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R 性 と社 創

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fr.

1

~

R

創造と云う言葉は恐らく︑最も相応しく芸術と結びつけられて語られるであろう︒憶かに創造を伴わない芸術とは凡

そ意味のないものであろうから︒併し又乙の事から芸術が創造を独占するかに見える傾がないではたい︒即ち等しく人

間の文化活動に属する学術や道徳の商でも時に創造について語られたいでは友いがそれは多く未知の学説を展開した

り︑社会に大変動をきたす如き思想並に行為がうち出された場合の小数の天才達についてであるに止って︑

ろこれ等小数天才等の残したものについて倣ぃ︑或ま之を遵守する事を以て其の分とされて居るかに見える︒とれに反

して芸術の商では上は一流の大学者︑美術家は素より下は回覧雑誌の素人詩人︑小中学の小自由画家に到る迄第三者の

目からの評価は暫く措いて︑兎に角彼等が共々に如何に創造の喜びに浴して居るかは︑我々が日常周囲に如実にとれを

認めざるを得たい事態である︒とれと等しい創造的活動が学術や道徳の商で一般に許容され叉︑営まれ難いと云う事実

はこの二者の領域に甚だしい不利をもたらす事は云う迄もないが︑創造左独占し勝友芸術の聞にも必タしもプラスを生

ぜしめるとは思われたいο創造を芸術と云う局限された商から解放して︑更にこれが学術︑殊に道徳の商に広く活動す

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ζのささやかな一篇の意図する所である︒

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(2)

芸術活動に於いて︑創造的営みが4んも顕著に見られる事は前述の如くであるが︑その様に芸術に於いて︑創造の喜び

が︑比較的自由に亭受され又それが広く認められるのは︑仏っきょうそれが個性の表現を通じてであるとも見られる︒

逆に学術や道徳の商では︑それ程個性の自由た表現の余地が与えられてたいと云う所に︑とれ等の領域では創造的営み

が比較的に阻まれて居ると考えられて居る︒それで少しく個性の表現と創造との内面的関聯を芸術に即して︑分析して

抑々芸術に於ける個性の表現とは如何たるものを指すか︒第一に︑その個性を作者の側の主観の強調と︑第こには出

来上った作品の持つ個性と一耳う風に二つの意味にも解する事か出来ると思う︒先守作者の側の主観の強調と一五う意味の

K近代芸術にういて著しく主張されて来て居る事は周知の事実であり︑而もとの道を通じて︑作品の個性も

うち出されて来る事は近代芸術が如実に示して居る所である︒併し︑作品の持つ個性は︑必予しもとの道に依つてのみ

うち出されるものとは限らないとも思われる︒逆に作者の主観を殺すとか︑或はとれを脱却すると云う道を通って却丹

て作者の個性がうち出されると云う場合もある︒共処に︑芸術上に︑

他方︑古典主義︑リアリズム︑写生主義と云う様た対立の余地もあるのではないか︒作者の側の主観の強調は︑寧ろ︑

芸術の生み出される伝統的地盤︑当時の社会的状呪の如きが︑ζれを然らしめるのであって︑作者の個性は︑逆に作品

の持つ個性から帰属して考えられるとも云えるのであるまいか︒例えば中世以前の工芸的作品や更にさかのぼって︑作

者不明の古代乃至原始社会の作品の中に優に個性を持った芸術品を認め得る事は︑その方面の専門学者の夙に之を認め

て居る所であ︵な万葉の歌謡︑ホメロスの詩篇は勿論︑多少特殊的ではあるが︑日本の茶道に於ける︑所謂唐物の名物茶

碗の如きもとの種のものとして挙げることを許されであろう︒近代芸術に於ける作者の主観的個性の強調は︑中世以来

の歴史的社会的状呪が︑人間性一般を抑圧して来た結果︑今や人聞に於ける個人的主観を強調する事たしには︑芸術的

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創造の営み難きに到って居づた事を物語るとも解する事が出来る︒

