義肢支援レポート(2015 年 8 月∼2016 年 3 月) JIM-NET は 2015 年より、主にシリア内戦で手や足を失った難民を対象に、義肢の 提供を行っています。2015 年度は 22 名に対し計 23 の義足/義手を提供しました。 現在も紛争が激化を続けるシリアではすでに 100 万人以上の人々が負傷したと言われ ています。多くの負傷者が、緊急治療のために国境を越えてヨルダンに入り、手足を切 断せざるを得ない状況におかれる難民も少なくありません。 義肢、特に義足は、足を失った人々がより自立しまた自由に生活することを可能にし ます。JIM-NET は、紛争で傷ついた人々が再び将来に向けて希望を取り戻していくた めの支援を行っています。 モハンマド君(8 歳) *義足(右足膝下)作り直し シリア南部・ダラア出身。たる爆弾が爆発し、 破片が突き刺さり右足膝下を切断しました。モハ ンマド君は足を失った時、たる爆弾の破片で胸部 も負傷しました。もうあと少し傷が深かったら命 を失っていたかもしれないとのことです。 2014 年 6 月に作成した義足が使い込んで傷ん できたため、また成長期にあり義足のサイズが合 わなくなってきていたため、今回、JIM-NET の 支援で作り直しを行いました。 義肢装具士によれば「2014 年に初めて義肢製 作所に来た時は、足を失ったショックで話すこと もできなかった」というモハンマド君ですが、今 では自慢げに、義足で力一杯走る姿を見せてくれ ます。義足がなければ、学校に行く事もできませ んでしたが、今では自分で歩いて学校に行く事が でき、学校ではたくさんの友人と楽しく学び、元 気に遊ぶ毎日です。 アイマンさん(35 歳)*義足(左脚くるぶし下)新規 2015 年 3 月、カラムーン山地と呼ば れる地域で、戦車から発砲された砲弾が 彼のすぐ近くに着弾、破片が左脚に突き 刺さり、そのままヨルダンの病院に搬送 され、左脚くるぶしから下を切断しまし た。 以前は建設業に携わっていましたが、 内戦が激化した 3 年ほど前からずっと 仕事がない状態が続いていたとの事。義 足ができるまでは松葉 での生活だっ たので、「これから松葉 を使わずに歩 くのがとても楽しみだ」と言います。 (本人の希望により、お顔の公表は控えさせていただいています)
モハンマドさん(40 歳) *シリコン部分(右足膝上)交換 2013 年 1 月、戦闘に巻き込まれ負傷し た人々を搬送していた時、彼が乗っていた その車両を砲弾が襲いました。一緒に乗っ ていた 2 人はその場で亡くなったとの事で す。その後ヨルダンに搬送され、ヨルダン の病院で足を切断。約半年後に義足を作成 しましたが、大 部を包むシリコン素材の ソケット部分が傷んできたため、部品交換 を行いました。 「この義足を自分の本物の足のように思 っています。この足で、遠くまで歩いてい く事もできるのです」とのこと。この日も 炎天下の中、自宅から義肢製作所まで汗を かきながら歩いてやってきました。自分の 足で歩く事ができる喜びを、日々の生活の 中で感じています。 アブデルラザックさん(47 歳)*シリコンソケット部分(右足膝上)交換 シリア南部・ダラア出身。2013 年 5 月 24 日に負傷し、一週間後にヨルダンに搬送 されました。数人の友人と家にいた時、その家を戦車からの砲弾が襲い、一緒にいた 1 人は亡くなり彼ともう 1 人が負傷。彼は足とともに腕、腹部も負傷しました。もとも と左利きですが、左手も負傷し自由がきかないため、Mobility Solutions での理学療法 も今後行っていく予定です。今は、日常動作の中で右手を使うよう日々練習していると の事です。 シリアでは 2012 年頃まで、建設の仕事に携わっていました。彼自身の家も空爆で 全壊したとのこと。4 人の子どもと奥さんとともに、支援に頼らざるをえない生活をし ています。 初めて義足を装着した時は、動作が少し難しくまた義足を重いと感じたとの事ですが、 今は義足で自信をもって歩く事ができるとの事です。
