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井口均

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Academic year: 2021

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保育・子育ての共同化運動挫折の経過(2)

井口均

2.桜保育園で一体何が起こつ糎のか

桜保育園が認可され,1991年4月から実際に運営できるかどうかは今から考えても実に微妙な 問題であったように思われる。ある意味では,1985年12月の発足以来のたまり溜った鬱憤が,認 可が認められる年に一気に吹き出たとも受けとれる。ただし,1990年の初頭から1991年にかけて 次々と起こった様々な出来事は,全く普通では考えられないことばかりであった。その事情も合 わさって,単に認可に暗い影を落としたのみならず,これまでどうにか体裁を保ってきた親や保 育者そして理事を含めた人間関係に,修復不能な決定的な亀裂と対立が持ち込まれたのである。

そして,それ自体結果的には誰にとっても益のない「内部紛争」でしかなかった。その口惜しさ を多くの残された親たちは今だに拭い去ることができないでいる。その「内部紛争」に巻き込ま れて振り回された多くの親と子どもの不安な日々を思い起こすと,改めて強い憤りを覚える。で

は一体何が起こったのであろうか。

(1)「内部紛争」開始から分裂対決まで一年少組の親の動きと関わらせて

① 緊急事態発生=保母・職員(11名)辞表提出(1990.1/8〜2/16)

直接の発端は,障害児の担当をしていた比良保母が,学童保育に配置を替わるように滑田園長 から一方的に指示されたことに腹を立てて辞職を申し出た(1/8)ことにある。若手の保母た ちから頼まれた添木主任が仲立ちしたり,直接若手も話に行くが時があかない状態となった。そ の後,マット指導や散歩の指導をめぐって滑田園長と若手保母との意見が対立し,次第に感情的 な対立が深まっていく事態も重なった。その結果,最悪にも,保母・職員の11名が辞表の意思を 園長につきつけたのである。その後,外目理事および端山理事長らによって事情説明と慰留がな されたが,翻意の意思はなく決意が固いと判断されている。

また,この間題で理事会が2月28日にもたれ,滑田園長と添木主任の両者に対して,指導的立 場にある者としての品格がその場で問われている。結局,理事会は何ら具体的な改善策を示すこ

とができず,同じ日,辞表が正式に提出された。

(参 理事会で全員の辞表受理(3/13)

この頃から,年少組の親の中で今後の対応策についての話し合いが活発化する。それは年少組 の担任も1人(もう1人は添木主任)辞表を出しており,今後の保育に不安感を抱く親が多かっ たためである。クラス有志で話し合った結果,お互いの自由意思に基づく選択を尊重することに なった。

その時点での,選択肢は人事刷新,園長への管理体制,現状追認,新「共同保育園」の4つで

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あった。 3月28日,鶴見宅では何人かの有志と新「共同保育園」について検討を行なった。新園 設立は桜保育園に恩を仇で返すことにならないかという疑問,保育者の確保のために辞表を出し た保母にあたること,話をもち掛ける父母の範囲や新園のイメージ等について具体的に話し合っ た。財政問題についても試算を行なった。ただ鶴見が強くこだわった点は,桜保育園が共同保育 園の「旗」を降ろすことであった。そうでなければ,共同保育園を出てまた別の共同保育園をつ くることは単なる分裂行動となってしまうからである。そうならないためにも,集会でその言質 を意識的引き出す必要性を確認した。

③  4.2父母集会開催(辞職問題の経過説明)

理事の梨田氏からこの間の経過と辞職問題の原因について簡単な説明が行なわれた。その後,

父母による原因追及(園長批判)と保母の復職を求める発言が続いたが,保母の意志が固く,慰 留は不成功に終った。原因・理由については,明らかに滑田園長の人徳・管理能力の欠如にある

という理事会見解が明らかにされた。

今後の問題として, I斎藤先生に入ってもらっては?Jの意見があったが,大西理事が「外部 からの内政干渉は絶対許さない」ことを全員に確認した。理事会は仕方なく新しく保母を補充し て「これまで通りで行く」方針を言明したので,鶴見は「共同保育Jの「実体」が消失したと認 識し,緊急避難的保育を実際に模索することを決めた。

