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学部付属病院副院長、

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第4章 介護事故の概念規定と裁判例の収集

第1節 はじめに ―― 問題の所在と本章の構成 第2節 介護事故の概念規定

第3節 介護事故裁判例の収集 第4節 隣接領域の事故との関係

第5節 2000年以前の裁判例における介護事故に類似する事案の位置づけ

第1節 はじめに ―― 問題の所在と本章の構成

介護事故という一括りの事象が議論すべき対象として存立するなら、その概念規定が 問題となるはずである。たとえば介護事故全体について、何かの適用すべき法理がある とすれば、その適用範囲が問題となるはずである。

この点は、いわゆる福祉契約論と対比してみるとき、顕著な違いを見せている。すな わち福祉契約論においては、その特性を論じることから、演繹的な議論が盛んに展開さ れている1

しかし介護事故については、「介護事故であれば」という演繹的な議論は必ずしも行わ れず、その特性を論じるものも少ない。たとえば医療過誤では類型的な特徴として、証 拠の偏在にもとづく立証の困難性がしばしば強調されるが、介護事故についてはそのよ うな類型的な特徴が分析されることは少ない。すなわち介護事故については、もっぱら 個別の裁判事例の集合体として、議論が行われているのである。しかし介護事故を研究 対象として、一括して論じていくとすれば、その場合の介護事故という概念内容を明ら かにする作業は避けることができないはずである。

ところが介護事故については、たとえば医療事故と比べても、その概念は不明確な度 合いが大きい。それは次に述べるように、介護という事柄自体に由来するものと考えら れる。

医療事故の定義をめぐる議論を徴すると、近時の包括的な研究としてたとえば厚生労 働科学研究「医療事故の全国的発生頻度に関する研究」(主任研究者:堺秀人東海大学医

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学部付属病院副院長、2003年)があるが、そこでは「医療有害事象」の定義の要素とし て「意図せぬ傷害・合併症」、「一時的・恒久的な障害」、「医療との因果関係」の3つが 挙げられている。しかしそこで医療という概念自体については問題とされていない。い いかえれば医療という概念自体は、かなりの程度は自明なのである。

他方、介護については、一般的には「身体的な援助活動」などと言われるが、一義的 な定義は困難であり、この点は医療との本質的な違いにかかわるものといえる。介護と いう概念を用いる際には、のちに述べるように、世の中で多様な担い手により、さまざ まな形で行われている「世話」、「ケア」等と呼ばれるような行為群の中から、一定のも のをピックアップするという作業を伴わざるを得ないのである。

したがって本論文としては、主たる検討対象としての介護事故の裁判例の対象を選定 するため、何らかの意味で介護に関連する事故の裁判事案を幅広く収集しつつ、これと 並行して研究目的と照らし合わせて介護事故の概念規定を画定していくという手順が合 理的であろう。

なお、介護事故の定義自体に関する先行研究としては、茶谷利つ子「介護事故実態に 関する調査研究と介護事故の捉え方」『新潟青陵大学紀要 』2号(2002年)107-120頁 がある。これは先行調査等による定義を詳細に比較したもので、参考になる。ただ、同 論文は定義の統一の必要性を主張するが、そのような厳密な統一が可能かつ不可欠であ るかどうかには疑問があり、むしろ各論者が自身の定義を明確化することが大切ではな いかと考えられる。

以上のように考えると、本章で行うべきことは、介護事故という事象を構成する、サ ービスを利用する側、サービスを提供する側、その両者の関係性という3つの要素に即 して本論文の考察目的に即した形で介護事故の概念規定を試み、あわせてそれに沿った 形で検討対象とする裁判例の収集・選定を図ることである。

以上を踏まえて、以下では第2節で介護事故の概念規定にかかる具体的な検討を行い、

第3節ではこれにもとづいて介護事故裁判例のピックアップを行い、第4節では隣接領 域との関係について補足する。また第5節では、本論文が主たる検討対象とはしない 2000年以前の裁判例における介護事故に類する事案の扱いを見ることで、本論文におけ る概念規定の意味合いについて確認する。

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第2節 介護事故の概念規定

本研究では介護事故の概念規定を行うために、第2章で取り上げた、介護事故の範囲 についていち早く定義を行い、他の先行研究でも広く参照されている国民生活センター の「介護サービスの提供プロセスにおいて、利用者に何らかの損害が発生した場合」と いう定義を一応の基準として、幅広く介護にかかる裁判事例およびその関連・周辺事例 にも当たった。裁判例収集の範囲は、2000年以降の『判例時報』・『判例タイムズ』・『賃 金と社会保障』として、判決文本文に当たることで、検索や条文目次のみによるピック アップにより実質的な意味での介護事故が見落とされることのないように留意した。あ わせて関連諸文献や判例検索サイトからも、裁判例の収集を行った2

2000年を起点としたのは、第5節で述べるように、介護保険制度の創設により介護サ ービスの提供やそこでの介護事故がいわば社会的な問題として形成されてからの時期を、

まずもって検討対象としたためである。

このように本研究では、主たる検討対象としての介護事故の裁判例の対象を選定する ため、何らかの意味で介護に関連する事故の裁判事案を幅広く収集しつつ、これと並行 して研究目的と照らし合わせて介護事故の概念規定を画定していくという手順をとって 作業した。

その結果、本論文では介護事故という概念を、介護事故を構成する「介護関係」「介護 サービスの利用者」「介護サービスの提供者」の3つの要素に即して、以下の通りに把握 することとした。すなわち介護サービスの提供プロセスにおいて発生した事故であって、

要介護高齢者に人身損害が発生したこと、また介護サービスの事業者ないしは従事者が 法的責任を問われていることである。さらに上記の通り、2000年以降の裁判例を収集の 対象とすることとした。

なお本研究での介護事故の概念規定においては、「介護事業者ないし介護従事者が事故 の責任を問われている」という要件を加えているので、事故によって損害が発生しても、

その法的責任が追及されなければ、本研究の射程からは外れることになる。裁判にまで は至らなかった場合でも、法的責任が問題となった場合には本論文では介護事故に含め るが、そもそも法的紛争にもならなかった場合には、本論文では介護事故には含めない。

