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比較経済研究第 53 巻第 2 号 持つようになったのか, そして体制移行後にそれまでの経路からの逸脱がどのように生じたかを分析する. 2 中欧における自動車産業の展開 1989 年の東欧革命以後, 中東欧諸国は市場経済体制への移行を開始した. 体制移行開始後, 欧米を中心とする外国企業が旧国営企業

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第53巻第2号(2016年6月)37-49頁

1 はじめに

ポーランド,チェコ,スロバキア,ハンガリー の中欧 4 カ国を中心に,体制移行を経験した中東 欧の自動車産業は,90年代以降,産業規模を大き く拡大してきた.経済システムの転換に伴う自動 車産業の変化は,ヨーロッパの自動車産業におけ る生産と消費にかかわる地理的な変化をもたらし た(Sadler et al.,1993; Pavlínek et al.,2009). 中欧 4 カ国の2014年における自動車生産台数は 350万台であり,これは EU 全体の生産台数の 20%にあたる.体制移行と EU 加盟を経験する中 で,欧米をはじめとする外国メーカーが中東欧に 進出を果たし,欧州における産業ネットワークは 大きく地理的に変化するとともに,それに伴う外 国直接投資(FDI)の増加が西欧経済と中東欧経 済 の 結 合 の 主 た る エ ン ジ ン と な っ て き た (Lefilleur,2008,p.69) ポーランドにおいても,自動車産業は経済の中 心をなす産業の一つである.自動車産業はポーラ ンドの GDP の11.8%を占め,製造業においては 食品等に次ぐ規模であり,輸出においても15.7億 ユーロ(総輸出の16%)の規模となっている1) しかし近年の中東欧においては,新規投資型で の外国メーカーの進出や,各メーカーの戦略の違 い,生産車種や部品の集中・特化など,中東欧内 での自動車産業の多様化が見られるようになって きている.体制移行後の自動車産業の変化の過程 においては,その主要アクターとして参入を果た した外国企業の中東欧戦略だけではなく,各国自 動車産業の特色と国家による関連政策も大きな影 響を与えてきたと思われる(Sadler et al.,1993, p.347).特にポーランドにおいては,本稿で見る ように完成車生産の落ち込みと,エンジンを中心 とした部品生産の拡大という特徴がみられるよう になってきている.本稿は,ポーランドにおける 自動車産業の発展経路の特徴と,体制移行後の発 展経路がそれまでの経路から逸脱していることを 示すことを主要なテーマとする. 本稿では,体制移行以後のポーランドにおける 自動車産業の発展を,外国メーカーの欧州戦略と ポーランドにおける投資優遇政策との関連の中で 捉えることを試みる.その中で,本稿の分析には 経路依存性の概念を用いることにより,ポーラン ドにおける自動車産業では,体制移行以前からの 歴史的な発展経路のつながりが見られる点と,そ の経路からは逸脱した近年のエンジン生産を中心 とする部品産業基地としての新たな役割が見られ るようになった点が明らかにされる. 第 2 節では,ポーランドを含めた中東欧自動車 産業の現状と,これまでの当該地域の自動車産業 における先行研究の視点を提示する.第 3 節では, 本稿で扱う経路依存性概念を整理し,経路依存の 形成過程と,経路からの逸脱の可能性について述 べる.第 4 節では,ポーランド自動車産業がその 形成期からの発展の中でどのように経路依存性を

ポーランドにおける自動車産業の発展経路

岡崎 拓

要旨: 長い歴史を持つポーランドの自動車産業は,政府による産業育成への取り組みと,イタリ ア・FIAT 社との結びつきを中心とした国内生産体制の確立という発展経路をとった.しかし,体制 移行期以後の FIAT の不振,大宇 FSO の倒産による外的ショックは,ポーランド自動車産業の発展経 路からの脱経路を導いた.結果として,現在のポーランドは中欧,また欧州内でのエンジンを中心と する部品供給基地という新たな役割を持つに至っている. [キーワード:ポーランド,自動車産業,経路依存性,FIAT,FDI]

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持つようになったのか,そして体制移行後にそれ までの経路からの逸脱がどのように生じたかを分 析する.

2 中欧における自動車産業の展開

1989年の東欧革命以後,中東欧諸国は市場経済 体制への移行を開始した.体制移行開始後,欧米 を中心とする外国企業が旧国営企業の買収を通じ て中東欧の自動車産業に進出を果たし,技術の伝 達,雇用の創出,ヨーロッパ(特に EU)市場へ の組み込み,欧州自動車生産ネットワークへの組 み込みなどをもたらしてきた. 近年の中欧 4 カ国における自動車生産台数が表 1 である.EU 加盟以後,チェコは順調に生産規 模を拡大し続け,120万台を超える規模にまで達 した.チェコの自動車生産の中心は VW 傘下の シュコダであり,60万台以上の生産規模を持つ. シュコダは,1895年創業のチェコの伝統メーカー であり,社会主義時代における国内向け乗用車生 産の経験を持つ旧国営企業である2).一方で,ト ヨタとプジョー・シトロエン(PSA)が2002年に合