現に独り芸術の聞のみに止らア︑近代初頭に当つては︑学術の両に於いても近代自然科学の発生︑道徳の百では︑

キアヴエルリの国家出性︑アダム︑スミスの利己心の是認︑少しく下ってイギリス功利主義の発生の如く︑何れも︑近

代に於ける個人的主観の強調の一環としてとれを解する事が出来る︒この様に考える事が許されるたらば少くとも︑芸

術の百での主観強調としての個性は到底その独占に任さる可きものでたいと云えるのではないか︒

所が︑今一方の作品の持つ個性ともたれば︑作者の相場合の如く︑単にこれを歴史的社会的状呪にのみ帰せしめる事は︑

困難である︒さればとて︑とれを他の作品との差異とか︑特異性の如きに求めるが如きも到底許され︑一い︒そこで一一肌

考え及ぶのは価値個性の立場である︒併も元々価値個性の立場は︑先験的価値の実現とか︑かかる価値への関係から︑

個性を導き出さんとする価値哲学に依存して居る︒価値哲学が︑カントの先験哲学からその形而上学的傾向を排除し︑

更に自然認識の高から文化一般にその原却を適用した点での思想史的意義は大きい︒併し今日その価値哲学的立場を会

間的に受入れる事は到底許されたい︒加うるに価値は︑独り個性にのみ関与するものでたく︑普辺性とも結び付き得る

︵ 一 一 ︶

事は︑当時既に左右田博士に依っても指摘された所である︒自然科学的普辺性を直に没価値的と即断する事は︑予め価

値そのものを個性的友ものとの関聯に於いて考えて居るからとも見られる︒価値哲学は︑カントの先験主義よりも寧ろ

フイヒ一アの形而上学に接近して居るとも云われる所以である︒かくて︑作品の個性は価値個性にもその根基を安じて仰

ぐ事を評されたい︒

そこで我々は︑作品の個性を寧ろ︑作品の持つ自律的の統一性に見出し得友いかと考える︒抑々芸術品の個性が他に

懸け替のないものとされるのは︑その内両の有機的構成にあるのではないか︒それは云わば一つの小宇宙を形成して居

て︑決して他者に依って組織されて︑その部分とたる事なく︑却って白己の中に組織された部分を持つ

L

(4)

皆同大経済論集

友うて居る︒それは︑他者に侯つ事たぐして生きる一いのち﹂を持づた創造物である事に依うて︑始めて︑独自の個性

を持っと一試える︒例えば生物の増殖が一うの創造とも見られるものも︑生まれた個体が︑独立して生き得る﹁いのち﹂を

親から授かうて居るからではないか︒自然の他にこの様友偉大た能力があろうとは思われたいのに︑入力が能くとれと

等しき営みを果した時︑我々はこれを創造と呼ぶ事が尤も相応しい︒芸術作品が個性を持つとされるのは実はとの様た

ωD

ち一を持った統一一が構成されるからに他怒らないと云える︒決して個性の表現なるが放に創造であるので友く︑

逆にこの様な統一性を持つ構成が創造されるが故に個性がうち出されると見る事が出来る︒この様に芸術の商の創造を

明日解する時︑それ程個性の表現に拘わる必要がたい︒然らば叉個性の表現にかかわる事の浅い学術や道徳の百で前述の

如く創造の営みの比較的阻まれ勝であるのは何故であろうか︒

︵ 一 一 ﹀

中世の工芸的作品を近代芸術と区別して論じたものに前に柳宗悦氏の工芸美術識がるるが︑近時前衛的美術家の聞にも原始人

の工作品についての芸術性さへが問題となって居るC

︵ 一 一 ︑

左右田喜二郎﹁文化価値と極限概念﹂参照︒

学術や道徳の面では芸術に於ける程︑創造の営みが二般的でたいとしても︑少くとも学術に関すろ限り︑ギリシアに

於いては︑却うて芸術よりも高級た文化活動として認められた限りそれは優に創造性を認められて居た︒当時は寧ろ芸

術活動の方が模倣的たものとして︑その創造の余地が認められる事が少友かうたとさえ一五える︒とれは当時は芸術が︑

倫︑身分低きヱ人の仕事に伍されて居た社会的状呪に依るものであろうか︒併も一−度この様に創造的活動とされた学術

が︑中世に到うて︑小数の例外を除いて︑挙友る一定の教訓岬一の模倣的学修に迄堕するに到︒たについては︑中世のスコ

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ラ主義︑キリスト教教権が預ってカのあった事は疑う余地がゑい︒但し近世に入うてからは文芸復興を機として︑近代自