④  斎藤先生何とかして下さい=4月上旬に卒園式がずれ込む

4月 8日斎藤氏を囲む集会が開かれたが,年少組ではクラスの親に出席しないように連絡をし 合った。以前の経験からすると,一方で斎藤氏は辞職保母を「よくやってきた」と褒め上げ,他 方では園長も持ち上げつつ厳しく叱ることによって保母や親の側に溜っているガス抜きをされる 危険性があった。それによって,もう一度園長のもとで頑張ろうという雰囲気に持っていかれる 可能性があったのである。

ところが,磯路が斎藤氏に今回の辞職問題を直訴したため事態の進行は急変してしまった。斎 藤氏は理事にも事実を確かめた後,園長と保母を前に解決策(園長は辞職し,辞表を出した保母

・職員全員が復職する)を示した。このことは必ずしも公表されていなし凡それを受けて,辞表 を出した保母が大西宅に集合して話し合いをもっている。数人の親もかけつけて復職を再度訴え 7

⑤  一体どうなってんの?=4月中旬父母集会(全員復職ノ)

どうして復職することになったのか具体的な説明は何もなしに,あれ程嫌っていた滑田園長に 対して, I園長と協力して一緒に」と大西保母が代表で意思表明を行なった。このことは,常識 的感覚をもった親を大いにしらけさせた。 1つは,部外者に解決を委ねてしまったことにある。

2つには,そもそも,斎藤氏の提示した最も妥当な解決策と全く違う解決策が示されたからであ る。後ろ盾に斎藤氏をつければ従来の園長体制でもどうにかなると安心したのか,それとも辞表 を撤回した保母の中からいざ園長になる者を選ぶ段階でしり込みをしてしまったのかどうか,と にかく理解に苦しむ事態収拾であった。いずれにせよ多くの父母はキツネにつままれた気持で何

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がどうなっているのか理解できず,でも良かった?といった心境であったように思われる。自分 たちの慰留にはあれほど頑なだったのにどうしてという気持ちはその後にも解消されず,自分勝 手としか映らない態度に,次第に「戻ってきたJ保母への親の不信感が強まっていった。辞職問 題に絡んだ一連の出来事は,親の切実な気持ちが不誠実な対応によって弄ばれただけとしか受け 止められないしろものであった。これが決定的な亀裂を「戻ってきた」保母と年少組の多くの親

との問につくったのである。

常識的には筋の通らない「出戻り劇」であったが,保母が戻ったので時限的な緊急避難的保育 計画案も立ち消えとなった。こうなった以上,年少組では,残された道はクラスの親が可能な限 りまとまって行動し,現状の中で子どもにとってよりベターな選択を行う以外にないことを了解 した。

⑥  4月末'"'‑'5月初めの 自主的"研修(さくらんぽ:埼玉)

理事会が保育状態と財政的理由により人数を限定したうえで研修に出す決定をしたにも拘らず,

ごたごた続きで不安な状態にある子どもや父母に構うこともなく,

r

戻ってきた」保母たちは勝 手に研修に行ってしまうという行動にでてしまった。しかも研修旅費のカンパを一部の理事が集 めさせたことも発覚し,

r

戻ってきた」保母や理事会のリーダーシップに対する親の失望感は募 るばかりで,園に対する非協力的な雰囲気も次第に生じ始めた。またこのことは,一部の理事聞 の分裂をさらに深める結果にもつながった。

⑦ NHKの集金おじさん」は作らない=理事会から5月中旬頃「建設委員」要請

必要な基本資料も何もない状態で「建設委員会Jが提案された。そのまま誰かヲ│き受ければ,

委員が単なる資金集めで追われ,理事会と親との板挟みで苦しむことは目に見えていたので,年 少組ではクラスの役員を窓口にすることにした。

この頃,やはり滑田園長と「戻ってきた」保母(特に大西保母)との感情対立は改善されるど ころか深まる様相を示している。「斎藤先生に保母は手紙や電話で園長への不満を直訴している」

