力に見たのに︑ジェジュキットは︑それを問定︵自営○冨巖︶に

兄にご批判するの迩味が把繼される︒彼は﹁ジェジュヰット﹂︵一八川三・六・二十日︶の初版に於て︑﹁今

迄生命の砿明及び分析に躍醜しに私は︑間然に本袖の生命菖典似しに雌偽り生命に︑反對せねばならぬ

やうになった﹂︒﹁私は雌変の機械論を︑生命ある組織に代へねばならぬ︒﹂﹁ロョラは宗敦は戦争の機

械なりざ老へ︑彼の糟﹁鍛錬﹂は宗教の戦術山概論である︒﹂﹁若し私にして彼等に忠告するものありざ

せぱ︑戦乖を止めよ︑服荷するな︑愉悪の念を棄てよ︑さうして平和の逆を取れ!﹂又曰く﹁ジェジュ

ヰットの機械は満動的でもあり︑力批くもあるが︑決して生きにもUではない︒﹂今史にジェジュキット攻

ジュール・ミシ↓一しの反致愈思恕七七

1 1

(17)

代の一つの︑・大きな思潮をなしてゐるかのやうに老へられる︒少なくさも刑時の凡ての宗教思想家は︑

カトリック教を︑現代文明に敵對寸るもの︑こ認識し︑歴史意識︑及び哲學又は科學の糀祁に韮礎付けら

れた︑現代精祁に適合する新宗敦を夢見に︒それ故︑﹁術戦新聞﹂﹁コンスティテュショネル﹂﹁フランス新

ジュール・ミシュレの反戦命思想七八

盤目的のために︑叙述した﹁Zワンス莱命史﹂の巾で︑革命い﹁収要なる主淡群は民衆である﹂さ池

べてゐる蛾芒思ひ合す時︑濟糞は彼が如何に︑彼自身の︑自曲の原理︑民衆の原理に基いて︑宗教的迩

徳的機械論︵ヴェールの剛諦ではご冒画︒︸自画葛⑦曽○邑ご︶ど排峡したかが了解される〆こ共に︑又此川に

川ひられろ排盤の原抑及び韮堆は︑彼の純粋嘩群ざして叙述した術群﹁仙界史﹂﹁法椎の起源﹂の雌史

槻の︑それど全然同一なも鰯であるこども皿解きれる︒斯く考へて来る時︑彼の思想的准腱上︑比較的平

静な前年期さ︑過激な思想家︑こしての後年期︑この剛には︑太き江思恕的な鍵化は認め得られないやぅに兄

受けられる︒而しガプリエル・モノが︑﹁僻侶﹂の群群﹁民衆﹂﹁誰命喚﹂の群者はやはり﹁仙界史﹂﹁法

律の起源﹂﹁フランス史﹂今雑韮典噛に︑その同じ人であり︑﹁ヴィご今笹繩課し︑﹁ローマ史﹂を細纂したその

刷じ人である﹂ご述べ︑前期ざ後期ざの刑の思想的發展を︑杢然拒否してゐるが如きは︑あまり︑極端

的な侃狭な見方であらう︑薪糞はモノ守﹂Ⅲ様諭大きな思想的﹁鍵化﹂は拒否するにしても︑同時に父モ

ノざは反對に︑大きな思愁的一︲發展﹂は承認したく恩はれる︒

自由蕉教復興の︑又はユルトラモンlz1ヌの非現代的︑いな反現代的傾向︑大學教育の︑宗教の影禅

よりの離脱︑宗門の閏家支配︑此等の︑心想伽向に反對するが如き諭反教命思想︑枇俗思想︑此れは織時

(18)

報﹂﹁世紀﹄﹁すン雷ナとの如き︑凡ての自由主義新聞︑又総和蹴澗斯聞がミ・ンユレの理念言こ戦を曜勵 し︑叉急進蕪の機關新聞︑即ピエル︒ルロー︑ジョルジ・サン.ド︑パスヵ.ル︒テュ︾フラー︑カビ一ヤク︑ブル

ノーフ等の編纂する﹁猫立雑誌﹂が﹁韓教は常にあったやうに︑止ふまらればならぬ︒然らずんぱ存在し

得ぬ︒ジェジュヰットの格律﹁それが今あるがまkならしめよゃ然らずんぱそれをなからしめよ﹂も此の

意味である︒此れ即ち哲教が現代文明ご不一致し︑又術命的に現代文明に敵對する所以である﹂︑こ述べてゐるのを見る︒己︑彼等もミシュレさ共通糀祁即ち飢成韮将敦に代へるに︑新し・き韮将教︑茄命的災主主

義琶︑現代祇命の熱離に適合する宗教改革を期待したかの様に思帷される︒ひ壷こり宗教思想界にのみで

なく︑柑時の丈蕊界︑政淌界︑釜般耽命にミジュレの思想が如何ほどの影響を及ぼしてゐるかは︑彼に

對する彩しい激勵に依っても知り縛るご思娩れるが︑彼の思想に影裡された︑一人の若き禰畢新の理念

を畢げ︑吾だの意向を左誰し此の論文の終りを飾る︒︲即ち悲壱哲畢背︑ンヤルル◆ルヌーヴェは︑その論文

﹁フランスに於ける宗教思想の復興﹂に於て︑ジェジュヰットを攻雌し︑他方︑十九枇紀の宗教復興︑雁

史家︑禰學新逹の燕教復興にまで︑敬意濡衣はしてゐるが︑而し彼は宗教通勤の將來を現代統帥ご州容

れない教義を有する撰教の上に見ないで︑歴史意識︒こ︑折躍及び糾畢的糀祁の上に︑来磯付けられに︑

愛化された韮儒教︵Q乱の爵己の目の司菖蔦︒﹈・目らに發兇す・べきで曲る↓こ︑若へてゐ尋盆

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(19)

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3)JulesMichelet,LePeuple, p. 19.‑Cit6parTchernoff,dansLePartiRepublicainsous laMona‑

'・chiedeJuillet,1).443.4)Tchernoff,LePartiR6publicainsouslaMonarchiedeJuillet,p.443.