弁企業TPCA(Toyota Peugeot Citroën Automobile) を設立する形で進出を果たし,中東欧から西欧向 けの輸出用の小型車(Aygo,プジョー107,プジ ョーC1など)を主に生産している.さらに2008 年に韓国・現代自動車が新規投資の形で進出を果 たした.2011年以降,生産規模を年間30万台規模 に拡大するとともに,スロバキアにおける起亜向 けのエンジン生産も行っている.結果として,チ ェコの自動車産業は,外国メーカーの参入を通し て伝統企業と新規企業が並存する形で成長を続け ており,中東欧自動車産業における産業変化の成 功例の 1 つといえる(Pavlínek,2008,p.264). ポーランドも,チェコと同様に体制移行以前か ら伝統的な自動車産業が存在していた国である. 体制移行後ポーランドメーカーの FSO(Fabryka Samochodów Osobowych)も外資による買収を模 索したものの,チェコのケースと比較して難航し, その後も買収元の大宇(Daewoo)の倒産などで, 近年は自動車生産台数の急激な落ち込みが見られ る.一方で,FIAT との政府との産業勃興期から の関係性は,ポーランド南西部の自動車生産拠点 の発展と結びついており,現在でも,FIAT がポ ーランドの自動車生産の約半分を担うなど影響力 は非常に大きい.ポーランドにおける自動車産業 の発展と近年の変化については第 4 節で見る. スロバキアでは,社会主義時代においてはごく 小規模の商用車の生産が行われていたのみであり, 乗用車の生産拠点は体制移行開始時には皆無であ った.しかし91年に VW が進出,VW ブランド やシュコダブランドの小型車を中心とする乗用車 を生産し,現在では年間40万大規模の生産能力を 持つ.この VW の大型投資・進出に伴い,移行 後新たに欧米系 Tier 1,Tier 2 の部品メーカーも 進出が増加し,国内自動車産業の基盤が整備され た(JETRO,2006,p.25).この VW の進出に続 き,現代グループ起亜と PSA がスロバキアに 2006年に参入し,各30万台規模の生産を行ってい る.これによりスロバキアは現在100万台規模の 自動車生産国となり,チェコに次ぐ規模となって いる. ハンガリーは80年代から政府が外資との交渉を 開始し,自動車産業においては日本のスズキがそ のパートナーとなった.スズキにとってハンガリ ーが現在でも欧州唯一の生産拠点であり,ハンガ リー政府との参入交渉が本格的な欧州戦略の始ま りであった.ハンガリー進出までスズキは欧州内 に部品供給ネットワークを持っていなかったため,

表 1 中欧における自動車生産台数(2006-2014)

年 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 4 か国合計 2,055,041 2,593,449 2,821,238 2,538,124 2,719,252 2,891,272 2,978,146 3,019,377 3,253,883 チェコ 854,817 937,648 946,567 983,243 1,076,384 1,199,845 1,178,995 1,132,931 1,251,220 ハンガリー 190,233 292,027 346,055 214,543 211,461 213,531 217,840 321,287 437,599 ポーランド 714,600 792,703 952,840 878,998 869,474 838,133 654,756 590,159 593,904 スロバキア 295,391 571,071 575,776 461,340 561,933 639,763 926,555 975,000 971,160 出所:OICA Production Statistics.

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供給体制の確立と調達率の向上が大きな課題であ った(素形材センター,2008,p.22).欧州進出 の足がかりとしたいスズキと,中欧内で体制移行 後新たに自動車産業の形成を図るハンガリー政府 の利害の一致により,スムーズな新規投資と生産 体制の構築が行われた. 中欧各国に進出している VW グループは,ハ ンガリーに Audi を参入させた.ハンガリーの Audi により生産されたエンジンが,欧州内の VW グループ各ブランド向けに輸出する体制を取 るなど,グループ内の重要な生産ネットワークの 一部となっている. 以上のように中欧 4 カ国の90年代以降の自動車 産業の発展は,外国企業の進出という共通点は見 られるものの,その進出形態や進出時期は異なる. その中でポーランドは伝統的な産業の歴史を持ち ながら,近年自動車生産台数の減少が見られ,新 興のスロバキアに完成車生産規模で追い抜かれる という事態となっている.このような状況を鑑み るに,体制移行から現在に至るまでの25年の間に, 中欧,あるいはポーランドにおける自動車産業の 発展経路に大きな変化が見られるのではないかと 考える.次節では経路依存性概念の整理を行い, ポーランド自動車産業分析を始めるにあたっての 理論的枠組みを提示する.

