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連想の連鎖と比喩の実現の暗示

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連想の連鎖と比喩の実現の暗示

――安房直子作「だれにも見えないベランダ」の分析――

山越 夢子

はじめに

本稿は、安房直子作「だれにも見えないベランダ」を取り上げ、作中の野菜、いち ご、ばらの花、ベランダと贈り物の包紙の空色、白いねこという、暗示的な〈もの〉

の役割を分析する。この分析によって、連想の連鎖と比喩の実現の暗示という仕組み があることを明らかにし、実際に語られるストーリーと連動しながら進む、隠れた作 品の推進力があることを示す。

本稿の論点を述べるためにまずは、「だれにも見えないベランダ」のストーリーを 確認したい。

お人よしの大工さんは、いつでも報酬のないちょっとした頼まれ仕事に追われてい た。ある晩、大工さんが借りている二階の部屋の窓ガラスの外に、白いねこがやって くる。ねこは、お世話になっている娘さんの部屋に、ベランダを作って欲しいと言 う。大工さんはこれは夢ではないかと思うが、翌朝外にいるすずめや鳩にも、「ベラ ンダをつくってくれますね」(170)と言われる。ねこや鳥たちに伝えられたアパート の前に行くと、昨夜のねこがいる。大工さんが娘の部屋の窓に空色のベランダを作り あげ、ねこがまじないの歌を歌うと、「内側からしか見えないベランダ」(171)が出 来上がった。日が暮れて、ベランダを作った部屋の窓が開けられ、髪の長い娘が顔 を出す。娘は驚いたように屋根の上を見渡すが、やがて「なんて、すてきなベラン ダ!」(174)と叫んだ。その姿を、大工さんはアパートの外から見ていた。数か月 後、大工さんのもとに、空色の紙と紐で包まれた小包が届く。包みには「かおりのい い緑の野菜」(174)が入っており、「ベランダでとれた野菜です/ベランダをつくっ ていただいたお礼です」(175)と書かれたカードが添えてあった。大工さんはこの野 菜でサラダを作って食べる。五月になると、ベランダでとれたいちごがカードと一緒 に届き、大工さんはいちごを食べる。六月には、ベランダに咲いた赤いばらがカード と一緒に届き、大工さんはばらを飾って眠る。むせかえるほどのばらの匂いの中、窓 を叩く音で大工さんが目を覚ますと、白いねこが言う。「大工さん、おむかえに来ま した。空色のベランダにのって、遠いところへ行きませんか」(178)。大工さんが外

論  文

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を見ると、空色のベランダが空にうかんでいる。紅ばらが咲きあふれるベランダに は、髪の長い娘が立って手を振っている。娘の肩には鳩たちがとまり、すずめの群れ がばらの葉をついばんでいる。大工さんがねこを抱き上げてベランダに乗り移ると、

ベランダは飛んで行く。そして、「いつかほんとうに、だれにも見えなくなりました」

(179)という語り手の言葉で、この話は結ばれている。

作中の贈りものは、大工さんが娘の部屋にベランダを作ったことに対する礼として 届けられている。贈りものの中身は、空色の紙に包まれた、野菜・いちご・赤いばら である。これらの意味深長な〈もの〉と、白いねこによってベランダに招かれる結末 との因果関係は説明されていない。しかし、贈りものと、ベランダ・小包を包む紙の 空色、白いねこは、作中で、ある役割を担っている。その役割とは、〈向こう側〉と でも呼ぶべき領域のルールを、大工さんの日常領域に持ち込むことである。

〈向こう側〉とは、大工さんの日常領域である〈こちら側〉の外にある領域であ り、この〈向こう側〉のルールは、大工さんや我々読者の日常生活を支配しているよ うな因果関係には支えられていない。そのため、〈向こう側〉のルールは、言葉とい う日常の秩序に不可欠なツールで直接説明されるのではなく、連想の連鎖と比喩の実 現の暗示によって言外に展開される。

連想の連鎖とは、作中のある〈もの〉と、その〈もの〉自体の意味から連想された 別の事物が次々に結びついてゆくことである。また比喩の実現の暗示とは、比喩でし かなかったはずのことが、作中で実現することが暗示されていることである。

〈もの〉の役割を明らかにすることは、〈向こう側〉のル―ルが大工さんに作用する 仕組みを明らかにすることである。そして〈向こう側〉のル―ルが作用する仕組みを 明らかにすると、大工さんがベランダの内側という〈向こう側〉に入るためのルール も明らかになる。

本論に入る前に、「だれにも見えないベランダ」の先行研究を確認する。まず、小 峰紀雄による、青という色彩についての指摘から確認したい。小峰は、「安房さんの 作品には、キーワードとしてしばしば青が出てくる」(小峰、14)と述べ、その例の 中に「だれにも見えないベランダ」の空色のベランダを挙げている。続けて小峰は、

