• 検索結果がありません。

シモーヌ・ヴェイユは 「フランス革命」をどのように捉えたのか

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "シモーヌ・ヴェイユは 「フランス革命」をどのように捉えたのか"

Copied!
8
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

1 はじめに

政治思想史の教科書でよく強調されるように、フランス革命に対する評価が19世紀以 降の政治思想の潮流を分けていく(宇野, 2013, p. 170)。シモーヌ・ヴェイユのように政治思 想史の文脈ではあまり登場してこない思想家・哲学者の「政治的なるもの」を考えるにあ たって、フランス革命をどのように捉えたかを検討することは、ヴェイユを政治思想の分 野でどのように評価すべきかを測る試金石となるはずである。

たしかにヴェイユがフランス革命に対して、真正面から論じた論文があるわけではな い。しかし、そのことがヴェイユはフランス革命に対して真剣に思考していなかったとい うことにはならない。

ヴェイユは革命について考えてきた哲学者である。初期の主著であり、マルクス主義に 対する批判の書として有名な『自由と社会的抑圧』は以下のような文章で始まる。

「現代とは、生きる理由を通常は構成すると考えられているいっさいが消滅し、すべ てを問いなおす覚悟なくしては、混乱もしくは無自覚に陥るしかない、そういう時代 である。」(ヴェイユ, 2005, p. 9)

「しかしながら一七八九年このかた、想像しうる未来すべてを内含し、絶望的な状況 でこそいよいよ希望をいだかせてきた呪文がある。革命という語だ。」(ヴェイユ, 2005, p. 11)

革命という言葉が希望の呪文として用いられるきっかけとして、ヴェイユは1789年の フランス革命を挙げている。『自由と社会的抑圧』は、この後の展開において、希望を抱 かせる呪文である革命を盲信するマルクス主義の革命家に対する批判がなされていくこと になる。

シモーヌ・ヴェイユは

「フランス革命」をどのように捉えたのか

中 島 弘 貴

* 社会科学総合学術院 君塚弘恭准教授の指導の下に作成された。

(2)

これまでヴェイユはどのように研究されてきたか。これまでのヴェイユ研究には、大木 健(1968)によってまとめられたヴェイユの人生自体に焦点を当てた研究や、谷川稔

(1983)によってまとめられた労働運動との関係の中で論じた研究や、今村純子(2010)に よってまとめられたヴェイユにおける美学的な側面についての研究がある。また政治思想 の文脈においても、「犠牲」というキーワードでヴェイユの様々な思想をまとめた鈴木順 子(2012)によって、ヴェイユにおける権利論、義務論や祖国論が論じられている。また ロバート・スパーリング(2012)は、マルクスの労働概念とヴェイユの労働概念を比較し、

エドワード・アンドリュー(1986)はヴェイユにおける正義論を論じた。

しかし、ヴェイユがフランス革命をどのように捉えていたのかは明らかにされてこなか った。そのため、本論文ではヴェイユがフランス革命をどのように捉えたのかに注目す る。

2 フランス革命とナショナリズム

シモーヌ・ヴェイユの「根をもつこと」には「根こぎ」という単語が頻出する。ヴェイ ユにとって、「根こぎ」とは「根をもつ」という要求が満たされていないことを意味する。

では「根をもつ」という要求とは何か。

「根をもつこと、それはおそらく人間の魂のもっとも重要な欲求であると同時に、も っとも無視されている欲求である。また、もっとも定義のむずかしい欲求のひとつで もある。人間は、過去のある種の富や未来へのある種の予感を生き生きといだいて存 続する集団に、自然なかたちで参与することで、根をもつ。」(ヴェイユ, 2010a, p. 64)