3 経路依存性概念の整理

3.1 はじめに 本節では,ポーランド自動車産業を分析するに あたって用いる,経路依存性概念に関して,その 定義からメカニズムに至る点についての整理を, 先行研究を参照しつつ行う. 前述の通り,経路依存性概念は,90年代以降, 制度,技術の発展や展開に関する分析に用いられ てきた.経路依存性分析が用いられる分野は非常 に広範である.経済学の枠組みにおいても, Vergne and Durand(2010)ではその適用分野を, 長期の制度の固定化に関わるマクロレベル,技術 選択や非最適ガバナンスに関わるメゾレベル,そ して組織の硬直性に関わるミクロレベルの三段階 に分類して,これまでの研究を概観している.こ れら幅広い分野に適用されている経路依存性研究 の基礎付けをなした研究として,キーボードの 「QWERT」配列の固定化における技術的経路依 存 性 を 提 示 し た David (1985 )がある.また Arthur(1989,1994)は経路依存概念の理論化の 先駆けであり,経路依存性の諸段階とそのメカニ ズム構築を試みた.さらにこれらを制度変化の経 路分析へと拡張したのが North(1990)であった (Sydow et al.,2009). 3.2 経路依存性メカニズム 当初の経路依存性研究においては,1.予想でき ない出来事の,経済構造への長期にわたる影響, 2.収穫逓増とネットワーク外部性による,安定的 状況の維持と強化,3.外的ショックが,安定的状 況を破壊しうる可能性,という 3 点をその特徴と して捉えている(Henning et al.,2013). 本稿における経路依存性の定義は,Sydow et al. (2009)における経路依存性メカニズムの考え方 を踏襲する.経路依存性メカニズムは偶発性 (contingency),自己強化性(self-reinforce),ロッ クイン(lock-in)という 3 つの特徴を持ち,予備 成形フェーズ,成形フェーズ,ロックイン・フェ ーズの三段階からなる.各段階には以下のような ものである. ① 予備成形フェーズ Sydow et al.(2009)によると,産業,組織に おける経路依存メカニズムの第 1 段階は,予備成 形フェーズ(Preformation Phase)と呼ばれる.組 織経路依存においては,予備成形フェーズの初期 状態は白紙状態を意味するものではない.なぜな ら初期状態は「歴史のキャリア」と呼ばれる,常 にそれ以前の歴史や過去の慣習から影響を受ける からである.他方過去がその後の経路を全て確定 させるものではなく,予備成形フェーズは,選択 しうるオプションを含む帯である. これは,経路依存性(path-dependency)と,そ れに近い概念として理解される過去依存性(past-dependency)との差異に関わる点である.過去依 存性概念において,過去は経路創造に「決定論的 に」影響を与えるものであり,選択の多様性や流 動性はないとされる.一方,経路依存性では,第 1 フェーズでは,他の選択可能なオプションが, 無限ではないものの複数存在し,それが漸進的に 「先細り」(Sydow et al.,2009)していくプロセ

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スであることから,それ以前の状況は決定論的な 影響を持たない. この予備成形フェーズから経路の創造,つまり 次の段階への移行が始まるポイントが,経路のト リガーとなる出来事である.このイベント「重大 な接合点(critical juncture)」は,予期不可能かつ 非目的的なランダムイベントであり,同時に当事 者がその場で即席,即興的に作り上げたイベント として理解されている(Dobusch and Kapeller, 2013).したがって,これらのスモールイベント は,必ずしも完全にランダムに選ばれたものでは なく,前述の歴史的影響を受けた上で選ばれたイ ベントであるとされる.この「重大な接合点 (critical juncture)」に達することで,経路の誕生, 同時に次の成形フェーズへの移行が起きる3) ② 成形フェーズ 第 2 フ ェ ー ズ は 成 形 フ ェ ー ズ ( Formation Phase)である.このフェーズにおいて重要性を 持つ概念はフィードバック効果である. 成型フェーズでは,前フェーズのトリガーとな るイベントや決定により選ばれた選択肢から, さらに組織やそれに関係する下部システムが構築 される.結果として選択可能な以降の選択肢の幅 はさらに狭まり,トリガーから始まる方向性が経 路として現れる. ただし,このフェーズでは,選択可能オプショ ンの幅は狭まってはいるものの,完全なロックイ ン以前の段階であるため,単一の経路への完全な 収斂は行われていない. ③ ロックイン・フェーズ ロックイン・フェーズに入ると,別の社会的ま たは組織的な選択肢へと経路がシフトすることが 不可能な状態となる(Dobusch and Kapeller, 2013).ただし次の項で述べる「脱経路」の可能 性が論じられる以上,支配的な状況下に置かれて いるものの,いかなる状況においても変更が許さ れないものではない.ただし脱経路のきっかけと なる状況に陥らない限り,非最適状況下でも同様 のプロセスが繰り返され,新たなアクターがこの 状況下に参入してきたとしても,ロックインされ た経路から逸脱することはできない(Sydow et al.,2009). 3.3 脱経路の可能性 以上のように経路依存性メカニズムは,漸進的 な選択肢の狭窄と経路の固定化が進行するプロセ スである.したがって,経路依存のメカニズムに 組み込まれ,ロックイン状態に至ったアクターは, その非可逆性と正のフィードバック効果により, 経路からの逸脱・脱出は基本的に不可能な状態と なる.しかし,これまでの経路依存性に関する研 究においては,例外的なケースでは脱経路(de-lock)の可能性が残る(Sydow et al.,2009)とし ている.一つの可能性は,外部からのシステムへ の変更力が働く場合である.Arthur(1994)では, システムに作用しうる経路変更力として,外部か らの強制力,意図しない外的ショック,カタスト ロフィーなどの事例が挙げられている.また,内 部からの脱経路においては新規参入者による組織

図 1 経路依存性モデルのイメージ

出所:Sydow et al., 2009, p. 692.

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の変革,他のアクターの決定による副次的効果な どのケースに限定される(Sydow et al.,2009). その他に,Henning et al.(2013)ではシステム内 での異質性や多様性の存在,関連産業の多様化, 既存組織・産業のアップグレードなどが産業にお ける経路依存性の観点から述べられている.

