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Hebrews 8:6-13 新しい契約は古い契約よりもすぐれている ( ヘブル8:6) しかし今 キリストはさらにすぐれた務めを得られました それは彼が さらにすぐれた約束に基づいて制定された さらにすぐれた契約の仲介者であるからです キリストはさらにすぐれた務めを得られました と書かれています

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Academic year: 2022

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Hebrews 8:6-13

新しい契約は古い契約よりもすぐれている

(ヘブル8:6)「しかし今、キリストはさらにすぐれた務めを得られました。それは彼が、さらにすぐれた約束 に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者であるからです。」

「キリストはさらにすぐれた務めを得られました。」と書かれています。この地上の幕屋は、天にある本当の 幕屋の影でした。キリストは天に生きておられ、私たちの救いを保っていてくださることができます。私に

「あなたは、自分の救いを失うかも知れないと思っているのですか?」

と訊く人がいます。いやあ、あなたに告白します。もしキリストがたった今天にいてくださらなかったのなら、

私は日暮れ前に自分の救いを失ってしまうことでしょう。主にとって、私は問題児です。そして、もしかすると あなたもそうかも知れません。でもありがたいことには、主はそこにいてくださっているのです。ああ、どれほ ど私たちには主が必要であることでしょう!

「それは彼が、・・・さらにすぐれた契約の仲介者であるからです。」と書かれています。今日私たちは、

“新しい契約”として知られている物を持っています。私たちはそれを、“新約”と呼んでいます。新約聖書は、

実際に神さまが結ばれた新しい契約で、旧約聖書の古い契約と対照的になっています。神さまはモーセに 律法をお与えになり、それから幕屋の奉仕と一緒にその説明をお与えになりました。そこで罪が取り扱われ ました。誰ひとり、律法を守ることで救われた人はいません。神さまのところに行って、

「私はあなたの戒めをすべて守って来ました。ですから私を受け入れなさい。」

と言った人はひとりもいないのです。それどころか、彼らは続けていけにえを持って来ました。なぜなら、彼ら は神さまの定めを犯したからです。律法は、彼らが神さまの栄光を受けることができないことを明らかにしま した。いけにえの体制はすべて影でした。神さまが彼らにお与えになったのは文字通りの幕屋でしたが、そ れは、今日キリストが奉仕しておられる本当の幕屋の影でしかありませんでした。

言い換えれば、ここまで私たちにはもっとすぐれた祭司があることを見てきました。私たちには、よりすぐ れたいけにえがあります。私たちには、よりすぐれた幕屋があるのです。このすべては、青銅の洗盤の向こ うに集中します。なぜなら、キリストがこの3つのすべてであられるからです。主は、そこで奉仕しておられる よりすぐれた“祭司”です。主はよりすぐれた“いけにえ”です。主はご自分自身をおささげになりました。そし て主は、よりすぐれた“幕屋”で奉仕しておられます。なぜなら、主は、あなたの罪と私の罪のために、ご自 身の血をおささげになったからです。

この時点で私は、私の書いた“幕屋―神さまの描かれたキリストの肖像(The Tabernacle, God’s Portrait of Christ)”をご紹介したいと思います。その中で、私はもっと詳細に入って行っています。そして 私は、キリストが文字通りにご自分の血を天でささげられたという立場を取っています。主がマリヤに現れた とき、主はそのことをしに行かれるところだったというのが私の意見です。

(ヨハネ20:17)「イエスは彼女に言われた。『わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ 父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに「わたしは、わたしの父また あなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る」と告げなさい。』」

主はそのとき、私たちの大祭司であって、文字通りにご自分の血を天にささげに行かれるところだったと思う のです。そして、主が私たちの贖いのために支払われた代価(の大きさ)を私たちに思い起こさせるために、

主の血は、永遠を通してそこにあると信じています。私の本が最初に出版されたとき、あるクリスチャンの雑 誌が書評をしました。評論家はその本を推薦してくれましたが、私がこの文字通りの見解を持っていることを 警告していました。評論家は、露骨な概念であると言いました。いやあ、私はキリストの血は露骨だとは思い ませんね。地上で流されたときにも、天でささげられたときにもそうです。教養のある人物だとは言われない であろう、シモン・ペテロは、主の血を“尊い”血と呼びました。