「日本の古代では、青は死者とつながる常世の色であるという」(小峰、14)とも述べ た。作品のタイトルにもなっているように、「だれにも見えないベランダ」の中心と なる場は空色のベランダである。このベランダに乗って大工さんたちが向かう「遠い ところ」は、まさに小峰の言う「常世」のような、大工さんの日常領域としての〈こ ちら側〉の外にある、〈向こう側〉の世界であることが暗示されている。そしてこの 世の外側に行くことは、この世の内側にいる者から見れば他界することと同義であろ う。この世からは見えなくなった者たちを〈向こう側〉へ連れて行くためのベランダ

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は、「常世」の属性である青色でなければならないのだ。

「だれにも見えないベランダ」における空色が持つ意味については、以下に引用す る大沼郁子の先行研究でも指摘されている。大沼はベランダの空色について、「見え るものに、自然界と同じ色を付与することで、見えないものへと昇華させている」

(大沼、19)と述べた。また大沼は、「他人には見ることができない、空と同化したベ ランダになる」(大沼、19)とも述べた。ここで大沼は、ベランダを空という自然の 色と同じ色にすることで、ベランダと空が同化し、見えていたものが見えないものに 変わることを指摘している。ベランダと空が似た色であるために見えづらくなるとい う現象は、現実に起こりうる。しかし「だれにも見えないベランダ」では、ねこのま じないの後、実際に外側からは見えないベランダが具現する。この具現は、ベランダ が空色であるからこそ可能になる。ある青色を表すための比喩としての「空色」とい う名前が、本物の空とベランダが「同化」するための鍵を握っているのだ。

ベランダという場で大工さんと娘が出会う理由については、川端有子が「境界領 域」という視点で読み解いている。川端は、ベランダが「屋内と屋外の境界領域」で あるとともに、「プランターを置いてベランダ園芸を楽しめるなどということから、

空中にありつつ地面の代わりを果たすという意味では、空と地面の境界領域ともいえ る」(川端、346)と述べた。この指摘には、ベランダを境界領域として捉える視点が ある。また川端は「だれにも見えないベランダ」について、「橋の上、海辺、村境な ど境界領域とされるところは、その昔から不思議なことが起こりうる両義的な場所で あった。/働き者で、心優しく、しかし孤独という共通点をもった大工さんと少女の 心が、ネコ、スズメ、ハトの助けで出会ったのが、この空色のベランダ――家の中で あって外でもある、家なのに空があり地面がある場所――だ」(川端、347)と述べ た。ここでは、大工さんと娘には「働き者で、心優しく、しかし孤独という共通点」

があること、そして二人が、「不思議なことが起こりうる」境界領域としてのベラン ダで出会うことが指摘されている。

このように、「だれにも見えないベランダ」における主要モチーフであるベランダ という場についての分析は、小峰・大沼・川端らによって進められている。そのため 本論文では、ベランダ以外の重要なモチーフである贈りものと白いねこを中心に分析 を行うことにする。しかし分析の過程では当然、ベランダの役割にも触れることにな る。

贈りものである野菜・いちご・ばらの花は、すべて植物である。安房作品における 植物については、酒井角三郎の指摘がある。酒井は安房作品について、「植物幻想が 物語を支配し、木や草の妖精が物語の主人公となることができる」(酒井、49)と述 べた。確かに、安房作品では花などの植物が「物語を支配」するほどの力を持つこと

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がよくある。このような安房作品の中で「だれにも見えないベランダ」について酒 井は、次々に送られて来る植物や、かぐや姫のように昇天するベランダの娘に注目 し、「幻想物語や妖精物語の質を左右するのは、とりわけ中心となるイメージの純度 の高さであり、その意味で彼女の作品は、どこかで読み聞きしたような多くのモチー フに飾られながら、なお決して借りものではない独自の光彩で輝いているのである」

(酒井、49)と述べた。ここで注目したいのは、「どこかで読み聞きしたような多くの モチーフに飾られながら」も、「独自の光彩で輝いている」と指摘されている点であ る。「だれにも見えないベランダ」では、植物は、自身の既存の印象や象徴性を利用 し、そこから連想される内容を作中に具現することによって、物語の展開を進める役 割を果たしていると筆者は考えている。そこが、酒井の言う「独自の光彩」に関わる 部分ではないだろうか。

本論文が先行研究に加える新たな研究成果は、「だれにも見えないベランダ」にお ける暗示的な〈もの〉の役割を分析することで、実際に語られているストーリーと連 動しながら進む、隠れた作品の推進力としての、連想の連鎖と比喩の実現の暗示とい うルールがあることを明らかにする点である。

1 .心身の変化と、他界へ旅立つ儀式

「だれにも見えないベランダ」では、ベランダを作った大工さんのもとに小包が届 く。一見すると、何故野菜・いちご・ばらの花が大工さんに贈られたのかは不明であ る。しかしこれらは、大工さんがベランダの内側に入るための重要な役割を果たして いる。その役割とは、大工さんが「ふしぎなベランダ」に乗るため、彼に心身の変化 と他界へ旅立つ儀式を通過させることである。本章では、暗示的な〈もの〉として描 かれている野菜・いちご・ばらの花という贈りものから展開する、連想の連鎖と比喩 の実現の暗示によって、大工さんが〈向こう側〉のルールに適応してゆく仕組みと過 程を解読する。