4 ポーランド自動車産業における経路依存性

4.1 ポーランド自動車産業の形成と経路の形成 本節では,ポーランドの自動車産業が,その形 成から体制移行期まで経路依存メカニズムに基づ いていた点,そして体制以降から現在に至るまで の間に脱経路が発生した点を,その要因とともに 分析する. はじめに,ポーランド自動車産業の黎明期を見 る.ポーランドの自動車産業の始まりは早く, 1893年にはワルシャワにポーランド企業のウルス ス Ursus が設立され,トラックなどの生産を始め ていた.しかしウルススは1930年ごろ経営危機に 陥っており,政府による支援が必要であった. 1918 年 に は 同 じ く ワ ル シ ャ ワ に ,CWS (Centralne Warsztaty Samochodowe)が設立された.

CWS は当初,第一次大戦後にポーランドに残さ れた軍用車両の整備を行う企業として出発したが, その後戦車や軍用トラックを含む軍事車両の生産, 供給を行った.これは,独立を獲得したポーラン ド(第二共和国)が,ロシアの潜在的な脅威に対 抗するためにポーランド国内の自動車(軍用車) 生産体制構築を目指したものであった4).さらに CWS は同社設計の CWS T シリーズを開発し,ポ ーランド製自動車の生産拡大を目指した. その後1928年に,この CWS と,経営危機を迎 えていたウルススの生産設備を吸収する形で, PZInż(Państwowe Zakłady Inżynierii)が国営企業 として設立された.PZInż では,軍用車,農業用 トラック,一般向け乗用車などの部門別生産体制 がとられ,第二次大戦までのポーランドにおける 中心的な自動車企業として生産を続けた. 以上のように,ポーランドにおいては自動車生 産が,第一次大戦の終結とポーランドの独立の回 復という政治的・経済的状況から立ち上がった. 独立後の国土に残された軍用車両の修理が,不安 定なポーランド周辺の状況のために需要され, CWS から PZInż が政府主導で設立される中で戦 間期のポーランド軍事車両の生産を担った.現在 でもポーランドは初期からの農業用車両生産のウ ルススのみならず,バスやトラックを中心とする 商用車生産が続いている.特にバスに関しては MAN,Volvo,Soraris,Scania などのメーカーが バスやトラックを,VW がライトバンなどの小型 商用車の生産を続けてきた.結果としてポーラン ドは10万台規模の商用車生産国となり,これは中 東欧内で最大規模の生産規模である.しかしこの 次に続くフェーズではこれとは異なり,外資との 結びつきと乗用車の国内生産の拡大という方向性 が形作られることとなる. この自動車産業の形成から30年代までの,大戦 後の産業復興と民族系メーカーの設立の時期を, 次に述べる成形フェーズとの関係から予備成形フ ェーズと定義する. 1929年からの大恐慌(世界恐慌)期に突入する と,ポーランドにおける自動車生産も大幅に減少 し,ポーランド政府は民族系企業と外国企業の連 携を模索した.この時期に FIAT とフランス・シ トロエンが政府と交渉を行ったが,結果的に FIAT が PZInż とのライセンス生産に合意した. このライセンス契約に基づき,Fiat 508 モデル を中心とした小型車やトラック,軍用車などが生 産され,ワルシャワを中心とした国内自動車生産 体制が確立されるとともに,FIAT とポーランド 政府との結びつきが強化された.この PZInż の生 産はその後,第二次世界大戦の勃発とドイツ軍の ワルシャワ占領により停止に追い込まれた. 1931年の PZInż と FIAT のライセンス契約締結 が,ポーランド自動車産業における以後の発展経 路を方向付けるイベントであると思われる.1920 年代末から,ポーランド政府は外国メーカーとの ライセンス生産を通して,自動車輸入から国内組 み立て生産への転換,国内自動車産業の設備強化 と近代化を企図していた(Polska Droga Fiata,p. 6).このライセンス生産に基づき生産された Fiat 508 モデルなどの車種は,ポルスキ・フィアット Polski Fiat ブランドとして生産・販売された.こ れによりワルシャワ周辺が国内乗用車生産の中心 地となり,政府の積極的な産業育成と外国企業で ある FIAT の強い影響力というポーランド自動車