人間は一人で、集団1)に参与せずに、生きることはできない。それは「魂のもっとも重 要な要求」だからである。また、ヴェイユは「集団には敬意を払わなければならない」

(ヴェイユ, 2010a, pp. 14─15)と述べる。なぜなら集団は「一定数の人間の魂を養う糧だから」

(ヴェイユ, 2010a, p. 15)である。そして、集団は「いかなる集団も唯一無二」であり、未来 において「いまだ存在しないが来るべき諸世紀に生まれてくる人びとの魂にとっての糧を も宿している」のであり、過去において「死者たちが蓄えてきた霊的な富を保持し、かつ 伝達する唯一無二の装置」(ヴェイユ, 2010a, p. 15)だからである。

しかしヴェイユは、このような「人間の魂を養う糧」としての集団は「たったひとつの 集団、つまり国ナ シ オ ン民国家にかかわる集団をのぞいて」(ヴェイユ, 2010a, p. 142)消えてしまい、

「国民だけがこれらすべてにとって代わった」(ヴェイユ, 2010a, p. 142)と述べる。しかし、

あらゆる集団が国民にとって代わってしまったのはいつからであろうか。ここには

「愛パ ト リ オ テ ィ ス ム

国心〔祖国愛〕」の議論が含まれている。

「国ナ シ オ ン民国家は近年の事象である。中世においては、忠誠心は領主もしくは都市に、あ

(3)

るいはその両方にむけられ、さらにはそれらをこえて明確にはさだまらない地域へと 拡がっていった。愛パ ト リ オ テ ィ ス ム

国心〔祖国愛〕と呼ばれる感情はたしかに存在した。ときにはき わめて強烈な発露をともなって。ただしその対象は地域的に確定されていなかった。

この感情は状況しだいでさまざまに変容する地表を覆っていたのである。」(ヴェイユ, 2010a, p. 148)

ここで、ヴェイユが「愛パ ト リ オ テ ィ ス ム

国心〔祖国愛〕」について述べていることは、根をおろす対象 であった諸「集団」が「国民」に回収されていくという議論と重なる。あらゆる「集団」

が国ナ シ オ ン民国家というひとつの集団にとって代わる前、多くの集団が存在したのであり、それ

らは「国民より小さな集団、ときには比べものにならないほど小さな集団も」(ヴェイユ,

2010a, p. 142)あったのである。それは「愛パ ト リ オ テ ィ ス ム

国心〔祖国愛〕」も同じであった。しかし、

「愛パ ト リ オ テ ィ ス ム

国心〔祖国愛〕」とは、もともと「輪郭はあいまいで、居場所が定まらず、親和性や脅 威におうじて拡散と収縮を繰り返した」(ヴェイユ, 2010a, p. 149)ものであり、「村落、都市、

地方、フランス国、キリスト教世界、人類など、いかなる対象をも自在に意味しうる」

(ヴェイユ, 2010a, p. 149)ものであった。「愛パ ト リ オ テ ィ ス ム

国心〔祖国愛〕」は、あらゆる「集団」が

ナ シ オ ン民国家にとって代わってしまったようにナショナリズムへと変化したのである。

ヴェイユは、フランスの「愛パ ト リ オ テ ィ ス ム

国心〔祖国愛〕」がいかにナショナリズムへと変化してい ったのかを歴史的に説明する。フランスの「愛パ ト リ オ テ ィ ス ム

国心〔祖国愛〕」が変容していくきっかけ を二つあげている。一つは、シャルル五世以降のフランスが租税を取るようになり、

「君モ ナ ル シ ー主制」から「専デ ス ポ テ ィ ス ム

制主義」の状態になったことであり、もう一つはフランスが周辺地域 を征服(根こぎ)していくようになったことである。一つ目のきっかけ、すなわち租税は

「貧民を文字どおりの飢餓へと追いやる一方で、王侯貴族によって濫費されること」(ヴェ イユ, 2010a, p. 150)となり、それはヘンリー五世のイギリス軍が「最初のうち解放者として 歓迎された」(ヴェイユ, 2010a, p. 151)ほど民衆を苦しめ、「愛パ ト リ オ テ ィ ス ム