1-1.心身に変化をもたらす野菜・いちご

大工さんのもとに届いた最初の贈りものには、次のようなカードが添えてあった。

「ベランダでとれた野菜です。/ベランダをつくっていただいたお礼です」(175)。包 みの中の野菜は、大工さんが娘の部屋に作ったベランダでとれたものだという。大工 さんがこの野菜を食べる場面は、次のように書かれている。「ふしぎなベランダでと

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れた野菜は、あまく、みずみずしく、ひと口食べるごとに、体がすきとおっていくよ うでした」(175)。ここでは、野菜の甘さやみずみずしさから、「体がすきとおってい くよう」な感覚が連想されている。一見するとただの比喩のように見える表現だが、

ここでは何か別のものが暗示されている。「あのだれにも見えないベランダに、よく まあこれだけの、ほんものの野菜が育ったものです」(175)と書かれたことで強調さ れているように、この野菜はただのベランダではなく、「だれにも見えない」「ふしぎ な」ベランダでとれたという点で、あのベランダと通じるようなふしぎさを持つこと が予想できるからだ。

「体がすきとおっていく」ことは、外側から見れば、姿が見えなくなることでもあ る。ここから当然、まじないによって見えなくなったベランダが連想される。大工さ んの体は、外側からは見えなくなったあのベランダと共通点を持ち始めているのだ。

ここでは、野菜の甘さやみずみずしさから「体がすきとおっていくよう」な感覚が連 想され、この感覚から見えなくなったベランダが連想されるという連想の連鎖が起 きている。この連想の連鎖によって、野菜を食べた大工さんとベランダが、「すきと おっていく」という共通点で結びついている。また、見えなくなったベランダと共通 点が生まれたことによって、比喩であったはずの「体がすきとおっていくよう」な感 覚が、実際に大工さんの体に作用するかのように仄めかされている。これが比喩の実 現の暗示である。このような連想の連鎖と比喩の実現の暗示は、野菜を食べたときに 偶然起こったことではなく、残り二つの贈りものの場面にも現れている。

大工さんのもとに届いた二つ目の贈りものであるいちごにもやはり、カードが添 えてある。「ベランダでとれたいちごです。/ベランダをつくっていただいたお礼で す」(176)。大工さんがこのいちごを食べる場面は、次のように書かれている。「い ちごは冷たく、かおり高く、ひと口食べるごとに、体が軽くなっていくようでした」

(176)。「体が軽くなっていく」ことは、体が重さを失っていくという意味では体が消 えてゆくことに似ている。また、体が重さを失うことは、結末で空に浮かぶベランダ に乗って飛んで行く準備のようでもある。いちごを食べたときの大工さんの感覚から も、野菜を食べたときと同じように、外側から見ると消えてしまったように見えるあ の空飛ぶベランダが連想されるのである。ここでも、いちごの冷たさや香り高さか ら、「体が軽くなっていくよう」な感覚が連想され、この感覚から見えなくなったベ ランダが連想されるという連想の連鎖が起きている。この連想の連鎖によって、いち ごを食べた大工さんの感覚とベランダが、「軽くなっていく」という共通点によって 結びついている。そして共通点が生まれたことによって、比喩であったはずの「体が 軽くなっていくよう」な感覚が、実際に大工さんの体に作用するかのように仄めかさ れている。これも比喩の実現の暗示である。

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ベランダでとれたものを食べたことで、大工さんが認識している自分の体が、「だ れにも見えないベランダ」(173)という存在に近付いていくこと、それが野菜やいち ごが、大工さんに及ぼした作用である。

なぜベランダの食べものを食べたことでこのような作用が起こるのだろうか。安房 直子作品における食べものを食べるという行為について藤本芳則は、次のように述べ ている。「安房童話では、『食べる』ことが、重要な意味をもって扱われることがあ る。もう少し詳しくいえば、食べることで、その食べ物を提供した世界の属性を身に 帯びることになるのである」(藤本、43)。「だれにも見えないベランダ」を藤本のこ の指摘に当てはめてみると、「食べ物を提供した世界」とはベランダの内側であり、

「食べ物を提供した世界の属性」とは「内側からしか見えない」ことであると考えら れる。現在自分がいる〈こちら側〉とは異なるルールを持つ、〈向こう側〉とでも呼 ぶべき領域でとれたものを食べるということは、その領域の中で生きるために、その 領域のルールに適応した体へと変化するということでもある。野菜といちごを食べた ことで、大工さんの体は、「内側からしか見えない」ベランダに入るための準備を整 えられたのだ。

しかし、ベランダに入るための準備を整えられたのは、体だけではない。いちごを 食べたときの大工さんの気持ちは、次のように描かれている。「このとき、大工さん は思ったのです。/どこか遠いところへ行ってみたいなあと。/さばくのまん中に、

星までとどく塔を建てたいと願った少年の日の夢が、今、大工さんの胸にふっとよみ がえってきました。/屋根しか見えない露路裏の二階に、たったひとりで住んで、も う何年になるでしょうか。せせこましい仕事場で、軒と軒のくっつきそうな家をつく りつづけて何年になるでしょうか……ああ、金づちの音が、かーんと、天にも地にも ひびきわたる、そんな所へ、飛んでゆきたい……」(176)。ここでは、「遠いところ」