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産業の発展経路の基礎付けがなされたといえる. 戦後,社会主義経済圏となったポーランドにお いて,FSO(Fabryka Samochodów Osobowych)が ワルシャワに設立された.FSO Warszawa,FSO Syrena などのモデルを生産していた FSO は, 1965年に再び Fiat とライセンス契約に合意し, Fiat 125p の 生 産 を 始 め , そ の 後 に 投 入 し た Polonez モデルの好調に伴い生産規模を拡大して いく.これにより Polski Fiat ブランドも復活し, Fiat 125p モデルを中心とした生産体制を確立した. このように,軍事的・政治的な目的と共に形成 されたポーランド自動車産業は,経済危機を経て, FIAT との支援の下で,民族系メーカーと外国資 本の協力関係という特徴を作り出した.結果とし てこれがポーランドの自動車産業の発展,部品供 給や貿易を通じた外国(西側)との産業連携の形 成をもたらした.以上の点を踏まえ,この FIAT の参入と Polski Fiat ブランドの設立が,経路依存 性モデルにおける予備成形フェーズから成形フェ ー ズ へ の 移 行 点 , す な わ ち 「 重 大 な 接 合 点 (critical juncture)」となっていたといえる. 4.2 ロックイン・フェーズ 1971年に,Syrena の生産を受け継ぐ形で,Fiat と FSO の 合 弁 企 業 と し て FSM ( Fabryka Samochodów Małolitrażowych)がポーランド南部, シレジア地方のビエルスコービアワ Bielsko-Biała に設立された. FSM の設立後,ポーランド南西部のティヒ Tychy とビエルスコ-ビアワにおいて Fiat 126p モ デルの生産が開始された.ワルシャワから離れた 南西部での自動車生産には,政府の産業政策(経 済政策)が大きく関係していた.1970年からポー ランド統一労働者党・第一書記に就任したエドヴ ァルト・ギエレクは,物価高騰や輸出低迷に苦し む経済状況改善の対策として,西側諸国からの外 資の積極的導入とそれによる技術・設備の導入と 産業の近代化を目指した(経済企画庁,1981). ギエレク政権は,ポーランド南西部カトヴィツェ Katowice を中心とする地域に鉄工所をはじめと する経済開発を実施し,そのひとつが FSM の設 立であった.このような経緯で設立された FSM は,体制移行開始後の1992年まで存続し,その後 FIAT によって買収されている.FSM は,Fiat 126p モデルのイタリアでの生産停止により,同 モデルの唯一の生産国となり,西欧を含む欧州各 国への輸出を行う中で(Balcet and Enrietti,1998), FIAT とポーランドにおける関係を強化した. このように第二次大戦後のポーランド自動車産 業も,政府による強力な産業育成(外資導入)政 策と5),それに伴って強化されていったポーラン ドと FIAT の結びつきという発展経路をたどって いた.特に FSM の設立は,ライセンス生産の復 活を意味するだけでなく,ポーランド南西部への 自動車産業,特に大規模な乗用車生産拠点の立地 という意味もあった.この FSM が体制移行後, Fiat Auto Polnd となり,ポーランド自動車産業の 中心地域として更なる発展を見ることを考えると, この FMS の設立が,ポーランド自動車産業の発 展経路におけるロックイン・フェーズの開始点で あると考える. ここまでの自動車産業の発展経緯が,現在のポ ーランド国内のサプライヤーの立地状況から見て 取れる.図 2 をみると,ポーランドにおける主要 国内サプライヤーの集積が,首都ワルシャワ周辺, カトヴィツェ近郊の南西部,そして南東部に見ら れる,本節で述べた通り,ポーランドの本格的な 自動車生産は現在の首都ワルシャワから始まって いる.90年代以降も FSO,ウルススがワルシャ ワに立地している.しかし現在最大の集積地は, FIAT(旧 FSM)が立地し,さらにトヨタなどの 外国メーカーも進出を果たしたカトヴィツェ近郊 である. ただ,前述のワルシャワ周辺,フィアットをは じめとする外国企業の進出地である南西部からポ ズナン周辺とともに,南東部・ポドカルパチア Podkarpackie 県にもポーランドサプライヤーが多 く立地しているのがわかる.この地域では戦間期 に中央工業地域(Centralny Okręg Przemysłowy:

COP)が設立されていたという経験を持つ.COP6) は,当初1936年から40年の間に設立を計画された, 第二共和国ポーランドの経済・産業プログラムで あった.これはドイツ,ソ連から遠い当時のポー ランド中央地域(現在のポーランド南東部)にポ ーランド産業の集中地域を設立するプログラムで あり,鉄鋼業,自動車,航空,軍事などの工場・

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企業が設立された.自動車に関してはこのプログ ラ ム に 基 づ い て Lubelska Fabryka Samochodów Ciężarowych が後に設立され,シボレーとのライ センス契約を行い,トラックやバン,軍用車など を生産していた.この生産体制は体制移行後も継 続され,現在は FS Honker として商用車を生産し ている. このように体制移行期以前からのポーランド自 動車産業は,第二共和国時代のポーランド政府の 経済産業政策に深く関わりつつ,旧来の民族系メ ーカーの立地と,FIAT 主導で発展した南東部の サプライヤー集積が,ポーランドのサプライヤー の分布に大きく関わっているものと考えられる. ただし,現在のポーランドの Tier 1,Tier 2 サプ ライヤーは大手外国メーカーの進出に付随した外 資サプライヤーが担っており7),部品産業におい ても民族系企業から外資企業中心の産業構造にな っていると言える. 以上のような,産業の発展経路に基づいて形作 られた,ポーランド自動車産業における経路は, 産業の形成から FIAT 参入までの予備成形フェー ズ,民族系企業の FSO と FIAT の協力体制を取っ た成形フェーズ,FSM 設立から南西部自動車産 業集積の形成期のロックイン・フェーズ という形を取っている. このように形作られた産業の発展経路 の 中 心 は , ポ ー ラ ン ド 自 動 車 産 業 の FIAT 依存である.FIAT は前述のとおり, ポーランドの乗用車生産の開始後早くか らライセンス生産という形を通じて,現 在に至るまでポーランド自動車産業の中 心に深く関わりを持つ.PZInż との交渉 においても,シトロエンに比較して有利 な条件を積極的に提示し(Polska Droga Fiata,p. 8),ポーランド国内に海外技 術の導入と輸出体制の構築を行った.70 年代以降は FSM の設立により,本格的 にポーランドが FIAT の生産拠点の一つ として活用されるとともに,後のポーラ ンド自動車産業集積の中心となるカトヴ ィツェ周辺へのサプライヤー立地が進ん だ.体制移行後 FIAT はポーランド国内 メーカーの FSM 買収を行ったが,この 時点までに危機的な経営状況にあった FSM の対 外債務清算に6億5000万ドルを投資している(素 形材センター,2008).買収と Fiat Auto Poland の