然科学的思惟の誕生と共に学術は再びその輝しい創造の営みを開始したかに見えた︒併もとの度は︑古代に於けるが如

き特権階級の手を離れて︑学術は一般庶民の手許迄及んだ事も見逃し得たい︒其の後︑近代の学術は︑人文︑社会︑自

然を通bで市民階叡自身或はその代弁者の手に依うて目覚しい躍進を遂げた事は周知の事実である︒総じて︑十五六世

紀以降啓蒙主義の時代を経て十八世紀に及ぶ迄︑ヨ1ロツバの国々は︑国情に依る多少の差とそあれ︑学術は遺憾友くそ

の創造の商を発揮したと云うてよい︒然るに十八世紀の後半を過ぎる頃から近代学術の母体とも見られる市民階級自体

の成熟と共に︑封建的︑乃至給対主義的旧制度改変の為の精神的武器であうた学術が︑特に社会認識の商で漸くその創造

J学術は今や︑市民階級ょう護の為のイデオロギーとして転身し始めたからである︒

勿論其の後と雛も一部の学者の間に学術が創造の営みを続けた事は否定出来たい︒市も一般庶民に取っては既に出来上

った教理の模倣的学習と友り始めた︒学術は最早当事者の探究でたく︑学説の一般人への普及と学習であるからである︒

蓋し︑且て旧制度打破の精神的武器たりし学術は︑一方その人文的︑社会的百では︑知識的装飾として︑所謂人文主義的教

養とたり︑他方旧時代的宗教の強カ忽重圧を却けて男々しく自然の神秘にいEんだ自然認識は︑資本主義的生産への適用

に依って︑その本来のヒューマニズム的気塊の喪失と共に︑いたくその創造的エネルギーをつみ取られて︑創造から物質

使

文字通りの創造そのものであった近代学術も今や大多数の人々に取っては︑寧ろ精神的物質的桂拷とさえなりつつある

と一式づても過言ではない︒現時の学校教育に於ける学術の取り扱いは︑何よりも有カに︑とれを如実に物語うて居るで

はたいか︒新の如く︑学術が創造でたくたれJたのは︑学術が︑思考カに依る経験の構成を通じての自律的統一でゑくた

づた為であり︑それは学術の歪曲にされた姿であり︑学術そのものでなく︑その形骸でしか友いからであると云える︒

八十

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皆同大経済論隼

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ハ 一 一

近代自然科学が︑ベイコシの一去った﹁智は力なり﹂の意味で︑実践的であった事と産業革命以後︑自然科学が所謂テク孟ツク

となって︑実践化された事との聞の区別を無視する科学者が多いのは彼等の社会科学的無知を暴露するものである︒前者にはヒユ

ーマミズムがあり後者にはそれが欠けて居る為に後者の場合は人間は器機の奴隷となる︒

学術はその係わる階層や︑発生した時代について限定を蒙ったとは云ぇ︑且てはその︑たくましい創造の営みを呈示し

た過去を持って居る︒yる時︑その姿の遥かにみすぼらしいものがあるのを見て我々は暗然たら

ざるを得友い︒支配階粧の庄カを知らたかったとされる部族的生活を措いて︑人間は殆E

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其の下にあえいで来たのではたかったか︒それは人間性をその偉に放置する時は処し難い悪に堕すると見る一種の迷信

が如何に根深く我々の伝統に喰い入って居るかを物語るものである︒かくて古来道徳の商では極めて稀れた少数の天才

にしか創造の喜びを亭受する事が許され友かったのは当然である︒道徳はまととに学術にもまして創造の営みに於いて

貧困を嘆く所の領域である︒併し︑との場合にも我々はそれが道徳の本来の姿である事を承認する事を臨時障する︒勿論

少数天才の道徳上の創造の喜びが︑安逸な受身の享楽とは凡そ逆た︑凡人に取っては寧ろ堪え難くさえ思われる苦難を

随伴するものである事を否定したい︒併も牧等が美事かかる苦難を克服するに当って︑叉凡人の測り知れたい喜悦が存

した事も疑う余地がたい︒併しこれと同様の事が創造の営みの最も広︿認められ叉その喜びの享受される事の多い芸術

の国にういても一広い得る︒即ち芸術上の天才の場合もその創造が偉大であればそれ丈にその苦難も︑悩みも深︿且AJ

きい事を我々は知って居る︒唯芸術の面では︑比較的に天才たらぬ︑一般入にも其の八万に応じた創造の機会が恵まれる

(7)

事多きが故に︑彼等も亦その分相応の苦難を健げにも克服して︑精進する勇気と喜びとを持つ事は我々が日常周囲に容

易に目撃出来る︒然るに道徳の商では︑我々は幼少よりして︑その分相応の創造すらとれに参する事を阻止されて居る︒

凡そ我々に許されるものは穿固として動かす可からざる既成の慣習と教却の遵守であって︑ζれが殆左唯一の道徳的行

為の規準である︒しかのみならヂ︑後代に於ける一般人の為の教却を創始したと見られる小数の道徳上の天才すらが︑

その創始の当初は既成の慣習︑教組の破壊者として迫害され︑うとんぜられた事実を我々は知って居る︒かくて一般人

の殆どが︑例外たく道徳の美名の下に寧ろ堪え難い重圧にあえいで来た事は当然であり︑その原因が︑又その既成道徳

遵守を強制する権力が常に支配階級の手にあったが為であるか否かは暫︿措いて︑道徳の百においても︑創造の営みの

斯くの如く阻止された場合には︑喜びの伴わざるは勿論︑遵守の為のみから生?る一種の苦渋の感の生ずるのは止むを

との様な見方ば道徳を余りに暗い色彩を以て措いて居ると人は云うかも知れない︒例えば一方ソクラテス以来道徳は

単に旧来の伝習や天下り的な規範に屈服する事に甘んぜヂ︑容赦の友い批判ム﹂分析をとれに向けて居ろム﹂共に他方中世

の様た教権の絶対的た世界にあっても︑宗教的法悦に浸りつつ類いない美いし数々の道徳的行為が遂げられたでは友い

かと云われるかも知れたいo併し︑先づ前者について云えば︑既成道徳に対する容赦の友い批判は︑ソクラテスやストア

の哲人の一部を除いては多く学説として行われた事を見逃しては友らたい︒例えばデカルトの如き近世初頭の批判的学

者ですら臼常的行為については伝統的規範に従う可きを説いて居る位に︑との両では所謂温健であり常識的でさえある︒

道徳学説と現実に社会を支配して居る道徳とは一応区別して考える事が必要である︒次に後者について云えば︑成程独

り中世のみに止らやy︑古来幾多の道徳的行為が宗教一的感激の中に進んで遂行された事実は否定出来危い︒併もその際の

宗教的感激と道徳行為に於ける創造の喜びとは区別して考える必要がある︒宗教的感激は一応現世を否定して︑来世叉

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(8)