へ行きたいという願いと、少年の頃の夢が思い浮かんでいる。そしてこの理想と現状 の差が意識されている。いちごを食べたことに触発され、心にも何かが作用している のだ。

大工さんがいちごを食べたときに、唐突にこのような思いが浮かんできた理由は、

直接は語られていない。しかしここでも、連想の連鎖によって野菜・いちごと他の事 物が結びつくことで、理由が暗示されている。ベランダでとれた野菜やいちごは、そ れを育てたであろう娘を連想させる。彼女の存在は、「たったひとり」でいる大工さ んの現状を変えてくれる可能性を持っている。また、いちごを食べたときの「体が軽 くなっていくよう」な感覚から、空を飛ぶことが連想される。「飛んでゆきたい」と いう非現実的な願いが向かう先は、非現実的な「どこか遠いところ」である。その場 所は、単に距離が離れているだけの「どこか」ではない。どこに移動したとしても、

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また今の日常が違う場所で続くだけだ。しかも、「さばくのまん中に、星までとどく 塔」を建てることなど技術的にも金銭的にも不可能であることは、大工であり貧乏 である彼が一番よくわかっているはずだ。だからこそ大工さんは、「露路裏の二階に たったひとり」で住み、「せせこましい仕事場で、軒と軒のくっつきそうな家」を作 り続ける日常では叶えられない夢を実現できる場所へ行きたいと思うのだ。「いちご を食べながら、大工さんの心は、遠い世界へあこがれる思いで、いっぱいになりまし た」(176)と書かれたとき、大工さんの望みは、商売によって金銭を得て生活する日 常の仕組みが及ばない、「遠い世界」へ行くことである。「だれにも見えない」ベラン ダの内側に入ることは、日常の仕組みから「見えない」存在になることで、「遠い世 界」という〈向こう側〉の仕組みの側へ行くための乗り物に乗り込むことなのだ。

このように、いちごから次々と別のものに繋がってゆく連想の連鎖の展開によっ て、大工さんには、現在の暮らしから飛び立ち、「たったひとり」ではない「遠い世 界」へ行きたいという気持ちが生まれている。ベランダの内側という〈向こう側〉で できた食べものが大工さんに適応するルール、つまり連想の連鎖と比喩の実現の暗示 は、〈こちら側〉のルールではなく、〈向こう側〉のルールである。体だけでなく、心 にも変化が起きたことで、大工さんが娘のいる空飛ぶベランダの内側に入る準備は整 いつつある。

1-2.他界へ旅立つ儀式のためのばら

野菜といちごという食べものは、どちらも元々の性質として、その成分によって人 間の体に働きかけるものだ。この食べものとしての性質に加えて、野菜といちごは植 物としての性質も併せ持っている。植物もその成分によって人間の体に働きかけるも のであり、特に香りが精神にもたらす効用が特徴的である。包みが届いたとき、「か おりのいい緑の野菜」(174)という表現や、「いちごは冷たく、かおり高く」(176)

という表現で書かれているように、野菜といちごは香りの良いものとして描かれてい る。この二つの贈り物は植物であると同時に食べものであったが、最後の贈りもので あるばらの花は、食べものではなく、鑑賞用の植物である。それゆえ、植物の香りの 効用が前面に表れた贈りものとして描かれることになる。

大工さんのもとに届いた三つ目の贈りものにも、例のカードが添えてある。「ベラ ンダで咲いたばらです。/ベランダをつくっていただいたお礼です」(177)。そして このばらの場面は、以下のように描写されている。「今度は、細長い木の箱で、中に は、どっさりの赤いばらが、眠っていました(…)大工さんは、ばらの花を、自分 の部屋にかざりました。そして、その夜は、花のかおりにつつまれて眠りました」

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(177)。この場面では、ばらが入った箱に「細長い木の箱」という説明が与えられて いる。そしてこの箱の中には、赤いばらが「眠って」いたと書かれている。この表現 から連想されるのは棺と、その中に眠る者だろう。この後「どっさりの赤いばら」を 飾った部屋の中で眠ることになる大工さんのミニチュアであるかのように、この小包 は大工さんのもとに届いた。赤いばらの花に囲まれて、部屋の中で眠る大工さんの様 子から連想されるのは、葬儀である。木の箱の中のばらから棺の中の死者が連想さ れ、このばらの様子が、ばらを飾った部屋で眠る大工さんの姿と結びつき、大工さん の葬儀が連想される。ここでも、連想の連鎖が展開している。では何故、大工さんと 死者の葬儀が連想の連鎖によって結びつけられたのか。

結末で、大工さんが語り手や読者のいる〈こちら側〉からは見えない存在になって

「遠いところ」へ消えていく結末を考えれば、大工さんは〈こちら側〉から見れば、

他界した死者として認識されるはずである。棺と死者の比喩であるかのような「細長 い木の箱」の中で「眠って」いた赤いばらという描写が、「どっさりの赤いばら」を 飾り、香りに包まれて眠る大工さんの描写と並べられることで、比喩でしかなかった はずの死者という要素が、大工さんにも与えられているかのように暗示されている。