このことは裁判例の収集においては当然のことではあるが、研究全体からすると、介護

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事故といっても法的紛争のみを扱うということで、研究対象を大幅に限定することにな る。しかし法的紛争に限定しない場合、後述するような介護という事柄の性格および要 介護高齢者の特性から、「事故」や「損害」の外延自体を規定するのが困難であり、介護 事故と、そうではない病死や不慮の事故とを区別するのが厳密には不可能になる。そこ で本研究においては「介護事故」という場合には法的紛争となった場合に限定するとと もに、法的紛争とならなかった場合を含めて「介護にかかる事故」全体と呼ぶことで、

両者を区別した。すなわち「介護にかかる事故」という場合は、介護サービスの提供プ ロセスにおいて、要介護高齢者に人身損害が発生した事故全般を指すことになる。自治 体が事業者から事故の報告を求める場合には、呼称は様々であるが、この「介護にかか る事故」にあたる事故を対象とするのが通常である。しかし「介護サービスの事業者な いしは従事者が法的責任を問われていること」という要件がないと、法的紛争に限定さ れないことから、研究対象としては後述するようにたとえば日常的に発生している誤嚥 性肺炎等を含めるかどうか等の点で、かえって対象範囲が不明確になるものと考えられ る。

以下、介護事故の概念規定を、サービスを利用する側、サービスを提供する側、その 両者の関係性という介護事故という事象を構成する3つの要素に即して分節して説明す る。

(1)要介護高齢者に人身損害が生じたこと

第一に、要介護高齢者に人身損害が生じたことという点について述べる。

介護事故という以上、そもそも介護関係が成立していなければ検討の対象には入れな いのが自然である。すなわち対象は、要介護高齢者に限るとするのが適切であろう。介 護を要しない高齢者が、たまたま転倒などの事故を引き起こしたとしても、それは介護 サービスの提供における事故とはいいがたいことから、介護事故には含めない。

思考実験としては、介護を要しない高齢者と随行して散歩していて、高齢者が転倒し たとき、随行していた者が、もっと注意すべきだったという形で責任を問われるケース が考えられる。しかしこの場合、「隣人としての配慮」にかかる民事裁判にはなりうると しても、それは一般の生活場面での事故と、法制度論的な位相において、区別不可能で あろう。いいかえれば一般民法の問題として議論すれば十分であり、これを取り出して

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議論する独自の意味合いに乏しいと思われる。

2000年以降で当たった裁判例の中では、介護を要しない高齢者にかかる事故というべ きものとして、高齢者が自動ドアにはさまれたという事案での裁判例として東京地裁平 成13年12月27日判決(『判例時報』1798号94頁以下)があり、自動ドア設置におけ る高齢者への配慮が問題となった。また区立の保養所での段差による高齢者骨折事案が あり、区の設置・管理責任が認められたものとして東京地裁平成13年5月11日判決(『判 例時報』1765 号80 頁以下)がある。これらは本論文での介護事故には含まれないが、

本章の第5節で取り上げる。

またこれら以外に、たまたま訴訟当事者が高齢者であった事故事例は、交通事故をは じめとして存在する。そこではとくに損害・逸失利益の算定に当たって、介護費用が参 酌される場合は少なくないが、これらの高齢者の交通事故等も、本論文での介護事故に は含まれない。

ところで要介護高齢者というとき、年齢が一般的なメルクマルではあるが、加えて近 時での判決では要介護認定の結果が裁判の前提となる事実として記載されることが一般 的である。要介護認定がなければ介護関係が成立しないということはないが、要介護認 定を経ていることは、介護事故の定義に該当することをいわば補強するものといえよう。

ただし介護保険のもとでの介護サービスには限定しないことから、措置による介護サー ビスの提供に際しての事故は、本論文の介護事故の概念規定に入れるべきであり、また 裁判例ではあらわれていないが、要支援の高齢者についても、介護サービスの提供対象 には含まれることから、概念規定の射程に入れるべきであろう。

また損害の種類としては、本論文では人身損害が発生した事故に対象を限定した。周 知の通り介護トラブルの中には、財産損害も少なくないが、本論文では、深刻かつ回復 が困難である人身損害に焦点を当てることとした。もちろん人身損害のなかにも、擦過 傷をはじめとして軽微なものもあるが、その場合はそもそも法的紛争とならず、本論文 の検討対象とならないものと考えられる。

なお先行研究では、財産損害も介護事故に含める場合があるが、語感としても、財産 損害を「介護事故」と呼ぶことには少し違和感があろう。ただし実際にヘルパーによる 金銭着服事件では裁判例もあらわれている。著名なものとして東京地裁平成11年3月 16日判決(『判例時報』1702号113頁以下)があるほか、最近では宮崎地裁平成17年 12月7日判決(『判例時報』1937号91頁以下)、また障害者への家政婦による着服事

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件として東京地裁平成11年3月16日判決(『判例時報』1702号113頁以下)がある。

なお実際問題としては、病院での患者、障害者や児童など、要介護高齢者以外の対象 に関して生じた事故がしばしば裁判となり、まさに介護事故の隣接領域として位置づけ られる。その中では、とくに高齢の患者や障害者などについて、介護事故との境界線に 位置する事例があるものと思われる。とくに障害者に対するケアは、介護とも呼びうる ものといえる。また病院管理事故では、感染等で患者以外に生じた損害が問題となるこ ともある。しかし本論文は、介護サービスの安全性確保という観点から介護事故を扱う ものであり、後述する「(3)介護サービスの提供プロセスにおいて発生した事故である こと」との要件からも、これらは対象には含めないこととする。上記の事故類型につい ては、それぞれの固有の領域における別の法理が妥当する側面も少なくないと考えられ る。

(2)介護サービスの事業者ないしは従事者が法的責任を問われていること

第二に、介護サービスの事業者ないしは従事者が法的責任を問われていることについ て述べる。

介護事故の検討対象の画定に当たっては、実際に法的責任が認められたかどうかは別 として、介護事業者ないしは介護従事者の責任が問題となったという点は、裁判例を主 たる検討対象とする限り、はずすことができないだろう。

ただしこの点、少なくとも2つのパターンがある。ひとつは介護事業者の責任が問わ れる場合であり、もうひとつは介護従事者の責任が問題となる場合である。この両方の パターンに当てはまる事例はもちろんあるが3、この2つのパターン双方を対象とする点 が、概念規定に際して重要であろう。

第一に、介護事業者の責任が問われるパターンである。この場合、直接の事故の原因 を引き起こしたのが介護従事者であったか、あるいは介護従事者自身の責任は問われず に、施設の設置・運営・管理責任等だけが問題となったものかどうかは問わない。