何年も前の話ですが、上流社会の気品のある老婦人が、東部のある偉大な説教者に近づいて来ました。

彼女は柄付きめがねを通して彼を見ながら、次のように言いました。

「あなたが、前の説教者のようではないことを願いますわ。あの方は多少古臭くて、やけに血を強調しました のよ。血は、私の審美的な性質にそぐいませんの。血だなんて、露骨だと思われません?」

(2)

彼女に対するこの説教者の答えはこうでした。

「奥様。私の罪とあなたの罪以外には、私はキリストの血に関しては何ひとつ露骨だとは思いませんよ。」

私は心からこの人に同意します。私は明確に、独断的に言わせていただきます。キリストが私たちを贖うた めに支払われた恐ろしい代価を私たちに思い起こさせるために、主の血は今も天にあり、永遠にそこにある と信じています。

「さらにすぐれた約束に基づいて制定された」と書かれています。旧約聖書にさかのぼると、神さまはモ ーセの律法をお与えになり、イスラエルの人々がその律法を破ったとき、彼らはいけにえを携えて来ました。

神さまがモーセの律法と、幕屋の儀式を通して神さまに近づく指図をお与えになる“前”は、彼らはアブラハ ムがしたように、信仰によって神さまのところに来ました。それからアブラハムの時代の前にさかのぼると、

ノアは全く違った基礎によって(行動して)いることが分かります。知的に聖書を読んでいくと、神さまが違う 時代には違う方法で人々を取り扱っておられることに気づかずにはいられないと思います。そのことをディス ペンセイション(摂理主義)と呼びたくないのなら、あなたのことばを使ってかまいませんが、もし聖書の無謬 性を受け入れ、聖書が神さまのみことばであることを信じ、聖書を正確に読むなら、あなたはディスペンセイ ションの体制に直面します。

ヘブル人への手紙の著者は、今私たちは「さらにすぐれた約束」に基づいた、「さらにすぐれた契約」を 持っていると言います。あなたも私もクリスチャンとして、その一部とされたのですが、神さまはイスラエル民 族を見捨ててはおらず、これらの「さらにすぐれた約束」は、将来の千年王国において、彼らのために成就す るのです。

旧約聖書の預言を読むとき、神さまがイスラエルの子らを彼らの地に戻されるという事実から逃れるこ とはできません。私が見る限り、現在の、ユダヤ人たちのイスラエルへの帰還は、預言の成就ではありませ ん。例えば、次のエレミヤの預言を見てください

(エレミヤ30:18)「【主】はこう仰せられる。『見よ。わたしはヤコブの天幕の繁栄を元どおりにし、その 住まいをあわれもう。町はその廃墟の上に建て直され、宮殿は、その定められている所に建つ。』」

それから、エレミヤ書31:8には、次のように書かれています。

(エレミヤ31:8)「見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中には 目の見えない者も足のなえた者も、妊婦も産婦も共にいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。」

この節には、ロシアである北の国が言及されています。今日、ユダヤ人たちはロシアから出るのに大変な思 いをしています。でも、神さまが介入されるとき、ロシアから出てパレスチナに行くことは、何の問題もなくなり ます。エレミヤ書を続けて読んでいくと、次のように書かれています。

(エレミヤ31:10-11、アンダーラインは著者による)「諸国の民よ。主のことばを聞け。遠くの島々に告 げ知らせて言え。『イスラエルを散らした者がこれを集め、牧者が群れを飼うように、これを守る。』と。主は ヤコブを贖い、ヤコブより強い者の手から、これを買い戻されたからだ。」

今日イスラエルは、神さまの贖いのもとにはいません。彼らは神さまから遠く離れています。でも、その日が やって来たとき、神さまがこの人々と結ばれるさらにすぐれた契約の上に、さらにすぐれた約束があるとヘブ ル人への手紙の著者が話していることが成就します

(エレミヤ31:31-33、アンダーラインは著者による)「見よ。その日が来る。――主の御告げ。――その 日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖の手 を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であった のに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。――主の御告げ。――彼らの時代の後に、わたしがイスラエル の家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ。――わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを 書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」