国心〔祖国愛〕」を傷つけた。

もう一つのきっかけ、すなわち周辺地域の征服は、「十三世紀初めにロワール河以南の地 域でフランス人がおこなった征服」(ヴェイユ, 2010a, p. 152)から始まる。「征服した国を同 化したとフランスの諸王が讃えられるとき、その実態はほかならぬ諸王がこれらの国を 大々的に根こぎしたということだ」(ヴェイユ, 2010a, p. 156)という記述からもわかるよう に、ヴェイユにとって征服は「根こぎ」であり、征服された人々は「人間の魂のもっとも 重要な欲求」である「根をもつこと」を失ってしまった。そして、それは「根こぎ」が行 われただけで、「同化」とは異なっていた。しかし、「根こぎ」された諸地域を結びつける 一つの出来事があった。それがフランス革命である。

「だが、種々雑多なフランスの地域をむすびつけたのが王ではないのもまた事実であ る。これをやってのけたのはフランス大革命だった。」(ヴェイユ, 2010a, p. 157)

「大革命はフランスの王冠に従属させられていた各地の人民を融合させ、唯一無二の

(4)

大衆へと、しかも国民主権の陶酔のなかでひとつにまとめあげた。過去に力ずくでフ ランス人にされた人びとも、いまや自由な同意によりフランス人となった。フランス 人ではない人びとの多くがフランス人になりたいと願った。あの革命以降、フランス 人であるとは主権者たる国民であるということを意味したからだ。」(ヴェイユ, 2010a, p.

158)

たしかにフランスの王たちの手で、フランス王国の内外で、「根こぎ」が行われ、絶対 王政のもと「警察体制」としての「国エ タ家」の発展が成し遂げられてきた。しかし、人民を

「主権者たる国民」として「融合させ」、「まとめあげた」のはフランス革命によってであ った。フランス王によって「根こぎ」にされた諸地域の人びとも、フランス王に対する恨 みから、積極的にフランス革命に参加し、フランス「国民」として「フランス人となっ た」のである。つまり、フランス革命によって「愛パ ト リ オ テ ィ ス ム

国心〔祖国愛〕」はナショナリズムに なったのである。

「残るは国家だけだったので、当然ながらこれを利するべく一ユ ニ テ致への熱狂、国民主権 への信頼を核として噴出した「一致、しからずんば死」的な熱狂がくりひろげられ た。かくて、地方生活の領域であらたな破壊がおこなわれた。戦争が奏功して、とい うのは戦争こそ発端からしてこの一連の自体をあおった原動力だからであるが、国家 は国民公会と帝政のもとでいよいよ全体主義化していった。」(ヴェイユ, 2010a, p. 171)

フランス革命を経て、国民を「主権者」とする国ナ シ オ ン民国家となったフランスにおいて、諸

「集団」はもはや「国ナ シ オ ン民国家」しか存在しないし、「愛パ ト リ オ テ ィ ス ム

国心〔祖国愛〕」を抱くべき対象も

「国エ タ家」しか存在しない。

3

 フランス革命と権利

ヴェイユにおける権利と義務の関係性を論じた鈴木順子によると、ヴェイユは、1789 年のいわゆる人権宣言における権利概念を「人格と深く結びついた概念」として批判して おり、その理由は、「社会的人格を喪失している人がこの世には存在する」という「ヴェ イユにとっての問題」を解決するには権利は「不十分で曖昧なものと言わざるを得ない」

からだという(鈴木, 2012, p. 247)。そしてヴェイユは、「この権利概念にかわるものとし て」、「「義務」という言葉を用いはじめるのである」が、それは「これまでの権利概念を 否定して代わりに義務を提示しようとしたわけではな」く、「元来権利概念は相互的、相 互恩恵的性格を内包しているという事実について(…)あらためて義務の観念を用いてわ れわれにその重要性を喚起しようとしたの」だという(鈴木, 2012, pp. 253─254)。