アフマドさん(25 歳)*義手(右肘下)および義足(右膝下)新規作成 東グータ出身。ベドウイン(遊牧民) として生活する彼は、戦闘を避け、家 族と家畜とともにアル・ドゥメイル地 区へと避難していましたが、避難先で 負傷しました。野に出て羊の世話をし ていた 2015 年 4 月、彼のすぐ近くに 戦車からの砲撃が落ち、彼の右腕と右 足を奪っていきました。 「また歩く事ができるようになるの は素晴らしい事だ。松葉 を使わずに 歩くのは大きな変化だろう」と言うア フマドさん。以前、野で家畜の世話を する時にはやかんやグラスなどの お 茶セット を持ち歩き、火を焚いてお茶 を飲みながら羊が草を食むのを眺めて いたとのこと。その「甘い紅茶が恋し い」とのこと。またそのような平和な 日々が戻ってくる事を願います。 モハンマドさん *義足(左脚膝上)作り直し モハンマドさんはダマスカス郊外のダライヤ出身です。ダライヤは政府軍に包囲され ており戦闘も激しい地域です。2013 年、自宅にいた彼は、砲撃により家が崩壊し全身 に怪我を負いました。足、腕、腹部、背中、首を負傷し、ヨルダンの病院へと運ばれそ こで足を切断しました。左腕/手にはうまく力が入らないという後遺症が残りますが、 リハビリを受けるようになって改善したとのことです。「大変な状態でしたが、全体的 に良くなっているんですよ」と嬉し そうに言います。 義足は 2 本目です。最初に彼が 得た義足は彼の足に合わず、切断し た足を傷めてしまう可能性があっ たため、作り直すことになりました。 シリアにいた時は、彼は社交的で よく外出していたとのこと。足を切 断してしばらくは義足もなく外に 出ることができないのが辛かった、 と言います。新しい義足は、彼に「ど こにでも自由に行くことができる」 と感じさせ心強さをも与えます。 アリさん(55 歳) *義足(右足膝上)シリコンおよびソケット部分作り直し 東グータ地域出身。2014 年 11 月に負傷し、ヨルダンに緊急治療のため運ばれてき ました。2 ヵ月以上入院し、そこで足を 2 度、切断しました。その後、ザアタリ難民キ ャンプに移り、そこでリハビリテーションを受け始めます。そのリハビリ施設を通し、 最初の義足を作成しました。その義足のソケットおよびその中に装着するシリコン部分
が傷んできたため、今回その部分を作り替えることになりました。 以前からとても活動的で運動も好きなアリさんは、運動神経も良いためか「普段の生 活で特に難しいことはない」と言います。とはいえ、やはり長距離を歩くのは難しいと のこと。また、ときどき足がないことを 忘れて動こうとしたり、あるいは「ファ ントムペイン」を感じることがあり、そ ういった時は苛立ってしまうとのことで す。 紛争が始まる前は、彼はピックアップ トラック(後ろが荷台のトラック)を所 有し、その来るまで野菜を販売していた とのこと。しかしそのトラックも空爆で 失いました。また、以前はサッカーをよ くしていたとのことです。彼の奥さん、 4 人の息子と 1 人の娘は今もシリアに残 ったままです。 (本人の希望により、お顔の公表は控えさせていただいています) ハレッドさん(17 歳) *義足(左脚膝下)新規作成 ハレッドさんはダラア出身です。2015 年3 月に戦車からの砲撃に遭い、その後すぐに搬送 された病院で足を切断しました。また、腕やそ の他の部分も負傷し、砲弾の破片は今も左脚の 内部に残ったままです。彼の両親と兄弟は今も シリアに残っており、その地域には常にたる爆 弾が落とされているとのこと。義足が出来上が って自由に動けるようになったらシリアに戻 る、と言います。 紛争が激化した影響で、彼は 9 年生(中学3 年生)で学業を中断せざるを得ませんでした。 