という話が何人かの親の聞から伝わってきていた。

③  反現理事長・園長派の父母が大挙して理事に立候補=6.3

r

育てる会」総会開催

この総会で新たに事務局長として占部,事務局次長には大西が選ばれた。理事長はその時点で は空席のままとなった(最終的には都留)。保母体制も既に大西保母が主任となり,実質的に大 西中心の理事会,大西保母中心の保育体制づくりがさしずめ完成したことになる。このことから もわかるように,保育の場が運営をめぐる「対立・抗争」の場へと変質しつつあった。そうした なかにあって,

r

共同保育をめざして」が基本的な方針として合意されたことのみが唯一評価で

きることであった。

⑨  厚生省に「内部告発文書J(6/28) 

驚くべきことに,桜保育園「認可Jへの内部告発の投書が628日付のファックスで送り付け る事件が起こったのである。時期的には認可が下りる直前のことであった。このため 74日 に理事4名が市に呼び出されているo投書の内容は,社会的認知の高い「認可を」認めるに値す

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る園ではないことや親いじめ・子いじめが横行し親から資金を集めることが困難なこと,そして 滑田園長の信用性のなさと理事会の無能さを指摘していたとのこと。

ところがこともあろうに,事務局長の占部と事務局次長の大西は,その投書を出したのは鶴見 だと勝手に判断し,数人にデマを流してしまったのである。理由を聞けば,非協力的だったし,

投書内容の批判文言が鶴見が日頃口にしていたことと類似しており,文章が高度で専門用語を使 用していたからとのことである。鶴見は早速2人に抗議し,理事会や職員会議でも申し聞きと抗 議を行ない, 2人には謝罪文を書いてもらった。鶴見にとっては実に不愉快な体験であったし,

何よりも大西のグループとの決定的ともいえる溝が生じた。それ以降,クラスで配布する文書で さえ鶴見は気を遣わねばならなくなったのであるo

しかし,この投書によって資金集めと認可は多大な制約を受ける羽田になった。つまり,市の 行政指導として保護者からの寄附が禁止されたのである。その結果,理事が個人資産を出資せざ るをえない状況となり,また行政初の条件付認可内示となってしまったのである。これから当分 の間,ごたごたを起こすこと「認可Jが潰れると言い渡されたのである。今まで以上に,より慎 重な認可移行の実務・組織的処理が必要となった。

その後,大西,占部の両氏は新法人理事を降りた。

⑩  実りのない「共同保育J論争=9.25

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育てる会」臨時総会(移転現況建設資金)行政指導 による出資方法をめぐり理事会内が分裂,紛糾し,後半は罵り合いに近い「内乱」状態だと外目 理事が嘆いていた。一貫して疑問に思うのは,事務局長・次長は実務的な実権を握っており,具 体的な方針を積極的に出せる立場にありながら,有効な方針を示さずにただ突き上げや糾弾に奔 走していることである。その後,

r

育てる会」理事会から問題解決の方針,認可移行に伴う組織 的継承問題等について,何らかの具体案が出てくることはなかった。

理事会内の対立(滑田・都留グループと大西グループ)が激しくなるのと平行して,どちら側 につくのか,敵か味方かの探り合いとそれに基づく対応上の違い(例えば,挨拶など)が保母や 親の間で表現される度合いがきつくなっていった。

保 育 へ の 不 安 (5月頃から気になる)も次第に深刻かつ具体的なものとなった。例えば,子ど もの衣類が汚れないことや寝つきが目立つて悪いことが多くの親から悩みとしてだされるように なった。その後,スキップがまだできない子どもが多いことも問題となった。まさに来るところ まで来たのである。大人のいがみ合いが子どもの発達にまで悪影響を及ぼし始めたのであるo事 態は改善されるどころか益々混迷と混乱を深めていく方向へと進んだ。

⑪  私達は出しませんノニ12月以降の保母採用問題でゴタゴタ再燃

新たに認可された桜保育園で保母をする意思があるかどうかを確認する手続きが取られたが,

締め切り期限や採用条件(保母資格の有無)および「共同保育」の継承性の問題で納得が行かな いので書類を出さないと言い出したのである。結局 1年前の蒸し返しに過ぎなかった。