本章では、この鈴木によるまとめを参考に、ヴェイユがフランス革命において主張され た権利概念をどのように捉えているのかを検討する。

(5)

1789年8月26日、国民議会によって「人間および市民の権利の宣言」が採択された。

この宣言によって、法の下での平等や人間であれば誰しも権利を有するということが宣言 された。

しかしヴェイユは、このような1789年に端を発する権利概念に対して、「一七八九年、

あまねく世界に放たれた権利の観念は、その内在的な不充分さゆえに、担わされた役割を はたすことができなかった」(ヴェイユ, 2013, p. 178)と指摘している。

ヴェイユはどのような点で、権利は不充分であると述べるのか。ヴェイユは例え話を用 いて説明する。

「悪魔がひとりの不幸な人間の魂を買おうとしている、と想像してみよう。その人を 不憫に思った第三者が交渉に割って入り、悪魔に抗議する。「あなたがこんな値付け しかしないのは恥ずべきことだ。この商品はすくなく見積もっても二倍はしますよ。」

と。この笑えない茶番劇こそ、労働運動がおかかえ組合やら、政党やら、左翼知識人 やらを総動員して演じたものにほかならない。かかる値切り交渉の精神は、一七八九 年の人びとが、世界に向けて発するべき訴えの中核に不注意にもすえてしまった権利 の観念のうちに、すでに暗黙裡に含まれていた。」(ヴェイユ, 2013, pp. 189─190)

権利には「値切り交渉の精神」(esprit de marchandage)が含まれているとヴェイユは 指摘している。労働組合や政党、左翼知識人は労働者の置かれた厳しい境遇を、賃金とい う観点でしか捉えることができない。労働組合や政党、左翼知識人が擁護しようとする労 働者の権利という観念では、「悪魔」に対する交渉以外に機能しない。この交渉において、

労働者は「商品」として捉えられている。それゆえヴェイユは、権利の観念を「分配、交 換、量の観念とむすびつく。なにか商業的な匂いがする」(ヴェイユ, 2013, p. 190)として非 難する。そして、この権利の観念はフランス革命の際に権利の観念を主張の中核として置 いてしまったことに由来するとヴェイユは述べるのである。

フランス革命で主張された権利という観念をヴェイユが非難している文章はこれだけで はない。権利の観念は晩年期の主著である『根をもつこと』においても繰り返し非難され ている。

「諸権利は、つねに一定の条件と結びついて現れる。ひとり義務のみが無条件たりう る。義務はあらゆる条件をこえた領域に位置する。この世をこえたところにあるから である。一七八九年の人びとはこのような領域が実在することを認めなかった。人間 的な事柄の領域しか認めなかったからだ。ゆえに彼らは権利の観念から出発した。だ が同時に絶対的な原理を措定しようと欲した。この矛盾のせいで彼らは言語と概念の 混乱に落ちこみ、この混乱からたぶんに昨今の政治的・社会的な混乱が生まれた。」

(ヴェイユ, 2010a, p. 9)

「義務の観念も権利の観念もひとしく神にふさわしくないが、権利の観念のほうは無

(6)

限にふさわしくない。権利の観念は純粋な善から無限に遠いからだ。権利を所有する とは、それを善用する可能性と悪用する可能性をふたつながらに含意する。逆に、義 務の遂行はつねに無条件にあらゆる点でひとつの善である。一七八九年の人びとは、

自身の霊感を依拠させる原理として権利の観念を選ぶことで、惨憺たる結果をひきお こす過誤をおかした。」(ヴェイユ, 2010b, p. 144)