実際にたとえば入居者同士の喧嘩のように、狭義の処遇としての介護行為とはまった く関係なく事故が発生したケース(後述する⑨事案)や、施設の工作物責任が問われた ケース(後述する⑥事案)もある。しかしそうであっても、まさにその高齢者施設の「場 所としての安全性」が問題となる限りにおいて、介護事故として取り上げるにふさわし

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いといえる。

ちなみに介護事故の裁判例でも問題となることがある、いわゆる安全配慮義務の法理 が裁判で認められた事案を見ると、その代表的な事例である最高裁昭和59年4月10日 判決(『民事判例集』38巻6号557頁以下)や最高裁昭和61年12月19日判決(『判例 時報』1224号13頁以下)は、いずれも会社や自衛隊の敷地内への不法侵入により事故 が惹起されたものであり、そもそも「場所としての安全性」が問題となってきたものだ といえる。

第二に、介護従事者の行為が問題となるパターンである。これは賠償主体としての法 的責任が直接問われるのは介護事業者ではなく、たとえば医療機関等であったとしても、

その法的責任を検討するに際して介護従事者自身の行為が問題となるパターンである。

すなわち法的構成としては、使用者責任にせよ、履行補助者としての過失にせよ、ある いは国家賠償にせよ、直接サービス提供に関わった本人自体の責任が問題となるケース であり、その「本人」が介護従事者であることが介護事故の重要な指標となろう。

たとえば事故の発生した場所が病院であったとしても、そこでの介護従事者の不適切 なケアにより事故が発生した場合は、介護事故と呼ばれるべきであろう。最終的に法的 責任が問われる主体が病院であるとしても、介護サービスの提供プロセスに際して発生 した事故であれば、まさに介護サービスの安全性が問題とされているわけであり、本論 文の研究対象に含めるべきである。その意味で、後述する医院デイケア判例(⑤事案)

は、介護事故として扱うこととした。

ただしこのことからも推測できるように、本論文では介護事故という概念を排他的な ものとは考えていない。たとえば介護事故であり、病院管理事故にも分類されうるとい うケースは想定できる。

この点で、困難な判断が必要となる問題を提供するのは、ボランティアのケースであ る。本論文の概念規定からすると、ボランティアの直接的介護行為に関連して、介護事 業者の責任が問われた場合は、定義のなかに含まれる。その意味では著名な東京地裁平 成10年7月28日判決(『判例時報』1665号84頁以下)は、社会福祉協議会の責任が 問われているため、定義の射程に入りうる。ただしこの裁判例においては、利用者が59 歳の身体障害者であり、また請求自体としてもいわゆる紹介責任であり、サービス提供 者としての責任が問われたわけではないことから、本論文では介護事故として検討対象 には含めていない4

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他方、いわゆる褥瘡裁判として著名な裁判事例である名古屋地裁昭和59年2月23日 判決(『医療過誤判例百選』〔第2版〕122頁以下)についても、介護事故の範疇に入る かどうかが問題となる。しかしこの判決についても、直接のサービス提供主体としては 医師・看護婦等の医療担当者の責任が問題となっており、事業者としても病院の責任が 問題となっていることから、ここでの中心的な検討対象とはしていない。年代的な問題 も含めて、むしろ歴史的な役割を果たした裁判例として位置づけられるものと思われる。

なお褥瘡についての最近の裁判例としては、介護施設も介護職員も関与していないため 本論文ではやはり介護事故とは位置づけられないものの、東京地裁平成9年4月28日 判決(『判例時報』1628号49頁以下・『判例タイムズ』949号192頁以下)がある。こ れらについては第5節で再度取り上げる。

(3)介護サービスの提供プロセスにおいて発生した事故であること

第三に、介護サービスの提供プロセスにおいて発生した事故という点について述べる。

もっともこの点は、実際上それほど対象を絞ることには役割を果たさないように思え る。すなわち上記の「(1)要介護高齢者に事故の損害が生じたこと」、「(2)介護サービ スの事業者ないしは従事者が事故の責任を問われていること」という2つの要件を満た していれば、おのずからサービス提供者と利用者の関係は「介護する」、「介護される」

という形を取っており、たとえば偶々発生した介護用品売買のように、そこで異なる法 的関係が発生していたとしても、それは例外的なケースと考えられるからである。

逆に、介護関係にあることを積極的に定義の中で位置づけようとしても、実際的な困 難に直面する。なぜなら本章の冒頭でも述べたように介護という概念自体が、法律上も 定義されておらず5、必ずしも明確ではないからである。

すなわちひとつには、介護という概念は、積極的な形では定義しづらい性格を持って いる。介護には、多様なケア(世話)にかかる行為の中から、法的に医療の部分を控除 し、さらに看護(療養上の世話・診療上の補助)の部分を控除し、残った部分という性 格があることを否定しがたい6。このような見方は、介護行為の専門性を強調する立場か らすれば違和感が大きいかもしれないが、家庭内でも介護自体は行われており、それら を含めた介護という概念を積極的な形で定義するのが困難であるのも事実である。

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もうひとつには、「介護している」という状態は、どこまでの事をさすのかという線引 きが容易ではない。実際に裁判事例では、見守りのあり方や、誰も見ていない場所・時 間での事故など、不作為の責任を問われるケースが多い。あるいはそもそも介護施設内 にいる入居者に対しては、事業者側としては四六時中、介護サービスを提供しているの だと考えることも、それほど不自然ではない。このようにどこまでが「介護している」

状態なのかという線引きが難しく、逆にいえば介護について、積極的な形での定義が困 難なのである。

これらの事情から、介護サービスの提供プロセスにおける事故であるということを、

介護事故という概念の対象を画定するために使える場面はあまり考えづらい。いいかえ ればサービスの利用客体と提供主体の2つの側面だけから、介護事故という概念の対象 はかなりの程度絞れることが分かる。

ただしこの概念規定に含まれる「事故」という要素についても、実は必ずしも明確で はない。介護事故が裁判になるのは、通常の自然死・病死や傷害・病気ではなく、いわ ゆる不慮の事故の場合である。事業者側に法的責任が認められるかどうかは裁判の結果 等によるが、いずれにせよ事業者側の法的責任が問われるのが、本論文で概念規定した 法的紛争としての介護事故である。ところが第2章第3節でも述べたように要介護高齢 者の場合、自然死や病死、傷害・病気等と、不慮の事故との境界線が必ずしも明確では ないため、事故や事故による損害ということの範囲が問題となり得る7