設立において,旧 FSM の経営体質の改革,特に マネジメントの中央集権化とサプライネットワー クの見直し,人員の削減と生産性の向上を行った (Haanes et al.,1997). このような FIAT の取り組みと,FIAT との関係 を自動車産業の維持・発展の手段として活用しよ うとしたポーランド政府の政策が,当初の産業の 形成期から FIAT 中心の産業構造への経路依存を もたらしたと言える.次項では,このように形成 されたポーランドの経路依存が,90年代後半以降 どのように変化し,脱経路と言える状況になった かを分析する. 4.3 体制以降後の脱経路 本節では,90年台後半から EU 加盟時期の期間 において,ポーランド自動車産業に脱経路の動き が見られたかを検討する. 1990年に始まる体制移行期に入って以後,ポー ランドにおける自動車生産は,拡大期と減産期を それぞれ 2 度経験している.第 1 の拡大は90年代

図 2 ポーランド主要国内サプライヤー立地

出所:FBC Business Consulting (2007).

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前半からの体制移行に伴う自動車メーカーの参入 と生産開始である.多くの国営企業の民営化が図 られ,それは自動車産業の中心であった FSO も 例外ではなかった.しかしながら FSO の買収は 当初の GM との協議が難航するなどの問題を抱 え,1995年の韓国・大宇による買収を待たなけれ ばならなかった8).さらに他の中東欧諸国と同様 に,外資規制の壁が大幅に解消されたポーランド にも外資による投資が行われることとなる.1993 年にドイツ・フォルクスワーゲン(以下 VW)が ポーランド FSR Tarpan の買収・子会社化を経て 自社ブランドの生産をポズナンにて開始.その他 にも,欧州 GM,VOLVO,MAN,Scania などが 90年代にポーランドへの進出を果たす. 現在ポーランドにおいて自動車産業は製造業第 2 位の生産高シェアを占めており,同時に輸出品 目の中心でもある.2013年現在,ポーランドに進 出している主な企業は FIAT,GM,トヨタ,VW, MAN, VOLVO,SCANIA などである.図 3 に 見られるようにポーランドの自動車産業は主に南 部から西部にかけて立地している.これは主にポ ーランドの自動車生産が西欧向け輸出に向けられ ていることや,南西部の工業の歴史的発展などが 理由に挙げられる. FIAT,GM,VW などの参入を経て,99年には 60万台の生産規模に拡大した.しかしながら,95 年からポーランド国内メーカーの FSO と合弁会 社を設立し,99年には20万台規模の生産を行って いた大宇が経営破綻したことから合弁会社も倒産, 結果としてポーランドの自動車生産台数も2002年 には33万台レベルにまで大幅に落ち込んだ. 第 2 の拡大はポーランドを含めた中東欧諸国の EU加盟期である2004年から見られた.FIAT の新 型 Panda 等,各社の新モデル投入や生産移管によ り,生産は急激に拡大し,2008年に国内生産台数 は100万台を超える規模にまで発展した.その 2008年をピークとして,現在に至るまで自動車生 産台数は減少し続けている.各メーカーとも近年 生産台数が減少傾向にあるが,ポーランド生産の 約50%を担う FIAT の主力モデルの一つである Panda がイタリアに生産移管されると同時に旧型 Panda も生産終了したことが生産落ち込みの大き な要因となった.また,大宇との合弁が倒産した 後,ウクライナの UkrAVTO に買収されていた

FSO は,Chevrolet Aveo のライセンス生産が2011 年に終了し,生産活動は現在ほぼ行われていない.

図 3 ポーランド大手自動車メーカー立地

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体制移行期からの自動車産業をはじめとする, ポーランド国内産業への外国企業の進出には,ポ ーランド政府による投資誘致政策が大きく関連し ている.ポーランドの中心的な投資誘致政策は, ポーランド政府による財政支援と,EU 基金をも とにした財政支援の二重構造である.EU 規則に 基づいた上限の範囲内で,条件を満たした投資案件 に対して,補助金の形での財政支援が与えられる. さらにポーランドにおける投資政策で特徴的な ものが特別経済特区「SEZ」の存在である.SEZ は投資誘致を目的として設定された地域であり, 現在14カ所が国内に設定されている(図 4).中 東欧においてもポーランド独特の投資政策であり, 「経済特区に関する法律」に基づいて移行期初期 から徐々に全国で設定されていった.条件を満た した SEZ への投資案件に対する優遇措置として は,法人税の優遇を中心に,用地の取得やインフ ラ整備,法的手続きに関する援助などが受けられ るようになる.この SEZ は自動車産業における 外国企業の進出にも大きく貢献している,トヨタ の TMMP(Toyota Motor Manufacturing Poland)は

南西部のヴァウブジフ経済特区へ,GM,FIAT な どは同じく南西部のカトヴィツェ経済特区へ,チ ェコとの国境地域を含む南部クラクフ・テクノロ ジーパークにはトラック生産の MAN が進出して いる.また,関連する部品メーカーなどもこれら の特区へ多く立地している. 以上のように,移行開始後のポーランドの自動 車生産は,当初の水準と比較すると拡大をしてき たものの,順調な発展を現在まで続けてきたとは いえない状況にある.特に FIAT,VW などの外 国大手メーカーのモデル投入や生産移管などの生 産戦略に大きく左右される. 一方,近年の完成車生産の状況とは異なり,ポ ーランドにおける自動車部品生産は成長を続けて いる.特に注目される点が,外国自動車メーカー のエンジン生産である.2013年時点で,年間約70 万基の生産能力を持つ VW と60万基規模の FIAT

図 4 ポーランド国内 SEZ 立地図

出所:駐日ポーランド大使館 広報資料.

