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身体性の評価から価値の情動主義へ 源河

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Academic year: 2021

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身体性の評価から価値の情動主義へ

源河 亨(Tohru Genka)

日本学術振興会/東京大学

本発表の目的は、情動の身体性知覚説を応用して価値判断の情動主義を展開する際 に気にかけるべき論点の一つを説明することである。それは、美的判断と道徳的判断 では、求められる客観性の度合いが異なりうるというものだ。

価値判断を情動の観点から理解する情動主義は、ヒューム主義とも呼ばれる。プリ ンツは価値判断に限らず多くの点で熱心にヒューム的見解を支持しており、『人間本性 論』の3つの編(知性・情念・道徳)に対応する3冊の著作を執筆している。1冊目

Furnishing the Mindでは知覚が概念の基礎になるという経験主義を擁護し、2冊

目の『はらわたが煮えくりかえる(Gut Reactions)』では、前著で行った知覚について の考察を応用し、情動を身体状態の知覚とみなす理論を展開している。そして3冊目 Emotional Construction of Moralsでは、前著の情動理論に基づいた道徳的判断の 情動主義を提示している。さらに最近では美的判断の情動主義にも着手している。

プリンツの情動理論は、情動に関する心理学や神経科学、さらには文化人類学や生 物学といった、さまざまな認知科学的見解に基づいている。そのため、その情動理論 を応用した価値判断の情動主義は、経験科学の見解に裏打ちされた、価値判断を自然 化する理論だと言えるだろう。

とはいえ、道徳的判断と美的判断の両方に、まったく同じように情動主義が主張で きるわけではない。本発表は、両者の違いを生む要因の一つに情動の相対性があると 指摘したい。

どういった場面でどの情動が生じるのかは、時代や文化、教育に左右される。ある 文化圏の人には喜びを生みだす状況が、別の文化圏の人には悲しみを生み出すかもし れないし、さらに別の文化圏の人には何の情動も生み出さないかもしれない。一般的 に情動は価値を捉える評価的状態だと考えられているが、何に価値があるとみなされ るかは、時代や文化ごとに変わりうるのである。

美的判断に関しては、そうした相対性が当然あるように思われる。たとえば、自分 が属していない時代や文化圏で賞賛されている芸術作品の良さがまったく理解できな いということは、よくあるだろう。むしろ芸術作品の価値は、時代や文化の特異性に 焦点を合わせて説明されることが多い。この傑作が登場し、人々に肯定的に評価され た背景には、その時代・文化・作者がこうした状況にあったからだ、と説明されるの である。一見したところ、美的判断は文化や時代に相対的にしか正しさを問えないよ うにみえる。こうした判断のあり方は、情動と非常に相性がいいと言えるだろう。

これに対し、道徳的判断には時代や文化を超えた客観性を求めたくなるかもしれな い。奴隷制や殺人は、時代や文化の違いを超えて普遍的に悪いと言いたくなる直観が あるのではないだろうか。そうだとすると、文化や教育の影響を受ける情動は道徳的 判断の基礎になりえないと考えられるかもしれない。そのため、道徳的判断の情動主 義は、こうした直観に対処する議論が必要となるだろう。

参照

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