世界ラテン化における抵抗の拠点をめざして(森一郎)
ⓒ Heidegger-Forum vol.1 2007
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世界ラテン化における抵抗の拠点をめざして
― ハイデガー・フォーラムの挑戦 ―
森 一郎(東京女子大学)
二〇〇六年九月十六日、十七日の二日間、東京大学本郷キャンパスにて、ハイデガー・
フォーラムの第一回大会が開催された。クラウス・リーゼンフーバー氏(上智大)の開会 の辞にはじまり、「哲学の終焉と思索の課題」を統一テーマとして、初日から活発な討議が 繰り広げられた。二日目は「デリダ ― ハイデガーと現代フランス哲学Ⅰ」の特集を組み、
港道隆氏(甲南大)の発表「世界ラテン化におけるハイデッガーとデリダ」でしめくくら れた。会員(=賛同人)の参加者九〇名弱に加え、一般参加者(高校生含む)も二日間の 延べで一四〇人に達し、盛況のうちに創立大会を終えられたことを、二年以上にわたる創 設準備に携わってきた実行委員の一人として、嬉しくまた誇りに思う。
哲学者の名を冠した学会・研究会は日本に数多くあるが、これまでハイデガー研究に関 しては、その種の組織は、少なくとも全国規模では存在しなかった。マルティン・ハイデ
ガー(1889-1976)が二十世紀を代表する哲学者の一人であり、彼の思索が、田辺元や三木
清以来、近代日本哲学史のよき伴侶であったことを思えば、これは意外な事実である。と はいえ、ハイデガー・フォーラムは、たんなる哲学専門研究組織にとどまるものではない。
哲学の意味を終生問い続けたハイデガーの思索を機縁として、現代における哲学の可能性 を信じる者たちが一堂に会し、旧来の学会的囲い込みを取り払って、自由かつ熾烈な議論 を心ゆくまで戦わせること、ここにわれわれの「フォーラム」の狙いはある。
第一回の統一テーマは、ハイデガーの名高い同名論文(一九六四年)から採られた。こ の題名に示された問題状況は、依然として変わっていない。いや、「哲学の終焉」という言 葉がもはや陳腐に響くほど、考えるという営みに対する不信と絶望は世に広がっている。
これは、大学で哲学科の解体の進む学界内部のリストラ問題にとどまるものではない。も のを考えても何の役にも立たないし健康にも悪いからやめとけと、大人が若者に勧告する 時代なのである。考えることを次世代にやめさせるような人たちは、いったい何を考えて いるのか。思考をめぐるそうした殺伐たる現状から、われわれは出発している。
トクになろうがなるまいが、考えたくなる欲望。「そもそもXとは?」という問いと応 答にふけるときの、うずくほどの快感。結論の出ない議論にうつつを抜かすことの贅沢な 喜び。これは一度味わったらやめられないし、やめろと言われるなら、いっそ人間やめた ほうがいい。われわれのフォーラムは、そう言い放つひま人たちの砦でありたい。
港道氏は基調発表のなかで、ハイデガーの技術批判を承けてデリダが「世界ラテン化」
とあえて呼んだ、いわゆるグローバル化の時代にあって、その巨大な運動への応答=責任 として一人一人がいかなる抵抗の拠点を見出すかが、思考の課題であると述べた。哲学的 討論の時空であるハイデガー・フォーラムが、ものをしつこく考え続ける阿呆どもの広場
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として、無思考の時代へのささやかな抵抗の拠点となればと願う。目標への道はなお険し いが、その緒に就けたことだけは確信している。われわれは今回、「終わり」ではなく「始 まり」を迎えたのであり、かつ将来に向けて「約束」を交わしたのだから。
※ 附記
小文は、ハイデガー・フォーラム第一回大会開催後、朝日新聞記者渡辺延志氏から依頼を受けて 書いた報告文であり、若干の修正をへて、2006年10月3日夕刊文化欄(11頁)に、「ハイデガー・
フォーラムの挑戦 無思考の時代への抵抗」と題して掲載された。第一回フォーラムの一記録と して、ここに収録させていただくことにした。われわれのフォーラムの活動に関心を寄せてくだ さり、紙面に取り上げることに尽力を惜しまれなかった渡辺氏に、この場を借りて御礼申し上げ たい。