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を 中 心 に ,GM ( 旧 い す ゞ 工 場 ), ト ヨ タ (TMMP,TMIP)などが生産を行っている.この 内,ビエルスコ-ビアワの FIAT のエンジン工場 を除く工場は98年以降に設立されている. FIAT,VW の自動車生産の進出が,移行開始 初期に行われているのに対し,エンジン生産拠点 の設立は90年台後半に開始されたものが多い.ま た EU 加盟以後の部品生産に関しては,EU 域内 の関税回避を新たな動機として,日本を含めた新 たな外国サプライヤーの進出と,国内サプライヤ ーの発展が見られる. 経路依存性に基づき,ロックインされた状況は 支配的な影響を持ち,現在の方向が非最適な状況 であっても,自ら変更,改善,後戻りすることは ない.しかしながら,ロックインされた経路は恒 久的に存在するわけではない.経路依存は自己完 結型あるいは閉鎖的メカニズムであるがゆえに, 外的ショックなどにより,その経路が破壊,なら びにそこからの脱出がなされる可能性はある (Henning et al.,2013).Martin and Sunley(2006)

では,脱経路が起こりうる 5 つのケースを挙げて いる.それは,新経路の創造,異質性と多様性の 存在,外部からの新制度などの移植,関連産業の 多様化,既存産業のアップグレードである. 前述のようにポーランド国内では現在,国内, 海外両サプライヤーの重要性が高まっている. Fiat Auto Poland は,かつてのポーランド自動車企 業 FSM の買収により設立された.買収当初から FIAT は積極的に,以前の硬直的,非効率的な組 織変化に着手していた.FIAT は当初経営陣をイ タリアから呼び込み,組織の簡素化とコストカッ トを行った.結果として,サポート機能や生産の 一部をアウトソースすることとなり,ポーランド の FIAT におけるサプライヤーの重要性が相対的 に高まり,新たなサプライヤー関係の構築が早急 に求められるようになった(Haanes et al.,1997). さらに FIAT にとって,低コストで教育水準が 比較的に高いポーランドのサプライヤーは魅力で あり,ポーランドのサプライヤーの割合を高める ことを目標としていた(Balcet and Enrietti,1998). しかし同時に労働生産性と生産効率は低く,先進 メーカーレベルの要求水準を満たすためのトレー ニングが必要でもあった.そこで FIAT は90年台 後半からイタリアのサプライヤーとポーランド国 内サプライヤーの合弁企業立ち上げを推進するよ うになる.これらのサプライヤーは,イタリアか らの技術や訓練,経営戦略などを移植された結果, FIAT のみならず FSO や GM にも部品を供給する こととなった(Pavlínek,2006). またトヨタのエンジン生産拠点の TMMP は, チェコの TPCA 向けのガソリンエンジンを生 産・供給しており,TMIP は英国向けのディーゼ ルエンジン生産拠点として展開している(細矢, 2006).これにより,ポーランドはトヨタの欧州 生産ネットワークにおいて,西欧と中欧両方へエ ンジンを供給する非常に重要な機能を持っている ことがわかる.このトヨタのエンジン生産拠点周 辺に日本ガイシ,日本精工などの日系サプライヤ ーも進出している. VW は,中東欧のみならず世界全体への供給基 地としてポーランド,ならびに中欧地域を活用し ている.VW はチェコ,ハンガリー,ポーランド にエンジン生産基地を持ち,それぞれの拠点が VW 参加のブランドの垣根を越えてエンジンを生 産する,相互供給体制が構築されつつある(細矢, 2006).ポーランドにおいてはポーランド国内で 生産している商用車用のみならず,SEAT,シュ コダ,アウディなど他国で生産されているモデル 向けのエンジン生産が行われている. このエンジンを中心とした部品産業の近年の拡 大は,EU 拡大に伴うヨーロッパ自動車産業の生 産ネットワーク拡大と大きく関わりを持つ.2004 年の EU 東方拡大は,ポーランドをはじめとする 中東欧諸国が EU の単一市場へ組み込まれ,その 労働力,市場を活用することが可能となった.西 欧をはじめとする多くの外国企業がその生産ネッ トワークを東へ広げ,特にポーランド,チェコ, スロバキア,ハンガリーの中欧 4 か国はその中心 となった.VW は,体制移行後の民族系企業の買 収を通じて中欧4か国に自ブランドを割り当て生 産するとともに,中欧で生産した部品を各国へ輸 出している.またトヨタも,前述のとおりチェコ で組み立て工場を立ち上げ,そこへポーランドで 生産したエンジンを供給するとともに,フランス, イギリスなどの西欧拠点とも部品供給ネットワー クを形成している.このように体制移行からEU