具体的には、ひとつには事故を契機として、死亡や疾病・後遺障害等にいたった場合、

どこまでが事故を原因とするものかが問題となることがある。事故が発生したのは確か だが、その損害との関係が不明確な場合であり、裁判例では、たとえば転倒から寝たき りになり、その後に肺炎を起こして死亡した場合、相当因果関係の範囲の問題として争 われたことがある8

もうひとつには、そもそも事故が発生したといえるのか自体が問題となることがある。

死亡や疾病・後遺障害等の損害は明確に発生しているが、それに先行して事故があった といえるかどうかが不明確である場合であり、裁判事例では、たとえば認知症高齢者の 誤嚥について、それが事故ではなく加齢に伴う自然な過程、あるいは認知症等のあらわ れだったのではないかという形で、「不慮の事故」に該当するかどうかが争われたことが ある9

これら両方が同時に問題となるケースも珍しくはないだろう。たとえば高齢者が誤嚥

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を契機として肺炎になり、やがて亡くなるというのは、ごく一般的なケースといえる。

このとき高齢者側としては、「事業者側がきちんと見守っていれば、誤嚥はしなかったは ずだ」ということは、多くの場合に少なくとも主張可能である。しかしこのような場合 に、どこまでの誤嚥を高齢者の自然の過程や認知症によるものではなく不慮の事故の範 囲に含め、どこまでの損害をその不慮の事故と相当因果関係を有する損害に含めるかに ついては、明確な基準の提示は困難である。いいかえれば概念規定の「(2)介護サービ スの事業者ないしは従事者が事故の責任を問われていること」という要件がないと、裁 判例の収集に限らず、介護事故の範囲を画定するのは困難である。

なお、いわゆる介護虐待・介護殺人など、故意により引き起こされた事故は、むしろ 事件というべきものであることから、研究対象には含めない。故意に引き起こされた事 故は、防止のための方策も異なるため、本論文が扱う過失による事故とは明らかに別の 類型として、独自の検討対象となるべきものであるからである。

(4)2000年以降の裁判例を収集対象とすること

2000年以降の裁判例を収集の対象とすることについては、前述したような「介護事故 が社会化したこと」と密接にかかわっている。

前述したとおり、介護という概念は、もともと不明確なところがあり、いわゆるケア ないし世話にかかる行為領域から、医療や看護(療養上の世話・診療上の補助)を独立 させたうえで、いわば残余的に残っている領域が介護だといえる。

しかし一連の高齢者施策の展開、とりわけ2000年4月の介護保険制度の創設により、

介護という概念が、「医療や看護以外のもの」という消極的な形でイメージされるものか ら、より積極的・実体的なイメージへと転換したように思われる。そこでは介護保険制 度のもとで、ホームヘルプサービスやデイサービス・ショートステイなどの具体的なサ ービス種類が広く知られるようになったことに加えて、法的には介護関係が契約として 再構成されたことも、その積極的・実体的なイメージの形成に寄与したものと考えられ る。そのため今や、介護行為・介護サービスという「実体」が確固としてあるような印 象も抱きがちだが、少なくとも介護という概念の内包・外延が、それほど強固なものと して確立しているとはいいづらい。ただ社会的な認識としては、介護は急速に実体的・

積極的な概念になってきており、そこに歩調を合わせて介護事故も実体的・積極的な概

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念に転化して、必ずしも概念の明確化が図られないままで議論されているのが実情だと いえる。

本論文では、このいわば「社会化した介護事故」を検討の中心に据えるものであり、

裁判例の収集対象は2000 年以降の判決の事案とする。しかしこれは判決年月日を基準 としたものであるので、介護保険のもとでのサービス提供に際して発生した事案には限 られないことになる。なお結果的には後述する①事案をはじめ、いわゆる介護事故判例 として先行研究により取り上げられている裁判例は、すべて2000年以降に集中してい る。

ただし第5節では、本論文が主たる検討対象とはしない2000年以前の裁判例におけ る介護事故に類似する事案の扱いとの比較を行うことで、本論文における概念規定の意 味合いについて確認する。

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第3節 介護事故裁判例の収集

前節の概念規定によれば、本論文が検討対象とする介護事故の裁判事例として、以下 の12事例(判決としては14)が収集される。これらを以下、第5章・第6章での中心 的な検討対象とする。今後も当然、裁判例は増えていくことが予想されるが、本論文で は2007年12月までに収集しえた裁判例を検討対象とした。

これを事故の種類に応じて「誤嚥事案」、「転倒事案」「その他の不測の事故事案」の3 つの事案類型に分類し、判決年月日の順に並べたのが下記である。この分類の理由は、

第6章第2節で検討するとおり、事故の種類に応じた事案類型によって、法的紛争の様 相と、これに対する法的評価のあり方も異なってくるためである。

なおこれら以外に、関連文献から収集し得た未公刊の裁判例として、転倒事案である

〈1〉事案と〈2〉事案がある。これらは裁判所のホームページにも搭載されておらず、

また各裁判所に赴いて判決原文を閲覧することはできなかったが、〈2〉事案については 判例集に準じる出版物に登載されているものであり、また〈1〉事案についても弁護士 らが執筆・編集した出版物の資料集部分の「介護事故等の裁判例集」に登載されているも のであることから、その内容については参照に値するものと考え、リストの末尾に参考 として掲げ、以下の検討に際しては、注において適宜言及することとした。ただし他の 事案と区別するため、〈1〉事案、〈2〉事案と、また判決については〈1〉判決、〈2〉判 決と表記した。

(ア)誤嚥事案

①横浜地裁川崎支部 平成12年2月23日判決 特別養護老人ホームでの朝食時の誤嚥 による死亡事案 (『賃金と社会保障』1284号38頁以下)

②横浜地裁 平成12年6月13日判決 老人保健施設でのこんにゃくの誤嚥による死亡 事案 (『賃金と社会保障』1303号60頁以下)

③神戸地裁 平成16年4月15日判決 特別養護老人ホームでのパン粥の誤嚥による死 亡事案 (『賃金と社会保障』1427号45頁以下)