(3)

実際に神さまが言っておられるのは、次のようなことです。

「わたしは以前彼らに契約を与え、冷たく固い石の上にそれを書いた。彼らはそれを守ることができなかった。

でも今、わたしは契約をこころの肉の板の上に書きしるそう。」

神さまは、今現在まで、そのことをしてはおられません。私がこの文章を書いている今、私はイスラエルの地 から帰ってきたばかりですが、神さまに立ち返ることを見ることは全くありませんでした。私が会う特権にあ ずかった、ツアー・ガイドのひとりは、とても魅力的で人好きのする人物でした。彼に証しをしたあと私は言い ました。

「キミがボクにイエスさまのことを話しているべきなんだよ。キミはユダヤ人で、主が生きておられたこの地に 生きているんだ。主は世界の罪のために死なれた。ボクは遠くからやって来たかわいそうな異邦人なんだ。

キミがボクに主のことを話しているべきじゃないか。それなのに、ここでボクがキミに話しているなんて!」

彼はただ笑っただけでした。言わせていただきますが、 この約束に従えば、ユダヤ人たちは自分たちの地 に戻ってはいません。でもいつの日か、エレミヤの預言は成就します。彼に耳を傾けてください。

(エレミヤ31:34)「『そのようにして、人々はもはや、「主を知れ。」と言って、おのおの互いに教えない。

それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。――主の御告げ。――わたしは彼 らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。』」

ヘブル人への手紙の著者が話しているのは、このことなのです。新しい契約は、さらにすぐれた約束の上に 立てられます。キリストは、さらにすぐれた契約の仲介者です。なぜなら、その契約にはさらにすぐれた約束 が含まれているからです。

(ヘブル8:7)「もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、後のものが必要になる余地はなかった でしょう。」

「もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら」と書かれています。最初の契約は、十分なものでは ありませんでした。それで、さらにすぐれた契約のための必要が出て来たのです。

「それでは、古い契約は間違っていたんですね。」

という人がいます。いいえ、そうではありません。

次の節に耳を傾けてください。

(ヘブル8:8)「しかし、神は、それに欠けがあるとして、こう言われたのです。『主が、言われる。見よ。日が 来る。わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が。』」

「しかし、神は、それに欠けがあるとして」(訳注:英語ではFor finding fault with them で、「彼らに欠け があるとして」となっています。)「しかし、神は、“彼らに”欠けがあるとして」とあり、“それ(契約)”に欠けが あるのではないのです。神さまの契約に問題があったことは、一度もありませんでした。神さまの定めには、

何ひとつ間違ったことはありません。でも、あなたや私には大いに問題があります。あなたも私も、律法を守 ることはできません。私たちには、律法の要求を満たすことができないのです。

「見よ。日が来る。わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が。」と書かれています。

さっき、エレミヤの預言の中にそのことが書いてあったことを読んだばかりですし、そのほかの預言者の中 にもそのことについて書いてあるのを読むことができます。

(ヘブル8:9)「『それは、わたしが彼らの父祖たちの手を引いて、彼らをエジプトの地から導き出した日に彼 らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約を守り通さないので、わたしも、彼らを顧みなか ったと、主は言われる。』」

人々は最初の契約を破りました。最初の契約は、彼らにその契約が要求していることをできるようにはさせ てくれませんでした。

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(ヘブル8:10)「『それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。

わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼ら はわたしの民となる。』」

新しい契約は、彼らがそれに従うことができるように、石の板にではなく、彼らの心に書きしるされます。

(ヘブル8:11-12)「『また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、「主を知 れ」と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからで ある。なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。』」

完全な、罪の赦しが行われます。完全な免罪です。

(ヘブル8:13)「神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びた ものは、すぐに消えて行きます。」