5)GabrielMonod1GcorgeGooch,RobertFIint,LouisHalphen,CamilleJullian等 6)GeorgesWeill,Histoiredcl' Id6elaiqueenFrance,pp. 8etsuiv. 7)RogerSoltau,Frenchpolitical thought inthe l9thCentury,London. 1931.p. 96. 8)DanielHII6vy,JulesMichel、, 1928.pp, 137etsuiv. 9)GabrieIMonod,Lavieet lapens6edeJulesMichelet, t. I,Par. 1923. p.213. 10)G.Monod,JulesMichelet, 6tudessursavieetsesoeuvres,p. 340.

11)EmileFaguet,Dix‑neuvi6meSiCcle,p.356.

12)GeorgesMeunir,LesgrandsHistoriensdudix‑neuviilmeSiCcle,Par, 1913.p. 203.

13)HenriS6e,ScienceetPhilosophiedel'Histoire,Pa1.. 1928. p.251.

14)C.Jullian,op.cit.p.XXXV.

15)Michelet,HistoiredeFmnce,cit6Jullian,dansExtraitsdeshistoriensfran9aisduXIX" si(Icle,

p.313.16)C.Jullian,op.cit.p.XL.17)G.Monod,JulesMichelet,6tudessursavie,p.66.

18)RobertFlint,HistoryofPhilosophyofHistory,p. 53ツ. 19)G.Monod,Lavieet lapcns6e(leJu'esMichclet, t"I,p.22)、

20)G.Monod,op.cit,t.1,p.56.

21)GeorgeP.Gooch,HistoryandHistorians inthenineteenthcentury,London, 1928,p. 181.

22)Voy.G.Monod,Lavieet lapensee, <. 1,p, 225.

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23)GeorgesWeill,op.eit.p,1.

(20)

Voy.Gu6rard,F1・enchCivilisationintheXIXthcentuI.y・pp、258etsuiv. Sainte‑Beuve, ‑Cit6parG.Monod,dansSavieet laPensCedeJ.Michelet, t. 1p, 152 Vinet, ‑cit6parG.Monod,dansop・ cit. t. 1,p. 126.

︑〆ヘノ︑ノ

456 222

27)GustaveLanson,Histoiredela litteraturefranlaise, 1E、6d.par. 1924.pp. 102]etsuiv. 28〕EduardFueter,Geschichted・neuerenHistoriographie2AufI・Miin, 1925..p、 454.

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c

29)JulesMichelet,Amonpere. ‑cit6parMonod,dansJulesMichelet,6tudessursavieetses

oeuvres,p、234.30)G.Monod,Lavieetlapens6edeMichelet,t,I,p、214.

31)G・P.Gooch,op・cit.p.181.F

32)A.Debidour,Abregede l'histoiredesrapportsdel'危glisecatholiqueetdel'EtatenFrance

del780il870.Par.p、123.

33)Debidour,op.cit.p.123.

34)bMonod,Lavieetlapens6e,t.1,pl39.

35)G.Monod,op.cit..t.I,p.139"

36〕Desgarets,LeMonopoleUniversitail.e,CiteFarDebidour,dansAbr6g6de l'histoire,p§ .124.

37)HenrideRiancey,La.Libettedel'enseignementenFrance, t. I,。Par. 1344,p. 454. 38)VictorduB1ed,Histoirede laMonarchiedeJuillet, 1830‑1848. t. 1.p. 459.

39)Voy,GeorgesWeill,op.cit.pp.letsuiv.

40)G.Weill,op.Cit.p.C9.

41)CamilleJullian,op. cit. p.LXVIII. ‑

42)G.Monod,op.cit.t、Ⅱ.p.150.、

43)G.Weill,Histoiredel'1d6elaiqueenFrance.

44)ErichSteger,DasuniversalhistorischeDenkendergrossenfranz6sischenHistorikerdesXIX.

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. Jahrhunderts, 1911,p. 44. .,. .J 、.: .2 ‑?津?‑. ... ... 〔、

45)HenriSee,op.cit.p.351.46)GustavWolf,EinfUhrungin"sStudiumderneuerenGeschichte.Berlin.1910.p.136.47)GabrielMonod,op.cit.t.1.P.203.

48)RogerSoltau,op.cit.P.126.

49)G・Monod,op.cit.I,p.118.

50)G.Monod,op.cit.1,p.129...."

5i)JuleSMichelet,]6Suites, ‑Cit6pa;Monotl,dansOliciffi,ip128‑I29.

UqDa①■■ざ■■ザや52)J.Michelet,HistoiredelaRevolution,t.I,pp、le‑19.‑Cite.rarHenri̲S",dansScienceet.響一一Philosophiedel'Histoire,Par、1928.・、

53)G.Monod,op.cit.t.1,p..215..054)GMonod,、op.cit.t.I,p.137,

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