は天国に於いて受ける筈の福祉に酔ふ︑云わぽ法悦である︒従うて現実として遂行される道徳行為そのものは飽く迄も

苦痛であって︑共処にぽいささかの創造の喜びもゑい事が却って前提されて居る︒此処に宗教を背景として立つ道徳の

厳環性ι一種の暗さがあ信所がその様友宗教的感激とは別個た飽く迄も現実に即し乍らも創造的怒るが故に感受され

る喜びの存在を我々は認める事が出来ると思う︒叉その様友道徳の存在無しに︑果して︑旦ての如く既成宗教のカが社会

に支配的で無︿たった今日の世界に於いて︑我々の社会生活は如何にして維持され得るか︒人は之に対して︑宗教友き

世界の無残た道義の額援を云うでもあろうが︑逆に宗教の名に於いて︑否宗教的感激の中にさえ過去に於いて何れ丈の不

︿ 四

道徳が犯されたかを我々は指摘し度ぃ︒勿論︑宗教を背景とする道徳の無用を直に結論仕様とは思わたい︑而も今日︑

我々の社会の道徳を宗教に一任する事は到底許され放い︒否宗教は一つのドグTンとたり教権とたる時︑道徳から創造

︿ 五

性を奪う大たる原因ですら有り得るのである︒

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I Fタシの道徳はその典型と云えるであろうが︑ピェテイ見ム見に発するカシトの倫理学に於ける9

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端の現われ&見る事が出来る︒

ハ 四

との点については︑−

7 Apに明断な鍛述に詳細を譲り度ぃ︒本篇執筆中に疲れの所説に接したのでるるが︑私の既に書キの余

きかけて居た官曹を当然乍ら美事に解明して居る︒ラスキ﹁信仰︑理性文明﹂参照︒

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現実としての道徳行為の遂行が其れ自体としては飽く迄苦痛であっても︑宗教的感激に伴われて法悦の中に果される

(9)

事が有り得る事を述べたが︑これと同様友関係が学術や芸術の商でも考え得る事であるし︑叉過去に於いて︑共の事例

にも事欠かたい︒特に中世時代の宗教芸術や︑神学の場合には︑寧ろ其々︑芸術学術の面の創造的喜びと宗教的感激と

が︑引離し難︿結びついて居る︒否近代に到ってさえ︑ある種の芸術には其の傾向が顕著である︒ミルトンの詩︑トル

ストイ文学の一部又はミレ1の画の如きはその一例と見られるであろう︒併し又︑

いささかも宗教的感

識を伴わたい芸術︑学術上の創造の喜びの存在も之を否定出来ゑい︒但し︑道徳の面は︑宗教的感激の伴わたい創造の

喜びが︑社会に於ける宗教的支配の衰退し始めた近代以後に及ぶ迄之を認める事が︑更に困難である事は事実である︒

何れにしても道徳の商では︑芸術はおろか学術に比してもその創造の限まれる事の多いのは疑う可くもたいがその原

因として第一に思い及ぶものは︑前にも触れた支配階級に依る権カ的た道徳の強制ζれである︒外部から強権に依づて

課せられると一匹う形式的条件は︑たしかに︑独り道徳の商に限らや芸術や学術の商でもその創造の営みを鈍らせて来た

に相違たい︒併し支配階殺と難もその権力に依うて自己に有利た事柄を惑意的に押し付けたと云うよりも寧ろ既に偶然

に存した固定せる紋切型の道徳を自己の権カ保持に利用したと云った方が適当である事はデユ1ウイの一五う如くであろ

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従って︑彼等の権力的強制が道徳の商の創造を益々みそぼらしいものにしたとしても︑それのみから道徳の商の創

造を阻む原因を導き出す事は無刊である︒そこで我々は次にその更に有カた原因として︑道徳に元々その同定性や紋切

型を附与する﹁社会性に﹂思い及ぶのである︒例えばデユルケ1ムの個人の外部にあって個人を強制してζ︑れに服す

タルドの個人の発明から発して︑実の模倣を通じて生守る﹁社会しと一五

う概念に徴しても︑多くの有力な社会学者等の一致する考えは︑社会性に固定性二様性︑紋切型を承認して居る様であι↑一︼との様た社会の持︒属性は︑独り支配階級の権力的強制のみから導き出されるものでたく︑人間の集団生活が可能