④名古屋地裁 平成16年7月30日判決 特別養護老人ホームでのこんにゃく・はんぺ んの誤嚥による死亡事案 (『賃金と社会保障』1427号54頁以下)

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(イ)転倒事案

⑤東京地裁 平成15年3月20日判決 医院のデイケアでの送迎バスを降りた直後の転 倒による死亡事案 (『判例時報』1840号20頁以下)

⑥福島地裁白河支部 平成15年6月3日判決 老人保健施設の汚物処理場での転 倒による骨折事案 (『判例時報』1838号116頁以下)

⑦福岡地裁 平成15年8月27日判決 NPO法人の介護サービス施設での昼寝から の目覚めの際の転倒による骨折事案 (『判例時報』1843号133頁以下)

⑧横浜地裁 平成15年3月22日判決 介護老人施設のトイレ内での転倒による骨折 事案 (『判例時報』1895号91頁以下)

⑨神戸地裁 平成17年6月27日判決〔原審〕 特別養護老人ホームでの利用者同士の トラブルに伴う転倒による骨折事案 (『賃金と社会保障』1431号57頁以下)

⑩大阪高裁 平成18年8月29日判決〔控訴審〕 (『賃金と社会保障』1431号41頁 以下)

⑪京都地裁 平成18年5月26日判決〔原審〕 グループホームでの転倒による骨折・

死亡事案 (『賃金と社会保障』1447号63頁以下)

⑫大阪高裁 平成19年3月6日判決〔控訴審〕 (『賃金と社会保障』1447号55頁以 下」

(ウ)その他の不測の事故事案

⑬東京地裁 平成12年6月7日判決 老人保健施設での窓からの転落による死亡 事案 (『賃金と社会保障』1280号14頁以下)

⑭静岡地裁浜松支部 平成13年9月25日判決 デイサービスでの窓からの脱出・失踪 による死亡事案 (『賃金と社会保障』1351号112頁以下)

(参考) 未公刊裁判例

〈1〉神戸地裁 平成14年10月2日判決 特別養護老人ホームのショートステイでの

車椅子からの転倒による骨折事案 (高野範城・青木佳史編『介護事故とリスクマネ ジメント』(あけび書房、2004年)151頁以下)

〈2〉大阪地裁 平成17年2月9日判決 老人保健施設での転倒による骨折事案

(『医療訴訟ケースファイルvol2』(判例タイムズ社、2007年)502頁以下)

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第4節 隣接領域の事故との関係

以上の概念規定につき、介護事故以外の事故類型との関係について補足する。

1つの事案を見る場合、前述したとおり、他の事故類型との間で重複するケースがあ り得る。たとえばある事故が介護事故であり、看護事故や病院管理事故でもあるという ケースを正面から認める必要がある。

実際にたとえば②事案の老人保健施設での転落事故では、介護職員と看護職員双方の 過失が問題とされている。たとえば病院で、たまたま最後に見回りをしたのが介護職員 か看護職員かによって、まったく検討方向が異なるというのも適切とはいえないだろう。

すでに看護事故をテーマとする諸文献では、本論文で扱う介護事故が、看護事故とし て取り上げられていることは珍しいことではない10。過去の看護事故と呼ばれる事例を みると、転倒、骨折、誤嚥、自殺、失踪等、介護事故として分類される諸々の事故類型 は、すでにひととおりあらわれている。しかしそのこと自体を問題とする必要はなく、

適用されるべき法理が矛盾すれば別だが、1つの事案に複数の角度から光を当ててみる ことはむしろ有意義なはずである。なお褥瘡に関する裁判例につき、次節で言及する。

実際問題としては、たとえば「誰も見ていなかった場所での転倒」が生じたとき、「見 ていなかった」のは、看護職員なのか、介護職員なのか、ということが問題となり得る。

この点、本論文では、介護事業者あるいは介護従事者が法的責任を問われたかどうかで 概念規定を行っているため、たとえば病院内で「誰も見ていないとき」に転倒が発生し たときであっても、介護職員が法的責任を問われていれば、本論文の概念規定による介 護事故に該当することになる。したがって同じ態様の事故であっても、誰の責任が追及 されているかによって、介護事故に該当するかどうかが変わってくることになるが、本 論文では法的紛争を研究対象としており、同じ態様の事故であっても法的紛争とならな い限りは検討の対象とはしていないのと同様に、法的紛争の当事者によって、一定の線 引きを行うことにも合理性はあろう。

とくに前節で述べたように、介護事業者および介護従事者という存在は、2000年以降 に介護保険制度とともに、社会的な意味で確立してきたという側面が強い。そのことか ら、これらを当事者とする法的紛争に研究対象を絞ることには一定の意義があろう。

さらに具体的に言えば、前章で述べたとおり、介護事業者および介護従事者には、高

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齢者に対して生活の場を提供し、その生活の場の管理に当たるという役割が、少なくと もその職責のひとつとして認められる。そうだとすると、「誰も見ていなかった」、「気付 かなかった」という不作為が、病院という場所や、医療職の職務と比べて、介護事業者 や介護従事者について、より鮮明な形で問題となることはあり得よう。その意味からも、

事故に際しての法的責任を追求されているのが介護事業者や介護従事者であるという線 引きは、研究対象の明確化という点で、一定の意味があるものと考えられる。

なお、ここで「法的責任を追及されている」という場合には、必ずしも裁判の被告と なっていることを意味していない。たとえば医療法人が裁判の被告となっている場合で も、その前提として医療法人に雇用されている介護従事者の法的責任が争われている限 りにおいて、その事案は介護事故の概念規定には含められる。それは本論文での介護事 故の概念を法的紛争に限定する一方、法的紛争というときには、裁判と同義とはしてい ないことからもいえることである。

なおこれらとは別に、在宅介護サービスの提供に際しても、事故は発生し得る。前述 した概念規定においては、事故が発生した場所自体は要件とはしていないことから、在 宅介護サービスの提供に際して発生した事故についても、施設内の事故と同じ形で概念 規定の要件に当てはめることで、本論文での介護事故に含められるかどうかの判定が可 能である。もっともこれまでのところ、送迎中の事案はあるものの(⑤事案)、在宅サー ビス提供中の人身損害を伴う事故の裁判事例はない。ただし今後は在宅介護サービスの 提供に際しての人身損害を争う裁判事案も発生し得るであろう。