ですから、私たちはモーセの律法のもとにはありません。神さまは、モーセの律法は旧式モデルで、神さま が新式モデルをもたらされたと言われます。神さまは、私たちの救い主である主イエス・キリストを通してこ の新しい契約を結ばれました。もう一度繰り返しますが、神さまがそうされたのは、古い契約に何か問題が あったからではなく、私たちに何か問題があったからなのです。今日私は、古い契約に戻ってきた人々のこ とを気の毒に思います。彼らは安息日を守ろうとし、またモーセの律法を守ろうとしています。ああ、もし彼ら が本当に学び、正直であるなら、彼らは自分たちがモーセの体制を守っていないことを“知っている”はずな のです。彼らは期待にそいません。私たちすべては、“あわれみ”を求めて神さまのもとに行き、神さまの新 しい契約のうちに、救い主という対策を受け入れる必要があるのです。

律法は、人間のうしにどんな良いものをも生み出すことはできませんでした。パウロは、

(ローマ7:18)「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。・・・」

と言うことができました。そして、そのことばは聖書のことばであり、正確なのです。人間は完全に堕落してい ます。それは、お向かいの人や、道路のあっちの角の向こうの人のことを意味しているだけでなく、また、公 然とした罪の中に生きている人たちのことだけを意味しているのではないのです。“あなた”や“私”のことを 意味しています。今、聖霊は、不可能なことをすることがおできになります。聖霊は、弱く罪深い肉(flesh、私 たちの肉の意)の中に、聖なる生活を生み出すことがおできになるのです。

ありふれた出来事を使って、このことを説明して見ましょう。

ある主婦が、お昼の食事に出すために、朝食のすぐあとにロースト・ビーフをオーブンに入れたとしまし ょう。時間がたって、電話が鳴ります。電話は、ジョー・ドークスの奥さんからでした。ドークスさんは、

「ねえ、聞いた?」

と言って話を始めます。さて、この主婦は聞いたことがなかったので、聞きたいと思いました。彼女は椅子を 引っ張り出します。女性とは、電話に答えるときに椅子を引っ張り出す人のことと定義した人がいます。ドー クスさんには話すことがたくさんあって、小1時間が過ぎて行きます。ついに、この良い主婦は、

「ああ、ドークスさんすみません。電話を切らないと。ローストが焦げてる匂いがします!」

彼女は電話を切り、台所に飛んで行って、オーブンを開けます。そして、フォークを取って、ローストを持ち上 げるためにそのフォークを刺しますが、ローストはばらばらになりそうです。彼女にはローストを持ち上げるこ とができません。彼女はもう一度、今度は骨の近くにさして持ち上げようとしますが、やっぱりばらばらになっ てしまいそうです。そこで彼女はフライ返しを取ります。フライ返しをローストの下に入れて、やっと持ち上げ ます。ごらんのように、肉が弱かったのでフォークにはできなかったことが、フライ返しにはできます。

さて、フォークに問題があるのではありません。このフォークは良いフォークです。でも、フォークは肉を持 ち上げることができませんでした。なぜなら、肉の方に問題があったからです。この肉は焼けすぎていたの です。フライ返しが、フォークのできなかったことをするのです。

この中で、律法はフォークのようなものです。肉(flesh)に対しては弱いものです。律法はただ単に、私 たちを持ち上げません。持ち上げることが“できない”のです。でも、新しい原則が紹介されました。聖霊です。

(5)

律法にはできなかったことが、聖霊にはおできになります。ですから、あなたも私も救われて、この新しい原 則によってクリスチャン生活をするべきなのです。私たちには、さらにすぐれた約束に基づいた新しい契約 があります。神さまは私たちに聖霊をくださり、私たちのとりなし手であるキリストは、私たちを助けてくださる ために、今日天におられるのです。

この箇所は、とてもすばらしい聖書の箇所です。ミルクはあなたに良いものであって、みことばの中には ミルクもありますが、もし、ミルクばかりの食事から卒業したいのなら、ミルクと一緒にいくらかの肉(meat、

硬い食物の意)を食べることができるように習ってください。肉(meat)は、生けるキリスト、主の昇天、そして 天における、あなたや私のための主のとりなしに強調点を置きます。私たちが生けるキリストを捕まえたとき、

私たちは高みにたどり着いたのです。自分たちが住んでいるこの世代に私たちがたどり着ける、最高の場 所なのです。

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