この場面でも、比喩の実現の暗示がなされているのだ。

しかし、大工さんのもとに届いたのは、通常の葬儀で用いられるような白を基調と した花ではなく、赤色のばらの花である。この場面は、〈こちら側〉からいなくなる 者を他界へ送り出す疑似的な葬儀の場でありながら、ばらの花の赤色やばらの香りか ら連想される幸福・妖美・甘美なムードに包まれている。ばらの中で眠る大工さん は、死を体験しながら、同時に怪しくも美しく幸福な他界へ旅立つことが予想される のである。

本論文では、赤いばらの香りと色が、幸福・妖美・甘美なムードを醸し出している と捉えた。しかし、ばらの赤色や香りから連想されるものの具体的な内容は、読者に よって捉え方が異なる、多義的な余白を残している。そのため花の色彩や具体的種類 の役割は、そこから連想されるそれぞれの読者の印象によって、場面にムードを作り 出すことであると考えられる。しかし、次に述べるように、ベランダと贈りものの包 紙が空色であることや、大工さんのもとに白いねこが来ることには、ムードの喚起と は別の理由がある。

2 .見えないものになるための仕組みと他界への導き手

贈りものに野菜・いちご・ばらが選ばれた理由と同じく、贈りものが空色の紙で包

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まれている理由もまた、明確には説明されていない。また、大工さんをベランダに導 くねこが白い色をしている理由も不明である。しかし実は、ベランダ・包紙・ねこ自 体から連想されるものと、色彩から連想されるものが組み合わさって、連想の連鎖と 比喩の実現の暗示が行われている。ベランダと包紙の空色は、ベランダに乗った大工 さんが外側からは見えない存在になる仕組みを暗示し、白いねこは、その色と動物の イメージから、大工さんを〈向こう側〉、つまり他界へ導くことを暗示している。本 章では、暗示的な〈もの〉として描かれている、ベランダの空色、贈りものの包紙、

白いねこから展開する連想の連鎖と比喩の実現の暗示によって、大工さんが〈向こう 側〉のルールに適応してゆく仕組みと過程を解読する。

2-1.見えないものになるための空色のベランダ・空色の包紙

ベランダの空色の役割は、ベランダを外側から見えない状態にすることに関わって いる。ベランダが外側から見えなくなる理由ははっきりと説明されていないが、ベラ ンダを「空の色と同じにする」(171)ことと、ねこがまじないをかけることによって 可能となることはねこから説明されている。ベランダの空色は、まじないによって空 色が本当の空の色になるという〈向こう側〉のルールを体現したものである。ある青 色を表す比喩であったはずの空色が、ねこのまじないによって、実際の空の色に変化 する。ベランダの内側を外側からは見えない状態にするためのこの仕組みは、空色と いう色彩による比喩の実現の暗示である。

また、贈りものが包まれている空色の紙からまず連想されるのは、空色のベランダ である。そのため、贈りものとベランダの関連が予想されるわけだが、重要なのは、

贈りものの中身が空色の紙に包まれていることによって、外側からは見えないように なっている点である。これは、贈りものと同じく外側からは見えない空色のベランダ と同じ構造である。しかも、大工さんはこれからベランダに乗って、だれにも見えな い存在になるのだから、空色の小包の中身は、ベランダに乗る未来の大工さんの比喩 のようでもある。このように、ベランダと包紙の空色にも、青・空・ベランダ・大工 さんが結びつくことによる連想の連鎖と比喩の実現の暗示を見てとれる。

2-2.他界への導き手としての白いねこ

ベランダと贈りものの包紙の空色に続いて、ここでは白いねこの役割を見ていく。

そのために、大工さんがばらを飾って眠りにつき、窓を叩くかすかな音で目を覚まし た後の様子を引用したい。

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部屋は、むせかえるほどの、ばらのにおいでした。そして、窓の外には、いつか の白いねこが、ちんまりすわって、こっちを見ていたのです。/ねこは静かに言 いました。「大工さん、おむかえに来ました。空色のベランダにのって、遠いと ころへ行きませんか」/「遠いところへ……?」/大工さんが、ふっと外を見る と、これはまあ、いつかこしらえた空色のベランダが、まるで船みたいに、空に うかんでいるじゃありませんか。それも、大工さんの二階の窓のすぐ近く、手を 伸ばせば、とどきそうなところに(177-178)。

この、「ねこは静かに言いました」という表現や、「おむかえ」という表現は、ねこが 死を告げ他界に導く存在であることを連想させる。安房直子作品において、白い動物 は人間を他界に導く役割を担うことが多い。この他界とは、人間である登場人物のこ れまでの日常、つまり〈こちら側〉とは、別の領域である。本論文では、その領域を