であるが為にた︿てたらぬミ=マムとして︑社会学者が之を認めて居るのではあるまいか︒宗教的乃至形市上学的道徳

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の立場に於いて︑道徳を抽象的個人と神乃至先験的理性との対決に於いて考え?︑現実的人聞の生活に於ける行為の開

題として之を解する我々の立場からしては︑勿論人間生活の環境としての社会性を無視する事は許されたい︒即ち社会

的環境に於ける個人の行動として道徳を解する以上︑社会の属性として考えられる上記の固定性︑一様性︑紋切型との

交渉を避ける事は不可能とも考えられる︒かくてこの様た社会の持つ属性こそ︑道徳の百の創造を臨む最大の原因たで

はいかとも考えられるのである︒

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似しジムメルの如︿︑社会を個人の問の相互作用としてとらえて居る社会学者は︑この属性を重視しては居らないが︑倫カシ

ト的意味の形式性は之を認めて居る︒但しジムメルの亜流の形式社会学者は︑再び之を同定化して解釈して居る︒

有力な社会学達が承認する社会の属性としてこの固定性︑一様性︑紋切型が︑社会学の創造者とされて居るオ1Z

コムトに由来する事は一応認めなければたるまい︒現に十八世紀の啓蒙的個人主義の社会開論は︑中世的封建社

会の持つ︑固定性︑紋切型を打破する事を其の使命とするものであって︑その行き若いた所がイギリス民主政治であ

り︑アメリカ独立宣言であり︑更にフランス革命でもあった︒

記の十八世紀的個人主蓄の社会観に対する一つの反動であった事は認めてよい︒但し︑

とれをプル

コントまフランス革命に依

(11)

る社会の混乱を見て︑社会に於ける進歩と共に叉秩序の重要性を痛感した事であった︒との秩序の商の重視が絞れの社

会観の保守性となって現われ︑その反動性を云々されるに到うたと見てよい︒問題は寧ろとの秩序の重視が︑

如く︑叉其の後の社会学の一つの伝統とも云える︑回定性や︑

道であるか何うかと云う事である︒ 一様性の方向に於いて捉えられる事が︑唯一の許された

何れにせよ人間の社会生活が︑成り立つ為には︑一応の秩序の存在はミニマムの条件である事は認めざるを得ι

であるから︑若しその秩序を︑その様な固定性や一様性に求めるたら︑社会の持︒保守性は必然の帰結とも一五える︒併

し︑秩序をその様な固定性や一様性に求める心意乙そ実は︑人間の過去の知性の発展に徴して︑明かに原初的段階を一不

すものではないか︒現にコント自身の有名た一一一段階設に於いても︑最後の尤も発展した実証主義の時代の心意は︑相対主

議であうて︑秩序を酢定性や一様性に求める事は寧ろ︑神学的時代に相応しい心意でb

を見出す心意は実はその環境や視界の狭少に由来するとも考えられる︒勿論その狭い限定が一日一破れて︑

序が再建される迄は其処に狼狼や遅疑が生じて︑少くともん7迄の秩序の混乱と一五う形を取る事は必然であるが︑やがてそ

れは更に高次の秩序の中に組織化され︑新しい統一の中に一つの安定が見られる事は︑我々日常周囲に経験する事実であ

って仰々しく弁証法呼ばわりをする程の事ではたい︒唯︑環境が比較的︑変化に乏しく︑久しくとれに馴れた場合は︑視

界が改変を要求されるチャンスに乏しい為︑回定して仕舞う結果︑環境の改変の為に生守るであろう混乱を過大視して︑

之を必要以上に憧れる傾の生?る事は止むを得たい︒原始的社会にあうては勿論︑近代にあってすら︑環境の変化の乏

しい農村社会の人々が︑固定した秩序に執着して︑秩序の改変を一五わば本能的に恐怖するのは︑そのよさ事例である︒

唯ある時代に於いて社会の一部の階層が遇K環境の変化に恵まれて︑秩序をその様た回定性や一様性にのみ見出す束

縛から解放された所に科学的思惟の発生と毘聞の存した事はイオ−一アに於けるギリシア植民地に発した哲学的思惟の歴

(12)