さらに家族介護においても、事故は発生し得る。第2章でみたように、統計上も、不 慮の事故は家庭内でも多く発生している11。ただこの場合、事故発生にかかる法的責任 を追及しようとしても、介護を行っているのが家族であるため、通常は裁判にならない ものといえる12。なお自宅療養での転倒事案において、患者およびその保護者に対する 医師の指導助言義務が争われたものとして、東京地裁昭和63年12月26日判決(『判例 時報』1329号162頁以下)がある。

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第5節 2000年以前の裁判例における介護事故に類似する事案の位置づけ

前述したように、先行研究においても介護事故の裁判例と位置づけられているものは 2000年以降に集中しており、本論文で扱うような要介護高齢者の事故で2000年以前の ものが裁判例として公刊されているものは見当たらなかった。

ただし第3節でみたように、介護事故に類似する事案での裁判例は存在することから、

これらについてみることで、逆に本論文で概念規定した介護事故を研究対象とすること の意味合いの再確認が可能となるものと考えられる。

なぜ2000年以前に、本論文で概念規定したような介護事故の裁判例が見当たらない のかといえば、ひとつには介護事業者や介護従事者が独立した形ではあまり存在せず、

今日でいうところの介護サービスが病院や医療・看護職によって担われていたためであ ろう。実際にそのことが、以下で取り上げる裁判例からもうかがえる。しかしより基本 的な問題として、本論文で対象とする介護事故ないし介護関係に対する見方や考え方の 枠組みが、2000年以前には社会的に確立していなかったことが考えられる。すなわちか つては第3章で挙げたような法的紛争としての介護事故の独自性を形成する諸要因が明 確になっておらず、具体的には上記で述べたような準専門性を有する事業者側が独立的 な形で存立していなかったことに加えて、要介護高齢者が主体性と要保護性が交錯する 存在として認識されず、さらに介護関係が不作為と作為を包含する関係性として理解さ れていなかったことから、今日のような裁判例において介護事故をみる枠組みが、2000 年以前には社会的に形成されていなかったものと考えられる。

この介護事故およびその背景にある介護関係に対する見方や考え方の枠組みが形成さ れた機縁となったのは、やはり2000年の介護保険制度の創設だといえる。その際に介 護サービスの提供が契約の形に再構成され、そのことで契約当事者としての事業者側が 事故の際の賠償主体としても位置づけられたことから、賠償責任保険への加入も進み、

介護保険制度自体とあわせて、第3章で取り上げた法制度的位相が形成されたものと考 えられる。もちろん介護保険制度の創設と同時に、一挙にこのような見方や考え方の枠 組みが成立したわけではないだろうが、第3節で述べたように介護保険の創設を重要な 契機として、これらが社会的な問題として認識され、急速に介護関係や介護事故に対す る見方や考え方の枠組みが形成されたということはいえよう。ただし逆に本論文で取り

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上げる介護事故の裁判例のなかにも、第6章で検討するように、たとえば①事案や②事 案などのように医療紛争の枠組みに近い形で法的評価が行われているものもある。

なおこれと同時に、医療の領域において自己決定権が重視されるようになり、これを もとに医療過誤訴訟において幅広い範囲で医療提供側の過失を認めた最高裁の判決が出 されたことの影響が、隣接領域である介護にも及んでいるものと考えられる。すなわち 肝細胞がん早期発見のための検査不実施と肝硬変死亡との間の因果関係が問題となり、

慰謝料300万円他を認めた最高裁平成11年2月25日判決(『判例時報』1668号60頁 以下)および既往症の問診確認、心電図検査、ニトログリセリンの投与等の懈怠という 医療行為に過失ある場合における因果関係の証明と不法行為の正否が問題となり、精神 的慰謝料200万円を認めた最高裁平成12年9月22日判決(『判例時報』1728号31頁 以下)が相次いで出され、とくに後者の平成12年の最高裁判決は、不適切な治療に対 して、死亡との因果関係が立証されない中での精神的慰謝料を認めて注目された。これ らも介護関係や介護事故に対する見方や考え方の枠組みの形成に寄与したものと考えら れる。この点について、具体的な介護事故の裁判例に即した検討は第6章で行う。

以上のような枠組みが成立する前の法的判断のあり方について、以下では第3節で言 及した2000年以前の裁判例に即して述べる。すなわち一方では、介護事故に類似する 事案においても、それが医療紛争に近い枠組みでとらえられることがあった。そこでは 介護関係が作為と不作為を包含した包括的な関係性であることによってもたらされる法 的紛争の独自性は認識されず、確固たる医療行為の適否が問題にされるという問題の枠 組みで処理した判決が出されている。また他方では、介護事故に類似する事案について、

そのサービスの利用者たる要介護高齢者が主体性と要保護性を兼ね備えていることによ りもたらされる法的紛争の独自性が認識されず、むしろ完全に主体的な存在として位置 づけられて、いわば通常の市民間での法的紛争に近い枠組みで処理した判決があった。

前者の医療の枠組みによる処理の事例として、いわゆる褥瘡裁判として著名な裁判事 例である名古屋地裁昭和59年2月23日判決(『医療過誤判例百選』〔第2版〕122頁以 下)を挙げることができる。

この事案は61 歳女性のケースであったが、入院中に褥瘡(床ずれ)を発生させたこ とに関して、判決は「・・・褥瘡発生を予防することは不可能ではなく、より濃厚、適切な 看護によりその防止が可能であったことは十分推察される。この点から観ると病院にお いては、医療担当者らの一層の工夫、努力が望まれる状況にあったことは否定できない」

(18)

と述べている。しかし判決は結果としては、「Aの詳細な病状等が証拠上必ずしも明確で はない関係上、Aについてどの程度の看護により褥瘡を完全に防止しえたかについては 断定し難いが、・・・本件医療担当者らに対し努力義務としては格別、そこまでの法的義務 を課すことは妥当ではないと思料する」として賠償請求を認めなかった。

褥瘡の防止は、医療的処置でもあるが、今日では介護職が広く担っている事柄である。

そして第6章で分析するように、今日の介護事故の裁判例であれば、この判決のような

「褥瘡発生を予防することは不可能ではなく、より濃厚、適切な看護によりその防止が 可能であったことは十分推察される」との評価が行われれば、死亡という結果にも着目 することで、何らかの賠償が認められた可能性が高いように思われる。