〈向こう側〉と呼んできた。〈向こう側〉から戻らないということは、日常の領域から 存在が消えるという点で、死ぬことと似ている。この、白い動物に導かれて〈向こう 側〉へ向かう展開は、「だれにも見えないベランダ」においても同様である。ベラン ダを作る依頼をしに来た白いねこが、大工さんを、「遠いところ」を目指す「ふしぎ な」ベランダに誘うからだ。

なぜ白いねこが他界への導き手となるのか。まず、白という色彩から考えれば、白 が死者を送る儀式と連想関係で結びついているためである。「だれにも見えないベラ ンダ」においては、ねこが大工さんの部屋に来る場面は、ねこの白さと、夜の闇の色 である黒という色彩の組み合わせで描かれる。ばらの贈りものが棺と眠る人を連想さ せたように、白と黒の色彩の組み合わせもまた、死者を送る葬儀を連想させる。ま た、安房直子作品における白という色彩については、野上暁が、安房の『花豆の煮え るまで――小夜の物語』(偕成社、1993)を例に挙げ、「白という色は、ヤマトタケル が死んだ後に白鳥になって飛び立ったように、死の世界と現世を繋ぐ意味を持ってい る。この作品が、繰り返し死と再生をイメージさせながら、小夜の自立へと導く、

そのための象徴的な仕掛けが随所にはめ込まれているのだ」(野上、41)と述べてい る。「だれにも見えないベランダ」においても、白いねこによって大工さんの部屋と ベランダが繋がれたために、大工さんは〈こちら側〉から見れば死後の世界である

〈向こう側〉へ向かう。この移動は、〈こちら側〉において死ぬことであると同時に、

〈向こう側〉においてまた新たな人生が始まることでもある。このように、ねこの白 色は、死者を送る儀式や、死の世界と現世を繋ぐ者を連想させて、死と再生を暗示す る役割を持っているのだ。

また、ねこという生き物が〈向こう側〉への導き手となるのは、ねこが自由の体現

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者であるからだ。「だれにも見えないベランダ」のねこは、「のらねこ」(168)であ る。野良猫は、決まった家や主人を持たず、どこにでも行けるが、それゆえに死の危 険に近い存在である。死者が行く先であり、〈こちら側〉のルールから自由になるで あろう〈向こう側〉の領域への導き手は、自由・死を連想させる野良猫という存在が ふさわしい。

このねこは、「どこか遠いところへ行ってみたい」という大工さんの心の中の願い に応じるように、「遠いところへ行きませんか」と言う。大工さんが行きたいと思っ た「遠いところ」とは、日常の仕組みが及ばない世界である。そのため、大工さんが

「遠いところ」へ向かうということは、日常世界から他界することを意味する。この ように考えると、ばらを飾って眠りについた大工さんが、無意識のうちに疑似的な葬 式の場面を作り上げた後、他界への導き手である白いねこがやってくるのは、必然的 な流れである。

以上で見てきたように、三つの贈りものによる心身の変化・他界へ旅立つ儀式、ベ ランダと包紙の空色によって示された「見えない」ものになる仕組み、白いねこによ る他界への導きは、大工さんがベランダの内側に入って〈向こう側〉へ行く準備であ る。それは、大工さんが〈向こう側〉のルールに適応してゆく過程でもあった。こ の〈向こう側〉のルールへの適応は、連想の連鎖と比喩の実現の暗示という仕組みに よって可能となっていた。では、この連想の連鎖と比喩の実現の暗示は、「だれにも 見えないベランダ」という作品にとってどのような意味を持っているのだろうか。

3 .連想の連鎖と比喩の実現の暗示という隠れた作品の推進力

本章では、上記で確認してきた「だれにも見えないベランダ」における連想の連鎖 と比喩の実現の暗示についてまとめた後、これらが結末を導くための隠れた作品の推 進力となっていることを明らかにする。

3-1.連想の連鎖と比喩の実現の暗示

安房作品で描かれる事物の中には、それ自体の日常的な意味とは別に、作品の内部 でのみ通用する特別な意味を持つ〈もの〉がある。例えば「細長い木の箱」の中にば らが「眠って」いたという描写は、棺と死者を連想させた後、ばらの中で眠る大工さ んにある種の死が訪れることを連想させる。ここでは、〈もの〉は連想の連鎖によっ て〈もの〉自体の意味から連想された別の〈もの〉と結びついてゆく。そして、「細

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長い木の箱」=棺、「眠って」=死者というような、本来比喩でしかないはずのもの が、大工さんの状況と連想関係にあることによって、大工さんにある種の死が実現す ることを暗示する役割を果たす。これを、本論文では比喩の実現の暗示と呼んでき た。

贈りものの中身である野菜・いちご・赤いばらは、脈絡なくえらばれているように 見えるが、実は作品を展開させる鍵として話の中に配置されている。〈もの〉から連 想されたものが作中の現実となり、物語を動かしてゆくこの仕組みは、日常の法則で はなく、日常とは別の領域の法則である。この連想の連鎖によって次々に〈もの〉が 結びつけられることで、非合理的な結びつきの流れが発生する。非合理的な結びつき の流れは〈こちら側〉のルールから逸脱してゆき、〈もの〉は〈向こう側〉のルール を体現するものとなる。〈向こう側〉のルールは〈こちら側〉の因果関係から外れた ものであるため、言葉では説明できない。だからこそ、連想や暗示という、言外のも のの示唆によって、行間に描き出される。それは、大工さんが、〈こちら側〉のルー ルに支配された意識の外側にある、〈向こう側〉の領域としての「遠いところ」へ行 くためである。