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史が雄弁にとれを物語って居る︒

併し近代に入ってからは少くとも其の自然認識の商では固定性や単友る一様性に秩序を求める事を全く痩した事は︑

近代自然科学が形而上学から解放されて︑仮設と実験を通じて︑実体的なものでたく︑法則的なものに︑秩序を見出し

た事に依って現かである︒イギリス十七︑八世紀の社会認識もとの自然科学とのアナロギーから出発して居る事も疑う

余地がたい︒唯十九世紀に入って︑歴史主義やロマンチックた回顧主義とブルジョア反革命とが相侯って社会認識を以

上の近代的見方から︑再び固定性や一様性に秩序のモデルを仰ぐ立場に逆転せしめた富がある︒

秩序や安定にづいて︑個定性や一様性にその支持を求める事は︑実は︑原始的である許りか寧ろ危険であって︑却って

常に運動して止まないものの中に譜調として︑或は統一・としての安定と秩序を見出す事ζ

然認識の商では夙に認められて居るに拘わら夕︑社会認識の商では︑向個定性や一様性に執する保守性が支配して居る︒

とればアヌリカの学者の云う文化のズレのもたらす結果に他たらに市との自然認識と社会認識とのズレは十八世紀に

階級的支配を全うしたブルジョア階級が自己の立場を保持せん為の抑圧の結果であるとする見方も一店考えられるが︑

被支配階級自体もかかる保守的社会認識に好んで執着する傾向の存する事も見逃し得ない︒苔社会の改変を自己の立場

の為に不利として擢れる支盟階級にも増して︑被支配階級の方が保守的であるかにさえ見える︒併もその固定性や一様

性えの執着の理由がこの一一者に於いてその性質上の差がある事も事実である︒即ち一方は自己の利害からの不安の結果

であり︑他方は一五わば本能的た執着である︒併し何れの場合もその固定性や一様性への執着は︑一応の秩序の混乱に堪

えて︑再びとれを建て直す能カに自信の無い事を物語るものである︒聞もその様な一応の混乱の後に︑自己の手に依つ

て社会環境を再建する事こそ︑真の道徳商での創造の名に値するものである事は芸術や学術に於けると同様である︒結

局社会認識に於ける保守性は︑創造の貧困を示す以外の何物でもたいと一五う事になる︒

(13)

社会学者の中でもジムメルはこの社会の回定性をカント的意義の形式として捉えた点で尤も弾力的な見方をしたと云える︒但

し彼れ自身の用例宇用語の不備から形式社会学者の考えた︑社会形式はそれ程弾力性を持ない︒

︵二︶コシトは進歩の夜では抑制対主義を採り乍ら絞序の面では保守的であった事は彼れが学者としてその認識の一院では十分近代的で

あり乍ら︑社会人生活に於いては凡そ顎独な人であワて所謂世間知らずでるった点が大いに関係があると思われる

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道徳商での創造の貧困の嘆かれるの対して︑それは個人が︑社会的現実の中に埋没して仕舞って創造の余地が与えられ

ないからであるとも考えられる︒芸術が比較的創造の営みの余地に恵まれて来て居る事もその非現実性の故に社会的現

実との交渉が比較的乏しい事に帰し得られよう︒学術も近代的産業を通じて社会的現実との交渉を深︿するや︑直に其

の創造を阻まれるに到った事も既に述べた所である︒道徳の商について見れば︑例えば既成宗教にあっても︑その信仰

︑教理が社会的現実との妥協を受け入れるや否や忽ちその独自の精神的活力を喪失する事はキリスト教がロ

1

7

たり︑更にカトリック教会設立とたった場合の墜落振りについてはラスキが克明にこれを論証して居る如くであがv

も一方道徳は社会的現実と固く結び付く事友しには︑個人的内商の問題としては兎に角︑現実の社会の向上に何等のカ

のない事は今日の既成宗教のとの商に於ける無能に徴して余りに明である︒かかる道徳と社会性との三律背反を克服す

る道は所詮道徳の活動する現実の地盤︑たる社会的現実の中に︑創造の営まれる余地を見出す以外にたい︒

然るに一方社会性が固定性︑

但し︑過去に於いて道徳も創造の営みを果した事例が全くないではない︒たとえそれが︑限られた時機と階層とに於いて 一様性の方向に於いて捉えられて居る限り︑創造の余地もたい事は前述の如︿である︒

(14)