高校に行くことができたら、将来は技術士にな るための勉強をしたいとのことです。 モハンマド君(13 歳)*義手(右腕肘下)作り直し ヨルダン北部、ウム・カイスに住んでいるヨルダン人のモハンマド君は、生まれた時 から右腕の肘下がありませんでした。左手のみで、もしくは右腕を器用に使いながら、 日常の全ての動きをこなすことには慣れていて自信もあるそうです。 小さい時につくった義手が合わなくなったのと、また今回新しく、可動する義手を試 してみたかったことから、義肢装具士から稼働する義手がどのように機能するのかにつ いて説明を受けた上で、新しく製作することになりました。義手が完成して初めて装着 した時、モハンマド君は「使ってみるのがとても楽しみ」と興奮した様子でした。
(モハンマド君) (アイハム君) アイハム君(13 歳) *義手(左腕肘下)作り直し アイハム君も生まれつき、左腕が肘下からありませんでした。これまで着用していた 義手が傷んできたため、今回作り直しをすることになりました。彼の義手は可動しない タイプ(肘の角度を変えられるのみで、手でものを掴むこと等はできない)のものです が、「これで学校に通うのが楽しみ」とのことです。 ハシェムさん(30 歳) *義足(右足膝上)作り直し ハシェムさんはもともとゴラン高原出身で すが、ダマスカス北部に住んでいました。1 年ほど前にヨルダンの慈善団体から義足を支 援してもらったものの、当初からその義足が 合わなかったと言います。 彼が負傷したのは 2013 年 8 月、東グータ と呼ばれる地域にいた時でした。戦車の砲撃 が彼の近くに落ち、砲弾の破片が彼に突き刺 さったのです。いくつかの破片は彼の体に残 ったままです。紛争が始まる前は、建設業に 携わっていたが、2012 年以降はその仕事も なくなってしまったとのこと。 彼がヨルダンに搬送された後、奥さんと 3人の子どもたちもヨルダンにやってきまし た。ヨルダンでは働くこともできず、また合 わない義足で「家にずっといることしかでき ない」状態ではありましたが、新しい義足で彼の日常が明るくなることを願います。 (本人の希望により、お顔の公表は控えさせていただいています)
ハサンさん(65 歳) *義足(右足膝上)新規作成 ハサンさんは血栓症のために 2015 年 8 月 に右足膝上を切断しました。彼が難民として ヨルダンに来てからのことです。術後の切断 箇所の経過は順調なものの、初めての義足と なることもあり、彼の住むイルビッドのリハ ビリテーション施設で 2 週間のリハビリテー ションを受けてからの義足製作となりました。 足を切断してからは、「毎日の生活における 全ての動作を不便に感じます。シャワーを浴 びる時も、服を着脱する時も。奥さんに助け てもらっているのです」というハサンさん。 彼の日常生活が少しでも楽になり家族の負担 も減るように、これから新しく作成した初め ての義足をつけての歩行練習に入ります。 ハラフさん(24 歳) *義足(右足膝下)新規作成 ハラフさんはシリア南部、ラハムの出身です。ヨルダンには 5 ヵ月前、義足をつく るために来ました。もともとベドウィンとして生計を立てていました。彼の住む地域の 周辺に地雷が埋まっていると言うことは知っていましたが、彼が実際に地雷の被害に遭 った場所は安全だと思っていたそうです。地雷を踏んだことによる爆発で、彼は左足を 失い、また左手の指も負傷しました。左手には障害が残り、動かすのが難しい状態です。 ラハムは多くの人が住む地域です、一度、政府軍に制圧された時にラハムから逃れた 多くの住民は、半年後に自由シリア軍が奪還した時に戻ってきたそうです。 彼は 100 頭もの羊を飼っているとのこと。その羊たちの世話を続けるために、義足 を得た後シリアに戻る予定です。 (ハラフさん) (オダイさん)