この仕組みを、安房が技法として意識的に使用していたかは分からない。しかし少 なくとも作品内のルールに即して読めば、各〈もの〉の選択には、必然性があること が分かる。

3-2.隠れた作品の推進力

大工さんの部屋の前に現れたベランダは、「遠いところ」へ行くための乗り物であ り、大工さんの無意識と意識の狭間を漂っていた願いが具体的な形をとって現れた場 でもあった。ベランダが大工さんの部屋の窓の外に浮かび、ベランダの内側が大工さ んの前に露わになった場面は、次のように描かれている。

空色のベランダには、いくつもの大きな植木ばちが置かれて、紅ばらが咲きあふ れていました。ばらのつるは、ベランダの手すりにもからみついて、小さいつぼ みの花をつけていました。/そして、咲きこぼれる花の中に長い髪の娘が立っ て、大工さんに、手をふっているのです。娘の肩には、たくさんの鳩がとまって いました。すずめの群れが、ばらの葉を、ついばんでいました。/大工さんの心 は、ぱっと明るくなりました。いいようのない喜びで、胸が、ことことと、おど りました。/「よし、行こう!」(178)

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空中に浮かぶベランダに、咲きあふれた紅ばら。花の中で娘が手を振って待ってい る。たくさんの鳩が彼女の肩に止まり、すずめの群れがばらの葉をついばんでいる。

「たったひとりで」住んでいた大工さんは、もう一人ではないのだ。報酬のない仕事 に追われていた「お人よし」(167)な大工さんと共に「遠いところ」へ行くのは、自 分の食事よりもねこや鳥たちを優先して餌を食べさせ、ねこの怪我に薬を塗り、巣か ら落ちたすずめのひなを大事に育てるような娘である。彼女もまた、大工さんと同じ く貧乏でお人よしの人間であり、だからこそ大工さんは娘のためにベランダを作った のだった。「殺風景な窓」「日当たりの悪いアパートの窓」(172)と描写されるよう な娘の部屋の窓や、「屋根しか見えない露路裏の二階」と描写されるような大工さん の部屋の窓に、そのような場所に住むしかない日常から離れるためのベランダが現れ る。〈こちら側〉では叶えられなかった願いが叶う予感で、大工さんの胸は躍る。貧 乏でありながらも人の役に立つ実用的な仕事をやめて、「星までとどく塔」を建てる ような、非実用的で存在自体・行為自体に意味があるようなものづくりの仕事をする ために、実用的でなければ生活できない〈こちら側〉の世界から飛び立つのである。

「だれにも見えないベランダ」は、次のように結ばれる。「大工さんは、ねこをだき 上げると、パジャマのまま、窓から外へとび出しました。屋根の上を歩いていって、

ひょいと、ベランダにのり移りました。/すると、ベランダは、まるで宇宙船のよう に動きはじめました。星や月や、夜空にたなびく、むらさき色の雲にむかって、ゆっ くりと、飛んでゆきました。そして、いつかほんとうに、だれにも見えなくなりまし た」(179)。大工さんの願いや心躍る心情は、娘・ねこ・鳥たちや、咲きあふれるば ら、宇宙船のように飛ぶベランダという具体物として、結末に具現する。大工さんが ベランダと同じ〈こちら側〉からは見えない存在になることが、この結末で「ほんと うに」実現したのである。それは、食べものとばらの贈りものや空色、白いねことい う暗示的な〈もの〉から展開する連想の連鎖と比喩の実現の暗示の描写を積み重ねて きたことで可能になった。このように、結末で大工さんの願いを作中の現実にするた めの隠れた作品の推進力が、本論文が分析してきた、連想の連鎖と比喩の実現の暗示 であった。

連想の連鎖と比喩の実現の暗示は、他の安房直子作品にも見られるのではないかと 考えている。例えば「白いおうむの森」(『童話集白いおうむの森』、筑摩書房、1973)

では、白いおうむの白という色から死者の国が連想され、話すという性質から死者に 生者の言葉を伝えることが連想される。また、手ざわりと色の共通点によって、白い おうむから白いねこのミーが連想され、白いおうむを食べたミーは、死者と生者をつ なぐ白いおうむの力を身に帯びることになる。これは連想の連鎖である。そしてみず えが死者の国に入ったとき、白いおうむの様子は、白い花、そしてぼんぼりの比喩に

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よって描写されていた。白い花は、葬儀で死者を他界へ送る際に飾られる花であり、