しかしながら、この判決では「どの程度の看護により褥瘡を完全に防止しえたかにつ いては断定し難い」という形で、請求が斥けられており、このことは当時の医療紛争の 枠組みにおいては、具体的な不適切な医療行為が特定されて、それとの関係で損害が発 生したことが明確であったかどうかが法的責任を認める枠組みであったことが窺える。

いいかえれば入院患者に対する包括的な介護関係という視点は、意識されていなかった ということができる。

なお褥瘡に関する裁判例としては、このほかに前述したように東京地裁平成9年4月 28日判決(『判例時報』1628号49頁以下・『判例タイムズ』949号192頁以下)があ る。これは小脳出血で入院した 66 歳の患者についての判決であり、褥瘡が患者の死亡 をもたらしたかどうかが争われたが、判決は「褥瘡は太郎の死亡とは無関係であるとま では断定し難く、・・・」、「・・・褥瘡も腎機能を悪化させる要因として少なからざる影響を 及ぼしたと推認するのが相当である」と判示して、褥瘡と死亡の因果関係を認めた。

これは上記のとおり、両者が「無関係であるとまでは断定し難く」という評価から「少 なからざる影響を及ぼしたと推認するのが相当である」という結果を導いたもので、そ の間には論理的な飛躍がないでもない。前述したような、医療過誤訴訟において確固た る因果関係がなくても賠償請求を認める最高裁判決が出される以前の判決であり、この 段階で患者側の賠償請求を認めるためには、多少強引であっても法的構成としては明確 に因果関係を認める必要があったことが窺える。

また介護事故に類似する事案に対する、後者の市民関係に近い枠組みによる処理の例 として、以下の判決を挙げることができる。

ひとつには歩行介護にかかるボランティアの責任が問われた東京地裁平成10年7月

(19)

28日判決(『判例時報』1665号84頁以下。第6章〔参考裁判例-1〕)がある。

これは59 歳の身体障害者に対する歩行介護が問題となったものだが、原告側の請求 を棄却するに当たって、判決は「原告は、おそらく少しくらいなら大丈夫との判断に基 づいて歩き始めたものと思われるが、結局、本件事故は、判断を誤って介護者なしで歩 き始めた原告自身の過失によって生じたものといわざるを得ず、・・・」と述べている。す なわち原告自身の「大丈夫との判断」、「判断を誤って介護者なしで歩き始めた原告自身 の過失」との表現で、原告側に、事故の発生にかかる法的責任を基礎づける、いわば市 民としての完全な主体性を認めることで、サービス提供側の責任を否定したものといえ る。

さらに高齢者である原告側の請求が認められた事案においても、そこでの過失相殺の 扱いには注目すべきものがある。すなわち以下の2つの裁判例は、いずれも2001年の 判決であるが、高齢者の事故であるにもかかわらず、通常の市民関係に近い枠組みによ って処理しているものである。

まず区立の保養所での段差による高齢者骨折事案にかかる東京地裁平成13年5月11 日判決(『判例時報』1765 号80 頁以下)は、区の設置・管理責任を認めたが、同時に

「原告は、・・・特に、原告のような高齢者が急いで降りることは危険であることを十分認 識していたものと認められる。しかるに、原告は、・・・急いで本件客室の本件和室部分か ら通路から部分に降りようとしたところ、本件段差を踏み外して転倒したというのであ るから、・・・原告の側にも、踏み台のある洋室側から降りないで、踏み台のない通路側か ら急いで降りた点に相当の過失があるというべきである」として、原告側に6割の過失 相殺を適用している。

この判決では、利用者は85歳であったが、「原告のような高齢者が急いで降りること は危険であることを十分認識していたものと認められる」として、明確に事故の発生に かかる法的責任を基礎付ける主体性を認めている。保養所で段差に客観的な瑕疵がある としながらも、利用者側の6割という大幅な過失相殺をしている点は、第6章で検討す るように、⑥事案として挙げた老人保健施設の汚物処理場での転倒による骨折事案であ る福島地裁白河支部平成15年6月3日判決(『判例時報』1838号116頁以下)が、施 設に「土地の工作物の設置又は保存の瑕疵」を認めて、立ち入り禁止の箇所で転倒した 利用者側の過失相殺を認めなかったのと対照的である。

さらに自動ドア設置における高齢者への配慮が問題となった東京地裁平成13年12月

(20)

27日判決(『判例時報』1798号94頁以下)では、原告側の請求を認めつつも、7割の 過失相殺をしている。判決では「・・・原告は、事故が通常の歩行能力を有するものと比べ て著しく歩行能力が劣り、本件店舗を訪れた際には常に家族又は被告の従業員において 原告を介助しており、その介助がなければ事故が安全に本件ドアを通過できない可能性 があることを認識し、これらのものの介助を待って通行を開始すべきであったにもかか わらず、漫然と一人で本件ドアの通行を開始して本件事故に遭ったものと認めることが できるから、原告にも過失があったといわざるを得ず、これが本件事故の発生に重要な 役割を果たしていることにかんがみると、原告の過失割合は七割とするのが相当である」

としている。

この判決ではやはり「・・・原告は、・・・その介助がなければ事故が安全に本件ドアを通 過できない可能性があることを認識し」という表現から、65歳女性の高齢者に対して事 故の発生にかかる法的責任を基礎づける完全な主体性を認めていることが分かる。

ちなみに責任が問われた被告側は、過失相殺に関して「・・その家族である原告の夫、

娘及び孫は、親族及び唯一の原告の右状況を知る者として、原告の動向に注意を払い、

原告を常に介助すべき注意義務があったにもかかわらずこれを怠った」と主張していた。

すなわち家族に対していわゆる「被害者側の過失相殺」を主張していたものだが、この 部分は判決では採用されず、もっぱら原告である高齢者本人に焦点を当てた形で過失相 殺が認められた点にも、その原告本人を市民関係における主体として評価していること が窺える。

これら2つの裁判例に見られるように、2000年以前の裁判例では、高齢者に事故の発 生にかかる法的責任を基礎付ける完全な主体性を認めて、とりわけその高齢者自身の「認 識」を根拠として、大幅な過失相殺を認めている点が注目される。すなわちレストラン や保養所側の法的責任の評価をひととおり行ったのちに、別途、利用者側の責任要因が 独立的に評価され、大幅な過失相殺を適用しているのであり、これはいわば古典的な過 失相殺の適用の仕方といえる。