オダイさん(20 歳) *義足(左足膝下)新規作成 オダイさんはシリア南部、ダラア出身です。2014 年 10 月に地雷の被害に遭い負傷 し、右足を切断しました。ハラフさんと同じく、彼もベドウィンとして生活しています。 彼が負傷した地域も、非常にヨルダンとの国境から近く、しかし人々が多く住んでいる 地域でした。 オダイさんは 70 頭の羊を飼っています。現在は彼のお兄さんが世話をしているそう ですが、一日も早くシリアに戻らなければと言います。オダイさん曰く、彼と同じよう にベドウィンとして生活する人やまた農民は、相次ぐ地雷の被害にとても恐れていると のことです。 イスマイルさん(42 歳) *義足(右足膝下)作り直し イスマイルさんはパレスチナ自治区ガザを 1967 年の戦争で追われ、その後ヨルダ ンに来た、「ガザ難民」です。事故のために右足膝下を失いました。以前使っていた義 足が傷んできて痛みを感じ始めたため、今回義足を作り直すことになりました。 新しい義足を得て、日常生活の中の動きを快適にできるようになることが楽しみと言 います。 (イスマイルさん) (マナールさん) マナールさん(12 歳) *義足(右足膝上)一部作り直し マナールさんは小学校 6 年生です。成長期にあるため、今回は義足のソケット部分 と中のシリコン部分の作り直しを行いました。 シリア南部、ダラア出身の彼女は、シリアを離れヨルダンに来てからは家族と一緒に マフラックに住んでいます。2014 年 2 月、彼女の家の屋根にロケット爆弾が落とされ、 家の中にいた彼女と彼女の母親が爆弾の破片で負傷しました。 彼女は現在、マフラックにあるヨルダンの公立校の午後クラスに通っています(ヨル ダンの公立校はシリア難民を受け入れるために 2 シフト制で運営しているところが多 い)。学校は歩いて 20 分の距離なので、以前は歩いて行っていたのですが、最近は足 に痛みが出てきたため、乗り合いタクシーを使用しているとのことです。この乗り合い タクシーには月 20JOD(約 3,300 円)かかるそうです。「もともと徒歩での通学をと
ても楽しんでいたので、新しい義足でまた歩いて行けるようになるのを楽しみにしてい ます」と嬉しそうに教えてくれました。 (本人の希望により、お顔の公表は控えさせていただいています) モハンマドさん(25 歳) *義手(左腕肘下)作り直し ダラア出身のモハンマドさんは、現在ザアタリ難民キャンプに住んでいます。2014 年 1 月、戦闘に巻き込まれて負傷しました。戦車の砲弾が彼の近くに落ちた時、近く にいた 2 人は亡くなりました。彼自身はラムサ(ヨルダン側のシリア国境に近い町) の病院に搬送され、そこで負傷した腕を切断しました。その後彼の両親、兄弟がすでに 住んでいたザアタリ難民キャンプに来ました。 当初、他の NGO から義手を提供されたもの の、それが合わなかったとのことで、今回新し く作り直すことにしました。新しい義手は可動 式のもので、手でものを掴むこともできるタイ プです。 紛争が始まる前、彼は車の修理や洗車をする ワークショップで働いていたそうです。そのワ ークショップは今は閉じられたままです。彼が 住んでいた家は、戦闘の最前線の位置に会った ため、壊されてしまいました。彼がシリアを離 れた当時から、その地域には電気も水も通って いなかったとのことです。 ザアタリ難民キャンプにいる彼とその家族は、 安全な状況が戻り次第シリアに戻りたいと言い ます。モハンマドさんは、新しい義手を使って 生活するのを楽しみにしています。 ミナイムさん(45 歳) *義足(右足膝下)作り直し ミナイムさんはダマスカス郊外の出身です。 農業を営んでいましたが、土地を耕す作業をし ていた時に、耕作機に誤って足を巻き込んでし まい、右足を切断しました。その後、シリアに あるパレスチナ赤新月社で義足を得ましたが、 日々の使用で傷みが激しくなってきたため、作 り直しとなりました。 