死者に捧げられる花でもある。また、ぼんぼりは、暗闇の中で光り照らすものであ る。ミーが死者の国から戻らない結末によって、死者の国の闇の中で、ミーが死者を 本当の輝いた国へ送る道案内になったことが暗示されている。白い花とぼんぼりの比 喩は、白いおうむを食べたことで、ミーの身に実現している。これは比喩の実現の暗 示である。このように、「白いおうむの森」を含む、他の安房作品の分析に、連想の 連鎖と比喩の実現の暗示という視点を持ち込むことで、各作品の展開の推進力を浮き 彫りにすることができるのではないかと考えている。

おわりに

本論文が「だれにも見えないベランダ」の分析を通して明らかにしたのは、以下の 三点である。

一点目は、暗示的な〈もの〉の役割である。野菜・いちご・赤いばらの花の役割 は、大工さんがベランダの内側に入り、娘と一緒に「遠いところ」へ行くため、彼に 心身の変化と他界へ旅立つための儀式をもたらすことである。また、ベランダと包紙 の空色の役割は、ベランダの内側が外側からは見えないものになる構造と仕組みを示 すことである。そして、白いねこの役割は、他界への導き手として、大工さんをベラ ンダの内部に誘うことである。このような、通常の因果関係とは異なる〈向こう側〉

とでも呼ぶべき領域のルールを、大工さんの日常領域に持ち込むことが、〈もの〉の 役割である。

二点目は、〈向こう側〉のル―ルが大工さんに作用する仕組みである。大工さんに 心身の変化と疑似的な死の儀式をもたらしたのは、〈もの〉同士の繋がりである。こ の繋がりは、連想の連鎖によるものである。連想の連鎖とは、〈もの〉と、〈もの〉自 体の意味から連想された別の〈もの〉が、次々に結びついてゆくことである。この連 想の連鎖によって、非合理的な結びつきの流れが発生する。非合理的な結びつきの流 れは〈こちら側〉のルールから逸脱してゆき、比喩でしかなかったはずのことが作中 で実現していることが暗示される。これが比喩の実現の暗示である。

三点目は、大工さんがベランダの内側という〈向こう側〉に入るためのルールであ る。〈向こう側〉のルールは〈こちら側〉とは別の因果関係を持つため、言葉では説 明できない。だからこそ、連想や暗示という、言外のものの示唆によって、行間に描 き出される。それは、大工さんが、〈こちら側〉のルールに支配された意識の外側に ある、〈向こう側〉の領域としての「遠いところ」へ行くためである。大工さんがベ

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ランダに乗るまでの過程は、大工さんが〈向こう側〉のルールに適応し、〈向こう側〉

の存在に近付いてゆく過程でもあった。〈向こう側〉のルールとは、まず第一に、連 想の連鎖によって、目の前の〈もの〉と、大工さんの心の中にあった願いや夢の実現 のために必要な〈もの〉が、結びつけられることである。第二に、比喩の実現の暗示 によって、比喩として結びついていたはずの〈もの〉が作中の現実になり、大工さん の願いがベランダの内側の風景として具現化することである。

「だれにも見えないベランダ」における暗示的な〈もの〉の役割は、連想の連鎖や 比喩の実現の暗示によって、〈向こう側〉のルールとでも呼ぶべきものを言外に展開 させることであり、これが、ストーリーと連動しながら進む、隠れた作品の推進力で ある。

「だれにも見えないベランダ」の分析において明らかになった、連想の連鎖と比喩 の実現の暗示という隠れた作品の推進力が、すべての安房直子作品に見られるかどう かは検討の最中であり、別の推進力がある可能性もある。しかし本論文の成果は、他 の安房作品の分析のためのひとつのものさしとなると考えている。

使用テキスト

安房直子「だれにも見えないベランダ」、安房直子『日暮れの海の物語』、角川書店、

1977(初出は『詩とメルヘン』第 5 巻第 5 号、サンリオ、1977.5)

引用文献

大沼郁子「「色彩」で描く安房直子のファンタジー――『熊の火』を中心に――」、堀 越栄子・坪能由紀子・五関正江・篠原聡子・多屋淑子・高増雅子・佐々井敬 編 集委員『日本女子大学大学院紀要 家政学研究科 人間生活学研究科』第21号、

日本女子大学、2015.3、pp.17-24

川端有子「ベランダ 優しき人たちにあたえられた別世界」、藤田のぼる・宮川健 郎・目黒強・川端有子・水間千恵編著『「場所」から読み解く世界児童文学事 典』、原書房、2014、pp.346-347

小峰紀雄「絵本『うさぎのくれたバレエシューズ』のこと――安房直子さんに寄せて

――」、日本女子大学成瀬記念館編『「安房直子・メルヘンの世界」展』、日本女 子大学成瀬記念館、1999、pp.13-15

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酒井角三郎「幻想植物園――安房直子の物語世界――」、『路上』第44号、路上発行 所、1984.8、pp.49-58

野上暁「風と木の歌」(特集Ⅰ 安房直子の世界)、社団法人日本児童文学者協会編

『日本児童文学』第39巻第10号、社団法人日本児童文学者協会、1993.10、pp.40- 43

藤本芳則「安房直子の童話――〈異界〉をめぐって――」、『大谷大學研究年報』第62 集、大谷学会、2010.3、pp.1-55

参照

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