この点は、上記の2つの裁判例において、「保養所での段差」、「自動ドアの設置」とい う設備面の適切さが問題となったために、際立つことになったものといえる。すなわち 設備面のあり方は、人的なサービスのように相手方である利用者の属性や所作によって 姿を変えるものではなく、いわば客観的にその適切さが評価され得るものであることか ら、設備面の要因と利用者側の要因とが独立的に評価されたものといえる。

(21)

これに対して、のちに第6章で詳しく見るように、介護事故の裁判例においては、過 失相殺はむしろ事業者側の法的責任を評価する際の調整のために用いられている。すな わち必ずしも利用者側の「認識」自体は問題とせず、利用者側の事故発生に寄与した行 動自体に着目して、一定の法的な主体性をもとに過失相殺を適用している。具体的には 医院のデイケアでの送迎バスを降りた直後の転倒による死亡事案である⑤事案の東京地 裁平成15年3月20日判決(『判例時報』1840号20頁以下)や、介護老人施設のトイ レ内での転倒による骨折事案である⑧事案の横浜地裁平成15年3月22日判決(『判例 時報』1895号91頁以下)〕がこれに当たる。

これらは、過失相殺のいわゆる拡大的な適用の一場面と評価できる。すなわち加害者 側の法的責任の評価に際して、諸般の事情を総合的に勘案するために、過失相殺の法理 を拡大的に活用するというものである13。介護事故に即していえば、利用者側の要因を 必ずしも独立的に評価するのではなく、むしろこれを要介護高齢者との介護関係に内在 するものとして組み入れて、事業者側の法的責任の評価に際してその一要素として勘案 しているものといえる。いいかえれば事業者側としては、個々の利用者の主体性と要保 護性の交錯の態様に応じて、いわば当意即妙に注意義務を果たす必要があり、その適切 さが事業者側の法的責任の有無や程度を規定しているものと考えられる。

このことは、前述したような介護関係や介護事故に対する社会的認識の確立によりも たらされたものだと考えられる。すなわち事業者側と利用者側との間の、作為と不作為 を包含した包括的・相互的な関係性としての介護関係が認識されたことで、そこでの利 用者側の振る舞いが、介護関係を経由して事業者側の責任の評価にいわば内在的に作用 し、過失相殺の適用に帰結したものといえる。

これらの事案は2000年以前の枠組みであれば、利用者は完全な法主体として認識さ れ、市民関係に近い枠組みの中に位置づけられた上で評価されるか、そうでなければ逆 に要保護性を前面に出して医療紛争に近い枠組みの中に位置づけられ、利用者の主体性 は問題とされない形で評価された可能性が強い。

以上の諸判決からすると、介護事故に類する事案については、2000年以前には、医療 関係に近い枠組みや、逆に市民関係に近い枠組みでとらえられることが一般的であった ものと推測される。すなわち2000年以前には、本論文で主たる検討対象としたような、

要介護高齢者の転倒・誤嚥といったような事故事案の裁判例は公刊されていないものの、

それはたまたまそのような事案がなかったという以上に、介護事故という枠組みで法的

(22)

紛争をとらえる素地が成立していなかったものといえる。いいかえれば本論文において、

2000年以降の介護事故の裁判例を検討するということは、2000年以降に社会的な枠組 みとして形成された介護にかかる法関係や法主体と、そのもとで発生した介護事故とい う事象について研究することを意味するものといえよう。

(23)

第4章 注

1 最近のまとまった検討として、新井誠・秋元美世・本沢巳代子編著『福祉契約と利 用者の権利擁護』(日本加除出版、2006年)がある。その他、第2章第4節に挙げた文 献を参照。

2 他に関連する裁判例の収集としては、全社協「福祉サービス事故事例集作成委員会」

『福祉サービス事故事例集』(2001年)、烏野猛「最近の社会保障・社会福祉判例からみ た特徴と争点」『賃金と社会保障』1377号4-11頁(2004年)などがある。

3 介護事故の裁判では、介護職員の過失により施設等の事業者に使用者責任が成立す ることから、確実に賠償額を得るため、事業者に対して損害賠償請求が行われることが 一般的である。

4 第6章の〔参考裁判例-1〕を参照。

5 増田幸弘「介護提供体制の組織と構造」『講座社会保障法 第4巻 医療保障法・介 護保障法(法律文化社、2001年)197頁参照。

6 ただしとくに「療養上の世話」にどこまでの業務を含めるかは、理論的にも実態上 も難しい問題である。

7 死亡診断書の記載により統計上は明確に分類されることになるが、死亡診断書の記 載方法は医師個人の判断に依拠しており、ばらつきも大きいことが推測される。

8 裁判例として検討する⑤事案、⑪事案などで問題となった。

9 第6章の〔参考裁判例-4〕、〔参考裁判例-5〕で問題となった。

10 たとえば石井トク『看護と医療事故』(医学書院、2001年)、杉谷藤子『「看護事故」

防止の手引き』(日本看護協会出版会、1997年)など。

11 第2章第3節における統計数値を参照。

12 もっともこの点については最近、家庭内での介護に関する裁判例があらわれた。家 庭内での介護に関して、介護用ベッドの安全性が問われた裁判例として、第6章〔参考 裁判例-5〕を参照。

13 過失相殺については第6章第6節で検討する。

(24)

第4章 参考文献

新井誠・秋元美世・本沢巳代子編著『福祉契約と利用者の権利擁護』(日本加除出版、

2006年)

石井トク『看護と医療事故』(医学書院、2001年)

烏野猛「最近の社会保障・社会福祉判例からみた特徴と争点」『賃金と社会保障』1377 号(2004年)

厚生労働科学研究「医療事故の全国的発生頻度に関する研究」(主任研究者:堺秀人東海 大学医学部付属病院副院長、2003年)

杉谷藤子『「看護事故」防止の手引き』(日本看護協会出版会、1997年)

全社協「福祉サービス事故事例集作成委員会」『福祉サービス事故事例集』(平成12 年 度長寿社会福祉基金助成事業)(2001年)

高野範城・青木佳史編『介護事故とリスクマネジメント』(あけび書房、2004年)

茶谷利つ子「介護事故実態に関する調査研究と介護事故の捉え方」『新潟青陵大学紀要』

2 107-120頁(2002年)

増田幸弘「介護提供体制の組織と構造」『講座社会保障法 第4巻 医療保障法・介護保障 法(法律文化社、2001年)所収

参照

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