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加盟を経る中で,大手外国自動車メーカーの戦略 が大きく変化し,中欧諸国はそれらメーカーの参 入と,拡大した自動車生産ネットワークへの組み 込みを受けた.特にポーランドにおいてはエンジ ン供給のハブとして,ポーランド国内,中欧内に とどまらず,西欧や日本などともエンジン供給に よって結びつきを持つようになった. さらに近年は,自動車産業を含め,ポーランド において R&D をはじめとした産業の高度化がみ られる.細矢(2011)によると,自動車関連のエ ンジニアリング技術拠点がチェコとポーランドに 多く設立されており,ポーランドにおいてはアメ リカ系 R&D が存在感を持つとしている.ポーラ ンドでは R&D プロジェクトへの支援も EU 結束 基金に基づく投資誘致政策として実施している. ポーランドには2011年時点で77の R&D センター が設立されており,自動車を含め ICT,ソフトウ ェア開発,航空,化学セクターの研究開発を行っ ている.このような動きは,ポーランドの完成車 生産からエンジン生産をはじめとする部品生産へ のシフトの中で,安価な労働力の活用という体制 移行初期の動機から,本格的に生産活動における コア部分をポーランドを含めた中東欧地域へシフ トさせてきている結果とも考えられる. 以上のような点を鑑みると,大宇-FSO の自 動車生産の失敗や FIAT の減産という外的ショッ ク,中欧域内での自動車生産ネットワークの進展 が,ポーランド自動車産業のそれまでの FIAT 中 心,かつ政府主導の完成車生産主体の発展経路か らの逸脱をもたらしたといえる.結果として,外 資参入による新規戦略の導入と国内サプライヤー のアップグレード,欧州生産ネットワークへの組 み込みと国外へのエンジン供給という,ポーラン ド自動車産業における新たな動きが見られるよう になった.

5 結論

ポーランドの自動車産業は,当初から国内産業 育成や軍事車両の生産といった動機を元に,政府 主導で自動車産業が形成された.この発展過程に おいて,ライセンス生産を通じた FIAT と政府の 結びつきが強化され,結果としてポーランドの自 動車産業は,政府の産業関連政策による牽引と, FIAT への依存という経路へロックインされるこ ととなった. 体制移行開始後もポーランド政府は FIAT によ る FSM 買収や,SEZ をはじめとする投資誘致政 策という形で国内自動車産業の発展に積極的に関 与してきた.しかし,FSO が大宇の影響を受け て破綻し,さらに FIAT もイタリア本国の不振に よりポーランドでの生産モデルを移管するなど, それまで拡大していたポーランドにおける完成車 生産と,それを牽引する FIAT という発展経路に 変化が見られ始めた. ポーランド自動車産業においては体制移行と EU 加盟による,旧コメコン体制から EU・西欧 向け産業へ単純に転換したものではない.社会主 義時代においてもポルスキ・フィアットモデルは 西側諸国へ輸出されており,また本稿で見たよう に社会主義経済体制期以降も,FIAT 依存の体制 は存続し,その結果として FIAT 本体の不振がポ ーランド自動車産業に大きな影響を与えた.ただ, 多くの中東欧諸国の EU 加盟により,ポーランド を含めた中東欧(特に中欧 4 カ国)が欧米日大手 自動車メーカーの生産ネットワークの東方拡大を もたらしたことも事実である.ポーランドにおい ては体制移行と EU 加盟というマクロ経済全体の 制度的変化と,産業内,特に進出した外国メーカ ーの戦略や企業動向が重層的に作用した結果,本 稿で述べている脱経路が発生したと考える. この変化の中で,ポーランド国内におけるエン ジン生産を中心とする部品産業の生産の拡大と欧 州自動車産業ネットワークにおける部品供給基地 という新たな方向性が現れた.これは移行後の大 手メーカーの破綻や減産といった外的ショックと, 中欧域内での自動車生産ネットワークの拡大によ る,それまでの発展経路からの脱経路であるもの といえる.現在ポーランドは,R&D をはじめと する産業の高度化も目標に掲げており,脱経路を 果たした当該産業が成長する中東欧自動車産業の 中でさらにいかなる役割を果たすに至るか,そし てポーランド国内における外資メーカー・サプラ イヤーと旧来の民族系サプライヤーとの結びつき がどのような形態をとっていくのかという点は, 追加的な分析が必要であると思われる. (神戸大学経済学研究科)

(12)

1)2009年データ(PAIiIZ,2010 a)

2)チェコにおける体制移行後の自動車産業内の変 化については Pavlínek(2008)に詳しい.

3)Dobusch and Kapeller(2013)では,Sydow et al. (2009)が展開するメカニズム踏襲しつつ,経路発現・ 創造期と正のフィードバック・ロックイン期の二つの 期が,重なり合う形で進行すると述べている.

4)CWS 設立の経緯,生産モデルに関しては Polska

Droga Fiata, Centralne Warsztaty Samochodowe.を参照.

5)Kundera(1998)においては,体制移行期までにポ ーランドにおいては高い関税率,輸入割当てといった産業 保護政策がとられていたことが述べられている.

6 )COP の 設 立 経 緯 に つ い て は Centralny Okręg

Przemysłowy 1937 – 1939 – krótka historia, に基づく.

7)PAIiIZ HP, Automotive の項を参照 8)大宇は後に GM と統合されることになる.

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参照

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