完成した義足を付けて、ミナイムさんは「新 しい義足はとても歩いた時の感じが良く、痛み もありません。より自然な感じで歩くことがで きていると思います。私の兄はその姿を見て、 『まるで自分と同じように歩く』と言ってくれ ました。義足を付けていることを感じさせない、 ということです」と嬉しそうに教えてくれまし た。普段は知人の農作業を手伝っているミナイ ムさんですが、その時は膝関節部分が固定された古い義足を使っているとのことです。 新しい義足で日々の生活をより楽に、そして楽しく送れるようになるよう願います。
アブデルハリームさん(22 歳) *義足(左足膝上)新規作成 アブデルハリームさんはダラア出身ですが、ダマスカスで住居の配電等の仕事をして いました。「アラブの春」が始まって以降は、台所製品などを販売するお店で働いてい ました。2013 年、そのお店に必要な商品を購入しようとダラアの方に従兄弟と向かっ ていた時のことです。バイクに乗っていた彼らの近くに砲撃が落ちました。その破片で 彼は膝を怪我し、また衝撃でバイクから落ちました。 道路が封鎖されていたため病院に到着した時には 3 時間が経過していました。そのため、血管を繋ぎ 合わせる手術は難航し、しばらく後に、足を切断せ ざるを得ないということになったのです。3 ヵ月後、 彼は父親とともにヨルダンにやってきました。その 後、ザアタリ難民キャンプで生活しています。 アブデルハリームさん曰く、「最も大きな違いは、 以前は建築関係の仕事をしていたが今は縫製の仕 事をしている、ということです」。ザアタリ難民キ ャンプは広大なため、自転車で移動する人が多くい ますが、今では彼もその一人です。義足を使い始め た彼は、「筋力がまだ弱いからか不安定に感じるの で、トレーニングが必要です。ですが、これまでは 松葉 を使わないと歩くことができなかったのに、 今では自転車に乗ってキャンプの中を移動するこ とができます」と嬉しそうに教えてくれました。 アブデルアジーズさん(21 歳) *義足(左足膝下)作り直し アブデルアジーズさんが負傷したのは 2011 年、まだ「アラブの春」が始まって間もない頃 でした。ホムスでデモンストレーションに参加 していたところ、人混みに突入した軍用車にひ かれてしまったのです。そのまま足を切断した 彼は、ホムスの状況が劇的に悪化したためその 語家族でダマスカスに移りました。そこで初め ての義足を得ました。 彼が負傷したのはまだ 16 歳の頃でしたが、彼 が通っていた学校も含めてホムスの学校が治安 上の理由で閉まって以降、学校に行くことがで きていません。ヨルダンには 2013 年に、家族 と一緒にやってきました。 今は瓦礫の町となってしまったホムスですが、 紛争が始まる前、彼のお兄さんが縫製工場を営 んでいたとのことです。その向上で、彼自身、 縫製を学びながら仕事を手伝っていたとのこと。 彼の夢は、いつかホムスに戻ってお兄さんと一 緒に縫製工場を再建することです。彼の夢が叶 う時が来る日が一日でも早く来ることを願います。
ムスタファ君(16 歳) *義足(右足膝下)作り直し ムスタファ君はダラア出身です。お父さんが 経営するクリーニング店にたまたま一人でい たところ、そのお店が爆撃を受け、右腕、右足 を切断せざるを得ない重傷を負いました。身長 が伸び義足が合わなくなったため、今回作り直 しとなりました。 彼が通っていた学校も情勢の悪化により閉 鎖されてしまい、またけがの治療もあったため、 小学 5 年生の時以来学校に行くことができて いません。「また学校に行きたい。携帯電話が 好きだから、携帯電話やコンピューターの技術 者になるための勉強をしたい」とのことです。 ムスタファ君は今も成長期にあるため、またい つか義足を作り直す必要があるかもしれませ んが、その日まで彼の新しい義足が日常生活を 支えていきます。