12月17日に,法人理事会の採用手続きが始まり, 19日に面接というのは確かにちょっと無理が あったのは確かである。若手の保母に何とか残って欲しかったが,残念ながら説得の効果はなかっ

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た。

‑12月18日‑履歴書提出を拒否した5人の保母が訴えのビラを配布。

‑1221日‑1育てる会j理事6名の連名で募集要項撤回と「育てる会」の組織的継承を訴える ビラを配布0

12月22日一5人の保母が訴えのビラを配布。

次第にエスカレートしていく様相を呈し始めたのである。

(2)  年少組クラス討議と親が選択した道

以上のように,若手保母の辞職問題に端を発したごたごたは,結局,理事会も親も巻き込んで 次第に対立を深めると共に,裾野を広げて圏全体を不安定な状況に追い込みつつあった。いくら 1年前の仕切り直しと行っても,一方は辞職を覚倍で今度は「共同保育」を貫こうとする態度を 硬化させており,他方は認可のためにはことを荒だてないように堪え忍ぶ、対応しか示せなかった。

お互いヲ│くに引けない土壇場に立たされていた。この 1年間,保母の身勝手さを十分見せつけら れたとはいえ,いざ首を切られるとか, 1共同保育」を唱えられれば立ち上がる親が出てくる可 能性は少からずあった。履歴書提出を拒んだ保母たちの勝機はそこにしかなかった。それに比べ,

園長派や法人理事会のために立ち上がる親がどれくらい居るかははなはだ疑問である。基本的に は人望を失っているといっても過言ではない。彼らにとっては時間稼ぎの戦法しかなかったはず である。事態を収拾する見込みは,極めて厳しい状況にあった。両者には折り合える部分が殆ど なかったからであるo このまま放置しておけば,事態は益々険悪な方向へと行くしかないように 思えた。

このような状況の中で年少組が重要な鍵を握っていたことは確かであるD 資料2は年少組の親 として今回の事態にどう対処すべきかについて出された結論である。その文面には親の複雑な心 境が反映されているo その心境と経緯を資料3のクラス討議に欠席した親に宛てた手紙が物語っ

ている。

資料2

父母の願い・風組クラス決議

応募をされなかった保母の皆さん,園の認可をつぶさないで下さい

昨年, 12月18日付で5人の保母の皆さんの連名で,父母へのチラシが配布されました。文 章を読み皆さん方の驚き,悔しさ,そして憤りがとても他人ごととは思えませんでした。こ れまでの苦しい無認可時代,保母の皆さんは,保育で疲れているにも拘らず,運営資金づく りにまで様々な手助けをして下さいました。こんなに頑張って下さった保母さん達だけに,

私達父母は黙ってこの事態を見過ごすことができず,せめて1人でも 2人でも応募して貰え ないものかと努力致しました。それぞれ言い分があるかも知れませんが,父母と一緒に新し い認可保育園を支えて欲しいと長電話でお願いしたりしました。担任の安松保母には,クラ

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スの三役で話を聞いて何かできることはないかを尋ねました。滑田園長にも直接会って,締 め切り期限を延ばす交渉もしました。残念ながら延期はできませんでしたが,

r

口答での意

思表示だけでもよいから」との返事をもらい,早速,近くに居た安松保母や川田保母に伝え,

滝保母にも伝えてもらいました。再度,電話でも意思表示をしてほしいと頼みましたが,結 局,私達父母の願いは叶えてもらえませんでした。とても残念でなりませんo

昨年4月に保母さんたちが復職して後,多少の行き違いがあったかも知れませんが,保母 を支える努力をしてきたつもりです。まず,担任を元の状態に戻す話し合いをし,ふたりの 担任保母ができるだけ気持ちよく働けるようにと,朝夕の挨拶にも気を遣いました。クラス 懇談会も自主的に聞き,大人同士のつきあいにも取り組んで来ました。担任の保母さん達が 話やすいようにと,園長に出席を遠慮して頂いたこともしばしばです。ふたりの担任保母に も呼び掛け,親子一緒の楽しいハイキングもしました。父母の力が十分及ばなかったかも知 れませんが,担任保母の暗い顔を明るい顔に変えることはできませんでした。また,毎日の 保育でも色々と辛いことがあったのかも知れません。結果的には,園長と仲直りをし,協力