フランス革命において、権利は「絶対的な原理」として理解され、そして「絶対的な原 理」としての権利が求められた。しかし、ヴェイユにとって権利はつねに何かに条件付け られており、人間的な事柄の領域に属するような、制限を課せられた世俗的な観念である と言える。それゆえ、権利は悪用することも可能なのである。鈴木(2012)も指摘してい るように、ヴェイユは権利の起源を古代ローマの所有権にあると考えている。しかし、古 代ローマの所有権には、「所有者が使用および濫用の権利を有していたこれらの事象の大 半は、生身の人間だったのである」(ヴェイユ, 2013, p. 191)とヴェイユが述べているように、

人間を奴隷として所有するという悪用を認めるような部分が含まれていた。権利概念はそ の起源から考えても悪用の可能性を孕んでいるのである。

4 まとめ

結局のところ、シモーヌ・ヴェイユはフランス革命をどのように捉えていたのか。

すでに見てきたように、シモーヌ・ヴェイユはフランス革命をナショナリズムのきっか けとして捉えている。かつて世界には多くの集団が存在しており、その集団の数だけ

「愛パ ト リ オ テ ィ ス ム

国心〔祖国愛〕」が存在していた。人間は、複数の集団に対して「愛パ ト リ オ テ ィ ス ム

国心〔祖国愛〕」

を持つことができた。しかし、シャルル五世以降の「専デ ス ポ テ ィ ス ム

制主義」は「愛パ ト リ オ テ ィ ス ム

国心〔祖国愛〕」

を歪めさせ、多くの「根こぎ」された人びとを生み出していった。だが、「専デ ス ポ テ ィ ス ム

制主義」で は「根こぎ」された人びとを結びつけることはできなかった。それを成し遂げたのがフラ ンス革命であった。フランス革命が世界に存在していた諸集団を一つの国民国家という集 団にまとめあげたのであった。フランス革命は「愛パ ト リ オ テ ィ ス ム

国心〔祖国愛〕」をナショナリズムに 変えた。

またヴェイユは、フランス革命がその運動の中心においた権利概念というものを批判し ている。権利概念には、「商業的な匂いがする」(ヴェイユ, 2013, p. 190)ような「値切り交渉 の精神」(esprit de marchandage)が含まれている。権利概念は悪用の可能性を孕む、条 件づけられた人間の領域のものである。それにもかかわらずフランス革命は権利概念を

「絶対的な原理」として定めようとした。ヴェイユはこのことが「昨今の政治的・社会的 混乱」(ヴェイユ, 2010a, p. 9)を生んだと述べている。

すなわち、ヴェイユにとって、フランス革命とは「ひとつの真の断絶であった」(ヴェイ

(7)

ユ, 2010a, p. 159)と言える。ナショナリズムの議論においては、複数の集団の中に存在して いた「愛パ ト リ オ テ ィ ス ム

国心〔祖国愛〕」が、フランス革命によって単一の国民国家に対するナショナリ ズムへと回収されていったという断絶であり、権利概念に関する議論においても、フラン ス革命によって、「絶対的な原理」としての権利概念が生まれ、19世紀、20世紀のフラン スの「政治的・社会的混乱」(ヴェイユ, 2010a, p. 9)を生じさせたという意味において、断絶 であった。

1)ただし、「集団」(collectivité)については、否定的に述べられている箇所もある。のちの章でも参

照する「人格と聖なるもの」という論文において、「集団は聖なるものに無縁であるのみならず、聖 なるものの粗悪な紛いものを供することで人心を惑わせる。集団に聖なる特性をあたえる過誤が偶像 崇拝である。それはあらゆる時代、あらゆる国において、もっとも広くゆきわたっている犯罪であ る」(ヴェイユ, 2013, pp. 184─185)と述べられているように、集団がもつ全体主義的傾向に批判が向 けられている。この両義性について、ヴェイユは直接語っていないが、「人間の魂を養う糧」として の集団とは地域共同体などといったゲマインシャフト的なもので、「聖なるものに無縁である」集団 は政党や国民国家成立以後の社会などのようなゲゼルシャフト的なものであると考えていたのではな いだろうか。

