し ら や ま
岩 手 ・志 羅 山 遺 跡
1 所 在 地 岩 手 県 西 磐 井 郡 平 泉 町 平 泉 字 志 羅 山 2 調 査 期 間 一
一九 九 六 年
︵平 8︶ 六 月
︱ 七 月 一一 一九 九 六 年 六 月 3 発 掘 機 関 平 泉 町 教 育 委 員 会 4 調 査 担 当 者 菅 原 計 二 5 遺 跡 の種 類 集 落 跡 6 遺 跡 年の 代 一一 一世 紀 7 遺 跡 及 び 木 簡 出 土 遺 構 の概 要 志 羅 山 遺 跡 は 平 泉 町 の中 心 市 街 地 の南 側 に 位 置 し
︑ J R 東 北 本 線 平 泉 駅 西の 側 三 O O mの 付 近 を 中 心 と し て
︑ 東 西 五
〇
〇 m︑ 南 北 五 O O m のお よ そ 一九 万 ポ 広の が り を 持 つ 遺 跡 あで る
︒ 遺 跡 地 内 に は 平 泉 町役 場 や 郵 便 局
︑ 銀 行
︑
働 農 協 な ど の 公 共 的 施 設 が 集
・ 中 し て い る
︒ 当 遺 跡 は 西 に 特 別 史 跡 毛
1996年出上の木簡
越寺 跡
・観 自在 王 跡院 と 倉 遺町 跡 東︑ 泉に 屋遺 跡
︑ 北 花に 立
Ⅱ遺 跡︑ 鈴 沢 の池 弥が 接 し てお り 南︑ は 北上 川 の支 流 あで る太 田川 が東 流す る︒ 付近 の標 高は 三 二︱ 三 三 mほ ど であ る︒ 志 羅山 遺跡 柳は 之御 所跡 に次 ぐ 調査 次 数を 重 ね︑ 一世 紀 の奥 州 藤 原氏 を 主体 と たし 時 代 の建 物 跡 や遺 物が 密 集す る地 域 あで る こと 確が 認 され て るい が︑ 近年 調の 査 では 中世 や近 世以 降と 考え ら れ る 遺構
・遺 物 の検 出 例も 増加 し て いる
︒ 一 第 六 一次 調査 第 六 一次 調査 区は
︑ 平泉 駅 の西 側 一O O mの 地点 に位 置し ︑ 一 紀世 後半 掘の 立柱 建物 や井 戸︑ 土坑 溝︑ 焼︑ 土遺 構 など が検 出さ れ た 遺︒ 物 は かわ ら け 中︑ 国産 磁 器︑ 産国 陶 器︑ 鋳型 木︑ 製品 が出 土 し た︒ 木 簡①
② は︑ 四号 土坑 か ら出 土し た︒ 四号 土 坑は 直径
○
・七 mの 筒円 状を 呈す る便 所遺 構と みら れ る︒ 五号 土坑 と重 複 し
︑ 四号 土 坑が 新 し い︒ 両遺 構 とも に下 層泥 質 粘 上 の覆 土か ら八 類 の種 を 出 土 たし
︒ 二基 の土 坑底 面 はに
︑ いず もれ 大形 の手 づ くね かわ らけ が 正 位 で置 か れ て いた が︑ これ 便は 所 廃棄 の際 の埋 納 行為 と考 え ら れ る︒ 遺構 の年 代 は 一二 世紀 第 4四 半期 であ る︒ 一一 第六 二次 調査 第 六 二次 調査 区は J︑ R平 泉 駅 西の 側 四
〇〇 皿の 地点 位に 置す る︒ 一〇
〇ド 満に た な い小 規模 な 調査 区か ら 丼 戸︑ 溝 不︑ 整 形落 ち込 み︑ 柱 穴少 数を 検出 たし
①︒ は︑ 一 号井 戸 の上 層 から 出土 たし
︒ 井 戸 の
137
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(1) S=l/2
(3) S=l/2
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(87) x(18) x 3 081(1)
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第六一次調査﹂
262 X 23 x 6 051
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(3)
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•「nLJ 8 半分が調査区域外となり︑検出面から一mの掘り下げに止めたが︑
かわらけ︑木製品︑国産陶器が出土した︒井戸は人為的な埋め戻し
が行なわれている︒遺構の年代は︱二世紀後半である︒
木簡の釈文・内容
(2)
第六二次調査
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(2)実寸
138
1996年出上の木簡
い は 細︑ 長 い薄 板 で︑ 平坦 な上 端 の両 側 を小 さく 斜 め 切に り落 と し
︑ 下端 は 緩 い角 度 削で られ る︒ 板 の上 端 は や や厚 く︑ 下端 は や や 薄 くな る︒ 下位 の半 分を 欠損 す るが
︑ 対称 形と 考え ら れ る︒ 0 は︑ 細 長 い薄 板 の破 片 であ る︒ 上端 の平 坦 面 が残 る が︑ 左右 両 端 と 下端 を く欠
︒ 9 関係 文献 平泉 町 育教 委 員 会
﹃平 泉 遺 跡群 発 掘 調 査報 告 書﹄ 六 三
︵一 九九 七 年︶ 同
﹃平 泉遺 跡群 発掘 調査 報 告書
﹄ 六 四
︵一 九九 七年
︶
︵菅 原計 三︶