官同大経済論集

であつでもその事例を過去に於いて持っと云う事は︑叉創造的道徳が或る意味で社会的現実に喰い込む事が出来た事を

示して居る︒唯それが稀有た天才の個人的異常の能カにのみその源勤カを帰せしめて︑一般人の之に対する参加を認め

るに容であった事が問題である︒しかのみたらやノかかる稀有の天才に依る道徳的創造と難も当初は︑既成道徳の破壊と

して危険視された事も既述の如くであって︑その危険視の拠うて来る所は既成の社会秩序の破壊にある︒而して社会秩

序とは一様性︑固定性︑紋切型に他たらたいのであった︒併し社会の秩序を動かす活動がたとえ既述の意味で創造的であ

るとしても︑とれを危険視するについては一応の到曲が友い事はたい︒即ちそれが創造的営みに散る結果としての既成

秩序の改変であるか︑個人の社会不適合から生守る破壊の為の破壊であるか否かについては︑当初とれに適確の判定を下

す事は必?しも容易でか仏いからである︒併し二方生活環境の急速友変転に商しては叉誰もが︑何程かの工夫を提らして

自己とその生活環境とのバランスを獲得する事たしに存続出来ゑい事も事実である︒即ちとの場合は既成の秩序では問

に合わか仏い事が︑余りに目前に明かであるが故に︑既成の秩序の破壊を擢れる余裕ずらたいと一高う事もある︒との様に生

活環境の相違が人間をして既成秩序に或る時は安住せしめて︑その破壊を極度に擢れしめると共に︑或る時は︑勇敢にと

れが改変に着手せしめる結果とたるが︑結局の処︑生活存続の為に必要友秩序の改変に迫られて居るか否かはパ当事者の

感受性の如何にかかって居るとも考えられる︒一般的知性の低調た場合は︑秩序の改変は︑それが極︿身近に迫る迄は

その必要性が感知され友い︒寧ろ︑特殊の勝れた知性の所有者が︑とれをいち早く感知して︑警告を与える時︑却って

既成秩序の破壊者としてとれを迫害さえする事は︑キリストやソクラテスの場合に徴しても明かである︒との様に過去

に於いては︑多くの場合︑社会の為に本来建設的である道徳的創造は︑非社会的として極印される︑逆説的結果を生んだ

のである︒即ち来る可き社会に於いて現実的ゑカと友る道徳は同時に既成の社会秩序の破壊としての不道徳とたるま一匹

う悲劇的た運命を負はされるに到うたのである︒

(15)

中世以前の道徳的創造が個人的穂有の天才に一任されて居った場合は勿論であるが︑近代に入って︑

之に参加する事が許された市民社会の成立に当︒ても︑その様た悲劇的様相は情これを脱却出来たい事は︑イギP

フランス革命更に下ってロシア革命がその事例を提供して居る︒かくて︑道徳に於ける創造の営みは益々心

弱き人々にとれを臨時せしめると共に︑逆に単たる破壊を事とするヒットラー︑

P

=の徒︑或は戦前の我国の1

寧部に好個の道徳的偽装の具を与えて居る結果とたる︒道徳商の創造一が︑稀有の天才に一任され或はギηノギHの土壇場

まで︑眼定される時︑共処に止み難き罪悪の随伴を必然とするものと云われよう︒ラスキは︑ソヴイエ1ト革命の犯し

つつある種々の罪悪影︶︑その更に重大た社会的意義の放に︑弁じて居るが︑旦て︑それと等しき弁明が︑ナチやファシ

ストの側に於いても唱えられた事を我々は記憶して居︵令若し夫れ︑その真偽の判定を適確に下すものが︑人聞の現性で

なくして︑歴史の判定に侯つの外友しとすれば︑人類は永遠に外的運命に弄れる憐む可き存在として止るの外ないので

はたいか︒秩序の改変の必然性を見透す能カを限られた小数の天才にのみ一任して︑一般人は唯とれに追従するか︑或

はとれを迫害するを事とするに止らんか︑それは止むを得ざる帰結であるとも考えられる︒即ち若し一般人に道徳の商

の創造に参する事が許されたい友らば人類はかかる暗い運命からの脱却は望み得可くもたい︒

f

λキ﹁信仰︑理性︑文明﹂参照︒

一般人から創造的友道徳への参与を阻む最大の原因は︑社会現実に内在する秩序を回定性︑一様性としか解し得友

い社会認識上の遅滞に存すると一五えるが︑逆に又一般人の道徳商の創造が抑々営まれたい事が︑社会認識にかかる回定

(16)

篤太超法論帳場

性と一様性

14えの執着を附与してるとも云える︒即ちそれは一つの悪循環であると考える事が出来る︒との悪循環を断

ち切らんとめ努力が︑従来は少数の道徳的天才の悲劇的運命とたって現われて居る︒併し︑それは社会的環境の再構成と

れたとしても︑個人は其れ其れの生活に於いて︑何程かの工夫を撮らし℃︑生活環境を処理して行︿事に依って生きて

行く︒勿論それは道徳上の創造去呼ぶには余りにささやかた営みであるかも知れたい︒而もこの様た一見ささやかた営

みで個人?として志積み重ねられ︑叉人々の問に組織されて行︿結果は決して軽視する事を許されにやとの先例は既

に自然認識の商で示されて居るとゐ一訴える︒所調哲学的︑洞察ば︑天才の事であるかも知れゑいが︑自然科学の商では無

名の研究者の下積︑的創造が︑集積され︑利用されて︑比較的能力の高い者に依って粗描される事に依り始めて偉犬た進

lトン︑プインシクインの業蹟が何よりも有力にとれを物語って居る︒即ち︑それは依って自然科学

に於いては連続的進歩があっても破壊る飛騒が友い︒道徳︑の商でもその様友一五わば平凡友目立た友い社会環境の再構成

問人目を引く目覚じさは勿論注明︒それe許りか︑共の人たりの叉︑その環境友りの苦心も努カも必要である︒而もそれぞt

自力で何一とか成就じた暁はそれを償って余りある喜びもある︒それは偉大友天才の其と質的に異らない︒唯周囲の入

々も当時者む︑これを創造として認めヂ自覚もしたい︒呪んやこれが云わば道徳一行為であるとは倫更考え友い︒道徳一

し云たば絶対的に諜せられた︑固定的友紋切型を守り抜くか︑人目を驚かす派手やか念行為に出るかを思う丈である︒

ν

一種のアキラメに似た道徳上のニヒリズムスに堕して仕舞う︒何人も若年の頃の道徳上のあの高い現想主義下C壮年以後

の平俗放処世主義とを思い合わして見るがよい︒結局︑九人の日常の社会環境の再構成としてその創造的営みは一五わば

︒ ︒

h︒ ︒

道徳以前の問題F

(17)