引用・参考文献

[ 1 ]今村純子(2010)『シモーヌ・ヴェイユの詩学』慶應義塾大学出版会

[ 2 ]ヴェイユ, シモーヌ(1967)『神を待ちのぞむ』渡辺秀訳、春秋社

[ 3 ]─(1969)『ロンドン論集とさいごの手紙』田辺保ほか訳、勁草書房

[ 4 ]─(1967)『神を待ちのぞむ』渡辺秀訳、春秋社

[ 5 ]─(1996)『ヴェーユの哲学』渡辺一民ほか訳、筑摩書房

[ 6 ]─(2005)『自由と社会的抑圧』冨原眞弓訳、岩波書店

[ 7 ]─(2007)『重力と恩寵』冨原眞弓訳、岩波書店

[ 8 ]─(2010a)『根をもつこと(上)』冨原眞弓訳、岩波書店

[ 9 ]─(2010b)『根をもつこと(下)』冨原眞弓訳、岩波書店

[10]─(2012)『シモーヌ・ヴェイユ選集Ⅰ』冨原眞弓訳、みすず書房

[11]─(2012)『シモーヌ・ヴェイユ選集Ⅱ』冨原眞弓訳、みすず書房

[12]─(2013)『シモーヌ・ヴェイユ選集Ⅲ』冨原眞弓訳、みすず書房

[13]ヴェトー, ミクロス(2006)『シモーヌ・ヴェイユの哲学─その形而上学的転回』今村純子訳、慶 應義塾大学出版会

[14]大木健(1968)『シモーヌ・ヴェイユの生涯』勁草書房

[15]クルティーヌ=ドゥナミ, シルヴィ(2010)『暗い時代の三人の女性』(庭田茂吉など訳)晃洋書房

[16]クルティーヌ=ドゥナミ, シルヴィ(2013)『シモーヌ・ヴェイユ─天上の根を求めて─』(庭田茂 吉・落合芳訳)萌書房

[17]コールズ, ロバート(1997)『シモーヌ・ヴェイユ入門』福井美津子訳、平凡社

[18]鈴木順子(2012)『シモーヌ・ヴェイユ「犠牲」の思想』藤原書店

[19]谷川稔(1983)『フランス社会運動史 アソシアシオンとサンディカリスム』山川出版社

[20]谷川稔ほか(2006)『近代フランスの歴史─国民国家形成の彼方に─』ミネルヴァ書房

[21]冨原眞弓(2002)『シモーヌ・ヴェイユ』岩波書店

[22]Edward Andrew, “Simone Weil on the Injustice of Rights-Based Doctrines”, The Review of Politics, 48

(8)

(1986), pp. 60─91

[23]Pierce, Roy, “Contemporary French Political Thought”, London; New York, Oxford university Press, 1966

[24]Robert Sparling, “Theory and Praxis: Simone Weil and Marx on the Dignity of Labor”, The Review of Politics, 74(2012), pp. 87─107

[25]Ronald Beiner, “Political philosophy: What It Is and Why It Matters”, New York, Cambridge University Press, 2014

[26]Simone Weil, “L’enracinement”, Paris, Gallimard, 1949

参照

関連したドキュメント

前章 / 節からの流れで、計算可能な関数のもつ性質を抽象的に捉えることから始めよう。話を 単純にするために、以下では次のような型のプログラム を考える。 は部分関数 (

この問題をふまえ、インド政府は、以下に定める表に記載のように、29 の連邦労働法をまとめて四つ の連邦法、具体的には、①2020 年労使関係法(Industrial

わかりやすい解説により、今言われているデジタル化の変革と

また自分で育てようとした母親達にとっても、女性が働く職場が限られていた当時の

夫婦間のこれらの関係の破綻状態とに比例したかたちで分担額

運搬してきた廃棄物を一時的に集積し、また、他の車両に積み替える作業を行うこと。積替え

看板,商品などのはみだしも歩行速度に影響をあたえて