し会える状況にならなかったのだと思います。

復職した保母さん達と園長とはどうしても折り合えない間柄なのだと思います。認可申請 上,園長は変えることができないことは既にはっきりしています。お互いに仲直りができな い以上,また認可された園に残って苦しむのは保母さん達ではないでしょうか。これ以上,

保母さん達が苦しむ姿を見るのは可哀想でたまりません。父母にとっても,園長と保母の板 挟みになって悩んだり,敵味方に分かれて争いたくありません。結局,そのしわよせが子ど

も達におよぶことも,この 1年近くの経験で嫌というほど思い知らされました。

応募されなかった保母の皆さん,どうかこれ以上問題を荒立てないで下さい。採用募集手 続きには,皆さんが指摘しておられる,いくつかの間題が確かにあります。それらが片付か なければ応募しないというやり方は,職員採用をこじれさせるばかりです。もしそうなれば,

「桜保育園」の認可は確実に取り消されます。今回の「認可」内示は,長崎市で初めての「条 件付認可」だと聞いています。理事会,職員間でのゴタゴタは,現在の「桜保育園」の認可 にとって命取りとなります。対立が深刻化し,認可自体が潰れると,理事・職員は多大な負 債を負って大変な事態となります。当然,子どもや父母も生活の場を失いかねません。私達 父母はギリギリの選択として,わが子の生活を守るために, 5人の保母さん達に「桜保育園」

での再就職を断念して頂き,このまま身をヲ│いて下さるようお願い致します。この選択を喜 んで行なう父母など誰一人いません。私達父母にとって,とりわけ若い保母さん方を失うこ とは大きな損失であり,実に複雑で、苦渋に満ちた選択であることをどうかわかって下さい。

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新法人理事会は,理事,職員,父母が自由に発言・協力し和える体制づくり 具体的改善策をノ

新しい保母育体制で再出発に際して,父母の願いははっきりしています。理事と保母・職 員および父母とが自由にものを言い合え,お互いが果たすべき役割を大事にし,お互いの持 ち味を生かしながら協力し合える園にして欲しいと考えています。とりわけ父母との語らい を大事にして欲しい。私たちも,そのために可能な協力と努力をしたいと考えています。

今必要なことは難しい理念ではないと思います。園に集う理事,職員,父母が意思疏通で きるちゃんとした場があり,できるだけ自然なかたちで協力し合える組織体制を考えること ではないでしょうか。また,肝心な保育活動で,保母同士がお互いの力量を高め合い,子ど もたちの保育にそれが生かされる組織的保障と改善策を,具体的に明らかにすべきだと思い ます。「育てる会」理事会の責任体制が事実上崩れてしまい,必要な措置が取れないのであ れば,新法人理事会がその責務を担うべきだと考えます。父母全員に対し,何らかの方法で 見解を早急に表明して下さるようお願い致します。 以上

1991年1月14日

資料3

クラス懇談会の経過をご連絡致します。

昨夜2回目のクラス懇談会が予定通り開かれました。今回1時間の予定でしたが,様々な 議論が出たために1時間程延長しました。忙しいお父さん方も沢山参加して下さり(1回目:

72回目:5名),皆さんの率直な意見が出し合え,本音を語り合うことのできた大変 意義深い話し合いでした。欠席者は3家族でした。但し,大山さんは事前に三役と話し合い ができ,今回の内容について了解が得られ,委任状も出されていました。安末さんにも了解 は得られていましたが,体調との関係で,急に欠席となりました。残念ながら事前の了解も 委任状もなかったのは福江さんのみです。 2回目の懇談会には出席されるとの御連絡でした ので,その時に直接お話した方が良いと考えていました。直前に欠席の連絡が入り,その機 会を逸してしまいました。

かいつまんで,この間もたれた2回の懇談会の主な内容をお知らせしますので,クラス懇 談会で決まった「年少組父母の願ぃ」へのの同意をして頂きたいと思います。第1回目懇談 会では,昨年4月からの事実経過を皆さんで確認致しました。それを通して,園長側,戻っ てきた保母側それぞれに色々と問題があることが明らかにされ,さらに「育てる会」事務局 体制にも事態紛糾をもたらした重大な責任が有ることも指摘されました(資料がありますが,