勿論乙の種のささやかゑ創造にもそれが創造であり限り︑小規模乍ら再構成の為の破壊を伴う事を免れ友い︒それは

4んも旺盛た幼少年時代が器物の破壊時代ずあるのを思い合せばよい︒よ︿成育する子供は占んも衣服や器物を

破壊する子供である︒併し子供のワンバクや乱暴は︑余りに悪質でたい限り︑家庭をまで破壊するもので友い︒苔それ

が如何に英一しくとも︑主人の不行蹟や妻の不貞の如くは破壊的で友い︒併もとの子供の小規模の破壊を抑圧する事が︑

如何に教育上の失敗であるかは︑進歩した今日の教育者の誰もが指摘して居る処ではか仏いか︒とれと同様に︑凡人のさ

さやかた社会環境の再構成の為の止むを得ざる小規模た破壊を周囲の人々が如何に敏感に阻止するととか︒叉当人もと

れを無視して︑将来それ程の不剥も伴わたい周囲の反対に気兼して︑如何に女々しい妥協に出て居る事であるか︒併も

何人か有力らしき者のアジに依つては心にもたい破壊に追従する事である︵いや所謂道徳・として問題に取り上げられる以

前にこそ真の道徳上の創造の営みがあ答︒

かかるささやかた営みの集積として︑叉各J人聞の其の組繊に於いてとそ︑著実にして叉還しい社会改造としての大規

模た道徳の創造が破壊としてでたく連続として遂行されるのである︒且叉との様た意味の道徳田の創造は︑前に我々が

芸術面に於いて見た創造の理解に全く一致するものである︒更に学術上の創造が之と軌を一にするものである事も既に

述べた如くである︒社会的現実に内在すると思われる回定性や一様性が︑かかる意味の創造をずら抑圧する傾向のある

事は認めざるを得たいが︑かかる秩序を支えるものは結局は個人であり︑叉到底秩序は︑個人の個々の行為迄を律する事

は不可能である以上︑個人の絶え間の無いささやかゑ創造的営みとそ︑逆にその一応の前提としての社会秩序に︑弾力性

を与える根源主云える︒これをもし認めまいとする友らば︑我々は遂に永遠に悪循環から脱却出来たい︒

社会秩序は自然科学に於ける云わぽ仮設である︒個人の社会環境の再構成は一五わば実験とも見られる︒仮設なくして

実験は出発出来ヂ︑実験たくしては仮設は犠説でありドグマである︒凡人のささやかた社会環境の再構成を伴わたい社

1u 

(18)

00

もせ歩︑苦にもされやy 会秩序乙そ︑固定した結果︑人間の桂拷とたって︑暴力に依る破壊を免れ友いものと一耳えるのではたいか︒

でくの坊と呼ばれが−︺事を以て安ヂる凡人のささやかた創造に依うてのみ芸術︑学術︑道徳を

抑圧して来た社会は始めて︑その固定性と紋切型から解放されるであろう︒

個人的天才の創造のみを︐尊び︑凡人のささやかた営みとしての創造を軽視する事は︑芸術︑学術︑道徳の何れの聞に於

干 ︵四 ︶

いても︑期せヂし℃︑反動的陣営に味方して︑創造一般を抑圧する結果となる︒創造と社会性と左背反せしめるものは

社会の秩序では友い︑秩序を固定性や一様性にしか把え得ない︑創造性の欠除である︒而してかかる創造の貧困は︑名

も友き凡人のささやか友創造の無視に起因する︒

」ノ

社会的環境の再構成が︑規模の大を加えると共に他人との協力を必要とする事は一広うま迄もない︒習は再構成される社会が小

︵ 一 一

規様であった為に個人的天才に一任出来た︑今後は益身︑多数人の協力を必要とする︒

ささやかな創造の喜びを知らず︑厳しい錠の前に屈服して来た人間程︑他人のせんEろに惑はされて︑破壊的行為に出る事は

精神分析学の教える還りである︒

パ 一 ニ

﹁雨にも負けず﹂とうたった宮沢賢治の之の詩は余りに有名でるるが︑その様な凡人の心境を求めた詩人は凡人の創造を最も

よ︿理解して居たのではないか︒

ハ 四

近時芸術の首でも︑漸︿大衆を軽視する高踏性を警戒すると共に社会般に根元したモラルの尊重は著しい︒日フ見キもTs

エ叫フオツト帝ジョイλ

ζの点を批判して居る︒ラスキ︑前掲書参照︒

参照

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