昨年の内部告発文書事件との関係で配布をしていません。必要であればご連絡下さしh お見 せ致します)。この 1年間を通してのそのしわょせが,結局,子どもたちの保育にいくこと

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も,皆さんの納得するところとなりました。但し,保母さん達に留まってもらいたい親の気 持ちは強く,三役や個人による遺留への努力もしてきましたが,もう一度クラスで話を聞き たいという意見が多く出されました。そこでクラス決議を出す前に 5人の保母さん達に話 を聞くことになりました。全体としての意向は,認可が非常に微妙な状況に置かれているし (最近,市に直接問わせして確認),戻ってきた保母さん達と園長との関係は修復不可能だ から同じ園で保育することはもう無理ではないか(今更園長を変えることは手続き上不可 能),親としての個人的つながりや同情はあるが,子どもたち全員の生活を守るためには,

園の認可を守り,より民主的な園づくりの取り組みを強める以外に道は無いとの認識に至り ました。そしてクラスで出す文章内容については,もう少し穏やかな表現にするように要望 が出され,再検討することになりました。この日は8時半から11時半迄,長時間かけて論議 が行なわれました。

1回目懇談会で決まった, 5人の保母さん達との話し合いですが,結局,断られました。

その理由は, I親全員の前では話すが,一部の親の前では話したくない」とのことのようで した。大山さんは親と他の保母の聞に挟まれて大変悩んでいる様子でしたので,三役はそれ 以上強く要望することは避けました。そのような経過で,第2回目の懇談会が昨日もたれた わけです。保母さん達との話し合いが受け入れてもらえなかったことの報告がなされ,一同 残念に思いました。親全体に知ってもらいたいのであれば,少しでも理解を示し,まとまっ て行動しようとしているクラスの親に積極的に話をして欲しかったです。一部の意見として,

総会を開いてからクラスとしての要望書(皆さんへのお願い)を出してはどうかととか,ク ラスからこんな文書を出すとかえって事態を硬化させるのではという疑問がありました。そ れについては,総会開催とクラスの要望書とは別個の問題として扱った方がよい,また子ど も達のことを考えれば,今こそ子ども達の代弁者として親がきちんと言うべきを言う時では ないかとの意見もあり,第 1回目に話し合われた方向で文書を出すことになりました。そし て, とにかく色々と表現・内容に気を遣って,一致できた文章が同封している「年少組父母 の願い」です。その結果,かなり暖昧な内容となってしまった感もあります。しかし, I桜 保育園」にいる 4人の障害児のうち 3人が年少組に居て,障害児の親としては非常に判断し づらい問題であったことや,夫婦問で最後まで一致できなかった状況を考えると,単純に私 情あるいは個人的利害に引きずられることなく,全員が意見を延べ,理性的かつ全体の利益 を尊重した判断を最終的に行なったという点で,今後の園づくりやクラスづくりにも希望の もてる懇談会になったのではと考えています。福江さんには一度も参加して頂けなかったの が残念でなりません。「年少組父母の願ぃ」文書の主旨は,認可を最優先的に考えてほしい こと,新園を全員が参加できる運営体制にして欲しいこと,以上の2点です。「年少組父母 の願い」の文書は保育園の親と保母・職員および理事の方々全員に配布することになりまし た。風組一同となっていますので,福江さんには事後承諾のかたちとなって申し訳ないので すが,以上の点(クラスで願い文書を出すこと,文章内容,全員への配布等)について賛同

(9)

して頂きたいと思います。今夜,電話でお考えをお聞きしたいと思いますのでよろしくお願 い致します。

1991.  1/22 

0組三役代表・鶴見

結果的には,どうにか認可園としての再出発が実現し,親の願いの一部は叶えられた。しかし,

肝心な運営体制の具体的改善は何一つ実現されず,その点での年少組の願いは実質的に反古にさ れたも同然といえる。当時年少組であった子どもの親も,今は既に年長組の親となっている。

参照

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